社会科学都市経営学
稼ぐ公園と守る公園——Park-PFI と公民連携の到達点
要旨
本稿は、都市公園における公民連携(PPP)の手法群を都市経営学の視点から整理し、「稼ぐ公園」と呼ばれる潮流が何を可能にし、何を可能にしないのかを検討する。2017年(平成29年)の都市公園法改正で創設された公募設置管理制度(Park-PFI)は、公園内にカフェや売店などの収益施設を民間が設置し、そこから生じる収益の一部で園路・広場・トイレといった公共部分を整備・改修する仕組みである。この制度は、公園を「行政が造り、行政が守る施設」から「民間の投資と行政の管理が組み合わさる空間」へと位置づけ直した点で、都市経営上の転換点であった。
方法は文献整理・制度整理・概念分析である。まず、ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)論、公共財とクラブ財の区別、契約の不完備性をめぐる議論、都市の企業家主義批判といった諸概念を、公園という具体的対象に照らして読み直す。次に、都市公園法第5条の設置管理許可、地方自治法第244条の2の指定管理者制度、PFI法(1999年)に基づく事業方式、そして2017年創設のPark-PFIという四つの手法を、目的・法的性格・期間・収入の帰属・行政の関与という軸で比較する。個別の事業や事業者の評価は行わず、金額や収益の具体的数値にも立ち入らない。
主な論点は三つである。第一に、収益施設が成り立つかどうかは、周辺の人口密度・来訪者の滞在時間・公園の面積と接道条件という条件にほぼ規定されており、公民連携の手法はこの条件を作り出すものではなく、条件がある場所でそれを活かすものである。第二に、収益を生まない公園の維持財源は結局のところ一般財源と地域の労力であり、公民連携は財源問題を解決するのではなく、財源の配分を組み替える。第三に、公共性と収益性の緊張は、利用の無料原則、排除の抑制、契約期間の長さと可逆性、モニタリングと情報公開という制度設計上の論点として具体化できる。
磐田市には当サイトが収録する100園があり、その内訳は街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園などである。面積は17㎡の小さな緑地から22万㎡を超える総合公園まで幅広い。本稿は市の個別の事業や予算に立ち入らず、制度上明らかな事実と概念枠組みだけを用いて、住民・行政・地域が同じ言葉で公園の経営を語るための土台を示す。園ごとの実態は今後の踏査で確かめる。
キーワードPark-PFI公民連携指定管理者制度設置管理許可都市経営公共空間の私化維持管理財源
1. はじめに——問題の所在
「稼ぐ公園」という言い方が、この十年ほどのあいだに公園をめぐる議論の中に定着した。芝生広場に面してカフェが建ち、週末にはマルシェが開かれ、そこで得られた収益が園路やトイレの改修に回る——そうした光景が、都市公園の新しい姿として語られるようになった。背景にあるのは2017年(平成29年)の都市公園法改正で創設された公募設置管理制度、通称Park-PFIである。これは、公園内に収益施設を設ける民間事業者を公募し、その事業者が収益の一部を使って園路・広場・トイレなどの公共部分を整備することを条件に、建築面積や設置期間の特例を与える仕組みである。
しかし、この潮流を市町村の公園行政の全体像として受け取ると、像を大きく取り違える。日本の都市公園の大多数は、住宅地の中に置かれた小さな街区公園である。当サイトが収録する磐田市の100園でも、種別ごとの内訳は街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園であり、面積の中央的な水準は数千平方メートルにとどまる。こうした公園にカフェを建てて収益を上げることは、制度上は不可能ではなくとも、現実の需要から見て成立しにくい。「稼ぐ公園」の議論が届く範囲と、市町村が守らなければならない公園の範囲は、大きくずれている。
本稿はこのずれを正面から扱う。都市経営学は、都市を一つの経営体として捉え、財源・組織・制度・空間を横断して政策の設計を論じる実践的な学問領域である。行政学が組織と手続を、財政学が収支と負担を、都市計画学が空間の配置を扱うのに対し、都市経営学はそれらを一つの意思決定の場に置き直して、「限られた資源で何をどこまで支えるか」を問う。公民連携(PPP、Public-Private Partnership)は、その中心的な道具立ての一つである。
1.1 三つの問い
本稿が立てる問いは三つである。第一に、公民連携と一括りに呼ばれる手法群は、制度としてどう違うのか。設置管理許可、指定管理者制度、PFI、Park-PFIは、いずれも民間が公園に関わる仕組みだが、根拠法も、民間が担う範囲も、収入の帰属も、行政に残る責任も異なる。この違いを曖昧にしたまま「民間活用」と語ることは、期待の過大と失望の双方を生む。
第二に、何が「稼げる公園」を決めるのか。収益施設が成り立つ条件は、制度が与えるものではない。周辺にどれだけの人が住み、どれだけの人が通り、そこで人がどれだけの時間を過ごすか——その条件がある場所でのみ、投資は回収可能になる。この条件は都市の構造に由来し、制度改正では作り出せない。逆に言えば、条件のある公園と条件のない公園を制度が区別しないまま同じ枠組みで語ることが、混乱の源になっている。
第三に、収益を生まない公園の維持財源はどこから来るのか。日本の公園の大半を占める街区公園には、除草・清掃・遊具点検・砂場の管理・照明の電気代といった費用が毎年発生する。これらは収益では賄えない。ならば財源は一般財源か、地域住民の労力か、あるいは別の公園から生まれた収益の移転か。この問いは、公民連携の議論が最も語りたがらない部分であり、同時に市町村にとって最も切実な部分である。
1.2 方法と本稿の限界
方法は文献整理・制度整理・概念分析である。制度については、法律の条文と国の指針に明記された事項のみを扱う。概念については、公共経済学・組織の経済学・都市論の古典を参照し、公園という具体的対象に照らして読み直す。本稿は個別の事業や事業者の評価を一切行わない。特定の公園の事業がうまくいったか否かという判断は、現地の条件・契約内容・時期に強く依存し、外形的な情報だけで論じるべきではないからである。同じ理由から、金額や収益の具体的な数値にも立ち入らない。
また本稿は、当サイトの他の論文と同じく、磐田市の公園の実地の状況について断定しない。当サイトの踏査はまだ始まったばかりであり、園内の設備や利用の実態は、市のオープンデータと施設ガイドの記載を突き合わせた範囲でしか把握していない。第9節で磐田市に触れる際も、公表された種別・面積・地区の数値と、市の施設ガイドの記載に基づく検討にとどめ、判断が必要な事項は今後の踏査に委ねる。
