人文学民族植物学
その木は何のために植えられたか——民族植物学からみた公園の植物と暮らしの関係史
要旨
本稿の目的は、民族植物学(ethnobotany)——ある植物が特定の社会の中でどう名づけられ、どう用いられ、どう語られてきたかを記述する学問——の視点を、都市公園の植栽に当てはめることである。公園の木や草は自然に生えたものではなく、ある時代のある判断によって選ばれ、植えられ、残されてきた文化的な所産である。そこには、その土地で人と植物が結んできた関係の記憶が、意識されないまま埋め込まれている。方法は文献整理と概念分析であり、ハーシュバーガーによる用語の提唱、レヴィ=ストロースの「具体の科学」、民族生物学的分類の研究、日本の本草学と民俗学の系譜を手がかりとする。
検討の結果、三点を示す。第一に、植物と人の関係は「食べる・薬にする・材にする・祀る・遊ぶ・境をつくる」という複数の層からなり、公園の植栽はそのうち儀礼と景観の層だけを残して他を切り離した状態にあること。第二に、名づけは関係の化石であり、園名や地名に残る植物の名は、その場所が植物とどう関わってきたかの手がかりになること。第三に、実のなる木を植えるかどうかという設計判断は、収穫の喜びと落果の清掃、誤食の懸念、費用と手間が交差する場所にあり、正解を一つに決められない性質の問いであること。
安全に関わる論点については、本稿は一貫して判断を差し控える立場をとる。すなわち、どの植物が食べられるか、どの植物にどんな効き目があるかを本稿は一切述べない。公園の植物は口に入れないことを原則とし、口に入れた可能性があるときや体調に不安があるときは医療機関・関係機関へ相談することを繰り返し述べる。有毒とされる植物を名指しして恐れを煽ることもしない。最後に、磐田市の都市公園100園を種別と地区の構成から読み、市の施設ガイドに樹種の記載がほとんど現れないという事実を出発点として、これからの踏査で植物と暮らしの関係をどう記録しうるかを述べる。
キーワード民族植物学植栽名づけ年中行事どんぐり実のなる木磐田市
1. はじめに——問題の所在
公園にはたいてい木がある。滑り台やブランコは一つずつ名前を持って施設の一覧に載るのに、木のほうは「植栽」「緑地」とひとまとめにされ、何が何本あるのかさえ記録に残らないことが多い。だが公園の木は、そこに自然に生えてきたわけではない。誰かが、ある時代の、ある考えのもとで種類を選び、位置を決め、植え、その後の何十年かを剪定と清掃で支えてきた結果として、いま立っている。本稿の出発点は、この単純な事実を問いの形に置き直すことにある。すなわち、その木は何のために植えられたのか。
この問いに答えるための視点として、本稿は民族植物学(ethnobotany)を用いる。民族植物学とは、ある植物が特定の社会の中でどう名づけられ、どう分類され、どう使われ、どう語られてきたかを記述する学問である。植物そのものの形や生理を扱う植物学と異なり、民族植物学が見るのは植物と人のあいだの関係のほうである。同じ一本の木でも、材木として見る人、実を待つ人、日陰をありがたがる人、神が宿ると考える人では、見えているものが違う。その違いの総体を、その社会の植物観として記述しようとする。
この学問の名は、アメリカの植物学者ジョン・ウィリアム・ハーシュバーガーが1896年に発表した論考で提唱したものとされる。当初は主に先住民社会の植物利用を記録する分野として発展し、二十世紀半ば以降、リチャード・エヴァンズ・シュルテスらによって熱帯地域の膨大な事例が蓄積された。しかし本稿が関心を寄せるのは、遠い土地の珍しい植物利用ではない。都市の公園という、日本のどこにでもある平凡な場所に、人と植物の関係の歴史がどう折りたたまれているか、である。
1.1 なぜ公園の植物を民族植物学で読むのか
都市公園の植栽は、民族植物学の対象として二重の意味で興味深い。第一に、それは徹底して人工的である。公園の木は選ばれた木であり、選ばれなかった木は植えられていない。したがって公園の樹種構成は、その時代の社会が植物に何を期待していたかの標本になる。第二に、その選択の理由がほとんど記録されていない。造成時の設計図に樹種名は残っても、なぜその樹種だったのかという判断の中身は残らない。理由が抜け落ちたまま木だけが育ち、数十年後には「昔からある木」として景観の前提になる。
本稿が立てる問いは三つである。第一に、人と植物の関係はどのような層からなり、公園の植栽はそのうちどの層を残し、どの層を切り離してきたのか。第二に、植物の名前——和名・地方名・地名・園名——は、その土地と植物の関係について何を教えるのか。第三に、実のなる木を植えるかどうかという設計上の判断は、何と何のあいだの選択なのか。この三つを通じて、公園の植栽を「景観の要素」から「関係の痕跡」へと読み替えることを試みる。
方法は文献整理と概念分析である。民族植物学の主要な概念、日本の本草学と民俗学が蓄積してきた植物観、そして近代日本の公園がどのように樹木を植えてきたかという都市公園史の知見を突き合わせる。事例としては磐田市の公開情報——市のオープンデータと施設ガイドの記載——を参照するが、これらに樹種の情報はごく限られた形でしか含まれない。したがって本稿の後半は、記述されていないものをどう記述しはじめるかという方法上の提案の性格を持つ。
1.2 安全に関する本稿の立場
植物の利用を扱う以上、食べる・薬にするという主題は避けて通れない。ここで本稿の立場を先に明示しておく。本稿は、どの植物が食べられるか、どの植物にどのような効き目があるかを、一切判断しない。過去の社会がある植物をどう扱ってきたかを歴史として述べることと、いま公園にある植物を口に入れてよいと述べることは、まったく別のことである。公園の植物は口に入れない——これを本稿の一貫した原則とする。
この原則には理由がある。第一に、見分けは想像以上に難しく、よく似た姿の植物どうしを写真や記憶だけで区別することは専門家でも慎重を要するとされる。第二に、公園の植物には管理上の薬剤散布や犬の散歩、路面からの汚れなど、生育環境に由来する事情がある。第三に、そもそも公園の植物は公共の管理物であり、採取そのものが管理者の定めるところに従うべきものである。子どもが誤って口に入れた可能性があるとき、体調に不安が生じたときは、自己判断で様子を見るのではなく、医療機関や中毒に関する相談窓口といった関係機関へ相談することが望ましいとされる。
同様に、本稿は有毒とされる植物を名指しして並べ、恐れを煽ることもしない。ある植物が毒とされ、同時に薬とされ、飢えの年には食とされてきたという両義性こそ、民族植物学が繰り返し確認してきた事柄だからである。恐怖のリストではなく、口に入れないという単純な原則と、迷ったときの相談先を知っていることのほうが、日々の公園での安心に寄与すると考える。
