生命・健康・心理・教育プレイワーク論
遊びに介入しない専門性——プレイワークと冒険遊び場の思想
要旨
本稿の目的は、プレイワークという専門領域の視点から、公園という場所を読み直すことである。プレイワークとは、子どもの自由な遊びを大人が保障し支えるための実践と理論の体系であり、遊具を配置して安全基準を満たすという公園整備の発想とは異なる系譜を持つ。手がかりとするのは、1943年にデンマークのエンドロップで開かれた「がらくた遊び場」に始まり、イギリスで「アドベンチャープレイグラウンド」として発展した歴史と、そこから導かれたプレイワークの諸原則、遊びの類型論、リスクとベネフィットを比較する考え方である。
方法は文献整理と概念分析である。第2節では、がらくた遊び場の発案からイギリスへの導入までの経緯と、そこから専門職としてのプレイワークが立ち上がる過程を整理する。第3節ではプレイワークの原則、とりわけ遊びは子ども主導・内発的動機によるものであり、大人の役割は環境を整え支えることにあるという考え方を検討する。第4節では遊びをいくつかの型に分けて捉える類型論を、第5節では遊びに伴うリスクを排除の対象でなく価値との比較の対象として扱う考え方を扱う。第6節では日本における冒険遊び場・プレーパークの展開を、第7節では自主運営という担い手の課題を論じる。第8節では整備された公園とプレーパークという二つの設計思想を対比し、第9節ではプレイワークへの批判に応答する。
結論として、プレイワークは、大人が遊びの内容を決めずに環境と関係を整えるという、一見消極的でありながら高度な専門性を要する立場であり、遊具中心の公園整備とは補い合う関係にあると本稿は主張する。最後に、磐田市の都市公園100園の実情——専用の冒険遊び場は当サイトが把握する限り見当たらないが、原っぱ的な広場や築山を持つ園は点在すること——を踏まえ、当サイトの今後の踏査で確かめるべき論点を示す。
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1. はじめに——問題の所在
公園の遊び場は、誰が設計しているのか。滑り台やブランコ、複合遊具を選び、配置し、対象年齢を表示し、点検の計画を立てるのは、多くの場合、行政の担当課や遊具メーカー、造園の専門家である。子どもは、あらかじめ用意された遊具の使い方の範囲で遊ぶことになる。ところが二十世紀の半ば、これとは異なる発想の遊び場がヨーロッパに現れた。廃材や土、水、ときには火を子どもたちが自分で扱い、遊びの内容そのものを子どもが決める場所である。この場を支えるために、大人の側にも独自の専門性が求められるようになった。それが本稿の主題である「プレイワーク」である。
プレイワークとは、子どもの自由な遊びを大人が保障し、支えるための実践と理論の体系を指す。遊具を配置して安全基準を満たすことに主眼を置く公園整備の発想とは異なり、プレイワークは、遊びの内容を大人が決めないという一見消極的な立場を取りながら、そのために環境を整え、関係を築き、リスクを見極めるという高度な専門性を要求する。この専門性は、デンマークで生まれ、イギリスで発展した「アドベンチャープレイグラウンド」(冒険遊び場)という場所の実践のなかから、半世紀以上をかけて言語化されてきたものである。
本稿の問いは次の三つである。第一に、遊具中心の公園整備とは異なる、冒険遊び場・プレーパークという思想はどのような歴史から生まれたのか。第二に、プレイワークはどのような原則によって、大人の介入を最小限にしながら遊びを支えるという立場を専門性として成立させているのか。第三に、この思想は、都市公園法にもとづいて整備された一般の公園とどのような関係に立ちうるのか、対立するのか、補い合うのか。
方法は文献整理と概念分析である。プレイワークという実践そのものの現地調査は本稿の射程には含まない。冒険遊び場の歴史的経緯、プレイワークの原則、遊びの類型論、リスクとベネフィットを比較する考え方という、比較的よく整理された概念群を手がかりに、公園という場所の設計思想を相対化して見せることを目指す。
構成は次のとおりである。第2節で冒険遊び場の歴史とプレイワークの成立を、第3節でプレイワークの原則を、第4節で遊びの類型論を、第5節でリスクとベネフィットの考え方を整理する。第6節で日本における展開を、第7節で自主運営という担い手の課題を扱い、第8節で整備された公園とプレーパークの設計思想を対比する。第9節でプレイワークへの批判に応答したうえで、第10節で磐田市の公園への示唆を、第11節で結論と今後の課題を述べる。当サイトが扱う磐田市の公園100園は、いずれも都市公園法にもとづいて整備された公園であり、本稿の主題である冒険遊び場そのものではない。この対比を保ちながら論を進める。
1.1 なぜ「専門性」という切り口が必要か
公園を論じる学問領域は数多くあるが、遊具の設計や配置、法制度、心理発達といった対象に焦点を当てる領域が多いなかで、プレイワークは「その場に居合わせる大人はどう振る舞うべきか」という、実践する人間の側に焦点を当てる点で異なる位置を占める。遊具がどれほど工夫されていても、その場にいる大人が絶えず口を出し、遊びの進め方を指示していれば、子どもの主導性は発揮されにくい。逆に、遊具が乏しくても、大人が適切に環境を整え見守れば、豊かな遊びが生まれる余地は残る。この意味で、プレイワークという専門性は、遊具というハードの議論と、心理発達というソフトの議論のあいだをつなぐ、運用の次元の議論として位置づけられる。
もう一つ、本稿がこの主題を取り上げる理由は、遊具中心の公園整備という発想が、決して唯一の遊び場づくりの系譜ではないということを、歴史的な事実として示しておく必要があるからである。都市公園法にもとづく公園整備の体系は、日本において広く定着しており、ほとんどの読者にとって「公園」といえばこの体系を思い浮かべるはずである。しかし世界の遊び場づくりの歴史をたどれば、遊具を与えるのではなく材料と時間を委ねるという、まったく異なる出発点を持つ系譜が存在した。この事実を踏まえたうえで初めて、遊具中心の公園整備がどのような選択の結果として成り立っているのかを、相対的に理解することができる。
2. 先行研究と概念の整理——がらくた遊び場からプレイワークへ
