自然科学・環境防災学
防災公園の思想——阪神・淡路大震災以後の避難地・延焼遮断・防災施設の防災学
要旨
本稿の目的は、都市公園が災害時に果たす役割を防災学の基本概念によって整理し、公園を「遊び場」としてだけでなく「命を守る空間」として読むための枠組みを示すことである。方法は文献整理と概念分析であり、ハザード(災害の原因となる自然現象)・暴露・脆弱性・リスクという防災学の基礎語彙、災害対策基本法における指定緊急避難場所と指定避難所の区別、国土交通省の防災公園に関する考え方を軸に、関東大震災(1923年)と阪神・淡路大震災(1995年)という二つの経験を参照する。
検討の結果、次の三点が示される。第一に、公園が避難地となるという発想は関東大震災で大規模に経験され、帝都復興の復興小公園として制度化されたが、その経験は同時に「広い空地があるだけでは人は守れない」という教訓も残したこと。第二に、阪神・淡路大震災以後に整備された防災公園の体系は、広域防災拠点・広域避難地・一次避難地・避難路といった役割の分担と、延焼遮断帯としての樹木や水の機能、かまどベンチ・防災トイレ・耐震性貯水槽・ソーラー照明といった防災施設の三層から成り、それぞれが面積や配置の目安と結びついていること。第三に、防災施設は「ふだん使われている公園」でこそ非常時に機能するのであり、日常利用と非常時利用は対立ではなく相互に支え合う関係にあること。
最後に、磐田市の都市公園100園を種別と面積によって読み、総合公園3園・地区公園4園を広い避難空間の候補、街区公園51園を身近な集合場所の候補として位置づける。ただし、当サイトのデータには避難場所としての指定や防災施設の有無は含まれておらず、その確認は市の「災害リスクを知る」やハザードマップに拠るほかない。現地踏査はこれからであり、公園を防災の目で見る作業は今後の課題として残されている。
キーワード防災公園指定緊急避難場所延焼遮断帯一次避難地かまどベンチ阪神・淡路大震災磐田市
1. はじめに——問題の所在
都市公園は、ふだんは子どもが遊び、大人が休み、樹木が育つ場所である。しかし日本の都市公園の歴史をたどると、公園には最初から「災害のときに人が逃げ込む場所」という役割が期待されてきたことが分かる。1923年の関東大震災では東京の大きな公園に多くの人が避難し、1995年の阪神・淡路大震災では神戸市内の公園が避難や救援の拠点となり、火災の延焼を止めた例も報告された。国土交通省の都市公園の考え方においても、公園は避難地・避難路の確保、火災の延焼を防ぐ緩衝帯、救援活動の拠点といった防災機能をもつ空間として位置づけられている。
本稿がこの主題を防災学の視点から論じるのは、次の理由による。防災学は、災害を「自然現象そのもの」ではなく「自然現象と社会の弱さが出会ったときに生じる被害」として捉える学問である。この見方に立つと、公園が命を守るかどうかは、公園が広いか狭いかだけでは決まらない。どの災害のときに、誰が、どの道を通ってそこへ行き、そこで何ができるのか——つまり災害の種類、人の側の条件、空間の側の条件の組み合わせによって決まる。この組み合わせを丁寧に分けて考えることが防災学の作法であり、公園について同じ作法を適用することが本稿の狙いである。
問いは三つある。第一に、公園が避難地となるという発想は、いつ、どのような経験から生まれ、どのように制度になったのか。第二に、阪神・淡路大震災以後に整えられた「防災公園」の体系は、避難地・延焼遮断・防災施設という三つの機能をどのように組み立てているのか。第三に、これらの機能は、日常の遊び場としての公園と両立するのか、あるいは対立するのか。この三つの問いに答えることで、読者が自分の身近な公園を「防災の目」で見直すための枠組みを提供したい。
方法は文献整理と概念分析である。用いる資料は、防災学の基礎的な文献、都市公園史の研究、災害対策基本法や都市公園法といった法令、国土交通省が示す防災公園に関する考え方、そして内閣府の災害教訓に関する報告書などに限る。存在に確信のない研究や数値は挙げず、具体的な数値は法令や省庁の指針に明記のあるものにとどめる。医学や安全に関わる判断は断定せず、最終的な判断は市町村や関係機関の情報に返す。
本稿の対象は、磐田市周辺の子育て世代・行政・地域の関係者・学生といった、防災の専門家ではない読者である。したがって専門用語は初出で説明し、制度の細部よりも「なぜそう考えられているのか」という思想の筋道を優先する。題名に「防災公園の思想」と付けたのはそのためである。防災公園とは、単に防災施設を備えた公園のことではなく、災害のときに都市がどう振る舞うべきかについての一つの考え方の表現である。その考え方の系譜をたどることが、個々の施設の意味を理解する近道になる。
構成は次のとおりである。第2節で防災学の基本概念と先行研究を整理し、第3節で関東大震災における公園の経験と帝都復興による制度化をたどる。第4節では阪神・淡路大震災以後の防災公園の体系、すなわち広域防災拠点・広域避難地・一次避難地・避難路といった役割分担を整理する。第5節で延焼遮断帯としての公園、第6節でかまどベンチ・防災トイレ・貯水槽・ソーラー照明などの防災施設を検討し、第7節で日常利用と非常時利用の両立をめぐる反論に応答する。第8節では磐田市の公園100園をこの枠組みで読み、第9節で結論と今後の課題を述べる。
なお、防災公園に関する議論は、木造家屋が密集した大都市を念頭に組み立てられてきた面がある。人口密度も市街地の成り立ちも異なる地方都市に、その枠組みをそのまま持ち込むことはできない。本稿が磐田市を具体例に選ぶのは、大都市向けに整えられた理論を地方都市の条件で読み替える作業そのものが、防災学の応用として意味を持つと考えるからである。読み替えの結果として、ある機能は重要性を減じ、別の機能——たとえば水に関わる災害への注意や、車での移動が日常である地域での徒歩の避難——が前面に出る。この読み替えは第7節と第8節で試みる。
あらかじめ断っておくべきことがある。当サイトATAWI PARKは磐田市の公園100園のデータベースであり、現地の踏査はこれからである。したがって本稿は、どの園が避難場所に指定されているか、どの園に防災施設があるかを述べるものではない。それらは市の「災害リスクを知る」やハザードマップで確かめるべき事項であり、本稿はその確認のために必要な「見方」を提供するにとどまる。防災学の知見を公園に当てはめる作業は、市の資料と今後の踏査によって初めて完成する。
2. 先行研究と概念の整理
2.1 ハザード・暴露・脆弱性・リスク
