自然科学・環境植物学
公園に生えているもの——植栽・自生・雑草という区分の危うさ
要旨
本稿の目的は、公園に生えている植物を植物学の枠組みで読み直し、日常的に使われる「植栽・自生・雑草」という三区分が何を見えなくしているかを明らかにすることである。方法は文献整理と概念分析であり、リンネ以来の階層分類とAPG分類、ラウンケルの生活形、クレメンツとグリーソンに始まる遷移論、グライムのCSR戦略、コンネルの中規模撹乱仮説、そしてハッチとスラックが解明したC4光合成という基礎概念を、都市公園という場に当てはめる。
検討の結果、次の三点が示される。第一に、日常の三区分は、人が植えたかという来歴、在来か外来かという分布史、望ましいかという価値づけの三つの異なる軸を一つに押し込めており、混同されやすいこと。これに代えて本稿は、植栽木・管理された地被・自然侵入した草本という三層で公園の植生を読むことを提案する。第二に、公園の草地に見られる顔ぶれは、種の強さではなく、成長点の位置と光合成の型という生理の帰結であり、夏に伸びる草の勢いはC4型の効率で説明できること。第三に、公園の草地は放置された自然でも純粋な人工でもなく、刈り取りという撹乱によって遷移の初期に固定された半自然であり、刈る高さ・回数・時期という管理の設計が植物相をほぼ決めていること。
最後に、磐田市の都市公園100園について、種別ごとの規模の幅と地区の偏りを手がかりに、植物学の目で何を記録すべきかを論じる。市のオープンデータが持つ情報はトイレ・砂場・遊具の有無であり、施設ガイドの記載も施設が中心で、植物についての情報はほとんど残されていない。当サイトの現地踏査はこれからであり、本稿は特定の園の植物リストを作らない。代わりに、種名の一覧より先に刈り取りの管理条件を記録するという方針を提案し、今後の踏査の課題として残す。
キーワード植物学生活形C4光合成遷移種子散布雑草磐田市
1. はじめに——問題の所在
公園を説明する言葉は、その大半が施設の名前でできている。滑り台、砂場、ブランコ、トイレ、駐車場、そして面積。磐田市のオープンデータ「都市公園一覧」が各園について持っている情報も、種別と面積、それにトイレ・車いす対応トイレ・砂場・遊具の有無である。ところが、公園という場所に実際に存在しているものの大部分は、施設ではなく植物である。地面を覆う草、刈り込まれた低木、日陰をつくる高木、花壇の草花、そして誰も植えていないのに毎年生えてくる草。これらはたいてい「緑」という一語にまとめられ、それ以上は分解されない。
本稿の問いは単純である。公園に生えているものを、私たちはどう見分け、どう書き留めればよいのか。日常の言葉では、公園の植物はおおむね三つに分けられている。人が植えた植栽、もとからそこにある自生、望まれずに生えてくる雑草である。この三分法は便利だが、植物学の目で見ると奇妙な代物である。三つの語はそれぞれ別の基準に立っており、同じ一本の草が、基準の取り方しだいで三つのどれにでもなりうるからである。
整理してみよう。「植栽」は、人が植えたかどうかという来歴の区分である。「自生」は、人が植えずに生えているかという同じ来歴の裏返しであるはずだが、日常の用法では「もともとこの土地の植物」という分布史の意味が混ざり込む。在来か外来かは、その種がいつからこの地域に分布していたかという歴史の問題であり、目の前の一株を誰が植えたかとは独立している。そして「雑草」は、人の目的から見て望ましくないかという価値づけである。来歴・分布史・価値づけという三つの軸が、一つの三分法に押し込められている。
1.1 方法と、書かないと決めたこと
方法は文献整理と概念分析である。植物学の基礎——分類の枠組み、生活形、光合成の型、遷移、種子散布——を順に整理し、それを都市公園という場に当てはめる。ここで一つ、書かないと決めたことがある。磐田市の個別の公園について、そこに生えている植物の一覧を作ることはしない。当サイトの現地踏査はこれから始まる段階であり、市のオープンデータにも施設ガイドにも植物の情報はほとんど含まれていない。踏査していない場所の植物リストを書けば、それは観察ではなく創作になる。
リストがないなら何を書くのか。見方の枠組みである。植物の一覧は、それを読む枠組みがなければ、ただの名前の羅列にとどまる。逆に枠組みがあれば、名前を一つも知らない人でも、公園の地面を見て「ここは刈る頻度が高い草地だ」「この木は落葉樹で、冬の日当たりはまるで違うだろう」と読み取れるようになる。本稿が目指すのは、踏査に先立って、記録すべき項目を決めるための枠組みを用意することである。
1.2 隣接する視点との区別と、本稿の構成
公園の植物には複数の学問が関わる。個々の木の腐朽や倒木のリスクを診断するのは樹木医学の仕事であり、木の名前や利用が人の暮らしとどう結びついてきたかを追うのは民族植物学の仕事である。緑地が生き物にとってどんな生息場所かを問うのは都市生態学である。本稿はそのどれとも重ならない位置に立つ。すなわち、植物そのものの側の論理——光をどう受け、水をどう使い、刈り取りという撹乱をどうやり過ごし、どうやって次の場所へ移動するか——から、公園の植生を読む。
構成は以下のとおりである。第2節で植物学と植生学の基本概念を整理する。第3節で公園の植物を三層に分けて読む枠組みを提示する。第4節は分類の目、第5節は光合成の型と季節、第6節は遷移、第7節は種子散布を扱う。第8節で「雑草」という区分の危うさを、第9節で刈り取りが植物相を決めるという主張を論じる。第10節で磐田市の公園への示唆を述べ、第11節で結論と今後の課題をまとめる。
2. 先行研究と概念の整理
本節では、以下の議論で用いる概念を先に整理しておく。植物学は大きく、植物をどう分けるかを問う分類学と、植物がどう生きているかを問う生理学・生態学に分かれる。公園の植生を読むには、その両方から少しずつ道具を借りる必要がある。ここでは分類、生活形、遷移、戦略、雑草学という五つの系譜を、確実に知られている古典を手がかりに並べる。
2.1 分類——名前をつける仕組み
植物の名前を体系的に扱う仕組みは、リンネ(1753)の二名法に始まる。属名と種小名の二語で種を指し、種を属に、属を科に、科を目にと入れ子状にまとめる階層分類である。この体系は二百年以上使われてきたが、二十世紀末からDNAの情報にもとづく系統解析が進み、被子植物の科の枠組みは大きく組み替えられた。その成果をまとめたものがAPG分類(Angiosperm Phylogeny Group による分類体系)であり、最新の改訂はAPG IV(2016)である。かつてユリ科に入れられていた植物の多くが別々の科に分けられたのは、この組み替えの結果である。
公園を読むうえで、種のレベルまで同定できる必要は必ずしもない。むしろ有用なのは科のレベルの見当である。イネ科なのかキク科なのかマメ科なのかがわかれば、花の咲き方、種子の運ばれ方、刈り取りへの反応まで、おおよその見通しが立つ。分類は名前の暗記ではなく、性質のまとまりを指し示す索引として使うのが実際的である。
