国際・比較・未来イギリス比較研究
自分たちで作る遊び場——イギリスの冒険遊び場とプレイワークの制度化
要旨
本稿の目的は、イギリスにおける冒険遊び場とプレイワークの制度化の過程を歴史的に跡づけ、日本における冒険遊び場運動の展開と比較することである。当サイトの別稿「遊びに介入しない専門性——プレイワークと冒険遊び場の思想」がプレイワークの理論的な核を扱ったのに対し、本稿は視点を制度史・国際比較へと移し、遊びを支える資格制度・全国組織・政策文書・財源という仕組みに焦点を当てる。
方法は文献整理と比較制度分析である。デンマークの「がらくた遊び場」に始まりイギリスへ導入された1940年代から、国家職業資格やプレイワーク原則による職能化が進んだ過程、2008年の政策文書『The Play Strategy』や2012年の健康安全庁の見解によって遊びの価値とリスク・ベネフィット・アセスメントという考え方が整備された過程、そして2010年代以降の財政環境の変化までを整理し、日本における住民主体・非営利組織主体の運営との違いを、担い手の制度化という論点から検討する。
検討の結果、イギリスは資格制度と全国組織による「上からの標準化」を、日本は地域住民や非営利組織による「下からの自主運営」を、それぞれ異なる経路として積み重ねてきたことが示された。イギリスの経路は担い手の専門性を可視化しやすい一方、公的資金への依存度が高い場合には財政方針の転換に影響を受けやすいという性格を持つ。
最後に、磐田市の公園100園という当サイトが把握する範囲の事実に照らし、専用の冒険遊び場は見当たらないものの、広場的な要素を持つ公園が今後の踏査における手がかりになりうることを示し、当サイトが引き続き確かめるべき論点を示す。
キーワード冒険遊び場プレイワークの職能化国家職業資格リスク・ベネフィット・アセスメント財政緊縮日英比較磐田市
1. はじめに——問題の所在
公園という場所を評価するとき、私たちはしばしば、そこにどのような遊具があるか、面積がどれくらいか、どの地区にあるかといった物理的な条件に目を向ける。しかし、遊具を配置し安全基準を満たすことと、そこで子どもが自由に遊べる状態をつくることとは、必ずしも同じではない。後者を支えるのは、遊びを保障するための人と組織と資金の仕組み、すなわち制度である。本稿は、この制度という視点から公園というものを読み直すことを目的とする。
当サイトの別稿「遊びに介入しない専門性——プレイワークと冒険遊び場の思想」は、プレイワークという専門領域の理論的な核——遊びは子ども主導であるという原則、遊びの類型論、リスクとベネフィットを比較する考え方——を扱っている。本稿はその内容を前提としつつ、視点を理論から制度史・国際比較へと移す。すなわち、プレイワークという専門性がイギリスにおいてどのように国の職業資格や全国組織、政策文書として制度化されていったのか、その過程を歴史的に跡づけ、日本における冒険遊び場運動の展開と比較することを課題とする。
方法は文献整理と比較制度分析である。イギリスの冒険遊び場の歴史については、デンマークで生まれた「がらくた遊び場」の構想がイギリスに導入された1940年代から、プレイワークが職業資格を持つ専門職として位置づけられていく過程、遊びの価値を認める政策文書が整備された時期、そして2010年代以降の財政環境の変化までを、公刊された資料に基づいて整理する。個別の統計値や件数については、法令や公的機関の文書に明記されているもの以外は用いず、傾向として述べるにとどめる。
構成は次のとおりである。第2節で先行研究と基本概念を整理し、第3節でイギリスにおける冒険遊び場の導入過程を、第4節でプレイワークの職能化を、第5節で遊びの価値をめぐる政策文書を、第6節で財政削減と冒険遊び場の変容を、第7節で安全基準とリスク・ベネフィット・アセスメントの実務を、それぞれ検討する。第8節では日本における冒険遊び場運動の展開をイギリスと比較し、担い手の制度化という論点に絞って論じる。第9節では、磐田市の公園100園という当サイトが把握する範囲の事実に照らして本稿の議論の意味を検討し、第10節で結論と今後の課題を示す。
比較の対象としてイギリスを選ぶ理由は、同国が冒険遊び場という実践の受け入れ国であるだけでなく、プレイワークという職業を早い段階から資格制度や全国組織として整えてきた国の一つとされているためである。制度化の経緯を追うことで、遊びを支える専門性がどのような条件のもとで社会に根づき、あるいは揺らぐのかを具体的に検討できる。日本において冒険遊び場・プレーパークと呼ばれる実践がイギリスとは異なる担い手の構成——地域住民や非営利組織を中心とする自主運営——のもとで展開してきたことは、後の第8節で扱う。両者の違いは優劣ではなく、制度化の経路の違いとして捉えることが本稿の立場である。
なお、本稿が扱う冒険遊び場は、遊具を計画的に配置した従来型の公園とは異なる系譜を持つ実践である。当サイトが対象とする磐田市の公園100園の多くは、都市公園法に基づき遊具や広場を計画的に整備した公園であり、専用の冒険遊び場ではない。本稿は磐田市に冒険遊び場を設けるべきだと主張するものではなく、制度史の比較を通じて、遊びを支える仕組みという論点を可視化することを狙いとする。
用語について付言する。本稿では「制度化」という語を、資格・訓練・全国組織・政策文書・資金という、実践を支える仕組みが積み重なっていく過程という意味で用いる。「専門職化」という訳語も可能であるが、日本語としてのなじみやすさを考え、本稿では「制度化」あるいは「職能化」という語を用いる。
制度史を国際比較の形で検討することには、単に外国の事例を紹介する以上の意味がある。ある国で当たり前とされている仕組み——たとえば資格制度や全国組織——は、別の国から見て初めて、それが唯一の選択肢ではなく、いくつかありうる経路の一つに過ぎないことが見えてくる。イギリスの経験を、日本、そして磐田市という具体的な自治体の状況と並べて検討することで、遊びを支える制度をどう組み立てうるかという問いを、より開かれた形で考えることができる。
本稿が特にイギリスの財政削減という局面にも紙幅を割く理由もここにある。制度化の成功例だけを取り上げるのではなく、制度が整えられた後にどのような揺らぎを経験したのかまで含めて検討することで、磐田市を含む日本の自治体が今後、同種の仕組みを検討する際に参考にしうる論点を、楽観的な部分だけでなく示すことができると考える。
