人文学西洋古典学

アゴラとアカデメイアの森——古代ギリシア・ローマの公共空間と樹木

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:西洋古典学 公開・更新 2026-08-17 本文 約21,188字 読了目安 39分

要旨

本稿の目的は、古代ギリシア・ローマの屋外の公共空間を整理し、現代の公園がその原型から何を受け継ぎ、何を失ったかを検討することである。公園は近代の制度であり、日本では明治6年(1873)の太政官布達に始まるとされるが、人が屋外の一区画に集まって話し、休み、体を動かす営みははるかに古い。本稿はアゴラ(市民の集まる広場)、ギュムナシオン(裸で運動する場所)、プラトンが学園を開いたアカデメイアの木立、聖なる森、ローマのフォルム・ポルティクス(柱廊)・公共浴場を順に取り上げる。方法は文献整理と概念分析であり、プラトン、アリストテレス、ウィトルウィウス、パウサニアス、プリニウスなど実在と内容が広く確認されている古典に依拠する。

検討を通じて三つの補助線を立てた。第一に、古代の公共空間では政治・商取引・運動・思索が同じ場所で重なっており、機能を分けるべきだという主張は既にアリストテレスに見られるものの、分離は完成していなかった。第二に、樹木は日陰を作る装置であると同時に、聖域の標識であり、伐採を禁じる根拠を伴っていた。第三に、ストアやポルティクスという屋根のある歩行空間が広場に付随し、天候にかかわらず滞在と会話を可能にしていた。現代の公園はこの三つのうち、機能の同居をゾーニングと禁止事項によって解き、樹木の根拠を安全と快適という機能に一本化し、屋根のある空間を大幅に減らした。

ただし本稿は古代への回帰を説くものではない。古代の公共空間は成年男性市民に偏って開かれており、開かれの度合いでは現代の公園がはるかに優れている。本稿が古代に見るのは開かれの範囲ではなく空間の作り方であり、分けたあとに再び重なる場所が用意されているかを問う視点である。最後に磐田市の都市公園100園を種別・地区・施設の記載に照らして読み直し、街区公園51園という分散した小広場の網、かぶと塚公園の運動施設群、今之浦公園の屋根付広場と水、遠江国分寺史跡公園や京見塚公園のような遺構と重なる園を、古典の枠組みに対応づける。現地踏査は始まっていないため、木陰や屋根の実際の使われ方は今後の課題として残す。

キーワードアゴラギュムナシオンアカデメイア聖なる森ポルティクス公共空間磐田市

1. はじめに——問題の所在

公園は近代の制度である。日本で公園が制度として現れたのは明治6年(1873)の太政官布達によるとされ、現在の枠組みは都市公園法(昭和31年法律第79号)が定めている。しかし、人が屋外の一区画に集まり、そこで話し、休み、体を動かし、ときに決めごとをするという営みは、制度としての公園よりはるかに古い。本稿が扱う古代ギリシア・ローマの屋外の公共空間は、そうした営みのうち、記録が比較的よく残っている最も早い時期の例である。

本稿の問いは二つである。第一に、古代ギリシア・ローマの人びとが屋外の公共空間に備えさせたものは何であったか。第二に、現代の公園はそこから何を受け継ぎ、何を失ったか。前者は西洋古典学の主題であり、後者は都市計画学や造園学の主題であるが、両者を突き合わせてはじめて、現代の公園の設計と運用が当たり前としている前提が輪郭をもつ。当たり前を疑うために、いったん時代の外へ出るというのが本稿の方法である。

なぜ古典に遡るのか。近代の公園はヨーロッパで成立し、日本はそれを輸入した。そして近代の都市と施設の語彙の多くは古典に由来する。フォーラム、アカデミー、ジムナジウム、プロムナード、ポルティコ、パーゴラ——これらはいずれも古代の空間や場所の名であり、今日では学校や体育施設や商業施設の名として、元とは別の意味を担って使われている。語が生き延びて中身が入れ替わった箇所には、たいてい何かが起きている。本稿はその入れ替わりを追う。

1.1 方法と資料

方法は文献整理と概念分析である。用いるのは、プラトン、アリストテレス、トゥキュディデス、ウィトルウィウス、パウサニアス、プリニウスといった、実在と内容が広く確認されている古典に限る。古代の個別の遺構について寸法や造営年代を細かく論じることはしない。本稿の関心は、古代の人びとが公共空間に何を期待し、何を当然としていたかという、記述から読み取れる水準にあるからである。この水準であれば、考古学的な新知見によって細部が改まっても、議論の骨格は揺らぎにくい。

事例参照は、磐田市の都市公園100園を収録した当サイトのデータベースに基づく。ただし当サイトの現地踏査は始まったばかりであり、園ごとの樹木の量、木陰の位置、屋根のある場所の使われ方は、まだ確かめられていない。本稿が磐田市の公園について述べるのは、市のオープンデータと市の施設ガイドに記載のある事実の範囲にとどめ、それ以外は今後の踏査課題として明示する。

聖域集まり樹木古典
図1本稿の視野。古代の公共空間を、聖域・集まり・樹木という三つの層が重なった場所として読み、古典の記述からその重なりを取り出す。

1.2 古代を理想化しないこと

あらかじめ断っておかねばならないことがある。古代ギリシア・ローマの公共空間は、現代の公園よりも開かれていたわけではない。アテナイのアゴラで政治に参与したのは成年男性市民に限られ、女性、在留外国人、奴隷はそこから排除されるか、限定された役割しか与えられなかった。ギュムナシオンも同様に、利用できる者の範囲は狭かった。したがって本稿は古代に戻れと主張するものではない。だれに開かれているかという一点において、現代の公園は古代の公共空間よりはるかに優れている。

本稿が古代に見るのは、開かれの範囲ではなく空間の作り方である。狭い範囲の人びとにしか開かれていなかったにせよ、その空間の内部では、政治と商いと運動と思索が同じ場所で重なっていた。樹木は日陰を作る以上の意味を負っていた。屋根のある歩行空間が広場に付随していた。この三点が、以下の議論を貫く補助線である。開かれの拡大と、空間の作り方の貧しさは、両立しうる。現代の公園を考えるうえで厄介なのは、この二つが別々の軸だという点にある。

註:本稿で「公共空間」というとき、それは都市の中にあって特定の私人の許可なく立ち入りうる屋外の場所、という緩い意味で用いる。古代の各施設が法的にどのような地位にあったかは時代と都市によって異なり、その差異の詳細は本稿の射程を超える。

以下、第2節で用語と概念を整理する。第3節でアゴラ、第4節でギュムナシオンとパライストラ、第5節でアカデメイアの木立、第6節で聖なる森、第7節でローマのフォルム・ポルティクス・公共浴場を順に検討する。第8節で継承と喪失を整理して想定される反論に応じ、第9節で磐田市の公園に当て、第10節で結論と今後の課題を述べる。