防災学の出発点は、災害を「自然現象」と「被害」に分けて考えることにある。地震や大雨や高潮といった自然現象そのものをハザード(災害の原因となる現象)と呼び、それによって生じる人や財産の被害を災害と呼ぶ。同じ規模の地震でも、人が住んでいない山中で起きれば災害にならず、密集した市街地で起きれば大災害になる。この違いを説明するために、ハザードのほかに暴露(その現象の及ぶ範囲にどれだけの人や資産があるか)と脆弱性(人や社会がその現象に対してどれだけ弱いか)という二つの概念が用いられ、三者の組み合わせがリスク(被害の起こりやすさと大きさ)を決めると考えられている。
この考え方の古典として、地理学者ギルバート・ホワイトの『Human Adjustment to Floods』(1945年)がしばしば挙げられる。ホワイトは、洪水の被害は洪水という自然現象だけの結果ではなく、人が氾濫原に住み続けるという社会の選択の結果でもあると論じ、堤防を高くするだけでない多様な「調整」の必要を説いた。ワイズナーらの『At Risk』(初版1994年、第2版2004年)は、脆弱性がどのように社会的に作られるかを分析する枠組みを示し、災害を社会の側から読む視点を広めた。日本では、物理学者の寺田寅彦が随筆「天災と国防」(1934年)で、文明が進むほど天災の被害は大きくなりうると述べたことがよく知られている。都市が密になり、人と資産が集まるほど暴露が増える、という指摘である。
公園にこの語彙を当てはめると、公園そのものはハザードを減らすことはできない。地震の揺れも大雨の量も、公園があってもなくても変わらない。公園が働きかけることができるのは、暴露と脆弱性の側である。密集市街地の中に建物のない空間があれば、火災が広がる範囲(暴露)を区切ることができ、逃げ込む場所があれば、逃げ遅れという脆弱性を減らすことができる。逆に言えば、公園がどの災害に対して有効かは、その公園がどのハザードの及ぶ範囲にあるか、つまり公園自身の暴露によって決まる。この点は第7節と第8節で改めて論じる。
| 用語 | 意味 | 公園に当てはめると |
|---|---|---|
| ハザード | 災害の原因となる自然現象(地震・津波・洪水・土砂・火災など) | 公園はハザードそのものを減らせない。どのハザードの範囲に園があるかが問題になる |
| 暴露 | その現象の及ぶ範囲にある人・建物・資産の量 | 建物のない空間は火災の広がりを区切り、市街地の暴露を分ける |
| 脆弱性 | 人や社会がその現象に対してもつ弱さ(逃げ遅れ・孤立・情報不足など) | 逃げ込む場所と道、水・トイレ・明かりがあれば脆弱性を下げられる |
| リスク | ハザード・暴露・脆弱性の組み合わせで決まる被害の起こりやすさと大きさ | 公園の防災機能は、災害の種類と立地と設備の組み合わせで評価する |
| 減災 | 被害をゼロにするのではなく、できるだけ小さくするという考え方 | 公園は「被害を防ぐ」より「被害を小さくする」ための空間である |
2.2 災害の段階と担い手——予防・応急・復旧、自助・共助・公助
防災学のもう一つの基本は、災害を時間の流れで分けることである。災害対策基本法(1961年)は、災害の予防、災害応急対策、災害復旧という段階に沿って国と地方公共団体の責務を定めており、公園はこのすべての段階に関わる。平時には防災施設を備え訓練を行う場(予防)、発災直後には避難と救援の場(応急)、その後には仮設住宅やがれき置場、復興の拠点(復旧・復興)となる。阪神・淡路大震災では実際に多くの公園が仮設住宅の用地となり、公園が「災害の後」にも長く使われることが確認された。
担い手の面では、阪神・淡路大震災以後、自助・共助・公助という三分法が広く用いられるようになった。自分と家族の命を自分で守る自助、隣近所や地域で助け合う共助、行政による公助である。この震災で倒壊家屋から救出された人の多くが家族や近隣住民によって助けられたと報告されたことが、共助の重要性を印象づけたとされる。公園はこの三者が交わる場所である。行政が整備し(公助)、地域が訓練し(共助)、個人が集合場所として覚えておく(自助)。防災学者の河田惠昭は、被害をゼロにする「防災」ではなく被害を小さくする減災を説き、片田敏孝は住民自身が判断して動く力を重視した。いずれも、公園のような空間が「あること」ではなく「使われること」に価値を置く議論として読める。
国際的には、2015年に採択された「仙台防災枠組 2015-2030」が、災害リスクの理解、リスク管理の強化、リスク削減への投資、そして「より良い復興(ビルド・バック・ベター)」を掲げた。復興のときに以前より災害に強い都市を作るという考えは、実は関東大震災後の帝都復興で日本が経験したことでもある。第3節で見るように、復興小公園はまさに「より良い復興」の実践であった。
2.3 公園史と制度に関する先行研究
公園と防災の関係を扱った先行研究には、都市計画史の側からのものが多い。越澤明の『東京都市計画物語』(1991年)と『復興計画』(2005年)は、関東大震災後の帝都復興事業において公園がどのように位置づけられたか、そして阪神・淡路大震災までの日本の復興計画の系譜を明らかにした。白幡洋三郎の『近代都市公園史の研究』(1995年)は、明治以来の公園制度が欧米の影響を受けつつ形づくられた過程を追い、石川幹子の『都市と緑地』(2001年)は、緑地を都市の骨格として捉える計画思想の中に防災機能を位置づけている。
制度の面では、都市公園法(1956年)とその施行令、災害対策基本法、そして国土交通省が示してきた防災公園に関するガイドラインが基本資料となる。国土交通省は阪神・淡路大震災の後、防災公園の計画・設計についての考え方を整理し、平成27年(2015年)にはその改訂版として計画・設計に加えて管理運営まで含めたガイドラインを公表している。また災害対策基本法は平成25年(2013年)の改正で、市町村が災害の種類ごとに指定する指定緊急避難場所と、滞在のための指定避難所を法律上区別した。本稿はこれらの先行研究と制度を材料に、公園の防災機能を「思想」として読み直す。
3. 関東大震災の経験——公園が避難地になった日と、その制度化
3.1 1923年9月1日——空地に人が集まった
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災は、日本の都市防災の出発点とされる災害である。昼食時に発生した地震は東京と横浜の市街地に大規模な火災を引き起こし、火は数日にわたって燃え広がった。内閣府の中央防災会議がまとめた災害教訓の報告書によれば、この震災の犠牲者の大部分は建物の倒壊ではなく火災によるものであった。木造家屋が密集した市街地では、いったん火の手が上がると個々の消火では追いつかず、人々は火に追われて広い場所を目指した。上野公園、芝公園、日比谷公園といった大きな公園や、皇居前の広場、学校の校庭などに大量の避難者が集まったことが記録されている。
