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屋根のない音楽——野外演奏・音楽堂・音と近隣のあいだ

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:野外音楽・音楽社会学 公開・更新 2026-08-17 本文 約21,157字 読了目安 38分

要旨

本稿の目的は、公園における野外音楽——音楽堂での定期演奏、期間を区切った野外フェスティバル、個人によるストリートミュージック——を、音楽社会理論・遊戯論・儀礼論という概念を手がかりに整理し、音楽の価値と近隣の静穏をどちらも切り捨てずに調停する枠組みを検討することである。方法は文献整理と概念分析であり、ジャック・アタリの音楽と雑音をめぐる議論、ヨハン・ホイジンガの遊戯論、エミール・デュルケームとヴィクター・ターナーの儀礼と共同性の議論、R・マリー・シェーファーのサウンドスケープ論、そして都市公園法・環境基本法・道路交通法といった公的な枠組みに依拠する。

検討の結果、次の点が得られた。第一に、公園における音楽は、19世紀ヨーロッパの公園に設けられた音楽堂や、1905年に開かれたとされる日比谷公園音楽堂に見るとおり、公園という制度の成立初期から時間・場所・規模を区切る仕組みのもとで組み込まれてきた営みである。第二に、屋外での音の伝わり方は、距離減衰という単純な物理だけでなく、音楽固有の周波数構成、拡声器の指向性、風や気温といった気象条件が複雑に関わる。第三に、「音楽か騒音か」という線引きは音の物理的な性質だけでは決まらず、演奏する側と近隣とのあいだで価値と負担がどう配分されるかという社会的な問題として捉え直す必要がある。

最後に、磐田市の都市公園100園について、大規模な公園の施設や屋根付きの広場、住宅に近い街区公園51園を手がかりに、野外音楽という観点で見るべき点を示す。ただし当サイトの現地踏査は始まっておらず、実際の演奏の実態や近隣との関係は今後の課題である。本稿は、演奏する自由と近隣の静穏という対立を、時間帯・場所・告知という具体的な手立ての組み合わせによって調停する道を示すことを目指す。

キーワード野外音楽堂ストリートミュージック野外フェスティバル使用許可制度音の伝搬音楽と近隣の非対称

1. はじめに——問題の所在

公園で演奏される音楽には、二つの顔がある。休日の広場でギターを弾く若者、地域の吹奏楽団が野外で開くミニコンサート、季節ごとの催しで流れる音曲——これらは、演奏する者と足を止めて聴く者にとっては公園を豊かにする文化的な営みである。しかし同じ音は、耳を傾ける気のない近隣の住宅にとっては、望まずして届く音、すなわち騒音として経験されうる。屋根のない場所で鳴らされる音楽は、その伝わり方も、受け取られ方も、屋内で鳴らされる音楽とは異なる条件のもとに置かれている。

本稿がこの主題を取り上げる理由は二つある。第一に、都市公園や街路での演奏——路上演奏(ストリートミュージック)や地域の音楽イベント——は、公共空間の使い方をめぐる論点として各地で語られてきたが、その多くは「認めるか、締め出すか」という二択に落ち着きがちである。しかし音楽は許可の有無だけでなく、時間帯・音量・場所という具体的な条件のもとで初めて成り立つ営みであり、その条件をどう組み立てるかという論点はあまり掘り下げられてこなかった。第二に、公園における音楽は、19世紀ヨーロッパの軍楽隊演奏や日本の音楽堂の歴史に見るとおり、公園という制度そのものと深く結びついて発展してきた文化であり、この歴史を踏まえずに「今どう扱うか」だけを論じることはできない。

本稿でいう「野外音楽」とは、屋根のない公共空間で行われる演奏一般を指し、公園にあらかじめ設けられた音楽堂での定期演奏会、期間を区切って大勢を集める野外フェスティバル、そして個人や小さな団体が思い立って行う路上演奏という、規模も制度化の度合いも異なる三つの形態を含む。この三つは、後の節で見るとおり、近隣との関係の結び方がそれぞれ異なっており、一括りに論じることはできない。本稿はこの三つを区別しながら、共通する論点——音楽の価値と近隣の静穏の両立——を探る。

なお、本稿が扱う対象は、人が生の音として奏でる野外の演奏に限られる。公園や商業施設で流れる録音済みの背景音楽や、屋内のホールで行われる演奏会は、対象の外に置く。録音された背景音楽は音源と演奏者が分離しており、屋内の演奏会は屋根と壁によって音が遮られるという点で、本稿が焦点を当てる、屋根のない場所で生の音が鳴らされ近隣との関係が生じるという状況とは条件が異なるためである。

本稿が採る視点は、単一の学問分野に収まらない。演奏という文化的な営みを扱う点では音楽社会学の視点が要り、音がどう伝わるかを扱う点では音響学の知見が要り、演奏がどのような手続きのもとで行われるかを扱う点では法制度の視点が要る。公園における野外音楽という主題は、このように複数の視点を組み合わせて初めて全体像が見えてくる主題であり、本稿はその組み合わせ自体を一つの方法として位置づける。

そこで本稿は次の問いを立てる。(1)公園における野外音楽の営みは、歴史的にどのように制度化されてきたか。(2)野外フェスティバルという文化はどのような系譜をもつか。(3)ストリートミュージックは公共空間の使用許可制度のもとでどう位置づけられるか。(4)屋外での音の伝わり方は、音楽という音の性質とどう関わるか。(5)演奏する者・聴く者・近隣に住む者のあいだで、同じ音がなぜ異なって受け取られるのか。(6)音楽の価値と近隣の静穏をどちらも切り捨てずに調停する枠組みはありうるか。(7)これらの検討は磐田市の公園にどのような示唆をもたらすか。

聞く集うひと近隣の家問い
図1公園で奏でられる音楽は、演奏する者や聴衆にとっては価値だが、近隣にとっては望まぬ音として届きうる。本稿の問いはここにある。

方法は文献整理と概念分析である。音楽と音・権力の関係についてはジャック・アタリの音楽社会理論を、祝祭と遊びについてはヨハン・ホイジンガの遊戯論と、儀礼における共同性についてはヴィクター・ターナーおよびエミール・デュルケームの議論を参照する。屋外の音の物理についてはR・マリー・シェーファーのサウンドスケープ論を補助線として用いる。制度面では都市公園法、環境基本法に基づく騒音の環境基準、軽犯罪法、道路交通法という公的な枠組みを参照する。具体的な数値は法令に明記のあるものに限り、それ以外は「〜とされる」と述べるにとどめる。

