国際・比較・未来アメリカ比較研究
10分歩けば公園へ——アメリカの公園システムと公平性の議論
要旨
本稿の目的は、磐田市周辺の子育て世代や行政関係者を主な読者として、アメリカの公園にまつわる制度と政策を、思想史としてではなく現代の論点として整理することである。方法は文献整理と公的資料の整理であり、独自の実地調査には基づかない。
本論ではまず、20世紀前半のアメリカで並行して展開した都市美運動と遊び場運動という二つの政策的分岐、および国立公園制度と土地水資源保全基金という連邦レベルの保全と財政の仕組みを整理する。そのうえで、21世紀に入って現れた「10分歩ける公園」運動とパークスコアという指標運動、そして公園アクセスの人種的・経済的な偏りを問う環境正義の議論を検討する。
検討の結果、アメリカの指標運動は、公園整備の基準を土地の確保という供給側の発想から、住民が実際に歩いて行けるかという需要側の指標へと転換し、環境正義の議論はそこに公平性の視点を持ち込んだことが明らかになった。指標化には都市間の比較や説明責任を可能にする力がある一方、測りやすいものしか測れないという限界もある。
最後に、日本の誘致距離という供給側・計画側の基準とアメリカの指標運動を比較し、磐田市の公園100園の種別・地区別の構成をこれらの視点で読む。ただし当サイト(ATAWI PARK)の現地踏査は始まっていないため、実際の到達しやすさや地区ごとの偏りの検証は今後の課題として残す。
キーワード10分徒歩圏パークスコア環境正義誘致距離遊び場運動国立公園制度公園の公平性
1. はじめに——問題の所在
家から歩いて公園まで何分かかるか、という問いは、磐田市のような地方都市に暮らす子育て世代にとっても身近な関心事である。ところがこの問いを、行政が測定可能な政策目標として掲げ、都市ごとに比較し、公表するという実践がアメリカには存在する。「徒歩10分で質の良い公園に行けるようにする」という目標を都市の首長に掲げさせる運動や、公園システムを都市間で比較する指数がそれである。本稿はこうした現代アメリカの公園制度と政策の比較を通じて、公園の近さや公平性をどう測るかという論点を検討する。
アメリカの公園にまつわる思想史——19世紀後半のフレデリック・ロー・オルムステッドのパークシステムや、それに続くエベネザー・ハワードの田園都市論、クラレンス・ペリーの近隣住区論——は、本稿とは別稿(都市計画学の立場からの稿)で扱われている。本稿はその通史を繰り返さず、むしろ20世紀前半のアメリカに固有の二つの政策的分岐——都市の広場や記念碑的な公共空間を整備した都市美運動と、子どもの遊び場を都市政策として位置づけた遊び場運動——と、連邦レベルでの国立公園制度の展開、そして21世紀に入って現れた「10分歩ける公園」運動やパークスコアという指標、公園アクセスの格差を問う環境正義の議論に焦点を当てる。
本稿の問いは三つである。第一に、アメリカの公園制度は20世紀前半のどのような政策的分岐を経て今日の姿になったか。第二に、公園への近さを測る指標運動は何を測ろうとし、人種や所得による公園アクセスの偏りを問う環境正義の議論とどうつながっているか。第三に、公園を指標で比較し公表することの力と限界は何であり、日本の誘致距離という基準と比べたとき、公平性の考え方はどのように違って見えるか。
1.1 なぜアメリカとの比較か
比較の対象としてアメリカを選ぶ理由は三つある。第一に、都市公園という制度の起源の少なくとも一つがアメリカにあり、制度の「その後」を100年を超える長さで観察できる。第二に、公園を統計的な指標で比較し公開するという実践が発達しており、指標化という方法そのものを検討する材料になる。第三に、公園アクセスの格差を人種・所得の観点から問う環境正義の議論が、連邦政府の政策文書にまで明文化されるに至っており、日本ではまだ言葉になりにくい公平性の論点を輪郭づける助けになる。
都市公園という言葉自体、日本語としては都市公園法(1956年)に由来する法令用語であるが、英語の urban park に厳密に対応するわけではない。アメリカでは都市が設置する公園を指す言葉として市立公園(city park/municipal park)が使われ、州が設置する州立公園(state park)、連邦が設置する国立公園(national park)とは呼び分けられる。この呼び分けは、本稿第3節で扱う連邦・州・市の三層構造を反映したものであり、日本の都市公園法が国・都道府県・市町村の役割分担を条文の中で必ずしも明確に呼び分けていないのとは対照的である。
註:本稿でいう「アメリカ」は主に連邦および都市部の制度を指し、先住民の土地・自治や州ごとの制度の細部の違いにまでは立ち入らない。
なお、本稿が扱う「アメリカ」は50州と特別区から成る連邦国家であり、公園行政の制度設計は州や自治体によって細部が異なる。本稿で述べる制度や運動の多くは、全米で広く見られる傾向や、影響力の大きかった代表的な事例を取り上げたものであり、すべての州・都市に同じ形で当てはまるわけではない。この留保を踏まえたうえで、本稿は個別の州法の違いにまでは立ち入らず、連邦レベルの枠組みと、広く参照される代表的な運動・指数を中心に検討を進める。
1.2 方法と構成
方法は文献整理と公的資料の整理であり、独自の実地調査には基づかない。数値は、連邦法や行政文書に明記のあるもの以外は「〜とされる」という留保つきで扱い、確信の持てない統計値は用いない。構成は次のとおりである。第2節で用語と分析の枠組みを整理し、第3節から第5節でアメリカの公園制度の骨格と20世紀前半の政策的分岐を扱う。第6節と第7節で現代の指標運動と環境正義の議論を扱い、第8節で指標化という方法の力と限界を検討する。第9節で日本の誘致距離という基準と比較し、第10節で磐田市の公園への示唆を述べ、第11節で結論と今後の課題を示す。
本稿でいう「公平性」とは、特定の理論に基づく厳密な定義を採用するのではなく、アメリカの議論で用いられる語法にならい、地域や属性によって公園への到達しやすさに差が生じている状態を指す、広い意味で用いる。この語の厳密な哲学的検討は、別稿(倫理学・哲学の稿)に譲り、本稿は制度と政策の水準での検討にとどめる。
2. 先行研究と概念の整理