このとき、広い空地が命を救う一方で、空地であれば安全とは限らないことも経験された。よく知られているのは、隅田川東岸の陸軍被服廠跡と呼ばれる広大な空地に避難した多くの人々が、周囲からの火災と火災旋風に巻き込まれて亡くなった事例である。この空地には家財道具を持ち込んだ避難者が密集しており、持ち込まれた可燃物に火が移ったことが被害を大きくしたと報告されている。防災学の語彙で言えば、空地は暴露を減らす器になりうるが、その器の周囲がすべて火に囲まれ、器の中に可燃物が持ち込まれれば、脆弱性はむしろ集中する。「広ければ安全」ではなく「周囲の状況と使い方によって安全にも危険にもなる」という教訓が、ここで得られた。
3.2 帝都復興と復興小公園——学校とセットの避難地
震災後の帝都復興事業は、この経験を都市の形に翻訳する試みであった。越澤明の研究が明らかにしたように、復興事業では区画整理とともに幹線道路、橋梁、そして公園の整備が進められ、東京には隅田公園、浜町公園、錦糸公園という三つの大公園と、多数の小公園が設けられた。この小公園は復興小公園と呼ばれ、その多くが復興小学校に隣接して配置された点に大きな特徴がある。学校の校庭と小公園を隣り合わせにすることで、平時には子どもの遊びと教育の場、非常時には一体の避難空間として使えるようにする発想である。
この配置は、本稿の主題である「日常利用と非常時利用の両立」の最も早い制度的な表現と言ってよい。小公園は日常の風景の中に埋め込まれ、子どもが毎日通る場所だからこそ、非常時にも誰もが場所を知っている。防災のためだけの空地を別に確保するのではなく、教育と遊びの空間に避難地の機能を重ねるという考え方は、後の防災公園の思想の原型となった。また、隅田公園が川沿いに設けられたことに見られるように、水辺と公園を組み合わせて延焼を防ぐ発想も、このときすでに現れている。
復興小公園の設計には、避難地としての性格と遊び場としての性格の両方が現れている。中央に広場を置き、周囲に樹木を巡らせ、ブランコや滑り台といった遊具と藤棚・便所を配するという構成は、平時には子どもの遊び場として完結しつつ、非常時には人が立てるまとまった面積と日陰と水回りを差し出す。防災のための設備を別に並べたのではなく、遊び場の要素をそのまま避難生活の要素として読み替えたところに、この時期の設計の特徴がある。後の防災公園が「かまどベンチ」という一つの家具で実現しようとしたことの、原型に近い発想がここに見られる。
一方で、復興期に整えられた公園が、その後の都市の変化の中で必ずしも維持・拡充され続けたわけではないことも、公園史の研究が指摘するところである。戦後の高度成長期には市街地が急速に拡大し、空地は建物に置き換わっていった。寺田寅彦が「天災と国防」で述べた、文明が進むほど被害が大きくなりうるという指摘のとおり、都市の密度が上がるほど、火災や地震に対する市街地の暴露は増える。関東大震災の教訓は、次の大震災まで、制度の中に静かに保存されることになった。
戦後の制度に進む前に、もう一つ触れておくべき系譜がある。火災から都市を守るために建物のない帯を確保するという発想は、震災復興だけでなく、戦時期の空襲への備えのなかでも用いられた。建物を取り払って空地の帯を設ける措置がとられ、そのうちの一部が戦後に緑地や道路として引き継がれたことが、公園史・都市計画史の研究で指摘されている。目的は防空であって防災ではなかったが、「燃えるものを取り除いた帯で火を止める」という空間の論理は同じである。第5節で扱う延焼遮断帯の考え方は、こうした系譜の上に立っている。空地に与えられる意味は時代によって書き換えられるが、空地そのものは都市に残り、次の時代に別の役割を与えられる。公園の歴史を長く見ると、この書き換えの繰り返しが見えてくる。
3.3 戦後の制度——都市公園法と災害対策基本法
戦後の公園制度の骨格は、1956年(昭和31年)の都市公園法によって定められた。同法は都市公園の設置と管理の基準を定め、施行令は住民の利用圏を想定した配置の標準——街区公園はおおむね0.25ヘクタールで誘致距離250メートル、近隣公園は2ヘクタールで500メートル、地区公園は4ヘクタールで1キロメートルなど——を示した。この配置標準は防災のために作られたものではないが、結果として「歩いて行ける距離に一定の広さの空地が網の目のように配置される」ことを意味し、後に避難地のネットワークとして読み直される素地となった。
他方、1959年の伊勢湾台風を契機に1961年(昭和36年)に制定された災害対策基本法は、防災に関する国・都道府県・市町村の責務と計画の体系を定めた。市町村が地域防災計画を作り、避難の場所を定めるという現在の仕組みの土台がここにある。公園の側の制度(都市公園法)と防災の側の制度(災害対策基本法)は、こうして戦後に別々の法律として整えられ、両者を実際の都市空間の上で結び直す作業は、1995年の阪神・淡路大震災を待つことになる。次節ではその結び直しの中身を見る。
4. 阪神・淡路大震災以後の防災公園の体系——役割の分担と配置
4.1 1995年1月17日——公園が果たした複数の役割
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災は、戦後の大都市が初めて経験した直下の大地震であった。建物の倒壊と火災によって六千人を超える人が亡くなり、神戸市とその周辺では、地震直後から公園が多様な役割を担った。逃げてきた人が身を寄せる場所、テントや車で夜を明かす場所、給水車や救援物資が集まる場所、自衛隊や消防の活動拠点、そしてその後の仮設住宅の用地である。密集市街地の火災では、公園の樹木や空間が延焼を食い止めた事例も報告された。公園は「遊び場」のまま、ある朝突然、避難地・救援拠点・延焼遮断帯になったのである。
この経験は二つのことを明らかにした。第一に、公園の防災機能は一種類ではないこと。避難のための広さ、火を止めるための樹木と離隔、救援のための車両の入りやすさ、滞在を支える水とトイレは、それぞれ別の性能であり、一つの園がすべてを備えるとは限らない。第二に、機能は事前の備えに依存すること。水道が止まれば公園の水飲み場も止まり、夜間の照明が消えれば公園は暗闇になる。震災後に国が防災公園の考え方を体系化したのは、この「役割の分化」と「事前の備え」を計画の言葉に翻訳するためであった。
4.2 防災公園の分類——広域防災拠点から身近な活動拠点まで
