生命・健康・心理・教育生態心理学

アフォーダンスと遊具——ギブソンの知覚論から仙田満の遊環構造へ

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:生態心理学 公開・更新 2026-08-17 本文 約20,868字 読了目安 38分

要旨

本稿の目的は、生態心理学者J.J.ギブソンが提唱した「アフォーダンス(環境が動物に提供する行為の可能性)」の概念を都市公園の遊具と空間に適用し、子どもが遊具を設計者の意図と違うやり方で使うという、公園でごく普通に観察される現象を理論的に位置づけることである。方法は文献整理と概念分析であり、ギブソン『生態学的視覚論』(1979)、ハーフトによる子ども環境のアフォーダンス分類(1988)、仙田満の遊環構造論(1984)を主な参照軸とする。

検討の結果、次の三点が明らかになる。第一に、子どもの「想定外の使い方」は誤用や逸脱ではなく、身体の寸法と能力に照らして環境が実際に提供している行為の可能性を子どもが発見した結果であり、設計者の意図と子どもの知覚のあいだの「ずれ」こそが遊びの核心である。第二に、ハーフトの分類——平らな面・斜面・つかめる物・登れる物・くぐれる隙間・隠れられる場所・変形できる素材・水——を用いると、遊具の名前ではなく「何ができるか」で公園を記述でき、遊具の少ない園も豊かに読み直せる。第三に、仙田満の遊環構造(循環・安全な変化・シンボル性・めまい・近道・広場・大小の空間)は、個々のアフォーダンスを一つの回遊路につなぐ「配置の理論」として読み替えられ、単体の遊具評価では見えない公園全体の遊びやすさを説明する。

最後に、磐田市の都市公園100園を、遊具の有無や面積ではなく「アフォーダンスの束」と「遊環構造」の観点から読み直し、街区公園51園・近隣公園14園などの種別と地区の分布に照らして、設計と見守りへの示唆を述べる。ただし当サイトの現地踏査は始まっていないため、園ごとのアフォーダンスの実態は今後の踏査で確かめるべき課題として残す。

キーワードアフォーダンス生態心理学ギブソン遊環構造仙田満遊具磐田市

1. はじめに——問題の所在

公園で子どもを見ていると、遊具が「正しく」使われている時間は意外に短いことに気づく。滑り台は上から滑るものだが、子どもは下から駆け上がる。ブランコは座って漕ぐものだが、立ち乗りをし、二人乗りをし、鎖をねじって回転する。鉄棒にはぶら下がるだけでなく、上に座って景色を眺める。柵は越えるものになり、ベンチは飛び降り台になり、砂場の縁石は平均台になる。保護者はしばしばこれを「危ないからやめなさい」と止め、管理者はこれを「想定外の使用」と呼ぶ。だが本稿はまず、この現象そのものを問いとして立てたい。なぜ子どもは、遊具を設計者の意図と違うやり方で使うのか。それは逸脱なのか、それとも遊びの本質なのか。

この問いに正面から答える道具立てを持っているのが、生態心理学(エコロジカル・サイコロジー)である。生態心理学は、知覚を「頭の中で像を組み立てること」としてではなく、「動物が環境の中で動きながら、環境が自分に何を許すかを直接に拾い上げること」として捉える立場であり、アメリカの心理学者ジェームズ・J・ギブソン(1904〜1979)がその中心にいる。ギブソンが晩年の主著『生態学的視覚論』(1979)で定式化した「アフォーダンス(affordance)」——環境が動物に提供(afford)する行為の可能性——という概念は、遊具と子どもの関係を記述するのに驚くほど適している。滑り台の斜面は「滑ること」をアフォードするが、同時に「駆け上がること」もアフォードしている。子どもはそのどちらも知覚しているのであって、片方だけを選ぶ理由は環境の側にはない。

本稿の目的は三つある。第一に、ギブソンのアフォーダンス概念を、遊具と公園空間の記述に耐える程度に平易に整理すること。第二に、その概念を用いて、子どもの「想定外の使い方」を誤用ではなく「別のアフォーダンスの発見」として位置づけ直し、それが安全管理や見守りにとって何を意味するかを検討すること。第三に、アフォーダンスという「個々の行為の可能性」の理論と、日本の環境建築家・仙田満が『こどものあそび環境』(1984)で提示した「遊環構造」という「空間の配置」の理論とを接続し、公園を一つのまとまりとして評価する視点を得ることである。この接続の中継点として、環境心理学者ハリー・ハーフトが1988年に発表した「子ども環境のアフォーダンス分類」を用いる。

滑る駆け上がるどちらが正しいか知覚
図1同じ斜面が「滑る」と「駆け上がる」の両方を提供している。どちらを選ぶかは環境ではなく子どもの側にある——これが本稿の出発点である。

1.1 方法と資料

方法は文献整理と概念分析である。主に参照するのは、ギブソン『生態学的視覚論』(1979)と『生態学的知覚システム』(1966)、日本語圏でアフォーダンス論を紹介した佐々木正人『アフォーダンス——新しい認知の理論』(1994)、ハーフトの1988年論文、仙田満『こどものあそび環境』(1984)および『子どもとあそび』(1992)、遊びの分類にかかわるカイヨワ『遊びと人間』(1958)、そして安全管理の実務基準として国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(2024)である。磐田市の公園に関する固有の事実は、磐田市オープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドに記載のあるものに限る。当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園のデータベースであるが、現地踏査はこれから始まる段階にあり、園ごとの遊具の使われ方については本稿は何も観察していない。したがって本稿の議論は理論的なものであり、磐田の公園への適用は「今後の踏査で確かめるべき仮説」の提示にとどまる。

1.2 本稿の構成

第2節で生態心理学の系譜——ギブソンとバーカー——と、アフォーダンス概念が日本でどう受け取られたかを整理する。第3節でアフォーダンスの定義を、身体寸法との関係(ボディ・スケール)と知覚学習の観点から遊具に即して説明する。第4節で本稿の中心的な問い、すなわち「設計者の意図と違う使い方」の意味を論じ、国の遊具安全指針にいう「リスク」と「ハザード」の区別と重ね合わせる。第5節でハーフトの分類を公園に当てはめ、遊具の名前ではなく「何ができるか」で公園を記述する方法を示す。第6節で仙田満の遊環構造を「アフォーダンスの配置論」として読み替える。第7節で見守りへの示唆を述べ、アフォーダンス論への反論——安全軽視ではないか、大人の役割を軽く見ていないか——に応答する。第8節で磐田市の公園100園への示唆を、種別・地区・園名の事実に照らして述べ、第9節で結論と今後の課題をまとめる。

