国際・比較・未来北欧比較研究
北欧の遊び場から何を学べるか——自然・リスク・福祉国家の前提
要旨
本稿は、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーという北欧諸国の遊び場文化を手がかりに、そこで培われてきた「がらくた遊び場」「森のようちえん」「リスクのある遊びを積極的に評価する研究」「friluftsliv(フリルフツリヴ)」という野外生活の伝統を整理し、それらが普遍的な理想としてではなく、気候・国土・法制度・福祉国家という特定の条件の上に成り立ってきたものであることを検討するものである。
方法は、確実に存在が確認できる歴史的事実・法制度・学術文献に基づく整理と、日本および磐田市の状況との比較整理である。第2節で本稿にかかわる基礎概念を整理したうえで、第3節でデンマークのがらくた遊び場の構想と実践を、第4節でスウェーデンとデンマークの森のようちえんの系譜を、第5節でリスクのある遊びを評価する研究群を、第6節でfriluftslivという理念とそれを支える法制度を、それぞれ検討する。第7節ではこれらを支える福祉国家という社会的条件を扱い、第8節でその移植可能性への疑問に応答する。第9節では磐田市の公園100園のデータに照らしてこの比較の意味を考え、第10節で結論と今後の課題を述べる。
検討の結果、北欧の遊び場文化は、遊具の配置や安全基準の違いにとどまらず、土地への立ち入りを広く認める慣習法、公的な保育制度、そして子どもの自立を重んじる社会規範という複数の制度が重なり合って成立していることが確認できる。日本と北欧とでは、気候・国土の広さ・法制度・保育制度のいずれも異なっており、北欧の実践をそのまま置き換えることはできない。しかし、遊びにおけるリスクをどう評価するか、野外での時間をどう位置づけるかという問いの立て方そのものは、磐田市の公園100園のデータを読み解くうえでも参照できる視点であり、本稿はその視点を慎重に切り分けて示すことを試みる。
キーワードがらくた遊び場森のようちえんfriluftslivリスクのある遊び福祉国家自然享受権比較制度論
1. はじめに——問題の所在
北欧諸国は、しばしば「子育てに理想的な国」として語られる。雪の中でも外遊びをさせる保育園、けがを恐れずに木に登らせる遊び場、森の中を歩き回る授業――こうしたイメージは、書籍やメディアを通じて日本にも広く紹介されてきた。しかし、その背景にある歴史的経緯や法制度、そしてそれを支える社会全体の条件までを丁寧に見た議論は、必ずしも多くない。イメージだけを切り取って「北欧はこうしている、だから日本もこうすべきだ」と結論づけることは、かえって北欧の実践が置かれている文脈を見えなくしてしまう。
本稿が検討するのは、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーという北欧三か国に見られる四つの実践と理念である。第一に、デンマークで生まれた「がらくた遊び場」——廃材や工具を子どもに与え、自分たちで作り変えさせる遊び場である。第二に、スウェーデンとデンマークで発展した「森のようちえん」——森を主な保育の場とする実践である。第三に、ノルウェーの研究者を中心に蓄積されてきた、遊びにおけるリスクを子どもの発達にとって積極的な意味をもつものとして評価する研究群である。第四に、ノルウェー語を起源とする「friluftsliv(フリルフツリヴ)」という、野外での生活を重んじる理念とそれを支える法制度である。
こうしたイメージが日本で広まった背景には、少子化への対応や、子育て環境の充実を求める社会的な関心の高まりがあると考えられる。書籍や雑誌、インターネット上の記事では、北欧の保育園や遊び場の写真とともに、「日本もこうあるべきだ」という論調で紹介されることが少なくない。しかし、遊び場の見た目だけを取り出して比較することは、その見た目を成り立たせている歴史的な経緯や法制度、社会の合意形成のあり方を見落とすことにつながりやすい。本稿は、こうした見落としを避けるために、遊び場の見た目や活動内容だけでなく、それを支える制度にまで視野を広げて検討することを目指す。
1.1 問いと方法
本稿の問いは三つある。第一に、がらくた遊び場・森のようちえん・リスクのある遊びの研究・friluftslivという四つの実践や理念は、それぞれどのような歴史的経緯から生まれ、どのように制度化されてきたか。第二に、これらの実践は、どのような社会的条件——気候、国土の広さ、法制度、福祉国家としての保育制度——のもとで成り立っているか。第三に、これらの実践や理念のうち、日本や磐田市の公園を考えるうえで参照しうる論点はどこにあり、単純には移植できない前提はどこにあるか。方法は、確実に存在が確認できる歴史的事実・法律・学術文献に基づく整理と、日本の制度との比較整理である。個別の遊び場を訪れた記録や、北欧の保育関係者への聞き取りは行っていない。
1.2 本稿の構成
第2節では、本稿にかかわる基礎概念——がらくた遊び場、森のようちえん、リスクのある遊び、friluftsliv、福祉国家論——を整理する。第3節から第7節が本論であり、デンマークのがらくた遊び場(第3節)、スウェーデンとデンマークの森のようちえん(第4節)、リスクのある遊びを評価する研究(第5節)、friluftslivという理念と法制度(第6節)、これらを支える福祉国家という条件(第7節)を順に検討する。第8節では、これらの実践を日本にそのまま当てはめることへの疑問に応答し、第9節で磐田市の公園100園のデータに照らしてこの比較の意味を考える。第10節で結論と今後の課題を述べる。各節は独立した論点をもち、その節だけを読んでも完結するように書いた。
1.3 なぜ北欧と磐田市の公園を比べるのか
当サイトATAWI PARKは、磐田市内の公園100園について、磐田市オープンデータと市の施設ガイドに基づく事実を整理してきたデータベースである。現地踏査は2026年8月時点でまだ始まったばかりであり、遊具の配置や利用のされ方について、当サイトが独自に確認できていることは少ない。そうした段階だからこそ、遠く離れた北欧の実践を安易な理想像として持ち込むのではなく、その実践がどのような条件の上に成り立っているのかを丁寧に確認しておくことには意味がある。本稿は、北欧を模範として掲げるためではなく、磐田市の公園100園のデータを読み解くための一つの比較の物差しを用意するために書かれている。
1.4 対象を三か国に絞る理由