国土交通省の「防災公園の計画・設計・管理運営ガイドライン(改訂版)」(平成27年)は、防災公園を役割に応じて分類している。おおまかに言えば、国や県の規模での救援・復旧活動の核となる広域防災拠点となる公園、大地震の火災から広い範囲の住民が命を守る広域避難地となる公園、まず身を寄せて様子を見る一次避難地となる公園、避難の移動を安全にする避難路となる緑道、工場地帯と住宅地の間に置かれる緩衝緑地、そして地域の防災活動の場となる身近な公園である。ガイドラインは目安として、広域防災拠点や広域避難地にはおおむね10ヘクタール以上といった大きな面積を、一次避難地にはおおむね1ヘクタール以上を挙げており、役割と規模が対応づけられている。
| 役割 | 働き | 対応しやすい都市公園の種別 |
|---|---|---|
| 広域防災拠点 | 国・県の規模での救援活動、物資の中継、復旧・復興の拠点 | 大規模な総合公園・運動公園など |
| 広域避難地 | 大地震火災のときに広い範囲の住民が命を守る場所 | 総合公園・運動公園・大きな地区公園 |
| 一次避難地(一時避難地) | 発災直後にまず身を寄せ、様子を見て次の行動を決める場所 | 近隣公園・地区公園・広い街区公園 |
| 避難路 | 避難地へ向かう移動を安全にする帯状の空間 | 緑道・幅の広い園路 |
| 緩衝緑地 | 工場地帯などと住宅地の間で被害の広がりを和らげる | 都市緑地・緩衝緑地 |
| 身近な防災活動拠点 | 初期消火・安否確認・訓練など地域の防災活動の場 | 街区公園 |
この分類の要点は、公園を「大きいほど良い」と一列に並べるのではなく、役割の連鎖として読むところにある。発災直後、人はまず最も近い空地に身を寄せる(身近な公園・一次避難地)。火災が広がる恐れがあれば、より広い避難地へ移動する(広域避難地)。その移動を支えるのが避難路であり、救援の物資と人員は広域防災拠点から流れてくる。つまり、小さな街区公園と広大な総合公園は競合するのではなく、同じ避難の流れの中で別の段を受け持つ。第2節で見た災害の段階論が、ここでは空間の階層として表現されている。
4.3 収容の物差し——避難有効面積と到達時間
前項で見た面積の目安は、どこから来るのだろうか。防災公園の計画では、園の台帳上の面積そのものではなく、実際に人が立って滞在できるまとまった面積——ここでは避難有効面積と呼ぶ——が問題になる。園地の中でも、建物、池、深い樹林、急な斜面、車が置かれる駐車場は、避難者が身を置く面積としては数えにくい。そこに一人あたりに必要とされる面積の目安を置いて割れば、その園がおおよそ何人を受け止められるかの見当がつく。同じ広さの二つの園でも、開けた芝生広場が中心の園と、園地の大半が斜面林である園とでは、避難地としての収容力は大きく異なる。面積という一つの数字を比べるだけでは防災の評価にならない、というのがこの物差しの含意である。
広域避難地に大きな面積が求められるもう一つの理由は、熱である。周囲の市街地が広い範囲で燃えている状況では、公園の縁に立つ人には火災からの放射熱が届く。安全に身を置くためには、燃えている市街地から一定の奥行きを取れるだけの広がりが要る。第5節で述べる樹林帯の遮断は、この奥行きを実質的に増やす働きをする。逆に言えば、周囲に燃えるものが少ない地域では、同じ広さの公園でもこの意味での要求は緩む。さらに、避難は移動を伴う行動であるから、面積と並んで到達時間が問われる。都市公園法施行令が示す誘致距離——街区公園はおおむね250メートル、近隣公園は500メートル、地区公園は1キロメートル——は防災のために定められた数値ではないが、歩いて行ける距離に空地を配るという点で、避難の到達時間を考えるときの手がかりになる。
4.4 指定緊急避難場所と指定避難所——「場所」と「施設」の区別
この空間の階層に、法律上の指定の仕組みが重なる。災害対策基本法は平成25年の改正で、災害の危険から命を守るために緊急に逃げ込む指定緊急避難場所と、家に戻れない人が一定期間滞在する指定避難所とを明確に区別した。指定緊急避難場所は洪水・崖崩れ・高潮・地震・津波・大規模な火事といった災害の種類ごとに指定され、公園や広場、校庭のような屋外の「場所」が指定されることが多い。指定避難所は体育館や公民館のような屋根のある「施設」が中心である。東日本大震災(2011年)で、避難場所と避難所の混同が被害につながった例が指摘されたことが、この改正の背景にあるとされる。
公園にとってこの区別は重要である。公園が担うのは原則として「場所」の側、すなわち命を守るための一時的な避難であり、寝泊まりして生活する機能ではない。内閣府の「避難所運営ガイドライン」(平成28年)が扱うのは後者の施設運営であり、公園はその手前の段階を受け持つ。ただし阪神・淡路大震災の経験が示すように、実際には公園にテントが並び、長期の滞在が生じることがある。「場所」として設計された空間に「施設」の機能が求められたとき、何が足りなくなるか——水、トイレ、明かり、煮炊きの手段である。これが第6節で扱う防災施設の出発点となる。同じ公園が、ある災害では避難場所に指定され、別の災害では指定されないことがある点も、この制度の骨格から導かれる帰結である。
5. 延焼遮断帯としての公園——緑と空間が火を止める仕組み
防災公園の三つの機能のうち、避難地に次いで重要とされるのが延焼遮断である。延焼遮断帯とは、市街地火災が燃え広がるのを食い止めるために設けられる帯状の空間のことで、幅の広い道路、河川、鉄道敷、そして公園や緑地がその構成要素となる。木造家屋が密集した市街地では、火災は建物から建物へと燃え移りながら面的に広がる。その途中に燃えるものがない、あるいは燃えにくい帯があれば、火はそこで勢いを失う。関東大震災でも阪神・淡路大震災でも、市街地の被害の大部分を火災が占めた地区があり、延焼をどこで止めるかは都市防災の中心的な問いであり続けてきた。
5.1 空間の遮断と樹木の遮断
公園が火を止める仕組みは、二つに分けて理解できる。第一は空間による遮断である。火災が燃え移るには、炎の接触、放射熱、火の粉のいずれかが次の建物に届く必要がある。建物のない空間が十分に広ければ、放射熱は距離とともに弱まり、炎も届かない。公園の広場や運動場は、この「距離」を市街地の中に確保する装置である。第二は樹木による遮断である。生きた樹木は多くの水分を含み、種類によっては容易に燃え上がらない。樹冠が放射熱を遮り、火の粉を受け止めることで、公園の縁の樹林帯は熱と火の粉のカーテンとして働くとされる。阪神・淡路大震災の後の調査でも、公園や神社の樹木が延焼を食い止めた事例が報告されており、緑の防火機能への関心が高まった。
ただし、樹木であれば何でも火に強いわけではない。一般に、葉が厚く水分の多い常緑広葉樹は火に強く、油分の多い針葉樹や枯れた植栽は燃えやすいとされる。また、どれほど火に強い樹種でも、長時間強い熱にさらされれば燃える。したがって延焼遮断帯としての公園の性能は、樹種の選定、樹林帯の厚み、下草や落ち葉の管理といった手入れに依存する。防災機能は一度作れば終わりではなく、維持管理の中で保たれるものだという点は、第6節の防災施設にも共通する論点である。