2. 先行研究と概念の整理

本節では、以下の議論で使う古代の空間の名を整理し、本稿の三つの補助線を明示する。古代の空間を現代の公園と比べるとき、最初につまずくのは語である。アゴラを「広場」と訳し、ギュムナシオンを「体育館」と訳した瞬間に、元の語がもっていた幅が落ちる。そこで、まず語の原義と実際の機能を並べ、対応する現代の施設をあえて複数挙げておく。一対一で対応しないことこそが、本稿の出発点だからである。

2.1 用語の整理

原義・由来実際に営まれたこと現代で近いもの
アゴラ(ギリシア)集めること・集まりに由来する語民会・裁判・市・祭礼・立ち話駅前広場、市役所前、商店街、公園
ストア(ギリシア)柱の並ぶ屋根付きの歩廊歩行・待機・売買・講義アーケード、回廊、屋根付広場
ギュムナシオン(ギリシア)裸を意味する語に由来運動・入浴・教育・交際運動公園、体育館、公民館
パライストラ(ギリシア)格闘技のための場所相撲や拳闘の練習・少年の教育武道場、グラウンド
アルソス(ギリシア)神域の中の木立祭祀・集会・木陰での滞在鎮守の森、風致公園
フォルム(ローマ)屋外の・戸外のという語に由来政治・裁判・演説・商業中心広場、庁舎前広場
ポルティクス(ローマ)柱で支えられた屋根付きの通路散策・待避・展示・会話回廊、アーケード、東屋の連なり
テルマエ(ローマ)熱を意味する語に由来する公共浴場入浴・運動・読書・談話温浴施設、コミュニティ施設

この表から二つのことが読み取れる。第一に、どの語も「する」ことが複数ある。アゴラは市場でも議場でも法廷でもあり、ギュムナシオンは運動場でも学校でも社交場でもあった。第二に、現代の対応物は一つに定まらない。アゴラに対応するものを探すと、駅前広場と市役所前と商店街と公園に分かれてしまう。これは翻訳の問題ではなく、現代の都市が機能ごとに場所を分けた結果である。

2.2 本稿の三つの補助線

第一の補助線は機能の同居である。古代の公共空間では、政治・商取引・運動・思索・祭祀が、同じ場所で、しばしば同じ時間に重なっていた。重なりは混雑と紛争を生むが、同時に、ある目的で来た人が別の目的の人と出会う機会を生む。現代の公園はこの重なりを、ゾーニングと禁止事項によって解いてきた。解くことには理由があるが、解いた後に何が残るかは別に問われねばならない。

第二の補助線は樹木の意味である。古代において、公共空間の樹木は日陰を作る装置であるだけでなく、そこが神域であることの標識であり、伐採や持ち出しを禁じる根拠を伴っていた。木を守る理由が、快適さや景観とは別の次元にあったということである。現代の公園の樹木は、原則として機能——木陰、景観、緑量、生物の生息——によって根拠づけられる。根拠が機能に一本化されると、機能が満たされない場面で木は減りやすい。

用語の対応三つの補助線樹木の位置
図2分析の枠組み。古代の語と現代の施設は一対一で対応しない。機能の同居・樹木の意味・屋根のある空間という三つの補助線で読み直す。

第三の補助線は屋根のある公共空間である。ギリシアのストア、ローマのポルティクスとバシリカは、いずれも屋外の広場に付随する屋根のある空間であった。屋根があることで、雨の日も強い日差しの日も、人は広場の縁に残ることができた。現代の日本の都市公園に、屋根のある滞在空間は多くない。東屋や屋根付広場は例外的な設備として扱われ、雨が降れば公園は空になる。この差は設計思想の差であり、気候の差だけでは説明がつかない。

2.3 資料の性格と限界

本稿が依拠する古典は、いずれも特定の立場から書かれた文章である。プラトンの対話篇は文学作品であり、そこに描かれる木陰の情景は現実の記録ではなく、議論の舞台として選ばれた設定である。ウィトルウィウスの『建築書』は規範を述べる書物であり、実際の都市がその通りであったことを保証しない。パウサニアスの『ギリシア案内記』は2世紀の旅行記であり、彼が見たのは既に古びた聖域である。

しかし、理想像や規範であることは欠点だけではない。ある社会が公共空間に何を期待していたかを知るうえでは、実測値よりも規範のほうが雄弁なことがある。ウィトルウィウスが劇場の背後に柱廊を置けと書いたのは、書かねばならないほどその必要が意識されていたからであり、プラトンが対話の舞台にプラタナスの木陰を選んだのは、読者にとってそこが語り合う場所として自然だったからである。本稿は古典を、事実の台帳としてではなく、期待の記録として読む。

3. アゴラ——機能が同居する広場

アゴラは、ギリシアの都市の中心にあった屋外の広場である。語そのものは「集める」「集まる」を意味する動詞に由来し、集まりの場と集まりそのものの両方を指した。市場を意味する語としても用いられたが、市場はアゴラで行われることの一つにすぎない。本節では、アゴラで何が同時に営まれていたかを整理し、機能を分けるべきだという議論が古代に既にあったこと、しかし分離が完成しなかったことの意味を検討する。

3.1 一つの場所で行われていたこと

アゴラで営まれたことは、大きく四つに分けられる。第一に政治である。民会が別の場所で開かれる都市もあったが、評議会の建物や役所はアゴラに面して置かれるのが通例であり、公的な掲示もそこでなされた。第二に司法である。裁判の場、あるいは裁判に関わる建物がアゴラに置かれた。第三に商業である。売り手は種類ごとにまとまって場所を占め、買い物は日常の行為であった。第四に宗教と祭礼である。祭壇や小さな神域がアゴラの内部や周縁にあり、行列がそこを通った。

そしてこれら四つの隙間に、五つ目のものがあった。用のない滞在である。人はアゴラに来て、知り合いを探し、噂を交換し、他人の議論を聞き、日を過ごした。ソクラテスがアテナイの市中で人をつかまえて問答をしたという像は、アゴラのこの側面を前提としている。用のない滞在は、政治や商業のような明確な用途をもたないがゆえに、記録に残りにくい。しかしそれこそが、他の四つを互いにつなぐ潤滑油であった。

重要なのは、これらが時間帯によって整然と分かれていたわけではないという点である。買い物客の傍らで公的な掲示が読まれ、祭礼の行列の脇で商いが続いた。トゥキュディデスが伝えるペリクレスの葬送演説は、アテナイ市民の生活が公の事柄と私の事柄を切り離さずに営まれていたことを誇る趣旨を含んでいる。公私の未分化は、近代からは未熟に見えるが、当人たちにとっては都市の長所として語られていた。

