計画・工学都市設計学
小さな公園の設計論——ホワイト『小さな都市空間の社会生活』とゲールの観察法から
要旨
本稿の目的は、都市設計学(アーバンデザイン)の古典である二つの観察研究——ウィリアム・H・ホワイト『The Social Life of Small Urban Spaces』(1980)とヤン・ゲール『建物のあいだのアクティビティ』(1971)——の知見を、日本の都市公園のうち最も小さく最も数の多い種別である街区公園(国の標準で面積0.25ha・誘致距離250m)に移し替え、「小さな公園はどう設計されると使われるのか」を原則の形で示すことである。方法は文献整理と概念分析であり、ホワイトが挙げた七つの要素(座れる場所・日当たり・木・水・食べ物・街路との関係・三角測量)とゲールの三つの活動分類(必要活動・任意活動・社会活動)を一つずつ街区公園の条件に照らして検討する。
検討の結果、第一に、ホワイトの要素のうち「座れる場所」と「街路との関係」は街区公園にそのまま移せるが、「食べ物」は商業空間を前提とするため置き換えが必要であり、「三角測量」は遊具と子どもがその役割を果たすという見通しが得られた。第二に、ゲールの分類に照らすと、街区公園の利用の大半は任意活動と社会活動であり、それらは空間の質に強く依存するため、遊具の有無以上にベンチの向き・入口の位置・見通し・日陰の配置が利用を左右する、という仮説が導かれた。第三に、これらの知見を0.25haという規模——一辺およそ50mの正方形に相当する——に当てはめると、「一望できるが一様ではない」空間、すなわち保護者が座ったまま子どもを見渡せる見通しと、子どもにとって変化のある場所の両立が設計の中心課題になることを示した。
最後に、磐田市の都市公園100園のうち51園を占める街区公園にこの原則を当てはめ、面積分布・トイレや遊具の有無・地区ごとの偏りから設計論の適用の順序を考える。ただし、オープンデータにはベンチ・日陰・入口の位置といったホワイト的な変数がまったく含まれておらず、当サイトの現地踏査も始まっていないため、本稿の提案は踏査で検証されるべき仮説の一覧として提示する。
キーワード街区公園小さな都市空間ホワイトゲール任意活動座れる場所見通し
1. はじめに——問題の所在
都市設計学(アーバンデザイン)は、建物と建物のあいだに残る外部空間——街路・広場・公園——を、人がどう使い、どう感じるかという観点から設計する学問である。建築学が一棟の建物を、都市計画学が都市全体の土地利用や施設配置を扱うのに対して、都市設計学はその中間、すなわち「歩いて体験できる大きさ」の空間を対象にする。都市公園のうち最も小さく、最も数の多い種別である街区公園は、まさにこの中間の大きさに属する。国の標準では面積0.25ha、誘致距離250mとされ、0.25haは一辺およそ50mの正方形に相当する。人が端から端まで1分足らずで歩け、立ち止まれば全体を見渡せる。都市設計学が最も得意とする規模である。
ところが街区公園の設計は、しばしば「遊具を何台置くか」「トイレを付けるか」という施設の目録の問題として扱われてきた。都市公園法や国土交通省の指針は施設の種類・安全・面積の標準を定めるが、ベンチをどちらに向けるか、入口をどこに開けるか、木陰を園のどこに落とすかといった、施設の目録に現れない配置の問題は、設計者の裁量に委ねられている。そしてこの裁量の部分こそが、同じ0.25haの公園を「いつも誰かがいる公園」にも「誰も寄りつかない公園」にもする、というのが本稿の出発点である。遊具の安全や維持管理については多くの指針と議論があるのに対して、小さな公園の「配置の設計」を正面から扱った日本語の議論は多くない。都市設計学の古典をこの空白に差し向けることが、本稿の役割である。
この直感を実証的な観察によって裏づけたのが、本稿が依拠する二人の研究者である。一人はアメリカのジャーナリストであり都市観察者であったウィリアム・H・ホワイト(1917–1999)で、1970年代にニューヨークの小さな広場を微速度撮影のカメラと手作業の記録で観察し、その成果を『The Social Life of Small Urban Spaces』(1980。以下、本稿ではその題を『小さな都市空間の社会生活』と訳して呼ぶ)にまとめた。もう一人はデンマークの建築家ヤン・ゲール(1936–)で、コペンハーゲンの街路や広場での人の振る舞いを長期に観察し、『建物のあいだのアクティビティ』(原著1971)で人の屋外活動を三つに分ける枠組みを示した。二人に共通するのは、設計者の意図や図面ではなく、できあがった空間で実際に人が何をしているかを数え、測り、そこから設計の原則を逆算するという方法である。
1.1 問い
本稿の問いは次の三つである。第一に、ホワイトが商業地の広場で見いだした七つの要素——座れる場所・日当たり・木・水・食べ物・街路との関係・三角測量——は、住宅地の小さな公園にそのまま移せるのか。移せないとすれば、何に置き換わるのか。第二に、ゲールの三分類——必要活動・任意活動・社会活動——で公園の利用を見たとき、街区公園の利用はどの型に属し、それは空間の質にどれほど依存するのか。第三に、これら二つの枠組みを0.25haという規模の条件と重ねたとき、ベンチの向き・入口・見通し・日陰の配置について、どのような設計原則が導けるのか。
1.2 方法と構成
方法は文献整理と概念分析である。本稿は新しい観察データを提示するものではない。ホワイトとゲールの著作を中心に、ジェイコブズ、アレグザンダー、リンチ、芦原義信らの都市設計の古典を参照し、そこで示された知見を街区公園という対象に照らして読み替える。したがって本稿の結論は、検証済みの事実ではなく、踏査で確かめるべき仮説の体系として提示される。磐田市の公園データベースである当サイト(ATAWI PARK)は100園を収録するが、現地踏査はこれからであり、本稿末尾で示す磐田市への示唆も、その踏査の視点を先に整理しておくという意味をもつ。
構成は次のとおりである。第2節で都市設計学における小さな公共空間研究の系譜を整理し、ホワイトとゲールの位置を確かめる。第3節と第4節でホワイトの七要素を前半・後半に分けて街区公園に照らし、第5節でゲールの三分類を公園の利用に当てはめる。第6節で0.25haという規模の条件を加え、ベンチ・入口・見通し・日陰の設計原則を組み立てる。第7節で予想される反論——観察法の限界、アメリカと日本の違い、安全基準との調整、管理者の視点——に応答し、第8節で磐田市の街区公園51園への示唆を述べ、第9節で結論と今後の課題をまとめる。
2. 先行研究と概念の整理——小さな公共空間はどう研究されてきたか
都市設計学において小さな公共空間の設計論は、大きく三つの流れから成る。第一は空間の「形」から出発する流れ、第二は人の「行動」から出発する流れ、第三は「パターン」として設計知を蓄積しようとする流れである。ホワイトとゲールは第二の流れの中心にいるが、その知見は第一・第三の流れと結びついてはじめて設計原則になる。本節ではこの三つの流れを、確実な古典に限って年代順に整理する。