5.2 点ではなく線と面で考える——都市計画の中の公園
延焼遮断の観点から重要なのは、公園を一つひとつの「点」としてではなく、道路や河川とつながった「線」や「面」として見ることである。石川幹子が『都市と緑地』で示したように、緑地を都市の骨格として計画する思想は、個々の公園の美しさではなく、緑地がネットワークとして果たす機能——気候の緩和、生態系、そして防災——に注目する。一つの街区公園は小さくても、幅の広い道路の結節点にあれば遮断帯の一部となり、川沿いの緑道は水面とあわせて長い遮断線を形成する。関東大震災後の隅田公園が川沿いに設けられたのは、この発想の早い実例であった。
この見方は、後の節で磐田市の公園を読むときの伏線になる。公園の防災機能を評価するには、園の面積や設備だけでなく、その園が市街地のどこにあり、周囲に何があるかを見る必要がある。同じ2,000平方メートルの街区公園でも、木造家屋が密集した旧市街の中にあるのか、田畑に囲まれた郊外にあるのかで、延焼遮断帯としての意味はまったく異なる。防災学の言葉で言えば、市街地の側の暴露と脆弱性が、公園の機能の価値を決めるのである。
5.3 避難路——線をつなぐのは道路である
延焼遮断帯としての公園を「線」で捉えるなら、その線を実際につないでいるのは道路である。避難地は、そこへ至る道が使えて初めて避難地になる。市街地の細い道は、建物の倒壊やブロック塀の転倒、電柱の倒れ込みによって塞がれうる。避難路として期待されるのは、こうした障害を受けにくい幅を持ち、沿道の建物が燃えにくく、夜間も方向が分かる道である。緑道や河川沿いの園路、公園と公園をつなぐ歩道は、この条件に近い性格を持ちうる。国の防災公園の考え方が緑道を避難路の類型に数えているのは、帯状の緑が遮断帯と通路を兼ねるからである。
公園の側にも、避難路との接続に関わる条件がある。出入口が一か所しかない園は、そこが塞がれれば入ることも出ることもできない。出入口の数と幅、車止めの構造、段差の有無は、平時にはベビーカーや車いすの使いやすさの問題として現れ、非常時には避難の可否の問題として現れる。ここでも平時の質と非常時の性能は、同じ設計の裏表である。なお、災害時の避難は徒歩が原則とされる。車での移動が日常である地域ほど、徒歩で行ける範囲に何があるかを知らないまま暮らしがちであり、身近な公園までの道を一度歩いてみることの意味は大きい。
5.4 火災以外のハザードには別の顔——遮断帯の限界
延焼遮断はあくまで市街地火災というハザードに対する機能であり、他のハザードに対して公園が同じように働くとは限らない。川沿いの緑道は火災には長い遮断線でも、洪水のときには真っ先に水に浸かる場所になりうる。海に近い広い公園は、地震火災の避難地としては優れていても、津波のときには近づくべきでない場所になりうる。第2節で述べたとおり、公園の防災機能は「どのハザードに対してか」を明示して初めて意味を持つ。災害対策基本法が指定緊急避難場所を災害の種類ごとに指定する仕組みにしたのは、まさにこの理由による。延焼遮断帯としての価値と、洪水・津波時の危険とが同じ一つの園に同居しうることを、次節以降でも繰り返し確認することになる。
6. 防災施設の思想——かまどベンチ・防災トイレ・貯水槽・ソーラー照明
阪神・淡路大震災の経験は、避難した後の生活を支える設備の重要性を明らかにした。水道・電気・ガスというライフラインが止まった市街地で、避難者がまず直面するのは、飲み水、トイレ、明かり、煮炊きという生活の基本である。この経験を受けて、平時は普通の公園施設として使われ、非常時に防災の道具に転じる設備——いわゆる防災施設——が各地の公園に導入されるようになった。国土交通省の防災公園ガイドラインも、避難地となる公園に備えるべき施設として、水・トイレ・照明・情報伝達などの系統を挙げている。本節では代表的な設備を取り上げ、それぞれの背後にある考え方を読む。
6.1 かまどベンチと防災パーゴラ——「変身する家具」の系譜
かまどベンチは、ふだんは座面のあるベンチとして使われ、非常時には座面を外すと下からかまどが現れ、薪や炭で煮炊きができる設備である。同様に、防災パーゴラやテント対応の東屋は、ふだんは日陰棚や休憩所であり、非常時にはシートをかけて救護や物資配布の拠点になる。これらに共通するのは、防災専用の設備を倉庫にしまい込むのではなく、日常の公園家具に非常時の機能を埋め込むという発想である。倉庫の中の道具は存在を忘れられ、いざというとき使い方が分からないことがある。毎日座っているベンチであれば、少なくとも場所は全員が知っている。関東大震災後の復興小公園が学校と遊び場に避難地を重ねたのと同じ「重ね書き」の思想が、ここでは家具の寸法に縮小されて現れている。
6.2 防災トイレと耐震性貯水槽——生活の最低線を支える
災害時のトイレは、飲み水と並ぶ最初の困りごとであるとされる。断水すれば水洗トイレは流れなくなり、避難者の集まる場所では衛生状態が急速に悪化しうる。この問題への公園側の回答が、マンホールトイレに代表される防災トイレである。平時は園内の地下に下水道へ接続するマンホールが用意されており、非常時にふたを開けて便座とテントを設置すると、水洗に頼らないトイレとして機能する。国土交通省は「マンホールトイレ整備・運用のためのガイドライン」(平成28年)で整備と運用の考え方を示しており、下水道と公園という二つのインフラを接続した設備と言える。
水の側では、耐震性貯水槽が代表的である。公園の地下に飲料水を蓄え、配管が壊れても水を取り出せるようにした設備で、消火用水を兼ねるものもある。ソーラー照明灯は、送電が止まっても夜間の明かりを保つための設備であり、太陽電池と蓄電池を組み合わせて園内の要所を照らす。夜間の避難地における明かりは、転倒や混乱を防ぐだけでなく、人々の不安を和らげる意味を持つとされる。これらに共通するのは、ライフラインという「網」が切れたときに、公園という「点」が自立して最低限の機能を保つ、という設計思想である。防災学の言葉では、システムの一部が壊れても全体が止まらない性質を冗長性と呼ぶが、防災施設を備えた公園は、都市のライフラインに対する小さな冗長性の拠点である。
6.3 情報と備蓄——見えるようにするという設備
設備の話をもう一つ加えたい。非常時に人を助けるのは、水や火だけではなく情報である。公園の入口に掲げられた案内板や掲示板は、平時には催しや利用のきまりを知らせる板であり、非常時には避難場所としての指定の有無、地区の集合場所、連絡先を伝える面になる。避難場所を示す図記号は、誰が見ても同じ意味に読めるように規格として整えられ、言葉の通じない人や字を読むのが難しい人にも届くよう工夫が続けられてきた。公園の名称と所在が入口にはっきり示されていることも、実は防災上の意味を持つ。急病人が出たときや事故のときに、自分の居場所を正確に伝えられるからである。日常の分かりやすさと非常時の分かりやすさは、ここでも同じ一つの設計に支えられている。