集会立ち話掲示
図3アゴラの同居。政治・司法・商業・祭礼が同じ広場で重なり、その隙間に用のない滞在があった。掲示と立ち話が情報を媒介した。

3.2 分けるべきだという議論——アリストテレスの二つのアゴラ

機能の同居は、古代の人びとにとっても自明の善ではなかった。アリストテレスは『政治学』の理想国家論のなかで、アゴラを二種類に分けることを論じている。一つは商品と商人のためのアゴラであり、もう一つは売買を持ち込まない広場で、テッサリアではこれを「自由人のアゴラ」と呼ぶとされる。後者には役人や上位の年齢層の市民が集い、労働に従事する者や商人は招かれないかぎり立ち入らない。神殿や役所はこの広場に面して置かれる。

これは、機能によって空間を分けるという発想の、きわめて早い表明である。ただし、その動機は現代のゾーニングとは異なる。現代の用途地域が騒音や交通や衛生を理由に用途を分けるのに対し、アリストテレスの分離は身分と価値の序列に基づいている。商いは市民の徳を涵養する活動ではないから、公の議論の場から遠ざけるべきだ、という論理である。分離の技術は同じでも、分離の理由は正反対に近い。

そして重要なのは、この提案が理想論として述べられたということである。現実のアゴラでは、政治と商業は隣り合ったままであった。分離を望む声がありながら分離しきらなかったのは、都市の規模が小さく、場所を分けるほどの余裕がなかったという事情もあろう。だが結果として、古代の広場は、分けるべきだという議論を内部に抱えたまま、混じった状態で機能し続けた。

3.3 縁を囲む柱廊

アゴラを語るとき、広場の空白部分だけを見ると本質を落とす。アゴラの縁には、しばしばストアと呼ばれる柱廊が置かれた。片側が広場に開き、屋根と列柱をもつ細長い建物である。ストアは雨と日差しを避ける場所であり、店が並ぶ場所であり、待ち合わせの場所であり、講義の場所でもあった。哲学の学派の一つであるストア派の名が、アテナイの彩色されたストアに由来するとされることは、この空間の使われ方をよく示している。

つまりアゴラは、屋根のない広場と屋根のある縁の組合せであった。この組合せが、天候にかかわらず人が滞在できる条件を作っていた。広場だけでは、夏の日中と雨の日に人は消える。縁の屋根があってはじめて、広場は年間を通じて機能する。現代の公園を古典に照らして考えるとき、最初に問われるべきはこの点である。日本の街区公園の多くは、屋根のない広場だけで構成されている。

註:ストアが具体的にいつどこに建てられたかは都市ごとに異なり、本稿は個々の建物の年代を主張しない。ここで述べているのは、広場の縁に屋根のある歩廊を置くという型が広く共有されていたという水準の事柄である。

4. ギュムナシオン——体を動かす場所が学びの場所であったこと

ギュムナシオンは、ギリシアの都市が備えた運動のための公共施設である。語は裸を意味する語に由来し、運動が裸で行われたことを示す。しかしギュムナシオンで行われたのは運動だけではない。本節では、この施設が運動・入浴・教育・交際を一つの敷地に抱えていたことを確認し、現代の公園における運動施設の分離と対比する。

4.1 城壁の外、水と木のある場所

アテナイのギュムナシオンとしてよく知られるのは、アカデメイア、リュケイオン、キュノサルゲスの三つである。いずれも市街の中心ではなく郊外、城壁の外側に置かれた。理由は単純で、走路や競技のために広い平地が要り、体を洗うために水が要り、真夏に屋外で運動するために木陰が要ったからである。ギュムナシオンは、水の得やすい低地や川沿いに、樹木を伴って営まれた。

この立地の条件は、そのまま空間の性格を決めた。ギュムナシオンは、都市の中心の密度から少し離れた、樹木と水のある開けた場所であった。現代の言葉で言えば、運動公園と緑地と社交場を兼ねた郊外の施設である。都市の外に出ることが日常の一部として組み込まれていたという点で、現代の郊外型スポーツ施設と似た側面をもつ。ただし決定的に違うのは、そこが同時に学びの場所であったことである。

施設の中心にはパライストラと呼ばれる区画があった。もとは格闘技のための場所を意味し、中庭を柱廊が囲む形をとることが多かったとされる。中庭で体を動かし、周囲の屋根の下で休み、着替え、油を塗り、体を洗う。屋根のある縁が中庭を囲むという構成は、アゴラとストアの関係と同型である。ギリシアの公共空間は、開いた面と屋根のある縁の組合せを、規模を変えて繰り返していた。

運動木陰と水問答育つこと
図4ギュムナシオンの構成。走る場所と木陰と水が同居し、その縁の屋根の下で会話と教育が行われた。運動と学びは分かれていなかった。

4.2 運動と会話が同じ屋根の下にあったこと

プラトンの対話篇のいくつかは、パライストラやギュムナシオンを舞台としている。ソクラテスが若者と出会い、問答が始まる場所として、運動施設が選ばれているのである。これは偶然ではない。若者が集まる場所であり、大人が彼らを見に来る場所であり、体を動かした後の余白の時間がある場所であったから、そこは議論の場所になった。運動と学びは、施設として分かれていなかっただけでなく、時間としても連続していた。

ホイジンガは『ホモ・ルーデンス』(1938)で、競技と祭祀と教育が未分化のままひとつの遊びの形式に含まれていたことを、古代文化の特徴として論じた。ギュムナシオンはその具体例と見ることができる。体を鍛えることは、単なる健康の手段でも競技の準備でもなく、市民として立ち現れるための訓練であり、その訓練の場が同時に言葉を交わす場であった。

ここには年齢の同居もあった。少年、青年、成人が同じ敷地を使い、年長者が年少者を見ており、その視線が指導にも監視にもなっていた。この構造には現代から見て問題含みの面もあり、無条件に称揚できるものではない。だが、年齢の異なる者が同じ屋外の場所を共有し、互いの姿が見えていたという事実は、現代の公園を考えるうえで参照に値する。

4.3 現代の公園における分離

現代の日本の都市公園では、運動の機能は制度的に切り分けられている。都市公園法の体系では、運動施設を主とする公園は運動公園として別の種別に位置づけられ、街区公園や近隣公園とは規模も目的も区別される。運動をしたい人は運動公園へ行き、幼い子と過ごしたい人は街区公園へ行く。この分業は明快であり、施設の管理や安全確保の面で合理性がある。

しかし分業には副作用がある。第一に、運動する人と運動しない人が同じ場所にいなくなる。第二に、年齢の分離が進む。乳幼児向けの遊具、対象年齢の表示、球技の可否——現代の公園の運用は、だれがどこで何をするかを細かく定める方向に進んできた。国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」が対象年齢の明示を求めているのは安全上の理由であり妥当だが、結果として空間は年齢で仕切られる。

