人文学デザイン史
遊具のデザイン史——鉄棒とジャングルジムからイサム・ノグチ、複合遊具、インクルーシブ遊具へ
要旨
本稿の目的は、日本の公園で日常的に目にする遊具——鉄棒・雲梯・ジャングルジム・ブランコ・滑り台・砂場・複合遊具・スプリング遊具・インクルーシブ遊具——を、デザイン史の対象として位置づけ、それぞれの形がどの時代のどのような思想・制度・技術から生まれたのかを通史的に整理することである。デザイン史とは、ものの形を作り手の意図と社会の条件の両面から読み解く学問であり、遊具は「子どものため」に大人が形を与えた道具として、その恰好の対象である。
方法は文献整理と年表の作成、および概念による分類である。本稿は遊具の系譜を、(1)19世紀ドイツの体操運動に発する体操器具の系譜、(2)19世紀末から20世紀初頭のアメリカで組織化された遊び場運動の系譜、(3)第二次大戦後に彫刻家・建築家が担った造形的遊び場の系譜、(4)廃材と手作りを原理とする冒険遊び場の系譜、(5)1970年代以降の安全基準が形づくった複合遊具の系譜、(6)ユニバーサルデザインとバリアフリー法制から生まれたインクルーシブ遊具の系譜、の六つに整理し、各系譜の代表的な人物・年号・作品を確実なものに限って挙げる。
検討の結果、遊具の形は「子どもの遊び」から自然に導かれたものではなく、体育・衛生・教育・芸術・安全・包摂という、時代ごとに異なる大人の目的が器具の形に翻訳されたものであること、そして現代の公園には複数の系譜に属する遊具が同じ敷地に並んで置かれていること、が明らかになった。この「系譜の重ね置き」という見方は、一つの公園の遊具構成を読み解く手がかりとなる。
最後に、磐田市の都市公園100園のうち遊具のある64園を対象に、市の施設ガイドに記載された遊具名を六つの系譜に当てはめて読む試みを行う。ただし当サイトの現地踏査は始まっていないため、設置年代・製造者・材料・更新履歴にかかわる論点はすべて今後の踏査課題として残す。
キーワード遊具デザイン史ジャングルジムイサム・ノグチ冒険遊び場複合遊具インクルーシブ遊具
1. はじめに——問題の所在
公園の鉄棒はなぜあの高さで、なぜ三段に並んでいるのか。ジャングルジムはなぜ立方体の格子なのか。ブランコと滑り台と砂場はなぜ「セット」で置かれてきたのか。そして近年の公園に増えた、デッキと滑り台と網を組み合わせた大きな複合遊具や、車いすのまま入れるデッキをもつインクルーシブ遊具は、どこから来たのか。私たちは遊具を「昔からそこにあるもの」として眺めがちだが、遊具の一つひとつには、それを考え、形にし、量産し、規格化した人々と時代がある。本稿はこの当たり前を、デザイン史という学問の目で問い直す。
デザイン史とは、椅子や食器や自動車といった「人がつくったものの形」を、作り手の意図(機能・美・思想)と、それを可能にした社会の条件(材料・製造技術・法規・市場・使い手の要求)の両面から読み解く学問である。建築史や美術史と重なりつつ、名もない量産品や道具にも目を向ける点に特徴がある。遊具はまさにこの対象にふさわしい。遊具は「子どものため」に大人が設計した道具であり、子どもの身体と遊びの理解、教育や体育の思想、事故と安全への社会の態度、そして鋼・木・樹脂といった材料と加工技術の変化が、そのまま形に刻まれているからである。
この視点は学問的な関心にとどまらない。保護者にとっては、目の前の遊具が「何のために設計された形か」を知ることが、子どもの年齢や発達に合う使い方を考える手がかりになる。行政や地域にとっては、遊具の更新にあたって、単に古いものを新しい製品に置き換えるのではなく、その公園にどの系譜の遊具を残し、どの系譜を新たに加えるかを選ぶ判断材料になる。遊具の来歴を知ることは、次の遊具を選ぶ自由を広げることでもある。
1.1 本稿の問い
本稿の問いは三つある。第一に、現代の日本の公園にある主要な遊具は、いつ、どこで、誰の、どのような目的から生まれたのか。第二に、その形はその後どのように変化し、何が変化を駆動したのか——教育思想か、芸術家の構想か、事故と訴訟か、法制度か、材料技術か。第三に、そうして生まれた複数の系譜は、いま一つの公園のなかでどのように「重ね置き」されているのか。この三つの問いに答えることで、遊具を「子どもの遊びから自然に導かれた形」としてではなく、「大人の目的が形に翻訳されたもの」として見る視点を提供したい。
1.2 方法と資料
方法は文献整理・年表作成・概念による分類である。資料としては、19世紀ドイツの体操書(グーツムーツ1793、ヤーン1816)、ジャングルジムの合衆国特許(ヒントン、1920年出願)、イサム・ノグチの自伝的著作(1968)、冒険遊び場の提唱者セーレンセンとレディ・アレンの著作、アメリカの遊び場史を扱ったソロモン(2005)、日本の遊具安全指針(国土交通省2002年制定・2024年改訂第3版)などを用いる。年号・人名・特許番号は本稿の性格上、確実なものだけを挙げ、確信のもてない事項は「〜とされる」と述べるか、言及を避ける。日本の遊具メーカーの固有名は、社史の裏づけを本稿では取れないため、一般的な流れの記述にとどめる。
磐田市に関する事実は、当サイト(ATAWI PARK)が整理した磐田市オープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドの記載に限る。当サイトは磐田市の都市公園100園のデータベースであるが、現地踏査はこれから始まる段階にあり、本稿でも設置年代や製造者や材料といった「見なければ分からないこと」は述べず、今後の課題として明示する。
1.3 本稿の構成
第2節でデザイン史の方法と遊びの理論を整理し、本稿が用いる六つの系譜という枠組みを示す。第3節から第7節が本論である。第3節は体操器具の系譜(鉄棒・雲梯・登り棒)、第4節は遊び場運動の系譜(砂場・ブランコ・滑り台・ジャングルジム)、第5節は彫刻としての遊び場(ノグチ、ファン・アイクほか)、第6節は冒険遊び場(セーレンセン、レディ・アレン、羽根木)、第7節は安全基準が形づくった複合遊具と、ユニバーサルデザインから生まれたインクルーシブ遊具を扱う。第8節で磐田市の公園の遊具をこの系譜で読み、第9節で結論と今後の課題を述べる。
2. 先行研究と概念の整理——デザイン史の方法と六つの系譜
本節では、遊具を論じるための道具立てを三つ用意する。第一にデザイン史という学問の見方、第二に遊びをめぐる古典的理論、第三に本稿独自の分類枠組みである「六つの系譜」である。
2.1 デザイン史の見方——形は意図と条件の交点にある
