社会科学まちづくり論

住民が公園をつくるとき——参加のワークショップ手法と、つくったあとを継ぐ技術

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:まちづくり論 公開・更新 2026-08-17 本文 約25,424字 読了目安 46分

要旨

本稿は、住民が公園づくりに関わるときの「方法」と「その後」を、まちづくり論の視点から検討する。参加をめぐる議論には二つの層がある。ひとつは、参加が決定に届いているか、誰の声が代表されているかという正統性の問いである。もうひとつは、では具体的にどう場を組み立て、出てきた声をどう図面に変え、できあがった公園を誰がどう引き継ぐのかという、方法と持続の問いである。本稿は後者に集中する。参加の理念は、しばしば理念そのものではなく方法の失敗によって信用を失うからである。

方法は文献整理と概念整理、および公開されている制度の参照である。まず、日本で「まちづくり」という語が育ってきた経緯と、住民参加型の公園づくりが積み重ねてきた系譜を整理する。次に、ワークショップという作業型の集まりを、ハルプリンの「スコア」(進行の楽譜)とサノフのデザインゲーム、川喜田二郎のKJ法という三つの源流に分けて捉え直し、現地点検・カード法・配置ゲーム・模型・仮設という五つの道具の手順と向き不向きを具体的に述べる。さらに、子ども・高齢者・障害のある人・近隣の反対者を場に入れるための「出向く技術」を検討し、方法が失敗する七つの型を整理する。

後半では、つくったあとの局面を扱う。開園から一年、五年、十年、そして遊具の更新期にあたる十五年から二十五年へと、公園と担い手には別々の時計が流れる。住宅地の一斉開発では、利用者の世代交代・担い手の高齢化・施設の更新期が同時に訪れやすく、参加してつくった公園は参加した世代とともに老いる。本稿はこれを世代継承の設計問題として扱い、記録の様式、更新周期の分散、余白の確保、二周目の参加を起こす条件を論じる。

結論として、日本の参加型公園づくりが蓄積してきたのは主に「つくる」局面の道具であり、「継ぐ」局面の道具は乏しい。進行の楽譜と同じ精度で継承の楽譜を書くことが次の課題である。磐田市の100園(街区公園51園、都市緑地10園ほか)を対象に、種別と地区に応じて参加と継承の単位を変える必要を指摘し、踏査と経緯の確認を今後の課題として示す。

キーワードまちづくりワークショップKJ法住民参加型公園づくり維持管理世代継承公園愛護会

1. はじめに——問題の所在

公園は誰がつくるのか。制度としての答えははっきりしている。設置し管理するのは自治体であり、設計するのは設計者、工事をするのは施工業者、費用を負担するのは税である。都市公園法(昭和31年法律第79号)は、公園の設置と管理の責任者を定めており、その責任が住民に移ることはない。それにもかかわらず、1970年代以降の日本では、設計に取りかかる手前に「住民が案を出す場」が置かれることが増えてきた。模型に駒を並べ、地図に印をつけ、付箋を貼って話し合う。その場は「ワークショップ」と呼ばれ、いまでは公園の再整備の説明資料に、その開催回数が実績として記されることも珍しくない。

本稿が扱うのは、この場の中身である。ワークショップという言葉は広く知られたが、その内側でどのような手順が踏まれ、どの道具が何のために使われ、出てきたものがどのように図面へ変換されるのかは、外からは見えにくい。そして見えにくいがゆえに、参加は「開いたかどうか」だけで評価されがちである。方法の質を問わないまま回数だけが積み上がると、参加はやがて形式になり、住民の側も行政の側も疲れていく。

1.1 正統性の問いと、方法・持続の問い

参加をめぐる議論には、性格の異なる二つの層がある。第一の層は正統性の問いである。参加は本当に決定に届いているのか、誰の声が代表されているのか、参加した人としなかった人の間の不平等をどう考えるのか。これは政治学が引き受けてきた問いであり、アーンスタインの「市民参加のはしご」(1969)に代表される段階論や、熟議民主主義の理論が扱ってきた領域である。当サイトでは別稿がこの層を扱う。

第二の層が、本稿の対象である方法と持続の問いである。すなわち、では具体的にどう場を組み立てるのか。誰にどう声をかけ、何分の作業を何回重ね、出てきた言葉をどうやって図面の線に変えるのか。そして、できあがった公園を、その後の二十年、三十年にわたって誰がどう引き継ぐのか。まちづくり論は、都市計画の技術と住民の生活のあいだに立って、この実務の層を積み上げてきた分野である。田村明が『まちづくりの発想』(1987)で示したように、まちづくりは制度の外側から始まりながら、制度と噛み合わなければ形にならない。噛み合わせる仕事の大半は、理念ではなく段取りである。

問いの設定現場を見る記録に残す
図1本稿が扱うのは「参加は正しいか」ではなく「どうやるか」と「そのあとどう継ぐか」である。現場を見て、決めて、記録に残す一連の段取りを検討する。

1.2 本稿の問い

以上をふまえ、本稿は次の三つを問う。第一に、日本の住民参加型公園づくりは、どのような方法を蓄積してきたのか。第二に、その方法はどこで失敗するのか。第三に、参加によってつくられた公園は、誰がどのように引き継ぐのか。とりわけ第三の問いには、これまで正面から論じられてこなかった難所がある。住民が力を合わせてつくった公園は、その住民たちとともに年を取る。子どもは成長して公園を離れ、担い手は高齢化し、遊具は更新期を迎える。三つの時計が同じ方向へ進んだとき、公園は「思い出のある、使われていない場所」になりかねない。

  • 問い1: 住民参加型公園づくりの方法は何を蓄積してきたか(第2節・第3節・第4節)
  • 問い2: その方法はどこで、どのように失敗するか(第5節・第6節)
  • 問い3: つくった公園を誰がどう継ぐか(第7節・第8節)

方法は文献整理と概念整理、および公開されている法令・省庁指針・自治体の公開資料の参照である。現地の踏査に基づく報告ではない。当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園を収録するデータベースであり、現地の踏査はこれから始まる段階にある。したがって本稿の第9節では、公開情報の範囲で磐田市の公園の構成を読み、参加と継承の設計にどのような示唆があるかを述べるにとどめ、確かめるべきことは課題として明示する。

1.3 構成

第2節では「まちづくり」という語の来歴と、住民参加型公園づくりの系譜を年表として整理する。第3節はワークショップという方法を三つの源流に分けて捉え直し、進行の設計を七つの局面として示す。第4節は現地点検・カード法・配置ゲーム・模型・仮設という五つの道具を、手順と向き不向きの水準まで下ろして比較する。第5節は「集める」から「出向く」への転換として、子ども・高齢者・障害のある人・近隣の反対者を場に入れる技術を扱う。第6節は方法が失敗する七つの型とその手当てを整理する。第7節は開園後の維持の実務を、時間の経過に沿って局面ごとに述べる。第8節は本稿の核心である世代継承の設計問題を論じる。第9節で磐田市への示唆を述べ、第10節で結論と今後の課題を示す。

註:本稿は参加の正統性(代表性・平等・決定権)を主題としない。その論点は政治学の稿に譲り、本稿は方法と継承に集中する。両者は補い合う関係にあり、どちらか一方だけでは公園づくりの実態を捉えきれない。

2. 「まちづくり」という語と、参加型公園づくりの系譜

「まちづくり」は、平仮名で書かれることに意味のある語である。漢字の「都市計画」が、法律に根拠を持ち、行政と専門技術者が担う制度の名であるのに対し、平仮名の「まちづくり」は、そこに住む人の側から生活環境を整えていく営み全体を指す語として使われてきた。土地利用の規制も、道路の拡幅も、清掃も、祭りも、公園の草刈りも、この語の下に入る。境界が曖昧であることは学術用語としては弱点だが、実務の言葉としては強みでもあった。制度の区分をまたいで人を集めることができるからである。