2.2 生活形——冬をどこで越すか
ラウンケル(1934)は、植物を生活形で分ける方法を提案した。基準は、その植物が厳しい季節を越すときに、次の芽(休眠芽)を地面からどの高さに置いているかである。休眠芽を地上高くに置く地上植物(樹木)、低い位置に置く地表植物(小低木)、地際に置く半地中植物(ロゼットをつくる草)、地中に置く地中植物(球根や地下茎をもつ草)、そして芽を残さず種子だけで越す一年生植物。この分類は、気候帯ごとの植生の性格を比べるために作られたものだが、刈り取りが繰り返される場所の植生を読むときにも、そのまま役に立つ。刈り刃が通る高さより上に芽を置く植物は消え、下に置く植物は残るからである。
2.3 遷移論と、その批判
ある場所の植物の顔ぶれが時間とともに移り変わっていく現象を遷移という。クレメンツ(1916)は、遷移を一定の順序で進み最後に安定した極相に到達する過程として描き、群落を一個の有機体になぞらえた。これに対しグリーソン(1926)は、群落とは種ごとに独立した分布がたまたま重なったものにすぎないと反論した。現在では、遷移に方向性があることは認めつつ、到達点を一つに定めるクレメンツ流の見方は緩められている。日本の植生については、ワーミング(1895)に始まる生態学の系譜を受けて、宮脇昭らが潜在自然植生——人の影響を取り除いたときにその土地で成立するはずの植生——という考え方を広めた。
2.4 戦略と撹乱
グライム(1979)は、植物が置かれる環境の厳しさを、資源をめぐる競争の強さ(Competition)、乾燥や貧栄養といったストレス(Stress)、刈り取りや踏みつけのような撹乱(Disturbance)の三つに分け、それぞれに適応した競争型・ストレス耐性型・撹乱依存型という三つの戦略を置いた。頭文字をとってCSR戦略と呼ばれる。撹乱依存型(R型)は、短命で、早く花を咲かせ、多量の小さな種子を残す。人が「雑草」と呼ぶ植物の多くはここに位置づけられる。一方コンネル(1978)は、撹乱が強すぎても弱すぎても種数は減り、中程度のときに最大になるという中規模撹乱仮説を提示した。刈り取りの頻度と草地の多様性を考えるうえで、この二つは中心的な道具になる。
| 概念 | 提唱(年) | 分ける基準 | 公園を読むときの使いどころ |
|---|---|---|---|
| 生活形 | ラウンケル(1934) | 休眠芽を置く高さ | 刈り取りに耐えられるかどうか |
| 遷移・極相 | クレメンツ(1916) | 時間に沿った群落の交代 | 管理をやめた草地の行き先 |
| 個体論 | グリーソン(1926) | 種ごとの独立した分布 | 群落を実体視しすぎない戒め |
| CSR戦略 | グライム(1979) | 競争・ストレス・撹乱への配分 | 雑草が強く見える理由 |
| 中規模撹乱仮説 | コンネル(1978) | 撹乱の強さと種数の関係 | 刈る頻度と多様性の設計 |
2.5 雑草学——学問の対象としての「雑草」
雑草は、農学の側から一貫して研究されてきた対象でもある。日本では沼田眞らによる図鑑と研究の蓄積があり、都市の植生についても沼田(1987)のような整理がある。雑草学が繰り返し確認してきたのは、雑草に分類学上の実体がないという事実である。雑草とは「そこにあってほしくない植物」の総称であり、同じ種が畑では駆除の対象、花壇では鑑賞の対象、山地では保全の対象になりうる。この相対性は第8節で改めて扱う。
3. 三層で読む——植栽木・管理された地被・自然侵入した草
第1節で述べたとおり、日常の三区分は基準が混ざっている。本節では代わりに、公園の植物を三つの層に分けて読むことを提案する。分ける基準は一つだけ、「その層の顔ぶれを決めているのは誰の、どんな行為か」である。上から順に、人が選んで植え剪定する層、人が導入し刈り込みで形を保つ層、そして人が導入していないのに定着している層。この三層は、来歴の区分でもあり、同時に管理の区分でもある。
3.1 第一層——植栽木
公園の高木と、その下の中低木のうち列植・群植されているものは、ほぼ例外なく人が植えたものである。都市公園の樹木は設計図に樹種と本数が書かれ、苗木として搬入され、支柱を立てて活着させる。つまりこの層は、来歴が書類の上に残っている唯一の層である。顔ぶれを決めているのは設計時の樹種選定と、その後の剪定である。何を植えるかという判断は数十年先の景観と日陰を決め、どう切るかという判断は樹形と枝の張り出しを決める。ここでは植物の側の論理より、人の意図と作業の周期のほうが強く効いている。
3.2 第二層——管理された地被
芝生、刈り込まれた植え込み、花壇。これらは人が導入し、定期的な刈り込みや植え替えによって状態を維持している層である。芝生は、その意味で一種の作物に近い。適した草種を選び、地面を均し、播種か張芝で導入し、以後は刈る・水をやる・肥料を入れるという世話によって単一に近い状態を保つ。世話をやめれば、芝生は数年で芝生でなくなる。花壇はさらに人手への依存が強く、季節ごとの植え替えによって成り立っている。この層の顔ぶれを決めているのは、樹種選定ではなく作業の頻度である。
3.3 第三層——自然侵入した草本
誰も植えていないのに生えている草。舗装の目地、縁石ぎわ、フェンス沿い、樹木の根元、遊具の基礎まわり、法面、刈り残された隅。この層は公園のどこにでもあり、面積の割に種数が多い。そして公園の三層の中で、最も記録されていない層でもある。設計図には載らず、施設台帳にも載らず、写真にもほとんど写らない。この層こそが季節ごとに顔ぶれを変え、公園の地面の表情をつくっているにもかかわらず、である。
本稿はこの層を「自生」とは呼ばず、自然侵入した草本と呼ぶ。理由は第1節で述べたとおりで、「自生」という語には「もとからこの土地の植物」という含みがあり、実際にはこの層に在来種も外来種も混在しているからである。呼び方を変えるだけで、在来か外来かという別の問いが独立に立てられるようになる。
| 在来(もとからこの地域に分布) | 外来(人の活動で持ち込まれた) | |
|---|---|---|
| 人が植えた | 郷土樹種の植栽、在来の下草の導入 | 園芸品種、外国産の芝や樹種 |
| 人が植えていない | 自然に入ってきた在来の草 | 定着した帰化植物、花壇から逸出した園芸種 |
表のとおり、「人が植えたか」と「在来か外来か」は互いに独立した二つの軸であり、四つの組み合わせがすべて公園に存在しうる。日常の「自生」という語は左下の升目だけを指しているように聞こえるが、実際に第三層を占めているのは左下と右下の両方である。そして右上——人が植えた外来の植物——は、多くの公園で最も面積を占めている可能性がある。芝生も、花壇の草花も、街路樹によく使われる樹種も、その多くは外国原産か、園芸的に選抜された品種だからである。「公園の緑を守る」という言い方が何を守ることを指しているのか、この表を置くと問い直さざるをえなくなる。
