社会科学不法行為法
公園で子どもがけがをしたら——営造物責任と過失相殺の法理
要旨
公園で子どもがけがをしたとき、その出来事は誰の責任として扱われるのか。この問いは、法の世界では複数の条文にまたがって扱われる。中心となるのは、公の施設について国や自治体の賠償責任を定める国家賠償法(昭和22年法律第125号)第2条第1項の営造物責任、土地の工作物の設置または保存の瑕疵についての民法第717条の工作物責任、そして故意または過失による権利侵害を要件とする民法第709条の一般不法行為である。本稿は、これら三つの規定がどのような関係に立ち、公園という場でどう働くのかを、条文と一般的な法理の範囲で整理することを目的とする。
方法は条文の構造分析と概念整理である。第2節で不法行為法の基礎概念(過失責任の原則、危険責任・報償責任、責任の三類型)を整理し、第3節で国家賠償法2条の「通常有すべき安全性」という判断枠組みを、第4節で予見可能性と結果回避可能性という二つの軸を、第5節で「通常の用法」という限界づけを、第6節で管理者に求められる点検・補修の水準を、第7節で民法722条2項の過失相殺と被害者側の過失を検討する。個別の裁判例の事件名・判決日・結論には立ち入らない。具体の事案がどう判断されるかは、弁護士など法律の専門家と関係機関の領域である。
検討の結果、営造物責任は無過失責任に近い構成をとりながらも、「通常有すべき安全性」という物の客観的状態を問う枠組みを通じて、予見可能性と結果回避可能性という実質的な判断に開かれていること、点検と記録は責任を免れるための書類ではなく安全性そのものを支える実務であること、過失相殺は責任の有無ではなく損害の公平な分担にかかわる別の局面の問題であることを示す。磐田市については、当サイトATAWI PARKが整理した100園(街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園ほか)の構成をふまえ、法の枠組みが小さな公園の日々の管理にどう届くかを考える。各園の設備の状態は、これからの踏査で確かめる課題である。
キーワード営造物責任国家賠償法2条工作物責任通常有すべき安全性過失相殺予見可能性点検
1. はじめに——問題の所在
公園で子どもがすり傷をつくる。ブランコから落ちて腕を打つ。滑り台の縁で服が引っかかる。こうした出来事は、子育ての日常の中でごくふつうに起こる。多くは家に帰って手当てをすればそれで済み、法律の話にはならない。しかし、けがの程度が重いとき、あるいは遊具の金具が外れていた、板が腐って割れていたというように、施設の状態そのものに原因があるように見えるとき、保護者は「これは誰の責任なのか」という問いに直面する。本稿が扱うのは、この問いを法がどのような枠組みで受け止めているか、である。
あらかじめ断っておきたいことがある。本稿は、個別の事案について「賠償が認められる」「認められない」と述べるものではない。実際の判断は、けがの態様、遊具の状態、管理者の対応、その日の状況といった無数の事実に左右され、それを評価するのは裁判所であり、当事者を助けるのは弁護士など法律の専門家である。本稿ができるのは、条文と一般に受け入れられている法理の見取り図を示し、当事者が専門家や関係機関に相談するときの言葉を用意することだけである。医療上の判断を医療機関に委ねるのと同じように、法的な判断は法律の専門家と関係機関に委ねられるべきものである。
1.1 なぜ不法行為法から公園を論じるのか
不法行為法とは、契約のような約束がない者どうしのあいだで、一方が他方に損害を与えたときの賠償責任を定める民法の一分野である。公園という場は、この分野にとって特徴的な条件をそなえている。第一に、公園は誰もが自由に入れる場所であり、利用者と管理者のあいだに契約関係がない。入園料を払って施設の利用契約を結ぶわけではないから、契約違反という筋道では責任を問えない。第二に、公園には遊具という、あえて危険を含んだ物が置かれている。高さや速さや揺れは遊びの魅力そのものであって、それを取り除けば遊具は遊具でなくなる。第三に、主たる利用者が子どもであり、行為の結果を十分に予測できない者が使うことを前提として設計されている。
この三つの条件が重なるために、公園でのけがは不法行為法の理論にとって古くから難しい問題であり続けてきた。危険を含むことが価値である物を、危険を予測しきれない者に向けて、契約なしに提供する。ここで安全性をどう定義するかは、単なる技術の問題ではなく、法が何を守ろうとしているのかという価値の問題に接続する。国土交通省の遊具安全指針が「遊びの価値」と「安全の確保」を両立させると述べるとき、その背後にはこの緊張がある。
1.2 本稿の問いと方法
本稿の問いは四つである。第一に、公園でのけがについて、どの条文がどのような役割を担っているのか。第二に、国家賠償法第2条第1項が用いる「設置又は管理の瑕疵」という言葉は、何を問うているのか。第三に、管理者が果たすべき点検や補修の水準は、どのような考え方で測られるのか。第四に、被害者の側の事情——たとえば注意書きに反する使い方や、保護者の見守りのあり方——は、どの局面でどう扱われるのか。
方法は、条文の構造分析と概念整理である。個別の裁判例の事件名・判決日・結論には立ち入らない。裁判例の内容を正確に伝えるには判決文そのものにあたる必要があり、要約の孫引きは誤解を生みやすいからである。代わりに本稿は、条文の文言と、教科書的に共有されている法理の水準にとどめる。文献としては、我妻栄、加藤一郎、四宮和夫、平井宜雄らの不法行為法の古典的な体系書と、宇賀克也や塩野宏らの行政救済法の体系書に依拠する。読者として想定するのは、磐田市周辺の子育て世代、公園の管理にかかわる行政や地域の関係者、そして法学や都市計画を学ぶ学生である。
1.3 本稿の構成
第2節では不法行為法の基礎概念を整理し、民法709条・717条と国家賠償法2条という三つの規定の関係を示す。第3節では国家賠償法2条の営造物責任を取り上げ、「通常有すべき安全性」という判断枠組みの意味を検討する。第4節では、瑕疵の判断が実質的には予見可能性と結果回避可能性という二つの軸で行われることを述べる。第5節では「通常の用法」という限界づけを扱い、想定を超えた使い方がどう位置づけられるかを考える。第6節では管理者に求められる点検・補修の水準を、国の指針や業界の規準と法の関係として整理する。第7節では民法722条2項の過失相殺と、被害者側の過失という概念を検討する。第8節で磐田市の公園への示唆を述べ、第9節で結論と課題を示す。