構成は次のとおりである。第2節で都市経営学の視座と関連する概念を整理し、第3節で公民連携の四つの手法を制度として比較する。第4節でPark-PFIの設計思想を、収益の還元という発想に絞って検討する。第5節で「稼げる公園」を決める条件を、第6節で収益を生まない公園の財源を扱う。第7節で公共性と収益性の緊張を論じ、第8節で想定される反論に応答して評価の枠組みを示す。第9節で磐田市の公園への示唆を述べ、第10節で結論と課題をまとめる。
2. 都市経営学の視座——先行研究と概念の整理
公民連携という発想は、公園から生まれたものではない。1980年代以降、先進各国の行政改革の中で育った一群の考え方が、やがて公園にも及んだ。本節では、その系譜を四つの流れに分けて整理する。すなわち、行政運営の手法をめぐるニュー・パブリック・マネジメント論、財の性質をめぐる公共財・クラブ財の理論、契約と組織をめぐる経済学、そして都市政策そのものを批判的に見る都市論である。いずれも公園を主題とした議論ではないが、公園に当てはめると論点が驚くほど明確になる。
2.1 ニュー・パブリック・マネジメント——行政に経営の言葉を入れる
ニュー・パブリック・マネジメント(NPM、新公共経営)は、1980年代の英国やニュージーランドなどで進んだ行政改革を、後から理論的に整理した呼び名である。クリストファー・フッドは1991年の論文で、この潮流に共通する要素として、成果による管理、業績指標の明示、民間的な管理手法の導入、競争の導入、資源利用の規律といった特徴を挙げた。1992年にはオズボーンとゲーブラーが『行政革命』で、行政は自ら漕ぐ(rowing)よりも舵を取る(steering)べきだという比喩を広め、この考え方は日本にも大きな影響を与えた。
公園に引き寄せれば、NPMは次のような問いを行政に投げかける。除草や清掃や遊具点検を、市の職員が直接行う必然性はあるか。あるとすればどの部分か。仕様を定めて外部に委ねられる仕事と、行政が自ら判断しなければならない仕事の境目はどこか。日本では2003年(平成15年)の地方自治法改正による指定管理者制度の導入が、この問いを制度として具体化した出来事だった。それまで公の施設の管理委託は公共的団体等に限られていたが、この改正で株式会社を含む幅広い主体が管理を担えるようになった。
2.2 公共財・クラブ財——公園はどちらに近いのか
サミュエルソンが1954年に定式化した純粋公共財は、非競合性(ある人の消費が他人の消費を減らさない)と非排除性(対価を払わない人を排除できない)をもつ財である。公園はこの性質にかなり近い。誰かがベンチに座っても他の人の空の眺めは減らないし、出入口を開いたまま柵で囲わない限り、料金を取ることも難しい。市場に任せると供給が過小になるため、行政が税で供給する——これが公園を公共財として説明する標準的な議論である。
だが公園は純粋公共財ではない。混雑すれば競合性が生じ、砂場も滑り台も順番待ちになる。ブキャナンが1965年に提示したクラブ財の概念は、この中間的な財を扱う。会員だけが使える施設は、会員数が増えるほど費用が分担される一方、混雑によって満足が下がる。有料のスポーツ施設や、利用登録が必要なグラウンドは、公園の中にありながらクラブ財に近い性質をもつ。公民連携の議論が難しくなるのは、一つの公園の中に純粋公共財に近い部分(芝生・園路・トイレ)とクラブ財や私的財に近い部分(テニスコート・カフェ・駐車場)が同居しているからである。
2.3 契約の不完備性——書ける品質と書けない品質
民間に委ねるかどうかを考えるうえで最も有用な理論は、契約と組織の経済学から来る。ウィリアムソンは、取引には契約の作成・監視・執行にかかる費用(取引費用)があり、将来の状況をすべて書き尽くすことはできない(契約の不完備性)と論じた。ハート・シュライファー・ヴィシュニーは1997年の論文で、この考えを政府の役割に応用し、品質を契約に書き込めるかどうかが民間委託の適否を左右すると整理した。費用削減が品質の低下をもたらし、その低下を契約で防げない領域では、公的な所有と直営に利がある。
公園にはこの区別がよく当てはまる。芝の刈高、清掃の頻度、トイレの清掃回数、遊具の点検周期は、仕様書に数値で書ける。国土交通省の遊具の安全確保に関する指針や日本公園施設業協会の規準は、点検の考え方を共通言語として与えており、契約に落とし込みやすい。他方、子どもが遊んでいるときの見守りの目、常連の高齢者との関係、近隣からの苦情への向き合い方、遊具が古びたときに直すか撤去するかという判断は、仕様に書きにくい。前者は委ねやすく、後者は委ねると質が変わりやすい。
2.4 都市の企業家主義と公共空間の私化——批判の系譜
一方で、公民連携には当初から批判の系譜が伴っている。デヴィッド・ハーヴェイは1989年の論文で、都市政府の姿勢が、住民へのサービス提供を管理する立場(管理主義)から、投資と来訪者を呼び込む競争主体としての立場(企業家主義)へ移りつつあると指摘した。この視点から見ると、公園に収益施設を置く政策は、財源確保の技術であると同時に、都市が他都市と競う舞台装置の一部でもある。
また、公共空間の私化(privatization of public space)をめぐる研究群がある。マーガレット・コーンは2004年の著作で、私的に所有・管理される公共的空間が増えることで、誰が滞在してよいかを事実上決める権限が私人に移る問題を論じた。ホワイトが1980年に小さな都市空間の観察から示したように、公共空間の質は座れる場所や日陰といった細部で決まるが、その細部を誰の判断で決めるかは、所有と管理の構造に左右される。日本の都市公園法は、公園を公共施設として位置づけ、無料利用を原則とし、区域の廃止を制限しているため、これらの批判がそのまま当てはまるわけではない。しかし、批判が指し示す論点——誰が空間の使い方を決めるのか——は、制度の違いを超えて有効である。
以上四つの流れは、それぞれ別の問いを立てる。NPMは「誰が担うか」、公共財論は「なぜ税で支えるか」、契約理論は「何を書けるか」、都市論は「誰が決めるか」である。公民連携の制度を読むときは、この四つを同時に手元に置いておくとよい。次節では、その視点から日本の制度を具体的に整理する。
3. 公民連携の制度地図——四つの手法とその違い
「公民連携で公園を良くする」という言い方は、実務ではほとんど意味をなさない。何をどの制度で行うのかによって、民間が負う責任も、行政に残る権限も、費用と収入の流れもまったく異なるからである。本節では、日本の都市公園に関わる公民連携の主な手法を四つに分けて整理する。設置管理許可、指定管理者制度、PFI、そしてPark-PFIである。この四つは互いに排他的ではなく、一つの公園で組み合わせて用いられることも多い。
3.1 設置管理許可——最も古く、最も単純な仕組み