構成は次のとおりである。第2節で民族植物学の系譜と主要概念を整理し、第3節で名づけの問題を扱う。第4節で食、第5節で薬という二つの関係の層を、いずれも歴史の記述として検討し、現在の公園での原則を確認する。第6節で儀礼と象徴、第7節で遊びの素材としての植物を論じ、第8節で実のなる木をめぐる設計判断を検討する。第9節で磐田市の公園に照らした示唆を述べ、第10節で結論と今後の課題をまとめる。
註:本稿で「植栽」とは、公園の造成や改修に際して人の手で植えられた樹木・低木・草花を指す。これに対し、植えられていないのに生育している植物を本稿では「自生」と呼び分ける。公園の植物相は両者の混合であり、その境目は管理の手が入るたびに動く。
2. 先行研究と概念の整理
民族植物学は、植物学と人類学の境目に生まれた分野である。ハーシュバーガーが1896年にこの語を提唱したとき、念頭にあったのは、ある社会が用いる植物の目録を作ることであった。しかし二十世紀を通じて、この分野の関心は目録から関係の構造へと移っていく。何を使うかだけでなく、どう名づけ、どう分類し、どのような物語とともに語るのか。植物利用の背後にある知の体系そのものが対象になった。
2.1 「具体の科学」と民族生物学的分類
この転回に大きな影響を与えたのが、クロード・レヴィ=ストロースが『野生の思考』(1962)で提示した「具体の科学」という考え方である。彼は、いわゆる未開社会の人々が身のまわりの動植物について示す膨大で精密な知識を取り上げ、それを科学以前の未熟な知識としてではなく、感覚的な性質を手がかりに世界を秩序づける、もう一つの知の様式として位置づけた。植物を細かく区別し名づける営みは、実用のためだけになされるのではなく、世界を分節して理解したいという欲求そのものに支えられている——この指摘は、実用性を失ってなお残る植物の名前を考えるうえで示唆に富む。
同じ関心を、より実証的な比較の形で展開したのがブレント・バーリンらの民族生物学的分類の研究である。バーリンは『Ethnobiological Classification』(1992)で、多くの社会の生物分類が階層をなし、その中間に位置する分類単位——日本語でいえば「マツ」「サクラ」のような、日常の会話でもっとも使われやすい水準——が特別な安定性を持つと論じた。学名の体系とは独立に、人はおおむね似た粒度で植物をまとめる傾向があるという。公園で人が木を語るとき、多くは科名でも品種名でもなくこの水準の語を使う。この事実は第3節で改めて扱う。
2.2 日本における系譜——本草学から民俗学へ
日本には、民族植物学という語が輸入される以前から、植物と人の関係を記述する厚い伝統があった。その一つが本草学である。中国の李時珍が『本草綱目』(1596)で薬用を軸に膨大な動植物を整理したのを受け、日本では貝原益軒が『大和本草』(1709)で国内の事物を独自に分類し、小野蘭山は『本草綱目啓蒙』(1803〜1806)で各地の呼び名を丹念に併記した。蘭山が地方名を集めた仕事は、今日の目から見れば民族植物学的な調査に近い。
近代に入ると、牧野富太郎の植物図鑑に代表される記載植物学が学名の体系を普及させる一方で、民俗学が別の角度から植物への関心を継いだ。柳田國男は『蝸牛考』(1930)で、同じ生き物を指す語が地域ごとに層をなして分布する様子から、語の広がり方に関する見方を提示した。この見方は植物の地方名にも当てはめられ、ある呼び名がどこまで届いているかを調べることが、その土地の暮らしの履歴をたどる手がかりになると考えられてきた。柳田が『木綿以前の事』(1939)で衣料の素材から生活史を読み解いたのも、同じ方法意識の産物である。
戦後には、栽培植物の起源をめぐる中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(1966)や、上山春平編『照葉樹林文化』(1969)、佐々木高明の一連の仕事によって、日本列島の暮らしを東アジアの植物利用の広がりの中に置く議論が展開された。これらの説には検討の余地が指摘されてきたが、身近な植物の使い方を地域を越えて比較するという発想を根づかせた点で、日本の民族植物学的関心の土台となっている。年中行事と植物の結びつきを追った湯浅浩史『植物と行事』(1993)のような仕事も、この系譜に連なる。
2.3 関係の六つの層
これらの蓄積を踏まえ、本稿では人と植物の関係を六つの層に分けて扱う。食・薬・材・儀礼・遊び・境である。実際の暮らしではこれらは分かちがたく重なっていた。同じ木の実を食べ、材を道具にし、枝を正月の飾りに使い、子どもがその実で遊び、屋敷の境に列植する——そうした重層性こそが、植物と人の関係の常態であった。この六層を物差しにすると、都市公園の植栽が何を残し何を落としてきたかが見えやすくなる。
| 関係の層 | 暮らしの中での内容 | 現在の公園での現れ方 |
|---|---|---|
| 食 | 実・葉・根を食べる。年中行事の食。備えとしての知識 | ほぼ切り離されている。落果は清掃の対象になりやすい |
| 薬 | 本草の知識、民間の言い伝え | 切り離されている。判断は医療機関・関係機関の領域 |
| 材 | 建築材、道具、燃料、繊維 | 切り離されている。剪定枝は廃棄物として扱われる |
| 儀礼 | 神木、門松、花見、供花、寺社の樹叢 | 強く残る。桜・松・イチョウなどの選定理由として働く |
| 遊び | どんぐり、落ち葉、草花遊び、木登り | 部分的に残る。子どもの活動として日々続いている |
| 境 | 屋敷林、生垣、防風林、並木 | 残る。境界・目隠し・防風の機能として設計に組み込まれる |
この表から読み取れるのは、公園の植栽が「儀礼・遊び・境」の層を保ち、「食・薬・材」の層をほぼ手放しているという構図である。これは公園が劣化した空間だという意味ではない。都市の暮らしが食料と材料の調達を市場に委ねた結果として当然に生じた変化であり、公園はその変化を映しているにすぎない。ただし、切り離されたはずの層が完全に消えるわけではない点は重要である。落ちた実に子どもが手を伸ばす瞬間、あるいは木の名前が食べ物の名を含んでいる瞬間に、切り離されたはずの層が不意に顔を出す。第4節以降で扱うのは、この「不意に顔を出す」場面である。
註:ここでの六層は分析のための便宜的な区分であり、確立した学説上の分類ではない。民族植物学の教科書的な整理では、食用・薬用・材用・染料・儀礼・信仰など、目的別のより細かい区分が用いられることが多い。本稿は公園という対象に合わせて粗い区分をとっている。
3. 名づけ——名前は関係の化石である
人と植物の関係を調べるとき、民族植物学がまず手をつけるのは名前である。名前は、その植物が誰にとって何であったかを、圧縮した形で保存している。用途が失われた後も名前だけは残ることが多いため、名前は関係の化石として読める。本節では、この化石をどう読むかを整理する。
3.1 用途が名前になる
