人文学美学
公園の美と風景——ピクチャレスクから日常の景観へ、そして「何もない広場」の美
要旨
本稿の目的は、公園を「美しい」「きれい」「気持ちいい」と感じる経験を美学の対象として取り上げ、その感じ方がどのような歴史的系譜と概念の上に成り立っているのかを明らかにすることである。公園は遊具置き場でも運動施設でもある前に、まず「風景を見る場所」として生まれた。18世紀イギリスの風景式庭園とピクチャレスク(絵画的)美学、19世紀のバーケンヘッド・パークとセントラルパークに結実した公共公園の風景観、日本庭園の借景と見立てという三つの系譜を整理し、それが現代の小さな街区公園にまでどう流れ込んでいるかを追う。
方法は文献整理と概念分析である。バーク・カント・ギルピンら18世紀の美学、オルムステッドの公園論、『作庭記』『園冶』の庭園論、そしてロナルド・ヘプバーン以降の環境美学(アレン・カールソン、アーノルド・バーリアント)と、ユリコ・サイトウの日常美学を主な参照点とし、公園の美的経験を「離れて眺める美」と「身を置いて感じる美」の二つの型に分けて検討する。あわせて「きれい」という日本語が清潔さと美しさを兼ねること、「気持ちいい」が身体と気象に開かれた評価語であることが、公園の美をどう規定しているかを分析する。
検討の結果、公園の美は、絵のように眺める観照的な美と、風・光・地面の感触に身を浸す参与的な美との二重構造をもち、後者こそが日常の公園利用における「気持ちいい」の内実であることが示される。この観点から見ると、遊具も花壇もない芝生広場は「何もない」のではなく、空・地面・天候・身体の動きを受け止める余白として、独自の美的価値をもつ。最後に、磐田市の都市公園100園について、風致公園3園・歴史公園1園・芝生広場や築山の記載のある園を手がかりに美学的な読み方を示す。ただし当サイトの現地踏査は始まっていないため、個々の園の景観評価は今後の課題として残す。
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1. はじめに——問題の所在
公園を出て家に帰る道で、人はしばしば「きれいな公園だった」「気持ちよかった」と言う。この二つの言葉は日常語であり、誰も定義を求めない。しかし考えてみると、「きれい」は花が咲いていたことを指すのか、ゴミが落ちていなかったことを指すのか。「気持ちいい」は風のことか、芝生の感触のことか、子どもが走り回れたことか。公園を評価する言葉のうち、安全性・設備・広さは数字と表で語られるのに、美しさと心地よさは印象のまま置かれている。本稿はこの置き去りにされた領域を、美学——感性的な経験とその価値を扱う哲学の一分野で、18世紀にバウムガルテンが命名した——の側から取り上げる。
公園の美を論じることには、歴史的な根拠がある。公園はまず「風景を見る場所」として生まれた。18世紀のイギリスで、貴族の庭園が幾何学的な整形式から起伏と水面と樹叢からなる風景式へと転じ、その庭園を「絵のようだ」と評価するピクチャレスク(絵画的)という美学が成立した。19世紀に入ると、その風景が塀の内側から外へ出て、誰でも入れる公共公園となる。1847年に開園したイギリスのバーケンヘッド・パーク、1858年に設計案が採用されたニューヨークのセントラルパークは、いずれも「都市の中に風景を置く」という美学的な決断の産物であった。日本の公園制度も明治初年にこの流れを受けて始まる。子どもの遊び場としての公園、運動施設としての公園は、その後に重ねられた層である。
本稿の問いは三つある。第一に、公園の美はどのような系譜と概念の上に成り立っているのか。ピクチャレスク、公共公園の風景観、日本庭園の借景と見立てという三つの源流を整理する。第二に、「きれい」「気持ちいい」という日常の評価語は、美学的に見て何を指しているのか。近年の環境美学と日常美学の枠組みを用いて分析する。第三に、遊具も花壇もない、ただ芝生や土の地面が広がるだけの「何もない広場」は美的な価値をもつのか、もつとすればそれはどのような価値か。この三つ目の問いは、公園を「何かがある場所」として数えるデータベースの発想に対する、美学からの問い返しでもある。
1.1 方法と立場
方法は文献整理と概念分析である。18世紀の美学からはエドマンド・バーク『崇高と美の観念の起原』(1757)、イマヌエル・カント『判断力批判』(1790)、ウィリアム・ギルピンの三つの試論(1792)、ユーヴデール・プライス『ピクチャレスク論』(1794)を、公共公園論からはフレデリック・ロー・オルムステッドの著作を、日本と中国の庭園論からは『作庭記』と『園冶』を参照する。20世紀後半以降の環境美学については、ロナルド・ヘプバーンの1966年の論文を出発点に、アレン・カールソンとアーノルド・バーリアントの対照的な立場を整理し、ユリコ・サイトウの日常美学を加える。ジョン・デューイ『経験としての芸術』(1934)とジェイ・アプルトンの眺望と隠れ場の理論(1975)も補助線として用いる。
本稿は独自の景観調査に基づくものではない。当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園のデータベースであるが、現地踏査はこれから始まる段階であり、個々の園の景観がどう見え、どう感じられるかを本稿は述べない。述べるのは、踏査に出るとき「何を見るべきか」を美学の側から整理した見取り図である。第8節で磐田市の公園に触れる際も、市のオープンデータと施設ガイドに記載のある事実だけを用い、記載を超える景観の描写は行わない。
1.2 なぜ美学から公園を論じるのか
公園行政の言葉は、安全・機能・維持管理を中心に組み立てられている。遊具の点検、樹木の剪定、トイレの整備は予算と手順で語れるが、「美しいか」は語りにくい。美は主観的で、贅沢で、優先順位が低いとみなされがちである。しかし制度そのものが美を手放しているわけではない。都市公園法の体系には「風致公園」という種別があり、磐田市にも風致公園が3園ある。「風致」とは風景の趣、すなわち美的な価値のことである。また街区公園にも「見た目がよい」「落ち着く」という利用者の評価は日々生まれている。制度と日常の両方に美の語彙が埋め込まれているのに、それを分析する言葉が整っていない。そこに美学の役割がある。
もう一つの理由は、美が安全や機能と対立するものではなく、しばしば同じものの別の面だという点にある。見通しのよい芝生は安全でもあり美しくもある。木陰は暑さ対策でもあり心地よさでもある。美学は「美しさのために機能を犠牲にせよ」と主張する学問ではなく、人が場所をどう感じているかを丁寧に記述する学問である。その記述は、なぜある公園に人が集まり、ある公園が素通りされるのかを理解する助けになる。
1.3 本稿の構成
第2節で美学の基本概念と環境美学・日常美学の先行研究を整理し、本稿が用いる二つの美の型を表にまとめる。第3節で18世紀イギリスの風景式庭園とピクチャレスク美学を、第4節で19世紀公共公園の風景観とその日本への到来を扱う。第5節で日本庭園の借景と見立てを取り上げ、小さな公園にどう応用しうるかを考える。第6節で「きれい」「気持ちいい」を日常美学・環境美学の枠組みで分析し、第7節で「何もない広場」の美的価値を論じる。第8節で想定される反論に応答し、第9節で磐田市の公園100園への示唆を述べ、第10節で結論と今後の課題を示す。読者としては、磐田市周辺の子育て世代、行政や地域活動の関係者、公園や風景に関心をもつ学生を想定し、専門用語は初出のたびに説明する。
2. 先行研究と概念の整理——美・崇高・ピクチャレスクから環境美学へ
本節では、公園の美を論じるために必要な概念を、成立した順に整理する。美学の語彙は長い歴史をもち、同じ「美しい」という言葉が時代によって別のものを指してきた。18世紀の三つの範疇(美・崇高・ピクチャレスク)、カントの「無関心性」、20世紀後半に自然と環境を対象として再出発した環境美学、そして2000年代の日常美学である。最後に、本稿が全体を通して用いる「観照の美」と「参与の美」という二つの型を表にまとめる。
