社会科学NPO・非営利組織論
公園愛護会とアダプト制度——非営利の担い手はどこまで支えられるか
要旨
本稿は、都市公園の日常管理を担う非営利の担い手——自治体によって公園愛護会・公園愛護団体などと呼ばれる地縁型の仕組みと、区域を特定して協定を結ぶアダプト・プログラム——を、NPO・非営利組織論の枠組みで整理し、無償の労力に依存した維持体制がどこまで持続しうるかを検討する。公園は造られて終わりではなく、除草・清掃・砂場のならし・落ち葉の片づけ・異常の発見といった作業が、開園から閉園までのあいだ毎日のように必要になる。その相当部分を、報酬を目的としない地域の担い手が引き受けている構図は、多くの自治体に共通して見られるとされる。
方法は文献整理と概念分析である。ハンズマンの非分配制約、ワイスブロッドの政府の失敗論、サラモンの第三者による統治とボランタリーの失敗、ペストフの福祉トライアングル、オルソンの集合行為論、オストロムの共有資源の自治といった非営利組織論・集合行為論の古典を、公園の日常管理という具体的な対象に照らして読み直す。制度面では、都市公園法(1956年)が公園管理者を地方公共団体と定めていること、指定管理者制度(2003年の地方自治法改正)や公募設置管理制度(2017年の都市公園法改正)が有償の担い手を制度化してきたのに対し、愛護会やアダプト制度はそれらとは異なる無償の協働として位置づけられることを確認する。
主な論点は四つである。第一に、非営利の担い手が比較優位をもつのは、頻度が高く技能要件の低い作業と、異常の発見・通報という情報機能である。第二に、サラモンのいうボランタリーの失敗——不十分性・特殊主義・父権主義・アマチュア主義——は、担い手のいる公園といない公園の格差、利用ルールの自生、専門作業の限界として現れる。担い手の高齢化と後継者難は、このうち不十分性が時間軸の上に現れたものと読める。第三に、感謝は言葉で、負担は身体で支払われるという非対称があり、承認の設計と撤退可能性の確保が制度の要になる。第四に、責任は制度上つねに公園管理者に残るのであって、無償の担い手に移るわけではない。
磐田市には当サイトが収録する100園があり、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園などからなる。面積は17㎡から22万㎡超まで開きがあり、地区別の園数も豊田28園から南部・向陽の各2園まで幅がある。本稿は磐田市の地域組織の具体的な活動内容には立ち入らず、公表された種別・面積・地区・設備の情報と、法令・省庁指針に明記のある事項だけを用いて論じる。園ごとの実態は今後の踏査で確かめる。
キーワード公園愛護会アダプト・プログラムボランタリーの失敗非分配制約資源動員無償労働協働
1. はじめに——問題の所在
公園は、造られた日に完成するのではない。開園の翌日から、草は伸び、落ち葉は溜まり、砂場には枝や小石が混じり、ブランコの吊り金具はわずかずつ摩耗していく。公園という施設は、放っておけば数か月で使いにくくなり、数年で近寄りがたくなる性質をもつ。したがって公園の存在は、毎日ないし毎週、誰かが手を入れつづけているという事実の上に成り立っている。この「手を入れる誰か」を特定し、その負担がどのように分配されているかを問うことが、本稿の出発点である。
制度の上では答えははっきりしている。都市公園法(1956年)は、都市公園の管理は原則として当該公園を設置した地方公共団体が行うものと定めており、施設の安全と維持について最終的な責任を負うのは公園管理者、すなわち市町村(または都道府県・国)である。しかし実際の現場では、行政の直営職員と委託事業者だけが作業をしているわけではない。多くの自治体において、地域の住民組織が、公園愛護会・公園愛護団体・美化団体といった名称のもとで、日常の清掃や除草を継続的に担っている。加えて1990年代後半以降、区域を特定して活動内容を協定に書き込む「アダプト・プログラム」型の仕組みが、道路・河川・海岸などとあわせて公園にも広がったとされる。
こうした担い手は、報酬を得るために働いているのではない。組織としても、利益を構成員に分配することを目的としていない。この点で、それは非営利組織論が対象としてきた存在そのものである。にもかかわらず、公園の管理をめぐる議論では、こうした担い手は「地域の善意」「ボランティア」といった一語でまとめられ、その組織としての条件——どんな資源をどこから得て、どんな作業なら引き受けられ、どこで限界に達するのか——が言語化されないまま扱われがちである。言語化されないものは、設計の対象にならない。設計されないものは、担い手が尽きた瞬間に静かに消える。
1.1 本稿の問い
本稿の問いは、「非営利の担い手は、公園の日常管理をどこまで支えられるか」である。この問いは二つの下位の問いに分かれる。第一に、能力の問題として、非営利の担い手が比較優位をもつ作業と、原理的に担いにくい作業はどこで分かれるのか。第二に、持続の問題として、無償の労力に依存した体制はどのような条件のもとで続き、どのような条件のもとで崩れるのか。前者は業務の性質に、後者は組織の資源と動機に関わる。
この問いを立てる理由は、「行政か住民か」という二者択一の構図が、現実の公園管理をうまく説明できないからである。行政がすべてを直営で担う体制は費用の面でも情報の面でも成立しにくく、他方で住民に任せきる体制は、担い手のいない地区の公園を放置することになる。二者択一ではなく、どの作業をどちらが持ち、その境界をどう文章にするかという分担の設計こそが問題であり、非営利組織論はその設計に使える語彙を提供している。
1.2 方法と構成
方法は文献整理と概念分析である。実地の調査に基づく主張は行わない。制度に関する記述は、法令および省庁の指針・報告書に明記のある事項に限り、活動の実態については「多くの自治体で見られるとされる」「〜という指摘がある」といった留保を付す。具体的な組織数・活動時間・報奨金額といった数値は、公表資料で確認できない限り記さない。
構成は次のとおりである。第2節で非営利組織論の主要概念を整理し、第3節で公園の日常管理を作業の性質によって分解する。第4節でアダプト・プログラムと愛護会型の仕組みを制度設計として比較し、第5節で非営利の担い手が動員する資源を検討する。第6節でサラモンのボランタリーの失敗を公園の担い手に当てはめ、後継者難という構造問題を位置づける。第7節では、感謝と負担の非対称という規範的な論点を扱う。第8節で磐田市の公園に照らし、第9節で結論と課題を述べる。
註:本稿は、磐田市内の特定の団体・組織の活動を評価するものではない。当サイトは磐田市の地域組織の具体的な活動内容を把握しておらず、それを記述することもしない。本稿が磐田市について述べるのは、公表されている園数・種別・面積・地区・設備の情報にとどまる。