註:本稿は法律の一般的な説明であり、個別の事案についての助言ではない。実際にけがが起きた場合は、まず必要な手当てを受け、医療上の判断は医療機関に、法的な判断は弁護士など法律の専門家や自治体の相談窓口に相談していただきたい。
2. 先行研究と概念の整理——不法行為法の三つの入口
近代の不法行為法は、過失責任の原則を出発点に置いてきた。人は自由に行動してよく、注意を尽くしていたのに生じた損害までは負担しない。この考え方を条文にしたのが民法第709条であり、故意または過失によって他人の権利または法律上保護される利益を侵害した者が、これによって生じた損害を賠償する責任を負うと定める。ここでは、加害者の行為とその落ち度が責任の中心にある。
しかし、産業化とともに、この原則だけでは処理しきれない損害が現れた。危険な物や設備を管理する者は、注意を尽くしていても一定の割合で損害を発生させる。そこで、危険な物を支配する者はそこから生じた損害を負担すべきだとする危険責任の考え方と、利益を得る活動から生じた損害はその利益を得る者が負担すべきだとする報償責任の考え方が、過失責任の原則を補うものとして展開した。我妻栄や加藤一郎らの体系書は、日本の不法行為法にもこの二つの責任原理が組み込まれていることを早くから指摘している。民法717条の工作物責任も、国家賠償法2条の営造物責任も、この系譜に位置づけられる。
2.1 三つの規定の役割分担
公園でのけがに関係しうる規定は、大きく三つある。第一が民法709条の一般不法行為で、たとえば公園の管理にあたる職員が具体的な場面で注意を怠った場合や、他の利用者の行為が原因である場合に働く。第二が民法717条の工作物責任で、土地の工作物の設置または保存に瑕疵があったために損害が生じたときに、まず占有者が、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしていたときは所有者が責任を負うとする。所有者の責任にはこの免責の余地がなく、無過失責任と説明されるのが通例である。第三が国家賠償法2条1項で、公の営造物の設置または管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときに、国または公共団体が賠償の責に任ずると定める。
自治体が設置し管理する都市公園は「公の営造物」にあたると解されるから、市立の公園でのけがについては、まず国家賠償法2条が検討の中心になる。国家賠償法4条は、同法に定めのない事項について民法の規定によるとしており、損害の範囲や過失相殺、時効といった一般則は民法から補われる。他方、公園という名で呼ばれていても、自治体が設置管理する公の営造物ではない私有地の広場などについては、民法717条の枠組みで考えることになる。同じ「公園でのけが」でも、その場所の法的性格によって入口が変わる。
第四の場面として、けがの原因が他の利用者の行為である場合がある。ほかの子どもが投げたボールが当たった、走ってきた自転車と接触したというような場合、問題になるのは営造物の瑕疵ではなく人の行為である。加害者が子どもであるときは、民法712条により自己の行為の責任を弁識するに足りる知能、いわゆる責任能力が問われ、それを備えていないと判断されるときは、民法714条により監督義務者が責任を負いうる。この筋道は営造物責任とは別のものであり、公園という場所が舞台であることが直ちに管理者の責任に結びつくわけではない。もっとも、ボール遊びのできる区画と幼児の遊び場が近接しているといった空間の条件が問われる場合には、管理の瑕疵の議論と交差することもありうる。
| 民法709条 | 民法717条 | 国家賠償法2条1項 | |
|---|---|---|---|
| 問われるもの | 人の行為と落ち度 | 工作物の設置・保存の瑕疵 | 公の営造物の設置・管理の瑕疵 |
| 責任の主体 | 行為をした者 | 占有者(免責の余地あり)/所有者 | 国または公共団体 |
| 過失の要否 | 必要(故意または過失) | 所有者は不要と解される | 不要と解されるのが通例 |
| 責任の原理 | 過失責任 | 危険責任的な構成 | 危険責任的な構成 |
| 公園での典型的な場面 | 個別の作業や対応の不手際 | 私有地の広場・民間施設の設備 | 市が管理する公園の遊具・園路など |
2.2 「瑕疵」という言葉の位置
717条と国家賠償法2条に共通する鍵語が瑕疵である。日常語では「きず」「欠陥」を意味するが、法律上は物の物理的な壊れだけを指すのではない。学説の多くは、瑕疵を「その物が通常有すべき安全性を欠いていること」と説明してきた。ここで重要なのは、問われているのが人の心のうち(不注意だったか)ではなく、物の客観的な状態(安全性を備えていたか)だという点である。この客観的な構成をとることで、被害者は管理者の内心を立証する重い負担から解放される。危険責任の考え方が条文の形をとったものと理解できる。
ただし、後の節で詳しく見るように、この客観性は見かけほど純粋ではない。「通常有すべき」という基準を具体化する段階で、その物がどのように使われることが予定されていたか、どのような事態が予見できたか、どのような対応が可能であったかという評価が入り込むからである。四宮和夫や平井宜雄の体系書が瑕疵概念の理解をめぐって議論を重ねてきたのも、この一見客観的な言葉の内部に、実質的な価値判断が畳み込まれているからである。第3節と第4節では、この畳み込みを解きほぐしていく。
2.3 責任と補償の外側にあるもの
なお、けがに対する経済的な手当ては、不法行為による損害賠償だけではない。健康保険による医療費の給付、民間の傷害保険、自治体が加入している賠償責任保険、学校や保育所の管理下でのけがについて独立行政法人日本スポーツ振興センター法に基づく災害共済給付の仕組みなど、責任の所在とは別の筋道で費用の一部が担われる制度がいくつも存在する。責任を問う手続きは時間も労力もかかるから、当事者にとっては、まずこうした制度の利用可能性を確かめることが実際的である。どの制度が使えるかは加入状況や場面によって異なるため、確認先は保険者や自治体の担当窓口である。本稿が扱うのはあくまで責任の枠組みであり、補償の全体像ではないことを断っておきたい。
