国際・比較・未来ニューアーバニズム

歩ける近隣をつくる——ニューアーバニズムと公共空間の再評価

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:ニューアーバニズム 公開・更新 2026-08-17 本文 約20,640字 読了目安 38分

要旨

本稿の目的は、ニューアーバニズムを都市計画の思想として整理し、公共空間の位置づけという観点からその意義と限界を検討することである。ニューアーバニズムは、1993年に発足した全米ニューアーバニズム会議(Congress for the New Urbanism、CNU)を母体とする運動であり、第二次大戦後のアメリカで広がった郊外のスプロールと自動車依存への批判として登場した。

方法は文献整理と概念分析である。ニューアーバニズムの成立過程とチャーター(憲章)の内容を確認したうえで、歩ける近隣・用途の混合・公共空間を中心に据えた街区設計・トランジット指向型開発(TOD)・トランセクトによる地域類型という柱を整理する。そのうえで、シーサイドやセレブレーションといった代表的な開発事例を通じて理念と実際のずれを検討し、規範性の強さや懐古的な美学、商品化への批判とその応答を確認する。

検討の結果、ニューアーバニズムは公共空間を余白の緑地ではなく街の骨格として位置づけ直した点に意義がある一方、その組み立ては更地の郊外開発を主な対象としており、日本の既成市街地にそのまま移植することはできないことが明らかになった。

最後に、この視点を磐田市の公園データに照らし、街区公園の誘致距離という制度的な「歩ける圏域」の考え方がニューアーバニズムの近隣単位論と部分的に共鳴する点を指摘する。ただし当サイトの現地踏査はこれからであり、街並みや歩行環境の実態にかかわる判断は今後の課題として残す。

キーワードニューアーバニズム歩ける近隣トランジット指向型開発トランセクト公共空間スプロール近隣住区論

1. はじめに——問題の所在

磐田市が公開する都市公園一覧には、街区公園・近隣公園・地区公園・総合公園・運動公園など、規模や機能の異なる公園が並ぶ。これらの公園は、住宅地の中にどのように配置され、周囲の街並みとどのように結びついているのか。この問いに答えるための一つの手がかりが、1990年代のアメリカで生まれたニューアーバニズムという都市計画運動である。ニューアーバニズムは、公園や広場を「余った土地に置く緑」としてではなく、街の骨格を組み立てる公共空間として位置づけ直した点に特徴がある。

ニューアーバニズムとは何かという定義自体、論者によって幅がある。本稿では、1993年に発足した全米ニューアーバニズム会議(Congress for the New Urbanism、以下CNU)を母体とし、1996年にチャーター(憲章)として原則化された都市計画・都市設計の思想と実践の総称として扱う。この運動は、第二次大戦後のアメリカで広がった郊外のスプロール(無秩序な低密度開発)と自動車依存への批判として登場した点で、様式の好みをめぐる論争ではなく、都市の作り方そのものへの異議申し立てだった。

1.1 三つの問い

  • ニューアーバニズムはどのような概念と原則によって公共空間を位置づけたか。
  • その理念は実際の開発でどこまで実現し、どこにずれが生じたか。
  • 自動車社会でも郊外の更地開発でもない日本の既成市街地、とりわけ地方都市にこの視点はどこまで読み替えられるか。

方法は文献整理と概念分析である。ニューアーバニズムの成立史とチャーターの内容を、確実に存在が確認できる一次資料と主要な解説書に基づいて整理し、代表的な開発事例への批判的検討を都市計画学・地理学・社会学の議論を参照しながら行う。そのうえで、磐田市オープンデータと市の施設ガイドに記載された公園の配置・規模・種別を用いて、机上での読み替えを試みる。現地の街並みや歩行環境そのものを歩いて確かめた結果ではなく、当サイトの現地踏査はこれから始まる段階であることは、あらかじめ断っておきたい。

構成は次の通りである。第2節でニューアーバニズムの先駆となった思想を整理し、第3節で運動の成立過程とチャーターの構造を確認する。第4節・第5節でニューアーバニズムの原則を具体的に検討し、第6節で代表的な開発事例と理念のずれを検討する。第7節で運動への批判とその応答を整理し、第8節で日本の既成市街地への読み替えの可能性と限界を論じ、第9節で磐田市の公園データに即した具体的な示唆を述べる。第10節で結論と今後の課題を整理する。

1.2 なぜこの視点を取り上げるか

本稿がニューアーバニズムという一つの学問的立場を取り上げるのは、それが公園という対象を語るときに、ともすれば見落とされがちな問いを差し出すからである。公園は、しばしば「遊具が何台あるか」「トイレがあるか」といった施設の充足度として語られる。これはこれで重要な観点だが、ニューアーバニズムはその手前で、そもそも公園がどこにどのような形で置かれ、周囲の街路や建物とどう関係しているかという、配置と構造の水準の問いを立てる。この問いは、遊具の充実度だけでは測れない公園の価値を考えるための、もう一つの物差しになりうる。

同時に、本稿はニューアーバニズムを無条件に模範として推奨する立場はとらない。第6節・第7節で見るように、この運動には理念と実際の街の運営とのずれや、様式の押し付けという批判が向けられてきた。本稿の狙いは、この運動が示した「公共空間を街の骨格として捉える」という視点そのものを取り出し、その視点がどこまで、どのような留保のもとで日本の地方都市に応用できるかを見極めることにある。称賛でも全否定でもない、部分的な読み替えの作業として本稿を位置づけたい。

三つの問い対象範囲文献整理
図1本稿の見取り図。公共空間の位置づけ方を軸に、成立史・原則・批判・日本への読み替えの順で検討する。

2. 先行研究と概念の整理——田園都市から近隣住区論、ジェイコブズの反論へ

ニューアーバニズムは、突然現れた思想ではなく、19世紀末以来の都市計画思想のいくつかの系譜を編み直したものである。第一の系譜は、エベネザー・ハワードの田園都市運動である。ハワードは1898年の著作(1902年に『明日の田園都市』として改題)で、過密化したロンドンへの対案として、田園に囲まれた自己完結的な小都市を提案した。職住が近接し、緑地に囲まれ、人口規模に上限を設けるという発想は、後のニューアーバニズムが掲げる「歩いて完結する近隣」という理念の遠い起点である。ただしハワードの田園都市は既成市街地の外に新しい町を作る構想であり、既存の都市を作り直す手法ではなかった。