都市公園法第5条は、公園管理者以外の者が公園施設を設け、または管理することを、公園管理者の許可にかからしめている。売店、駐車場、運動施設などを民間や地域団体が設置・運営する場合、この許可が基礎になる。許可の期間は10年を超えることができないとされ、更新は可能である。行政から見れば、施設の整備費を民間が負担し、行政は使用料を得るという構図になる。制度としては1956年の都市公園法制定以来のものであり、公民連携の原型といってよい。
この仕組みの限界は、期間の短さにある。10年で回収できる投資しかできないため、建物を建てるような本格的な投資は割に合いにくい。加えて、公園施設の建築面積には都市公園法第4条による制限があり、政令の参酌基準では都市公園の敷地面積の100分の2とされている。公園は建物を建てる場所ではないという原則が、投資の上限を画してきたのである。この二つの制約が、後にPark-PFIの特例として緩められることになる。
3.2 指定管理者制度——管理を包括的に委ねる
指定管理者制度は、2003年(平成15年)の地方自治法改正により、公の施設の管理を法人その他の団体に指定して行わせる仕組みとして導入された。指定は契約ではなく行政処分であり、議会の議決を要する。指定管理者は、条例の定めるところにより施設の使用許可を行うこともでき、利用料金を自らの収入として収受する利用料金制を採ることもできる。都市公園も公の施設であるから、この制度の対象になる。
指定管理者制度が扱うのは、既にある施設の管理である。新しい施設を造る資金を民間から引き出す仕組みではない。したがって、大規模公園の運動施設やレストハウスの運営には向くが、小さな街区公園を一園ずつ指定管理に付す例は多くない。管理の対象が小さすぎて、事業者にとって固定費を賄えないからである。近年は、多数の小規模公園をまとめて一つの契約とする包括的な管理委託が試みられているが、これは指定管理者制度でも業務委託でも構成でき、制度の名前より契約の中身が重要になる。
3.3 PFI——設計・建設・運営を長期の契約で束ねる
PFI(Private Finance Initiative)は、1999年(平成11年)に制定された民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律、通称PFI法に基づく手法である。民間の資金と技術を用いて公共施設を設計・建設・維持管理・運営し、その対価を長期にわたって支払う、あるいは利用者からの収入で回収する。所有と運営の組み合わせによりBTO(建設・移転・運営)、BOT(建設・運営・移転)などの方式に分かれ、2011年の改正では公共施設等運営権(いわゆるコンセッション)が創設された。
PFIの理論的な根拠は、同じ費用でより高い価値を得るという意味のバリュー・フォー・マネー(VFM)である。設計と運営を同じ事業者が一体で担えば、後の運営費を下げる設計が選ばれる。長期の契約であれば、事業者は初期投資を回収できる。逆に言えば、長期であるがゆえに、将来の需要や社会の変化を契約時に読み切れないという不完備性の問題が最も強く出る手法でもある。公園分野では、体育館やプールなど建物を伴う施設で用いられることが多く、公園そのものというより公園内の施設に適用されてきた。
3.4 Park-PFI——収益施設と公共部分を一体で公募する
2017年(平成29年)の都市緑地法等の一部を改正する法律により、都市公園法に公募設置管理制度が加えられた。名称にPFIとあるが、PFI法に基づく事業ではなく、都市公園法上の設置管理許可の特例として構成されている点に注意が必要である。公園管理者は公募設置等指針を定めて事業者を公募し、応募者は公募設置等計画を提出する。計画には、収益施設(公募対象公園施設)の内容と、その収益を活用して整備する公共部分(特定公園施設)の内容が含まれる。認定された事業者には三つの特例が与えられる。設置管理許可の期間を20年まで延ばせること、建築面積の制限に100分の10を上乗せできること、そして自転車駐車場などの占用の対象について特例が認められることである。
四つの手法を並べると、次のように整理できる。表の各欄は制度上の位置づけであり、実際の運用は条例・要項・契約により幅がある。
| 手法 | 根拠法と創設 | 民間が担う中心 | 期間の目安 | 収入の性格 |
|---|---|---|---|---|
| 設置管理許可 | 都市公園法第5条(1956年〜) | 公園施設の設置と運営 | 10年以内・更新可 | 事業者の売上。行政は使用料を収受 |
| 指定管理者制度 | 地方自治法第244条の2(2003年〜) | 既存施設の維持管理と運営 | 条例と指定による(数年単位が多い) | 指定管理料。利用料金制も可 |
| PFI | PFI法(1999年、2011年に運営権) | 施設の設計・建設・維持管理・運営 | 十数年から数十年 | 行政の支払いまたは利用者収入 |
| Park-PFI | 都市公園法第5条の2以下(2017年〜) | 収益施設の設置と公共部分の整備 | 20年以内 | 収益施設の売上。一部を公共部分に投下 |
註:四つの手法は排他的ではない。大規模公園では、指定管理者が全体を管理しつつ、その区域内の収益施設をPark-PFIで公募し、体育施設の更新にPFIを用いるといった組み合わせも制度上は成り立つ。制度名で議論するのではなく、誰が何を負い、何年続き、誰が収入を得るのかを一つずつ確かめることが実務上は重要である。
なお、2017年の改正では公募設置管理制度のほかにも、公園の管理について地域の関係者が協議する協議会の制度が設けられ、また保育所等を公園に設けられるようにする占用の特例が加えられた。これらはいずれも、公園を「造って囲っておく施設」ではなく「地域の需要に応じて使いこなす空間」として扱う方向を示している。Park-PFIだけを取り出して論じると、この改正の全体像を見落とすことになる。
4. Park-PFI の設計思想——収益を公園に還元するという発想
Park-PFIの新しさは、収益施設を公園に置くこと自体にはない。売店や駐車場は設置管理許可のもとで以前から置かれてきた。新しいのは、収益施設の設置を認める見返りとして、その事業者に公共部分の整備を求め、両者を一つの計画として審査するという設計である。本節では、この「還元」の論理を分解し、そこに含まれる前提と、前提が崩れる条件を明らかにする。
4.1 二種類の施設——公募対象公園施設と特定公園施設
制度の中心には二つの用語がある。公募対象公園施設は、事業者が自らの費用で設置し運営する収益施設である。飲食店や売店のような、利用者から対価を得る施設が想定されている。特定公園施設は、公募対象公園施設から生ずる収益を活用して事業者が整備し、公園管理者に帰属させる公共部分である。園路、広場、植栽、トイレ、休憩所などがこれにあたる。事業者は前者で稼ぎ、後者を提供する。この二つが一つの計画として提出され、審査される。