3.4 三層はどこで交わるか
三層は独立ではなく、境目でたえず入れ替わっている。花壇の園芸種が種子や地下茎で外に出れば第二層から第三層へ移る。第三層の木本の実生が刈り取りを免れて育てば、いつのまにか第一層に加わる。管理が止まれば、第二層の芝生は第三層に飲み込まれる。この移動を見るには、一時点の植物リストではなく、同じ場所を季節と年をまたいで見る記録が要る。第三層の存在を認めることは、公園の植生を静的な設計図ではなく、動いている状態として扱うことでもある。
4. 分類の目——裸子植物と被子植物、単子葉と双子葉
植物を分ける最初の大きな線は、種子をつくるかどうかである。種子をつくらず胞子でふえるのがコケ植物とシダ植物、種子をつくるのが種子植物であり、種子植物はさらに裸子植物と被子植物に分かれる。この区分は暗記のためのものではない。線の一本一本が、その植物が公園でどう振る舞うかの違いに対応している。
4.1 裸子植物——胚珠がむき出しの仲間
裸子植物は、将来種子になる胚珠が子房に包まれず、むき出しでついている仲間である。マツ、スギ、ヒノキ、モミ、イチョウ、ソテツなどがここに入る。多くは針状や鱗状の葉をもち、花びらのある花は咲かせず、風で花粉を運ぶ。球果——いわゆるマツボックリ——は裸子植物の代表的な姿である。公園では、境界の列植、風除け、常緑の背景として使われることが多く、落葉樹に比べて冬の日陰が濃くなるという性質をもつ。冬に日だまりがほしい広場と、年中目隠しがほしい境界とでは、選ぶべき樹種が正反対になる。
4.2 被子植物——花と果実をもつ仲間
被子植物は胚珠が子房に包まれ、受粉後に子房が果実になる仲間である。公園の広葉樹も、草の大部分も、花壇の草花もここに属する。被子植物は伝統的に、発芽のときの子葉が一枚の単子葉類と、二枚の双子葉類に分けられてきた。APG分類では双子葉類がそのままの形では系統をなさないことが示され、真正双子葉類などの名でより細かく整理されているが、公園の地面を読む目的では、単子葉と双子葉という古い二分でも実用に足りる。
違いは葉と根と茎に現れる。単子葉類の葉は平行に走る脈をもち、根は同じ太さの細い根が束になったひげ根、茎の中では維管束(水と養分の通り道)が散らばって配置される。双子葉類の葉は網目状の脈をもち、太い主根から側根が出て、維管束は輪状に並ぶ。イネ科、カヤツリグサ科、ツユクサ科、アヤメやユリの仲間が単子葉であり、それ以外の草の大半と広葉樹はおおむね双子葉である。
4.3 なぜ竹は太らないのか——形成層という分かれ目
単子葉と双子葉の差で最も結果が大きいのは、形成層の有無である。双子葉類と裸子植物は、維管束の輪の中に形成層という細胞をつくる層をもち、これが毎年内側に木部を、外側に師部を足していく。幹が年々太くなるのも、年輪ができるのも、これがあるからである。つまり「木になる」能力は形成層と結びついている。対して単子葉類は通常の形成層をもたない。竹が地上に出た時点の太さのまま伸びるのも、年輪をもたないのも、この違いによる。竹が木か草かという問いが答えにくいのは、日常の「木」の概念と植物学の構造上の区分がずれているためである。
4.4 胞子でふえる仲間と、科という索引
コケ植物とシダ植物は、種子をつくらず胞子でふえ、受精に水を必要とする。そのため湿った日陰に偏って分布する。公園では、日の当たらない石垣の目地、樹木の根元の北側、排水の悪い側溝ぎわといった場所に現れやすい。面積は小さく、公園の資料に記載されることはまずないが、その公園のどこが湿っていてどこが乾いているかを教えてくれる指標として読むことができる。
最後に、科という単位の実用性を確認しておく。市街地の草地を占める主要な科は限られており、イネ科、キク科、マメ科、タデ科、アブラナ科、シソ科、カヤツリグサ科あたりを見分けられれば、多くの草はどれかに収まる。キク科は多数の小さな花が集まって一つの花のように見える頭花をつくり、マメ科は左右対称の蝶形花と、根に共生する細菌が空気中の窒素を取り込む根粒をもつ。イネ科は花びらをもたず風で花粉を運ぶ。科がわかれば、花のつくり、種子の運ばれ方、栄養条件への好み、刈り取りへの反応まで見当がつく。種名の暗記より先に科の目を養うほうが、公園の地面はずっと読みやすくなる。
5. 光合成の型と季節——夏草はなぜ強いのか
「刈っても刈ってもすぐ伸びる」。夏の草地について、この言い方はほとんど決まり文句になっている。この現象を、植物の根性や生命力といった言葉で片づけずに説明できるのが植物生理学である。鍵になるのは、光合成で二酸化炭素を固定する経路の違い——C3型・C4型・CAM型という三つの型である。
5.1 C3型の弱点
大多数の植物はC3型である。空気中の二酸化炭素を、ルビスコと呼ばれる酵素が直接つかまえて糖の材料にする。単純で効率のよい仕組みだが、弱点がある。ルビスコは二酸化炭素と酸素を取り違えることがあり、酸素をつかまえてしまうと光合成の産物を無駄に消費する光呼吸という反応が起こる。この取り違えは、気温が高いときほど起こりやすい。さらに、乾燥する日に植物が水を失うまいとして気孔(葉の表面の空気の出入口)を閉じると、葉の中の二酸化炭素が減って酸素の比率が上がり、光呼吸はいっそう増える。真夏の炎天下は、C3型にとって条件が悪い。
5.2 C4型という解決
ハッチとスラック(1966)は、サトウキビの葉で、二酸化炭素がまず炭素四個の化合物として固定されるという経路を明らかにした。これがC4型である。C4型の葉では、外側の細胞でいったん二酸化炭素を捕まえて有機酸に変え、それを内側の細胞に送り込んでから放出する。内側では二酸化炭素の濃度が高く保たれるため、ルビスコが酸素を取り違える余地がほとんどない。仕組みを動かすぶんのエネルギーは余分にかかるが、高温・強光・乾燥という条件ではその投資を上回る見返りがある。トウモロコシやサトウキビ、キビの仲間が代表格であり、夏に勢いよく伸びるイネ科やカヤツリグサ科の草にもC4型が多いとされる。
ここから、夏草の強さの説明が出てくる。舗装のきわ、南向きの法面、水はけのよい砂質の地面——都市の公園には、真夏に高温・強光・乾燥がそろう場所がいくらでもある。そこはC3型にとって不利で、C4型にとって有利な場所である。夏に伸びる草が刈っても戻ってくるのは、生命力の強さというより、その季節・その場所で最も効率よく炭素を稼げる型を持っているからである。逆に、春先や晩秋の涼しい時期に地面を覆う草にはC3型が多く、夏草とは活動の季節がずれている。同じ一区画の草地でも、季節によって主役が交代しているのはこのためである。
| 型 | 二酸化炭素の固定のしかた | 得意な条件 | 身近な例 |
|---|---|---|---|