デザイン史を学問として体系化した古典に、ニコラウス・ペヴスナー『モダン・デザインの展開』(1936)がある。ペヴスナーは19世紀のウィリアム・モリスから20世紀のグロピウスに至る流れを、装飾を捨て機能に忠実な形へ向かう「近代デザイン」の成立史として描いた。これに対しエイドリアン・フォーティ『欲望のオブジェ』(1986)は、ものの形はデザイナー個人の才能よりも、製造業者の利益・階級や性別のイメージ・衛生観念といった社会の側の要求によって決まる、と論じ、デザイン史を社会史として書き直した。本稿はこの二つの見方を併用する。遊具には、体操家や彫刻家の明確な意図が刻まれた形(ペヴスナー的な読み)と、事故と訴訟と規格が生んだ匿名の形(フォーティ的な読み)の両方が混在するからである。
もう一つ、デザイン史が重視するのは「量産と規格化」の契機である。一点ものの試作が、特許・カタログ・標準仕様書を経て、どの町にも同じ形で置かれるようになる過程で、形は単純化され、安全側に丸められ、材料は入手しやすいものに置き換わる。公園の遊具はこの過程を典型的に辿った。ジャングルジムの特許(1920年出願)、児童公園の標準的な遊具構成、遊具の安全規準は、いずれもこの「規格化の契機」として本稿で扱う。
さらに、デザイン史は材料を形の読み方の手がかりにする。遊具の主材料は、時代とともに、木と綱(体操器具の初期)→鋼管と鋼板(遊び場運動以降)→コンクリート(造形的遊び場)→丸太とロープ(冒険遊び場の影響下の1970年代以降)→樹脂被覆の鋼・樹脂成形品・ゴムチップ舗装(安全基準の時代)と移ってきた。材料の変化は加工技術と価格だけでなく、「子どもがどこまで自由に登ってよいか」「転んだときに何が受け止めるか」という安全観の変化とも結びついている。本稿の各節で材料に触れるのはこのためである。
2.2 遊びの理論——遊具は遊びの「器」にすぎない
遊びそのものについては、ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(1938)が、遊びを文化に先立つ自由な活動と定義し、ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』(1958)が、遊びを競争(アゴン)・偶然(アレア)・模擬(ミミクリ)・眩暈(イリンクス)の四つに分類したことがよく知られる。カイヨワの分類は遊具を読むのに便利である。ブランコと回転遊具は眩暈の道具であり、鉄棒と登り棒は自分の身体との競争の道具であり、砂場と築山は模擬(ごっこ)の舞台であり、ジャングルジムは登る・くぐる・ぶら下がる自由な探索の場である。遊具は遊びを生むのではなく、ある種類の遊びを起こりやすくする「器」である——この見方は、遊具の形を大人の目的から読み解こうとする本稿の前提でもある。
2.3 本稿の枠組み——六つの系譜
遊具史を扱った英語圏の研究として、スーザン・G・ソロモン『American Playgrounds』(2005)は、アメリカの遊び場を「遊び場運動の器具の時代」「戦後の造形的な遊び場の時代」「安全基準と訴訟の時代」という流れで描いている。本稿はこれを踏まえつつ、日本の公園の遊具構成をより細かく読むために、次の六つの系譜に分ける。それぞれの系譜は、発生の時代・場所・主体・目的・代表的な形が異なる。
| 系譜 | 発生の時代と場所 | 担い手 | 目的 | 代表的な形 |
|---|---|---|---|---|
| (1)体操器具 | 18〜19世紀ドイツ | 体操家・学校 | 身体鍛錬・国民形成 | 鉄棒・平行棒・登り棒・雲梯 |
| (2)遊び場運動 | 19世紀末〜20世紀初頭アメリカ | 社会改良家・市当局 | 都市の子どもの保護と教化 | 砂場・ブランコ・滑り台・シーソー・ジャングルジム |
| (3)造形的遊び場 | 1930〜60年代 欧米・日本 | 彫刻家・建築家 | 遊びを生む地形と形 | 築山・遊べる彫刻・コンクリート遊具 |
| (4)冒険遊び場 | 1930〜40年代デンマーク→英・日 | 造園家・市民運動 | 自分でつくる遊び | 廃材・道具・プレーリーダー(固定遊具をもたない) |
| (5)安全基準と複合遊具 | 1970〜80年代アメリカ→欧・日 | 行政・規格団体・メーカー | 事故の低減と管理 | デッキ型複合遊具・衝撃吸収舗装 |
| (6)インクルーシブ遊具 | 1990年代以降 アメリカ→日 | 行政・障害当事者・メーカー | 誰もが遊べる公平性 | 車いす対応デッキ・バケット型ブランコ・感覚遊具 |
この六つは、後のものが前のものを置き換えたのではなく、重ね置きされてきた点が重要である。鉄棒は19世紀の系譜に属しながら21世紀の公園にも残り、複合遊具の脇にスプリング遊具と砂場が並ぶ。第8節で見るように、磐田市の公園の遊具名一覧も、この六つの層が同じ敷地に積み重なった姿として読める。以下、系譜ごとに一節を割いて辿る。
3. 体操器具の系譜——グーツムーツとヤーンの鉄棒から、学校と公園へ
公園でもっとも古い形をもつ遊具は鉄棒である。鉄棒・雲梯・登り棒・平均台は、もともと子どもの遊び道具として生まれたのではない。18世紀末から19世紀初頭のドイツで、青少年の身体を鍛えるために考案された「体操器具」が、学校を経て公園に降りてきたものである。本節はこの経路を辿る。
3.1 グーツムーツ——器具を使う体育の始まり
ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・グーツムーツ(1759〜1839)は、ドイツ中部シュネッペンタールの学校で教え、1793年に『青少年のための体操(Gymnastik für die Jugend)』を著した。同書は、走る・跳ぶ・投げる・登るといった運動を体系立て、登り棒・登り綱・平均台・跳躍用の器具などを図入りで示した点で、器具を使う近代体育の出発点とされる。ここで注目すべきは、器具が「遊び」ではなく「教育」の道具として構想されたことである。登り棒は木登りの代用として、平均台は自然の丸太の代用として、屋外の地形が与える身体経験を人工的に再現する装置として設計された。
3.2 ヤーンとハーゼンハイデ——鉄棒と平行棒の誕生
フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーン(1778〜1852)は、ナポレオン占領下のプロイセンで、青年の心身を鍛え国民意識を高める運動としてトゥルネン(Turnen、ドイツ体操)を始めた。1811年、ベルリン郊外のハーゼンハイデに野外の体操場(トゥルンプラッツ)を開き、1816年にはエルンスト・アイゼレンとの共著『ドイツ体操術(Die Deutsche Turnkunst)』を刊行して、器具と運動を体系化した。鉄棒(Reck)と平行棒(Barren)はこのヤーンの体操場で整えられた器具として知られ、ほかに登り棒・登り綱・跳馬などが野外に並べられた。今日の器械体操の種目名がドイツ語由来であるのは、この経緯による。