ここに込められた思想は明快である。公園に民間が入ることの是非を抽象的に論じるのではなく、入ることの対価を空間そのものへの投資として具体化する。カフェが建つ代わりに、その周りの広場が整備され、トイレが新しくなり、園路が歩きやすくなる。利益の一部が地域に返るのではなく、公園という場所に返る。この点で、単なる出店や広告収入とは性格が異なる。
4.2 三つの特例が意味するもの
認定された計画の提出者には三つの特例が与えられる。第一に、設置管理許可の期間が通常の10年以内から20年以内に延びる。第二に、建築面積の制限に100分の10を上乗せできる。第三に、自転車駐車場などの占用の対象について特例が認められる。この三つは、いずれも民間投資の回収可能性を高めるための措置である。期間が延びれば減価償却の期間が延び、建築面積が広がれば店舗として成り立つ規模が確保でき、附帯的な施設を置けば利便性が上がる。
都市経営の観点から重要なのは、これらが「公園に建物を建てにくくしてきた原則」の一部緩和だという点である。都市公園法が建築面積を厳しく制限してきたのは、公園が建蔽率の高い都市の中で空地を確保する装置だからであった。特例はその原則を否定するものではなく、公共部分への還元という条件と引き換えに、限定的に例外を認める構造をとっている。したがって、還元が実現しない、あるいは還元の内容が乏しい場合には、特例を認める根拠自体が薄くなる。特例は目的に従属している。
4.3 還元が成り立つための三つの前提
この設計が機能するには、少なくとも三つの前提が必要である。第一に、収益施設が長期にわたって利益を生むこと。第二に、その利益の一部を公共部分に投じてもなお事業として成り立つこと。第三に、整備された公共部分が、事業終了後も公園管理者の負担で維持できること。三つ目はしばしば見落とされる。事業者が造った広場やトイレは、いずれ公園管理者の管理下に残る。新しく質の高い施設が増えるということは、将来の維持管理費と更新費が増えるということでもある。
したがってPark-PFIは、初期整備費の調達手段としては有効でも、維持管理費の恒久的な解決にはならない。財政学の言葉でいえば、資本的支出の一部を民間に肩代わりさせる仕組みであって、経常的支出の構造を変えるものではない。20年の期間が満了したあと、施設をどう扱うか——更新するのか、撤去して原状に戻すのか、別の事業者を公募するのか——を最初の計画段階で構想しておくことが、都市経営上の要点になる。
- 前提1:収益施設が長期にわたって利益を生むだけの需要が、その場所にある
- 前提2:公共部分への投資を差し引いても事業が成立する余地がある
- 前提3:整備された公共部分を、事業終了後も公園管理者が維持できる
- 見落とされやすい点:質の高い施設が増えることは、将来の維持管理費が増えることでもある
4.4 公募という手続がもつ意味
Park-PFIのもう一つの特徴は、公募という手続にある。公園管理者は公募設置等指針を定め、そこに公園として求める姿、対象区域、期間、審査の基準を書く。応募者はそれに対して計画を出す。この往復は、行政が「この公園をどうしたいのか」を言語化することを強いる。従来の設置管理許可が、個別の申請に対する応答であったのに対し、公募は行政の側から構想を示す手続である。国土交通省は活用ガイドラインを示し、この手続の考え方を整理している。
ただし公募は、応募がなければ成立しない。指針を作り、審査体制を整え、議会や住民に説明する手間は、応募がゼロであっても発生する。事業として成り立つ見込みが薄い公園でこの手続を踏むことは、行政の限られた人的資源を消費するだけに終わりかねない。制度を使うかどうかの判断そのものが、都市経営上の意思決定である。次節では、その判断の材料となる条件を検討する。
5. 何が「稼げる公園」を決めるのか——立地・規模・時間の条件
制度は、収益施設を置くことを可能にする。しかし収益が生まれるかどうかを決めるのは制度ではない。本節では、公園で商いが成り立つ条件を、需要の量、滞在の質、空間の器という三つの側面から分解する。ここで示すのは経営判断の代わりではなく、公園ごとに条件が大きく違うことを可視化するための枠組みである。特定の公園について成否を論じることはしない。
5.1 需要の量——誰が、どれだけそこにいるのか
商いの基礎は、その場所に一定の時間内に何人が現れるかである。都市公園法施行令が示す種別ごとの誘致距離は、この量を考える出発点になる。街区公園は誘致距離250m、近隣公園は500m、地区公園は1kmが標準とされる。誘致距離とは、その公園が主に受け持つと想定される範囲の目安である。半径250mの円がどれほどの人口を含むかは、その地域の住宅密度に完全に依存する。高層住宅が並ぶ地区と、一戸建てと農地が混じる地区とでは、同じ面積でも桁が変わる。
さらに重要なのは、公園の利用者が近隣居住者だけかどうかである。都心の大規模公園は、周辺のオフィスワーカー、来街者、観光客という三つの層を同時に抱える。地方都市の街区公園の利用者は、ほぼ近隣の子ども連れと高齢者に限られる。前者では通行量そのものが需要になるが、後者では通行量が生まれる構造がない。公民連携の手法は、この差を埋める道具ではない。
5.2 滞在の質——短時間の公園では買い物は起きない
第二の条件は滞在時間である。人がその場所に長くとどまるほど、飲み物や食べ物を求める確率は上がる。芝生広場でシートを広げて半日を過ごす公園と、保育園帰りに20分だけ滑り台で遊んで帰る公園とでは、同じ来訪者数でも購買の発生率がまったく違う。ホワイトが小さな都市空間の観察から示したのは、座れる場所や日陰が滞在を生むということであった。滞在を生む空間の条件は、そのまま商いの条件でもある。
この観点は、公民連携を考える順序を逆にする。収益施設を置けば人が集まるのではなく、人が長くとどまる条件が先にあり、そこに施設が乗る。日陰、ベンチ、水回り、見通しのよさ、遊びの多様さ——こうした基礎的な質が整っている公園ほど、収益施設が成り立つ余地がある。逆に、基礎的な質が不足している公園に施設だけを置いても、滞在は生まれにくい。都市経営の判断としては、還元によって整備される公共部分が滞在の質を高め、それが収益を支えるという循環が描けるかどうかが分かれ目になる。
5.3 空間の器——面積・接道・駐車場・可視性
第三の条件は、公園という器そのものである。建築面積の制限がある以上、店舗として成り立つ床面積を確保するには一定の敷地面積が要る。政令の参酌基準である100分の2に、Park-PFIの特例で100分の10を加えたとしても、割合である以上、小さな公園では小さな面積にしかならない。数百平方メートルの緑地では、特例を使っても物置ほどの面積にしかならない計算になる。制度が小さな公園を排除しているわけではないが、面積の論理が自然に対象を絞り込む。