なお本稿は、生態心理学の理論的な争点(直接知覚をめぐる論争や、アフォーダンスの存在論的な地位についての議論)には深入りしない。読者として想定するのは、磐田市周辺で子どもを公園に連れて行く保護者、公園を管理し計画する行政の担当者、地域で公園に関わる人々、そして環境と行動の関係を学ぶ学生である。理論の厳密さより、公園で子どもを見るときの「見え方」が変わることを目指す。

2. 先行研究と概念の整理——ギブソン、バーカー、ハーフト、仙田

「生態心理学」という名前を掲げる研究の流れには、実は二つの源流がある。一つはギブソンの知覚論、もう一つはロジャー・バーカーの「行動場面(behavior setting)」論である。両者は同時代のアメリカで別々に育ち、後にハーフトらによって接続された。本節では、この二つの源流と、日本での受容、そして仙田満の位置を整理する。

2.1 ギブソン——知覚は環境の中で成り立つ

ギブソンは第二次世界大戦中、パイロットが着陸時に地面をどう知覚するかを研究したことから出発し、知覚は網膜に映る静止画から脳が推論して組み立てるものではなく、動く観察者が環境の中で得る「光の配列の変化」から直接に拾い上げるものだ、と考えるようになった。1966年の『生態学的知覚システム』では、五感を受動的な「感覚器」ではなく、探索する「知覚システム」として捉え直し、1979年の『生態学的視覚論』で「アフォーダンス」という造語を導入した。ギブソン自身の定式化は、環境が動物に「提供する(afford)」もの、良いものであれ悪いものであれ、という表現であり、そこには「アフォーダンスは環境の物理的性質と動物の身体・能力の両方に依存する」という要点が含まれている。地面は大人にとっても子どもにとっても「歩くこと」をアフォードするが、腰の高さの塀は大人には「腰かけること」を、幼児には「よじ登ること」あるいは「向こうが見えない壁であること」をアフォードする。

ここで、ギブソンの妻でもある発達心理学者エレノア・ギブソンの仕事にも触れておく必要がある。彼女はリチャード・ウォークとともに「視覚的断崖(visual cliff)」の実験(1960)で知られる。ガラス板の下に段差を見せる装置の上で、はいはいを始めた乳児が「落ちる場所」の側へ進むのをためらうことを示した実験である。この実験は、乳児が高さの危険をかなり早くから知覚していること、そして知覚が移動能力の獲得と結びついて発達することを示唆した。エレノア・ギブソンはまた、知覚の学習を「新しい像を付け加えること」ではなく「環境の中の違いを、より細かく見分けられるようになること(分化)」として捉えた。この二つ——アフォーダンスは動物の身体と能力に相対的であること、知覚は動きながら分化していくこと——が、子どもと遊具の関係を考える土台になる。

2.2 バーカー——行動は「場面」に属する

もう一つの源流であるバーカーは、カンザス州の小さな町に研究所を構え、子どもたちの一日を丸ごと記録するという方法で、行動が個人の性格よりも「その場所で何が行われるか」という場面のきまりに強く規定されていることを示した(ライトとの共著『Midwest and Its Children』1955、『Ecological Psychology』1968)。教会では祈り、薬局の売店では雑談し、校庭では走る。同じ子どもでも、場面が変われば行動が変わる。この「行動場面」の考え方は、公園という場所が「そこで何をしてよいか」の暗黙の規範を持っていることを思い出させる。遊具の使い方が「想定外」と見なされるのは、物理的に不可能だからではなく、公園という行動場面の規範から外れて見えるからである。

知覚(ギブソン)行為場面(バーカー)きまり
図2生態心理学の二つの源流。ギブソンは知覚と行為の直接の結びつきを、バーカーは行動を規定する「場面」の力を明らかにした。

2.3 ハーフトによる接続と、子ども環境のアフォーダンス

ギブソンの知覚論とバーカーの行動場面論を一つの生態心理学として結びつける仕事をしたのがハリー・ハーフトである。ハーフトは2001年の『Ecological Psychology in Context』で両者を思想史的に接続したが、公園にとってより直接に重要なのは、1988年の論文「子ども環境のアフォーダンス——環境記述への機能的アプローチ」である。ハーフトはそこで、従来の環境記述が「木」「柵」「小川」といった物の名前(形態)で行われてきたのに対し、子どもの環境は「登れる物」「つかめる物」「隠れられる場所」といった行為の可能性(機能)で記述されるべきだと主張し、十項目前後の分類を提案した。この分類は第5節で詳しく扱う。ここでは、遊具の名前ではなく「何ができるか」で公園を見る、という視点の転換がハーフトに由来することを確認しておく。

ハーフトの分類はその後、フィンランドの環境心理学者マルケッタ・キュッタらによって、子どもの独立した移動(一人で行動できる範囲)と「実際に使われたアフォーダンスの数」を組み合わせて子どもにやさしい環境を評価する枠組みに発展した。細部には立ち入らないが、「環境がどれだけの行為の可能性を提供しているか」と「子どもがそれを実際に使えるか(自由に動けるか)」を分けて考えるという発想は、本稿の第7節(見守り)でも用いる。

2.4 日本での受容と仙田満の位置

日本でアフォーダンス概念が広く知られるようになったのは、認知科学者・佐々木正人の『アフォーダンス——新しい認知の理論』(1994)以降である。同時に、デザインの分野ではドナルド・ノーマンの『誰のためのデザイン?』(1988)を通じてこの語が広まったが、ノーマンの用法はギブソンのそれとは異なり、「利用者にどう使えばよいかが見た目で伝わること」を指していた。ノーマン自身が後にこれを「知覚されたアフォーダンス」あるいは「シグニファイア(手がかり)」と呼び分けたのは、この混同を整理するためである。本稿では第4節で、この二つの用法の違いが遊具の「想定外の使い方」を考えるうえで決定的に重要になることを示す。

一方、環境建築家の仙田満は、アフォーダンス論とは別の系譜——子どもの遊び場の実地調査と設計実践——から出発して、『こどものあそび環境』(1984)で「遊環構造」という空間の型を提示した。仙田は各地の子どもの遊びを長年観察し、子どもがよく遊ぶ場所に共通する構造として、循環する道、安全で変化に富む部分、シンボル性の高い場、めまいを体験できる部分、近道、循環に取りつく広場、大小の空間の組合せ、という条件を挙げた。仙田は生態心理学者ではないが、「子どもがどこで、どのように遊ぶか」を環境の側の構造から説明しようとした点で、その仕事はアフォーダンス論と深く共鳴する。この共鳴を第6節で明示的に取り出すことが、本稿の独自の試みである。

