国際・比較・未来ドイツ比較研究
クラインガルテンと市民の緑——ドイツの制度が示すもう一つの緑地
要旨
本稿は、ドイツのクラインガルテン(Kleingarten、市民が小さな区画を借りて野菜や花を育てる緑地)を手がかりに、公園とは異なる「手を入れる緑地」という類型を検討するものである。都市の緑地は、多くの場合、行政が整備し市民が訪れて過ごす公園として理解される。しかしドイツには、19世紀の運動を起源とし、連邦レベルの法律によって保護された、市民が区画の管理主体となる緑地制度が広く存在する。この制度を検討することは、公園という枠組みだけでは見えにくい、緑地と人の関わり方の幅を考える手がかりになる。
方法は、制度史と法制度の構造分析、および日本の類似制度との比較整理である。第2節でクラインガルテン研究にかかわる基礎概念を整理したうえで、第3節でシュレーバー運動に始まる19世紀の起源をたどり、第4節で連邦クラインガルテン法(1983年)が定める区画・小屋・利用規約の構造を検討する。第5節ではクラインガルテン協会という運営組織の自治のしくみを扱い、第6節で日本の市民農園整備促進法などの制度と比較する。第7節では排他性や高齢化といった批判に応答し、第8節で磐田市の公園100園のデータに照らしてこの類型の意味を考える。
検討の結果、クラインガルテンは、行政が単独で緑地を管理する公園型とは異なり、市民の団体が長期にわたって土地の管理主体となることを法律が正面から認め、区画・建物・利用方法・賃料のいずれについても具体的な基準を置くことで、私的な占有と公共的な性格とのバランスを取ろうとする制度であることが確認できる。日本の市民農園制度は、同じく市民が農地的な区画を借りる制度でありながら、単年更新を基本とし、恒久的な建物を認めない点で性格が異なる。磐田市が整備してきた100園の公園には、市民が区画の管理主体となる緑地という類型は含まれておらず、この比較は、公園という言葉が指す範囲を相対化する視点を与える。今後の課題として、磐田市周辺における同種の取り組みの有無の確認や、公園以外の緑地制度との接続が挙げられる。
キーワードクラインガルテン市民農園連邦クラインガルテン法シュレーバー運動コモンズ自治管理緑地の類型
1. はじめに——問題の所在
公園という言葉を聞いたとき、多くの人はブランコや砂場のある場所、あるいは芝生の広場を思い浮かべる。そこは行政が整備し、市民は訪れて過ごす場所であり、手を入れることは基本的に想定されていない。花壇の花を摘んではいけないし、樹木の枝を切ってもいけない。この「整備する側」と「使う側」がはっきり分かれた関係は、日本の都市公園法が前提とする公園像であり、当サイトATAWI PARKが整理してきた磐田市の公園100園も、その枠組みの中にある。
しかしドイツには、この前提とは異なる緑地の制度が広く存在する。クラインガルテン(Kleingarten)と呼ばれる、市民が小さな区画を借りて野菜や花を育てる緑地である。区画は個人や家族に貸し出され、利用者自身が土を耕し、種をまき、収穫する。区画の集まりであるクラインガルテン用地全体は、多くの場合、利用者が組織するクラインガルテン協会(Kleingartenverein)という団体が管理の主体となる。行政が土地の所有者であっても、日々の管理と運営は市民の団体に委ねられている。この点で、クラインガルテンは公園とは異なる、緑地と人との関わり方を示している。
本稿の目的は、このクラインガルテンという制度を、歴史・法制度・組織という三つの角度から整理し、それが日本の公園制度や市民農園制度とどう異なるかを検討することである。単純に「ドイツは進んでいる」「日本は遅れている」という比較をしたいのではない。両者は、緑地に対して何を期待し、誰が管理の責任を負うかという前提そのものが異なっている。その違いを丁寧に見ることで、公園という言葉が指す範囲を相対化し、磐田市の公園100園がどのような緑地の類型に属するのかを、より広い視野から考え直すことができる。
1.1 問いと方法
本稿の問いは三つある。第一に、クラインガルテンという制度は、どのような歴史的経緯から生まれ、どのように法律に位置づけられてきたか。第二に、区画・建物・利用方法・賃料について、連邦クラインガルテン法はどのような具体的な基準を置いているか。第三に、この制度は日本の市民農園制度や公園制度と比べて何が異なり、磐田市の公園のあり方を考えるうえでどのような示唆をもつか。方法は、確実に存在が確認できる法律・組織資料・研究文献に基づく制度史の整理と、日本の関連法との比較整理である。個別のクラインガルテン用地を訪れた記録や、当事者への聞き取りは行っていない。
読者として想定するのは、磐田市周辺の子育て世代、自治体や地域の関係者、そして都市計画や比較制度論を学ぶ学生である。ドイツ語の専門用語は初出で日本語による説明を添え、必要以上に原語を多用しないよう努めた。なお、クラインガルテンに相当する語として「市民農園」「貸し農園」という訳語が使われることがあるが、本稿では区画に簡易な小屋(ラウベ、Laube)を置くことが認められている点で日本の市民農園と制度的に異なることを踏まえ、ドイツ語のままクラインガルテンと表記する。
1.2 本稿の構成
第2節では、クラインガルテンを論じるうえで手がかりとなる基礎概念——コモンズ(共有資源の自治的管理)、自治管理される緑地、都市緑化の歴史研究——を整理する。第3節から第7節が本論であり、19世紀の起源(第3節)、連邦クラインガルテン法の構造(第4節)、運営組織の自治のしくみ(第5節)、日本の市民農園制度との比較(第6節)、批判への応答(第7節)を順に検討する。第8節で磐田市の公園100園のデータに照らしてこの類型の意味を考え、第9節で結論と今後の課題を述べる。各節は独立した論点をもち、その節だけを読んでも完結するように書いた。
1.3 なぜドイツの事例を取り上げるのか