加えて、幹線道路に面しているか、駐車場があるか、外から中の様子が見えるかといった条件が、来訪のしやすさを決める。当サイトが磐田市について整理した範囲では、駐車場があると確認できた園は100園のうち33園である。駐車場の有無は、徒歩圏の外から人を呼べるかどうかの分かれ目になる。ただし駐車場は用地を消費し、緑地としての価値と競合するため、単純に多ければよいというものでもない。
5.4 条件の非対称性をどう扱うか
以上の三条件を重ねると、収益施設が成り立つ公園は、都市の中でごく限られることがわかる。大きく、人が多く、長く滞在し、外からも来やすい公園——この条件を満たすのは、多くの自治体で総合公園や地区公園、あるいは中心市街地に隣接する近隣公園に限られる。市内の公園の大半を占める街区公園は、この条件のどれかを欠く。
この非対称性は、制度の欠陥ではなく都市の構造そのものである。問題は、非対称であることを前提に政策を組み立てられるかどうかにある。少数の公園で収益が生まれるとき、その収益はその公園にとどまるのか、他の公園に回るのか。回らないとすれば、稼ぐ公園と守る公園の格差は制度によって広がることになる。次節では、収益を生まない公園の側から財源の問題を検討する。
6. 守る公園の財源——収益を生まない公園をどう支えるか
公民連携の議論が「稼ぐ」側に集まるほど、「守る」側の問いは背景に退く。だが市町村の公園行政の主たる仕事は、収益を生まない多数の公園を毎年維持することである。除草、清掃、樹木の剪定、遊具の点検と修繕、トイレの管理、照明の電気代——これらは公園がある限り毎年発生し、公園が古くなるほど増える。本節では、この費用を支える財源の類型を整理し、それぞれの性格と限界を検討する。
6.1 財源の類型
公園の維持管理を支える財源は、大きく七つに整理できる。税を原資とする一般財源、国からの交付金や補助、地方債、使用料や占用料、公民連携による収益の還元、寄付やネーミングライツなどの任意の資金、そして住民や事業者による労力の提供である。最後の一つは会計上は財源に数えられないが、実質的には費用を肩代わりしている。
| 財源 | 性格 | 向いている費用 | 限界 |
|---|---|---|---|
| 一般財源(税) | 毎年の裁量的な支出 | 除草・清掃・点検などの経常費 | 他の行政需要と競合し、優先順位が低くなりやすい |
| 国の交付金・補助 | 事業単位・計画に基づく | 整備・更新・長寿命化の事業費 | 日常の維持管理そのものには使いにくい |
| 地方債 | 将来世代との負担分担 | 施設の更新・大規模改修 | 経常的な支出には充てられない |
| 使用料・占用料 | 受益者からの回収 | 個別施設の管理費の一部 | 無料が原則の空間では規模が小さい |
| 公民連携による還元 | 民間投資の一部を公共部分へ | 特定の公園の初期整備 | 条件のある公園に限られる |
| 寄付・ネーミングライツ | 任意・変動的 | 特定の目的への充当 | 継続性が保証されず、計画に組み込みにくい |
| 住民・地域の労力 | 現物の提供 | 日常の清掃・草取り・見守り | 担い手の高齢化と負担の偏りが起きやすい |
この表から読み取れるのは、日常の維持管理という最も基礎的な費用に充てられる財源が、実は一般財源と地域の労力にほぼ限られるということである。交付金も地方債も、造る・直すという事業には使えるが、毎年の草を刈る費用には使えない。財政学の議論が繰り返し指摘してきた「造るときは補助が付き、守るときは自前」という構造は、公民連携の時代になっても基本的に変わっていない。
6.2 地域による管理をどう位置づけるか
多くの自治体には、自治会や有志の団体が身近な公園の清掃や草取りを担う仕組みがある。里親制度、愛護会、アダプト制度など呼び名はさまざまだが、共通するのは、行政が用具や消耗品を支給し、地域が労力を出すという構図である。これを単なる費用の節約と見るのは一面的である。オストロムがコモンズの研究で示したように、資源を共同で使う集団は、境界の明確さ、当事者による規則づくり、監視、段階的な制裁、紛争解決の場といった条件が整えば、長期にわたって自律的な管理を維持しうる。
公園に引き寄せれば、この知見は次のことを示唆する。地域管理を持続させるには、対象範囲が明確であること、当の地域が何をどこまでやるかを自分たちで決められること、行政との連絡窓口が安定していること、負担が特定の人に偏らないよう見直せることが要る。2017年の都市公園法改正で設けられた協議会の制度は、こうした話し合いの場を制度化する手がかりになる。ただし、担い手の高齢化という現実は、制度設計だけでは解決できない。
6.3 束ねる——包括管理という発想
収益が見込めない小規模公園について、都市経営の実務がとってきたもう一つの方向が、束ねることである。個々の公園では事業者にとって固定費を賄えないが、数十園をまとめて一つの契約にすれば、巡回の効率が上がり、資材や機材を共用でき、専門的な点検を組み込みやすくなる。これは公民連携というより発注の設計の問題であり、Park-PFIのような華やかさはないが、多数の街区公園を抱える自治体にとっての実質的な効果は大きいと考えられる。
束ねる際の論点は二つある。第一に、契約が大きくなるほど、地元の小規模事業者が参加しにくくなる。地域の雇用と技術の維持という都市経営上の価値と、効率の追求は必ずしも一致しない。第二に、契約に書ける品質と書けない品質の区別が改めて問題になる。第2節で見たように、点検の周期や清掃の頻度は書けるが、遊具が古びたときに直すか撤去するかという判断は書けない。束ねた契約においても、この判断は行政に残る。
6.4 手放すという選択肢とその制約
財源が限られる以上、公園の総量を見直すという議論は避けられない。総務省が2014年に求めた公共施設等総合管理計画は、施設全体の量を長期的に見直す枠組みであり、公園もその対象になる。しかし公園には固有の制約がある。都市公園法第16条は、公園管理者が都市公園の区域の全部または一部を廃止することを原則として制限しており、代替の公園が設けられる場合など限られた場合にのみ認めている。公園は、造ったら簡単には減らせない施設なのである。
したがって現実的な選択肢は、廃止ではなく機能の再編になる。遊具を更新せず広場として残す、複数の公園で役割を分担する、老朽化した施設を撤去して維持の負担を下げる、といった判断である。これらは「サービスの低下」と受け取られやすく、住民との合意形成なしには進まない。稼ぐ公園の議論よりもはるかに地味だが、市町村の公園経営の中心にあるのはこの種の判断である。
7. 公共性と収益性の緊張——私化・排除・可逆性
公民連携をめぐる議論で最も根深い対立は、財源の話ではなく公共性の話である。公園に商いが入ることで、そこが誰にとっての場所であるかが変わるのではないか——この懸念は感情的な反発として片づけられがちだが、制度設計上の具体的な論点に翻訳できる。本節では、アクセス、ガバナンス、可逆性という三つの層に分けて緊張の在りかを特定する。
