計画・工学サービスデザイン
公園を訪れる体験を設計する——ジャーニーマップとタッチポイント
要旨
本稿は、公園の質を施設の一覧ではなく、利用者が経る一連の体験として捉え直す試みである。公園について語られるとき、話題はしばしば遊具の種類やトイレの有無といった設備の項目に集まる。しかし利用者にとっての公園は、まず「どこにあるどんな場所か」を調べるところから始まり、向かい、着き、使い、帰るまでの連なりとして経験される。設備が同じでも、この連なりのどこかに切れ目があれば体験は損なわれる。サービスデザインは、まさにこの連なりを設計の対象にするための方法を蓄積してきた分野である。
方法は文献整理と概念分析、および公開されている法令・省庁指針・自治体の公開情報の参照である。まずサービスという対象の性質と、ショスタックのサービスブループリント、期待不一致モデル、人間中心設計の系譜を整理する。次に公園利用を「調べる・向かう・着く・使う・帰る」の五つの局面に分けたジャーニーとして記述し、各局面のタッチポイント(利用者と公園とが接する点)を洗い出す。さらにフロントステージとバックステージの区別、ペインポイントの抽出方法、期待と記憶をめぐる理論、そして複数の利用者のジャーニーが同じ場所で交差することの意味を検討する。
本稿は利用者調査に基づく報告ではない。当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園を収録するデータベースであり、現地の踏査はこれからの段階にある。したがって本稿では、調査で得たかのような数値や利用者像を推定して述べることはせず、公開情報の範囲で確認できる事実と、方法そのものの整理にとどめる。
結論として、公園の体験の質は施設そのものよりも、情報・到達・滞在・退出の継ぎ目に宿ると論じる。磐田市の100園について、市の施設ガイドに個別ページのある77園とそうでない園とで「調べる」局面の情報量が不揃いであること、季節や時間で姿の変わる施設が含まれることを指摘し、踏査で確かめるべき項目を今後の課題として示す。
キーワードサービスデザインジャーニーマップタッチポイントサービスブループリントペインポイント人間中心設計都市公園
1. はじめに——問題の所在
公園の良し悪しは、しばしば設備の一覧で語られる。ブランコがある、滑り台がある、砂場がある、トイレがある。自治体の施設ガイドもオープンデータも、公園を「何が置かれているか」の集合として記述する。この記述は正確であり、比較にも検索にも向いている。行政が管理すべき対象は物であり、点検も更新も物に対して行われる以上、この見方は制度の側から見れば自然でもある。
しかし、利用者の側から見たとき、公園はまず物ではない。ある日ある時刻に、ある目的をもって、ある人が、ある経路でそこへ行き、しばらく過ごして帰る——その一連の出来事が公園体験である。同じ設備を持つ二つの公園が、まるで違う評価を受けることは珍しくない。差は多くの場合、遊具の性能ではなく、そこへ至る道の分かりにくさ、着いてから座る場所を見つけるまでの手間、帰ろうと声をかけてから実際に帰るまでの摩擦といった、設備の一覧には現れない部分に生じている。
1.1 設備の一覧が取りこぼすもの
設備の一覧が取りこぼすものを、三つに分けて述べておきたい。第一に、時間である。同じ公園でも、平日の午前と土曜の午後、夏の正午と冬の夕方では別の場所になる。日陰の位置は動き、遊具の表面温度は変わり、居合わせる人の年齢層も入れ替わる。一覧はこの変化を記述しない。
第二に、前後の文脈である。公園に着くまでには、行き先を決め、持ち物を用意し、経路を選び、駐輪や駐車の可否を判断するという段取りがある。帰るときには、遊びを終わらせ、汚れを落とし、次の予定へつなぐという段取りがある。これらは公園の敷地の外で起きるが、体験の質を大きく左右する。
第三に、目に見えない支えである。遊具が使える状態にあることの背後には点検があり、水が出ることの背後には設備の維持があり、草が伸びすぎないことの背後には管理の作業がある。利用者はふつうこれらを見ない。見えないものが止まったときにだけ、その存在が「使えない」という形で立ち現れる。