本稿の構成は次のとおりである。第2節で本稿が用いる概念——音と騒音、遊びと祝祭、共同性——を整理する。第3節で19世紀ヨーロッパの公園における軍楽隊演奏から日比谷公園音楽堂に至る野外音楽堂の系譜をたどる。第4節で野外フェスティバルの文化史を概観する。第5節でストリートミュージックと公共空間の使用許可制度を検討する。第6節で屋外における音の減衰と拡散という物理的条件を、音楽という音の性質に即して論じる。第7節で音楽が近隣に届くときの受け取られ方の非対称を、第8節で時間帯・音量をめぐる合意形成の枠組みを論じ、第9節で磐田市の公園への示唆、第10節で結論と課題を述べる。

2. 先行研究と概念の整理

本稿が依拠する概念のうち中心となるのは、音楽と社会秩序の関係を論じたジャック・アタリの議論である。アタリは1977年の著作で、音とは本来「雑音」であり、それを秩序立てて聞かせるものが音楽であるという見方を示した上で、ある音を音楽として受け入れるか雑音として排除するかという線引きそのものが、社会の側の権力や合意のあり方を映し出すと論じた。この視点に立てば、「公園の演奏は音楽か騒音か」という問いは、音の大きさをめぐる技術的な問題である以前に、誰がその線引きをする立場にあるかという社会的な問いである。

遊びと祝祭についてはヨハン・ホイジンガの議論を参照する。ホイジンガは1938年の著作『ホモ・ルーデンス』で、遊び(プレイ)を文化に先立つ人間の根源的な営みとして捉え、遊びには日常から区切られた時間と場所——ホイジンガのいう「魔法円」——が伴うことを示した。野外での演奏や祝祭は、この魔法円を屋根のない公共空間に一時的に立ち上げる営みとして理解できる。魔法円の内側にいる者にとって音楽は祝祭の中心だが、外側にいる者にとってその境界は見えにくく、音だけが漏れ出ることになる。

集まりが生み出す共同性については、エミール・デュルケームとヴィクター・ターナーの議論が手がかりになる。デュルケームは1912年の著作で、儀礼の場に人々が集まり同じ律動を共有するときに生まれる高揚感を「集合的沸騰」と呼び、これが社会の結びつきを更新すると論じた。ターナーは1969年の著作で、儀礼や祭りの参加者が日常の役割や序列を離れて平等に結びつく状態を「コムニタス」と呼んだ。野外での音楽演奏、とりわけ多くの人が集まる野外フェスティバルは、この集合的沸騰とコムニタスを生む場として理解できる一方、その高揚感を共有しない周囲の住民にとっては、単に音量の大きい行事として経験されうる。

屋外の音の伝わり方そのものについては、R・マリー・シェーファーが提唱したサウンドスケープという考え方と、距離減衰・遮蔽・反射・吸収という音響学の基礎を補助線として用いる。ただし本稿の関心は、公園の音一般ではなく、意図して奏でられる音楽という音の性質と、それを制度としてどう成り立たせるかという点にある。したがって本稿は、子どもの声や生活音を含む公園の音環境全体を扱った既存の整理とは重なりを残しつつも、演奏という行為・その歴史的な制度化・許可という手続きに焦点を当てる。

これらの概念に加えて、本稿では「制度化」という視点も重視する。音楽堂やフェスティバル、使用許可の手続きは、いずれも野外での演奏を、行き当たりばったりの出来事ではなく、あらかじめ定められた条件のもとで繰り返し行われる営みへと変えるための仕組みである。制度化は、演奏する自由を制限するものとして語られることもあるが、同時に、演奏を長く続けられるものにし、近隣との関係を安定させる働きももつと考えられる。本稿は、この制度化という視点を、第3節以降の歴史的・法的な検討の軸として用いる。

加えて、演奏する主体の違いも視野に入れる必要がある。音楽堂やフェスティバルは、多くの場合、自治体や主催団体という組織が主体となって企画される。これに対してストリートミュージックは、個人が自らの意思で始める点で性格が異なる。この主体の違いは、後の節で見る使用許可制度のかかり方の違いにも対応している。

もっとも、ここで参照する古典の多くは、屋外の公共空間における近隣との音の摩擦を主題にしたものではない。アタリの議論は音楽と社会秩序の関係を、ホイジンガの議論は遊びと文化の関係を、デュルケームとターナーの議論は儀礼と共同性の関係を扱ったものであり、いずれも音がどこまで届き、届いた先でどう受け止められるかという空間的な広がりを直接には論じていない。本稿は、これらの概念を出発点としつつ、第6節以降で音の物理的な伝わり方と受け止められ方の非対称という、より具体的な論点へと接続することを試みる。この接続作業こそが、既存の音楽社会理論やサウンドスケープ論を公園という具体的な場に適用する本稿の位置づけである。

概念論者・出典本稿での用い方
音と雑音の線引きジャック・アタリ(1977)何を音楽とし何を騒音とするかは社会的な線引きであるという視点
魔法円ヨハン・ホイジンガ(1938)野外演奏が一時的に立ち上げる、日常から区切られた時間と場所
集合的沸騰エミール・デュルケーム(1912)集まりと律動の共有が生む高揚感
コムニタスヴィクター・ターナー(1969)日常の役割を離れて平等に結びつく状態
サウンドスケープR・マリー・シェーファー(1977)音の風景として音環境をとらえる視点(本稿では補助線)

註:本稿で「〜とされる」と記す箇所は、法令や公的資料に明記のない一般的な知見・慣行を指し、断定を避けるための表現である。数値を伴う記述は、法令や国の指針に明記のあるものに限る。

古典理論対話高揚感集い
図2音楽社会理論・遊戯論・儀礼論という古典を手がかりに、公園での音楽と共同性を読み解く枠組みを整理する。

3. 野外音楽堂の系譜——19世紀ヨーロッパの軍楽隊演奏から日比谷公園音楽堂へ

公園における野外音楽の歴史をたどると、演奏の場と近隣との関係は、最初から意識されていたことがわかる。音楽堂という屋根付きの構造物は、演奏を美しく響かせるためだけでなく、演奏の時間と場所を公園の中に区切り、周囲との折り合いをつけるための装置でもあったと考えられる。本節では、19世紀ヨーロッパの公園における軍楽隊演奏と、日本における日比谷公園音楽堂の成立という二つの系譜をたどり、公園での音楽が制度としてどう成り立ってきたかを確認する。

3.1 ヨーロッパの公園と軍楽隊

近代的な都市公園は、19世紀のヨーロッパで公衆の健康と社会の安定のために整備が進んだ。この整備と並行して、公園に軍楽隊による野外演奏会が組み込まれるようになったとされる。都市の広場や公園に音楽堂(バンドスタンド)と呼ばれる屋根付きの演奏台が設けられ、休日の午後に軍楽隊や市民バンドが演奏を行い、市民が散策しながら耳を傾けるという光景が各地の公園に広がったとされる。音楽堂の屋根は雨や日差しから演奏者を守るとともに、音を上方や周囲へ反射し、聴衆に届きやすくする効果をもっていたと考えられる。