2. 先行研究と概念の整理——非営利組織はなぜ存在するか
非営利組織論は、比較的新しい学問領域でありながら、明確な中心の問いをもっている。それは「営利企業でも政府でもない組織が、なぜ存在し、どこで有用なのか」という問いである。この問いへの代表的な答えを順に見ていくことで、公園の担い手を論じるための語彙が揃う。以下では四つの理論と一つの図式を取り上げる。いずれも1965年から1998年のあいだに提出された、非営利組織論の基礎をなす議論である。
2.1 非分配制約——非営利組織の定義
ヘンリー・ハンズマンは1980年の論文で、非営利組織を定義する核心を非分配制約に見た。非営利組織とは、利益を上げてはならない組織ではなく、上げた剰余を所有者や構成員に分配してはならない組織である。ハンズマンによれば、この制約が意味をもつのは「契約の失敗」が起きる場面、すなわち、サービスの買い手が品質を事前にも事後にも十分に確かめられない場面である。品質が見えないとき、利益を分配できる組織は手を抜く誘因をもつが、抜いた分を誰も持ち帰れない組織はその誘因が弱い。だから信頼が置かれる、という説明である。
公園の日常管理は、まさに品質が見えにくいサービスである。清掃が丁寧に行われたかどうかは、利用者にはほとんど判別できない。異常の発見に至っては、発見されなかった異常の存在を誰も知りようがない。非分配制約の議論は、こうした「監視しにくい仕事」において非営利の担い手が果たしうる役割を、道徳ではなく組織形態の性質として説明する点で有用である。
2.2 政府の失敗と需要の多様性
バートン・ワイスブロッドは、政府が供給する公共財の水準は、おおむね中位的な有権者の選好に合わせて決まると論じた。人々の望む水準がばらついているとき、多数決で決まる一つの水準は、多くを望む人にとっては足りず、少なくてよい人にとっては過大になる。この「足りない」と感じる層の需要を埋める形で非営利組織が生まれる、というのがワイスブロッドの説明である。これは政府の失敗の一形態、より正確には多数決による供給水準の一律性という限界を指している。
公園に引き直せば、市が一律に定める清掃頻度は、その公園を毎日使う人には少なく、めったに使わない人には十分に見える。毎日使う人が自ら草を刈るとき、それは行政の怠慢の穴埋めというより、一律の供給水準と個別の選好とのずれを、その場の当事者が埋めている現象として理解できる。この理解は、担い手の活動を「行政がやるべきことの肩代わり」と断ずる見方を相対化する。
2.3 ボランタリーの失敗と第三者による統治
レスター・サラモンは1987年の論文で、この構図を逆転させた。歴史的に見れば、多くの領域では非営利組織のほうが先に活動しており、政府はその限界を補う形で登場した。したがって「政府の失敗を非営利が埋める」のではなく、ボランタリーの失敗を政府が埋める、と考えるほうが実態に近い。サラモンはボランタリーの失敗を四つに整理した。資源が需要に対して不足する不十分性、支援が特定の集団に偏る特殊主義、資源提供者が受け手の意思を超えて方針を決める父権主義、そして専門性を欠くアマチュア主義である。
サラモンはさらに、現代の公共サービスの多くが、政府が財源を出し非営利組織が実施するという協働の形で供給されていることを第三者による統治と呼んだ。重要なのは、この協働において政府と非営利は代替物ではなく補完物だという点である。片方が増えれば他方が減るという想定は、経験的にも理論的にも支持されない。公園管理を論じるとき、この視点は「住民が担えば行政の負担が減る」という単純な期待を戒める。担い手が増えれば、協定・支給・保険・調整といった行政側の事務はむしろ増えることがある。
2.4 福祉トライアングルと集合行為
ヴィクター・ペストフは、国家・市場・コミュニティ(世帯・近隣)を三つの角とする図式を描き、その中間に第三セクターを置いた。この図式が有用なのは、公・私、営利・非営利、フォーマル・インフォーマルという三つの軸で組織を位置づけられる点である。公園愛護会のような地縁組織は、法人格をもたないことが多く、コミュニティの角に近い、きわめてインフォーマルな存在である。他方、特定非営利活動促進法(1998年)に基づくNPO法人は、法人格をもち事業として活動する、よりフォーマルな存在である。同じ「非営利」でも、この二つは資源も持続性も責任のあり方も異なる。
最後に、マンサー・オルソンの集合行為論を置く。オルソンは、共通の利益があるからといって集団が自動的に行動するわけではないと論じた。公園がきれいになる利益は、掃除をしなかった人にも及ぶ。したがって合理的な個人は他人の労力に乗ろうとし、集団が大きいほどその傾向は強まる。オルソンは、集団を動かすには参加者だけが得られる選択的誘因が要ると述べた。公園の担い手における選択的誘因は、金銭ではなく、顔見知りの中での評判、活動後の会話、自分の家の前がきれいであることといった、局所的で非金銭的なものであると考えられる。この点は第5節と第7節で立ち返る。
| 失敗の種類 | 何が起きるか | 誰が補うとされるか |
|---|---|---|
| 市場の失敗 | 公園のような非排除的な財は、対価を取れないため供給されにくい | 政府(税による供給) |
| 政府の失敗 | 供給水準が一律になり、多様な選好とずれる | 非営利・地域の担い手 |
| ボランタリーの失敗 | 資源不足・偏り・父権的な決定・専門性の不足 | 政府(財源と基準の提供) |
| 集合行為の失敗 | 共通の利益があっても各人は他人の労力に乗ろうとする | 選択的誘因・小規模で顔の見える単位 |
以上の四つは、どれか一つが正しいというより、互いの限界を指摘し合う関係にある。公園の管理体制を評価するときには、この四つの失敗のうちどれが目下の課題なのかを見定めることが、対策を選ぶ前提になる。担い手が足りないのか、偏っているのか、専門性が足りないのか、それとも参加の誘因が失われているのか。処方はそれぞれ異なる。
3. 公園の日常管理を分解する——作業の性質と担い手の適性
「公園の管理」という言葉は、性質のまったく異なる作業をひとまとめにしている。この一語を分解しないかぎり、誰が何を担えるかは論じられない。本節では、公園の維持に必要な作業を、頻度と技能要件という二つの軸で分類し、非営利の担い手が比較優位をもつ領域を特定する。分類は概念的なものであり、自治体ごとの実際の業務区分とは異なりうる。
3.1 頻度と技能という二つの軸