1.2 サービスデザインという補助線
この三つを同時に扱うための道具立てが、サービスデザインと呼ばれる分野に蓄積されている。サービスデザインは、目に見えない出来事の連なりを図に描き、どこで誰が何に接するのかを洗い出し、その接点の質を設計の対象にする方法の総称である。1980年代に、銀行や航空といった無形の商品を扱う分野で生まれ、のちに公共サービスや医療、行政手続の設計にも広がった。
公園は無償で開かれた公共空間であり、対価を払って受け取る商業サービスとは性格が異なる。だからこそ、サービスデザインの語彙をそのまま持ち込むことには慎重でなければならない。利用者を顧客と呼び替え、満足度の最大化を目的に据えた瞬間に、公共空間が持つ別の価値——誰も何も買わなくてよいこと、目的がなくてもいてよいこと——が視野から落ちる。本稿は第8節でこの批判を正面から扱う。
1.3 本稿の問い
以上をふまえ、本稿は次の三つを問う。第一に、公園の利用はどのような局面の連なりとして記述できるか。第二に、その各局面において、利用者は何に接しているのか。第三に、その接点のうち、行政でも設計者でもない第三者が担いうる部分はどこか。第三の問いは、当サイトのような公開情報の編集が体験のどこに位置するのかを考えるためのものである。
- 問い1: 公園利用はどのような局面の連なりとして記述できるか(第3節)
- 問い2: 各局面で利用者は何に接しているか、その接点は誰が持っているか(第4節・第5節)
- 問い3: 摩擦はどこに生じ、どう扱うべきか(第6節・第7節・第8節)
1.4 方法と、はじめに断っておくこと
方法は文献整理と概念分析、および公開されている法令・省庁指針・自治体の公開情報の参照である。本稿は利用者調査に基づく報告ではない。当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園を収録するデータベースであり、現地の踏査はこれから始まる段階にある。したがって、利用者の行動を観察して得たかのような数値や、典型的な利用者像を作って提示することはしない。サービスデザインの実務では調査から出発するのが定石であるが、その定石を踏めていないことをまず明記しておく。
註:本稿で用いる「サービス」という語は、対価を伴う商取引に限らず、複数の関係者の働きによって利用者に何らかの状態がもたらされる仕組み一般を指す。公園に当てはめる場合、その仕組みには設置管理者・設計者・施工者・点検事業者・地域の団体・利用者自身が含まれる。
2. 先行研究と概念の整理——サービスをデザインするという発想
サービスデザインは、単一の理論から生まれた分野ではない。経営学におけるサービス研究、認知科学と工業デザインから来た人間中心設計、そして都市空間の観察研究という、出自の異なる三つの流れが二十世紀後半に合流してできている。本節ではこの三つを順に整理し、公園を論じるために使える概念を取り出す。
2.1 サービスという対象の性質
第一の流れは、無形の商品をどう扱うかという問題意識から始まった。物品と違い、サービスには在庫がなく、生産と消費が同じ場で同時に起き、提供者と利用者の相互作用のなかで質が決まり、終わればあとに残らない。この性質は、無形性・同時性・変動性・消滅性としてまとめられてきた。
公園はこの四つの性質を、やや変則的な形で備えている。敷地と施設という物的な基盤を持つ点でサービスとは異なるが、そこで生じる体験そのものは在庫できず、その日その時間に居合わせた人と天候によって変動し、終われば記憶のほかに残らない。設備を整えることは体験の必要条件であっても十分条件ではない、という本稿の出発点は、この性質から導かれる。
なお、この分野が公共の領域へ広がったのは比較的新しい。パインとギルモア(1999)が体験そのものを提供物として論じ、スティックドーンらが2011年以降に方法を体系化していく過程で、対象は商業サービスから行政手続、医療、交通、教育へと広がった。武山(2017)が整理するように、日本でもこの十数年で公共分野への適用が進んでいる。公園を対象とする議論は多くないが、対象が公共であることが原理的な障害になるわけではない。