2.1 形から出発する流れ——ジッテ、リンチ、カレン、芦原
オーストリアの建築家カミロ・ジッテは『広場の造形』(1889)で、ヨーロッパの中世都市の広場を実測し、広場が魅力的であるのは幾何学的な整形のためではなく、囲まれ方・記念物の置き方・街路の取り付き方に理由がある、と論じた。囲まれた感じ(囲繞感)を広場の質の中心に置いた点で、ジッテは小さな空間の設計論の始祖といえる。20世紀後半になると、アメリカのケヴィン・リンチが『都市のイメージ』(1960)で、人が都市を頭の中でどう思い描くかを調査し、パス(道)・エッジ(縁)・ディストリクト(地域)・ノード(結節点)・ランドマーク(目印)という五つの要素を取り出した。公園はしばしばノードやランドマークとして人の心の地図に刻まれる。イギリスのゴードン・カレンは『都市の景観』(1961)で、歩きながら次々に現れる景観の連なり(シリアル・ビジョン)を描き、囲まれた場所から開けた場所へ出る瞬間の効果を重視した。日本では芦原義信が『外部空間の設計』(1975)で、建物の高さと広場の幅の比(D/H)や、20〜25m程度ごとに変化を与える「外部モデュール」の考えを示し、外部空間を建築と同じ密度で設計する道を開いた。
2.2 行動から出発する流れ——ジェイコブズ、ゲール、ホワイト
形の研究に対して、人の振る舞いの観察から設計を考える流れは、ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』(1961)に始まる。ジェイコブズは近隣公園を扱った章で、公園は置けば使われるものではなく、周辺の多様な用途が時間帯の異なる利用者を送り込むときにだけ生きる、と論じ、公園の設計要素として複雑さ・中心・日当たり・囲い込みの四つを挙げた。ヤン・ゲールは『建物のあいだのアクティビティ』(1971)で、屋外の活動を、しなければならない「必要活動」、したいときにする「任意活動」、他者がいるからこそ生じる「社会活動」に分け、空間の質が悪いと必要活動しか残らず、質が良いと任意活動と社会活動が増える、という関係を観察から示した。
ウィリアム・H・ホワイトは『小さな都市空間の社会生活』(1980)で、ニューヨークの広場を数年にわたって記録し、使われる広場と使われない広場を分ける要因を一つずつ特定した。ホワイトの研究はニューヨーク市の広場に関する条例の改正に反映され、また彼の調査チームからは後に「プレイスメイキング」を掲げる団体が生まれた。ゲールも後年『人間の街』(2010)や『パブリックライフ学入門』(2013)で観察法そのものを体系化しており、二人の方法は現在の公共空間の評価手法の土台になっている。
2.3 パターンとして蓄積する流れ——アレグザンダー
クリストファー・アレグザンダーらの『パタン・ランゲージ』(1977)は、良い環境に繰り返し現れる関係を「パタン」として言語化し、地域から建物の細部まで数百のパタンを連ねた。小さな公共空間にかかわるものとして、歩いて数分で届く緑地、囲まれた小さな広場、屋根のない外部の部屋、座れる高さの壁、腰かけられる段、木のまわりにできる場所、といったパタンがある。アレグザンダーの功績は、ホワイトやゲールが観察で見いだした関係を、設計者が引き出しから取り出せる形に整えた点にある。
2.4 隣接分野からの補助線——ホール、アプルトン、ニューマン、仙田
以上の三つの流れを補うものとして、文化人類学者エドワード・T・ホールの『かくれた次元』(1966)は、人と人の距離感(プロクセミクス)を密接・個体・社会・公衆の四つの距離帯に分け、ゲールが座席の間隔や会話の成り立つ距離を論じる際の根拠になった。地理学者ジェイ・アプルトンの『風景の経験』(1975)は、人は見渡せる場所(眺望)と身を隠せる場所(隠れ場所)を兼ね備えた風景を好む、という眺望‐隠れ場所理論を示し、ベンチの背後に何があるかを考える手がかりを与える。オスカー・ニューマンの『まもりやすい住空間』(1972)は、住民の目が届く空間の区切り方を論じ、公園の見通しの問題につながる。日本では仙田満が『こどものあそび環境』(1984)で、子どもがよく遊ぶ場所には回遊できる環状の動線と、その途中の変化に富んだ部分があるとする「遊環構造」を提案しており、小さな公園に子どもの視点を導入するうえで欠かせない。
| 年 | 著者 | 著作 | 本稿で用いる主要概念 |
|---|---|---|---|
| 1889 | カミロ・ジッテ | 『広場の造形』 | 囲繞感、街路の取り付き方 |
| 1960 | ケヴィン・リンチ | 『都市のイメージ』 | ノード・ランドマーク・エッジ |
| 1961 | ジェイン・ジェイコブズ | 『アメリカ大都市の死と生』 | 複雑さ・中心・日当たり・囲い込み |
| 1961 | ゴードン・カレン | 『都市の景観』 | シリアル・ビジョン |
| 1966 | エドワード・T・ホール | 『かくれた次元』 | 四つの距離帯 |
| 1971 | ヤン・ゲール | 『建物のあいだのアクティビティ』 | 必要活動・任意活動・社会活動 |
| 1975 | 芦原義信 | 『外部空間の設計』 | D/H比、外部モデュール |
| 1975 | ジェイ・アプルトン | 『風景の経験』 | 眺望‐隠れ場所 |
| 1977 | アレグザンダーほか | 『パタン・ランゲージ』 | 小さな広場・座れる壁・木の場所 |
| 1980 | ウィリアム・H・ホワイト | 『小さな都市空間の社会生活』 | 座れる場所・三角測量ほか七要素 |
| 1984 | 仙田満 | 『こどものあそび環境』 | 遊環構造 |
本稿はこのうちホワイトの七要素とゲールの三分類を主軸に据え、他の古典は必要な場面で補助線として引く。以下、第3節と第4節でホワイトの七要素を街区公園に照らしていく。
3. ホワイトの七要素を街区公園に照らす(1)——座れる場所・日当たり・木・水
ホワイトの調査は、ニューヨークの高層ビルの足元に設けられた広場(プラザ)を対象とした。同じ地区で、同じ程度の人通りに面しながら、昼休みに人であふれる広場と、誰も立ち止まらない広場がある。その違いを説明する要因を、彼は微速度撮影と観察記録から一つずつ突き止めた。本節では、彼が挙げた要素のうち物理的な環境にかかわる四つ——座れる場所・日当たり(および風)・木・水——を取り上げ、住宅地の街区公園ではどう働くかを検討する。
3.1 座れる場所——「人は座れるところに座る」
ホワイトの最も有名な知見は、あきれるほど単純に見える一文に要約される。すなわち、人が最もよく座るのは、座れる場所のある所である。使われる広場と使われない広場を分ける最大の変数は、彫刻でも噴水でも植栽でもなく、座面の量と質だった。ここでいう座れる場所とは、ベンチだけを指さない。腰かけられる高さの縁石、花壇の縁、階段、壁の上端など、座る用途を意図していないものも含む。ホワイトは、座面の高さには相当の幅が許されること、両側から座れるだけの奥行きがある縁は同じ長さで二倍の人を受け入れること、そして何より動かせる椅子が人に「自分の場所を選ぶ」自由を与えることを強調した。彼はこの知見をもとに、広場の面積に対する座面の長さの目安を提案し、それがニューヨーク市の広場に関する条例に取り入れられた。