3. 営造物責任の構造——「通常有すべき安全性」を問う
国家賠償法2条1項は、公の営造物の設置または管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときは、国または公共団体がこれを賠償する責に任ずる、と定める。短い条文だが、そこには三つの要素が畳まれている。第一に、対象が公の営造物であること。第二に、その設置または管理に瑕疵があること。第三に、その瑕疵と損害のあいだに因果関係があること。本節ではこの三つを順に見ていく。
3.1 公の営造物とは何か
公の営造物とは、国や公共団体が公の目的のために提供している有体物を広く指すと解されている。行政法学では、道路・河川・港湾のように自然の状態を利用して公の用に供されるものを公共用物、庁舎のように行政自身が使うものを公用物と分けて論じるが、国家賠償法2条の「公の営造物」はこれらを包括する広い概念である。建物や設備のように人が造ったものに限らず、河川や海岸のように自然のものも含まれると理解されてきた。
都市公園は、都市公園法に基づき自治体が設置し管理する施設であり、地方自治法244条にいう公の施設として住民の利用に供されるものでもある。したがって、園路、広場、遊具、ベンチ、東屋、柵、水飲み場、トイレといった公園の構成要素は、いずれも公の営造物にあたると解されるのが通例である。重要なのは、対象が遊具のような可動的な設備に限られないことである。地面の段差、園路の舗装、樹木の枝、排水の設備、外周の柵、出入口の配置なども、公の用に供されている以上、この枠組みの対象になりうる。公園の安全性は遊具だけの問題ではない、ということが条文の構造から導かれる。
3.2 瑕疵——物の状態を問うということ
瑕疵は、通説的には「営造物が通常有すべき安全性を欠いていること」と説明される。この定義には二つの含意がある。ひとつは、問われるのが物の客観的な状態であって、管理者に落ち度があったかどうかではない、という点である。したがって、被害者は管理者の内心や具体的な作業の不手際を立証する必要がない。もうひとつは、求められる安全性が絶対的なものではなく「通常」の水準だという点である。あらゆる事態に耐える施設を求めているのではなく、その物の性質と用途に照らして通常そなえているべき安全性が基準になる。
この「通常」という言葉が、営造物責任の性格を決めている。もしあらゆる危険の不存在が求められるなら、遊具は成立しない。高さのない滑り台、揺れないブランコ、回らない回転遊具は、遊具としての意味を失う。前掲の国土交通省の遊具安全指針が、子どもが予測し自ら判断できる危険を遊びの価値として位置づけ、予測できない危険と区別しているのは、この「通常有すべき安全性」を技術の言葉で具体化した営みだと読める。倫理学の観点からのこの区別の検討は、当サイトの別稿に譲る。
3.3 「設置又は管理」——二つの時点
条文は「設置又は管理」と並べている。設置の瑕疵とは、造ったときからその物が備えるべき安全性を欠いていた場合を指す。設計の段階での寸法や構造の不備、施工の不良などがこれにあたる。管理の瑕疵とは、造られた後に安全性が失われ、それが回復されないまま放置されている場合を指す。金具の緩み、木部の腐り、塗装の剥がれ、地面の陥没、植栽の繁茂による見通しの悪化などは、時間とともに生じ、点検と補修によって回復されるべきものである。
実務上、公園でしばしば問題になるのは後者である。設置時に基準を満たしていた遊具も、屋外で風雨と日射にさらされ、子どもの体重を受け続けるうちに、少しずつ性能を失っていく。材料工学の観点から見れば、これは避けようのない過程であり、だからこそ、いつ・どのように点検し、どの段階で補修や使用停止に踏み切るかという管理の設計が、法的にも中心的な意味をもつ。第6節ではこの点を扱う。
3.4 因果関係——瑕疵と損害を結ぶ線
第三の要素は因果関係である。営造物に瑕疵があったとしても、その瑕疵がけがの原因でなければ責任は生じない。たとえば、園内の別の場所の柵が壊れていたとしても、それとは無関係な場所で転んだけがについては、瑕疵と損害を結ぶ線が引けない。逆に、けがが起きた場所の設備に問題があったことが示されれば、線は引きやすくなる。
この点は、当事者にとって実際的な意味をもつ。けがが起きたとき、その場の状況は時間とともに失われる。壊れていた箇所はやがて直され、地面の状態は変わり、記憶は薄れる。だから、けががあったことを管理者に伝え、状況を記録として残すことには、責任追及の準備という以上に、同じことが繰り返されないようにするための情報としての意味がある。磐田市の公園については、市の都市整備課(電話 0538-37-4806)が管理を担っている。設備の不具合に気づいたときの連絡先としても、この窓口が起点になる。
4. 予見可能性と結果回避可能性——瑕疵判断の二つの軸
前節で見たように、国家賠償法2条の営造物責任は、管理者の落ち度ではなく物の状態を問う客観的な構成をとる。しかし、「通常有すべき安全性」という基準をある具体的な状況にあてはめる段になると、二つの評価が避けられない。第一に、その危険な状態の発生を予見できたか。第二に、予見できたとして、それを回避できたか。この二つの軸は、過失責任における注意義務の判断でも用いられるものであり、無過失責任的に構成されたはずの営造物責任の内部にも姿を現す。本節ではこの構造を検討する。
4.1 予見可能性——何が、いつから見えていたか
予見可能性とは、通常の注意をもってすればその危険を認識できたか、という問いである。ここで問われるのは特定の担当者が現に気づいていたかではなく、その立場にある者が通常の管理を行っていれば認識しえたか、という規範的な水準である。屋外に置かれた金属部品が長い年月のうちに腐食すること、木製の遊具の地際が傷みやすいこと、砂場に異物が入りうること、繁茂した植栽が見通しを妨げることは、いずれも一般的な知見として広く共有されている。こうした「起こりうることが分かっている変化」については、それが具体的にどの遊具にいつ生じるかを知らなくても、点検の仕組みによって捉えるべきものと評価されやすい。
他方、その物の性質からは通常予期されない突発的な事態、たとえば直前に第三者が持ち込んだ物や、短時間のうちに生じた損壊については、予見の可能性が異なって評価されうる。ここに、瑕疵判断の中に時間の観念が入ってくる。危険な状態が生じてからけがが起きるまでにどれだけの時間があったか、その間に管理者が状態を把握する機会があったかが、判断の材料になるのである。