市民が緑地の区画を借りて耕作する仕組みは、イギリスのアロットメント(allotment)やフランスのジャルダン・ファミリオー(jardin familial)など、ヨーロッパの複数の国に見られる。その中でドイツの事例を取り上げるのは、クラインガルテンが連邦レベルの単一の法律によって全国的に定義され、区画・建物・賃料・契約解除といった論点が比較的明確に条文化されている点で、制度の構造を検討しやすいためである。国や地域によって法制度の作り方が異なる中で、法律の条文を手がかりに制度を検討できることは、確実な情報に基づいて論じるという本稿の方針とも合致する。他国の類似制度との網羅的な比較は本稿の範囲を超えるため扱わず、必要に応じて今後の課題とする。
本稿がクラインガルテンを取り上げるもう一つの理由は、当サイトATAWI PARKがこれまで整理してきた磐田市の公園100園のデータそのものにある。第8節で見るように、磐田市の公園には「農村公園」という名を含む園がいくつか存在し、その由来には農業集落との結びつきがうかがえる。都市の緑地と農作業という営みが、名称の上では結びついているように見えながら、実際の管理のしくみとしては公園法の枠組みに一元化されているという磐田市の状況は、耕作という営みを法律で明確に位置づけたドイツのクラインガルテンと対比することで、かえってその特徴が見えやすくなる。本稿は、この対比を通じて、磐田市の公園データを読み解くための一つの視座を提供することを試みる。
2. 先行研究と概念の整理
クラインガルテンを検討するうえで手がかりとなる第一の概念は、コモンズ(commons、共有資源)である。政治学者エリノア・オストロムは、共有される資源が必ずしも「共有地の悲劇」に陥って荒廃するわけではなく、利用者自身が規約をつくり、監視し、違反に段階的な制裁を科す仕組みを備えることで、長期にわたって持続的に管理される事例が世界各地にあることを示した。クラインガルテンは、土地という資源そのものは行政や地主が所有していても、日々の管理規約と運営を利用者団体が担うという点で、コモンズ論が扱う自治的管理の一事例として読むことができる。ただし、クラインガルテンの区画は個人ごとに区切られ排他的に利用される点で、牧草地や漁場のような典型的なコモンズとは性格が異なることには注意が必要である。
第二の概念は、緑地を「誰が整備し、誰が使うか」という主体の違いで分類する視点である。公園は、行政が計画し整備し維持管理する主体であり、市民は利用者として訪れる。これに対しクラインガルテンのような緑地では、行政や地主は土地を提供する主体であっても、日々の耕作・整備・清掃・規約の運用は利用者の団体が担う。この違いは、緑地を単に面積や種別で分類するのではなく、管理の主体と責任の所在という軸で分類する視点を与える。本稿はこの軸を「公園型」と「自治管理型」という仮の呼び方で区別して用いる。
2.1 都市緑化史の中のクラインガルテン
クラインガルテンは、都市緑化の歴史研究の中では、19世紀の工業化・都市化にともなう住環境の悪化への対応として位置づけられることが多い。工場労働者が農村から都市へ移り住み、狭い集合住宅で暮らすようになった時代、都市の中に土に触れ、屋外で過ごせる場所を確保することは、衛生や健康の観点から重要な課題であったとされる。同時代のイギリスでは、エベネザー・ハワードが1902年に『明日の田園都市』で、都市と農村の利点を組み合わせた新しい都市像を提案しており、緑地を都市計画に組み込もうとする発想は、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパに広く見られた動きであった。クラインガルテンは、この大きな流れの中で、ドイツにおいて特に法制度として発達した事例と位置づけられる。
2.2 用語の整理
本稿で用いる用語を整理しておく。クラインガルテン(Kleingarten)は個々の貸し区画を指し、それが集まった一団の土地をクラインガルテン用地(Kleingartenanlage)と呼ぶ。区画を管理する利用者団体をクラインガルテン協会(Kleingartenverein)、区画に置かれる簡易な建物をラウベ(Laube)という。区画の利用者を園丁(Kleingärtner)と訳すこともあるが、本稿では「利用者」または「区画の借り手」と表記する。これらの語は、次節以降でドイツの制度を具体的に検討する際に繰り返し用いる。
- クラインガルテン=個々の貸し区画
- クラインガルテン用地=区画が集まった一団の土地
- クラインガルテン協会=区画を管理する利用者団体
- ラウベ=区画に置かれる簡易な建物
2.3 都市農業研究との接点
クラインガルテンは、近年の都市計画や環境研究で関心を集める都市農業(urban agriculture)研究とも接点をもつ。都市農業研究は、都市の中で食料を生産する場を、緑地としての機能だけでなく、食料自給や生態系サービス、コミュニティ形成といった複数の役割から検討する分野である。クラインガルテンは、区画ごとの私的な利用でありながら、用地全体としては都市の中にまとまった緑の面積を作り出し、雨水の浸透や生物の生息環境としての役割も期待されている。もっとも、こうした環境面の効果を数値で示した確実な研究は本稿では確認できておらず、ここでは可能性として留めておく。
本稿の立場を整理すると、クラインガルテンを論じることは、単に「ドイツの珍しい制度を紹介する」ことにとどまらない。それは、緑地を計画し管理する主体を行政に限定せず、利用者の団体に開く制度設計がありうることを示す事例として、日本の公園や緑地の制度を相対化する視点を提供する。
2.4 公共財の議論との関連
公共経済学では、財やサービスを、対価を払わない人を排除できるか(排除性)と、一人が使っても他の人の利用可能な量が減らないか(非競合性)という二つの性質で分類する考え方がある。誰もが自由に出入りできる公園は、排除性が低く非競合性が高い財に近いとされる一方、クラインガルテンの個々の区画は、契約した利用者以外を排除でき、かつ一つの区画を同時に複数の人が独占的には使えないという意味で、公共財とは異なる性格をもつ。他方で、クラインガルテン用地全体がもたらす緑地としての景観や、雨水の浸透、生物の生息環境といった効果は、区画の外にも及ぶ性質をもつと考えられ、私的な利用と公共的な効果が重なり合っている点に、この緑地の制度的な面白さがある。この論点は、公共財や共有資源をめぐる経済学的な議論と接続する形で、さらに検討を深めることができるだろう。