街区公園に移すとき、この知見は次のように読み替えられる。街区公園の主要な利用者は幼児と保護者であり、保護者は遊具のそばに長く滞在する。滞在の長さは、座れるかどうかにほぼ直結する。ベンチが遊具から見えない位置にあれば保護者は立ち続けるか、遊具の縁に腰かける。したがって街区公園における「座れる場所」の問いは、量よりも位置——遊具と砂場を視野に収められる位置にあるか——として立てられるべきである。また、日本の街区公園では固定ベンチが一般的で、動かせる椅子は管理上ほとんど採用されない。ホワイトが動かせる椅子に見いだした「向きと距離を自分で決める自由」を、固定物でどう補うかが設計の課題になる。ベンチを直線に一列に並べるのではなく、向きの異なる複数の座面を用意すること、腰かけられる縁石や段を意識的に設けることが、その代替になりうる。
3.2 日当たりと風——「重要だが、決定的ではない」
ホワイトは当初、広場の利用は日当たりで決まると予想した。観察の結果、日当たりは確かに重要で、冬や春先には人は日なたに集まる。しかし彼は同時に、日陰になっても使われ続ける広場があることを見いだし、日当たりは決定的ではないと結論した。彼が日当たり以上に見過ごされていると指摘したのは風である。高層建築の足元では吹き下ろしの風が広場を使えなくする。日本の街区公園は高層建築に囲まれることが少ないので、風の問題は郊外の吹きさらしの平坦地でどう緩衝するかという形で現れる。
日当たりについては、日本、とりわけ夏の暑さが厳しい地域では、ホワイトの前提を反転させる必要がある。冬の日なたが人を集めるのと同じ強さで、夏の日なたは人を遠ざける。環境省が公開する暑さ指数(WBGT)の考え方が示すように、夏の屋外活動は日射と気温と湿度によって制約され、木陰の有無は公園が夏に使えるかどうかを左右するとされる。すなわち日本の街区公園では、日当たりの設計とは「日なたと日陰の両方を、季節と時間帯に応じて選べるようにすること」を意味する。この点は第6節で日陰の配置として具体化する。
3.3 木——日陰と、囲まれる感じ
ホワイトは木を、日陰をつくるものとして、また座る場所の背後や頭上を覆って囲まれた感じを与えるものとして評価した。彼が観察した広場では、木の下の座席は木のない座席よりよく使われた。街区公園にとって木は、夏の日陰、囲まれる感じ、季節の変化、そして子どもにとっての遊びの素材(落ち葉・どんぐり・木登り)という複数の働きをもつ。一方で木は、成長すると見通しを遮り、根が舗装を持ち上げ、落ち葉の清掃と剪定の費用を生む。ホワイト的な設計論からいえば、木は「座る場所の上に、視線の高さを塞がずに」置かれるべきである。すなわち枝下の高さが確保された高木を座席の南側や西側に配し、腰の高さの密な低木で座席のまわりを囲うことは避ける、という原則が導かれる。
3.4 水——触れられること
ホワイトが水について強調したのは、水があることではなく、水に触れられることだった。柵で囲まれ、手を入れると注意される噴水は、人を集める力を大きく失う。街区公園に噴水や流れがあることはまれで、水は水飲み場と手洗いの蛇口という形で現れる。しかし「触れられる水」の原則は小さな公園でも生きる。夏に手や足を濡らせる蛇口の位置、砂場と蛇口の距離、水たまりのできる場所は、子どもの遊びの質を大きく変える。磐田市の公園でも、市の施設ガイドに「じゃぶじゃぶスポット」や「流れ」の記載がある園があり、それらは近隣公園や地区公園の規模のものであるが、街区公園にとっても水は「触れられるかどうか」で評価されるべき要素である。
4. ホワイトの七要素を街区公園に照らす(2)——食べ物・街路との関係・三角測量
前節の四要素が物理的な環境にかかわるものだったのに対して、本節で扱う三つ——食べ物・街路との関係・三角測量——は、人と人、人と街の関係にかかわる要素である。ここではホワイトの知見の中で、住宅地の街区公園への移し替えに最も工夫を要する部分を扱う。あわせて、彼が七要素と並べて論じた「望ましくない人」の問題と、利用の自己調整の観察にも触れる。
4.1 食べ物——「食べ物があれば人が来て、人が来れば人が来る」
ホワイトは、屋台や売店のある広場によく人が集まることを観察し、食べ物は人を呼び、集まった人がさらに人を呼ぶ、と述べた。これは商業地の広場ではそのまま設計原則になるが、住宅地の街区公園には売店も屋台もない。しかしこの要素の本質は「そこに立ち止まる口実」と「滞在を長引かせる小さな行為」にある。街区公園でその役割を果たすのは、保護者が持参するおやつや飲み物、遊びの合間の水分補給、そして近隣の店やコンビニとの位置関係である。買い物の帰りに寄れる位置にある公園、自動販売機や店が視野に入る公園は、「ついでに立ち寄る」という任意活動を生みやすい。ホワイトの食べ物の要素は、街区公園では「立ち寄る口実が周辺にあるか」「腰を落ち着けて何かを口にできる場所があるか」という問いに翻訳される。ただし食べ物の持ち込みはゴミの問題と表裏であり、持ち帰りの習慣が根づいているかどうかで評価は変わる。
4.2 街路との関係——公園は街路の延長である
ホワイトが最も強く主張した点の一つは、良い広場は街路と一体であり、悪い広場は街路から切り離されている、ということである。歩道からわずかに上がった段差、周囲を巡る低い壁、奥まった配置——これらは広場を歩行者の流れから隔て、利用を著しく減らす。逆に、歩道と同じ高さで、歩道から中が見え、歩きながら自然に入れる広場は使われる。彼は「よい広場は街路から始まる」と言い、角の位置、入口の広さ、街路からの見通しを重視した。
街区公園にとって、この知見は二重の意味をもつ。第一に、利用を増やすという意味で、公園は歩道から見え、歩きながら入れるべきである。生け垣とフェンスで四方を囲い、狭い一か所の入口だけを開けた公園は、ホワイトの観察でいえば「街路から切り離された広場」に等しい。第二に、しかし街区公園の主要利用者は幼児であり、街路と一体であることは飛び出しの危険と表裏である。ここにホワイトの原則を住宅地に移すときの最も重要な調整点がある。すなわち、視線は通すが身体の飛び出しは緩やかに止める、という設計——低い柵や植栽帯で「見える境界」をつくり、入口は車道に直接面させず、歩道側に少し引き込んで開ける——が求められる。街路との関係は、開くか閉じるかの二択ではなく、視線と動線を分けて設計する問題である。この点は第6節で入口の配置として再論する。
4.3 三角測量——第三のものが見知らぬ二人を結ぶ