なお本稿が扱うのは、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの三か国である。北欧としばしば一括りにされる地域には、フィンランドやアイスランドも含まれるが、これらの国における遊び場文化や関連する法制度について、本稿執筆時点で確実に確認できる文献を当サイトは十分に持ち合わせていないため、今回は扱わない。対象を絞ることは、論述の見通しをよくするためだけでなく、確認できる事実の範囲内で論じるという本稿全体の方針とも一致する選択である。同じ理由から、三か国の中でも本稿が扱うのは、比較的広く文献で確認できる歴史的経緯や法制度に限られており、各国の地域ごとの細かな運用の違いにまでは立ち入らない。
また、本稿でいう「遊び場文化」とは、特定の遊具や施設の形式だけを指すのではなく、遊びをどう位置づけ、誰がその責任を負い、どのような制度がそれを支えているかという、実践と制度をあわせた広がりを指す言葉として用いている。がらくた遊び場や森のようちえんは、遊び場の形式であると同時に、それを支える保育制度や土地利用の法制度と切り離せない。本稿がこれらを個別の遊具の紹介としてではなく、制度とあわせて検討するのは、この理解に基づいている。
2. 先行研究と概念の整理
本節では、本稿で扱う中心的な概念を整理する。整理する概念は五つある。第一に「がらくた遊び場(junk playground、デンマーク語でskrammellegeplads)」、第二に「森のようちえん(スウェーデン語でskogsmulle、I Ur och Skurなど複数の系譜がある)」、第三に「リスクのある遊び(risky play)」、第四に「friluftsliv(フリルフツリヴ)」、第五に「福祉国家論(welfare state theory)」である。いずれも北欧発の概念であるが、その後、他国の研究者や実践者によって理論化・体系化が進められてきたという共通点をもつ。
2.1 がらくた遊び場とローズパーツ理論
がらくた遊び場は、デンマークの造園家C. Th. ソーレンセンが構想し、1943年にコペンハーゲンのエムドラップ地区で最初に開設されたとされる遊び場である。廃材や工具、土や水といった「完成していない素材」を子どもに与え、大人が用意した固定の遊具ではなく、子ども自身が組み立てたり壊したりしながら遊びを作り出すことを特徴とする。この発想は、後にイギリスの建築家サイモン・ニコルソンによって「ローズパーツ理論(theory of loose parts)」として理論化された。ニコルソンは、動かせる部品(ローズパーツ)が多い環境ほど、子どもの創造性や発見の機会が豊かになると論じ、がらくた遊び場をその代表例として位置づけた。
2.2 森のようちえんという実践の系譜
森のようちえんは、単一の起源をもつというよりも、複数の国で並行して発展してきた実践の総称である。デンマークでは1950年代に、日常的に子どもを森へ連れて行く母親たちの実践から広がったと伝えられており、スウェーデンでは1892年に設立された野外活動協会フリルフツフレムヤンデット(Friluftsfrämjandet)が、1957年にグスタ・フロムの考案した「スコグスムッレ(Skogsmulle)」という森の妖精のキャラクターを用いた自然教育プログラムを広めた。さらに1985年には、シーヴ・リンデによって「イ・ウル・オック・スクル(I Ur och Skur、雨の日も晴れの日も、の意)」と呼ばれる、年間を通じて屋外で保育を行う就学前教育の形態が始まったとされる。ドイツでも1990年代以降、公的に認可されたヴァルトキンダーガルテン(Waldkindergarten)が広がったが、その起源は北欧の実践に触発された部分が大きいとされる。
2.3 リスクのある遊びという研究領域
リスクのある遊び(risky play)は、ノルウェーのドローニング・モード大学の研究者エレン・ベアーテ・ハンセン・サンセターらによって、体系的に研究されてきた概念である。サンセターは2007年の論文で、高い所に登る遊び、速い速度で移動する遊び、危険な道具を扱う遊び、火や水などの危険な要素に触れる遊び、取っ組み合いのような乱暴に見える遊び、迷子になる・見えなくなる遊びという複数の分類を提示し、こうした遊びが子どもにとって危険を回避する力を育てる意味をもちうると論じた。2011年には心理学者レイフ・エドワード・オットセン・ケナイアとの共著論文で、進化心理学の観点から、恐怖を感じる経験そのものが恐怖症を予防する効果をもつ可能性を論じている。
2.4 friluftslivと福祉国家論
friluftslivは、ノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンが1859年の詩「山にて(På Vidderne)」の中で用いたのが最初とされる語で、直訳すれば「自由な空気の中の生活」を意味する。野外で過ごす時間を人間らしい生活の重要な一部とみなす、北欧に広く共有された価値観を指す言葉として定着してきた。もう一つの鍵概念が福祉国家論である。社会学者イエスタ・エスピン=アンデルセンは1990年の著作で、福祉国家を「自由主義」「保守主義(コーポラティズム)」「社会民主主義」という三つの類型に分類し、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーを、公的な保育・教育・医療への支出を通じて平等を重視する社会民主主義型の代表例として位置づけた。本稿が北欧の遊び場文化を検討するにあたり、この福祉国家という制度的背景を無視することはできない。
2.5 遊びを文化として捉える視座
本稿が参照するもう一つの視座は、歴史家ヨハン・ホイジンガが1938年の著作『ホモ・ルーデンス』で示した、遊びを文化の基盤として捉える議論である。ホイジンガは、遊びを単なる余暇や気晴らしではなく、規則性と自由とを併せもつ、文化そのものを形づくる営みとして位置づけた。この視座は、北欧の遊び場文化を、たんなる子育ての技法としてではなく、その社会が遊びや自由な時間そのものをどう位置づけているかという、より大きな問いの一部として検討するための手がかりになる。がらくた遊び場やfriluftslivは、いずれも遊びや野外での時間を、余った時間の使い道としてではなく、社会にとって積極的な意味をもつ営みとして扱ってきたという共通点をもつ。
2.6 子どもの権利という国際的な枠組み
