生命・健康・心理・教育仲間関係の研究
知らない子と遊ぶ——仲間関係の発達と一時的な集団の作られ方
要旨
本稿の目的は、仲間関係(peer relations)に関する研究群を手がかりに、公園という場所で見知らぬ子ども同士のあいだに生まれる一時的な集団の性質を明らかにすることである。仲間関係の研究は、発達心理学と社会学の境界に位置し、子どもが親やきょうだいといった縦の関係とは別に、同年代の他者と対等な立場で築く横の関係を対象としてきた。手がかりとするのは、ミルドレッド・パーテンによる遊びの社会的参加の分類(ひとり遊び・傍観・平行遊び・連合遊び・協同遊び)、仲間集団への参入方略、ソシオメトリック地位という仲間からの受容の測定、そして友情の質という一連の概念である。
方法は文献整理と概念分析である。まずこれらの概念の来歴を整理し、続いて公園という具体的な場所——学校や保育・幼児教育の場とは異なり、初対面の子ども同士が数十分から半日ほどのあいだだけ集団を作り、その後は名前も知らないまま別れていく場所——にこの枠組みを適用する。とりわけ検討するのは、公園で生じる集団が、学校や園の固定的な仲間集団や友情とどう異なるのかという固有性の問題と、集団への参入が難しい子どもに対して環境の側からどのような配慮がありうるのかという実践的な問題の二つである。あわせて、パーテンの分類を発達の段階として一方向に読む見方への批判にも触れる。
結論として、公園で生じる一時的な集団は、友情に至る前段階としてのみ意味を持つのではなく、それ自体として固有の社会的経験を子どもに与える、と本稿は主張する。同時に、仲間関係の理論を用いて特定の子どもを「うまく遊べない子」と評価的に分類することの危うさを指摘し、判断は保育・教育・医療の専門機関に委ねられるべきことを述べる。最後に、磐田市の公園100園について、市の施設ガイドに記載された遊具の配置やゾーン分けの記載から、環境設計の観点で注目できる点を整理し、当サイトの今後の踏査で確かめるべき課題を示す。
キーワード仲間関係パーテンの遊びの分類仲間集団への参入ソシオメトリック地位一時的な集団友情の質磐田市
1. はじめに——問題の所在
休日の午後、公園の砂場に一人で座っていた子どもの隣に、見たこともない子どもがスコップを持って加わる。二人はしばらく黙って穴を掘り、やがて片方が「ここ、こうすると崩れないよ」と声をかける。もう片方がうなずき、二人は同じ穴を掘り続ける。日が傾くころ、それぞれの保護者が「そろそろ帰ろう」と声をかけ、二人は名前も知らないまま別々の方向へ帰っていく。この光景は、磐田市に限らずどの街の公園でも見られるありふれた出来事である。しかしよく考えると、そこには奇妙な点がある。学校でも保育所でもない場所で、互いに紹介もされないまま、二人はどうやって「一緒に掘る」という共同の行為にたどり着いたのか。そして、その関係は友情と呼べるものなのか、それとも一過性の出来事に過ぎないのか。
こうした問いに答えようとしてきたのが、仲間関係(peer relations)と呼ばれる研究群である。仲間関係の研究は、子どもが親やきょうだいといった年齢や立場の異なる相手と築く縦の関係とは別に、同年代のほぼ対等な相手と築く横の関係に焦点を当ててきた。仲間との関わりの中でこそ子どもは、力の差のある大人との関係では経験しにくい、譲る・主張する・交渉する・仲直りするといった対人的なやりとりを学ぶ、というのがこの研究群のおおまかな見立てである。本稿は、この仲間関係の研究の基本的な概念を整理し、それを公園という具体的な場所——初対面の子ども同士が短い時間だけ集団を作り、その後は名前も知らないまま別れていく場所——に当てはめて考えることを目的とする。
1.1 問い
本稿の問いは四つである。第一に、遊びの中で子どもが他者とどう関わるかを分類してきた仲間関係の古典的な枠組みは、公園での子どものふるまいをどう説明するのか。第二に、初対面の子ども同士が集団に加わっていく過程には、どのような方略が見られるのか。第三に、公園で数十分だけ生まれる関係は、学校や保育・幼児教育の場で育まれる友情とどう異なるのか、あるいは異ならないのか。第四に、集団への参入が難しい子どもに対して、大人や環境の側からどのような配慮がありうるのか。これらは、公園で子どもと過ごす保護者、保育・教育に関わる人、公園を計画し管理する行政のいずれにとっても、実践的な意味を持つ問いである。
1.2 方法と構成
方法は文献整理と概念分析である。本稿は特定の子どもを観察した事例研究ではなく、仲間関係の研究における基本概念を整理し、それを公園という場所に当てはめて考える枠組みを提示することを目的とする。構成は次のとおりである。第2節で仲間関係の研究の来歴と基本概念を整理する。第3節でミルドレッド・パーテンによる遊びの社会的参加の分類を公園の場面に適用する。第4節で仲間集団への参入方略を、第5節でソシオメトリック地位という仲間からの受容の測定とその危うさを検討する。第6節で友情の質という概念から公園の一時的な関係の位置づけを、第7節で学校・園という固定的な集団と公園という一時的な集団の違いを論じる。第8節では参入が難しい子どもへの環境的な配慮を、第9節ではここまでの枠組みへの批判に応答する。第10節で磐田市の公園への示唆を、第11節で結論と今後の課題を述べる。
なお本稿は、子どもの遊びを大人が管理・誘導するための技法を提示するものではない。仲間関係の研究の多くは、特定の子どもの発達を診断したり評価したりする目的ではなく、子ども同士の関わりという現象を理解するために積み重ねられてきたものである。集団に加わりにくい子どもについて、性格や能力の問題として断定することは本稿の意図するところではなく、気になる様子が続く場合の判断は保育・教育・医療の専門機関に委ねられるべきである。本稿はあくまで、公園という日常の場所で日々起きている出来事を理解するための一つの見方を提供するにとどまる。
註:本稿で「仲間(peer)」というとき、それは友人と同義ではなく、年齢や発達の水準がおおむね近い他者を指す仲間関係研究の用語法に従う。友情はその仲間関係の中で育つ、より個別的で選択的な結びつきを指す。
1.3 なぜ仲間関係の研究から公園を論じるのか
