社会科学社会的排除論

排除するデザイン——肘掛けつきベンチ・撤去された水飲み場・誰も来ない広場

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:社会的排除論 公開・更新 2026-08-17 本文 約20,954字 読了目安 38分

要旨

本稿の目的は、公共空間の設計が「誰かを締め出す」という現象を、社会的排除(social exclusion)の概念と、国際的に敵対的建築(hostile architecture)または防御的デザイン(defensive design)と呼ばれてきた議論を手がかりに整理し、都市公園、とりわけ住宅地に埋め込まれた小さな公園を読み解く視点を提示することである。方法は文献整理と概念分析であり、特定の自治体や個別施設の設計を名指しで批判することはしない。論じるのは、あらゆる公共空間の設計判断に共通して働きうる構造である。

本稿は排除するデザインを四つの層——形(物理)・時間・情報・規範——に分けて類型化し、そのうえで中心的な主張として、排除は多くの場合「意図」からではなく「合理性の積み重ね」から生じる、という論点を立てる。維持管理費の削減、苦情への対応、事故責任の回避、防犯上の配慮は、いずれも単独では正当な理由である。しかしそれぞれの理由に沿って座る場所・飲む場所・涼む場所・用を足す場所が少しずつ減っていくとき、影響を最も強く受けるのは、その場に長く留まる必要がある人、途中で休まなければ移動できない人、屋内に代わりの居場所を持たない人である。排除の意図がなくても排除は起こる、というのが本稿の基本命題である。

反論として想定される「肘掛けは立ち座りの支えでもある」「財政制約のもとでは撤去はやむをえない」「近隣の苦情に応えたにすぎない」という三つの正当化を検討し、それらを退けるのではなく、判断を点検するための三つの問い——同じ目的を達成する他の手段はないか、失われた機能の代わりは徒歩圏にあるか、その判断は説明できるか——に組み替えることを提案する。あわせて、包摂の方向を「禁止を減らす」ことではなく「選べる状態を増やす」ことに置く設計原則を示す。

最後に、磐田市の都市公園100園(街区公園51園・近隣公園14園ほか、9地区に分布)を対象に、この視点をどう当てはめられるかを述べる。ただし当サイトの現地踏査は始まっておらず、ベンチの形状・水飲み場・照明・看板の文言といった、排除の議論に直接かかわる情報は現在のデータに含まれていない。したがって本稿は磐田市の公園に排除的な設計があると述べるものではなく、今後の踏査で何を見るべきかという観察項目を提案するにとどまる。

キーワード社会的排除敵対的建築公共空間ユニバーサルデザイン維持管理滞在の権利磐田市

1. はじめに——問題の所在

都市公園は、日本の公共施設のなかでもとりわけ開かれた場所である。入園料はなく、身分の確認もなく、原則として門も閉園時刻もない。都市公園法(昭和31年法律第79号)が定める都市公園は、住民の福祉の増進を目的として地方公共団体が設置し管理する公の施設であり、そこには「誰でも入ってよい」という建前が制度として書き込まれている。ところが、その建前が形式的に守られている公園でも、実際には来ない人、来られない人、来ても長くはいられない人がいる。本稿が問うのは、この建前と実態のあいだに横たわるものである。

手がかりになるのは、公共空間の設計をめぐって国際的に議論されてきた三つの情景である。第一に、真ん中に肘掛けや仕切りの入ったベンチ。第二に、老朽化や衛生上の理由で撤去され、そのまま復旧されない水飲み場。第三に、遊具も日陰もベンチもない、広いだけの広場。いずれも、それ自体を見れば悪意の産物には見えない。肘掛けは立ち座りを助ける器具でもあり、水飲み場の撤去には管理上の理由があり、広場の空白は自由に使える余白でもある。しかし、これらが重なった場所では、横になって休みたい人、水筒を持たずに歩いてきた人、日差しを避けて座りたい人が、そこにいられなくなる。

1.1 本稿の問い

本稿の問いは三つある。第一に、公共空間の設計はどのような経路で人を締め出すのか。第二に、締め出す意図がない設計判断が、なぜ結果として排除として作用してしまうのか。第三に、その作用をどう見分け、どう減らしうるのか。第一の問いは類型化の作業であり、第二の問いは因果と責任の分析であり、第三の問いは規範的な提案である。この三つを、社会的排除(social exclusion)という社会政策上の概念と、公共空間の設計をめぐる都市研究の議論とを接続することで扱う。

ここで注意しておきたいのは、本稿が扱うのは「排除の意図」ではなく「排除の効果」だという点である。設計者や管理者が誰かを追い出そうとしたかどうかは、多くの場合、外からは確かめようがない。しかし、ある形が結果として誰の滞在を難しくしているかは、観察と設計図から論じることができる。意図と効果を切り離して考えることが、本稿の方法上の出発点である。この切り離しは、設計者を免責するためでも、逆に糾弾するためでもない。責任の所在を個人の心情から、判断の手続きと制度の側へ移すためである。

座る場所誰のため見えない線
図1本稿の出発点。同じベンチが、ある人には支えとなり、別の人には見えない境界線として働く。この二面性をどう扱うかが問題である。

1.2 用語と立場——「敵対的建築」という語の扱い

英語圏では2010年代以降、こうした設計を hostile architecture(敵対的建築)、defensive design(防御的デザイン)、あるいは exclusionary design(排除的デザイン)と呼んで論じる議論が広がった。日本語ではまだ定訳が定まっていないため、本稿では文脈に応じて「敵対的建築」「排除的な設計」と書き分ける。ただし、これらの語には難点がある。「敵対的」という形容は、設計に敵意という主観を読み込む語感を持つ。先に述べたとおり本稿は効果の側から論じるので、告発の語としてではなく、現象を指す記述的な用語として用いる。

立場についても最初に断っておく。本稿は特定の自治体・特定の公園・特定の設計者を名指しして批判するものではない。批判の対象は、どの地域のどの公共空間にも共通して働きうる判断の構造である。また、本稿は「排除される人々」を問題として描かない。問題は人ではなく、人と空間との関係の作られ方にある。ある人が公園にいられないとき、原因はその人の属性ではなく、その空間が想定していた利用者像の狭さの側にある——これが社会的排除論から公共空間を見るときの基本姿勢である。

1.3 方法と構成

方法は文献整理と概念分析である。社会的排除論の古典と、公共空間をめぐる都市研究の古典を参照し、そこから導かれる分析枠組みを公園という具体的な施設に当てはめる。統計による実証は行わない。排除の効果を数量的に測ることは、後述するように原理的な難しさを抱えており、また当サイトの現地踏査も始まったばかりだからである。したがって本稿の成果は、命題の証明ではなく、観察のための枠組みと、今後確かめるべき項目の提示にある。