デザイン史の観点から重要なのは、ヤーンの体操場が「野外に、複数の器具を、多人数が同時に使えるように並べた」最初期の例だという点である。公園の一角に鉄棒が三段の高さで並び、その隣に雲梯や登り棒が置かれる配置は、この野外体操場の縮小版とみることができる。また、鉄棒が高さ違いで複数本並ぶ形式は、体格の異なる者が同時に練習できるようにという体操場の発想を引き継いでいる。ヤーンの運動は政治的理由で一時禁圧されたが、19世紀半ば以降ドイツ各地に体操協会が広がり、移民とともにアメリカにも渡った。
3.3 日本への導入——学校体操と鉄棒
日本には、明治期に学校体育の制度とともに器具が入った。1878年(明治11年)に文部省が体操伝習所を設け、アメリカからジョージ・アダムス・リーランドを招いて体操教育の基礎を築いたことが知られる。その後、1913年(大正2年)の学校体操教授要目によって学校体操の内容が全国的に定められ、鉄棒を含む器械運動が学校の運動場に定着した。学校の運動場に鉄棒があること、体育の授業に逆上がりがあること——この日本の常識は、ドイツの体操器具が学校制度を通じて根づいた結果である。
そして公園の鉄棒は、学校の鉄棒の写しである。学校で覚えた運動を放課後に続けられるように、児童公園には鉄棒が置かれた。第4節で見るように、日本の都市公園法(1956年)のもとで児童公園の標準的な遊具にブランコ・滑り台・砂場が想定されたが、鉄棒はそれとは別の、学校体育の延長として公園に入ってきた系譜だと整理できる。雲梯やのぼり棒も同じ経路に属する。
3.4 体操器具の形の特徴——鍛錬の道具としての「無表情」
体操器具系の遊具には共通する形の特徴がある。第一に、装飾がなく、色や物語性をもたない。鉄棒は棒と支柱であり、雲梯は梯子であり、登り棒は棒である。これは器具が「体を鍛える」目的に純化されているためで、後の造形的遊び場や複合遊具が色と形で子どもを誘うのとは対照的である。第二に、使い方が特定の運動(懸垂・回転・渡り・登り)に強く結びついている。第三に、身体寸法に応じた高さの段階が設けられる。これらは、体操器具が「遊び」ではなく「訓練」の道具として設計されたことの名残であり、公園でもっとも古い層をなす遊具の顔つきをつくっている。
名称にもこの系譜の性格が表れている。日本語の「雲梯」は、もともと古代中国で城攻めに用いた長い梯子を指す語であり、水平に架けた梯子を手で渡る器具に転用された。「鉄棒」「登り棒」「平均台」も器具の材料と機能をそのまま言い表した即物的な名で、「ふわふわ遊具」「ジャンボ滑り台」のような遊びの感覚を名に含む後の時代の遊具とは命名の発想が異なる。器具の名が機能の名であること自体が、体操器具の系譜が「訓練の道具」として出発したことの証しである。
ただし子どもは、体操器具を訓練の道具として使うとは限らない。鉄棒に布団のようにぶら下がり、雲梯の上を歩き、登り棒に旗を結ぶ。ホイジンガの言う「自由な活動」としての遊びは、体操家の意図を軽々と超える。デザイン史はこの「意図と使われ方のずれ」を含めて形を読む。次節では、その意図の側に「遊び」が明確に置かれた最初の系譜、遊び場運動を見る。
4. 遊び場運動の系譜——砂場・ブランコ・滑り台とジャングルジムの特許
ブランコ・滑り台・シーソー・砂場・ジャングルジムという「公園の遊具」の標準的な顔ぶれは、19世紀末から20世紀初頭のアメリカで、都市の子どもを路上から保護し健全に育てようとする社会改良運動——遊び場運動(playground movement)——のなかで揃えられた。本節はこの系譜を、砂場の起源、遊び場協会、ジャングルジムの特許、そして日本の児童公園への定着という順に辿る。
ここで一つ断っておく。ブランコとシーソーの原型そのものは、遊び場運動よりはるかに古い。ロープを木の枝に架けて揺れる遊びは古代ギリシアの壺絵にも描かれ、東アジアでは「鞦韆(しゅうせん)」の名で古くから知られ、日本の俳句では春の季語となっている。丸太を支点に載せて上下する遊びも同様に古い。したがって遊び場運動が発明したのはブランコやシーソーそのものではなく、それらを鋼管の枠に固定し、量産し、公共の遊び場の標準装備として制度に組み込んだこと、すなわち「製品化と規格化」である。デザイン史が遊び場運動を系譜の起点に置くのは、この意味においてである。
4.1 砂場——ベルリンからボストンへ
砂場の起源としてよく語られるのは、1885年のボストンである。ドイツ生まれの女性医師マリー・ザクシェフスカが、ベルリンの公園で子どもが砂の山(Sandhaufen)で遊ぶ様子を伝え、これに触発された慈善団体がボストンの教会の庭に砂の山を置いた。これが「サンドガーデン」と呼ばれ、以後数年で市内に広がり、アメリカの公共の遊び場の始まりとされる。砂場の思想的背景には、フリードリヒ・フレーベル(1782〜1852)の幼児教育がある。フレーベルは1837年にドイツで幼児のための施設を開き(1840年に「キンダーガルテン」と命名)、積み木などの教育玩具(恩物)を通じて子どもが形を作り壊すことに教育的意味を認めた。砂は、形のない材料から子どもが自分で形を作れる、もっとも安価な恩物だったのである。
4.2 遊び場協会と「野外体育館」
1906年、アメリカで遊び場協会(Playground Association of America)が設立され、初代会長にルーサー・ハルジー・ギューリック、名誉会長に当時の大統領セオドア・ローズヴェルトが就いた。「アメリカの遊び場の父」と呼ばれるジョゼフ・リーもこの運動の中心人物で、『Play in Education』(1915)を著した。遊び場運動は、遊びを教育と衛生の問題として捉え、市当局に遊び場の設置と指導員の配置を求めた。この時期の遊び場は「野外体育館(outdoor gymnasium)」と呼ばれるにふさわしく、背の高い鋼管の枠に登り梯子・登り綱・ブランコ・滑り台・回転遊具を組み合わせた大型の器具が主役だった。第3節の体操器具の系譜が、ここで「遊び」の器具へと接続されたのである。
この段階で、ブランコ・滑り台・シーソー・回転遊具は鋼管と鋼板で量産される商品となり、カタログで市に売られる工業製品になった。デザイン史の言葉でいえば、遊具はここで初めて「製品」になった。以後、遊具の形は個々の職人や教師の工夫ではなく、メーカーの製品ラインと自治体の仕様書によって決まる度合いを強めていく。
4.3 ジャングルジム——1920年の特許と四次元の格子