2.1 美と崇高——バーク
エドマンド・バークは『崇高と美の観念の起原』(1757)で、美と崇高を対立する二つの経験として区別した。美は小さく、なめらかで、変化がゆるやかで、明るく、人に愛と安らぎを感じさせるもの。崇高は巨大で、荒々しく、暗く、無限を思わせ、人に畏れと驚きを感じさせるものである。バークにとって美の典型はなだらかな丘や静かな水面であり、崇高の典型は嵐の海や断崖であった。公園に引き寄せて言えば、刈り込まれた芝生の起伏や池の水面は「美」に、雷雲の下の広い空や強風に鳴る大木は「崇高」に近い。公園は基本的に「美」の側に設計される場所であるが、天候はそこに崇高を持ち込む。この区別は、第7節で「何もない広場」の空を論じるときに再び使う。
2.2 無関心性と自由美——カント
イマヌエル・カント『判断力批判』(1790)は、美的判断の特徴を無関心性に求めた。ここでいう無関心とは「興味がない」という意味ではなく、対象を所有したい・利用したいという関心から離れて、ただそのあり方を眺めることで生じる満足を指す。カントはさらに、概念に縛られずに美しいと感じられる自由美の例として花や鳥を挙げ、目的や用途を前提にした付随美(建築や人体の美)と区別した。公園の美をこの枠で見ると、「遊具が使いやすい」「ベンチが座りやすい」は付随美の領域であり、「花が咲いている」「木漏れ日がきれい」は自由美の領域である。公園の評価が設備の話に偏るとき、自由美の側が語られずに残る。
2.3 ピクチャレスク——ギルピンとプライス
18世紀後半のイギリスで、美と崇高の中間に第三の範疇が置かれた。ピクチャレスク(picturesque、絵画的・絵になる)である。ウィリアム・ギルピンは『三つの試論』(1792)で、ピクチャレスクな美を「絵に描いて映える性質」と定義し、なめらかな美よりも、粗さ・不規則さ・変化・光と影の対比を重んじた。ユーヴデール・プライスは『ピクチャレスク論』(1794)で、これを美・崇高と並ぶ独立の範疇として体系化した。ピクチャレスクの眼は、廃墟・古木・曲がった小道・遠景の山を好み、風景を額縁に入った絵として組み立てる。この眼が風景式庭園を評価し、やがて公共公園の設計原理となる(第3節・第4節)。ここで重要なのは、ピクチャレスクが「風景を見る訓練された眼」の美学であり、風景の中に身を置く経験よりも、少し離れた視点から眺める経験を前提にしていることである。
2.4 環境美学——ヘプバーン、カールソン、バーリアント
20世紀の美学は長く芸術作品を中心に論じられ、自然や環境の美は周縁に置かれた。転機となったのがロナルド・ヘプバーンの論文「現代美学と自然美の等閑視」(1966)である。ヘプバーンは、自然を鑑賞する経験が芸術鑑賞と根本的に異なる点——鑑賞者が対象の外に立てず、その中に包まれ、多感覚的で、枠がなく、対象が絶えず変化する——を指摘し、自然美の美学を再開させた。この論文を出発点に、1970年代以降環境美学という分野が形成される。
環境美学の中には二つの対照的な立場がある。アレン・カールソンは、自然を正しく鑑賞するには自然科学の知識が要ると論じた(1979年の論文以降、2000年の著書にまとめられる)。芸術作品を鑑賞するのに様式や歴史の知識が要るように、森を鑑賞するにはそれが何の木で、どんな生態系かを知ることが鑑賞を深める、という認知的立場である。これに対してアーノルド・バーリアントは『The Aesthetics of Environment(環境の美学)』(1992)で、鑑賞者と環境を切り離す見方そのものを退け、身体ごと環境に参加し、感覚のすべてで環境と交わることが美的経験の核心だとする参与の美学を唱えた。ピクチャレスクが「離れて眺める」美学だとすれば、バーリアントは「中に入って浸る」美学である。公園の経験は明らかに後者の要素を強くもつ。
2.5 日常美学——サイトウ
2000年代に入り、美学の対象はさらに広がった。ユリコ・サイトウは『Everyday Aesthetics(日常美学)』(2007)と『Aesthetics of the Familiar(親しみのあるものの美学)』(2017)で、芸術でも壮大な自然でもない、日々の生活の中の美的経験——掃除された部屋、整った食卓、季節の移ろい、手入れされた庭——を美学の正当な対象として論じた。サイトウが強調するのは、日常の美的判断(きれい・汚い、整っている・散らかっている、心地よい・不快)が、私たちの行為と環境の姿を静かに、しかし強く方向づけていることである。またサイトウには、絵になる風景ではない「見栄えのしない自然」の美的価値を論じた1998年の論文があり、これは「何もない広場」を論じる第7節に直接つながる。
2.6 本稿の枠組み——観照の美と参与の美
以上を踏まえ、本稿は公園の美的経験を二つの型に整理して用いる。一つは観照の美——少し離れた場所から風景を眺め、絵として組み立てる経験で、ピクチャレスクとカントの無関心性がその原型である。もう一つは参与の美——風景の中に身を置き、風・光・地面・音を身体で受け取る経験で、ヘプバーンとバーリアント、そしてサイトウの日常美学がその根拠である。二つは排他的ではなく、同じ公園の同じ時間に重なって起きる。表1にその対比をまとめる。
| 観照の美(眺める) | 参与の美(身を置く) | |
|---|---|---|
| 源流 | ピクチャレスク・カント | ヘプバーン・バーリアント・サイトウ |
| 鑑賞者の位置 | 風景の外・少し離れた視点 | 風景の中・身体ごと |
| 主な感覚 | 視覚 | 触覚・聴覚・嗅覚・温冷・平衡感覚を含む全感覚 |
| 時間 | 一瞬の構図 | 滞在の持続・天候の変化 |
| 典型の言葉 | 「絵になる」「眺めがいい」 | 「気持ちいい」「落ち着く」 |
| 公園での例 | 築山から見下ろす芝生、木立の向こうの空 | 芝生に寝転ぶ、木陰で風を受ける、砂の感触 |
この枠組みは、以下の各節で歴史と現代の双方を読むための道具である。第3節・第4節・第5節は主として観照の美の系譜を、第6節・第7節は主として参与の美の分析を扱う。
3. 風景式庭園とピクチャレスク——「公園らしさ」の源流
私たちが「公園らしい」と感じる風景——ゆるやかな起伏の芝生、ところどころに立つ木立、曲がりくねった園路、遠くに見える水面——は、自然にそうなったものではなく、18世紀のイギリスで意図的に作られた様式である。本節ではその成立を追い、風景式庭園の語彙がなぜ、どのように「公園」の既定の姿になったのかを明らかにする。ここで確認したいのは、公園の「自然らしさ」が高度に設計された人工物であるという、美学的に見て逆説的な事実である。
3.1 整形式から風景式へ
17世紀までヨーロッパの庭園の主流は整形式庭園であった。ヴェルサイユに代表されるように、軸線と左右対称、刈り込まれた生垣、幾何学模様の花壇によって、自然を人間の理性の秩序に従わせる庭である。18世紀初頭のイギリスで、この様式に対する反動が始まる。詩人や批評家が「自然のままの不規則さ」を称え、造園家ウィリアム・ケントは軸線と生垣を取り払い、地形と樹木と水を絵画の構図のように配置した。同時代の文人ホレス・ウォルポールは、ケントが「垣根を跳び越え、自然のすべてが庭園であることを見た」と評している。庭の内と外を隔てていた壁が概念の上で取り払われ、地平線までが庭の一部になったのである。
3.2 ブラウンの語彙と「隠れ垣」
この様式を全国に広め、決定的な形を与えたのがランスロット・「ケイパビリティ」・ブラウン(1716〜1783)である。ブラウンは貴族の領地から並木道と花壇を除き、屋敷の足もとまで芝生をなだらかに流し、木を群(クランプ)にまとめて点在させ、小川をせき止めて蛇行する湖を作り、敷地の縁を帯状の樹林で囲った。ブレナム宮殿やストウの庭園がその代表とされる。ブラウンの風景には装飾がほとんどない。あるのは芝・木・水・空の四つの要素とその配置だけであり、この極端な単純さが「自然そのもの」に見える効果を生んだ。