次節以降では、この視点を踏まえながら、クラインガルテンの歴史・法制度・組織を具体的に検討していく。
3. シュレーバー運動の起源と19世紀の都市
クラインガルテンの起源として広く語られるのは、19世紀ライプツィヒの医師・教育者モーリッツ・シュレーバー(1808〜1861年)の名にちなむ運動である。シュレーバーは、産業化が進む都市の中で子どもが屋外で体を動かす機会が乏しくなっていることを憂え、戸外での運動や遊びの重要性を説いたとされる。彼の死後、その考えに共鳴した教育者らがライプツィヒでシュレーバー協会(Schreberverein)を1864年に設立し、子どもたちのための共同の遊び場(シュレーバー広場)を都市内に設けた。当初は遊具を置いた遊び場であり、区画を耕す菜園ではなかったとされる。
この遊び場の周囲に、やがて保護者たちが自分の子どもの見守りのために小さな花壇を設けるようになり、1860年代の終わり頃には、区画ごとに区切られた「家族用花壇」が広場を取り囲む形に発展していったとされる。この家族用花壇が、後にクラインガルテンと呼ばれる区画型の緑地の原型になったと理解されている。子どもの遊び場から、家族が土に触れる菜園へと性格が広がっていった経緯は、クラインガルテンが当初から子育てや健康と結びついた制度として出発したことを示している。
3.1 都市化と食糧・衛生の課題
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ドイツでも急速な工業化と都市への人口集中が進んだ。狭い集合住宅で暮らす労働者世帯にとって、都市の周縁部に小さな菜園区画を借りて自ら野菜を育てることは、家計を補う食料の確保という実際的な意味をもっていたとされる。同時に、屋外で身体を動かし、土に触れる時間を持つことは、当時広く関心を集めていた衛生・健康の観点からも意義があるとされた。こうした複数の動機——子どもの遊び場、家計の足し、健康——が重なり合って、クラインガルテンは各地の都市に広がっていったと考えられている。
この時期には、シュレーバー協会の運動とは別の系譜から生まれた菜園の取り組みも各地に存在したとされる。困窮する家庭のための菜園を教会や慈善団体が用意する取り組みや、鉄道会社が沿線の従業員向けに菜園用地を提供する取り組みなど、動機や運営主体はさまざまであったが、都市の中の小さな土地を非農業従事者に貸し出し、自ら栽培させるという骨格は共通していたとされる。こうした複数の系譜が、20世紀に入って徐々に「クラインガルテン」という一つの言葉のもとに整理され、共通の連合組織へとまとまっていったと理解されている。
第一次世界大戦期には、食糧不足を背景に、都市の空き地を菜園として活用する動きがさらに強まったとされる。この時期、区画を借りる利用者を保護し、無秩序な地代の引き上げや突然の契約解除を防ぐための規則を求める声が高まり、戦後のワイマール共和国期にあたる1919年には、全国的な規模でクラインガルテンの利用条件を定める規則が設けられたとされる。これが、後に連邦レベルの法律として整備されるクラインガルテン制度の出発点となった。
3.2 二度の世界大戦と制度の定着
第二次世界大戦期には、再び食糧確保の必要からクラインガルテンの重要性が高まったとされる。戦後の復興期には、住宅不足や食料事情の厳しさもあって、都市の空き地を耕作地として活用する需要が続いた。こうした歴史を経て、クラインガルテンは一時的な救済策としてではなく、都市の恒常的な緑地制度として定着していく。戦後の西ドイツでは、複数の州法や自治体の条例によって個別に規律されていたクラインガルテン制度を、全国で統一的に扱う必要があるという認識が強まり、これが1983年の連邦クラインガルテン法制定につながっていく。
3.3 東西分断期と再統一後の展開
ドイツが東西に分断されていた時期、東側の旧東ドイツ地域でも、クラインガルテンは都市住民の食料補助や余暇の場として広く利用されていたとされる。集合住宅が多い都市構造の中で、郊外にクラインガルテンの区画を持つことは、家庭菜園としての実用面に加えて、週末を過ごす場としての意味も大きかったと考えられている。1990年のドイツ再統一にあたっては、旧東ドイツ地域のクラインガルテン制度と、西側で発展してきた連邦クラインガルテン法とのすり合わせが課題となり、既存の利用者の権利をどう保護するかについて、経過的な措置が設けられたとされる。この経緯は、クラインガルテンが単なる庭ではなく、政治体制の違いを超えて維持されてきた生活基盤であったことを物語っている。
現在のドイツでは、クラインガルテンは都市計画上も一定の位置づけを与えられている。連邦建設法典(Baugesetzbuch)に基づく地区詳細計画(Bebauungsplan)の中で、特定の区域を恒久的なクラインガルテン用地として指定できる仕組みがあるとされ、これによって指定された用地は、連邦クラインガルテン法の中でも特に強い契約解除の保護を受ける。都市計画の制度とクラインガルテンの制度が接続していることは、この緑地が一時的な空き地の活用にとどまらず、都市の土地利用計画の一部として位置づけられていることを示している。次節では、連邦クラインガルテン法の具体的な構造を検討する。
4. 連邦クラインガルテン法(1983年)の構造
連邦クラインガルテン法(Bundeskleingartengesetz、1983年制定)は、ドイツ全土に適用される現行の法律であり、クラインガルテンとは何かを定義し、区画・建物・利用方法・賃料・契約解除について具体的な基準を置いている。この法律の特徴は、単に「小さな貸し農地」を対象とするのではなく、非農業従事者である市民が、営利を目的とせず自ら耕作と休養のために利用する区画を「クラインガルテン的利用(kleingärtnerische Nutzung)」として明確に定義し、これを保護の対象とする点にある。営利農業や不動産としての転用とは異なる、市民の生活の一部としての緑地利用を法律が正面から位置づけている。
4.1 区画と栽培の基準