日本語の植物名には、その植物の使い道がそのまま名になった例が多い。屋根を葺く材としてのススキやチガヤをまとめて「カヤ」と呼ぶのは、種の区別より用途の共通性を優先した名づけである。弓の材とされたことからマユミの名が生じたという説、火をおこす道具に用いられたことがヒノキの名につながるという説も、古くから語られてきた。いずれも語源には諸説あり確定していないが、重要なのは、人々がその名を「使い道の名」として受け取ってきたという事実のほうである。
この点で、和名と学名は性格が根本的に異なる。学名は一つの分類群に一つだけ与えられ、世界中どこでも同じものを指すように設計されている。これに対して生活の中の名は、地域ごと、世代ごと、用途ごとに増える。一つの植物に多くの名があり(一物多名)、同じ名が地域によって別の植物を指す(一名多物)ことも珍しくない。小野蘭山が『本草綱目啓蒙』で各地の呼び名を丹念に併記したのは、この多様さ自体が情報だと考えたからであろう。
地方名の数は植物によって大きく異なる。よく知られているのは、田の畦や墓地の周りに見られる秋の赤い花——ヒガンバナ——のように、地域ごとの呼び名が非常に多い植物の存在である。名が多いということは、それだけ多くの土地で人の目に留まり、話題にされ、何らかの意味を与えられてきたということである。逆に、身近にあっても名の少ない植物は、人の暮らしとの接点が薄かったと推測できる。名前の数の偏りは、関係の濃淡を映す指標になる。
3.2 子どもがつける名前
民族植物学が注目するのは大人の生業に関わる名前だけではない。子どもが植物につける名は、形や手ざわり、遊び方に由来することが多い。実を振ると音がするからペンペン草、猫が反応するから猫じゃらし——こうした名は、図鑑の和名とは別の体系をなしている。バーリンが指摘した、日常会話で最も安定して使われる中間の分類水準は、子どもの言語生活の中ではしばしば「遊べるもの/遊べないもの」という軸で再編成される。
この子どもの名づけは、公園という場所と相性がよい。子どもは公園で植物を採取して料理に用いるわけではないが、名づけと分類は日々行っている。どの木の下にどんぐりが多いか、どの草なら引き抜きやすいか、どの葉なら手のひらより大きいか。これらは実用の知識ではないが、レヴィ=ストロースのいう具体の科学と同じ構造——感覚的な性質による世界の分節——を持つ。公園は、この分節が生じる数少ない日常の場である。
3.3 地名・施設名に残る植物
植物の名は、地名や施設名にも堆積する。松原、栗林、桜町、藤沢のように、植物名を含む地名は全国に厚く分布する。こうした地名は、かつてその場所にその植物が目立って存在したこと、あるいはその植物にまつわる何かが起きたことを示唆する。ただし注意が必要なのは、地名は実体より長く残るという性質である。松原と呼ばれる場所にいま松がなくても、地名が誤りなのではなく、地名のほうが景観の変化に取り残されただけである。
公園の名にも同じことが言える。植物名を冠した公園は各地にあり、その名は造成時の植栽方針、地域の由緒、あるいは公募で選ばれた住民の願いを反映している。しかし現在その植物が園内にあるかどうかは、名からは分からない。名と実体のずれは、公園の履歴を調べる際にはむしろ好都合な手がかりになる。ずれが生じたのはいつか、なぜかを問えば、その公園の管理の歴史が浮かび上がるからである。
したがって、公園名の植物名を「その公園にある植物の説明」として読むのは適切でない。読むべきは、名づけの時点で何が期待されていたかである。地域の記憶を引き受けようとした名か、新しい住宅地に季節感を与えようとした名か、あるいは近くの寺社や旧跡に由来する名か。名づけの動機を推定し、現在の姿と突き合わせる作業は、民族植物学が地方名に対して行ってきたことと本質的に同じである。この方法は第9節で磐田市の公園名に対して用いる。
註:語源については諸説あるものが多く、確定した定説として扱えるものは少ない。本節で挙げた語源説も、そう語られてきたという伝承の水準で述べており、言語学的に立証されたものとして提示するものではない。
4. 食——行事の中の植物と、公園での原則
人と植物の関係の中で、最も基本的でありながら現在の公園から最も遠ざかっているのが食の層である。本節ではこの層を歴史として記述し、そのうえで現在の公園における原則を確認する。あらかじめ繰り返すが、本稿はどの植物が食べられるかを一切判断しない。以下は過去の暮らしの記述であり、公園の植物についての手引きではない。
4.1 行事と結びついた植物
日本の年中行事には、植物が深く組み込まれてきた。正月の松飾り、春の七草、三月の草餅、五月の柏餅や粽(ちまき)、七夕の笹、秋の月見の飾り。湯浅浩史『植物と行事』(1993)が整理したように、これらは単なる季節の演出ではなく、その植物が持つとされた力や、入手できる時期、加工のしやすさが結びついて定着した慣行である。行事食は、植物の利用を暦の中に固定して次の世代へ渡す仕組みでもあった。
重要なのは、行事の植物が「よそから買うもの」ではなく「そのへんで採るもの」だった時代が長かったという点である。畦や土手、屋敷まわり、里山の縁といった半ば管理された場所が、行事のたびに素材を提供していた。植物の見分けは、行事の準備を手伝う過程で自然に身についた。知識は本ではなく、季節と手作業を通じて継承されていたのである。
4.2 備えとしての知識
食の層にはもう一つ、備えとしての側面があった。凶作や飢饉の年に、通常は食べない植物をどう扱うかという知識である。江戸時代には、こうした知識をまとめた書物が各地で編まれ、藩によって配られたことも知られている。そこに記された処理の手順——長時間さらす、繰り返し煮る、灰を使うといった工程——は、その植物がそのままでは扱えないことを前提にしていた。つまり当時の人々は、有毒か無毒かという二分法ではなく、手間をかければ扱いが変わるという連続的な理解を持っていたことになる。
この連続的な理解は、民族植物学が世界各地で確認してきた特徴でもある。ある植物が薬にも毒にも食にもなるという知識は、量と処理と体調という条件つきの知識であり、条件を外して部分だけを取り出すと危険なものになる。現代において過去の食の記録をそのまま実行に移すことが適切でない理由も、まさにここにある。条件のうち失われた部分——どの季節のどの部位を、どれだけの手間で、誰が食べたのか——を、記録から復元することはできない。
4.3 都市化と知識の断絶
都市化は、この継承の回路を静かに断ち切った。食料の調達が市場に移り、行事の素材も店で買えるようになると、見分けの知識は使われなくなり、使われない知識は伝わらなくなる。柳田國男が『木綿以前の事』(1939)で衣料の素材の変化から生活の変質を読み取ったのと同じ構図が、食用植物の知識にも当てはまる。断絶を嘆くのは容易だが、本稿はそこに価値判断を置かない。指摘したいのは、知識が失われた状態のまま、植物だけが公園に残っているという非対称である。
