生命・健康・心理・教育発達心理学

ピアジェとヴィゴツキーの公園——感覚運動期から象徴遊び・ルール遊びへの発達段階と遊具

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:発達心理学 公開・更新 2026-08-17 本文 約20,532字 読了目安 37分

要旨

本稿の目的は、発達心理学の古典的な理論を公園という具体的な場所に照らし、子どもが遊具・砂場・広場で何をしているのかを「発達」の言葉で読み解くことである。手がかりとするのは三つの理論群である。第一に、スイスの心理学者ジャン・ピアジェが示した認知発達の段階(感覚運動期・前操作期・具体的操作期)と、それに対応する遊びの三分類(練習遊び・象徴遊び・規則遊び)。第二に、ソビエトの心理学者レフ・ヴィゴツキーが提起した「発達の最近接領域」の概念と、遊びを発達の源泉とみる見方。第三に、アメリカの心理学者ミルドレッド・パーテンが幼児の自由遊びの観察から導いた社会的参加の分類(一人遊び・傍観・並行遊び・連合遊び・協同遊び)である。

方法は文献整理と概念分析である。第3節ではピアジェの段階論と遊びの分類を、公園の遊具・砂場・広場での典型的な行動に対応づける。第4節では公園の主要な設備を、それが主に支える遊びの型と発達段階の観点から分類表にまとめる。第5節ではヴィゴツキーの発達の最近接領域と遊び論を、公園でのごっこ遊びと、大人や年長児による援助のあり方に適用する。第6節ではパーテンの分類を、砂場・遊具の順番待ち・広場の集団遊びの場面で検討する。第7節では段階論への批判——個人差・文化差・一人遊びの評価をめぐる議論——に応答し、あわせて年齢と発達段階を単純に同一視することの危うさを論じる。

結論として、公園は感覚運動期の探索から象徴遊び、そして規則遊びへと連なる発達の道筋を、遊具・砂場・広場という設備の違いによって同時に受け止めている場所であり、その道筋を知ることは保護者の見守りを「禁止」から「足場かけ」へ変える手がかりになる、と本稿は主張する。最後に、磐田市の都市公園100園(街区公園51園・遊具有64園・砂場有43園)について、市の施設ガイドに記載された幼児用遊具や多目的広場の分布から、年齢ごとにどの設備がどの遊びを支えうるかを見通し、当サイトの今後の踏査で確かめるべき観察課題を示す。

キーワードピアジェヴィゴツキー発達の最近接領域象徴遊びパーテンの社会的遊び見守り磐田市

1. はじめに——問題の所在

砂場で一歳児が砂を握っては落とし、握っては落としている。その横で三歳児がプリンの空き容器で「ケーキ」を作り、母親に「どうぞ」と差し出している。少し離れた広場では小学生の一団が、線を引いて陣地を決め、鬼を交代しながら走り回っている。同じ公園、同じ午後の光景であるが、この三つの遊びは発達心理学の目には、まったく異なる段階の営みとして映る。砂を落とし続ける行為は身体と物との関係を確かめる「練習」であり、空き容器をケーキに見立てる行為は「あるものを別のものとして扱う」象徴の働きであり、陣地と鬼を決めて走る行為は仲間と共有された「規則」に従う遊びである。発達心理学は、この違いを言葉にし、子どもが次にどこへ向かうのかを見通すための学問である。

本稿が手がかりとするのは、二十世紀の発達心理学を代表する三つの理論群である。第一はスイスの心理学者ジャン・ピアジェ(1896〜1980)の認知発達段階論と、それに対応する遊びの三分類である。ピアジェは、子どもの知能は生まれつき完成しているのでも外から注ぎ込まれるのでもなく、環境に働きかけ、その結果を取り込むことによって段階的に構成されると考えた。第二はソビエトの心理学者レフ・ヴィゴツキー(1896〜1934)の「発達の最近接領域」の概念と、遊びを発達の源泉と見る立場である。第三はアメリカの心理学者ミルドレッド・パーテンが1932年に発表した、幼児の自由遊びにおける社会的参加の分類である。三者はいずれも公園を論じたのではない。しかし公園は、子どもが自発的に環境へ働きかけ、仲間と出会い、想像の世界を立ち上げる場所であり、三つの理論を同時に検証できる稀有な現場である。

1.1 問い

本稿の問いは三つある。第一に、ピアジェの発達段階と遊びの分類は、公園の遊具・砂場・広場で観察される子どもの行動にどのように対応するのか。ブランコ・滑り台・複合遊具・砂場・原っぱといった設備の違いは、それぞれ異なる段階の遊びを支えているのではないか。第二に、ヴィゴツキーの言う「発達の最近接領域」——一人ではできないが援助があればできる領域——は、公園という場所でどのように現れ、保護者や年長の子どもはそこでどのような役割を果たしうるのか。第三に、パーテンの社会的遊びの分類は、公園の砂場や順番待ちや集団遊びの場面をどう腑分けし、保護者の見守りにどのような示唆を与えるのか。これらは公園を「発達の場」として理解しようとする保護者・保育や教育の関係者・公園を管理する行政の三者に共通する問いである。

握って落とす見立てる順番を待つ規則で走る
図1同じ公園の午後に、練習遊び・象徴遊び・規則遊びが同時に営まれている。本稿はこの違いを発達心理学の言葉で読み解く。

1.2 方法と構成

方法は文献整理と概念分析である。本稿は新しい観察データを提示するものではなく、確実に知られている古典的理論を整理し、それを公園という具体的な場所に照らすことで、これから公園で子どもを見守り、あるいは観察しようとする人のための「見方の枠組み」を用意することを目指す。発達心理学の知見の多くは実験室や保育室で得られたものであり、公園という開かれた屋外空間にそのまま当てはまるかどうかは慎重に扱う必要がある。本稿はその点を隠さず、公園固有の条件——設備が固定されていること、異年齢が混在すること、保護者が同席することが多いこと——を随所で考慮する。

構成は次のとおりである。第2節で三つの理論群と関連する概念を整理する。第3節でピアジェの段階論と遊びの分類を公園の行動に対応づけ、第4節で公園の設備を遊びの型と発達段階の観点から分類表にまとめる。第5節でヴィゴツキーの発達の最近接領域と遊び論を公園に適用し、第6節でパーテンの分類を公園の場面で検討する。第7節では段階論への批判に応答し、年齢と段階を単純に同一視することの危うさを論じる。第8節で磐田市の公園100園への示唆を、0〜7歳の年齢ごとの見守りの目安とともに述べ、第9節で結論と今後の課題をまとめる。なお本稿が扱う磐田市の事実は、市のオープンデータと市の施設ガイドに記載のあるものに限る。当サイトの現地踏査はこれからであり、遊びの実際の観察は今後の課題である。