構成は次のとおりである。第2節で社会的排除の概念史と公共空間論の系譜を整理する。第3節で排除するデザインを四つの層に類型化する。第4節で、意図なき排除がどのような経路で生じるかを分析する。第5節で、誰が締め出されやすいのかを、人を問題化しない書き方に留意しながら検討する。第6節で想定される反論に応答し、判断を点検する三つの問いを提案する。第7節で包摂の方向の設計原則を述べる。第8節で磐田市の公園データに即した示唆と踏査項目を示し、第9節で結論と課題をまとめる。

2. 先行研究と概念の整理——社会的排除と公共空間

本節では、本稿が用いる二つの理論的資源を整理する。一つは社会政策の分野で発展した社会的排除の概念であり、もう一つは都市研究における公共空間論である。前者は「何が起きているか」を名づける言葉を与え、後者は「それが空間のどこで起きるか」を教える。両者はもともと別の系譜に属するが、公園という具体的な場所で交差する。

2.1 貧困から排除へ——概念の移動

社会的排除という語は、1970年代のフランスで、既存の社会保険制度からこぼれ落ちた人々を指す言葉として使われはじめ、1980年代から1990年代にかけてヨーロッパの社会政策の中心概念となった。グラハム・ルーム編『Beyond the Threshold』(1995)は、この概念がなぜ必要とされたのかを整理している。それまで用いられてきた貧困(poverty)という概念は、所得や資源の不足という「状態」を、ある閾値との比較で測るものだった。これに対し排除は、人が社会の通常の営みに参加できなくなっていく「プロセス」と「関係」に焦点を当てる。

この移動には前史がある。ピーター・タウンゼント『Poverty in the United Kingdom』(1979)は、貧困を絶対的な生存水準ではなく、その社会で当たり前とされる生活様式・慣習・活動から締め出されている状態、すなわち相対的剥奪として定義した。何が「当たり前」かは社会によって変わるのだから、貧困もまた関係的な概念である、というのがタウンゼントの主張であった。この相対性の導入が、のちの排除概念への橋渡しとなった。

もう一つの理論的支柱がアマルティア・センの潜在能力(ケイパビリティ)アプローチである。『自由と経済開発』(1999)でセンは、人の状態を測るべき単位は所有する財ではなく、その人が現に選びうる生き方の幅だと論じた。同じ資源を与えられても、それを使って何ができるかは人によって異なる。段差のある入口は、歩ける人には資源へのアクセスを与え、車いすの人には与えない。空間の設計を評価するとき、この視点は決定的である。設備が「ある」ことと、それが「使える」ことは別だからだ。

概念測るもの焦点空間に当てはめると
貧困資源・所得の不足状態施設や設備が足りない
相対的剥奪社会の標準からの距離比較他の地区にあるものがここにない
社会的排除参加からの締め出しプロセスと関係入れても、いられない
潜在能力選びうる生き方の幅変換の可能性設備はあるが、この人には使えない
剥奪の段階参加締め出し
図2社会的排除は、資源が足りないという状態ではなく、参加が徐々に難しくなっていく過程として捉えられる。公園にも同じ捉え方が使える。

2.2 公共空間論の系譜——都市への権利から要塞都市へ

空間の側の議論はどうか。アンリ・ルフェーヴル『都市への権利』(1968)は、都市が資本と行政の論理によって計画され、住民が自分たちの生活の場を作り変える力を失っていく事態を批判し、都市を専有し作り変える権利を住民の側に取り戻すべきだと主張した。ここで言う権利は法律上の請求権ではなく、都市生活への参加の要求である。公共空間が誰のものかという問いは、この系譜のなかで繰り返し立てられてきた。

ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』(1961)は、まったく異なる観点から同じ問題に触れている。ジェイコブズは、街路や小公園の安全は警察や設備ではなく、そこを日常的に使う人々の視線——いわゆる「街路の目」——によって支えられていると論じた。この議論を裏返すと、使われない場所は安全でなくなり、安全でないと見なされた場所はさらに使われなくなる、という循環が導かれる。排除の設計は、しばしばこの循環の途中に、安全対策として投入される。

マイク・デイヴィス『要塞都市LA』(1990)は、公共空間の設計が明示的に特定の利用を締め出すために用いられている事例を、都市批評として記述した。デイヴィスが挙げた、横になれない形状のベンチや、屋根のない待合、囲い込まれた広場といった要素は、その後の敵対的建築をめぐる議論の出発点の一つになった。ドン・ミッチェル『The Right to the City』(2003)は、公共空間における滞在の自由が法と設計の両面から狭められていく過程を追い、公共空間の縮小は特定の人々にとっては生活の場そのものの喪失を意味すると論じている。

これらの議論に共通するのは、公共空間の価値を「誰が入れるか」ではなく「誰がどれだけいられるか」で測る視点である。入場の自由は、滞在の自由と同じではない。門のない公園は入場の自由を完全に保障しているが、そこに三十分いられるかどうかは別の条件に依存する。社会的排除論が貧困から関係とプロセスへと焦点を移したのと同じ移動が、公共空間論の側でも、アクセスから滞在へという形で起きている。本稿が両者を接続するのは、この平行関係があるからである。

2.3 防犯設計と包摂設計——同じ道具の二つの顔

設計の側の理論も見ておく必要がある。オスカー・ニューマン『まもりやすい住空間』(1972)は、見通し・領域性・自然監視といった設計要素が犯罪の発生に影響することを論じ、のちの防犯環境設計の基礎となった。他方、ロン・メイスらがまとめた「ユニバーサルデザインの7原則」(ノースカロライナ州立大学ユニバーサルデザインセンター、1997)は、公平な利用・柔軟性・単純さ・情報の分かりやすさ・失敗への寛容・身体的負担の少なさ・接近と利用のための空間という七つの基準を示した。前者は「望ましくない利用を減らす」方向、後者は「使える人を増やす」方向を向いている。

重要なのは、この二つが同じ道具立てを共有していることである。見通しをよくする植栽の剪定は、防犯上の自然監視を高めると同時に、日陰を奪って滞在を難しくすることがある。滞留を防ぐための段差は、防犯設計の語彙では領域の明示であり、ユニバーサルデザインの語彙では障壁である。ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(1975)が示したように、空間の配置は権力の作用そのものであり、それは抑圧としても保護としても現れる。設計は中立ではなく、どちらの語彙で語るかによって同じ形の評価が反転する——この反転可能性こそが、次節以降で扱う問題の核心である。