この非対称は実践的な意味を持つ。かつては、子どもが何かを口に入れようとしたとき、そばにいる大人が経験から止めるか許すかを判断できた。いまその判断の基盤はほとんどの家庭に残っていない。だとすれば、判断を試みること自体をやめ、原則で置き換えるほうが理にかなっている。すなわち、公園の植物は口に入れない。この原則は知識の欠如を責めるものではなく、知識が失われた社会に適した設計として選ばれるものである。
4.4 公園での原則と、迷ったときの相談
原則を具体的な場面に置き直すと、次のようになる。木の実や草の実は拾って眺めてよいが、口には入れない。ままごとで作った料理は食べる真似までとし、そこで区切る。持ち帰るなら、家で洗ってから扱う。公園で食べるおやつや弁当は、持参したものだけにする。遊んだ後は手を洗う。いずれも難しいことではなく、繰り返し声に出して共有すればよい種類のことである。
そのうえで、子どもが植物を口に入れた可能性があるとき、あるいは口に入れた後に様子が普段と違うと感じたときは、自己判断で経過を見るのではなく、医療機関や中毒に関する相談窓口といった関係機関へ相談することが望ましいとされる。相談の際には、いつ・どの部分を・どのくらいの量が問題になるとされるため、可能なら現物や残りを保管しておくとよいと案内されることが多い。何をどう判断するかは、本稿ではなくそれらの窓口の領域である。
註:本節の歴史的な記述は、過去の社会における植物利用の説明であって、現在の利用を勧めるものではない。公園は公共の管理物であり、植物の採取について定めがある場合は管理者の案内に従う必要がある。
5. 薬——本草の記憶と、判断を委ねるということ
食に次いで、人と植物の関係を強く形づくってきたのが薬の層である。本節もまた歴史の記述に徹する。本稿は、どの植物にどのような効き目があるかを一切述べない。ここで扱うのは、かつての社会が植物をどのような枠組みで捉えていたかと、その枠組みが現在の公園でどう扱われるべきかである。
5.1 本草学という枠組み
東アジアにおいて、植物についての体系的な知識は長く薬の文脈で蓄積された。李時珍の『本草綱目』(1596)は、薬になりうるものという観点から膨大な自然物を分類・記載した大著であり、日本の知識人に決定的な影響を与えた。貝原益軒の『大和本草』(1709)は、その枠組みを踏まえながら日本の事物を独自に整理し直したものである。ここで注目すべきは、本草学が植物を「効く/効かない」で切るのではなく、産地・季節・部位・処理・組み合わせという条件の束として記述していた点である。
江戸幕府が薬園を設け、諸藩も薬草の栽培と調査を行ったことは、この知識が国家的な関心事であったことを示している。小石川の御薬園がのちに大学の植物園となったように、薬用植物の管理と研究の場は、近代の植物学の制度的な母胎にもなった。植物園が本来「見て楽しむ庭」ではなく「同定と管理のための施設」として出発した事実は、公園の植栽を考えるうえでも記憶しておいてよい。
5.2 毒と薬は連続している
民族植物学が繰り返し確認してきたのは、多くの社会において毒と薬が別のカテゴリーではないという事実である。同じ植物が、量と処理と用い方によって薬とも毒とも扱われる。量が毒を決めるという趣旨の言葉が近世ヨーロッパの医学者に帰せられて広く知られているのも、この理解が洋の東西を問わないことを示している。シュルテスらが記録した各地の事例でも、儀礼・治療・毒という用途は同じ植物の上で重なり合っていた。
この連続性は、有毒植物を名指しして列挙するやり方の限界も示している。危険な植物の名を覚えることは一見合理的だが、実際の場面で必要なのは、目の前の個体がその植物かどうかを判断する能力であり、それは名前の記憶とは別の技能である。似た姿の植物を写真の記憶だけで区別することは容易でないとされ、専門家であっても現物と時間をかけた確認を要する。だとすれば、リストを増やすより、口に入れないという一つの原則を徹底するほうが確実である。
5.3 恐れではなく原則を置く
有毒植物を強い言葉で語ることには副作用がある。第一に、恐れは公園から足を遠ざける方向に働きやすい。第二に、名指しされた植物だけが危険で、それ以外は安全だという誤った安心を生みやすい。第三に、植物の側に悪意があるかのような語りは、人と植物の関係についての理解をゆがめる。植物は人に対して毒を持つのではなく、たまたま人がそう反応する物質を持っているにすぎない。
したがって本稿は、恐れではなく原則を置く。公園の植物は口に入れない。樹液や汁が肌についたときは、こすらずに洗い流す。目や口の周りは特に触らない。手を洗ってから食事をする。これらは、どの植物かを判断せずに実行できる行動であり、判断能力の有無に依存しない点で強い。原則の強さは、知識の乏しさを補うところにある。
5.4 判断は関係機関へ返す
そのうえで、何かが起きたとき、あるいは起きたかもしれないときの回路を用意しておく必要がある。肌に反応が出た、口に入れたかもしれない、いつもと様子が違う——こうした場面での判断は、医療機関や中毒に関する相談窓口の領域である。国の機関や自治体は、子どもの事故防止に関する情報提供の中で、こうした相談先を案内している。何が起きたか、いつ起きたか、どの部分がどれだけ関わったかを伝えられるようにしておくとよいとされる。
この「判断を返す」という態度は、公園の情報を扱うすべての場面に共通する。当サイトのような公園データベースが果たしうる役割は、症状や効き目について述べることではなく、どこに相談すればよいかを平時から知らせておくことである。行事や季節の植物について書く際にも、楽しみ方と原則と相談先を同じ紙面に置くこと。これが、植物の豊かさを損なわずに安全側へ寄せる書き方であると考える。
註:本節で本草学や民間伝承に言及したのは、歴史的な知識体系の紹介のためであり、そこに記された用法の再現を勧めるものではない。医薬品としての利用は法令と医療の枠組みの中にあり、本稿の範囲外である。
6. 儀礼と象徴——公園の樹種はなぜこの顔ぶれなのか
日本の公園を思い浮かべたとき、多くの人が桜と松を連想する。これは偶然ではない。近代の公園制度が成立する過程そのものに、この二つの木が組み込まれていたからである。本節では、公園でよく見かける樹種が、暮らしの中でどのような関係を結んできたかを整理し、その関係が選定の理由としてどう働いてきたかを考える。
6.1 名所を公園にする、という出発点
日本の近代公園は、白紙の土地に新しく作られただけでなく、すでに人が集まっていた場所を公園として指定するところから始まった。明治六年(1873年)の太政官布達は、社寺の境内や古くからの名所・遊観の地を公園にあてるよう各府県に求めたものとして知られる。白幡洋三郎『近代都市公園史の研究』(1995)が論じたように、この出発点は日本の公園に独特の性格を与えた。すなわち、公園は最初から、桜の名所であり、松の景であり、社寺の樹叢であった。