2.1 語の来歴と、制度の側の受け皿

この語が広く使われるようになったのは、1960年代から70年代にかけての住民運動を通じてであるとされる。高度経済成長期の急速な市街化は、日照や騒音、公害、生活道路への通過交通といった問題を各地に生み、住民は「反対」の運動から始めて、やがて「ではどうするか」を自ら提案する段階へ進んだ。田村明の一連の著作は、行政の内側にいた実務家の視点からこの動きを言語化し、まちづくりという語の普及に寄与した。延藤安弘のように、住まい手が集まって住宅をつくる協同の実践から出発して、その方法を地域全体へ広げていった論者もいる。

制度の側にも、住民の意見を受け止める仕組みが順次つくられていった。1968年の都市計画法は、都市計画の案について公聴会の開催、案の縦覧、意見書の提出という手続を定めた。1980年の同法改正で創設された地区計画制度は、街区単位の細かなルールを都市計画として定める仕組みであり、住民の意向を反映させる手続が組み込まれている。さらに1990年代以降、多くの自治体が独自のまちづくり条例を制定し、住民が組織する協議会を認定して活動を支援する仕組みを設けた。国のレベルでは、2005年の行政手続法改正により意見公募手続(パブリックコメント)が法制化され、行政の案に対して誰でも意見を述べる回路が整えられた。

制度の年表住まいの側協議の場公園という形
図2住民運動から始まった営みが、地区計画やまちづくり条例という制度の受け皿を得て、公園という具体的な形に結ばれてきた流れを示す。

2.2 公園に固有の系譜——標準設計への批判から

公園には、この一般的な流れとは別に、公園固有の系譜がある。高度経済成長期、住宅地の造成にともなって街区公園(当時の呼称は児童公園)が大量に整備された。限られた予算と人員で数を確保するには標準的な設計が有効であり、その結果、全国に同じ構成の公園が広がった。ブランコ・滑り台・砂場を並べ、周囲を柵で囲み、隅にベンチを置く。この構成は、遊具を置けば遊び場になるという前提の上に立っていた。

1970年代に入ると、この前提そのものへの批判が現れる。子どもは与えられた遊具の決まった使い方をなぞるだけではなく、地形や素材に働きかけて遊びをつくる。ならば、完成された遊具よりも、土や水や木や道具のある場のほうが遊びは豊かになるのではないか。デンマークでは1943年に、造園家C.Th.セーレンセンの発案により、廃材を使って子どもが自由に遊ぶ「廃材遊び場」がコペンハーゲン近郊のエンドラップに開かれた。この考え方は英国のレディ・アレン・オブ・ハートウッドによって広められ、その著作は『都市の遊び場』として1973年に日本語に訳された。日本では1979年に東京都世田谷区の羽根木公園に常設の冒険遊び場(プレーパーク)が開かれ、以後、住民が運営に関わる遊び場の形が各地に広がったとされる。

この系譜が公園づくりの方法にもたらした含意は大きい。第一に、公園は「完成品を引き渡す施設」ではなく「使われながら形を変える場」でありうるという発想である。第二に、その変化を担うのは行政ではなく使い手であり、したがって使い手が計画の段階から関わる理由が生じる。第三に、公園の質は遊具の点数ではなく、そこで起きる行為の幅で測られるという評価軸である。住民参加型の公園づくりが1980年代以降に広がった背景には、こうした評価軸の転換があった。

2.3 年表——参加型公園づくりの節目

できごと公園づくりへの含意
1943コペンハーゲン近郊エンドラップに廃材遊び場(セーレンセンの発案)遊具ではなく素材と道具を置くという発想の起点
1956都市公園法(昭和31年法律第79号)制定設置管理者としての自治体の責任が明確になる
1961ジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』計画者の図面より使い手の観察を重んじる視点
1968都市計画法(新法)——公聴会・縦覧・意見書住民が意見を述べる法定の回路ができる
1969・1974ハルプリンのRSVPサイクル、テイキング・パートワークショップの進行を「楽譜」として設計する方法
1973レディ・アレンの著作が『都市の遊び場』として邦訳冒険遊び場の考え方が日本に紹介される
1979世田谷区羽根木公園に常設の冒険遊び場住民が運営に関わる遊び場の形が定着していく
1980都市計画法改正——地区計画制度の創設街区の単位で住民の意向をルール化できるようになる
2005行政手続法改正——意見公募手続の法制化案に対して誰でも意見を述べる回路が整う
2017都市公園法改正——協議会・公募設置管理制度運営段階に多様な主体が関わる制度的枠組みが広がる

2.4 動機のずれ——なぜ参加が求められたか

系譜を追うと、参加が求められた動機が一様でないことに気づく。行政の側には少なくとも三つの動機があった。第一に、紛争の回避である。公園の新設や改修は、騒音・ボール遊び・たまり場・落ち葉といった近隣との摩擦を伴いやすく、事後に苦情が出るより事前に話し合ったほうが手戻りが小さい。第二に、利用実態の把握である。誰がどの時間帯にどう使っているかは、図面や統計からは見えない。第三に、維持管理の担い手の確保である。財政の制約が強まるなかで、清掃や除草を担う住民組織の存在は現実的な意味を持つ。

他方、住民の側の動機は、自分たちが使いたい形にしたいという素朴な欲求であり、また、決められる前に知りたいという要求であり、さらに、その過程を通じて近所に顔見知りができることへの期待でもある。両者の動機は重なる部分もあるが、同じではない。行政が担い手の確保を主たる目的として参加の場を開き、住民が形を決められると期待して来たとき、話が食い違うのは当然である。この「動機のずれ」を、場を開く前に言葉にして共有しておくことが、後の節で述べる枠の設計の出発点になる。

3. ワークショップという方法——三つの源流と進行の設計

ワークショップという言葉は、いまでは研修から商品開発まで幅広く使われるが、まちづくりの文脈では比較的はっきりした意味を持つ。参加者が説明を聞くのではなく、手を動かして共同で案をつくる、作業型の集まりである。説明会との違いは、成果物が出席者の頭の中ではなく机の上に残ることにある。話し合いの結果が地図や模型や一覧表として形になり、次の回の出発点になる。本節では、この方法の源流を三つに分けて捉え直し、そこから進行の設計原理を取り出す。

3.1 第一の源流——ハルプリンの「スコア」

ひとつめの源流は、造園家ローレンス・ハルプリンの仕事である。ハルプリンは『The RSVP Cycles』(1969)で、創造の過程を四つの要素——資源(Resources)、スコア(Score)、評価(Valuaction)、実行(Performance)——の循環として記述した。ここで鍵になるのがスコアという概念である。スコアとは音楽の楽譜にあたるもので、参加者が何を、どの順で、どれだけの時間、どのように行うかを書き記した進行の設計図を指す。ハルプリンは妻である舞踊家アンナ・ハルプリンの実践から着想を得たとされ、続く『Taking Part』(1974、ジム・バーンズとの共著)では、住民が街を歩き、感じたことを持ち寄り、共同で案を練る一連の作業を、スコアとして具体的に示した。

スコアという発想が実務にもたらす価値は、進行を属人的な勘から切り離せる点にある。優れた進行役の頭の中にしかない段取りは再現できないが、書かれたスコアは他人が読んで実行でき、批評でき、改訂できる。誰が何分話し、どの時点で小グループに分かれ、どの成果物を持ち帰るのかを事前に書くことは、参加を偶然の産物にしないための技術である。同時にスコアは、参加者に対して「この場では何が決められ、何が決められないか」を暗黙のうちに伝える。時間配分と作業の指定は、それ自体が枠の宣言なのである。

3.2 第二の源流——サノフのデザインゲーム

ふたつめの源流は、建築家・研究者ヘンリー・サノフによる参加手法の体系化である。サノフは『Design Games』(1979)や『Community Participation Methods in Design and Planning』(2000)で、設計への参加を「ゲーム」の形式に翻訳する方法を数多く提示した。駒を盤に置く、限られた点数を項目に配る、写真の束から好みのものを選ぶ——いずれも、専門的な図面を読めない人が、制約のある選択を体感しながら意思を表明できるように設計されている。