4.2 結果回避可能性——できたことは何だったか
結果回避可能性とは、予見できた危険について、それを避けるための措置を講じることができたか、という問いである。措置には段階がある。もっとも根本的なのは修繕や部材の交換であるが、それには時間と費用がかかる。より即時的な措置として、使用を禁じるテープを張る、立入りを制限する、注意の表示を出すといった手段がある。危険を除去するまでのあいだ、人と危険を引き離すという方法である。したがって、修繕にすぐ着手できないことは、それだけでは回避不可能を意味しない。
この段階性は、公園管理の実務にとって重要である。数多くの施設を限られた体制で管理する自治体にとって、すべての不具合に即座に修繕で応じることは難しい。しかし、危険を把握してから修繕までのあいだに、暫定的な措置によって人を近づけないという選択肢は常にある。逆にいえば、危険を把握しながら、修繕も暫定措置も講じないまま時間が経過した状態は、回避可能性の観点から説明が難しくなる。財政学の観点からの維持管理の議論は当サイトの別稿に譲るが、予算の制約が直ちに責任を左右するわけではないという点は押さえておきたい。
4.3 二つの軸と客観的構成の関係
ここで理論上の問いが生じる。予見可能性と結果回避可能性という、過失判断で用いられる道具が入り込むのなら、営造物責任は結局のところ過失責任と同じではないか、という疑問である。この点について、学説は概ね次のように整理してきた。すなわち、これらの軸が働くのは「その物が通常有すべき安全性を備えていたか」を評価するための材料としてであり、責任の要件そのものとして管理者の主観的な落ち度を要求するわけではない、と。判断の対象は物の状態にとどまり、予見可能性や回避可能性は、その状態を評価する際の文脈として参照される。
この整理が実際に意味をもつのは、立証の場面である。過失責任の構成であれば、被害者は管理者の具体的な不注意を示さなければならない。営造物責任の構成であれば、示すべきは物が通常の安全性を欠いていたことであり、それが管理体制のどの部分の不備によるのかを特定する必要はない。この差は、組織の内部を知りえない利用者にとって小さくない。危険責任の考え方が被害者の救済に向けて働くのは、まさにこの立証の配分においてである。
4.4 「見えない危険」と「見える危険」の非対称
予見可能性の軸には、もう一つの側面がある。管理者が予見できるかだけでなく、利用者が予見できるかという側面である。滑り台の高さは見れば分かる。ブランコが揺れることは触れば分かる。これらは利用者の側でも予見でき、どこまで挑戦するかを自分で選べる危険である。これに対して、支柱の内部の腐食、金具の疲労、地中の基礎の緩みは、見ても分からない。同じ「危険」という語で呼ばれていても、両者は法的な意味がまったく異なる。
国土交通省の遊具安全指針が用いるリスクとハザードの区別は、この非対称を技術の言葉で表したものである。見えて選べる危険は遊びの価値の一部として残され、見えず選べない危険は取り除かれるべきものとされる。営造物責任の枠組みに引き寄せていえば、後者は「通常有すべき安全性を欠く」と評価されやすく、前者はそう評価されにくい。第5節で扱う「通常の用法」という限界づけも、この非対称の延長線上にある。
5. 「通常の用法」という限界づけ——想定された使い方と逸脱
営造物の安全性は、その物が「通常の用法に従って使われること」を前提に測られる、という考え方が広く共有されている。滑り台は座って滑るために造られ、ブランコは座って揺れるために造られている。手すりは体を支えるための強度で設計され、柵は人が寄りかかることを想定した高さで立てられる。これらの設計は、想定された使い方の範囲での安全性を確保するものであって、あらゆる使い方に耐えることを保証するものではない。本節では、この限界づけの意味と、そこに含まれる難しさを検討する。
5.1 限界づけがなぜ必要か
「通常の用法」という限界づけがなければ、設計はどこまでも過剰にならざるをえない。滑り台を逆から駆け上がることも、屋根の上に登ることも、柵を跳び越えることも想定して強度と形状を決めるなら、その物はもはや遊具ではなく構造物になる。安全のための設計が遊びの価値を消し去るという逆説が生じる。逆に、限界づけを置くことで、設計者は「この使い方の範囲では確実に守る」という約束を明確にでき、その範囲内の安全性に資源を集中できる。対象年齢の表示や利用上の注意の掲示は、この約束の範囲を利用者に伝える装置である。
行政法の観点からは、この限界づけは公の施設の設置管理の合理性とも結びつく。自治体は限られた資源で数多くの施設を管理しており、想定される使い方に照らして必要十分な安全性を確保することが求められる。想定外の使い方まですべて織り込むことを求めるのは、資源配分として現実的でないだけでなく、施設の機能そのものを損なう。ここには、第4節で見た結果回避可能性の考え方と共通の構造がある。
5.2 子どもにとっての「通常」——想定の側の問題
ところが、この限界づけを公園にあてはめるとき、独特の難しさが現れる。主たる利用者が子どもだからである。子どもは、大人が設計図に描いた使い方の通りには遊ばない。滑り台を逆から登り、ブランコに立ち、ジャングルジムの一番上に座り、砂場の縁を平均台にする。生態心理学がアフォーダンスという概念で説明してきたように、子どもは物の形が誘う可能性を読み取って遊ぶのであり、その読み取りは設計者の意図に拘束されない。文化人類学や発達心理学の知見も、こうした「用途の読み替え」が子どもの遊びの本質的な部分であることを示してきた。
したがって、法的にも「通常の用法」を設計図どおりの使い方に限定して理解することはできない。ある使い方が子どもたちのあいだで広く行われており、その物の形状からしてそうした使い方が誘発されるのであれば、それは実際上「通常」の範囲に含めて安全性を測るべきだ、という評価が働きうる。逆に、明らかに危険で、通常の注意をもつ大人であれば止めるような使い方、あるいは施設の性質からしてまったく予期できない使い方については、そこまでの安全性を営造物に求めることは難しい。