2. 先行研究と概念の整理
本節では、本稿で用いる基本概念を整理する。冒険遊び場とは、デンマーク語の「がらくた遊び場」を語源とし、子どもが道具や材料を用いて自ら環境に手を加えながら遊ぶことを認める場所を指す。整備された公園の遊具が固定された形と使い方を持つのに対し、冒険遊び場では土や木材、廃材などの動かせる部材が用意され、遊びの形は子ども自身の手に委ねられる。この実践を支える専門性が、当サイトの別稿で扱ったプレイワークである。プレイワークの原則や遊びの類型論といった理論的な内容は当該稿に譲り、本稿では制度化の過程に焦点を当てる。
2.1 制度化・職能化という視点
専門性が社会の中に根づく過程を論じる際、社会学ではしばしば「職能化」ないし「専門職化」という視点が用いられる。ある実践が資格試験や養成課程、職能団体、倫理綱領といった仕組みを備えていく過程を指す概念であり、社会学者ハロルド・ウィレンスキーが1964年の論文で、多様な職業が専門職としての体裁を整えようとする動きを論じたことが古典として知られている。プレイワークという実践がイギリスでどのように資格や全国組織を備えていったかを検討することは、この職能化という視点に沿った作業だといえる。
ただし、職能化は必ずしも一方向に進むとは限らない。資格制度や全国組織が整えられた後も、財源の変化や政策の転換によって、制度の一部が縮小したり、担い手の構成が変化したりすることがある。本稿がイギリスの冒険遊び場の歴史を、導入期・職能化期・政策整備期・財政緊縮期という複数の局面に分けて検討するのは、この職能化が単純な右肩上がりの過程ではないことを示すためでもある。
2.2 比較の視点——日本の冒険遊び場運動
日本においても、冒険遊び場ないし「プレーパーク」と呼ばれる実践が、イギリスやデンマークなど北欧の事例を参照しながら独自に展開してきたことが知られている。ただし、その担い手の構成や資金の出所、資格制度の有無は、イギリスとは異なる経路をたどってきたとされる。本稿第8節では、この違いを、職能化という同じ視点から捉え直し、両国の制度化の経路がどのように異なるのかを検討する。
なお、本稿における比較は、両国の実践の優劣を評価するものではない。イギリスにおける資格制度や全国組織の存在は、担い手の専門性を可視化し養成を体系化する利点を持つ一方、財源が公的資金に依存する場合には政策の転換に左右されやすいという性格も持つ。日本における住民主体・非営利組織主体の運営は、資格を前提としない参入のしやすさを持つ一方、担い手の継続的な確保や技能の伝達という課題を抱えるとされる。両者はそれぞれに異なる強みと課題を持つ制度化の経路として捉えるべきである。
呼称についても触れておきたい。イギリスでは「アドベンチャープレイグラウンド」という呼称が定着しているのに対し、日本では「冒険遊び場」という訳語とともに、より運営理念を強調した「プレーパーク」という呼称が併用される。呼称の違いは些末に見えるが、後者が自由に遊べる場という理念を前面に出す一方、前者は場所の性質——遊びを通じた挑戦や試行錯誤——を強調する。本稿では文脈に応じて両方の呼称を用いる。
また、本稿で「制度」というとき、それは法律や条例だけを指すのではない。資格試験の有無、養成課程の体系、全国組織の存在、政策文書における位置づけ、公的資金の投入の有無といった、実践を支える仕組み全体を指す広い意味で用いる。次節以降では、この広い意味での制度が、イギリスにおいてどのように積み重ねられ、また揺らいできたかを、時代を追って検討する。
本稿の限界にも触れておく。イギリスの制度に関する記述は、公刊された政策文書や職能団体の文書に基づくものであり、現地における運用の詳細や、個々の冒険遊び場の運営実態にまで立ち入るものではない。日本の状況についても同様に、全国的な傾向として知られている範囲にとどめ、地域ごとの詳細な事例研究は今後の課題とする。
職能化を論じる社会学の議論では、ある活動が専門職として認められるための条件がいくつか挙げられることが多い。すなわち、他者が容易には持ちえない専門的な知識体系を持つこと、実践上の一定の自律性を持つこと、仲間内で共有される倫理規範を持つこと、そして参入を一定の基準で制限する仕組み——資格や試験——を持つことである。プレイワークがこれらの条件をどこまで満たしているかは論者によって評価が分かれうるが、少なくとも資格制度と原則の承認という二つの条件については、イギリスにおいて一定程度整えられてきたとみることができる。
他方で、専門職化には閉鎖性という側面が伴うことも社会学ではしばしば指摘される。資格や試験による参入制限は、実践の質を担保する仕組みであると同時に、資格を持たない者の参入を制約する仕組みでもある。日本のプレーパークのように、資格を前提とせず地域住民が広く担い手になりうる仕組みは、この閉鎖性を回避しやすいという利点を持つ一方、実践の質の担保を別の方法——研修や経験の蓄積、団体間の学び合い——に頼らざるを得ないという特徴を持つ。この対比は、第8節で改めて取り上げる。
3. 1940年代〜50年代——がらくた遊び場からイギリスへ
3.1 コペンハーゲンの「がらくた遊び場」
冒険遊び場という実践の起点は、第二次世界大戦下のデンマーク、コペンハーゲン近郊のエンドロップに置かれることが多い。デンマークの造園家C・Th・セアレンセンは、整然と遊具を配置した遊び場よりも、建設現場の廃材置き場や空き地の方が子どもを引きつけているという観察から、「がらくた遊び場」(デンマーク語でスクランメルレイエプラス)という構想を示したとされる。この構想に基づく遊び場が1943年にエンドロップで開設され、後にヨーロッパ各国へと紹介されていく出発点となった。
エンドロップの遊び場では、木材や道具、土や水が用意され、子どもは小屋を建てたり穴を掘ったりしながら、自分たちの手で遊びの環境をつくり変えていった。大人の役割は、遊びの内容を指示することではなく、安全に配慮しながら見守り、必要な道具や材料を整えることに限られていたとされる。この「遊びの内容を決めない大人」という役割の原型が、後にプレイワークという専門性へと発展していく素地になったと位置づけられている。
3.2 イギリスへの導入と戦後復興期の空き地