2.2 ブループリントの発明
サービスを設計対象として扱う決定的な一歩は、G・リン・ショスタックによる「サービスブループリント」の提案である。ショスタック(1982、1984)は、サービスを言葉で説明するかぎり関係者ごとに解釈が食い違い、改善の議論が噛み合わないと指摘し、サービスの進行を時間軸に沿った図として描くことを提案した。要点は、利用者に見える層と見えない層とを一本の線で分けたことにある。この線が可視線であり、線の上を利用者の行為と接点、線の下を提供側の作業として描き分ける。
この図式の意義は二つある。ひとつは、それまで暗黙に流れていた作業の手順が図として共有可能になったこと。もうひとつは、「利用者からは見えないが体験を規定している作業」が明示的に位置づけられたことである。公園でいえば、点検や清掃や樹木の管理がこれにあたる。
2.3 質と満足はどう測られてきたか
サービスの質をめぐっては、期待と実際の差として捉える考え方が広く用いられてきた。オリバー(1980)は、満足を事前の期待とその後の知覚との不一致から説明する枠組みを示した。パラスラマン、ザイタムル、ベリー(1985、1988)は、提供側が思う質と利用者が感じる質のあいだにいくつかの断層があることを整理し、質を測るための尺度を提案した。
これらの枠組みは商業サービスを念頭に組み立てられているため、公園にそのまま適用することはできない。無償で開かれた場では、利用者は不満があっても離脱するだけで意見を述べないことが多く、満足度を測る回路自体が存在しないからである。それでも「期待が事前に形成され、その期待との差で体験が評価される」という基本の構造は、公園にも当てはまる。第7節でこの点を扱う。
2.4 人間中心設計という系譜
第二の流れは、設計する側の姿勢に関わる。サイモン(1969)は、デザインを「現状をより好ましい状態に変える行為の道筋を考えること」として位置づけ、設計を科学の対象として論じた。ノーマン(1988)は、日用品の使いにくさが利用者の不注意ではなく設計の問題であることを、扉やスイッチの例で示した。この視点は、使い方が分からない遊具や、見つけにくい入口を「利用者の慣れの問題」で済ませないための土台になる。
こうした考え方は、のちに人間中心設計として規格の形にも整理された(ISO 9241-210)。そこでは、利用の文脈を理解し、要求を明確にし、案を作り、評価するという循環を繰り返すことが求められる。英国デザインカウンシルが2005年に示した「ダブルダイヤモンド」の図式——広げて絞る作業を二度繰り返す——も、同じ考え方を簡潔に表したものとして広く参照されている。
2.5 公共空間の観察という流れ
第三の流れは、都市空間そのものを対象とした観察研究である。リンチ(1960)は、人が都市をどう頭の中に描くかを、道・縁・地区・結節点・目印という要素で整理した。ゲール(1971)は、建物と建物のあいだで起きる活動を「必要な活動・任意の活動・社会的な活動」に分け、環境の質が変わるとき最も敏感に増減するのは任意の活動であると論じた。ホワイト(1980)は、小さな都市広場の使われ方を長時間の記録から分析した。
この三者に共通するのは、空間を設計図の側からではなく、そこで実際に起きていることの側から記述する態度である。サービスデザインの語彙と組み合わせるとき、この態度は重要な歯止めになる。図に描いた流れが現実と一致しているかどうかは、最終的には現場を見なければ分からないからである。
- 1960 リンチ『都市のイメージ』——人が空間を認識する単位の整理
- 1969 サイモン『システムの科学』——デザインを人工物の学として位置づける
- 1971 ゲール『建物のあいだのアクティビティ』——任意の活動という着眼
- 1980 ホワイト『小さな都市空間の社会生活』/オリバー 期待不一致モデル
- 1982・1984 ショスタック サービスブループリントの提案