備蓄の面では、防災倉庫を園内に置く例がある。テント、簡易トイレの便座、担架、発電機、工具などを収め、地域の自主防災組織が管理する形が一般的とされる。ここで問題になるのは、鍵と手順である。倉庫があることと倉庫が開くことの間には、名簿と訓練という人の作業が挟まっている。設備を整えるのが行政の仕事だとすれば、その設備を開ける準備は地域の仕事であり、防災施設は最初から自助・共助・公助の三者にまたがって設計されている。設備の一覧を長くすることよりも、その一覧に対応する人と手順を用意することのほうが難しい。
6.4 設備は「あること」より「使えること」——訓練と管理
防災施設をめぐる最大の論点は、設備の有無ではなく、非常時に実際に使えるかどうかである。かまどベンチは、座面の外し方を知っている人がいなければただのベンチであり、マンホールトイレは、便座とテントがどの倉庫にあり誰が鍵を持っているかが共有されていなければ開けられない。貯水槽の水も、取り出す器具と手順が伝わっていなければ届かない。だからこそ、防災公園の議論では施設の整備と地域の訓練が常に対で語られる。自主防災組織や自治会が公園で行う炊き出し訓練や防災訓練は、設備の使い方を確かめると同時に、第2節で述べた共助の関係を日常の中で育てる機会でもある。
また、防災施設にも維持管理が要る。貯水槽の水質、蓄電池の寿命、器具の点検は、遊具の安全点検と同じく継続的な作業であり、費用と人手を必要とする。ここでも「防災機能は作った瞬間ではなく、維持されている限りにおいて存在する」という第5節と同じ結論に行き着く。読者にとっての実践的な含意は単純である。自分の身近な公園にどんな防災施設があるか、それは誰がどう使うことになっているかを、市の資料や地域の訓練で確かめておくこと。設備の一覧を眺めることよりも、一度でも訓練で触れてみることのほうが、非常時には力になるとされる。
以上をまとめれば、防災施設とは道具の集まりではなく、道具と人と手順の組であり、その組が平時から見えている状態のことである。かまどベンチも、マンホールトイレも、耐震性貯水槽も、案内板も、この見方の上でだけ意味を持つ。逆に言えば、設備の数を増やすことは備えの一部にすぎず、増えた設備を誰がどう扱うかを決めないままでは、備えはかえって分かりにくくなる。次節では、こうした備えが日常の遊び場としての公園と両立するのかという、より根本的な問いに向き合う。
7. 日常利用と非常時利用は両立するか——反論への応答
ここまで公園の防災機能を積み上げてきたが、この議論には自然な反論がいくつかある。本節では四つの反論を取り上げ、順に応答する。反論を検討することは、防災公園の思想の輪郭をはっきりさせる作業でもある。
7.1 反論一——防災機能は遊び場を犠牲にしないか
第一の反論は、公園に防災の役割を負わせると、日常の遊び場としての質が犠牲になるのではないか、というものである。避難や車両のための広場を確保すれば遊具や植栽の場所は減り、防災施設の整備費は遊具の更新費と同じ財布から出る。防災を優先するほど、公園は「がらんとした空地」に近づくのではないか。
この懸念には一理あるが、防災公園の思想はむしろ逆の答えを出してきた。第6節で見たとおり、現代の防災施設の多くは「平時の施設に非常時の機能を埋め込む」形をとる。ベンチはかまどに、東屋は救護所に、園路は避難路に転じる。広場は平時には駆け回る場所であり、非常時には避難の場所である。つまり防災機能の多くは、遊び場から面積を奪うのではなく、同じ空間と施設に別の使い方を重ねる。さらに言えば、広くて見通しがよく、出入口が複数あり、夜も明かりがあるという避難地の条件は、日常の遊び場としての使いやすさや安心感の条件とかなりの程度重なっている。防災のための設計が、平時の質を高めることは十分にありうる。
7.2 反論二——使われない公園は非常時にも機能しないのではないか
第二の反論は、より根本的である。ふだん誰も来ない公園が、非常時にだけ避難地として機能することがありうるのか。この問いに対して、防災公園の思想は「機能しにくい」と正直に答えるべきだと考えられる。避難とは、人が場所を知っており、道を知っており、そこへ行けば誰かがいると期待できるときに成立する行動である。日常の利用は、この三つ——場所の記憶、経路の記憶、人への期待——を毎日更新する活動にほかならない。子どもが毎週遊ぶ公園は、家族の集合場所として思い出されやすく、健康器具を使いに来る高齢者がいる公園は、安否確認の場として機能しやすい。逆に、日常の利用が絶えた公園は、地図の上では避難地でも、人々の頭の中の地図からは消えている。
この意味で、日常利用は防災機能の飾りではなく前提である。防災訓練が年に一度だとすれば、日常の利用は毎日行われる小さな訓練である。公園の防災を強くしたければ、防災施設を増やすことと同じくらい、ふだんの利用を増やすことが効く。この結論は、公園の賑わいづくりと防災とを別の政策と見なす発想を退け、両者を一体のものとして扱う根拠を与える。
7.3 反論三——公園はどの災害でも安全な場所なのか
第三の反論は、公園を避難地として強調することが、「災害のときは公園へ行けばよい」という単純化を生まないか、というものである。これは本稿が最も重く受け止めるべき反論である。第5節で述べたとおり、公園の防災機能はハザードごとに異なる。地震火災のときに命を守る広い公園が、津波や洪水のときには危険な低地であることがある。川沿いの緑道は増水時にはまず離れるべき場所であり、開けた広場は雷のときに身を置くべき場所ではない。関東大震災の被服廠跡の教訓——空地は使い方と状況によって安全にも危険にもなる——は、現代にもそのまま生きている。
したがってより正確な表現は、「公園は避難場所である」ではなく、「公園は、市町村が災害の種類ごとに指定した場合に、その災害の指定緊急避難場所となる」である。回りくどいが、この回りくどさこそが災害対策基本法の平成25年改正が制度化した知恵であった。読者に求められるのは、身近な公園がどの災害の避難場所に指定されているかをハザードマップと市の防災情報で確かめ、指定のない災害のときの行き先を別に考えておくことである。公園の防災機能を正しく評価することは、公園を過信しないことと同じ作業の裏表である。判断に迷う事柄は、市町村の防災担当や関係機関の情報に返すのがよい。
7.4 反論四——防災公園の議論は大都市の話ではないか