イギリスの造園家であり児童福祉の活動家でもあったマージョリー・アレン(レディ・アレン・オブ・ハートウッド)は、戦後まもなくエンドロップの遊び場を訪れ、その構想をイギリスに紹介した人物として知られている。デンマーク語の構想を英語圏に伝えるにあたり、彼女が用いた「アドベンチャープレイグラウンド」という呼称が、その後イギリスをはじめ各国で定着していったとされる。彼女はのちに1968年の著書『Planning for Play』において、遊び場の計画に関する考え方を体系的にまとめている。
第二次世界大戦による空襲で生じた瓦礫や空き地は、戦後のロンドンなど都市部で、意図せず子どもの遊び場として使われていたことが知られている。こうした空き地を組織的な遊び場へと転換する動きが、1940年代末から1950年代にかけて都市部の各所に広がっていったとされる。当時すでに1925年に設立されていた全国運動場協会のような団体も、整備された運動場の提供にとどまらず、こうした遊び場の広がりに関心を寄せるようになったとされる。
この時期の冒険遊び場は、多くが自治体の正式な事業としてではなく、篤志家や慈善団体、地域の有志による自主的な取り組みとして始まった。担い手に共通の資格や研修制度があったわけではなく、遊び場の運営は個々の実践家の経験と工夫に支えられていた。この状態から、プレイワークという職能が資格や全国組織を備えていく過程については、次節で検討する。
なお、がらくた遊び場の構想がイギリスに伝わる経路については、セアレンセン自身の著作が直接英語圏で広く読まれたというより、レディ・アレンをはじめとする紹介者の著作や講演を通じて広まっていったという経緯が指摘されている。専門的な構想が国境を越えて広まる際には、しばしばこうした紹介者・翻訳者の役割が大きいことも、本稿の比較制度史という関心にとって興味深い点である。
| 年 | イギリスの出来事 | 日本の出来事 |
|---|---|---|
| 1943 | デンマーク・エンドロップに「がらくた遊び場」開設 | — |
| 1940年代末〜50年代 | 戦災跡地等を活用した遊び場がロンドンなど都市部に広がる | — |
| 1968 | レディ・アレン・オブ・ハートウッド『Planning for Play』刊行 | — |
| 1979 | — | 東京都世田谷区で羽根木プレーパークが開設されたとされる |
| 2005 | プレイワーク原則審査グループが『Playwork Principles』を策定 | — |
| 2008 | 政府が『The Play Strategy』を公表 | — |
| 2010年代以降 | 地方自治体の歳出見直しの中で遊び場運営への公的助成が縮小した局面があったとされる | 地域主体の冒険遊び場づくりが各地に広がる |
冒険遊び場の系譜を理解するうえでは、それがすべての遊び場の起点ではないことにも留意する必要がある。遊具を計画的に配置する公園という発想自体は、より古い系譜を持つ。アメリカでは20世紀初頭、1906年に設立されたプレイグラウンド・アソシエーション・オブ・アメリカ(Playground Association of America)を中心に、都市部の子どもに遊び場を提供する運動が広がり、固定式の遊具を備えた公共の遊び場が各地に整備されていったことが知られている。この系譜は、遊具の安全性や配置基準を重視する、今日の多くの公園にも連なる考え方である。
冒険遊び場は、この遊具中心の系譜とは異なる方向から生まれた実践だといえる。両者は対立するものというより、遊びの場のあり方に関する二つの異なる系譜として並存してきたと捉えるのが妥当である。磐田市の公園の多くが遊具中心の系譜に連なるものであることは、第9節で改めて確認する。
4. プレイワークの職能化——資格制度と全国組織
4.1 国家職業資格とセクター・スキル・カウンシル
プレイワークが一つの職業として制度的に位置づけられていく過程で重要な役割を果たしたのが、国家職業資格(National Vocational Qualification、NVQ)の枠組みである。イギリスでは、実務能力を段階別に認定する国家職業資格の体系の中に、プレイワークの分野に対応する資格区分が設けられるようになったとされる。これにより、プレイワークの実務に必要とされる技能や知識が、外部から確認できる基準として明文化された。
資格の内容を定める作業には、業界横断的に職業能力基準を策定する組織が関わった。余暇・スポーツ分野を担当するセクター・スキル・カウンシルであるスキルズアクティブ(SkillsActive)が、プレイワークを含む分野の職業能力基準の整備に関わったとされる。セクター・スキル・カウンシルとは、特定の産業分野における職業訓練や資格の基準づくりを、政府と業界団体が協働して担う仕組みであり、プレイワークもこの枠組みの中に位置づけられたことになる。
資格制度の整備には、養成課程を提供する教育機関の存在も欠かせない。プレイワークの資格取得に向けた課程は、継続教育カレッジなどの教育機関で提供されるようになったとされる。学校教育の外側にある継続教育カレッジという仕組みを通じて、実務家としての専門性を段階的に積み上げられる経路が整えられたことも、イギリスにおける職能化の特徴の一つといえる。
4.2 プレイワーク原則の全国的な承認
資格制度と並んで重要なのが、実践の理念を明文化した文書への合意である。2005年、プレイワーク原則審査グループが策定した「Playwork Principles」(プレイワーク原則)は、イングランドのプレイイングランド、ウェールズのプレイウェールズ、スコットランドのプレイスコットランド、北アイルランドのプレイボードNIといった、イギリス国内の各地域を代表する遊び関連の団体によって承認されたとされる。
この原則が四つの地域を代表する団体によって共同で承認されたという事実は、プレイワークがイングランドだけでなく、イギリスを構成する各地域にまたがる専門性として認識されていたことを示している。原則の内容そのもの——遊びは子ども主導の内発的な活動であり、大人の役割は環境を整え支えることにあるという考え方——は、当サイトの別稿ですでに詳しく扱った。本稿で注目したいのは、この原則が特定の実践家個人の主張にとどまらず、複数の地域組織が名を連ねる形で公式に承認された文書として存在するという点である。