ブラウンの風景を成り立たせた技術的な鍵がハハ(ha-ha、隠れ垣)である。庭と外の牧草地の境に、地面を掘り下げた溝と擁壁を設け、屋敷から眺めると芝生がそのまま地平線まで続いて見えるが、羊や牛は溝に阻まれて庭に入れない。柵を見せずに境界を作るこの装置は、風景式庭園の本質を象徴している。すなわち、開放されているように見せながら、実際には厳密に管理されている風景である。この「見えない管理」の美学は、現代の公園にも姿を変えて生きている。柵の代わりに植栽帯で境界を示す手法、見通しを確保しながら動線を制御する園路の曲げ方は、いずれもハハの子孫である。
3.3 ピクチャレスク論争とレプトン
ブラウンの死後、その滑らかな風景に対する批判が起きる。1794年、ユーヴデール・プライスとリチャード・ペイン・ナイトは相次いで著作を発表し、ブラウンの庭園を「単調で退屈だ」と攻撃した。彼らが求めたのは、ギルピンの言うピクチャレスクな性質——粗い樹皮、乱れた下草、崩れかけた石橋、複雑に入り組んだ木立——であり、絵画、とりわけ17世紀の風景画家クロード・ロランやサルヴァトール・ローザの構図を風景の規範とした。このピクチャレスク論争は、「自然らしさ」をめぐる二つの理想の対立であった。ブラウン派の自然は理想化され洗練された自然、ピクチャレスク派の自然は荒々しく変化に富む自然である。
この論争の中で独自の位置を占めたのがハンフリー・レプトン(1752〜1818)である。レプトンはブラウンの後継者を自任しながら、屋敷のすぐ近くには花壇やテラスといった人の使う場所を置き、遠景にだけ風景式の自然を配するという折衷を選んだ。彼が依頼主に示した「レッド・ブック」——改造前後の風景を、めくり式の重ね絵で見せる画帳——は、風景の設計を「見せ方の設計」として自覚した最初期の例であるとされる。レプトンはまた「ランドスケープ・ガーデニング」という語を広め、庭園を風景として扱う職能を確立した。この職能が19世紀に「ランドスケープ・アーキテクチャー」と名を変え、公共公園の設計者を生む(第4節)。
3.4 ピクチャレスクな旅と「枠」の発明
ピクチャレスクは庭園の様式であると同時に、風景の見方の訓練でもあった。ギルピンは1782年のワイ川の旅の記録以降、イギリス各地を「絵になる風景」を求めて巡るピクチャレスク・ツアーを流行させた。旅人はクロード・グラスと呼ばれる小さな色つきの凸面鏡を携え、風景に背を向けて鏡の中に映る縮小され色調の整えられた像を眺めた、と伝えられる。この奇妙な作法は、ピクチャレスクの本質を露わにする。風景そのものではなく、枠に切り取られ、絵に似せられた風景を見る。美は対象の中にあるのではなく、対象を絵として見る眼の側にある。この「枠」の美学は、写真の構図として現代に生き残っており、公園の花壇や噴水の前で人が自然に取る立ち位置にも受け継がれている。
3.5 遺産としての「公園らしさ」
英語のパーク(park)は、もともと貴族が鹿を囲い込んだ猟園を指す語であった。ブラウンとレプトンがそのパークを風景式に作り変えたことで、「パーク」という語自体が「芝生と木立と水面のなだらかな風景」を意味するようになる。19世紀に公共公園がこの語を引き継いだとき、風景の語彙も一緒に引き継がれた。明治の日本が「公園」という訳語を当てたとき、その語の背後にあった風景の像もまた輸入されている。街区公園の片隅に植えられた木立、近隣公園の芝生の起伏、総合公園の池と園路の曲がり方は、いずれもこの系譜の末端にある。私たちが公園を「自然があっていい」と感じるとき、その自然は18世紀イギリスの貴族の眼が理想化した自然であることを、美学は忘れずにいる必要がある。同時に、この系譜には批判もある。風景式庭園の造成のために村が移された例が伝えられ、ピクチャレスクの眼は労働する農民を風景の点景としてしか見なかった。眺める美が、その中で暮らし働く人を消してしまう危険は、公共公園の時代にも形を変えて残る。
4. 公共公園の誕生——バーケンヘッドからセントラルパーク、そして日本へ
18世紀に貴族の塀の内側で完成した風景式の美は、19世紀に塀の外へ出る。産業革命で急膨張した都市の労働者に、日光と空気と歩く場所を与えねばならないという衛生上・道徳上の要請が、風景を「公共のもの」にした。本節ではこの転換を、イギリスのバーケンヘッド・パーク、アメリカのセントラルパーク、そして日本の公園制度の順に追い、公共公園が引き継いだ美学と、そこで新たに生じた「風景と利用の緊張」を明らかにする。
4.1 バーケンヘッド・パーク——万人の庭
1847年、リヴァプール対岸の新興都市バーケンヘッドに、造園家ジョセフ・パクストン(のちに1851年ロンドン万国博覧会の水晶宮を設計する)の設計による公園が開かれた。公費によって計画・造成された最初期の公園の一つとされ、湖・起伏する芝生・蛇行する園路・樹叢という風景式庭園の語彙をそのまま備えていた。特徴的なのは、馬車道と歩道を分けて歩く人が車輪に脅かされないようにした点、そして公園の周囲に住宅地を配し、その地価の上昇で公園の費用をまかなうという仕組みである。風景の美が公共財として、しかも経済の仕組みに組み込まれて実現した最初期の例といえる。
1850年、アメリカの若い農場主フレデリック・ロー・オルムステッドがこの公園を訪れた。彼は旅行記『Walks and Talks of an American Farmer in England』(1852)で、あらゆる階層の人びとがこの庭園を平等に享受している様子に驚き、民主主義を掲げる自国にこれに比べられるものがないことを記した。ここで注目すべきは、オルムステッドが感動したのが風景の美そのものというより、「その美が万人のものである」という事実だった点である。ピクチャレスクの美は、ここで美学的価値であると同時に政治的価値になった。
4.2 セントラルパーク——都市の中の反都市
オルムステッドは建築家カルヴァート・ヴォークスと組み、1858年にニューヨークのセントラルパーク設計競技で「グリーンスワード案」を勝ち取る。グリーンスワードとは緑の芝地の意で、案の中心は広い草原(メドウ)と樹林、岩と水面からなる牧歌的風景であった。設計上の発明として知られるのが、公園を東西に横切る市街の道路を地面より低く沈め、公園の風景がそれによって断ち切られないようにしたことである。歩く人からは道路も馬車も見えず、芝生と木立が途切れずに続く。これはブラウンのハハ(第3節)を都市の規模に拡大したものにほかならない。馬車道・乗馬道・歩道の三系統を立体的に分けた点も、バーケンヘッドの発想を徹底したものである。
オルムステッドは1870年の講演「Public Parks and the Enlargement of Towns」で、公園の美学的な役割を明確に述べた。都市生活は人の神経を絶えず緊張させる。広い草原と木立の風景を、意識せずにただ眺め、その中を歩くことが、その緊張をゆるめる。彼は公園でのレクリエーションを、身体を使う「発散的」なものと、風景を受け取る「受容的」なものに分け、公園がとくに担うべきは後者だと考えた。この考えの帰結として、彼は公園内に運動場や大規模な施設を置くことに慎重であった。それらは風景を分断し、受容的な経験を壊すからである。ここに、公共公園の誕生とともに生じた風景と利用の緊張がある。眺める美を守ろうとすれば、走り回る場所は限られる。走り回る場所を増やせば、風景の連続は失われる。この緊張は現代の街区公園の遊具配置にまで続いている。
4.3 日本の公園制度——「群集遊観ノ場所」から都市公園法へ
日本の公園制度は1873年(明治6年)の太政官布達第16号に始まる。この布達は、人が多く集まる土地で、古来の景勝地や名人の旧跡など、これまで人びとが集まって遊観してきた場所(原文では「群集遊観ノ場所」)を公園と定めよと府県に命じたもので、東京では上野・芝・浅草・深川・飛鳥山が指定された。注目すべきは、日本の公園がまず「新しく風景を造る」ことではなく、「すでに人が遊観に集まっている名所を公園と呼び直す」ことから始まった点である。桜の名所、寺社の境内、川べりの行楽地——それらは既に人びとが「眺めに行く」場所であり、日本の公園の美学は最初から日本的な行楽の風景観と結びついていた。ヨーロッパの公共公園が「都市の中に自然の風景を新造する」ことから始まったのとは対照的である。
