生命・健康・心理・教育母親のメンタルヘルス
産後の孤立と外に出る力——支援・つながり・公園という中間地帯
要旨
出産の前後で母親の心身は大きく変化し、生活の形も変わる。育児期の孤立感やメンタルヘルスの問題は、支援制度が整えられてもなお和らがない場合があるという指摘がある。本稿は、周産期メンタルヘルスに関する基礎的な理解、母子保健法にもとづく乳幼児健診・産後ケア事業・子育て世代包括支援センターという支援の制度、そして社会的サポート理論における情緒的・道具的・情報的という三つの類型を、文献整理と概念分析によって整理する。実測調査や診断的な判断は行わない。
議論の中心は、支援の場に行くには一定の準備が要るという事実である。相談の予約、身支度、自分の状態を言葉にして説明する作業は、支援を求める側に負担を課す。これに対して公園は、予約も受付もなく、普段着のままふらりと立ち寄れる場所であるという性質を持つ。本稿はこの性質を、支援の場と生活の場の中間に位置する場所という意味で『中間地帯』と呼び、ウィニコットの潜在空間の議論やゴッフマンの自己呈示論を手がかりに検討する。
本稿の主張は、公園を専門的支援の代わりとして位置づけるのではなく、支援へとつながるまでの、あるいは支援を必要としない日々を支える、準備のいらない場所として位置づけることにある。育児の負担を母親だけに帰する語り方は避け、家族や地域が担うべき役割にも触れる。磐田市については、街区公園51園を中心とする100園の構成、地区ごとの分布、トイレ有69園という設備の状況を手がかりに、今後の踏査で確かめるべき視点を示す。
キーワード周産期メンタルヘルス産後うつ社会的サポート母子保健法孤立中間地帯子育て世代包括支援センター
1. はじめに——問題の所在
子どもが生まれた直後の数週間から数か月は、母親の身体と生活が最も大きく変化する時期である。出産による身体の回復途上に、昼夜を問わない授乳や世話が重なり、睡眠は分断される。加えて、妊娠・出産・産後という一連の過程では、ホルモンの水準が大きく変動するとされ、気分の波が生じやすい時期であることが知られている。この時期の心身の状態を本稿では『周産期』の心身の変化と呼び、以下の議論の出発点とする。
同時に、この時期は社会的な関係のあり方も変わる。出産前まで続けていた仕事や地域とのつながりが一時的に途切れ、日中の大半を乳児と二人きりで過ごす生活に切り替わる家庭は少なくない。近隣に頼れる親族が住んでいない場合や、就労形態の変化によって同僚との関係が薄れる場合には、日常的に言葉を交わす相手が乳児以外にいないという状況が生まれうる。この状況は、しばしば『孤立』という言葉で語られる。ただし孤立は個人の性格や努力の不足によって生じるものではなく、住まいの環境や制度、地域の関係性という外的な条件によって強まったり弱まったりする現象として捉える必要がある。
地縁や血縁にもとづく相互扶助が機能していた時代には、出産や育児にともなう負担は、近隣や大家族のなかで自然と分散されていたと考えられている。核家族化と都市化が進んだ社会では、こうした分散の仕組みが弱まり、育児の多くが一つの世帯、多くの場合は母親一人に集中しやすくなっているという指摘がある。本稿が『孤立』という言葉で捉えようとしているのは、単に人と会う機会が少ないという事実だけでなく、育児にともなう負荷を日常的に分かち合う相手が身近にいないという、支え合いの構造そのものの変化でもある。この変化は個々の家庭の選択の結果というより、住まい方や働き方全体の変化の帰結として捉えるべきものである。
こうした状況に対して、行政・医療・地域の各方面から支援の制度が整えられてきた。しかし、支援の制度が存在することと、その制度に実際にたどり着けることのあいだには距離がある。相談窓口を予約し、身支度を整え、自分の状態を言葉で説明して支援を受けるという一連の行為は、心身が疲弊している時期にはそれ自体が負担になりうる。本稿の問いは次の点にある。すなわち、支援の制度と日々の生活のあいだに、準備なしに立ち寄れる場所は存在するか。存在するとすれば、それはどのような性質を持つ場所か、という問いである。
本稿はこの問いを、公園という身近な公共空間に照らして検討する。方法は、周産期メンタルヘルス・社会的サポート論・発達心理学・社会学における既存の文献の整理と概念分析であり、当事者への調査や統計的な実測は行わない。引用する文献は、広く知られた古典と、法令・行政指針など公的な資料に限る。構成は次のとおりである。第2節で先行研究と概念を整理し、第3節で産後の心身の変化について確認したうえで、第4節で母子保健法にもとづく支援制度を、第5節で社会的サポート理論を検討する。第6節では公園を支援の場との対比のなかに位置づけ、第7節では育児の責任の分配について論じる。第8節で本稿の立場に対して想定される反論を検討し、第9節で磐田市の公園への示唆を述べ、第10節で結論と今後の課題を示す。
本稿が対象とするのは、乳児を育てる母親に限らない。父親やその他の主たる養育者も、生活の変化や孤立という点では似た経験をしうる。ただし周産期の身体的な変化は妊娠・出産を経た母親に固有のものであるため、本稿では主に母親の経験を軸に論じ、育児の負担や責任を母親だけに帰する語り方は避ける。なお本稿は医学的な診断や治療方針を示すものではない。心身の不調が疑われる場合の判断は、産婦人科・精神科などの医療機関や、居住する市区町村の相談窓口にゆだねられるべきものである。
なお本稿でいう『公園』とは、都市公園法にもとづいて地方公共団体が設置・管理する公共の公園を指し、私有地の遊び場や商業施設内の遊戯スペースは含まない。また『中間地帯』という語は本稿が議論の便宜のために用いる呼び方であり、確立した学術用語ではない。類似の発想として、オルデンバーグの『第三の場所』論があるが、この理論は主に大人同士の日常的な社交の場を論じたものであり、本稿が焦点を当てる、支援制度へのアクセスという文脈における準備の要不要という論点とは力点が異なる。第三の場所としての公園そのものについては、社会学の観点から公園を論じる別稿にゆだね、本稿では周産期という限定された時期の心身の状態との関係に絞って論じる。
本稿の題にある『外に出る力』とは、単なる体力や時間の余裕を指すのではなく、家の外に身を置いてもよいと思える心理的な余地を含む言葉として用いている。この力は、個人の性格に固定された特性ではなく、置かれた環境やそのときどきの心身の状態によって強くなったり弱くなったりするものと考えられる。本稿は、この力を発揮しやすくする環境条件の一つとして、公園という場所の性質に注目する。