資格制度と原則の承認が組み合わさることで、プレイワークは、個々の実践家の経験や信念に依存する活動から、外部から確認可能な基準と、全国的に共有された理念とを併せ持つ職業へと近づいていった。もっとも、この制度化が担い手の待遇や雇用の安定を自動的に保証したわけではない。多くの冒険遊び場は非営利組織や慈善団体によって運営され、公的資金への依存度が高い状態が続いたとされる。この点は、第6節で扱う財政環境の変化と密接に関わってくる。
このように、プレイワークの職能化は、資格・職業能力基準・全国的に承認された原則という三つの要素が積み重なることで進んだ。次節では、こうした職能化と並行して整備されていった、遊びの価値を認める政策文書について検討する。
資格制度が積み上がっていく経路として注目されるのは、実務経験を重ねながら段階的に資格を取得していく仕組みが採られたとされる点である。まず現場での実務経験を通じて基礎的な水準の資格を得て、その後、より上位の資格や、大学水準の学位課程へと接続していく経路が、一部の高等教育機関において開設されたとされる。学校教育を終えてすぐに専門職に就くという経路だけでなく、実務経験を積みながら資格を積み上げていくという経路が用意されていたことは、多様な背景を持つ人材がプレイワークという職業に参入しやすくする仕組みとして機能したと考えられる。
こうした資格制度の整備は、プレイワークという職業に、外部から見て確認しやすい「入口」を与えたという意味を持つ。もっとも、資格を持つことと、優れた実践ができることとは、必ずしも同じではない。資格制度はあくまで一定の知識と技能の水準を保証する仕組みであり、遊びに介入しない専門性という、当サイトの別稿が扱った実践上の勘所そのものを、資格試験だけで完全に測ることは難しいという指摘もある。この点は、制度化が実践の質を自動的に保証するわけではないという、本稿全体を貫く論点の一つでもある。
5. 遊びの価値をめぐる政策文書——The Play StrategyとHSEの見解
5.1 2008年の政策文書「The Play Strategy」
2008年、イギリス政府の児童・学校・家庭省と、文化・メディア・スポーツ省は、共同で『The Play Strategy』と題する政策文書を公表したとされる。この文書は、子どもの遊びを、単なる余暇活動ではなく、成長にとって重要な意味を持つ活動として政策的に位置づけ、地域における遊び場の整備・改修を進める方針を示したものであったとされる。
この政策文書のもとで、各地方自治体が遊び場の新設・改修を進める助成の仕組みが設けられたとされる。冒険遊び場を含む多様な形態の遊び場が、この時期に一定の公的な後押しを受けたことは、プレイワークという職能が政策的にも認知されていたことを示している。もっとも、こうした公的資金による支援は、後の第6節で扱うように、政権や財政方針の転換によって縮小に転じうるという性格を併せ持っていた。
政策文書が示す方針と、実際の予算配分との間には、常に一定の距離があることにも留意すべきである。文書上で遊びの価値が認められたとしても、それが具体的にどの程度の予算として地域に配分されたかは、自治体ごとの裁量に左右される部分が大きかったとされる。この距離は、第6節で扱う財政削減の局面において、より顕著な形で現れることになる。
5.2 健康安全庁によるバランスの取れた姿勢
遊びの政策を語るうえで見過ごせないのが、安全規制を所管する健康安全庁(Health and Safety Executive、HSE)が2012年に示した見解である。HSEは『子どもの遊びと余暇——バランスの取れた姿勢を』と題する文書の中で、遊び場の提供は、あらゆるリスクを排除することを目的とすべきではなく、遊びが持つ便益とリスクとを比較して判断すべきであるという趣旨の考え方を示したとされる。
この見解は、安全規制の官庁自身が、過度に慎重なリスク回避を求めているわけではないことを明確にした点で重要である。プレイワークの実務では、この考え方が「リスク・ベネフィット・アセスメント」という評価の手法として具体化されていく。次節以降で扱う財政削減の局面においても、この考え方は、限られた資源の中で何を優先すべきかを判断する際の指針として参照され続けたとされる。
遊びの価値を認める政策的な根拠としては、国際的な枠組みも参照される。イギリスが1991年に批准した国連子どもの権利条約第31条は、子どもが休息し、余暇を持ち、遊び、文化的な生活や芸術に自由に参加する権利を認めている。国連子どもの権利委員会は2013年、この第31条の実施に関する一般的意見第17号を公表し、遊びを子どもの発達にとって不可欠な権利として位置づける考え方を示したとされる。イギリスの政策文書における遊びの位置づけは、こうした国際的な枠組みとも呼応するものであったといえる。
このように、2000年代後半のイギリスでは、政策文書と安全規制官庁の見解という二つの方向から、遊びの価値を積極的に認める姿勢が示された。プレイワークという職能は、資格制度や全国組織による理念の承認に加えて、こうした政策的な後押しを受けることで、一時的に安定した基盤を得たとみることができる。しかし、この基盤は長くは続かなかった。次節では、2010年代以降の財政環境の変化が、冒険遊び場にどのような影響を及ぼしたとされるかを検討する。
政策の展開はイングランドだけにとどまらない。イギリスは、教育や福祉に関する権限の一部が、スコットランド・ウェールズ・北アイルランドにそれぞれ委譲される仕組みを持つ国であり、遊びの政策についても、地域ごとに独自の展開があったとされる。たとえばウェールズでは、地方自治体に対して、地域の子どもに十分な遊びの機会があるかどうかを評価する仕組みを義務づける法的な枠組みが設けられたとされる。これは、政策文書という形にとどまらず、遊びの機会を評価すること自体を自治体の法的な責務として位置づけた点で、イングランドとは異なる制度化の経路だといえる。
このように、イギリス国内でも遊びの政策をめぐる制度化の程度や手法は一様ではない。国全体を一つの制度として単純化して語ることには注意が必要であり、本稿で述べる「イギリスの経路」は、いくつかの代表的な政策文書や職能団体の取り組みを手がかりとした、大まかな傾向の整理であることをあらためて断っておきたい。
政策文書と並行して、宝くじの収益を財源とする助成制度も、遊び場の整備に一定の役割を果たしたとされる。宝くじの収益を分配するビッグ・ロタリー・ファンドは、2000年代半ばに子どもの遊びに関する助成プログラムを設け、遊び場の新設や改修に対する資金を分配したとされる。地方自治体の予算とは別の財源として、宝くじ収益に基づく助成が組み合わされていたことは、遊び場の整備が、単一の財源ではなく複数の財源によって支えられていたことを示している。