| C3型 | 葉の中で一段階で固定する | 涼しい時期、適度な光と水 | 多くの樹木、春や秋の草、寒地型の芝草 |
| C4型 | いったん濃縮してから固定する | 高温・強光・乾燥 | 夏に伸びるイネ科の草、暖地型の芝草 |
| CAM型 | 夜に固定して昼に使う | 乾燥がとくに厳しい場所 | 多肉植物、サボテンの仲間 |
5.3 冬の芝生は枯れているのか
芝草にも同じ区分がある。暖かい季節に伸びて冬に休眠する暖地型の芝草にはC4型が多く、涼しい季節に伸びる寒地型の芝草はC3型である。日本の暖温帯にある公園の芝生広場では、夏の踏みつけと高温に耐える暖地型が使われることが多いとされる。冬になると芝生が一面茶色くなるのは、この暖地型が地上部を枯らして休眠に入るためであり、芝生が死んだわけではない。春に気温が上がれば、地下の茎と根から再び緑が立ち上がる。管理する側にとっては当たり前のことでも、利用者からは「手入れが行き届いていない」と映ることがある。植物の生理を一言添えるだけで、公園の見え方は変わる。
5.4 常緑と落葉——葉への投資のしかた
季節に関わるもう一つの分かれ目が、常緑か落葉かである。これは光合成の型とは別の、葉への投資のしかたの違いである。常緑樹は厚く硬く長持ちする葉をつくる。一枚あたりの製造コストは高いが、数年にわたって使えるので、年間を通じて少しずつ稼ぐ戦略に向く。落葉樹は薄く安い葉を春につくり、一シーズンで使い切って落とす。寒い季節や乾く季節を葉なしで越すぶん、その期間は稼げないが、明るい季節に集中して稼ぐことができる。
日本の暖温帯の自然植生は常緑広葉樹——いわゆる照葉樹——の林とされ、落葉広葉樹の林はより寒冷な地域や、人が繰り返し伐ってきた二次林に多い。公園の樹木はこの自然の分布とは別に、人が選んで植えている。だからこそ、常緑か落葉かの選択には設計上の意味がある。落葉樹は夏に日陰をつくり冬に日を通すという、日本の気候に対して都合のよい性質をもつ一方、秋の落ち葉が掃除の手間と費用を生む。常緑樹は年中の目隠しと防風になる一方、冬の広場を暗くする。公園の季節感——新緑、花、紅葉、落葉——は、こうした植物側の生理と、人の側の選択がかみ合った結果として現れている。
6. 遷移——刈るのをやめた公園はどこへ行くか
公園の草地を一年刈らなければ、そこは草の丈が高い野原になる。五年刈らなければ、低木とつる植物が入り込む。十年、二十年と経てば、木が育ち、地面には日が届かなくなる。この時間に沿った変化が遷移である。遷移を知ることは、公園の草地がなぜ草地でいられるのかを知ることでもある。答えは、放っておかれているからではなく、刈られ続けているからである。
6.1 一次遷移と二次遷移
遷移には二種類ある。溶岩流のあとや大きな崩壊地のように、土壌も種子もない状態から始まるのが一次遷移である。地衣類やコケが岩を覆い、風化と有機物の蓄積によって少しずつ土ができ、そこにようやく草が入る。土ができるまでの時間が長いため、全体として非常に緩やかに進む。もう一つ、耕作をやめた畑や伐採跡地のように、土壌と、土の中に眠る種子が残っている状態から始まるのが二次遷移である。都市の空地や公園で起こるのはほとんどが二次遷移であり、こちらは速い。裸地に見える場所でも、翌春には一面の草になることが珍しくない。
6.2 先駆種の履歴書
遷移の初期に真っ先に現れる植物を先駆種(パイオニア)という。その性質は、履歴書のように一貫している。第一に、種子が小さく、そのぶん数が多い。第二に、その種子が風や動物によって遠くまで運ばれる。第三に、明るい裸地でよく発芽し、日陰では発芽しにくい。第四に、成長が速く、早く花を咲かせ、寿命が短い。第五に、発芽の機会が来るまで土の中で長く生き延びられる。これらはグライムのいうR型——撹乱依存型——の特徴とほぼ重なる。先駆種は競争に強いのではない。競争が始まる前に場所を取り、競争が本格化する前に次の場所へ種子を送る戦略で生きている。
6.3 土の中の種子——シードバンク
二次遷移の速さを支えているのが、土の中に蓄えられた休眠中の種子、すなわち埋土種子集団(シードバンク)である。多くの草の種子は、地表に落ちたあと土に混ぜ込まれ、光や温度の条件がそろうまで発芽せずに待つ。待てる年数は種によって大きく異なるが、数年から数十年に及ぶものがあるとされる。公園の一角を掘り返したあと、それまで見なかった草が一斉に出てくることがあるのは、この眠っていた種子が光を浴びて目覚めるためである。
この事実は、公園の改修工事に一つの含意を与える。園路の付け替えや広場の造成は、地上の植物を入れ替えるだけでなく、土の中の記憶を掘り起こす作業でもある。逆に、他所から客土を入れれば、その土に含まれていた種子ごと新しい植物が持ち込まれる。改修後の数年間、その公園の草地の顔ぶれが不安定になるのは自然なことであり、それ自体は管理の失敗ではない。ただし、この時期にどんな草が入るかは、その後十年の草地の性格を左右しうる。
6.4 放置は自然に戻すことではない
遷移論からしばしば導かれる主張に、「どうせ遷移すれば自然の林になるのだから、公園も刈らずに放置すればよい」というものがある。この主張には二つの弱点がある。第一に、遷移の到達点は周囲から届く種子によって決まるという点である。近くに自然林があり、そこから木の種子が運ばれてくる場所であれば林に向かうが、市街地の中の孤立した緑地では、届く種子の多くが先駆的な草本やつる植物、周辺の庭木由来のものになる。到達するのは想定された森ではなく、別の状態でありうる。
第二に、公園は人が使う場所であるという点である。都市公園法にもとづく都市公園は、住民が利用するための施設として設けられている。見通しがきくこと、歩けること、腰を下ろせることは、その施設としての機能の一部である。放置は「自然に戻す」という中立の行為ではなく、公園を別の種類の場所に変える積極的な選択である。
そのうえで、刈り取りを一律の悪とみなす必要もない。日本の里山にあった草原——茅場や採草地——は、人が毎年刈り続けたからこそ数百年にわたって草原であり続け、そこにしか生きられない植物を養ってきた。刈り取りという撹乱に依存して成り立つ植生を半自然と呼ぶ。公園の草地はまさにこの半自然の一種であり、放置でも人工でもない第三の状態にある。だとすれば問うべきは「刈るか刈らないか」ではなく、「どこを、どの高さで、年に何回、いつ刈るか」である。この問いは第9節で改めて扱う。
7. 種子散布——公園にどうやって入ってくるのか
植物は動かない。しかし、一生に一度だけ移動する。種子の時期である。第三層——自然侵入した草本——がどこから来たのかを問うことは、種子がどう運ばれるかを問うことに等しい。植物学では、種子の運ばれ方と、それに対応した果実や種子の形の組み合わせを散布様式と呼ぶ。形を見れば運ばれ方が推測できるという点で、散布様式は野外で最も使いやすい知識の一つである。