第一の軸は頻度である。ゴミ拾いや落ち葉の片づけは、放置すれば数日で目立つ。除草は季節によって週単位から月単位で必要になる。一方、遊具の塗装や大規模な剪定は年単位、遊具そのものの更新は十年単位の作業である。頻度が高い作業ほど、遠くから通う体制ではコストがかさみ、近くに住む人が担うほうが移動費用の面で有利になる。
第二の軸は技能要件である。ゴミを拾うのに資格は要らない。しかし高所の枝を落とすには、樹木の性質と道具の扱いに関する知識が要る。遊具の劣化がどの段階にあるかを判定し、使用停止にするか修繕で足りるかを決める作業には、国土交通省の指針や日本公園施設業協会の規準に沿った専門的な知識が必要になる。同指針は点検を日常的なものと定期的なものに分け、定期的な点検については専門的な知識・技能を有する者が行うことを求めている。技能要件が高い作業は、無償の担い手に委ねられない。委ねれば、判断の誤りの責任が誰にも引き受けられなくなるからである。
この二軸で作業を並べると、非営利の担い手に適した領域が浮かび上がる。頻度が高く技能要件が低い作業——ゴミ拾い、落ち葉の片づけ、下草の刈り取り、砂場に混じった異物の除去、水飲み場まわりの清掃——が、その中心である。逆に、頻度が低く技能要件の高い作業——高木の剪定、遊具の分解点検、コンクリート構造物の補修——は、行政または専門事業者の領域にとどまる。この線引きは、担い手の熱意や善意とは無関係に、作業の性質から導かれる。
3.2 見落とされがちな第三の機能——発見と通報
頻度と技能だけでは捉えきれない、非営利の担い手に固有の機能がある。異常の発見と通報である。遊具のボルトが緩んだ、フェンスが破れた、街路灯が切れた、砂場に危険物が捨てられていた——こうした事象は、いつ起きるか予測できない。予測できない事象を捉えるには、頻繁にその場にいる者の目が必要になる。行政の職員が全園を毎日巡回することは、園数が多いほど現実的でなくなる。
経済学の言葉を借りれば、これは情報の生産である。近隣に住み、日常的に公園を使う人は、その公園の平常状態を知っている。平常を知る者だけが異常に気づける。この情報は、外から来る委託事業者には安価に取得できない。定期点検の間隔がどれほど短くても、その隙間で起きる事象は、隙間にいる人しか見つけられない。非営利の担い手の価値の相当部分は、清掃という作業そのものより、この情報生産の機能にあると考えられる。
ただし、この機能が働くには条件がある。第一に、通報の宛先が明確で、通報が容易であること。第二に、通報が処理され、結果が返ってくること。異常を伝えても何も起きない経験が続けば、通報は途絶える。情報生産は無償でも起こりうるが、無視されても続くほど頑健ではない。第三に、通報者が「余計なことを言った」と扱われないこと。発見の機能は、通報の経路の設計に強く依存する。
3.3 管理には「調整」も含まれる
第三に、物理的な作業ではない管理業務がある。利用の調整である。誰が球技をしてよいか、催しのために広場を占用してよいか、犬を連れて入ってよいか、早朝や夜間の利用をどう扱うか。こうした事柄は、公園の物理的状態ではなく人と人の関係を扱う。都市公園法は、公園管理者以外の者が公園施設を設けたり公園を占用したりする場合に許可を要すると定めており、正式な占用の可否は行政の判断に属する。しかし、それ以外の日常的な利用の摩擦——ボールが飛んでくる、声が大きい、自転車が入ってくる——の大半は、行政に持ち込まれる前に、その場にいる人々のあいだで処理されている。
この調整機能は、非営利の担い手にとって両刃である。地域の関係の中で穏やかに処理できる場合、行政の負担は大きく減り、当事者にとっても迅速である。しかし調整は、担い手を紛争の当事者にしてしまう危険を伴う。清掃を引き受けた人が、いつのまにか苦情の受け皿になり、ルールの執行者と見なされる。第7節で扱う「感謝と負担の非対称」は、この調整機能において最も先鋭に現れる。作業の分担を設計するときには、物理的作業だけでなく、この見えにくい調整の負担も配分の対象に含める必要がある。
4. アダプト・プログラムの制度設計——里親という比喩を解剖する
アダプト(adopt)は「養子にする」「里親になる」を意味する語である。公共空間の一区画を地域の団体が引き受け、里親のように継続的に世話をするという比喩から、この名が付いた。仕組みの起源は1985年に米国テキサス州で始まったAdopt-a-Highway(ハイウェイの里親制度)にあるとされ、日本では1990年代後半以降、道路・河川・海岸・公園などを対象に各地の自治体が導入した。本節では、この仕組みを制度設計の要素に分解し、日本の公園に古くからある愛護会型の仕組みと比較する。
4.1 アダプト制度を構成する要素
アダプト制度は、名称こそ統一されていないが、設計要素はおおむね共通している。第一に区域の特定である。どの公園の、どの範囲を、誰が担うのかを地図と文言で確定する。第二に合意文書である。多くは協定書・覚書の形をとり、活動内容・頻度・期間・双方の役割を書き込む。第三に行政側の支援である。ゴミ袋・軍手・清掃用具の支給、集めたゴミの回収、道具の貸与などが典型である。第四に保険である。活動中の事故に備えて自治体が保険をかける例が多いとされる。第五に表示である。担当団体の名を記した看板を掲げ、活動を可視化する。
これらの要素は、それぞれ理論的な機能をもっている。区域の特定は、オルソンのいう集合行為の困難を、集団を小さく区切ることで緩和する。誰の担当か曖昧な空間はハーディンのいう共有地の悲劇に近づくが、範囲を切り分けて名を付ければ、責任の所在が可視化される。合意文書は、双方の期待を明文化し、「そこまでやるとは聞いていない」という摩擦を減らす。支給と保険は、参加の費用と危険を引き下げる。そして表示板は、オルソンのいう選択的誘因——参加者だけが得る評判——を制度的に供給する装置である。
4.2 愛護会型との比較
日本の多くの自治体には、アダプト制度が導入されるより前から、公園愛護会と呼ばれる仕組みがあった。名称や運用は自治体ごとに異なるが、一般的な特徴として、自治会・町内会など既存の地縁組織を母体とし、活動内容を細かく定めず包括的に「その公園の世話」を引き受け、市から報奨金や活動費が交付される、という形が知られている。両者を対比すると、制度設計上の性格の違いが明瞭になる。
| 観点 | 愛護会型(地縁包括型) | アダプト型(協定特定型) |
|---|---|---|
| 母体 | 自治会・町内会など既存の地縁組織 | 任意の団体・企業・学校・有志など |
| 範囲 | 公園まるごと。内容は慣行で決まる | 区域と作業を協定で特定する |
| 加入の性格 | 地区の役の一つとして回ってくることがある | 自ら手を挙げて参加する |
| 行政の支援 | 報奨金・活動費の交付が中心 | 用具の支給・ゴミ回収・保険が中心 |