第三に、運動の後の余白が失われる。ギュムナシオンには、体を動かした後に体を洗い、休み、話す時間と場所があった。現代の運動公園は、競技のための施設としてよく整っているが、競技が終わった後にそこに留まる理由は乏しい。健康遊具が街区公園や近隣公園に置かれるようになったことは、この分離をわずかに縫い直す試みとして評価できる。運動の機能を、専用施設からもう一度日常の場所へ戻す動きだからである。

5. アカデメイアの木立——木陰で考えるということ

アカデメイアは、アテナイ郊外にあった聖域であり、ギュムナシオンでもあった。英雄アカデモスにちなむ名とされ、オリーヴをはじめとする樹木の茂る場所であった。プラトンがここに学園を開いたのは紀元前4世紀の初めとされ、その名は後世の「アカデミー」の語源となった。本節では、木立という環境と思索という営みの結びつきを、古典の記述から取り出す。

5.1 木を植え、水を引くこと

アカデメイアが快適な木陰の場所になったのは自然のままの結果ではなく、人の手が加えられたからだと伝えられている。プルタルコスは『英雄伝』のキモン伝で、キモンがアカデメイアに水を引き、木を植えて、走路と木陰の散歩道のある場所に整えたという趣旨を伝えている。年代や工事の内容の細部を本稿は主張しないが、公共の場所に樹木を植えるという行為が、政治家の事績として語り継がれるだけの意味をもっていたことは重要である。

木を植えることが公共事業として記録されるのは、木陰が単なる快適さではなく、その場所が使われるための条件だったからである。地中海の夏の日射のもとで、木陰のない屋外の広場は昼のあいだ使えない。木を植え、水を引くことは、屋外空間の利用可能な時間を延ばす投資であった。現代の言い方をすれば、緑陰は施設整備であり、維持管理の対象である。

この点は現代の公園にそのまま当てはまる。真夏の日中、日陰のない広場は使われない。環境省が公表している暑さ指数(WBGT)の考え方でも、日射と輻射は指標の構成要素であり、日陰の有無は体感を大きく左右するとされる。樹木は、遊具や水飲み場と同じ意味で、公園の使える時間を決める設備である。ただし、古代においてはそれだけではなかった、というのが次の論点である。

木陰歩く問答強い日差し
図5木立と思索。木陰は日射から逃れる装置であると同時に、日常の用から少し外れて歩き、話すための場所でもあった。

5.2 歩きながら考える——ペリパトス

アリストテレスがアテナイのリュケイオンで学校を開いたことはよく知られる。その学派は逍遥学派と呼ばれ、名称はペリパトス、すなわち歩廊あるいは歩き回ることに由来するとされる。歩廊を行き来しながら講義したという伝承の当否はさておき、学びの場所の名として「歩く」ことが選ばれた事実は、空間と思考の関係についての当時の理解を示している。

歩くことと考えることの結びつきは、屋外の細長い空間を必要とする。座って向かい合う空間ではなく、並んで移動できる空間である。柱廊も、木立の中の道も、この条件を満たす。ここから、公共空間の質を測る一つの尺度が得られる。すなわち、その場所に「行って戻ってこられる長さの道」があるか、という尺度である。滞在の場所(ベンチ、広場)と、移動の場所(園路、歩廊)は、別々に評価されるべきものである。

現代の街区公園は、面積が小さいために園路が短く、周回できる道をもたないことが多い。ベンチは置かれるが、歩く距離はない。一方、緑道や河川敷の公園は歩く距離をもつが、滞在の設備が乏しい。両方を備えた公園は、規模の大きな総合公園や地区公園に限られやすい。古典の視点から見ると、この分離もまた、機能の分業が生んだ帰結である。

5.3 『パイドロス』のプラタナス

木陰と対話の結びつきを最も鮮やかに示すのは、プラトンの『パイドロス』の冒頭である。ソクラテスとパイドロスは城壁の外へ出て、イリソス川のほとりを歩き、高いプラタナスの木の下に腰を下ろす。そこは木陰があり、涼しい水が流れ、蝉が鳴き、ニンフに捧げられた場所であることが示される。対話は、この場所の描写を丁寧に済ませてから始まる。

この場面には逆説がある。ソクラテスは自分について、田園や樹木は何も教えてくれず、町にいる人間こそが教えてくれるのだ、という趣旨のことを述べる。学ぶ相手は人であって自然ではない、という宣言である。にもかかわらず、その日の対話は木陰で行われる。都市の人であることを自認する哲学者が、都市の外の木の下で最も長い対話をする。この配置は偶然ではない。

読み方の一つはこうである。木陰は、教えを与える主体ではないが、教えが交わされる条件を整える。日射を遮り、水の音で街の騒がしさを覆い、座る場所を与え、なによりも、そこにいる者を日常の用から一時的に外す。用があって来た場所ではないから、話は長くなり、話題は逸れることが許される。木陰の価値は、そこで何かが得られることにではなく、急がなくてよくなることにある。

現代の公園における木陰も、同じ二重性をもつ。熱中症の予防という機能的な価値は明確で、判断は気象情報や関係機関の指針に従うべきものである。しかしそれとは別に、木陰は滞在の質を変える。日向のベンチは通過点になり、木陰のベンチは滞留の場所になる。公園を「どれだけ長くそこにいられるか」で測るなら、木陰の量と配置は遊具の数より重い変数でありうる。

6. 聖なる森——樹木を守る根拠はどこにあったか

前節では、木陰が滞在の条件を作ることを見た。本節では、古代における樹木のもう一つの位相、すなわち聖性を扱う。ギリシアではアルソス、ローマではルクスと呼ばれる神域の木立が各地にあり、そこでは樹木そのものが崇敬の対象、あるいは神の在所の標識であった。この位相は現代の公園から失われている。失われたことをどう評価すべきかを、本節の終わりで検討する。

6.1 神域と木立

ギリシアの神域はテメノスと呼ばれ、切り取られた区域を意味する。都市の日常の土地から線を引いて切り離された場所であり、その内部には祭壇があり、しばしば神殿があり、そして多くの場合、木立があった。パウサニアスの『ギリシア案内記』には、各地の聖域を巡る記述のなかに木立への言及が繰り返し現れる。聖域と樹木は、彼にとって当然に結びつくものであった。

樹種と神格の結びつきも広く知られていた。オリーヴはアテナに、月桂樹はアポロンに、樫はゼウスに結びつけられた。ドドナにおいて樫のざわめきから神託を読み取ったという伝承は、樹木が単なる植物ではなく、言葉を発しうるものとして扱われていたことを示す。木は資源であり、風景であり、同時に人格をもつ相手でもあった。