公園での子どもの遊びを論じる学問領域は他にもある。発達心理学は子どもの認知や運動能力の発達段階を問い、生態心理学は環境が子どもにどのような行為を誘っているかを問う。仲間関係の研究の固有の関心は、そのどちらとも異なり、子どもと子どもの「あいだ」で何が起きているかという、対人的な過程そのものに向けられている。この視点は、保護者が公園で日々目にする具体的な出来事——輪に入れずにいる我が子を見てどうすればよいか迷う、初対面の子ども同士がすぐに打ち解ける様子に驚く——に直結する。本稿はこの視点を、公園という場所に絞って掘り下げていく。
2. 先行研究と概念の整理
仲間関係が子どもの発達にとって重要だという着想は、二十世紀前半の複数の学問領域でほぼ同時期に現れた。アメリカの社会心理学者ジョージ・H・ミードは、著書『Mind, Self, and Society』(1934、没後に講義録から編まれた)の中で、子どもの自己(self)は他者とのやりとりを通じて社会的に形づくられると論じ、遊びの中で他者の役割を取り込む経験——「ごっこ遊び」で親や店員の役を演じること、より組織だった「ゲーム」で複数の他者の視点を同時に踏まえること——を、自己形成の重要な過程として位置づけた。ミードのこの見方は、仲間との遊びを単なる暇つぶしではなく、自己と社会性がともに育つ場として捉える、その後の研究群の土台になった。
同じ時期、スイスの心理学者ジャン・ピアジェは『The Moral Judgment of the Child』(1932)の中で、子どもの道徳性の発達を、大人からの一方的な教えによる「他律」から、仲間同士の対等なやりとりの中で規則を作り直していく「自律」への移行として描いた。ピアジェが注目したのは、大人と子どもの関係が力の差を伴うのに対し、仲間同士の関係はおおむね対等であり、その対等性ゆえに規則についての意見の対立や交渉が生じやすい、という点である。旧ソ連の心理学者レフ・ヴィゴツキーもまた、論文「Play and Its Role in the Mental Development of the Child」(1933年の講義、1966年に英訳)の中で、遊びが子どもにとって現在の発達水準を一歩超えた行動を可能にする場であると論じ、その多くが他者との共同の遊びの中で生じることを示唆した。
2.1 パーテンから仲間関係研究へ
これらの理論的な土台の上に、より実証的な仲間関係の研究が積み重ねられてきた。その出発点としてしばしば引かれるのが、アメリカの心理学者ミルドレッド・B・パーテンによる論文「Social Participation Among Pre-School Children」(1932)である。パーテンは幼児教育施設で子どもの自由遊びの様子を観察し、他児との関わり方を六つに分類した——何もしていない状態、ひとりで遊ぶ状態、他児の遊びを傍観する状態、他児のそばで同じような遊びをするが関わりは薄い平行遊び、他児と道具の貸し借りなど緩い関わりを持つ連合遊び、共通の目標に向けて役割を分担する協同遊びである。この分類の詳細は第3節で扱う。
パーテンの分類以降、仲間関係の研究はいくつかの流れに分かれて発展した。一つは、子どもが仲間集団にどう加わっていくかという参入(entry)の過程を扱う流れであり、アメリカの発達心理学者ゲイリー・W・ラッドの総説論文「Peer Relationships and Social Competence During Early and Middle Childhood」(1999、Annual Review of Psychology)はその代表的な整理として広く参照される。もう一つは、仲間集団の中で子どもがどの程度受け入れられているかを測定するソシオメトリック地位の研究であり、アメリカの心理学者ジョン・D・コーイとケネス・A・ダッジらによる論文「Dimensions and Types of Social Status: A Cross-Age Perspective」(1982)が分類の基礎を与えた。
さらにもう一つは、仲間関係の中でも特に選択的で個別的な結びつきである友情そのものの質を扱う流れであり、アメリカの心理学者ウィラード・W・ハートアップの総説「The Company They Keep」(1996)がその重要性を広く知らしめた。これらの流れを一望する整理として、ケネス・H・ルービン、ウィリアム・M・ブコウスキー、ジェフリー・G・パーカーらが編んだ『Handbook of Child Psychology』所収の章「Peer Interactions, Relationships, and Groups」も、仲間関係研究の全体像を示す代表的な文献として広く参照されている。この章が整理するように、参入・受容・友情という三つの局面は互いに独立ではなく、参入のしやすさが受容の程度に影響し、受容の積み重ねが特定の相手との友情に発展するという、緩やかな連なりとして捉えられることが多い。本稿もこの連なりを念頭に置きつつ、公園という場所ではこの連なりがどのように断ち切られ、あるいは別の形で成り立つのかを、次節以降で具体的に検討する。
2.2 精神科医サリヴァンの視点
仲間関係の重要性を臨床の立場から早くに指摘したのが、アメリカの精神科医ハリー・スタック・サリヴァンである。サリヴァンは著書『The Interpersonal Theory of Psychiatry』(1953)の中で、児童期後期に見られる特定の仲間との親密な結びつきを「チャムシップ(chumship)」と呼び、それが子どもにとって、自分の内面を初めて対等な他者に開示し、他者の視点から自分を見直す機会になると論じた。サリヴァンの議論は臨床的な観察に基づくものであり、実証研究としての検証には限界があるが、仲間との関係を単なる遊び相手としてではなく、人格の発達に関わる固有の意味を持つものとして位置づけた点で、後の友情研究に大きな影響を与えた。本稿が公園の一時的な関係を論じる際にも、この「対等な他者との開示」という視点を参照する。
以上の理論と概念を踏まえ、本稿では次のような立場を取る。すなわち、仲間関係は縦の関係(親子など)とは異なる固有の学習の機会を子どもに与えるものであり、その学習は遊びという具体的な活動の中で、参入・受容・関係の維持という複数の局面を経て進む、という立場である。公園はこの一連の局面が、学校や園とは異なる条件——初対面性、時間の短さ、大人の直接的な管理の弱さ——のもとで生じる特異な場所として捉えることができる。次節では、この立場からパーテンの分類を公園の場面に読み替えていく。
3. パーテンの遊びの社会的参加分類——公園の場面に照らして