| 可視化 | 対外的な表示は乏しいことが多い | 表示板で担い手の名を掲げる |
| 強み | 網羅性が高く、地区全体を覆いやすい | 動機の明確な担い手が集まりやすい |
| 弱み | 義務感に傾き、担い手の高齢化に弱い | 希望者のいない公園が空白として残る |
この対比から読み取れるのは、二つの型が別の失敗に強いということである。愛護会型は地縁の網を利用するため、担い手の希望に左右されず地区全体を覆いやすい。これはサラモンのいう特殊主義(偏り)への耐性である。他方でアダプト型は、参加の動機が明確な団体を集めるため活動の質が保たれやすいが、手を挙げる者のいない公園は空白のまま残る。特殊主義の問題はむしろ強く出る。どちらか一方が優れているのではなく、地区の状況に応じて併用されるべき性格のものである。
4.3 法的な位置づけ——責任は移らない
制度設計上、最も誤解されやすいのが法的な位置づけである。愛護会もアダプト団体も、都市公園法第5条にいう公園施設の設置管理の許可を受けた者ではなく、地方自治法第244条の2に基づく指定管理者でもない。指定管理者制度は、公の施設の管理を法人その他の団体に代行させる制度であり、議会の議決を経て指定される。2017年の都市公園法改正で創設された公募設置管理制度(いわゆるPark-PFI)も、収益施設の設置と公園整備を一体で行う事業者を対象とする制度である。これらはいずれも、対価を伴い、契約や指定の形式を備えた有償の担い手に関する制度である。
これに対し、愛護会やアダプト団体が行っているのは、法律上は事実行為としての協力である。管理権限が移るわけではなく、施設の瑕疵に起因する事故の責任は、原則として公園管理者である地方公共団体に残る。報奨金や活動費が交付される場合も、それは業務委託の対価というより、地方自治法第232条の2にいう公益上の必要に基づく補助の性格をもつと解される例が多い。この区別は実務上きわめて重要である。無償の担い手に「管理を任せた」という言い方をした瞬間に、責任の所在が曖昧になり、事故が起きたときに担い手が過大な負担を負いかねないからである。
註:本稿にいう「協定」「報奨金」などの語は、制度設計の類型を説明するための一般的な用法であり、特定の自治体の要綱の内容を指すものではない。実際の取扱いは各自治体の要綱・協定書によって異なる。
以上より、アダプト制度の本質は「行政の仕事を住民に移すこと」ではなく、責任を移さずに協力を組織化することにあると整理できる。区域を切り、内容を書き、道具を渡し、保険をかけ、名を掲げる。この五つは、協力を引き出しつつ責任の線を守るための装置である。逆に言えば、これらの装置を欠いたまま「地域にお願いする」だけの運用は、協力の組織化ではなく、責任の曖昧な押し付けに近づく。
5. 資源動員——非営利の担い手は何を持っているか
非営利組織論において資源動員(resource mobilization)は中心的な主題である。組織が何をなしうるかは、どんな資源をどこから、どれだけ安定して得られるかで決まる。営利企業の資源が主に売上であり、行政の資源が主に税であるのに対し、非営利組織の資源は会費・寄付・補助・事業収入・そして労力という複数の源に分散している。公園の担い手の場合、この構成は極端に偏っている。ほとんどの資源が労力だからである。本節では、この偏りが何をもたらすかを検討する。
5.1 労力という資源の特殊性
労力は、貨幣と比べて三つの点で特殊である。第一に貯蔵できない。今月の余った労力を来月に繰り越すことはできない。台風で落枝が集中した週に必要な労力は、平穏な週の労力を積み立てて用意することができない。第二に移転できない。ある地区で余っている担い手を、別の地区の公園に振り向けることは、原理的には可能でも実際には難しい。近所であることが参加の前提になっているからである。第三に可分性が低い。除草には最低限の人数と時間が要り、半分の人数で半分の面積を刈るという形にきれいには分割できない。
この三つの性質から、労力を主資源とする組織は、需要の変動と地理的な偏りに弱いという帰結が導かれる。貨幣であれば、平時に積み立て、繁忙期に外注し、余った地区から不足する地区へ融通できる。労力にはそれができない。したがって、労力依存の管理体制は、平常時には十分に機能していても、季節的な集中や担い手の減少といった変動に対して脆い。これは担い手の意欲の問題ではなく、資源の物理的性質の問題である。
| 資源 | 主な出所 | 何に使えるか | 限界 |
|---|---|---|---|
| 労力 | 近隣に住む構成員 | 清掃・除草・発見・声かけ | 貯蔵・移転・分割ができない |
| 会費 | 構成員の負担 | 消耗品・飲料・連絡費 | 構成員が減ると同時に減る |
| 報奨金・活動費 | 自治体からの補助 | 用具・燃料・保険の一部 | 実費相当にとどまる場合が多いとされる |
| 現物支給 | 自治体(ゴミ袋・軍手・用具) | 活動の直接費用の肩代わり | 支給範囲を超える作業には及ばない |
| 寄付・協賛 | 企業・個人 | 備品の更新、行事の費用 | 継続性が読みにくい |
| 知識・技能 | 構成員個人の経歴 | 道具の扱い、危険の察知 | 個人に属し、引き継ぎが難しい |
5.2 報奨金は対価ではない
多くの自治体が愛護会等に報奨金や活動費を交付している。この金銭の性格をどう理解するかは、制度設計上の分かれ目になる。もしそれが労働の対価であるなら、金額は作業量に見合うべきであり、見合わなければ不当な安価労働ということになる。しかし実際には、その水準は用具の刃、燃料、飲料、ゴミ袋といった活動の実費を賄う程度にとどまる場合が多いとされる。対価としては説明がつかない水準である。
第4節で述べたとおり、この交付は法的には補助の性格をもつことが多い。経済学的にも、それは労働市場の価格ではなく、活動の固定費用を引き下げる費用補填として理解するのが整合的である。参加の障壁は、多くの場合「時間がない」ことよりも「道具がない」「ゴミをどこに出せばよいかわからない」「怪我をしたらどうなるのか」といった具体的な障害にある。報奨金と現物支給は、この障害を除去する機能をもつ。
他方で、金銭が絡むことには理論的な留保もある。リチャード・ティトマスは献血の研究において、無償の贈与に基づく供給が、金銭的な誘因の導入によってかえって損なわれうる可能性を論じた。マルセル・モースが『贈与論』で描いたように、贈与には対価とは異なる社会的な意味がある。近年の社会科学には、外的報酬が内発的な動機を弱めうるという議論群があり、これは動機のクラウディングアウトと呼ばれる。金額の多寡だけでなく、その金銭が「対価」と呼ばれるのか「活動費」と呼ばれるのかという名づけが、担い手の自己理解に影響しうるという点は、制度設計上の含意をもつ。