7.1 風・動物・自力——三つの主要な様式
- 風散布:綿毛(冠毛)をつけて浮かぶもの、翼をもって回転しながら落ちるもの、粉のように細かい種子を大量に飛ばすもの。開けた明るい場所へ届きやすく、先駆種に多い。
- 動物散布:果肉に包まれた種子が食べられ、消化されずに別の場所で排出される被食散布。かぎ状の突起や粘液で毛や衣服にくっつく付着散布。動物が食料として運んで埋め、食べ残しが発芽する貯食散布。どんぐりが鳥やネズミによって運ばれるのはこの型である。
- 自動散布:果実が乾いて裂けるときの力で種子を弾き飛ばすもの。飛距離は短いが、親のすぐ足元を避けられる。
- 重力散布・水散布:単に落ちる、あるいは水に浮いて流れる。斜面や水路ぎわでは、この二つが効いてくる。
この四つの区分は排他的ではない。落ちてから風に転がり、雨水に流され、最後に動物に運ばれる種子もある。それでも、綿毛のついた種子が舞う場所と、ひっつき虫が服につく場所は、公園の中でも違う。前者は開けた明るい草地、後者は人や犬が通る園路のきわである。散布様式は、公園のどこにどんな植物が入りやすいかを予測させてくれる。
7.2 都市で最大の運び手——人
都市の公園に限れば、種子を運ぶ主要な担い手はおそらく人である。靴の裏の泥、自転車やベビーカーの車輪、車のタイヤの溝、草刈り機やトラックの荷台、そして造成に使われる客土や資材。いずれも種子を運ぶ経路になる。公園は人の出入りが多い場所であり、その意味で種子の到達率がきわめて高い場所でもある。人為による散布は意図されたものではないが、規模としては風散布や動物散布に匹敵しうるとされる。
子どもも散布者である。どんぐりを拾ってポケットに入れ、家に持ち帰り、翌年別の場所で捨てる。松ぼっくりを工作に使い、庭に置く。草の実を服につけたまま歩く。これらは記録に残らない小さな移動だが、公園と家と学校をつなぐ経路として日々起きている。植物の移動を「人の管理の外で起こること」とみなすのは、都市においては現実に合わない。
7.3 公園の形と、種子の届きやすさ
散布の観点からは、公園の大きさと形も効いてくる。小さな公園ほど、面積に対する周縁の割合が大きい。外の道路や宅地から数メートル入ればもう中心だという公園では、外部から届く種子が全面に行き渡る。逆に大きな公園には、外からの種子が届きにくい内部が生じる。都市公園法施行令にもとづく街区公園の標準面積0.25ha・誘致距離250mという配置の考え方は、人にとっての利便性の基準として定められたものだが、種子の側から見れば「街じゅうに一定の間隔で置かれた着地点」として働く。公園の配置密度は、意図せずして植物の移動網でもある。
7.4 花壇からの逸出と、外来種をめぐる法
第二層から第三層への移動、すなわち植えたものが植えていない場所に出ていく現象を逸出という。花壇の草花が種子を落として周囲に広がる、地下茎が植え込みの縁を越える、水生植物の断片が流れに乗る。逸出そのものは日常的な出来事だが、繁殖力が強く、在来の植物を押しのけて広がる種の場合には別の問題になる。日本では外来生物法(特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律・平成16年法律第78号)が、生態系や人の生活への影響が大きいと判断された特定の種を指定し、栽培・保管・運搬・放出などを規制している。
ここで注意すべきは、外来種であることと法の規制対象であることは別だという点である。法が指定しているのは個別に評価された特定の種であり、外来の植物一般が禁じられているわけではない。公園の芝も花壇の草花も街路樹の多くも外国原産か園芸品種であり、外来だから悪いという単純な図式は成り立たない。問われるのは、その種がその場所でどう振る舞うかである。そして、何をどこに植えるかという第二層の判断が、十年後の第三層の顔ぶれを部分的に決めてしまうという点で、植栽の選択は散布の問題でもある。
8. 「雑草」という区分の危うさ
ここまで、公園の第三層を「自然侵入した草本」と呼んできた。日常の言葉ならこれらは「雑草」である。本節では、この呼び名が何を含み、何を落としているのかを検討する。結論を先に言えば、雑草は植物の性質を指す語ではなく、人と植物の関係の状態を指す語である。そのこと自体は誤りではない。問題は、関係を指す語が、あたかも植物の分類名であるかのように使われるときに起こる。
8.1 雑草に分類学上の実体はない
雑草学が繰り返し確認してきたのは、雑草という群がリンネ以来の分類体系のどこにも対応しないという事実である。ある種が雑草かどうかは、それがどこに生えているかと、その場所で人が何を望んでいるかによって決まる。畑では駆除の対象になる草が、山地では希少な在来植物として保全の対象になることがある。花壇に植えれば草花と呼ばれ、その隣の園路の目地に出れば雑草と呼ばれる。同じ種、同じ姿、同じ生理。変わったのは場所と、人の目的だけである。
この相対性は、実務にとって不都合なものではない。公園の管理は現に人の利用のために行われており、「ここには生えていてほしくない」という判断は正当な業務上の判断である。問題は別のところにある。「雑草」というラベルは、そこに複数の種があるという事実を一つの語で覆い隠してしまう。駆除の対象としてまとめられた瞬間に、それが何であるかを問う動機が消える。記録を取る立場からすると、これは情報の損失である。
8.2 それでも共通する形質はある
分類学上の実体はないが、人が撹乱し続ける場所に現れる植物には、生態学的な共通性がある。これを雑草性と呼ぶ。生活環が短く、発芽から開花までが速いこと。種子の数が多いこと。発芽の時期がそろわず、時間をずらして少しずつ発芽すること。土壌や日照の条件に対する許容の幅が広いこと。種子だけでなく地下茎や匍匐茎による栄養繁殖もできること。そして、明るく撹乱のある場所を好むこと。グライムのCSR戦略でいえば撹乱依存型(R型)に、遷移論でいえば先駆種に、それぞれほぼ対応する。
つまり雑草とは、人の目から見た価値づけの語であると同時に、人がつくり出した環境——耕され、踏まれ、刈られ、掘り返される場所——に適応した植物群を指してもいる。両者が重なるのは偶然ではない。人が撹乱をやめない限り、撹乱に適応した植物は現れ続ける。駆除は撹乱の一種であり、撹乱依存型に有利に働く面をもつ。刈っても戻ってくるのは、刈るという行為そのものが、刈られることを前提に生きる植物を選抜しているからでもある。
8.3 呼び方を変えると何が見えるか
本稿が第三層を「自然侵入した草本」と呼ぶのは、単なる言い換えではない。「雑草」という語には、望ましくないという判断があらかじめ含まれている。その判断を語からいったん外すと、問いが分かれて立てられるようになる。それは在来か外来か。多年生か一年生か。ロゼットをつくるか、匍匐茎を伸ばすか、直立するか。刈り取りに強いか弱いか。そして、その場所で人の利用の妨げになっているか、いないか。最後の問いだけが管理上の判断であり、それ以外は観察の記録である。両者を分けて扱えるようになることが、呼び方を変える実益である。