ジャングルジムの起源は珍しく特定できる。シカゴの弁護士セバスチャン・ヒントンは1920年に「Climbing Structure(登はん構造物)」の特許を出願し、1923年に合衆国特許第1,471,465号として成立した。ヒントンは商品名として「ジャングルジム(junglegym)」を用い、これが普通名詞化した。最初のものはイリノイ州ウィネトカの学校の校庭に建てられたとされる。興味深いのはその着想である。ヒントンの父チャールズ・ハワード・ヒントンは、四次元幾何学を論じたことで知られる数学者で、子どもに三次元の座標感覚を身につけさせるために竹を格子状に組んだ枠を作り、「x・y・z」の座標を呼びながら登らせたという。息子はこの父の枠を鋼管に置き換え、子どもが登り・くぐり・ぶら下がれる立方格子として製品化した。
ジャングルジムの形——等間隔の立方格子——には、こうして数学教育の発想と、鋼管を等長に切って継手でつなぐ量産の合理性が同時に刻まれている。同じ部材の反復で任意の大きさに組めるという性質は、後の複合遊具のモジュール設計の先駆けでもある。一方で、格子は上まで登れるため高さがそのまま落下高さになり、この点が20世紀後半の安全基準のもとで見直しの対象となる(第7節)。
4.4 日本の児童公園と「三種の神器」
日本の遊び場の系譜としては、1923年(大正12年)の関東大震災後の帝都復興事業で、東京市が小学校に隣接して52か所の復興小公園を整備し、遊具を備えた児童向けの公園がまとまって生まれたことが画期とされる。戦後は1956年(昭和31年)の都市公園法により「児童公園」が制度化され、施行当初、児童公園には標準的にブランコ・滑り台・砂場を置くものとされて、これらは俗に「三種の神器」と呼ばれた。1993年(平成5年)の施行令改正で児童公園は「街区公園」と改称され、利用者を児童に限らない位置づけに改められたが、この標準構成は今も多くの街区公園に残っている。第8節で見る磐田市の施設ガイドにも「ブランコ、滑り台、砂場」の並びが繰り返し現れる。
遊び場運動の系譜の形の特徴は、「一つの器具が一つの遊びに対応する」単機能性と、鋼管・鋼板という材料である。ブランコは揺れ、滑り台は滑り、シーソーは上下し、砂場は掘る。この明快さは管理と製造には都合がよいが、子どもの遊びを分断するという批判を招き、次節で扱う造形的遊び場の系譜を生む契機となった。
5. 彫刻としての遊び場——イサム・ノグチと戦後モダニズムの造形的遊び場
1930年代から60年代にかけて、彫刻家と建築家が遊び場のデザインに参入し、「器具を並べる」のではなく「遊びを生む地形と形をつくる」という発想を持ち込んだ。本稿ではこれを造形的遊び場の系譜と呼ぶ。中心人物は日系アメリカ人の彫刻家イサム・ノグチ(1904〜1988)であり、オランダのアルド・ファン・アイク、ニューヨークの建築家たち、そして日本の仙田満がこれに連なる。
5.1 ノグチの「プレイマウンテン」——実現しなかった原点
ノグチは1933年、ニューヨーク市に「プレイマウンテン(Play Mountain)」を提案した。街区一つ分の敷地を、階段状の斜面・滑り降りる斜面・冬にはそりが使える傾斜・水路をもつ一つの大きな地形彫刻に仕立てる案で、個別の遊具を一切置かず、地形そのものを遊具にする発想だった。市の公園局は採用せず、模型だけが残った。ノグチは1941年にも「コントゥアード・プレイグラウンド(等高線の遊び場)」を構想し、1952年には国連本部前の遊び場を提案したが、いずれも実現しなかった。1961年から66年には建築家ルイス・カーンと組んでリバーサイド・パークの遊び場を五度にわたり設計したが、これも建設に至らなかった。ノグチ自身、自伝的著作『A Sculptor's World』(1968)で、遊び場を彫刻家としての中心的な仕事の一つと位置づけつつ、実現の困難を記している。
ノグチの遊び場が実現したのは、むしろ日本と、晩年のアメリカ南部においてである。1965年に横浜に開園した「こどもの国」ではノグチが遊具群を手がけ、1968年には正八面体を切り落とした形のコンクリート製遊具「オクテトラ」を発表した。これは組み合わせて登ったりくぐったりできる、量産可能な遊べる彫刻である。1976年にはアトランタのピードモント公園に「プレイスケープス」が完成し、これがノグチの生前にアメリカで実現した唯一の遊び場となった。没後の2005年に全面開園した札幌のモエレ沼公園は、ノグチが1988年に基本設計を行った最後の仕事で、遊具群と山や噴水を含む公園全体が一つの彫刻として構想されている。
5.2 ヨーロッパの遊べる彫刻とファン・アイクの遊び場
同じ時期のヨーロッパでは、スウェーデンの彫刻家エゴン・メラー=ニールセンが1949年、ストックホルムの公園に子どもが登り滑れる抽象彫刻「トゥフセン」を設置し、遊べる彫刻の早い例として知られる。オランダでは建築家アルド・ファン・アイク(1918〜1999)が、1947年から30年余りにわたってアムステルダム市の依頼で700を超える小さな遊び場を設計した。空き地や街角に、円形の砂場、飛び石、鋼管を半球に組んだドーム型の登り枠、渡り棒を最小限の要素で配置し、囲いを設けず街路と連続させたのが特徴である。ファン・アイクの遊び場は「子どもの居場所を都市の隙間に埋め込む」という考えの実践であり、遊具のデザインというより都市デザインの系譜に属するが、鋼管ドームや円形砂場の形は各国の公園に広く影響を与えた。
5.3 ニューヨークの建築家たちと「遊びのための設計」
1960年代のニューヨークでは、造園家M・ポール・フリードバーグと建築家リチャード・ダットナーが、コンクリートの築山・段状の斜面・トンネル・砂と水を一体化した遊び場を実現した。ダットナーは1967年にセントラル・パーク内に「アドベンチャー・プレイグラウンド」を設計し、1969年に『Design for Play』を著して、遊具を単体で並べるのではなく、子どもが動きを途切れさせずに移動できる連続した環境として遊び場を設計する原則を示した。ここで語られた「連続性」の理念は、後の複合遊具(第7節)に商品として吸収されていく。
5.4 日本——仙田満の「遊環構造」
日本でこの系譜を代表するのは、建築家仙田満(1941〜)の「遊環構造」である。仙田は子どもの遊び環境を長年観察し、『子どもとあそび』(1992)などで、よく遊ばれる場所には共通の構造があると論じた。それは、(1)全体が循環する回遊路になっている、(2)道が安全で変化に富む、(3)眩暈(めまい)を体験できる部分がある、(4)近道ができる、(5)回遊路に広場がついている、(6)全体が多孔質でどこからでも入れる、といった特徴をもつ構造で、仙田はこれに基づき築山と滑り台とトンネルが環をなす遊具や公園を設計した。デザイン史的には、遊環構造は「形の理論」であり、彫刻家の直観に頼っていた造形的遊び場を、観察に基づく設計原理へと翻訳した点に意義がある。