- 1985・1988 パラスラマンら サービス品質のギャップと尺度
- 1988 ノーマン『誰のためのデザイン?』——使いにくさは設計の問題
- 1999 パインとギルモア『経験経済』——体験そのものを提供物として扱う
- 2004 ヴァーゴとラッシュ サービス・ドミナント・ロジックの提唱
- 2005 英国デザインカウンシル ダブルダイヤモンドの図式
- 2011以降 スティックドーンらによるサービスデザインの方法の体系化
3. 公園体験を五つの局面に分ける——ジャーニーという記述法
ジャーニーマップとは、利用者がある目的を果たすまでの一連の行為を時間順に並べ、各段階で何をし、何に接し、何を考え、どこで詰まるのかを一枚に描いた図である。カルバック(2016)が整理したように、この種の図には粒度の異なる複数の型があるが、共通しているのは、組織の側の都合ではなく利用者の側の時間で並べ替える点にある。設備の一覧が「何があるか」の地図であるとすれば、ジャーニーマップは「何が起きるか」の時間割である。
3.1 なぜ局面に分けるのか
体験を局面に分けることには、実務上の理由がある。ひとつは、責任の所在が局面ごとに違うからである。公園に着いてからの質は設置管理者の領分だが、そこへ至る道の質は道路の管理者の領分であり、行き先を選ぶ段階の情報は市の広報や地図サービスや口伝えが担っている。局面を分けずに「公園が使いにくい」と述べても、誰が何を直せばよいのかが定まらない。
もうひとつは、改善の費用が局面ごとに大きく違うからである。遊具を入れ替えるには相応の費用と年月がかかるが、入口の位置と駐車の可否を事前に知らせることは、はるかに小さな費用でできる。体験を局面に分けて眺めると、費用対効果の高い改善が施設の外側に多く見つかる。
3.2 五つの局面
本稿は公園利用を、調べる・向かう・着く・使う・帰るの五局面として記述する。この分け方は本稿が便宜的に置いたものであり、確立された標準ではない。ただし、局面の切れ目をどこに置くかには理由がある。切れ目はいずれも「管理の主体が変わる点」または「利用者の判断がやり直せなくなる点」に置いてある。
| 局面 | 利用者がしていること | 主な問い |
|---|---|---|
| 調べる | 行き先の候補を挙げ、条件で絞り、決める | そこに何があるか。今日の条件に合うか |
| 向かう | 経路と交通手段を選び、移動する | どう行くか。どれくらいかかるか |
| 着く | 入口を見つけ、置き場所を決め、様子をつかむ | どこから入るか。どこに落ち着くか |
| 使う | 遊ぶ・休む・見守る・整える | 何ができるか。どこまでしてよいか |
| 帰る | 切り上げ、片づけ、体を整え、次へつなぐ | どう終わらせるか。何を持ち帰るか |
3.3 局面の切れ目に何が起きるか
サービスデザインが局面の切れ目を重視するのは、そこで情報が落ちるからである。調べる局面で得た情報は、向かう局面ではもう手元にないことがある。着く局面でつかんだ状況は、使う局面で判断の前提になるが、その前提が誤っていても訂正の機会は少ない。切れ目をまたいで持ち越されるのは、正確な情報ではなく、あいまいな印象であることが多い。
とりわけ、調べる局面と着く局面のあいだの落差は大きい。事前に得られるのは施設名の一覧と地図上の点であり、そこから想像される姿は、実際の敷地の広さ、木陰の量、地面の質、見通しのよさとしばしば食い違う。この落差は誰の怠慢によるものでもなく、公開情報の粒度が敷地の情報を運べる形になっていないことによる。
3.4 ジャーニーは一本ではない
ここで一つ留保を置く。ジャーニーマップという道具は、一本の線として体験を描くため、実際には並行して進む複数の出来事を単純化してしまう。子どもを二人連れている場合、上の子のジャーニーと下の子のジャーニーは同じ公園で別々に進み、保護者は両方を同時に見ている。犬を連れた散歩、部活の帰り道の中高生、近隣で暮らす高齢者のジャーニーもまた同時に走っている。