この線引きは、あらかじめ一律に決められるものではない。同じ「滑り台を逆から登る」でも、低い幼児用の滑り台と、高低差の大きいローラー滑り台では評価が変わりうる。子どもの年齢、遊具の形状、周囲の状況、そのような使い方がどれほど一般的かといった事情が総合されるほかない。だからこそ、具体の判断は法律の専門家と裁判所に委ねられるのであり、本稿はその判断の枠組みを示すにとどまる。
5.3 表示と警告の役割——境界を伝える装置
「通常の用法」の範囲を利用者に伝える装置が、対象年齢の表示と利用上の注意である。国土交通省の遊具安全指針は、遊具に対象年齢を表示することの重要性を述べており、業界の規準もこれを具体化している。表示は、単なる注意喚起ではない。それは、設計者と管理者が「この遊具はこの年齢帯の子どもの体格と能力を前提に設計されている」と宣言する行為であり、その前提から外れる使い方について保護者が判断する手がかりを渡すものである。
ただし、表示の効果を過大に見積もることはできない。表示があったからといって、管理者が営造物の安全性を確保する責務を免れるわけではない。見えない危険、すなわち腐食や緩みや破損は、どのような表示をしても利用者には予測できず、表示によって利用者に転嫁できる性質のものではない。表示が意味をもつのは、見て分かる危険について、どの範囲の子どもならその危険を引き受けられるかを伝える場面に限られる。表示と点検は、代替関係ではなく補完関係にある。
註:磐田市の施設ガイドには、園内施設として「3歳未満児遊具」(今之浦公園)、「幼児用滑り台」「幼児用遊具」といった記載のある園がある。こうした記載は年齢帯を意識した施設構成を示すものだが、個々の遊具に現地でどのような表示があるかは、当サイトが今後の踏査で確かめる課題である。
5.4 用法の外にある行為をどう扱うか
通常の用法を明らかに超えた使い方によってけがが生じた場合、その事実は二つの局面で働きうる。第一に、そもそも営造物に瑕疵があったといえるかという局面である。想定された使い方の範囲で通常の安全性を備えていたのであれば、瑕疵がないと評価される余地がある。第二に、瑕疵が認められる場合でも、賠償額を定めるにあたって被害者側の事情として考慮されうる局面である。これが第7節で扱う過失相殺である。二つの局面は段階が異なり、混同すべきではない。前者は責任の有無、後者は責任が認められた場合の分担にかかわる。
6. 点検と補修の水準——指針・規準と法をつなぐもの
第4節で見たとおり、管理の瑕疵をめぐる判断では、危険な状態をいつ把握できたか、把握してから何ができたかが問われる。この二つを支えているのが点検の仕組みである。点検がなければ、危険は把握されず、把握されないものは回避されない。本節では、点検と補修の水準がどのような考え方で定まるのかを、法と技術基準の関係として整理する。
6.1 指針・規準は法規範ではないが無関係でもない
国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」は、法律や政省令とは異なり、それ自体が権利義務を直接に定める法規範ではない。一般社団法人日本公園施設業協会の「遊具の安全に関する規準」も、業界団体が定める技術基準である。したがって、これらに従わなかったことが直ちに違法となるわけではなく、従っていれば必ず責任を免れるというものでもない。
しかし、両者が法的判断とまったく無関係かといえば、そうではない。「通常有すべき安全性」という基準は、その時代にその分野で共有されている安全の水準を参照して具体化されるほかない。国の指針や業界の規準は、まさにその共有された水準を文章にしたものである。したがってそれらは、瑕疵の有無を判断するときの重要な手がかりとして機能しうる。法規範ではないが、規範的な意味を帯びる文書である、という位置づけが適切であろう。行政法学が行政規則の外部効果をめぐって論じてきた問題の、ひとつの現れとみることもできる。
6.2 点検の段階——目的の異なる複数の営み
指針は、遊具の点検を目的と精度の異なるいくつかの段階に整理している。日常的に外観を見て明らかな異常を捉える点検、一定の周期で項目に沿って行う点検、専門的な知識と器具によって内部の劣化や強度を確かめる点検である。それぞれ担い手も頻度も異なり、代替関係にはない。日常の目視は頻度が高い代わりに内部の劣化を捉えられず、専門的な点検は精度が高い代わりに頻度を上げにくい。組み合わせて初めて、時間の経過とともに進む劣化を捉える網ができる。
| 段階 | 主な目的 | 捉えられるもの | 捉えにくいもの |
|---|---|---|---|
| 日常の目視 | 明らかな異常を早く見つける | 破損・脱落・落書き・異物・ごみ | 内部の腐食・金具の疲労 |
| 定期の点検 | 項目に沿って状態を記録する | 緩み・摩耗・部材の変形・基礎の露出 | 外から見えない内部の進行 |
| 専門的な点検 | 強度と残存性能を確かめる | 内部腐食・接合部の劣化・更新時期 | 点検の合間に生じた突発的な損壊 |
| 利用者からの連絡 | 点検の合間を埋める | その日に起きた破損・危険な状態 | 劣化のような緩やかな変化 |
この表から分かるのは、どの段階にも「捉えにくいもの」がある、ということである。だからこそ、四つ目の行として利用者からの連絡を挙げた。管理者がすべての園を毎日見て回ることが難しい以上、その日そこにいた人からの情報は、点検の網の目を細かくする現実的な手段である。壊れているものを見つけたら伝える、という行為は、責任追及とは別の、公園を使う人が担える安全の一部である。
6.3 記録が果たす役割
点検の記録は、しばしば「責任を問われたときの証拠」として語られる。それは一面では正しいが、記録の意味はそこに尽きない。第一に、記録は劣化の速度を示す。同じ遊具の同じ箇所について、前回どうであり今回どうなったかが分かれば、いつ更新すべきかを見通せる。第二に、記録は担い手の交代を越えて知識を残す。担当者が替わっても、その公園の弱点は文書として引き継がれる。第三に、記録は判断の根拠を明示する。使用を続けるという判断も、停止するという判断も、何を見て決めたのかが残っていれば、後から検証できる。
法的にいえば、記録は結果回避可能性の評価に直結する材料である。危険な状態を把握していたことが記録から明らかであれば、その後に何をしたかが問われる。逆に、把握の手立てがそもそも整っていなければ、予見可能性の評価がそれによって有利になるとは限らない。点検をしていなかったから知らなかった、という説明は、通常有すべき安全性を欠いていたという評価を打ち消す方向には働きにくい。記録を残すことは、責任を回避する技術ではなく、安全性を確保する実務の一部である。