冒険遊び場の起点として広く参照されるのは、デンマークの造園家カール・テオドール・ソーレンセンの発想である。ソーレンセンは、自らが設計に関わった整った公園で子どもたちが遊具よりも工事現場のがらくたや資材置き場で夢中になって遊ぶ様子を見て、大人があらかじめ完成させた遊び場よりも、子ども自身が材料を扱い、作り変えられる場所のほうが遊びを豊かにするのではないかという着想を得たとされる。この着想にもとづき、1943年、デンマークの首都近郊エンドロップに、廃材や道具を自由に使える「がらくた遊び場」(skrammellegeplads)が開設された。第二次世界大戦下という時期にもかかわらず、この場は子どもたちに強く支持され、大人が遊びの内容を決めない遊び場という発想の最初の実例となった。
この実践をイギリスに紹介したのが、造園家であり児童福祉にも関わったマージョリー・アレン(レディ・アレン・オブ・ハートウッド)である。アレンはデンマークを訪れてがらくた遊び場を見学し、これを英語で「アドベンチャープレイグラウンド」と呼んで自国に紹介した。戦後の瓦礫が残るロンドンなどの都市では、空き地を活用した冒険遊び場が各地に開かれていく。アレンは著書『Planning for Play』(1968)において、遊び場を大人が完成させた製品として与えるのではなく、子どもが自ら手を加えられる材料と時間を用意する場として構想すべきだと論じた。この主張は、後年、遊具の安全基準が整備されていく公園行政の主流の発想とは異なる、もう一つの遊び場づくりの系譜として位置づけられることになる。
2.1 プレイワークという専門職の成立
冒険遊び場が各地に広がるにつれて、そこで子どもたちの遊びに付き添う大人の役割が、単なる管理人や指導員とは異なるものとして意識されるようになった。遊具の使い方を教える指導者でも、危険を全て取り除く監督者でもなく、子どもが自分で決めた遊びを、環境を整え、必要なときにだけ手を貸すことで支える存在——それが「プレイワーカー」であり、その実践と省察の体系が「プレイワーク」と呼ばれるようになった。イギリスでは職能団体が整備され、2005年には複数の職能組織が共同で「プレイワーク原則」(Playwork Principles)を策定し、プレイワークという仕事の土台となる考え方を明文化した。この原則については次節で扱う。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1931年ごろ | ソーレンセンが、大人の設計した遊具よりも廃材や工事現場を好んで遊ぶ子どもの姿から、がらくた遊び場の着想を得たとされる |
| 1943年 | デンマーク・エンドロップに世界初とされる「がらくた遊び場」が開設される |
| 1940年代後半 | レディ・アレンがデンマークを視察し、「アドベンチャープレイグラウンド」の名で英国に紹介する |
| 1968年 | アレン『Planning for Play』刊行。遊び場を材料と時間の場として構想する考え方を示す |
| 1979年 | 日本初のプレーパークとされる羽根木プレーパーク(東京都世田谷区)が開設される |
| 2005年 | 英国でプレイワーク原則(Playwork Principles)が職能諸団体の合意として策定される |
この年表が示すのは、遊び場の設計思想が、遊具を「与える」発想から、材料と時間、そして大人の関わり方を「整える」発想へと分岐していく過程である。両者は対立する二者択一ではなく、後の節で見るように、異なる強みを持つ二つの系譜として並存してきた。冒険遊び場は、当初は空襲の瓦礫や空き地という特殊な条件のもとで生まれたが、その後は都市の恒常的な施設として各国に定着していく。次節では、この系譜から導かれたプレイワークの原則を具体的に検討する。
2.2 なぜ廃材が使える場所が広がったのか
がらくた遊び場やアドベンチャープレイグラウンドが生まれた背景には、二つの世界大戦を経た都市の状況があった。空襲を受けた市街地には、しばらくのあいだ再建されない空き地や瓦礫が残り、そこは危険であると同時に、大人の管理が行き届かない自由な空間でもあった。子どもたちがそうした場所に自然と集まり、廃材を使って遊んでいた事実を、ソーレンセンやアレンは「なくすべき危険」としてではなく、「意図的に用意すべき環境」として読み替えた点に、この系譜の独自性がある。整地され、遊具が置かれ、管理が行き届いた公園とは対照的に、あえて未完成で、変化し続ける環境を用意するという発想は、当時としては異例のものであったと考えられる。
この発想はデンマークとイギリスにとどまらず、その後、西ヨーロッパの複数の国や北米にも紹介され、それぞれの土地の事情に応じた形で広がっていった。国や地域によって、遊び場を指す呼び名や制度上の位置づけは異なるが、大人があらかじめ完成させた製品としての遊具ではなく、材料と時間、そして関わる大人の姿勢によって遊びの質が左右されるという基本の発想は、共通して受け継がれている。次節以降で扱うプレイワークの原則や遊びの類型論、リスクの考え方は、いずれもこの共通の発想を、より体系立てて言語化する試みとして理解することができる。
3. プレイワークの原則——子ども主導と大人の役割
2005年に英国の職能諸団体が合意した「プレイワーク原則」は、遊びそのものの定義と、大人であるプレイワーカーの役割の定義という、二つの柱からなる。遊びについての中心的な主張は、遊びは子どもが自らの意志で選び、自らの意志で方向づける活動であり、内発的動機、すなわち外部からの報酬や評価のためではなく、その行為自体が目的であるような動機にもとづくというものである。大人が目的やねらいを設定し、その達成を評価するような活動は、この意味での遊びとは区別される。プレイワークが対象とするのは、あくまで子ども自身が主導する遊びである。
3.1 大人の役割は「環境を整えること」
この原則のもとで、大人であるプレイワーカーの役割は、遊びの内容を決めたり、教えたりすることではなく、遊びが起こりやすい環境を整え、必要に応じて反応することにあるとされる。具体的には、遊びの材料や空間を用意すること、子どもたちの遊びを観察し、その質や方向性を見極めること、危険については排除するのではなく、後述するベネフィットとリスクの比較にもとづいて管理すること、そして何より、求められていないのに遊びに割って入らないことである。この「介入しない」という姿勢は、放任とは異なる。プレイワーカーは常に注意深く場を見守っており、必要と判断すれば関わる。しかし、その判断の基準は「子どもの遊びを豊かにするか」であって、「大人にとって都合がよいか」ではない。