したがって本稿では、五局面を体験の記述の枠として用いつつ、それが単一の代表的利用者を想定するものではないことを繰り返し確認する。複数のジャーニーが同じ敷地で交差することの意味は、第8節で改めて論じる。
註:本稿の五局面は、公園という目的地が既に選択肢に入っている場合の記述である。そもそも公園という選択肢が思い浮かばない、あるいは行くこと自体が難しいという段階は、この五局面の手前にある。その段階は別の枠組みで扱う必要がある。
4. タッチポイント——利用者は何に接しているか
タッチポイントとは、利用者とサービスとが接する具体的な点を指す。窓口、画面、書類、看板、電話、そして人。サービスデザインの実務では、ジャーニーの各局面にどのタッチポイントが立っているかを列挙することから作業が始まる。列挙してみると、ひとつのサービスが驚くほど多くの接点を持ち、しかもそれらが別々の部署や別々の組織に属していることが分かる。この「所有者のばらつき」こそが、体験の一貫性を崩す主因である。
4.1 三つのチャネル
タッチポイントは、媒体によって三つに分けて考えると整理しやすい。第一はデジタルの接点である。公園でいえば、自治体のウェブページ、オープンデータ、地図サービス上の表示、写真の投稿、当サイトのような編集された情報がこれにあたる。第二は物理の接点である。園名板、案内図、注意表示、遊具に貼られた対象年齢の表示、入口の段差、舗装の切り替わり、ベンチ、水飲み場、トイレの扉。第三は人の接点である。管理者、清掃や点検の作業者、地域の団体、そして先に来ていた他の利用者。
この三分類が有用なのは、質の決まり方が媒体ごとに違うからである。デジタルの接点の質は更新の頻度と粒度で決まり、物理の接点の質は設置位置と維持の状態で決まり、人の接点の質は居合わせという偶然に大きく左右される。同じ「分かりにくい」でも、原因の層が違えば手当ての仕方も違う。
4.2 局面ごとのタッチポイント
調べる局面のタッチポイントは、ほぼすべてデジタルか人づてである。市の施設ガイドの記載、オープンデータの項目、地図上の名称、天候や暑さ指数の情報、そして知人からの評判。ここで得られるのは施設名の並びであり、その並びから体験を想像する作業は利用者に委ねられている。
向かう局面では、経路そのものがタッチポイントになる。歩道の有無、横断の回数、坂の勾配、途中に店や日陰があるかどうか。ベビーカーや自転車を使う場合、経路の質は目的地の質と同じくらい体験を左右する。しかしこの層の情報は、公園の情報としてはほとんど公開されていない。
着く局面では、物理の接点が一気に増える。入口の位置、園名板、案内図、駐車や駐輪の場所、地面の質、日陰の位置、トイレの場所。これらは同時に目に入るが、優先順位は利用者の状況によって違う。乳児を連れていればおむつ替えのできる場所が最優先になり、球技をしに来た中学生には広場の形が最優先になる。
使う局面のタッチポイントは、遊具や設備そのものに加えて、「どこまでしてよいか」を伝える表示である。対象年齢の表示、球技に関する掲示、犬の連れ方に関する掲示、ゴミの扱いに関する掲示。これらは規制であると同時に、利用者どうしの摩擦を減らすための情報でもある。帰る局面では、水道、ゴミ箱の有無、退出口、そして次の予定へつながる周辺の環境がタッチポイントとなる。
こうして列挙すると、接点の数は局面が進むにつれて増え、着く局面で最大になり、帰る局面で急に減ることが分かる。接点が多い局面ほど、利用者は短時間に多くの判断を求められる。着いた直後に人が立ち止まるのは、迷っているからではなく、複数の情報を同時に処理しているからだと考えたほうが実態に近い。この時間を短くする手当ては、案内を増やすことではなく、優先して目に入るべき情報を一つに絞ることに向かう。
4.3 所有者がばらばらであるということ
ここで重要なのは、これらのタッチポイントが単一の主体に属していないことである。園内の表示は設置管理者のものだが、そこへ至る歩道は道路管理者のものであり、地図上の表示は民間の地図事業者のものであり、評判は利用者どうしのやりとりの産物である。利用者から見れば一続きの体験が、提供側から見ると別々の所管に分断されている。