3. 排除するデザインの四類型——形・時間・情報・規範

排除的な設計を論じるとき、議論はしばしば物理的な形——ベンチの仕切り、突起、傾斜——に集中する。しかし形は四つの層のうちの一つにすぎない。本節では、公共空間が人の滞在を難しくする経路を、形(物理)・時間・情報・規範の四層に分けて整理する。この整理の狙いは、目に見えにくい層を可視化することと、対策が層ごとに異なることを示すことにある。

3.1 形の層——身体に直接働く

第一の層は、身体の姿勢や動きに直接作用する物理的な形である。座面を分割する仕切り、傾斜した座面、幅の狭い縁石、寄りかかれない手すり、段差、狭い園路、砂利敷きの舗装。これらは、ある姿勢(横になる、長く座る、車輪で通る)を物理的に難しくする。形の層の特徴は、作用が確実で例外を認めない点にある。看板は無視できるが、段差は交渉できない。

同時に、形の層は最も両義的でもある。ベンチ中央の肘掛けは、立ち上がるときの支えとして機能し、膝や腰に不安のある人の利用を助ける。手すりも段差も、文脈によって支援にも障壁にもなる。したがって形だけを見て排除的か否かを判定することはできない。判定には、その形が置かれた場所に他にどんな選択肢があるか——横になれる芝生があるか、背もたれのないベンチも併設されているか——という周辺条件が必要になる。

3.2 時間の層——いつ使えるかが決める

第二の層は時間である。開園・閉園の時刻、照明の点灯と消灯、トイレの夜間施錠、噴水や水景施設の稼働期間、季節限定の設備。時間の層は、空間そのものは変えずに利用可能性だけを切り取る。ここで生じる排除は、利用者の生活時間の違いと結びつく点に特徴がある。昼間に自由な時間を持つ人と、夜間しか外に出られない人とでは、同じ公園がまったく違う施設として現れる。

時間の層は形の層より変更しやすく、そのぶん静かに導入されやすい。照明を落とすことは撤去より安価であり、記録にも残りにくい。だが利用者から見れば、暗くなった園路は通れない園路と同じである。とくに、夜間の帰宅経路として公園を通る人、早朝に散歩する高齢者、日中の暑さを避けて夕方に子どもを連れ出す保護者にとって、時間の層は形の層と同等以上に効く。

3.3 情報の層——読めない人には無いに等しい

第三の層は情報である。看板の文言と数、表示の言語、案内図の有無、対象年齢の表示、開放時間の掲示、禁止事項の並び。情報の層は「使ってよい」という許可を伝える機能と、「使ってはいけない」という制限を伝える機能の両方を担う。問題は、多くの公共空間で後者の情報量が前者を上回りやすいことである。禁止看板は苦情や事故のたびに増えるが、許可を明示する掲示が同じ頻度で増えることはまずない。

情報の層の排除は、読み取り能力の差を通じて働く。日本語以外を母語とする住民、視力に不安のある人、幼い子ども、記号に不慣れな人にとって、文字だけの掲示は存在しないに等しい。逆に、絵記号や複数言語の併記、対象年齢の表示、トイレの位置を示す簡潔な案内図は、同じ空間の使いやすさを大きく変える。ユニバーサルデザインの7原則が「情報の分かりやすさ」を独立の項目として立てたのは、この層の重要性を認めたからである。

具体例表向きの理由働き方
座面の仕切り・段差・砂利舗装・柵安全・美観・維持管理身体に直接作用し、例外を認めない
時間夜間消灯・トイレ施錠・季節稼働防犯・光熱費・衛生管理空間を変えずに利用可能時間を切り取る
情報禁止看板の増加・単一言語の掲示苦情対応・事故防止読み取れる人と読み取れない人を分ける
規範視線・暗黙の持ち場・「らしくない」利用への注意近隣配慮・秩序維持設備を変えずに居心地だけを変える
仕切り立入制限時間制限
図3排除は形だけで起きるのではない。柵や仕切りに加え、立入の制限と時間の制限が重なることで、空間の使える幅は静かに狭まっていく。

3.4 規範の層——設備を変えずに居心地を変える

第四の層は規範である。明文化されないまま共有される、その場にふさわしい振る舞いの感覚。誰がどのベンチに座るか、どの時間帯が誰のものか、どんな服装や集まり方が「この公園らしい」と見なされるか。規範の層は、設備を一つも変えずに、人の居心地だけを変える。視線、沈黙、短い注意、あるいは単に会話が止まること。これらは記録に残らず、後から検証することもできない。

規範の層は前三層と相互に作用する。禁止看板(情報)が増えると、その場の規範も厳しい方向に寄る。座る場所が一種類しかなければ(形)、そこに座る人の像も一種類に固定されやすい。逆に、多様な使われ方が実際に見えている公園では、新しい利用者が入っても規範の幅が保たれる。ジェイコブズが「街路の目」に見出した安全の源泉は、この規範の層が排他ではなく包摂の方向に働いた状態と言い換えることができる。目は、見張る目にも、見守る目にもなりうる。

四層に分ける実践的な意味は、対策の水準が層ごとに異なる点にある。形の層は改修という支出を要し、時間の層は運用規則の変更で足り、情報の層は掲示の見直しで済むことが多く、規範の層は設計では変えられず、使われ方の蓄積によってしか変わらない。予算の制約が厳しいとき、しばしば最初に手を付けられるのは時間と情報の層である。それは安価だが、排除の効果はけっして小さくない——この非対称は、次節で扱う「意図なき排除」の主要な発生源である。

4. 意図なき排除——合理性の積み重ねが生むもの

前節で類型化した四層は、必ずしも「誰かを追い出す」という目的から導入されるわけではない。本節の主張は、公共空間における排除の大半は、個々には正当な合理性の積み重ねから生じる、というものである。この主張が正しければ、排除の問題は悪意ある設計者を探すことでは解決せず、判断の手続きを設計し直すことによってしか改善しない。以下、その生成経路を四つに分けて示す。

4.1 それぞれ正しい四つの理由

公共空間の設備を減らす、あるいは形を変える判断は、典型的には次の四つの理由から出てくる。第一に維持管理の負担——水飲み場は配管の点検と清掃を要し、樹木は剪定と落ち葉の処理を要する。第二に事故責任——遊具は国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」に沿った点検が求められ、基準を満たせない遊具は使用を制限するか撤去することになる。第三に苦情対応——騒音・ボール・たまり場についての近隣からの声。第四に防犯——見通しの確保、暗がりの解消。