ゲームという形式が重要なのは、それが「制約」を内蔵している点である。自由に希望を述べる場では、遊具も広場も木陰もトイレも駐車場も、すべてがほしいという結論になりやすい。しかし面積と予算は有限である。持ち点を配る形式にすれば、参加者は自分の中で優先順位をつけざるを得ず、その過程そのものが対話を生む。制約を先に見せるか後に見せるかは、参加の設計における最も実務的な判断のひとつであり、サノフの手法群はこれを形式の側から解決した。

見て集める話して出す並べてまとめる順に進める
図3ワークショップの骨格は、見て集める・話して出す・並べてまとめる・順に進めるの四つ。どの局面に何分を割くかを書いたものが進行の楽譜である。

3.3 第三の源流——川喜田二郎のKJ法

みっつめの源流は日本にある。文化人類学者の川喜田二郎が『発想法』(1967)と『続・発想法』(1970)で示したKJ法である。KJ法は、現地で得た雑多な情報を一件一枚のカードに書き、内容の近いものを寄せてグループをつくり、グループに表札をつけ、関係を図解し、最後に文章化するという手順を踏む。もともとは野外調査のデータを整理し、そこから仮説を発想するための技法であった。

この技法が日本のまちづくりの現場に定着したのには理由がある。第一に、道具が紙とペンだけで済み、費用がかからない。第二に、発言力の差を平準化する。声の小さい人も、カードに書けば同じ一枚として卓上に載る。第三に、断片から全体像を組み立てる過程が可視化され、参加者が納得しやすい。木下勇『ワークショップ』(2007)をはじめとする日本の方法論の文献は、ハルプリン由来の進行設計とサノフ由来のゲーム形式に、このKJ法という整理技法を組み合わせた形で体系を示してきた。

註:KJ法は本来「発想」と「統合」のための技法であり、集団の意思決定手続ではない。カードを並べて図解ができても、それは案の材料が整理されたということであって、合意が成立したことを意味しない。この混同は第6節で失敗の型として扱う。

3.4 進行の設計——七つの局面

三つの源流をふまえると、公園づくりのワークショップは、次の七つの局面として設計できる。各局面には固有の目的と成果物があり、混ぜると失敗する。

  • 第一局面「枠を決める」——予算・面積・法令上の制約・工期・決められる範囲を、主催者が先に文書にする。ここで曖昧さを残すと、後のすべての局面が不安定になる。
  • 第二局面「呼びかける」——誰に、どの経路で声をかけるか。回覧板だけでは届かない層があることを前提に、経路を複数用意する(第5節)。
  • 第三局面「調べる」——現地を歩き、使われ方を見て、写真と地図に落とす。ここで得た素材が以後の議論の共通の土台になる。
  • 第四局面「出す」——カードやスケッチで案と困りごとを大量に出す。この段階では評価をしない。
  • 第五局面「まとめる」——出たものを分類し、対立点を明示し、選択肢を数案に絞る。合意ではなく整理が目的である。
  • 第六局面「決める」——絞った案から選ぶ。誰が決めるのか(会の推薦か、行政の決定か)を事前の枠に従って明示する。
  • 第七局面「つくる・つかう・つなぐ」——工事、開園、そして運営と記録の引き継ぎ。ここが本稿後半の主題である。

この七局面のうち、日本の実務でしばしば省かれるのが第一と第七である。第一局面を省くと、参加者は決められないことに時間を費やし、後で落胆する。第七局面を省くと、開園式が終着点になり、その後の二十年が誰の設計対象でもなくなる。第四節以降では、まず第三から第五局面で用いる道具を具体的に検討し、第七節と第八節で第七局面を正面から論じる。

4. 道具の中身——五つの手法とその向き不向き

本節は、参加型の公園づくりで実際に使われてきた道具を、手順の水準まで下ろして検討する。手法の名前を並べるだけでは実務の役に立たない。それぞれの道具がどの局面に向き、何を得られ、どこでつまずくのかを見分けられて初めて、進行の楽譜は書ける。ここでは五つを取り上げる。

4.1 現地点検・まちあるき

最も基本的で、最も省かれやすいのが現地に立つ作業である。手順は単純である。参加者を数人ずつの班に分け、大きめの白地図と筆記具と撮影機器を持たせ、決めた経路を歩き、気づいたことをその場で地図に書き込み、帰って各班が発表する。公園の中だけでなく、家から公園までの経路を歩くことに意味がある。横断のしにくい交差点、見通しの悪い角、路上駐車の多い区間といった、公園の外にある使いにくさが浮かび上がるからである。

この作業の価値は、議論の土台を共通化する点にある。会議室で「あの公園は暗い」と言われても、誰の言う暗さかは分からない。同じ時間に同じ場所を歩けば、樹木が茂って足元が見えないのか、照明が届かないのか、隣接建物の壁で視線が切れているのかが具体化する。ジェイコブズが『アメリカ大都市の死と生』(1961)で計画者の図面より街路の観察を重んじたこと、ホワイトが小さな広場の使われ方を観察から記述したことは、いずれも同じ発想に立つ。注意点は、歩く時刻を変えて複数回行うことである。平日の午前と、学校が終わったあとの夕方では、同じ公園がまったく違う場所として現れる。

4.2 カード法(KJ法の応用)

現地で集めた気づきを整理する段階で用いるのがカード法である。実務上の要点は三つある。第一に「一枚一件」。ひとつのカードにひとつの事実または要望だけを書く。二つ書かれたカードは分類のときに必ず割れる。第二に「文で書く」。単語だけのカードは、書いた本人以外には意味が復元できない。「ベンチ」ではなく「日陰にベンチがなく、夏は座る場所がない」と書けば、後から読んでも判断ができる。第三に「事実と要望を分けて色を変える」。観察された事実と、そこから導かれた希望は性質が違うのに、同じ紙に混ざると議論が混乱する。

カードを寄せてグループをつくり、表札をつける段階では、分類の枠を先に与えないことが重要である。「安全」「遊具」「景観」といった既成の枠を先に置くと、カードはその枠に押し込まれ、枠に収まらない気づきが捨てられる。川喜田の手順が、まず似たものを寄せ、寄せた結果から表札を考える順序を取っているのはこのためである。整理の結果は、模造紙に貼って写真に残し、次回の冒頭で確認する。この確認の一手間が、参加者に「自分の一枚が残っている」ことを伝え、継続参加を支える。

4.3 デザインゲーム——配置と配分

案を具体化する段階では、サノフ由来のゲーム形式が有効である。実務でよく使われるのは二種類である。ひとつは配置ゲームで、縮尺を合わせた敷地図の上に、遊具・ベンチ・樹木・広場・トイレを表す駒を実寸の割合で切り抜き、班ごとに置いていく。駒の大きさが実寸に対応していることが肝心である。滑り台の駒を置くと、安全のために周囲へ確保すべき空間の広さが体感され、詰め込めないことが自然に理解される。国土交通省の遊具の安全確保に関する指針や、日本公園施設業協会が示す規準には、遊具の周囲に確保する空間の考え方が示されており、駒の寸法をこれに合わせておくと、後の設計との齟齬が小さくなる。

もうひとつは配分ゲームである。参加者に同じ枚数のシールや持ち点を配り、項目に貼らせる。全員が同じ点数を持つため、声の大きさは点に反映されない。ここでも設計上の判断がある。項目を「遊具」「トイレ」「木陰」といった大分類にすると総花的な結果になり、「幼児が遊べる小さな滑り台」「夏に日陰になる高木を三本」といった具体度まで下ろすと選択が真剣になる。ただし配分の結果は優先順位の目安であって決定ではない。第6節で述べるように、これを決定と取り違えると、少数の切実な必要が数の下に埋もれる。

歩いて地図一枚一件積み上げ優先を選ぶ
図4現地で地図に落とし、一枚一件のカードに書き、寄せて積み上げ、限られた持ち点で優先を選ぶ。道具はこの順に重ねると噛み合う。