6.4 「直せないとき」に何をするか
点検で危険が見つかっても、その場で直せるとは限らない。部品の調達に時間がかかることも、予算の手当てが必要なこともある。このとき取りうる選択肢は、修繕までのあいだ人と危険を引き離すことである。使用禁止のテープを張る、囲いを設ける、表示を出す、場合によっては撤去する。撤去は遊び場の資源を減らす選択でもあるから、安易に選ぶべきではないという議論もあるが、少なくとも危険を放置するよりは説明のつく対応である。
重要なのは、暫定措置が「暫定」であり続けないようにすることである。テープが長く張られたままの遊具は、やがて風景の一部になり、テープが外れても誰も気づかない、という事態を招きうる。暫定措置には、いつまでに何をするかという次の段取りが伴わなければならない。ここに、日々の点検と中長期の更新計画をつなぐ管理の設計が求められる。
7. 過失相殺と被害者側の過失——責任の有無と分担の区別
民法第722条第2項は、被害者に過失があったときは、裁判所はこれを考慮して損害賠償の額を定めることができる、と定める。これが過失相殺である。国家賠償法4条により、この規定は営造物責任の場面にも及ぶと解されている。本節では、この制度が公園でのけがについてどのような意味をもつかを検討する。あらかじめ確認しておきたいのは、過失相殺が責任の有無の問題ではないということである。責任があると認められたうえで、生じた損害を当事者のあいだでどう分担するかという、その先の局面の問題である。
7.1 制度の趣旨——損害の公平な分担
不法行為法の目的を、加害者への制裁ではなく損害の公平な分担に見るのが通説的な理解である。加藤一郎や平井宜雄の体系書も、この観点から過失相殺を位置づけてきた。損害の発生や拡大に被害者の側の事情が寄与していたのであれば、その分を加害者に負わせることは公平にかなわない。逆に、被害者に何ら落ち度がなければ、損害の全部を加害者が負担すべきことになる。過失相殺は、この調整を裁判所の裁量に委ねる規定である。
条文が「定めることができる」という表現をとっていることには意味がある。加害者の側が主張しなければ考慮されない性質のものではなく、裁判所が事情を斟酌して額を定める、という構造である。また、相殺という語が使われているが、債権と債務を差し引く民法505条以下の相殺とは別の制度であり、賠償額の算定における考慮を意味する。用語のまぎらわしさには注意が必要である。
7.2 子どもに「過失」はあるか——事理弁識能力
ここで問題になるのが、子ども自身の過失である。民法712条は、未成年者が自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかったときは賠償の責任を負わないと定める。これは責任能力の規定であり、加害者となる場面の話である。他方、被害者として過失相殺の対象になるために必要とされるのは、これより低い水準の能力、すなわち行為の危険性を理解できる程度の事理弁識能力であると説明されるのが一般的である。両者を区別するのは、加害者として賠償責任を負わせるのと、自分が受けた損害の一部を自分で負担するのとでは、求められる責任の重さが違うからである。
もっとも、幼い子どもについては、この事理弁識能力も認めがたい場合がある。よちよち歩きの子が段差に気づかず転ぶことを、その子の落ち度として評価することはできない。そこで登場するのが、次に述べる「被害者側の過失」という考え方である。
7.3 「被害者側の過失」という概念
被害者側の過失とは、被害者本人ではなく、被害者と一定の関係にある者の落ち度を、過失相殺において考慮する考え方である。学説と実務は、この範囲を「被害者と身分上ないし生活関係上一体をなすとみられる者」といった基準で画してきた。親権者である保護者が典型であり、幼い子どもの監督にあたっていた保護者の見守りのあり方が、この枠組みで考慮されうる。
この概念には、二つの方向の含意がある。ひとつは、幼児の場合でも損害の分担を調整する道を開くという方向である。もうひとつは、その範囲を無制限に広げないという方向である。もし「一緒にいた人」の落ち度がすべて被害者側の過失として考慮されるなら、被害者の受け取る賠償は、たまたま誰と一緒にいたかによって大きく変わってしまう。身分上・生活関係上の一体性という基準は、この不安定さを避けるための限定として働く。たとえば、近所の人が善意で預かっていた場合や、公園でたまたま一緒になった友人の保護者の場合を、親権者と同じに扱ってよいかは、慎重な検討を要する問題である。
| 局面 | 問われること | 根拠となる考え方 |
|---|---|---|
| 責任の有無 | 営造物が通常有すべき安全性を欠いていたか | 国家賠償法2条1項の瑕疵 |
| 用法の範囲 | その使い方が想定の範囲にあったか | 通常の用法という限界づけ |
| 損害の分担 | 被害者や被害者側に落ち度があったか | 民法722条2項の過失相殺 |
| 責任者の内部関係 | 設置者と費用負担者、原因者の間の分担 | 国家賠償法2条2項・3条 |
7.4 保護者を追い詰めないための整理
被害者側の過失という概念は、説明の仕方を誤ると、けがをした子どもの保護者に「見ていなかったあなたが悪い」という圧力をかける道具になりかねない。ここで確認しておきたいのは、この概念が働くのは責任が認められた後の分担の調整という限られた局面であり、しかも見守りの水準は子どもの年齢や場所の状況に応じて評価されるものであって、片時も目を離さないことを法が一律に求めているわけではない、ということである。
むしろ、公園を設計し管理する側から見れば、保護者が見守りやすい環境をつくることが、この問題への建設的な応答である。ベンチの位置と遊具の関係、植栽による見通しの遮り、出入口と道路の関係といった空間の条件は、見守りの負担を大きく左右する。犯罪学のCPTEDや都市社会学の「街路の目」の議論が示してきたように、見通しは安全にかかわる設計上の資源である。見守りを個人の努力の問題に還元せず、環境の問題として扱うことが、法的な議論にとっても実務にとっても生産的であろう。
7.5 責任を負う者どうしの関係