国際的な制度に目を向ければ、1989年に採択された国際連合「児童の権利に関する条約」の第31条は、子どもが休息し、余暇をもち、遊び、文化的生活に自由に参加する権利を定めている。日本は1994年にこの条約を批准しており、遊びを子どもの権利として位置づける枠組みは、北欧に限らず国際的に共有されている。したがって、本稿が検討する北欧の実践の独自性は、遊びを重んじること自体にあるのではなく、その権利をどのような具体的な制度――がらくた遊び場、森のようちえん、法制化された自然享受権――として具体化してきたかという点にあると理解するのが適切である。
以上五つの概念——がらくた遊び場、森のようちえん、リスクのある遊び、friluftsliv、福祉国家論——は、それぞれ独立した歴史的経緯をもちながらも、子どもの自発性を重んじ、大人があらかじめ結果を決めすぎない環境を用意するという発想を、程度の差はあれ共有していると考えられる。第3節以降では、これらの概念を一つずつ具体的な事例に即して検討し、最後にそれらを支える社会的条件へとつなげていく。
3. デンマークのがらくた遊び場——ソーレンセンの構想とその展開
デンマークの造園家C. Th. ソーレンセンは、公園に整備された遊具よりも、建設現場の資材置き場や瓦礫の山で遊ぶ子どもたちの方が、長く夢中になって遊んでいることに気づいたと伝えられる。この観察から、大人があらかじめ完成させた遊具を置くのではなく、廃材そのものを遊び場に置き、子どもが自分たちの手で作り変えていく場所を作るという発想が生まれた。1943年、コペンハーゲンのエムドラップ地区に、この発想に基づく最初の「がらくた遊び場(skrammellegeplads)」が開設され、訓練を受けた大人の指導員(プレイワーカー)が常駐して、道具の使い方の助言や安全への目配りを行いながら運営されたとされる。
3.1 何が「がらくた」なのか
がらくた遊び場に置かれるのは、木材の切れ端、古タイヤ、ロープ、金づちや釘といった工具、そして土や水である。子どもたちはこれらを使って、小屋を建てたり、穴を掘ったり、たき火をしたりする。遊具そのものの形は決まっておらず、何を作るか、どう遊ぶかは子どもたちの判断に委ねられる。この点で、あらかじめ用途が決まっているブランコや滑り台とは対照的である。プレイワーカーは、遊びの内容を指示する立場ではなく、危険な行為に対して声をかけたり、道具の扱い方を教えたりする、見守りと支援の役割を担う。
3.2 実践の広がりとローズパーツ理論への接続
エムドラップの実践は、その後デンマーク国内の複数の都市に広がった。1946年には、イギリスの造園家レディ・アレン・オブ・ハートウッドがエムドラップを視察し、この種の遊び場を英語で「アドベンチャー・プレイグラウンド(adventure playground)」と名づけて紹介したことをきっかけに、イギリスをはじめとする他国にも実践が広がっていったとされる。前節で触れたサイモン・ニコルソンのローズパーツ理論は、こうした実践の理論的な裏づけとして位置づけられる。ニコルソンは、遊び場の質を決めるのは遊具のデザインの巧拙ではなく、そこにどれだけ動かせる部品(ローズパーツ)があるかだと論じ、がらくた遊び場を、ローズパーツが最大限に用意された環境の一つの到達点として評価した。
3.3 何が可能にしたか——都市の空き地と社会の許容
がらくた遊び場が成立した背景には、第二次世界大戦後の都市に、再開発を待つ空き地や資材置き場が実際に存在していたという物理的な条件があった。同時に、子どもが工具を扱うことや、多少の擦り傷を負うことを過度に恐れない社会の許容度も、この実践を支える条件だったと考えられる。この許容度は、後の節で扱う福祉国家という社会的基盤や、子どもの自立を重んじる養育観と無関係ではない。がらくた遊び場は、単に遊具の一種として理解するのではなく、都市計画・社会規範・保育観が重なり合って初めて成立した実践として理解する必要がある。
3.4 当初の受け止め方
がらくた遊び場が最初に登場した当時、廃材を積み上げただけのように見えるその外観は、必ずしも歓迎されたわけではなかったとされる。整然と整備された公園とは対照的な見た目に対して、周辺住民や行政の側から懐疑的な受け止め方があったことも指摘されている。それでも、実際に遊ぶ子どもたちの熱中ぶりや、事故につながりかねない危険を専任の指導員が見守るという運営体制が実績を重ねる中で、がらくた遊び場という発想は、デンマーク国内外に少しずつ受け入れられていったと考えられる。この経緯は、新しい遊び場のあり方が社会に受け入れられるまでには、外見の印象だけでなく、実際の運用実績の積み重ねが必要であることを示している。
3.5 その後の展開
がらくた遊び場、あるいはそこから派生したアドベンチャー・プレイグラウンドという形態は、その後の時代においても形を変えながら存続してきたとされる。もっとも、個々の遊び場の現在の運営状況や規模について、本稿執筆時点で確実に確認できる最新の情報を当サイトは十分に持ち合わせておらず、断定的な記述は避ける。重要なのは、1943年のエムドラップの実践が単発の試みに終わらず、その後の遊び場論やローズパーツ理論という形で理論的な蓄積を残し、廃材や工具を用いた遊びという発想そのものが、遊び場を論じるうえでの一つの参照点として定着した点である。
4. 北欧の森のようちえん——スウェーデンとデンマークの野外保育
森のようちえんは、屋内の保育室を主な生活の場とするのではなく、森や野外を主な保育の場とする実践の総称である。子どもたちは天候にかかわらず一日の大部分を屋外で過ごし、木登りや虫探し、たき火を囲んでの活動などを通じて過ごすとされる。この実践は単一の団体や制度に統一されているわけではなく、スウェーデンとデンマークを中心に、複数の系譜が並行して発展してきた。
4.1 スコグスムッレとフリルフツフレムヤンデット
スウェーデンでは、1892年に設立された野外活動協会フリルフツフレムヤンデット(Friluftsfrämjandet)が、自然の中で過ごす活動を広める中心的な役割を担ってきた。1957年、同協会に所属していたグスタ・フロムは、「スコグスムッレ(Skogsmulle)」と呼ばれる森の妖精のキャラクターを考案し、このキャラクターを通じて幼い子どもに森の生きものや自然のしくみを伝えるプログラムを作った。スコグスムッレのプログラムは、遊びを通じて自然への親しみを育てることを目的とし、後のスウェーデンにおける野外保育の広がりの土台の一つになったとされる。
4.2 イ・ウル・オック・スクルという保育の形態