この経緯は、樹種選定の理由が「造園上の適性」だけでは説明できないことを意味する。ある木が公園にふさわしいとされるとき、そこには生育の適否や管理の容易さに加えて、その木が人々の暮らしの中で担ってきた意味が働いている。民族植物学の言葉でいえば、儀礼と象徴の層が、近代の公園設計の中に持ち越されたのである。
6.2 五つの木と暮らしの関係
以下では、公園でよく植えられてきた木を五つ取り上げ、それぞれが暮らしと結んできた関係を要約する。ここに挙げるのは日本の文化史における一般的な位置づけであり、特定の公園に何が植えられているかを述べるものではない。
| 樹種 | 暮らしの中での関係 | 公園で選ばれてきた理由として語られること |
|---|---|---|
| マツ | 海岸の防風・防潮の林、白砂青松の景、正月の松飾り、神を迎える木としての伝承 | 景観の骨格をつくる。手入れの姿が管理の意思を示す |
| サクラ | 花見という集まりの行事、開花を農事の目安とする慣行、記念植樹 | 開花期に人を集める。学校・堤防・公園に広く植えられた |
| イチョウ | 中国から渡来し、寺社に多く植えられた。実(銀杏)の利用、材の利用 | 萌芽力が強く、都市の環境に耐えるとされ、街路樹に採用された |
| クスノキ | 樟脳の原料、船材、暖地の巨木として神木にされることが多い | 大きな樹冠が広い緑陰をつくる。常緑で冬も葉がある |
| ケヤキ | 建築材・器具材の代表格、屋敷林、並木 | 整った樹形と秋の紅葉。落葉して冬は日ざしを通す |
マツについて特筆すべきは、それが最も強く人の手を要求する木だという点である。海岸林としてのマツは、飛砂と潮風から田畑と集落を守るために植え継がれてきた人工林であり、庭や公園のマツもまた、剪定によって形が保たれる。マツのある風景は自然の風景ではなく、手入れが続いていることの表示である。逆に言えば、マツの姿は管理の履歴を最も雄弁に語る。
サクラについては、いま各地の公園や堤防で見られる並木の多くが、江戸末期に江戸の染井の植木屋によって広められたとされる品種に由来する点が重要である。この品種は接ぎ木で増やされるため、同じ地域の木は遺伝的にほぼ同一であり、それゆえ一斉に咲き一斉に散る。私たちが花見という行事に期待する「みごとに揃う」性質は、植物の生理であると同時に、増やし方という人の選択の結果でもある。民族植物学の視点からは、これは栽培化のきわめて明快な事例といえる。
イチョウは、中国原産で古い時代に日本へもたらされ、寺社の境内に多く植えられてきた木である。都市の街路樹として広く採用された背景には、萌芽力の強さや都市環境への耐性、そして水分を多く含み火に対して強いとされてきた言い伝えがある。実である銀杏は古くから食品として扱われてきたが、公園で拾ったものについて本稿は食用の可否を判断しない。第4節の原則がここでも当てはまる。
クスノキは、樟脳の原料として近代日本の産業に関わった木であり、同時に暖地の巨木として神木とされることが多い。宮脇昭が『鎮守の森』で論じたように、社寺の樹叢はその土地本来の樹種構成を残す場所として注目されてきた。公園にクスノキが植えられるとき、広い緑陰という実利と、大きな木への畏敬という感覚が同時に働いている。ケヤキもまた、建築材の代表格として暮らしを支えつつ、屋敷林や並木として景観の骨格をなしてきた。
6.3 象徴は設計の理由になりうるか
ここで一つの反論を検討しておきたい。樹種の選定は、土壌・気候・病虫害・管理費といった実務的条件で決まるのであって、象徴的な意味づけは後づけの物語にすぎない、という見方である。この反論には一定の理がある。実際、公園の樹種は流通する苗の入手しやすさに強く左右される。しかし、その苗が流通しているのはなぜかを一段さかのぼれば、需要があるからであり、需要は人がその木に見出してきた意味に支えられている。実務と象徴は対立するのではなく、供給の側で結び合っている。
したがって、公園の樹種構成を読むことは、その地域の人々が木に何を期待してきたかを読むことに近い。花を待つのか、緑陰を求めるのか、冬の日ざしを通したいのか、あるいは何かを記念したいのか。これらの期待は、公園の設計文書には書かれないまま、選ばれた樹種の中に沈殿している。第9節では、磐田市の公園について、この沈殿をどう掘り出しうるかを述べる。
7. 遊び——子どもの民族植物学
食・薬・材という三つの層が公園から切り離される一方で、いまも公園で日々更新されている層がある。遊びである。子どもは公園の植物を採取して生計を立てるわけではないが、集め、並べ、分け、名づけ、加工し、交換する。この一連の営みは、民族植物学が対象としてきた植物利用の構造と驚くほどよく似ている。本節では、これを「子どもの民族植物学」として記述する。
7.1 どんぐり——分類され、加工され、交換されるもの
どんぐりは、子どもの植物利用の中心にある素材である。まず、集められる。次に、大きさや形、帽子(殻斗)の有無で分類される。細長いもの、丸いもの、帽子が残っているものは、しばしば別の価値を持つものとして扱われる。この分類は植物学的な種の区別と完全には一致しないが、感覚的な性質にもとづいて世界を分節するという意味では、レヴィ=ストロースが具体の科学と呼んだ思考と同型である。
さらに、どんぐりは加工される。軸を刺して独楽にする、やじろべえにする、器に盛って料理に見立てる。加工の手順は、多くの場合、年上の子どもや保護者から伝えられる。ここには技術の伝承がある。そして交換される。集めた量や珍しい形は、その場のやりとりの中で価値を持つ。採取・分類・加工・交換という四つの過程が揃っている点で、どんぐり遊びは小さな民族植物学の教科書である。
なお、どんぐりは公園にとって落下物でもある。舗装の上に転がれば足元が滑りやすくなり、清掃の手間も生じる。子どもにとっての宝物が、管理者にとっては処理すべき落果であるという二重性は、第8節で扱う設計判断の縮図でもある。同じ物に対する評価が立場によって反転すること自体、民族植物学が扱ってきた古典的な主題である。
7.2 落ち葉と草花——季節を身体で覚える
落ち葉は、量として遊ぶ素材である。積む、放り上げる、山に飛び込む、色の違うものを選り分ける。落葉樹の葉は、色づく順序も落ちる時期も種類ごとに異なるため、選り分けは自然に樹種の区別へつながる。押し葉にして残せば、その年の秋の記録になる。落葉が管理上は清掃の対象であることと、子どもにとっては年に一度の遊具であることは、やはり同じ物の二重性である。
草花遊びも各地に伝えられてきた。細長い葉を編んで冠にする、茎を絡めて引き合う草相撲、笹の葉を舟にする、綿毛を吹き飛ばす。こうした遊びの多くは、特定の植物と結びついた名で呼ばれてきた。牧草として渡来し、荷の詰め物に使われたことから名がついたと言われる草を用いた花冠のように、遊びの素材には外来の植物も早くから取り込まれている。遊びは在来と外来を区別しない。使えるものが使われる。