この考え方は、遊びに対する大人の関わり方について、しばしば二つの極から区別して説明される。一方の極は、大人が遊びの目的や進め方を決め、達成度を評価する「指導」であり、もう一方の極は、大人が場を離れ、子どもの安全確認さえ行わない「放置」である。プレイワークが目指すのはそのどちらでもなく、大人が場に存在し関心を向けながらも、遊びの決定権は子どもに委ねるという、両極のあいだの立場である。この立場を保つことは、単に手を出さないでいることよりもむしろ難しく、それゆえに専門的な訓練と省察の体系が必要とされてきた。
3.2 遊びのサイクルという考え方
プレイワークの理論のなかには、遊びを、始まり、展開、終わりという一連の流れ(プレイサイクル)として捉える考え方もある。子どもが遊びを始めるきっかけを作り、遊びが展開するなかで試行錯誤や役割の交代が起こり、満足したり飽きたりして終わる、という一連の流れを、大人が外から区切らずに見守ることが重視される。この考え方は、遊びの途中で大人の都合により「そろそろ終わりにしましょう」と区切ることが、遊びの質にどのような影響を与えうるかを考えるための手がかりとなる。ただし、この理論を厳密にどこまで一般化できるかについては、プレイワークの領域内でも議論が続いている。
註:プレイワークの原則は英国の職能団体が策定した実践のための指針であり、学術的に検証された単一の理論というより、実践者どうしの合意として位置づけられる。本稿もこの性格を踏まえ、原則の内容を紹介するにとどめ、当否の判断は行わない。
3.3 省察的な実践という考え方
プレイワーカーが「介入しない」という原則を実際の場面で保つためには、あらかじめ決めた手順に従うだけでは足りず、目の前で起きている遊びの質を絶えず観察し、自分の関わり方を振り返り続けることが必要になる。この考え方は「省察的な実践」(リフレクティブ・プラクティス)と呼ばれ、プレイワークの理論家であるボブ・ヒューズも、プレイワーカーの専門性を、遊びについての知識だけでなく、自分自身の行動を絶えず検証する態度として論じている。たとえば、ある場面で子どもに声をかけるべきかどうかという判断は、マニュアル的な正解があるわけではなく、その子どもの様子、周囲の状況、それまでの関わりの積み重ねを踏まえて、その都度なされるものである。この判断を一人で抱え込まず、他のプレイワーカーと話し合い、振り返る機会を持つことも、専門性を支える仕組みとして重視されている。
この省察的な実践という考え方は、プレイワークを、感覚や善意だけに頼る仕事ではなく、経験を積み重ねて磨かれる専門性として位置づけるための土台になっている。同時に、この専門性は資格の取得だけで完結するものではなく、現場での経験と振り返りの蓄積によって培われる部分が大きいという点は、第7節で扱う担い手の継続性の課題にも関わってくる。
以上を整理すると、プレイワークの原則は、遊びを子ども主導・内発的動機によるものと定義したうえで、大人の役割を環境の整備と観察、必要に応じた反応に限定し、その判断を支えるために省察的な実践という手続きを組み込んだ体系であるといえる。遊びの主導権を子どもに委ねるという一見単純な原則が、実際には、環境設計・観察・省察という複数の技能を要する専門性として組み立てられている点に、プレイワークという領域の特徴がある。
4. 遊びの類型論——ヒューズのタクソノミー
プレイワークの立場から遊びを理解しようとするとき、しばしば参照されるのが、英国のプレイワーカーであるボブ・ヒューズが整理した遊びの類型論(タクソノミー)である。ヒューズは、遊びを単一の現象としてではなく、目的や質の異なる複数の型に分けて捉えることを提案した。この類型論は、大人が「これは遊びだ/これは遊びでない」と一律に線を引くためのものではなく、目の前の子どもがいまどのような種類の遊びをしているのかを見極める観察の手がかりとして提示されている。
4.1 型の例
ヒューズが挙げた型には、たとえば次のようなものがある。走る、跳ぶ、よじ登るといった体そのものを動かす「移動をともなう遊び」。道具や材料を使い、環境をコントロールする力を試す「達成をめざす遊び」。相手と体をぶつけ合いながらも攻撃ではない加減をともなう「取っ組み合いの遊び」。役割を演じる「ごっこ遊び」や、物語を作る「空想の遊び」。他の子どもとの関わりそのものを楽しむ「社会的な遊び」。そして、高いところに登る、速く滑るなど、恐怖に近い感覚をあえて求める「深い遊び」。これらはいずれか一つに固定されるものではなく、一つの遊びの場面のなかで複数の型が同時に、あるいは次々と現れるとされる。
- 移動をともなう遊び——走る、跳ぶ、よじ登るなど体を動かすこと自体が目的になる遊び
- 達成をめざす遊び——道具や材料、環境を自分の思うように扱えるようになろうとする遊び
- 取っ組み合いの遊び——体をぶつけ合いながらも相手を傷つけない加減を学ぶ遊び
- ごっこ・空想の遊び——役割や物語を作り、現実にない状況を演じる遊び
- 社会的な遊び——他の子どもとの関わりや駆け引きそのものを楽しむ遊び
- 深い遊び——恐怖に近い感覚をともなう挑戦を、自分の判断であえて選ぶ遊び
この類型論の意義は、遊具の種類と遊びの型を一対一に対応させないところにある。たとえば同じブランコでも、単に揺れを楽しむ「深い遊び」の要素もあれば、順番を待ち、譲り合う「社会的な遊び」の要素もあり、忍者ごっこの舞台になれば「ごっこ遊び」にもなる。遊具は特定の遊びを機械的に生み出す装置ではなく、複数の型の遊びが起こりうる可能性の場として理解される。この見方は、遊具の対象年齢表示や安全基準を軽視してよいという意味ではなく、それらと並んで、遊びの質そのものを見る視点が必要だという主張として理解すべきである。
4.2 類型論の限界
この類型論についても、型の数や名前づけが研究者によって異なり、観察者の解釈に依存する部分が大きいという指摘がある。子どもの遊びを型に分類すること自体が、遊びを大人の理解の枠に押し込める行為ではないかという批判も成り立ちうる。ヒューズ自身も、この類型論を固定的な分類表としてではなく、観察のための語彙として使うことを意図していたとされる。本稿もこの限界を踏まえ、類型論を絶対的な基準としてではなく、遊びの多様性を言い表す一つの道具として紹介するにとどめる。