人物・年主な仕事公園への含意
J.J.ギブソン 1966・1979知覚システム論/アフォーダンス遊具は「行為の可能性の束」として知覚される
E.ギブソン&ウォーク 1960視覚的断崖の実験乳児も高さの危険を早くから知覚する
バーカー 1955・1968行動場面論「想定外」は場面の規範から外れて見えること
ノーマン 1988デザインへの転用(知覚されたアフォーダンス)設計者の意図の伝わり方と実際の可能性は別
ハーフト 1988子ども環境のアフォーダンス分類遊具名でなく「何ができるか」で公園を記述
仙田満 1984遊環構造個々の可能性を回遊路につなぐ配置の理論

3. アフォーダンスとは何か——遊具に即した定義

本節では、アフォーダンスの定義を遊具に即して具体化する。抽象的な定義は「環境が動物に提供する行為の可能性」で尽きているが、この定義が公園で実際に何を意味するかは、三つの性質——相対性・実在性・複数性——に分けて説明するとわかりやすい。

3.1 相対性——アフォーダンスは身体との関係で決まる

第一の性質は、アフォーダンスが環境の絶対的な性質ではなく、動物の身体と能力との関係で決まることである。ギブソン以後の研究では、これを「ボディ・スケール(身体尺度)」の問題として実験的に扱う研究群がある。よく知られた例では、人が段差を「登れる」と知覚するかどうかは、段差の高さそのものではなく、段差の高さとその人の脚の長さの比によって決まる、という知見が示されている。つまり同じ60センチの段差が、大人には「またげる縁」であり、5歳児には「よじ登る壁」であり、1歳児には「行く手をふさぐ崖」である。三人は同じ物を見ているのではない。三人は三つの違うアフォーダンスを知覚している。

この相対性は、公園の遊具に「対象年齢表示」があることの理論的な根拠でもある。国土交通省の遊具安全指針が遊具への対象年齢表示を求めているのは、同じ遊具が年齢(身体)によって全く違う課題になるからである。幼児用滑り台と通常の滑り台が別の遊具として作られるのも同じ理由による。磐田市の施設ガイドにも、上野公園や水堀公園のように「滑り台」と「幼児用滑り台」を併記する園があるが、アフォーダンス論から見ればこれは「同じ形を小さくした」のではなく「別の行為の可能性の束を提供している」のである。

3.2 実在性——見え方の問題ではなく、できることの問題

第二の性質は、アフォーダンスが「主観的な見え方」ではなく、環境と身体の関係として実在することである。子どもがまだ気づいていなくても、登れる木は登れるし、滑れる斜面は滑れる。逆に、いくら登れそうに見えても、腐った枝は体重を支えることをアフォードしない。ここに「知覚されたアフォーダンス」(ノーマンの用法)と「実在するアフォーダンス」(ギブソンの用法)の区別が生じる。両者は一致するとは限らない。登れそうに見えて登れない物は危険であり、登れるのに登れそうに見えない物は使われない。遊具の設計とは、この二つを一致させる仕事だと言い換えることができる。すなわち、子どもの身体で実際にできることが、子どもにそのまま見えるように作ること。国の指針が遊具の劣化・腐食の点検を求めるのは、劣化とはまさに「見た目のアフォーダンスと実際のアフォーダンスが乖離していくこと」だからである。

幼児には壁大人には段差できることが違う身体との比
図3同じ段差でも、身体の大きさとの比によってアフォーダンスは変わる。対象年齢表示や幼児用遊具の区別は、この相対性に根拠を持つ。

3.3 複数性——一つの物は多くの行為をアフォードする

第三の性質は、一つの物が常に複数のアフォーダンスを同時に提供していることである。ベンチは「座ること」をアフォードするが、同時に「上に立つこと」「下にもぐること」「縁を歩くこと」「後ろに隠れること」「荷物を置くこと」をアフォードする。設計者はこのうち一つを「用途」として選び出して名前を付けるが、名前は環境の側の可能性を一つに絞りはしない。子どもが大人より多くの使い方を見つけるのは、子どもが規範(この物はこう使うものだ、という社会的な約束)をまだ十分に内面化しておらず、環境をより率直に——できることの束として——知覚しているからだと解釈できる。

この複数性を意図的に設計へ取り込んだ議論として、建築家サイモン・ニコルソンの「ルース・パーツ(loose parts)の理論」(1971)がある。ニコルソンは、環境の中の可変要素——動かせる物、組み合わせられる物、砂や水のような形の定まらない素材——の種類と数が多いほど、そこで生まれる発見と創造の可能性は大きくなる、と論じた。固定遊具が「決まった行為の可能性」を提供するのに対し、砂・水・枝・落ち葉は「組み替えられる可能性」そのものを提供する。砂場が古典的な遊び場でありつづけるのは、砂が「掘る・盛る・崩す・固める・混ぜる・埋める」というほとんど無限のアフォーダンスの供給源だからである。磐田市のオープンデータでは、94園のうち砂場有りは43園と数えられている。遊具の数では見劣りする園も、砂場が一つあれば、アフォーダンスの総量では決して貧しくない——これがルース・パーツ理論からの帰結である。

3.4 知覚学習——遊びとは、アフォーダンスの探索である

以上の三つの性質を発達の時間軸に乗せると、遊びの生態心理学的な定義が得られる。子どもの身体は成長し続けるから、環境とのあいだのアフォーダンスも変わり続ける。昨日は登れなかった台に今日は登れる。昨日はくぐれた隙間に今日はつかえる。子どもは自分の身体の「今の限界」を知るために、環境を繰り返し試す必要がある。エレノア・ギブソンの言う知覚の分化——環境の違いをより細かく見分けられるようになること——は、まさにこの試行の中で進む。遊びとは、変わり続ける自分の身体と環境との対応関係を、行為によって更新し続ける探索である、と言うことができる。子どもが同じ滑り台を何十回も滑り、少しずつ滑り方を変える(頭から、うつ伏せで、二人で、途中で止まって)のは、飽きたのではなく、一つのアフォーダンスの周辺を系統的に探索しているのである。この見方は、第4節で論じる「想定外の使い方」の評価を根本から変えることになる。

知覚学習には、もう一つの側面がある。子どもは一人で探索するだけでなく、他の子どもの行為を見ることでもアフォーダンスを学ぶ。年長の子が塀の上を歩くのを見た年少の子は、その塀が「歩ける」ことを、自分で試す前に知覚の候補として受け取る。ただし相対性の原理はここでも働く——年長の子に歩けた塀が、自分にも歩けるとは限らない。他者の行為の観察は可能性の存在を教えるが、自分にとっての可能性かどうかは、結局は自分の身体で確かめるしかない。公園という場所の教育的な価値の一つは、さまざまな身体の他者が同じ環境を違うやり方で使う様子を、幼い観察者が安全な距離から見られることにある。異年齢の子どもが混ざる公園は、この意味で、アフォーダンスの「見本市」として機能している。