1.3 なぜ発達心理学か

公園の遊びを論じる学問は多い。文化人類学は遊びが社会によってどう異なる形をとるかを問い、生態心理学は環境が行為をどう「誘う」かを問い、スポーツ科学は運動能力の獲得を問う。発達心理学の固有の関心は、子どもの内側で何が育ちつつあるのか、そしてその育ちに周囲の環境と人がどう関われるのかにある。この視点は、保護者が日々公園で直面する具体的な問いに直結する。「うちの子はまだ一人で遊んでいるが大丈夫か」「なぜ何度も同じ滑り台を繰り返すのか」「いつになったら順番が守れるのか」——これらはいずれも発達段階の問いである。本稿は、こうした問いに断定的な答えを与えるのではなく、問いを整理し、見守りの手がかりを提供することを目指す。発達には大きな個人差があり、気になることがあれば保健や医療の専門機関に相談することが前提であることを、あらかじめ断っておく。

註:本稿で「年齢」を示すときは、ピアジェやパーテンが挙げた「おおよその目安」としての年齢であり、その年齢に達したら必ずその段階にいるという意味ではない。第7節で詳しく論じるように、段階論の年齢はあくまで平均的な傾向であり、個人差と環境の差を含んで読むべきものである。

2. 先行研究と概念の整理

本節では、本稿が用いる主要な理論と概念を、確実に知られている範囲で整理する。発達心理学において遊びは長く周辺的な主題であったが、二十世紀前半にピアジェ、ヴィゴツキー、パーテンがそれぞれ独立に遊びを正面から扱い、その後の研究の枠組みを作った。三者の仕事は互いに異なる問いから出発している。ピアジェは「遊びは知能の発達の中でどんな位置を占めるか」を、ヴィゴツキーは「遊びは発達をどのように先導するか」を、パーテンは「子どもは遊びの中でどのように仲間と関わるようになるか」を問うた。

2.1 ピアジェの認知発達段階と遊びの三分類

ピアジェは、子どもの知能が質的に異なるいくつかの段階を順に通って発達すると考えた。おおまかには、生後から二歳頃までの感覚運動期、二歳頃から七歳頃までの前操作期、七歳頃から十一歳頃までの具体的操作期、それ以降の形式的操作期である。感覚運動期の子どもは、見る・触る・口に入れる・落とすといった感覚と運動を通じて世界を知る。この時期の終わりに、目の前から消えた物もどこかに存在し続けるという「対象の永続性」の理解が確かになる。前操作期には、言葉やイメージによって目の前にない物や出来事を心の中に表す「象徴機能」が現れる。ただしこの時期の思考は見かけに左右されやすく、自分の視点から離れにくい(ピアジェはこれを「自己中心性」と呼んだ)。具体的操作期になると、量や数が形を変えても保たれるという「保存」の理解や、物事を分類し順序づける論理的な操作が、具体的な事物についてはできるようになる。

ピアジェは『遊びの心理学』(原著1945年)で、この段階論と対応させて遊びを三つに分類した。第一は練習遊び(機能的遊びとも訳される)で、感覚運動期に優勢な、身体の動きや物への働きかけそのものを喜ぶ遊びである。何度も物を落とす、繰り返し滑る、走り回る、といった行為がこれにあたる。第二は象徴遊びで、前操作期に優勢な、あるものを別のものに見立て、ないものをあるかのように扱う遊びである。ごっこ遊びやふり遊びがその典型である。第三は規則遊びで、具体的操作期に近づくにつれて優勢になる、仲間と共有された規則に従って進める遊びである。鬼ごっこ、球技、盤上のゲームなどがこれにあたる。ピアジェは、遊びを「同化」——外界を自分の既存の枠組みに取り込む働き——が優位な活動と位置づけ、外界に合わせて自分の枠組みを変える「調節」が優位な模倣と対比した。

2.2 ヴィゴツキーの発達の最近接領域と遊び

ヴィゴツキーは『思考と言語』(1934)などで、子どもの発達を個人の内側の成熟としてではなく、大人や仲間との社会的な相互作用の中で起こる過程として描いた。その中心概念が発達の最近接領域である。これは、子どもが一人で解決できる水準と、大人の援助や有能な仲間との協同のもとで解決できる水準とのあいだの隔たりを指す。ヴィゴツキーは、教育や援助は既に完成した発達を追いかけるのではなく、この領域に働きかけて発達を先導すべきだと論じた。

遊びについては、1933年の講義「子どもの心理発達における遊びとその役割」で独自の見方を示した。ヴィゴツキーによれば、幼児の遊びの本質は「想像上の状況」を作り出すことにあり、想像上の状況にはつねに規則が含まれ、逆に規則のある遊びにはつねに想像上の状況が隠れている。母親ごっこをする子どもは「母親らしく振る舞う」という規則に自ら従い、その規則によって自分の直接の欲求を抑えることを学ぶ。ここから彼は、遊びの中で子どもは自分の平均的な年齢や日常の振る舞いを超え、あたかも自分より頭一つ大きくなったかのように行動する、と述べ、遊びそのものが発達の最近接領域を作り出すと論じた。この見方は後継のエリコニンやレオンチェフに引き継がれ、就学前期の遊びを発達の「主導的活動」とみなす立場へ発展した。

段階遊びの三分類援助でできる仲間との関わり
図2ピアジェは段階と遊びの型を、ヴィゴツキーは援助によって広がる領域を、パーテンは仲間との関わり方を、それぞれ遊びの中に見た。

2.3 パーテンの社会的参加の分類

パーテンは1932年の論文で、保育施設の幼児の自由遊びを観察し、遊びへの社会的な参加の仕方を六つに分類した。何をするでもなくぶらぶらしている何もしていない行動、他の子の遊びを見ているが加わらない傍観、他の子と離れて一人で遊ぶ一人遊び、他の子のそばで似た遊びをするが関わりはない並行遊び、他の子と関わり物の貸し借りなどをするが共通の目標はない連合遊び、役割分担や共通の目標のもとに組織された協同遊びである。パーテンは、年齢が上がるにつれて一人遊びや並行遊びが減り、連合遊びや協同遊びが増える傾向を報告した。この分類は「社会的遊びの発達段階」として広く知られているが、後述するように、必ずしも直線的な段階として読むべきものではない。

2.4 関連する概念

本稿では、上記三者に加えていくつかの概念を補助的に用いる。ウッド、ブルーナー、ロスが1976年の論文で提唱した足場かけ(スキャフォールディング)は、大人が子どもの課題遂行を一時的に支え、できるようになるにつれて支えを外していく援助のあり方を指し、ヴィゴツキーの最近接領域と結びつけて論じられることが多い。スミランスキーは1968年の研究でピアジェの三分類に構成遊び——砂や積み木で何かを作る遊び——を加え、四分類とした。ルービンらは1976年に、パーテンの社会的分類とピアジェ=スミランスキーの認知的分類を組み合わせた観察の枠組みを示し、その後の遊び観察研究の標準的な方法の一つとなった。またエリクソンの心理社会的発達段階(自律性、自主性、勤勉性など)とウィニコットの「移行対象」や「遊ぶこと」の概念にも必要に応じて触れる。