本節では、本稿で用いる主要な概念を整理する。アメリカの都市公園史をどう区分するかについては、建築学者ガレン・クランツによる整理が広く参照される。クランツは著書『The Politics of Park Design』(1982年)で、19世紀後半から20世紀後半までのアメリカの都市公園を、目的の違いによって四つの型に整理した。
四つの型を要約すると次のようになる(クランツ1982による整理)。
| 型 | おおよその時期 | 主な目的 |
|---|---|---|
| 行楽地型(pleasure ground) | 19世紀後半 | 自然の風景の中で階級を超えて散策する場 |
| 改革公園型(reform park) | 20世紀初頭 | 監督者付きの遊び場で子どもを育てる場 |
| レクリエーション施設型(recreation facility) | 1930年代以降 | 運動施設を備え組織的な活動を行う場 |
| オープンスペース・システム型(open-space system) | 1960年代以降 | 多様な利用者の多様な使い方を許容する緑地 |
この四つの型は、時代が進むにつれて前の型を置き換えるのではなく、積み重なっていったと理解するのが適切である。今日のアメリカの都市公園には、19世紀の風景式公園の面影を残す部分と、20世紀初頭に付け足された遊具のある一角と、1930年代に整備された運動施設と、1960年代以降に加わった多目的な広場が、同じ公園の中に併存していることが少なくない。
行楽地型の代表例として最もよく参照されるのが、1858年にフレデリック・ロー・オルムステッドとカルヴァート・ヴォーの案が設計競技に当選して整備が始まったニューヨークのセントラルパークである。起伏や池を生かした風景式庭園の手法によって、都市の喧騒から切り離された自然の景観を都心につくり出す、というこの発想が、クランツのいう行楽地型の典型とされる。ただしオルムステッドの仕事の全体像とパークシステムへの展開は、都市計画学の稿に譲る。
2.1 都市美運動と遊び場運動の位置づけ
本稿で扱う都市美運動と遊び場運動は、クランツの区分でいえば改革公園型が形成された時期の二つの政策的な柱にあたる。両者は同じ時代に並行して進んだが、担い手も焦点も異なっていた。都市美運動は建築家や都市計画家が主導し、市庁舎前の広場や記念碑的な並木道など、都市の表の顔を整える運動であった。遊び場運動は社会事業家や教育者が主導し、移民の多い都市の裏通りに監督者付きの遊び場を設ける運動であった。第4節でこの二つを立ち入って検討する。
2.2 環境正義という視点の位置づけ
本稿後半で扱う環境正義(environmental justice)は、もともと産業廃棄物処理施設や汚染源が低所得層・有色人種の居住地に偏って立地する問題を告発する言葉として、1980年代のアメリカで確立した概念である。社会学者ロバート・D・ブラードの『Dumping in Dixie』(1990年)はその代表的な研究として知られる。この視点が公園という望ましい施設の分布の偏りにも適用されるようになったのは、公園の不足もまた環境的な不利益の一種である、という理解が広がったからである。第7節でこの適用の経緯を扱う。
2.3 通史を扱う稿との関係
本稿とパークシステムの通史を扱う稿との関係は次のとおりである。オルムステッドのパークシステムやハワードの田園都市、ペリーの近隣住区論は、いずれも公園をどこに、どんな形で配置するかという空間の論理を扱う。これに対し本稿が焦点を当てる都市美運動・遊び場運動・国立公園制度、そして10分歩ける公園運動やパークスコアは、誰が、どんな目的で、公園を政策の道具として用いてきたかという制度と評価の論理を扱う。両者は同じアメリカの公園史を、空間の論理と制度の論理という異なる断面から見ていると言ってよい。
本稿は、これら二つの系譜——政策史としての公園制度の分岐と、公平性の理論としての環境正義——を、20世紀と21世紀という時間軸でつなぎ、最後に指標化という方法の評価に接続する、という構成をとる。
2.4 誰の視点で公園を語るか
クランツの四類型が示すように、公園の目的づけは時代とともに変わってきたが、それぞれの型を誰が主導したかという担い手の違いも見逃せない。行楽地型を主導したのは造園家や資産家の理事会、改革公園型を主導したのは社会事業家や教育者、レクリエーション施設型を主導したのは行政官や技師であった。この担い手の違いは、それぞれの型が誰の生活実感を反映していたかにも関わっており、第7節で扱う環境正義の議論が、公園を語る際に誰の視点かという問いを前面に押し出す背景の一つになっている。
本稿が用いる「指標運動」という言葉についても断っておく。ここでいう指標運動とは、公園という現象の特定の側面を数値に置き換え、都市間で比較可能な形に整えたうえで、公表・共有する社会的な実践を指す。10分歩ける公園運動やパークスコアはその代表例だが、指標運動という言葉自体は本稿独自の整理であり、確立した学術用語として広く定着しているわけではないことを付記しておく。
3. アメリカ公園制度の骨格——連邦・州・市の三層
日本の都市公園が都市公園法という単一の法律のもとで市町村を主たる設置者として体系化されているのに対し、アメリカの公園制度は連邦・州・郡市という三つの層が、それぞれ別の法律と組織のもとで並行して発展してきた、という点に大きな違いがある。本節ではこの三層の骨格を整理する。
3.1 国立公園局と州立公園
連邦レベルでは、1872年の合衆国議会の法律によってイエローストーンが世界初の国立公園として設置され、1916年の国立公園局組織法によって内務省の下に国立公園局が置かれた。同法は国立公園局の目的を、風景・自然物・野生生物を保存し、将来の世代のために損なわれない状態で残すことにあると定めている。連邦レベルの公園は広大な自然・史跡の保存を目的とし、都市の街区公園とは規模も目的も大きく異なる。
州レベルでは、各州が独自に州立公園制度を持つ。連邦の国立公園ほど厳しい開発規制を課さない代わりに、州民の住まいに近い場所でキャンプ場や湖水浴場などのレクリエーション機能を提供する役割を担うことが多いとされる。1965年に制定された土地水資源保全基金法は、沖合の石油・ガス開発による連邦収入の一部などを財源として、州や市町村の公園用地の取得・整備に補助を行う仕組みであり、州立公園や市の公園の整備を財政面で支えてきたとされる。
3.2 市郡のパーク・アンド・レクリエーション局