4.4 模型・断面・視線の図

平面図は専門的な訓練を受けていない人には読みにくい。そこで、縮尺のある簡易模型や、断面の図が用いられる。模型の効用は、高さと見通しが同時に分かることにある。植栽が育ったときの高さ、築山の陰、遊具の上から見える範囲は、平面では表現できない。犯罪防止の観点から論じられる見通しの確保も、断面と視線の図で示すほうが理解が早い。

実務では、模型を高価で精密なものにしない工夫が要る。発泡素材と厚紙で足りる。むしろ、参加者が手で動かせること、壊しても惜しくないことのほうが重要である。精密な模型は「完成予想図」として受け取られ、議論を止めてしまう。あわせて、日陰の位置を季節と時刻で描いた図、音の届く範囲を示した図など、目に見えない条件を可視化する図は、賛否の分かれる論点で共通の土台をつくる。

4.5 仮設と社会実験

図面と模型で決めきれない論点は、仮に置いて試すという方法がある。仮設のベンチを一夏だけ置いてみる、既存の広場の一角に期間を限って砂を入れてみる、休日だけ一部の使い方を変えてみる——いずれも、恒久的な工事の前に実地で確かめる手続である。この考え方は、小さく速く仮設的に手を入れ、結果を見て本設へ進めるタクティカル・アーバニズムとして体系化されている(リドン/ガルシア、2015)。

公園における仮設の利点は三つある。第一に、賛否が分かれる論点で、想像ではなく経験に基づく判断ができる。第二に、失敗しても撤去できるため、決断の心理的な負荷が下がる。第三に、仮設の期間そのものが広報になり、関心のなかった住民が当事者として現れる。留意点は、仮設物であっても安全上の配慮と管理者の責任は変わらないこと、そして期間と撤去の条件をあらかじめ示しておくことである。「試行である」と明示されていない仮設は、既成事実として受け取られ、かえって不信を招く。

4.6 五つの道具の比較

道具向く局面得られるものつまずきどころ
現地点検・まちあるき調べる共通の事実、公園の外の課題一度きり・同じ時刻だけで済ませる
カード法(KJ法)出す・まとめる発言力の平準化、断片からの全体像分類の枠を先に与える/単語だけのカード
配置ゲーム出す・まとめる面積と安全空間の体感、案の具体化駒の寸法が実寸に対応していない
配分ゲームまとめる優先順位の目安、声の大きさの中和結果を決定と取り違える
模型・断面図まとめる・決める高さ・見通し・日陰の理解精密すぎて完成予想図と見なされる
仮設・社会実験決める・つくる経験に基づく判断、関心の拡大試行と明示せず既成事実になる

表から読み取れるのは、道具に優劣があるのではなく、局面との対応があるということである。調べる局面に配分ゲームを持ち込めば、何も知らないまま点を配ることになり、まとめる局面でまちあるきを始めれば話は発散する。進行の楽譜を書くとは、この対応表を自分たちの条件に合わせて具体化する作業にほかならない。

5. だれを場に入れるか——「集める」から「出向く」へ

参加の場に誰が来るかは、方法の巧拙によって大きく変わる。公民館の夜間に二時間の会議を設定すれば、来られるのは夜に外出できる人であり、乳幼児を寝かしつける時間帯の親や、夜間の移動が難しい高齢者は最初から外れる。この偏りは、参加意欲の差ではなく、場の設計の帰結である。本節は、参加者を「集める」発想から、必要な人のいる場所へ「出向く」発想への転換として、実務の技術を整理する。なお、こうした偏りが決定の正統性にどう影響するかという規範的な問いは政治学の稿に譲り、ここでは対処の技術に絞る。

5.1 子ども——言葉ではなく行動から読む

公園の主たる使い手である子どもをどう場に入れるかは、参加型公園づくりの中心的な課題であり続けてきた。実務でよく用いられるのは、絵を描いてもらう、粘土や積み木で自分の遊び場をつくってもらう、写真の中から好きな場面を選んでもらう、といった手法である。いずれも、言葉での表現力に依存しない点に利点がある。年少の子どもには、地図の代わりに大きな航空写真を床に広げ、その上を歩きながらシールを貼らせる方法が使われることもある。

しかし、子どもの意見を聞くうえで最も情報量が多いのは、聞くことではなく見ることである。子どもに「何がほしいか」と尋ねれば、既知の遊具の名前が返ってくることが多い。知らないものは要望として出せないからである。一方、実際の遊びを観察すると、遊具ではない場所——斜面、縁石、水たまり、植え込みの隙間、階段の三段目——が濃密に使われていることが見える。斜面を転がっている事実は「滑り台がほしい」という発言よりも、その場所に求められている行為を正確に示している。生態心理学が環境の提供する行為の可能性として論じてきた視点は、ここで実務の道具になる。

回路の設計も重要である。休日の会議に子どもを連れてくることを求めるより、学校や園、学童保育、子ども会といった、子どもがすでに集まっている場に出向くほうが確実である。常設の冒険遊び場のように、遊びの現場に大人がいる仕組みがあれば、日常のなかで継続的に声を拾える。ただし、子どもの参加には固有の注意もある。子どもは大人の期待を読み取って答えを合わせやすく、その場の年長の子の意見に引きずられやすい。少人数に分けること、選択肢を示すのではなく白紙から描かせること、同じ問いを別の日に繰り返すことが、この偏りをいくらか和らげる。

子ども年配の人移動の制約出向いて聞く
図5会議室に来られる人だけで決めない。子ども・年配の人・移動に制約のある人が、すでにいる場所へ出向いて聞く設計が要る。

5.2 高齢者・障害のある人・乳幼児連れ

高齢者については、既存の集まりに出向くのが最も効率がよい。地域の集会、体操の会、サロン、老人クラブといった場に短時間の枠をもらい、大きな図と少ない項目で意見を聞く。文字は大きく、記入は最小限にし、話し言葉で聞き取って記録係が書く。座って話せることは前提条件であり、立ち話の形式は最初から一部の人を排除する。公園の健康器具や散歩の経路、休憩場所、トイレの位置といった論点は、この層からしか出てこない具体性を持つ。

障害のある人や、ベビーカーを使う人の参加では、会議での発言よりも、経路をともに歩くことが有効である。段差の高さ、路面の粗さ、坂の勾配、扉の重さ、通路の幅は、体験しなければ数値としての意味が伝わらない。実務では、当事者と設計者が同じ経路を移動し、止まった地点を地図に印すという単純な方法が用いられる。止まった地点の数と場所が、そのまま改善の優先順位になる。付言すれば、この調査は開園後にも繰り返す価値がある。樹木が育ち、舗装が傷み、設備が更新されるにつれて、通れた経路が通れなくなることがあるからである。

5.3 近隣の反対者——反対は情報である

公園づくりの実務で扱いが難しいのは、賛成者ではなく隣接する住民の懸念である。子どもの声、ボールの飛び込み、夜間のたまり場、落ち葉、砂ぼこり、駐車、防犯灯の明かり——これらは公園に隣接する敷地に集中して現れる負担であり、公園の便益が広く薄く及ぶのに対して、負担は狭く濃く落ちる。この非対称は制度上の欠陥ではなく、空間の性質である。

実務上の要点は、反対を封じ込める対象ではなく、情報として扱うことである。反対の言葉は、たいてい具体的な時刻・方向・種類を伴っている。夕方の特定の方角から飛び込むボール、夜間の特定の一角に集まる声。これらは、樹木の配置、柵の高さ、照明の向き、開口部の位置といった設計上の変数で相当程度応答できる。応答できないもの——公園がそこにあること自体——については、正直にそう伝えるほかない。多くの現場で不信が生じるのは、応答できないことを曖昧なまま持ち帰り、回答しないまま工事が始まるからである。

順序にも技術がある。全体の会に出す前に、隣接する住民を個別に訪ねて事情を聞いておく。全体の場で初めて懸念を述べさせると、反対者という役回りが固定し、その後の関係が硬直する。先に個別に聞いておけば、全体の場では「すでに聞いている懸念」として扱え、当人も一方的な批判者の位置に立たずに済む。