第二の系譜は、クラレンス・ペリーの近隣住区論(1929年、ニューヨーク地域調査の第7巻に所収)である。ペリーは、小学校に歩いて通える範囲(おおむね半径4分の1マイル、400メートル程度)を一つの近隣単位とし、その中心に学校と公園・広場を置き、周縁部に幹線道路を配置して通過交通を排除するという計画原理を示した。この「歩ける範囲を基本単位とし、その中心に公共施設を置く」という発想は、ニューアーバニズムの近隣構成の直接の原型になっている。

2.1 モダニズム都市計画への反省

第三の系譜は、モダニズム都市計画への反省である。ジェイン・ジェイコブズは1961年の著作『アメリカ大都市の死と生』で、用途を厳格に分離するゾーニングと、街路網を解体して作られる大規模な再開発(スーパーブロック)が、街路の賑わいと相互監視の目(アイズ・オン・ザ・ストリート)を奪い、街を単調で危険なものにしていると批判した。ジェイコブズ自身はニューアーバニズムの運動体に属していないが、短い街区・用途の混合・歩道に面した建物という彼女の主張は、後にニューアーバニズムの原則にそのまま取り込まれることになる。

第四の系譜は、公共空間そのものの観察研究である。ウィリアム・H・ホワイトは1980年の著作『The Social Life of Small Urban Spaces』で、ニューヨークの広場を定点撮影とフィールド観察によって調べ、座る場所の多さ、日照、食べ物の入手しやすさ、通行人を眺められる位置関係などが、広場の使われ方を左右することを示した。この経験的な観察手法は、後にニューアーバニズムの実務者が広場・公園の設計原則を組み立てる際の参照点となった。

  • 座れる場所の多さ——縁石や段差、可動椅子など、腰を下ろせる面積が広いほど滞留が増える
  • 日照——日なたと日陰の両方があり、季節によって選べること
  • 食べ物の入手しやすさ——近くで軽食を買えると滞留時間が延びる
  • 見える範囲——道行く人同士がお互いを眺められる位置関係(ホワイトはこれを人と人が引き合う現象として説明した)

ホワイトの観察が示したのは、広場や公園の使われやすさは、面積や遊具の有無だけでなく、座れる場所・日照・食べ物・人の見える範囲といった、細部の条件の積み重ねによって決まるということである。この視点は、次節以降で見る「公共空間を街区の中心に据える」という原則が、単に位置を中心にすればよいのではなく、そこで実際に人が滞留できる条件を備えて初めて機能することを示唆している。

2.2 概念の整理——近隣単位・用途混合・公共空間中心の三点セット

四つの系譜はいずれもアメリカとイギリスの文脈で語られてきたものだが、日本の都市計画もこれらと無縁ではない。戦後日本の都市計画やニュータウン開発は、近隣住区論を参照して住区の単位や小学校・公園の配置を検討してきた経緯があり、田園都市運動の理念も、大正期から昭和初期にかけての郊外住宅地開発に一定の影響を与えたことが知られている。本稿がニューアーバニズムを取り上げるのは全く未知の外国思想を持ち込むのではなく、日本の都市計画がすでに部分的に共有してきた系譜の延長線上に、この運動を位置づけ直す作業でもある。

以上四つの系譜を整理すると、ニューアーバニズムが編み直したのは、(1)歩ける範囲を単位として近隣を計画するという発想(田園都市・近隣住区論)、(2)用途を混ぜ合わせ街路に面した建物を並べるという発想(ジェイコブズの批判)、(3)公共空間の使われ方を経験的に観察し設計に反映させるという発想(ホワイトの観察)、の三点であるといえる。ニューアーバニズムの独自性は、これらを学術的な批判や理念にとどめず、実際の開発事業として実践可能な設計基準・法規範(後述するトランセクトやコードの形)にまで具体化しようとした点にある。

近隣単位徒歩圏の学校中心の公園
図2クラレンス・ペリーの近隣住区論。徒歩で通える範囲を単位とし、中心に学校と公園を置く発想がニューアーバニズムの原型となった。

3. ニューアーバニズムの成立——1993年の会議とチャーター

ニューアーバニズムという運動体の出発点は、1993年にバージニア州アレクサンドリアで開かれた第一回の全米ニューアーバニズム会議(CNU)である。中心となったのは、建築家・都市設計者のピーター・カルソープ、アンドレス・デュアニー、エリザベス・プラター=ザイバーグ、エリザベス・ムール、ステファノス・ポリゾイデス、ダニエル・ソロモンら六名の創設メンバーであり、彼らはいずれも実際の開発事業に携わる実務者だった点が、この運動の性格を特徴づけている。

CNUに先立つ実践として重要なのが、フロリダ州のシーサイドである。デュアニーとプラター=ザイバーグは1980年代、開発業者ロバート・デイビスの依頼を受け、格子状の短い街区、通りに面したポーチ付きの住宅、街の中心に置かれた広場と商業施設という構成の計画を描いた。シーサイドは学術的な議論に先立って実現した具体的な町並みとして、後のニューアーバニズムの運動にとって象徴的な原型となった。1994年にはピーター・カッツが『The New Urbanism: Toward an Architecture of Community』を刊行し、シーサイドを含む複数の事例をまとめて紹介したことで、この運動の名称と輪郭が広く知られるようになった。

3.1 チャーターの構造

CNUの活動は、1996年に南カロライナ州チャールストンで開かれた第四回大会でチャーター(憲章)として原則化された。チャーターは単一の設計基準ではなく、次の三つの空間的スケールにわたる原則の集合として構成されている。

  • 広域圏のスケール——地域・都市圏・都市と町の関係(グリーンベルトや交通網の広域計画)
  • 近隣・地区・回廊のスケール——歩ける近隣単位、用途の混合、公共空間の配置
  • 街区・街路・建物のスケール——通りに面した建物、駐車場の裏配置、歩道と街路樹の設計

この三層構造は、近隣住区論が示した「歩ける単位」という発想を最小スケールに据えつつ、それを都市圏規模の交通・土地利用計画とも接続しようとした点に特徴がある。チャーターの全文は、2000年にマイケル・レチェーズとキャスリーン・マコーミックの編集により『Charter of the New Urbanism』として書籍化され、大学や実務の場で広く参照される基本文献となった。

3.2 もう一つのチャーターとの対比

CNUのチャーターという名称は、近代建築運動の国際会議CIAMが1933年に採択したアテネ憲章を意識したものと理解されている。アテネ憲章は、都市の機能を住居・労働・レクリエーション・交通に分けて計画するという考え方を掲げ、後の大規模な機能分離型のゾーニングや、街路網を解体する大規模団地開発に理論的な裏付けを与えた文書として知られる。ジェイコブズが批判の対象としたのは、まさにこのアテネ憲章的な発想が具体化した戦後の都市再開発だった。CNUが自らの原則集を「チャーター」と名付けたことには、機能分離を掲げた前の時代の憲章に対し、用途混合と歩ける近隣を掲げる新しい憲章を対置するという、運動の系譜上の意思表示が込められている。