6. 財政削減と冒険遊び場の変容
2010年前後を境に、イギリスの地方自治体を取り巻く財政環境は大きく変化したとされる。国全体の歳出抑制方針のもとで地方自治体への交付金が見直され、必須ではないと位置づけられがちな児童福祉的な事業——冒険遊び場の運営助成を含む——への公的支出が縮小する局面があったとされる。第5節で見た2008年の政策文書によって整備が進んだ遊び場の一部が、この時期以降、運営体制の見直しを迫られたと報告されている。
全国組織のあり方にも変化が生じたとされる。政府の政策文書のもとで一定の公的資金を得ていた全国的な遊びの推進団体は、財政方針の転換に伴って、独立した慈善団体としての運営体制へと移行を迫られる局面があったとされる。全国的な旗振り役の基盤が変化したことは、地域の冒険遊び場を支える情報共有や研修の機会にも影響を及ぼした可能性がある。
もっとも、こうした変化が冒険遊び場という実践そのものを消滅させたわけではない。地域に根ざした慈善団体や住民組織が、公的資金への依存度を下げながら運営を継続する試みを続けているとされる。ロンドンをはじめとする都市部には、複数の冒険遊び場の運営団体を結ぶ地域的なネットワークが存在するとされ、資金調達や技能の継承を組織間で補い合う動きも見られるという。
この局面が示しているのは、資格制度や全国組織によって職能化が進んだとしても、その基盤が公的資金に大きく依存している場合、政策や財政方針の転換に対して脆弱でありうるという点である。プレイワークの職能化は、資格や理念の承認という制度の骨組みを整えることには成功したが、それを安定的に稼働させる資金という動力の確保は、別の課題として残り続けたと見ることができる。この論点は、第8節で日本の状況と比較する際にも重要な手がかりとなる。
財政環境の変化を評価する際には、慎重さが求められる。特定の年における冒険遊び場の閉鎖数や予算削減額といった具体的な数値は、機関や年によって集計の方法が異なり、確度の高い全国統計として確認できるものは限られている。本稿では、法令や公的機関の文書に明記された数値以外は用いず、財政環境が厳しくなった局面があったという傾向の指摘にとどめる。
それでもなお、資格制度・全国組織・政策文書という制度化の骨組みそのものは、財政環境が変化した後も存続している。プレイワーク原則や職業能力基準は撤回されたわけではなく、資格を持つ実践家や、リスク・ベネフィット・アセスメントという評価の手法も、規模を変えながら実務の中で用いられ続けているとされる。制度化が一度進んだ領域は、資金の増減に応じて完全に消長するわけではなく、骨組みとして残る部分があることを、この局面は示しているといえる。
財政環境が厳しくなった局面において、冒険遊び場の運営者たちがどのような対応を取ったかについては、寄付金や助成財団からの資金調達、他の福祉サービスとの施設の共用、ボランティアの活用など、複数の工夫が組み合わされたと報告されている。いずれも、公的資金の減少を完全に補うものではないが、実践そのものを完全に途絶させないための試みとして位置づけられる。
財政環境の変化に対応する手段の一つとして、地域の施設や土地の運営権を、自治体から地域の団体へ移していく仕組みが用いられた例もあるとされる。イギリスには、地域にとって重要とされる資産の運営を、地域の団体が担えるようにする法的な仕組みが設けられており、閉鎖の危機にあった遊び場の一部が、こうした仕組みを通じて地域団体による運営へと移行した事例があると報告されている。これは、公的資金の縮小を、行政から地域への運営移管という形で受け止めた一つの対応だと位置づけられる。
この対応は、第8節で扱う日本の住民主体の運営との類似点を持つ。財政環境が厳しくなる中で、イギリスの一部の冒険遊び場が、結果として日本のプレーパークに近い、地域団体主体の運営形態へと近づいていったとみることもできる。制度化の経路は固定的なものではなく、財政環境の変化に応じて、担い手の構成そのものが変化しうることを、この事例は示している。
財源の多様化という対応も見られたとされる。地方自治体の予算に依存していた冒険遊び場の一部は、独立した慈善団体としての登録を進め、第5節で触れた宝くじ収益に基づく助成や、民間の助成財団からの資金を組み合わせることで、単一の財源への依存を減らそうとしたとされる。こうした財源の多様化は、公的資金が縮小した局面において、運営を継続するための現実的な対応の一つとして位置づけられる。
7. 安全基準とリスク・ベネフィット・アセスメントの実務
冒険遊び場をめぐる制度化のもう一つの焦点が、安全基準のあり方である。整備された公園の遊具については、各国で規格や基準が整えられており、日本でも国土交通省が「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」を示している。これに対して冒険遊び場は、廃材や土、木材といった規格化されていない部材を用いる点で、従来型の遊具安全基準をそのまま当てはめることが難しい実践である。
この難しさに対応する考え方として整備されてきたのが、リスク・ベネフィット・アセスメントという評価の手法である。従来の安全点検が、危険性を洗い出して除去することに主眼を置くのに対し、この手法は、あるリスクを伴う遊びが子どもにもたらす便益とを併せて評価し、便益がリスクを上回ると判断される場合には、そのリスクを排除するのではなく管理しながら残すという考え方をとる。
イギリスでは、遊びの安全に関する助言団体であるプレイ・セイフティ・フォーラムが2008年に『Managing Risk in Play Provision: Implementation Guide』と題する実施の手引きを公表し、このリスク・ベネフィット・アセスメントを実務に落とし込む方法を示したとされる。第5節で見たHSEの2012年の見解と合わせて、この手法は、遊び場の管理者が過度なリスク回避に陥ることなく、根拠を持って判断するための枠組みとして参照されてきたとされる。