都市住民が日常的に利用する公園の大半は、市や郡が設置・管理する。多くの都市では「パーク・アンド・レクリエーション局」という一つの部局が、公園の整備・維持管理と、遊び場や体育館などでのレクリエーション活動の提供を一体として担う。これは日本の多くの自治体で公園の整備・管理を担う部局と、スポーツ振興を担う部局が分かれていることが多いのとは異なる編成である。この一体性は、次節で扱う遊び場運動が、公園を場所としてだけでなく活動を組織する場として発展させてきたことの制度的な帰結だと考えられる。
全米レベルで市郡の公園行政に基準や研修を提供する専門職団体として、全米レクリエーション・公園協会(National Recreation and Park Association、NRPA)がある。同協会はかつて人口当たりの公園面積の目安を示していたが、都市の形状や人口密度が全米で大きく異なることから、一律の面積基準ではなく、地域ごとの需要調査に基づいて公園の整備水準を計画するよう、後に方針を転換したとされる。この転換は、本稿第8節で扱う指標化の限界を先取りする動きとして注目してよい。
3.3 公園を専門に担う地方政府という編成
市郡の公園行政のもう一つの形として、公園を専門に担う独立した地方政府「パークディストリクト(park district)」を設ける州もある。たとえばイリノイ州のシカゴ・パーク・ディストリクトは、1934年に複数の公園管理組織を統合して設立された、公園の整備・管理を専門に担う独立の地方政府であり、市長部局とは別に独自の予算と理事会を持つ。このように公園行政を一般の市政から切り離して専門化する制度は日本にはみられない編成であり、アメリカの公園制度が州ごとに多様であることを示す一例である。
パークディストリクトのような専門機関は、多くの場合、固定資産税の一部を独自に賦課する権限を持ち、市の一般会計とは別の財源で公園を整備・維持するとされる。この財源の独立性は、公園予算が他の行政需要との優先順位争いに巻き込まれにくいという利点を持つ一方、公園行政の説明責任の所在が市政全体から見えにくくなる、という指摘もある。
パークディストリクトを持たない多くの市でも、公園用地の取得や大規模な改修は、一般会計の年度予算だけでなく、住民投票を経て発行される公債(bond)によって賄われることがあるとされる。大規模な公園整備を一時の税収ではなく、将来にわたる住民の負担と便益として住民投票にかける、という財政の組み立て方は、公園整備が単なる行政サービスではなく、地域の意思決定の対象として扱われていることを示している。
多くの都市では、パーク・アンド・レクリエーション局のトップは市長が任命する政治任用職であることが多く、公園行政の方針は市長の交代によって変わりうる。日本の多くの自治体で公園を担当する部局が首長の交代とは独立した専門職の技術者によって運営されることが多いのとは、異なる統治の形だと言える。
4. 都市美運動と遊び場運動——20世紀初頭の政策としての公園
19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカでは、急速な都市化と移民の流入を背景に、公園を政策的な道具として用いる二つの運動が並行して立ち上がった。都市美運動(City Beautiful movement)と遊び場運動(playground movement)である。両者はしばしば同じ都市の同じ時期に展開したが、目指すものは異なっていた。
4.1 都市美運動——万国博覧会からマクミラン・プランへ
都市美運動の出発点としてしばしば挙げられるのは、建築家ダニエル・バーナムが建設総監督を務めた1893年のシカゴ万国博覧会である。会場に建てられた古典様式の建物群は「ホワイト・シティ」と呼ばれ、整然とした広場と並木道からなるその景観は、当時の煤煙にまみれた工業都市とは対照的なものとして人々に強い印象を与えたとされる。この博覧会の成功をきっかけに、都市の中心部に壮麗な公共空間を整備することで市民の誇りを高めようとする都市美運動が全米の都市に広がった。
都市美運動の代表的な成果の一つが、1901年から1902年にかけてまとめられたワシントンD.C.のマクミラン・プランである。上院議員ジェームズ・マクミランが設置した委員会にバーナムらが加わり、ナショナル・モールを中心とする首都の公共空間の骨格を描き直した。この計画は、公園や広場を個別の施設としてではなく都市の骨格そのものとして扱う発想を示した点で、都市美運動の到達点の一つとされる。都市美運動はしかし、壮麗さを重視するあまり整備や維持に費用がかかりすぎる、日々公園を使う庶民の生活実感から離れている、といった批判も早くから受けていた。
4.2 遊び場運動——監督者付きの遊び場という発明
都市美運動とほぼ同じ時期、しかし異なる担い手によって進んだのが遊び場運動である。移民の多い都市の裏通りで路上遊びをする子どもたちに対し、社会事業家や教育者たちは、砂場やブランコを備え、大人の監督者が常駐する監督者付きの遊び場という仕組みを考案した。ジェイン・アダムズが1889年にシカゴで開いたセツルメント施設ハル・ハウスは、移民街の子どもの遊び場を都市改革運動の一部として位置づけた先駆的な実践として知られる。
1906年には、全米の遊び場運動を束ねる組織として遊び場協会(Playground Association of America)が設立された。この運動を主導した人物の一人ジョセフ・リーは、のちに遊び場運動の父と呼ばれるようになった。遊び場運動が都市美運動と決定的に異なっていたのは、公園を見る・散策する場所としてだけでなく、大人が見守りながら子どもを組織的に遊ばせ、育てる場所として位置づけた点である。この発想は、クランツの言う改革公園型の中心をなし、今日のアメリカの近隣公園に置かれた遊具エリアの原型になったと考えられている。
4.3 二つの運動のその後
都市美運動と遊び場運動は、1930年代のニューディール政策のもとで一つの流れに合流していく。公共事業促進局(WPA)や市民保全部隊(CCC)などの連邦の雇用創出事業は、全米の都市や州立公園に、野球場やプール、パビリオンなどのレクリエーション施設を数多く建設した。この時期に整備された施設は、クランツの区分でいうレクリエーション施設型の到来を象徴するものであり、都市美運動が求めた壮麗さと、遊び場運動が求めた組織的な活動の場という二つの要求を、一つの公園行政の中に統合していく契機になったと考えられる。