5.4 通りすがりの利用者と、返し方の設計

会に来ない大多数の利用者から声を拾う方法として、公園の中で行う短時間の聞き取りがある。掲示板に大きな図を貼り、通りかかった人に一枚のシールを貼ってもらう、あるいは一問だけ答えてもらう。数分で終わる形式であれば、子どもを遊ばせている親も参加できる。ここで得られるのは深い議論ではないが、会に集まった人の意見が全体からどれくらいずれているかを測る手がかりになる。

そして、集めた以上は返さなければならない。回覧、掲示、園や学校を通じたたより、市の広報——経路は複数あるが、共通して必要なのは「出た意見」「採否」「採らなかった理由」の三点を並べて示すことである。採用されなかった意見が理由なく消えると、次の機会に人は来ない。逆に、採らなかった理由が明示されていれば、たとえ結論に不満でも、場に対する信頼は残る。返し方の設計は、集め方の設計と同じ重みを持つ実務である。

6. 方法の限界——参加が壊れる七つの型

道具が揃っていても、参加はしばしば壊れる。壊れ方には型がある。本節では、日本の参加型まちづくりの実務で繰り返し指摘されてきた失敗を七つに整理し、それぞれの兆候と手当てを述べる。ここで扱うのは、参加が原理的に不可能だという議論ではなく、方法の設計によって回避しうる失敗である。回避しうるがゆえに、放置されたときの損害は大きい。一度失望した住民は、次の呼びかけに応じないからである。

6.1 手法の目的化と、枠の不在

第一の型は「手法の目的化」である。ワークショップを開いたこと自体が成果として報告され、そこで何が決まり、何が図面に反映されたかが問われなくなる。兆候ははっきりしている。開催回数と参加人数は記録されているのに、出た意見と設計変更の対応表がない。手当ては単純で、毎回の記録に「この回で決まったこと」「持ち越したこと」「決められないと判明したこと」の三欄を設けることである。三欄が空のまま数回続けば、その場は目的を失っている。

第二の型は「枠の不在」である。第3節で述べた第一局面を省いた場合に起きる。予算の上限、面積、法令上の制約、工期、そして決定権の所在を示さないまま議論を始めると、参加者は実現不可能な案に時間を注ぎ、後から制約が示されて落胆する。落胆は単なる感情ではなく、次の参加の意思を確実に削る。手当ては、制約を最初に、しかも否定形ではなく条件として示すことである。「これはできません」と並べるのではなく、「使える面積はこの範囲、費用はこの規模、工事は来年度の後半、決めるのは市であり、この会は案を推薦する立場」と、事実として示す。

6.2 発想と合意の混同

第三の型は「発想と合意の混同」である。第3節の註で述べたとおり、KJ法は発想と統合の技法であって、意思決定の手続ではない。カードを寄せて図解ができた状態は、材料が整理されたということであり、参加者がその内容に同意したことを意味しない。にもかかわらず、模造紙の図解がそのまま「住民の総意」として次の会議に持ち込まれることがある。同様に、シールを貼る配分ゲームの結果も優先順位の目安であって、多数決ではない。切実だが少数の必要——たとえば車いすで入れる入口や、乳幼児が安全に過ごせる区画——は、票数では上位に来ないことが多い。

手当ては、整理の成果物と決定の文書を物理的に分けることである。図解や集計は「材料」として保存し、決定は別に、誰が・いつ・何を根拠に決めたかを記した短い文書として残す。この分離は、後年に経緯を読み返すときにも効いてくる。材料と決定が混ざった記録からは、なぜそう決まったのかを復元できない。

形だけの場時間切れ届かない案理由が不明
図6参加が壊れる典型——場を開くこと自体が目的化し、時間切れで結論を急ぎ、案が決定に届かず、後年に理由が分からなくなる。

6.3 属人性・記録の欠落・疲弊

第四の型は「属人性」である。優れた進行役や熱意ある担当職員がいる間だけ場が回り、その人が異動または引退すると同時に消える。まちづくりの現場では珍しくない光景である。ハルプリンのスコアという概念が実務的に重要なのは、まさにこの点においてである。進行の設計を書き残せば、次の担当者が読んで再現できる。地域の側でも、進行を担える人を複数育てること、外部の進行役に依頼する場合でも記録と手順を地域に残す契約とすることが手当てになる。

第五の型は「記録の欠落」である。合意された結論だけが残り、その結論に至った経緯——検討された別案、却下の理由、隣接住民との調整の内容——が残らない。開園から十年後、遊具の更新や運用の見直しを検討するとき、経緯を知らない担当者と住民が、同じ議論を最初からやり直すことになる。あるいは、理由の分からない制約だけが看板として残り、見直すことも守ることもできない状態になる。この問題は第7節で改めて扱う。

第六の型は「疲弊」である。回数が多い、一回が長い、夜間に集中する、資料が事前に配られず当日読まされる、同じ人にばかり役が回る。これらは個別には小さな負担だが、累積すると参加は仕事になる。とくに、担い手が固定した地域では、公園の会に出る人は自治会にも防災にも子ども会にも出ている人であることが多い。手当ては、一回を短くし、回数を絞り、宿題を持ち帰らせないことである。参加は無償の労働であるという前提に立って設計する必要がある。

6.4 実現後の断絶と、七つの型のまとめ

第七の型は「実現後の断絶」である。開園式が終着点として設計され、その先の運営と維持が誰の担当でもなくなる。第3節で示した七局面のうち最後の局面が空白のまま、事業としては完了する。この型は本稿後半の主題であるため、ここでは指摘にとどめる。

失敗の型兆候手当て
手法の目的化開催回数だけが記録され、設計との対応表がない毎回の記録に「決めた/持ち越した/決められない」の三欄を置く
枠の不在制約が後から示され、案が白紙に戻る予算・面積・工期・決定権を第一回の前に文書で示す
発想と合意の混同図解や集計がそのまま総意として扱われる材料の記録と決定の文書を物理的に分ける
属人性特定の人がいる間だけ場が回る進行の楽譜を書き残し、担い手を複数にする
記録の欠落結論だけが残り、却下された案と理由が残らない経緯・別案・却下理由を一つの束に保存する
疲弊同じ人が全部の会に出ている、夜間の長時間開催一回を短く、回数を絞り、宿題を出さない
実現後の断絶開園式で事業が完了扱いになる運営と点検の担い手・記録の引き継ぎを事業の一部に含める

七つを並べると、その多くが「書いていないこと」に由来していると分かる。枠を書かない、決定を書き分けない、進行を書き残さない、経緯を書かない、引き継ぎを書かない。参加型まちづくりは、しばしば人と人の関係の技術として語られるが、実務の失敗の多くは文書の設計の問題である。関係は途切れるが、書かれたものは残る。次節以降で扱う継承の問題は、この点で本節と地続きである。

7. つくったあと——維持と引き継ぎの実務

公園づくりの文献の多くは、計画と設計の局面に紙幅を割き、開園をもって記述を終える。しかし公園の一生において、計画に費やされる時間は数年、供用される時間は数十年である。本節は、この長い後半を局面に分けて記述し、住民の関与がどこで必要になり、どこで専門の手に委ねるべきかを整理する。維持管理の担い手をめぐる制度論——直営・指定管理者・愛護会の位置づけ——は行政学の稿が扱うため、ここでは現場の作業と記録の実務に集中する。

7.1 四つの局面——公園には別々の時計が流れる

第一の局面は開園から一年である。この時期に必要なのは工事ではなく観察である。設計の想定と実際の使われ方は必ずずれる。人が斜めに歩いて芝生に踏み跡ができ、想定した入口ではないところが日常の出入口になり、置いたベンチが使われず別の縁石に人が座る。この段階のずれは、案内表示の位置、ごみ箱の有無、園路の一部追加といった小さな手当てで吸収できることが多い。逆に、この時期に観察を行わないと、ずれは十年間そのまま残る。