4. 「設計者の意図と違う使い方」の意味——誤用か、発見か

本節は本稿の中心的な問いを扱う。滑り台を下から登る、ブランコに立ち乗りする、柵の上を歩く——こうした行動を、私たちはどう理解し、どう扱うべきか。アフォーダンス論の答えは明快である。それは誤用ではなく、環境が実際に提供している別のアフォーダンスの発見である。滑り台の斜面は、摩擦と傾きの関係で「滑ること」をアフォードすると同時に、靴底のグリップと脚力の関係で「駆け上がること」をアフォードしている。後者は設計者が選ばなかった可能性であって、環境に存在しない可能性ではない。子どもの知覚は正確に働いている。

4.1 「用途」は社会的な約束であって、環境の性質ではない

ここで第2節のバーカーを思い出したい。「滑り台は上から滑るもの」という了解は、環境の物理的性質ではなく、公園という行動場面の規範である。規範には根拠がある——多くの場合、それは衝突の回避(下から登る子と上から滑る子がぶつかる)という安全上の根拠である。だがアフォーダンス論は、規範の根拠を問い直すことを可能にする。「他の子が誰もいない時に、下から登ること」は、衝突の危険を伴わない。このとき「下から登ってはいけない」という規範は、安全の根拠を離れて、規範のための規範になっている。逆に、混雑時の立ち乗りブランコは、周囲の子との衝突という実質的な危険を伴う。つまりアフォーダンス論は「想定外の使い方を全て許せ」とは言わない。言うのは、「想定外かどうか」ではなく「その状況で実際に何が起こりうるか」で判断せよ、ということである。

4.2 リスクとハザード——国の指針との重ね合わせ

この判断の枠組みは、実は日本の遊具安全管理の公式な考え方と一致している。国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」は、遊びの価値を認めたうえで、危険を「リスク」と「ハザード」に区別する。リスクとは、子どもが自分で予測し、挑むかどうかを選べる危険であり、遊びの価値の一部である。ハザードとは、子どもが予測できない、あるいは予測しても対処できない危険であり、除去されるべきものである。高い所に登ることはリスクでありうるが、登り棒の金具の緩みはハザードである。

アフォーダンスの言葉で言い換えると、この区別はきわめて明快になる。リスクとは、知覚できるアフォーダンスの限界への挑戦である。子どもは「登れるかどうか」を見て、試して、確かめられる。ハザードとは、知覚されたアフォーダンスと実在のアフォーダンスの乖離である。しっかり見える手すりが実は緩んでいるとき、子どもの知覚は裏切られる。子どもには乖離を見抜く手段がないから、これは大人の点検が引き受けるべき領域になる。指針が求める定期点検とは、生態心理学的に言えば「公園のアフォーダンスの表示に偽りがないかを検査する仕事」である。

区別アフォーダンス論での言い換え誰が扱うか
リスク(挑戦できる危険)知覚できる可能性の限界を試すこと子ども自身(見守りの下で)
ハザード(予測できない危険)見かけと実際のアフォーダンスの乖離管理者の点検・保護者の下見
規範(〜してはいけない)場面の約束。状況により根拠が変わる大人が状況ごとに判断
挑戦=リスク点検乖離=ハザード見て選べる
図4リスクは子どもが見て選べる挑戦、ハザードは見かけと実際のずれ。前者は遊びの価値、後者は点検で除くべきもの——国の指針とアフォーダンス論は同じ区別に到達する。

4.3 ノーマン的アフォーダンスとの違いが効いてくる場面

第2節で触れたノーマンの用法——「どう使えばよいかが見た目で伝わること」——との違いは、ここで実際的な意味を持つ。デザインの世界では、想定外の使い方は「シグニファイア(手がかり)の失敗」であり、正しい使い方が伝わるよう設計を改善すべき問題である。ドアの押し引きを間違えさせる取っ手は悪い取っ手である。しかし遊具は、道具ではなく遊び場である。遊具において「想定外の使い方が生まれること」は、伝達の失敗ではなく、環境が豊かである証拠でありうる。一通りの使い方しか生まない遊具は、ドアとしては優秀だが、遊び場としては貧しい。仙田満が後の著作で、決まりきった使い方しかできない既製遊具の限界を論じ、子どもが遊び方を発明できる空間を設計しようとしたのは、この意味で正確な直観だった。

ただし、この「豊かさ」の擁護には限定を付す必要がある。遊具の構造には、設計時に想定された荷重・動線・落下範囲があり、想定外の使い方はそれらの前提の外に出ることがある。指針が遊具ごとの安全領域(落下や飛び出しに備えて確保すべき周辺の空間)を定めているのは、想定内の使い方を前提とした計算である。立ち乗りのブランコは、座り乗りより遠くへ飛び出しうる。つまり「想定外の使い方」は、リスクとして子どもに委ねてよい場合と、安全領域の前提を壊すためにハザードに転化する場合の両方がある。この線引きは一般論では引けず、遊具の種類・混雑・年齢構成という状況に依存する。だからこそ、次節以降で述べる「環境を読む」力が、保護者と管理者の双方に求められるのである。

小括する。子どもの想定外の使い方は、知覚の正確さの現れであり、遊びの探索の一部である。それを一律に禁止することは、遊びの価値の中核を削る。同時に、それを一律に放任することは、安全領域や混雑という文脈を無視する。アフォーダンス論が与えるのは「禁止か放任か」の二択ではなく、「この場所・この状況で、環境は実際に何を提供しており、何が起こりうるか」を見る目である。

5. ハーフトの分類——遊具の名前ではなく「何ができるか」で公園を読む

第2節で予告したハーフトの「子ども環境のアフォーダンス分類」(1988)を、本節で公園に当てはめる。ハーフトの提案の核心は、環境の目録を物の名前(滑り台、ブランコ、木、柵)で作るのをやめ、機能——子どもの身体に対して何を提供するか——で作り直すことである。ハーフトが挙げた分類は、おおよそ次のような項目からなる。平らで比較的なめらかな面(歩く・走る・自転車に乗る)、比較的なめらかな斜面(滑り降りる・駆け上がる・転がる)、つかめる/離せる物(投げる・掘る・積む)、固定された物(飛び越える・上に立つ・回る軸にする)、固定されていない物(運ぶ・積み上げる)、登れる構造(登る・見晴らす・降りる)、開口・隙間(くぐる・出入りする・のぞく)、遮蔽のある場所(隠れる・秘密基地にする)、変形できる素材——砂・土(掘る・造形する)、水(浮かべる・混ぜる・注ぐ)、といった項目である。