ただし、都市美運動にせよ遊び場運動にせよ、当時の担い手の多くは白人の中産階級以上の専門職であり、誰の視点から公園の望ましい姿を描くかという問いは、当時十分に意識されていなかったとされる。この点は、第7節で扱う環境正義の議論が、半世紀以上のちにあらためて問い直すことになる論点である。
遊び場運動が広めた、監督者付きの遊び場に定型の遊具を置くという発想は、その後の規格化された既製の遊具——ブランコ、滑り台、ジャングルジムなど——が公園に置かれる慣行の下地になったと考えられている。今日、各地の公園で見られる、これらの定型的な遊具の組み合わせの起源の一端は、20世紀初頭のアメリカの遊び場運動にまでさかのぼることができる。
都市美運動と遊び場運動は、公園を都市の中でどこに置くかという議論よりも、公園で何をするか、公園はどうあるべきかという議論を先鋭化させた点で、本稿の主題である指標運動の遠い前提になっているとも言える。何を目的として公園を評価するかという問いは、後にパークスコアが複数の観点を組み合わせる際の土台にもなった、20世紀初頭からの長い蓄積の上に成り立っている。
5. 国立公園制度と公有地保全——連邦レベルの保全政策
前節で扱った都市美運動と遊び場運動が都市の内側の公園を対象としたのに対し、同じ時期のアメリカにはもう一つ、都市の外側の広大な自然と史跡を公有地として保全する政策の流れがあった。国立公園制度である。
5.1 オルムステッドのヨセミテ報告と保全の思想
フレデリック・ロー・オルムステッドは、都市計画学の稿で扱われるパークシステムの構想者であると同時に、1864年に連邦政府からカリフォルニア州に譲渡されたヨセミテ渓谷とマリポサ樹林の管理委員に就任し、1865年に「ヨセミテとマリポサ樹林——予備的報告」と題する報告書をまとめた。この報告書は、雄大な自然の景観に触れる機会を一部の富裕層に独占させず、すべての市民の健康と幸福のために公的に保存し開放すべきだという考え方を明確に述べたものとして、後世に高く評価されている。
1872年、合衆国議会はイエローストーンを世界初の国立公園として設置する法律を制定した。これはヨセミテのように既存の州に管理を委ねるのではなく、いまだ州になっていなかった準州の広大な土地を、連邦政府が直接、将来の世代のために保存する、という新しい枠組みであった。その後各地に国立公園が設置され、1916年の国立公園局組織法によって、内務省の下に国立公園局が置かれ、複数の国立公園を一元的に管理する体制が整えられた。
5.2 土地水資源保全基金という財政の仕組み
国立公園制度が広大な自然の保存を主眼とするのに対し、都市住民に近いレクリエーション用地の確保を財政面で支えたのが、1965年の土地水資源保全基金法である。この法律は、沖合の石油・ガス開発による連邦の収入の一部などを財源として基金を積み立て、連邦・州・市町村が公園やレクリエーション用地を取得する費用に充てる仕組みを設けた。この基金を通じて、国立公園のような連邦の広大な保護地だけでなく、都市近郊の州立公園や、市が新たに公園用地を取得する費用の一部にも、連邦の財源が流れ込む経路が作られたとされる。
国立公園制度と土地水資源保全基金という二つの仕組みは、本稿の主題である公園への近さの議論とは一見縁が薄いようにみえる。しかし、後の節で扱う環境正義の議論は、国立公園や広大な自然公園への訪問機会そのものにも人種・所得による偏りがあると指摘しており、公有地保全の政策も公平性の論点と無縁ではない、という点を確認しておきたい。
5.3 都市の近くに置かれた国立公園局の管轄地
国立公園制度は当初、都市から離れた広大な自然を対象としていたが、1970年代以降、都市の近くに位置する国立公園局管轄の地域も設けられるようになった。たとえば1972年に指定されたゴールデンゲート国立レクリエーション地域(サンフランシスコ)は、遠方の壮大な自然だけでなく、都市住民が日常的にアクセスできる場所にも連邦レベルの保全の枠組みを及ぼそうとする動きの一例である。これは、後述する環境正義の議論——自然や公園への訪問機会が誰にでも開かれているか、という問い——を先取りする実践であったとみることができる。
1906年制定の古代遺跡法(Antiquities Act)は、大統領が議会の個別の立法を経ずに、史跡や自然物を国定記念物(national monument)として指定できる権限を定めた法律である。この権限によって、のちに国立公園に昇格した地域も少なくない。国立公園局組織法が公園局という常設の管理組織を作ったのに対し、古代遺跡法は保護すべき土地を機動的に指定する権限を大統領に与えた点で、両者は補完的な役割を果たしてきたと言える。
1916年の国立公園局組織法の起草には、父と同名のフレデリック・ロー・オルムステッド・ジュニアも関わったとされる。都市の公園づくりに携わった造園家の系譜が、都市を離れた広大な自然の保全の制度づくりにも連なっていたことは、アメリカの公園思想が都市と自然という二つの対象を、同じ専門家集団の中で往還しながら育ってきたことを示している。
6. 「10分歩ける公園」運動とパークスコア——公園への近さを測る指標
本節では、21世紀に入って現れた二つの指標運動を扱う。「10分歩ける公園」を目指すキャンペーンと、都市の公園システムを毎年比較して公表するパークスコアである。両者はいずれも、非営利団体トラスト・フォー・パブリック・ランド(Trust for Public Land)が中心的な役割を担ってきたとされる。
6.1 10 Minute Walkキャンペーン
「10 Minute Walk」キャンペーンは、トラスト・フォー・パブリック・ランド、全米レクリエーション・公園協会、都市土地協会(Urban Land Institute)の三団体が2017年に立ち上げた運動であり、すべての住民が徒歩10分以内で質の良い公園に行けるようにするという目標を、全米の市長に公約として掲げてもらう、という形をとった。徒歩10分という時間は、同団体などの説明ではおよそ半マイル圏内の目安として使われるとされる。
この運動が示す発想の転換は、公園整備の基準を土地をどれだけ確保したかという供給側の面積基準から、住民の家から歩いて行けるかという需要側のアクセス基準へと移した点にある。日本の誘致距離が公園の種別ごとに定められた円の半径として法令上の標準面積とセットで与えられる基準であるのに対し、10分歩ける公園運動は、公園の種別を問わず、住民の居住地から測った到達時間という一つの物差しで、都市全体の達成度を測ろうとする。この違いは第9節で立ち入って比較する。