産後の心身やメンタルヘルスをめぐる話題は、当事者にとって身近でありながら、他人に開示しにくいという性質を持つ。地域の情報発信の場でこの主題を扱うことには、支援の存在を知ってもらうという情報提供の意味と、支援を必要とすることは特別なことではないという理解を広げる意味の両方があると考えられる。本稿もその一環として、専門家ではない立場から、既存の知見を整理し直す試みである。
2. 先行研究と概念の整理
2.1 社会的サポート論
本稿が依拠する第一の理論は、社会的サポート論である。ハウス(1981年)は、他者から得られる支えを『情緒的サポート』『道具的サポート』『情報的サポート』という三つの類型に整理した。情緒的サポートとは、気持ちを聞いてもらう、共感を示してもらうといった支えである。道具的サポートとは、家事や育児を代わりに担ってもらう、送迎してもらうといった具体的な行為による支えである。情報的サポートとは、制度の情報や対処の方法を教えてもらうといった支えである。この三類型は、支援を『誰から』ではなく『どのような機能を果たすか』によって整理する点に特徴があり、家族・友人・専門職・地域社会など、担い手を問わず横断的に適用できる。
コーエンとウィリス(1985年)は、社会的サポートがストレスの影響を和らげる仕組みについて、二つの見方があることを整理した。一つは、サポートが常に一定の効果を持つとする見方であり、もう一つは、ストレスが高まった場面でサポートが緩衝材として働くとする見方(緩衝仮説)である。この整理は、平時には目立たないサポートが、負荷の高まる時期にこそ機能するという理解につながる。育児期、とりわけ産後の数か月は、身体的な負荷と生活の変化が重なる時期であり、緩衝仮説の観点から見て、サポートの有無が心身の状態に影響しうる時期であるとされる。
カトローナとラッセル(1990年)は、サポートの種類と、直面しているストレスの性質とを対応させる必要があるという『最適一致モデル』を提示した。たとえば、体調の不安には情緒的サポートが、家事の負担には道具的サポートが、制度の分かりにくさには情報的サポートが、それぞれ対応しやすいという考え方である。この観点に立てば、育児期の孤立感に対して有効なサポートは一種類ではなく、直面している困りごとの性質に応じて異なりうることになる。本稿が後段で公園という場所に注目する理由の一つも、この場所が複数の種類のサポートを緩やかに提供しうるという点にある。
社会的サポート研究の蓄積のなかには、サポートが実際に提供された回数そのものよりも、必要なときに頼れる相手がいると『感じられるかどうか』という認知的な側面を重視する立場もある。実際に手を貸してもらった経験の多さよりも、困ったときには頼れる場所や相手があると見込めることのほうが、心理的な安定に強く関わるという見方である。この観点に立てば、ある場所が持つ意味は、そこで実際に手助けを受けた回数だけでは測れない。困ったときに立ち寄れる場所がある、誰かがいるかもしれないという見込みそのものが、支えとして機能しうるという点も、本稿が公園という場所に注目する理由の一つである。
2.2 周産期メンタルヘルスと親子関係の理論
第二の理論的な柱は、周産期のメンタルヘルスに関する基礎的な理解である。出産後の数日から数週間に一時的な気分の落ち込みや涙もろさが現れることがあり、これは一般に『マタニティブルーズ』と呼ばれ、多くの場合は時間の経過とともに和らぐとされる。一方、気分の落ち込みや意欲の低下が長く続く状態は『産後うつ』という言葉で語られることがある。ただし、これらはいずれも医学的な診断名として個人に断定的に当てはめるべきものではなく、心身の状態の判断は産婦人科・精神科などの医療機関に委ねられるべきものである。本稿はこの点を一貫した前提とする。
産後うつの可能性を早期に把握する目的で、コックスら(1987年)はエジンバラ産後うつ病自己評価票(EPDS)という質問紙を開発した。日本語版についても信頼性と妥当性の検証が行われている(岡野禎治ほか、1996年)。EPDSはあくまで支援の要否を検討するための一つの手がかり、いわゆるスクリーニングツールであり、これ自体が診断を下すものではない。得点の高低にかかわらず、気になる症状があれば医療機関や地域の相談窓口に相談することが基本である。本稿がこの尺度に触れるのは、産後の心身の変化が医学的にも制度的にも把握の対象とされてきたという事実を示すためであり、個々の読者の状態を判定する目的ではない。
第三の柱は、親子関係の基盤に関する理論である。ボウルビィ(1969年)のアタッチメント理論は、乳児が特定の養育者との間に築く情緒的な結びつきを『愛着』と呼び、養育者が安心の基地として機能することの重要性を論じた。またウィニコット(1971年)は、乳幼児が母親から徐々に分離していく過程で、その中間にぬいぐるみなどの『移行対象』を必要とすることを論じ、内的な世界と外的な現実のあいだにある『潜在空間』という概念を提示した。本稿は第6節で、この潜在空間という発想を、母親自身が置かれる場所の性質に転用して考える手がかりとする。
以上で紹介した理論の多くは、欧米の臨床心理学・社会心理学の文脈で構築されたものである。文化的背景や家族制度、地域社会のあり方は国や時代によって異なるため、これらの概念をそのまま日本の状況に当てはめることには慎重さが必要である。本稿はこれらの理論を、日本の実態を直接説明する法則としてではなく、産後の経験を整理するための道具、いわば思考の枠組みとして用いる。したがって以下の議論も、特定の個人や家庭に断定的に当てはまる一般化としてではなく、一つの見方の提示として読まれるべきものである。
ここで確認しておくべきは、アタッチメント理論が本来は乳児と養育者のあいだの関係を扱う理論であり、養育者自身がどこから支えを得るかを直接論じるものではないという点である。本稿がこの理論に言及するのは、乳児にとって安心の基地が必要であるのと同様に、養育者自身にも安心して身を置ける場所が必要ではないか、という類推を示すためであり、理論の対象を無断で拡張して主張するものではない。この類推はあくまで本稿による発想の借用であることを断っておく。
3. 産後の心身の変化と『とされる』語り