パーテンの六分類を公園の場面に当てはめると、いずれの状態も同じ砂場や複合遊具の周りで、同時並行に観察できることが分かる。滑り台のそばで手持ち無沙汰に立っている子どもは「何もしていない状態」に近く、砂場の隅で一人黙々と山を作る子どもは「ひとり遊び」であり、少し離れた場所からその様子をじっと見ている子どもは「傍観」の状態にある。同じ砂場で、隣り合ってはいるが互いの作業には関わらずそれぞれの穴を掘る二人は「平行遊び」であり、道具の貸し借りをしながらも役割分担のない状態は「連合遊び」、そして「トンネルを掘る人」と「水を運ぶ人」のように役割を分けて一つの目標に取り組む状態は「協同遊び」にあたる。
| 分類 | 特徴 | 公園での典型的な場面 |
|---|---|---|
| 何もしていない状態 | 特定の対象に注意を向けていない | 遊具の周りをぼんやり歩く |
| ひとり遊び | 他児と関わらず一人で遊ぶ | 砂場の隅で一人で山を作る |
| 傍観 | 他児の遊びを見るが加わらない | 少し離れて他児の遊びを見ている |
| 平行遊び | 同じ場所で似た遊びをするが関わりは薄い | 隣り合って別々の穴を掘る |
| 連合遊び | 道具の貸し借りなど緩い関わりを持つ | スコップを貸し借りしながら別々に掘る |
| 協同遊び | 役割を分担し共通の目標に取り組む | トンネル役と水運び役に分かれる |
3.1 分類は段階ではなく状態の一覧である
ここで注意すべきは、パーテン自身の研究が、これらの六分類を年齢とともに一方向に進む発達の「段階」として提示したわけではないという点である。パーテンが示したのは、年齢が上がるにつれて集団の中での遊びが多く観察されるようになる、という統計的な傾向に過ぎない。にもかかわらず、後年この分類はしばしば「ひとり遊びは未熟で、協同遊びが最も成熟した状態である」という一方向の発達段階として単純化されて紹介されてきた。この単純化への批判は第9節で改めて扱うが、公園という場所を論じるうえでも、六分類を「状態の一覧」として捉える方が実態に近い。なぜなら、公園では年齢の異なる子どもたちが同じ空間を共有しており、就学前の子どもがひとり遊びをする隣で、就学後の子どもたちが協同遊びをしているというように、複数の状態が同時に、しかも入れ替わりながら現れるからである。
3.2 状態間の移り変わりの速さ
公園を舞台にパーテンの分類を用いる際にもう一つ注目すべきは、状態と状態の間の移り変わりが、学校や園の自由遊びの時間と比べても速く、しかも予測しにくいという点である。学校や園では、決まった仲間集団の中で一定の時間をかけて平行遊びから連合遊びへと移っていくことが多いのに対し、公園では初対面の子ども同士が数分のうちに傍観から連合遊びへ移り、また数分後にはそれぞれ別の場所へ移動して別の組み合わせの平行遊びを始める、というように移り変わりが速い。これは公園という場所が、決まった集団の維持よりも、その場に居合わせた者同士の即興的な調整によって成り立っていることを示している。この即興性こそが、公園での仲間関係を学校や園のそれと区別する重要な特徴の一つであり、第7節で改めて論じる。
また、平行遊びについては近年の研究で、パーテンが想定したよりも幅広い年齢で見られることが指摘されている。アメリカの心理学者ケネス・H・ルービンらは論文「Free-play behaviors in preschool and kindergarten children」(1978)で、平行遊びが年少児に特有の未熟な状態ではなく、年長児においても、初対面の相手との距離を測りながら関わりを深めていく過程で自然に現れる状態であることを示した。この知見は公園での観察とも符合する。初対面の子ども同士が隣り合って平行遊びをする時間は、いきなり協同遊びに飛び込む前の、いわば互いを見定める準備の時間として機能していると考えられる。
3.3 大人が分類を急がないこと
保護者や周囲の大人にとって、目の前の子どもがどの状態にあるかを分類したくなる場面は多い。「うちの子はいつも一人で遊んでいる」「あの子はすぐに友達の輪に入れる」といった見立ては、日常会話の中で自然に生まれる。しかし本節で確認したように、六分類は年齢とともに一方向に進む段階ではなく、同じ子どもでも、その日の相手や遊具、時間帯によって行き来する状態の一覧である。ある日ひとり遊びをしていた子どもが、翌週には別の相手と協同遊びをしていることは珍しくない。公園での一度の観察だけを根拠に、子どもの社会性を評価的に判断することには慎重であるべきであり、この点は第5節で改めて詳しく論じる。
4. 仲間集団への参入——参入方略という視点
既に遊んでいる子どもたちの輪に、後から加わろうとする子どもはどうふるまうのか。この問いに答えるのが、仲間集団への参入(peer group entry)を扱う研究群である。ゲイリー・W・ラッドの総説「Peer Relationships and Social Competence During Early and Middle Childhood」(1999)が整理するように、参入の場面で子どもが取る行動にはいくつかの型がある。一つは、輪の外から相手の遊びをしばらく観察し、そのやりとりの流れやルールを把握してから、自然な形で加わろうとする方略である。もう一つは、いきなり自分の主張や要求を持ち込む方略であり、既に進んでいる遊びの流れを乱すため、拒まれやすいとされる。三つ目は、遊びとは無関係な話題で相手の注意を引こうとする方略であり、これも受け入れられにくいとされる。
- 観察してから合わせる——相手の遊びのルールや流れを見てから、それに沿う形で加わる
- 小さな貢献から始める——道具を拾って渡す、順番を守るなど、負担の小さい関わりから始める
- 問いかける——「入れて」「一緒にやっていい」と直接尋ねる
- 自分の主張を先に持ち込む——遊びのルールを変えようとしたり、自分の遊びを提案したりする
- 無関係な話題で注意を引く——遊びの流れとは関係のない発言や行動で相手を振り向かせようとする
これらの方略のうち、観察してから合わせる方略や、小さな貢献から始める方略は、比較的受け入れられやすいとされる。これは、既に遊んでいる子どもたちにとって、進行中の活動の流れを乱さない相手の方が仲間として迎えやすいためだと説明される。逆に、自分の主張を先に持ち込む方略や、遊びと無関係な話題で注意を引こうとする方略は、進行中の活動を中断させるため、拒まれやすい傾向があるとされる。ただし、これらはあくまで研究で観察された傾向であり、どの方略を取れば必ず受け入れられるという保証ではない。相手の集団の年齢や人数、遊びの種類、その場の状況によって結果は変わりうる。