これら四つの理由は、いずれも管理者の職責に照らして正当である。維持管理費を無制限に増やすことはできず、点検基準を満たさない遊具を放置することは許されず、近隣の生活を無視することもできない。問題は、どの理由も「減らす」方向にしか働かない点にある。撤去や制限を求める圧力には具体的な発信源(苦情、点検結果、予算編成の枠)があるのに対し、設置や復旧を求める圧力には、多くの場合、同じだけ明確な発信源がない。この非対称が積み重なると、結果として空間は単調な方向に収束していく。

4.2 標準的利用者という暗黙の前提

第二の経路は、設計が暗黙に想定する利用者像の狭さである。どんな設計も、誰かがどのくらいの時間、どんな姿勢で、どんな目的でそこにいるかを前提としなければ成立しない。公園の場合、その前提はしばしば「健康な大人に付き添われた子どもが、日中の短時間、遊具で遊ぶ」という像に寄る。この像自体が誤っているわけではない。実際、多くの利用はこれに近いだろう。誤りは、この像に合わない利用が「想定外」ではなく「不適切」として扱われはじめるときに生じる。

センの潜在能力アプローチが教えるのは、同じ設備でもそれを使える能力の変換率が人によって異なるという点だった。同じベンチでも、五分座る人には十分でも、三十分休まなければ次の目的地へ行けない人には背もたれの有無が決定的になる。同じ園路でも、歩く人には広さが十分でも、ベビーカーや車いすには舗装の質が効く。標準的利用者を前提とした設計は、標準から離れた人ほど大きな不利益を受けるという意味で、不利益の配分が偏っている。

点検使用中止維持管理
図4点検・使用中止・維持管理は、いずれも正当な手続きである。しかし復旧の圧力がそれに見合って働かないと、空間は減る方向にだけ動く。

4.3 撤去の非対称性——足すには合意が要り、引くには要らない

第三の経路は、設置と撤去の手続き的な非対称である。新しい設備を置くには、予算措置、設計、地域との調整、場合によっては議会の議決が要る。一方、老朽化した設備を撤去する判断は、点検結果と安全上の必要という理由さえあれば、より少ない手続きで進む。撤去と更新が一体で計画されていれば問題は小さいが、財政の制約下では「撤去して跡地は舗装のまま」という選択が現実的なものとして残る。

この非対称は時間とともに効いてくる。一つひとつの撤去は正当でも、十年、二十年の単位で積み重なると、遊具のない広場、日陰のない園庭、座る場所のない緑地が生まれる。誰も「誰かを締め出そう」とは考えていない。それでも結果として、そこは「長くいられない場所」になる。本稿が意図なき排除と呼ぶのは、まさにこの累積効果である。責任を負うべき単一の判断が存在しないことこそが、この問題を扱いにくくしている。

4.4 排除は記録に残らない——不可視性の問題

第四の経路は、認識論的なものである。排除の効果は、来なかった人の側に現れる。しかし、来なかった人は苦情を言わず、アンケートに答えず、利用者数の集計にも現れない。統計に残るのは、その場を使えた人の記録だけである。この選択バイアスのために、排除が進んだ空間ほど「利用者の満足度が高い」という結果が出ることさえありうる。残った利用者にとっては、実際にその空間は快適だからである。

この不可視性は、行政の評価の仕組みとも噛み合ってしまう。利用者数、苦情件数、事故件数といった指標は、いずれも観測しやすいが、いずれも「使えなかった人」を捉えない。逆に、苦情件数の減少は改善の証拠として読まれる。だが苦情を言う人がいなくなったのは、問題が解決したからかもしれないし、その場を使う人がいなくなったからかもしれない。この二つを区別するには、利用者への調査だけでなく、その空間の潜在的な利用圏に住む人全体への視点が要る。

以上の四経路——理由の非対称、標準的利用者の前提、撤去の非対称、効果の不可視性——は互いに補強し合う。だからこそ、排除は個別の判断を点検するだけでは見つけにくく、時間の幅と、空間の広がりの両方を取った視点を必要とする。第6節では、この視点を実務的な問いの形に落とし込むことを試みる。その前に次節で、こうした累積の影響を最も強く受けるのはどのような立場かを検討する。

5. 影響はどこに集まるか——「滞在を必要とする人」という共通項

前節で述べた累積は、すべての利用者に等しく及ぶわけではない。本節では、その影響がどこに集まりやすいかを検討する。ただし記述の仕方には注意が要る。ここで挙げるのは「排除されがちな人々の一覧」ではない。列挙するのは、空間の側が満たしそこねている必要(ニーズ)である。人を分類して問題化するのではなく、必要を分類して設計の課題に翻訳する——これが社会的排除論から得られる方法上の要請である。

5.1 必要から見る——五つの滞在条件

公園に一定時間いるために、人が必要とするものは、おおむね次の五つに整理できる。座れること、日差しや雨をしのげること、水が飲めること、用を足せること、そして周囲から責められずにいられること。この五つがすべて揃っていなくても、短時間の通過や短い遊びは成立する。しかし滞在が長くなるほど、欠けた条件が効いてくる。裏を返せば、短時間しか滞在しない利用者にとっては、この五条件の欠落はほとんど問題として意識されない。ここに認識のずれが生まれる。

  • 座れること——背もたれ、座面の高さ、日向と日陰の両方に座席があるか
  • しのげること——樹木の日陰、屋根のある休憩所、風を避けられる位置
  • 水——飲用の水栓、手を洗える場所、水筒に補給できるか
  • 用を足せること——トイレの有無、多目的トイレ、おむつ替えの場所、開いている時間
  • 責められずにいられること——滞在してよいと分かる掲示、多様な使われ方が見えていること

この五条件は、いわゆる「特別な配慮」ではない。誰にとっても必要なものであり、ただ必要とされる強さが人によって違うだけである。三十分歩いて帰る人にとってのベンチと、五分で帰る人にとってのベンチは、同じ設備でありながら意味の重みが違う。ユニバーサルデザインの7原則が「公平な利用」を第一に掲げたのは、特別な人のための特別な設備を追加するのではなく、最初から幅のある設計にするという考え方を示すためだった。

5.2 必要が重なる立場——交差性という視点

五条件のうち複数を強く必要とする立場を、抽象的に述べておく。乳幼児を連れた保護者は、座る場所・日陰・おむつ替えの場所・水を同時に必要とし、しかも子どもから目を離せないため移動の自由度が低い。加齢や疾患により歩行に時間がかかる人は、休憩の間隔と、その間隔ごとに座れる場所の配置に依存する。車いすや歩行補助具を使う人は、園路の舗装と幅、トイレの構造に依存する。視覚や聴覚に不安がある人は、情報の層の設計に依存する。日本語以外を母語とする住民は、掲示の言語と絵記号に依存する。