最後に、責任の内部関係にも触れておく。国家賠償法2条2項は、損害の原因について他に責に任ずべき者があるときは、国または公共団体はその者に対して求償権を有すると定める。また同法3条1項は、営造物の設置管理者と費用の負担者が異なる場合に、費用負担者も賠償の責に任ずるとし、同条2項が内部の求償を定める。被害者から見れば、どちらに請求してもよいという構造であり、責任者の内部でどう分担するかは後の問題として整理される。被害者を内部関係の解明に付き合わせないという配慮であり、救済を実質化する仕組みの一つである。
あわせて、時間の制約にも触れておきたい。不法行為による損害賠償の請求権は、民法724条により、被害者またはその法定代理人が損害および加害者を知った時から3年間行使しないとき、または不法行為の時から20年を経過したときに消滅する。人の生命または身体を害する不法行為については、民法724条の2により、前者の期間が5年とされている。国家賠償法4条を介して、これらの規定は営造物責任の場面にも及ぶと解される。期間の起算点をいつと見るかは事案によって異なり、その判断は法律の専門家に委ねられるが、時間の経過が権利の行使を難しくしうることは、迷ったときに早めに相談することの実際的な理由になる。
8. 磐田市の公園への示唆
ここまで整理してきた枠組みを、磐田市の公園に引きつけて考えたい。当サイトATAWI PARKは、磐田市のオープンデータ「都市公園一覧」94行と、市の施設ガイドにのみ掲載されている6園をあわせた100園をデータベースとして整理している。管理を担うのは磐田市の都市整備課(電話 0538-37-4806)である。踏査は始まったばかりであり、各園の設備がいまどのような状態にあるかを当サイトが確かめたわけではない。以下は、公開されている情報の構成から読み取れる論点の提示にとどまる。
8.1 数の構成が意味すること
種別の内訳を見ると、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園、そして法対象外・その他6園である。半数を超えるのが街区公園であり、都市公園法施行令の標準では0.25ha・誘致距離250mを目安とする小さな公園である。実際、面積の小さい園には二之宮東第2緑地の17㎡、豊田上新屋ポケットパークの156㎡、見付本通広場公園の372㎡といった規模のものがある。
この構成は、営造物責任の観点から二つのことを示唆する。第一に、責任の対象となる公の営造物の数が多く、しかも市域に広く分散しているということである。地区別に見れば、豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園と、九つの地区にまたがる。第二に、その多くが常駐の管理者を置かない小さな公園だということである。大きな公園には施設の運営に携わる人がいるが、街区公園は基本的に無人であり、日常の状態を誰が見ているかという問題が生じる。
8.2 遊具のある園とない園
オープンデータのフラグ集計では、94行のうち遊具有が64園、砂場有が43園、トイレ有が69園、車いす対応トイレ有が34園である。遊具のある園が全体の三分の二ほどを占める一方、遊具の記載がない園も相当数ある。都市緑地や緑道のように、遊具を置かずに緑と通路を提供する施設も含まれているためである。営造物責任の対象は遊具に限られないから、遊具のない園について安全性の問題がないわけではない。園路の舗装、樹木の状態、外周と道路の関係、排水の設備などは、遊具の有無にかかわらず存在する。
とくに、樹木は時間とともに状態が変わる典型的な要素である。都市緑地10園や緑道2園、風致公園3園には樹木を主体とする空間が含まれると考えられ、樹木の健全度をどう把握するかは、遊具の点検とは別の技能を要する課題である。樹木学の観点からの議論は当サイトの別稿に譲るが、営造物の範囲が遊具に限られないという第3節の指摘は、こうした園にこそあてはまる。
8.3 施設ガイドの記載から読めること、読めないこと
市の施設ガイドには、園ごとに園内施設の記載がある。たとえば安久路公園(地区公園・御厨・32,001㎡)には「複合遊具(インクルーシブエリアあり)、ブランコ(インクルーシブアイテムあり)、幼児用遊具、クロッキング遊具、砂場、サッカーゴール、トイレ(多目的トイレ)、流れ」とあり、今之浦公園(近隣公園・見付・13,675㎡)には「屋根付広場、複合遊具、ふわふわ遊具、噴水広場、芝生広場、3歳未満児遊具」「健康遊具、じゃぶじゃぶスポット、流れ、芝生広場」といった記載がある。つつじ公園(風致公園・見付・61,937㎡)には「複合遊具(滑り台、ネットクライム、雲梯等)、ブランコ、鉄棒、展示休憩室」とある。
こうした記載から読めるのは、そこに何が置かれているかである。読めないのは、それがいまどのような状態にあるか、どのような表示が付されているか、どのような頻度で点検されているかである。営造物責任の判断で問題になるのは後者であって、前者ではない。当サイトが今後の踏査で記録しようとしているのも、まさにこの「記載からは読めない部分」である。ただし、当サイトの踏査は利用者の目線からの記録であり、専門的な点検を代替するものではない。専門的な判断は管理者と専門の技術者の領域にとどまる。
8.4 利用者の側にできること
第6節で、利用者からの連絡が点検の網の目を細かくすると述べた。100園が九地区に分散し、その多くが無人であるという磐田市の条件のもとでは、この経路の実際的な意味は大きい。壊れた遊具、外れた金具、地面の陥没、倒れかけた柵に気づいたとき、それを都市整備課に伝えることは、誰かの責任を追及する行為ではなく、次に来る子どものために危険を減らす行為である。
もう一つ、けがが起きたときの行動についても触れておきたい。まず必要なのは手当てであり、程度によっては受診である。医学的な判断は医療機関に委ねられる。そのうえで、いつ・どこで・どのような状況で起きたかを、可能な範囲で記録しておくことには意味がある。その記録は、管理者に伝えれば再発防止の情報になり、後に法律の専門家に相談する必要が生じたときには事実確認の出発点になる。記録は、争うための準備である前に、状況を正確に伝えるための手段である。
註:本節で用いた園名・種別・面積・地区別園数・設備の記載は、磐田市のオープンデータと市の施設ガイドに基づく。各園の現在の状態については当サイトは確認しておらず、踏査済の園は2026年8月時点で0園である。設備の不具合や危険な状態に気づいた場合の連絡先は、市の担当課である。