造形的遊び場の系譜が公園に残した形は、築山(マウンド)、コンクリート製の抽象的な遊具、地形と一体の滑り台、ドーム型の登り枠である。日本の公園で「築山」「コンクリート遊具」「太鼓橋」と記されるものの多くは、この系譜か、遊び場運動の系譜が造形的遊び場の影響を受けたものと読める。ただしこの系譜には弱点もあった。一点ものの造形は事故時の責任や補修の点で自治体に敬遠されやすく、1970年代以降の安全基準の時代に、量産される複合遊具に取って代わられていく。
6. 冒険遊び場の系譜——「遊具をつくらない」というデザイン
遊具のデザイン史のなかで、もっとも逆説的な系譜が冒険遊び場(アドベンチャー・プレイグラウンド)である。それは固定遊具を置かず、廃材と道具と大人の見守りだけを用意して、子ども自身に遊び場をつくらせる。「デザインしないこと」を意識的に選んだデザインであり、第4節・第5節の系譜への根本的な批判として生まれた。本節はその思想と系譜、そして日本での展開を辿る。
6.1 セーレンセンの着想とエムドルップ(1943)
冒険遊び場を最初に構想したのは、デンマークの造園家カール・テオドア・セーレンセン(1893〜1979)である。セーレンセンは1931年の著書『教区と都市の公園政策』で、自分が設計した整った遊び場よりも、子どもは建築現場や廃材置き場で生き生きと遊んでいる、と観察し、廃材を与えて子どもに自由に建てさせる「がらくた遊び場(skrammellegeplads)」を提案した。この構想は1943年、ドイツ占領下のコペンハーゲン郊外エムドルップの集合住宅地で実現し、ジョン・ベルテルセンが最初の遊び場指導員として常駐した。木材・釘・工具・古タイヤなどを使って子どもが小屋を建て、壊し、また建てる。遊び場の形は日々変わり、完成形をもたない。
6.2 レディ・アレンとイギリスへの伝播
この実験をイギリスに伝えたのが、造園家で児童福祉活動家のレディ・アレン・オブ・ハートウッド(マージョリー・アレン、1897〜1976)である。彼女は戦後間もなくエムドルップを訪れ、1946年に写真週刊誌『ピクチャー・ポスト』に紹介記事を寄せて、ロンドンの爆撃跡地を冒険遊び場に使うことを提案した。以後イギリス各地に冒険遊び場が生まれ、レディ・アレンは1968年の著書『Planning for Play』(邦訳『都市の遊び場』1973)で、その理念と実例をまとめた。同書は、整いすぎた遊び場が子どもから挑戦と工夫の機会を奪う、と論じ、リスクを完全に取り除くのではなく子どもが自分で判断できる環境を用意すべきだ、と主張した。この主張は第7節で扱う安全基準の時代への、先取りされた反論でもある。
6.3 「ルース・パーツ」の理論——形を固定しない設計原理
冒険遊び場の思想を設計原理として言語化したのが、建築家サイモン・ニコルソンの論文「子どもをだまさない方法——ルース・パーツの理論」(1971)である。ニコルソンは、環境の中の「動かせる要素(loose parts)」——砂・水・木片・ロープ・箱・道具——の数と種類が多いほど、そこで生まれる発明と創造の度合いが高くなる、と述べた。固定遊具は動かせないため、遊びの可能性を設計者があらかじめ決めてしまう。この理論に立てば、砂場が長く生き残ってきた理由も説明できる。砂は公園にある数少ない「動かせる要素」だからである。デザイン史の観点では、ルース・パーツの理論は、遊具のデザインを「形をつくること」から「可能性を残すこと」へと定義し直した点で重要である。
6.4 日本への展開——羽根木プレーパーク(1979)
日本では、レディ・アレンの著書の翻訳者でもある大村虔一・大村璋子らが中心となり、1970年代半ばに東京都世田谷区で冒険遊び場の試行が始まり、1979年に区立羽根木公園の一角に常設の「羽根木プレーパーク」が開設された。日本ではプレーリーダー(遊び場の常駐スタッフ)を置く「プレーパーク」の呼び名が広まり、以後、住民の運営による冒険遊び場が各地に生まれた。ここでの「デザイン」は、遊具の形ではなく、火や工具を使える区画の設定、廃材の供給、プレーリーダーの配置、行政と住民の役割分担といった運営の設計である。
6.5 冒険遊び場が固定遊具のデザインに残したもの
冒険遊び場は、都市公園の主流にはならなかった。常駐スタッフを要し、見た目が「散らかって」見え、管理と責任の面で自治体が採用しにくいためである。しかしこの系譜は、固定遊具のデザインに三つの遺産を残した。第一に、木材という材料の再評価である。1970年代以降、丸太を組んだアスレチック遊具や木製の複合遊具が広まった背景には、鋼管の器具に対する冒険遊び場的な感性の影響がある。第二に、「挑戦の余地」を残す設計思想である。ロープ・網・不安定な渡り板といった、子どもが自分の身体で判断しながら渡る要素は、この系譜の思想を固定遊具に翻訳したものと読める。第三に、リスクとハザードを区別する考え方である。子どもが自分で気づき判断できる危険(リスク)は遊びの価値の一部であり、気づけない危険(ハザード)だけを取り除く、という整理は、後に日本の遊具安全指針にも取り入れられ、第7節で改めて扱う。
つまり冒険遊び場は、遊具を「つくらない」ことによって、遊具とは何かを問い直した系譜である。それは公園の遊具一覧には現れない。しかし、ターザンロープや木製アスレチックや網の登り枠が公園に増えたとき、その形の背後には、エムドルップの廃材の山から始まった思想が流れ込んでいる。
7. 安全基準がつくった形——複合遊具からインクルーシブ遊具へ
1970年代以降、遊具の形を決める主体は、体操家でも彫刻家でも市民運動でもなく、安全基準と規格になった。本節では、まず安全基準の成立史を年表で整理し、それがデッキ型の複合遊具という形を生んだ経緯を述べ、最後に1990年代以降のユニバーサルデザインとバリアフリー法制から生まれたインクルーシブ遊具を扱う。
7.1 安全基準の成立——訴訟の国から規格の時代へ
遊具の安全が制度化された起点はアメリカである。1970年代、遊具事故をめぐる製造物責任訴訟が増え、消費者製品安全委員会(CPSC)は1981年に『公共遊び場安全ハンドブック』を刊行した。これは落下高さと衝撃吸収面、開口部の寸法、突起や挟み込みなどについて指針を示した最初の包括的文書とされる。1993年には米国材料試験協会(ASTM)が公共遊具の規格F1487を制定し、ヨーロッパでは1998年に欧州規格EN 1176が各国の規格を統一した。日本では、国土交通省が2002年(平成14年)3月に「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」を策定し、2008年・2014年の改訂を経て、2024年(令和6年)6月に改訂第3版が公表されている。同じ2002年には、遊具メーカーの業界団体である日本公園施設業協会が「遊具の安全に関する規準」を定め、以後の改訂とともに、規準に適合する製品への表示制度や、点検技術者の資格制度を運用している。