4.3 素材の自由度という考え方——「ルースパーツ」理論
遊びの型を分類するヒューズの議論と対をなすのが、建築家サイモン・ニコルソンが1971年に提示した「ルースパーツ」(loose parts、動かせる部品)の理論である。ニコルソンは、環境のなかにどれだけ動かせる、組み合わせられる、作り変えられる要素があるかによって、そこで生まれる遊びの創造性が左右されると論じた。固定された遊具は、あらかじめ決められた一つか二つの使い方しか許さないのに対し、木の枝や布、石、水、土のような素材は、組み合わせ方が無限にあり、同じ素材から毎回異なる遊びが生まれうる。この理論は、がらくた遊び場が廃材を中心に据えていたことの理論的な裏づけとしてしばしば参照される。
ルースパーツ理論とヒューズの類型論とを重ねて読むと、素材の自由度が高いほど、一つの環境のなかで多くの型の遊びが起こりやすくなるという見通しが得られる。廃材や土のような可変の素材は、達成をめざす遊びにも、ごっこ遊びにも、社会的な遊びにも姿を変えうる。これに対して、用途があらかじめ定められた固定遊具は、特定の型の遊びを効率よく引き出す一方で、それ以外の型の遊びを起こしにくくする面がある。両者はどちらが優れているという関係ではなく、後の第8節で扱うように、異なる強みを持つ設計思想として位置づけられる。
5. リスクとベネフィットの管理という考え方
冒険遊び場やプレーパークでは、高いところに登る、火を使う、道具で何かを作るといった、一定の危険をともなう遊びが認められていることが多い。これは危険を軽視しているのではなく、遊びにともなうリスクを、得られる価値(ベネフィット)と比較して判断するという、プレイワークに特徴的な考え方にもとづく。この発想は「ベネフィット・リスク評価」と呼ばれ、危険性のあるものをあらかじめ全て取り除く「ハザード除去」の発想とは区別される。国土交通省の遊具の安全確保に関する指針も、遊具に内在する危険性を、子どもが予測できず重大な事故につながる「ハザード」と、遊びの価値として遊具が本来持つべき挑戦的要素である「リスク」とに分けて捉える考え方を示しており、両者の区別は公園行政の側にも取り入れられている。
5.1 ハザードとリスクの区別
ハザードとは、遊具の構造の欠陥や管理不備など、子どもが自分では予測も回避もできない危険性を指す。腐食した金属の破断や、想定されない挟み込みなどがこれにあたり、点検と補修によって取り除くべき対象とされる。これに対してリスクとは、高さから落ちるかもしれない、勢いよく滑って転ぶかもしれないといった、遊具に本来備わった挑戦的な要素であり、子ども自身がある程度予測し、自分の力量と相談しながら向き合う対象である。プレイワークの立場では、このリスクを一律に排除することは、遊びの価値そのものを損なうと考えられている。転んだり失敗したりする経験を通じて、自分の体の使い方や力量の見極め方を学ぶという発達上の価値が、リスクをともなう遊びにはあるとされる。
5.2 判断の主体は誰か
ベネフィット・リスク評価は、個々の子どもの発達段階や、その場の状況、遊具や環境の管理状態など、多くの要因を踏まえた専門的な判断を要する。冒険遊び場ではこの判断をプレイワーカーが日々の観察のなかで行うが、一般の公園ではこうした専門職が常駐していない場合が多く、判断の一部は保護者や見守る大人に委ねられることになる。どこまでのリスクを受け入れるかについての価値判断は、家庭や地域、施設の方針によっても異なりうる。本稿はどの水準が適切かについて特定の立場を示すものではなく、判断は保護者や施設の管理者、必要に応じて専門機関に委ねられるべきものである。
- ハザード——構造の欠陥や管理不備など、子どもが予測・回避できない危険性。点検と補修で取り除く対象
- リスク——高さや速さなど遊具に本来備わる挑戦的な要素。子ども自身が力量と相談しながら向き合う対象
- ベネフィット・リスク評価——リスクを排除するのでなく、そこから得られる遊びの価値と比較して判断する考え方
註:本節は遊具のリスクの捉え方についての考え方の整理であり、個別の遊具や場面の安全性を保証するものではない。具体の判断は保護者・施設の管理者・必要に応じて専門機関に委ねられる。
5.3 「危険を完全になくす」ことの副作用
ベネフィット・リスク評価という考え方が提示された背景には、遊具の安全対策が行き過ぎると、かえって遊びの機会そのものを損なうのではないかという懸念があった。あらゆるハザードとリスクを区別せずに一律へ取り除こうとすれば、高さのある遊具や勢いよく滑る滑り台のような、子どもに挑戦の機会を与える要素までもが削られていく可能性がある。英国では、遊びの安全に関わる複数の団体が連携し、危険性を排除するだけの発想に対して、遊びの価値を守りながらリスクを管理するための考え方を、行政や施設の管理者が実務で使えるように整理する取り組みが進められてきた。こうした取り組みは、ベネフィット・リスク評価という考え方を、理念にとどめず、点検票や判断の手順といった実務の道具に落とし込もうとする試みとして位置づけられる。
この発想は、国土交通省の遊具の安全確保に関する指針にも通じるところがある。同指針は、遊具の設置管理者に対して、ハザードの除去を求める一方で、遊具が本来持つべき挑戦的要素としてのリスクについては、対象年齢表示や利用者への情報提供などを通じて、遊びの価値を保ちながら管理する考え方を示している。危険性をゼロにすることを目指すのではなく、どのようなリスクをどのように残し、どのように伝えるかを設計・管理の両面で考えるという姿勢は、プレイワークのベネフィット・リスク評価と方向性を共有していると言える。
6. 日本における冒険遊び場・プレーパークの展開
日本では、ヨーロッパの冒険遊び場にならった遊び場が「プレーパーク」という呼び名で広まってきた。日本で最初のプレーパークとされるのは、1979年に東京都世田谷区の羽根木公園の一角に開設された羽根木プレーパークである。国際児童年にあたるこの年、地域住民の運動をきっかけに、行政と住民が協力する形で常設の遊び場が実現した。羽根木プレーパークでは、たき火、水や土を使った遊び、木工など、廃材や自然素材を子どもが自分で扱う遊びが行われ、プレイワーカーにあたる「プレーリーダー」と呼ばれる担い手が常駐する運営形態がとられた。この形は、その後の日本各地のプレーパーク運営の一つのモデルとなっている。