5.1 遊具をアフォーダンスに分解する

この分類表を持って遊具の一覧を見直すと、見え方が変わる。滑り台は「なめらかな斜面+登れる構造+(階段という)段差+(滑降面の下の)遮蔽」の複合である。複合遊具とは、文字どおりアフォーダンスの複合体——斜面・登る網・くぐるトンネル・渡る橋・見晴らす塔——を一つの構造にまとめたものである。磐田市の施設ガイドの記載を借りれば、つつじ公園の複合遊具は「滑り台、ネットクライム、雲梯等」、竜洋川袋公園のそれは「滑り台、リングジム、吊り橋チェーン等」と表記されるが、これをハーフト式に読み替えると、前者は「斜面・登れる網・ぶら下がる桟」、後者は「斜面・くぐり登る格子・揺れる足場」となり、二つの遊具が提供する行為の可能性の違いが名前より正確に見えてくる。

同じ読み替えは、遊具ではない要素にも及ぶ。磐田市の施設ガイドで竜洋川袋公園と福田ふるさと公園に記載のある「築山」は、遊具一覧では脇役に見えるが、アフォーダンスの目録では「斜面(駆け上がる・転がり降りる・滑り降りる)+高み(見晴らす)+反対側(隠れる)」という多機能の塊である。一ノ谷公園の「一ノ谷遺跡」や京見塚公園の「京見塚古墳」のような史跡の地形も、行為の可能性としては築山と連続している(文化財としての制約は当然あるが、地形が子どもに何かを提供していること自体は変わらない)。ハーフトの分類は、遊具の数を数えるだけでは見えない環境の豊かさを可視化する。

斜面登れる構造渡る・くぐる見晴らす
図5複合遊具はアフォーダンスの複合体である。名前でなく「何ができるか」に分解すると、遊具どうし・遊具と地形の比較が可能になる。

5.2 「遊具の少ない公園」の読み直し

この視点の実際的な効用は、「遊具の少ない公園」の評価が変わることである。磐田市のオープンデータ94行の集計では遊具有りが64園であり、遊具の記載がない園も少なくない。都市緑地や広場公園には遊具のない園が多い。遊具一覧だけを見れば、これらは「遊べない公園」に見える。しかしハーフトの目録で見れば、原っぱは「走る・転がる・寝転ぶ・ボールを追う」面であり、植え込みの縁は「隠れる」遮蔽であり、縁石は「渡る」細い道であり、落ち葉とどんぐりは「集める・投げる・積む」つかめる物である。ニコルソンのルース・パーツ理論(第3節)が言うとおり、可変の素材は固定遊具より多くの発見を生むことさえある。

ただし、この読み直しには限度がある。アフォーダンスは身体との関係だから、同じ原っぱでも、走り回れる年齢の子には豊かで、座って物をつかむ段階の乳児には「芝生の感触」以上のものを提供しにくい。また「隠れられる場所」は、遊びの価値であると同時に、保護者から見えない場所でもあり、見通し(サイトライン)の問題と表裏をなす。アフォーダンスの目録は価値の一覧であって、価値の保証ではない。それでも、「遊具がないから連れて行っても仕方がない」という判断を、「この年齢の子に、この場所は何をアフォードするか」という問いに置き換えること——それだけで公園選びの精度は上がる、というのが本節の主張である。

5.3 水と砂——変形素材の特権的な位置

ハーフトの分類の中で、水と砂(変形できる素材)は特権的な位置を占める。固定された構造のアフォーダンスは有限だが、変形素材は行為のたびに形を変え、新しい可能性を生み続けるからである。磐田市の施設ガイドの記載では、今之浦公園に「じゃぶじゃぶスポット、流れ」と「噴水広場」、安久路公園に「流れ」、豊田香りの公園に「カスケード(滝)」があり、砂場は先述のとおりオープンデータ集計で43園にある。水と砂が隣接する場所では、両者を混ぜるという最も豊かな変形遊びが可能になる——泥は、砂とも水とも違う第三の素材である。もっとも、水は同時に、幼い子にとって重大な危険(ハザードになりうる深さ・流れ)と隣り合う素材でもあり、水辺の遊びが保護者の同伴と注視を前提とすることは、指針や関係機関が繰り返し求めるとおりである。変形素材の豊かさと危うさは同じ性質——形が定まらないこと——から来ている。この点は第7節の見守り論で再説する。

変形素材にはもう一つ、固定遊具にない性質がある。時間とともに状態が変わることである。雨上がりの砂場は乾いた砂場と別の素材であり、固く締まった砂は掘りにくいが型抜きには向く。夏の水と冬の水は別の体験である。落ち葉は秋にだけ現れる。つまり変形素材のある公園は、季節と天候によってアフォーダンスの目録そのものが入れ替わる公園であり、「同じ公園に何度も行く」ことの意味を根本から支えている。固定遊具だけの公園が回数とともに探索し尽くされていくのに対し、砂・水・植栽のある公園は、訪れるたびに少しずつ別の場所である。公園選びにおいて「近くて何度も行ける園」の価値を考えるとき、この時間的な可変性は面積や遊具数と並ぶ独立の評価軸になりうる。

6. 仙田満の遊環構造——アフォーダンスの配置論として読む

前節までの議論は、個々の物や場所が「何をアフォードするか」を扱ってきた。しかし公園の遊びやすさは、アフォーダンスの目録の長さだけでは決まらない。同じ部品を持つ二つの公園でも、部品の配置によって遊びの生まれ方はまるで違う。この「配置」の理論を、日本で最も体系的に示したのが仙田満の遊環構造論である。本節では遊環構造の七つの条件を紹介し、それぞれを生態心理学の言葉に翻訳する。

6.1 遊環構造の七条件

仙田は各地の遊び場の観察から、子どもがよく遊び、遊びが長く続く空間に共通する構造を取り出し、『こどものあそび環境』(1984)などでおおよそ次の七条件にまとめた。(1)循環機能があること——ぐるぐる回れる道筋があること。(2)その循環が安全で変化に富んでいること。(3)シンボル性の高い場やポイントがあること——「あの塔まで」と目指せる目印。(4)めまいを体験できる部分があること——滑る・回る・揺れる・跳ぶといった平衡感覚の揺さぶり。(5)近道(ショートカット)ができること。(6)循環に広場が取りついていること。(7)全体が大きな空間と小さな空間の組合せでできていること。

この七条件は、設計の経験則として読まれることが多い。しかし一つずつ見ると、それぞれが生態心理学の概念に正確に対応していることがわかる。以下、翻訳を試みる。

6.2 七条件の生態心理学的翻訳

(1)循環と(5)近道は、個々のアフォーダンスを「連鎖」させる仕組みである。滑り台を滑り終えた子が、そのまま次の登り口へ向かえるとき、行為は途切れずに連続する。ギブソンの知覚論で強調されるのは、知覚が静止した観察ではなく移動の中で成り立つことだった。回遊できる空間とは、移動しながら次々と新しいアフォーダンスが視野に入ってくる空間である。近道は、その連鎖に選択肢を加える——追いかけっこにおいて近道は、逃げ手と追い手の駆け引きそのものを生む。(6)広場が循環に取りついていることは、連鎖の「結節点」であり、鬼ごっこの開始地点、休息、合流をアフォードする。広場はまた、保護者にとっての「見通しの利く観察点」でもあり、遊びの連鎖と見守りの成立を同じ配置が同時に支えるという点で、遊環構造の中でも実務的な重みが大きい。