西洋式の風景を意識的に設計した公園としては、1903年(明治36年)に開園した東京の日比谷公園が最初期の例とされ、林学者の本多静六が設計にかかわった。芝生・花壇・池・園路という語彙がここで日本の都市に導入される。その後、20世紀を通じて公園は「風景を見る場所」から「子どもが遊ぶ場所」「運動する場所」「災害時に避難する場所」へと役割を重ね、1956年(昭和31年)の都市公園法とその施行令によって、街区公園・近隣公園・地区公園・総合公園といった規模と誘致距離にもとづく種別が整えられた。この体系は配置と機能の論理で組み立てられており、美の語彙は「風致公園」という特殊公園の一種別に残るのみとなる。なお、現在の街区公園は1993年(平成5年)の施行令改正までは「児童公園」と呼ばれており、名称の変更は「子どものための遊具の場」から「街区の誰もが使う場」への位置づけの転換を示している。
| 年 | 出来事 | 美学的な意味 |
|---|---|---|
| 1847 | バーケンヘッド・パーク開園(パクストン) | 風景式の美が公費で万人に開かれる |
| 1852 | オルムステッド『Walks and Talks』刊行 | 美の平等な享受を民主主義の価値として記す |
| 1858 | セントラルパーク・グリーンスワード案採用 | 沈めた道路・動線分離で風景の連続を守る |
| 1870 | オルムステッド講演「Public Parks and the Enlargement of Towns」 | 受容的レクリエーションと風景の緊張を定式化 |
| 1873 | 太政官布達第16号(日本) | 既存の名所を「群集遊観ノ場所」として公園化 |
| 1903 | 日比谷公園開園 | 西洋式の芝生・花壇・池の語彙が日本の都市へ |
| 1956 | 都市公園法制定 | 規模・誘致距離による種別。美は「風致公園」に局在 |
| 1993 | 施行令改正で児童公園が街区公園に | 遊具の場から街区の誰もが使う場へ |
この年表が示すのは、公園の美学が制度の中で次第に「見えにくく」なっていった過程である。しかし美が消えたわけではない。街区公園の片隅の木立や芝生に、風景式庭園と公共公園の語彙は縮小されて残っており、利用者はそれを言葉にせずに感じ取っている。第6節・第7節で、その「言葉にされていない美」を分析する。
5. 借景と見立て——小さな場所に大きな風景を呼び込む日本の方法
風景式庭園と公共公園の美学は、広い土地を前提にしている。芝生を地平線まで流し、道路を沈め、風景の連続を守るには面積が要る。しかし磐田市の都市公園100園の半数以上を占める街区公園は、国の標準で0.25haであり、17㎡の都市緑地から数百㎡の広場公園まで、ごく小さな場所も多い。小さな場所の美を考えるとき、日本と中国の庭園論が育ててきた二つの方法——借景と見立て——が有効な手がかりになる。どちらも「敷地の中にないものを風景に取り込む」技法であり、面積の制約を美学的に乗り越える知恵である。
5.1 『作庭記』——風景は記憶から作られる
平安時代後期に成立し橘俊綱に帰される『作庭記』は、現存する世界最古級の庭園書とされる。その冒頭近くには、石を立てるにあたって「生得の山水」——自然にできた本物の風景——を思い浮かべ、諸国の名所を思いめぐらして、そのおもむきを庭に写せ、という趣旨の教えがある。また石を据えるときは石の「乞はん」に従え、すなわち石そのものが求める置き方に従え、と説く。ここに示される美学は二重である。一方で庭は自然の風景の記憶を写したものであり、他方でその写し方は素材の求めに耳を傾けることによって決まる。設計者の意図を風景に押しつけるのではなく、風景の記憶と素材の性質のあいだで作る。この態度は、ブラウンが四つの要素の配置だけで自然に見える風景を作ったのとは異なる道で、同じ「自然らしさ」に到達している。
5.2 『園冶』の借景——遠借・隣借・仰借・俯借・応時而借
借景という言葉を体系的に述べたのは、明代の造園家計成が1631年に著した『園冶』である。計成は造園の要諦を「因」と「借」に置き、敷地の条件に因り、敷地の外を借りることを説いた。「借景」篇では、借りる対象を五つに分ける。遠くの山を借りる遠借、隣の樹木や建物を借りる隣借、空・月・雲を見上げて借りる仰借、水面や谷を見下ろして借りる俯借、そして季節と時刻に応じて借りる応時而借である。この分類は驚くほど現代の小公園に当てはまる。街区公園には遠借できる山がないかもしれないが、隣の屋敷林や神社の森は隣借でき、空と雲は面積を問わず仰借でき、桜や紅葉や夕焼けは応時而借できる。日本では京都の円通寺が比叡山を、修学院離宮が周囲の山並みを借景とした例として知られる。
借景の技法で重要なのは、借りる遠景と敷地の間にある中景の処理である。円通寺では刈り込まれた生垣が中景の雑然としたものを隠し、生垣の上に比叡山だけが浮かぶ。ここでピクチャレスクのハハ(第3節)との違いが際立つ。ハハは境界を見えなくして、庭と外の風景を一つに溶かす。借景は境界(生垣・塀・軒)をむしろはっきり見せ、その縁を額縁として、選ばれた遠景だけを切り取る。ハハは「境界を隠す美学」、借景は「境界を使う美学」である。小さな公園にとっては後者の方が現実的である。塀を取り払って周囲と一体化することはできないが、植栽の高さや園路の向きを調えることで、隣の木や遠くの空を「借りる」ことはできる。
5.3 見立て——小さなものに大きなものを見る
見立ては、あるものを別のものとして見る想像の技法である。京都の龍安寺の石庭では白砂が海や雲に、十五の石が島や山に見立てられるとされる。桂離宮の池には天橋立に見立てた州浜があり、江戸の大名庭園である小石川後楽園は中国や日本各地の名所を縮めて写した「縮景」で知られる。見立ての美学の核心は、見る側の想像力が風景を完成させることにある。石は石のままだが、見る人がそこに山を見るとき、庭は山水になる。この点で見立てはカントの言う想像力の自由な働き(第2節)に近く、また『作庭記』の「名所を思いめぐらす」教えの直系でもある。
見立ては、公園において二重に生きている。第一に設計の側で。公園の築山——土を盛って作った小さな丘——は、見立ての山である。磐田市では市の施設ガイドに竜洋川袋公園と福田ふるさと公園の園内施設として「築山」の記載があり、数メートルの起伏が子どもにとっては登るべき山、見渡すべき頂になる。第二に利用者、とりわけ子どもの側で。砂場の山は火山になり、水たまりは海になり、木の根は船になる。子どもの「ごっこ遊び」は見立てそのものであり、公園はその想像力が展開される舞台である。設計者が意図した見立て(築山=山)と、子どもが勝手に行う見立て(土手=城)が重なるとき、公園は最も豊かに使われている。
5.4 小さな公園の美学への示唆
借景と見立てから導かれる示唆は明快である。小さな公園の美的価値は、敷地の中に「何があるか」だけでは決まらない。何を借りているか(隣の木、遠くの山、空、季節)と、何を見立てさせるか(築山、石、起伏)が、面積の不足を補う。したがって公園の美的な評価は、敷地内の設備を数える方法だけでは捉えられず、敷地の縁から外を見る眼と、小さなものに大きなものを見る想像力を含めて記述する必要がある。この観点は、当サイトの踏査項目にも反映されるべきである。園内の設備一覧に加えて、「敷地の外に何が見えるか」「季節に何を借りられるか」を記録することが、小さな公園の美を正当に評価する道になる。踏査が始まっていない現時点では、これは今後の課題としてのみ示しておく。
6. 「きれい」と「気持ちいい」——日常美学・環境美学による分析