出産後の身体は、時間をかけて元の状態に戻っていく過程にあるとされる。分娩の方法や経過によって、身体の回復にかかる時間や感じる負担には個人差が大きいと考えられている。この回復の途上で、授乳や抱っこ、夜間の頻繁な対応が重なることは、身体的な負担をさらに増す要因になりうる。本稿はこうした身体的な変化の詳細には立ち入らず、産後の一定期間は身体の回復途上にあるという前提のみを確認する。個々の回復の経過や、痛みや出血など気になる症状の評価は、産婦人科などの医療機関の診察によるべきものである。
妊娠・出産・産後にかけて、女性の体内のホルモンの水準は大きく変動するとされる。この変動が気分の波と関係しているという見方は広く共有されているが、気分の変化の現れ方には個人差が大きく、同じ変動を経験しても感じ方は一様ではないとされる。加えて、気分の状態は、ホルモンの変動という身体的な要因だけでなく、睡眠不足、育児の負担感、周囲からの支えの有無といった生活上の要因とも関わりあっているという指摘がある。したがって、産後の気分の変化を単一の原因に帰することは難しく、身体・生活・関係性が絡み合った現象として捉える必要がある。
育児期には、乳児の欲求を読み取り、その都度対応するという作業が昼夜を問わず続く。乳児の生理的なリズムは大人の生活時間とは一致せず、まとまった休息を取ることが難しい時期が続く。この状態が長く続くと、疲労が蓄積し、見通しの立たなさへの不安が強まることがあるとされる。日本の家族心理学の分野では、こうした育児にともなう漠然とした不安を指す言葉として『育児不安』という語が用いられてきた。この不安は、母親の能力や適性の不足を示すものではなく、支えの少ない環境のもとで誰にでも生じうる反応として理解される必要がある。
睡眠の分断は、産後の心身にとりわけ大きな影響を及ぼす要因の一つとされる。乳児の授乳や夜泣きへの対応によってまとまった睡眠が取れない状態が続くと、日中の集中力や気力が低下しやすくなるとされ、これが気分の落ち込みや疲労感の強さと関係しているという見方がある。睡眠不足そのものを完全になくすことは、乳児がいる生活のなかでは難しい場合が多いが、日中に短時間でも休める機会や、誰かに子どもを見てもらえる時間があることが、睡眠不足の影響を和らげる一助になりうるとされる。
生活リズムを整えるうえで、日中に屋外で過ごす時間や日光を浴びる機会が一定の役割を果たすという指摘もある。一日中室内で乳児と二人きりで過ごす生活が続くと、昼と夜の感覚が曖昧になりやすく、時間の区切りを失いやすいとされる。短時間であっても外に出て日中の光を浴び、体を動かす機会を持つことは、生活リズムを整えるための工夫の一つとして紹介されることがある。ただし、これは気分転換や生活習慣上の工夫であって、心身の不調そのものへの対処や治療に代わるものではない。
現代では、SNSなどを通じて他の家庭の育児の様子に触れる機会も増えている。他者と自分の状況を比べることが、時に気持ちの負担を増す場合があるという指摘もあるが、情報を得ること自体が一律に否定されるべきものではない。本稿はメディア環境の影響について立ち入った検討は行わず、対人関係における支えのあり方に議論の焦点を絞る。
以上で述べた心身の変化の経験の仕方には、大きな個人差があることを強調しておきたい。同じ出産という出来事を経ても、身体の回復の早さ、気分の波の大きさ、育児不安の強さは人によって異なる。就労状況、パートナーや家族からの支え、居住環境、これまでの人間関係のあり方など、多くの要因が絡み合っており、単一の典型的な物語に還元することはできない。本稿が特定の症状や割合を数値として挙げないのは、こうした個人差を踏まえ、断定的な語りを避けるためである。
本人が自分の変化に気づきにくい場合があることも指摘されている。気分の落ち込みや意欲の低下は、当人にとっては『こんなものだろう』と感じられ、周囲から見て初めて変化が明らかになることがあるとされる。この点から、パートナーや家族、あるいは公園で顔を合わせる程度の関係にある人が、普段との違いにさりげなく気づく機会を持つことにも意味があると考えられる。ただし、これは診断や評価を意味するものではなく、気になる場合には専門家への相談を勧めるという、緩やかな橋渡しの役割にとどまる。
産後の心身の変化を論じる際には、語り方そのものに注意が必要である。不調が起きて当然だと強調しすぎることは、かえって読者の不安をあおる恐れがある。逆に、誰もが乗り越えられるものだと強調しすぎることは、実際に困難を抱える人の経験を軽視することにつながりかねない。本稿は、心身の変化を『とされる』という留保をともなう言葉で述べ、症状の有無や重さについての判断を行わない方針を一貫させる。気になる症状がある場合や、日常生活に支障を感じる場合には、かかりつけの産婦人科、精神科、または居住する市区町村の保健センターや子育て世代包括支援センターに相談することが基本である。
4. 母子保健法にもとづく支援制度
こうした心身の変化に対して、日本には母子保健法(昭和40年法律第141号)にもとづく一連の支援制度が存在する。同法は、母性ならびに乳児・幼児の健康の保持及び増進を図ることを目的として、健康診査、保健指導、医療その他の措置を講じることを市町村等に求める法律である。以下では、この法律にもとづく代表的な制度を三つ取り上げる。
母子保健法は1965年に制定された法律であり、それ以前は児童福祉法のなかに母子保健に関する規定が置かれていたとされる。同法の制定によって、妊娠の届出、母子健康手帳の交付、健康診査、訪問指導などが体系的に位置づけられ、妊娠期から乳幼児期にかけての支援を一つの法律のもとで整理する枠組みが整えられた。母子健康手帳は、妊娠から出産、乳幼児期までの健康状態を記録する手帳として、多くの妊産婦に交付されている。
第一に、乳幼児健康診査である。母子保健法は、満1歳6か月を超え満2歳に達しない幼児、および満3歳を超え満4歳に達しない幼児に対する健康診査の実施を市町村に義務づけている。これらはいわゆる1歳6か月児健診・3歳児健診として広く知られており、乳幼児の身体の発育や発達の状況を定期的に確認する機会であるとともに、保護者が育児上の悩みを保健師や医師に相談できる機会でもある。
第二に、産後ケア事業である。母子保健法の改正により、出産後の母子に対して心身のケアや育児のサポートなどを行う事業が、市町村の努力義務として位置づけられている。事業の形態には、宿泊を伴う施設で支援を受ける形態、日帰りで施設に通う形態、助産師などが自宅を訪問する形態があるとされ、地域や実施主体によって提供される形態は異なる。この事業は、出産直後の母子に対して専門職による直接的な支援を提供する仕組みとして位置づけられている。