エリクソンは『幼児期と社会』(1950)で、発達の各時期に固有の心理社会的な課題を描いた。公園の年齢に重なるのは、自分の身体と意志で動くことをめぐる「自律性」の時期(おおよそ1〜3歳)、自分から企てを始めることをめぐる「自主性」の時期(およそ3〜6歳)、そして技能の獲得と達成をめぐる「勤勉性」の時期(学齢期)である。滑り台の階段を自分で登りたがる一歳児、ごっこの筋書きを次々に発案する四歳児、逆上がりの練習を繰り返す小学生は、それぞれの課題に取り組む姿として読める。ウィニコットが『遊ぶことと現実』(1971)で述べた、遊びは自分の内側の世界と外側の現実のあいだの「中間領域」で起こるという見方は、砂場の見立て——砂という現実の素材に想像を重ねる営み——の記述に示唆を与える。本稿の主軸は前記三者に置くが、これらの概念は公園の遊びの情緒的な側面を補う。

註:本節で示した年齢はいずれもピアジェやパーテンが挙げたおおよその目安である。日本の「幼稚園教育要領」「保育所保育指針」(いずれも平成29年告示)は、遊びを幼児期の学びの中心に据える点で本稿の関心と重なるが、特定の理論に依拠する形式はとっていない。

3. ピアジェの段階論を公園に当てはめる

本節では、ピアジェの三つの段階と遊びの三分類(スミランスキーの構成遊びを加えれば四分類)を、公園で観察される典型的な行動に対応づける。あらかじめ強調しておきたいのは、段階と遊びの型は「切り替わる」のではなく「積み重なる」ということである。規則遊びの年齢になった子どもも走り回ることを楽しむし、大人でさえブランコの揺れを心地よく感じる。優勢な遊びの型が移り変わるのであって、古い型が消えるのではない。

3.1 感覚運動期——公園は感覚と運動の実験室である

生後から二歳頃までの感覚運動期の子どもにとって、公園は家庭の中では得られない感覚と運動の素材に満ちた場所である。砂の冷たさとざらつき、芝生の感触、木漏れ日のちらつき、風の音。ベビーカーの中から外を眺める段階でも、子どもは視覚と聴覚を通じて外界の規則性を取り込んでいる。座位が安定し、はいはいや伝い歩きが始まると、公園の地面そのもの——土、砂、芝生——が探索の対象になる。砂場でこの時期の子どもが見せる「握っては落とす」「容器に入れてはあける」という繰り返しは、ピアジェの言う循環反応、すなわち偶然生じた面白い結果を意図的に再現しようとする行為の典型である。子どもは砂を落とすたびに、自分の手の動きと砂の振る舞いとの因果関係を確かめている。

この時期の遊具としては、保護者が支えて乗せるバケット型のブランコや、座面の低いスプリング遊具が挙げられる。揺れやバウンドは前庭感覚——身体の傾きや加速を感じる感覚——への刺激であり、子どもが繰り返しせがむのは、この感覚と「揺らしてもらう」という社会的なやりとりの両方を楽しんでいるからだと解釈できる。感覚運動期の終わり近くには、目の前から消えた物を探す行動が確かになる。砂に埋めたスコップを掘り出す遊びや、遊具の柱の陰から顔を出す「いないいないばあ」の変形が成立するのは、対象の永続性の理解が育っている証拠である。

感覚運動期砂の探索揺れの感覚握って落とす
図3感覚運動期の子どもにとって公園は感覚と運動の実験室であり、砂場の繰り返し行動は因果関係を確かめる循環反応である。

3.2 前操作期——見立てとごっこの舞台としての公園

二歳頃から、遊びの主役は象徴遊びに移っていく。象徴遊びの核心は「あるものを別のものとして扱う」ことである。砂場のプリン容器は型抜きの道具であると同時にケーキになり、砂団子はごちそうになり、滑り台の下の空間は家になり、複合遊具のデッキは船にも城にもなる。ピアジェは象徴遊びを、現実を自分の枠組みに引き寄せて作り変える同化の優位な形とみなし、子どもが現実の経験——嬉しかったことも怖かったことも——を遊びの中で再現し消化する働きを認めた。

公園が象徴遊びに提供するものは二つある。第一に、形の定まらない素材である。砂・水・落ち葉・小枝・どんぐりは、決まった用途を持たないがゆえに何にでも見立てられる。市の施設ガイドの園内施設欄に「砂場」とある公園が磐田市に多いことは第8節で述べるが、砂場は象徴遊びと後述の構成遊びの両方を支える設備である。第二に、舞台となる構造物である。複合遊具のデッキ、東屋、築山、木の根元といった「囲われた場所」「高い場所」は、ごっこの舞台に転用されやすい。前操作期の後半になると、見立ては一人の頭の中の出来事から仲間と共有される筋書きへ発展し、役割のあるごっこ遊び(社会的ごっこ遊び)になる。これはパーテンの分類の連合遊びから協同遊びへの移行と重なる現象であり、第6節で改めて扱う。

3.3 具体的操作期への移行——規則遊びと広場

五歳から七歳にかけて、遊びの中で規則の占める比重が増していく。鬼ごっこには「鬼にタッチされたら交代」という規則があり、かくれんぼには「見つかったら終わり」という規則があり、じゃんけんには勝敗の規則がある。ピアジェは規則遊びを、自己中心性を脱して他者の視点を取り込み、共有された約束に従う能力の現れとみなした。彼が別の著作で論じた規則の意識の発達——規則を大人から与えられた絶対のものと見る段階から、仲間どうしの合意で変えられるものと見る段階へ——も、公園の遊びで観察しうる。「今日は高鬼にしよう」「ここはバリアね」と規則をその場で作り変える交渉は、規則遊びが十分に成熟した姿である。規則をめぐるもめごと——ずるいという抗議、規則の解釈の食い違い——は、大人の目には遊びの失敗と映りやすいが、ピアジェの枠組みでは、他者の視点と自分の視点をすり合わせる思考の運動そのものであり、規則遊びの中身の一部である。

規則遊びが必要とする設備は、意外にも遊具ではなく「何もない広さ」である。鬼ごっこやかけっこ、ボールを使う遊びには、走り回れる広場や多目的広場が要る。遊具は一人でも遊べるが、規則遊びは仲間がいなければ成立しない。したがって規則遊びの世代にとって公園の価値は、遊具の豊富さよりも、仲間と出会える広さと、集まりやすい場所にあるかどうかで決まる面がある。この点は、遊具の有無だけで公園を評価することの限界を示しており、第4節の分類表と第8節の磐田市への示唆につながる。