1985年には、シーヴ・リンデによって「イ・ウル・オック・スクル(I Ur och Skur)」と呼ばれる保育の形態が始まったとされる。直訳すれば「雨の日も晴れの日も」を意味するこの言葉が示すとおり、天候によって屋外活動を取りやめるのではなく、一年を通じて屋外を主な活動の場とする点に特徴がある。この形態は、フリルフツフレムヤンデットの理念とスコグスムッレのプログラムを土台としつつ、より体系的な就学前教育の形として組み立てられたものと位置づけられる。
4.3 デンマークにおける実践との関係
デンマークにおいても、1950年代に、日常的に子どもを森へ連れて行く母親たちの実践から森のようちえんが広がったと伝えられている。この実践は、前節で見たがらくた遊び場と時期的に近く、いずれも「大人があらかじめ用意した環境よりも、子どもが自分の力で関わることのできる自然の環境の方が、子どもの育ちにとって意味をもつ」という発想を共有している。もっとも、森のようちえんが具体的にどのような制度やカリキュラムのもとで運営されているかは、国や地域、運営団体によって幅があり、本稿はその細部にまでは立ち入らない。
4.4 何が森のようちえんを可能にするか
森のようちえんが広く成立するためには、まず、保育の場として利用できる森や自然環境が身近にあることが前提となる。北欧諸国は、可住地に対して森林や原野の占める割合が大きいとされ、都市部からも比較的短い距離で森に行き来できる地理的条件を備えていると考えられる。加えて、後の節で扱う「自然享受権」と呼ばれる法制度が、私有地であっても一定の条件のもとで立ち入りや滞在を認めており、この法制度が森のようちえんの活動を支える基盤になっていると考えられる。地理的条件と法制度という二つの前提は、次節以降で改めて検討する。
4.5 日本国内の実践との違い
2000年代以降、日本国内でも森を保育の場とする「森のようちえん」を名乗る団体が各地で活動を広げてきたとされる。北欧やドイツの実践に影響を受けた部分があると紹介されることも多いが、その系譜や運営形態は必ずしも北欧のものと同一ではない。日本の森のようちえんの多くは、認可保育所や幼稚園といった既存の制度の外側で、任意団体や特定非営利活動法人として運営される形が中心になってきたとされ、フリルフツフレムヤンデットのような全国規模の野外活動協会や、公的な保育制度に位置づけられた北欧の実践とは、運営の基盤が異なっている。この違いは、同じ「森のようちえん」という言葉であっても、それを支える制度的な文脈によって性格が大きく変わりうることを示している。
森のようちえんを単なる「自然の中での保育」という形式面だけで理解すると、この制度的な違いを見落としてしまう。北欧の実践は、天候にかかわらず一年を通じて森を主な生活の場とする点、専門の資格をもつ保育者が公的な制度のもとで配置される点において、日本の一部の実践よりも徹底した形態をとっていると考えられる。もっとも、日本国内の個々の団体の実態について、本稿は網羅的な調査を行っておらず、この比較はあくまで大まかな傾向を示すものにとどまる。
4.6 保育内容としての自然体験
森のようちえんで行われる活動は、単に屋外で過ごすことにとどまらない。木の実や落ち葉を拾い集める、虫を観察する、木に登る、雪や雨といった天候の変化そのものを体感するといった活動を通じて、季節の移ろいや生きものの営みを日常的に感じ取ることが意図されているとされる。こうした活動は、教材を用いて自然について学ぶ授業とは異なり、子ども自身の気づきや発見を起点とする点に特徴がある。この特徴は、次節以降で扱うリスクのある遊びの研究や、子どもの自発的な判断を重んじる養育観とも重なり合う論点である。
5. リスクのある遊びをどう評価するか——安全と発達のあいだ
リスクのある遊び(risky play)とは、子ども自身が「これは危ないかもしれない」と感じながらも挑戦する遊びを指す学術用語である。ここでいう「リスク」は、遊具の欠陥や管理の不備によって生じる予見できない「危険(hazard)」とは区別される概念であり、子ども自身がある程度予測し、判断しながら向き合う不確実性を指す。この区別は、遊び場の安全対策を考えるうえでも重要であり、リスクを取り除くこととハザードを取り除くこととは、本来別の課題として扱う必要がある。
5.1 サンセターによる分類
ノルウェーのドローニング・モード大学の研究者エレン・ベアーテ・ハンセン・サンセターは、2007年の論文で、子どものリスクのある遊びを複数の種類に分類した。高い所に登ったりぶら下がったりする遊び、滑り台やブランコなどで速い速度を経験する遊び、のこぎりやナイフのような道具を扱う遊び、たき火や水辺のような危険な要素に近づく遊び、取っ組み合いのように一見乱暴に見える遊び、そして大人の目の届かない場所に一時的に姿を隠す遊びが、その代表例として挙げられている。この分類は、遊び場の設計や保育の現場で、子どもの遊びのどの部分がリスクのある遊びに当たるのかを識別するための枠組みとして用いられてきた。
5.2 なぜリスクのある遊びが意味をもつとされるのか
サンセターとレイフ・エドワード・オットセン・ケナイアは、2011年の共著論文で、進化心理学の観点からこの問いに接近した。人類の進化の過程で獲得された恐怖——高さや暗さ、見知らぬ他者への恐れなど——に対して、遊びの中で程度を調整しながら繰り返し向き合う経験が、後年の過度な恐怖症を予防する効果をもつ可能性があると論じている。この議論はあくまで一つの仮説であり、個々の子どもの発達や安全にかかわる判断は、保育・教育・医療の専門家に委ねられるべきものである。本稿はこの研究群の存在と論旨を紹介するにとどめ、断定的な結論を示すものではない。
5.3 遊び方の自由度という論点
この研究領域が示すもう一つの論点は、遊具そのものの設計よりも、遊び方にどれだけの自由度があるかに注目する視点である。同じ滑り台やジャングルジムであっても、決められた使い方しか許されない環境と、多少の工夫や挑戦の余地が許容される環境とでは、子どもが経験しうるリスクのある遊びの機会は異なりうる。この視点は、遊具の種類を増やすことよりも、遊び方にどれだけの余地を残すか、そしてそれをどう見守るかという、運用や声かけのあり方にかかわる論点として理解する必要がある。近年、子どもの遊びを過度に管理しすぎることへの懸念を指摘する議論も国内外で見られるが、これも突き詰めれば、遊び方の自由度をどこまで認めるかという同じ論点の延長線上にあると考えられる。
5.4 安全基準との関係