6.2 パークスコアという都市比較指数
パークスコアは、トラスト・フォー・パブリック・ランドが公表している指数で、全米の人口の多い都市の公園システムを、複数の観点から採点し順位づけるものである。採点の観点には、公園までのアクセス、公園に割かれた土地の面積、公園整備への投資額、遊具やトイレなど設備の充実度、そして後述する公平性の観点が含まれるとされる。単一の観点ではなく複数の観点を組み合わせて一つの順位に集約する点が特徴である。
パークスコアのような指数は、都市の首長や議会にとって、他都市との比較の中で自都市の公園政策の弱点を把握し、予算配分の根拠として示しやすい、という実務上の利点を持つ。同時に、複数の観点を一つの数値に集約する過程で、どの観点にどれだけの重みを置くかという判断が指数の設計者にゆだねられる、という性質も併せ持つ。この性質については第8節で立ち入って検討する。
- 公園までのアクセス(歩いて行けるかどうか)
- 公園用地に割かれた面積
- 公園整備への投資額
- 遊具・トイレなど設備の充実度
- 公平性(地域による偏りの少なさ)
6.3 公約という形式
「10 Minute Walk」キャンペーンの特徴は、目標を法律や条例ではなく、市長個人の公約という形で掲げてもらう点にある。参加した市長は、任期中に自分の都市で目標の達成に取り組むことを表明するが、これは法的な拘束力を持つ義務ではない。この仕組みは、達成できなかった場合の罰則がない代わりに、目標を公にすることで政治的な説明責任を生み出し、予算編成や計画づくりの優先順位に反映させることを狙ったものだと考えられる。第8節で述べる指標化の力は、この公約という仕組みの背後にも働いている。
パークスコアの公表は、多くの場合、地元の新聞やニュースで報じられ、公園整備を求める市民団体や地方議員がその都市の評価を、予算増額や新規整備の必要性を訴える根拠として引用することがあるとされる。指数が政策形成の過程に組み込まれていくこうした過程は、指標が単なる観察の道具ではなく、政策を動かす道具にもなりうることを示している。
「10分歩ける公園」運動やパークスコアは公園に特化した指標であるが、同種の発想はより広い都市の歩きやすさ(walkability)を測る取り組みにも見られる。住所ごとに商店・学校・公共交通などへの徒歩でのアクセスのしやすさを点数化する民間の指標も広く知られている。公園への近さを測る指標は、こうしたより広い歩きやすさの指標の一部として位置づけることもできる。
パークスコアの公表資料では、都市全体の順位に加えて、その都市の中で所得や人種によって公園へのアクセスにどれだけ差があるかという、都市内部の格差を示す情報が付されることがあるとされる。都市間の順位だけでなく都市内部の偏りにも焦点を当てるこの構成は、次節で扱う環境正義の議論と直接につながっている。
7. 環境正義と公園の公平性——人種・所得による偏り
本節では、公園アクセスの偏りを人種・所得という切り口から問う環境正義(environmental justice)の議論を扱う。
7.1 環境正義の成立
環境正義という言葉は、1980年代のアメリカで、産業廃棄物処理施設や汚染源が低所得層・有色人種の多く住む地域に偏って立地している、という実態を告発する公民権運動の延長として確立した。社会学者ロバート・D・ブラードの著書『Dumping in Dixie』(1990年)は、この問題を体系的に論じた代表的な研究として知られる。この議論を受けて、連邦政府は1992年に環境保護庁の中に環境正義局を設け、1994年には大統領令12898号「少数者集団および低所得者集団における環境正義に関する連邦の行動について」が発出され、連邦機関に環境正義への配慮を求める枠組みが整えられた。
7.2 公園という望ましい施設の偏在
環境正義の議論は当初、廃棄物処理場のような望ましくない施設の偏在を問うものであったが、後に公園や緑地のような望ましい施設が偏って少ない地域がある、という逆方向の偏在にも視野を広げた。低所得層や有色人種が多く住む地域ほど、一人当たりの公園面積が小さい、公園までの距離が遠い、公園の設備が古く整備が行き届いていない、といった傾向が指摘される研究群があるとされる。パークスコアが公平性を採点の観点の一つに含めているのは、この議論を都市比較の指標に取り込もうとする試みである。
他方で、公園整備が地域の公平性にとって単純に善であるとは限らない、という指摘もある。荒廃していた地域に新しい公園が整備されると、その周辺の地価や家賃が上昇し、もともとその地域に住んでいた低所得の住民が住み続けられなくなる、という現象が一部の都市で観察されており、グリーン・ジェントリフィケーションと呼ばれる。この指摘は、公園の量やアクセスを改善するだけでは公平性の問題は解決せず、誰のための整備かという問いを併せて考える必要があることを示している。
環境正義の議論をアメリカに固有のものとして片付けるべきではない。人種構成という文脈は日本とは異なるが、所得や世帯構成による公園アクセスの差という論点自体は、日本の都市にも当てはまりうる普遍的な問いである。本稿第9節と第10節で、この視点を日本の誘致距離という基準に照らして検討する。
7.3 環境正義の対象の広がり
環境正義の視点は、後に気候変動対策や都市の暑熱環境の議論とも結びつくようになった。樹木や芝生の少ない地域ほど夏季の気温が高くなりやすいという都市の暑熱環境に関する研究群があり、公園や街路樹の少なさが健康リスクにもつながりうるという指摘がある。この結びつきは、公園の量やアクセスの偏りが、単に余暇の機会の差にとどまらず、健康や安全に関わる問題でもあることを示しており、日本の熱中症対策の文脈でも参考になりうる視点である。
本稿は環境正義の議論を紹介するにとどめ、磐田市における人種構成のような概念の直接的な当てはめは行わない。日本の文脈でこの視点を活かす道筋は、第9節と第10節で、所得や世帯構成、地区という切り口に置き換えて検討する。
近年では、公園整備計画そのものに「公園の公平性(park equity)」という言葉を明記し、既存の公園が少ない地域を優先して整備するという方針を掲げる都市もあるとされる。こうした方針は、環境正義の議論が抽象的な理念にとどまらず、個別の都市の公園整備計画の中に具体的な優先順位づけとして落とし込まれてきたことを示す一例である。