5.3 道具・危険・技能の継承
資源のうち最も見落とされやすいのが、道具と技能である。刈払機は購入費だけでなく、保管場所、燃料、刃の交換、そして安全な扱いの知識を必要とする。飛び石による周囲への被害、回転部への巻き込み、熱中症——屋外の共同作業には固有の危険がある。自治体が保険を用意する意味はここにあるが、保険は損害を事後に埋めるだけであり、危険そのものを減らすのは道具の管理と作業の手順である。
技能の継承はさらに難しい。どの季節にどこを刈るか、どの木は触ってはいけないか、砂場の砂はどこまで掘り返すか——こうした知識は文書化されておらず、特定の個人の記憶に宿っている。ドラッカーは非営利組織の経営について、成果を測る仕組みと後継者の育成を欠くことが最大の弱点だと繰り返し指摘した。公園の担い手においても、記録が残らないことは、単に情報が失われるだけでなく、次の世代が「何をどこまでやればよいか」を知らないまま引き継ぐことを意味する。資源動員の観点から見れば、記録は労力を将来へ移転する数少ない手段であり、労力の非移転性という制約を部分的に緩和する装置である。
6. ボランタリーの失敗を公園に当てはめる——後継者難は何の問題か
第2節で紹介したサラモンの四類型は、非営利の担い手を批判するための枠組みではない。それは、非営利という組織形態が原理的にもつ限界を明示し、どこを行政が補うべきかを特定するための道具である。本節では、この四類型を公園の日常管理に当てはめ、担い手の高齢化と後継者難という現代的な課題をその中に位置づける。
6.1 不十分性——資源は需要に届かない
第一の失敗は不十分性である。非営利の資源は、任意の拠出に依存するため、需要の総量に対して体系的に不足しやすい。公園に即して言えば、必要な作業量は公園の面積・樹木の量・利用の多さによって決まるのに対し、供給される労力は近隣に住む人の数と意欲によって決まる。この二つは独立に決まるから、一致する保証はない。大きな公園の近くに担い手が少なければ不足し、小さな公園の近くに担い手が多くても余剰は他所に回せない。
さらに、不十分性は時間とともに悪化しうる。担い手の年齢構成が上がり、体力を要する作業が難しくなる一方で、樹木は成長して剪定量が増え、施設は古びて手入れの手間が増える。需要は増え、供給は減る。後継者難とは、この不十分性が時間軸の上に現れた形にほかならない。したがって後継者難は、個々の地域の努力不足として説明されるべきではなく、任意拠出に依存する体制が構造的にもつ性質として理解されるべきである。
6.2 特殊主義——担い手のいる公園といない公園
第二の失敗は特殊主義である。非営利の資源は、地域や関心の偏りに沿って分布する。結果として、手厚く世話される公園と、誰も手を挙げない公園が並存する。この偏りは公園の重要度とは無関係に生じる。むしろ、住民組織の活動が活発な地区ほど公園も整い、そうでない地区ほど荒れるという形で、既存の地域間格差を増幅する方向に働きうる。
特殊主義への対処は、行政の側にしかできない。すなわち、地域の担い手が存在するかどうかにかかわらず一定の水準を保証する直営・委託の枠を維持し、担い手のいる公園ではその上に協力が積み上がる、という二層構造にすることである。担い手の有無を前提に管理水準を決めれば、格差はそのまま制度化される。サラモンが「非営利と政府は代替物ではなく補完物である」と述べたことの実務的な意味は、ここにある。
6.3 父権主義——世話をする者が決めてしまう
第三の失敗は父権主義である。資源を提供する者が、受け手の意思を超えて使い方を決めてしまう傾向を指す。公園では、これは利用ルールの自生という形で現れる。草を刈り花を植えた者が、その花壇の近くでの遊びを制限する。清掃を担う者が、ゴミの出やすい遊び方を敬遠する。ボール遊びの制限や利用時間の慣行が、明文の規則としてではなく、世話をする者の意向として定着することがある。
この現象を一方的に非難することはできない。手入れをする者が、その労力の成果を守りたいと考えるのは自然である。問題は、その意向が公園の利用者全体——とりわけ、その場にいて声を出しにくい子どもや、地域の会合に出ない世帯——の意思を代表しているとは限らない点にある。公園は不特定多数に開かれた施設であり、誰かの所有物ではない。制度設計上の含意は明確である。利用のルールを定める権限と、日常の手入れを担う役割とは、切り分けて明示しておく必要がある。ルールの決定は公園管理者の責任として明文で残し、担い手には作業の範囲を書く。この分離が、父権主義への最も実際的な予防になる。
6.4 アマチュア主義——専門性の限界
第四の失敗はアマチュア主義である。サラモンがこの語で指したのは、善意に基づく活動が、専門的な訓練を受けた者の判断に及ばない領域があるということである。公園でいえば、樹木の健全度の判定、遊具の劣化度合いの評価、土壌や排水の問題、有害な生物への対応などがこれにあたる。第3節で述べたとおり、国土交通省の指針は定期的な点検に専門的な知識・技能を求めている。無償の担い手がそこまでを担うことは想定されていないし、担うべきでもない。
ここで注意すべきは、アマチュア主義を根拠に「素人は口を出すな」と結論してはならないことである。第3節で述べた発見と通報の機能は、まさに素人にしかできない情報生産であった。専門家は判定に強く、日常の当事者は発見に強い。両者は競合しない。設計として必要なのは、発見は広く、判定は狭くという原則である。異常の申告は誰からでも受け付け、その申告を使用停止や修繕という判断に翻訳する権限は、責任を負える専門の側に置く。
6.5 反論への応答
以上の整理に対しては、二つの方向から反論がありうる。第一の反論は「そもそも行政が全部やればよい」というものである。これに対しては、費用の問題と情報の問題の二点で応じられる。費用の面では、公園管理の相当部分は人手に依存し、機械化による効率化が難しい領域であるため、園数に比例して増える経常経費になる。情報の面では、第3節で見たとおり、平常状態を知る者の目を行政が代替することは原理的に難しい。行政の全面直営は、費用が許したとしても、発見の機能を回復しない。
第二の反論は「では専門事業者に委託を広げればよい」というものである。委託は水準の保証には有効であり、特殊主義への対処としても機能する。しかし、委託は仕様書に書かれたことしか行われないという性質をもつ。仕様に書けるのは予測できる作業だけであり、予測できない事象の発見はやはり隙間に残る。加えて、委託の拡大は公園と地域の関係を希薄にする。パットナムが市民的な関わりの蓄積を社会関係資本として論じたように、共同で場所の世話をする経験それ自体が、公園以外の場面にも及ぶ資源を生む。委託はその生成過程を代替しない。結局のところ、直営・委託・非営利の協力は、どれか一つを選ぶ関係ではなく、それぞれの失敗を互いに補う配分の問題である。