6.1 プレーリーダーという担い手
日本のプレーパークにおける「プレーリーダー」は、プレイワークの原則にいう、遊びの内容を決めずに環境を整え見守る大人にあたる。たき火の管理や道具の扱い方の見守り、子ども同士のトラブルへの関わり方など、日々の判断は現場のプレーリーダーに委ねられることが多い。地域住民のボランティアが担うプレーパークもあれば、自治体からの委託を受けたNPO法人などの職員が担うプレーパークもあり、担い手の位置づけは地域によって幅がある。羽根木プレーパーク以降、各地の実践を交流する全国規模の集まりも開かれるようになり、常設・非常設を含め、プレーパークという場のあり方は各地に広がってきた。
6.2 常設と非常設
日本のプレーパークには、羽根木プレーパークのように特定の場所で年間を通じて開かれる常設型と、公園や広場を借りて月に数回、決まった日だけ開かれる非常設型とがある。非常設型は、たき火や工具など常設施設としては置きにくい要素を、開催日にだけ持ち込むことで実現しており、既存の公園を会場として活用できるという利点がある。一方で、開催日以外は通常の公園に戻るため、常設の冒険遊び場が持つ、いつ訪れても同じ環境があるという継続性は限られる。この常設・非常設という違いは、次節で扱う運営体制の課題とも関わっている。
プレーパークが広がる背景には、都市化にともなって子どもが自由に使える空き地や原っぱが減り、遊びが遊具のある公園や屋内の施設に限られていくことへの懸念があったとされる。廃材や土、火といった、通常の公園では扱いにくい要素をあえて用意することで、遊具中心の公園では得にくい種類の遊びの機会を補おうとする発想である。この発想は、プレーパークが一般の公園に取って代わるものではなく、両者が異なる役割を分担するという、第8節で改めて扱う論点につながっている。
6.3 地域ごとの多様性と交流の場
日本のプレーパークは、羽根木プレーパークのような単一のモデルがそのまま各地に複製されたわけではなく、地域の事情に応じて多様な形をとってきた。都市部では公園の一角を借りて非常設で開かれる例が多く、郊外や農村部では、空き地や河川敷を活用した例もあるとされる。運営主体も、地域住民の任意団体、NPO法人、社会福祉協議会が関わる例など幅がある。こうした各地の実践者が経験や工夫を交換する場として、プレーパークづくりに関わる人々の全国的な交流の集まりが継続的に開かれてきた。特定の型を全国一律に広めるというより、各地の実践者どうしが緩やかにつながりながら、それぞれの地域に合った形を模索してきたことが、日本のプレーパークの展開の特徴といえる。
こうした多様性は、プレイワークの原則である「大人が遊びの内容を決めない」という姿勢を、運営の形そのものにも及ぼした結果と見ることもできる。特定の団体が全国の運営方法を一元的に決めるのではなく、それぞれの地域の担い手が、自分たちの環境と関係のなかで運営の形を選び取ってきた。この分権的なあり方は、地域の実情に即した柔軟な運営を可能にする一方で、次節で扱うように、担い手の確保や運営の継続という課題を、各地域が個別に抱え込むことにもつながっている。
7. 自主運営という担い手の課題
プレーパークの多くは、行政が直接運営するのではなく、地域住民の運動から始まり、住民組織やNPO法人が自主的に運営を担うという形をとってきた。この自主運営という形は、プレイワークの原則である「大人が遊びの内容を決めない」という姿勢と親和性が高い。トップダウンで管理される施設よりも、地域の担い手が自分たちの判断で場を作っていくほうが、子どもの遊びに柔軟に応じやすいという面がある。一方で、自主運営には、行政が直接管理する公園にはない固有の課題も存在する。
7.1 担い手の継続性
第一の課題は、担い手の継続性である。プレーリーダーやボランティアの多くは、有償・無償を問わず、限られた人数で長期にわたり現場を支えている。担い手が高齢化したり、生活の事情で活動を離れたりすると、経験の蓄積とともに運営そのものが揺らぐ可能性がある。行政の委託を受けてNPO法人が運営する場合でも、委託の期間や予算の見直しによって、運営体制が変わることがありうる。プレイワークという専門性は、資格の取得だけで完結するものではなく、現場での経験の積み重ねによって培われる部分が大きいとされ、担い手の入れ替わりは、その蓄積の継続にとって課題となる。
7.2 行政との関係
第二の課題は、行政との関係である。プレーパークが公有地を使う場合、火の使用や施設の設置について、公園管理者との調整が必要になる。行政の側からすれば、事故が起きた場合の管理責任をどう考えるかという論点があり、住民組織の側からすれば、行政の関与が強まりすぎると自主的な運営の自由度が失われるという懸念がある。両者のあいだで、責任の分担や意思決定の仕組みをどう設計するかは、地域ごとに異なる調整の積み重ねによって形作られてきた。この調整のあり方自体が、プレーパークの持続可能性を左右する重要な要素であるといえる。
7.3 資金の確保
第三の課題は資金である。プレーリーダーの人件費、資材の購入、保険の加入など、継続的な運営には一定の資金が必要になる。行政からの委託費や補助金、住民からの寄付、会費など、資金の調達方法は運営主体によって異なり、いずれの方法にも安定性と柔軟性のあいだの一長一短がある。資金基盤が不安定なプレーパークでは、担い手の待遇や活動日数が制約を受けることもあり、これは結果として、子どもに提供できる遊びの機会の幅にも影響しうる。
7.4 担い手を育てる仕組み
これらの課題に対応するため、プレーリーダーやボランティアの研修、経験者どうしの交流、外部の専門家による助言など、担い手を育て支える仕組みを整える取り組みも行われてきた。第3節で触れた省察的な実践という考え方は、個人の努力だけでなく、こうした組織的な学び合いの仕組みがあってはじめて根づくものである。新しく関わり始めた担い手が、経験豊富な担い手の判断のしかたを見て学び、自分の関わり方を振り返る機会を持てるかどうかは、運営の質を左右する要素になる。
- 担い手の継続性——プレーリーダーやボランティアの高齢化・入れ替わりにともなう経験の蓄積の途切れ