第四の反論は、ここまでの議論が大都市の密集市街地を前提にしているのではないか、というものである。実際、延焼遮断帯や広域避難地の議論は、木造家屋が密集し、火災が面的に広がりうる大都市の条件から組み立てられてきた。建物の間隔が比較的広く、田畑や河川が市街地に入り込む地方都市に、同じ重みでこの枠組みを持ち込むのは適切ではない。広域避難地の面積の目安をそのまま当てはめて、条件を満たす園が少ないと嘆いても、あまり意味はない。
しかし枠組みが無効になるわけではなく、重みの置き方が変わると考えるのが妥当である。地方都市にも、旧街道沿いの古い町並みのように家屋が近接した区域があり、そこでは延焼の論点が残る。一方、低地や川沿い、海に近い地区では、地震火災よりも水に関わる災害の比重が大きくなり、同じ公園でも「逃げ込む場所」ではなく「早く離れる場所」として読むべき場合が出てくる。さらに、車での移動が前提の生活では、徒歩圏の空地の存在が意識されにくいという事情もある。第2節の語彙で言えば、公園の防災機能はその土地のハザードと暴露の組み合わせのもとでしか評価できない。枠組みは共通でも、答えは土地ごとに違う。
この応答は、次節への橋渡しでもある。磐田市の公園を読むにあたって必要なのは、大都市向けの基準に照らして不足を数えることではなく、この土地でどのハザードがどの区域に効くのかを市の資料で確かめ、そのうえで100園それぞれの位置と広さを読み直すことである。以下ではその作業の入口までを示す。
8. 磐田市の公園への示唆——100園を防災の目で読む
本節では、前節までの枠組みを磐田市の公園に当てはめる。用いる事実は、磐田市のオープンデータ「都市公園一覧」(94行)と市の施設ガイドをもとに当サイトATAWI PARKが整理した100園の情報に限る。最初に強調しておくべきは、この100園のうちどの園がどの災害の指定緊急避難場所に指定されているか、どの園に防災施設があるかは、当サイトのデータには含まれていないということである。それらは磐田市の「災害リスクを知る」のページ、ハザードマップ、「大雨への備え」のページで確認すべき事項であり、本節はあくまで「防災の目で見るとこの公園群はどう読めるか」という読み方の提示である。現地踏査もこれからである。
8.1 種別と面積を防災公園の階層に重ねる
磐田市の100園の種別内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園、法対象外・その他6園である。これを第4節の防災公園の階層に仮に重ねてみると、広い避難空間の候補となりうるのは、総合公園の竜洋海洋公園(221,722平方メートル)、かぶと塚公園(106,982平方メートル)、福田公園(49,620平方メートル)、地区公園の兎山公園(56,193平方メートル)、中央公園(41,642平方メートル)、竜洋西堀河川敷公園(34,490平方メートル)、安久路公園(32,001平方メートル)、そして運動公園の磐田スポーツ交流の里ゆめりあ(57,500平方メートル)などである。一次避難地の目安とされるおおむね1ヘクタール(10,000平方メートル)以上という規模で見れば、近隣公園の多く——今之浦公園(13,675平方メートル)、豊田ラブリバー公園(16,030平方メートル)、竜洋スポーツ公園(21,306平方メートル)など——がこの水準にある。
一方、51園ある街区公園は、第4節の階層で言えば「身近な防災活動拠点」や家族の集合場所の候補にあたる。都市公園法施行令の標準では街区公園の誘致距離は250メートルであり、歩いて数分の圏内に小さな空地が網の目状に配置されることが想定されている。磐田市でも9地区すべてに公園があり、地区ごとの園数は豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。子どもが毎日遊んでいる街区公園は、発災直後に家族が落ち合う場所の第一候補になりうる。ただし第7節で述べたとおり、それが正式な指定緊急避難場所かどうかは別の問題であり、市の資料での確認が要る。
8.2 線としての緑道と川沿いの園——二つの顔を持つ空間
第5節で述べた「線」の視点で見ると、磐田市の収録園には緑道が2園——竜洋南部緑地公園(20,907平方メートル)と竜洋西堀緑地公園(25,264平方メートル)——あり、帯状の緑として避難路や遮断帯の候補となりうる形状を持つ。また、名前から川との関わりがうかがえる園として、竜洋西堀河川敷公園、豊田天竜川わんぱく広場、天竜川ラブリバー公園、豊田ラブリバー公園がある。これらは、火災に対する遮断や平時の広い遊び場という顔と、増水時にはまず離れるべき場所という顔の、二つの顔を持ちうる空間である。どちらの顔がいつ現れるかは、ハザードマップ上の位置によって決まる。当サイトはまだ各園とハザードマップの重ね合わせを行っておらず、この確認は読者自身が市の資料で行う必要がある。
滞在を支える設備の手がかりとしては、オープンデータのフラグ集計で、94行のうちトイレ有が69園、車いす対応トイレ有が34園である。ただしこれは平時のトイレの有無であり、災害時に機能する防災トイレの有無を意味しない。断水時には平時のトイレは使えなくなりうるからである。市の施設ガイドの記載にも、かまどベンチや耐震性貯水槽といった防災施設の項目は含まれておらず、磐田市の公園にどの防災施設がどれだけあるかを当サイトは把握していない。この空白は、今後の踏査で「防災施設の看板や設備を見つけたら記録する」という形で少しずつ埋めていくべき課題である。
8.3 読者と行政への含意
子育て世代の読者への含意は三つに整理できる。第一に、ふだん通う公園がどの災害の指定緊急避難場所かを、磐田市の「災害リスクを知る」とハザードマップで確かめること。第二に、家族の集合場所を一つ決め、そこまでの道を実際に歩いておくこと。第三に、地域の防災訓練が公園で行われるときには参加し、設備と人に触れておくことである。行政と地域の関係者にとっては、第7節の議論——日常利用こそ防災機能の前提である——が示唆的だろう。公園の利用を増やす取り組みと防災の備えは、別々の事業ではなく同じ土台の上にある。公園の管理は磐田市都市整備課(電話 0538-37-4806)が所管しており、園の状態や設備について気づいたことを市に伝えることも、住民にできる備えの一つである。
最後に、当サイト自身への含意を記す。ATAWI PARKは磐田市の公園100園のデータベースであり、運営は富士ヶ丘サービス株式会社である。踏査はこれからであり、防災の観点からは、各園の避難場所の看板の有無と記載内容、防災施設らしき設備、出入口の数と幅、夜間の明かりといった項目を記録していくことが考えられる。それは第2節で述べた「リスクの理解」を、100園という具体的な場所の集合について進める作業であり、本稿の枠組みはそのための観察の目録として書かれている。