この野外演奏会は、公園という制度そのものの目的——都市住民に開かれた憩いと教化の場を提供すること——と結びついていた。演奏される曲目や時間は主催する自治体や軍によって定められ、聴く側が対価を払わずに文化に触れられる機会として位置づけられた点で、後に論じるストリートミュージックのような個人による自発的な演奏とは性格を異にする。音楽堂は、公園の設計図に組み込まれた恒常的な施設であり、演奏は許可された行事として行われるものであった。

3.2 日本における音楽堂——日比谷公園を中心に

日本では、西洋式の軍楽隊が明治期に導入され、公開の場での演奏が行われるようになった。1903年に開園した日比谷公園には、1905年に野外音楽堂が設けられ、陸軍の軍楽隊などによる定期演奏会が開かれるようになったとされる。日比谷公園は、造園学者の本多静六らが計画に携わった、日本における近代的な洋風公園の代表例であり、その中に設けられた音楽堂は、ヨーロッパの公園に見られた野外演奏の慣行を日本の公園に移植したものと位置づけられる。

日比谷公園音楽堂での演奏会は、勤労者や家族連れが無料で音楽に触れる機会として親しまれ、日本における吹奏楽や軍楽の普及にも一定の役割を果たしたとされる。以後、各地の公園にも同様の音楽堂やステージが設けられるようになり、野外での公開演奏は公園という公共空間の機能の一つとして定着していった。この系譜を踏まえると、公園での音楽は、後から付け加えられた特殊な使い方ではなく、公園という制度の成立初期から組み込まれてきた営みであることがわかる。

年代出来事
19世紀ヨーロッパの公園整備とともに、各地の公園に音楽堂(バンドスタンド)が設けられ、軍楽隊や市民バンドによる野外演奏会が行われるようになったとされる。
1903年日比谷公園が開園する。
1905年日比谷公園に野外音楽堂が設けられ、定期演奏会が開かれるようになったとされる。
20世紀後半各地の公園にステージや広場が設けられ、野外での公開演奏やイベントが公園の機能の一つとして定着していく。

20世紀を通じて、音楽堂での定期演奏会という慣行は、ラジオやレコードといった音楽を聴く手段の広がりとともに、必ずしも公園で音楽に触れる主要な機会ではなくなっていったと考えられる。しかし音楽堂という構造物自体は、多くの公園に残り、演奏会以外の催しや、休憩のための東屋のような場としても使われ続けているとされる。このことは、音楽堂が果たしてきた「演奏の場所を区切る」という機能が、演奏の頻度が下がった後も、公園の設計として受け継がれてきたことを示している。

日比谷公園以降、日本の各地の公園にも音楽堂やステージが設けられていった。これらの多くは、地域の吹奏楽団や合唱団による定期的な演奏会、学校行事、地域の催しに使われてきたと考えられる。ただし個々の施設がどのような頻度で、どのような催しに使われているかは公園ごとに異なり、本稿では立ち入らない。

ここで注目したいのは、音楽堂という構造物が、演奏を美しく響かせる装置であると同時に、演奏の範囲を公園の中に区切る境界としても機能してきたと考えられる点である。屋根と床から成る音楽堂は、演奏者の位置を固定し、音の向きをある程度そろえる効果をもちうる。この「演奏の場所を区切る」という発想は、後の節で論じる、演奏の場所を工夫することで近隣への影響を和らげるという手立ての歴史的な原型として位置づけられる。

この系譜からは、公園における音楽が、演奏する者の自由な発意だけで成り立ってきたのではなく、公園という制度の設計、演奏を主催する組織、そして演奏を許可し場所を用意する行政のあいだの取り決めによって、繰り返し行えるものとして支えられてきたことが読み取れる。この「支える仕組み」という視点は、第5節以降で現代の使用許可制度を検討する際にも引き継がれる。

音楽堂歴史定期演奏聴衆
図319世紀ヨーロッパの軍楽隊演奏から日比谷公園音楽堂まで、公園の音楽は制度として積み重ねられてきた。

4. 野外フェスティバルの文化史——祝祭・博覧会から現代の野外音楽祭へ

野外での音楽は、公園に固定された音楽堂だけでなく、期間を限って大勢を集める祝祭やフェスティバルという形でも展開してきた。近代以降の博覧会では、余興として音楽や演芸が野外で催されることが少なくなかったとされる。こうした催しは、日常の公園利用とは異なり、特定の期間に限って多数の人を集め、普段より大きな音と賑わいを一時的に許容する取り決めのもとで成り立っていた。

博覧会や祝祭における音楽は、しばしば入場料や特別な催しとして扱われ、聴くことを選んだ人が集まるという性格が明確であった。これに対して公園という日常の公共空間で行われる音楽は、入場を管理する仕組みをもたず、通りがかった人も、演奏を望まない近隣の住宅も、等しく音にさらされることになる。この違いは、次に見る野外フェスティバルと、日常の公園での演奏とを分けて考える必要があることを示している。

野外での音楽は、西洋由来の音楽堂やフェスティバルに限らず、地域の祭礼という形でも古くから営まれてきた。盆踊りや神社の祭礼で奏でられる囃子は、特定の期間・時間に地域が共同で音を出すことを慣習として受け入れてきた例である。この種の祭礼の音楽は、開催される期間と場所があらかじめ地域の中で共有されているために、日常の演奏とは異なる受け止められ方をしてきたと考えられる。この点は、次節以降で論じる「時間帯と場所の共有」という論点の先駆けとして位置づけられる。

20世紀後半になると、野外での大規模な音楽祭という新しい形式が広がった。1969年にアメリカで開かれた大規模な野外ロック・フェスティバルは、多くの観客が野外に集まり長時間にわたって音楽を共有するという催しの原型として広く知られている。日本でも1970年代以降、野外での大規模な音楽祭が各地で試みられるようになり、1990年代以降には毎年恒例の野外フェスティバルとして定着する例も現れたとされる。これらの催しは、第2節で見た集合的沸騰やコムニタスが最も顕著に表れる場のひとつであり、参加者にとっては年に一度の非日常的な体験として位置づけられる。