この扱いは、行為の禁止を伴った。神域の木を伐ること、枝を折ること、材を持ち出すことは、単なる財産侵害ではなく、神に対する侵犯として重く扱われたとされる。木を守る根拠が、所有権でも景観条例でもなく、畏れであったということである。畏れは論証を必要としないため、根拠として強い。誰も、なぜその木を伐ってはいけないのかを説明する必要がなかった。

聖樹神域境界落葉
図6聖なる森の構造。境界で切り取られた区域の内側に木立があり、伐採の禁止は畏れによって支えられていた。現代の樹木管理とは根拠が異なる。

6.2 ローマにおける樹木——プリニウスの一節

ローマにも同様の観念があった。大プリニウスは『博物誌』の樹木を扱う巻の冒頭で、かつて樹木は神々の神殿であり、古い作法では今も素朴な田舎で樹を神に捧げるという趣旨を述べている。神殿という建物ができる以前に、木そのものが神のいる場所だったという理解である。この一節は、建築と自然の順序についての古代人の感覚をよく伝える。

同時にローマは、樹木を都市の設備として大規模に扱った文明でもあった。柱廊に沿って並木を植え、庭園を造り、私的な大庭園が公共に開かれる例もあったとされる。すなわちローマにおいて、樹木は聖なるものであると同時に、都市を整えるための材料でもあった。二つの位相は矛盾せず併存していた。畏れによって守られる木と、快適さのために植えられる木が、同じ都市の中にあった。

キケロが『法律について』の対話を、故郷の川のほとりの樹の下に設定していることも、この文脈で読める。プラトンの『パイドロス』を意識した設定であることは古来指摘されてきた。法について語る対話が、都市の議場ではなく郊外の木陰で始まるという構図は、ギリシアからローマへ受け継がれた型である。木陰は、公の議論を私的な落ち着きのなかで行うための舞台装置であった。

6.3 根拠が一本になるということ

現代の公園の樹木は、機能によって根拠づけられる。木陰を作る、景観を構成する、緑量を確保する、生物の生息場所になる、二酸化炭素を吸収する。いずれも正当な根拠であり、公共の資源を投じる説明として適切である。問題は、根拠が機能に一本化されると、機能が満たされない場面で木を残す理由がなくなることである。

実際、都市の樹木は複数の理由で減りやすい。倒木や落枝は事故につながるため、老木や樹勢の衰えた木は伐採や強い剪定の対象になる。落葉は近隣の負担となり、苦情の対象になる。根が舗装を持ち上げれば通行の支障になる。見通しを妨げれば防犯上の懸念が生じる。これらの判断はいずれも合理的であり、樹木医など専門家の診断に基づく管理は尊重されるべきものである。

しかし、伐る理由が具体的で、残す理由が抽象的であるとき、天秤は一方に傾き続ける。古代の聖なる森が示すのは、樹木を守る根拠が機能の外にもありうるという事実である。本稿はもちろん、樹木に聖性を再び付与せよと主張するのではない。主張するのは、根拠を複数もつことの実務的な意味である。

現代の日本において、機能の外の根拠として現に働いているものがある。歴史と記憶である。名のある一本の木、その場所の由来と結びついた樹木、地域の年中行事に組み込まれた樹木は、機能の計算を超えて残される。神社の境内の樹叢が都市の中で残ってきたのも、同じ仕組みによる。公園の樹木にこの層を加えられるかどうかは、樹木そのものの問題ではなく、その木にまつわる記述が残されているかどうかの問題である。

註:樹木の健全度や倒木の危険性の判断は、樹木医など専門家と管理者の領分である。本節は管理の是非を論じるものではなく、残す側の根拠が薄くなりやすい構造を指摘するにとどまる。

7. ローマの公共空間——屋根と水の発明

ローマの公共空間は、ギリシアの型を受け継ぎながら、二つの要素を大きく発達させた。屋根と水である。本節では、フォルム、バシリカ、ポルティクス、テルマエを取り上げ、屋外の公共空間に屋根と水を組み込むことが何をもたらしたかを検討する。この二つは、現代の日本の都市公園において最も手薄な要素でもある。

7.1 フォルムとバシリカ

フォルムは、ローマの都市の中心にあった広場である。語は屋外の、戸外の、という意味の語に由来する。ローマの中心であるフォルム・ロマヌムでは、政治、裁判、演説、宗教儀礼、そして商業が行われた。機能の同居という点で、ギリシアのアゴラと同じ性格をもつ。演説の場としての性格が強かった点、そして凱旋の行列など国家の儀礼の舞台であった点に、ローマ的な特徴がある。

フォルムに面して置かれた建物のうち、本稿にとって重要なのはバシリカである。バシリカは長方形の平面をもつ大きな屋内空間で、列柱で内部が分けられ、裁判や商取引や集会に使われた。機能の面から見れば、バシリカは屋根のついた広場である。雨の日や酷暑の日に、フォルムで行われていたことがそのまま屋内へ移る。広場と屋内空間が用途を共有していたという点が、この建物の要点である。

この構成は、公共空間の設計における一つの解である。屋外の広場は開放感と規模を与えるが、天候に弱い。屋内空間は天候に強いが、閉じられており、入ることに心理的な敷居がある。両者を隣接させ、同じ用途を共有させれば、天候に応じて人は移動するだけでよい。ローマの都市は、この対を都市の中心に据えた。

7.2 ウィトルウィウスの規範——柱廊を置け

ウィトルウィウスの『建築書』は、紀元前1世紀に書かれた現存する体系的な建築書として、西洋建築史の基本文献である。その第5書は公共建築を扱い、フォルム、バシリカ、劇場、浴場などの計画を論じている。彼はギリシアのフォルムが正方形の平面に二重の柱廊をめぐらす形をとるのに対し、イタリアのフォルムは剣闘士の興行という慣習のために別の比例をとる、という趣旨の比較を行っている。

さらに彼は、劇場の背後に柱廊を設けることを説く。理由は、上演中に急な雨が降ったときに観客が退避できるようにするため、そして舞台の準備のための場所を確保するためである、という趣旨が述べられる。ここで注目すべきは、雨という日常的で些細な事象が、公共建築の計画原理として明示的に書き込まれていることである。天候への対応は、設計の付け足しではなく前提であった。

屋根付きの縁雨天回遊
図7ローマが発達させた二要素。柱廊という屋根のある歩行空間と、噴水や浴場という水の設備が、広場の使える日数を増やした。

ポルティクスは、この柱廊のことである。屋根のかかった歩行のための空間であり、列柱によって外に開いている。壁に囲まれた廊下ではなく、外気と光が入る半屋外である。人はそこを歩き、立ち止まり、待ち合わせ、会話した。植栽を伴う場合もあり、屋根の下の歩行空間と屋外の緑が対になっていた。散策のための空間が、天候から独立して確保されていたということである。