ホワイトのいう三角測量とは、外部の何か——大道芸人、彫刻、珍しい出来事——が刺激となって、見知らぬ者どうしが互いに話しかける現象を指す。二人の人が直接向き合うのではなく、第三の対象を介して結ばれるので、測量の用語を借りてこう名づけられた。商業地の広場では大道芸や噴水がその役割を果たす。街区公園では、この役割を最も確実に果たすのは遊具と子どもである。滑り台の順番、砂場の道具の貸し借り、ブランコを押す手伝い——子どもの遊びは、保護者どうしが顔見知りになるための第三の対象として働く。ここから導かれる設計原則は、保護者の座る場所が、子どもの遊ぶ場所を共通の視野に収める向きに置かれるべきだ、ということである。互いに背を向けた二つのベンチでは三角測量は起きにくく、遊具を囲むように緩やかな弧を描くベンチでは起きやすい。三角測量は本稿の設計論の要であり、第6節でベンチの向きとして詳述する。
4.4 「望ましくない人」と利用の自己調整
ホワイトは、広場の管理者が恐れる「望ましくない人」(酔客や居座り)の問題にも正面から答えた。彼の結論は、座面を減らし柵を増やして人を締め出す設計は、望ましくない人よりも先に一般の利用者を遠ざける、というものだった。最良の対策は、場所を誰にとっても魅力的にし、多くの人が使うことで自然な見守りが生じるようにすることである。また彼は、よく使われる広場でも混雑には限度があり、人は混みすぎると自然に離れるため、利用は自己調整される、と観察した。さらに、広場の質を測る手がかりとして、女性の利用者の割合が高い場所は良い場所である、と述べた。女性は座る場所や安心感に敏感で、質の悪い場所を避けるからだという。街区公園にこれを移すなら、幼児連れの保護者、とくに一人で来る保護者が長く滞在できるかどうかが、その公園の質を映す指標になる。締め出しの設計ではなく招き入れる設計が、結果として安心につながる——この逆説はジェイコブズの「街路の目」とも重なる。
5. ゲールの三分類——公園の利用は空間の質にどれほど依存するか
ヤン・ゲールが『建物のあいだのアクティビティ』で示した枠組みは、ホワイトの要素論とは別の角度から、なぜ小さな空間の質が決定的なのかを説明する。ゲールは屋外で人が行うことを三つに分けた。第一は「必要活動」で、通勤・通学・買い物・バス待ちなど、条件がどうであれしなければならない活動である。第二は「任意活動」で、散歩・日なたぼっこ・立ち止まって眺めるなど、したいと思い、かつ時間と場所が許すときにだけ行う活動である。第三は「社会活動」で、挨拶・会話・子どもの遊び・他人を眺めることなど、同じ空間に他者がいることによって生じる活動である。ゲールはこれを「結果として生じる活動」とも呼ぶ。必要活動と任意活動によって人が同じ場所に居合わせることの結果として、社会活動が生まれるからである。
5.1 三分類の要点——質が悪いと必要活動しか残らない
ゲールの観察が示した関係は明快である。空間の質が悪くても必要活動は起こる。人は雨でも風でも通勤する。しかし任意活動は質が悪ければほとんど起こらず、質が良ければ大幅に増える。そして社会活動は、任意活動が増えて人が滞在するようになったときにはじめて生まれる。したがって空間の質は、必要活動には小さく、任意活動には大きく、社会活動には間接的にしかし決定的に影響する。この関係をゲールは表の形で示し、以後の公共空間論の共通の出発点になった。
| 活動の型 | 定義 | 空間の質への依存 | 街区公園での例 |
|---|---|---|---|
| 必要活動 | 条件にかかわらず行う | 小さい | 公園を横切る通り抜け、通園路としての通過 |
| 任意活動 | したいときに、条件が許せば行う | 大きい | 遊具で遊ぶ、ベンチで休む、散歩の途中で寄る |
| 社会活動 | 他者がいることで生じる | 間接的だが決定的 | 保護者どうしの会話、子どもどうしの遊び、高齢者が子どもを眺める |
5.2 街区公園の利用はほぼすべてが任意活動と社会活動である
この枠組みを街区公園に当てはめると、一つの重要な帰結が導かれる。街路や駅前広場と違って、公園には必要活動がほとんどない。公園を「通らなければならない」人はまれで、通り抜けの動線として使われる場合を除けば、公園に来る人はみな、来たいから来る。すなわち街区公園の利用は、その大半が任意活動であり、そこから派生する社会活動である。ゲールの観察が正しければ、これは街区公園の利用が空間の質にきわめて強く依存することを意味する。質の悪い街路でも人は通るが、質の悪い公園には人は来ない。同じ0.25haの公園で利用に大きな差が生じる理由は、ここにある。
ここでいう「質」とは、遊具の数や新しさではない。ゲールが後年『人間の街』などで整理した公共空間の質の基準は、大きく三つの群——保護(交通・犯罪・不快な気候からの保護)、快適(歩く・立ち止まる・座る・見る・話す・遊ぶ機会)、楽しさ(人間の尺度、気候の良い面を享受できること、感覚的な質)——に分けられる。遊具はこのうち「遊ぶ機会」の一項目にすぎない。座る機会、見る機会、話す機会、暑さ寒さからの保護が欠けていれば、遊具があっても任意活動は短時間で終わり、社会活動は生まれない。逆にいえば、遊具が古くても、座れて見渡せて木陰があれば、任意活動は長引き、社会活動が育つ。
5.3 縁の効果と距離の尺度
ゲールはまた、人が空間の縁に沿って立ち止まり、座る傾向を「縁の効果(エッジ効果)」として繰り返し指摘した。広場の真ん中に立つ人は少なく、壁際・柱のそば・木の下・段の上に人は集まる。背後が守られ、前方が見渡せる位置は、アプルトンの眺望‐隠れ場所理論が予測するとおり人を落ち着かせる。街区公園に移せば、ベンチは園の中央ではなく縁に、背後に植栽や壁があり前方に遊具が見える位置に置くべきだ、という原則になる。さらにゲールは、ホールのプロクセミクスを踏まえて、人の姿が見える距離、顔がわかる距離、会話が成り立つ距離を段階的に示した。細かな数値は文脈によって幅があるが、おおむね、遠くからは人の動きが見え、数十mで顔がわかり、数mで会話が成り立つ、とされる。一辺およそ50mの街区公園は、対角線上でも保護者が子どもの動きを見分けられる大きさであり、ベンチから遊具までを十数mに収めれば、子どもの表情と声が届く。この距離の尺度が、第6節でベンチと遊具の配置を決める根拠になる。
以上をまとめれば、ゲールの三分類は街区公園にとって次のことを教える。第一に、公園の利用は任意活動であるがゆえに質に依存し、質とは遊具の目録ではなく座る・見る・話す・守られる機会の総体である。第二に、社会活動は設計で直接つくれないが、任意活動を長引かせる設計によって間接的に育てられる。第三に、縁と距離の尺度が、その設計の物差しになる。次節では、この物差しをホワイトの要素論と重ねて、0.25haの設計原則として組み立てる。
6. 0.25haの設計論(1)——規模の条件、見通し、入口
本節と次節では、ホワイトの要素論とゲールの活動論を、街区公園の規模の条件と重ね合わせて、具体的な配置の原則に組み立てる。本節ではまず0.25haという規模がもつ設計上の意味を確かめ、そのうえで見通しと入口の原則を導く。次節でベンチの向きと日陰の配置を扱い、原則を一覧にまとめる。
6.1 一辺50m——「一望できるが一様ではない」