クラインガルテン的利用の中心にあるのは、区画の一定割合を果樹や野菜の栽培にあてるという考え方である。実務上は、区画のおおむね3分の1程度を食用の果樹・野菜の栽培にあてることが目安とされ、これは「3分の1規約」と呼ばれる運用の指針として広く知られている。残りの区画は、花壇や芝生、休養のための空間として使うことができる。この基準は、クラインガルテンを単なる観賞用の庭ではなく、自ら食べる物を育てる場として位置づけるものであり、前節で見た食料確保という歴史的な動機を、現行法にも一定の形で残していると理解できる。
区画には、ラウベと呼ばれる簡易な建物を置くことが認められている。ただし、その規模には上限があり、テラスなどを含めておおむね24平方メートル程度までとされ、常時居住できる構造にしてはならないという条件が付されている。この規定は、クラインガルテンが週末や夕方に通って世話をする「通う緑地」であることを前提とし、実質的な住居として使われることを防ぐ趣旨をもつと理解されている。日本の都市公園法が公園施設の建ぺい率に上限を置いているのと同様に、クラインガルテンの制度も、区画の中に建物が占める割合を法律で制限している点は興味深い共通点である。
4.2 賃料と契約解除の保護
賃料(利用料)についても、通常の土地賃貸借契約とは異なる仕組みが置かれている。周辺の園芸用地としての地代水準を参照して上限の考え方を定めることで、営利目的での過大な賃料設定を防ぐ趣旨をもつとされる。また、区画の借り手を保護するため、契約解除の理由を限定し、正当な理由なく短期間で契約を打ち切ることができないようにする規定も置かれている。とりわけ、都市計画上「恒久クラインガルテン用地(Dauerkleingarten)」として指定された土地については、より強い保護が与えられるとされる。これらの規定は、区画の借り手が長年にわたって土に手を入れ、樹木を育てるという、時間のかかる営みを法律が支えようとしていることを示している。
こうした保護規定がある一方で、区画の利用は無条件ではない。栽培や管理を怠り、荒れた状態を放置した場合や、規約に反する用途に使った場合には、クラインガルテン協会や土地所有者から契約解除を求められることがあるとされる。つまり連邦クラインガルテン法は、借り手を一方的に保護するのではなく、区画を適切に維持するという責任とセットで利用の権利を認める構造になっている。この「権利と責任のセット」という考え方は、次節で扱う運営組織の自治のしくみとも密接に結びついている。
4.3 区画の引き継ぎと評価のしくみ
利用者が区画の利用をやめる際、それまでに設置したラウベや植栽といった改良部分をどう扱うかも、連邦クラインガルテン法が定める重要な論点である。次の利用者に区画を引き継ぐ場合、ラウベなどの評価額は、自由な市場価格ではなく、公的な基準に基づく評価(Wertermittlung)によって定められるとされる。これは、区画という限られた資源をめぐって、退去する利用者が法外な対価を求めたり、土地の値上がりを見込んだ投機的な取引が行われたりすることを防ぐ趣旨をもつと理解されている。区画そのものは売買の対象ではなく、あくまで利用権の引き継ぎであるという性格を、この評価のしくみが支えている。
この評価のしくみは、クラインガルテンが不動産としての資産価値を蓄積する場ではなく、あくまで利用のための緑地であり続けることを制度的に担保していると読むことができる。区画を長く手入れしてきた利用者の労力や投資は、次の利用者への引き継ぎの際に一定程度反映されるが、それが土地そのものの値上がり益に転化しない仕組みになっている点は、区画型の緑地を営利目的の不動産取引から切り離すための工夫として注目に値する。
4.4 連邦法と州・自治体の関係
ドイツは連邦制の国家であり、連邦クラインガルテン法は全国に共通する大枠を定める一方、その具体的な運用には州(Land)や自治体(Kommune)の関与が重なっている。土地そのものの多くは自治体が所有し、自治体がクラインガルテン協会と土地の賃貸借契約を結ぶ当事者となる。また、都市計画の権限は自治体にあり、第3節で触れた地区詳細計画による恒久クラインガルテン用地の指定も、自治体の都市計画部局が担う。つまり、クラインガルテンという一つの緑地をめぐって、定義と基本的な保護の枠組みを定める連邦法、土地利用の計画を定める自治体の都市計画、そして日々の規約を定める協会という、複数の主体が異なる層で関わっている。この重層構造は、前節までに見た都市公園法における法律・施行令・条例の重なりとも似た性格をもつが、クラインガルテンの場合は、利用者団体という民間の主体がその一番身近な層を担っている点が異なっている。
5. 運営組織——クラインガルテン協会という自治のしくみ
連邦クラインガルテン法が定める基準を実際に運用するのは、行政ではなく利用者の団体である。ドイツの多くの自治体では、市などの土地所有者が、クラインガルテン用地全体を一括してクラインガルテン協会に貸し付け、協会がそれぞれの区画を個々の利用者に又貸しするという二段階の契約構造が用いられているとされる。これを中間賃貸(Zwischenpacht)の仕組みという。土地所有者から見れば、多数の利用者一人ひとりと個別に契約するのではなく、協会という一つの団体とだけ契約すればよく、行政の事務負担を抑えることができる。利用者から見れば、協会という身近な団体を通じて、規約の運用や日々の相談ができるという利点がある。
5.1 協会・連合会・連盟という階層
クラインガルテン協会は孤立した存在ではなく、複数の協会が地域ごとの連合会(Stadtverband/Bezirksverband)を組織し、さらに州ごとの連盟(Landesverband)、そして全国組織であるドイツ市民農園連盟(Bundesverband Deutscher Gartenfreunde e.V.、略称BDG)へとつながる階層構造をもつとされる。個々の利用者から見ると、日常の窓口は身近な協会であるが、規約のひな形の作成や、法改正への対応、対外的な広報といった役割は、より上位の連合会や連盟が担う。この構造は、地域ごとの自治を尊重しながら、全国レベルでの統一性も確保しようとする組織設計として理解できる。
5.2 総会・役員・規約という自治の道具立て