8.4 口に入れないという原則と、相談先
公園の草をめぐって、子育て世代が実際に気にするのは、触れて大丈夫か、口に入れて大丈夫かという点である。ここで本稿は、個別の植物について食べられる・食べられない、薬になる・ならないという判断を一切示さない。理由は二つある。第一に、当サイトは現地踏査を行っておらず、どの公園に何が生えているかを把握していない。第二に、見た目のよく似た植物どうしを写真や文章で見分けることは、専門家でも慎重を要する作業であり、記事の説明を手がかりに判断してよい事柄ではない。
実際的な原則は一つで足りる。公園の植物は口に入れない。実も、葉も、花も、樹液も同じである。手で触れたあとは手を洗う。この原則を守るなら、種を見分けられなくても困ることはない。子どもが何かを口にした、あるいは触れたあとに体調の変化があった場合の判断は、記事ではなく医療機関に委ねられる。夜間や休日の相談先としてはこども医療でんわ相談(#8000)があり、誤って口にした場合の相談窓口としては公益財団法人日本中毒情報センターの中毒110番が知られている。消費者庁も子どもの事故防止に関する情報をまとめている。
註:本稿は特定の植物について食用の可否や薬効を述べない。植物の成分に関する判断、および体調に関する判断は、医療機関・関係機関に委ねられる。公園では口に入れないという原則を保つことが、種を見分けることより確実である。
同じ考え方は、かぶれや花粉にも当てはまる。触れると皮膚に反応が出る植物があること、風で花粉を飛ばす植物が季節ごとにあることは広く知られているが、どの症状がどの植物によるものかを外から判定することはできない。公園の側でできるのは、園路のきわの見通しを保ち、子どもがよく通る動線で草をかぶらせないという物理的な設計であり、症状の判断は医療機関の領分である。植物学が答えられる問いと、答えてはならない問いの線引きを明確にしておくことは、この分野の記述では特に重要である。
9. 刈り取りが植物相を決める——管理強度と多様性
本稿の中心的な主張はここにある。公園の草地に生えている植物の顔ぶれを決めているのは、その土地にもともと何があったかでも、周囲から何が入ってきたかでもなく、そこがどう刈られているかである。刈り取りは、公園でもっとも広い面積に、もっとも規則的に加えられる撹乱であり、事実上の植生設計である。ただし、設計として意識されることはめったにない。
9.1 成長点の位置という決定要因
なぜ刈り取りがこれほど強く効くのか。理由は、植物が体のどこで伸びるかにある。多くの双子葉の草は、茎の先端にある成長点で伸びる。先端を刈られれば、その茎は伸びを止め、脇芽から作り直さなければならない。対してイネ科の草は、葉の付け根近くにある介在分裂組織という部分で伸びる。すなわち、葉の先を刈られても、伸びる部分は刈り刃より下に残っている。芝が刈られてもすぐ緑を回復するのはこのためであり、同じ理由で、イネ科の草は頻繁な刈り取りの下でも生き延びる。
双子葉の側にも対抗手段がある。葉を地面に張りつくように放射状に広げるロゼットという形である。ロゼットは、成長点を地際の低い位置に置き、葉を水平に伸ばす。刈り刃はその上を素通りし、光は独占できる。踏みつけにも比較的強い。ラウンケルの生活形でいえば半地中植物にあたり、冬をロゼットで越す草は市街地に多い。地面を横に這う匍匐茎をもつ草も同様で、節ごとに根を下ろし、上を刈られても本体を失わない。
結果として、頻繁に刈られる草地に残るのは、イネ科の草、ロゼットをつくる草、匍匐して広がる草という三つの型にほぼ限られる。市街地の公園の草地がどこも似た印象を与えるのは、地域の植物相が均質だからではなく、加えられている撹乱の型が均質だからである。刈り取りは、種を選ぶのではなく形を選ぶ。そして、形が選ばれれば、結果として種も選ばれる。
9.2 三つの変数——高さ・回数・時期
刈り取りを設計として扱うなら、変数は三つある。第一に高さ。低く刈るほど、成長点を低い位置に置ける型だけが残る。第二に回数。年に十数回刈る芝生広場と、年に一、二回刈る法面とでは、まったく別の植生になる。第三に時期。開花の前に刈れば種子はできず、開花のあとに刈れば種子は土に落ちる。同じ年二回でも、いつ刈るかで翌年の顔ぶれが変わる。この三つの組み合わせを管理レジームと呼ぶことにすれば、公園の草地の植物相は、管理レジームの関数としてかなりの部分が説明できる。
9.3 中規模撹乱仮説と、その含意
コンネル(1978)の中規模撹乱仮説は、撹乱の強さと種数の関係を一つの山型で描く。撹乱が弱すぎると、競争に強い少数の種が場所を占め、ほかを押しのける。刈らない草地で背の高い多年草が一面を覆い、その下が薄暗くなるのがこの状態である。撹乱が強すぎると、それに耐えられる少数の種しか残らない。低く頻繁に刈られる芝生がこれにあたる。種数が最も多くなるのは両者の中間、つまり適度な頻度で刈られる草地である。この仮説は多くの生態系で検証され、例外も指摘されているが、草地管理の指針としては広く参照されてきた。
含意は明快である。公園全体を一律に管理すれば、公園全体が山型のどこか一点に固定される。すべてを低頻度で刈れば全域が高茎草本に覆われ、すべてを高頻度で刈れば全域が数種類の草だけになる。区画ごとに管理レジームを変えれば、一つの公園の中に山型の複数の点が同時に存在することになる。これがモザイク管理の考え方であり、費用を増やさずに植物の多様性を上げうる方法として、各地で試みられている。刈る総面積は変えず、区画ごとに回数と時期をずらすだけでも、条件は変わる。
9.4 反論への応答
刈り残す区画を設けるという提案には、実務の側から複数の反論がある。第一に、手入れが行き届いていないと受け取られ、苦情につながるという指摘。第二に、草丈が高い場所は子どもの見通しを悪くし、見守りの目を妨げるという指摘。第三に、蚊や刺す虫が増えるという懸念。第四に、花粉が増えるという懸念。いずれも根拠のある指摘であり、生態の側の主張だけで押し切れるものではない。
- 見通しの問題は、場所の選び方で相当に処理できる。園路のきわ、遊具のまわり、出入口、見守りの視線が通るべき線は高頻度で刈り、法面・外周・樹林の下・利用のない隅を低頻度の区画にあてる。
- 苦情の問題は、意図の表示で受け取られ方が変わりうる。刈り残しの区画に、この区画はいつ刈る予定かを掲示するだけで、放置ではなく管理であることが伝わる。
- 虫の問題は、草丈だけでは決まらない。蚊の発生に効くのは主に水たまりであり、草地の管理とは別の対策が要る。刺す虫については、近づかない・巣を見つけたら管理者に伝えるという原則が先に立つ。
- 花粉の問題については、開花前に刈るという時期の設計が直接の手段になる。年二回のうち一回を開花前に置く判断は、種子の抑制にも花粉の抑制にも同時に効く。