第三に、子育て世代包括支援センターである。母子保健法にもとづき、妊娠期から子育て期にわたる相談を切れ目なく受け止めることを目的として、市町村に設置の努力義務が課されている。保健師や助産師などの専門職が配置され、妊娠の届出から乳幼児健診、産後ケア事業の利用調整まで、一つの窓口で情報提供や相談対応を行うことが想定されている。名称や運営の形は市町村によって異なる場合があるが、妊娠期からの相談先を一本化するという考え方は共通している。
これら三つの制度に共通する特徴は、いずれも申請や予約、決められた日時への来訪を前提としている点である。乳幼児健診は指定された期日に会場へ出向く必要があり、産後ケア事業の利用には申込みや利用調整の手続きが必要であるとされる。子育て世代包括支援センターへの相談も、多くの場合は事前の連絡や来所を伴う。こうした制度は、専門職による質の高い支援を計画的に提供できるという利点を持つ一方で、利用する側には一定の準備と行動が求められるという性質を持つ。この性質は、次節で検討する社会的サポートへのアクセスの障壁と関わっている。
日本ではこれまで、出産前後の一定期間を自身の実家で過ごし、親から手助けを受ける『里帰り出産』という慣習が広く行われてきたとされる。この慣習は、産後ケア事業が想定するような専門職による支援とは異なる、家族内での道具的・情緒的サポートの一形態として理解できる。ただし、実家が遠方にある場合や、親自身が就労・健康上の事情で頼れない場合には、この慣習に頼ることが難しい家庭も少なくないと考えられる。制度的な支援と家族による支援のどちらか一方に頼るのではなく、両者を組み合わせて考える必要がある。
産後ケア事業をはじめとする支援制度の利用には、一定の利用料の負担を求める市町村が多いとされるが、具体的な金額や減免の仕組みは市町村ごとに異なる。制度の詳細や利用可能な支援の範囲は自治体によって差があるため、利用を検討する場合には、居住する市町村の窓口に直接確認することが基本となる。本稿はこうした制度の運用の細部には立ち入らず、支援制度に共通する性質の整理にとどめる。
相談窓口では、話した内容の秘密が守られることが前提とされている。この点は、支援を求める側にとって安心材料になりうる一方で、相談内容を専門職に開示すること自体への心理的な抵抗を感じる人もいるとされる。専門的な支援には、専門職による質の高い対応と引き換えに、自分の状況を他者に説明し開示するという一定の負担が伴うという構造があり、この点は第5節で改めて検討する。
5. 社会的サポートの三類型とアクセスの障壁
第2節で整理した社会的サポートの三類型——情緒的・道具的・情報的——は、前節で見た制度的な支援にも、家族や友人によるインフォーマルな支えにも、共通して当てはめることができる枠組みである。乳幼児健診や子育て世代包括支援センターは、主に情報的サポートと、専門職による相談を通じた情緒的サポートを提供する。産後ケア事業は、育児や家事を代わりに担うという意味で道具的サポートの性格を強く持つ。一方、家族や友人によるインフォーマルな支えは、三つの類型のいずれも含みうるが、担い手の生活状況によって、いつでも提供できるとは限らない。
支援にたどり着くまでには、いくつかの障壁があるとされる。第一に、予約や申込みという手続き上の障壁である。窓口の開所時間や担当者の都合に、自分の生活時間を合わせる必要がある。第二に、移動の障壁である。会場や窓口までの距離、交通手段、乳児を連れての移動そのものが負担になりうる。第三に、自分の状態を言葉にして説明するという心理的な障壁である。困っていることを整理し、初対面の専門職に伝えるという作業は、平常時であっても容易ではなく、疲労が蓄積した状態ではなおさら負担になりうる。
インフォーマルな支えについても、障壁がないわけではない。近隣に頼れる親族や友人がいない場合、支えを求める相手そのものが存在しない。相手がいる場合でも、迷惑をかけているのではないかという気兼ねや、他の母親と自分を比べてしまう感覚が、支えを求めることをためらわせる場合があるとされる。こうした心理的な負担は、個人の弱さの表れとして語られるべきではなく、支えを求めやすい環境が十分に整っていないという、環境側の問題として捉える必要がある。
支援の場に出向くこと自体が、新たな調整を必要とする場合もある。上の子どもがいる家庭では、健診や相談の間、その子どもを誰にどう見てもらうかという追加の調整が生じる。パートナーの勤務時間や、預け先の有無によっては、この調整だけで大きな負担になることがあるとされる。支援を利用するために、別の支援や調整が必要になるという入れ子状の構造も、アクセスの障壁の一つとして数えられる。
こうした障壁を踏まえ、支援を求める側が出向くのではなく、支援する側が出向く『アウトリーチ』という発想も広がりつつあるとされる。第4節で触れた産後ケア事業の訪問型はその一例である。しかし、あらゆる支援をアウトリーチ型に切り替えることは、担い手の確保や費用の面で容易ではない。すべての支援を専門職の訪問に頼るのではなく、利用者自身が無理なくたどり着ける場所を生活圏のなかに増やすという発想もまた、アクセスの障壁を下げる一つの方向でありうる。次節で扱う公園は、この後者の発想に近い位置にある。
ここでいう『障壁』は、金銭的な費用だけを指すものではない。時間の調整、心理的な準備、他者に自分の状況を説明する労力など、目に見えにくい負担の総体を指している。こうした負担は、支援の必要性が高い時期ほど大きく感じられやすいという逆説がある。心身が最も支えを必要としている時期に、支援にたどり着くための負担が最も重く感じられるという状況は、支援制度の設計を考えるうえで留意すべき点である。
| 類型 | 内容の例 |
|---|---|
| 情緒的サポート | 気持ちを聞いてもらう、そばにいてもらう、共感を示してもらう |
| 道具的サポート | 家事や育児を代わりに担ってもらう、送迎してもらう、物を貸してもらう |
| 情報的サポート | 制度や相談窓口の情報を教えてもらう、経験や工夫を共有してもらう |
以上を踏まえると、支援やつながりを必要とする母親にとって重要なのは、支援の種類を増やすことだけではなく、そこにたどり着くまでの障壁を下げることでもあるとわかる。予約がいらない、移動の負担が小さい、言葉で状況を説明しなくても居られる、という条件を満たす場所があれば、それは専門的な支援を代替するものではないにせよ、支援と生活のあいだをつなぐ役割を果たしうる。次節では、この条件に当てはまる身近な場所として、公園を取り上げる。