4.1 公園という場所の参入の特殊性
参入方略の研究の多くは学校や保育・幼児教育の場を舞台に積み重ねられてきたが、公園での参入には、それらの場とは異なる特殊性がある。第一に、公園の集団には固定的な構成員がおらず、誰が「内側」で誰が「外側」なのかがそのつど変わる。第二に、公園には教師や保育者のように集団全体を見渡し必要に応じて仲立ちする専門的な大人がおらず、参入の成否は基本的に子ども同士のやりとりに委ねられている。第三に、公園の遊びの多くは遊具という物理的な制約——滑り台は一列に並ぶ、ブランコは台数が限られる——を伴っており、参入は「仲間に加わる」というより「順番待ちの列に加わる」という形を取ることも多い。
これらの特殊性は、参入をより難しくする面と、より容易にする面の両方を持つ。専門的な大人による仲立ちがないことは、参入に失敗した子どもがそのまま孤立して終わる可能性を高める一方で、固定的な構成員がいないことは、ある集団への参入に失敗しても、少し場所を移せば別の集団や別の遊びに加わり直せる余地を残している。学校や園のクラスでは同じ数十人の中でうまくいかない関係を繰り返すことになりかねないのに対し、公園では日や時間帯によって居合わせる相手が入れ替わるため、一度の参入の失敗が固定した評価につながりにくい。この点は、公園という場所が持つ独自の利点として、第7節で改めて検討する。
4.2 きょうだいや保護者の関わり
公園での参入には、その場に居合わせたきょうだいや保護者の存在も影響する。年上のきょうだいが既にその場の子どもたちと関わっている場合、年下のきょうだいはきょうだいを介して間接的に集団に加わりやすくなることがある。これは仲間関係の研究で「橋渡し(bridging)」と呼ばれる働きに近く、既に集団の一員である誰かとのつながりが、新規の参入を後押しする経路の一つである。保護者同士が顔見知りである場合も同様の橋渡しが生じうる。ただし、保護者が前面に出て子ども同士のやりとりを主導してしまうと、子ども自身が参入方略を試す機会を奪うことにもなりかねず、橋渡しと介入の境界には注意が必要である。
5. ソシオメトリック地位と仲間受容——分類することの効用と危うさ
仲間関係の研究のもう一つの柱が、ソシオメトリック地位(sociometric status)と呼ばれる、仲間集団の中での受容の度合いを測る方法である。アメリカの心理学者ジョン・D・コーイ、ケネス・A・ダッジ、ハイディ・コポテリらは論文「Dimensions and Types of Social Status: A Cross-Age Perspective」(1982)で、子どもたちに「一緒に遊びたい相手」「一緒に遊びたくない相手」をそれぞれ挙げてもらう調査に基づき、仲間からの受容と拒否の組み合わせから五つの地位を分類した。多くの子どもから好かれ嫌われることが少ない「人気」、多くの子どもから嫌われることが多い「拒否」、好かれることも嫌われることも少なく目立たない「無視」、好かれることも嫌われることも多い「両価」、そしてどれにも当てはまらない「平均」である。
| 地位 | 特徴 |
|---|---|
| 人気 | 多くの子どもから好かれ、嫌われることが少ない |
| 拒否 | 多くの子どもから嫌われることが多い |
| 無視 | 好悪どちらの評価も少なく目立たない |
| 両価 | 好かれることと嫌われることの両方が多い |
| 平均 | 上記のいずれにも際立って当てはまらない |
5.1 この分類の由来と限界
この分類法は、学校や保育・幼児教育の場のように、同じ構成員が長期間にわたって関わり合う集団を前提として設計されたものである。コーイらの調査でも、対象となったのは同じクラスの子どもたちであり、互いをある程度知っている状態での相互評価が地位を決めている。この前提は、公園で生じる一時的な集団にはそのまま当てはまらない。公園では、そもそも子どもたちが互いを名前も知らないまま数十分だけ関わることが多く、「好き・嫌い」を安定して評価できるほどの継続的な関係が成立していない場合がほとんどである。したがって、公園での一回限りの観察から、ある子どもを「拒否」や「無視」といった地位に当てはめて評価することは、この分類法が本来意図した使い方から外れる。
それでもなお、ソシオメトリック地位の研究が示す知見には、公園を考えるうえで参照する価値がある。それは、仲間からの受容や拒否の経験が繰り返し積み重なることで、子ども自身の仲間関係についての見方や、その後の参入行動に影響を与えうる、という知見である。公園という一回限りの場でも、繰り返し輪に入りそこねる経験を積み重ねる子どもがいるとすれば、その積み重ねが自己評価に影響しうるという点は無視できない。ただし、それが本人の性格や能力の問題なのか、たまたま居合わせた相手や状況の問題なのかは、外からの短い観察だけでは判断できない。この見極めには専門的な知見が必要であり、本稿の射程を超える。
5.2 評価的なまなざしを向けないこと
本稿がここで強調したいのは、仲間関係の研究の概念を知ることと、それを目の前の子どもに当てはめて評価することとは、別の行為だということである。「あの子は輪に入るのが苦手だ」「この子は人気者になれる性質だ」といった見立てを、保護者や周囲の大人が短い観察から下すことは、たとえ善意からであっても、子どもを固定的な型にはめてしまう危うさを伴う。公園での子どものふるまいは、その日の体調や気分、居合わせた相手との相性、遊具の空き具合など、多くの偶然に左右される。ある日輪に入れなかったからといって、それがその子の一般的な傾向を示すとは限らない。仲間関係の研究が本来目指してきたのは、子どもを分類することではなく、子ども同士の関わりという現象を理解し、必要な支援の手がかりを得ることであった点を、本稿は改めて確認しておきたい。
5.3 きょうだいや家族の中の位置づけとの違い