日常的に使われる街区公園や近隣公園と、期間を区切って開かれる大規模な野外フェスティバルとでは、近隣との関係のあり方が大きく異なる。フェスティバルは、開催が事前に告知され、期間が限られ、多くの場合は主催者が近隣への説明や騒音対策の責任を負う体制のもとで行われる。これに対して、日常の公園で個人や小さな団体が演奏する場合には、告知も対策の主体も明確でないことが多い。したがって、公園における野外音楽の課題は、大規模フェスティバルの是非というより、日常の中で繰り返される小さな演奏をどう受け止めるかという点にあると考えられる。

特設の場期間限定来場者祝祭性
図4野外フェスティバルは期間と規模を区切ることで、大きな文化的価値と大きな負担を同時に生み出す催しである。

大規模な野外フェスティバルの多くは、住宅に近い小さな公園ではなく、河川敷や大規模な公園、専用の会場で開かれる。これは、多数の来場者を受け入れる広さが必要であることに加え、住宅から一定の距離を確保しやすいという理由もあると考えられる。会場の選び方そのものが、便益と負担を切り分けるための一つの手立てになっているといえる。この点は、第9節で磐田市の大規模な公園を検討する際の視点にもつながる。

フェスティバルの多くは、自治体、実行委員会、あるいは民間の主催者によって企画され、警備・救護・清掃といった体制とともに、近隣への説明や騒音対策も主催者の責任のもとで準備される。この組織的な体制の有無が、大規模フェスティバルと、個人が思い立って行う演奏とを分ける実質的な違いである。

野外フェスティバルの規模が大きくなるほど、そこで生まれる文化的な価値——多くの人が音楽を共有する体験——も大きくなる一方で、周辺に及ぶ音や人の流れという負担も大きくなる。この点で、大規模な野外フェスティバルは、便益と負担がともに拡大するという構造をもつ催しである。主催者が近隣への説明や交通整理、音量の管理といった対策の体制を整えることが求められるのは、この構造ゆえであると理解できる。日常の公園での小さな演奏には、こうした体制を求めることは現実的ではなく、この違いが、大規模フェスティバルと日常の演奏とで論点を分けて考えるべき理由である。

大規模なフェスティバルが特別な許可と体制のもとで行われる一方、公園や街路での個人や小さな集団による演奏——いわゆるストリートミュージック——は、より日常的でありながら、その位置づけが曖昧になりやすい。次節では、この日常的な野外演奏が公共空間の使用許可制度のもとでどう扱われているかを検討する。

5. ストリートミュージックと公共空間の使用許可制度

音楽堂における定期演奏会のような、公園にあらかじめ組み込まれた演奏とは異なり、個人や小さな団体が思い立って公園や街路で演奏する場合には、別の制度が関わってくる。ここでは、公園の中で演奏する場合と、公園の外の街路で演奏する場合とに分けて、公共空間の使用許可制度を確認する。

街頭での演奏や大道芸は、近代以前から都市の暮らしの中に存在してきたとされる。物乞いや物売りと並んで、道端で芸を披露し投げ銭を受け取るという営みは、古くから都市の公共空間の一部であった。近代的な道路交通法や公園管理の制度は、こうした古くからの営みを、交通の安全や近隣との関係という新しい観点から位置づけ直す枠組みとして機能してきたと理解できる。

5.1 公園で演奏するための手続き

都市公園法は、都市公園を占用したり、公園の中で興行や催しを行ったりする場合に、公園管理者の許可を要すると定めている。これは音楽堂での定期演奏会のように公園の設計に組み込まれた恒常的な演奏だけでなく、個人や団体が公園の一角でコンサートや発表会を開くような場合にも及ぶ枠組みである。許可の仕組みは、演奏を一律に禁じるためのものではなく、いつ・どこで・どのくらいの規模で音楽が奏でられるかを公園管理者と主催者のあいだであらかじめ確認し、他の利用者や近隣との折り合いをつけるための手続きとして機能していると理解できる。

一方、公園での日常的な弾き語りや小規模な演奏の多くは、この許可の対象になるほどの規模ではなく、事実上、公園の一般的な利用の範囲で行われている。この場合、演奏を続けてよいかどうかの線引きは、法令上の許可というよりも、周囲の利用者との距離や時間帯、音量といった実質的な配慮に委ねられることになる。ここに、大規模な催しと日常の演奏のあいだで、規律のかかり方が異なるという構造がある。

実際には、公園での演奏がどこまで一般的な利用の範囲にとどまり、どこから許可を要する催しに当たるかの判断は、公園管理者の裁量に委ねられる部分が大きいと考えられる。演奏する人数、使用する音響機材の有無、継続する時間の長さといった要素が、この線引きに関わると考えられる。この裁量の存在は、制度が演奏を機械的に取り締まるのではなく、状況に応じた調整を可能にする仕組みでもあると理解できる。

5.2 街路とストリートミュージック——道路使用許可という枠組み

公園の外、駅前広場や商店街の街路で行われるストリートミュージックについては、別の法的な枠組みが関わってくる。道路交通法は、道路を本来の交通以外の目的で使用する催しについて、所轄の警察署長の許可(道路使用許可)を要すると定めている。街頭での演奏がこの許可の対象になるかどうかは、演奏の規模や道路の性格によって判断が分かれるが、多くの自治体や商店街では、路上演奏を認める区域や時間帯をあらかじめ定める取り組みも見られるとされる。

この二つの制度——都市公園法に基づく公園の使用許可と、道路交通法に基づく道路使用許可——は、管轄する主体も、判断の基準も異なっている。公園は公園管理者が、街路は警察が判断の主体となり、想定する主たる利益も、公園の適正な利用と、道路の交通の安全とで異なる。演奏する場所が公園の中か外かによって、参照すべき制度が変わるという点は、演奏する側にとってはわかりにくさの原因にもなりうる。

したがって、演奏を計画する側にとっては、まず自分が演奏しようとする場所が公園の敷地内か、それとも道路や広場かを確認し、それぞれの制度に基づく相談先——公園管理者か、所轄の警察署か——を把握しておくことが、円滑な演奏につながる第一歩になると考えられる。

さらに、公共の場での大きな音による迷惑行為については、軽犯罪法にも関連する規定があるとされる。これらの制度に共通するのは、演奏そのものを禁じるのではなく、時間・場所・音量という条件を通じて、演奏する自由と周囲の平穏とを両立させようとする発想である。次節では、この条件のうち音量に関わる物理的な側面——屋外で音楽がどのように伝わるか——を検討する。

これらの制度のもとでも、実際に許可を得て演奏する例と、許可を得ないまま短時間の演奏を行う例とが混在しているのが実情であると考えられる。管理者や警察が、すべての演奏に対して一律に許可の有無を確認し取り締まることは現実的ではなく、多くの場合、近隣からの苦情や通行への支障といった具体的な問題が生じた場合に対応がとられる。この運用の実態は、制度が定める建前と、日々の公園や街路で起きていることとのあいだに、一定の幅があることを示している。