CNUはその後も大会を重ね、各地の建築家・都市設計者・自治体職員が具体の開発事例と成果を持ち寄る継続的な実践共同体として機能してきたと理解されている。チャーターは一度定めて終わる宣言文ではなく、事例の蓄積を通じて解釈が更新されていく生きた原則集として運用されている点は、静的な法令や基準書との違いとして留意しておきたい。この継続性は、次節以降で見る具体的な原則が、抽象的な理念にとどまらず街区設計の実務にまで踏み込んだ形で示されている背景の一つでもある。

3.3 運動としての性格

ニューアーバニズムが他の都市計画思想と異なるのは、大学に籍を置く研究者ではなく、実際に開発事業を手がける建築家・都市設計者が中心となって組織を作り、原則を宣言し、その原則に沿った具体的な開発(シーサイド、後述するセレブレーションなど)を次々に実現させていった点である。この「理論より先に実践がある」という性格は、後にみる規範性の強さへの批判にもつながっている一方、都市計画の議論を学術論文の外側にある現実の街並みに接続させたという点で、運動の推進力にもなった。

1993年発足実務者の会議原則の宣言
図3CNUは1993年に発足し、1996年のチャーターで三つのスケールにわたる原則を宣言した。実務者主導の運動である点が特徴。

4. 原則の検討(1)——歩ける近隣・用途の混合・公共空間を中心に据えた街区設計

ニューアーバニズムの第一の原則は、近隣を「歩ける範囲」を単位として設計することである。チャーターは、住宅から徒歩5分程度(おおむね400メートル前後)の範囲に、日常の買い物・学校・公共空間へのアクセスをまとめて収めることを求める。これはペリーの近隣住区論をほぼそのまま引き継いだ発想だが、ニューアーバニズムはこれを郊外の戸建て住宅地開発における実際の街区割りと道路設計にまで具体化した点で一歩踏み込んでいる。

4.1 用途の混合

第二の原則は、用途の混合である。アメリカの戦後郊外開発の多くは、住宅・商業・業務を厳格に分離するユークリッド型ゾーニング(用途別地域制、その名は判例に由来する)に基づいて計画され、結果として住宅地から店や職場へは自動車での移動が前提となった。デュアニー、プラター=ザイバーグ、ジェフ・スペックは2000年の共著『Suburban Nation』で、この用途分離こそが自動車依存とスプロールを生む制度的な土台であると論じ、小規模な商業・集合住宅・戸建て住宅を同じ街区や近接する街区に混在させる街区設計を対案として示した。

4.2 公共空間を中心に据えた街区設計

第三の原則が、本稿の主題である公共空間の位置づけである。従来型の郊外住宅地開発では、公園はしばしば道路計画や宅地割りが決まったあとに残った低利用地や調整池の周辺に置かれる、いわば「余白の緑」だった。これに対しニューアーバニズムは、広場や公園、教会や公民館などの公共施設をまず街区構成の中心に据え、そこを起点として通りの軸線や宅地割りを組み立てるという、設計の手順そのものを逆転させることを提案した。公共空間は装飾ではなく、街の骨格を決める起点として扱われる。

観点従来型の郊外開発ニューアーバニズムの原則
用途住宅・商業・業務を分離近接する街区に用途を混在
街路網行き止まり(クルドサック)と幹線道路への集中格子状に近い連続した街路網
公共空間の位置残った低利用地に配置街区構成の中心に先に配置
主な移動手段自動車が前提徒歩・自転車を優先し自動車を許容

この三原則は、それぞれ独立した主張ではなく、相互に支え合う関係にある。用途が混合していなければ歩いて用が足りず、街路網が行き止まりの連続であれば近道が成り立たず、公共空間が街区の中心になければ人の流れが生まれない。ニューアーバニズムが「様式」ではなく「原則の体系」を名乗る理由は、この三つがそろって初めて歩ける近隣が成立するという主張にある。

4.3 街路網の連続性という論点

街路網のあり方は、公共空間の使われ方にも直接影響する。行き止まりの道路が枝分かれする構成では、住宅地の内部を通り抜ける経路がなく、公園や広場に向かう道は限られた本数の幹線道路に集中しがちである。これに対し、格子状に近い連続した街路網では、目的地までの経路が複数存在し、自動車の交通量は特定の道路に集中せず分散する一方、歩行者は最短に近い経路を選んで歩くことができる。チャーターが街路網の連続性を重視するのは、これが公共空間への到達しやすさを左右する、いわば見えにくい基盤条件だからである。

公共施設の敷地選定についても、チャーターは具体的な指針を示す。学校・教会・公民館・図書館といった公共性の高い建物は、街区の目立つ位置や広場に面した敷地に置くべきであり、駐車場の裏や幹線道路沿いの残地に押しやるべきではない、という主張である。これは、公共施設の存在そのものが街の目印(ランドマーク)となり、道に迷わず歩ける近隣を作るという、認知地図の観点からの主張でもある。公園や広場についても同様に、街区の目立つ位置に据えることで、初めて訪れる人にも見つけやすい場所になるという発想が背景にある。

4.4 公共空間の管理主体という論点

ここまで見た三原則は、いずれも空間の形をどう設計するかという論点である。しかし公共空間が実際に機能するかどうかは、誰がその空間を日常的に管理し、費用を負担するかという運営の論点にも左右される。街区の中心に広場を置いても、清掃や設備の維持が行われなければ使われない場所になりかねない。この管理主体の問題は、チャーター自体が詳細に規定する範囲を超えており、第6節で見る具体的な開発事例——とりわけ住宅所有者組合が公共空間の管理を担ったセレブレーションの例——を検討する中で、改めて重要な論点として浮かび上がってくる。

徒歩5分圏近い商店中心の広場
図4歩ける近隣・用途の混合・公共空間を中心に据えた街区設計という三原則は、互いに支え合って初めて機能する。

5. 原則の検討(2)——トランジット指向型開発とトランセクトによる地域類型

第四の原則は、トランジット指向型開発(Transit-Oriented Development、TOD)である。この概念を体系化したのは、CNU創設メンバーの一人であるピーター・カルソープであり、1993年の著作『The Next American Metropolis』で、鉄道駅やバス停を中心に、徒歩で行き来できる範囲に住宅・商業・職場を集中させ、それより外側は相対的に低密度にとどめるという開発の形を提案した。TODの狙いは、日常の移動の少なくとも一部を自動車から徒歩・自転車・公共交通に置き換えることで、郊外の低密度なスプロールが前提とする「一人一台の自動車」という条件そのものを緩めることにある。