仲間からの受容という論点は、家族の中での立場とも区別して考える必要がある。家庭では、きょうだいの年齢順や親からの関わり方によって、子どもの立ち位置がある程度固定されやすい。これに対し公園での仲間関係は、そうした家庭内の立場とは無関係に、そのつど新しく築かれる。家庭では下のきょうだいとして扱われがちな子どもが、公園で出会った年下の子どもに対しては世話役として振る舞う、という場面も珍しくない。この切り替えの経験は、子どもが単一の固定的な役割ではなく、状況に応じて異なる立場を担えることを学ぶ機会として理解できる。
6. 一時的な仲間と友情の質——公園の関係は友情と呼べるか
冒頭で描いた、砂場で出会い、日が傾くころには別れていく二人の子どもの関係は、友情と呼べるのだろうか。この問いに答えるには、友情という言葉が仲間関係の研究の中でどう定義されてきたかを確認する必要がある。心理学者ジック・ルービンは著書『Children's Friendships』(1980)で、友情を、単に一緒にいる時間が長いというだけでなく、相互に選び合い、継続を望む双方向の結びつきとして特徴づけた。ウィラード・W・ハートアップも総説「The Company They Keep」(1996)の中で、友情の「質」——親密さの度合い、対立の少なさ、支え合いの度合いなど——が、単に友人がいるかどうかという「数」以上に、子どもの発達にとって重要であることを指摘している。これらの定義に照らすと、公園での一度限りの出会いは、継続性や相互選択性という点で、友情の定義の中心から外れる。
しかし、これを単純に「友情ではない、だから重要ではない」と結論づけるのは早計である。ハリー・スタック・サリヴァンが『The Interpersonal Theory of Psychiatry』(1953)で論じたチャムシップの概念に立ち返ると、その核心にあったのは、対等な他者に自分を開示し、他者の視点から自分を見直すという経験そのものであった。継続的な関係でなければこの経験が起きない、とサリヴァンが限定したわけではない。公園で数十分をともに過ごした相手であっても、その短い時間の中で「一緒に掘る」「順番を譲る」「うまくいかずに言い合いになる」といった、対等な他者とのやりとりを経験することはできる。むしろ、継続性を欠くからこそ、公園での関わりは、しがらみの少ない、身軽な形での対人的な試行錯誤の機会になっているとも考えられる。
6.1 「一期一会の仲間」という位置づけ
本稿はこの位置づけを、友情そのものではなく、友情が育つ土台となる経験の集積として捉えることを提案する。すなわち、公園で繰り返し経験される一時的な仲間との関わりは、それ自体が友情の代わりになるわけではないが、その経験の積み重ねが、後に学校や園で継続的な友情を築くための対人的な構えを育てる可能性がある、という位置づけである。この位置づけは仮説の域を出るものではなく、公園での経験と後の友情形成との関係を直接に検証した確立された知見を本稿は把握していない。それでも、対等な他者との出会いと別れを繰り返し経験すること自体に、独立した意味があるという見方は、サリヴァンやハートアップの議論の延長線上に成り立つ。
もう一つ指摘しておきたいのは、公園での一時的な仲間との関わりが、まったくの一回限りで終わらない場合もあるという点である。同じ地区に住む子どもたちが同じ公園を繰り返し訪れることで、名前は知らなくても「よく会う子」として互いを認識し、会うたびに遊びを再開するという緩やかな継続性が生まれることもある。これは学校や園のような明確な集団への所属ではないが、まったくの初対面の関係とも異なる、中間的な形の仲間関係だと言える。この中間的な関係のあり方については、当サイトの今後の踏査で、実際にどの程度観察されるのかを確かめていく必要がある。
6.2 別れ方という論点
友情研究の多くは関係の始まりと維持に注目してきたのに対し、公園の一時的な仲間との関わりを考えるうえでは、その「別れ方」にも独自の意味がある。学校や園での友情の終わりは、けんかや疎遠化といった、しばしば緩やかで曖昧な過程をたどるのに対し、公園での関わりの多くは、保護者の「そろそろ帰ろう」という一声によって、双方の合意とは無関係に唐突に終わる。この唐突な別れは、子どもにとって寂しさを伴うこともあれば、次に何をするかへの切り替えとしてあっさり受け止められることもある。いずれにせよ、始まりも終わりも自分だけでは決められない関係を経験すること自体が、公園という場所に特有の対人的な学びの一つだと考えられる。
7. 固定された集団と一時的な集団——学校・園と公園の違い
学校のクラスや保育・幼児教育の場のグループは、年度という単位で構成員が固定され、毎日同じ顔ぶれと顔を合わせる。これに対して公園の集団は、その日その時間にたまたま居合わせた者同士によって、そのつど新しく作られては解散する。この違いを社会学の概念で捉え直すと、公園の集団が持つ固有の性質が見えてくる。アメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマンは著書『Behavior in Public Places』(1963)の中で、公共の場で見知らぬ者同士が一時的に注意を共有し合う状態を「焦点のある集まり(focused gathering)」と呼んだ。公園で初対面の子どもたちが同じ砂場や同じ遊具に注意を向け、その場限りのやりとりを始める様子は、まさにこの焦点のある集まりの一例として理解できる。
ゴフマンはまた、見知らぬ者同士が公共の場ですれ違う際に、互いの存在に気づきながらも干渉せずにやり過ごす作法を「儀礼的無関心(civil inattention)」と呼んだ。公園では、この儀礼的無関心の状態から、何らかのきっかけ——同じ遊具に近づく、ボールが転がってくる——によって「焦点のある集まり」へと切り替わる場面が絶えず生じている。ドイツの社会学者ゲオルク・ジンメルが論文「よそ者」(1908)で描いた、共同体の内側にも外側にも完全には属さない「よそ者」との交流の緊張感——近しさと距離の両方を伴う関わり——も、初対面の子ども同士のやりとりに通じるところがある。公園の集団は、儀礼的無関心とよそ者性を出発点としながら、遊びという共通の活動を通じてその距離を縮めていく、という動きの中で成り立っている。
7.1 見知らぬ者同士が急速に集団化する経路