国の標準では街区公園は0.25ha、すなわち2,500㎡を目安とし、誘致距離は250mである。2,500㎡は一辺50mの正方形に相当する。この大きさには、大きな公園にはない二つの性質がある。第一に、全体を一望できる。人が立ったまま、あるいは座ったまま、園のほぼ全域を視野に収められる。第二に、それでも一様な広場としては使いにくい。芦原義信の外部モデュールの考え——20〜25m程度ごとに空間に変化を与えると外部空間は間延びしない——を借りれば、一辺50mは二つないし三つの「場」に分けられる大きさである。ジェイコブズが近隣公園に求めた四要素——複雑さ・中心・日当たり・囲い込み——も、この規模で無理なく成り立つ。すなわち街区公園の設計課題は、「一望できるが一様ではない」空間をつくることに集約される。保護者にとっては見渡せること、子どもにとっては変化があること、この二つを同時に満たすのである。
この二つは一見矛盾する。変化をつけようとして築山や密な植栽を置けば見通しは失われ、見通しを優先して平坦な広場にすれば変化は失われる。矛盾を解く鍵は高さの層にある。大人の目の高さ(立って約1.5m、座って約1.1m前後)を塞がない高さ——腰までの低い起伏、膝までの植栽、枝下の高い高木——で変化をつくれば、保護者の視線は通り、子どもの世界には起伏と囲われた感じが生まれる。逆に、目の高さの範囲に密な常緑の生け垣や高いフェンスの目隠し、大きな構造物を置くと、見通しと変化の両立は崩れる。仙田満の遊環構造がいう回遊できる環状の動線も、この高さの層のなかで、低い起伏や植栽の縁に沿って設ければ、見通しを損なわずに子どもの「めぐる」動きを生む。
6.2 見通しの原則——座ったまま、遊び場と入口の両方が見える
見通しの設計は、二つの視線を同時に確保することである。一つは保護者からすべての遊び場(遊具・砂場・広場)への視線、もう一つは保護者から出入口への視線である。前者は子どもの安全と三角測量のため、後者は子どもの飛び出しを早く察知するためと、外から中が見えることで自然な見守りが働くためである。ゲールの距離の尺度に照らせば、座る場所から最も遠い遊び場までが数十m以内であれば子どもの動きは追え、十数m以内であれば表情と声が届く。0.25haの公園では、園の縁の一辺の中ほどに座る場所を置けば、対辺までおよそ50m、対角でも70m程度に収まり、全体を見渡す条件は規模の側から保証されている。問題はその視線を遮る物を置かないことである。トイレ・倉庫・大きな看板・密な植栽は、園の中央や視線の途中ではなく、座る場所の背後か、園の角に寄せて配置するのが原則になる。
外からの見通しも同じ論理で決まる。ホワイトのいう「街路から中が見える」ことと、ジェイコブズの「街路の目」、ニューマンの「まもりやすい空間」は、いずれも周囲の歩道や住宅から園内が見えることを求めている。街区公園は住宅に囲まれていることが多く、住宅の窓と歩道からの視線が園内の遊び場に届くかどうかが、日常の見守りの土台になる。境界の生け垣を目の高さより低く保ち、フェンスは視線を通す形式にすることは、防犯の観点からも利用の観点からも同じ方向を向く。
6.3 入口の原則——見えて、引き込まれて、車道に直接開かない
入口はホワイトの「街路との関係」と、街区公園の飛び出し問題が正面から出会う場所である。原則は三つにまとめられる。第一に、入口は歩道から見え、歩道と段差なく続き、歩きながら自然に入れる位置と幅をもつべきである。ベビーカーと車いすの通行を考えれば、段差のない出入口は都市公園の移動等円滑化の観点からも求められる。第二に、入口は車道に直接開けず、歩道側に少し引き込むか、車道との間に緩衝の余地を設ける。子どもが園内から駆け出したとき、車道に出る前に一度立ち止まる余地——縁石、低い柵の折れ、植栽の切れ目——をつくることが、視線を通しながら身体の勢いを緩める設計である。第三に、入口の数と位置は周辺の歩行動線に合わせる。角の位置に開かれた入口は、ホワイトの観察どおり最もよく使われるが、角は同時に交差点でもあるため、角に入口を置く場合は車道側でなく歩道側の角に開ける、という調整が要る。
小さな公園では入口が一か所しかないこともある。その場合、入口はゲールのいう縁の効果が最も強く働く場所——人が立ち止まり、挨拶を交わし、様子をうかがう場所——になる。入口のすぐ内側に腰かけられる縁や小さな余白があれば、入口は通過点ではなく「立ち寄りの場」になる。逆に、入口を通ってすぐ遊具にぶつかる配置は、入口の社会的な機能を奪う。以上の見通しと入口の原則を踏まえて、次節ではベンチの向きと日陰の配置を扱う。
7. 0.25haの設計論(2)——ベンチの向き、日陰の配置、原則の一覧
前節の見通しと入口に続いて、本節ではベンチの向きと日陰の配置を扱う。この二つはホワイトの「座れる場所」「日当たり」「木」、ゲールの「縁の効果」「座る機会」「気候からの保護」が直接かかわる論点であり、街区公園の利用時間を最も左右する部分だと本稿は考える。節末で、第6節と本節の原則を一覧にまとめる。
7.1 ベンチの向き——遊具を共通の視野に、互いに斜めに
ベンチの設計で最初に決めるべきは、数ではなく向きである。ホワイトの三角測量の知見からいえば、保護者どうしが自然に言葉を交わすためには、二人が同じもの——子どもの遊ぶ場所——を視野に収めていなければならない。したがって複数のベンチは、遊具と砂場を共通の視野に収める向きに、緩やかな弧を描くか、互いに斜め(およそ90度前後)に置かれるべきである。正面から向き合う配置は視線が合いすぎて避けられ、背中合わせや一直線に並ぶ配置は視線が交わらず会話が生まれない。斜めの配置はホールの距離帯でいう社会的な距離を保ちながら、視線を合わせるかどうかを選べる余地を残す。ゲールが観察した、人は向き合わず並んで、あるいは角度をつけて座りたがるという傾向とも合致する。
次に決めるべきは背後である。ゲールの縁の効果とアプルトンの眺望‐隠れ場所理論が示すとおり、背後が守られたベンチはよく使われる。園の縁——低い植栽帯、壁、木の幹——を背にし、前方に遊び場が開けている位置が原則である。園の中央に置かれた背後のないベンチは、見晴らしは良くても落ち着かず、子どもの走路をふさぐこともある。第三に、座面の多様さである。固定ベンチだけでなく、腰かけられる高さの縁石、砂場の縁、段差、平らな石は、ホワイトのいう「座れる場所」を数倍に増やし、利用者が向きと距離を自分で選ぶ余地をつくる。ベビーカーを横に付けられる余白、荷物を置ける平面、幼児を膝に乗せても隣に人が座れる幅も、街区公園ならではの要件である。
7.2 日陰の配置——選べること、季節と時間帯で動くこと
第3節で述べたとおり、日本の街区公園では日当たりの設計は「日なたと日陰を選べるようにすること」を意味する。日陰は動く。夏の午前は東側の木や建物が園の西寄りに影を落とし、午後は西側の木が東寄りに影を落とす。冬は太陽が低く、影は長く伸びる。したがって、日陰の配置とは、ある一点に日陰をつくることではなく、一日と一年のなかで、座る場所と主要な遊び場に日陰がかかる時間帯を確保することである。原則としては、座る場所の南側から西側にかけて枝下の高い落葉高木を配し、夏の午後に座る場所が木陰に入り、冬は葉を落として日なたになるようにする。東屋やパーゴラなどの日よけは、木が育つまでの間と、真昼の日陰を補う。