環境正義の議論の背景には、より直接的な歴史もある。20世紀前半から中頃にかけて、アメリカ南部を中心に、公園やプールが人種によって利用を分けられていた時期があり、公民権運動の中でその是正が求められた。今日の環境正義の議論における公園アクセスの偏りへの問題意識は、こうした制度的な分離の歴史の記憶と無縁ではない、と指摘する研究者もいる。
8. 指標化の力と限界——数値化することで何が測れ、何が測れないか
前節までで見た10分歩ける公園運動とパークスコア、そして環境正義の議論に共通するのは、公園という質的な体験を、距離・面積・投資額・人口構成といった数値に置き換えて比較する、という方法である。本節ではこの方法そのものの力と限界を検討する。
8.1 指標化の力
指標化には確かな力がある。第一に、数値は都市間の比較を可能にし、自都市の弱点を客観的に示すことができる。第二に、数値目標は政治家や行政官に説明責任を課す道具になる。徒歩10分以内に公園がある住民の割合を高めるという目標は、達成できたかどうかを後から検証できる。第三に、公平性のように主観的で語られがちな論点も、地域ごとの公園面積や距離の差として数値化されることで、政策課題として認識されやすくなる。第7節で見た環境正義の議論が政策文書にまで結実した背景には、こうした数値化の力があったと考えられる。
8.2 指標化の限界
他方で、指標化には見過ごせない限界もある。第一に、複数の観点を一つの順位に集約する過程で、どの観点をどれだけ重視するかという価値判断が、指数の設計者に委ねられてしまう。パークスコアの順位が高いことは、その都市の公園が実際に住民にとって心地よい場所であることを直接には意味しない。第二に、徒歩10分や誘致距離のような到達時間・到達距離の指標は、その公園が安全に歩いて行ける道のりであるかどうか、公園の中でどう過ごせるかという質の問題を測らない。道路を渡らずに行けるか、日陰があるか、見通しが良いかといった論点は、距離の指標には現れにくい。
第三に、数値目標は測りやすいものを測ってしまいがちである。徒歩10分という到達時間は測りやすいが、公園で過ごす時間の心地よさや、そこで生まれる人と人との関係は測りにくい。数値目標が政策の焦点になるほど、測りにくいものが政策の視野から後退する危険がある。第四に、指標による比較は都市の間の順位づけという形をとりやすく、順位の低い都市の住民に自分たちの公園は劣っているという印象を与えかねない、という副作用も指摘できる。
本稿の立場は、指標化を拒否することでも無批判に受け入れることでもない。指標は公平性のような論点を可視化し政策の俎上に載せる力を持つ一方で、それ自体が測れるものの範囲でしか公平性を語れない、という限界を自覚しながら用いるべき道具である、というのが本稿の見立てである。
8.3 指標を読む側の心得
指標を読む側にも留意すべき点がある。ある都市の順位が前年より下がったとしても、それは必ずしもその都市の公園が悪化したことを意味せず、他都市が指標の対象となる項目に力を入れた結果、相対的な順位が下がっただけ、ということもありうる。指標は多くの場合、絶対的な到達点ではなく都市間の相対的な位置を示すものであることを踏まえて読む必要がある。
また、指標が測る範囲は、指標を設計した団体が重要だと判断した観点に限られる。パークスコアが公平性を採点に含めるようになったのも、環境正義の議論が社会の中で影響力を持つようになったという時代の変化を反映した結果である。指標の中身は固定されたものではなく、何を測るべきかという社会の側の関心の変化に応じて更新されていくものだと理解しておくべきだろう。
指標が測れない質的な側面を捉えようとする方法として、建築家・社会学者ウィリアム・H・ホワイトが1980年代に行った、都市の広場や公園での人々の滞在の仕方を観察する調査のような、質的な観察研究の系譜がある。こうした観察研究は、数値化された指標では見えない、誰が・どこに・どれくらいの時間座っているかといった利用の実態を明らかにする点で、指標を補う役割を果たしうる。
近年では、直線距離ではなく実際の道路網に沿った経路を計算する地理情報システム(GIS)を用いて、公園までの到達可能な範囲をより精緻に描く分析も広がっている。これは、誘致距離のような円形の指標が抱える、道路や河川などの障壁を考慮できないという限界を、技術的に補おうとする試みの一つである。
9. 日本の誘致距離との比較——公平性の基準をどう立てるか
本節では、これまで見てきたアメリカの指標運動を、日本の誘致距離という基準と比較する。
9.1 供給側の基準と需要側の指標
日本の都市公園法施行令が定める誘致距離は、公園の種別ごとに——街区公園はおおむね250メートル、近隣公園はおおむね500メートルというように——公園を中心とする円の半径として与えられ、標準面積とセットで示される。この基準は、新しい市街地を開発する際に、どこにどれだけの規模の公園を配置すれば計画上網羅できるかを判断するための、供給側・計画側の基準として機能してきた。
これに対し、アメリカの10分歩ける公園運動が掲げる徒歩10分という基準は、既存の街の住民一人ひとりの居住地から、実際に歩いて公園に到達できるかどうかを事後的に測る、需要側・実態側の指標である。次の表に両者の違いを整理する。
| 観点 | 誘致距離(日本) | 10分歩ける公園(アメリカ) |
|---|---|---|
| 測る対象 | 計画上の配置基準 | 実際の到達可能性 |
| 基準の与え方 | 公園種別ごとの円の半径と標準面積 | 徒歩時間という単一の物差し |
| 主な使われ方 | 新規開発時の公園配置の計画 | 既存の街の達成度を事後的に採点 |
| 公平性の視点 | 明示的には組み込まれていない | 人種・所得による偏りを採点に含める試みがある |
9.2 環境正義という視点の不在
表の最後の行が示すとおり、日本の誘致距離という基準には、地域の所得水準や世帯構成によって公園への到達しやすさに差があってはならない、という公平性の視点が明示的には組み込まれていない。誘致距離は、その地域にどれだけの人が住んでいるかにかかわらず一律の円で機能するよう設計されているため、結果として特定の地域だけ公園が少ないという事態が生じても、それを是正する仕組みを基準そのものは持っていない。