見知らぬ者同士がどのようにして急速に一体感のある集団を形成するのかについては、アメリカの社会心理学者ムザファー・シェリフらによる『Intergroup Conflict and Cooperation: The Robbers Cave Experiment』(1961)が手がかりを与える。この研究は、互いに面識のなかった少年たちを夏季キャンプに集め、共通の活動(キャンプ地の設営や共同の作業)を通じて、短期間のうちに強い仲間意識を持つ集団が形成されることを示した。公園でも、同じ遊具で遊ぶという共通の活動そのものが、初対面の子ども同士を急速に結びつける働きを持つと考えられる。ただし、この研究がもう一つ示したのは、集団間の競争が対立を生みやすいという点でもあり、公園でも限られた遊具や順番をめぐって、集団同士あるいは個人間の対立が生じうることには注意が必要である。
7.2 場所の違いという観点
アメリカの発達心理学者ユリー・ブロンフェンブレンナーは『The Ecology of Human Development』(1979)で、子どもの発達を、家庭・学校・近隣といった直接経験する環境(マイクロシステム)と、それらの環境同士の関係(メゾシステム)を含む重層的な構造として捉える視点を示した。この視点に立つと、公園は学校や家庭とは別個のマイクロシステムであり、そこで生じる仲間関係は、学校での仲間関係とは独立に、しかし互いに影響を及ぼし合いながら存在していると考えられる。学校で友達を作るのが得意でない子どもが、公園という異なる条件の場では違ったふるまいを見せることもありうるし、その逆もありうる。公園を仲間関係の固有の場として位置づける本稿の立場は、このブロンフェンブレンナーの重層的な発達環境という考え方とも整合する。
7.3 大人の不在という条件
学校や園の集団と公園の集団を分けるもう一つの条件は、大人の関わり方の違いである。学校や園では、教師や保育者が集団全体に目を配り、対立が深刻化する前に仲立ちに入ることができる。公園では保護者が近くにいることが多いものの、複数の初対面の子ども同士の関係全体を把握し、必要に応じて仲立ちする専門的な役割を担う大人は基本的に存在しない。この大人の不在は、子ども同士の調整をより子ども自身の手に委ねる結果をもたらす。トラブルが起きても自分たちで解決策を探る経験は、大人が早々に介入する環境では得にくいものであり、この点は公園という場所が持つ教育的な意味の一つとして注目に値する。
8. 参入が難しい子への環境的配慮
第4節で見たように、仲間集団への参入には方略の巧拙が関わるが、その巧拙は本人の努力だけで決まるものではなく、周囲の環境がどう設計されているかにも左右される。行動分析学の研究が、環境の設計によって望ましい行動が生じやすくなることを示してきたのと同様に、仲間関係の研究においても、参入の機会そのものを増やす環境の工夫が注目されてきた。公園という場所に即して考えると、同じ種類の遊具が複数設置されていることは、参入の機会を増やす条件の一つになりうる。ブランコが一台しかなければ、そこに加わる方法は「今使っている子が譲る」以外になく、参入は競合的にならざるを得ない。複数台あれば、隣で同じ動きを始めるという、平行遊びからの緩やかな参入が可能になる。
- 同種の遊具を複数設置する——順番待ちの競合を減らし、隣で始める平行遊びからの参入を可能にする
- 低年齢向けと高年齢向けの遊具を分ける——発達の水準が近い子ども同士が出会いやすくなる
- 見通しのよい配置にする——保護者が全体を見渡せることで、参入に困っている様子に気づきやすくなる
- 座って見守れる場所を近くに置く——大人が過度に介入せず見守れる距離を確保する
- 順番や対象年齢の表示を設ける——初対面の子ども同士でも共通のルールを確認しやすくする
対象年齢の表示や順番待ちの目印といった案内も、参入を助ける環境的な工夫の一つとして位置づけられる。国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」は、遊具の対象年齢の表示を安全対策の観点から求めているが、こうした表示は安全のためだけでなく、初対面の子ども同士が「この遊具は自分と近い年齢の子が使うものだ」という共通の理解を持ちやすくする副次的な効果も期待できる。同様に、順番を待つ位置を示す表示は、参入の際に生じやすい競合——誰が次に使うのかをめぐる言い合い——を減らし、譲り合いという形での緩やかな参入を後押しする可能性がある。
8.1 見守る大人の役割
環境の設計だけでなく、その場に居合わせる大人の関わり方も、参入の成否に影響しうる。輪に入れずにいる子どもに気づいた保護者が、無理に相手の子どもたちのところへ連れて行くことは、かえって本人の気まずさを増す場合がある。むしろ、少し離れた場所から見守りつつ、本人が自分のタイミングで動き出すのを待つという関わり方の方が、参入の主体を子ども自身に残すという点で望ましいとされることが多い。ただし、これも一律の正解があるわけではなく、子どもの年齢や性質、その場の状況によって適切な関わり方は異なる。判断に迷う場合は、保育・教育の専門家や、地域の子育て支援の窓口に相談することが一つの選択肢になる。
さらに、参入の難しさが一時的な気分や状況の問題ではなく、継続的に見られる場合には、感覚の過敏さや対人的なやりとりの独特さといった、発達上の特性が関わっている可能性もある。この場合、公園での参入のしやすさは、遊具の配置や順番待ちの工夫だけで解決できる問題ではなく、専門的な支援と組み合わせて考える必要がある。本稿は、そうした特性を持つ子どもへの具体的な支援方法を論じる立場にはなく、判断と対応は医療・保育・教育の専門機関に委ねられるべきであることを、ここでも改めて確認しておく。
8.2 時間帯や混み具合という条件
環境的な配慮は遊具の配置だけにとどまらない。同じ公園でも、時間帯や曜日によって集まる子どもの数や年齢層は大きく変わる。平日の午前中は未就学児とその保護者が中心になりやすく、放課後や休日の午後は就学児が中心になりやすいというように、時間帯ごとに居合わせる相手の年齢層がおおむね近くなる傾向がある。この傾向は、意図的に設計されたものではないが、結果として参入の難しさを和らげる方向に働いている面がある。混雑した時間帯には遊具をめぐる競合が増え参入が難しくなる一方、空いた時間帯には遊具の順番待ちは減るものの、そもそも一緒に遊べる相手が見つかりにくくなるという、別の難しさも生じる。訪れる時間帯を選ぶという工夫も、参入のしやすさに関わる一つの要素だと言える。
9. 反論と限界——段階説批判と文化的多様性