TODの考え方は、近隣単位論の「歩ける範囲」を、住宅地の内部だけでなく、近隣と近隣を結ぶ広域交通のあり方にまで拡張したものと位置づけられる。個々の近隣が歩いて完結していても、近隣どうしの移動がすべて自動車前提であれば、都市全体としてのスプロールと自動車依存は解消しない。カルソープはこの点を踏まえ、TODを個別の近隣設計ではなく、都市圏規模の交通計画と連動させるべき原則として位置づけた。

5.1 トランセクトという地域類型

第五の原則が、トランセクトによる地域類型である。トランセクトとは、もともと生態学で使われてきた、自然環境の変化を帯状の断面で観察する調査手法の概念を都市計画に転用したもので、デュアニー・プラター=ザイバーグ社を中心に、自然の残る地域(T1)から農村的な地域(T2)、郊外的な地域(T3)、一般的な市街地(T4)、都心に近い密集市街地(T5)、都心核(T6)まで、土地の性格を六段階の連続体として位置づける分類の枠組みとして発展させられた。

トランセクトの実務上の意義は、用途(住宅か商業か)ではなく、街並みの密度と性格(建物の高さ、道路と建物の距離、歩道の幅など)を基準に地区を区分し、その区分ごとに建築の形を定める「フォームベース・コード」と呼ばれる規制手法を可能にした点にある。従来のアメリカのゾーニングが「そこで何をしてよいか」を定めるのに対し、トランセクトに基づくコードは「そこにどのような形の建物と街路を作るか」を定める。この転換は、用途分離が生んだ問題への対処として、原則3で見た用途混合の考え方をより体系的な規制の道具に落とし込んだものといえる。

5.2 フォームベース・コードの広がりと限界

トランセクトを基礎に置いた標準コード(スマートコードと呼ばれる雛形)は、アメリカの複数の自治体で、既存のゾーニング条例を全部または一部置き換える形で採用されてきたことが知られている。ただし、フォームベース・コードは建物の外形や道路との関係を細かく規定するため、地区ごとの土地の権利関係や既存の建物との整合を取る作業が煩雑になりやすく、更地の新規開発では適用しやすい一方、すでに多様な建物が建ち並ぶ既成市街地に後から適用するのは難しいという限界も指摘されている。この限界は、次節以降で検討する日本への読み替えを考えるうえでも重要な手がかりになる。

TODとトランセクトを合わせて見ると、両者はいずれも、個々の建物や個々の近隣を単独で設計するのではなく、広域の交通網から街区の断面構成まで、複数のスケールを串刺しにして街の形を組み立てようとする点で共通している。ニューアーバニズムが単なる意匠上の様式ではなく都市計画の方法論として扱われるべきだと主張する論者が根拠とするのは、この複数スケールを一貫した論理で結び付けようとする体系性である。

ただし、TODの実践は交通条件に強く依存する。鉄道網やバス路線が高頻度で運行される大都市圏では、駅やバス停という明確な拠点を中心に据えやすい。これに対し、鉄道の運行本数が少ない、あるいは鉄道そのものが通っていない地方部では、TODが前提とする「歩いて行ける交通結節点」そのものが乏しく、原則を適用する条件が最初から整っていない場合が多い。この制約は、第8節・第9節で日本の地方都市への読み替えを考える際にも重要な留保として残る。

交通の結節点徒歩・自転車段階的な地域区分
図5トランジット指向型開発は交通結節点を中心に据え、トランセクトは街並みの密度を段階的な地域類型として整理する。

6. 実践例の検討——シーサイドとセレブレーションにみる理念と現実のずれ

ニューアーバニズムの理念が実際の開発でどこまで実現したかを見るには、運動の原型となった二つの町、フロリダ州のシーサイドとセレブレーションが手がかりになる。シーサイドは、前述の通り1980年代にデュアニーとプラター=ザイバーグが計画した小さな計画的市街地で、短い街区・ポーチ付きの住宅・中心広場という構成が高く評価され、後の映画のロケ地としても広く知られるようになった。歩いて回れる範囲に住宅と商業が収まり、公共空間が街の中心に据えられているという点で、シーサイドはチャーターが掲げる原則をほぼそのままの形で実現した事例である。

セレブレーションは、ウォルト・ディズニー・カンパニーが開発し1996年に街開きした町で、建築家ロバート・A・M・スターンとジャクリン・ロバートソンが計画を担当した。歩ける街区、通りに面した住宅、街の中心に置かれた公共施設という点で、セレブレーションもニューアーバニズムの原則に沿って設計されている。ただしこの町は、小さな町の懐かしい雰囲気を前面に打ち出したマーケティングとともに分譲され、住宅の外観や庭の手入れの仕方まで細かく定めた建築規約(デザインコード)によって景観が統制された。

6.1 社会学者による内側からの観察

社会学者のアンドリュー・ロスは、1999年の著作『The Celebration Chronicles』で、セレブレーションに実際に暮らしながら住民の経験を記録した。ロスが描いたのは、設計上は歩ける近隣・公共空間中心の街並みが実現していても、その運営が住宅所有者組合(HOA)による私的な管理に委ねられており、外観規制や共益費をめぐる住民間の摩擦、企業による街の運営への強い関与といった、公共空間の「公共性」そのものを問い直させる現実だった。街並みのデザインは歩ける近隣の姿を取りながら、その空間を実際に統治する仕組みは私的で閉じたものだった、という指摘である。

6.2 理念と現実のずれをどう見るか

シーサイドとセレブレーションの経験から見えてくるのは、ニューアーバニズムが掲げる「歩ける近隣・公共空間中心の街区設計」という物理的な原則と、実際にその町でだれがどのように暮らし、だれが街を運営するかという社会的な現実との間には、別の次元のずれが生じうるということである。街並みの形を整えることと、街の使われ方や統治の仕組みを民主的で開かれたものにすることは、必ずしも同じ努力では達成されない。この点は、次節で扱う批判の中心的な論点の一つでもある。