この違いをもって、日本の基準がアメリカの基準より劣っているとみなすのは早計である。第8節で見たとおり、指標化には固有の限界があり、パークスコアが公平性を採点に含めているからといって、その都市の公園アクセスの偏りが実際に是正されるとは限らない。むしろ本稿が指摘したいのは、日本には環境正義に相当する言葉と枠組みがまだ十分に定着しておらず、公園アクセスの地域差を公平性の問題として語る語彙そのものが乏しい、という点である。誘致距離という計画基準に、事後的な達成度の検証と地域差への注意という二つの要素を組み合わせることは、日本の公園政策にとっても検討に値する論点だと考えられる。
9.3 誘致距離が生まれた文脈
誘致距離という基準が生まれた文脈を振り返ると、その多くは戦後の高度経済成長期、都市に人口が急速に流入し新しい市街地が次々と造成された時代に整えられたものである。この時代の課題は、まず公園という施設をどこにも一定の水準で行き渡らせることであり、地域ごとの所得や世帯構成による差を測って是正するという発想は、優先順位として後景に退いていたと考えられる。人口が増え続けることを前提にした基準であるという点は都市計画学の稿でも指摘されている論点であり、本稿はそこに公平性という観点からの読み直しを付け加えるものである。
アメリカの環境正義の議論が示すのは、公平性は自然に達成されるものではなく、意識的に測り、政策の目標に組み込まなければ見過ごされやすい、という教訓である。日本において誘致距離という供給側の基準を維持しつつ、地域差を事後的に確認する仕組みを重ねるとすれば、それはアメリカの指標運動から学べる実践的な示唆の一つだと言える。
法的な性格という点でも両者は似た位置にある。誘致距離は都市公園法施行令が示す標準であり、個々の公園の配置を法的に義務づける基準ではない。10分歩ける公園運動の目標も、市長の公約という形をとり、法律上の義務ではない。どちらも、拘束力の弱い目安として公園政策の指針となっている点で共通しており、指針をどう実効性のある政策に翻訳するかという課題は、日米に共通する論点だと言える。
なお、誘致距離は国土交通省の運用指針が示す標準であって、地方公共団体の条例や個別の判断によって、地域の実情に応じた運用がなされる余地がある。この点で、誘致距離もまた、しばしば理解されているほど硬直的な基準ではない、という留保を付け加えておきたい。
測る単位という点でも両者は異なる。誘致距離はメートルという距離の単位で示され、地図上に円として描くことができる。10分歩ける公園運動は分という時間の単位で示され、実際の歩行速度や道のりの起伏によって同じ距離でも到達時間が変わりうる。距離という固定された単位と、時間という個人差の出やすい単位のどちらを基準にするかも、公平性の測り方をめぐる一つの選択である。
10. 磐田市の公園への示唆——アメリカの指標を物差しに
本節では、前節までに整理したアメリカの指標運動と環境正義の視点を物差しにして、磐田市の公園を読む。用いる数字は、磐田市オープンデータ「都市公園一覧」と市施設ガイドに基づき当サイト(ATAWI PARK)が整理したものである。
10.1 磐田市の公園を「歩いて行けるか」で読む
磐田市は都市公園100園を収録し、種別でみると街区公園51、近隣公園14、都市緑地10、地区公園4、総合公園3、運動公園3、風致公園3、広場公園2、緑道2、墓園1、歴史公園1、法対象外6という構成である。街区公園の誘致距離は250メートルが国の標準であり、これはアメリカの10分歩ける公園運動が目安とするおよそ半マイル圏よりもかなり狭い。数の上では、磐田市の街区公園51園は市内に広く分布していると期待できる構成ではあるが、実際にどの家庭からも250メートルや徒歩10分の圏内に公園があるかどうかは、円の半径と道のりの違い、住宅地の分布との重なりを個別に確かめなければ分からない。この確認は当サイトの現地踏査を待たねばならない論点である。
10.2 地区ごとの偏りという論点
第7節で見た環境正義の議論は、地区ごとの公園の多寡という論点として磐田市にも当てはめて考えることができる。磐田市の9地区の園数は、豊田28、見付21、中泉14、御厨13、竜洋13、福田4、豊岡3、南部2、向陽2である。この差がそのまま各地区の人口規模の差を反映しているのか、それとも人口当たりでみても地区によって公園の多寡に差があるのかは、当サイトが保有する情報だけでは判断できない。本稿が指摘できるのは、地区ごとの園数という数字自体は、環境正義の視点からアメリカの都市が自らの公園システムを点検してきたのと同じ問い——どの地域の住民が公園に恵まれ、どの地域の住民がそうでないか——を磐田市についても立てられる、という点にとどまる。
面積の面でも、竜洋海洋公園(221,722平方メートル)のような総合公園から、二之宮東第2緑地(17平方メートル)のようなごく小さな都市緑地まで、磐田市が抱える100園の規模には大きな幅がある。パークスコアが公園の面積・投資・設備・アクセス・公平性という複数の観点を組み合わせて評価するように、磐田市の公園を評価する際にも、園数だけでなく、面積・種別・設備の有無(オープンデータによればトイレ有69園、砂場有43園、遊具有64園)を組み合わせて読む視点が有効だろう。
10.3 踏査はこれからである
ただし、以上はいずれも数の上での見取り図にとどまる。ある公園が歩いて行きやすい場所にあるか、道中に横断すべき危険な道路がないか、日陰やベンチのような滞在の質を左右する要素があるかは、地図や統計だけでは分からない。当サイトの現地踏査は始まったばかりであり、本節で述べた地区ごとの偏りや到達しやすさについても、今後の踏査を通じて確かめていく必要がある。運営する富士ヶ丘サービス株式会社は磐田市周辺で不動産・介護の事業を営んでおり、地域の生活基盤としての公園への関心から、この踏査を続けていく立場にある。
公平性という観点からは、遊具そのものの利用しやすさも論点になりうる。市施設ガイドによれば、安久路公園(地区公園・御厨、32,001平方メートル)にはインクルーシブエリアやインクルーシブアイテムのある複合遊具・ブランコが整備されているという。これは障害の有無にかかわらず遊べる場をどれだけ用意できているか、という公平性の一側面であり、本稿が扱ってきた距離や地区の偏りとはまた別の、しかし関連する論点である。