研究者ティム・ギルは2007年の著書『No Fear: Growing up in a risk averse society』において、社会全体がリスクを回避する方向に傾く中で、子どもの育ちにとって適度な挑戦の機会が失われていく懸念を論じている。この議論は、冒険遊び場という実践や、リスク・ベネフィット・アセスメントという評価の手法が、単なる安全管理の技術ではなく、子どもの育ちにとって挑戦の機会をどう確保するかという、より広い問いと結びついていることを示している。
もっとも、リスク・ベネフィット・アセスメントは、危険を軽視してよいという考え方ではない。重大な傷害につながりうる要因については除去や管理が求められる点は、従来の安全点検と変わらない。異なるのは、除去の是非を判断する際に、遊びが子どもにもたらす便益という要素を明示的に評価の対象に含める点である。安全に関する最終的な判断は、遊び場の設置者や管理者、必要に応じて専門機関が担うべきものであり、本稿はその判断に代わるものではない。
リスク・ベネフィット・アセスメントという手法が普及した背景には、遊具の安全性をめぐる苦情や紛争への対応として、管理者が危険性を承知のうえで便益を踏まえてこの判断をしたという記録を残す必要があったという実務上の事情も指摘されている。評価の手法が、理念的な議論だけでなく、管理者の説明責任を果たすための実務的な道具としても機能してきたことがうかがえる。
このリスク・ベネフィット・アセスメントという考え方は、冒険遊び場に限らず、整備された公園の遊具管理にも応用可能な発想である。遊具を一律に撤去するのではなく、その遊具が持つ発達上の便益と、想定されるリスクとを併せて検討するという姿勢は、日本の公園管理においても参照しうる視点だと考えられる。ただし、具体的な運用の手法や基準を日本の制度にそのまま導入できるかどうかは、法制度や管理体制の違いを踏まえた別途の検討を要する論点である。
固定式の遊具については、イギリスにも国際的な規格に準拠した基準が存在するとされ、事故防止を目的とした専門団体による点検や研修も行われているとされる。イギリスの事故防止に関する専門団体は、遊具の点検や、遊び場の管理者向けの研修を提供する役割を担ってきたとされ、こうした団体の存在は、規格化された遊具を扱う従来型の公園と、規格化されていない部材を扱う冒険遊び場の双方にとって、安全に関する知見を蓄積し共有する基盤として機能してきたと考えられる。
重要なのは、規格に基づく点検と、リスク・ベネフィット・アセスメントとが、対立する二つの方法ではなく、補い合う関係にあるという点である。固定式の遊具については規格に基づく点検で構造的な欠陥を防ぎつつ、遊びの内容やルールについてはリスク・ベネフィット・アセスメントで柔軟に判断するという組み合わせが、実務上は広く行われているとされる。安全基準の考え方は一枚岩ではなく、対象とする遊びの性質に応じて、複数の手法が使い分けられていることがうかがえる。
8. 日本の冒険遊び場運動との比較——担い手の制度化を中心に
8.1 日本における冒険遊び場・プレーパークの展開
日本における冒険遊び場に相当する実践は、しばしば「プレーパーク」という呼称で知られている。北欧やイギリスの事例を参照した実践家によって、1970年代以降、各地に紹介されていったとされる。東京都世田谷区の羽根木公園では、1979年に「羽根木プレーパーク」として冒険遊び場が開設されたことが知られており、日本における先駆的な事例の一つに位置づけられている。
日本のプレーパークの多くは、地域住民や保護者、非営利組織が中心となって企画・運営される形をとってきたとされる。行政が用地や一定の運営費を提供し、実際の日々の運営や、常駐する担い手の確保・養成は、住民が主体となる実行委員会や非営利組織が担うという役割分担が広く見られるとされる。イギリスにおけるような、国家職業資格に基づく統一的な資格制度は、日本には整備されていない。
8.2 制度化の経路の違い
この違いを、第2節で述べた職能化という視点から整理すると、イギリスは資格制度・職業能力基準・全国組織による理念の承認という「上からの制度化」を進めた経路として、日本は地域ごとの住民運営・非営利組織のネットワークという「下からの制度化」を積み重ねてきた経路として、対比的に捉えることができる。どちらか一方が優れているというより、担い手を確保し技能を継承する仕組みの持ち方が異なると理解すべきである。
イギリスの経路は、資格や基準によって担い手の専門性を外部から確認しやすいという利点を持つ一方、第6節で見たように、公的資金への依存度が高い場合には財政方針の転換に影響を受けやすいという弱点も抱える。日本の経路は、行政からの独立性が高く、地域の実情に応じた柔軟な運営がしやすいという利点を持つ一方、資格制度を前提としないために、担い手の技能や安全に関する知識の水準が個々の団体の努力に委ねられやすいという課題を抱えているとされる。
両国の経路には、それぞれの社会における行政と民間、あるいは国と地域との関係のあり方が反映されていると考えられる。イギリスにおいて全国組織や国家資格という全国的な標準化の発想が採られたのに対し、日本において地域住民の自主運営という地域ごとの多様性を許容する発想が採られたことは、それぞれの国における公共サービスの提供のされ方の違いを映し出しているとも解釈できる。
いずれの経路にも共通しているのは、遊びを子ども主導のものとして保障するという理念そのものは共有されている一方、その理念を継続的に実現するための担い手の確保と技能の継承が、制度化の程度にかかわらず共通の課題であり続けているという点である。次節では、この制度史・国際比較の視点から、磐田市の公園100園という当サイトが把握する範囲の事実に照らして、どのような論点が導けるかを検討する。
比較の締めくくりとして指摘しておきたいのは、両国とも、遊びを子ども主導のものとして保障するという理念に到達する経路は異なっていても、担い手が孤立せず、経験や知識を共有できる仕組みを持つことの重要性は共通して認識されているという点である。イギリスにおける全国組織、日本における地域ネットワークは、形は異なっても、この共有の仕組みという同じ機能を果たしていると解釈できる。
| 項目 | イギリス | 日本 |
|---|---|---|
| 制度化の方向 | 資格制度・全国組織による標準化 | 地域住民・非営利組織による自主運営 |
| 資格制度 | 国家職業資格の枠組みにプレイワーク分野の区分があるとされる | 全国統一の資格制度は整備されていない |
| 全国組織 | 地域を代表する団体がプレイワーク原則を承認 | 地域ごとの実行委員会・非営利組織のネットワークが中心 |