クラインガルテン協会は、法律上は非営利の団体(登記社団、eingetragener Verein)として組織されることが多く、会員(区画の利用者)による総会、そこで選ばれる役員(理事)、そして会員が守るべき規約(庭園規約、Gartenordnung)という、一般的な市民団体と共通する自治の道具立てを備えている。規約には、栽培の基準、共用部分の清掃当番、騒音や来訪者の扱い、違反があった場合の手続きなど、区画の外側にある共同生活のルールが定められる。連邦クラインガルテン法が大枠の基準を示し、その枠の中で具体的な運用を協会が規約として定めるという二層構造は、日本の都市公園法が法律本体で大枠を定め、行為の制限の具体的な内容を各自治体の条例に委ねている構造と、性格の異なる形ではあるが、法律と現場の規則という二層で緑地を規律している点で類似している。
この自治のしくみは、区画の利用者に単なる「利用者」以上の役割を与える。総会に出席し、役員を選び、規約の改定に意見を述べることは、緑地の管理に市民が制度的に参加する経路であり、これは公園の利用者にはあまり用意されていない関わり方である。
5.3 会費と共用施設の維持
クラインガルテン協会の運営費用は、会員が納める会費(Mitgliedsbeitrag)によってまかなわれることが基本である。会費は、土地所有者への地代の支払いにあてられるほか、用地全体の水道や通路、共用のごみ集積場所といった共用施設の維持、共同で使う会館(Vereinsheim)の運営費にも充てられるとされる。多くのクラインガルテン用地では、会員が交代で共用部分の清掃や草刈りを担当する当番制が設けられており、金銭の負担だけでなく、労力の面でも会員が用地全体の維持に関わる仕組みになっている。この労力の分担は、規約に明記され、正当な理由なく当番を怠った会員には注意や指導が行われることもあるとされる。
5.4 区画をめぐる調整の役割
隣り合う区画の利用者どうしで、樹木の枝が越境した、騒音が気になるといった小さなもめごとが生じることもある。こうした場合、まず当事者どうしの話し合いが基本であるが、解決が難しいときには、クラインガルテン協会の役員が調整役を担うことがあるとされる。行政の窓口を介さずに、身近な団体の中でこうした調整が行われる点も、自治管理型の緑地の特徴といえる。また、区画の利用をやめる利用者から次の利用者への引き継ぎに際しても、協会が仲立ちとなり、前節で見た評価のしくみに基づいて手続きを進める役割を担うとされる。
以上のように、クラインガルテン協会は、単に規約を運用する管理団体であるだけでなく、会費の徴収と支出、共用施設の維持、会員どうしの調整、区画の引き継ぎの仲立ちといった、緑地の運営に関わる幅広い機能を担っている。行政が直接担うことの多い日本の公園の維持管理と比べると、こうした機能の多くを利用者の団体が担っている点は際立った特徴である。
5.5 全国連盟の役割
全国組織であるドイツ市民農園連盟は、個々の協会や連合会を束ねるだけでなく、連邦議会や連邦政府に対して、クラインガルテンの利用者の立場から意見を伝える役割も担っているとされる。連邦クラインガルテン法の改正が議論される際には、こうした全国連盟が利用者の声を集約し、立法過程に一定の影響を及ぼしてきたと理解されている。個々の区画の手入れという小さな営みが、地域の協会、州の連盟を経て、全国レベルの法制度にまでつながっているという構造は、自治管理型の緑地が、単なる私的な趣味の集まりにとどまらず、制度そのものを支える基盤になっていることを示している。次節では、この自治管理という性格が、日本の市民農園制度とどう異なるかを具体的に比較する。
6. 日本の市民農園制度との比較
日本にも、市民が小さな区画を借りて野菜や花を育てる「市民農園」と呼ばれる制度がある。もっとも、この制度はクラインガルテンとは異なる歴史と法律の系譜から生まれている。日本の農地は農地法(昭和27年法律第229号)によって、その取得・貸借が厳しく規律されており、原則として農業を営む者でなければ農地を借りることが難しい仕組みになっていた。都市の住民が趣味や自給のために小さな農地を借りたいという需要に応えるために、農地法の例外を設ける形で整備されたのが、市民農園に関する特別な法律である。
農地法が農地の貸借を厳しく規律してきた背景には、戦後の農地改革の経緯がある。第二次世界大戦後、日本では、地主が農地を所有し小作人が耕作するという関係を見直し、実際に耕作する者が農地を所有できるようにする改革が進められた。農地法は、この改革の成果を維持し、農地が投機の対象となったり、耕作しない者の手に渡って農業以外の目的に転用されたりすることを防ぐ趣旨で、農地の権利移動に厳格な規律を課してきたと理解されている。都市の住民が小さな区画を借りて野菜を育てたいという需要は、こうした農地保護の枠組みとは本来別の発想から生まれたものであり、両者を接続するために特定農地貸付法や市民農園整備促進法という特例法が必要になったという経緯は、ドイツのクラインガルテンが都市の緑地保護という発想から出発した経緯とは対照的である。
6.1 二つの法律による制度設計
1989年(平成元年)に制定された特定農地貸付けに関する農地法等の特例に関する法律は、地方公共団体や農業協同組合、あるいは一定の条件を満たす個人の農地所有者が、10アール未満といった小規模な農地を、複数の非農業従事者に一定期間貸し付けることを、農地法の通常の手続きによらずに行えるようにする特例を設けた。続いて1990年(平成2年)に制定された市民農園整備促進法は、市町村や農業協同組合等が、駐車場や休憩施設、水道といった付帯施設を備えた市民農園を計画的に整備することを促進する仕組みを定めている。この二つの法律が組み合わさることで、今日の日本の市民農園制度の骨格ができている。
| ドイツ クラインガルテン | 日本 市民農園 | |
|---|---|---|
| 根拠法 | 連邦クラインガルテン法(1983年) | 特定農地貸付法(1989年)・市民農園整備促進法(1990年) |
| 管理主体 | 利用者団体(クラインガルテン協会) | 市町村・農業協同組合・農地所有者など |
| 建物 | 簡易な建物(ラウベ)の設置を許容 | 恒久的な建物は原則として想定されない |
| 契約期間の性格 | 長期にわたる継続利用を前提とした保護規定 | 多くは単年度更新を基本とする運用 |