第二の局面は五年前後である。植栽が育ち、日陰の位置が変わり、見通しが変化する。塗装の劣化、砂場の砂の減少、園路の不陸、排水の詰まりが現れ始める。ここで問われるのは、日常の手入れをどこまで住民が担い、どこから専門の業者に委ねるかの線引きである。清掃・除草・落ち葉の片付け・目視での気づきは住民の作業になりうるが、遊具の部材の状態判断、樹木の健全度の診断、遊具の高所部分の点検は専門の領域である。この線引きを曖昧にしたまま「点検も愛護会で」とすると、責任の所在が不明確になり、担い手の心理的な負担も大きくなる。

第三の局面は十年前後である。部材の交換、舗装の打ち替え、樹木の剪定や更新が必要になり、費用の規模が一段上がる。国土交通省は公園施設の長寿命化に関する計画づくりの考え方を示しており、多くの自治体がこれに沿って施設ごとの健全度と更新の時期を管理している。この局面で重要なのは、更新の判断が住民の目に触れる形で行われることである。ある日突然、慣れ親しんだ遊具が撤去されて更地になれば、たとえ安全上の理由があっても不信が生まれる。

第四の局面は十五年から二十五年、すなわち主要な遊具の更新期である。ここは単なる維持ではなく、二度目の設計の機会である。当初の参加でつくった構成が、いまの利用者に合っているかを問い直すことができる。しかし多くの現場では、この機会が予算の都合で「同種の遊具への置き換え」として処理される。第8節で述べるとおり、この局面をどう設計するかが、参加型公園づくりの成否を最終的に決める。

点検施設の老い年ごとの節目住民の手入れ
図7開園から一年・五年・十年・二十年で必要な手当ては変わる。住民の手入れと専門の点検の線引きを、局面ごとに文書で決めておく。

7.2 点検の役割分担を文書にする

遊具の安全については、国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」が、点検を段階に分けて考える枠組みを示している。日常的な目視による確認、定期的な点検、専門的な知識を持つ者による詳細な点検といった区分である。日本公園施設業協会も遊具の安全に関する規準を整備している。住民組織がこれらすべてを担うことはできないが、日常の目視で気づいた異常を確実に管理者へ伝える回路は、住民の側にしか作れない。

実務上有効なのは、住民が担う範囲を短い一覧にして掲示することである。たとえば、ごみと危険物の除去、砂場の異物の確認、ぐらつきや破損の発見と通報、草丈が見通しを妨げていないかの確認。ここに「判断」を含めないことが肝要である。「危ないかどうかを住民が判断する」のではなく、「気づいたことを伝える」までを役割とする。判断は管理者と専門の点検に委ねる。この線引きは責任の所在を明確にすると同時に、住民が安心して関わり続けられる条件でもある。安全に関わる最終的な判断は、管理する行政と専門の事業者に返されるべきである。

7.3 公園カルテ——記録を一つの束にする

第6節で挙げた「記録の欠落」への具体的な手当てとして、公園ごとに記録の束をつくる方法がある。ここでは仮に公園カルテと呼ぶ。含めるべきものは、設計図と現況図、開園の年と主な改修の履歴、点検と修繕の記録、そして参加の経緯である。経緯には、検討された別案、却下された案とその理由、隣接住民との調整の内容、住民との約束が含まれる。写真は年に一度、同じ位置から撮って並べておくと、植栽の生長と施設の劣化が一目で追える。

束にすることの意味は、担当者が代わっても、住民の代が替わっても、同じものを見て話ができる点にある。オストロムが共有資源の自治が長続きした事例に見いだした条件のひとつは、境界とルールが当事者に明確であることだった。公園という小さな共有地においては、この明確さを支えるのが記録である。逆に記録がなければ、境界もルールも、その時々の記憶と力関係で決まることになる。

7.4 「約束の記憶」の風化

維持の局面で最も静かに、しかし深刻に進行するのが、約束の記憶の風化である。公園に立つ表示——ボール遊びを控えること、犬を連れて入るときの決まり、夜間の利用に関する呼びかけ——の多くは、かつて近隣との調整の結果として置かれたものである。その表示は残るが、なぜ置かれたのかは十年で失われる。すると二つの問題が同時に起きる。ひとつは、理由を知らない利用者にとって表示が根拠のない禁止に見え、守られなくなること。もうひとつは、理由を知らない管理者と住民にとって、その表示を見直す判断ができなくなることである。かつての事情が解消していても、誰も外す決断ができない。

手当ては、表示の一つひとつに「いつ、どういう経緯で、何を懸念して置かれたか」を記録として紐づけ、数年ごとに見直す機会を設けることである。掲示そのものに長文を書く必要はない。カルテの側に一行あればよい。参加によって決めた約束ほど、その理由は当事者にとって自明であり、それゆえ書かれずに失われる。書かれない自明さが、次の世代にとっては不可解な制約になる——これが、次節で扱う世代継承の問題の入口である。

8. 参加した世代とともに老いる公園——世代継承の設計

住民が力を合わせてつくった公園には、しばしば強い愛着が伴う。設計に関わった人は、どの木を誰が選び、どの遊具がどんな議論の末に決まったかを覚えている。その記憶は運営の原動力になる。しかし同時に、その記憶を持つ人々の年齢は揃っている。参加は、たいてい人生の特定の局面——子どもが小さい時期、退職して地域に時間を割ける時期——に集中するからである。本節では、この構造から生じる問題を世代継承の設計問題として定式化し、対処の方向を四つ示す。

8.1 三つの時計が同期する

住宅地の開発は、多くの場合まとめて行われる。区画が一斉に売り出され、同じ時期に同じような家族構成の世帯が入居し、公園も同時に整備される。その結果、三つの時計が同期する。第一に利用者の時計である。同時期に生まれた子どもたちは同時に成長し、十年ほどで公園を必要としなくなる。第二に担い手の時計である。開園時に三十代・四十代だった親は、二十年後には五十代・六十代になり、清掃や草刈りの作業は身体的に重くなる。第三に施設の時計である。同時に設置された遊具・ベンチ・舗装・照明は、同時に更新期を迎える。

三つが別々に進むのであれば、どこかの局面で新しい担い手や新しい利用者が現れて緩衝になる。しかし同期している場合、公園は「利用者が減り、担い手が減り、費用がかさむ」局面に同時に入る。この時期に更新の判断を迫られると、利用が少ないという理由で遊具は減らされ、減った遊具がさらに利用を減らすという循環が生じうる。参加によって丁寧につくられた公園ほど、当初の構成が特定の世代の必要に最適化されているため、この循環に入りやすいという逆説がある。

子どもの成長施設の時計世代の交代記録の継承
図8利用者・担い手・施設の三つの時計が同時に進むと、公園は同じ時期に使われなくなり、担えなくなり、費用がかさむ。

8.2 対処の方向1——参加のコホートを重ねる

第一の方向は、参加する世代を意図的に重ねることである。公園づくりに小学生を参加させる意義は、しばしば「子どもの意見を反映する」ことに置かれる。それも正しいが、より長い時間軸で見れば、より重要な意義は別にある。設計に関わった小学生は、二十年後に三十代となり、その公園の更新期にちょうど当事者として戻ってくる可能性がある。参加は当座の設計への入力であると同時に、二十年後の担い手を育てる投資でもある。

同様に、開園時点でまだ地域にいない人——これから転入してくる世帯——を、後から参加の輪に加える回路が要る。転入者に公園の経緯を伝える機会がなければ、その人にとって公園は与えられた施設にすぎず、関わる理由がない。掲示板に経緯を短く掲げる、年に一度の作業日を転入者にも開く、園や学校を通じて知らせるといった手立ては小さいが、参加の入口を常時開いておく効果を持つ。

8.3 対処の方向2——更新の周期をずらす

第二の方向は、施設の更新周期を意図的に分散させることである。同時に整備された施設を同時に更新すれば、費用は一時に集中し、公園はしばらく工事現場になり、そして再び二十年後に同じことが起きる。設計と長寿命化計画の段階で、遊具の一部を先行して更新し、一部を遅らせるだけでも、この波は緩和される。分散にはもうひとつの効用がある。数年おきに何かが更新されるなら、そのたびに小さな話し合いの機会が生まれ、参加が一度きりの行事ではなく継続的な習慣になる。