(4)めまいは、カイヨワが『遊びと人間』(1958)で遊びの四類型の一つに数えた「イリンクス(眩暈)」に直接対応する。生態心理学の言葉では、これは平衡と姿勢制御のシステムをあえて限界近くで働かせる遊びである。ブランコ・回転遊具・高速の滑降は、いずれも「自分の身体の制御可能性の縁」を探索する行為であり、第3節で述べた「アフォーダンスの限界の系統的探索」の最も純粋な形である。磐田市の施設ガイドの記載で言えば、兎山公園の回転ジムやターザンロープ、竜洋十束公園の「大波ワイドスライダー」などがこの類型に当たる。(3)シンボル性の高い場は、環境の中の「目指す先」であり、行為の目標を遠くから知覚させる。高い塔や大きな遊具は、公園に入った瞬間に「あそこへ行く」という最初の行為を引き出す。

(2)安全な変化と(7)大小の空間の組合せは、アフォーダンスの多様性を身体の多様性に対応させる条件である。小さな空間——隠れられる遮蔽、幼児向けの低い遊具——と大きな空間——走り回れる広場、挑戦的な大型遊具——が併存することで、異なる年齢・異なる気分の子どもが同じ公園の中に自分のアフォーダンスを見つけられる。これはハーフトの目録(第5節)を、一つの敷地の中に濃淡をつけて配置する、ということでもある。

遊環構造の条件生態心理学的翻訳
循環機能移動の中でアフォーダンスが連鎖して知覚される
安全で変化に富む循環挑戦(リスク)はあるが乖離(ハザード)のない道筋
シンボル性の高い場行為の目標が遠くから知覚できる
めまいの体験平衡制御の限界の探索(カイヨワのイリンクス)
近道連鎖に選択肢を加え、駆け引きを生む
循環に取りつく広場連鎖の結節点(開始・合流・休息)
大小の空間の組合せ多様な身体に多様なアフォーダンスを対応させる
目印の遊具回遊する広場大小の空間
図6遊環構造は、個々のアフォーダンスを回遊路でつなぐ配置の理論である。目印・循環・広場・大小の空間がそろうと遊びは連鎖する。

6.3 配置論の含意——「遊具を置く」から「つなぐ」へ

この翻訳から得られる含意は、公園の評価軸の転換である。遊具を単体で評価する見方(何がある、いくつある)から、遊具と地形と広場が「つながっているか」を見る見方(滑り終えた場所から次の登り口が見えるか、広場は循環に接しているか、幼児の場と年長児の場は分かれつつ見通せるか)への転換である。仙田の観察が示唆するのは、遊びが長続きする公園と、すぐに飽きられる公園の差は、しばしば遊具の数ではなく配置にある、ということだった。この評価軸は、遊具の設置数を増やす予算がなくても、既存の要素の間の「つながり」を改善する——動線をふさぐ柵を見直す、広場と遊具の間の見通しを開く——ことで公園を豊かにできる、という実務的な希望を含んでいる。当サイトの今後の踏査でも、遊具の一覧だけでなく「回遊できるか」「目印があるか」「大小の空間があるか」という遊環構造の項目を観察の柱に据えることが考えられる。

7. 見守りへの示唆と、反論への応答

アフォーダンス論は設計者だけの理論ではない。公園で子どものそばにいる大人——保護者・祖父母・見守りの担い手——にとっても、日々の判断を変えうる。本節では見守りへの示唆を三点にまとめ、その後、アフォーダンス論に向けられうる三つの反論に応答する。

7.1 見守りの三つの示唆

第一の示唆は、「行為を見る前に、環境を見る」である。子どもが遊具に向かって走り出したとき、大人が見るべきは子どもだけではない。その遊具が今この子の身体に何をアフォードしているか——濡れて滑りやすくなっていないか、下に他の子がいないか、この子の脚はあの段に届くか——である。ハザード(見かけと実際の乖離)の検出は大人の仕事であり、それは子どもを見つめることではなく環境を読むことによってなされる。到着直後の一巡り——地面・遊具の状態・他の利用者の年齢構成を見ること——は、生態心理学的に最も合理的な見守りの第一歩である。

第二の示唆は、「挑戦の中断は、探索の中断である」を知ったうえで介入を選ぶことである。第3節で述べたとおり、子どもは自分の身体の限界を系統的に探索している。登り棒の途中で止まっている子は、失敗しているのではなく、しばしば「ここまでは行ける」を確かめている。安全上の必要がないのに先回りして抱き上げることは、探索のデータ収集を打ち切ることになる。もちろん介入が必要な場面はある——ハザードがあるとき、落下が重大な結果を生む高さのとき、他児との衝突が迫るとき。アフォーダンス論は放任を勧めるのではなく、「介入の理由を環境の側の事実で言えるか」を自問する習慣を勧める。

第三の示唆は、「禁止の言葉を、環境の言葉に翻訳する」である。「危ないからダメ」は場面の規範の言葉であり、子どもに環境を読む力を与えない。「下から登るのは、上に誰もいない時だけ」「濡れている日は滑り台が速くなる」は環境の言葉であり、子ども自身のアフォーダンス知覚を育てる。長期的に子どもを守るのは、禁止の目録ではなく、環境を読む力そのものである——これは第4節のリスク/ハザード区別の、家庭での実践形にほかならない。

まず環境を見る待つ環境の言葉で介入は乖離に
図7見守りの三示唆。環境を先に読み、探索は待ち、介入の理由を環境の事実で語る。禁止の言葉より環境を読む力を育てる。

7.2 反論への応答(1)——安全軽視ではないか

第一の反論は、「想定外の使い方を擁護するのは安全軽視だ」というものである。応答はすでに第4節で述べた区別に尽きる。アフォーダンス論が擁護するのは、知覚できる挑戦(リスク)であって、知覚できない乖離(ハザード)ではない。むしろこの理論は、点検の意義を「アフォーダンス表示の検査」として基礎づけ、大人の役割を明確化する。なお、けがの予防や応急の判断は個別の状況によるものであり、本稿は一般論を述べるにとどまる。具体的な判断は医療機関・関係機関の情報に拠るべきである。