リスクのある遊びを評価する研究の広がりは、遊び場の安全基準そのものを否定するものではない。国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」をはじめとする遊具の安全にかかわる基準は、遊具の点検や管理によって取り除くべき危険(ハザード)と、子どもの発達にとって意味をもちうる挑戦的な要素とを区別して考える必要性を踏まえているとされる。リスクのある遊びの研究は、遊具の構造的な欠陥や管理の不備を許容する議論ではなく、むしろ、管理すべき危険と、子どもに委ねてよい挑戦とを、より丁寧に切り分けるための視点を提供するものと理解するのが適切である。
註:個々の遊具の安全性や、特定の遊びが子どもに適しているかどうかの判断は、当サイトのような読みものではなく、遊具の管理者、保育・教育の専門家、必要に応じて医療機関の判断に委ねられるべき事柄である。本稿は研究の存在と論旨を紹介するにとどめる。
5.5 研究の一般化可能性という留意点
ここで紹介した研究群は、いずれも北欧という特定の社会的文脈の中で行われたものであり、その知見がそのまま他の国や文化に一般化できるかどうかについては、慎重な検討が必要である。子どもの発達や恐怖心のあり方には、養育文化や社会規範による違いも指摘されており、北欧で得られた知見を根拠に、特定の遊具や運用方法を無条件に推奨することは適切ではない。本稿がこの研究群を紹介するのは、リスクのある遊びという論点そのものに光を当てるためであり、特定の実践を推奨する目的ではない。
6. friluftslivという理念——野外生活の伝統とアクセス法制
friluftslivは、単なる余暇の過ごし方を超えて、北欧の社会に広く共有されてきた生活観として理解されている。休日に家族で山や森を歩く、四季を通じて屋外で過ごす時間を大切にするといった価値観は、学校教育や保育の現場だけでなく、地域社会全体に根づいているとされる。この理念を法制度の面から支えているのが、次に述べる自然享受権と呼ばれる慣習法である。
6.1 自然享受権(アレマンスレッテン)
スウェーデンとノルウェーには、他人の所有する土地であっても、一定の条件のもとで自由に立ち入り、歩き、キャンプをすることを認める慣習法があり、スウェーデン語で「アレマンスレッテン(allemansrätten)」、ノルウェー語で「アレマンスレッテン(allemannsretten)」と呼ばれる。日本語では「自然享受権」や「万人の権利」と訳されることが多い。スウェーデンの憲法にあたる統治法(Regeringsformen)には、この権利に言及する条文が置かれており、ノルウェーでは1957年に制定された屋外レクリエーション法(Friluftsloven)が、この慣習法を成文化している。いずれも、耕作地や住宅の敷地に近い場所を除き、森林や原野を誰もが利用できる共有の資源として扱う考え方に基づいている。
6.2 デンマークとの違い
デンマークにも自然に親しむ文化はあるが、スウェーデンやノルウェーほど広範な自然享受権が法制化されているわけではなく、国有林や一部の私有地における立ち入りが、より限定的な条件のもとで認められているとされる。この違いは、デンマークが北欧三か国の中でも人口密度が高く、農地の占める割合が大きいという国土の性格と関係していると考えられる。同じ北欧諸国であっても、自然への立ち入りをめぐる制度は一様ではなく、この点は、北欧をひとまとめに「自然に開かれた社会」として語ることの限界を示している。
| 国 | 自然享受権の法制化 | 代表的な法令・規定 |
|---|---|---|
| スウェーデン | 広範に成文化 | 統治法(Regeringsformen)に自然享受権への言及 |
| ノルウェー | 広範に成文化 | 屋外レクリエーション法(Friluftsloven、1957年) |
| デンマーク | より限定的 | 国有林や一部私有地に限定した立ち入り |
6.3 権利に伴う責任
自然享受権は無制限の権利ではない。住宅の庭先など生活の場に近い私有地に立ち入らないこと、播種されたばかりの農地を踏み荒らさないこと、野営をする際は人家からある程度離れること、たき火の後始末に注意することなど、利用者の側にも一定の責任が伴う権利として理解されている。スウェーデンでは、この権利のあり方を表す言葉として「邪魔をせず、壊さない(Inte störa, inte förstöra)」という表現がしばしば用いられるとされ、自由な立ち入りが、自然環境や他人の土地への配慮とセットで成り立つものであるという理解が共有されている。この「権利と責任が一体である」という発想は、後の節で扱う福祉国家という社会の運営原理とも通じるところがある。
6.4 遊び場文化との接続
自然享受権のような法制度は、森のようちえんやリスクのある遊びの実践と無関係ではない。私有地であっても自由に立ち入れる森が身近にあることは、保育や遊びの場を、行政が整備した公園に限定しない発想を後押しする条件になると考えられる。逆に言えば、こうした法制度をもたない国や地域では、野外での保育や遊びの場を確保するために、行政による公園や緑地の整備がより重要な役割を担うことになる。この点は、後の節で磐田市の公園データを検討する際にも踏まえておくべき視点である。
6.5 教育制度との関わり
friluftslivという理念は、学校教育の中にも一定の形で位置づけられているとされる。野外での活動を通じて自然について学ぶ授業や、宿泊を伴う野外活動が、初等教育や中等教育の中に組み込まれている例が紹介されることがある。もっとも、具体的な授業時間数やカリキュラム上の位置づけは、国や学校によって異なると考えられ、本稿はその詳細にまでは立ち入らない。ここで確認しておくべきは、friluftslivが家庭や地域社会だけでなく、公教育の枠組みの中にも一定の形で組み込まれてきたと考えられる点であり、これも福祉国家という公的な制度の広がりと無関係ではない。
7. 福祉国家という前提——なぜ北欧型は成り立つのか
前節までに見てきたがらくた遊び場、森のようちえん、リスクのある遊びを評価する研究、friluftslivという理念は、いずれも北欧の福祉国家という社会的な土台の上に成り立っていると考えられる。社会学者イエスタ・エスピン=アンデルセンは1990年の著作で、福祉国家を「自由主義」「保守主義」「社会民主主義」という三つの類型に分類し、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーを、公的な制度を通じて広く平等を実現しようとする社会民主主義型の代表例として位置づけた。
7.1 「国民の家(folkhemmet)」という理念