ここまで公園の美の系譜を追ってきたが、公園に行く人が「ピクチャレスクだ」「借景が効いている」と言うことはない。人は「きれいだった」「気持ちよかった」と言う。本節はこの二つの日常語を、サイトウの日常美学とヘプバーン・バーリアントの環境美学を用いて分析する。結論を先に言えば、「きれい」は主に観照の美と手入れの美の交点にあり、「気持ちいい」は参与の美の日本語における中心語である。この二語を分析することは、公園の美を評価する語彙を整えることにほかならない。
6.1 「きれい」の二重性——美しさと清潔さ
日本語の「きれい」は、英語なら beautiful と clean と tidy に分かれる意味を一語で担う。花壇の花がきれい、刈られた芝がきれい、ゴミが落ちていなくてきれい、遊具の塗装がきれい——これらは同じ語で語られるが、美学的には別のことを指す。花の美しさはカントの言う自由美に近い。刈られた芝、拾われたゴミ、塗り直された遊具は、サイトウが日常美学の中心に置いた手入れ(ケア)の美である。サイトウは、清潔さや整いを美的に評価する日常の判断が、私たちがどのように環境を扱うかを方向づけると論じた。「きれいに使ってください」という公園の掲示は、美的な判断を行動規範に変換したものであり、日常美学の教科書的な例である。
手入れの美には注意すべき側面がある。手入れが行き届くほど、公園はピクチャレスクが愛した粗さ——落ち葉、伸びた草、朽ちた切り株、虫の気配——を失う。落ち葉は秋の美でもあり「掃除されていない」しるしでもある。伸びた草原は生きものの住みかでもあり「管理されていない」しるしでもある。どちらの見方が優勢になるかは、見る人がどの美学の枠を持っているかで決まる。この点で、公園の「きれい」をめぐる評価の食い違い——ある人には気持ちのよい野原が、ある人には荒れた空き地に見える——は好みの問題ではなく、観照の美・手入れの美・自然らしさの美という異なる基準の衝突として理解できる。基準を分けて言葉にすれば、対立は議論可能になる。
6.2 「気持ちいい」の身体性——参与の美の日本語
「気持ちいい」は視覚の言葉ではない。木陰に入って涼しい、風が肌をなでる、芝生に寝転ぶと背中が地面を感じる、木漏れ日がまぶたに揺れる、遠くで子どもの声がする、刈られた草の匂いがする。これらはヘプバーンが自然美の特徴として挙げた「鑑賞者が対象の中に包まれ、多感覚的で、枠がなく、絶えず変化する」経験そのものであり、バーリアントの参与の美学が言う、身体ごと環境と交わる経験である。「気持ちいい」は、その瞬間の身体と環境の適合を告げる評価語であり、この意味で本稿の言う参与の美の日本語における中心語だと言ってよい。
「気持ちいい」の重要な特徴は、それが時刻と季節と天候に強く依存することである。同じ芝生が真夏の正午には過酷で、夕方には気持ちよく、冬の晴れた午前には温かい。『園冶』の「応時而借」(第5節)は視覚の話であったが、参与の美においては時間はさらに決定的である。この依存性は、公園の美的評価が「一回の訪問」では定まらず、時刻・季節を変えた複数回の経験を要することを意味する。当サイトの踏査が「いつ行ったか」を記録すべき美学的な理由がここにある。
日本の美的伝統には、この参与の美を語る言葉が別にある。谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』(1933)で、西洋が明るさを求めるのに対し、日本の美が翳りと薄暗がりのうちに宿ることを論じた。谷崎の関心は住まいや器にあったが、公園の木陰にも同じことが言える。木陰は暑さ対策として機能的に語られるが、木漏れ日の揺らぎ、明るい芝生を薄暗い木陰から眺めるときの奥行き、影の中の涼しさは、それ自体が美的経験である。木陰の美は、見る美(明るい向こう側の風景)と身を置く美(影の中の涼しさ)が一つになる場所であり、観照と参与の重なりを最もよく示す例である。
6.3 デューイの「一つの経験」——公園の午後をひとまとまりとして見る
ジョン・デューイは『経験としての芸術』(1934)で、美的なものを芸術作品の中に閉じ込める見方を退け、日常の経験が始まり・展開・完結をもつ「一つの経験」としてまとまるとき、そこに美的な質が現れると論じた。食事や会話や散歩が、断片ではなくひとまとまりの経験として記憶に残るとき、それは美的である。公園に当てはめれば、家を出て、園路を歩き、木陰で休み、子どもが遊ぶのを眺め、夕方に帰る一連の流れが、一つの経験として完結するかどうかが問われる。この視点は、公園の美を「花壇の美しさ」「眺めのよさ」といった要素の足し算ではなく、滞在という時間の流れの質として捉えることを可能にする。ベンチの位置、日陰の移り、トイレの有無、帰り道の安全といった一見美学と無縁の要素が、経験の完結を左右することで美的な質にかかわってくる。
6.4 子どもの美的経験——見る前に触る
子どもは公園を眺めない。触り、登り、転がり、走り、寝そべる。子どもにとって公園の美は、ほとんど参与の美として現れる。芝の感触、砂の冷たさ、滑り台の金属の熱、水たまりの跳ね返り。これらは大人が「汚れる」「危ない」と手入れの語彙で語りがちなものだが、美学的には身体と環境の直接の交わりであり、バーリアントの言う参与の最も純粋な形である。子どもが「この公園好き」と言うとき、その根拠は多くの場合、眺めではなく身体の記憶である。公園の美を大人の観照の眼だけで評価すると、子どもが感じ取っている美の大半を見落とすことになる。この点は、遊びの発達的な意味を扱う発達心理学や、環境が身体に与える行為の手がかりを扱う生態心理学の知見と接続するが、本稿ではその境界を示すにとどめる。
| 評価語 | 主な意味 | 対応する美学の概念 | 公園での担い手 |
|---|---|---|---|
| きれい(美しい) | 花・光・色の美 | カントの自由美・観照の美 | 花壇・木漏れ日・水面 |
| きれい(清潔・整い) | 手入れが届いている | サイトウの手入れの美・日常美学 | 刈られた芝・拾われたゴミ・塗装 |
| 気持ちいい | 身体と環境の適合 | バーリアントの参与の美・ヘプバーンの多感覚性 | 木陰・風・芝の感触・音 |
| 落ち着く | 包まれている・見渡せる | アプルトンの眺望と隠れ場(第7節) | 縁の木立・築山・ベンチの背後 |
7. 「何もない広場」の美——空白の美的価値
公園のデータベースは「何があるか」を数える。遊具の有無、トイレの有無、砂場の有無。当サイトも同じ方法で100園を記録している。この方法では、芝生か土の地面が広がるだけの公園は「何もない」園として現れる。しかし美学の側から見ると、「何もない広場」は空虚ではない。本節では、空白の広場がもつ美的価値を、公共公園の伝統・空と天候・眺望と隠れ場・可能態という四つの角度から論じ、最後に「余白」と「放置」を区別する基準を示す。
7.1 メドウの伝統——空白は設計される
オルムステッドの公園で最も重視されたのは、遊具でも花壇でもなくメドウ(草原)であった。セントラルパークの羊の草原(シープ・メドウ)、のちのブルックリンのプロスペクト・パークの長い草原(ロング・メドウ)は、樹林の帯に縁取られた広い芝地であり、その中には意図的に何も置かれなかった。オルムステッドにとって、都市の密度と対比される「広さそのもの」が公園の主題だったからである。目を遮るものがなく、地面がなだらかに続き、その向こうに木立と空がある。この構図は、ブラウンの芝生(第3節)を万人の場に翻訳したものであり、「何もない」ことが最も費用と技術を要する設計であることを示している。土地を確保し、地形を整え、排水を仕込み、周縁の樹林を育て、そして中央を空けておく。空白は放置の結果ではなく、決断の結果である。
7.2 空と天候——「何もない」広場にあるもの