7.3 反論への応答(2)——文化と学習を軽く見ていないか

第二の反論は理論的なもので、「アフォーダンス論は環境と身体の関係だけを語り、遊びが文化的に伝承されること——鬼ごっこのルール、遊具の使い方の流行——を説明できないのではないか」というものである。これは正当な指摘であり、本稿はアフォーダンス論が遊びの全てを説明するとは主張しない。バーカーの行動場面論(第2節)が示すとおり、場面の規範や年長児から年少児への伝承は、環境の物理的性質に還元できない層をなす。ただし両者は排他的ではない。「縁石の上を歩く」というアフォーダンスの発見が、「落ちたら負け」というルールの発明に接続されるとき、環境の可能性と文化の創造は連続している。アフォーダンスは遊びの素材の理論であり、文化はその調理の理論である、と整理できる。

7.4 反論への応答(3)——結局は設備の良い公園が良い公園ではないか

第三の反論は実際的なもので、「理屈をこねても、遊具が多く新しい公園が良い公園だという常識は変わらないのではないか」というものである。応答は二つある。第一に、第5節で示したとおり、アフォーダンスの目録は遊具の目録より広い。地形・植栽・砂・水・落ち葉を数え入れれば、遊具の少ない園の価値は実際に上がる——これは強がりではなく記述の精度の問題である。第二に、第6節で示したとおり、遊びの持続は配置に依存する。遊具の数と遊びの豊かさの間に単純な比例関係を想定する根拠は薄い。もっとも、この応答には誠実な限定を付す。トイレや駐車場のような設備は、アフォーダンス論の外側で公園の使いやすさを規定するし、乳幼児連れにとって「幼児用遊具があるか」は現実的な選択基準である。アフォーダンス論は公園評価の全部ではなく、見落とされてきた一面——環境が行為に対して開いている度合い——を測る物差しの追加である。

註:本節の見守りの示唆は一般的な考え方の整理であり、個々の子どもの発達や体調に応じた判断を代替するものではない。けがへの対応や受診の要否は、医療機関・関係機関の情報と判断に拠られたい。

8. 磐田市の公園への示唆

本節では、前節までの理論を磐田市の公園に引き寄せる。用いる事実は、磐田市オープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドに記載のあるものに限る。当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園(オープンデータ94行+市施設ガイドのみ掲載の6園)を収録するデータベースであり、運営は富士ヶ丘サービス株式会社である。現地踏査は始まっていないため、以下はデータの読み替えと、踏査で確かめるべき仮説の提示である。

8.1 種別構成をアフォーダンスの目で読む

磐田市の100園の種別構成は、街区公園51園・近隣公園14園・都市緑地10園・地区公園4園・総合公園3園・運動公園3園・風致公園3園・広場公園2園・緑道2園・墓園1園・歴史公園1園・法対象外6園である。国の標準では街区公園は0.25ha・誘致距離250mとされ、徒歩数分圏の日常の遊び場を担う。半数を占める街区公園は、面積の制約上、遊環構造の七条件を全て備えることは難しい——循環路も大小の空間の組合せも、一定の広さを要するからである。だからこそ街区公園の評価では、ハーフト式の目録(何ができるか)が特に有効になる。ブランコ・滑り台・砂場という定番の構成でも、「揺れる・滑る・登る・変形素材」という基本アフォーダンスは押さえられているし、縁石・植栽・地面の起伏がそれを補いうる。

一方、地区公園・総合公園の規模になると、遊環構造の条件がそろいうる。施設ガイドの記載を遊環構造の語彙で読み替えてみると、たとえば兎山公園(地区公園・御厨・56,193㎡)には、ブランコ・滑り台・ローラー滑り台・ジャングルジム・回転ジム・ターザンロープ・ザイルクライム——めまい系と登攀系のアフォーダンスの厚い束——が記載され、安久路公園(地区公園・御厨・32,001㎡)には複合遊具・幼児用遊具・砂場・流れ——大小の空間と変形素材——が記載されている。今之浦公園(近隣公園・見付・13,675㎡)は、市の施設ガイドが「遊びと賑わいのゾーン」と「憩いとふれあいゾーン」を分けて記載しており、屋根付広場・複合遊具・噴水広場・芝生広場・3歳未満児遊具、そして健康遊具・じゃぶじゃぶスポット・流れという構成は、大小の空間の組合せと変形素材(水)の配置として読める。これらの園で実際に回遊路が成立しているか——滑り終えた場所から次の登り口が見えるか、広場が循環に接しているか——は、踏査の中心的な観察項目になる。

100園種別で異なる大型園は構造街区園は目録
図8磐田市の公園100園。小さな街区公園はアフォーダンスの目録で、大きな地区・総合公園は遊環構造で読む——規模に応じて物差しを替える。

8.2 「遊具のない園」の再評価と地区の分布

オープンデータ94行の集計では、遊具有りは64園、砂場有りは43園である。都市緑地10園の多く——二之宮東第2緑地(17㎡)から権現緑地(3,264㎡)まで——には遊具の記載がない。第5節の議論に従えば、これらの園の価値は遊具一覧では測れない。芝生や植栽や縁石が、幼い子の「歩く・つかまる・拾う」をアフォードしている可能性は、面積17㎡の緑地についてさえ、データからは否定も肯定もできない。地区別では、豊田28園・見付21園・中泉14園・御厨13園・竜洋13園・福田4園・豊岡3園・南部2園・向陽2園と園数に差があるが、園数の差がアフォーダンス総量の差を意味するとは限らない——豊岡の獅子ヶ鼻公園の施設ガイドには丸太くぐり・壁のぼり等の木製アスレチック遊具やターザンロープの記載があり、少数の園に厚い束が置かれている地区もある。園数・面積・遊具数という従来の物差しと、アフォーダンスの目録という物差しは、別々の地図を描く。

同じ読み替えは、変形素材の分布にも適用できる。第5節で述べたとおり、砂と水は行為のたびに新しい可能性を生む特権的な素材であり、磐田では砂場が43園に分散する一方、施設ガイドに水遊び系の記載がある園——今之浦公園のじゃぶじゃぶスポットと流れ、安久路公園の流れ、豊田香りの公園のカスケードなど——は限られる。つまり「砂のアフォーダンス」は市内に広く薄く、「水のアフォーダンス」は少数の園に厚く配置されている、という粗い見取り図が描ける。徒歩圏の街区公園で砂と親しみ、休日に水のある園へ出かける、という使い分けは、この分布の素直な読み方である。ただし各園の砂場や流れの実際の状態は、当サイトの今後の踏査で確かめるべき事項である。