7.1 アクセスの層——排除は料金以外の形で起きる
日本の都市公園は、入園そのものを有料とする扱いが例外的であり、使用料は条例に基づく有料施設の利用などに限られる。この点で、料金による排除は制度上は起きにくい。しかし排除は料金以外の形でも起きる。座る場所の形状、営業時間、清掃や警備の運用、店舗の雰囲気が生む居心地の差——こうした細部が、誰がここに長くいてよいかという感覚を作る。コーンが公共空間の私化について論じたのは、まさにこの目に見えない選別であった。
とりわけ注意を要するのは、収益施設の利用者と非利用者の関係である。何も買わずにベンチに座る人、弁当を持参して芝生で食べる家族、単に日陰で涼む高齢者。これらの利用は公園の本来の姿だが、収益施設の側から見れば売上に結びつかない。運用の細部で「買った人向けの席」と「誰でも使える席」が分かれ、後者が縮んでいくとき、公園の性格は静かに変わる。制度がこれを直接禁じることは難しく、公募設置等指針や協定の中で、誰でも使える部分の量と質をあらかじめ書き込んでおくことが実務的な歯止めになる。
7.2 ガバナンスの層——誰が使い方を決めるのか
第二の層は、公園の使い方を誰が決めるのかという問題である。従来、公園の利用ルールは公園管理者である行政が条例と規則で定め、変更には手続と説明が伴った。事業者が管理の一部を担うと、日々の運用については事業者の裁量が広がる。イベントの開催、区域の一時的な使用、営業時間、音量、装飾——これらは条例に書かれていない事項が多く、実務上の判断で決まる。
ここで問題になるのは、賑わいと静けさの対立である。マルシェやイベントで賑わう公園は、その時間帯に静かに過ごしたい人にとっては使えない公園になる。乳児を連れた保護者、昼寝をしたい高齢者、音に敏感な人にとって、賑わいは価値ではなく負荷である。公園の価値を来訪者数や賑わいの度合いで測る指標が広がると、この負荷は指標に現れない。都市経営における評価指標の設計は、それ自体が公共性の設計である。
対処の方向は二つある。第一に、決定の場を開くこと。2017年の改正で設けられた協議会のように、地域の関係者が管理について協議する枠組みを実質的に機能させることである。第二に、決めたことを書き残すこと。イベントの頻度と時間帯の上限、静かな区域の確保、日常利用が優先される時間の設定などを、協定や指針の文言として残しておけば、担当者が交代しても引き継がれる。
7.3 可逆性の層——20年後に戻せるか
第三の層は時間である。Park-PFIの設置管理許可は20年以内、PFIの契約はさらに長期に及ぶことがある。長期であることは投資回収のために必要だが、その間に社会の条件は変わる。人口構成、周辺の土地利用、人々の余暇の過ごし方、災害リスクの評価——いずれも20年で大きく動きうる。ウィリアムソンが指摘した契約の不完備性は、この時間の長さによって増幅される。
都市経営上の要点は、可逆性を最初から設計に組み込むことである。事業終了時に施設をどう扱うか、原状回復の範囲はどこまでか、事業者が撤退した場合に誰がどう引き受けるか、需要が想定を大きく外れた場合に条件を見直す手続はあるか。これらを最初の指針と協定に書いておくことは、事業者にとっても行政にとっても予見可能性を高める。逆に、これらを曖昧にしたまま長期の関係に入ると、条件が悪化しても関係を解けない状態、いわゆるロックインに陥る。
註:可逆性は「失敗に備えること」だけを意味しない。成功した場合にも、条件の見直しは必要になる。想定を超える収益が生じたときにそれをどう扱うか、公共部分への追加的な投資を求めるか、次の公募の条件をどう変えるか。上振れと下振れの双方に対応する手続を用意しておくことが、長期の関係を健全に保つ。
三つの層を通して見ると、公共性と収益性の緊張は、収益施設の有無という二者択一ではなく、どこまでを書き、どこを開き、どこで戻れるようにするかという設計の問題であることがわかる。この設計は制度が自動的に与えてくれるものではなく、公園管理者が指針と協定という文書の中に自ら書き込むほかない。都市経営学が実践の学であるゆえんは、この点にある。
8. 反論への応答と評価の枠組み
ここまでの議論に対しては、立場を異にする複数の反論が予想される。本節ではそれらを四つに整理して応答し、そのうえで、個別の事業の是非ではなく制度と運用の質を測るための評価の枠組みを示す。応答の目的は結論を押しつけることではなく、議論がすれ違う地点を特定することにある。
8.1 「公民連携は民営化であり、公共の後退である」
この反論に対しては、まず所有・管理・運営の三つを区別する必要がある。日本の都市公園において、公民連携の各手法はいずれも土地の所有権を移転しない。都市公園法第16条は区域の廃止を原則として制限しており、公園であることをやめる自由は公園管理者にもない。指定管理者制度は管理を委ねるが、指定は行政処分であって議会の議決を要し、取り消すこともできる。したがって、公民連携イコール民営化という等式は制度的には成り立たない。
しかし、この反論の核心は所有ではなく決定権にある。第7節で見たとおり、日々の運用における実質的な決定権は、契約や協定の書きぶり次第で大きく移動する。所有権が動かないことを理由に懸念を退けるのは、論点をずらす応答である。制度上の歯止めがあることと、運用上の歯止めが働くことは別の問題であり、後者は文書と手続によって確保するほかない。この点で反論は正当な警告を含んでいる。
8.2 「稼ぐ公園は都心だけの話で、地方の市町村には関係がない」
この反論は、Park-PFIの中核部分については当たっている。第5節で見たとおり、収益施設が成立する条件は都市の構造に規定され、多くの市町村では限られた公園にしか当てはまらない。だが、2017年の改正が含む要素は収益施設だけではない。公園の管理について地域の関係者が協議する場の制度化、保育所等の占用の特例、公園を地域の需要に応じて使いこなすという方向づけは、規模を問わず適用しうる。
さらに、公民連携の発想は収益と結びつかない形でも展開できる。多数の小規模公園をまとめて発注する包括的な管理、地域団体による日常管理と専門事業者による点検の役割分担、企業や団体による植栽や清掃への協力といった形は、収益施設を伴わない連携である。「稼ぐ」だけを公民連携と呼ぶ語法が、こうした選択肢を見えにくくしている。
8.3 「民間に任せれば行政は楽になる」
実務の場で最も誤解が多いのがこの点である。NPMをめぐる議論が繰り返し確認してきたのは、委ねるほど行政には別種の能力が必要になるという逆説である。仕様を設計する力、提案を審査する力、履行を監視する力、条件の変化に応じて交渉する力——これらは、直営で草を刈る力とは異なる専門性であり、しかも一度身につければ終わりというものではない。公募設置等指針を書くことは、公園の将来像を言語化することであり、行政の企画能力が問われる作業である。