6. 公園という中間領域
都市公園法にもとづく公園は、都市計画区域内に設けられる公共の空地であり、誰でも無料で利用できることを基本的な性質とする。開いている時間帯であれば、住民登録の有無や所得、家族構成を問わず、誰でも出入りできる。この『誰でも』という性質は、対象者や利用要件が定められている支援制度とは対照的である。健診や産後ケア事業は、対象となる年齢や居住地、申込みの条件が定められた制度であるのに対し、公園は制度としての対象者を持たない、開かれた空間である。
この対照は、ゴッフマン(1959年)の自己呈示論を借りて整理することができる。ゴッフマンは、人がある場に臨むとき、その場にふさわしい振る舞いや身なりを整えて『表舞台』に立つ一方で、そうした演技から解放される『舞台裏』の領域を持つと論じた。相談窓口や健診会場は、多くの場合、来訪者が一定の身支度と心構えをもって臨む『表舞台』的な場である。これに対して公園は、普段着のまま、特段の準備をせずに居られる場所であり、舞台裏に近い性質を持つと考えられる。ここでの『舞台裏』とは気を抜いてよいという意味であり、安全への注意を怠ってよいという意味ではない。
もう一つの手がかりは、ウィニコット(1971年)の潜在空間・移行対象の議論である。ウィニコットは、乳幼児が母親という内的な安心と、外部の現実とのあいだを橋渡しする中間の領域を必要とすると論じた。本稿はこの発想を、乳児本人ではなく母親自身の経験に転用して考えることを試みる。すなわち、家庭という私的な空間と、支援制度や社会という公的な領域とのあいだに、その両者のどちらでもない中間の場所があってよいのではないか、という視点である。公園は、家庭ほど閉じておらず、支援の窓口ほど手続きを要さない、両者の中間に位置する場所として捉えることができる。
具体的には、公園は次のような形で、緩やかな社会的サポートを提供しうる。ベンチに座って乳児を見ているだけで、隣に座った別の親と自然に言葉を交わす機会が生まれることがある。これは情緒的サポートの萌芽である。遊具や砂場で子ども同士が関わるあいだ、大人同士で育児用品や近隣の情報を交換することがある。これは情報的サポートにあたる。困ったときに手を貸し合う関係が生まれることもあり、これは道具的サポートの芽生えといえる。ただし、これらはいずれも偶発的に生じうるものであり、公園に行けば必ず得られると保証されたものではない。
平日の日中、公園を利用する人の数は総じて少なく、静かな時間帯が多いと考えられる。これは、支援を求める母親にとって、多くの人と接する負担を避けながらも、完全に一人にはならないという、ちょうどよい距離感を選べる可能性を意味する。誰かと積極的に会話をしなくても、遠くに他の親子がいる、犬の散歩をする人が通りかかるといった、緩やかな『共在』の感覚だけでも、完全な孤立とは異なる状態を作り出しうるとされる。
同じ時間帯に同じ公園へ通ううちに、顔を覚える程度の関係が生まれることがある。グラノヴェター(1973年)は、頻繁に会う親密な関係だけでなく、顔を知っている程度の緩やかな関係、いわゆる『弱い紐帯』が、情報の流通や新たな関係の入口として重要な役割を果たしうることを論じた。公園で生まれる関係の多くは、この弱い紐帯に近い性質を持つと考えられる。強い友人関係を新たに築くことを目指さなくても、顔見知り程度の関係が積み重なること自体に意味があるという見方は、交流のハードルをさらに下げて考えるうえで参考になる。
もっとも、公園がこうした緩やかな共在や弱い紐帯の場として機能するかどうかは、公園そのものの物理的な条件にも左右される。座れる場所があるか、日差しや雨をしのげる場所があるか、他の利用者の姿が見える程度に見通しが開けているかといった条件は、そこに居続けられるかどうかを左右する。この点は第9節で、磐田市内の個々の公園に即して具体的に検討する。
| 条件 | 相談・支援の場 | 公園 |
|---|---|---|
| 予約・受付 | 必要な場合が多いとされる | 不要 |
| 身支度 | 整えて臨むことが多い | 普段着のままでよい |
| 利用できる時間 | 開所時間に限られる | 日中はおおむね自由 |
| 同伴者 | 一人で行く場面が多い | 子どもと一緒に行ける |
ここで急いで断っておかなければならないのは、公園が専門的な支援や制度に取って代わるものではないという点である。心身の不調が疑われる場合の判断や治療は、産婦人科や精神科などの医療機関にゆだねられるべきものであり、公園での気分転換がそれに代わるものではない。本稿が示したいのは、専門的な支援と日々の生活のあいだに、準備のいらない中間の場所があることの意味であって、支援そのものの必要性を否定することではない。この限界については第8節で改めて検討する。
公園で大人同士がやり取りをするあいだも、子どもへの注意が完全に途切れるわけではない。会話をしながらも視界の端に子どもの様子を捉えておくということは、多くの保護者が自然に行っている行為であるとされる。この『ながら』の関わり方は、相談窓口のように子どもを預けて集中して話すという形とは異なるが、子どもと共にいながら大人同士の緩やかな交流も成立するという、公園ならではの同時並行性を示している。
7. 母親だけに責任を置かない語り方
育児をめぐる語りにおいて、負担や責任がもっぱら母親に帰せられる傾向は根強い。日本の発達心理学の分野では、母性を女性に生まれつき備わった本能とみなす見方への批判が積み重ねられてきた(大日向雅美、2000年など)。母性を本能として語ることは、育児がうまくいかない場合の原因を個人の資質に帰する発想につながりやすく、支援や環境の不足という構造的な問題を見えにくくする恐れがある。本稿は、産後の孤立や心身の負担を論じるにあたって、母親個人の心構えや適性の問題としてではなく、支える人や場所がどれだけ用意されているかという環境の問題として捉える立場をとる。
制度面では、育児・介護休業法により、母親に限らず父親やパートナーも育児休業を取得できる枠組みが設けられている。取得の実態や職場の状況は家庭や勤務先によって異なるが、法制度としては、育児を担う主体を母親一人に限定しない方向が示されているといえる。パートナーが育児や家事を担うことは、前節で整理した道具的サポートの重要な担い手となりうるものであり、母親の孤立感を和らげる一つの要因になりうるとされる。