この対比から浮かび上がる大きな違いは二つある。第一に、管理主体の違いである。クラインガルテンでは、利用者自身が組織する協会が土地全体の管理主体となり、規約の運用や区画の割り当てを担う。これに対し日本の市民農園の多くは、市町村や農業協同組合といった、利用者以外の主体が運営者となり、利用者は個々の区画の借り手にとどまる。第二に、建物と長期利用に対する制度の姿勢の違いである。クラインガルテンでは、簡易な建物の設置や、長期にわたる継続利用を保護する規定が置かれているのに対し、日本の市民農園は、単年度ごとの更新を基本とする運用が一般的であり、区画に恒久的な構造物を置くことは想定されていない。
6.2 違いが生まれる背景
この違いの背景には、農地をめぐる法制度の出発点の違いがある。ドイツのクラインガルテンは、都市の空き地や公有地を市民の緑地として保護する制度として発展してきたのに対し、日本の市民農園は、耕作者保護を目的とする農地法の枠組みの中に、都市住民の利用を認める例外を設けるという形で制度化された。どちらが優れているかを一概に論じることはできないが、緑地の管理を利用者団体に委ねる発想が制度の中心にあるかどうかという点で、両者は出発点から異なっていると言える。
6.3 農園利用方式という第三の形
日本の市民農園には、特定農地貸付法や市民農園整備促進法に基づく貸付け以外に、農地の貸借そのものを行わない「農園利用方式」と呼ばれる形態も存在する。これは、農地の所有者や耕作者が畑の管理主体であり続けながら、利用者は種まきや収穫などの農作業を体験する契約を結ぶという方式であり、農地の貸し借りにあたらないという整理のもとで、農地法の許可手続きを経ずに開設できるとされる。この方式では、区画ごとの排他的な占有権は生じにくく、利用者はあくまで農作業の体験に参加する立場にとどまる点で、クラインガルテンのように利用者が区画の管理主体となる仕組みとは性格が大きく異なる。
このように、日本の市民農園は一つの制度ではなく、貸付け型(特定農地貸付法・市民農園整備促進法に基づくもの)と、体験型(農園利用方式)という、性格の異なる複数の形態が併存している。クラインガルテンが連邦クラインガルテン法という単一の法律のもとで、利用者団体を管理主体とする仕組みを一貫して定めているのに対し、日本の制度はより多様で、利用者に与えられる権利の強さも形態によって異なる。この多様性は、農地という資源をめぐる規制と都市住民の需要との折り合いを、複数の異なるやり方で図ろうとしてきた結果と見ることができる。
7. 反論と論点——排他性・待機者・世代交代
クラインガルテンを自治管理の優れた事例として紹介すると、それに対する反論も想定しておく必要がある。第一の論点は、区画の数が限られているために生じる排他性である。人気の高いクラインガルテン用地では、区画の空きを待つ利用希望者の列(待機者リスト)ができることがあるとされる。区画を得られるかどうかが、地域や時期によって左右されるとすれば、誰もが等しく利用できる公園とは異なり、クラインガルテンは限られた人だけが享受できる緑地になってしまう懸念がある。この点は、公共施設としての公平性という観点から、繰り返し指摘されてきた論点である。
第二の論点は、利用者の高齢化と世代交代の難しさである。区画を長期間にわたって借り続ける利用者が高齢化し、若い世代や子育て世帯の新規加入が進みにくいという課題が指摘されることがあるとされる。区画の管理には継続的な手入れが必要であり、時間や体力に余裕のある世代に利用が偏りやすいという構造的な要因も考えられる。クラインガルテン協会の側でも、若い世代向けの区画割りや、共同で管理する区画を用意するといった工夫が試みられているとされるが、制度全体としての解決には至っていないとされる。
7.1 応答——限界を踏まえた制度の位置づけ
これらの論点に対して、クラインガルテンという制度そのものを否定する必要はないと考える。むしろ、クラインガルテンは、公園という誰もが自由に出入りできる緑地を置き換えるものではなく、それを補う別の類型として位置づけるべきだろう。連邦クラインガルテン法自体も、クラインガルテンを公園の代替物としてではなく、独自の目的をもつ緑地として定義している。排他性や高齢化という課題は、クラインガルテンという制度の設計そのものの欠陥というより、区画数という有限の資源をどう配分するかという、資源配分一般に共通する課題として理解するほうが適切である。
また、待機者リストの存在は、見方を変えれば、それだけの需要があることの表れでもある。都市の中で土に触れ、自ら育てる緑地を求める市民が一定数存在し続けているという事実は、公園が満たしきれないニーズがあることを示唆している。高齢化についても、クラインガルテンが高齢者にとって身体を動かし社会的なつながりを保つ場になっているという側面を無視するべきではない。重要なのは、クラインガルテンを万能の制度として礼賛することではなく、公園・市民農園・クラインガルテンといった複数の緑地類型が、それぞれ異なる役割を果たしながら併存することの意味を考えることである。
7.2 第三の論点——賃料と地域差
第三の論点として、賃料や維持費の負担が挙げられることもある。第4節で見たように、連邦クラインガルテン法は賃料の上限に一定の考え方を置いているが、それでも地域や用地によって、地代の水準や会費の額には差があるとされる。都市部の人気のある用地ほど賃料や間接的な費用が相対的に高くなりやすいという指摘もあり、これも排他性の議論と重なる論点である。もっとも、こうした地域差の実態を数値で正確に示す確実な資料は本稿では確認できておらず、ここでは論点の存在を指摘するにとどめる。
第四の論点は、区画の管理責任が利用者に重く課されることの負担である。栽培や清掃を怠ると契約解除の対象になりうるという規定は、区画を適切に維持する動機づけになる一方で、仕事や育児で忙しい世帯にとっては、継続的な手入れの負担が参入の障壁になりうる。自治管理型の緑地は、公園のように整備された状態が保証されているわけではなく、利用者自身の労力によって初めて維持される。この負担の大きさをどう評価するかは、緑地に何を求めるかという価値観にも左右される論点であり、一律の結論を出すことは難しい。