註:スミランスキーが加えた構成遊び——砂や積み木で何かを作る遊び——は、練習遊びと象徴遊びの中間に位置づけられる。砂場で山やトンネルを作る遊びは、素材への働きかけという点では練習遊びの延長であり、「作品」という目標を持つ点でそれを超えている。構成遊びは幼児期を通じて長く続き、砂場が幅広い年齢に使われる理由の一つである。

4. 遊具と設備の発達心理学的分類

本節では、公園に置かれる主要な設備を、それが主に支える遊びの型と発達段階の観点から分類する。あらかじめ二つの限定を付す。第一に、この分類は「その設備はその年齢の子ども専用である」という意味ではない。同じ滑り台でも、一歳児は保護者に支えられて滑る感覚を楽しみ、四歳児は「お城からの脱出」という筋書きの一部として滑り、七歳児は鬼ごっこの経路として駆け上がる。設備が支える遊びは、使う子どもの発達段階によって変わる。第二に、遊具の対象年齢表示や安全上の使い方は、国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」および日本公園施設業協会の規準に整理されており、発達段階の議論はそれに代わるものではない。

4.1 分類表

設備主に支える遊びの型関わる発達の側面優勢になるおおよその時期
砂場練習遊び・構成遊び・象徴遊び感覚探索、道具の使用、見立て、並行遊びから連合遊びへ1歳頃から就学前まで幅広い
バケット型ブランコ・スプリング遊具練習遊び前庭感覚、姿勢の保持、大人とのやりとり0〜3歳頃
一般のブランコ練習遊び(漕ぐ技能の獲得)タイミングの協応、順番の理解3歳頃から学齢期
滑り台・幼児用滑り台練習遊び・象徴遊びの舞台登る・滑る運動の反復、高さへの挑戦1歳頃から学齢期
複合遊具練習遊び・象徴遊びの舞台経路の選択、ごっこの筋書き、挑戦の段階づけ2歳頃から学齢期
鉄棒・雲梯・ジャングルジム練習遊び(技の獲得)筋力・協応、できた・できないの自覚4歳頃から学齢期
広場・多目的広場・原っぱ規則遊び・運動遊び規則の共有と交渉、集団の組織化5歳頃から学齢期
築山・水辺・樹木などの地形練習遊び・象徴遊び・探索自然物の探索、見立ての素材全年齢

この表から読み取れることが三つある。第一に、砂場と滑り台と複合遊具は、複数の遊びの型にまたがる「幅の広い」設備である。とりわけ砂場は、感覚運動期の探索から構成遊び、象徴遊び、そして仲間との関わりの練習までを一つの場所で受け止める。第二に、発達段階が進むにつれて、遊びを支えるものは「遊具という物」から「広さと仲間という条件」へ移っていく。規則遊びの行にある通り、五歳以降の遊びの中心設備は広場であり、遊具はその補助になる。第三に、同じ型の遊びでも設備によって挑戦の水準が段階づけられている。幼児用滑り台と大型の滑り台、バケット型ブランコと一般のブランコの併置は、発達の連続性を設備の側で受け止める工夫と読める。

滑り台複合遊具広場段階づけ
図4設備は発達段階ごとに異なる遊びを支える。年齢が上がるほど、遊びの中心は遊具から広さと仲間へ移る。

4.2 同じ遊具の中の発達の階段

複合遊具は、この段階づけを一つの構造物の中に折りたたんだ設備である。低いデッキへの緩い階段、中程度のネットクライム、高いデッキへの垂直の梯子というように、同じ「登る」でも難度の異なる経路が並置され、子どもは自分が登れそうな経路を自分で選ぶ。これは後述する発達の最近接領域の考え方と親和的である。すなわち、いまの力で確実にできる経路と、少し背伸びすれば届きそうな経路が同時に見えていることで、子どもは自分の挑戦の水準を自分で調整できる。国の指針が遊具の対象年齢表示を求めているのは安全のためであるが、発達心理学の目には、それは「この遊具が想定する挑戦の水準」の表示としても映る。

ブランコの漕ぎ方の獲得も、一つの遊具の中の発達の階段の好例である。押してもらって揺れを楽しむ段階、座って自分で地面を蹴る段階、膝の屈伸と体重移動で漕ぐ段階、立ち漕ぎや高さの調節の段階へと、同じ遊具が異なる技能水準の子どもを受け止める。それぞれの移行には、揺れの周期に自分の動きを合わせるというタイミングの協応の学習が含まれており、練習遊びが単なる反復ではなく技能の構成の過程であることがよくわかる。

4.3 分類の限界

この分類には限界もある。第一に、遊びの型は観察者が行動の表面から推定するものであり、子どもの内面と一対一に対応する保証はない。同じように砂を握っている一歳児と四歳児では、内側で起きていることが違う可能性があるし、逆にぼんやり立っているように見える子が頭の中で豊かな筋書きを回していることもある。第二に、設備と遊びの対応は文化と状況に依存する。ボール遊びが禁止されている公園では広場の使われ方が変わり、仲間が集まらない時間帯の広場は規則遊びを支えられない。第三に、この表は主に遊具のある公園を想定しているが、磐田市の公園には遊具の記載のない都市緑地や広場公園も含まれ、それらは散歩・休憩・自然観察といった別の価値を持つ。分類はあくまで観察と会話の出発点であり、目の前の子どもの実際に優先するものではない。

5. ヴィゴツキー——発達の最近接領域としての公園

前節まではピアジェに従い、子どもが自分の力で環境に働きかけ、段階を構成していく姿を描いた。本節では視点を変え、ヴィゴツキーに従って、公園の遊びを「他者との関係の中で発達が先導される場面」として読み直す。二人の違いは、しばしば「個人の構成か、社会的な構成か」と要約される。ピアジェにとって発達は子ども自身の活動による構成が基本であり、ヴィゴツキーにとって発達はまず人と人とのあいだで起こり、のちに個人の内側に取り込まれるものであった。公園は、この二つの見方が同時に検証できる場所である。子どもは一人で砂を掘りもするし、保護者に支えられて雲梯に挑みもするからである。

5.1 「一人でできる」と「助けがあればできる」のあいだ

発達の最近接領域の考え方を公園に持ち込むと、見守りの解像度が上がる。たとえば雲梯の前に立つ五歳児を考える。一人では最初の一本にぶら下がるのがやっとであるが、保護者が腰を軽く支えれば三本先まで進める。このとき「ぶら下がる」は既に完成した発達であり、「腰の支えで三本進む」が最近接領域にあたる。ヴィゴツキーの立場からは、この領域こそが働きかけの場所である。既にできることを繰り返させるのでも、まだ遠すぎることを求めるのでもなく、助けがあれば届くことを一緒にやる。やがて支えの手を軽くし、添えるだけにし、最後は見ているだけにする——この撤退の過程を含めて、ウッドらの言う足場かけである。