7.3 テルマエ——水のある複合施設

ローマの公共浴場テルマエは、入浴のためだけの施設ではなかった。大規模なものは、温度の異なる複数の浴室に加えて、運動のための中庭、休息の空間、読書のための部屋、庭園を備えていたとされる。ギリシアのギュムナシオンがもっていた機能の同居を、屋根と水の技術によって、より高い密度で実現した施設と見ることができる。

ローマの都市が水道によって大量の水を市街へ供給したことはよく知られる。水は浴場に、そして街路の噴水に配られた。公共空間に水があることの意味は、飲用と衛生にとどまらない。流れる水は音を出し、周囲の空気を冷やし、人の視線を集め、子どもを引き寄せる。水辺は、特に用がなくても人が立ち止まる数少ない場所である。

要素ギリシアローマ現代日本の都市公園でよく見る形
開いた広場アゴラフォルム芝生広場、多目的広場
屋根のある縁ストアポルティクス、バシリカ東屋、屋根付広場(数は限られる)
運動の場ギュムナシオン、パライストラ浴場付属の中庭、運動場運動公園、グラウンド、健康遊具
泉、水盤水道、噴水、浴場水飲み場、じゃぶじゃぶ池、噴水
樹木聖なる木立、並木並木、庭園、聖なる木立植栽、緑地、風致公園

この表が示すのは、現代の公園に対応物がないわけではない、ということである。すべての要素に何らかの現代版がある。差は要素の有無ではなく、密度と配置にある。古代においてこれらは一つの場所に重ねられていた。現代においては、種別の異なる公園や、公園以外の施設へ分散している。分散そのものが悪いのではないが、一つの場所で複数のことができるという性質は、確実に薄れている。

8. 継承と喪失——古代を物差しにして現代の公園を測る

第3節から第7節までの検討を、継承と喪失の観点から整理する。本節ではまず何が受け継がれたかを確認し、次に何が失われたかを四点に分けて述べ、最後に想定される三つの反論に応じる。古代を物差しにするというのは、古代を規範として現代を裁くことではない。物差しは、差を測って言葉にするための道具である。

8.1 受け継がれたもの

第一に、語彙が受け継がれた。フォーラム、アカデミー、ジムナジウム、プロムナード、ポルティコといった語は、いずれも現代の施設や活動の名として生きている。第二に、平面の型が受け継がれた。開いた面の周囲を歩行空間が縁取り、その外側に建物や樹木が並ぶという構成は、近代の広場や公園の基本形として反復されている。

第三に、公共の場所に樹木を植えるという行為そのものが受け継がれた。近代の公園は樹木を主要な構成要素とし、緑地という概念を制度化した。都市公園法の体系に都市緑地や風致公園という種別が置かれているのは、樹木を都市の設備として扱う思想の帰結である。第四に、公共の水が受け継がれた。噴水も水飲み場も、公共空間に水を配るという古代の実践の延長線上にある。

8.2 失われたもの——四点

第一に、機能の同居が失われた。古代の広場では政治・商業・司法・祭礼・滞在が重なっていた。現代の公園は、都市の中で余暇と休息と運動に用途を限定された場所である。政治的な集会は許可の対象であり、商行為は原則として制限される。この限定は、都市が他の機能をそれぞれの施設に割り当てた結果であって、公園だけの問題ではない。しかし結果として、公園は都市のなかで最も用途の少ない場所の一つになった。

第二に、樹木の機能外の根拠が失われた。第6節で見たとおり、古代の樹木は畏れによって守られていた。現代の樹木は機能によって守られ、機能が競合すれば減る。第三に、屋根のある公共空間が失われた。ストアもポルティクスもバシリカも、日本の街区公園の標準的な構成には含まれない。第四に、年齢の同居が薄れた。対象年齢の表示や遊具の区分は安全のために必要な措置だが、空間としては年齢による仕切りを生む。

古代の要素現代の公園における対応薄れたところ
機能の同居(政治・商・運動・思索)余暇・休息・運動に限定偶然の出会いと用途の重なり
樹木の聖性・伐採の禁忌木陰・景観・緑量という機能残す側の根拠の厚み
ストア・ポルティクス(屋根)東屋・屋根付広場(限定的)雨天と酷暑の滞在
年齢の同居(少年から年長者まで)対象年齢の区分・遊具の種別世代をまたぐ視線と交流
歩廊・散歩道(ペリパトス)園路・緑道小規模公園における回遊性
受け継いだ失った重なり問い
図8継承と喪失の整理。語彙・平面・樹木・水は受け継がれ、機能の同居・樹木の根拠・屋根・年齢の同居は薄れた。

8.3 三つの反論への応答

第一の反論は、開かれの問題である。古代の公共空間は成年男性市民に偏って開かれており、女性、外国人、奴隷を排除した。それに比べれば、だれでも入れる現代の公園のほうが公共空間として優れている。したがって古代を物差しにすること自体が誤りではないか。この反論は正しい。応答は次のとおりである。本稿が古代から取り出しているのは、だれに開くかという規範ではなく、開いた場所をどう作るかという技術である。二つは別の軸であり、後者を古代から学ぶことは、前者において古代を肯定することを意味しない。

第二の反論は、機能分化の擁護である。政治と商業と運動を分けたのは、近代都市が安全と効率と衛生を追求した成果であり、混在の時代へ戻ることは退歩ではないか。この反論も正しい。分けること自体は合理的である。応答は、分けたあとに再び重なる場所が用意されているか、という点に向けられる。都市が機能ごとに専用の場所を作ったなら、専用でない場所——どの機能にも属さないがどの機能の人も通る場所——が、意識的に確保されなければならない。公園がその役割を担いうるのに、公園自身も用途を限定されているというのが、本稿の見立てである。

第三の反論は、資料の性格である。プラトンの木陰もウィトルウィウスの柱廊も、文学的な設定や規範の記述であり、実際の古代都市がそうであった保証はない。この反論にも一定の理がある。応答は第2節で述べたとおりで、本稿は古典を事実の台帳ではなく期待の記録として読む。ある社会が公共空間に何を求めていたかを知るには、規範の記述はむしろ好都合な資料である。そして本稿が現代について論じているのは、実測値の比較ではなく、設計と運用の前提にある期待の内容である。

以上を踏まえると、本稿の主張は次のように定式化できる。現代の公園は、古代の公共空間から形式を受け継ぎ、開かれの範囲を大きく拡張した一方で、一つの場所に複数のことを重ねる力を弱めた。この弱まりは公園の失敗ではなく、都市全体の機能分化の帰結である。だからこそ、公園に何を戻すかという問いは、公園の設計だけでなく、都市が公園に何を期待するかという水準で立てられなければならない。