育児における父親の関与のあり方は、時代とともに変化してきたと考えられている。かつては家計を支えることが父親の主な役割とされる傾向が強かったが、近年は育児そのものへの直接的な関与が期待される場面が増えているとされる。もっとも、期待の変化が、実際の家事・育児時間の配分の変化にどこまで結びついているかについては、家庭や職場の状況によって差が大きく、一律に論じることはできない。
家族社会学の分野では、育児やケアの担い手を家族内部だけに求めるのではなく、保育・地域・行政を含めた社会全体で分担していくべきだという考え方が『ケアの社会化』として論じられてきた。この考え方に立てば、公園のような公共空間の充実も、ケアを社会全体で支える取り組みの一部として位置づけることができる。個々の家庭内での分担の見直しと、公共空間や制度の整備という社会的な取り組みは、対立するものではなく、両輪として進められるべきものである。
祖父母をはじめとする親族や、地域の子育て支援の担い手も、重要な役割を果たしうる。近くに祖父母が住んでいる場合、日常的な手助けや情緒的な支えを得やすいことがあるとされる一方で、遠方に住んでいたり、就労や健康の事情で頼れない場合もあり、祖父母の存在自体が支援を保証するわけではない。地域子育て支援拠点や児童館なども、家族以外の担い手として位置づけられる。育児の支え手を家族の内部に限定せず、地域という単位で考える視点が必要である。
公園で乳幼児を連れているのが多くの場合母親であるという光景が見られるとしても、それは母親が育児に最も適しているからではなく、就労形態や家事・育児の分担の現状が反映された結果である、と捉えるべきである。この光景を、母親の役割として自然視するのではなく、分担のあり方を映す指標として読むことが、本稿の立場である。公園という場所そのものに、母親だけを対象とする性質があるわけではない。父親や祖父母が子どもを連れて訪れることも当然想定される。
以上をまとめると、産後の孤立やメンタルヘルスの問題は、母親個人の資質や努力の問題としてではなく、支える人と場所がどれだけ用意され、そこに誰もが関わりやすい形で開かれているかという、環境と制度の設計の問題として検討されるべきである。次節では、ここまでの議論に対して想定される反論を取り上げ、公園という場所の位置づけをより慎重に検討する。
支えを得やすい環境にある家庭とそうでない家庭があることも事実である。近くに頼れる祖父母がいるか、パートナーの勤務形態に融通が利くか、地域に気軽に立ち寄れる場所があるかといった条件は、個人の努力では変えにくい場合が多い。本稿がこうした条件の違いに触れるのは、支えの少なさを個人の落ち度として語らないためであり、条件の違いを踏まえたうえで、誰にとっても利用しやすい公共の場所を整えることの意味を確認するためである。
ひとり親の家庭など、そもそもパートナーからの分担を前提にできない家庭もあることにも触れておきたい。こうした家庭にとっては、家族内での分担という発想よりも、地域や公共の場における支えの存在がいっそう重要な意味を持つと考えられる。育児の支え手を家族構成によらず考えるという視点は、多様な家族の形を念頭に置くうえでも必要である。
8. 反論と本稿の立場の限界
本稿の議論に対しては、いくつかの反論が想定される。第一の反論は、公園での気分転換は専門的な支援の代わりにはならない、というものである。この指摘は正当である。本稿は、公園が心身の不調に対する治療や専門的な介入に代わるものだとは主張していない。心身の不調が疑われる場合の判断は医療機関にゆだねられるべきであり、公園の存在はその必要性を弱めるものではない。本稿の主張は、専門的な支援を求めるに至るまでの日常、あるいは支援を必要としない多くの日々を、公園のような準備のいらない場所が下支えしうるという、限定された範囲にとどまる。
第二の反論は、公園にも行きにくさがある、というものである。これも妥当な指摘である。雨や強い日差し、真冬の寒さといった天候の条件は外出そのものを難しくする。ベビーカーや抱っこ紐での移動、混雑した時間帯の利用、周囲の目が気になるという感覚も、公園を訪れることへの障壁になりうる。防犯上の不安や、見知らぬ人ばかりの場所に一人で行くことへのためらいも無視できない。本稿は公園を『誰にでも常に開かれた、障壁のない場所』として理想化しているわけではなく、支援の場に比べれば準備の負担が相対的に小さいという、程度の差として位置づけている。
第三の反論は、公園に行くだけでは孤立の解消には至らない、というものである。見知らぬ人が隣り合っているだけでは会話が生まれるとは限らず、継続的な関係に発展するとは限らない。この指摘のとおり、公園は関係を作ることを保証する場所ではなく、関係が生まれる可能性を開いておく場所にすぎない。継続的なつながりを築くには、地域の子育てサークルや支援拠点など、より組織だった場が別途必要になる場合が多いとされる。公園はこうした場への入口や息継ぎの場として位置づけるのが妥当であり、それ自体を孤立解消の十分条件とみなすことはできない。
第四の反論として、乳児を連れて公園に行くこと自体に不安を感じるという声も想定される。上の子どもが遊具で遊ぶあいだ乳児から目を離せない、抱っこ紐やベビーカーのまま砂場や遊具に近づきにくいといった、乳児連れ特有の使いにくさは確かに存在する。こうした使いにくさは個人の不注意によるものではなく、公園の設計が主に幼児以上の子どもを念頭に置いてきたことの表れである可能性がある。乳児を連れた保護者が安心して過ごせる場所やベンチの配置については、今後の公園整備や踏査のなかで考慮されるべき課題である。
公園へのアクセスのしやすさは、居住地や移動手段によっても差が生じる。自家用車を利用できる家庭と、徒歩や自転車での移動に限られる家庭とでは、選べる公園の範囲が異なる。近くに小規模な公園がない地域に住む場合、公園という選択肢そのものが遠い存在になってしまう可能性もある。この点は、磐田市のように広い市域に公園が分散して立地する自治体では、とりわけ考慮すべき論点である。第9節ではこの点も踏まえて検討する。
身体を動かすことや外の空気に触れることが心身によい影響を与えうるという指摘は、公衆衛生の分野でも広く共有されている。ただし、この効果には個人差が大きく、症状の重さによっては外出そのものが難しい場合もある。無理に外出を勧めることは、かえって当事者を追い詰めかねない。本稿はあくまで、外に出られる状態にあるときに選べる選択肢の一つとして公園を位置づけており、外出そのものを義務や目標として課すものではない。