9. 結論と今後の課題
本稿は、都市公園の防災機能を防災学の視点から整理してきた。得られた結論は三つにまとめられる。第一に、公園が避難地となるという発想は、関東大震災という具体的な経験から生まれ、帝都復興の復興小公園において「学校と遊び場に避難地を重ねる」という形で制度化された。そしてこの経験は同時に、被服廠跡の悲劇を通じて「広い空地があるだけでは人は守れない」という教訓を残した。空地の安全は、周囲の状況と使い方に依存する。この教訓は百年を経た現在も、公園を過信しないための原点であり続けている。
第二に、阪神・淡路大震災以後に体系化された防災公園の思想は、三つの層から成る。広域防災拠点から身近な活動拠点までの役割の階層、樹木と空間と水辺を組み合わせた延焼遮断、そしてかまどベンチ・防災トイレ・耐震性貯水槽・ソーラー照明に代表される防災施設である。三層に共通するのは、防災専用の空間や道具を別に用意するのではなく、日常の空間と施設に非常時の機能を重ね書きするという発想であった。そしてこの重ね書きは、施設が整備された瞬間にではなく、維持管理と訓練と日常の利用が続く限りにおいて有効である。
第三に、日常利用と非常時利用は対立せず、むしろ日常利用こそが非常時の機能の前提である。人は知らない場所へは避難できない。毎日の遊びと散歩が場所と道の記憶を更新し、地域の訓練が設備と人をつなぐ。公園の賑わいと公園の防災は、同じ一つの営みの二つの側面である。ただしこの結論は「公園はどの災害でも安全」を意味しない。公園の防災機能はハザードごとに異なり、正式な位置づけは市町村による災害種別ごとの指定によって決まる。公園を頼ることと、公園を確かめることは、常に一組で語られなければならない。
今後の課題も三つある。第一は、磐田市の各園について、指定緊急避難場所としての指定の有無と災害種別を市の資料と突き合わせ、当サイトの園ページに反映することである。第二は、踏査の開始である。避難場所の看板、防災施設とみられる設備、出入口や照明の状況といった防災に関わる観察項目を踏査の目録に加え、記録を積み重ねる。第三は、地域との接続である。公園で行われる防災訓練や自主防災組織の活動と、公園のデータベースとがどう結びつきうるかは、本稿では論じ切れなかった。防災学の言葉で言えば、本稿はハザードと空間の側の整理にとどまり、共助という人の側の分析は残されている。
本稿の主題は、他の分野からの検討と接している。公園の緑がどのように雨水を受け止めるかは水文学の問題であり、公園の設置と管理を誰がどう担うかは法学と行政学の問題であり、公園をどこにどれだけ配るかは都市計画学の問題である。防災学はこれらを「災害が起きたとき何が起きるか」という一点から束ね直す学問だと言ってよい。したがって本稿の結論は、他の分野の検討によって修正されうるし、修正されるべきである。ここで示した枠組みは完成品ではなく、分野を横断して公園を読むための一つの入口である。
方法上の限界も記しておかねばならない。本稿は文献と制度資料の整理による概念分析であり、磐田市の公園について実地の観察に基づく評価を行ったものではない。防災学の研究としては、個々の空間の条件——周囲の建物の建て方、道路の幅、地盤、浸水の想定、そこに暮らす人の年齢構成——を重ねて初めて具体的な評価が可能になる。本稿が提供できたのは、その評価に取りかかる前に必要な問いの立て方、すなわち「どの災害に対して」「誰が」「どの道を通って」「そこで何ができるか」を分けて考える手順にとどまる。逆に言えば、この手順は専門家でなくても使える。身近な一つの公園を思い浮かべ、四つの問いを順に当てはめてみることは、誰にでもできる小さな防災学の実践である。答えが出ない問いが残ったら、そこが市の資料で確かめるべき点であり、地域で話し合うべき点でもある。
関東大震災の百年後を生きる私たちにとって、公園の防災を考えることは、遠い制度の話ではない。それは、子どもと歩く数分の道のりの先にある空地が、最悪の日に何になりうるかを想像し、その想像を市の資料で確かめ、家族の約束に変えるという、ごく身近な作業である。本稿がその作業の助けとなり、磐田市の100園が、遊び場としてだけでなく「確かめられた備え」としても住民に知られていくことを願って、結びとしたい。
参考文献
- 寺田寅彦(1934)「天災と国防」(『天災と国防』講談社学術文庫、2011 所収)
- 内閣府 中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会「1923 関東大震災報告書」(第1編 2006年・第2編 2008年・第3編 2009年)
- 越澤明(1991)『東京都市計画物語』(日本経済評論社。ちくま学芸文庫、2001)
- 越澤明(2005)『復興計画——幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで』(中公新書)
- 白幡洋三郎(1995)『近代都市公園史の研究——欧化の系譜』(思文閣出版)
- 石川幹子(2001)『都市と緑地——新しい都市環境の創造に向けて』(岩波書店)
- ギルバート・F・ホワイト(1945)『Human Adjustment to Floods』(University of Chicago, Department of Geography Research Paper No. 29)
- ベン・ワイズナー、ピアーズ・ブレイキー、テリー・キャノン、イアン・デイヴィス(2004)『At Risk: Natural Hazards, People's Vulnerability and Disasters』第2版(Routledge)
- 河田惠昭(2010)『津波災害——減災社会を築く』(岩波新書)
- 片田敏孝(2012)『人が死なない防災』(集英社新書)
- 国連国際防災戦略事務局(UNISDR)「仙台防災枠組 2015-2030」(2015)
- 災害対策基本法(昭和36年法律第223号。平成25年改正で指定緊急避難場所・指定避難所を規定)
- 内閣府(防災担当)「避難所運営ガイドライン」(平成28年4月)
- 国土交通省都市局公園緑地・景観課「防災公園の計画・設計・管理運営ガイドライン(改訂版)」(平成27年9月)
- 国土交通省水管理・国土保全局下水道部「マンホールトイレ整備・運用のためのガイドライン」(平成28年3月)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市「災害リスクを知る」
- 磐田市ハザードマップ
- 磐田市「大雨への備え」
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。