7. 感謝と負担の非対称——承認・可視化・撤退可能性
前節までは、非営利の担い手を能力と資源の側面から論じてきた。本節では規範的な側面に移る。無償で公共空間を世話するという行為には、経済的な効率とは別の次元の問題がつきまとう。感謝は言葉で表明され、負担は身体で支払われる。この非対称をどう扱うかは、制度が長く続くかどうかを左右する。
7.1 見えない労働という問題
イヴァン・イリイチは、賃金の支払われる労働の外側に、それを成立させるために不可欠でありながら経済統計に現れない労働があると論じ、これをシャドウ・ワークと呼んだ。家事や通勤がその例として挙げられたが、公共空間の日常的な世話も同じ性質をもつ。公園がきれいであることは、統計上どこにも計上されない。計上されないものは、施策の評価にも予算の議論にも登場しない。
この不可視性には二重の帰結がある。第一に、負担が過小に評価される。「誰かがやってくれている」状態は、いつのまにか「そこにあるもの」として当然視され、その裏側にある時間と体力は勘定されない。第二に、負担が消えたときにはじめて可視化される。担い手が退いた翌年に草が伸び、そこで初めて、それまで何が行われていたかが分かる。事後にしか見えない資源は、事前に手当てされない。
労力を貨幣に換算して示す試み——活動時間に賃金相当額を掛けて価値を推計する手法——は、この不可視性への一つの応答である。可視化の効果は大きいが、副作用もある。金銭換算は「その金額を払えば代替できる」という含意を生みやすく、第5節で触れた贈与の性格を損ないうる。また、換算しにくい機能——平常を知っていること、顔を覚えていること——が、換算可能な清掃時間の陰に隠れる。可視化の手段は、時間や回数の記録のように、貨幣以外の単位でも設計できる。
7.2 承認の設計とその副作用
アダプト制度が表示板を掲げるのは、承認を制度化する装置である。名を掲げることは、参加者に評判という選択的誘因を与え、同時に他の住民に「ここは誰かが世話をしている場所だ」という情報を伝える。後者の効果は小さくない。管理されていることが目に見える空間では、ゴミの投棄や器物の損壊が起こりにくいという議論があり、これは環境の手入れ状態が行動に影響するという犯罪学の知見と重なる。
しかし、可視化には副作用がある。名を掲げるとは、苦情の宛先を公示することでもある。草の伸びが気になる、遊具が汚れている、行事の音がうるさい——こうした声が、公園管理者ではなく担い手個人に向かうようになる。第3節で述べた調整機能の負担が、可視化によって増幅されるのである。したがって承認の設計は、感謝の表明と苦情の受付とを分けて示す必要がある。表示板に担い手の名を掲げるならば、あわせて公園管理者の連絡先を明示し、施設に関する申告はそちらへ向かうようにする。これは担い手を守る措置であると同時に、責任の所在を正しく示す措置でもある。
7.3 撤退可能性——やめられることが続ける条件
無償の協力に関する制度設計で最も軽視されがちな要素が、撤退可能性である。参加は自発的であるべきだという原則は広く共有されているが、いったん始めた活動をやめる手続きが明示されていないことは多い。やめ方が用意されていないと、担い手は二つの困難に直面する。第一に、体力的に続かなくなっても、やめれば公園が荒れると分かっているために退けない。第二に、次の世代に引き継ごうとしても、「引き受けたら一生続けることになる」と受け取られ、後継が現れない。
つまり、撤退可能性の欠如は、現在の担い手を消耗させるだけでなく、将来の担い手の参入をも妨げる。参加の障壁は、参加の費用だけでなく、退出の費用によっても決まるからである。制度としてなしうることは明快である。協定に期間を設けて更新制とし、更新しない選択を通常の手続きとして扱う。活動内容の縮小や休止を、脱落ではなく正規の選択肢として書く。担い手が退いた区域を行政の枠に戻す経路をあらかじめ定めておく。これらは撤退を促す仕組みではなく、撤退できるからこそ長く続けられるという構造を作る仕組みである。
7.4 分担を文章にするということ
本節の議論を一つにまとめれば、感謝と負担の非対称に対処する最も現実的な手段は、分担を文章にすることである。誰が何をするかだけでなく、誰が何をしないかを書く。担い手は落ち葉を掃くが高木は切らない。担い手は異常を伝えるが使用停止の判断はしない。担い手は花壇を世話するが利用のルールは定めない。この「しないこと」の明記は、担い手の負担を限定し、責任の所在を明確にし、後継者に対して引き受ける範囲を示す。
オストロムが共有資源の持続的な自治について整理した諸原則のうち、最初に置かれたのは、資源の境界と利用者の境界が明確であることだった。公園の日常管理においても、境界の明確さは同じ役割を果たす。誰の負担がどこで終わるかが定まっていない協働は、善意によって始まり、疲弊によって終わる。境界を書くことは、冷たい線引きではなく、協力を長持ちさせるための配慮である。
8. 磐田市の公園への示唆——100園という単位で考える
本節では、これまでの概念整理を磐田市の公園に照らす。ただし、当サイトは磐田市の地域組織がどの公園でどのような活動を行っているかを把握していない。したがって以下は、公表されている園数・種別・面積・地区・設備の情報から、担い手の負担がどのような形をとりうるかを推論するものであり、実態の記述ではない。踏査は始まったばかりであり、園ごとの状態は今後確かめる。
8.1 箇所数が労力を決める
当サイトが収録する磐田市の公園は100園である。内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外・その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園となっている。ここで注目すべきは、街区公園が過半を占めるという構成である。都市公園法施行令の標準では、街区公園は0.25ha程度、誘致距離250mを目安とする。すなわち街区公園とは、歩いて数分の距離に配置される小さな公園であり、その性質上、数が多くなる。
第5節で述べたとおり、労力は移転できない資源である。したがって管理の負担は、総面積ではなく箇所数によって強く規定される。面積が小さくても、一つの公園には出入口があり、遊具があり、周囲との境界があり、そこに人が来る。除草の面積は小さくとも、行って、見て、拾って、戻るという一連の手間は面積に比例しない。磐田市の公園群が小規模な園を多く含むという構成は、担い手の側から見れば、少ない労力で覆える負担というより、分散した多数の持ち場という形をとる。