重要なのは、これらの条件が重なりうるということである。乳幼児を連れた車いす利用者、日本語を母語としない高齢者、といった重なりのもとでは、必要は単純に足し算されるのではなく、掛け算のように効く。社会的排除論が交差性(インターセクショナリティ)の視点を取り入れてきたのは、単一の属性ごとに対策を積み上げる方式では、この重なりを取りこぼすからである。設計の側でこれに応える方法は、属性ごとに専用の設備を増やすことではなく、汎用の設備の幅を広げることにある。

ベビーカー車いす祖父母世代よちよち期
図5影響が集まりやすいのは、休むこと・しのぐこと・用を足すことを強く必要とする立場である。必要は重なり、重なると掛け算のように効く。

5.3 「たまり場」をめぐる論点——利用の質を誰が決めるか

公共空間の議論で扱いが難しいのは、特定の集まり方が「たまり場」として問題視される場面である。放課後の中高生、休日の若者、屋外で長く過ごす人。ここで生じているのは、多くの場合、行為そのものの違法性ではなく、その場にふさわしい利用とは何かをめぐる評価の対立である。第3節で述べた規範の層が、最も強く働く局面と言ってよい。

本稿の立場は、こうした場面で人を問題として扱わないことである。長時間そこにいる人が現れるのは、その人が屋内に代わりの居場所を持たないか、あるいはその公園がその人にとって最も居心地のよい場所であるか、いずれかであることが多い。前者であれば、必要とされているのは公園の設計変更ではなく、居場所そのものの供給である。後者であれば、その公園の設計は少なくともある面で成功している。どちらの場合も、設備を使いにくくすることで解決される問題ではない。

実務上の難しさは、近隣住民の生活の平穏という、これも正当な利益との調整にある。夜間の騒音や、通学路への影響は、抽象的な包摂の議論だけでは片づかない。ただし調整の手段には幅がある。時間帯ごとの利用の取り決め、地域と利用者の間の対話、管理者を交えた運用ルールの明文化は、設備を減らすよりも情報が多く残り、後から見直すこともできる。設備を物理的に使いにくくする対応は、最も可逆性が低く、最も広い範囲に影響が及ぶ手段であり、順序としては最後に置かれるべきものである。

なお、ここで論じているのは公共空間の一般論であり、特定の地域で実際にそうした対立が起きていると述べているのではない。児童の権利に関する条約(1989年採択)第31条が休息・余暇・遊びの権利を、障害者の権利に関する条約(2006年採択)が社会参加とアクセシビリティを掲げていることを踏まえれば、公共空間における滞在は、恩恵ではなく権利の側から論じられるべき事柄である。誰が使ってよい場所かを問うのではなく、どのような使い方の幅を確保するかを問う——この問いの立て方の転換が、本節の結論である。

6. 反論への応答——三つの正当化と、判断を点検する三つの問い

ここまでの議論に対しては、いくつかの反論が想定される。本節ではそれらを丁寧に扱う。反論はいずれも実務に根ざしており、退けるべきものではない。むしろ、反論を受け止めたうえで、なお判断を点検できる形式を作ることが本稿の課題である。以下、三つの正当化を順に検討し、最後にそれらを組み替えた三つの問いを提案する。

6.1 反論1——「それは支援の設備である」

最も強い反論はこれである。ベンチ中央の肘掛けは、膝や腰に不安のある人が立ち上がるときの支えになる。手すりは転倒を防ぐ。段差の明示は視覚に不安のある人の手がかりになる。柵は道路への飛び出しを防ぐ。これらはすべて事実であり、実際に多くの設備はそうした目的で設置されている。排除的だという評価を形だけから下すことは、支援設備への不当な非難になりかねない。

この反論への応答は、形の評価を単体ではなく分布で行うことである。問題は肘掛けの有無ではなく、その公園にある座席のすべてが同じ形をしているかどうかにある。肘掛けつきのベンチと、背もたれのみのベンチと、腰かけられる縁や芝生が併存していれば、利用者は自分の身体に合う座り方を選べる。逆に、選択肢が一種類しかないとき、その形は支援であると同時に制約になる。評価の単位を個々の設備から、その場が提供する選択肢の集合へ移すこと——これが第一の応答である。

6.2 反論2——「財政に制約がある」

第二の反論は財政である。維持管理費は限られており、すべての設備を維持することはできない。老朽化した水飲み場の更新には費用がかかり、トイレの夜間開放には清掃と光熱費と管理の手間が伴う。予算の制約は、批判によって消える種類の問題ではない。この点は本稿も全面的に認める。

しかし、財政制約から導かれるのは「減らす」という結論だけであって、「どこから減らすか」「減らしたあと何が残るか」という問いへの答えではない。同じ削減額でも、地区内のすべての公園から等しく座席を減らすのと、代替のきく場所に限って減らすのとでは、影響の分布が異なる。削減が不可避であるという前提と、削減の配分が最適であるという主張とは、別のことである。財政制約は、判断を免除する理由にはならず、判断をより注意深くする理由になる。

6.3 反論3——「苦情に応えただけである」

第三の反論は、住民の声への応答である。管理者が近隣の苦情を受けて設備の運用を変えることは、住民自治の観点からはむしろ望ましい行動にも見える。しかし、ここには第4節で述べた不可視性の問題が別の形で現れる。苦情は、声を上げる時間と手段と自信を持つ人から届く。その場を使えなくなった人、あるいはもともと使えていない人からは、原理的に届きにくい。

したがって、苦情への応答を意思決定の唯一の入力にすると、判断は構造的に一方向へ偏る。対策は難しくない。苦情に応じて何かを減らす判断をするとき、その減少によって影響を受ける人が誰かを一度書き出すこと、そして可能であればその人たちに届く形で意見を求めること。行政学や政治学で論じられてきた参加の設計は、この局面で具体的な意味を持つ。声の非対称は、参加の回路を増やすことでしか補正できない。

衡量対話点検の基準
図6反論を退けるのではなく、判断を点検できる形に組み替える。手段の代替性・機能の代替地・説明可能性という三つの問いが手がかりになる。

6.4 三つの点検の問い

以上の応答を、実務で使える形にまとめる。ある設計・運用の判断が排除として働いていないかを点検するために、本稿は次の三つの問いを提案する。いずれも答えが「いいえ」であれば直ちに不当だという性質のものではなく、答えを言葉にできるかどうかを見るための問いである。

