芸術・文化・メディア文学・写真・映画・絵本・音楽・パブリックアート。公園が表現され、語られてきたかたち。
- 写真論公園を撮るということ——写真論・記録・写り込みの倫理ソンタグ『写真論』とバルト『明るい部屋』を手がかりに、公園を撮ることが記録であると同時に選択であることを論じ、人物の写り込みや子どもの肖像への配慮を検討し、磐田市の公園写真を掲載する当サイトの編集上の責任を考える。
- 映画論スクリーンのなかの公園——ロケーションとしての公共空間映画はなぜ公園を出会いと別れの舞台に選ぶのか。ロケーションとセット、モンタージュ、ネオレアリズモの系譜から公共空間としての公園を読み解き、磐田市の公園100園を撮る場所という視点から見直す映画論の考察。
- 野外音楽・音楽社会学屋根のない音楽——野外演奏・音楽堂・音と近隣のあいだ19世紀ヨーロッパの軍楽隊演奏や日比谷公園音楽堂の歴史、野外フェスティバルの文化史、ストリートミュージックの使用許可制度を整理し、屋外での音の伝わり方と、音楽が近隣に届くときの受け取られ方の非対称を検討する。磐田市の公園への示唆も述べる。
- 絵本研究絵本のなかの公園——描かれる遊び場と子どもの世界絵本研究の視点から、公園や外遊びを描いた絵本の見開き構成・視点の高さ・余白の使い方を検討し、理想化された広さと安全、子どもだけで歩く物語の変遷を論じる。磐田市の公園100園への示唆も述べる論考。
- マンガ・アニメ表象土管のある空き地はどこへ行ったか——マンガ・アニメの遊び場表象戦後日本のマンガ・アニメに繰り返し現れる空き地・原っぱ・河川敷という遊び場の型が、都市の変化のなかでどのように移り変わってきたかを、遊び論と表象研究の視点から検討する。磐田市の公園を手がかりに考える論考である。
- 広告表象・記号論「緑豊かな環境」という言葉——広告表象のなかの公園住宅広告や自治体広報にくり返し現れる「緑豊かな環境」という言葉と、緑・子ども・家族を組み合わせた公園の写真を、記号論と広告表象研究の視点から読み解く。磐田市の街区公園51園を手がかりに、表象と現実の隔たりを考える論考である。
- パブリックアート論誰のための作品か——パブリックアートの正統性と場所との関係パブリックアートの正統性、サイト・スペシフィシティ、参加型・関係性の美学、恒久設置と期間限定の違いを整理し、公園に作品を置く判断が誰の名で行われるのかを論じる。磐田市の公園100園への示唆も示す。
- 祭礼研究祭りの場としての公園——ハレとケ・盆踊り・夏祭りの空間神社の境内で営まれてきた祭りが公園という世俗の場所に移る現象を、ハレとケ・集合的沸騰・通過儀礼・リミナリティといった祭礼研究の概念から検討し、氏子組織を前提としない盆踊りや夏祭りの担い手・継承・近隣調整の論点を、磐田市の公園データに照らして考える。
- 詩歌・俳句季語としての公園——俳句・短歌が捉えた小さな風景俳句の季語体系と歳時記の構造、正岡子規の写生論、短歌における日常詠の系譜を整理し、公園という近代の場所が詩歌のなかでどう詠まれうるかを検討する論考。鞦韆・桜・虫の声などの季語と磐田市の公園を重ね、短い詩型が場所の細部を捉える力を論じる。
- 遊戯文化史鬼ごっこ・かくれんぼ・じゃんけん——伝承遊びの構造と継承鬼ごっこ・かくれんぼ・じゃんけんという三つの伝承遊びを、オーピー夫妻や柳田國男の民俗学の方法で読み解き、規則の型・地域差・年長の子どもによる継承の仕組みと保存の是非を論じ、磐田市の公園への示唆を示す遊戯文化史の論考である。
- メディア論画面のなかの公園——SNS・地図アプリ・情報が場所を変えるマクルーハンのメディア論とメイロウィッツの場所感の喪失論を手がかりに、SNSと地図アプリが公園の発見・評価のされ方をどう変えたかを検討し、磐田市の公園情報の発信のあり方を自省的に論じる。
本シリーズは ATAWI PARK 編集部が執筆する総説的な論考です。学会誌等の査読を経た論文ではありません。引用する先行研究は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。