足場かけの概念で重要なのは、足場が「一時的」であることと、主導権が子どもにあることである。建築の足場が建物の完成とともに外されるように、援助は自立とともに撤去されることが予定されている。公園でしばしば見られる、子どもの身体を持ち上げて遊具の上に乗せてしまう関わりは、足場かけというより代行に近い。子ども自身の登る動きを支えるのではなく、登るという課題そのものを取り除いてしまうからである。もっとも、これは保護者を責める話ではない。混んでいる、時間がない、下の子を抱えている、といった現実の制約の中で関わり方が変わるのは当然であり、本稿が示したいのは「余裕のあるときに選べる関わりの選択肢」である。安全にかかわる判断は、国の指針が示す遊具の対象年齢や使い方の表示に従うことが前提である。

支える雲梯支えを減らす見ているだけ
図5助けがあれば届く課題を支え、できるようになるにつれて支えを外す。足場かけは撤退までを含めた援助である。

5.2 遊びは子どもを「頭一つ大きく」する

ヴィゴツキーの遊び論の核心は、遊びが子どもを実際の年齢以上に振る舞わせるという洞察である。順番を待てない三歳児が、お店やさんごっこの「お客さん」の役では列に並んで待てる。じっとしていられない子が、かくれんぼの「隠れる」役では長い時間身を潜めていられる。想像上の状況が課す役割の規則が、直接の衝動に従うのとは別の行動の水準を子どもから引き出すのである。ヴィゴツキーはここに、遊びが発達の最近接領域を自前で作り出す仕組みを見た。大人の援助がなくても、遊びの筋書きそのものが「いまの自分より少し先の自分」を要求するからである。

公園はこの仕組みにとって好適な条件を備えている。第一に、異年齢の子どもが混ざる。保育施設の同年齢集団と違い、公園では年上の子の遊びを年下の子が見て、加わり、真似る。年上の子は年下の子にとって、ヴィゴツキーの言う「有能な仲間」であり、ごっこの筋書きや遊具の使い方や規則の運用は、しばしば大人からではなく年上の子から伝わる。第二に、公園の構造物は筋書きに「高さ」や「囲い」といった実体を与える。床に線を引いただけの船よりも、複合遊具のデッキの船の方が、役割の世界に入りやすく、とどまりやすい。第三に、公園は家庭の役割関係から離れた場所であり、子どもは「誰かの子」ではなく遊びの一員として振る舞える。

5.3 言葉かけの二つの型

最近接領域の考え方は、公園での言葉かけにも示唆を与える。第一の型は、行動の代わりに判断の材料を渡す言葉である。「危ない、やめなさい」に対して、「両手でつかむと安心だよ」「下に誰かいないか見てごらん」は、子ども自身の状況判断を支える。第二の型は、遊びの筋書きを豊かにする言葉である。砂場で「上手だね」と評価する代わりに、「ケーキ屋さんですか、いちごのはありますか」と客として筋書きに入れば、ごっこは一往復先へ進む。ヴィゴツキー派の保育研究では、大人が遊びを外から指導するのでも放任するのでもなく、遊びの内側の役割として参加することの意義が論じられてきた。もっとも、大人の参加が長引けば遊びの主導権は大人に移りやすい。ここでも足場かけと同じく、入ることよりも引き際が難しい。参加は短く、主導権は子どもに、というのが概念から導ける目安である。

言葉かけには、遊びのあとの回路もある。帰り道や夕食の席で「今日の砂のお山、どうやってトンネル崩れないようにしたの」と問うことは、遊びの中で身体で行われた工夫を、言葉で振り返り直す機会になる。ヴィゴツキーは、思考の道具としての言葉が、まず他者との会話として現れ、のちに自分の内側の言葉になっていく過程を重視した。遊びの経験を大人と語り直すことは、この外から内への移行を支える日常的な実践と位置づけられる。何を話すかを子どもが選び、大人は聞き手に回るのであれば、これは遊びの主導権を侵さない関わりである。

註:発達の最近接領域はもともと知能検査の解釈をめぐって提起された概念であり、遊具の援助のような運動課題への適用は概念の拡張である。ただしヴィゴツキー自身が遊びを最近接領域の創出と結びつけて論じている以上、公園への適用は概念の趣旨に沿うものと本稿は考える。

6. パーテンの分類で公園の場面を読む

本節では、パーテンの社会的参加の分類を公園の具体的な場面に当てはめる。パーテンの観察は1930年前後の保育施設で行われたものであるが、その分類は公園という異年齢・出入り自由の場でこそ観察の道具として生きる。以下、砂場、遊具の順番待ち、広場の三つの場面を取り上げる。

6.1 砂場——並行遊びの教室

砂場は、パーテンの分類でいう並行遊びが最も観察しやすい場所である。二歳児と三歳児が同じ砂場の中で、それぞれ自分の型抜きに没頭している。互いに視線を交わすことは少なく、道具の受け渡しもない。しかし完全に無関係でもない。一方が山を作り始めると他方も山を作り、一方が水を汲んでくると他方もじょうろを探しに行く。パーテンが並行遊びを「他の子のそば」の遊びと定義した通り、そばにいること自体が選ばれており、模倣という細い回路で互いにつながっている。並行遊びはかつて、社会的遊びに至る未熟な段階とみなされがちであった。しかしその後の研究では、並行遊びは年長児にも見られ、集団に入るときの足がかり——まず横で同じことをして、それから関わる——として機能することが指摘されている。砂場で隣に座ることは、幼い社交術なのである。

砂場ではまた、連合遊びへの移行の瞬間が観察できる。「スコップ貸して」という道具の交渉、「そっちの水入れて」という手伝いの依頼が始まると、遊びは並行から連合へ移る。さらに「大きいお山にしてトンネル掘ろう」という共通の目標と分担が生まれれば協同遊びである。一つの砂場の中で、一人遊びから協同遊びまでの全段階が同時に進行していることも珍しくない。パーテンの分類は、砂場のにぎわいを腑分けし、わが子がいまどの関わり方をしているかを見る眼鏡になる。

砂場並行遊び貸して順番
図6同じ砂場の中に一人遊び・並行遊び・連合遊びが同居する。並行遊びは集団に入るための足がかりでもある。

6.2 順番待ち——規則の最初の授業

滑り台やブランコの前にできる列は、多くの子どもにとって、家族の外で出会う最初の明示的な規則である。順番という規則は、じゃんけんや鬼ごっこの規則と違って遊びの内容ではなく、見知らぬ子ども同士が同じ設備を使うための社会的な取り決めである。二歳児が列に割り込むのは規則を破っているのではなく、まだ列という制度が見えていないのであり、四歳児が「順番だよ」と抗議するのは、規則を自分たちのものとして運用し始めた証拠である。ブランコの「交代」をめぐるやりとり——あと十回数えたら交代、という数の使用を含む——は、規則の交渉のごく初期の形として興味深い。順番待ちはパーテンの分類には収まらない行動であるが、傍観と同じく、遊びの周辺にある重要な社会的行動として観察に値する。