9. 磐田市の公園への示唆

本節では、これまでの枠組みを磐田市の公園に当てる。当サイトは磐田市の都市公園100園を収録している。内訳は市のオープンデータ「都市公園一覧」の94行と、市の施設ガイドにのみ個別ページのある6園である。以下で用いる園名・種別・面積・地区・園内施設の記載は、このオープンデータと市の施設ガイドによる。当サイトの現地踏査は始まっておらず、木陰の量や屋根の下の使われ方は未確認であることを、あらかじめ断っておく。

9.1 分散した小広場の網——アゴラではなく

種別ごとの園数は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法の対象外とされる園6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園である。半数を街区公園が占めるという構成は、磐田市に限らず日本の都市に共通する形である。国の標準では、街区公園は面積0.25ヘクタール、誘致距離250メートルを目安とし、近隣公園は2ヘクタール・500メートル、地区公園は4ヘクタール・1キロメートルとされる。

この構成は、古代のアゴラとは対照的である。アゴラは都市に一つの中心であり、そこへ行けばあらゆる用が足りた。街区公園の網は、中心をもたず、住区ごとに小さな広場を等しく配る。前者は集中による濃度を、後者は分散による近さを選んだ設計思想である。歩いて数分で公園に着くという価値は近代の達成であり、これを手放す理由はない。問うべきは、分散した結果として一つ一つの園が薄くなっていないか、という点である。

薄さの一つの現れが、園内施設の記載の少なさである。市の施設ガイドの記載を見ると、ブランコ・滑り台・砂場・トイレという組合せが街区公園の典型であり、たとえば見付の富士見公園には滑り台、ブランコ、ジャングルジム、鉄棒、砂場、トイレとある。これらは子どもの遊びには十分でありうるが、遊ぶ用のない人がそこに留まる理由は多くない。アゴラが備えていた「用のない滞在」を支える要素は、街区公園の標準構成には含まれていない。

9.2 ギュムナシオンに対応する園

運動と学びと交際が一つの敷地に同居するギュムナシオンに最も近いのは、見付のかぶと塚公園である。面積106,982平方メートルの総合公園で、市の施設ガイドには、磐田市総合体育館の大体育場・小体育場・武道場・トレーニング室、400メートル8コースの陸上競技場、6人立の弓道場、ソフトボール場1面のグラウンドが挙げられている。走る場所、格闘技の場所、屋内の運動空間が一か所に集まっている点は、パライストラを核とするギュムナシオンの構成とよく対応する。

竜洋の竜洋海洋公園は、別の意味で古代的である。面積221,722平方メートルの総合公園で、施設ガイドには体育館、艇庫、プール、野球場、テニスコートに加えて、入浴施設・休憩施設・地場産品直売所・バーベキューテラスを備えたレストハウスの記載がある。運動と入浴と飲食と買い物が一つの敷地にあるという構成は、ローマのテルマエが備えていた機能の同居に近い。現代の公園でこの密度に達する例は多くない。

100園9地区屋根樹木
図9磐田市の公園を古典の枠組みで読む。分散した街区公園の網、屋根のある場所、樹木が名になっている園を手がかりにする。

9.3 屋根と水のある園

屋根のある滞在空間、すなわちストアやポルティクスに対応する要素は、市の施設ガイドの記載から拾える範囲では限られる。見付の今之浦公園には「屋根付広場」の記載があり、これは本稿の枠組みでは重要な設備である。同園の記載には、複合遊具、ふわふわ遊具、噴水広場、芝生広場、3歳未満児遊具のほか、川を挟んだ側に健康遊具、じゃぶじゃぶスポット、流れ、芝生広場が挙げられている。屋根と水と芝生と遊具と健康遊具が一か所に重なっており、古代の広場の構成に最も近い園といえる。

水の要素をもつ園は他にもある。御厨の安久路公園には「流れ」の記載があり、豊田の豊田香りの公園にはカスケード(滝)が5月から10月の日中に稼働するとある。見付のつつじ公園には展示休憩室があり、屋内で休める場所として機能しうる。これらは、屋外の広場に屋根と水を組み込むという古代の実践に対応する、数少ない現代の例である。ただし、実際に人がそこに留まっているかどうかは、当サイトが今後の踏査で確かめるべき事柄である。

9.4 聖域と重なる園、樹木が名になる園

テメノス(切り取られた神域)と公園が重なる例は、磐田市に複数ある。中泉の遠江国分寺史跡公園は面積21,600平方メートルの歴史公園であり、市内で唯一この種別に分類される。同じく中泉の京見塚公園には京見塚古墳が、見付の一ノ谷公園には一ノ谷遺跡が、園内施設として記載されている。中泉の御殿遺跡公園は、名そのものが遺跡を指す。これらの園は、日常の土地から線を引いて切り離された区域が、そのまま公共の場所として使われている例である。

見付の緑ヶ丘霊園は、市内で唯一の墓園である。面積17,802平方メートルで、オープンデータのフラグにはトイレ、車いす対応トイレ、遊具が記録されている。死者の場所と生者の日常が同じ区域に置かれるという構図は、古代の都市においてもありふれたものであった。この園を公園として扱うか、別のものとして扱うかは、公共空間の範囲をどこまでとるかという問いにそのままつながる。

樹木が場所の名と中心になっている例が、豊田の豊田熊野記念公園である。面積1,898平方メートルの街区公園で、市の施設ガイドには「熊野の長藤」が園内施設の筆頭に挙げられ、続いて複合遊具とトイレが記される。遊具より先に樹木が書かれるという記載の順序は、この園において樹木が付随物ではなく主題であることを示している。第6節で述べた、機能の外の根拠——歴史と記憶によって樹木が守られる仕組み——が現に働いている例と見てよい。

9.5 歩く空間と、踏査で確かめるべきこと

ペリパトスに対応する要素、すなわち歩いて回れる距離をもつ空間は、緑道2園(竜洋南部緑地公園20,907平方メートル、竜洋西堀緑地公園25,264平方メートル)と、面積の大きい園に限られる。一方、都市緑地10園には、中泉の二之宮東第2緑地の17平方メートル、豊田上新屋ポケットパークの156平方メートルのように、歩くというより一息つく規模の園が含まれる。小さな緑地は、ポルティクスの一区画、あるいは街路樹の下の一角に相当する存在として位置づけるのが実態に近い。

地区別の園数は、豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。分布の偏りは市街地の形成過程を反映していると考えられるが、その検討は都市地理学の主題であり本稿の範囲を超える。オープンデータの集計では、トイレのある園は69園、車いす対応トイレのある園は34園、砂場のある園は43園、遊具のある園は64園である。

本節で述べたことの多くは、記載された事実に基づく推論であり、現場の確認を経ていない。当サイトの踏査は2026年8月時点で0園である。古典の枠組みから導かれる踏査項目としては、木陰の量と位置、屋根のある場所の有無と使われ方、ベンチの向きと日照、園路が回遊できるかどうか、遺構や樹木にどのような説明表示が付されているか、が挙げられる。公園の管理は磐田市の都市整備課(電話 0538-37-4806)が担っている。