こうした複数の論点をあわせて考えると、クラインガルテンは、公園に比べて参加のハードルが高い代わりに、利用者に強い関わりと一定の自律性を与える制度であるという性格が浮かび上がる。この特徴をどう評価するかは論者によって異なりうるが、少なくとも、緑地の利用のあり方には「誰でも気軽に立ち寄れること」と「継続的に手を入れて育てること」という異なる価値があり、クラインガルテンをめぐる批判の多くは、後者の価値を追求した結果として生じる制約であるという整理ができる。
7.3 制度の見直しをめぐる動き
こうした論点を受けて、クラインガルテン協会の連合組織や自治体の側でも、制度の運用を見直す試みが続けられているとされる。たとえば、若い世帯向けに区画を小さく分割して提供する工夫や、共同で管理する区画を設けて一人あたりの負担を軽くする工夫、待機者リストの運用を透明化する取り組みなどが各地で試みられていると紹介されることがある。もっとも、こうした個別の取り組みの広がりや効果を確実な数値で示す資料は本稿では確認できておらず、あくまで方向性として紹介するにとどめる。制度は一度作られて終わりではなく、時代の需要に応じて運用が見直され続けるものであるという点は、次節で磐田市の公園を考える際にも共通する視点である。
8. 磐田市の公園への示唆
当サイトATAWI PARKが整理してきた磐田市の公園は100園である。これは、磐田市オープンデータ「都市公園一覧」に記載された94園と、市の施設ガイドのみに掲載されている6園を合わせた数である。種別の内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外・その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園であり、これらはいずれも都市公園法の種別か、市の施設ガイドに掲載された緑地としての分類である。ここまで検討してきたクラインガルテンのような、利用者団体が管理主体となる区画型の緑地に相当する種別は、この100園の中には含まれていない。
8.1 「農村公園」という名称が示すもの
興味深いのは、磐田市の公園の中に、名称に「農村公園」を含む園がいくつか見られる点である。豊田地区の豊田海老塚農村公園(街区公園、3,887平方メートル)、豊田富里農村公園(近隣公園、13,382平方メートル)、豊田中野戸農村公園(街区公園、1,492平方メートル)、南部地区の浜部農村公園(法対象外・その他)などがそれにあたる。市の施設ガイドの記載を見る限り、これらの園にはブランコや滑り台、砂場といった一般的な遊具が設けられており、市の分類上も他の街区公園・近隣公園と同じ種別に位置づけられている。つまり「農村公園」という名称は、農業集落を単位に整備されてきた経緯を示す呼び名であって、クラインガルテンのように利用者が区画を耕作する制度的な仕組みを伴うものではないと考えられる。この点は、名称の類似から実質的な制度の違いを見落とさないための、注意すべき論点である。
8.2 踏査を通じて確かめるべきこと
磐田市の公園は9地区(見付・中泉・御厨・豊田・南部・向陽・竜洋・福田・豊岡)に分布しており、管理は磐田市都市整備課が担っている。当サイトの現地踏査は2026年8月時点でまだ始まったばかりであり、各園の花壇や緑地の一部が、地域の住民団体によって日常的に手入れされているかどうかといった、オープンデータや施設ガイドの記載だけでは分からない運営の実態は、今後の踏査で確かめるべき課題である。本稿で見たクラインガルテンの自治管理という視点は、磐田市の公園そのものを直接置き換える提案ではないが、公園の花壇や緑地の一部に、地域住民が関わる余地がどの程度あるのかを考えるときの、一つの参照枠になりうる。
また、市民農園整備促進法や特定農地貸付法に基づく市民農園が磐田市内にあるかどうかについては、本稿執筆時点で確実に確認できる情報を当サイトは持ち合わせておらず、断定的なことは書けない。仮にそうした制度が存在するとしても、それは都市公園法上の公園とは別の制度に基づくものであり、当サイトが扱う100園のデータとは別に整理される必要がある。この点も、公園という言葉が指す範囲を考えるうえで、留意しておくべき論点である。
8.3 種別の内訳から見える磐田市の公園の性格
| 種別 | 園数 | 国の目安(標準面積・誘致距離) |
|---|---|---|
| 街区公園 | 51園 | 0.25ha・250m |
| 近隣公園 | 14園 | 2ha・500m |
| 都市緑地 | 10園 | 0.1ha〜 |
| 法対象外・その他 | 6園 | (都市公園法の対象外) |
| 地区公園 | 4園 | 4ha・1km |
| 総合公園/運動公園/風致公園 | 各3園 | 総合10〜50ha・運動15〜75ha・風致は規模の定めなし |
この内訳を見ると、磐田市の公園100園のうち半数を超える51園が街区公園であり、国の目安では0.25ヘクタール・誘致距離250メートルという、徒歩圏の身近な緑地として計画される種別である。クラインガルテンの一つの用地も、複数の区画をあわせて数千平方メートルから数ヘクタール程度の規模になることが多いとされ、面積の桁だけを見れば、磐田市の街区公園と同程度かそれ以上の規模になりうる。もちろん、面積の近さが制度の近さを意味するわけではない。街区公園は行政が整備し誰もが自由に利用できる場所として計画されるのに対し、クラインガルテンは利用者団体が区画ごとに管理する場所として計画される。同じような面積の緑地であっても、管理の主体という軸で見れば、両者はまったく異なる類型に属している。この対比は、面積や種別だけで緑地を語ることの限界を示していると言える。
8.4 地区ごとの偏りという視点
磐田市の公園100園は9地区に均等に分布しているわけではない。豊田地区は28園と最も多く、見付地区が21園でこれに続き、他方で南部地区と向陽地区はそれぞれ2園にとどまる。前節で触れた「農村公園」という名称を含む園の多くが豊田地区に集中していることも、この地区ごとの偏りと無関係ではないと考えられる。豊田地区はもともと農業集落が多く存在した地域であり、そうした集落単位の生活基盤が、公園という形に引き継がれてきた可能性がある。クラインガルテンが都市の工業化という文脈から生まれたのとは対照的に、磐田市の「農村公園」という名称が示す由来は、農業集落という文脈から生まれたものであり、緑地の起源となる地域社会のあり方そのものが異なっている。この違いを踏まえたうえで、それぞれの緑地が地域の暮らしとどう結びついてきたかを考えることが、当サイトの今後の踏査における一つの視点になりうる。