  • 手段の代替性——その目的を達成する方法は、この形以外にないか。より可逆的で、影響範囲の狭い手段は検討したか。
  • 機能の代替地——ここで失われる機能(座る・飲む・涼む・用を足す)を、徒歩で行ける範囲の別の場所が代わりに担えるか。
  • 説明可能性——この判断の理由を、影響を受ける人に向けて説明できるか。説明の記録は残るか。

第一の問いは、比例性の考え方に近い。目的と手段の釣り合いを見るとともに、可逆性——あとで戻せるか——を評価軸に加える点に特徴がある。運用ルールの変更は戻せるが、撤去した設備は簡単には戻らない。第二の問いは、空間を単体ではなくネットワークとして見る視点である。一つの公園からベンチが減っても、二百メートル先に座れる場所があるなら影響は限定的だが、周辺一帯で同じ削減が進めば話は違う。第三の問いは手続的正義に関わる。判断そのものより、判断が説明され記録されることが、後の見直しを可能にする。

この三問の利点は、設計者や管理者を告発の対象にしない点にある。答えを出すのは外部の批評家ではなく、判断する当事者自身である。排除の問題を、道徳的な非難の問題から、手続きの設計の問題へ移すこと。第1節で述べた「意図と効果の切り離し」は、最終的にこの実務的な転換に着地する。次節では、点検にとどまらず、積極的に包摂の方向へ向かう設計原則を検討する。

7. 包摂へ向けた設計——「選べる状態」を増やすという原則

排除の反対は「禁止をなくすこと」ではない。禁止をすべて取り払った空間が誰にとっても使いやすいとは限らないし、ボール遊びの制限のように、ある利用を制限することで別の利用が可能になる場合もある。本節では、包摂の方向を「選べる状態を増やすこと」として定式化し、四つの具体的な原則に展開する。

7.1 座り方の複数性

ウィリアム・H・ホワイト『The Social Life of Small Urban Spaces』(1980)が小さな都市空間の観察から得た最も明快な知見は、人が滞在する空間には座れる場所が要る、というものであった。ホワイトが強調したのは座席の量だけではない。座席が向いている方向、日向と日陰の配分、そして座る位置を自分で選べることの重要性である。人は、誰かと向き合いたいときも、通りを眺めたいときも、誰からも見られたくないときもある。座席の形と配置が一種類しかない空間では、そのすべてが一つの姿勢に押し込められる。

座り方の複数性は、必ずしも高価な設備を要求しない。ベンチの数を増やすことに加えて、腰かけられる高さの縁石、花壇の縁、段差のある地形、芝生の斜面といった要素が、それぞれ異なる座り方を提供する。前節で述べた「分布で評価する」という考え方は、ここで積極的な設計指針に転じる。すなわち、肘掛けつきのベンチを置くのであれば、同じ場に別の座り方も用意する。設計上の問いは「どの形が正しいか」ではなく「何通りの座り方が用意されているか」である。

7.2 滞在の基盤——水・日陰・トイレ

第二の原則は、第5節で挙げた滞在条件のうち、設備によって担われる部分——水、日陰、トイレ——を滞在の基盤として位置づけることである。これらは遊具のように目に見える魅力を持たないため、整備の優先順位で後回しになりやすい。しかし滞在時間を規定する力は遊具より強い。夏場に日陰のない公園は、遊具がどれほど充実していても長時間の滞在に向かない。トイレのない公園は、乳幼児連れや高齢者にとって行動可能な半径を大きく狭める。

日陰について付言しておく。日陰は樹木によっても、屋根によっても得られるが、樹木は植えてから機能するまでに長い時間がかかる一方、剪定や伐採によって短期間で失われる。この時間の非対称は、第4節で述べた撤去の非対称の一種である。見通しの確保という防犯上の要請と、日陰の確保という滞在上の要請は、しばしば同じ樹木をめぐって衝突する。両立の方法——高木の下枝を払って樹冠を残す剪定など——は存在するが、それは意識して選ばれなければならない選択肢である。

排除的に働きうる対応同じ目的を果たしうる代替評価の観点
座席の削減・単一形状化座席の形と向きを複数用意する選択肢の数が減るか増えるか
水飲み場の撤去のみ更新または手洗い設備との統合失われる機能の代替があるか
樹木の一律伐採下枝を払い樹冠を残す剪定見通しと日陰の両立を検討したか
禁止看板の追加利用時間・利用方法の掲示と対話許可の情報も同時に増えるか
夜間の一律消灯経路に限った照度確保影響範囲を狭められるか
木陰座るトイレ
図7滞在の基盤は遊具ではなく、日陰・座席・水・トイレである。これらの有無が、その公園にいられる時間の長さを実質的に決める。

7.3 情報を「許可」の側から書く

第三の原則は情報の層に関わる。第3節で述べたとおり、公共空間の掲示は禁止に偏りやすい。これを是正する簡単な方法は、掲示の総量を減らすことではなく、許可と案内の情報を同じ場所に併記することである。使える時間、使える設備の位置、対象年齢の目安、困ったときの連絡先。これらは利用者にとっての手がかりであると同時に、その空間が誰を迎え入れているかというメッセージでもある。

表現の形式も重要である。文字だけの掲示は、読める人にしか届かない。絵記号の併用、大きな文字、簡潔な語彙、必要に応じた多言語表記は、いずれもユニバーサルデザインの7原則における「情報の分かりやすさ」に対応する。加えて、禁止事項を並べるときに理由を一言添えるだけでも、掲示の性格は変わる。理由が書かれた禁止は交渉と見直しの対象になりうるが、理由のない禁止は既成事実として固定される。

7.4 「何もない広場」の両義性

最後に、本稿の副題にも掲げた「誰も来ない広場」について論じておく。何も置かれていない平らな広場は、二つの相反する解釈を許す。一つは、使い方が決められていない余白としての解釈である。芝生の広場は、走ることも、寝転ぶことも、シートを広げることも、何もしないこともできる。設計が指定しないからこそ、利用者が用途を持ち込める。自由度という点では、これは最も包摂的な形かもしれない。

もう一つは、滞在の手がかりが何も与えられていない拒否としての解釈である。座る場所も日陰も水もない広場では、長くいることが身体的に難しい。ホワイトが観察したように、人は何もない開けた空間の真ん中には留まらず、縁や物のそばに集まる。手がかりのない空間は、自由に使えるというより、使い方を思いつけない空間になる。二つの解釈を分けるのは、周縁部の設計——縁に座れるか、木陰があるか、入口から中が見えるか——である。空白そのものは中立であり、それを余白にするか拒否にするかは、その周りをどう設計するかで決まる。