6.3 模倣された原則と、選び取られなかった原則

シーサイドの評判の高さは、1990年代から2000年代にかけて、同種の街並みを掲げる開発をアメリカ各地に広げる一つのきっかけになったと理解されている。ただし、模倣の過程で選び取られたのは、多くの場合、ポーチ付きの住宅や中心広場といった見た目にわかりやすい意匠の部分であり、用途の混合や街路網の連続性、公共交通との接続といった、目に見えにくいが原則の中心にある要素は後回しにされやすかった、という指摘もある。意匠だけを取り出して「ニューアーバニズム風」を名乗る開発が増えたことは、次節で見る商品化批判の背景の一つになっている。

また、チャーターはゲーテッドコミュニティ(門と塀で囲い込まれた住宅地)を、街路の連続性を損ない公共空間を閉ざすものとして望ましくないと明記している。にもかかわらず、実際の市場では防犯や資産価値の維持を理由に門や塀を備えた開発が求められる場面があり、理念としての開放性と、販売上の要請との間に緊張関係が生じることがある、という指摘もある。この緊張は、街並みのデザインを整えるだけでは公共空間の開放性を保証できないことを示す、もう一つの例といえる。

二つの町の比較から得られるもう一つの示唆は、公共空間の質そのものは高く評価されながら、それが誰にとっての公共空間かという問いには十分に答えられていない、という点である。歩ける街並みと中心広場という物理的な条件が整っていても、その町に住むための費用や、住宅所有者組合の規約に従う負担を引き受けられる人だけがその公共空間を日常的に使えるのだとすれば、公共空間としての開放性は限定的なものにとどまる。この論点は、次節でニューアーバニズムへの学術的な批判を検討する際の出発点になる。

整えられた街並み私的な管理規約高い評価と代償
図6シーサイドとセレブレーションは原則を体現した街並みを実現したが、運営の私的な統制という代償も伴った。

7. 批判の検討——規範性・懐古主義・商品化、そして自動車依存批判としての妥当性

ニューアーバニズムに対する批判は、大きく三つの論点に整理できる。第一は、地理学者デイヴィッド・ハーヴェイが1997年の論考「The New Urbanism and the Communitarian Trap」で示した批判である。ハーヴェイは、ニューアーバニズムが街並みのデザインを整えることで「共同体」を回復できるかのように語る一方、所得格差や雇用の不安定さといった、コミュニティの分断を生む政治経済的な条件そのものには手を付けていないと指摘した。街並みを整えれば人と人のつながりが自動的に回復するという発想は、原因と結果を取り違えた「コミュニタリアンの罠」だという論旨である。

7.1 懐古主義と商品化への批判

第二の論点は、美学的な懐古主義と、その商品化への批判である。シーサイドやセレブレーションに見られるポーチ付きの住宅や中心広場といった意匠は、20世紀初頭のアメリカの小さな町を思わせる懐かしい外観を意図的に採用している。批判者は、これを歴史的な街並みの継承ではなく、過去の町のイメージを消費財として売り出す「ノスタルジアの商品化」だと見る。前節で見た住宅所有者組合による外観統制も、この懐古的な景観を維持するための私的な仕組みという側面がある。加えて、シーサイドやセレブレーションのような計画的市街地は住宅価格が相対的に高く、結果として所得層の幅が狭い、閉じたコミュニティになりやすいという指摘もなされてきた。

批判はデザイン思想や社会運営の水準にとどまらない。街路を狭く設計し交差点の見通しを意図的に絞るというニューアーバニズムの街路設計は、消防車の回転半径や緊急車両の通行速度を重視する従来の交通工学の技術基準としばしば緊張関係を生み、自治体側の基準の見直しを伴わなければ実現できないという実務上の障害も指摘されてきた。理念としての歩ける街路と、安全基準としての道路構造との調整は、ニューアーバニズムの実践において繰り返し交渉されてきた論点である。

7.2 規範性の強さへの批判と、その応答

第三の論点は、チャーターが街並みの形について詳細な基準を示すこと自体への批判である。トランセクトに基づくフォームベース・コードは、建物の高さや道路との距離、屋根の形状まで規定することがあり、批判者はこれを、多様であるべき都市の姿を単一の「望ましい形」へ画一化する規範的な押し付けだと見る。この批判に対し、都市計画学者エミリー・タレンは2005年の著作『New Urbanism and American Planning: The Conflict of Cultures』で、ニューアーバニズムが掲げる歩ける近隣・用途混合・公共交通指向といった経験的な主張の多くは、都市計画分野で以前から議論されてきた妥当な政策目標と重なっており、批判すべきは特定の様式や統治の仕組みへの過度な結び付けであって、原則そのものではないと論じた。

7.3 ハーヴェイの批判の背景

ハーヴェイの批判をより広い文脈に置くと、彼は都市空間を資本や労働の配置の結果として分析する政治経済学的な都市理論の代表的な論者であり、都市計画が空間の形だけを操作しても、そこに働く経済的な力を変えない限り、格差や排除の構造は温存されるという立場を一貫してとってきた。ニューアーバニズムへの批判も、この立場からの一つの適用例と見ることができる。つまりハーヴェイの主張は、ニューアーバニズム固有の欠陥を指摘したというより、街並みのデザインに社会問題の解決を期待する発想全般への、より広い懐疑を投げかけたものと理解するのが適切である。

この整理を踏まえると、ニューアーバニズムへの批判は二つの水準を区別して読む必要がある。一つは、懐古的な意匠や私的な管理という「様式・統治の水準」への批判であり、これは正当な指摘として受け止められる。もう一つは、歩ける範囲に用途を混ぜ合わせ公共空間を中心に据え公共交通を軸に据えるという「反スプロール・反自動車依存の原則の水準」であり、こちらは様式批判とは独立に、自動車に過度に依存しない都市を作るための考え方として今も参照される。本稿が磐田市の公園への示唆で用いるのは、後者の水準である。

懐古的な意匠私的な管理原則との区別
図7批判は懐古的な様式や私的な統治への疑問と、反自動車依存の原則そのものへの疑問を区別して読む必要がある。

8. 日本の既成市街地への読み替え——何が使え、何が使えないか

ニューアーバニズムを日本の都市に読み替えようとするとき、まず確認すべきは、この運動が主に対象としてきたのが、更地に近い状態から一つの開発事業者が一括して計画する郊外の新規開発だったという点である。シーサイドもセレブレーションも、一人の開発事業者が広い土地をまとめて取得し、単一の計画とコードのもとに街並みを作り上げた事例である。これに対し、日本の多くの都市の既成市街地は、無数の小さな地権者が長い年月をかけて少しずつ建て替えてきた、継ぎ接ぎ状の街並みである。単一の主体が街区全体を描き直せる場面は限られており、ニューアーバニズムの「マスタープラン型の新市街地」というモデルを、既存の住宅地にそのまま移植することはできない。