7.3 遊びが知識を運ぶ
重要なのは、これらの遊びが知識の運搬装置として働いていることである。どの季節に何ができるか、どこにその素材があるか、どう加工すればうまくいくか。これらは口伝えと模倣で伝わり、毎年の反復で定着する。行事食が暦を通じて植物利用を継承したのと同じ機能を、遊びは子どもの集団の中で果たしている。都市の暮らしの中で、食と薬の知識の継承路が細ったあとも、遊びの継承路は比較的よく残った。公園はその主要な現場である。
生態心理学が提唱してきたアフォーダンスの考え方——環境の側が行為の可能性を差し出しているという見方——を借りれば、公園の植物は子どもに対して多様な行為可能性を差し出している。同じ木でも、登れる枝ぶりか、実を落とすか、葉が大きいかによって、差し出されるものは違う。樹種の選定は景観の選定であると同時に、遊びの可能性の選定でもある。この視点は、植栽計画の議論にほとんど登場しないが、実際の利用にはよく効いている。
7.4 採取の節度と、この場面での原則
遊びとしての植物利用には、節度の作法が伴う。生きている枝や花は折らず、落ちているものを使う。ひとりで独占せず、次に来る子の分を残す。木の実は鳥や虫の食べ物でもあることを知っておく。持ち帰るなら少しにする。これらは禁止事項というより、共有物の使い方についての作法であり、言葉にして伝えれば子どもにも十分理解できる。
そして、ここでも原則は変わらない。集めたものは口に入れない。ままごとの料理は食べる真似までとする。年齢が低いほど物を口へ運ぶ動作は自然に起こるため、拾ったものを扱う場面では大人が近くにいることが望ましい。植物にとまっている虫や、木のうろの近くで羽音がするときは、近づかずにその場を離れ、気になることがあれば管理者へ伝える。判断が要る場面は関係機関へ返す——第5節で述べた回路は、遊びの場面でも同じである。
註:草花遊びの伝承には地域差が大きく、同じ遊びに複数の呼び名があることも多い。当サイトが今後、地域の遊びの呼び名を記録できれば、それ自体が磐田の民族植物学的な資料となりうる。
8. 設計判断——実のなる木を植えるか
ここまでの議論を、具体的な設計上の問いに落とし込む。公園に実のなる木を植えるべきか。この問いは、民族植物学の六つの層のうち、切り離されたはずの食の層を公園へ呼び戻すかどうかを問うている。そして、答えを一つに決められない性質の問いでもある。本節では、この判断が何と何のあいだの選択なのかを明らかにする。
8.1 呼び戻す側の理由
実のなる木を支持する理由は複数ある。第一に、季節の変化が目に見える。花が咲き、実がふくらみ、色づき、落ちるという過程は、暦を身体で覚える教材になる。第二に、鳥や虫を呼び、公園の生きものの層を厚くする。第三に、地域の記憶とつながる。かつて屋敷まわりや畑の縁に果樹があった土地では、その樹種を植えることが土地の履歴を継ぐ意味を持つ。第四に、収穫という共同の出来事が、公園に関わる人を増やす契機になりうる。
第四の点は、民族植物学の視点から見ると特に興味深い。食の層が切り離されたのは、都市の暮らしが食料調達を市場に委ねたからであった。だとすれば、公園に実のなる木を植えても、それが食料供給として意味を持つことはほとんどない。にもかかわらず人がそれを望むのは、収穫という行為が持つ社会的な機能——一緒に採り、分ける——のほうを求めているからだと考えられる。実のなる木の価値は、食料ではなく関係の側にある。
8.2 慎重にする側の理由
他方、公園の管理に責任を持つ立場からは、慎重にならざるをえない理由が並ぶ。落ちた実は清掃の対象となり、舗装の上では滑りやすさや汚れの原因になる。実を目当てに集まる虫が増えることもある。誰が採ってよいのかという権利関係が曖昧になり、独占や持ち去りをめぐる軋轢が生じることもある。そして、子どもが口に入れるのではないかという懸念が、保護者にも管理者にも生じる。
この最後の点について、本稿の立場を改めて述べておく。実のなる木を植えるかどうかにかかわらず、公園の植物は口に入れないという原則は変わらない。実のなる木がある公園でも、ない公園でも、木の実や草の実は落ちている。したがって、誤食の懸念を理由に実のなる木だけを排除しても、原則の必要性は消えない。必要なのは樹種の取捨ではなく、原則の共有と、迷ったときの相談先の周知である。
8.3 論点を並べて見る
| 論点 | 呼び戻す方向の見方 | 慎重にする方向の見方 | 判断が分かれる条件 |
|---|---|---|---|
| 季節の学び | 花・実・落葉が暦の教材になる | 他の樹種でも季節は分かる | 近くに学校・園があるか |
| 生きもの | 鳥や虫が増え観察の対象になる | 虫の増加が苦情につながることがある | 苦情への対応体制があるか |
| 清掃 | 落果は年に数週間のこと | 舗装や園路の上では負担が大きい | 樹木と舗装・動線の位置関係 |
| 収穫 | 共同の行事になり関わる人が増える | 権利関係が曖昧になりやすい | 地域団体が関与しているか |
| 誤食の懸念 | 原則の共有で対応すべき事柄 | 植えないほうが単純である | 掲示・見守りの届きやすさ |
| 費用 | 植栽費は一度、価値は長く続く | 剪定と清掃の費用が毎年生じる | 管理予算と担い手の見通し |
この表が示すのは、対立が価値観の違いではなく条件の違いに由来する場合が多いということである。同じ樹種でも、園路の脇に植えるか広場の奥に植えるかで清掃の負担は変わる。地域の団体が手入れに関わっているかどうかで、落果の意味も変わる。したがって「実のなる木は是か非か」という一般論は、多くの場合、問いの立て方として粗すぎる。問うべきは、この園のこの場所にこの樹種を植えたとき、誰がどの手間を引き受けるのかである。
8.4 有毒とされる植物への設計的な対応
有毒とされる植物についても、同じ考え方が使える。危険な樹種を名指しして排除するという発想は、一見わかりやすいが実行が難しい。境界が不明確であり、自生の草本まで含めれば管理は追いつかない。むしろ有効なのは、判断を要しない形の対応である。すなわち、口に入れないという原則を掲示や案内で繰り返し伝えること、迷ったときの相談先を明示すること、そして気づいたことを管理者へ伝える回路を用意しておくことである。
この対応は、遊具の安全に関する国の考え方とも整合する。遊具の分野では、遊びの価値を持つ挑戦としての危険と、遊び手に予測できず価値も持たない危険とを区別し、後者を取り除くという方針がとられてきた。植物についてこの区別をそのまま当てはめることはできないが、危険の総量をゼロにしようとするのではなく、判断できる形に整理して共有するという姿勢は共通している。
8.5 手入れに関わる人がいるかどうか