遊具の日陰は保護者の日陰と同じ強さで問題になる。夏の日射を受けた滑り台や金属部の表面は高温になりうるとされ、日陰のない遊具は夏の日中に使えない時間帯をもつ。遊具の表面温度については関係機関からも注意喚起がなされている。遊具を植栽の東側や北側に置いて午後の影に入れるか、遊具の上に日よけを設けるかは、その園の周辺条件で決まるが、いずれにせよ日陰の設計は座る場所と遊び場の両方について考える必要がある。なお、木陰は見通しとの調整を要する。日陰を落とす木は、幹が視線を遮らないように、座る場所の背後や側方に、枝下を高く保って配するのが原則である。暑さ指数(WBGT)を参照して屋外活動を判断する習慣が広がりつつあるが、判断そのものは各家庭と関係機関の指針に委ねられる。設計の側にできるのは、日陰という選択肢を園内に用意しておくことである。
7.3 原則の一覧
以上、第6節と本節で導いた原則を一覧にする。各原則には、その根拠となる古典の概念を添える。これらは互いに独立ではなく、見通しを優先すれば日陰の木の位置が制約され、入口を開けば境界の設計が変わる。設計とは、この一覧の項目を個別の敷地で調停する作業である。
| 設計項目 | 原則 | 主な根拠 |
|---|---|---|
| 規模の読み方 | 一望できるが一様ではない空間。高さの層で変化をつける | 芦原・外部モデュール/ジェイコブズ・四要素/仙田・遊環構造 |
| 見通し | 座ったまま全遊び場と入口が見える。遮る物は背後か角へ | ゲール・距離の尺度/ジェイコブズ・街路の目 |
| 境界 | 視線は通し、動線は緩やかに止める。低い柵・低い植栽 | ホワイト・街路との関係/ニューマン |
| 入口 | 歩道から見え、段差なく、車道に直接開かない。内側に余白 | ホワイト・街路から始まる/ゲール・縁の効果 |
| ベンチの向き | 遊具を共通の視野に、互いに斜め。背後は縁で守る | ホワイト・三角測量/ゲール・縁の効果/アプルトン |
| 座れる場所の多様さ | 固定ベンチに加え、縁石・段・砂場の縁を座面に | ホワイト・座れる場所/アレグザンダー・座れる壁 |
| 日陰 | 座る場所と遊び場に、季節と時間帯で日陰がかかる。落葉高木を南西側に | ホワイト・日当たり・木/ゲール・気候からの保護 |
| 水 | 触れられる蛇口を砂場の近くに | ホワイト・水 |
| 立ち寄る口実 | 周辺の店・通園路・散歩道と結ぶ | ホワイト・食べ物/ゲール・任意活動 |
この一覧は、新設の公園を設計するためだけのものではない。既存の街区公園について、ベンチの向きを変える、生け垣を低く刈る、入口の内側に腰かけられる縁石を足す、木を一本植える、といった小さな改修の優先順位を考える物差しにもなる。ホワイトの調査が示したのは、使われない広場を使われる広場に変えるのに、大規模な改築は要らず、座面と入口の設計を変えるだけで利用が変わる場合が多い、ということだった。街区公園にも同じことが言えると本稿は考える。
8. 反論への応答と設計論の限界
ここまでの設計論には、いくつかの当然の反論が予想される。本節では四つの反論——観察法そのものの限界、ニューヨークと日本の住宅地の違い、安全基準・管理との衝突、そして「設計より運営が大事だ」という主張——を取り上げ、それぞれに応答するとともに、本稿の設計論がどこまで及び、どこから先は別の議論に委ねるべきかを明らかにする。
8.1 観察法は「見えるもの」しか捉えない
第一の反論は、ホワイトやゲールの方法は屋外で目に見える行動を数えるものであり、なぜ人がそこに来ないのかという理由——遠い、時間がない、そもそも公園に関心がない、他に行く場所がある——は捉えられない、というものである。これは正当な指摘である。観察法は「来た人が何をするか」には強いが、「来なかった人」を扱えない。したがって観察に基づく設計論は、公園の利用を左右する要因の一部——空間の質——だけを説明する。誘致距離、周辺の人口構成、保護者の就労時間、代替となる屋内施設の有無といった要因は、都市計画学・人口動態学・時間地理学の側から扱われるべきであり、本稿の設計論はそれらと組み合わせてはじめて公園の利用を説明できる。ただし、ホワイトの観察が示したのは、同じ立地条件のもとでも空間の質だけで利用が大きく変わるという事実であり、この部分の説明力は他の要因では代替できない。
8.2 ニューヨークの広場と日本の住宅地は違う
第二の反論は、ホワイトの対象は高層ビルに囲まれた商業地の広場で、利用者は昼休みの勤め人であり、日本の郊外住宅地の街区公園とは前提が違いすぎる、というものである。確かに違いは大きい。動かせる椅子は日本の街区公園ではほぼ採用されず、屋台や売店もなく、利用者は勤め人ではなく幼児連れと高齢者である。しかし本稿が移し替えたのは、ホワイトの個別の処方ではなく、その背後にある関係——座れる場所が滞在を決める、街路との連続が利用を決める、第三の対象が見知らぬ者を結ぶ——である。これらの関係は、第3節・第4節で示したとおり、対象を置き換えれば住宅地でも成り立つ。
むしろ日本の街区公園で注意すべき文化的な違いは別のところにある。第一に、公園に長く座る大人がいることへの周囲の目である。日本では公園で一人で座る大人が不審に見られる場合があるとされ、これは座れる場所を増やす設計に対する管理者と近隣のためらいにつながる。第二に、子どもの声や利用への近隣の苦情が、開放的な設計を抑制する方向に働くことがある。設計論はこれらを無視できないが、ホワイトの逆説——招き入れる設計が結果として安心をつくる——は、この状況にも一つの見方を提供する。
8.3 安全基準・管理との衝突
第三の反論は、本稿の原則が安全基準や維持管理の実務と衝突する、というものである。具体的には、見通しの確保は木を減らす方向に、日陰の確保は木を増やす方向に働く。街路との連続は飛び出しの危険を増し、座れる縁石や段は転倒の危険を増す。国土交通省の遊具安全指針は遊具の設置と点検について詳細な考え方を示しており、設計はこれに従う必要がある。本稿はこれらの衝突を否定しない。ただ、その多くは二者択一ではなく調停の問題だと考える。木は本数ではなく枝下の高さと位置で見通しと両立でき、境界は視線と動線を分けて設計でき、座れる縁は高さと角の処理で転倒への配慮と両立できる。維持管理については、落葉樹の清掃、剪定、ベンチの補修が費用を生むことは事実であり、財政学・行政学の側の議論に接続する。本稿は「何を優先すべきか」の物差しを示すにとどめ、費用との調停は各園の管理者の判断に委ねる。
8.4 「設計より運営」論への応答