同じ発想は運用面にも適用できる。恒久的な工事によらず、季節ごとの設えや期間限定の使い方——第4節で述べた仮設の手法——を運用に組み込めば、公園は毎年少しずつ違う顔を持ち、そのたびに関わる理由が生まれる。ホワイトが小さな広場の観察から示したように、人が集まる場所は固定した設計だけで生まれるのではなく、動かせる要素と手入れの継続によって支えられている。

8.4 対処の方向3——余白を残す

第三の方向は、最初にすべてを作り込まないことである。参加のワークショップは、限られた面積に多くの希望を詰め込む圧力を生みやすい。全員の意見を何らかの形で反映しようとすると、遊具も花壇も健康器具も広場も入れることになり、余白が消える。しかし余白——何も置かれていない平らな場所——は、用途が定まっていないがゆえに、二十年後の必要に応じて使い方を変えられる。子どもが減れば健康器具や休憩の場に、災害時には一時的な集合の場に、地域の行事の際には仮設の場になる。

余白は成果として見えにくいため、参加の場では削られやすい。それゆえ、余白を残すことを最初に枠として宣言しておく必要がある。「敷地の一定割合は今回の計画では用途を定めない」と決めておけば、余白は妥協の残余ではなく、意図された設計要素になる。用途を定めないことを合意するというのは、参加の設計としてはやや高度な作業だが、公園の寿命を考えれば合理的である。

8.5 対処の方向4——二周目の参加を起こす条件

第四の方向は、更新期に「二周目の参加」を起こすことである。二周目は自然には起きない。起こすには三つの条件が要る。第一に、きっかけである。多くの場合、それは遊具の更新や施設の改修という予算上の契機であり、これは行政の側にしか把握できない。したがって、更新の計画が立った段階で地域に知らせる回路が制度として必要になる。第二に、記録である。前回の経緯が残っていなければ、二周目は一周目のやり直しになり、当時の当事者は「また同じ話か」と感じ、新しい住民は蚊帳の外に置かれる。第三に、呼びかける主体である。自治会か、愛護会か、学校か、行政か。一周目の熱意が失われた地域では、この主体が空席になっていることが多い。

三条件を並べると、世代継承は住民の意識の問題ではなく、制度と記録と主体の配置の問題であることが分かる。「関心が薄れた」「若い人が出てこない」という言い方は、しばしば現象の記述であって原因の説明ではない。更新の情報が届かず、経緯の記録がなく、呼びかける主体が定まっていなければ、関心の有無にかかわらず二周目は起きない。逆に三つが揃えば、地域の熱意が特別に高くなくても、参加は再び立ち上がりうる。参加型公園づくりの方法論が今後蓄積すべきなのは、つくるための道具ではなく、この三条件を整えるための道具である。

註:本節の議論は、公園を「完成する作品」ではなく「手入れを前提とした状態」として捉える見方に立つ。この見方は、遊びの場を使い手が変えていくものとして捉えてきた冒険遊び場の系譜(第2節)と地続きである。

9. 磐田市の公園への示唆

本節では、これまでの議論を磐田市の公園に照らす。当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園を収録するデータベースであり、その内訳は市のオープンデータ「都市公園一覧」94行と、市の施設ガイドにのみ掲載されている6園から成る。現地の踏査は2026年8月の時点で始まっておらず、以下は公開情報の範囲で構成を読み、参加と継承の設計にどのような示唆があるかを述べるものである。実際にどの園にどのような担い手がいて、どのような経緯で整備されたかは、当サイトが今後の踏査と資料の確認によって明らかにしていく課題である。なお当サイトの運営は富士ヶ丘サービス株式会社(不動産・介護事業)である。

9.1 種別の構成が示す「参加の単位」

100園の種別内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園である。過半を街区公園が占めるこの構成は、参加の単位を考えるうえで決定的である。都市公園法施行令および国の標準では、街区公園は標準面積0.25ha・誘致距離250m、近隣公園は2ha・500m、地区公園は4ha・1kmとされる。誘致距離250mとは、徒歩数分の圏である。

この規模の公園に、大がかりな会議形式のワークショップは釣り合わない。第4節で示した道具のうち、実際に機能するのは、公園の中で行う短時間の聞き取り、隣接住民への個別の訪問、掲示板を使ったシールの配分、そして仮設による試行である。逆に、地区公園4園・総合公園3園・運動公園3園のように、市域から人が集まる規模の公園では、複数回のワークショップ、配置ゲーム、模型を用いた検討といった重い手法が意味を持つ。種別によって参加の設計を変えるという原則は、磐田市の構成において特にはっきりした形を取る。

100園種別の構成面積の幅9つの地区
図9街区公園が過半を占める磐田市では、参加の単位も維持の単位も小さい。種別と面積に応じて手法を変える必要がある。

9.2 地区ごとの偏りと、担い手の密度

9地区ごとの園数は、豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。豊田の28園という数は、地区内に多数の小規模な園が分布していることを意味する。実際、豊田地区には豊田上新屋ポケットパーク(都市緑地・156㎡)、豊田森下ポケットパーク(同・286㎡)、豊田立野ポケットパーク(同・380㎡)、豊田加茂ポケットパーク(同・736㎡)といった小さな園が並ぶ。数百平方メートルの園は、隣接する数十世帯の手が物理的に届く範囲であり、維持の単位としては最も小さく、最も具体的である。同時に、担い手が数名欠けただけで維持が止まる脆さも併せ持つ。

他方、南部2園・向陽2園・豊岡3園のように園数の少ない地区では、一つの園にかかる期待と負荷が集中する。参加の設計としては、園ごとの小さな会よりも、地区全体で公園の役割分担を話し合う枠組みのほうが現実的だろう。中泉地区の二之宮東第2緑地(都市緑地・17㎡)のように極端に小さな園も存在し、これらは「参加してつくる」対象というより、日常の手入れの対象として位置づけるほうが実態に合う。市の管理は都市整備課(電話 0538-37-4806)が担っている。

9.3 同時に整備された園と、同時に訪れる更新期

第8節で論じた三つの時計の同期という問題は、新しい住宅地で顕在化しやすい。豊田地区の磐田ららシティ公園(街区公園・4,097㎡)、磐田ららシティ西ポケットパーク(広場公園・362㎡)、磐田ららシティ東ポケットパーク(広場公園・827㎡)は、名称から同一の市街地形成にともなう園と読める。同じ時期に整備された園は、同じ時期に更新期を迎える。施設ガイドによれば磐田ららシティ公園には幼児用滑り台と健康遊具、多目的トイレの記載があり、幼児向けと高齢者向けの施設が併存する構成になっている。この構成が二十年後にどう機能するかは、いまから考えておく価値のある論点である。

また、豊田地区には豊田海老塚農村公園、豊田富里農村公園、豊田中野戸農村公園、豊田森本農村公園と、名称に「農村公園」を含む園が複数ある。名称は、その園がどのような単位で構想されたかの手がかりになりうるが、実際の経緯と現在の担い手のありようは公開情報からは分からない。集落の共同の作業として維持されてきたのか、市の直接の管理なのか、いずれであるかを確かめることは、参加と継承を論じるうえで重要な作業であり、当サイトの今後の課題とする。

9.4 二つの園から読める設計の含意

御厨地区の安久路公園(地区公園・32,001㎡)について、市の施設ガイドには園内施設として「複合遊具(インクルーシブエリアあり)」「ブランコ(インクルーシブアイテムあり)」の記載がある。誰もが使える遊具を含む構成は、第5節で述べた「だれを場に入れるか」という問いが、計画の段階で扱われた可能性を示唆する。ただし、その計画過程に当事者がどう関わったかは公開情報からは読めない。整備の経緯を確かめることは、磐田市における参加の実務を知るうえでの手がかりになる。