9. 結論と今後の課題
本稿は、ドイツのクラインガルテンという制度を、19世紀のシュレーバー運動に始まる歴史、1983年の連邦クラインガルテン法が定める区画・建物・賃料の基準、そしてクラインガルテン協会という利用者団体による自治管理のしくみという三つの角度から検討した。あわせて、日本の特定農地貸付法・市民農園整備促進法に基づく市民農園制度と比較し、管理主体のあり方や建物・契約期間の扱いにおいて、両者が異なる前提から出発していることを確認した。
検討を通じて明らかになったのは、緑地には「行政が整備し市民が訪れる公園型」と「利用者団体が管理主体となる自治管理型」という、少なくとも二つの異なる類型がありうるということである。この二類型という整理は、緑地を面積や種別といった外形的な基準だけで語るのではなく、管理の主体と責任の所在という、これまであまり注目されてこなかった軸に光を当てるものである。都市公園法が前提とする公園は前者にあたり、磐田市の公園100園もこの枠組みの中にある。クラインガルテンは後者の代表的な事例であり、行政が土地を提供しながらも、日々の管理と規約の運用を利用者の団体に委ねるという、公園とは異なる責任の配分を法律が正面から認めている点に特徴がある。この二つの類型のどちらが優れているかを論じることは本稿の目的ではない。それぞれが異なる需要——誰もが自由に出入りできる場所への需要と、自ら土に手を入れたいという需要——に応えるものとして、併存する意味があるという理解を示すことが、本稿の到達点である。
第7節で見たように、クラインガルテンには区画数の制約による排他性や、利用者の高齢化といった課題も指摘されている。自治管理型の緑地が万能の解決策ではないことは、本稿の結論にも反映されるべきである。むしろ重要なのは、公園・市民農園・クラインガルテンのような複数の緑地類型を、優劣で比べるのではなく、それぞれが異なる役割をもつ選択肢として理解する視点であろう。
9.1 今後の課題
今後の課題は大きく三つある。第一に、磐田市周辺に市民農園整備促進法や特定農地貸付法に基づく制度がどの程度存在するかについて、本稿では確実な情報を確認できなかった。今後、公開されている資料の確認や、市の関連部局への照会を通じて、この点を明らかにする必要がある。第二に、磐田市の公園100園について、花壇や緑地の一部に地域住民が関わっている事例があるかどうかは、当サイトの今後の踏査を通じて確かめるべき課題である。オープンデータや施設ガイドの記載だけでは、こうした運営の実態までは分からない。
第三に、比較の範囲についてである。本稿ではドイツ一国の制度を扱ったが、第1節で触れたイギリスのアロットメントやフランスのジャルダン・ファミリオーなど、他の国の類似制度との比較は今後の課題として残されている。国によって、区画の管理主体や建物の扱い、契約の保護の強さがどのように異なるのかを比較することで、クラインガルテンという事例の特徴をより相対的に位置づけることができるだろう。あわせて、本稿で扱った「公園型」と「自治管理型」という二分法自体も、あくまで議論を整理するための仮の枠組みであり、実際の緑地制度はこの二つのあいだに連続的な段階をもつ可能性がある。この段階をどう記述するかも、理論的に詰めるべき論点として残っている。
註:本稿は、クラインガルテンに関する確実に存在が確認できる法律・組織資料・研究文献に基づいて執筆した。個々のクラインガルテン用地を訪れた記録や、当事者への聞き取りは行っておらず、現地の細部の実態については、一次資料や現地調査に基づくさらなる検討が必要である。
本稿を通じて示したかったのは、緑地の制度を理解するには、面積や種別といった外形的な情報だけでなく、誰が管理の主体であり、誰が費用と労力を負担し、誰が利用の権利をもつのかという、制度の内側の構造を見る必要があるということである。クラインガルテンという一つの事例を丁寧に検討することは、遠いドイツの珍しい習慣を紹介することではなく、磐田市の公園を含む身近な緑地を、これまでとは異なる角度から見直すための手続きでもあった。
最後に、本稿の視点を磐田市の公園に無理に当てはめることには慎重でありたい。クラインガルテンは、ドイツの歴史と法制度の中で発達してきた固有の制度であり、そのまま磐田市に移植できるものではない。しかし、緑地を「訪れて過ごす場所」としてだけでなく「手を入れて育てる場所」として捉える視点があることを知ることは、公園という言葉が指す範囲を相対化し、磐田市の公園100園を含む地域の緑地のあり方を考えるうえで、一つの手がかりになると考える。当サイトは、100園それぞれの踏査を積み重ねる中で、こうした視点をどこまで具体的な観察に結びつけられるかを、今後の課題として引き続き検討していきたい。
参考文献
- Bundeskleingartengesetz(ドイツ連邦クラインガルテン法、1983年)
- Bundesverband Deutscher Gartenfreunde e.V.(ドイツ市民農園連盟)会則・組織資料
- ドイツ・ユネスコ委員会 無形文化遺産国内リスト「ドイツのクラインガルテン文化」(2015年登録)
- 特定農地貸付けに関する農地法等の特例に関する法律(1989年〔平成元年〕制定)
- 市民農園整備促進法(1990年〔平成2年〕制定)
- 農地法(昭和27年法律第229号)
- エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原著1902年、山形浩生訳、鹿島出版会、2016)
- エリノア・オストロム『コモンズのガバナンス——人びとの協働と制度の進化』(原著1990年、山田衣代・寺尾方孝ほか訳、晃洋書房、2022)
- 国土交通省 都市局「公園とみどり」
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。