6.3 傍観——参加の準備としての見ること

パーテンの分類の中で、公園の観察において再評価すべきは傍観である。広場の鬼ごっこの輪の外に立ち、じっと見ている子がいる。保護者はしばしば「入れてもらったら」と促したくなるが、傍観は多くの場合、無為ではなく情報収集である。誰が鬼か、どこまでが陣地か、どのくらいの速さで走っているか——規則遊びに途中から加わるには、規則の把握が要る。年下の子が年上の集団の遊びを長く傍観するのは、最近接領域の縁に立って、いまの自分に参加が可能かを測っている姿とも読める。傍観から並行遊び(輪の外で同じように走ってみる)を経て参加へ至る経路もあれば、傍観のまま満足して砂場に戻る日もある。参加への促しが有効なこともあるが、傍観そのものを「遊べていない」と評価しないことが、分類から導ける第一の示唆である。促すとすれば、輪の中へ押し出すのではなく、「あの鬼ごっこ、どこまでが逃げていいところか分かった?」と、傍観で集めている情報を言葉にする手伝いをする方が、傍観の働きに沿った関わりになる。

6.4 一人遊びの再評価

パーテンの報告は年齢とともに一人遊びが減る傾向を示したため、一人遊びは長らく発達的に未熟な形とみなされやすかった。しかしルービンらをはじめとする後年の研究群は、一人遊びの中身を区別すべきことを示してきた。仲間に入りたいのに入れずにうろうろする姿と、一人で集中して砂の構造物を作り込む姿とでは、同じ「一人」でも意味がまったく違う。後者はむしろ集中と構成の能力の現れであり、年長児の質の高い一人遊びは発達の遅れを示すものではないとされる。公園は集団遊びの場であると同時に、一人で没頭できる場でもあり、その両方の価値を認めることが、分類を見守りに生かす際の要点である。気になる様子——遊びたそうなのに長期間輪に入れない、関わりを避け続けるなど——が続く場合の相談先は保健・医療の専門機関であり、分類はその代わりにはならない。

註:パーテンの六分類のうち「何もしていない行動」は、公園ではベンチでの休憩や空想と区別がつきにくい。観察の枠組みとしては、ルービンらのように社会的分類(一人・並行・集団)と認知的分類(練習・構成・象徴・規則)を掛け合わせる方法が、行動の記述をより立体的にする。

7. 段階論への批判と応答——年齢の目安をどう読むか

ここまで本稿は、ピアジェ・ヴィゴツキー・パーテンの枠組みを公園に当てはめてきた。しかしこれらの理論、とりわけ段階という考え方には、その後の研究から重要な批判が寄せられている。批判を知らずに段階論を使うと、「四歳なのにまだ並行遊びをしている」といった不必要な心配や、「もう五歳だから規則遊びをさせるべきだ」といった押しつけを生みかねない。本節では主な批判を整理し、公園での見守りにとっての含意を引き出す。

7.1 子どもの力は課題の出され方で変わる

ピアジェへの代表的な批判は、彼の課題が子どもの力を過小評価しているのではないか、というものである。ドナルドソンは『子どもの心の発達』(1978)で、課題が子どもにとって意味の通る状況——彼女の言葉では「人間的な意味」のある状況——で出されると、幼児はピアジェの実験で示されたよりもはるかに有能に振る舞うことを論じた。他者の視点が取れないとされた年齢の子どもが、かくれんぼの状況では「鬼から見えないように隠れる」という視点取得を実行してみせる。この批判は公園の観察にとって重要である。公園の遊びは、子どもにとって意味の通った状況の典型だからである。実験室で「まだできない」とされることが、遊びの文脈では現れる。逆に言えば、公園で見える子どもの姿は、その子の力の上限に近い姿かもしれず、家庭や集団生活での姿とずれることは自然である。

7.2 段階は思ったほど一様に進まない

第二の批判は、段階の一様性に向けられる。ピアジェの描像では、一つの段階にいる子どもは様々な領域で同じ質の思考を示すはずであるが、その後の研究では、発達は領域ごとに進み方が異なり、同じ子どもがある課題では進んだ思考を、別の課題では幼い思考を示すことが繰り返し見いだされてきた。遊びについても同様で、練習・象徴・規則という系列は大きな傾向としては支持されるものの、個々の子どもは行きつ戻りつしながら複数の型を並行して生きる。七歳児も疲れた日には黙々と砂をすくい、三歳児も「順番」という規則の芽をすでに運用している。パーテンの社会的分類についても、前節で述べた通り、並行遊びや一人遊びが年長児から消えるわけではないことが知られている。段階は梯子というより、重なり合う波として読むのが実態に近い。

目安への疑問個人差行きつ戻りつその子のペース
図7段階の年齢は平均の目安にすぎない。発達は領域ごとに、行きつ戻りつ進む。目の前の子どもの実際が優先する。

7.3 文化と環境が遊びの形を変える

第三の批判は、理論の文化的な偏りに向けられる。ピアジェの観察は主に自身の子どもたちとジュネーブの子どもたちに、パーテンの観察はアメリカの一保育施設に基づく。ロゴフは『文化的営みとしての発達』(2003)で、子どもの発達の道筋が、その社会が子どもに用意する活動と参加の形によって大きく異なることを示した。ごっこ遊びの主題も、大人がどれだけ遊びに加わるかも、子どもだけの集団がどれだけ許されるかも、社会によって異なる。日本の公園に即して言えば、保護者の付き添いが標準となった現代の公園の遊びは、パーテンが観察した施設の自由遊びとも、かつての子どもだけの外遊びとも条件が違う。分類を使うときは、それが生まれた文脈と目の前の文脈の違いを織り込む必要がある。

7.4 それでも枠組みを使う理由

これらの批判にもかかわらず、本稿が三つの枠組みを手放さないのには理由がある。第一に、批判はいずれも枠組みの「使い方」——年齢の固定的な読み、段階の一様な読み、文化を超えた一般化——に向けられており、練習から象徴へ、象徴から規則へという大きな順序性そのものは、その後の研究でも大枠で支持されているからである。第二に、枠組みは子どもを評定するためではなく、大人の見る目を耕すために使えるからである。「砂を落とし続けるのは因果の実験かもしれない」「輪の外で見ているのは情報収集かもしれない」という読みの選択肢が増えることは、禁止や急かしを減らし、待つことを支える。第三に、枠組みは観察を記録し共有するための共通の言葉になるからである。当サイトが今後の踏査で公園の遊びを記述する際にも、この共通語彙が役に立つ。要するに、段階論は診断の物差しではなく観察の眼鏡として使うべきものであり、眼鏡の歪み——年齢・一様性・文化の限定——を知った上でかけることが、本節の結論である。