8.3 インクルーシブの視点——誰の身体にとってのアフォーダンスか

第3節で述べた相対性——アフォーダンスは身体との関係で決まる——は、インクルーシブ(障害の有無にかかわらず遊べること)の議論に直結する。通常のブランコは「座位を自力で保てる身体」を前提としており、その前提を満たさない子には何もアフォードしない。市の施設ガイドには、安久路公園について「複合遊具(インクルーシブエリアあり)、ブランコ(インクルーシブアイテムあり)」という記載がある。アフォーダンス論の言葉で言えば、インクルーシブ遊具とは「アフォーダンスの前提となる身体の範囲を広げる設計」である。どの範囲の身体に、どの行為の可能性が開かれているか——この問いは、対象年齢表示(第3節)の延長線上にあり、公園の記述項目として踏査に組み込む価値がある。

8.4 管理と見守りへの含意

管理面では、第4節の枠組みがそのまま当てはまる。磐田市の都市公園は市の都市整備課(電話0538-37-4806)が所管しており、遊具の不具合——見かけと実際のアフォーダンスの乖離、すなわちハザード——に気づいた利用者がそれを管理者に届けることは、生態心理学的に言えば「公園の表示の正しさを共同で保つ」行為である。保護者の側では、第7節の三示唆(環境を先に読む・探索を待つ・環境の言葉で話す)が、そのまま磐田の日常の公園利用に持ち込める。当サイトの踏査はこれからであり、園ごとの「何ができるか」の目録づくり——遊具名の転記ではなく、斜面・登れる構造・隙間・遮蔽・変形素材の記録——を、本稿はその設計図として提案する。

9. 結論と今後の課題

本稿は、ギブソンのアフォーダンス概念を出発点に、子どもが遊具を設計者の意図と違うやり方で使うことの意味を問い、ハーフトの子ども環境アフォーダンス分類と仙田満の遊環構造論を接続して、公園の設計と見守りへの示唆を導いた。得られた結論は次の四点である。

  • 第一に、子どもの「想定外の使い方」は誤用ではなく、環境が実際に提供している行為の可能性の発見である。設計者の付けた用途名は社会的な約束であって、環境の可能性を一つに絞りはしない。
  • 第二に、国の遊具安全指針のリスク/ハザード区別は、アフォーダンス論で正確に言い換えられる。リスクは知覚できる挑戦であり遊びの価値、ハザードは見かけと実際の乖離であり点検で除くべきもの。介入の基準は「想定外かどうか」ではなく「環境で実際に何が起こりうるか」に置くべきである。
  • 第三に、ハーフトの分類は、遊具の名前ではなく「何ができるか」で公園を記述することを可能にし、遊具の少ない園——磐田市では都市緑地や小規模街区公園——の価値を測り直す物差しになる。
  • 第四に、仙田満の遊環構造は、個々のアフォーダンスを回遊路でつなぐ配置の理論として読み替えられる。遊びの豊かさは遊具の数だけでなく、循環・目印・広場・大小の空間という「つながり」に依存する。

これらを一言でまとめれば、公園とは「行為の可能性の束が、身体の成長に合わせて発見されていく場所」であり、良い公園とはその束が厚く、束のあいだがつながっていて、しかも見かけと実際が一致している(ハザードのない)公園である。そして良い見守りとは、束の発見を止めないこと、乖離の検出を大人が引き受けることである。

身体は変わる可能性も変わる公園は発見の場大人は乖離を見る
図9結論の要約。公園は行為の可能性が発見される場であり、子どもは探索を、大人は見かけと実際のずれの検出を分担する。

9.1 本稿の限界

本稿の限界は三つある。第一に、本稿は文献にもとづく理論的検討であり、磐田市の公園での観察を一切含まない。第5節・第6節で示した読み替えが磐田の個々の園で成り立つかは、すべて今後の踏査に委ねられる。第二に、アフォーダンス論は遊びの文化的側面——ルールの伝承、遊びの流行、仲間関係——を扱わない(第7節で応答したとおり、これは理論の分業であって欠陥ではないが、公園の全体像には社会学・文化人類学の視点が別に必要である)。第三に、ハーフトの分類も遊環構造も、もともと子どもを対象に組み立てられた枠組みであり、高齢者の健康遊具利用や大人の休息といった行為への拡張は本稿では試みていない。アフォーダンスの相対性を考えれば、「高齢の身体にとっての公園のアフォーダンス」は独立した主題になりうる。

9.2 今後の課題——踏査の設計図として

今後の課題は、本稿の枠組みを当サイトの踏査項目に翻訳することである。具体的には、(1)園ごとのアフォーダンス目録——斜面・登れる構造・つかめる物・隙間・遮蔽・変形素材(砂・水)・平らな面——の記録様式を作ること、(2)遊環構造の観察項目——回遊路の有無、目印になる遊具や樹木、広場と遊具の接続、大小の空間の分化——を加えること、(3)見かけと実際の乖離(濡れやすい滑降面、緩みやすい箇所など)に気づいた場合の管理者への連絡の流れを整理すること、(4)インクルーシブの観点から「どの範囲の身体に開かれているか」を記述すること、である。遊具名の一覧を写すだけの踏査と、行為の可能性を数える踏査とでは、同じ公園から得られる情報がまるで違う。本稿が磐田市の100園の踏査に先立って書かれたことには、その意味での準備という位置づけがある。公園で子どもが「変な使い方」を始めたとき、それを止める前に一拍おいて、環境が何を提供しているかを見る——この一拍が、本稿が読者に手渡したいものの全てである。

参考文献

  1. J.J.ギブソン(1979)『生態学的視覚論——ヒトの知覚世界を探る』(古崎敬ほか訳、サイエンス社、1985)
  2. J.J.ギブソン(1966)『生態学的知覚システム——感性をとらえなおす』(佐々木正人ほか訳、東京大学出版会、2011)
  3. 佐々木正人(1994)『アフォーダンス——新しい認知の理論』(岩波科学ライブラリー)
  4. ハリー・ハーフト(1988)「Affordances of Children's Environments: A Functional Approach to Environmental Description」Children's Environments Quarterly, 5(3)
  5. ロジャー・G・バーカー(1968)『Ecological Psychology: Concepts and Methods for Studying the Environment of Human Behavior』(Stanford University Press)
  6. 仙田満(1984)『こどものあそび環境』(筑摩書房。復刊:鹿島出版会、2009)
  7. 仙田満(1992)『子どもとあそび——環境建築家の眼』(岩波新書)
  8. ドナルド・A・ノーマン(1988)『誰のためのデザイン?——認知科学者のデザイン原論』(野島久雄訳、新曜社、1990)
  9. ロジェ・カイヨワ(1958)『遊びと人間』(多田道太郎・塚崎幹夫訳、講談社学術文庫、1990)
  10. サイモン・ニコルソン(1971)「How NOT to Cheat Children: The Theory of Loose Parts」Landscape Architecture, 62(1)
  11. 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
  12. 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
  13. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  14. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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