費用の面にも触れておく。草刈りは公園の維持管理費の中で大きな比重を占める作業であり、回数は予算と人手の制約を強く受ける。つまり管理レジームは、生態学の問題であると同時に財政の問題である。全域を高頻度で刈る方針は、費用が高く、多様性が低く、しかも夏には刈っても追いつかないという三重の不利を負いうる。区画ごとに強度を変える方針は、費用配分の設計としても検討に値する。この点は財政や維持管理を扱う別の論考に接続する課題である。
10. 磐田市の公園への示唆
ここまでの枠組みを、磐田市の公園に当てはめる。最初に確認しておくべきは、手元にある情報の限界である。当サイトが収録している100園のうち、市のオープンデータ「都市公園一覧」に由来する94園について記載されている項目は、種別・面積と、トイレ・車いす対応トイレ・砂場・遊具の有無である。植物に関する項目はない。市の施設ガイドに個別ページのある77園についても、記載の中心は遊具とトイレと駐車場であり、植物についての記述はごく限られる。つまり、磐田市の公園の植物は、公的なデータのどこにもほとんど記録されていない。
施設ガイドに植物や地被に関わる記載が現れる例は数えるほどである。今之浦公園の「芝生広場」、はまぼう公園の「芝生広場」、豊田熊野記念公園の「熊野の長藤」、竜洋川袋公園と福田ふるさと公園の「築山」、安久路公園と今之浦公園の「流れ」、豊田香りの公園の「カスケード(滝)」。いずれも施設としての記載であって、植生の記載ではない。この空白は、本稿が特定園の植物リストを作らないと決めた理由であると同時に、これから何を記録すべきかを示してもいる。
10.1 規模の幅を、植物の目で読む
磐田市の公園の面積は、二之宮東第2緑地の17平方メートルから竜洋海洋公園の221,722平方メートルまで、四桁を超える幅で広がっている。豊田上新屋ポケットパーク156平方メートル、豊田第1緑地254平方メートル、豊田森下ポケットパーク286平方メートル、二之宮東第1緑地299平方メートルといった小さな緑地は、第7節でみた「周縁ばかりの空間」の典型である。外から届く種子がそのまま全面に行き渡り、内部というものが存在しない。ここに成立する植生は、周囲の道路や宅地の植物相の延長として読むのが妥当だろう。
他方、風致公園3園——つつじ公園61,937平方メートル、竜洋昆虫自然観察公園29,119平方メートル、いわたエコパーク23,973平方メートル——と、緑道2園——竜洋西堀緑地公園25,264平方メートル、竜洋南部緑地公園20,907平方メートル——は、規模の点で内部をもちうる。風致公園は樹林を伴う立地であることが多く、緑道は細長い形状ゆえに周縁の割合が大きい一方、帯として連続している。この形の違いが植生にどう現れているかは、踏査で確かめるべき最初の対象になる。
10.2 種別と管理レジームの対応
種別の内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園である。第9節の管理レジームの観点からすると、この内訳は刈り取りの強度の分布とおおむね対応するはずである。運動公園3園と総合公園3園の競技用の広場は、利用の性質上、低く高頻度で刈られる。街区公園51園の広場も同様に、遊び場としての見通しが求められる。対して都市緑地10園と緑道2園は、通り抜けと緑の量が主目的であり、刈り取りの強度を下げる余地が相対的に大きい種別である。
歴史公園である遠江国分寺史跡公園21,600平方メートル、墓園である緑ヶ丘霊園17,802平方メートルは、また別の条件下にある。史跡の芝地の管理は、地下の遺構を傷めないという制約を伴い、深く掘り返す作業や樹木の根の侵入が問題になりうる。この制約は、結果として草地を草地に留める方向に働く。刈り取りによって維持される半自然としての草地が、遺構保護という別の目的から要請されるという構図であり、植物学と考古学が同じ管理行為の両側に立つ場面といえる。
10.3 地区の偏りと立地条件
9地区別の園数は、豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。この分布は市街化の歴史と人口の分布を反映したものだが、植物の側から見ると立地条件の違いも重なる。天竜川に近い側と、台地の上の側とでは、土壌の粒度や水はけが異なると考えられ、それは草地に定着する植物の顔ぶれに影響しうる。ただしこれは一般的な見通しにすぎず、磐田市の各園の土壌条件を当サイトは把握していない。踏査の際に、地面が砂質か粘質か、水はけがよいか悪いかを記録するだけでも、この見通しを検証する材料になる。
もう一つ、周囲の土地利用の違いに注目したい。豊田地区の豊田海老塚農村公園、豊田富里農村公園、豊田中野戸農村公園、豊田森本農村公園、南部地区の浜部農村公園といった農村公園は、名称のとおり農地に囲まれた立地であることが想定される。市街地に囲まれた公園と、農地に囲まれた公園とでは、外から届く種子の供給源がまったく違う。第7節の散布の議論からすれば、この違いは第三層の顔ぶれに現れるはずである。市街地の公園と農村部の公園を対比して観察することは、磐田市という範囲でできる自然な比較になる。
10.4 踏査で何を記録するか
当サイトの踏査済みの園は現時点で0園であり、親目線の項目はすべて現地調査待ちの状態にある。植物についても同じである。そこで本稿は、踏査の記録項目として、種名の一覧より先に次のものを置くことを提案する。第一に草地の刈り高と刈られた跡の状態、第二に地被の型——芝生か、混生した草地か、裸地か、落葉に覆われているか、第三に区画ごとの管理強度の差の有無、第四に樹木の下がどうなっているか、第五に舗装のきわや縁石ぎわといった第三層の現れる場所の様子である。いずれも植物名を知らなくても記録でき、季節をまたいで比較できる。
種名の記録を排するわけではない。ただ、名前の一覧は一度の訪問では埋まらず、季節を変えて何度も通う必要がある。管理レジームの記録は一度の訪問でもかなりの精度で取れ、しかも第9節でみたとおり、植物相を決める主要因そのものである。順序として、条件を先に、名前をあとに置くのが実際的だろう。写真を季節ごとに同じ位置から撮る定点記録も、名前を知らないまま始められる方法である。なお当サイトの管理課の窓口は磐田市都市整備課(電話0538-37-4806)であり、公園の管理に関する事実の確認はそちらに委ねられる。本サイトを運営する富士ヶ丘サービス株式会社は不動産・介護事業を営む地域の会社であり、公園の管理者ではない。
11. 結論と今後の課題