| 年 | 地域 | 出来事 |
|---|---|---|
| 1981 | アメリカ | 消費者製品安全委員会(CPSC)が公共遊び場安全ハンドブックを刊行 |
| 1993 | アメリカ | ASTM F1487(公共遊具の規格)制定 |
| 1998 | ヨーロッパ | 欧州規格 EN 1176 が各国の遊具規格を統一 |
| 2002 | 日本 | 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」策定/日本公園施設業協会「遊具の安全に関する規準」制定 |
| 2008・2014 | 日本 | 国土交通省指針の改訂(改訂版・改訂第2版) |
| 2024 | 日本 | 国土交通省指針 改訂第3版(令和6年6月) |
国土交通省の指針で重要なのは、「リスク」と「ハザード」の区別を明文化した点である。指針は、遊びの価値の一部であり子どもが予測し挑戦できる危険をリスク、子どもが予測できず遊びの価値と関係のない危険をハザードと呼び分け、除去すべきはハザードである、という立場をとる。これは第6節で見た冒険遊び場の思想が公的文書に取り込まれたものと読める。安全基準は「危険をすべて取り除く」ものではなく、「どの危険を残すか」を定義する文書なのである。なお、日本では1990年代末から2000年代初めにかけて、箱型のブランコや回転遊具の事故が社会的に注目され、多くの自治体で撤去や更新が進んだことが、指針策定の背景の一つとして知られる。
7.2 複合遊具——規格が生んだモジュールの形
安全基準は遊具の形を直接には指定しないが、落下高さの上限、衝撃吸収面の範囲、手すりや柵の高さ、開口部の寸法(頭や胴が挟まれない寸法)といった条件を課す。これらの条件をもっとも効率よく満たす形として、1970年代初頭のアメリカで商品化されたのが、支柱とデッキを基本単位とし、そこに滑り台・階段・網・トンネル・渡り橋を取り付けていく「ポスト・アンド・デッキ」型の複合遊具である。この形は、第5節のダットナーらが唱えた「連続した遊びの環境」の理念を、規格に適合する量産部品で実現したものといえる。デッキ高さを一定以下に抑えれば落下高さの条件を満たし、デッキ周囲に柵を回せば手すりの条件を満たし、部品を組み替えれば敷地の広さに合わせられる。子どもの側から見れば、途切れず移動できる楽しさがあり、管理者から見れば、点検項目が部品ごとに定型化できる。複合遊具が1980年代以降、日本を含む各国の公園で主流になった理由は、この「規格との相性のよさ」にある。
材料もこの時期に変わった。鋼管は粉体塗装や樹脂被覆で覆われ、滑り台の滑走面はステンレスや樹脂へ、デッキ床は滑りにくい鋼板や樹脂へ、地面はゴムチップ舗装などの衝撃吸収材へと移った。スプリング遊具(動物などの形の座面をばねで支える遊具)は、1970年にデンマークで発売されたものが広く知られ、幼児向けの定番として複合遊具の脇に置かれるようになった。デザイン史的に見れば、複合遊具の時代は「匿名の形の時代」である。誰か一人のデザイナーの意図ではなく、規格・製造・管理の三者の要求が折り合った結果として、世界中の公園に似た形が並ぶようになった。フォーティの言う社会の要求が形を決める過程の、教科書的な例である。
7.3 インクルーシブ遊具——「誰のための形か」の再定義
1990年代以降、遊具のデザインに新しい問いが加わった。「その遊具は誰が使えるのか」である。背景には、建築家ロナルド・メイスが1985年に提唱した「ユニバーサルデザイン」(改造や特別な設計なしに、できるだけ多くの人が使えるようにする設計思想。1997年に7原則が整理された)と、1990年のアメリカ障害者法(ADA)がある。ADAに基づき、2000年には遊び場に関するアクセシビリティ指針が公表され、遊び場への経路・デッキへの到達・車いすで使える遊びの要素の割合などが定められた。日本では2006年(平成18年)のバリアフリー法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)により、都市公園にも移動等円滑化基準が設けられ、園路・出入口・トイレなどの整備が求められるようになった。
インクルーシブ遊具は、この流れのなかで2010年代以降に日本でも広まった呼び名である。形の特徴としては、(1)スロープで車いすのまま上がれる低いデッキ、(2)背もたれとベルトのあるバケット型ブランコや、複数人で乗れる皿型ブランコ、(3)地面の高さで遊べる砂遊び台や音・触感の遊具(感覚遊具)、(4)介助者が並んで入れる幅、(5)休める場所とわかりやすい表示、が挙げられる。重要なのは、インクルーシブ遊具が「障害のある子ども専用の遊具」ではなく、「同じ遊具で一緒に遊べること」を目的とする点であり、その意味でこれは第4節以来の「大人が目的を形に翻訳する」歴史の最新の章である。同時に、高齢者向けの健康遊具が公園に増えたことも、利用者の範囲を子どもから全世代へ広げるという点で、広義の同じ流れに位置づけられる。
8. 磐田市の公園への示唆——遊具名を系譜で読む
本節では、前節までの六つの系譜を、磐田市の公園に当てはめて読む。用いる資料は、当サイトが整理した磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(94行)と、市の施設ガイド(公園)に個別ページのある77園の「園内施設」欄の記載である。当サイトが収録する100園のうち、オープンデータで「遊具有」とされるのは64園、「砂場有」は43園である。ここで行うのは、施設ガイドに書かれた遊具の名前を系譜に振り分ける机上の作業であり、設置年代・製造者・材料・更新履歴といった、見なければ分からない事柄には踏み込まない。当サイトの現地踏査はこれから始まる。
8.1 六つの系譜が同じ市内に重ね置きされている
施設ガイドの遊具名を系譜に振り分けると、六つの系譜のすべてが磐田市内に見出せる。第一に体操器具の系譜。市の施設ガイドには、一番町公園(見付・街区公園)に「ブランコ、滑り台、ジャングルジム、鉄棒、雲梯、砂場、トイレ」とあり、鉄棒と雲梯という19世紀ドイツ由来の器具が、遊び場運動由来のブランコ・滑り台・ジャングルジム・砂場と同じ敷地に並ぶ、系譜の重ね置きの典型例である。鉄棒は富士見公園・城之崎公園・丸山公園・京見塚公園・中央公園など多くの園に記され、雲梯はつつじ公園・豊田原新田公園・竜洋袖浦公園・獅子ヶ鼻公園に、のぼり棒は竜洋袖浦公園に、平均台は豊田赤池高見公園と豊田天竜川わんぱく広場に記されている。