遮るもののない広場で最初に現れるのは空である。『園冶』の「仰借」(第5節)に従えば、空は面積を問わず借りられる最大の風景であり、広場はその借景を最も広く実現する形式である。雲の動き、日の傾き、夕焼け、雨の前の暗さ、冬の高い空。空は毎日違い、一日のうちにも変わる。バークの区別(第2節)で言えば、刈られた芝生は「美」であるが、その上に広がる空と天候はときに「崇高」の側に触れる。雷雲や強風は避けるべき危険であるが、遠くの入道雲や広い夕焼けは、都市の中で人が崇高に近い感覚——自分より大きなものの前に立つ感覚——を安全に味わえる数少ない機会である。街の中で空を「広く」見る場所は、実は限られている。建物と電線に区切られた空ではなく、地平線近くまで開けた空を見られるのは、広場か川べりか、大きな駐車場くらいであり、そのうち歩いて座っていられるのは広場だけである。
7.3 眺望と隠れ場——縁があってこその空白
ジェイ・アプルトンは『The Experience of Landscape』(1975)で、人が風景に感じる快を、見渡せること(眺望)と身を隠せること(隠れ場)の組み合わせで説明する眺望と隠れ場の理論を提示した。開けた場所を縁から見渡すとき、人は見られずに見ることができ、その安心が快になる、という説明である。この理論に照らすと、「何もない広場」の美は広場の中央ではなく縁で生じることがわかる。木立の帯やベンチの背後の植栽が「隠れ場」を、その前に広がる芝生が「眺望」を提供する。ブラウンの「芝生と縁の樹林帯」の公式、オルムステッドの「樹林に縁取られたメドウ」は、この構造を経験的に発見していたと読める。同じ趣旨で、レイチェル・カプランとスティーヴン・カプランの『The Experience of Nature』(1989)は、人が好む風景の特徴を、まとまり・複雑さ・読み取りやすさ・奥行きの予感といった次元で整理しており、開けた芝生と縁の木立の組み合わせはこれらをよく満たすとされる。子育て中の保護者が「見通しがよくて安心」と言うとき、その言葉は安全の語彙であると同時に、眺望と隠れ場の美学の語彙でもある。
7.4 可能態としての空白——遊具は用途を定め、広場は用途を開く
遊具は使い方を定めている。滑り台は滑るためのもので、それ以外の使い方は「正しくない使い方」として注意される。これに対して広場は使い方を定めない。走る、ボールを蹴る、敷物を広げる、寝転ぶ、凧を揚げる、輪になって座る、何もしない。同じ地面が、時刻と人によって別のものになる。美学の言葉で言えば、遊具は「完成した形」の美をもち、広場は「可能態」——まだ何にでもなりうる状態——の美をもつ。カントが自由美の条件とした「概念に縛られない」あり方(第2節)は、皮肉にも、公園の中では最も設計されていない部分に最もよく当てはまる。日本の美的伝統にはこの空白を積極的に評価する言葉がある。水墨画の余白は描き残しではなく画面の緊張の要であり、建築や芸能の間(ま)は空いた時間と空間が意味を担うことを指す。広場は公園の余白であり間である。
サイトウは1998年の論文で、絵になる壮大な風景ではない、見栄えのしない・平凡な自然——湿地、平原、雑草の生えた空き地——にも美的価値を認めるべきだと論じた。ピクチャレスクの眼で見れば、平らな芝生は変化に乏しく絵にならない。しかしその平凡さこそが、身体を預け、用途を選ばず、空を広く映す条件である。「何もない広場」の美は、ピクチャレスクの基準では低く評価され、参与の美と可能態の基準では高く評価される。評価が割れるのは基準の違いによるのであって、広場そのものに価値がないからではない。
7.5 余白と放置の違い
ここまでの議論に対しては、当然の疑問がある。空白の美を認めるなら、手入れされていない空き地も美しいと言うのか。答えは否である。余白と放置は、次の点で区別できる。第一に縁があるか。樹林帯・植栽・座る場所によって縁が定義されている空白は余白であり、縁がなく周囲に溶けている空白は放置に見える。第二に手入れの痕跡があるか。刈られた芝、整えられた地面は「意図して空けてある」ことを告げる。第6節で述べた手入れの美は、ここで空白を余白に変える役割を果たす。第三に時間の使いやすさがあるか。夏の正午に日陰のない広場は「気持ちいい」から遠く、縁に木陰とベンチがあってはじめて空白は滞在の場になる。空白の美は空白だけでは成り立たず、縁・手入れ・木陰という三つの条件を伴って成立する。したがって「何もない広場」を美的に評価するとき、見るべきは中央ではなく縁である。
8. 反論への応答——美は主観か、贅沢か、輸入品か
公園を美学から論じることには、いくつかの根強い反論が予想される。本節では代表的な五つを取り上げ、順に応答する。反論を丁寧に扱うのは、それらが公園行政や地域の話し合いの場で実際に語られる言葉であり、美学の議論が現場で使われるためには、これらに答えておく必要があるからである。
8.1 「美は主観的で、基準にならない」
最も一般的な反論である。人によって好みが違う以上、美を公園の評価や設計の基準にはできない、というものである。これに対してはカントの議論が古典的な応答を与える。カントは美的判断が主観的であることを認めた上で、「美しい」と言うとき人は自分の快を述べているだけでなく、他の人にも同意を求めていると指摘した。「この夕焼けは美しい」は「私は夕焼けが好きだ」とは異なる文である。美的判断は主観に発しながら他者との合意を目指す。この性格があるからこそ、美について人は語り合い、ときに考えを変える。第6節で行った作業——「きれい」を美しさ・清潔さ・整いに、「気持ちいい」を風・木陰・感触に分けること——は、主観的な印象を語り合える言葉に変換する作業であった。基準は最初からあるものではなく、言葉を分けることで作られる。加えて言えば、「安全」もまた純粋に客観的な基準ではなく、どの程度の危険を許容するかという価値判断を含む。美だけが主観的なのではない。
8.2 「美は贅沢で、安全と機能と予算が先だ」
この反論は、美を安全や機能に「加える」装飾のように考えている。しかし本稿が繰り返し示したように、公園において美と機能はしばしば同じものの別の面である。見通しのよい芝生は安全でもあり眺望の美でもある(第7節)。木陰は暑さへの備えでもあり翳りの美でもある(第6節)。刈られた芝と拾われたゴミは維持管理の水準そのものであると同時に手入れの美である。美を切り離して後回しにすると、実際には機能の一部も後回しになる。さらに、人が公園を美しい・気持ちいいと感じることは、その公園を使い、気にかけ、手入れに参加する動機になる。使われない公園は維持の根拠を失い、手入れが薄れ、ますます使われなくなる。美はこの循環の起点にある。予算が限られるからこそ、何が人を公園に呼び、何が人を遠ざけるかを知る必要があり、美学はそのための言葉を提供する。
8.3 「ピクチャレスクも公共公園も西洋の輸入品だ」
風景式庭園やオルムステッドの美学は西洋のもので、日本の暮らしとは無縁だ、という反論もある。二つの応答がある。第一に、日本の公園制度は1873年の太政官布達で、既に人びとが集まっていた花見や参詣の名所を公園と呼び直すことから始まった(第4節)。日本の公園の美学の底には、西洋の風景観が入る前から、桜・境内・川べりという日本の行楽の風景観がある。第二に、借景と見立て(第5節)は日本と中国の庭園論が育てた方法であり、とりわけ小さな公園については、西洋の大公園の美学より直接に役立つ。本稿が描いたのは、西洋の系譜と東アジアの系譜が明治以降の150年で混ざり合った、現在の日本の公園の混成的な美学である。混成であることは弱みではなく、複数の見方を使い分けられる強みである。
8.4 「美しい景観は危険を隠す」
安全の側からは逆の反論もありうる。茂った植栽や水面は風景としては美しいが、見通しを妨げ、水辺の危険を作る、というものである。この指摘は正当であり、美学はそれを否定しない。しかし第7節の眺望と隠れ場の理論が示すように、人が「落ち着く」と感じる風景の構造——縁に隠れ場、中央に眺望——は、見守りの視線が通る構造とかなりの程度重なる。低く保たれた植栽と開けた中央、縁のベンチという構成は、美と見通しを両立させる。水辺については、当サイトの他の読みものが扱うように、危険の程度と対応は場所ごとに異なり、その判断は管理者と関係機関に委ねられるべきである。美学が言えるのは、美と安全を最初から対立させず、両立する構成を探す価値がある、ということまでである。