10. 結論と今後の課題

本稿は、古代ギリシア・ローマの屋外の公共空間を整理し、現代の公園がその原型から何を受け継ぎ、何を失ったかを検討した。方法は文献整理と概念分析であり、実在と内容が広く確認されている古典に依拠した。以下に得られた見通しを五点にまとめ、続いて今後の課題を述べる。

10.1 得られた見通し

  • 第一に、アゴラとフォルムでは政治・司法・商業・祭礼・用のない滞在が同じ場所で重なっていた。機能を分けるべきだという主張はアリストテレスに既に見られるが、その動機は身分と価値の序列にあり、現代のゾーニングとは理由が異なる。分離の技術と分離の理由は、切り離して考える必要がある。
  • 第二に、ギュムナシオンは運動・入浴・教育・交際を一つの敷地に抱え、年齢の異なる者が同じ場所を使っていた。運動と学びと社交は施設としても時間としても連続していた。現代の公園における運動機能の分離は、安全と管理の面で合理的である一方、世代をまたぐ視線と運動後の余白を失わせた。
  • 第三に、アカデメイアの木立と『パイドロス』のプラタナスが示すように、木陰は日射を遮る装置であると同時に、日常の用から人を一時的に外し、話を長引かせる装置であった。公園を、そこにどれだけ長く留まれるかで測るなら、木陰の量と配置は遊具の数に劣らない変数である。
  • 第四に、聖なる森において樹木を守っていたのは畏れであり、機能ではなかった。現代の樹木は機能によって根拠づけられるため、機能が競合する場面で減りやすい。歴史と記憶という機能外の層を樹木に与えられるかどうかは、木そのものではなく、その木にまつわる記述が残るかどうかにかかっている。
  • 第五に、ローマは屋根と水を公共空間に組み込んだ。ストア、ポルティクス、バシリカ、テルマエは、天候にかかわらず広場が使えるようにするための装置であった。ウィトルウィウスが雨天の退避を計画原理として明記していることは、天候への対応が設計の付け足しではなく前提であったことを示す。
見通し記録課題
図10本稿の結論と課題。五つの見通しを整理し、踏査で確かめるべき項目と、今後の比較研究の方向を示す。

10.2 磐田市の公園について確かめるべきこと

第9節で見たとおり、磐田市の100園には、古典の枠組みに対応づけられる要素が散在している。かぶと塚公園の運動施設群、竜洋海洋公園の入浴と直売所を含む複合、今之浦公園の屋根付広場と水、遠江国分寺史跡公園や京見塚公園における遺構との重なり、豊田熊野記念公園において樹木が主題となっていること。これらはいずれも、記載された事実の水準で確認できる対応である。

しかし本稿の主題である木陰と屋根と滞在は、記載からは読み取れない。オープンデータの項目にも市の施設ガイドの記載にも、樹木の量、木陰の位置、ベンチの数と向き、屋根の下の広さは含まれていないからである。当サイトの踏査が0園である現状では、この論点はすべて未確認のまま残る。踏査項目としては、園ごとの木陰の面積のおおよその見当、屋根のある場所の有無、ベンチの向きと日照、周回できる園路の有無、遺構や樹木の説明表示の内容が挙げられる。

とりわけ、説明表示の有無は本稿の関心から見て重要である。第6節と第9節で述べたとおり、樹木や遺構を機能の外側で支える根拠は、記述として残されているかどうかに依存する。名のある木に説明板があるか、遺構の由来が読める形で示されているか。これは調べれば分かることであり、当サイトが今後の踏査で記録すべき事項である。

10.3 今後の課題

第一の課題は、日本の伝統的な公共空間との比較である。本稿は西洋古典に限って論じたが、社寺の境内、村の辻、河原といった日本の集まりの場所は、機能の同居と樹木の聖性という点で古代地中海と比較可能な性格をもつ。近代の公園制度が輸入されたとき、この在来の空間と輸入された制度がどう接続したかは、歴史学と民俗学の主題として別に検討されるべきである。

第二の課題は、語彙の受容史である。フォーラム、アカデミー、ジムナジウムといった語が日本語に入り、元とは別の対象を指すようになった過程は、それ自体が近代化の記録である。白幡洋三郎『近代都市公園史の研究』(1995)が扱ったような欧化の系譜のなかに、語の移し替えを位置づける作業が残されている。

第三の課題は、屋根のある公共空間の実務的な検討である。日本の都市公園に屋根のある滞在空間が少ないのは、設計思想の問題だけでなく、維持管理、防犯上の見通し、長期滞在への懸念といった運用上の理由にもよるだろう。古典が示す型をそのまま導入せよという主張は現実的ではない。どのような形であれば管理と両立するかは、造園学と行政学の側から検討されるべき問いである。

最後に、本稿の限界を確認しておく。本稿は古代の個別の遺構について何も新しいことを述べていないし、述べる資格もない。行ったのは、広く知られた古典の記述から三つの補助線を取り出し、それを現代の公園に当てるという作業だけである。その作業の価値は、当たり前だと思われている公園の姿——屋根のない広場、機能を限定された用途、機能によってのみ守られる樹木——が、決して唯一の形ではないと示すところにある。磐田市の100園を歩いて記録していく作業は、これから始まる。

参考文献

  1. プラトン『パイドロス』(藤沢令夫訳、岩波文庫、1967)
  2. プラトン『饗宴』(久保勉訳、岩波文庫、1952)
  3. プラトン『国家』(藤沢令夫訳、岩波文庫、1979)
  4. アリストテレス『政治学』(牛田徳子訳、京都大学学術出版会・西洋古典叢書、2001)
  5. トゥキュディデス『戦史』(久保正彰訳、岩波文庫、1966)
  6. ウィトルウィウス『建築書』(森田慶一訳註、東海大学出版会、1979)
  7. パウサニアス『ギリシア案内記』(馬場恵二訳、岩波文庫、1991)
  8. プルタルコス『英雄伝』(村川堅太郎編『プルタルコス英雄伝』ちくま学芸文庫、1996)
  9. 大プリニウス『博物誌』(中野定雄・中野里美・中野美代訳、雄山閣出版、1986)
  10. キケロ『法律について』(『キケロー選集』岩波書店 所収)
  11. ヨハン・ホイジンガ(1938)『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳、中公文庫、1973)
  12. ルイス・マンフォード(1961)『歴史の都市 明日の都市』(生田勉訳、新潮社、1969)
  13. ジェイン・ジェイコブズ(1961)『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010)
  14. 白幡洋三郎(1995)『近代都市公園史の研究——欧化の系譜』(思文閣出版)
  15. 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
  16. 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
  17. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  18. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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