最後に、判断を左右する最大の条件を挙げておきたい。手入れに関わる人がいるかどうかである。地域の団体や有志が清掃や剪定に関わっている公園では、落果は「みんなで片づけるもの」になり、収穫は行事になり、樹種の選択は住民の議論の対象になる。関わる人がいない公園では、同じ樹種が単なる負担として現れる。植栽の可否は、植物の性質より、その周囲にある人の関係の厚みによって決まる部分が大きい。
民族植物学が世界各地で確認してきたのも、結局はこの構造であった。ある植物が有用とされるのは、その植物を扱う知識と手間を引き受ける人の集まりが存在するからである。集まりが失われれば、同じ植物は雑草にも厄介物にもなる。公園の実のなる木をめぐる議論は、植物の話に見えて、実際には地域の関係の厚みについての話である。
9. 磐田市の公園への示唆
ここまでの議論を、磐田市の公園に照らして具体化する。当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園を収録するデータベースであり、その内訳は市のオープンデータ「都市公園一覧」の94行と、市の施設ガイドにのみ掲載されている6園である。まず確認しておくべきは、これらの公開情報の中に、樹種の情報がほとんど含まれていないという事実である。
9.1 樹種は記録されていない
市の施設ガイドで個別ページが確認できる園は77園あり、そこには園内施設として遊具やトイレの種類が列挙されている。ブランコ、滑り台、ジャングルジム、鉄棒、砂場、多目的トイレ——記載の中心は施設である。これに対し、植物の名が園内施設として現れる園はごく限られている。豊田熊野記念公園について、市の施設ガイドの園内施設欄に「熊野の長藤」とあるのが、そのはっきりした例である。フジは棚に仕立てて花期を楽しむ木であると同時に、蔓を用いてきた歴史を持つ植物であり、名指しで記録されていること自体がこの園の性格を示している。
この偏りは磐田市に特有のものではなく、公園の情報が施設中心に整理されてきた全国的な慣行の反映である。遊具は数えられ、更新され、点検の対象になるが、木は「緑」として背景に退く。しかし本稿がこれまで論じてきたとおり、その背景こそが人と植物の関係史を蓄えている。記録がないことは、関係がないことを意味しない。記録の側に空白があるだけである。
9.2 園名に残る植物の名
空白を埋める最初の手がかりは、第3節で述べたとおり名前である。磐田市の公園には、植物の名を含む園名がいくつも見られる。見付の風致公園であるつつじ公園(61,937㎡)、福田のはまぼう公園、見付の街区公園である葦間公園、豊田の街区公園である豊田東原梅ノ木公園。さらに、豊田の近隣公園である豊田香りの公園(10,200㎡)は、植物名そのものではないが、香りという植物に結びつきやすい語を園名に掲げている。
ここで第3節の注意が効いてくる。園名の植物名は、現在その植物がそこにあることの証明ではない。豊田香りの公園について、市の施設ガイドの園内施設欄に記載されているのはトイレ(多目的トイレ)とカスケード(滝)であり、樹種は現れない。名づけの時点で何が期待されていたのか、いま何が育っているのか、その二つは別々に確かめる必要がある。当サイトの踏査は始まったばかりであり、これらは今後の現地確認で確かめるべき事柄である。
9.3 種別と規模から見た植栽の条件
磐田市の100園の種別構成は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法の対象外とされる6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園である。この構成は、植栽の条件がまったく異なる園が同じ一覧に並んでいることを意味する。総合公園である竜洋海洋公園は221,722㎡、かぶと塚公園は106,982㎡であり、大きな樹冠を育てる余地がある。他方、都市緑地である二之宮東第2緑地は17㎡であり、木を一本植えるかどうかという規模である。
風致公園に分類される3園——見付のつつじ公園、竜洋のいわたエコパークと竜洋昆虫自然観察公園——は、名称と種別の双方から、樹林や自然観察との結びつきが想定される園である。風致公園は都市公園法の種別のうち規模の定めがない特殊公園にあたり、その土地の景観や自然を生かすことを前提とする。民族植物学の視点からは、こうした園こそ、植物と人の関係を記録する調査の出発点にふさわしい。
これに対し、最も数が多い街区公園51園は、標準的な規模を0.25ha、誘致距離を250mとする国の目安に沿った、住宅地に密着した小さな公園である。ここでの植栽は、緑陰と見通し、落葉と清掃、隣接する住宅への日照と落ち葉という条件のあいだで決まる。第8節で述べた「この園のこの場所に誰がどの手間を引き受けるか」という問いが、最も具体的に現れるのがこの51園である。
9.4 地区の違いと「農村公園」という名
当サイトは磐田市を9地区に分けて公園を整理している。園数は豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。この分布の差は、市街地の成り立ちと住宅開発の歴史を反映していると考えられるが、植物との関係という点でもう一つ注目したいのは、園名に「農村公園」を含む園が豊田と南部に見られることである。
農村公園という名は、その公園が農地とともにある土地に置かれたことを示唆する。農地の縁は、第4節で述べた行事の素材が採られてきた場所であり、第6節で述べた屋敷林や境の植栽が残りやすい場所でもある。都市公園として整備された後も、周囲の土地利用との連続性が植物相に残っている可能性がある。これは踏査によって確かめられるべき仮説であり、本稿の段階では仮説以上のものではない。
9.5 これから何を記録するか
以上を踏まえ、当サイトが今後の踏査で記録しうる項目を提案する。第一に、園内で目につく大きな木の有無と、その樹形・季節の変化。第二に、園名の由来に関して掲示や記念碑があるかどうか。第三に、落ち葉やどんぐりなど、子どもが遊びの素材にできるものが季節ごとに得られるか。第四に、植物に関する掲示や名札の有無。これらは専門的な同定を要さず、写真と短い記述で積み上げられる項目である。樹種の同定が必要な場面では、断定を避け、確認できた範囲を明示する。
同時に、記録には限界も明記されるべきである。当サイトは磐田市の公園100園のデータベースであり、運営するのは市内で不動産・介護の事業を行う富士ヶ丘サービス株式会社である。踏査済みの園はまだなく、樹木の健康状態や安全性の判断は行わない。倒れそうな枝や気になる樹木を見かけたときの連絡先は、磐田市の都市整備課(電話 0538-37-4806)である。植物を口に入れた可能性があるなど健康に関わる場面では、医療機関や中毒に関する相談窓口へ相談することが望ましいとされる。当サイトが担うのは、記録と、この回路の周知である。