8. 磐田市の公園への示唆——データで見えること、見えないこと

本節では、これまでの枠組みを磐田市の公園に当てはめる。最初に強く断っておかなければならないことがある。本稿は、磐田市の公園に排除的な設計があると述べるものではない。当サイト(ATAWI PARK)が保有するのは、磐田市のオープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドから構成した100園のデータベースであり、現地踏査はまだ始まっていない(2026年8月時点で踏査済の園は0園である)。ベンチの形状、水飲み場の有無、照明の配置、看板の文言といった、本稿の議論に直接かかわる項目は、現在のデータにいっさい含まれていない。したがって本節が示せるのは、判断ではなく、これから何を見るべきかという観察の設計である。

8.1 データから見える構造——規模と分布

まず、公開データから確実に言えることを整理する。磐田市が管理する都市公園は100園(オープンデータ94行に、市の施設ガイドにのみ掲載の6園を加えたもの)である。種別の内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外・その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園となっている。半数を街区公園が占めるという構成は、日常的に歩いて行ける小さな公園が公園体系の骨格をなしていることを意味する。

規模の幅は大きい。最大は竜洋海洋公園(総合公園・竜洋地区)の221,722平方メートル、最小は二之宮東第2緑地(都市緑地・中泉地区)の17平方メートルであり、その間に、かぶと塚公園106,982平方メートル、兎山公園56,193平方メートル、中央公園41,642平方メートルといった大規模園と、豊田上新屋ポケットパーク156平方メートル、見付本通広場公園372平方メートルといった極小の空間が並ぶ。第7節で論じた「滞在の基盤」という観点からは、この規模の幅がそのまま担いうる機能の幅に対応する。数百平方メートルの空間に日陰と座席と水とトイレのすべてを求めることはできない。

地区別の分布も確認しておく。豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。園数の差は市街地の広がりや住宅開発の経緯を反映しており、それ自体が良し悪しを意味するわけではない。ただし第6節で提案した「機能の代替地」という問いは、地区の単位で立てられるべきものである。ある園から座る場所や水が失われたとき、徒歩圏に代わりを担える園があるかどうかは、園数と配置に依存するからだ。

9地区園ごと100園
図8磐田市の都市公園は9地区に100園。半数を占める街区公園が骨格をなす。代替地があるかという問いは、地区単位で立てる必要がある。

8.2 設備フラグから読める限界

オープンデータには、トイレ・車いす対応トイレ・砂場・遊具の有無を示すフラグがある。94行のなかでの集計は、トイレ有69園、車いす対応トイレ有34園、砂場有43園、遊具有64園である。駐車場については、市の施設ガイドの記載などから33園で有と判定されている。この4項目は、本稿の枠組みで言えば「滞在の基盤」の一部を捉えている。トイレの有無は滞在可能な時間を左右し、車いす対応トイレの有無は誰が滞在できるかに直接かかわる。

しかし、このフラグから読めることには限界がある。第一に、トイレが「有」であることと、それが使える状態にあること、開いている時間が長いことは別である。第二に、車いす対応トイレの有無は分かっても、そこに至る園路が車輪で通れるかは分からない。第三に、フラグには座席・日陰・水飲み場が含まれていない。第5節で挙げた五つの滞在条件のうち、公開データが直接捉えているのは実質的にトイレのみであり、残る四条件は現在まったく可視化されていない。これは磐田市に固有の事情ではなく、公園のオープンデータ一般に見られる特徴である。

8.3 包摂の方向を示す記載——市の施設ガイドから

他方で、市の施設ガイドの記載には、包摂の方向を明示している例がある。安久路公園(地区公園・御厨地区・32,001平方メートル)の園内施設として、市の施設ガイドには「複合遊具(インクルーシブエリアあり)」「ブランコ(インクルーシブアイテムあり)」とある。障害の有無にかかわらず一緒に遊べる遊具を明示的に導入し、その旨を公開情報に記載していることは、第7節で述べた「情報を許可の側から書く」という原則にも合致する。どんな設備があるかを知らせることは、そこを使ってよいと伝えることでもある。

同様に、今之浦公園(近隣公園・見付地区)の記載には「遊びと賑わいのゾーン」「憩いとふれあいゾーン」という区分と、屋根付広場・芝生広場・3歳未満児遊具・健康遊具といった要素が並ぶ。屋根付きの広場は日差しと雨をしのぐ機能に、健康遊具は成人・高齢者の利用に、3歳未満児向けの遊具は年齢の幅に、それぞれ対応する。用途の異なる要素が一つの園に併存していることは、第7節で述べた「選べる状態」の一つの形と読める。もっとも、これらはいずれも公開情報の記載から読み取れることであって、現地でどう機能しているかは踏査を待つ必要がある。

8.4 踏査で確かめるべき項目

以上を踏まえ、本稿の枠組みから導かれる踏査項目を提案する。いずれも、良し悪しの判定ではなく事実の記録として集めるべきものである。記録が蓄積してはじめて、第6節の三つの問いを具体的な場所について立てることができる。

  • 座席——数、形(背もたれ・肘掛けの有無)、向き、日向と日陰の配分、腰かけられる縁の有無
  • 日陰——樹木の位置と樹冠の広がり、屋根のある休憩所の有無、正午前後に日陰となる範囲
  • 水——飲用可能な水栓の有無と高さ、手洗いの可否
  • トイレ——構造、開いている時間、おむつ替え設備、入口までの経路の舗装
  • 園路——幅と舗装の状態、入口の段差、車輪で入れるか
  • 情報——掲示の枚数、禁止事項と案内事項の比率、絵記号や多言語表記の有無、理由の記載

これらの項目は、100園すべてで同じ精度で集める必要はない。街区公園51園のように数が多く、かつ徒歩圏の日常利用を担う類型では、座席・日陰・情報を優先して簡便に記録する方が現実的だろう。一方、大規模園では園内の位置によって条件が大きく変わるため、園単位ではなくゾーン単位の記録が要る。なお、公園の維持管理を担うのは磐田市 都市整備課(電話 0538-37-4806)であり、現地の状況について確認や情報提供が必要な場合の窓口はここになる。当サイトは公開データと今後の踏査記録を整理する立場であり、個別の設備の是非を判定する立場にはない。