ここまで用いてきた仲間関係の枠組みに対しては、いくつかの反論が想定できる。第一の反論は、第3節と第9節を通じて触れてきた、パーテンの分類を発達の段階として一方向に読むことへの批判である。ルービンらの研究(1978)が示したように、平行遊びは年少児に限られた未熟な状態ではなく、年齢を問わず初対面の相手との距離を測る過程で現れる。この知見を踏まえると、公園で年長の子どもがひとり遊びや平行遊びをしていても、それを「発達が遅れている」あるいは「協同遊びに進めていない」と解釈するのは誤りである。年齢の異なる子どもたちが入り混じる公園という場所では特に、状態を段階として順位づける発想そのものを慎重に扱う必要がある。
第二の反論は、ソシオメトリック地位の測定方法そのものに向けられる。コーイらの分類は、子どもたちに言葉で「誰と遊びたいか」を尋ねる調査に基づいており、言語による自己表現がまだ限られる幼い子どもや、言葉を用いたやりとりに困難のある子どもには、そのままの形では適用しにくい。また、この調査法は一時点での回答に基づくものであり、日によって、あるいは活動の種類によって変わりうる関係の流動性を十分に捉えられないという限界も指摘されてきた。公園という、そもそも継続的な関係が成立しにくい場所にこの measurement を持ち込むことには、第5節で述べた慎重さに加えて、こうした方法論上の限界も踏まえる必要がある。
9.1 文化的多様性という論点
第三の反論は、仲間関係の研究の多くが欧米、とりわけアメリカの子どもを対象に積み重ねられてきたという由来に関わる。協同遊びを望ましいものとし、対等な仲間との交渉を重視する見方は、個人の自己主張や対等な関係を重んじる文化的な背景と無縁ではない、という指摘がある。年長者への配慮や集団への調和を重視する文化的な背景のもとでは、仲間関係の築き方や、何をもって「うまく参入できた」とするかの基準も異なりうる。本稿はこの論点について確立された結論を持ち合わせておらず、日本の、とりわけ磐田市という一地域の子どもの仲間関係が、本稿で紹介した欧米由来の枠組みにどこまで当てはまるのかについても、慎重な留保が必要である。この点は、本稿の限界として明記しておく。
第四の反論は、仲間関係という枠組みそのものへの、より根本的な問いである。すなわち、公園での子ども同士のやりとりをわざわざ理論で説明する必要があるのか、それは大人が考えすぎているだけで、子どもたちは理論など知らなくても自然に関わり合っているのではないか、という問いである。この問いには一定の妥当性がある。理論は子どもの遊びを豊かにするために使うものではなく、大人がその遊びを乱暴に評価したり、不必要に介入したりしないために、まず理解を深めるための道具である。本稿が仲間関係の概念を整理してきたのは、公園での子どものふるまいをより細かく統制するためではなく、大人が性急な評価や介入を控え、子ども同士の調整の力を信頼するための手がかりを得るためである。
9.2 本稿が扱わない論点
最後に、本稿が扱わない論点をあらかじめ明記しておく。本稿はきょうだい関係や親子関係といった縦の関係を仲間関係と対比のために用いたが、それらの関係自体を詳しく論じるものではない。また、いじめやからかいといった、仲間関係の中でも特に深刻な対人的困難についても、本稿の射程には含めていない。これらは仲間関係研究の中でも独立した重要な論点であり、公園という限られた場面だけでなく、学校や地域社会全体を視野に入れた別個の検討を必要とする。本稿はあくまで、日常的で穏やかな範囲での初対面の子ども同士の関わりに絞って論じるものである。
10. 磐田市の公園への示唆
本稿で整理してきた概念を、磐田市の公園に即して具体的に考えてみる。当サイト「ATAWI PARK」は、磐田市オープンデータ「都市公園一覧」に記載された94園と、市の施設ガイドのみに掲載のある6園を合わせた100園を収録している。種別の内訳は、都市公園法上の街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園、および法の対象外の6園である。国の目安では、街区公園の誘致距離はおおむね250メートル、近隣公園は500メートルとされ、多くの子どもにとって公園は徒歩圏内にある、日常的に立ち寄れる場所として位置づけられている。徒歩圏内にあるということは、同じ地区の子どもたちが繰り返し同じ公園で顔を合わせる可能性が高いということでもあり、第6節で述べた「一期一会だが繰り返しもする」中間的な仲間関係が生まれる土台になりうる。
第8節で論じた、参入の機会を増やす環境的な工夫という観点からは、磐田市オープンデータのフラグ集計で遊具有が64園、砂場有が43園とされている点、また市の施設ガイドの個別の記載から、複数の遊具や複数の年齢層向けの設備を備えた公園が一定数あることが分かる。たとえば今之浦公園(見付・近隣公園・13,675平方メートル)は、市の施設ガイドに「遊びと賑わいのゾーン」として屋根付広場・複合遊具・ふわふわ遊具・噴水広場・芝生広場・3歳未満児遊具、「憩いとふれあいゾーン」として健康遊具・じゃぶじゃぶスポット・流れ・芝生広場が記載されており、年齢の異なる子どもたちがそれぞれ近い発達水準の相手と出会いやすいよう、ゾーンが分けられている点が注目できる。
10.1 インクルーシブな設備という手がかり
第8節では、参入が難しい子どもへの配慮に触れたが、この観点から市の施設ガイドの記載を見ると、安久路公園(御厨・地区公園・32,001平方メートル)には「複合遊具(インクルーシブエリアあり)」「ブランコ(インクルーシブアイテムあり)」という記載がある。インクルーシブな遊具とは、車いすを利用する子どもを含め、多様な身体的特性を持つ子どもが一緒に使える設計の遊具を指す。こうした遊具は、身体的な違いを理由に特定の子どもだけが遊具から離れた場所で見ているという状況を減らし、仲間集団への参入の機会そのものを広げる工夫として理解できる。同じく地区公園である兎山公園(御厨・56,193平方メートル)には、ブランコ・滑り台・ローラー滑り台・幼児用滑り台・ジャングルジムなど幅広い種類の遊具が記載されており、年齢や発達の水準が異なる子ども同士が、それぞれに合った遊具を通じて出会う機会を持ちやすい公園として注目できる。