サービスデザインが「体験の一貫性」を課題として立てるのは、この分断が既定の条件だからである。組織を統合することは現実的でないため、実務では、分断されたまま辻褄を合わせる仕掛けが求められる。案内の表記を揃える、同じ名称を使う、同じ情報を複数の媒体で矛盾なく出す——地味だが効く手当てはこの種のものである。
4.4 最初のタッチポイントは施設ではない
本節の帰結として、ひとつの命題を置きたい。公園体験の最初のタッチポイントは、公園そのものではなく、公園についての情報である。利用者が最初に接するのは敷地ではなく、名前と地図上の点と、いくつかの語である。ここでどのような像が結ばれるかが、その後の四つの局面の前提になる。
この命題には実務的な含意がある。第一に、情報の質を上げることは、施設に手を入れずに体験を変えられる数少ない方法である。第二に、逆に、誤りや古さを含んだ情報は、施設がどれほど整っていても体験を損なう。第三に、情報という接点は行政以外の主体も担いうる。公開されているデータと公開されている記載を突き合わせて整理する作業は、設置管理者でなくても行える。当サイトが置かれているのはこの位置である。
5. サービスブループリント——可視線の上と下
ジャーニーマップが利用者の側から体験を描く図であるとすれば、サービスブループリントは提供側の作業まで含めて一枚に描く図である。ショスタック(1982、1984)に始まるこの図式は、後の研究者によって層の数を増やしながら整理され、現在では四本の線で五つの層を分けるのが一般的である。公園に当てはめると、ふだん一体として語られている「公園の管理」が、性格の異なる複数の作業に分かれて見えてくる。
5.1 四本の線と五つの層
最上層は利用者の行為である。その下に相互作用線が引かれ、線のすぐ下に、利用者が直接触れる要素——人と物——が並ぶ。これがフロントステージである。さらに下に可視線が引かれ、その下に、利用者からは見えないが体験を直接支える作業が並ぶ。これがバックステージである。もう一本、内部相互作用線を引くと、その下に、現場を支えるさらに後方の仕組み——調達、契約、記録、予算——が位置づけられる。
| 層 | 公園における中身 | 利用者からの見え方 |
|---|---|---|
| 利用者の行為 | 調べる・向かう・着く・使う・帰る | 自分がしていること |
| フロントステージ(物) | 遊具、ベンチ、トイレ、水飲み場、園名板、案内表示、舗装、樹木 | そこにあるものとして見える |
| フロントステージ(人) | 居合わせた作業者、地域の団体の活動、他の利用者 | たまたま出会えば見える |
| バックステージ | 日常点検・定期点検、清掃、除草、樹木の手入れ、遊具の補修、苦情や要望の受付 | 原則として見えない |
| 支援の仕組み | 予算編成、発注と契約、点検記録の保存、台帳とデータの整備、法令と指針の運用 | まったく見えない |
5.2 公園のバックステージ
公園のバックステージのうち、制度として明確な形を与えられているのが遊具の点検である。国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」は、日常的な点検と、専門的な知識を持つ者による定期的な点検とを区別し、点検の結果に応じた措置と記録の保存を求めている。利用者がふだん目にすることのないこの作業が、フロントステージの「遊具が使える」という状態を成立させている。
点検以外にも、清掃、除草、樹木の手入れ、砂場の砂の管理、水回りの維持といった作業がある。これらは季節と天候に強く依存し、一定の周期で繰り返される。利用者から見た公園の印象——草の丈、落ち葉の量、砂場の状態——は、この周期のどこに来訪が当たったかで大きく変わる。同じ公園を二度訪れて印象が違ったとしても、それは記憶違いではなく、実際に別の状態を見ている可能性が高い。
5.3 失敗点と、その復旧