スウェーデンでは、1928年にスウェーデン社会民主労働党の政治家ペール・アルビン・ハンソンが議会で行った演説の中で、「国民の家(folkhemmet)」という言葉を用い、国家を、階級によって分け隔てられた場所ではなく、すべての国民が家族のように支え合う家にたとえた。この理念は、その後のスウェーデンにおける社会保障制度の拡充を支える思想的な土台の一つになったとされる。保育・教育・医療といった分野を公的な制度として広く整備するという発想は、この「国民の家」という理念と結びついて理解されることが多い。
7.2 公的な保育制度と野外での保育
北欧諸国では、保育を公的な制度として広く整備し、多くの子どもが乳幼児期から保育施設を利用するとされる。森のようちえんのような野外を主な保育の場とする実践も、この公的な保育制度の枠組みの中に位置づけられて運営される場合が多いと考えられる。保育者の配置や資格、施設の基準といった制度的な裏づけがあってはじめて、天候にかかわらず野外で保育を行うという実践が、個々の保育者の熱意にとどまらず、広く社会に定着した実践として成立しうる。
7.3 両親の就労と公的保育の必要性
北欧の福祉国家は、多くの場合、両親がともに就労することを前提とした社会として整備されてきたとされ、そのため保育を家庭内だけに委ねるのではなく、公的な制度として広く提供する必要性が高かったと考えられる。この点は、前節で見た森のようちえんのような野外保育の実践が、家庭の余暇活動としてではなく、公的な保育制度の一部として広く定着してきた背景の一つと考えられる。保育が公的な制度として整備されていなければ、天候にかかわらず一年を通じて森で過ごすという実践を、専門の資格をもつ保育者が継続的に担うことは難しい。
7.4 遊び場の運営を支える財源
がらくた遊び場やその後継となる遊び場の多くも、自治体や公的な団体による財政的な支援を受けて運営されてきたとされる。プレイワーカーという専門職を常駐させ、廃材や工具を用意し続けるには、継続的な費用が必要であり、これを可能にしたのも、公的な支出を通じて社会サービスを支えるという、福祉国家に共通する発想だったと考えられる。公的な保育制度を広く整備するには、当然ながら財源が必要である。北欧諸国は、比較的高い税負担を通じて社会保障の財源を確保する社会として知られているが、具体的な税率や支出の割合は年によって変動するため、本稿では立ち入らない。
7.5 社会的合意という土台
ここで確認しておくべきは、遊び場文化の背後には、税負担のあり方や、公的な制度に何を委ねるかという社会全体の合意が存在するという点である。がらくた遊び場や森のようちえんを、遊具の配置や保育方法の工夫としてのみ理解することは、この社会的な合意という土台を見落とすことにつながりかねない。次節では、こうした前提を欠く社会に、これらの実践をそのまま持ち込むことの難しさについて、より具体的に検討する。
7.6 普遍主義という設計思想
社会民主主義型の福祉国家を特徴づけるのは、所得やニーズに応じて対象を絞る選別主義ではなく、すべての国民を対象とする普遍主義という設計思想であるとされる。保育や教育を、困窮世帯だけを対象とする救済策としてではなく、すべての家庭が利用できる公的なサービスとして整備するという発想は、森のようちえんのような野外保育の実践が、一部の家庭だけの選択肢ではなく、広く社会に開かれた仕組みとして成立してきたことと結びついていると考えられる。この普遍主義という設計思想は、次節で検討する移植可能性の議論においても、重要な参照点になる。
8. 反論と限界——移植可能性をどう考えるか
ここまで検討してきた北欧の遊び場文化に対しては、いくつかの反論や留保が考えられる。第一に、「北欧」という括り自体が単純化であるという指摘である。前節までに見たとおり、自然享受権の法制化の程度はデンマークとスウェーデン・ノルウェーとで異なり、森のようちえんの系譜もスウェーデンとデンマークとで異なる経緯をたどっている。三か国を「北欧」として一括りに語ることは、それぞれの国が置かれた条件の違いを見えなくする危険がある。本稿もこの点には注意を払ったが、なお単純化を免れていない部分があることは認めておく必要がある。
8.1 気候と国土という条件の違い
第二に、気候と国土の条件の違いである。北欧諸国は、可住地に対する森林や原野の割合が大きいとされ、都市部からも比較的容易に自然環境へ行き来できる地理的条件を備えていると考えられる。日本、とりわけ都市部や住宅密集地では、身近に利用できる森や原野が限られており、公園という行政が整備した緑地の役割が、北欧以上に大きくなると考えられる。また、気候についても、北欧の冷涼な気候と日本の高温多湿な夏とでは、野外で長時間過ごすことの負担のあり方が異なる。真夏の炎天下での野外活動には、暑さ指数(WBGT)を踏まえた判断が必要になるなど、北欧の実践をそのまま当てはめることが難しい季節的な条件が日本にはある。
8.2 法制度と土地所有の違い
第三に、法制度と土地所有の違いである。自然享受権のような、私有地への立ち入りを広く認める慣習法は、日本の土地所有をめぐる法制度には存在しない。日本で私有地に無断で立ち入ることは、通常、住居侵入や不法侵入の問題として扱われる。この違いを踏まえずに「北欧では森に自由に入れるのだから、日本でも同じようにすればよい」と論じることは、法制度の違いを無視した議論になってしまう。野外での遊びや保育の場を確保するためには、日本の法制度のもとでは、行政が整備し管理する公園や緑地の役割が、より重要にならざるをえない。
8.3 人口規模と責任のあり方という違い
北欧三か国はいずれも人口規模が日本よりはるかに小さく、行政の意思決定や制度変更が及ぶ範囲も異なると考えられる。人口規模の違いは、福祉国家としての制度設計や、地域社会の合意形成のあり方にも影響しうる要因であり、単純な政策移植の議論では見落とされがちな点である。また、遊具の管理者が負う責任のあり方も、国によって異なりうる。本稿はこの点について確実な比較法的知見を持ち合わせていないため詳細な立ち入りは避けるが、こうした責任のあり方の違いも、遊び場の設計や運営方針に影響しうる要因の一つと考えられる。
8.4 それでも参照できる視点
以上のような限界を踏まえたうえでなお、北欧の実践から参照できる視点はあると考えられる。それは、個別の遊具やプログラムをそのまま輸入することではなく、遊びにおけるリスクをどう評価するか、野外での時間をどう位置づけるかという「問いの立て方」そのものである。リスクとハザードを区別して考える視点や、遊び場を行政が整備するものとしてのみ捉えるのではなく、地域社会全体でどう支えるかを考える視点は、法制度や気候の違いを超えて、参照する意味をもちうる。次節では、この視点を磐田市の公園100園のデータに照らして検討する。