したがって、人員削減の手段として公民連携を導入すると、監督が形骸化して品質が下がるか、想定外の事態に対応できずに紛争が生じるかのいずれかに陥りやすい。ハート・シュライファー・ヴィシュニーの議論を踏まえれば、契約に書けない品質が重要な領域ほど、行政側の判断能力を維持する必要がある。公民連携は行政の仕事を減らす技術ではなく、行政の仕事の種類を変える技術である。
8.4 「収益還元があれば公園の財政問題は解決する」
第4節で述べたとおり、収益還元が担うのは主として特定の公園の初期整備であり、市域全体の経常的な維持管理費の構造を変えるものではない。むしろ、整備水準の高い施設が増えれば将来の維持費は増える。この意味で、公民連携は財政問題の解決策ではなく、資源配分の組み替えである。組み替えが望ましいかどうかは、何を優先するかという価値判断を含む政策の問題であり、技術的な効率性だけでは決まらない。
8.5 評価の五つの問い
以上を踏まえ、個別の事業の成否ではなく制度と運用の質を測るための問いを五つ示す。これらは特定の事業を採点するためのものではなく、公園管理者・議会・住民が同じ土俵で議論するための共通の軸として提案するものである。
- 帰着:便益は誰に、費用は誰に生じたか。近隣住民、来訪者、事業者、市全体のどこに、どの形で及んだか
- 包摂:収益施設を利用しない人にとって、その公園は以前より使いやすくなったか、使いにくくなったか
- 可逆性:期間満了時・撤退時・条件変化時の手続が、あらかじめ文書で定められているか
- 説明責任:指針・選定の考え方・協定の内容・履行状況が、住民が読める形で公開されているか
- 波及:一つの公園で得られた知見や資源が、収益を生まない他の公園の管理にどう及んだか
五つのうち最後の「波及」は、都市経営学の視点から特に重要である。個々の事業がそれぞれ完結してしまえば、市域全体の公園の質は改善しない。稼ぐ公園で得られた運営の知識、事業者との関係、住民との対話の経験が、守る公園の側にどう還流するか。この回路を意識的に設計することが、公民連携を都市全体の経営に接続する条件である。
9. 磐田市の公園への示唆
ここまでの枠組みを、当サイトが収録する磐田市の100園に当てはめてみる。あらかじめ断っておくと、本節は市の公園行政の方針や個別の事業を評価するものではない。公表されている種別・面積・地区の数値と、市の施設ガイドの記載から読み取れる範囲で、前節までの概念がどのような形で現れるかを示すにとどめる。当サイトの踏査は始まったばかりであり、園内の実態や利用の様子については判断を保留する。
9.1 100園の構成が示す前提
収録する100園の種別ごとの内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外・その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園である。街区公園と都市緑地だけで6割を超える。第5節で整理した条件に照らせば、これらの多くは収益施設が成り立つ条件を満たさない。市域全体の公園経営は、圧倒的多数を占める小規模公園をどう維持するかという問題として立ち現れる。
地区別の分布も偏りが大きい。豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園に対し、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。園数の多い地区は、それだけ日常管理の総量も大きい。一方、園数の少ない地区では、一つひとつの公園が担う役割が相対的に重くなる。公民連携の手法を検討する際も、市全体で一律に考えるのではなく、地区ごとの公園の密度と役割の違いを踏まえる必要がある。
9.2 面積の幅が意味すること
面積の幅は極端である。最大は竜洋海洋公園の221,722㎡(総合公園・竜洋)で、次いでかぶと塚公園106,982㎡(総合公園・見付)、つつじ公園61,937㎡(風致公園・見付)、磐田スポーツ交流の里ゆめりあ57,500㎡(運動公園・向陽)、兎山公園56,193㎡(地区公園・御厨)と続く。他方、最小は二之宮東第2緑地の17㎡(都市緑地・中泉)であり、豊田上新屋ポケットパーク156㎡、豊田第1緑地254㎡、見付本通広場公園372㎡といった小さな空間が並ぶ。
この幅は、第4節で見た建築面積の特例の意味を具体的に示す。建築面積の上限は敷地面積に対する割合で定まるため、面積が小さい公園ではどれだけ特例を重ねても絶対量は小さい。数百平方メートルの緑地に収益施設を置くという発想は、算術的に成り立たない。逆に、数万平方メートル規模の公園では、割合の議論よりも、どこに何を置けば公園全体の使われ方が良くなるかという配置の議論が中心になる。制度の同じ条文が、規模によってまったく違う意味をもつ。
9.3 複合的な施設をもつ公園と、そうでない公園
市の施設ガイドを見ると、大規模な公園には多様な施設が併設されていることがわかる。竜洋海洋公園については、市の施設ガイドに「【レストハウス】入浴施設、休憩施設、地場産品直売所、バーベキューテラス」とある。福田公園については「野球場1面、多目的広場(サッカー1面、ソフトボール2面)、テニスコート(人工芝)2面」とある。こうした施設は、利用に伴って費用と収入の双方が発生する性質をもち、第2節で述べたクラブ財に近い部分を公園の中に作り出している。
一方、今之浦公園(近隣公園・見付)については、市の施設ガイドに噴水の運転期間の告知が掲載され、豊田香りの公園(近隣公園・豊田)については「カスケード(滝)※5月から10月までの9時〜17時に稼働」とある。運転する時期と時間が定められた施設は、稼働に伴う費用が明確に発生する類型である。これらの記載は、公園の維持管理が季節と時間の設計を含む仕事であることを示している。
また安久路公園(地区公園・御厨)については、市の施設ガイドに「複合遊具(インクルーシブエリアあり)」「ブランコ(インクルーシブアイテムあり)」とある。誰でも使える公共部分の質を高める投資が、収益とは別の論理で行われている例として読める。第8節で示した評価の問いのうち「包摂」に対応するのは、こうした投資である。公民連携の議論は、収益を生む部分と、収益とは無関係に公共性を高める部分の両方を視野に入れなければならない。
9.4 データと説明責任、そして踏査の役割
磐田市は都市公園一覧をオープンデータとして公開しており、当サイトはその94行に市の施設ガイドのみに掲載される6園を加えて100園としている。施設ガイドに個別ページがある園は、当サイトが突合できた範囲で77園である。オープンデータ94行の集計では、トイレ有69園、車いす対応トイレ有34園、砂場有43園、遊具有64園であり、駐車場があると確認できた園は100園のうち33園である。公園の管理は都市整備課が担っており、市の案内には電話番号(0538-37-4806)が示されている。