以上の反論はいずれも、本稿の主張を否定するものではなく、その適用範囲を明確にするものである。公園は特効薬ではなく、あくまで選択肢の一つであり、他の支援や工夫と組み合わせて活用されるべきものである。この留保を踏まえたうえで、次節では磐田市の公園を具体的に検討する。
以上の反論を踏まえ、本稿の立場を改めて限定しておく。公園は、専門的な支援や組織だった関係づくりに代わるものではなく、それらを補う位置にある一つの選択肢である。行きにくさが完全になくなるわけでもない。それでもなお、支援の場に比べて相対的に準備の負担が小さいという性質には意味があり、産後の限られた体力と時間のなかで選択できる場所の一つとして、公園を位置づけることには意義があると考える。
9. 磐田市の公園への示唆
9.1 磐田市全体の構成
以上の議論を、磐田市の公園に即して具体的に検討する。ATAWI PARKが収録する磐田市内の公園は100園であり、磐田市オープンデータ『都市公園一覧』の94園と、市施設ガイドのみに掲載される6園から成る。種別別に見ると、都市公園法上の街区公園が51園と最も多く、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外の公園6園、地区公園4園、総合公園・運動公園・風致公園が各3園と続く。国の目安では、街区公園の標準的な誘致距離は250メートルとされ、近隣公園は500メートルとされる。街区公園が過半を占めるという構成は、多くの住民にとって、遠出をせずに歩いて行ける距離に小さな公園が存在しうることを意味する。
地区別に見ると、磐田市は見付・中泉・御厨・豊田・南部・向陽・竜洋・福田・豊岡の9地区に分かれ、園数は豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園などとなっており、地区ごとに分布に差がある。設備面では、オープンデータで確認できる範囲において、トイレのある公園が69園、車いす対応トイレのある公園が34園、市施設ガイドの記載等から駐車場ありと判定できる公園が33園である。乳児を連れての外出では、おむつ替えや着替えができる場所の有無、車での移動のしやすさが行き先を左右する要因になりうるため、これらの設備情報は、本稿が論じてきた『準備の負担の小ささ』を具体的に左右する条件だといえる。
9.2 個別の公園と今後の踏査の課題
個別の例を挙げると、御厨地区の今之浦公園(近隣公園、面積13,675平方メートル)は、市施設ガイドの記載によれば、屋根付きの広場や3歳未満児向けの遊具、芝生広場を備え、駐車場もあるとされる。屋根のある広場は、天候に左右されにくい居場所になりうるという点で、第8節で述べた行きにくさの一部を緩和する条件になりうる。同じく御厨地区の安久路公園(地区公園、面積32,001平方メートル)は、インクルーシブエリアを含む複合遊具や幼児用遊具を備え、駐車場もあるとされる。幼児用の遊具が整っている公園は、乳幼児を連れた親にとって利用しやすい選択肢の一つになりうる。
磐田市のように自動車での移動が生活の基盤となっている地域では、公園までの移動手段が自家用車である家庭も多いと考えられる。駐車場の有無は、こうした地域における公園の使いやすさを直接左右する条件の一つである。市施設ガイドの記載等から駐車場ありと判定できる公園は100園中33園にとどまり、残りの公園については駐車場の有無が施設ガイドに明記されていない場合が多い。徒歩や自転車で行ける範囲に公園があるかどうかも地区によって差があると考えられ、この点は今後の踏査で地区ごとに確かめる必要がある。
豊田地区には、面積が数百平方メートル程度の小規模な都市緑地やポケットパークが複数存在する。たとえば豊田上新屋ポケットパーク(156平方メートル)や豊田森下ポケットパーク(286平方メートル)は、いずれも市施設ガイドに個別ページを持たない小さな緑地である。こうした場所は遊具や設備を持たない場合もあるが、散歩の途中で一息つける場所として、生活圏のなかに点在していること自体に意味があると考えられる。すべての公園が遊具や広い広場を備えている必要はなく、規模や機能の異なる公園が地区内に複数あることが、選択肢の幅を広げることにつながる。
なお、市施設ガイドにおける『駐車場:記載なし』という表記は、駐車場が存在しないことを意味するとは限らない。ガイドの記載が省略されている場合や、記載の更新が追いついていない場合も想定されるため、この点についても現地での確認が必要である。オープンデータや施設ガイドの記載は、あくまで公表されている範囲の情報であり、それ自体が公園の実態のすべてを表すものではない。
一方で、面積の小さい街区公園や広場公園、いわゆるポケットパークにも見過ごせない役割があると考えられる。たとえば見付地区の見付本通広場公園は面積372平方メートルと小規模だが、市施設ガイドによればトイレを備えるとされる。大きな総合公園まで出かけるには相応の準備と時間が必要になるのに対し、こうした小規模な公園は、近所を歩くついでに立ち寄れる距離にあることが多いと考えられ、第6節で論じた『準備のいらない中間地帯』としての性質を、大きな公園以上に体現しうる場所である可能性がある。
ただし、以上はいずれもオープンデータと市施設ガイドの記載にもとづく整理であり、ベンチの数や配置、日陰の有無、見通しの良さ、実際の混雑の程度といった、母親の視点から見た使いやすさに関わる情報は、現時点では確認できていない。ATAWI PARKの現地踏査は緒に就いたばかりであり、これらの項目は今後の踏査によって確かめる必要がある。本稿が示せるのは、磐田市内に街区公園を中心とした身近な公園が広く分布しているという構成上の事実までであり、個々の公園が実際にどれだけ『準備のいらない場所』として機能しているかは、今後の現地調査を通じて明らかにされるべき課題である。
今後の踏査では、本稿で論じてきた観点に沿って、ベンチの有無や数、日陰の落ちる位置、遊具から座れる場所までの距離といった項目を、公園ごとに記録していくことが課題になる。これらは、ATAWI PARKの読みものが扱う日陰や見守りといった主題とも重なる部分であり、母親のメンタルヘルスという観点からも、既存の調査項目に新たな視点を加えるものになりうる。
10. 結論と今後の課題