| 資金の主な出所 | 地方自治体・国の政策文書に基づく公的資金 | 行政からの用地・一部運営費の提供と、住民・団体による自主的な資金調達 |
| 財政変化への影響 | 公的資金への依存度が高い場合、政策転換の影響を受けやすいとされる | 行政からの独立性が比較的高いとされる |
担い手の養成という点でも、両国の違いは明確である。イギリスでは、資格取得の過程を通じて標準化された知識や技能を確認できるのに対し、日本では、経験を積んだ実践家による研修会や学び合いの場を通じて、知識や技能が継承されていく形が中心になってきたとされる。こうした学び合いの場は、資格試験のような統一的な基準を持たない分、地域や団体ごとに内容や水準にばらつきが生じやすいという課題を抱える一方、現場の実情に即した柔軟な学びを可能にするという利点も持つとされる。
保険や賠償責任への対応という実務的な側面にも、両国の違いが表れる。イギリスでは、資格を持つ担い手や登録された団体を対象とした保険の仕組みが、職能団体を通じて整えられてきたとされる。日本では、個々のプレーパークの運営団体が、独自に保険に加入したり、自治体との協定の中で責任の分担を定めたりする形が中心になっているとされる。担い手の制度化の程度は、こうした実務的なリスク管理の仕組みのあり方にも波及していることがうかがえる。
日本においても、個々のプレーパークの運営団体を横につなぐ全国的なネットワーク組織が結成され、各地の実践や研修の情報を共有する場が設けられてきたとされる。これは、イギリスにおける全国組織のような資格認定の権限までは持たないものの、担い手同士が孤立せずに知見を共有できる仕組みという点では、機能的に類似した役割を果たしていると解釈できる。制度化の形は異なっても、担い手を支える横のつながりを持とうとする動き自体は、両国に共通して見られるといえる。
9. 磐田市の公園への示唆
当サイトが対象とする磐田市の公園は100園であり、内訳は磐田市オープンデータ「都市公園一覧」の94行と、市施設ガイドのみに掲載される6園からなる。種別は都市公園法上の分類で、街区公園51園・近隣公園14園・都市緑地10園・地区公園4園・総合公園3園・運動公園3園・風致公園3園・広場公園2園・緑道2園・墓園1園・歴史公園1園、および法対象外の公園6園である。これらはいずれも、都市公園法に基づいて計画的に整備された公園であり、本稿で見てきたような、イギリスの冒険遊び場に相当する専用の施設は、当サイトが把握する限り見当たらない。
もっとも、これは磐田市に自由な遊びの要素がまったく無いという意味ではない。市施設ガイドの記載によれば、豊田地区の豊田天竜川わんぱく広場(近隣公園・14,914平方メートル)にはローラー滑り台やスプリング遊具、平均台があるとされ、竜洋地区の竜洋昆虫自然観察公園(風致公園・29,119平方メートル)にはトイレ・車いす対応トイレ・砂場・遊具があるとされる。福田地区のはまぼう公園(法対象外・駐車場有りとされる)には芝生広場とトイレ(多目的トイレ)があるとされる。こうした、面積に比較的余裕があり広場的な要素を持つ公園が、当サイトが今後の踏査で自由な遊びの可能性を確かめる際の手がかりになりうる。
- 豊田天竜川わんぱく広場(近隣公園・豊田・14,914平方メートル)——ローラー滑り台やスプリング遊具、平均台があるとされる。
- 竜洋昆虫自然観察公園(風致公園・竜洋・29,119平方メートル)——トイレ・車いす対応トイレ・砂場・遊具があるとされる。
- はまぼう公園(法対象外・福田)——芝生広場とトイレ(多目的トイレ)があり、駐車場有りとされる。
ただし、当サイトが2026年8月16日時点で把握している限り、磐田市の公園100園のうち現地を踏査した園は0園である。市施設ガイドや磐田市オープンデータに記載された遊具の種類や広場の有無は、あくまで公表資料に基づく情報であり、実際にその場でどのような自由な遊びが行われているか、大人の見守りの体制がどうなっているかについては、当サイトが今後の踏査で確かめるべき論点として残されている。本稿で述べたリスク・ベネフィット・アセスメントのような評価の手法を、磐田市の公園管理にそのまま当てはめられるかどうかについても、現時点では判断材料が不足している。
本稿で見たイギリスの経路——資格制度や全国組織による職能化——を磐田市に直接あてはめることは難しい。磐田市の公園を所管するのは都市整備課(電話0538-37-4806)であり、日本の他地域と同様、専用の職能資格を持つ担い手が常駐する体制は、当サイトが把握する限り確認できない。むしろ本稿が示唆するのは、第8節で述べた日本型の経路、すなわち地域住民や非営利組織が担い手となる自主運営の可能性である。磐田市内の広場的な公園や、面積に余裕のある公園において、こうした担い手が関わる余地があるかどうかは、行政の所管や地域の実情を踏まえた検討を要する論点であり、当サイトが直接に運営を提案する立場にはない。
運営主体である富士ヶ丘サービス株式会社は、不動産事業と介護事業を営む地域の会社であり、当サイトはその一環として磐田市の公園情報をデータベースとして整備している。本稿はこの立場から、磐田市の公園を、整備された遊具の集合としてだけでなく、遊びを支える制度という視点から捉え直す一つの手がかりを示すものである。個別の公園における自由な遊びの実態や、大人の見守りのあり方については、当サイトの今後の踏査を通じて、事実に基づいて確かめていく必要がある。
本節で示した内容は、あくまで公表資料に基づく机上の整理であり、実際に磐田市内の公園でどのような自由な遊びが行われているか、遊具の摩耗や破損がないかといった点は、当サイトが今後進める現地の踏査によって確かめられるべき事柄である。読者が実際に公園を利用する際の安全に関する判断は、この整理に基づくものではなく、各公園の管理者である磐田市都市整備課や、必要に応じて医療機関・関係機関の案内によるべきである。
第3節で述べたように、冒険遊び場は、遊具を計画的に配置する系譜とは異なる系譜から生まれた実践である。磐田市オープンデータの集計によれば、94園のうち遊具有と記録されている園は64園にのぼる。この数字は、磐田市の公園の多くが、遊具を配置するという計画的な整備の系譜——本稿第3節で触れたアメリカの初期の遊び場運動にも連なる系譜——に位置づけられることを示している。冒険遊び場という異なる系譜の実践がどこまで参照可能かを考えるうえでも、まずはこの前提を押さえておく必要がある。