- 行政との関係——公有地の使用や責任分担についての調整の積み重ね
- 資金の確保——委託費・補助金・寄付・会費など複数の調達方法のあいだの一長一短
- 担い手の育成——研修や経験者との交流を通じて省察的な実践を根づかせる仕組み
以上のように、自主運営という形は、プレイワークの原則と親和性が高い一方で、継続性・行政との関係・資金・担い手の育成という複数の課題を常に抱えているといえる。これらの課題は、特定の地域や団体に固有のものではなく、自主運営という形そのものに内在する構造的な課題として理解する必要がある。
8. 整備された公園とプレーパークの設計思想の対比
ここまで整理してきた冒険遊び場・プレーパークの思想と、都市公園法にもとづいて整備される一般の公園の思想とは、遊び場の設計についてかなり異なる前提に立っている。一般の公園整備では、遊具の種類や対象年齢、安全基準があらかじめ定められ、利用者はその範囲のなかで遊ぶことが想定される。設計と製造の段階で安全性が作り込まれており、日常の管理は点検と補修が中心となる。これに対してプレーパークでは、素材や道具そのものは比較的単純であっても、それをどう使うかという裁量が子どもとプレーワーカーに委ねられ、日々の運営のなかでリスクの判断が行われる。前者は「設計時点で安全を組み込む」思想、後者は「運用時点で判断を重ねる」思想と言い換えることができる。
| 整備された公園(遊具中心) | 冒険遊び場・プレーパーク | |
|---|---|---|
| 主な担い手 | 行政の管理課・遊具メーカー・造園の専門家 | プレーリーダー・住民組織・NPO法人 |
| 安全の考え方 | 設計・点検により危険性をあらかじめ管理する | 日々の観察でベネフィットとリスクを比較する |
| 遊びの決め方 | 遊具の用途と対象年齢の範囲で遊ぶ | 素材と時間を子どもが自分の判断で使う |
| 典型的な要素 | 滑り台・ブランコ・砂場など固定遊具 | 廃材・土・水・たき火・工具など可変の素材 |
| 運営の形 | 常設の公共施設として管理される | 常設・非常設があり自主運営が多い |
8.1 どちらが優れているかという問いの限界
この対比を見ると、どちらか一方がもう一方より優れているという結論に飛びつきたくなるかもしれない。しかし、両者は担いうる役割が異なる。整備された公園は、誰もが安心して立ち寄れる日常的な遊びの場として、地域に広く配置されることに強みがある。乳幼児から高齢者まで幅広い世代が利用でき、天候や時間帯を問わず一定の環境が保たれる。一方、プレーパークは、子ども自身が遊びを作り出す経験や、リスクと向き合いながら自分の力量を試す経験を提供することに強みがあるが、担い手の確保や運営の継続性という制約から、地域に一つ、あるいは数か所という限られた数でしか成り立ちにくい。
両者を対立させるのではなく、役割分担として捉えるならば、整備された公園は日常的にアクセスしやすい遊びの基盤を広く提供し、プレーパークはそれを補う形で、より裁量の大きい遊びの機会を限られた場所で提供するという構図が見えてくる。都市公園法にもとづく公園の体系そのものにも、街区公園から総合公園まで規模と役割の異なる複数の種別があるように、遊び場全体の生態系のなかに、遊具中心の公園とプレーパークとが異なる役割で位置づけられると考えることができる。
8.2 中間的な試みという可能性
整備された公園とプレーパークという二つの極のあいだには、両者の要素を部分的に組み合わせた中間的な試みも存在するとされる。たとえば、通常は遊具中心の公園として管理されている場所で、期間や曜日を限って、プレイワークの発想を取り入れた活動を行う取り組みや、公園愛護会のような地域の住民組織が、日常の清掃・美化活動に加えて、子どもの自由な遊びを見守る役割を担おうとする例である。こうした試みは、常設のプレーパークほどの裁量の大きさは持たないが、遊具中心の公園にも「大人が遊びの内容を決めずに見守る」という視点を部分的に持ち込む試みとして位置づけることができる。
ただし、こうした中間的な試みがどの程度の効果を持つか、どのような条件のもとで機能するかについては、実践の蓄積がまだ限られており、確立した知見があるとは言いがたい。本稿はこの可能性を否定するものではないが、断定的な評価は避け、一つの方向性として示すにとどめる。整備された公園とプレーパークという二つの系譜の対比は、両者を固定的に分けるためのものではなく、その中間にどのような選択肢がありうるかを考えるための出発点として理解されるべきである。
8.3 対比を使う際の注意
本節で示した対比表は、二つの系譜の典型的な特徴を整理したものであり、個々の公園やプレーパークがこの表の記述に厳密に当てはまるとは限らない。整備された公園のなかにも、管理者の判断で比較的自由な使い方が許容されている広場や原っぱ的な空間はありうるし、プレーパークのなかにも、安全確保のために一定の固定的なルールを設けている例はあるだろう。この対比表の役割は、個々の事例を機械的に分類することではなく、遊び場の設計を考える際に見落とされがちな「安全をどの段階で、誰が、どのように組み込むか」という論点を、比較を通じて浮かび上がらせることにある。
9. 反論と限界——プレイワークへの批判に応答する
プレイワークの考え方は、遊びの価値を高く評価する立場から支持されてきた一方で、いくつかの角度から批判や疑問も向けられてきた。ここでは代表的なものを三つ取り上げ、本稿の立場から応答を試みる。
9.1 「介入しない」は本当に可能なのか
第一の批判は、大人が遊びの内容を決めないという原則そのものへの懐疑である。プレーリーダーが場を用意し、素材を選び、活動できる範囲を区切っている時点で、すでに大人の判断が遊びの形を大きく方向づけているのではないか、という指摘である。この指摘は的を射ている。プレイワークの立場からも、完全に中立な環境というものは存在せず、環境を整えるという行為自体が一つの介入であることは認められている。ただし、この批判は、プレイワークが「介入をゼロにする」ことを目指しているという誤解にもとづく面がある。プレイワークが強調するのは介入の有無ではなく、介入の質、すなわち大人が遊びの結果や進め方を評価・指示するのか、それとも子ども自身の判断を尊重した上で環境だけを整えるのか、という違いである。