本稿は、公園に生えているものをどう見分け、どう書き留めるかという問いから出発した。日常の言葉が用意している「植栽・自生・雑草」という三区分は、来歴・分布史・価値づけという別々の軸を一つに束ねており、そのままでは記録の枠組みにならない。代わりに本稿が置いたのは、人が植えて剪定する植栽木、人が導入し刈り込みで維持する地被、人が導入していない自然侵入した草本という三層である。分ける基準を「誰のどんな行為が顔ぶれを決めているか」の一本に絞ったことで、在来か外来かという問いを独立に立てられるようになった。
第二の結論は、公園の草地の顔ぶれが植物の生理と形態からかなりの部分説明できるということである。夏に勢いよく伸びる草の多くはC4型の光合成をもち、高温・強光・乾燥という都市の夏の条件で有利に立つ。頻繁に刈られる場所に残るのは、成長点を刈り刃より下に置ける型——イネ科、ロゼット、匍匐——にほぼ限られる。市街地の公園の草地がどこも似て見えるのは、地域の植物相が均質だからではなく、加えられている撹乱の型が均質だからである。
第三の結論は、公園の草地が放置された自然でも純粋な人工でもなく、刈り取りという撹乱によって遷移の初期に固定された半自然だということである。刈るのをやめれば、草地は高茎草本に覆われ、やがて低木とつる植物の場所になる。到達点は周囲から届く種子で決まり、市街地の孤立した緑地では、想定された林にはなりにくい。だとすれば問いは「刈るか刈らないか」ではなく「どこを、どの高さで、年に何回、いつ刈るか」であり、この管理レジームの設計こそが、意識されないまま行われている植生設計である。
11.1 本稿の限界
限界は明確である。第一に、当サイトの現地踏査は始まっておらず、磐田市の公園の植生について本稿は一つの観察も報告していない。第10節で述べたことはすべて、公開されている面積・種別・地区の情報と、一般的な植物学の知見から導かれる見通しであって、確かめられた事実ではない。第二に、本稿は文献整理と概念分析に徹しており、磐田市を対象とした調査研究を参照していない。第三に、植物の同定という実践的な技能について、本稿は何も提供していない。枠組みは名前の代わりにはならない。
第四に、本稿は食用の可否や薬効について一切判断を示していない。これは限界であると同時に、意図した線引きでもある。植物の成分に関する判断と、体調に関する判断は、記事が担うべき領域ではない。公園では口に入れない、触れたら手を洗うという原則を保ち、判断が必要な場面では医療機関や相談窓口に委ねる。この線は、踏査が進んで植物の記録が蓄積したあとも動かさない。
11.2 今後の課題
- 管理レジームの記録:踏査の際に、刈り高・地被の型・区画ごとの管理強度の差・樹木の下の状態・舗装のきわの様子を記録し、種別や規模との対応を確かめる。
- 季節の反復:同じ位置から季節ごとに撮る定点写真を積み重ね、春の草と夏の草の交代、常緑と落葉の対比、冬の芝生の休眠を、一つの園の中で追う。
- 市街地と農村部の対比:周囲が市街地の公園と、農地に囲まれた農村公園とで、自然侵入した草本の顔ぶれがどう違うかを比較する。散布の供給源の違いが現れるはずである。
- 小さな緑地の位置づけ:数百平方メートル以下の緑地とポケットパークが、植物にとって何であるのかを、規模と周縁の観点から検討する。
- 他分野との接続:樹木の安全管理、昆虫や鳥の生息環境、維持管理費の配分、そして景観の設計。刈り取りという一つの行為が、これらすべての接点にある。
最後に、この論考が誰に向けたものかを述べておく。公園の植物は、専門家だけが読むものではない。子どもを連れて毎週同じ公園に通う人ほど、その地面の一年の変化をよく見ている。名前を知らなくても、いつ刈られたか、どこが茶色くなったか、どこに花が咲いたかは目に入っている。本稿が提示した三層と管理レジームという枠組みは、その日常の観察に言葉を与えるためのものである。名前は後からついてくる。まず、そこで何が起きているのかを見る枠組みを持つこと。それが、踏査という長い作業の入口になる。
参考文献
- カール・フォン・リンネ(1753)『Species Plantarum』(Laurentius Salvius)
- エウゲニウス・ワーミング(1895)『Plantesamfund』(英訳『Oecology of Plants』Oxford University Press、1909)
- フレデリック・E・クレメンツ(1916)『Plant Succession: An Analysis of the Development of Vegetation』(Carnegie Institution of Washington)
- ヘンリー・A・グリーソン(1926)「The individualistic concept of the plant association」Bulletin of the Torrey Botanical Club, 53
- クリステン・ラウンケル(1934)『The Life Forms of Plants and Statistical Plant Geography』(Oxford University Press)
- M・D・ハッチ、C・R・スラック(1966)「Photosynthesis by sugar-cane leaves: a new carboxylation reaction and the pathway of sugar formation」Biochemical Journal, 101
- ジョセフ・H・コンネル(1978)「Diversity in tropical rain forests and coral reefs」Science, 199
- J・フィリップ・グライム(1979)『Plant Strategies and Vegetation Processes』(John Wiley & Sons)
- Angiosperm Phylogeny Group(2016)「An update of the Angiosperm Phylogeny Group classification for the orders and families of flowering plants: APG IV」Botanical Journal of the Linnean Society, 181
- 沼田眞、吉沢長人 編(1975)『新版 日本原色雑草図鑑』(全国農村教育協会)
- 沼田眞(1987)『都市の生態学』(岩波新書)
- 宮脇昭 編(1980-1989)『日本植生誌』(至文堂)
- 特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(外来生物法・平成16年法律第78号)
- 公益財団法人 日本中毒情報センター(中毒110番)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
- 消費者庁「子どもを事故から守る!」(子どもの事故防止)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。