第8節で述べた日本型の経路——地域住民や非営利組織が担い手となる自主運営——を磐田市で具体的に検討する場合にも、担い手をどう確保し、技能や安全に関する知識をどう継承していくかという課題は避けて通れない。当サイトは、この課題について特定の解決策を提案する立場にはないが、イギリスと日本の比較から得られる、担い手の確保と資金の持続性という二つの論点は、磐田市の状況を考えるうえでも参照しうる枠組みになりうると考える。
磐田市は見付・中泉・御厨・豊田・南部・向陽・竜洋・福田・豊岡という9地区からなり、公園数には地区ごとの偏りがある。豊田地区が28園と最も多く、次いで見付地区が21園、中泉地区と御厨地区、竜洋地区がそれぞれ13〜14園である一方、南部地区と向陽地区はそれぞれ2園にとどまる。イギリスにおいても、都市部と地方とで冒険遊び場の分布に偏りがあったことが指摘されており、遊びを支える制度を検討する際には、単に制度の有無だけでなく、地区ごとの分布という地理的な条件も併せて考慮する必要があることが、この対比からもうかがえる。
10. 結論と今後の課題
本稿は、イギリスにおける冒険遊び場とプレイワークの制度化の過程を、がらくた遊び場の導入期、資格制度と全国組織による職能化期、政策文書とリスク・ベネフィット・アセスメントによる整備期、財政削減による変容期という複数の局面に分けて跡づけた。そのうえで、日本における冒険遊び場運動の展開と比較し、両国が異なる経路——上からの標準化と、下からの自主運営——を通じて、遊びを支える担い手を制度化してきたことを示した。
結論として、プレイワークという専門性の制度化は、一度整えられれば安定的に存続するものではなく、資格や理念の承認という制度の骨組みと、それを稼働させる資金という動力の両方が揃って初めて機能するものであるといえる。イギリスの経験は、骨組みが整った後も、動力である公的資金が政策や財政方針の転換によって変化しうることを示している。日本の経路は、行政への依存度を下げる形で担い手を確保してきたが、資格制度を欠くことによる技能継承の課題を抱えているとされる。
今後の課題は大きく三つある。第一に、本稿では法令や公的機関の文書に明記された事実以外の統計値を用いなかったため、財政削減の規模や影響の程度について、より確度の高い一次資料に基づく検証が今後必要である。第二に、日本国内における冒険遊び場・プレーパークの運営実態、とりわけ担い手の確保と技能継承の方法について、地域ごとの違いを踏まえたより詳細な検討が求められる。第三に、磐田市の公園100園について、当サイトが今後進める踏査を通じて、広場的な公園や面積に余裕のある公園における自由な遊びの実態を、事実に基づいて確かめていく必要がある。
公園という場所は、遊具の配置や面積だけでなく、それを支える人と組織と資金の仕組みによって成り立っている。本稿が示したイギリスと日本の比較は、この制度という視点を持つことの意義を、歴史的な経緯に即して具体的に示す一つの試みである。当サイトが今後の踏査を重ねる中で、磐田市の公園における遊びを支える仕組みについても、事実に基づいた記述を積み重ねていきたい。
なお、本稿で述べたリスク・ベネフィット・アセスメントという考え方や、資格制度による職能化という視点は、冒険遊び場という特定の施設に限らず、公園全般の管理や、遊具の更新・撤去の判断にも応用しうる発想である。安全に関する個別の判断は医療機関や関係機関、施設の管理者に委ねられるべきものであり、本稿はその判断に代わるものではないが、判断の背景にある考え方を整理することには一定の意義があると考える。
本稿はイギリスと日本という二つの経路を対比したが、両国以外にも、北欧諸国や他の英語圏の国々における冒険遊び場の制度化の経路は存在する。それらとの比較は本稿の範囲を超えるが、遊びを支える制度という視点そのものは、今後さらに広い国際比較へと開いていくことができる論点であると考えられる。
最後に強調しておきたいのは、制度化の経路に優劣をつけることが本稿の目的ではないという点である。資格制度による標準化にも、住民主体の自主運営にも、それぞれの強みと限界がある。重要なのは、どちらの経路を選ぶにせよ、遊びを子ども主導のものとして保障するという理念を、担い手が孤立せずに実現できる仕組みを、地域の実情に応じてどう組み立てていくかという問いであり、この問いに対する具体的な検討は、磐田市の公園を対象とする当サイトの今後の踏査を通じて、引き続き積み重ねていきたい。
参考文献
- マージョリー・アレン(レディ・アレン・オブ・ハートウッド)(1968)『Planning for Play』(Thames and Hudson)
- プレイワーク原則審査グループ Playwork Principles Scrutiny Group(2005)『Playwork Principles』(英国プレイワーク職能諸団体承認)
- 健康安全庁 Health and Safety Executive(2012)『Children's Play and Leisure: Promoting a Balanced Approach』(HSE見解表明)
- プレイ・セイフティ・フォーラム Play Safety Forum(2008)『Managing Risk in Play Provision: Implementation Guide』(Play England ほか)
- ティム・ギル Tim Gill(2007)『No Fear: Growing up in a risk averse society』(Calouste Gulbenkian Foundation)
- 英国政府 児童・学校・家庭省/文化・メディア・スポーツ省(2008)『The Play Strategy』
- 国連子どもの権利委員会(2013)「子どもの休息、余暇、遊び、レクリエーション活動、文化的生活及び芸術への参加の権利(第31条)に関する一般的意見第17号」
- ハロルド・ウィレンスキー Harold L. Wilensky(1964)「The Professionalization of Everyone?」(American Journal of Sociology誌)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。