9.2 リスクの許容は誰のためか
第二の批判は、リスクをともなう遊びを許容する発想が、事故が起きた際の責任を曖昧にし、結果として保護者や施設に負担を押しつけるのではないか、という懸念である。この懸念も無視できない。ベネフィット・リスク評価という考え方は、リスクを子どもや保護者に一方的に押しつけるためのものではなく、危険性を排除する側と、そこから得られる価値を守ろうとする側の双方が、判断の根拠を共有し、話し合うための枠組みとして提示されたものである。本稿は、この判断がどの水準で行われるべきかについて特定の結論を示すものではなく、個別の場面での判断は、保護者や施設の管理者、必要に応じて専門機関に委ねられるべきものであることを改めて確認しておく。
9.3 誰もが担えるのか——専門性と善意の混同
第三の批判は、プレイワークが専門性を強調する一方で、実際の現場の多くがボランティアの善意によって支えられているという現実との落差である。専門的な訓練を経たプレーリーダーと、経験の浅いボランティアとでは、同じ「介入しない」という姿勢であっても、危険の見極め方や子どもへの関わり方の質に差が生じうる。この落差は、第7節で扱った担い手の継続性の課題と直結している。プレイワークを一つの専門性として位置づけるならば、その専門性をどう育成し、どう評価するかという制度的な仕組みが、善意に依存する運営とあわせて必要になるという指摘は、本稿も妥当なものと考える。
9.4 別の社会で生まれた考え方をそのまま持ち込めるか
第四の批判は、プレイワークの原則や冒険遊び場の実践が、北欧やイギリスという特定の社会状況のなかで形成されたものであり、法制度や住宅事情、地域のつながりの形が異なる日本や他の社会に、そのまま持ち込めるとは限らないという指摘である。たとえば、公有地の使用や火の取り扱いについての規制、管理責任の考え方は国や自治体によって異なり、ある国で成立した運営の形が、別の制度のもとでそのまま成立するとは限らない。日本のプレーパークが羽根木プレーパークをそのまま複製するのではなく、地域ごとに多様な形を取ってきたことも、この批判に対する一つの応答として理解できる。プレイワークの原則を、特定の制度や文化に固有の実践としてではなく、環境を整え子どもの主導性を尊重するという抽象度の高い考え方として受け止め、それぞれの社会の制度や慣習に合わせて具体化していく必要がある、というのが本稿の立場である。
これらの批判は、プレイワークの発想を無効にするものではなく、それを実践する際に向き合うべき条件を明らかにするものとして受け止めるべきであろう。介入の質、責任の所在、専門性と善意の落差、そして文化的な文脈の違いという四つの論点は、いずれもプレイワークを無条件に称揚することへの歯止めとして働く一方で、これらの条件を踏まえたうえでなお、遊びの主導権を子どもに委ねるという発想そのものには、検討に値する価値があるというのが本稿の立場である。
10. 磐田市の公園への示唆
ここまで整理してきたプレイワークと冒険遊び場の思想を、磐田市の公園に照らして考えてみる。磐田市の都市公園は、当サイトが把握する限り100園あり、その内訳は街区公園51園・近隣公園14園・都市緑地10園・地区公園4園・総合公園3園・運動公園3園・風致公園3園・広場公園2園・緑道2園・墓園1園・歴史公園1園、および法の対象外だが市の施設ガイドに掲載される6園である。これらはいずれも都市公園法の枠組みで整備・管理される公園であり、第8節で述べた「設計時点で安全を組み込む」思想にもとづく施設である。当サイトが把握する限り、磐田市内に、プレーリーダーが常駐し、たき火や工具の使用が認められた恒常的な冒険遊び場・プレーパークにあたる施設は見当たらない。
10.1 「原っぱ的な」要素を持つ園
とはいえ、磐田市の公園のなかにも、遊具に頼らない自由度のある遊びを支えうる要素を持つ園は点在する。市のオープンデータと施設ガイドの記載によれば、たとえば豊田天竜川わんぱく広場(豊田・近隣公園・14,914㎡)はローラー滑り台やスプリング遊具に加えて広い空間を持ち、竜洋川袋公園(竜洋・街区公園・2,366㎡)は築山とジャンボ滑り台を備え、福田ふるさと公園(福田・街区公園・1,750㎡)も築山を園内施設として記載している。今之浦公園(見付・近隣公園・13,675㎡)は芝生広場を複数持ち、はまぼう公園(福田・法対象外)も芝生広場を備える。これらは冒険遊び場そのものではないが、走り回る、寝転がる、築山を登り下りするといった、遊具の用途に縛られない遊びが起こりやすい空間として、プレイワークの視点から見直す価値があると考えられる。
10.2 見守る大人の役割という共通の論点
プレイワークの原則が示す「大人は遊びの内容を決めず、環境を整えて見守る」という考え方は、専用の冒険遊び場を持たない磐田市の公園においても、保護者や地域の見守る大人にとって参考になりうる視点である。遊具の対象年齢表示や安全確保に関する指針にもとづく管理は、公園を管理する磐田市都市整備課(電話 0538-37-4806)の役割であるとしても、その公園でどう過ごすか、子ども主導の時間をどこまで尊重するかという判断は、日々その場に居合わせる大人に委ねられる部分が大きい。この点で、遊具の有無にかかわらず、プレイワークの原則は磐田市の公園での過ごし方を考える手がかりになりうる。
当サイトは2026年8月時点でまだ現地の踏査を始めておらず、これらの園が実際にどの程度、遊具の用途に縛られない遊びを受け入れる雰囲気や運用になっているか、たとえば築山や芝生広場が実際にどう使われているか、周辺の見通しや管理の状況はどうかといった点は、今後の踏査で確かめるべき課題である。本稿はあくまで市の施設ガイドとオープンデータに記載された事実にもとづく見通しであり、現地の実態を保証するものではない。
10.3 種別と規模から見た可能性