徒歩や誘致距離という観点に加えて、車での到達しやすさも公平性に関わりうる。磐田市の公園のうち、市施設ガイドの記載や当サイトの判定で駐車場が有ると確認できるのは33園にとどまる。徒歩で行ける範囲に公園がない世帯にとって、車での到達可能性は徒歩の代替になりうるが、運転できない子どもや高齢者にとってはその代替が働かない、という点は、第6節・第8節で述べた指標の限界とも重なる論点である。
11. 結論と今後の課題
本稿は、アメリカの公園にまつわる制度と政策を、思想史としてではなく現代の論点として検討し、20世紀前半の政策的分岐と21世紀の指標運動、そして環境正義という公平性の視点を整理したうえで、日本の誘致距離という基準と比較した。
11.1 到達点
第一に、アメリカの公園制度は連邦・州・市郡という三つの層で並行して発展し、都市の内側では都市美運動と遊び場運動という異なる担い手による二つの政策が公園を形づくり、都市の外側では国立公園制度と土地水資源保全基金という保全と財政の仕組みが公有地を支えてきた。第二に、21世紀に入って現れた10分歩ける公園運動とパークスコアは、公園整備の基準を土地の確保という供給側の発想から、住民が実際に歩いて行けるかという需要側の指標へと転換し、環境正義の議論はそこに人種・所得による偏りという公平性の視点を持ち込んだ。第三に、指標化には都市間の比較や説明責任を可能にする力がある一方で、測りやすいものしか測れない、価値判断を指数の設計者に委ねてしまう、という限界がある。
第四に、日本の誘致距離という基準と比べたとき、誘致距離が新規開発時の計画基準として供給側から公園配置を保証する仕組みであるのに対し、アメリカの指標運動は既存の街の達成度を事後的に、しかも公平性の視点を含めて測ろうとする点で、性格が大きく異なっていた。この違いは、どちらが優れているかという優劣の問題ではなく、公園政策が計画段階の保証と実態の事後検証という二つの役割を、それぞれどこまで担うべきかという役割分担の問題として理解すべきである。
11.2 残された課題
残された課題は三つある。第一に、磐田市の街区公園の誘致距離250メートル、あるいは徒歩10分の到達圏を、実際の道のりに基づいて地図上で確かめる作業は本稿では行っていない。第二に、地区ごとの園数の差が人口当たりでみても偏りといえるのかどうかは、人口の分布という当サイトが現時点で十分に扱えていない情報を要する。第三に、環境正義が問うてきた誰のための公園整備かという問いを、日本の地域特性——人種構成ではなく、高齢化や人口減少、世帯構成の違い——に即してどう翻訳するかは、本稿では手をつけられなかった論点である。
アメリカの経験から日本が学べるのは、特定の制度をそのまま輸入することではなく、公園政策における測る対象と測る目的を意識的に選び直す姿勢そのものである。何を指標にするかという選択は、それ自体がどのような公園を望ましいと考えるかという価値判断を含んでいる。誘致距離という基準を持つ日本にとっても、その基準が何を測り、何を測っていないのかを自覚することは、基準を捨てることなくできる、地に足のついた見直しである。
最後に、本稿の限界を一つ確認しておく。本稿はアメリカの制度・政策を、文献と公的資料から整理したものであり、記述の解像度には限りがある。特に、州や都市ごとの制度の違いや、指標運動に対する現地の批判の詳細については、今後さらに一次資料に当たって確かめる必要がある。
11.3 学問領域を越えて
本稿で扱った論点の一部——誘致距離の法的な位置づけ、地区ごとの公園分布の地理的な分析——は、法学や地理学といった隣接する学問領域からのアプローチによって、さらに掘り下げることができるだろう。本稿はアメリカとの比較という限られた窓から公平性の論点を素描したにすぎず、その先の検討は今後の課題としたい。
公園の価値は、公園の中で何が起きるかだけでなく、そこにたどり着けるかどうかによっても決まる。アメリカの指標運動が突きつけるのは、この、たどり着けるかどうかを測る努力を怠らないことの大切さと、測ることには限界があるという謙虚さの両方である。当サイト(ATAWI PARK)は、磐田市の公園について、この二つの態度を両方持ちながら、今後の踏査を重ねていきたい。
参考文献
- フレデリック・ロー・オルムステッド(1865)「ヨセミテとマリポサ樹林——予備的報告」(カリフォルニア州議会宛て報告書)
- 合衆国議会 1872年3月1日法律(イエローストーン国立公園設置法)
- 国立公園局組織法(National Park Service Organic Act, 39 Stat. 535、1916年)
- 土地水資源保全基金法(Land and Water Conservation Fund Act, Pub. L. 88-578、1965年)
- ガレン・クランツ(1982)『The Politics of Park Design: A History of Urban Parks in America』(MIT Press)
- ドミニック・カヴァロ(1981)『Muscles and Morals: Organized Playgrounds and Urban Reform, 1880-1920』(University of Pennsylvania Press)
- ロバート・D・ブラード(1990)『Dumping in Dixie: Race, Class, and Environmental Quality』(Westview Press)
- ジェフ・ウィルツェ(2007)『Contested Waters: A Social History of Swimming Pools in America』(University of North Carolina Press)
- 大統領令12898号「少数者集団および低所得者集団における環境正義に関する連邦の行動について」(1994年)
- トラスト・フォー・パブリック・ランド「ParkScore Index」および「10 Minute Walk」キャンペーン(同団体・全米レクリエーション・公園協会・都市土地協会)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令、国土交通省 都市公園のページ
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。