面積の幅はきわめて大きい。最大の竜洋海洋公園は221,722㎡、かぶと塚公園は106,982㎡、つつじ公園は61,937㎡である。他方、二之宮東第2緑地は17㎡、豊田上新屋ポケットパークは156㎡、豊田第1緑地は254㎡、豊田森下ポケットパークは286㎡、二之宮東第1緑地は299㎡、県営磐田団地第2緑地は314㎡、磐田ららシティ西ポケットパークは362㎡、見付本通広場公園は372㎡と、数百㎡以下の小空間が並ぶ。前者は専門的な体制を要する施設群であり、後者は近隣の目が行き届きやすい小空間である。同じ「公園の管理」という語で括られていても、担い手の適性はまったく異なる。
8.2 地区ごとの偏りと特殊主義
磐田市の公園は9地区に分かれて分布している。豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。この分布は市街地の形成過程と人口の分布を反映していると考えられるが、担い手の観点からは別の意味をもつ。第6節で述べた特殊主義——担い手のいる公園といない公園の格差——は、公園が多い地区ほど、一つの地縁組織あたりの持ち場が増えるという形で現れうる。豊田の28園と向陽の2園とでは、地域が引き受ける負担の構造が異なる。
ここから導かれる示唆は、管理の枠組みを市全体で一律に設計するのではなく、園数の密度に応じて考える必要がある、ということである。園が集中する地区では、一つの組織が複数園を抱える形になりやすく、アダプト型のように区域を切って複数の担い手に配分する設計が有効でありうる。園が少ない地区では、むしろ地縁の網で包括的に覆う愛護会型が機能しやすい。第4節で述べた二つの型の併用は、この地区差に対する具体的な対応策として理解できる。
8.3 設備が負担の質を変える
オープンデータのフラグ集計によれば、94行の中でトイレのある園は69園、車いす対応トイレのある園は34園、砂場のある園は43園、遊具のある園は64園である。この四つは、いずれも管理の負担を質的に変える設備である。トイレは清掃の頻度と衛生管理の要請が高く、消耗品の補充も要る。砂場は異物の混入や表層の締まりへの対応が必要になる。遊具は、国土交通省の指針が求める点検の対象であり、日常的な目視は誰にでもできるが、劣化度合いの判定は専門の領域に属する。
したがって、同じ街区公園でも、トイレと砂場と遊具を備えた園と、広場だけの園とでは、必要な労力の質が違う。市の施設ガイドの記載を見ても、園内施設の内容には大きな幅がある。たとえば一番町公園には「ブランコ、滑り台、ジャングルジム、鉄棒、雲梯、砂場、トイレ」とあり、只来下公園には「ブランコ、滑り台、ジャングルジム、シーソー」とある。他方、谷口公園や中原公園には「トイレ」のみ、御殿遺跡公園には「記載なし」とある。管理の分担を設計するときには、種別や面積だけでなく、この設備構成を見る必要がある。
| 公園の型(例) | 設備の特徴 | 地域の担い手に向く作業 | 専門・行政に残る作業 |
|---|---|---|---|
| 小規模な緑地・ポケットパーク(数百㎡) | 遊具・トイレを持たないことが多い | ゴミ拾い、下草、見守りの目 | 樹木の健全度の判定、舗装や柵の補修 |
| 遊具と砂場のある街区公園 | ブランコ・滑り台・砂場・トイレ | 清掃、砂場の異物除去、異常の通報 | 遊具の定期点検と使用可否の判定 |
| 近隣・地区公園(数千〜数万㎡) | 複合遊具・広場・多目的トイレ | 行事の運営、利用の呼びかけ | 高木の剪定、大型施設の保守 |
| 総合・運動・風致公園(数万㎡以上) | 体育施設・大規模樹林・駐車場 | 限定的(行事の協力など) | 計画的な保守と専門管理 |
この表は概念的な整理であり、磐田市の実際の運用を示すものではない。しかし、分担を書面にするという第7節の提案を具体化するとき、こうした型の区分は出発点になる。市の公園を管理する部署は都市整備課(電話0538-37-4806)であり、施設に関する申告や相談の宛先はここに集約されている。第3節で述べた発見と通報の機能が働くには、この宛先が担い手にも一般の利用者にも知られていることが前提になる。
8.4 情報の非対称と、当サイトの位置
磐田市の公園に関する公開情報には、明らかな濃淡がある。市の施設ガイドに個別ページがある園は、当サイトが突合できた範囲で77園であり、残りはオープンデータの行に基本的な属性が載るにとどまる。権現緑地、城山球場、緑ヶ丘霊園、竜洋スポーツ公園、竜洋中島公園、いわたエコパークなどは、施設ガイドの個別ページが確認できていない。情報が薄い園は、利用者からも見えにくく、担い手の候補からも見えにくい。第6節でいう特殊主義は、情報の格差としても現れうる。
当サイトは磐田市の公園100園のデータベースであり、運営は不動産・介護事業を営む富士ヶ丘サービス株式会社である。踏査済の園はまだなく、園ごとの状態については現地調査を待っている段階にある。したがって本稿が磐田市について言えることは限られている。それでも、公開情報を園ごとに整理し、種別・面積・地区・設備を一覧できる形にしておくことには意味がある。担い手を論じる前提として、何がどこにどれだけあるかが共有されている必要があるからである。今後の踏査では、遊具の種類や日陰の有無といった利用者向けの情報とあわせて、その公園がどのような管理の手間を要する構成なのかも記録の対象としたい。
9. 結論と今後の課題
本稿は、公園の日常管理を担う非営利の担い手——愛護会型の地縁組織とアダプト型の協定団体——を、NPO・非営利組織論の枠組みで整理し、無償の労力に依存した維持体制がどこまで持続しうるかを検討してきた。最後に、得られた結論を四点にまとめ、残された課題を述べる。
9.1 四つの結論
第一に、非営利の担い手が比較優位をもつのは、頻度が高く技能要件の低い作業と、異常の発見・通報という情報生産の機能である。逆に、専門的な判定を要する作業と、利用ルールの決定は、責任を負える側に残さなければならない。この線引きは担い手の熱意ではなく、作業の性質と責任の所在から導かれる。指針が定期的な点検に専門的な知識・技能を求めていることは、その制度上の裏づけである。
第二に、この体制の主資源は労力であり、労力は貯蔵も移転も分割もできない。したがって体制は、季節的な需要の集中と、担い手の減少という二つの変動に構造的に弱い。報奨金や現物支給は、労働の対価ではなく参加の固定費用を下げる装置として理解するのが整合的であり、その名づけ方自体が担い手の自己理解に影響しうる。