9. 結論と今後の課題
本稿は、公園で子どもがけがをしたという出来事を、不法行為法の枠組みからどう捉えるかを、条文と一般的な法理の範囲で整理してきた。得られた結論を四点にまとめる。
9.1 四つの結論
第一に、公園でのけがには複数の入口があり、どの条文が働くかは場所と原因の性質によって変わる。自治体が設置し管理する都市公園については国家賠償法2条1項の営造物責任が中心となり、私有地の広場などについては民法717条の工作物責任が、個別の行為が原因である場合には民法709条の一般不法行為が問題になる。入口が違えば、何を主張し何を示すべきかも変わる。
第二に、営造物責任は「通常有すべき安全性」という物の客観的状態を問う枠組みをとりながら、その具体化の過程で予見可能性と結果回避可能性という実質的な評価に開かれている。この二重性は理論上の曖昧さと見えるかもしれないが、実務的には、被害者に管理者の内心の立証を求めないという立証の配分と、管理者に無限の安全性を求めないという限界づけを、同時に成り立たせる仕掛けとして働いている。
第三に、「通常の用法」という限界づけは必要だが、公園という場では慎重な適用を要する。主たる利用者である子どもは、設計者の意図した使い方の外で遊ぶ。ある使い方が広く行われ、その物の形状がそれを誘うのであれば、それは実際上「通常」の範囲に含めて安全性を測るべきだという評価が働きうる。設計と法の双方が、子どもの現実の遊び方を出発点に置く必要がある。
第四に、過失相殺は責任の有無とは別の局面の問題である。被害者側の過失という概念は損害の公平な分担のための調整であり、保護者の見守りを責める道具ではない。見守りやすさは空間の設計に左右される以上、この問題は個人の努力ではなく環境の課題として引き受けられるべきである。
9.2 実務への含意——三つの提案
第一に、点検と記録を、責任回避の書類ではなく安全性そのものを支える実務として位置づけ直すこと。記録は劣化の速度を示し、担当者の交代を越えて知識を残し、判断の根拠を明示する。第二に、修繕までの暫定措置に、いつまでに何をするかという次の段取りを必ず添えること。暫定が常態になれば、その表示は風景に溶けて機能を失う。第三に、利用者からの連絡の経路を分かりやすく保つこと。数多くの公園を分散して管理する条件のもとでは、そこにいる人の目が点検の網の目を細かくする。
これらはいずれも、法的責任を減らすための工夫という以上に、公園を使いやすく保つための工夫である。責任の枠組みを理解することの実益は、訴えるか訴えないかという場面よりも、こうした日々の運用の設計にこそある、というのが本稿の見立てである。
9.3 本稿の限界
本稿には明確な限界がある。第一に、個別の裁判例に立ち入らなかったため、瑕疵の判断が実際にどのような事情の組み合わせで行われているかを具体的に示せていない。判例の分析は、判決文そのものにあたる作業を要し、本稿の範囲を超える。第二に、営造物責任の周辺にある論点、たとえば安全配慮義務、保育施設や学校の管理下でのけがの扱い、共済や保険による補償との関係については、簡単に触れるにとどめた。第三に、条例の規律、指定管理者制度のもとでの責任の所在、公園の設置管理を民間が担う場合の法律関係については、行政法の別稿に譲った。
そして最も大きな限界は、磐田市の公園について、当サイトがまだ現地の状態を確かめていないことである。第8節で述べたとおり、踏査済の園は2026年8月時点で0園であり、本稿が磐田市について述べたのは、公開情報の構成から読み取れる論点にとどまる。
9.4 今後の課題
今後の課題として三つを挙げたい。第一に、踏査を通じて、各園の遊具に対象年齢の表示があるか、注意の掲示がどのような形で置かれているか、利用者から見て連絡先が分かるかを記録すること。これらは利用者の目線から確認できる事柄であり、専門的な点検を代替しない範囲で意味のある記録になる。第二に、公園の空間構成と見守りやすさの関係を、園ごとに記述する枠組みを整えること。ベンチと遊具の位置関係、出入口と道路の関係、植栽による見通しの遮りは、第7節で述べた環境の課題に直結する。第三に、遊具のない園、とりわけ都市緑地や緑道について、安全性がどのような要素で構成されるかを検討すること。
最後に、本稿の性格を改めて確認しておきたい。本稿は法律の一般的な説明であり、個別の事案についての助言ではない。実際にけががあった場合、まず必要なのは手当てであり、医学的な判断は医療機関に委ねられる。責任や賠償にかかわる判断は、弁護士など法律の専門家、自治体の相談窓口、その他の関係機関の領域である。本稿が果たしうるのは、そうした専門家に相談するとき、何が問題になりうるのかを見通すための言葉を用意することだけである。公園が、けがを恐れて使われなくなる場所ではなく、子どもが安心して育つ場所であり続けるために、法の枠組みを知ることが役に立てばと考える。
参考文献
- 民法(明治29年法律第89号)第709条・第712条・第714条・第717条・第719条・第722条
- 国家賠償法(昭和22年法律第125号)第1条・第2条・第3条・第4条・第5条
- 地方自治法(昭和22年法律第67号)第244条・第244条の2
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)
- 独立行政法人日本スポーツ振興センター法(平成14年法律第162号)に基づく災害共済給付制度
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 国土交通省 都市局「公園とみどり」(都市公園制度の概要)
- 一般社団法人日本公園施設業協会「遊具の安全に関する規準」
- 消費者庁「子どもを事故から守る」(子どもの事故防止に関する情報)
- 我妻栄『事務管理・不当利得・不法行為』日本評論社、1937
- 加藤一郎『不法行為(増補版)』有斐閣、1974
- 四宮和夫『不法行為』青林書院、1987
- 平井宜雄『債権各論Ⅱ 不法行為』弘文堂、1992
- 潮見佳男『不法行為法Ⅰ・Ⅱ』信山社
- 宇賀克也『国家補償法』有斐閣、1997
- 塩野宏『行政法Ⅱ 行政救済法』有斐閣
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。