なお、ピアジェとヴィゴツキーの対立もまた、誇張して読まないほうがよい。二人は同年の生まれで、互いの仕事を知っており、ヴィゴツキーはピアジェの初期の著作に詳細な検討を加えている。ピアジェが社会的な要因を無視したわけではなく、ヴィゴツキーが子ども自身の活動を軽視したわけでもない。公園に即して言えば、砂に没頭する一人の時間(ピアジェ的な構成の時間)と、支えられて雲梯に挑む時間(ヴィゴツキー的な協同の時間)は、同じ午後の中で交代しながら、どちらも育ちを進める。二つの理論は択一ではなく、観察の照明を当てる角度の違いとして併用できる。

註:発達の評価や心配ごとの判断は、本稿の枠組みでは行えない。乳幼児健診や保健センター、かかりつけの医療機関など、専門の窓口に相談することが前提である。本稿の分類はあくまで日常の見守りを豊かにするための道具である。

8. 磐田市の公園への示唆——0〜7歳の見守りの目安とともに

本節では、ここまでの理論的整理を磐田市の公園に照らす。磐田市には、市のオープンデータ「都市公園一覧」94行と市施設ガイドのみに掲載の6園を合わせて、当サイトが収録する100園の公園がある。種別では街区公園が51園と半数を占め、近隣公園14園、都市緑地10園、地区公園4園、総合公園3園などが続く。オープンデータのフラグ集計では、94行のうち遊具有が64園、砂場有が43園である。本稿の枠組みからこの数字を読むと、磐田市の公園の骨格は「歩いていける距離に散らばる、遊具と砂場を備えた小さな街区公園」であり、これは感覚運動期から前操作期——すなわち0歳から就学前まで——の練習遊び・構成遊び・象徴遊びを日常的に支える配置だと言える。

8.1 年齢ごとの遊びと見守りの目安

第3節から第7節までの議論を、0〜7歳の年齢ごとの目安として一覧にする。繰り返し強調するが、年齢はあくまで平均的な目安であり、発達には大きな個人差がある。目の前の子どもの実際が表に優先し、気になることの相談先は保健・医療の専門機関である。

おおよその年齢優勢な遊び公園での典型的な姿見守りの手がかり
0〜1歳感覚の探索抱っこやベビーカーで外気と光を感じる。芝生や砂に触れる感覚の素材を一緒に味わう。口に入れる時期は誤飲に注意
1〜2歳練習遊び砂を握って落とす。バケット型ブランコ。よちよち歩きの探索繰り返しを止めずに待つ。手の届く範囲で付き添う
2〜3歳練習遊びと見立ての芽幼児用滑り台の反復。砂場の型抜き。「どうぞ」のやりとり見立てに客として応じる。並行遊びを急いで社交にしない
3〜4歳象徴遊びごっこの筋書きが伸びる。ブランコを自分で漕ぎ始める筋書きを一往復豊かにする言葉かけ。順番の運用を支える
4〜5歳象徴遊びの協同化役割のあるごっこ。複合遊具の経路選び。連合遊びが増える挑戦は足場かけで支え、支えを徐々に外す
5〜6歳規則遊びの芽鬼ごっこ・かくれんぼ。規則をめぐる交渉やもめごともめごとは交渉の練習と見て、すぐに裁定しない
6〜7歳規則遊び広場での集団遊び。規則を作り変える。技の獲得に挑む傍観や一人遊びも尊重する。仲間と広さのある公園を選ぶ
よちよち期ごっこの時期広場の時期年齢は目安
図80〜7歳の遊びの重心は、感覚の探索からごっこへ、そして広場の規則遊びへ移る。年齢はあくまで平均的な目安である。

8.2 設備の記載から見た磐田市の公園

市の施設ガイドの記載を本稿の分類に照らすと、発達段階の観点から注目すべき園がいくつか挙げられる。見付地区の今之浦公園(近隣公園・13,675㎡)は、施設ガイドに「3歳未満児遊具」と明記された数少ない園であり、複合遊具・芝生広場・健康遊具などのゾーン分けの記載もある。感覚運動期の子と学齢期の子が同じ園の別の場所で遊べる構成は、異年齢の同居という公園の特性を設備の側で受け止めたものと読める。御厨地区の安久路公園(地区公園・32,001㎡)には「複合遊具(インクルーシブエリアあり)」「ブランコ(インクルーシブアイテムあり)」「幼児用遊具」の記載があり、発達の道筋や身体の条件が異なる子どもが同じ場所で遊ぶことへの配慮がうかがえる。同じく御厨地区の兎山公園(地区公園・56,193㎡)は、ブランコ・滑り台・ローラー滑り台・幼児用滑り台・ジャングルジム・ターザンロープなど記載遊具の幅が広く、練習遊びの挑戦の水準が細かく段階づけられている。

規則遊びの世代にとって重要な「広さ」の観点では、見付地区の水堀公園(近隣公園)の「多目的広場」と「サッカーゴール」、中泉地区の中央公園(地区公園・41,642㎡)の「多目的グラウンド」、竜洋地区の竜洋十束公園(近隣公園)の「多目的広場」などの記載が挙げられる。一方、豊田地区の豊田加茂公園(近隣公園)には「複合遊具(幼児用滑り台、トンネル等)」「シーソー」「砂場」の記載があり、就学前の幅広い段階を受け止める構成である。もっとも、これらはいずれも市の施設ガイドの記載から推測できることにとどまる。遊具の実際の難度、砂場の状態、広場で実際にどんな遊びが起きているかは、記載からはわからない。当サイトの現地踏査はこれからであり、本稿の対応づけは踏査で確かめるべき仮説の一覧である。

8.3 「近くの小さな公園」の発達的な価値

最後に、街区公園51園という数字の意味を発達の観点から述べる。国の標準では街区公園は誘致距離250mを目安に配置される、最も身近な種別である。0〜3歳の練習遊びと並行遊びに必要なのは、豪華な遊具ではなく、毎日でも通える距離と、砂場と、小さな滑り台と、同じ時間帯に来る顔なじみである。発達の初期ほど反復が学習の中心であり、反復は通いやすさによって支えられる。徒歩圏の街区公園が半数を占める磐田市の公園の構成は、この時期の発達にとって合理的な資源配置と評価できる。年齢が上がり、規則遊びの仲間と広さが必要になったとき、近隣公園や地区公園・総合公園が受け皿になる——という種別ごとの役割分担を、発達段階の道筋と重ねて読むことができる。9地区の園数には見付21園・豊田28園から南部・向陽の各2園まで偏りがあり、この偏りが年齢ごとの公園の使い分けにどう影響するかも、今後の検討課題である。

発達の観点はまた、一つの家族の中でも公園の使い方が年々変わることを予告する。同じ水堀公園でも、二歳の頃は幼児用滑り台と砂場の園であり、六歳になれば多目的広場とサッカーゴールの園になる。きょうだいがいれば、下の子の砂場と上の子の広場を同時に見渡せる配置かどうかが、その家族にとっての公園の使いやすさを左右する。公園を年齢の物差しで序列づけるのではなく、「いまのわが子にとってのこの園」と「数年後のわが子にとってのこの園」を重ねて見ること——それが、発達心理学の枠組みが保護者の公園選びに差し出せる、最も実用的な視点だろう。