本稿は、産後の孤立と心身の変化をめぐる問題を、周産期メンタルヘルスに関する基礎的な理解、母子保健法にもとづく支援制度、社会的サポート理論という三つの柱から整理したうえで、公園という身近な公共空間の位置づけを検討した。支援の制度は専門職による手厚い支援を提供しうる一方で、予約や身支度、状態の説明という準備を利用者に求める。これに対して公園は、予約も受付もなく、普段着のまま子どもと一緒に立ち寄れる場所であり、支援の場と日々の生活のあいだにある中間地帯として位置づけられることを、ゴッフマンの自己呈示論やウィニコットの潜在空間論を手がかりに論じた。
同時に本稿は、育児の負担を母親だけに帰する語り方を避け、パートナーや祖父母、地域が担いうる役割にも触れた。また、公園が専門的支援に代わるものではないこと、天候や移動の負担など公園自体にも行きにくさがあること、公園に行くだけで孤立が解消するとは限らないことという限界も確認した。公園は万能の解決策ではなく、限られた条件のもとで選びうる、負担の小さい選択肢の一つとして位置づけられる。
今後の課題は大きく二つある。第一に、本稿はあくまで文献整理と概念分析にとどまっており、実際に磐田市内の公園がどの程度この中間地帯としての役割を果たしているかは検証されていない。ベンチの配置、日陰の有無、トイレまでの距離、見通しの良さといった項目は、今後のATAWI PARKの現地踏査を通じて一園ずつ確かめていく必要がある。第二に、本稿が扱わなかった論点、たとえば育児期の時間の使い方やジェンダーによる負担の偏り、地域社会における子育ての支え合いのあり方については、家族社会学やジェンダー研究、環境心理学など他の学問領域からの検討にゆだねたい。
本稿は公園学術論文シリーズの一編として、母親のメンタルヘルスという主題を軸に公園を論じた。関連する論点は、家族社会学の観点から育児期の人間関係網を論じる稿、環境心理学の観点から自然や屋外環境の回復効果を論じる稿、ジェンダー研究の観点から公園で過ごす時間の性差を論じる稿、社会学の観点から公園を『第三の場所』として論じる稿、発達心理学の観点から子どもの遊びを論じる稿など、他の学問領域からの検討にも及んでいる。本稿はこれらと部分的に重なりながらも、周産期という限定された時期の心身の状態と、支援制度へのアクセスという論点に焦点を絞った点に独自性がある。
産後の数か月は、多くの母親にとって人生のなかでもとりわけ変化の大きい時期である。この時期を支えるのは、専門的な支援制度だけでも、家族の善意だけでもなく、日常の生活圏のなかに準備なく立ち寄れる場所が存在するかどうかという、地味だが具体的な条件でもある。公園という、特別な意図をもって作られたわけではない身近な公共空間が、この条件の一部を満たしうるという点に、本稿は目を向けてきた。磐田市における100園という公園の広がりが、実際にどれだけこの役割を果たしているかを確かめる作業は、これからの踏査に引き継がれる。
本稿で用いた理論の多くは既存の学問領域から借りたものであり、公園に固有の効果を証明する実証研究ではない。本稿の位置づけは、既存の概念を手がかりに、公園という見慣れた場所を新しい角度から眺め直す試みにとどまる。この試みの妥当性を確かめるには、磐田市内の公園における今後の踏査と、利用する人々の声に耳を傾ける作業が欠かせない。
本稿で用いた事例や数値は、いずれも磐田市のオープンデータや市施設ガイドという限られた資料にもとづくものであり、実際の利用のしやすさを完全に反映しているわけではない。それでもなお、身近な公園の構成を具体的な数と場所で示すことには、抽象的な議論だけでは伝わりにくい手がかりを与える意味があると考える。
最後に改めて確認しておきたい。本稿は、産後の心身の変化について断定的な診断や判断を行うものではない。気になる症状や強い不調を感じる場合には、かかりつけの産婦人科や精神科、居住する市区町村の保健センターや子育て世代包括支援センターなど、身近な相談窓口に相談することが基本である。公園はそうした専門的な支援を求める道のりの一部として、あるいは支援を必要としない多くの日々を支える場所として、今後も検討に値する対象であり続けるだろう。
参考文献
- James S. House(1981)『Work Stress and Social Support』(Addison-Wesley)
- Sheldon Cohen & Thomas A. Wills(1985)「Stress, Social Support, and the Buffering Hypothesis」(Psychological Bulletin, 98巻2号)
- Carolyn E. Cutrona & Daniel W. Russell(1990)「Type of Social Support and Specific Stress: Toward a Theory of Optimal Matching」(B.R. Sarasonほか編『Social Support: An Interactional View』Wiley所収)
- ジョン・ボウルビィ(1969)『母子関係の理論I 愛着行動』(黒田実郎ほか訳、岩崎学術出版社、1976)
- Mark S. Granovetter(1973)「The Strength of Weak Ties」(American Journal of Sociology, 78巻6号)
- D.W.ウィニコット(1971)『遊ぶことと現実』(橋本雅雄訳、岩崎学術出版社、1979)
- アーヴィング・ゴッフマン(1959)『行為と演技——日常生活における自己呈示』(石黒毅訳、誠信書房、1974)
- John L. Cox, Jenifer M. Holden & Ruth Sagovsky(1987)「Detection of Postnatal Depression: Development of the 10-item Edinburgh Postnatal Depression Scale」(British Journal of Psychiatry, 150巻6号)
- 岡野禎治ほか(1996)「日本語版エジンバラ産後うつ病自己評価票(EPDS)の信頼性と妥当性」(精神科診断学、7巻4号)
- 大日向雅美(2000)『母性愛神話の罠』(日本評論社)
- 母子保健法(昭和40年法律第141号)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。