水堀公園(見付・近隣公園・11,174平方メートル)にも、ブランコ・滑り台・幼児用滑り台・スプリング遊具・砂場・サッカーゴール・多目的広場という記載があり、幼児向けの遊具と、より活発な運動を伴う多目的広場が同じ公園内に併存している。こうした構成は、第3節で論じたパーテンの六分類がいずれも同時に観察されうる条件を整えていると考えられる。ただし、これらはいずれも市の施設ガイドの記載に基づく推測であり、実際にその公園でどのような仲間関係が生まれているか、参入のしやすさがどの程度確保されているかは、当サイトの今後の踏査で確かめるべき課題である。踏査は2026年8月時点でまだ始まっておらず、遊具の配置と子ども同士の関わりとの関係を具体的に検証した事例は、当サイトにはまだない。
10.2 地区ごとの違いという課題
磐田市は見付・中泉・御厨・豊田・南部・向陽・竜洋・福田・豊岡の9地区に分かれ、公園数には地区ごとにばらつきがある。豊田地区の28園、見付地区の21園に対し、南部地区と向陽地区はそれぞれ2園にとどまる。公園数が少ない地区では、近隣の公園に集まる子どもの数や年齢層の幅が、公園数の多い地区とは異なる可能性があり、それが仲間集団の作られ方——集団の大きさや年齢構成の幅——にも影響しうる。この地区ごとの違いは、本稿が整理してきた仲間関係の概念を磐田市の実情に照らして検証するうえで、重要な切り口になると考えられる。当サイトは公園の踏査を今後進める中で、こうした地区ごとの違いについても記録を蓄積していく必要がある。
面積の違いも、仲間関係を考えるうえでの一つの手がかりになる。磐田市オープンデータによれば、竜洋海洋公園(竜洋・総合公園)は221,722平方メートル、かぶと塚公園(見付・総合公園)は106,982平方メートルと、市内でも際立って広い。これほどの面積を持つ公園では、同時に複数の遊びの集団が離れた場所で並行して活動しており、ある集団に参入できなくても、別の場所で別の集団に加わる余地が大きいと推測できる。反対に、二之宮東第2緑地(中泉・都市緑地)の17平方メートルのように、面積が非常に小さい公園では、そもそも複数の集団が同時に成立する余地が乏しく、仲間関係の生まれ方も自ずと異なると考えられる。ただし、この推測を裏づける具体的な観察は、当サイトにはまだない。
11. 結論と今後の課題
本稿は、仲間関係の研究における基本概念——パーテンの遊びの社会的参加の分類、仲間集団への参入方略、ソシオメトリック地位、友情の質——を整理し、それらを公園という場所に当てはめて考えてきた。その結果として明らかになったのは、公園で生じる一時的な集団が、学校や園の固定的な仲間集団や継続的な友情とは異なる、固有の性質を持つということである。初対面性、時間の短さ、専門的な大人による仲立ちの弱さ、そして構成員の入れ替わりの速さという条件のもとで、子どもたちは観察と小さな貢献を通じて集団に加わり、その日限りの、あるいは緩やかに繰り返される関わりを築いている。この関わりは友情の定義そのものには当てはまらないが、対等な他者との開示という点で、友情が育つ土台となる経験を含んでいる可能性がある。
本稿はまた、これらの概念を用いて特定の子どものふるまいを「うまく遊べる・うまく遊べない」と評価的に分類することの危うさを繰り返し指摘してきた。仲間関係の研究は、子どもを分類し序列づけるためではなく、子ども同士の関わりという現象を理解し、必要であれば環境の側から支援するための手がかりとして積み重ねられてきたものである。公園での参入のしやすさを高める工夫——同種の遊具の複数設置、対象年齢や順番の表示、インクルーシブな設備、見通しのよい配置——は、いずれも特定の子どもを変えようとするのではなく、環境の側を調整することで、多様な子どもが参入しやすい条件を整えようとする発想に基づいている。この発想は、第9節で触れた行動分析学的な環境設計の考え方とも通じるところがある。
11.1 今後の課題
今後の課題は大きく三つある。第一に、本稿で用いた仲間関係の概念の多くが欧米の研究に由来する以上、それらが磐田市の子どもの実際のふるまいにどこまで当てはまるのか、当てはまらない点があるとすればそれは何かを、今後の踏査を通じて確かめる必要がある。第二に、本稿は市の施設ガイドの記載から公園の環境的な特徴を推測したにとどまり、実際にその環境のもとでどのような参入や集団形成が生じているかは観察されていない。当サイトが掲げる踏査——現地に赴き、実際の様子を確かめる作業——は、まさにこの空白を埋めるためのものであり、今後、遊具の配置と子ども同士の関わりの関係を、地区ごとの違いも含めて記録していく必要がある。
第三に、参入が難しい子どもへの環境的な配慮について、本稿は一般的な方向性を示すにとどまり、具体的にどのような配慮が有効かは、保育・教育・医療の専門知見と現場の実践に照らして、個別に検討されるべき事柄である。本稿の役割は、こうした個別の判断のための代替ではなく、その手前にある共通の理解の土台を示すことにある。公園で日々繰り返される、名前も知らない子ども同士の出会いと別れは、一見ありふれた光景でありながら、子どもが対等な他者と関わる力を育てる、固有の意味を持つ経験である。この理解に立ち、当サイトは磐田市の公園を、遊具や面積といった物理的な情報だけでなく、そこで生まれる仲間関係という観点からも、今後の踏査を通じて記録していきたい。
本稿を締めくくるにあたり、冒頭で描いた砂場の二人の子どもに立ち返りたい。名前も知らないまま穴を掘り、日が傾くころに別々の方向へ帰っていった二人にとって、その数十分はごく些細な出来事に過ぎなかったかもしれない。しかし、そこには観察と小さな貢献による参入、道具の貸し借りという緩やかな連合、そして唐突な別れという、仲間関係の主要な局面がすべて凝縮されていた。こうした些細な積み重ねの意味を丁寧に見ていくことこそが、公園という場所を学術的に論じる意義であり、本稿はその一つの手がかりを、仲間関係の研究という視点から示そうとしたものである。
参考文献
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- ジャン・ピアジェ(1932)『The Moral Judgment of the Child』(原著仏語、英訳 Free Press、1965)
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- ユリー・ブロンフェンブレンナー(1979)『The Ecology of Human Development』(Harvard University Press)
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。