8.1 出発点の違い——作るべき場所と、守るべき場所

さらに重要なのは、出発点そのものの違いである。アメリカの郊外は、自動車の普及とともにゼロから作られた低密度な住宅地であり、ニューアーバニズムは、そこに欠けている歩ける街並みを新たに作り出そうとする運動だった。これに対し、日本の古くからの市街地は、自動車が普及する以前に、短い街区・細い街路・用途の混在という、ニューアーバニズムが理想として掲げる条件をすでに備えていた場所が少なくない。つまり日本の課題は、多くの場合「歩ける街並みをゼロから作る」ことではなく、「もともとあった歩ける街並みを、自動車中心の再開発や郊外化の圧力から守り、維持する」ことに近い。この出発点の違いを見誤ると、アメリカの郊外向けに組み立てられた処方箋を、性格の異なる日本の市街地にそのまま当てはめてしまう誤りが生じる。

8.2 制度としては部分的に重なる部分もある

この違いは優劣の話ではない。アメリカの郊外が抱えていた問題は、そもそも歩ける密度が存在しないという不在の問題であり、日本の既成市街地が抱えやすい問題は、すでにある歩ける密度が、道路の拡幅や郊外型の大型店舗の立地、空き地への駐車場化といった圧力によって少しずつ損なわれていくという、摩耗の問題である。不在への処方箋と、摩耗への処方箋は当然ながら異なる手立てを要求する。ニューアーバニズムの原則をそのまま輸入するのではなく、日本の課題の性質に合わせて読み替える必要があるというのは、この違いに由来する。

一方、原則の水準では重なる部分もある。都市計画法(昭和43年法律第100号)は1980年の改正で地区計画制度を導入し、街区ごとに道路の位置や建物の壁面線、用途の組み合わせを地区の実情に応じて定めることを可能にした。これはトランセクトに基づくフォームベース・コードと同様に、用途一辺倒ではなく街並みの形を規定の対象とする発想であり、制度の成り立ちは異なるが機能の一部は重なる。また、都市再生特別措置法の2014年改正で創設された立地適正化計画制度は、居住や都市機能を公共交通の沿線に緩やかに誘導する仕組みであり、狙いとしてはトランジット指向型開発と近い方向を向いている。ただし日本の制度は、更地への新規開発ではなく、既存の市街地を前提とした緩やかな誘導という形をとる点で、アメリカの実践とは適用の仕方が異なる。

8.3 街区の大きさという物差し

街区の大きさという物差しで比べても、出発点の違いは明らかである。ニューアーバニズムが批判の対象とした戦後アメリカの郊外住宅地は、幹線道路に囲まれた広大な街区の内部に行き止まりの道路が枝分かれする構成が多く、歩行者が最短距離で移動できる道が乏しい。これに対し、日本の古くからの市街地は、細かく分かれた敷地と、それに応じた狭い街路が積み重なって形成されており、街区一つ一つの規模はアメリカの郊外に比べて小さい場合が多い。ニューアーバニズムが「作ろう」としている短い街区と細かい街路網は、日本の既成市街地ではすでに歴史的な経緯の産物として存在していることになる。この違いを踏まえれば、日本の課題は街区を新たに刻み直すことではなく、すでにある細かな街区割りと歩行者中心の道を、広い道路への拡幅や大規模な区画整理によって失わないようにすることに近い。

公共空間を街区の中心に据えるという原則についても、部分的な重なりがある。日本の都市公園法施行令は、街区公園について面積0.25ヘクタール・誘致距離250メートルという目安を定めており、これは住宅地の中に歩いて行ける範囲で公共の緑地を配置するという考え方を、法制度としてすでに組み込んでいる。この誘致距離の発想は、ニューアーバニズムの近隣単位論と偶然にも近い規模感を持つが、由来はまったく異なる。前者は戦後日本の都市公園行政が独自に整えてきた基準であり、後者はアメリカの郊外開発への批判として生まれた運動である。両者を安易に同一視せず、規模の近さと成立の経緯の違いを分けて理解する必要がある。

街区の形を一体的に作り直す手法として、日本には区画整理事業もある。区画整理事業は、道路・公園・宅地の配置を一体で再編し、土地の交換分合によって新しい街区割りを作り出す点で、機能としてはニューアーバニズムのマスタープラン型開発に近い側面を持つ。ただし区画整理事業が広く用いられるのは主に市街化が進んでいない区域や災害復興の局面であり、すでに建物が密集し権利関係が安定した既成市街地全体に一律に適用できる手法ではない。この点でも、日本の既成市街地の大部分は、更地からの一括した作り直しではなく、地区計画のような部分的な規制の積み重ねによって、少しずつ街並みの質を調整していくほかない、という制約を確認しておく必要がある。

既存の街路網細かな区画守るべき街並み
図8日本の既成市街地は自動車以前から歩ける条件を備えている場合が多く、作るより守る発想が課題になりやすい。

9. 磐田市の公園への示唆

前節までの整理を踏まえ、本節では磐田市オープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドに基づき、ニューアーバニズムの視点を机上で読み替える。当サイトが収録する磐田市内の公園は100園であり、都市公園法の種別では街区公園51園・近隣公園14園・都市緑地10園・地区公園4園・総合公園3園・運動公園3園・風致公園3園・広場公園2園・緑道2園・墓園1園・歴史公園1園、法対象外が6園である。種別ごとの規模と誘致距離の目安は、都市公園法施行令・国土交通省の標準として次の通り示されている。

種別面積の目安誘致距離の目安
街区公園0.25ヘクタール250メートル
近隣公園2ヘクタール500メートル
地区公園4ヘクタール1キロメートル
総合公園・運動公園10〜75ヘクタール定めなし(都市規模に応じる)

この表の街区公園の誘致距離250メートルは、第2節で見たクラレンス・ペリーの近隣住区論が想定した徒歩4分の1マイル(約400メートル)と、由来はまったく異なりながら近い桁の数字である。両者を根拠づける理論は別物だが、「歩いて行ける範囲に一つ緑地を置く」という発想そのものは、日本の都市公園行政のなかにも制度として組み込まれてきたことがわかる。磐田市の51園という街区公園の数の多さは、この歩ける圏域の考え方が、少なくとも制度上は市内に広く行き渡っていることを示している。