第二に遊び場運動の系譜。只来下公園(見付・街区公園・458㎡)の「ブランコ、滑り台、ジャングルジム、シーソー」、南御厨西公園と南御厨東公園(御厨・街区公園)の「ブランコ、滑り台、ジャングルジム、砂場」、めがねばし公園(見付)の「ブランコ、滑り台、砂場」は、第4節で見た児童公園の標準構成——ブランコ・滑り台・砂場にジャングルジムを加えた顔ぶれ——がそのまま残っている例である。回転遊具は豊田池田上新田公園と豊田池田の渡し公園に、回転ジムは兎山公園と竜洋袖浦公園に記されている。
第三に造形的遊び場の系譜。竜洋川袋公園(竜洋・街区公園)には「築山、ジャンボ滑り台、複合遊具」、福田ふるさと公園(福田)には「築山」、葦間公園(見付)には「コンクリート遊具」、旭ヶ丘公園と久保公園(中泉)には「太鼓橋」とある。国府台西公園(中泉)の「飛行機型ジャングルジム」と竜洋袖浦公園の「ジェット飛行機」は、格子のジャングルジムに乗り物の形を与えた造形で、遊び場運動の器具が造形的遊び場の影響を受けた例と読める。浜部農村公園(南部)の「木製ピラミッド」も同様である。
8.2 木・ロープ・ネットの遊具と、複合遊具の広がり
第四に、冒険遊び場の系譜が固定遊具に翻訳された形。木製アスレチック遊具は豊田原新田公園・豊田熊野記念公園・浜部農村公園・獅子ヶ鼻公園(「丸太くぐり、壁のぼり等」)に、ターザンロープは兎山公園・豊田原新田公園・獅子ヶ鼻公園に、ザイルクライムは兎山公園と竜洋袖浦公園に、ネットクライムはつつじ公園・向荒子公園・豊田赤池高見公園・豊田森下水神公園・浜部農村公園・竜洋袖浦公園に記されている。木・ロープ・網という材料は、子どもが自分の身体で判断しながら渡る「挑戦の余地」を残す要素であり、第6節で述べた冒険遊び場の遺産に連なる。
第五に、安全基準の系譜としての複合遊具。市の施設ガイドで「複合遊具」と記される園は、今之浦公園・つつじ公園・向荒子公園・西山第1公園・豊田本郷公園・豊田東原梅ノ木公園・豊田加茂公園・豊田森下水神公園・豊田熊野記念公園・豊田ラブリバー公園・竜洋川袋公園・竜洋十束公園・竜洋袖浦公園・竜洋豊岡公園・福田第1公園・北川瀬公園(「鉄製複合遊具」)・クリーンセンター公園・安久路公園と、地区をまたいで多い。竜洋十束公園の記載「大波ワイドスライダー、ネットわたり、リングトンネル、ウェーブスライダー、ワイドネットクライム」は、デッキを軸に滑り台・網・トンネルを取り付けるポスト・アンド・デッキ型の構成をよく示している。ローラー滑り台(さわやか広場・兎山公園・豊田天竜川わんぱく広場・豊田原新田公園・豊田ラブリバー公園)と、多くの園に記されるスプリング遊具・幼児用滑り台も、この時代の製品ラインに属する。
第六に、インクルーシブ遊具の系譜。市の施設ガイドには、安久路公園(御厨・地区公園・32,001㎡)に「複合遊具(インクルーシブエリアあり)、ブランコ(インクルーシブアイテムあり)、幼児用遊具、クロッキング遊具、砂場、サッカーゴール、トイレ(多目的トイレ)、流れ」とあり、当サイトが把握する限り、磐田市の施設ガイドで「インクルーシブ」の語が明記された唯一の園である。また今之浦公園には「3歳未満児遊具」と「健康遊具」が、北川瀬公園・中泉グリーンパーク・二子塚公園・磐田ららシティ公園・豊田原新田公園・豊田東原梅ノ木公園には「健康遊具」が記され、利用者の範囲を幼児と高齢者へ広げる第7節の流れが読み取れる。オープンデータで車いす対応トイレ「有」は34園である。
| 系譜 | 施設ガイドに記された遊具名の例 | 例となる園(地区) |
|---|---|---|
| 体操器具 | 鉄棒・雲梯・のぼり棒・平均台 | 一番町公園(見付)・豊田原新田公園(豊田)・竜洋袖浦公園(竜洋) |
| 遊び場運動 | ブランコ・滑り台・ジャングルジム・シーソー・砂場・回転遊具 | 只来下公園(見付)・南御厨西公園(御厨)・豊田池田上新田公園(豊田) |
| 造形的遊び場 | 築山・コンクリート遊具・太鼓橋・飛行機型ジャングルジム | 竜洋川袋公園(竜洋)・葦間公園(見付)・国府台西公園(中泉) |
| 冒険遊び場の翻訳 | 木製アスレチック・ターザンロープ・ザイルクライム・ネットクライム | 獅子ヶ鼻公園(豊岡)・兎山公園(御厨)・浜部農村公園(南部) |
| 安全基準と複合遊具 | 複合遊具・ローラー滑り台・スプリング遊具・幼児用滑り台 | 竜洋十束公園(竜洋)・今之浦公園(見付)・豊田ラブリバー公園(豊田) |
| インクルーシブ | インクルーシブエリア・インクルーシブアイテム・健康遊具・3歳未満児遊具 | 安久路公園(御厨)・今之浦公園(見付)・二子塚公園(御厨) |
8.3 何が言え、何が言えないか——踏査への申し送り
この読みから言えるのは、磐田市の公園が、面積の小さな街区公園(51園)に遊び場運動の標準構成と体操器具を残しつつ、近隣公園・地区公園以上の規模の園に複合遊具・木製アスレチック・インクルーシブ遊具といった新しい系譜を重ねてきた、という大づかみの構図である。地区別に見ると、園数のもっとも多い豊田(28園)と見付(21園)に複合遊具の記載も多く、竜洋(13園)にはネットや大型スライダーをもつ複合遊具の記載が目立つが、これは園数と規模の分布を反映した見え方であり、地区ごとの遊具方針の違いを示すものかどうかは、この資料だけでは判断できない。
一方、この資料からは言えないのは、それぞれの遊具がいつ設置され、どの材料でできており、いつ更新されたか、そして子どもが実際にどう使っているかである。遊具名が同じでも、1980年代の鋼製の複合遊具と2020年代の樹脂被覆の複合遊具では形も安全性も異なるし、施設ガイドの記載が現状と一致しているかも確かめる必要がある。当サイトは今後の踏査で、遊具ごとに(1)系譜上の位置、(2)材料と表面の状態、(3)対象年齢表示や注意表示の有無、(4)衝撃吸収面の有無、(5)バケット型ブランコや車いすで到達できるデッキの有無を記録し、本節の机上の分類を現地で確かめていく。
9. 結論と今後の課題
本稿は、公園の遊具をデザイン史の対象として位置づけ、その形が生まれた経緯を六つの系譜——体操器具・遊び場運動・造形的遊び場・冒険遊び場・安全基準と複合遊具・インクルーシブ遊具——に整理して辿った。第1節で立てた三つの問いに答える形で結論を述べる。
9.1 三つの問いへの答え
第一の問い、遊具はいつ・どこで・誰の・どのような目的から生まれたか。鉄棒と雲梯と登り棒は18世紀末から19世紀初頭のドイツで体操家グーツムーツとヤーンが鍛錬のために整えた器具に発し、学校体育を経て日本の公園に降りた。砂場・ブランコ・滑り台・シーソーは19世紀末から20世紀初頭のアメリカの遊び場運動が都市の子どもの保護と教化のために揃え、ジャングルジムは1920年に弁護士ヒントンが数学者の父の着想を鋼管で製品化した。築山とコンクリート遊具は1930年代以降にノグチらの彫刻家・建築家が遊びを生む地形として構想し、冒険遊び場は1931年のセーレンセンの提案と1943年のエムドルップから始まって遊具を「つくらない」ことを選び、複合遊具は1970年代以降の安全基準に適合する量産の形として、インクルーシブ遊具は1990年代以降のユニバーサルデザインと法制のもとで生まれた。