8.5 養育観の違いという要因
子どもにどの程度の自立や挑戦を促すかという養育観そのものも、社会によって異なりうる要因である。北欧の実践に見られる、子どもの判断力を早くから信頼する養育観と、日本において一般的とされる、保護者が子どもの安全に細やかに配慮する養育観とでは、前提が異なっている可能性がある。どちらの養育観が優れているかを一概に論じることは本稿の目的ではなく、養育観の違いそのものが、遊び場の設計や運用のあり方に影響しうる要因であることを確認するにとどめる。
9. 磐田市の公園への示唆
当サイトATAWI PARKが整理してきた磐田市の公園は100園である。これは、磐田市オープンデータ「都市公園一覧」に記載された94園と、市の施設ガイドのみに掲載されている6園を合わせた数である。種別の内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外・その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園である。国の目安では、街区公園は0.25ヘクタール・誘致距離250メートル、近隣公園は2ヘクタール・500メートルとされ、多くは徒歩圏の身近な緑地として計画されていることが分かる。
9.1 自然観察に近い性格をもつ園
北欧の森のようちえんやfriluftslivが、森という自然環境を主な場としていたのに対し、磐田市の公園100園の中にも、自然観察に近い性格をもつ園が含まれている。竜洋地区の竜洋昆虫自然観察公園(風致公園、29,119平方メートル)は、その名称からも昆虫をはじめとする自然観察を意図した園であることがうかがえる。同じく竜洋地区のいわたエコパーク(風致公園、23,973平方メートル)も、市の施設ガイドに個別ページがないため詳細は分からないものの、種別と名称からは自然環境を主題とした緑地であることが読み取れる。当サイトの現地踏査はまだ始まっておらず、これらの園でどのような自然観察や野外活動が行われているのかは、今後の踏査で確かめるべき課題である。
9.2 インクルーシブな遊具という接点
本稿では踏み込まなかったが、北欧の福祉国家論が重視する「平等」という理念に近い接点として、御厨地区の安久路公園(地区公園、32,001平方メートル)が挙げられる。市の施設ガイドには、複合遊具にインクルーシブエリアが、ブランコにインクルーシブアイテムが備えられているとの記載があり、障害の有無にかかわらず遊べる工夫がなされていることがうかがえる。これは北欧の実践を模倣したものではなく、日本国内の別の文脈から整備されたものと考えられるが、遊び場を誰にとって開かれた場にするかという問いは、福祉国家論が扱う「平等」という論点と重なる部分がある。
9.3 農村公園という名称と地区の偏り
また、豊田地区には豊田海老塚農村公園(街区公園、3,887平方メートル)、豊田富里農村公園(近隣公園、13,382平方メートル)、豊田中野戸農村公園(街区公園、1,492平方メートル)など、「農村公園」という名称を含む園が複数見られる。磐田市の公園100園は9地区に均等に分布しているわけではなく、豊田地区が28園と最も多く、見付地区が21園でこれに続く一方、南部地区と向陽地区はそれぞれ2園にとどまる。この地区ごとの偏りは、農業集落の分布という磐田市の地域的な特徴を反映していると考えられ、北欧における森や原野の分布とは異なる、日本の地域社会に固有の条件を示している。
| 種別 | 園数 | 国の目安(標準面積・誘致距離) |
|---|---|---|
| 街区公園 | 51園 | 0.25ha・250m |
| 近隣公園 | 14園 | 2ha・500m |
| 都市緑地 | 10園 | 0.1ha〜 |
| 法対象外・その他 | 6園 | 都市公園法の対象外 |
| 地区公園 | 4園 | 4ha・1km |
| 総合公園/運動公園/風致公園 | 各3園 | 総合10〜50ha・運動15〜75ha・風致は規模の定めなし |
9.4 見守りの担い手という違い
がらくた遊び場における専任の指導員(プレイワーカー)のような制度は、磐田市の公園には存在せず、通常は保護者による見守りが前提とされている。この違いは、遊びにおけるリスクの判断を誰が担うかという点で、北欧の実践と磐田市の公園のあり方を分ける大きな要因である。プレイワーカーという専門職を継続的に配置するには、前節で見たような公的な財源の裏づけが必要であり、磐田市の公園100園について、そうした人員配置がなされているという記載は、市の施設ガイドやオープンデータには見当たらない。この点を踏まえれば、遊びにおけるリスクとどう向き合うかという判断は、当面、保護者や地域の見守りに委ねられ続けると考えられる。
9.5 面積の大きい公園という可能性
北欧の森のようちえんが広大な森を舞台としていたのに対し、磐田市の公園100園の中にも、比較的面積の大きい園がいくつか含まれている。見付地区のつつじ公園(風致公園、61,937平方メートル)や御厨地区の兎山公園(地区公園、56,193平方メートル)は、街区公園と比べて広い面積をもち、複合遊具だけでなく樹木に囲まれた区域を含んでいると考えられる。もっとも、これらの園が実際にどの程度の自然環境を保持しているか、木々に囲まれた区域でどのような過ごし方が可能かについては、市の施設ガイドの記載だけでは十分に分からず、今後の踏査で確かめる必要がある。
9.6 踏査を通じて確かめるべきこと
オープンデータのフラグ集計によれば、磐田市の公園94園のうちトイレ有が69園、車いす対応トイレ有が34園、砂場有が43園、遊具有が64園であり、駐車場は33園で確認できるとされる。こうした基本的な設備の有無は分かるものの、各園でどのような野外活動や自然とのふれあいが実際に行われているか、地域住民がどの程度公園の手入れに関わっているかといった、本稿が北欧の事例を通じて注目してきた論点については、オープンデータや施設ガイドの記載だけでは分からない。管理を担う磐田市都市整備課への確認や、今後の現地踏査を通じて、これらの点を一つずつ確かめていくことが、当サイトの課題として残されている。
本節で見てきたように、磐田市の公園100園のデータは、北欧の遊び場文化と直接対応するものではないが、自然観察に近い性格をもつ園、インクルーシブな遊具を備える園、比較的面積の大きい園など、比較の手がかりとなる要素をいくつも含んでいる。本稿はこれらの要素を、北欧の事例と無理に対応づけるのではなく、それぞれが磐田市固有の経緯のもとで整備されてきた事実として、まずは正確に記述することを心がけた。今後の踏査によってこれらの記述を具体化し、更新していくことが、当サイトの継続的な課題である。