9.1 地区ごとの公園の分布

磐田市は見付・中泉・御厨・豊田・南部・向陽・竜洋・福田・豊岡の9地区に分かれ、当サイトが収録する公園数は豊田28園・見付21園・中泉14園・御厨13園・竜洋13園・福田4園・豊岡3園・南部2園・向陽2園である。見付は磐田市の中心市街地にあたる地区であり、一ノ谷公園(2,458㎡)や一番町公園(2,550㎡)、富士見公園(3,202㎡)など、比較的小さな街区公園が21園分散して配置されている。これは、第8節で述べた「もともと歩ける密度で成り立っていた既成市街地」に、小さな公共空間が数多く埋め込まれている状態に近く、ニューアーバニズムが目指す「近隣ごとに歩ける範囲の公共空間を持つ」という理念型に、結果として近い分布を示している。

一方、南部2園・向陽2園のように、収録される公園数がごく少ない地区もある。この差は、地区ごとの人口規模や市街化の進み方の違いを反映していると考えられるが、当サイトのデータだけでは、それが街区公園を計画的に配置してきた結果なのか、市街地の形成過程で生じた偶然の分布なのかを判別することはできない。ニューアーバニズムの近隣単位論は、都市を新たに作る際に近隣ごとへ公共空間を計画的に配分する発想だが、磐田市のように長い年月をかけて市街地が形成されてきた都市では、公園の分布は単一の計画原理ではなく、複数の時代の土地利用の積み重ねとして読む必要があり、地区ごとの多寡を単純な計画の巧拙として評価することはできない。

9.2 用途混合に近い状況をもつ公園の例

個別の公園を見ると、見付の今之浦公園(近隣公園・13,675㎡)は、市の施設ガイドによれば今ノ浦川の東側に「屋根付広場、複合遊具、ふわふわ遊具、噴水広場、芝生広場、3歳未満児遊具」を持つ賑わいのゾーンと、西側に「健康遊具、じゃぶじゃぶスポット、流れ、芝生広場」を持つ憩いとふれあいのゾーンを併せ持つと記載されている。中心市街地に近い立地で複数の機能を一つの公園に併存させている点は、公共空間を単一機能の空地として扱うのではなく、多様な使い方が重なる場として設計するというニューアーバニズムの発想と重なる面がある。ただし、この公園が周辺の商業・住宅とどのように結びついているかは、施設ガイドの記載だけでは判断できず、今後の踏査課題である。

御厨の安久路公園(地区公園・32,001㎡)は、施設ガイドに「複合遊具(インクルーシブエリアあり)、ブランコ(インクルーシブアイテムあり)」とあり、当サイトが把握する限り市内で唯一インクルーシブの語が明記された園である。中泉の中央公園(地区公園・41,642㎡)は「多目的グラウンド1面」を含む複合的な施設構成をもつ。豊田地区に見られる磐田ららシティ公園(街区公園・4,097㎡)や磐田ららシティ西・東ポケットパーク(広場公園・362㎡、827㎡)のように、近年整備された市街地に小規模な公園が複数配置されている例もあるが、これらが街区設計の中でどのような位置づけを与えられているかは、施設ガイドの記載からは読み取れない範囲であり、断定は避ける。

9.3 自動車での到達を前提とする公園との併存

ニューアーバニズムが優先するのは徒歩・自転車での到達だが、磐田市の公園を見ると、自動車での到達を前提とした整備も広く行われている。当サイトが把握する範囲では、市の施設ガイドに「駐車場」の記載がある、または当サイトが有と判定した公園は33園ある。兎山公園(地区公園・御厨・56,193㎡)や福田公園(総合公園・福田・49,620㎡)のような、比較的広い誘致圏を持つ公園に駐車場が備わっていることは、広域から利用者を集める公園では自動車での来訪も想定されていることを示している。一方、街区公園のように徒歩圏の利用を主に想定する公園にも、豊田原新田公園や豊田加茂公園のように駐車場の記載がある例が見られ、徒歩圏の公園であっても自動車での来訪を排除しない設計になっていることがうかがえる。

これは、ニューアーバニズムが批判の対象とした自動車前提の空間利用と、歩ける圏域を単位とする発想とが、磐田市の公園では単純にどちらか一方ではなく併存していることを示しており、どちらを優先すべきかを一律に決めることはできない。地方都市では、公共交通の路線網が大都市圏ほど密ではなく、日常の移動の少なくとも一部を自動車に頼らざるを得ない世帯も多いと考えられ、徒歩圏の外から自動車で訪れる利用を頭ごなしに否定することは現実的ではない。公園ごとの立地や利用圏の広さに応じて、徒歩・自転車での到達と自動車での到達のどちらが実際に主な手段になっているかは、駐車場の有無という記載だけでは分からず、今後の踏査で確かめるべき論点である。

9.4 この読みの限界

誘致距離という考え方をめぐっては、もう一つ留保すべき点がある。都市公園法施行令の誘致距離は、あくまで公園の設置計画を立てる際の目安として定められたものであり、実際に住民がその距離をどう歩いているか、歩く途中に横断歩道や坂道、交通量の多い道路が挟まっているかどうかは、この目安からは分からない。ニューアーバニズムが繰り返し強調してきたのは、直線距離としての近さではなく、実際に歩いて心地よいと感じられる経路としての近さである。この二つの「近さ」の違いを踏まえたうえで、次の段落で本節全体の限界を確認する。

以上の整理は、いずれもオープンデータと施設ガイドという机上の資料に基づくものであり、実際の歩道の有無や幅、横断歩道の位置、公園までの経路に自動車の通行がどの程度あるかといった、歩ける近隣を左右する肝心の条件は確認できていない。誘致距離250メートルという直線距離の目安は、実際に歩く経路の距離や歩きやすさとは別物である。ニューアーバニズムが公共空間の位置づけとあわせて重視した街路網の連続性や歩道の質については、当サイトの現地踏査を経て初めて検討できる論点であり、本節で述べたことは、その入り口を示す机上の見取り図にとどまる。

公園の位置誘致距離の目安実際の歩行環境
図9誘致距離という制度上の目安は歩ける圏域の発想と重なるが、実際の歩きやすさは今後の踏査で確かめる必要がある。

10. 結論と今後の課題

本稿は、ニューアーバニズムを都市計画思想として整理し、公共空間の位置づけという観点からその意義と限界を検討した。ニューアーバニズムの意義は、公園や広場を街区計画の後回しにされる余白の緑地としてではなく、街の骨格を組み立てる起点として位置づけ直した点にある。歩ける近隣・用途の混合・公共空間を中心に据えた街区設計・トランジット指向型開発・トランセクトという一連の原則は、田園都市運動や近隣住区論、ジェイコブズの批判、ホワイトの観察といった先行する系譜を、実際の開発事業として実践可能な形にまとめ上げたものだった。