註:本節で挙げた園名・種別・面積・地区別園数は、磐田市のオープンデータおよび市の施設ガイドの記載にもとづく。園内の植物の状態については当サイトはまだ確認しておらず、記述はすべて公開情報の範囲にとどまる。
10. 結論と今後の課題
本稿は、民族植物学の視点を都市公園の植栽に当てはめ、公園の木や草を「景観の要素」ではなく「人と植物の関係の痕跡」として読むことを試みた。最後に、第1節で立てた三つの問いに答え、本稿の限界と今後の課題を述べる。
10.1 三つの問いへの答え
第一の問い——人と植物の関係はどのような層からなり、公園の植栽はそのうち何を残したか。本稿は関係を食・薬・材・儀礼・遊び・境の六層に分け、都市公園が儀礼・遊び・境の層を保ち、食・薬・材の層をほぼ手放していると整理した。これは公園の欠陥ではなく、都市の暮らしが調達を市場に委ねた結果である。ただし、切り離された層は完全には消えず、落ちた実に子どもが手を伸ばす瞬間に不意に顔を出す。この非対称——植物は残り、扱う知識は失われた——が、現在の公園における原則の必要性を生んでいる。
第二の問い——名前は何を教えるか。名前は関係の化石であり、用途が名になった例、地方名の数の偏り、地名や園名への堆積という三つの層で読める。ただし名は実体より長く残るため、園名の植物名を現在の植栽の説明として読んではならない。名づけの時点の期待と、いまの姿を別々に確かめ、そのずれから公園の履歴を推定する——これが本稿の提案する読み方である。
第三の問い——実のなる木を植えるかどうかは何と何の選択か。本稿は、これが樹種の是非ではなく、季節の学びや共同の収穫がもたらす価値と、清掃・剪定・調整の手間を誰が引き受けるかという条件の問題であると論じた。同じ樹種でも、植える位置、地域の関わり、管理の見通しによって答えは変わる。植栽の可否は、植物の性質より、その周囲にある人の関係の厚みによって決まる部分が大きい。
10.2 安全に関する立場の再確認
本稿は一貫して、食用の可否と薬効の判断を行わなかった。この立場は結論においても変わらない。公園の植物は口に入れない。樹液や汁が肌についたときはこすらずに洗い流す。遊んだあとは手を洗う。これらは、目の前の植物が何であるかを判断せずに実行できる行動であり、知識の多寡に依存しない点で強い原則である。そして、口に入れた可能性があるときや体調に不安があるときは、自己判断で経過を見ず、医療機関や中毒に関する相談窓口といった関係機関へ相談することが望ましいとされる。
有毒とされる植物を列挙して恐れを煽ることも行わなかった。毒と薬と食が同じ植物の上で重なり合うことは、民族植物学が各地で確認してきた事実であり、その両義性を捨てて危険なものの名だけを取り出すと、かえって誤った安心を生む。恐怖のリストではなく、単純な原則と相談先の周知のほうが、日々の公園での安心に寄与すると本稿は考える。
10.3 本稿の限界
限界は三つある。第一に、本稿は文献整理と概念分析に依拠しており、磐田市の公園について現地の植物を確認していない。当サイトの踏査済みの園はまだなく、園内の植物についての記述はすべて公開情報の範囲にとどまる。第二に、地域の人々からの聞き取りを行っていないため、磐田の土地で植物がどう呼ばれ、どう使われてきたかという民族植物学の中心的な資料を欠いている。第三に、本稿が用いた六層の区分は分析のための便宜的なものであり、確立した学説上の分類ではない。
とくに第二の限界は本質的である。民族植物学は、本来、人に聞く学問である。文献から復元できるのは、すでに書かれたことだけであり、書かれなかった膨大な日常の知識——どの季節にどこで何を採ったか、子どもがどんな遊びをしたか——は、聞き取りによってしか記録されない。その意味で本稿は、磐田の民族植物学の入口に立っただけであり、本体はこれから始まる。
10.4 今後の課題
今後の課題を四つ挙げる。第一に、踏査における植物の記録方法を確立すること。同定の断定を避けつつ、目につく大きな木、季節の変化、遊びの素材の有無、掲示や名札の状況を、園ごとに同じ様式で積み上げる。第二に、園名の由来を、市の公開情報や地域の資料に照らして調べること。第三に、草花遊びや行事に関する地域の呼び名を、可能な範囲で記録すること。第四に、樹木の管理や生きものとの関係を扱う他分野の議論と接続し、植栽の判断を多面的に検討できる材料を揃えることである。
その木は何のために植えられたか。この問いに一つの答えが出ることは、おそらくない。だが問い続けることには意味がある。問いを持って公園に立つと、これまで背景だった木が、選ばれ、育てられ、手入れされてきた存在として見えてくる。子どもがどんぐりを拾い、落ち葉を集め、名前のない草を並べているその足元に、人と植物の長い関係史が続いている。それを記録することは、磐田の公園を「遊具のある場所」以上のものとして残していく作業でもある。
註:本稿は磐田市の公園100園を対象とする当サイトの読みものの一部であり、特定の公園の植栽を評価したり、樹木の安全性を判断したりするものではない。園内の樹木について気づいたことは、磐田市の都市整備課へ伝えることが案内されている。
参考文献
- ジョン・ウィリアム・ハーシュバーガー(1896)「The Purposes of Ethno-botany」Botanical Gazette 21(3)
- リチャード・エヴァンズ・シュルテス、アルバート・ホフマン(1979)『Plants of the Gods』(McGraw-Hill)
- クロード・レヴィ=ストロース(1962)『野生の思考』(大橋保夫訳、みすず書房、1976)
- ブレント・バーリン(1992)『Ethnobiological Classification』(Princeton University Press)
- 李時珍(1596)『本草綱目』
- 貝原益軒(1709)『大和本草』
- 小野蘭山(1803〜1806)『本草綱目啓蒙』
- 牧野富太郎(1940)『牧野日本植物図鑑』(北隆館)
- 柳田國男(1930)『蝸牛考』(刀江書院)
- 柳田國男(1939)『木綿以前の事』(創元社)
- 中尾佐助(1966)『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)
- 上山春平編(1969)『照葉樹林文化——日本文化の深層』(中公新書)
- 佐々木高明(1982)『照葉樹林文化の道』(NHKブックス)
- 湯浅浩史(1993)『植物と行事——その由来を推理する』(朝日選書)
- 宮脇昭(2000)『鎮守の森』(新潮文庫)
- 白幡洋三郎(1995)『近代都市公園史の研究——欧化の系譜』(思文閣出版)
- 厚生労働省「自然毒のリスクプロファイル」
- 公益財団法人日本中毒情報センター(中毒110番)
- 消費者庁「子どもを事故から守る!」(子どもの事故防止の情報)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。