第四の反論は、公園が使われるかどうかは設計よりも運営——イベント、清掃、住民の関わり、地域の見守り——で決まる、というものである。近年のプレイスメイキングの実践は、まさに小さな働きかけの積み重ねが場所を変えることを示してきた。本稿はこれに同意する。ただし、運営と設計は対立しない。ホワイトの調査から生まれた団体がプレイスメイキングを掲げたこと自体、観察に基づく設計論と運営論が地続きであることを示している。設計は運営の土台であり、座る場所も見通しもない公園では、清掃や見守りの努力は成果に結びつきにくい。逆に、良い設計は運営の負担を減らす。外から見える公園は見守りの人手を減らし、多様な座面は利用者を増やして自然な目を増やす。設計論の役割は、運営を不要にすることではなく、運営が報われる器を用意することにある。
8.5 本稿の設計論が及ばない範囲
最後に、本稿の設計論の限界を明示しておく。第一に、本稿は0.25ha程度の街区公園を念頭に置いており、数百㎡のポケットパークや、逆に近隣公園以上の規模には、そのままでは当てはまらない。数百㎡の空間では「一望できるが一様ではない」の後半が成り立ちにくく、ベンチと木と入口の関係だけが残る。第二に、本稿は健常な幼児と保護者を主な利用者として想定しており、車いす利用者、視覚に障害のある利用者、高齢者の利用については、都市公園の移動等円滑化の考え方や障害学の議論に接続する必要がある。第三に、本稿は新しい観察を行っていない。ここで示した原則は、踏査によって確かめられるべき仮説であり、次節で述べる磐田市への示唆は、その仮説を検証する視点の整理として読まれるべきである。
9. 磐田市の公園への示唆——街区公園51園をどう読むか
本節では、前節までの設計論を磐田市の公園に当てはめる。用いる事実は、当サイト(ATAWI PARK)が磐田市のオープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドから整理した100園分のデータに限る。現地踏査はまだ始まっておらず、以下は「データから何が言え、何が言えないか」と「踏査で何を見るべきか」の整理である。
9.1 磐田市の街区公園の規模分布
磐田市の都市公園100園のうち街区公園は51園で、半数を超える。地区別に見ると、公園数は豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園であり、街区公園もこれらの地区に分布している。面積を見ると、街区公園には国の標準0.25ha(2,500㎡)に近い園がある一方で、それより大きく小さい園が幅広く含まれる。標準に近い例としては、一番町公園(見付・2,550㎡)、一ノ谷公園(見付・2,458㎡)、西山第1公園(御厨・2,526㎡)、的場公園(見付・2,223㎡)、葦間公園(見付・2,178㎡)、国府台西公園(中泉・2,209㎡)などがある。これらは本稿の「一辺およそ50m」の設計論がそのまま当てはまる規模である。
一方、1,000㎡に満たない街区公園も少なくない。見付本通広場公園(見付・372㎡)、只来下公園(見付・458㎡)、久保公園(中泉・556㎡)、めがねばし公園(見付・690㎡)、西貝塚公園(御厨・796㎡)、御殿遺跡公園(中泉・827㎡)、竜洋すみれ遊園地(竜洋・913㎡)などである。これらは第8節で述べたとおり、「一望できるが一様ではない」の後半が成り立ちにくい規模で、ベンチ・木・入口の関係が設計のほぼすべてになる。逆に、街区公園でありながら5,000㎡を超える園もある。京見塚公園(中泉・10,231㎡)、上野公園(中泉・6,986㎡)、おおぞら公園(向陽・5,863㎡)、豊田原新田公園(豊田・5,725㎡)、旭ヶ丘公園(中泉・5,193㎡)、富士見北公園(見付・5,016㎡)である。これらでは一望は難しくなり、二つ以上の「場」をどう結ぶかという近隣公園に近い設計課題が生じる。京見塚公園には市の施設ガイドに「京見塚古墳」の記載があり、古墳という高さのある地形が園内の「変化」であると同時に見通しの条件を決めていると推測されるが、これは踏査で確かめる。
9.2 データが語ること、語らないこと
オープンデータ94行の中では、トイレ有が69園、遊具有が64園、砂場有が43園、車いす対応トイレ有が34園である。市の施設ガイドには園内施設として遊具の種類(ブランコ、滑り台、ジャングルジム、鉄棒、砂場など)が記されている園が多い。たとえば一番町公園の施設ガイドには「ブランコ、滑り台、ジャングルジム、鉄棒、雲梯、砂場、トイレ」とあり、中泉グリーンパーク(中泉・4,519㎡)には「幼児用滑り台、スプリング遊具、健康遊具、トイレ(多目的トイレ)」とある。後者のように幼児向け遊具と健康遊具が同居する園は、ゲールのいう社会活動——高齢者が子どもを眺め、保護者と言葉を交わす——が生まれる条件を施設の面ではもっている。
しかし、ここで強調すべきは、データが語らないことのほうである。オープンデータにも施設ガイドにも、ベンチの数と向き、木陰の有無と時間帯、入口の数と車道との関係、境界の高さ、外からの見通し、腰かけられる縁の有無は記されていない。すなわち、ホワイトとゲールが利用を左右すると見いだした変数は、いま磐田市の公園について公開されているデータには一つも含まれていない。遊具とトイレの有無だけで街区公園を評価することは、第5節の言葉でいえば「遊ぶ機会」の一項目だけで質を測ることに等しい。当サイトの100園データベースがオープンデータと施設ガイドを一本化した現状は、いわば施設目録の段階にあり、設計論的な変数はこれから踏査で加える必要がある。
9.3 踏査で見るべき項目——設計論を検証する視点
本稿の設計論は、当サイトの今後の踏査に対して、見るべき項目を与える。第7節の一覧を踏査の項目に翻訳すれば、次のようになる。
- 座れる場所:ベンチの数、向き(遊具・砂場が視野に入るか、互いに斜めか)、背後に何があるか、腰かけられる縁石・段・砂場の縁の有無
- 見通し:主要な座る場所から全遊び場と全入口が見えるか。視線を遮る物(トイレ・倉庫・密な植栽)の位置
- 入口と境界:入口の数と位置、車道に直接開いているか、段差の有無、境界の柵・生け垣の高さと透過性、周辺の歩道・住宅から園内が見えるか
- 日陰:座る場所と遊具に日陰がかかる時間帯(午前・正午・午後)、木の種類(落葉・常緑)と枝下の高さ、東屋・日よけの有無
- 水と立ち寄る口実:蛇口の位置と砂場からの距離、周辺の店・通園路・散歩道との関係
これらは、遊具の安全点検とは別の、利用の質にかかわる観察項目である。第一段階として国の標準に近い規模の街区公園(一番町公園、一ノ谷公園、西山第1公園など)から見ていけば、本稿の設計論が磐田市の条件でどこまで妥当かを最も直接に確かめられる。次に1,000㎡未満の園(只来下公園、久保公園、めがねばし公園など)で「ベンチ・木・入口だけが残る」という仮説を確かめ、5,000㎡超の園で「場の分割」の課題を見る、という順序が考えられる。地区別では公園数の多い豊田・見付・中泉の順に踏査を進めることが効率的だが、南部・向陽のように園数の少ない地区では、少数の園が周辺の徒歩圏にとって果たす役割が相対的に大きく、設計の質の意味も大きい。