10.1 批判から見えた区別すべき二つの水準

一方で、シーサイドやセレブレーションの検討からは、街並みのデザインを整えることと、その空間を実際にどう運営し、だれに開かれたものにするかは、別の課題であることが明らかになった。ハーヴェイの批判が示したように、街並みの形を変えるだけで共同体が自動的に回復するわけではなく、懐古的な意匠や住宅所有者組合による私的な統制は、公共空間の公共性そのものを問い直す論点を残す。本稿は、この批判を、懐古的な様式や私的な統治への疑問と、反スプロール・反自動車依存という原則そのものへの疑問とに分けて読むべきだという立場をとった。後者は、様式への評価とは独立に、なお参照する価値のある考え方である。

10.2 日本の既成市街地への読み替えの要点

日本の既成市街地への読み替えについては、ニューアーバニズムが主に対象とした「更地への単一主体による新規開発」というモデルは、多数の地権者が少しずつ作り上げてきた日本の市街地にはそのまま当てはまらないこと、そして日本の古い市街地の多くは自動車の普及以前からすでに歩ける密度を備えていたため、課題は「歩ける街並みを新たに作る」ことよりも「もともとあった歩ける街並みを守り維持する」ことに近い場合が多いことを確認した。それでも、地区計画制度や立地適正化計画制度、そして都市公園法施行令が定める誘致距離の考え方には、用途一辺倒ではない街並みの規定や、歩ける圏域を単位とする発想との部分的な重なりが見出せる。

磐田市の公園データへの適用では、街区公園51園を含む100園の分布と、街区公園の誘致距離250メートルという制度上の目安が、近隣住区論の徒歩4分の1マイルという発想と規模の桁で重なることを確認した。見付地区に小規模な街区公園が21園分散する状況や、今之浦公園に見られる複数機能の併存は、ニューアーバニズムが理念として掲げる姿と重なる面を持つ一方、それが実際の歩行環境や街路網の連続性によって裏付けられているかどうかは、施設ガイドとオープンデータだけでは判断できない。

10.3 今後の課題

本稿を通じて確認できたのは、ニューアーバニズムという一つの学問的立場を経由することで、磐田市の公園データの読み方に新しい問いが加わるということである。誘致距離や公園の種別といった、これまで施設の充足度として読まれてきた数字を、街の骨格をどう組み立てるかという設計思想の観点から読み直すと、同じ100園のデータからでも異なる論点が浮かび上がる。この読み替えの作業そのものが、本稿の主要な成果である。

今後の課題は大きく三つある。第一に、当サイトの現地踏査を通じて、公園までの経路の歩道の有無・幅・横断歩道の位置・自動車交通量といった、歩ける圏域の実質を左右する条件を確認すること。第二に、9地区それぞれで、公園の規模と密度が周辺の用途構成(住宅・商業・農地)とどのように対応しているかを、踏査で得られる情報をもとに比較すること。第三に、ニューアーバニズムの批判的検討で得られた「様式の水準」と「原則の水準」の区別を踏まえ、磐田市の公園を語る際にも、見た目の印象と、実際にだれがどのように使い、だれが手入れをしているかという運営の水準とを、混同せずに記述していくことである。これらはいずれも、机上の整理では終わらない、現地に基づく検証を必要とする課題として残される。

本稿の結論を一文にまとめるなら、公共空間を街の骨格として位置づけるという視点そのものには一定の普遍性があるが、その視点を実現する具体的な手法(マスタープラン型の新規開発、住宅所有者組合による管理、更地を前提としたフォームベース・コード)は、アメリカの郊外という特定の条件のもとで組み立てられたものであり、条件の異なる日本の既成市街地に適用する際には、手法ではなく視点だけを取り出して読み替える必要がある、ということになる。

最後に、本稿の位置づけを改めて確認しておきたい。ニューアーバニズムは、あくまで数ある都市計画思想の一つであり、公園の価値を測るための唯一の物差しではない。本稿が示したのは、公共空間を「余白の緑地」ではなく「街の骨格」として捉え直すという視点が、遊具の充実度や利用者数とは別の角度から公園を語る手がかりになるということであり、この視点をもってしても、実際に歩いてみなければ確かめられないことは数多く残る。街並みの評価は、理念からの演繹だけでは完結せず、現地での観察との往復によって初めて具体性を持つ。この往復を、当サイトは今後の踏査を通じて積み重ねていく。

原則と批判の整理踏査での確認事項今後の比較検討
図10公共空間を街の骨格とみる視点の意義と限界を整理した。実際の歩行環境の検証は今後の踏査に委ねられる。

参考文献

  1. Peter Katz(1994)『The New Urbanism: Toward an Architecture of Community』(McGraw-Hill)
  2. Andrés Duany, Elizabeth Plater-Zyberk, Jeff Speck(2000)『Suburban Nation: The Rise of Sprawl and the Decline of the American Dream』(North Point Press)
  3. Peter Calthorpe(1993)『The Next American Metropolis: Ecology, Community, and the American Dream』(Princeton Architectural Press)
  4. Michael Leccese, Kathleen McCormick 編(2000)『Charter of the New Urbanism』(Congress for the New Urbanism、McGraw-Hill)
  5. エベネザー・ハワード(1902)『明日の田園都市』(Garden Cities of To-morrow。初版1898年『To-morrow: A Peaceful Path to Real Reform』、山形浩生訳、鹿島出版会、2016)
  6. Clarence Perry(1929)「The Neighborhood Unit」(Regional Survey of New York and Its Environs, Vol.7)
  7. ジェイン・ジェイコブズ(1961)『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010)
  8. William H. Whyte(1980)『The Social Life of Small Urban Spaces』(The Conservation Foundation)
  9. Andrew Ross(1999)『The Celebration Chronicles: Life, Liberty, and the Pursuit of Property Value in Disney's New Town』(Ballantine Books)
  10. David Harvey(1997)「The New Urbanism and the Communitarian Trap: On Design, Politics, and Urban Theory」(Harvard Design Magazine, No.1)
  11. Emily Talen(2005)『New Urbanism and American Planning: The Conflict of Cultures』(Routledge)
  12. 都市計画法(昭和43年法律第100号)・都市計画法施行令
  13. 都市再生特別措置法(平成14年法律第22号、平成26年改正で立地適正化計画制度を創設)
  14. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  15. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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