9. 結論と今後の課題

本稿は、公共空間の設計が人を締め出す現象を、社会的排除の概念と公共空間論を接続して検討してきた。得られた結論は四点である。第一に、排除は形・時間・情報・規範という四つの層で働き、目に見えやすい形の層はその一部にすぎない。第二に、排除の多くは意図からではなく、維持管理・事故責任・苦情対応・防犯という個々には正当な合理性の積み重ねから生じる。第三に、その影響は、その場に長く留まる必要のある立場に集中し、しかも来なかった人の側に現れるため記録に残りにくい。第四に、包摂の方向は禁止をなくすことではなく、選べる状態の数を増やすことにある。

これらの結論から導かれる実務的な提案は、第6節で示した三つの問い——手段の代替性、機能の代替地、説明可能性——に集約される。この三問は、設計者や管理者を非難するためのものではない。むしろ、非難の応酬になりがちな論点を、答えを言葉にできるかどうかという手続きの問題へ移すためのものである。可逆性の低い手段を最後に置くこと、影響を受ける人を書き出すこと、判断の理由を記録に残すこと。いずれも高価な対策ではないが、時間の幅を取ったときに効いてくる。

9.1 本稿の限界

本稿には三つの明確な限界がある。第一に、方法が文献整理と概念分析にとどまり、実証を伴わない。第4節で述べたとおり、排除の効果は原理的に測りにくいが、測りにくさは測らなくてよい理由にはならない。利用圏に住む人全体を対象とした調査や、利用しない理由を尋ねる設計など、方法論的な工夫の余地は残されている。第二に、参照した公共空間論の多くは欧米の都市を対象としたものであり、住宅地に埋め込まれた日本の街区公園にそのまま当てはまるとは限らない。制度も、公園の規模も、近隣関係のあり方も異なる。

第三に、そして最も重要な限界として、磐田市の公園について本稿が述べたのは公開データから読めることだけであり、現地の状況は確かめられていない。第8節で列挙した踏査項目は提案にとどまり、それが実行されるまで、本稿の枠組みは具体的な場所と結びつかない。当サイトは磐田市の公園100園のデータベースを公開している立場であり、今後の踏査によってこの空白を埋めていくことが課題である。運営は富士ヶ丘サービス株式会社(不動産・介護事業)であり、地域の高齢者の生活に接する事業を営んでいることは、滞在の基盤という論点に関心を持つ一つの背景をなしている。

記録する段階を踏む手を入れる
図9結論は判定ではなく手続きである。記録し、可逆性の高い手段から順に試し、説明を残すこと。踏査による事実の蓄積がその前提となる。

9.2 今後の課題——三つの方向

今後の課題を三つの方向で示す。第一は、データ項目の拡張である。現在のオープンデータが捉えているのはトイレ・砂場・遊具・車いす対応トイレという4項目であり、座席・日陰・水・園路・情報という滞在の基盤はほぼ空白のままである。踏査によってこれらを記録し、園ごとに公開できる形へ整えることは、利用者にとっての実益があると同時に、第6節の「機能の代替地」の問いを地区単位で検証する基盤にもなる。データが存在しないものは議論の対象にならない、という構造そのものが、不可視性の一形態だからである。

第二は、評価の方法である。公園の評価は利用者数や苦情件数といった観測しやすい指標に依存しやすいが、これらは第4節で述べた選択バイアスを免れない。滞在時間の分布、利用者の年齢構成の幅、一人で来ている人の割合といった、利用の質にかかわる指標を組み合わせることで、単調化に向かう変化を早い段階で捉えられる可能性がある。ただしこうした観察には撮影や記録の配慮が伴うため、方法の設計自体が慎重を要する。

第三は、参加の回路である。第6節で述べたとおり、声の非対称は参加の回路を増やすことでしか補正できない。既存の回路——愛護会、地域の清掃活動、意見の提出——に加えて、公園を使いにくいと感じている人が、その理由を負担なく伝えられる経路が要る。この点は政治学・行政学の領域と重なり、本稿の枠を越える。本稿が示せたのは、なぜその回路が必要なのかという理由づけまでである。

註:本稿で参照した敵対的建築をめぐる議論は、その多くが大都市の駅前広場や街路を対象としており、住宅地の小さな公園を直接扱ったものではない。適用にあたっては、規模・管理主体・近隣関係の違いを踏まえた読み替えが必要である。また、本稿は個別の設備の是非を判定していない。判定には、その場に他にどのような選択肢があるかという周辺条件の観察が不可欠であり、それは踏査の後にはじめて可能になる。

最後に、本稿の基本的な立場をあらためて記しておく。公共空間の設計を論じるとき、誰かを問題として名指すことは容易であり、その誘惑は強い。しかし、公園に長くいる人も、来なくなった人も、苦情を寄せる近隣住民も、限られた予算のなかで判断する管理者も、それぞれの位置で合理的に振る舞っている。問題は人ではなく、それぞれの合理性が積み重なった結果として現れる構造にある。構造は、名指しではなく、記録と説明と手続きによってしか変わらない。磐田市の公園100園を歩いて記録していく作業は、その最初の一歩に当たる。

参考文献

  1. ピーター・タウンゼント(1979)『Poverty in the United Kingdom』(Penguin Books)
  2. グラハム・ルーム編(1995)『Beyond the Threshold: The Measurement and Analysis of Social Exclusion』(The Policy Press)
  3. アマルティア・セン(1999)『自由と経済開発』(石塚雅彦訳、日本経済新聞社、2000)
  4. アンリ・ルフェーヴル(1968)『都市への権利』(森本和夫訳、筑摩書房、1969)
  5. マイク・デイヴィス(1990)『要塞都市LA』(村山敏勝・日比野啓訳、青土社、2001)
  6. ドン・ミッチェル(2003)『The Right to the City: Social Justice and the Fight for Public Space』(Guilford Press)
  7. ジェイン・ジェイコブズ(1961)『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010)
  8. ウィリアム・H・ホワイト(1980)『The Social Life of Small Urban Spaces』(The Conservation Foundation)
  9. オスカー・ニューマン(1972)『まもりやすい住空間』(湯川利和・湯川聰子訳、鹿島出版会、1976)
  10. ミシェル・フーコー(1975)『監獄の誕生——監視と処罰』(田村俶訳、新潮社、1977)
  11. The Center for Universal Design, North Carolina State University(1997)「The Principles of Universal Design, Version 2.0」
  12. 障害者の権利に関する条約(2006年国連総会採択・日本2014年批准)
  13. 児童の権利に関する条約(1989年国連総会採択・日本1994年批准)第31条
  14. 高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(平成18年法律第91号、バリアフリー法)
  15. 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
  16. 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
  17. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  18. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

← 社会科学 の論文一覧 公園学術論文 トップ 読みもの(公園ガイド)