8.5 「手入れの美は人を排除する」
最も重く受け止めるべき反論は、美学の側から出てくる。第3節末で触れたように、ピクチャレスクの眼は働く農民を風景の点景としてしか見なかった。同じように、「きれいな公園」への志向は、汚す者・騒ぐ者・居座る者——ボール遊びの子ども、集まる若者、行き場のない人——を「景観を乱すもの」として排除する方向に働きうる。手入れの美が過ぎれば、公園は誰も座らない展示物になる。この危険は現実であり、本稿はそれを認める。応答として言えるのは、参与の美(第2節・第6節)が排除に対する内在的な歯止めになる、ということである。参与の美は「見る美」ではなく「使う美」であり、使う人がいてはじめて成立する。芝生に寝転ぶ人、走る子ども、縁に座る老人がいる広場は、誰もいない整った広場より参与の美において豊かである。美学が公園に持ち込むべきなのは、観照の美だけでなく、使われている状態そのものを美として評価する眼である。オルムステッドがバーケンヘッドで感動したのは風景ではなく、そこにあらゆる人がいたことであった(第4節)。公園の美の議論は、その原点に立ち返ることで、排除ではなく包摂の側に立つことができる。
9. 磐田市の公園への示唆——100園を美学の眼で読み直す
本節では、ここまでの美学的な枠組みを磐田市の公園に当てはめる。用いる事実は、磐田市のオープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドにもとづく当サイトの収録データ(100園)に限る。当サイトの現地踏査は始まっておらず、個々の園の景観がどう見え、どう感じられるかを本稿は述べない。ここで行うのは、データの記載から「美学的に注目すべき園と要素」を拾い出し、踏査で何を見るべきかを整理する作業である。
9.1 種別から読む——「風致」が名指された3園と歴史公園
磐田市の都市公園100園の内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、地区公園4園、総合公園・運動公園・風致公園が各3園、広場公園・緑道が各2園、墓園・歴史公園が各1園、法対象外が6園である。このうち制度が美的価値を明示しているのは風致公園の3園——つつじ公園(見付・61,937㎡)、竜洋昆虫自然観察公園(竜洋・29,119㎡)、いわたエコパーク(竜洋・23,973㎡)——である。園名から読めば、つつじ公園は花の季節を「応時而借」する園、竜洋昆虫自然観察公園は生きものの気配という参与の美に開かれた園と推測されるが、これは名前からの推測にすぎず、確かめるのは踏査の仕事である。市の施設ガイドにはつつじ公園の園内施設として複合遊具・ブランコ・鉄棒・展示休憩室・トイレの記載があり、風致公園でありながら遊びの場でもあることがわかる。第4節で述べた「風景と利用の緊張」が、この園でどう折り合っているかは興味深い踏査課題である。
歴史公園は遠江国分寺史跡公園(中泉・21,600㎡)の1園で、市の施設ガイドの園内施設欄は「記載なし」である。設備の一覧からは「何もない」園に見えるが、美学の眼で見れば、ここは第5節で述べた「時間を借りる」借景の場である。史跡の地面と空だけが広がる場所は、第7節の意味での余白であり、見る人が過去を見立てる想像力によって完成する風景である。同様に、京見塚公園(中泉・街区公園)には京見塚古墳、一ノ谷公園(見付・街区公園)には一ノ谷遺跡の記載があり、御殿遺跡公園(中泉・街区公園・827㎡)はその名に遺跡を含む。街区公園の中に古墳や遺跡が同居していることは、磐田市の公園の美学的な特徴の一つであり、遊具の隣に千年以上前の地形がある景観をどう読むかは、考古学や歴史学の論文と併せて検討すべき主題である。
9.2 芝生広場・築山・水景——記載から読める美の要素
市の施設ガイドの記載から、本稿の概念に直接対応する要素を拾うと次のようになる。芝生広場の記載があるのは今之浦公園(見付・近隣公園・13,675㎡)とはまぼう公園(福田・法対象外)である。今之浦公園にはさらに噴水広場・流れの記載があり、施設ガイドは令和8年7月17日から9月23日まで噴水を運転すると告げている。噴水と流れは水面の「美」(バーク)であると同時に、水音と涼しさという参与の美の要素であり、しかも運転期間が定められていることは、その美が季節に限定された「応時」の美であることを意味する。築山の記載があるのは竜洋川袋公園(竜洋・街区公園)と福田ふるさと公園(福田・街区公園)で、第5節で述べた見立ての山である。豊田香りの公園(豊田・近隣公園・10,200㎡)には「カスケード(滝)」の記載があり、5月から10月の9時から17時に稼働するとある。これも時間に限定された水景である。豊田熊野記念公園(豊田・街区公園)には「熊野の長藤」の記載があり、藤の季節にのみ現れる借景の典型である。
これらの記載は、磐田市の公園の美が「常にそこにある美」ではなく、季節と時刻に依存する美を多く含むことを示している。噴水の運転期間、カスケードの稼働時間、藤やつつじの花期。第6節で述べた「気持ちいい」の時間依存性は、磐田市においては施設の運転期間という制度的な形でも現れている。当サイトが踏査で景観を記録するとき、「いつ見たか」を必ず添えるべき理由がここにある。
9.3 「何もない広場」の候補
オープンデータ94行のうち遊具「有」は64園であり、残りの園には遊具の記載がない。また市の施設ガイドの園内施設欄に「トイレ」のみが記され遊具の記載のない園として、中原公園(御厨・街区公園・2,802㎡)、谷口公園(御厨・街区公園・3,299㎡)、塔之壇公園(見付・近隣公園・6,300㎡)がある。設備の一覧ではこれらは「何もない」園に見える。しかし第7節の議論に従えば、これらの園こそ、空・地面・縁の構成によって余白の美を実現しているかもしれない園であり、あるいは縁も手入れも木陰も欠いて放置に見えるかもしれない園である。どちらであるかはデータからは決められない。当サイトの踏査は、これらの園について中央ではなく縁——樹林・植栽・ベンチ・木陰——を見るべきである。多目的広場の記載がある水堀公園(見付・近隣公園)、竜洋十束公園(竜洋・近隣公園)、竜洋豊岡公園(竜洋・近隣公園)は、意図して空けられた広場をもつ園として、可能態の美の観点から注目に値する。
9.4 小さな緑地と借景
磐田市の収録園には、二之宮東第2緑地(中泉・都市緑地・17㎡)、豊田上新屋ポケットパーク(豊田・都市緑地・156㎡)、豊田第1緑地(豊田・都市緑地・254㎡)、豊田森下ポケットパーク(豊田・都市緑地・286㎡)など、数十から数百㎡の小さな緑地が含まれる。これらの園に風景式の美を求めることはできない。しかし第5節の借景の観点からは、小さな緑地の美的価値は敷地の中ではなく外にある。隣の木を借り、通りの並木を借り、空を借りる。都市緑地10園と広場公園2園、そして数百㎡の街区公園(見付本通広場公園372㎡、只来下公園458㎡など)については、踏査で「敷地の外に何が見えるか」を記録することが、設備の一覧より多くを語るだろう。緑道2園——竜洋南部緑地公園(20,907㎡)と竜洋西堀緑地公園(25,264㎡)——は線状の公園であり、歩きながら風景が移り変わる「ピクチャレスクな旅」(第3節)の小型版として読める。
9.5 踏査で見るべきこと
以上を踏まえ、当サイトが今後の踏査で美学的な項目として記録すべき点を整理する。いずれも「設備の有無」の欄には収まらない項目であり、本稿の概念的な検討から導かれたものである。
- 縁の構成——樹林帯・植栽・ベンチの背後に何があるか。中央の広さより縁の質を見る(第7節・眺望と隠れ場)。
- 借景——敷地の外に何が見えるか。隣の木、遠くの山並み、空の広さ、通りの並木(第5節・遠借・隣借・仰借)。
- 時刻と季節——訪れた日時と天候を必ず記す。噴水・カスケード・花期など運転や見頃の期間を確かめる(第6節・応時而借)。