第8節で挙げた五つの問いのうち「説明責任」は、こうした基礎データの公開から始まる。誰がどの公園を管理し、どんな施設があり、どこに何が足りないのかが公開されていれば、公民連携の是非を論じる土台ができる。逆に、基礎データが揃わないまま個別の事業の議論だけが進むと、比較も検証もできない。オープンデータの整備は、地味だが都市経営の基盤である。
当サイトは、この公開データを園ごとに整理し、今後の踏査で確かめていくことを目的とする公園データベースである(運営は富士ヶ丘サービス株式会社)。現時点で踏査を終えた園はなく、園内の日陰の量、ベンチの配置、遊具の状態、静けさの度合いといった、収益性でも面積でも測れない質については、これから記録していく段階にある。第5節で述べた滞在の質は、まさにこの種の記録によってしか把握できない。公民連携を論じる前提として、市域の公園の質を園ごとに記述する作業には固有の意味があると考える。
10. 結論と今後の課題
本稿は、都市公園における公民連携の手法群を都市経営学の視点から整理し、「稼ぐ公園」と呼ばれる潮流の到達点と限界を検討してきた。最後に、三つの問いへの答えをまとめ、残された課題を示す。
10.1 三つの問いへの答え
第一の問い——公民連携の手法群は制度としてどう違うのか。設置管理許可は個別の申請に応じて公園施設の設置と管理を認める最も古い仕組みであり、期間は10年以内である。指定管理者制度は既存の公の施設の管理を包括的に委ねる行政処分であり、議会の議決を要する。PFIは設計から運営までを長期の契約で束ね、民間資金で施設を整備する。Park-PFIは、収益施設と公共部分の整備を一つの計画として公募し、期間・建築面積・占用について特例を与える。四つは根拠法も、民間が担う範囲も、収入の帰属も異なり、「民間活用」という一語で括ることはできない。
第二の問い——何が「稼げる公園」を決めるのか。答えは制度の外にある。誘致距離の範囲にどれだけの人が住み、どれだけの人が通り、そこでどれだけの時間を過ごすか。面積と接道と駐車場が、徒歩圏の外から人を呼べる器を与えているか。この三つの条件が重なる場所でのみ、収益施設は長期の投資として成り立つ。制度は条件を作り出すのではなく、条件がある場所でそれを活かす。したがって、条件のない公園に制度を当てはめようとする努力は、行政の限られた資源を消費するだけに終わりかねない。
第三の問い——収益を生まない公園の維持財源はどこから来るのか。第6節で整理したとおり、日常の除草・清掃・点検に充てられる財源は、実質的に一般財源と地域の労力に限られる。交付金も地方債も、造る・直すという事業には使えるが、毎年の管理費には使えない。公民連携による還元は特定の公園の初期整備を助けるが、経常費の構造を変えるものではなく、むしろ整備水準の高い施設が増えれば将来の管理費は増える。公民連携は財源問題の解決ではなく、資源配分の組み替えである。
10.2 都市経営学から見た到達点
2017年の制度改正から一定の年月が経ち、公民連携は公園行政の選択肢として定着した。到達点として評価できるのは、公園を「造って囲っておく施設」ではなく「使いこなす空間」として捉える視点が制度に組み込まれたことである。公募設置等指針を書くという作業は、行政に対して、その公園をどうしたいのかを言語化することを求める。この言語化の習慣は、収益施設を伴わない公園の管理にも応用できる。
同時に、限界も明らかになった。第一に、適用可能な公園が構造的に限られること。第二に、行政の側に高度な企画・監督能力が必要であり、人員削減とは両立しないこと。第三に、公共性の確保は制度が自動的に与えるものではなく、指針と協定という文書に自ら書き込むほかないこと。第四に、収益を生む公園と生まない公園の間に知見や資源を還流させる回路が、制度としては用意されていないこと。とりわけ第四点は、市域全体を一つの経営体として見る都市経営学が引き受けるべき課題である。
10.3 今後の課題
研究上の課題として三点を挙げる。第一に、収益を生まない公園の管理費を、どのような単位で束ねると効率と地域性が両立するのかという発注設計の問題である。園数、地理的なまとまり、契約期間の組み合わせによって結果は変わると考えられるが、本稿は概念整理にとどまり、実務的な設計には踏み込めなかった。第二に、地域による日常管理の持続条件である。担い手の高齢化という現実の中で、オストロムの示した設計原理がどこまで有効かは、地域ごとの実態に即して検討する必要がある。
第三に、評価指標の設計である。来訪者数や賑わいの度合いだけで公園を測ると、静けさや日陰といった、指標に現れにくい価値が切り捨てられる。第8節で示した五つの問い——帰着、包摂、可逆性、説明責任、波及——は、その代替として提案したものだが、実際に測定可能な形に落とし込む作業は残されている。
最後に、当サイト自身の課題を記しておく。本稿は公表資料に基づく概念整理であり、磐田市の100園それぞれについて、滞在の質や管理の実態を確かめたものではない。日陰の量、ベンチの数と向き、遊具の状態、周囲の道路との関係、静けさ——公民連携を論じるうえで最も重要な情報は、園ごとの記述の中にしかない。これらは今後の踏査で一園ずつ確かめ、記録として積み上げていく。制度の議論と現場の記述が接続したとき、「稼ぐ公園」と「守る公園」という二分法そのものを問い直す視点が得られるはずである。
参考文献
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- M.コーン(2004)『Brave New Neighborhoods——公共空間の私化』(Routledge)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)および都市公園法施行令(昭和31年政令第290号)
- 都市緑地法等の一部を改正する法律(平成29年法律第26号)——公募設置管理制度(Park-PFI)の創設
- 民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(PFI法、平成11年法律第117号)
- 地方自治法(昭和22年法律第67号)第244条・第244条の2——公の施設と指定管理者制度(平成15年改正)
- 国土交通省「都市公園の質の向上に向けたPark-PFI活用ガイドライン」(平成29年策定・その後改定)
- 新たな時代の都市マネジメントに対応した都市公園等のあり方検討会「新たなステージに向けた緑とオープンスペース政策の展開について」(最終報告書、平成28年5月)
- 総務省「公共施設等総合管理計画の策定にあたっての指針」(平成26年4月)
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。