最後に、行政と地域の関係者への示唆を一つだけ述べる。本稿の設計論の多くは、大規模な改修を要しない。ベンチを一基動かす、向きを変える、生け垣を低く刈る、入口の内側に腰かけられる縁石を足す、木を一本植える——ホワイトの観察が示したのは、この程度の変更で利用が変わる場合が多い、ということだった。公園の管理は磐田市都市整備課が担っており、当サイトが今後の踏査で得る観察は、こうした小さな改善の優先順位を考える材料として提供できると考える。
10. 結論と今後の課題
本稿は、ウィリアム・H・ホワイトの広場観察とヤン・ゲールの活動分類という都市設計学の二つの古典を、日本の街区公園——国の標準で0.25ha・誘致距離250mの、最も小さく最も数の多い都市公園——に移し替え、「小さな公園はどう設計されると使われるのか」を原則の形で示すことを試みた。得られた結論は三つにまとめられる。
10.1 結論
第一に、ホワイトの七要素は、対象を置き換えれば街区公園に移せる。座れる場所と街路との関係はほぼそのまま移り、日当たりは日本の夏を考慮して「日なたと日陰を選べること」に、木は「視線を塞がない高さで日陰をつくること」に、水は「触れられること」に、食べ物は「立ち寄る口実が周辺にあること」に、三角測量は「遊具と子どもを介した保護者どうしの会話」に翻訳される。第二に、ゲールの三分類に照らすと、街区公園の利用はほぼすべてが任意活動と社会活動であり、したがって空間の質にきわめて強く依存する。質とは遊具の目録ではなく、座る・見る・話す・気候から守られる機会の総体である。第三に、これらを一辺およそ50mという規模の条件と重ねると、設計の中心課題は「一望できるが一様ではない」空間をつくることに集約され、そこから見通し・入口・ベンチの向き・日陰の配置について、第7節の一覧に示した原則が導かれる。
二つの古典の関係についても一言しておく。ホワイトとゲールは同時代に、大西洋の両側で、互いに独立に観察を始めた。両者の知見が本稿でうまく噛み合ったのは偶然ではない。ホワイトの要素論は「何があると使われるか」を、ゲールの活動論は「なぜそれが使われ方を変えるのか」を説明しており、前者が処方、後者が理屈にあたる。座れる場所が滞在を決めるというホワイトの観察は、任意活動が質に依存するというゲールの枠組みで説明され、三角測量という現象は、任意活動が集まると社会活動が生じるという関係の一例として位置づけられる。小さな公園の設計論は、この二つを重ねてはじめて、個別の処方の寄せ集めではなく一つの体系になる。
これらの原則の背後にある一つの考え方を最後に述べておきたい。ホワイトとゲールが共通して示したのは、公共空間の設計において決定的なのは大きな構造物や高価な施設ではなく、座る場所の向きや入口の段差といった、図面の上では目立たない小さな判断だ、ということである。街区公園はまさにその小さな判断の積み重ねでできている。遊具の台数を競うのではなく、保護者が座って子どもを見渡し、隣の保護者と言葉を交わし、夏の午後に木陰に入れる——そのための配置を丁寧に考えることが、小さな公園の設計論の核心である。
10.2 今後の課題
今後の課題は四つある。第一に、本稿の原則は文献から導いた仮説であり、磐田市の公園での踏査による検証を要する。第9節で示した踏査項目——座れる場所・見通し・入口と境界・日陰・水と立ち寄る口実——を、国の標準に近い規模の街区公園から順に記録し、原則の妥当性を確かめることが当サイトの次の作業になる。第二に、本稿はホワイトの方法の要である継続的な観察——同じ場所を季節・曜日・時間帯を変えて繰り返し見ること——を行っていない。踏査が進んだ段階で、いくつかの園について時間帯別の利用の記録を試みることが望ましい。
第三に、本稿の設計論は幼児と保護者を主な利用者と想定しており、高齢者・障害のある利用者・小学生以上の子どもの利用については、老年学・障害学・発達心理学の側の論考と接続する必要がある。第四に、設計の原則を実際の改修や維持管理に結びつけるには、費用・合意形成・安全基準との調停が要り、これは財政学・行政学・法学の側の議論に委ねられる。なお、踏査で得た座れる場所・見通し・日陰などの観察を、当サイトのデータベースの項目として整理し公開することができれば、遊具とトイレの有無にとどまっていた公園の記述に、設計論的な変数を加えることになる。これは情報学の側の課題でもある。
都市設計学は、建物と建物のあいだに残された小さな空間に、人がどう居るかを見つめる学問である。街区公園はその最も身近な対象であり、磐田市に51園ある。ベンチが一基どちらを向いているか、入口の内側に腰かけられる縁があるか、夏の午後にどこに影が落ちるか——それらは、公園を利用する保護者が日々感じていながら言葉にしてこなかった差異でもある。本稿がその一つひとつを見る目を、わずかでも豊かにできれば幸いである。
参考文献
- ウィリアム・H・ホワイト(1980)『The Social Life of Small Urban Spaces』(The Conservation Foundation。邦題は本稿の仮訳『小さな都市空間の社会生活』)
- ウィリアム・H・ホワイト(1988)『都市という劇場——アメリカン・シティ・ライフの再発見』(柿本照夫訳、日本経済新聞社、1994)
- ヤン・ゲール(1971)『建物のあいだのアクティビティ』(北原理雄訳、鹿島出版会、2011)
- ヤン・ゲール(2010)『人間の街——公共空間のデザイン』(北原理雄訳、鹿島出版会、2014)
- ヤン・ゲール、ビアギッテ・スヴァア(2013)『パブリックライフ学入門』(鈴木俊治ほか訳、鹿島出版会、2016)
- ジェイン・ジェイコブズ(1961)『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010)
- クリストファー・アレグザンダーほか(1977)『パタン・ランゲージ——環境設計の手引』(平田翰那訳、鹿島出版会、1984)
- ケヴィン・リンチ(1960)『都市のイメージ』(丹下健三・富田玲子訳、岩波書店、1968)
- ゴードン・カレン(1961)『都市の景観』(北原理雄訳、鹿島出版会、1975)
- エドワード・T・ホール(1966)『かくれた次元』(日高敏隆・佐藤信行訳、みすず書房、1970)
- ジェイ・アプルトン(1975)『風景の経験——景観の美について』(菅野弘久訳、法政大学出版局、2005)
- カミロ・ジッテ(1889)『広場の造形』(大石敏雄訳、鹿島出版会、1983)
- 芦原義信(1975)『外部空間の設計』(彰国社)
- 仙田満(1984)『こどものあそび環境』(筑摩書房。復刻版:鹿島出版会、2009)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(街区公園の標準面積0.25ha・誘致距離250m)
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 国土交通省 都市公園(都市局公園緑地・景観課)
- 環境省 熱中症予防情報サイト(暑さ指数 WBGT)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。