第三に、担い手の高齢化と後継者難は、地域の努力不足ではなく、サラモンのいう不十分性が時間軸の上に現れた形である。同様に、手厚い公園と手薄な公園の並存は特殊主義の、世話をする者による利用制限は父権主義の、専門作業の限界はアマチュア主義の現れである。四類型は非営利を責める道具ではなく、どこを行政が補うべきかを特定する道具として使うべきである。
第四に、責任は制度上つねに公園管理者に残る。愛護会もアダプト団体も、都市公園法第5条の許可を受けた者でも指定管理者でもなく、その協力は事実行為である。したがって「地域に管理を任せる」という表現は、法的にも実務的にも正確でない。任せられるのは作業であって、責任ではない。
9.2 持続の条件——四つの設計原則
以上から、無償の担い手に支えられた管理体制が持続するための条件を、設計原則の形で四つ提示する。いずれも本稿の各節から導かれるものであり、特定の自治体の運用を評価するものではない。
- 範囲の明示——担い手が何をするかだけでなく、何をしないかを書く。専門的な判定と利用ルールの決定は担い手の外に置く。
- 撤退可能性の確保——期間を定めた更新制とし、縮小・休止・返上を正規の選択肢として用意する。やめられることが、続けられる条件になる。
- 基礎水準の保証——担い手の有無にかかわらず一定の管理水準を行政が保証し、その上に協力が積み上がる二層構造にする。担い手の有無で水準を決めれば格差が制度化される。
- 記録と承認の設計——活動の記録を残して引き継ぎを可能にし、承認は表示で行いつつ、苦情と申告の宛先は公園管理者に明示する。
この四つに共通するのは、担い手の善意に頼らない設計を志向している点である。善意は前提にしてよいが、設計の変数にしてはならない。善意は変動し、世代とともに入れ替わる。制度が担うべきは、善意が現れたときにそれを受け止められる形を用意しておくことであり、善意が細ったときに公園が急に荒れない形を用意しておくことである。
9.3 残された課題
本稿の限界は明白である。第一に、実証を欠いている。本稿は文献整理と概念分析にとどまり、磐田市を含むいかなる地域についても、担い手の数・活動量・年齢構成といった実態を示していない。第二に、比較を欠いている。愛護会型とアダプト型の比較は制度設計上の類型としての比較であり、どちらがどのような条件下でよく機能するかという経験的な比較ではない。第三に、担い手自身の語りを扱っていない。無償で世話をする人々が、その行為をどう意味づけているかは、本稿の外にある。
今後の課題としては、三つの方向が考えられる。第一に、公開情報の整理を進めることである。園ごとの種別・面積・設備が一覧できる状態は、管理の負担を議論する共通の土台になる。当サイトが100園のデータベースとして整えている情報は、その土台の一部になりうる。第二に、踏査を通じて、園ごとの管理の手間の構成——樹木の量、遊具の種類、トイレの有無、周囲との境界の性質——を記録することである。第三に、他分野との接続である。公園の担い手をめぐる議論は、財政の制約、行政の管理手法、住民参加の制度、公共財の性質といった論点と不可分であり、本稿はそれらの議論の一部として読まれることを想定している。
最後に、本稿の出発点に戻る。公園が公園でありつづけるのは、誰かが手を入れつづけているからである。その誰かが誰であるかを問うことは、感謝の対象を探すためではなく、負担の配分を設計するためである。感謝は言葉で足りるが、配分は制度でしか実現しない。磐田市の100園がこの先も使える場所であり続けるために必要なのは、担い手を称える言葉よりも、担い手が無理なく続けられ、いなくなっても急には荒れない仕組みの設計である。その設計に必要な語彙を提示することが、本稿の目的であった。
参考文献
- ヘンリー・ハンズマン(1980)「非営利企業の役割」(The Role of Nonprofit Enterprise、Yale Law Journal 89巻)
- バートン・A・ワイスブロッド(1988)『非営利経済』(The Nonprofit Economy、Harvard University Press)
- レスター・M・サラモン(1987)「市場の失敗・ボランタリーの失敗・第三者による統治」(Journal of Voluntary Action Research 16巻)
- レスター・M・サラモン(1995)『NPOと公共サービス——政府と民間のパートナーシップ』(江上哲監訳、ミネルヴァ書房、2007)
- ヴィクター・A・ペストフ(1998)『福祉社会と市民民主主義——協同組合と社会的企業の役割』(藤田暁男ほか訳、日本経済評論社、2000)
- マンサー・オルソン(1965)『集合行為論——公共財と集団理論』(依田博・森脇俊雅訳、ミネルヴァ書房、1983)
- エリノア・オストロム(1990)『コモンズのガバナンス——人びとの協働と制度の進化』(原田禎夫ほか訳、晃洋書房、2022)
- ギャレット・ハーディン(1968)「共有地の悲劇」(The Tragedy of the Commons、Science 162巻)
- リチャード・M・ティトマス(1970)『贈与関係——人間の血液から社会政策へ』(The Gift Relationship、George Allen & Unwin)
- マルセル・モース(1925)『贈与論』(吉田禎吾・江川純一訳、ちくま学芸文庫、2009)
- イヴァン・イリイチ(1981)『シャドウ・ワーク——生活のあり方を問う』(玉野井芳郎・栗原彬訳、岩波書店、1982)
- P・F・ドラッカー(1990)『非営利組織の経営——原理と実践』(上田惇生・田代正美訳、ダイヤモンド社、1991)
- ロバート・D・パットナム(1993)『哲学する民主主義——伝統と改革の市民的構造』(河田潤一訳、NTT出版、2001)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)および都市公園法施行令
- 地方自治法(昭和22年法律第67号)第232条の2(寄附又は補助)・第244条の2(公の施設の管理・指定管理者制度)
- 特定非営利活動促進法(平成10年法律第7号)
- 都市緑地法(昭和48年法律第72号)——市民緑地認定制度・緑地保全・緑化推進法人(平成29年改正)
- 新たな時代の都市マネジメントに対応した都市公園等のあり方検討会「新たなステージに向けた緑とオープンスペース政策の展開について」(最終報告書、平成28年5月)
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 一般社団法人日本公園施設業協会「遊具の安全に関する規準 JPFA-SP-S:2014」
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。