第二の問い、形の変化を駆動したものは何か。答えは時代ごとに異なる。19世紀は体育と国民形成の思想、20世紀初頭は社会改良と量産技術、戦後は芸術家の構想と都市デザイン、1970年代以降は事故・訴訟・規格、1990年代以降は障害当事者の運動と法制度である。共通するのは、いずれも「大人の目的が形に翻訳された」という点であり、遊具の形は子どもの遊びから自然に導かれたものではない。ただし第2節と第6節で見たように、子どもの遊びは設計者の意図をしばしば超えて器具を使い直し、その「ずれ」自体が次の系譜(造形的遊び場、冒険遊び場)を生む契機となってきた。
第三の問い、系譜は公園のなかでどう重ね置きされているか。第8節で見たとおり、磐田市の施設ガイドの遊具名には六つの系譜すべてが見出せ、しかも一番町公園のように、鉄棒・雲梯(体操器具)とブランコ・滑り台・ジャングルジム・砂場(遊び場運動)が同じ街区公園に並ぶ。公園は、後の系譜が前の系譜を置き換える場ではなく、時代の異なる形が積み重なる場である。この「系譜の重ね置き」という見方は、一つの公園の遊具構成を、単なる設備一覧としてではなく、その公園が経てきた時代の層として読む手がかりになる。
9.2 本稿の限界
本稿には三つの限界がある。第一に、資料を確実な文献と年号に限ったため、日本の遊具メーカーごとの製品史、自治体ごとの仕様の変遷、個々の遊具の設置年といった、遊具史の細部には踏み込めていない。とくに日本国内で複合遊具やローラー滑り台やスプリング遊具がいつ、どのように普及したかは、業界資料と自治体資料に基づく今後の研究課題である。第二に、本稿は形の歴史を扱い、子どもがその形をどう使っているかという利用の実態は扱っていない。これは発達心理学・生態心理学・文化人類学の隣接論文に委ねる。第三に、磐田市についての記述は施設ガイドとオープンデータの記載に基づく机上の分類であり、現地の確認を経ていない。加えて、本稿は欧米と日本の系譜に限って述べており、他の地域の遊び場の歴史や、幼稚園・保育所・学校の遊具といった公園以外の場の遊具史は扱っていない。これらは公園の遊具史を相対化するうえで欠かせない比較対象であり、別稿を要する。
9.3 今後の課題
今後の課題は、当サイトの踏査と結びつけて三つ挙げられる。第一に、踏査で遊具ごとに系譜上の位置・材料・表示・衝撃吸収面・インクルーシブ要素を記録し、第8節の表を現地の観察で更新すること。第二に、遊具の更新にあたって、どの系譜の形を残しどの系譜を新たに重ねるかは、単なる設備の選択ではなく、その公園を「どのような遊びの場にするか」という選択であることを、行政と地域に向けて言葉にすること。安全基準の時代の複合遊具が主流になった今こそ、体操器具の無表情な鍛錬の形、造形的遊び場の地形、冒険遊び場のルース・パーツといった別の系譜の価値を、意識的に検討する意味がある。第三に、遊具の歴史を子どもと保護者に伝える読みものへ翻訳することである。鉄棒がドイツの体操場から来たこと、ジャングルジムが四次元を考えた数学者の竹の格子から来たこと、砂場がベルリンの砂の山から来たことを知れば、いつもの公園の見え方は少し変わる。デザイン史の役目は、当たり前に見える形の来歴を明らかにし、次の形を選ぶ自由を私たちに返すことにある。
参考文献
- J・C・F・グーツムーツ(1793)『Gymnastik für die Jugend(青少年のための体操)』(Schnepfenthal)
- F・L・ヤーン、E・アイゼレン(1816)『Die Deutsche Turnkunst(ドイツ体操術)』(Berlin)
- Sebastian Hinton, U.S. Patent 1,471,465 「Climbing Structure」(1920年出願・1923年成立)
- スーザン・G・ソロモン(2005)『American Playgrounds: Revitalizing Community Space』(University Press of New England)
- イサム・ノグチ(1968)『A Sculptor's World』(Harper & Row。邦訳『ある彫刻家の世界』小倉忠夫訳、美術出版社、1969)
- レディ・アレン・オブ・ハートウッド(1968)『Planning for Play』(Thames & Hudson。邦訳『都市の遊び場』大村虔一・大村璋子訳、鹿島出版会、1973)
- C・Th・セーレンセン(1931)『Parkpolitik i Sogn og Købstad(教区と都市の公園政策)』(Copenhagen)
- リチャード・ダットナー(1969)『Design for Play』(Van Nostrand Reinhold)
- サイモン・ニコルソン(1971)「How NOT to Cheat Children: The Theory of Loose Parts」Landscape Architecture, 62(1)
- リアーヌ・ルフェーヴル、アレクサンダー・ツォニス(1999)『Aldo van Eyck: Humanist Rebel』(010 Publishers)
- 仙田満(1992)『子どもとあそび——環境建築家の眼』(岩波新書)
- ヨハン・ホイジンガ(1938)『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳、中公文庫、1973)
- ロジェ・カイヨワ(1958)『遊びと人間』(多田道太郎・塚崎幹夫訳、講談社学術文庫、1990)
- ニコラウス・ペヴスナー(1936)『モダン・デザインの展開——モリスからグロピウスまで』(白石博三訳、みすず書房、1957)
- エイドリアン・フォーティ(1986)『欲望のオブジェ——デザインと社会 1750-1980』(高島平吾訳、鹿島出版会、1992)
- U.S. Consumer Product Safety Commission(1981)『A Handbook for Public Playground Safety』(現行版は『Public Playground Safety Handbook』)
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 一般社団法人日本公園施設業協会「遊具の安全に関する規準」(2002年制定・以後改訂)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。