都市公園法施行令が示す種別ごとの標準規模を踏まえると、磐田市の公園には、街区公園(標準0.25ha・誘致距離250m)のように住宅地の近くにある小規模な園から、近隣公園(標準2ha・誘致距離500m)、地区公園(標準4ha・誘致距離1km)、さらに総合公園・運動公園のように規模の定めのない大きな園まで幅がある。磐田市には竜洋海洋公園(総合公園・竜洋・221,722㎡)やかぶと塚公園(総合公園・見付・106,982㎡)、兎山公園(地区公園・御厨・56,193㎡)のように広い面積を持つ園も含まれており、こうした比較的規模の大きい園は、遊具の周辺に、遊具の用途に縛られない空間を確保しやすい可能性がある。もっとも、これらの園でどのような場所が実際に自由な遊びに使われているか、管理上どこまでの利用が想定されているかは、市の施設ガイドの記載だけでは判断できず、今後の踏査による確認が必要である。
また、磐田市は見付・中泉・御厨・豊田・南部・向陽・竜洋・福田・豊岡という9地区に分かれており、公園の分布や面積の傾向は地区によって異なる。プレイワークの視点から公園を見直す際には、特定の一つの園だけでなく、地区ごとの公園の組み合わせ全体のなかで、遊具中心の遊びと、それ以外の自由度の高い遊びとがどのように分担されうるかを考える視点も有効であろう。この点も、当サイトの今後の踏査と、地区ごとのデータの蓄積を通じて検討すべき課題である。
11. 結論と今後の課題
本稿は、プレイワークという専門領域の視点から、公園という場所の設計思想を検討してきた。1943年にデンマークで開かれたがらくた遊び場に始まり、イギリスでアドベンチャープレイグラウンドとして発展した歴史のなかから、遊びは子ども主導・内発的動機によるものであり、大人の役割は遊びの内容を決めることではなく環境を整え見守ることにあるという原則が言語化されてきた。この原則は、遊びをいくつかの型に分けて捉える類型論や、危険性を排除の対象ではなく得られる価値との比較の対象として扱うベネフィット・リスク評価という考え方と結びついて、一つの専門性の体系をなしている。
日本では、1979年の羽根木プレーパークを一つの起点として、プレーリーダーが見守るプレーパークという形でこの思想が展開してきたが、その多くは住民組織やNPO法人による自主運営に支えられており、担い手の継続性・行政との関係・資金という課題を常に抱えてきた。第8節で示したように、遊具中心に整備される一般の公園とプレーパークとは、優劣で比べるべきものではなく、設計時点で安全を組み込む思想と、運用時点で判断を重ねる思想という、異なる強みを持つ役割分担として理解するのが妥当である。第9節で見たように、プレイワークの立場に対しては、介入の質、責任の所在、専門性と善意の落差という角度から批判も向けられてきたが、これらはプレイワークの発想を無効にするのではなく、実践する際に向き合うべき条件を示すものであった。
磐田市の公園100園は、当サイトが把握する限り、いずれも都市公園法にもとづいて整備された公園であり、恒常的な冒険遊び場・プレーパークにあたる施設は見当たらない。一方で、築山や芝生広場を持つ園が点在しており、遊具の用途に縛られない遊びを支える潜在的な要素として、プレイワークの視点から見直す余地がある。また、専用の冒険遊び場がない状況でも、「大人は遊びの内容を決めず環境を整えて見守る」という原則は、保護者や地域の見守る大人にとって、日々の公園での過ごし方を考える手がかりになりうる。
今後の課題は三つある。第一に、当サイトが今後の踏査を通じて、築山や芝生広場を持つ園が実際にどう使われているか、遊具中心の遊びとそれ以外の遊びがどのように共存しているかを確かめることである。第二に、プレイワークの原則やベネフィット・リスク評価という考え方が、専用の冒険遊び場を持たない一般の公園の管理や、そこでの見守りのあり方にどこまで応用できるかを、公園行政や地域の実践に即してさらに検討することである。第三に、自主運営という担い手の形が持続可能であるための条件を、磐田市を含む地域の実情に即して具体的に検討することである。
最後に、本稿の限界についても述べておく必要がある。本稿は文献整理と概念分析を方法としており、冒険遊び場やプレーパークの現場そのものを観察したものではない。プレイワークの原則や遊びの類型論、ベネフィット・リスク評価という考え方は、いずれも実践の現場から言語化されてきたものであり、その真価は文献の上だけでなく、実際の遊びの場面に即してこそ検証されるべきものである。本稿はあくまで、磐田市の公園を考えるための一つの視点を提供する試みであり、この視点が現地の実情にどこまで当てはまるかは、当サイトの今後の踏査と、保育・教育・公園行政など他の立場からの検討を重ねることで、初めて確かめられるものである。これらは、本稿に続く課題として残される。
参考文献
- マージョリー・アレン(レディ・アレン・オブ・ハートウッド)(1968)『Planning for Play』(Thames and Hudson)
- プレイワーク原則審査グループ Playwork Principles Scrutiny Group(2005)『Playwork Principles』(英国プレイワーク職能諸団体承認)
- ボブ・ヒューズ Bob Hughes(2002)『A Playworker's Taxonomy of Play Types』第2版(PlayLink)
- サイモン・ニコルソン Simon Nicholson(1971)「The Theory of Loose Parts」(Landscape Architecture誌)
- ボブ・ヒューズ Bob Hughes(2001)『Evolutionary Playwork and Reflective Analytic Practice』(Routledge)
- ゴードン・スタロック、ペリー・エルス Gordon Sturrock and Perry Else(1998)「The Colorado Paper: The Playground as Therapeutic Space: Playwork as Healing」(IPA/USA全国会議発表論文)
- ロジャー・ハート Roger Hart(1992)『Children's Participation: From Tokenism to Citizenship』(UNICEF Innocenti Essays No.4)
- ヨハン・ホイジンガ(1938)『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳、中公文庫、1973)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。