註:本節の園名・面積・設備の記載はすべて磐田市オープンデータ「都市公園一覧」および市施設ガイドによる。公園の管理は磐田市都市整備課(電話 0538-37-4806)が所管する。遊具の使用にあたっては、現地の対象年齢表示と注意表示に従うことが前提である。

9. 結論と今後の課題

本稿は、ピアジェの認知発達段階と遊びの三分類、ヴィゴツキーの発達の最近接領域と遊び論、パーテンの社会的参加の分類という発達心理学の三つの古典的枠組みを、公園の遊具・砂場・広場での遊びに対応づけてきた。得られた知見は次の四点に要約できる。

  • 公園は、感覚運動期の探索(砂場・バケット型ブランコ)、前操作期の象徴遊び(見立ての素材と舞台)、具体的操作期に向かう規則遊び(広場と仲間)という発達の道筋を、設備の違いによって同時に受け止めている。発達段階が進むほど、遊びを支えるものは遊具という物から、広さと仲間という条件へ移る。
  • ヴィゴツキーの視点からは、公園は発達の最近接領域が日常的に立ち上がる場所である。異年齢の混在は「有能な仲間」との出会いを供給し、遊びの想像上の状況は子どもを実際の年齢より頭一つ大きく振る舞わせる。保護者の関わりは、代行でも放任でもない足場かけ——支え、そして支えを外すこと——として概念化できる。
  • パーテンの分類は、砂場の並行遊び、順番待ち、輪の外の傍観といった公園の何気ない場面を腑分けする観察の道具になる。並行遊び・傍観・一人遊びはいずれも未熟の印ではなく、参加の準備や集中の形でありうる。この読み替えが、見守りを禁止と急かしから待つことへ向け直す。
  • 段階論は年齢の物差しではなく観察の眼鏡として使うべきである。子どもの力は課題の意味づけで変わり、発達は領域ごとに行きつ戻りつ進み、遊びの形は文化と環境に依存する。枠組みの限界を知った上で使うことが、枠組みを最もよく生かす。

磐田市の公園への適用としては、徒歩圏に散らばる街区公園51園・遊具有64園・砂場有43園という構成が、反復を中心とする発達初期の遊びにとって合理的な資源配置であること、施設ガイドの記載からは今之浦公園の3歳未満児遊具や安久路公園のインクルーシブエリアなど発達段階と多様性への配慮が読み取れること、規則遊びの世代には多目的広場をもつ近隣公園・地区公園が受け皿となりうることを示した。これらはいずれも記載にもとづく仮説であり、実際の遊びの姿は今後の踏査で確かめる。

理論の眼鏡観察の記録百園の現場育ちの道筋
図9理論は観察の眼鏡である。磐田の100園を発達の言葉で記述する作業は、これからの踏査に開かれている。

9.1 今後の課題

課題は三つある。第一に、実地の観察である。本稿の対応づけ——どの設備がどの型の遊びを支えるか——は文献にもとづく仮説であり、磐田市の個々の公園で、どの年齢の子が、どの設備で、どの型の遊びをしているかは、踏査によってしか確かめられない。ルービンらの社会的×認知的の観察枠組みは、踏査の記録形式の有力な候補である。その際、子どもと保護者のプライバシーへの配慮と撮影への配慮が観察の倫理として先立つ。第二に、季節と時間帯の変数である。遊びの型は、暑さ、日没、平日と休日、仲間が集まる時間帯によって変わるはずであり、一回の観察で公園を性格づけることはできない。第三に、他領域との接続である。環境が行為を誘う仕組みを扱う生態心理学、運動発達を扱うスポーツ科学、遊びの文化差を扱う文化人類学の議論と本稿の枠組みを重ねることで、公園の遊びの記述はより立体的になる。発達心理学の古典は、公園という百年来の装置を「子どもの育ちの道筋を受け止める場所」として読み直す言葉を、今も提供し続けている。

最後に、本稿の限界を確認しておく。本稿は文献整理と概念分析にとどまり、新しい観察データを提示していない。また、扱った理論は二十世紀前半に生まれたものであり、現代の発達科学の全体を代表するものではない。それでも、砂を落とし続ける一歳児と、ケーキを差し出す三歳児と、陣地を決めて走る七歳児が同じ午後の公園にいるという冒頭の光景を、三つの理論は互いに補い合いながら説明してみせた。公園を発達の言葉で読むことは、公園の設計者・管理者にとっては設備配置の根拠を、保護者にとっては待つことの根拠を、それぞれ与えてくれるはずである。

参考文献

  1. ジャン・ピアジェ(1945)『遊びの心理学』(大伴茂訳、黎明書房、1967)
  2. ジャン・ピアジェ、ベルベル・イネルデ(1966)『新しい児童心理学』(波多野完治・須賀哲夫・周郷博訳、白水社、1969)
  3. レフ・S・ヴィゴツキー(1934)『思考と言語』(柴田義松訳、新読書社、2001)
  4. レフ・S・ヴィゴツキー(1933年講義/1966年公刊)「子どもの心理発達における遊びとその役割」(『ごっこ遊びの世界』神谷栄司訳、法政出版、1989 所収)
  5. レフ・S・ヴィゴツキー『「発達の最近接領域」の理論——教授・学習過程における子どもの発達』(土井捷三・神谷栄司訳、三学出版、2003)
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  9. ジェローム・ブルーナー、アリソン・ジョリー、キャシー・シルヴァ編(1976)『Play: Its Role in Development and Evolution』(Penguin)
  10. ケネス・ルービン、テリー・マイオニ、マーガレット・ホーナング(1976)「Free play behaviors in middle- and lower-class preschoolers: Parten and Piaget revisited」Child Development 47
  11. エリク・H・エリクソン(1950)『幼児期と社会』(仁科弥生訳、みすず書房、1977)
  12. ドナルド・W・ウィニコット(1971)『遊ぶことと現実』(橋本雅雄訳、岩崎学術出版社、1979)
  13. ダニール・B・エリコニン(1978)『遊びの心理学』(天野幸子・伊集院俊隆訳、新読書社、1989)
  14. マーガレット・ドナルドソン(1978)『子どもの心の発達』(松田素二訳、新曜社、1987)
  15. バーバラ・ロゴフ(2003)『文化的営みとしての発達』(當眞千賀子訳、新曜社、2006)
  16. ヨハン・ホイジンガ(1938)『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳、中公文庫、1973)
  17. 文部科学省「幼稚園教育要領」(平成29年告示)/厚生労働省「保育所保育指針」(平成29年告示)
  18. 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
  19. 一般社団法人日本公園施設業協会「遊具の安全に関する規準」
  20. 消費者庁「子どもの事故防止」
  21. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  22. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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