10. 結論と今後の課題
本稿は、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの遊び場文化について、がらくた遊び場、森のようちえん、リスクのある遊びを評価する研究、friluftslivという四つの実践と理念を整理し、それらが福祉国家という社会的な条件、自然享受権という法制度、そして森や原野に恵まれた国土という地理的条件の上に成り立っていることを検討した。北欧の実践は、遊具の配置や保育方法の工夫としてのみ理解されるべきものではなく、複数の制度が重なり合って初めて成立する、条件つきの実践として理解する必要がある。
10.1 何が参照でき、何がそうでないか
気候・国土・法制度という前提の違いを踏まえれば、北欧の実践をそのまま日本や磐田市に移植することはできない。自然享受権に相当する法制度は日本には存在せず、公的な保育制度の規模や財源のあり方も異なる。他方で、遊びにおけるリスクとハザードを区別して考える視点や、遊び場を行政による整備だけでなく地域社会全体で支えるものとして捉える視点は、法制度や気候の違いを超えて参照しうる。本稿が示したのは、北欧を模範として掲げることではなく、こうした視点を慎重に切り分けて示すことであった。
具体的に言えば、リスクとハザードを区別して考える視点は、磐田市の公園に置かれた遊具を眺める際にも応用できる考え方である。また、普遍主義という福祉国家の設計思想は、遊び場を特定の家庭だけでなく地域社会全体に開かれた場として捉える視点として参照できる。他方で、廃材を用いたがらくた遊び場や、私有地への立ち入りを認める自然享受権のように、日本の法制度や土地所有のあり方とは相容れない要素も含まれており、これらをそのまま磐田市の公園に当てはめることはできない。
10.2 本稿の限界
本稿のような文献に基づく比較整理には限界がある。北欧の実践についても、本稿は確実に存在が確認できる歴史的事実や法制度、学術文献に基づいて記述したが、個々の遊び場や保育施設を訪れて確かめたわけではなく、現在の運営実態がどこまで本稿の記述と一致しているかについては留保が必要である。同様に、磐田市の公園100園についても、本稿が参照したのはオープンデータと施設ガイドの記載にとどまり、現地での踏査を経た記述ではない。この限界を踏まえたうえで、本稿は、確実な事実の範囲内で比較の視点を示すことを目指した。
10.3 今後の課題
今後の課題は主に三つある。第一に、磐田市内における自然観察に近い性格をもつ公園や、インクルーシブな遊具を備える公園について、当サイトの現地踏査を通じて具体的な利用のされ方を確認することである。第二に、本稿では扱わなかった、北欧以外の国や地域における野外保育やリスクのある遊びの実践との比較を進めることである。第三に、遊びにおけるリスクの評価という論点を、発達心理学や公衆衛生学など、隣接する学問領域の知見と接続しながら、より立体的に検討することである。これらの課題は、当サイトが今後蓄積していく踏査データと合わせて、改めて論じられるべきものである。
10.4 踏査における優先課題
今後の踏査においては、本稿が取り上げた竜洋昆虫自然観察公園やいわたエコパークのような自然観察に近い性格をもつ園、および安久路公園のようなインクルーシブな遊具を備える園を優先的に確認することが、本稿の議論を具体化するうえで有効だと考えられる。これらの園における実際の利用のされ方や、地域住民の関わり方を確かめることを通じて、北欧の事例との比較がより具体的な意味をもつようになると期待される。
10.5 磐田市周辺の読者へ
本稿を読む磐田市周辺の子育て世代、行政や地域の関係者、そして学生にとって、北欧の事例は、そのまま真似るべき模範としてではなく、遊び場や公園について考えるときの問いを増やすための材料として役立つと考えられる。子どもにどの程度のリスクのある遊びを許容するか、公園という場を誰がどのように支えるべきか、行政の整備と地域社会の関わりをどう組み合わせるか——こうした問いは、北欧と磐田市とで前提が異なっていても、共通して考える価値のある問いである。当サイトATAWI PARKは、今後の踏査を通じて、こうした問いに具体的な事実で応えていくことを目指す。
参考文献
- レディ・アレン・オブ・ハートウッド『プランニング・フォー・プレイ』(Planning for Play、Thames and Hudson、1968)
- サイモン・ニコルソン「ローズパーツ理論——子どもをだまさない方法」(How NOT to Cheat Children: The Theory of Loose Parts、Landscape Architecture誌、1971)
- エレン・ベアーテ・ハンセン・サンセター「遊びにおけるリスクの分類」(Categorising risky play, European Early Childhood Education Research Journal、2007)
- サンセター、ケナイア「進化心理学から見た子どものリスクのある遊び」(Children's Risky Play from an Evolutionary Perspective, Evolutionary Psychology誌、2011)
- ヘンリック・イプセン「山にて」(På Vidderne、1859)
- ノルウェー王国 屋外レクリエーション法(Friluftsloven、1957年6月28日法)
- スウェーデン王国 統治法(Regeringsformen)第2章(自然享受権への言及を含む)
- イエスタ・エスピン=アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界——比較福祉国家の理論と動態』(原著1990、岡沢憲芙・宮本太郎監訳、ミネルヴァ書房、2001)
- 国際連合「児童の権利に関する条約」(1989年採択、日本1994年批准)第31条
- ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(原著1938、高橋英夫訳、中公文庫、1973)
- Friluftsfrämjandet(スウェーデン野外活動協会、1892年設立)「Skogsmulle」「I Ur och Skur」プログラム資料
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。