  • 演奏の場所が歩行者の通行を妨げないか
  • 使用する音響機材の音量
  • 演奏を続ける時間の長さ
  • 同じ場所での演奏の頻度
  • 近隣からの申し出への対応の仕方
使用許可手続き掲示連絡先
図5公園での演奏や街路での演奏は、都市公園法や道路交通法に基づく許可という異なる制度のもとに置かれている。

6. 屋外での音の減衰と拡散——音楽固有の物理的条件

音が発生源から離れるにつれて弱まることは、音響学の基本法則——音の強さは距離の二乗に反比例して弱まるという逆二乗則——から説明できる。この点は音の種類によらず成り立つが、音楽という音は、話し声や単発の衝撃音とは異なる性質をもつ。音楽は低い音から高い音まで幅広い周波数を同時に含み、しかも一定の音量で持続する時間が長い。低い周波数の音は高い周波数の音に比べて障害物の陰に回り込みやすく、遠くまで伝わりやすいとされ、太鼓や低音楽器の音が塀や建物越しにも聞こえやすいと感じられるのは、この性質によるところが大きいと考えられる。

加えて、拡声器やスピーカーを用いた演奏は、人の声だけの場合とは伝わり方が異なる。スピーカーは特定の方向に音を集めて送り出す性質——指向性——をもつ機種があり、その向きによって、同じ音量の設定でも到達する範囲や強さが大きく変わりうる。屋外での演奏においてスピーカーの向きを聴衆側に絞り、後方や側方への拡散を抑えることは、音量そのものを下げること以上に、周囲への伝わり方を左右する要素になりうる。

音楽が話し声よりも遠くまで気になりやすいと感じられる背景には、音の持続性とリズムも関わっていると考えられる。話し声は途切れながら発せられ、聞き手が意味のある音として選び取って聞くのに対して、音楽、とりわけ一定のビートを刻む音楽は、途切れずに繰り返される性質をもつ。人の耳は、変化の少ない音よりも、規則的に繰り返される音や急に始まる音に注意を向けやすいとされ、この性質が、音楽を実際の音量以上に気になりやすくしている可能性がある。

  • 音源からの距離
  • 音の周波数(低音ほど遠くへ届きやすいとされる)
  • スピーカーの指向性と向き
  • 風向きと気温の分布
  • 反射する壁や遮る建物の有無

生の楽器だけによる演奏と、拡声器やアンプを用いた演奏とでは、音量を調整する余地も異なる。アコースティックな楽器の音量は演奏者の身体的な出力にほぼ規定されるのに対し、拡声器やアンプを用いる場合は、つまみ一つで音量を大きく変えることができる。この違いは、音量に関する取り決めを考えるうえで、機材の使用の有無を区別して考える必要があることを示唆する。

屋外での演奏において、拡声器の使用を許可の対象として明確に区別する運用がとられることがあるのは、この調整のしやすさの違いによるところが大きいと考えられる。生の楽器による小規模な演奏と、拡声器を用いた演奏とを同じ基準で扱うことは、実態に即していない場合があるだろう。

さらに、屋外の音は気象条件の影響を受ける。風は音を運ぶ働きをもち、風下では通常より遠くまで音が届きやすくなるとされる。また、気温が高さによって異なる層をなす状況では、音の進む経路が曲げられ、特定の方向に音が集まりやすくなることがあるとされる。こうした気象の影響は日によって変わるため、ある日は届かなかった音が、別の日には同じ音量でも遠くまで届くということが起こりうる。

公園の周囲がアスファルトの道路や建物に囲まれている場合と、樹木や生垣に囲まれている場合とでも、音の伝わり方は異なる。硬く平らな面は音を反射し、反射した音が本来の伝わり方よりも遠くまで、あるいは複数の方向から重なって届くことがあるとされる。一方、樹木や生垣、芝生のような柔らかい面は音を吸収する働きをもつが、その効果は音を完全に遮るほどには大きくないとされる。

距離聞こえ方気象
図6屋外の音は距離だけでなく、周波数・スピーカーの向き・風や気温にも左右され、日によって届き方が変わる。

周囲の音の大きさそのものも、音楽がどれだけ目立って聞こえるかを左右する。日中は交通や人の活動による音が多く、その中に音楽が紛れ込みやすいのに対して、夜間や早朝は周囲が静かになる分、同じ音量の音楽がより際立って聞こえやすくなるとされる。この現象は、周囲の音が対象の音を覆い隠す働き——マスキング——として説明され、音楽の届き方を考えるうえで、音源の音量だけでなく、その場の背景の音の大きさも合わせて捉える必要があることを示している。

このマスキングという観点は、次節以降で論じる時間帯の工夫とも関わっている。日中に演奏するか夜間に演奏するかによって、同じ音量の音楽であっても、周囲の背景音に紛れやすいかどうかが変わる。したがって、音量を一律に定めるだけでなく、その時間帯の周囲の音の大きさを踏まえて演奏の条件を考えることが、実質的な配慮につながると考えられる。

これらの物理的な条件は、音楽を奏でる側が意図して調整できる部分と、風向きや気温のように調整できない部分とがある。したがって、屋外での音楽をめぐる合意は、音量の数値だけを取り決めても十分ではなく、スピーカーの向きや設置場所、日ごとに変わりうる気象条件への備えも含めて考える必要がある。この物理的な条件を踏まえたうえで、次節では、同じ音がなぜ人によって違って受け取られるのかという、受け手の側の問題を検討する。

7. 音楽が「音」として届くときの非対称性——鑑賞者と近隣のあいだ

第2節で確認したとおり、ある音を音楽として受け入れるか、雑音として退けるかという線引きは、音そのものの物理的な性質だけでは決まらない。同じ大きさ、同じ種類の音であっても、それを進んで聴く立場にある者と、聴くことを選んでいない者とでは、受け取られ方が大きく異なる。演奏する者や、その場に足を止めて聴く者にとって、音楽は場を豊かにする経験であり、音量の大きさはしばしば高揚感の一部として肯定的に受け止められる。これに対して、演奏を選んで聴いているわけではない近隣の住宅にとって、同じ音は依頼していない音、すなわち生活の中に割り込んでくる音として経験されうる。

同時に、演奏する側の視点も見落とすべきではない。公園で音楽を奏でることは、多くの場合、他者に迷惑をかける意図をもった行為ではなく、自己表現や技術の向上、あるいは人とのつながりを求めた行為である。練習の場を求める学生、地域の仲間と音を合わせたい愛好家、道行く人に自分の音楽を届けたい演奏者にとって、屋根のない公共空間は、他に代えがたい練習と発表の場でもある。近隣の静穏という利益と、演奏者にとっての表現の機会という利益は、どちらも軽んじてよいものではなく、この両者をどう並び立たせるかが本節以降の課題である。