- 木陰——木陰の位置と時刻による移り。翳りの美と暑さへの備えの重なり(第6節)。
- 手入れの痕跡——芝の刈り込み、ゴミ、塗装。手入れの美と自然らしさの美のどちらが優勢か(第6節)。
- 見立ての手がかり——築山、石、起伏、古墳、遺跡。子どもが何に見立てて遊びそうか(第5節)。
これらの項目は、公園の美を「印象」から「記述」へ移すための最小限の道具である。記述が蓄積されれば、磐田市の9地区——見付21園、中泉14園、御厨13園、豊田28園、南部2園、向陽2園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園——のあいだで、美的な資源がどう分布しているかを論じることもできるようになる。現時点でそれを論じることはできない。ここではその準備が整ったことを示すにとどめる。
10. 結論と今後の課題
本稿は、公園を「きれい」「気持ちいい」と感じる経験を美学の対象として取り上げ、三つの問いに答えることを試みた。第一の問い——公園の美はどのような系譜と概念の上に成り立っているか——に対しては、18世紀イギリスの風景式庭園とピクチャレスク美学、19世紀のバーケンヘッド・パークとセントラルパークに結実した公共公園の風景観、日本と中国の庭園論が育てた借景と見立てという三つの源流を整理し、それらが明治以降の日本の公園制度の中で混ざり合い、街区公園の片隅の木立や芝生にまで縮小されて残っていることを示した。公園の「自然らしさ」は高度に設計された人工物であり、その設計思想には「境界を隠す」美学(ハハ・沈めた道路)と「境界を使う」美学(借景)の二つの系統がある。
第二の問い——「きれい」「気持ちいい」は美学的に何を指すか——に対しては、公園の美的経験を「観照の美」と「参与の美」の二つの型に分け、「きれい」が美しさと清潔さ・整いを一語で担う語であって観照の美と手入れの美の交点にあること、「気持ちいい」が風・木陰・地面の感触・音という多感覚的で時間依存的な経験を指す、参与の美の日本語における中心語であることを論じた。この区別は、公園の美をめぐる評価の食い違いを「好みの違い」ではなく「基準の違い」として理解し、語り合える言葉に変える。
第三の問い——「何もない広場」は美的価値をもつか——に対しては、肯定的に答えた。空白の広場は、オルムステッドのメドウの伝統に連なる設計の産物であり、空と天候を最も広く借り、眺望と隠れ場の構造を縁によって実現し、用途を定めない可能態としての美をもつ。ただし空白が余白として成立するには、縁・手入れ・木陰という三つの条件が要り、それを欠けば放置に見える。したがって空白の広場の美を評価するとき、見るべきは中央ではなく縁である。
10.1 磐田市への含意
磐田市の公園100園について本稿が示せたのは、データの記載から美学的に注目すべき園と要素を拾い出すところまでである。風致公園3園と歴史公園1園、芝生広場・築山・季節限定の水景の記載がある園、古墳や遺跡と同居する街区公園、遊具の記載がなく「何もない」ように見える園、数十㎡の小さな緑地。これらはいずれも、設備の一覧とは別の眼——縁を見る眼、外を見る眼、時刻を記す眼——で見直されるべき対象である。第9節末に整理した踏査項目は、その眼を具体的な記録の欄に変えるための提案である。
付け加えれば、園名そのものが美的な経験を約束している場合がある。おおぞら公園(向陽・街区公園)は空を、さわやか広場(中泉・街区公園)は身体の感覚を、豊田香りの公園(豊田・近隣公園)は匂いを、つつじ公園と豊田東原梅ノ木公園(豊田・街区公園)は花を、その名に掲げている。名が指すのは仰借の空であり、参与の美であり、応時の花である。名と実際の景観がどう対応しているかは踏査で確かめるべきことだが、名づけの段階で公園に美的な期待が込められていること自体は、地名学の論文と併せて注目してよい事実である。
10.2 今後の課題
本稿の限界と今後の課題を三点挙げる。第一に、本稿は文献と概念の検討にとどまり、磐田市の公園の景観を一つも記述していない。当サイトの踏査が始まれば、本稿の枠組みが現場で使えるものかどうかが試される。とくに「縁を見る」「外を見る」という記録が、実際に園ごとの違いを言い分けられるかは、やってみなければわからない。第二に、本稿は美的経験の主体を主として大人の観照者と子どもの参与者に分けて論じたが、高齢者・障害のある人・ベビーカーを押す保護者にとっての公園の美は、それぞれ別の身体の条件のもとにあり、別に論じられるべきである。第三に、本稿は音・匂い・温度を「参与の美」の要素として一括したが、それぞれは音響学・生気象学・都市気候学の対象として独立の検討に値する。これらは当サイトの他の論文が担う領域であり、美学の側からはその接続点を示すにとどめた。
最後に、本稿の実践的な含意を一言で述べる。公園の美を語る言葉を持つことは、公園を「設備の集まり」としてではなく「風景と経験の場」として扱う第一歩である。「きれいだった」「気持ちよかった」という日常の言葉の中には、18世紀からの美学の系譜と、身体が環境と交わる経験の厚みが畳み込まれている。それを丁寧にほどいて記述することが、公園を大切にする地域の言葉を豊かにする。当サイトはその作業を、これから始まる100園の踏査の中で続けていく。
参考文献
- エドマンド・バーク(1757)『崇高と美の観念の起原』(中野好之訳、みすず書房、1999)
- イマヌエル・カント(1790)『判断力批判』(篠田英雄訳、岩波文庫、1964)
- ウィリアム・ギルピン(1792)『Three Essays: On Picturesque Beauty; On Picturesque Travel; and On Sketching Landscape』(London)
- ユーヴデール・プライス(1794)『An Essay on the Picturesque』(London)
- フレデリック・ロー・オルムステッド(1852)『Walks and Talks of an American Farmer in England』(New York)
- フレデリック・ロー・オルムステッド(1870)「Public Parks and the Enlargement of Towns」(American Social Science Association)
- 『作庭記』(平安時代後期・橘俊綱に帰される。森蘊『「作庭記」の世界』日本放送出版協会、1986 ほか)
- 計成(1631)『園冶』(明代の造園書。「借景」篇を含む)
- ロナルド・ヘプバーン(1966)「Contemporary Aesthetics and the Neglect of Natural Beauty」(British Analytical Philosophy 所収)
- アレン・カールソン(2000)『Aesthetics and the Environment: The Appreciation of Nature, Art and Architecture』(Routledge)
- アーノルド・バーリアント(1992)『The Aesthetics of Environment』(Temple University Press)
- ユリコ・サイトウ(2007)『Everyday Aesthetics』(Oxford University Press)/同(2017)『Aesthetics of the Familiar』(Oxford University Press)
- ジョン・デューイ(1934)『経験としての芸術』(栗田修訳、晃洋書房、2010)
- ジェイ・アプルトン(1975)『The Experience of Landscape』(John Wiley & Sons)
- 谷崎潤一郎(1933)『陰翳礼讃』(中公文庫 ほか)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。