見付地区の今之浦公園(近隣公園・13,675㎡)について、市の施設ガイドは今ノ浦川の東側を「遊びと賑わいのゾーン」、西側を「憩いとふれあいゾーン」として記し、屋根付広場、複合遊具、噴水広場、芝生広場、3歳未満児遊具、健康遊具、じゃぶじゃぶスポットなどを挙げている。用途をゾーンに分ける構成は、多様な利用者の要求を一つの敷地に共存させる典型的な手法である。また同ガイドには噴水を一定期間運転する旨のお知らせが記されており、季節によって公園の使い方が変わることが運用として組み込まれている。第8節で述べた「毎年少しずつ違う顔を持つ」運用の一例と読める。

9.5 記録の受け皿という論点

最後に、記録の問題である。磐田市はオープンデータとして都市公園一覧を公開しており、園名・種別・面積のほか、トイレ・車いす対応トイレ・砂場・遊具の有無が記されている。集計すると、オープンデータ94行の中でトイレ有69園、車いす対応トイレ有34園、砂場有43園、遊具有64園である。駐車場については、施設ガイドの記載などから33園を有と判定している。また、市の施設ガイドに個別ページがある園は、当サイトが突合できた範囲で77園である。

これらは施設の現況を示す静的な記録であり、第7節で述べた公園カルテのうち「いま何があるか」の部分にあたる。欠けているのは「なぜそうなったか」の部分——整備の経緯、住民との調整、更新の履歴、約束の理由——である。これは市のオープンデータに求めるべき性質の情報ではなく、むしろ地域と管理者の側で束ねられるべきものである。当サイトのような第三者のデータベースにできるのは、公開情報を園ごとに整理し、踏査によって現況を確かめ、経緯を知る人の証言を記録として残す道筋をつくることまでである。踏査済の園はまだ0園であり、この作業はこれから始まる。

10. 結論と今後の課題

本稿は、住民が公園づくりに関わるときの方法と、つくったあとの継承を、まちづくり論の視点から検討してきた。冒頭に立てた三つの問いに戻って、結論を述べる。

10.1 三つの問いへの答え

第一の問い——住民参加型公園づくりの方法は何を蓄積してきたか。答えは、進行を設計として書き記す技術(ハルプリンのスコア)、制約を形式に内蔵させる技術(サノフのデザインゲーム)、断片を集めて全体像を組み立てる技術(川喜田のKJ法)の三系統である。日本の実務は、この三つを組み合わせ、現地点検・カード法・配置ゲーム・模型・仮設という道具の束として使ってきた。道具に優劣はなく、局面との対応がある。調べる局面、出す局面、まとめる局面、決める局面に、それぞれ適した道具があり、対応を誤ると場は空転する。

第二の問い——方法はどこで失敗するか。本稿は七つの型を挙げた。手法の目的化、枠の不在、発想と合意の混同、属人性、記録の欠落、疲弊、実現後の断絶である。七つに共通するのは、いずれも「書いていないこと」に由来する点であった。参加型まちづくりは人と人の関係の技術として語られがちだが、実務の失敗の多くは文書の設計の問題である。何を決められるかを書き、決定と材料を書き分け、進行を書き残し、経緯を書き、引き継ぎを書く。関係は途切れるが、書かれたものは残る。

第三の問い——つくった公園を誰がどう継ぐか。ここに最大の空白があった。参加によってつくられた公園は、参加した世代とともに老いる。住宅地の一斉整備のもとでは、利用者の世代交代・担い手の高齢化・施設の更新期という三つの時計が同期し、公園は同じ時期に使われなくなり、担えなくなり、費用がかさむ。本稿は対処の方向として、参加する世代を重ねること、更新の周期を分散させること、用途を定めない余白を最初から確保すること、そして更新期に二周目の参加を起こすことを挙げた。二周目の参加には、きっかけ(更新の情報)・記録(前回の経緯)・呼びかける主体という三条件が要る。この三条件は意識の問題ではなく、配置の問題である。

方法の蓄積継ぐ段取り続ける関係
図10つくる道具は蓄積されたが、継ぐ道具は乏しい。進行の楽譜と同じ精度で、継承の楽譜を書くことが次の課題である。

10.2 本稿の限界

本稿は文献整理と概念整理に基づくものであり、特定の事例の実証的な分析ではない。参加の効果を測る指標——利用者数の変化、担い手の継続率、更新時の合意形成の速さなど——について定量的な検討は行っていない。また、参加の正統性と代表性という規範的な論点は政治学の稿に、担い手をめぐる制度の比較は行政学の稿に、維持管理費用の構造は財政学の稿に、それぞれ委ねている。本稿が扱ったのは、それらの議論の下層にある実務の技術である。

10.3 今後の課題

磐田市に即した課題は四つある。第一に、100園の踏査である。踏査済の園はまだ0園であり、現況の確認なしには、どの園でどの手法が現実的かを論じることはできない。第二に、園ごとの担い手の確認である。誰が日常の手入れを担い、どの範囲までを担い、どのような支援を受けているのかは、公開情報からは読み取れない。第三に、整備と更新の履歴の確認である。とくに、同時期に整備されたと見られる園の群について、更新期がいつ訪れるのかを把握しておくことは、二周目の参加を準備するうえで基礎的な作業になる。第四に、地区ごとの参加設計である。豊田28園と南部2園では、園数も規模も担い手の密度も異なる。地区の条件に合わせて手法を選ぶための整理が要る。

より一般的な課題として、継承の道具の開発を挙げておきたい。つくる局面には、進行の楽譜という書式があり、道具の一覧があり、方法論の文献がある。継ぐ局面には、それに相当する体系がまだない。公園カルテの標準的な書式、更新期に地域へ知らせる回路の設計、約束の理由を数年ごとに見直す手続、転入者に経緯を伝える方法——いずれも、個々の現場で工夫はされていても、共有された道具にはなっていない。参加型公園づくりの次の三十年が問われるのは、この局面である。公園は完成する作品ではなく、手入れを前提とした状態である。その状態を誰がどう引き継ぐかを設計に含めて初めて、参加は一度きりの行事ではなく、地域の継続的な営みになる。

参考文献

  1. 川喜田二郎(1967)『発想法——創造性開発のために』中公新書
  2. 川喜田二郎(1970)『続・発想法——KJ法の展開と応用』中公新書
  3. Lawrence Halprin(1969)The RSVP Cycles: Creative Processes in the Human Environment, George Braziller
  4. Lawrence Halprin and Jim Burns(1974)Taking Part: A Workshop Approach to Collective Creativity, MIT Press
  5. Henry Sanoff(1979)Design Games, William Kaufmann
  6. Henry Sanoff(2000)Community Participation Methods in Design and Planning, John Wiley & Sons
  7. 木下勇(2007)『ワークショップ——住民主体のまちづくりへの方法論』学芸出版社
  8. 田村明(1987)『まちづくりの発想』岩波新書
  9. 田村明(1999)『まちづくりの実践』岩波新書
  10. 延藤安弘(1983)『こんな家に住みたいナ』晶文社
  11. 世田谷区都市整備公社まちづくりセンター編『参加のデザイン道具箱』(1993)
  12. レディ・アレン・オブ・ハートウッド(1968)Planning for Play, Thames and Hudson(邦訳『都市の遊び場』大村虔一・大村璋子訳、鹿島出版会、1973)
  13. ジェイン・ジェイコブズ(1961)『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010)
  14. William H. Whyte(1980)The Social Life of Small Urban Spaces, Conservation Foundation
  15. Mike Lydon and Anthony Garcia(2015)Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change, Island Press
  16. エリノア・オストロム(1990)Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action, Cambridge University Press
  17. 都市計画法(昭和43年法律第100号)——地区計画制度は昭和55年改正で創設
  18. 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令
  19. 行政手続法(平成5年法律第88号)第6章 意見公募手続等(平成17年改正により追加)
  20. 地方自治法(昭和22年法律第67号)第244条の2(指定管理者制度、平成15年改正)
  21. 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
  22. 国土交通省 都市公園(都市局公園緑地・景観課)
  23. 一般社団法人日本公園施設業協会
  24. 磐田市「都市公園一覧」オープンデータ(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  25. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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