騒音をめぐる研究では、うるささの感じ方は音の大きさだけでなく、音の意味、音を制御できるかどうか、音源との関係によって左右されるという指摘がある。演奏する側と近隣との関係で言えば、演奏の予定を知らされているか、演奏がいつ終わるかの見通しがあるか、苦情を伝える相手が明確かといった要素が、同じ音量の音楽であっても受け止め方を変えうる。何の説明もなく突然始まり、いつ終わるとも知れない演奏は、たとえ音楽的に優れていても、近隣にとっては制御できない音として経験されやすいと考えられる。

ここには、演奏によって得られる価値と、音がもたらす負担とが、異なる人々のあいだに非対称に配分されるという構造がある。演奏する者と、それを目当てに集まる聴衆は、その場に自らの意思で参加し、音楽という価値を受け取っている。他方、近隣の住宅は、演奏に参加する意思の有無にかかわらず、音という物理的な影響だけを一方的に受け取ることになる。この非対称は、演奏を全面的に禁じることでも、近隣の苦情を一律に退けることでも解消されない。むしろ、価値と負担がどのように配分されているかを見える形にし、負担を軽くする手立てを講じることが課題になる。

演奏者の高揚鑑賞者には価値近隣には負担同じ音
図7同じ音楽でも、演奏者と聴衆には価値として、近隣には望まぬ音として、非対称に受け取られうる。

ただし、近隣の住宅がつねに演奏を負担として経験するとは限らない点にも注意が必要である。窓を開けて遠くから聞こえる演奏を心地よく感じる人もいれば、演奏が地域の行事として親しまれている場合には、近隣であっても音楽を歓迎する側に回ることもある。非対称という言葉が指しているのは、近隣が必ず不利益を被るという固定した関係ではなく、演奏に参加する意思の有無によって受け取り方が変わりうるという構造そのものである。

また、同じ演奏であっても、一度だけであれば気にならなかった音が、繰り返されることで負担として感じられるようになる場合もあるとされる。演奏の頻度や、近隣がその演奏にどれだけ慣れているかという時間的な要素も、受け止められ方に関わっていると考えられる。

アタリの整理に従えば、ある演奏を心地よい音楽として受け入れるか、迷惑な雑音として退けるかを決める力は、演奏者自身にはなく、聞き手や、苦情を受け付ける管理者、あるいは周囲の合意の側にある。この力の所在は、演奏者にとっては受け入れがたく感じられることもあるが、屋根のない公共空間で音を出す以上、その音が誰にどう届くかについて、演奏者の側だけで完結させることはできないという事実を示してもいる。

加えて、苦情を申し立てる力そのものにも偏りがありうる。管理者への相談先を知っている住民と知らない住民、声を上げることに抵抗を感じない住民と感じる住民とでは、同じ負担を感じていても、それを制度に伝えられるかどうかが異なる。したがって、苦情の有無だけを基準に演奏の可否を判断することは、実際に負担を感じている人の声を十分にすくい取れない可能性がある。

この点からも、演奏する側が自発的に時間帯や音量に配慮し、告知を行うことの意味は大きい。苦情が寄せられるのを待ってから対応するのではなく、あらかじめ負担を小さくする工夫を講じておくことが、非対称という構造そのものを緩和する現実的な方法であると考えられる。

なお、音がもたらす負担の感じ方には個人差があり、体調や生活のリズム、その日の状況によっても変わりうるとされる。したがって、特定の音量を超えれば誰にとっても等しく負担になる、あるいは逆に問題ないと一律に線を引くことは難しい。この点を踏まえ、次節では、音楽の価値と近隣の静穏の両方を切り捨てずに調停するための、時間帯と音量をめぐる合意形成の枠組みを検討する。

8. 時間帯・音量をめぐる合意形成の枠組み——対立を超えて

演奏する自由と近隣の静穏という二つの利益は、しばしば対立するものとして語られる。しかし第3節から第5節で見た音楽堂やフェスティバル、公共空間の使用許可制度の歴史は、この二つが両立不可能ではなく、時間・場所・規模という条件を通じて調停されてきたことを示している。音楽堂での演奏会は決まった時間に行われ、フェスティバルは期間が区切られ、路上演奏には許可の対象となる区域や時間帯が定められる例がある。これらはいずれも、演奏を全面的に認めるか禁じるかではなく、条件付きで両立させるための工夫である。

この調停において、公園を管理する立場——自治体や管理者——が担う役割は小さくない。演奏を希望する者からの相談を受け付け、近隣からの意見も聞いたうえで、時間帯や場所についての目安を示すことは、当事者どうしの直接の対立を避ける効果をもちうる。第5節で見た使用許可の手続きは、このような調整の場としても機能しうると考えられる。

騒音に関する公的な基準では、昼間・朝夕・夜間といった時間帯によって許容される音の水準を分けて考える発想がとられているとされる。これは、同じ音でも時間帯によって受け止められ方が異なるという理解に基づくものであり、野外での音楽についても応用できる考え方である。日中の一定の時間帯に限って演奏を行い、夜間や早朝を避けるという取り決めは、音量そのものを下げなくても、負担の感じ方を和らげる手立てになりうる。

第7節で確認したとおり、演奏の予定を知らされているかどうかは、同じ音の受け止められ方を左右する。したがって、演奏の日時や場所、おおよその時間の長さを事前に周囲へ知らせることは、音量の調整と並んで重要な手立てである。掲示板やちらし、あるいは自治会を通じた案内といった、必ずしも大がかりでない手段であっても、近隣が心づもりをできることの意味は小さくない。演奏を、知らないうちに始まっていた音から、予定されていた催しへと変えることは、受け止め方を変える現実的な方法である。

時間帯事前告知話し合い合意
図8時間帯を選び、場所を工夫し、予定を知らせることの組み合わせが、演奏の自由と静穏を両立させる手立てになる。

合意形成の手立てとして、掲示や自治会を通じた案内に加えて、あらかじめ公園ごとに演奏を行いやすい時間帯や場所の目安を示しておくことも考えられる。管理者が、この時間帯・この場所であれば演奏がしやすいという目安を用意しておけば、演奏したい人はその都度個別に判断する負担を減らすことができ、近隣にとっても、演奏が起こりうる時間帯をあらかじめ知る手がかりになる。

もっとも、この目安は、近隣の意向だけで演奏を一方的に制限する権限を意味するものではない。第7節で見たとおり、演奏する側にも表現の機会という利益があり、近隣の意向のみを絶対視すれば、今度は演奏する自由の側が一方的に切り捨てられることになる。合意形成が目指すのは、どちらか一方の利益を優先することではなく、両方の利益をできる限り両立させる条件を探ることである。

音楽堂という屋根付きの構造物が、演奏の場所を公園の中に区切り、ある程度の遮蔽をもたらしていたことは第3節で見たとおりである。現代の公園でも、演奏の場所を住宅から離れた位置や、樹木・築山といった遮るものの近くに選ぶことは、時間帯の工夫と並ぶ有効な手立てになりうる。場所・時間・音量・告知という複数の手立てを組み合わせることで、一つひとつは完全ではなくても、全体として負担を小さくすることができると考えられる。

こうした合意形成の枠組みは、公園ごとに一律ではなく、周辺の住宅の密度や、公園の面積、演奏の頻度に応じて具体化される必要がある。住宅に近い小さな公園と、住宅から離れた大きな公園とでは、同じ時間帯・同じ音量の演奏であっても、必要とされる配慮の程度は異なると考えられる。

さらに、この合意形成は一度限りで完結するものではなく、演奏が繰り返されるなかで、必要に応じて見直されていく性格のものであると考えられる。ある時間帯や場所での演奏が近隣にとって受け入れがたいことがわかれば、条件を見直す余地が残されていることが望ましい。逆に、演奏が近隣に受け入れられ、地域の行事として定着していく例もありうる。合意形成を固定した規則ではなく、続けられる対話の過程として捉えることが、音楽の価値と近隣の静穏を長期にわたって両立させる鍵になると考えられる。

こうした対話の過程を支えるのは、必ずしも大がかりな組織や予算ではない。演奏する者が一言、近隣に声をかけること、管理者が相談を受け付ける窓口を明らかにしておくことといった、小さな積み重ねが基盤になると考えられる。時間・場所・音量・告知という四つの手立ては、いずれも特別な設備を要さずに始められる点で、規模の大小を問わず応用できる枠組みである。

以上を踏まえると、音楽の価値と近隣の静穏を両立させる枠組みは、単一の音量基準を一律に適用することではなく、時間・場所・告知という複数の条件を、その公園や街路の状況に応じて組み合わせる合意形成の過程として理解するのがよい。この合意形成には、演奏する側だけでなく、公園を管理する立場や近隣の住民も加わる必要があり、次節では、この視点から磐田市の公園を具体的に見ていく。

9. 磐田市の公園への示唆

ここまでの整理を、当サイトが扱う磐田市の都市公園100園に当てはめる。あらかじめ断っておくと、当サイトの現地踏査は始まっておらず、各園で実際に演奏が行われているか、周辺の住宅との距離や関係がどうなっているかは確かめられていない。以下は、磐田市オープンデータ「都市公園一覧」および市の施設ガイドの記載から、野外音楽という観点で見るべき点を導いたものであり、実態は今後の踏査で確かめる。

9.1 大規模な公園と施設——催しの候補地

磐田市の100園のうち、面積の大きい総合公園や運動公園、地区公園は、音楽堂に類する演奏の場を考えるうえで手がかりになる。竜洋海洋公園(総合公園・竜洋・221,722㎡)には市の施設ガイドにレストハウスやバーベキューテラス、体育館の記載があり、かぶと塚公園(総合公園・見付・106,982㎡)には総合体育館や陸上競技場の記載がある。福田公園(総合公園・福田・49,620㎡)には多目的広場、中央公園(地区公園・中泉・41,642㎡)には多目的グラウンドの記載がある。これらは面積が広く、演奏の場所と最寄りの住宅とのあいだに距離をとりやすい可能性がある一方、実際の配置や利用の実態は施設ガイドの記載だけからはわからず、踏査で確かめる必要がある。

公園(種別・地区)面積施設ガイドの記載(抜粋)
竜洋海洋公園(総合公園・竜洋)221,722㎡レストハウス、バーベキューテラス、体育館
かぶと塚公園(総合公園・見付)106,982㎡総合体育館、陸上競技場、弓道場
福田公園(総合公園・福田)49,620㎡多目的広場、野球場、テニスコート
中央公園(地区公園・中泉)41,642㎡多目的グラウンド
今之浦公園(近隣公園・見付)13,675㎡屋根付広場、噴水広場、芝生広場

このほか、つつじ公園(風致公園・見付・61,937㎡)には展示休憩室の記載があり、竜洋スポーツ公園(近隣公園・竜洋・21,306㎡)や磐田スポーツ交流の里ゆめりあ(運動公園・向陽・57,500㎡)は面積が広く、体育館等の運動施設をもつ園として候補になりうる。ただし、これらの施設が音楽的な催しにどこまで転用できるかは、施設の用途や規約にもよると考えられ、施設ガイドの記載だけからは判断できない。

9.2 屋根付きの広場——音楽堂に近い構造

今之浦公園(近隣公園・見付・13,675㎡)には、市の施設ガイドに屋根付広場、噴水広場、芝生広場の記載がある。屋根付きの広場は、第3節で見た音楽堂——屋根が演奏を雨や日差しから守り、音を集める効果をもちうる構造物——に近い性格をもつ空間と考えられる。ただし、この広場が実際に演奏や催しに使われているかどうかは施設ガイドの記載からは読み取れず、これも踏査課題である。

9.3 街区公園51園と日常の演奏

磐田市の100園のうち街区公園は51園で最も多く、住宅のすぐそばに置かれることを前提とした種別である。第7節・第8節で論じたとおり、こうした身近な公園で個人が弾き語りのような演奏を行う場合、音量そのものより、時間帯への配慮や、演奏が予定されたものであることの周知が受け止められ方を左右すると考えられる。街区公園は面積が限られ、演奏の場所と住宅との距離を大きくとることが難しいため、時間・場所・告知という手立ての組み合わせがとりわけ重要になる類型といえる。

兎山公園(地区公園・御厨・56,193㎡)には、市の施設ガイドにローラースケート場(スケートボード利用可)の記載がある。これは、特定の活動のために公園内の一角を区切って用途を定めるという発想の一例であり、演奏や催しのために公園内の特定の場所を目安として示すという、第8節で述べた「場所を工夫する」という手立てにも通じる考え方である。ただし、この場が実際に音楽的な催しに使われているかどうかは施設ガイドの記載からは読み取れず、踏査で確かめる必要がある。

安久路公園(地区公園・御厨・32,001㎡)には、インクルーシブエリアやインクルーシブアイテムをもつ複合遊具・ブランコの記載がある。障害の有無にかかわらず楽しめる場をめざすインクルーシブな公園づくりの発想は、音楽という体験についても、聴覚以外の感じ方——振動や視覚的な演出——を含めて考える余地を示唆するが、これは本稿の検討の外にあり、今後の課題としたい。

候補地場所屋根付広場踏査で確認
図9磐田市の大規模公園や屋根付き広場は催しの候補地となりうるが、実際の使われ方は今後の踏査で確かめる。

以上に挙げた園名・面積・施設の記載は、いずれも磐田市オープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドに記載のある範囲にとどめた。演奏や催しの用途で使われているという記載がある園は見当たらず、本節で述べた候補地としての可能性は、面積や施設の種類から導いた推測であることをあらためて断っておく。

9.4 問い合わせ先と今後の踏査項目

公園での演奏や催しの許可に関する問い合わせは、磐田市 都市整備課(電話0538-37-4806)が窓口になると考えられる。当サイトの今後の踏査では、次の項目を確かめたい。(1)大規模な公園における広場・体育館・レストハウスなどの施設が催しにどう使われうるか。(2)屋根付きの広場や東屋のような構造物の有無と位置。(3)街区公園と最寄りの住宅との距離関係。(4)園内の掲示に演奏や催しに関する案内があるか。これらは推測にとどまり、実態は今後の現地踏査で確かめる。

10. 結論と今後の課題

本稿は、公園における野外音楽を、音楽社会理論・遊戯論・儀礼論という概念を手がかりに、19世紀ヨーロッパの軍楽隊演奏から日比谷公園音楽堂、野外フェスティバル、ストリートミュージックの許可制度に至る歴史と制度を整理し、屋外での音の伝わり方という物理的条件と、音楽が近隣に届くときの受け取られ方の非対称という問題を検討してきた。

検討の結果、次の点が明らかになった。第一に、公園における音楽は、公園という制度の成立初期から音楽堂という形で組み込まれてきた営みであり、演奏は多くの場合、時間・場所・規模を区切る仕組みのもとで行われてきた。第二に、屋外での音の伝わり方は逆二乗則という単純な物理だけでは説明できず、周波数・スピーカーの指向性・気象条件が複雑に関わっている。第三に、「音楽か騒音か」という線引きは音の物理的な性質だけでは決まらず、演奏する側と近隣とのあいだで価値と負担がどう配分されるかという社会的な問題である。

本稿で参照した概念は、いずれも音楽そのものや儀礼そのものを主題とした古典であり、公園という具体的な公共空間を直接論じたものではなかった。にもかかわらず、これらの概念を音の物理や公共空間の使用許可制度と組み合わせることで、「音楽か騒音か」という素朴な対立を、価値と負担の配分という、より扱いやすい問いに置き換えることができた。この置き換えこそが、本稿の主要な貢献であると考えられる。

この非対称を解消する唯一の正解はないが、時間帯を選ぶこと、場所を工夫すること、演奏の予定を事前に知らせることという複数の手立てを組み合わせることで、演奏する自由と近隣の静穏の両方を切り捨てない調停は可能であると考えられる。ただし、この枠組みが磐田市の個々の公園でどこまで機能するかは、当サイトの現地踏査を経なければ確かめられない。本稿で示した大規模公園の施設や屋根付き広場、街区公園の類型は、あくまで公表されている資料から導いた見取り図にとどまる。

本稿の検討は文献整理と概念分析にとどまり、実際に公園でどのような演奏が行われ、近隣がどう感じているかを直接調べたものではない。したがって、本稿が示した非対称の構造や調停の枠組みは、あくまで理論的な見取り図であり、個々の公園や地域の実情によって、その現れ方は異なりうる。この限界を踏まえたうえで、具体的な事例に即した検討を重ねていくことが求められる。

本稿がとりあげた音楽堂・フェスティバル・ストリートミュージックという三つの形態は、いずれも屋根のない公共空間における音楽の営みの一部にすぎない。今後は、これら以外の形態——たとえば地域の祭礼における音楽や、公園で口ずさまれる歌のような、より小さな営み——にも目を向けることで、公園における音楽という主題をさらに広げていくことができるだろう。

今後の課題として、次の三点を挙げる。第一に、磐田市の公園における演奏や催しの実態——頻度、時間帯、周辺との関係——を現地踏査によって確かめること。第二に、屋根付きの広場や体育館といった施設が、実際にどのような催しに使われているかを確認すること。第三に、演奏する側と近隣の双方にとって負担の少ない合意形成のあり方を、具体的な公園の条件に即してさらに検討することである。本稿がその出発点となることを期待したい。

公園における音をめぐる論点は、法制度、音響学、社会学、そして地域の歴史や文化という複数の観点から論じることができる主題である。本稿は野外音楽・音楽社会学という立場からこの主題に取り組んだが、他の観点——たとえば公園の音環境全体を扱う音響学的な整理や、公共空間の使用をめぐる法学的な整理——と組み合わせることで、より立体的な理解が得られると考えられる。本稿はその一つの切り口を提供するものである。

本稿が示した論点や磐田市の公園に関する見取り図は、いずれも今後の踏査や検討によって更新されうる暫定的なものである。公園という公共空間は、日々の利用の積み重ねによって少しずつその性格を変えていくものであり、野外音楽という論点も、そうした積み重ねの中で捉え直されていくことが望ましい。

最後に、公園における野外音楽という主題は、磐田市に限らず、屋根のない公共空間を誰のためにどう使うかという、より広い問いにつながっている。音楽は、その場に足を止めて聴く者にとっての価値と、聴くことを選んでいない者への影響とを、同時に生み出す営みである。この両面を見据えながら、演奏する自由と周囲の静穏をともに大切にする工夫を積み重ねていくことが、公園という公共空間を豊かに保つ一つの道であると考えられる。

参考文献

  1. Jacques Attali(1977)『Bruits: essai sur l'économie politique de la musique』(Presses Universitaires de France)
  2. Johan Huizinga(1938)『Homo Ludens: A Study of the Play-Element in Culture』(英訳:Routledge & Kegan Paul、1949年)
  3. Victor Turner(1969)『The Ritual Process: Structure and Anti-Structure』(Aldine Publishing)
  4. Émile Durkheim(1912)『Les Formes élémentaires de la vie religieuse』(Félix Alcan)
  5. R. マリー・シェーファー(1977)『世界の調律——サウンドスケープとはなにか』(鳥越けい子ほか訳、平凡社、1986)
  6. 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
  7. 環境基本法(平成5年法律第91号)および「騒音に係る環境基準について」(平成10年環境庁告示第64号)
  8. 軽犯罪法(昭和23年法律第39号)
  9. 道路交通法(昭和35年法律第105号)
  10. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  11. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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