ブループリントを描く実務的な効用のひとつは、失敗点を特定できることにある。失敗点とは、そこで止まると体験全体が成立しなくなる箇所である。公園でいえば、遊具に使用禁止の措置が取られている、トイレが閉じている、水が出ない、駐車の場所が満杯である、といった状態がこれにあたる。
重要なのは、失敗そのものを消すことは不可能だという点である。遊具は不具合が見つかれば止めなければならず、それは安全のための正しい措置である。したがって設計の課題は、失敗を起こさないことではなく、失敗が起きたときに利用者が次の手を取れるようにすることに移る。使えない状態がいつから続いているのか、代わりにどこへ行けばよいのか、いつごろ戻るのか。この三つのうちひとつでも伝われば、体験の損なわれ方はかなり違ってくる。
5.4 可視線を動かすという設計
ブループリントの可視線は固定されたものではなく、設計によって上下に動かせる。バックステージの作業の一部をあえて見せることは、サービス研究でしばしば論じられてきた主題である。作業の存在が伝わることで、利用者の期待が現実に近づき、待ちの時間が短く感じられるという効果が知られている。
公園の場合、可視線を上げる余地はいくつかある。点検が行われていること、遊具に使用制限がかかった理由と見通し、清掃や除草の周期、地域の団体による活動の予定。これらはいずれも、公園の使い方そのものを変える情報ではないが、利用者が状況を理解するための手がかりになる。一方で、見せすぎることの弊害もある。管理の細部を過剰に前景化すると、公園が「管理された施設」として意識され、自由に使ってよい場所という感覚が薄れる。どこまで見せるかは、それ自体が設計の判断である。
註:本稿は磐田市における点検や清掃の実施体制の詳細を把握していない。上記は制度の一般的な枠組みと、指針に示された考え方の範囲での記述であり、個別の運用について述べるものではない。
6. ペインポイントの抽出——方法と、その慎重さ
ペインポイントとは、ジャーニーのなかで利用者が引っかかる点、手間が増える点、あきらめが生じる点を指す。サービスデザインの実務は、この引っかかりを具体的に特定するところから始まる。抽象的な「使いにくさ」ではなく、どの局面の、どの接点で、何がどう分からなかったのかまで下ろす。下ろしきれていない課題は、改善案も抽象的になる。
6.1 引っかかりは三種類ある
引っかかりは、その性格によって三つに分けられる。第一は、情報の欠落による引っかかりである。知っていれば避けられたことを知らずに来てしまう。第二は、期待とのずれによる引っかかりである。情報はあったが、そこから想像した姿と実際が違った。第三は、構造そのものによる引っかかりである。情報の問題ではなく、その場所がその目的に向いていない。
この区別が重要なのは、手当ての担い手が違うからである。第一は情報の整備で減らせる。第二は情報の書き方で減らせる。第三は施設の改修か、あるいは別の場所を選ぶことでしか解けない。三つを混ぜて論じると、情報で解ける問題に改修を求め、改修が要る問題を情報のせいにするという取り違えが起きる。
6.2 抽出の方法
サービスデザインが用いる抽出の方法は、おおむね次の系統に分かれる。第一は観察である。現場に留まり、人がどこで立ち止まり、どこを見て、どちらへ進むかを記録する。ホワイト(1980)が小さな都市広場に対して行ったのは、この系統の代表的な仕事である。第二は同行である。利用者に付き添い、判断の場面でその理由を尋ねる。第三は自己記録で、利用者自身に一定期間の記録を残してもらう。
第四は、既にある記録の分析である。窓口に寄せられた要望や苦情の記録、修繕の履歴、点検で見つかった不具合の傾向。これらは調査を新たに行わなくても存在する資料であり、引っかかりの所在を示す痕跡として読める。第五は、公開情報どうしの突き合わせである。異なる媒体の記載を並べたときに生じる矛盾や欠落は、それ自体が調べる局面の引っかかりを示している。
これらの方法には、それぞれ得意な局面がある。観察は着く局面と使う局面に強く、同行は向かう局面と帰る局面に強い。既存記録の分析は、繰り返し起きている構造的な問題を見つけるのに向く。公開情報の突き合わせは、調べる局面に限れば、費用をかけずに広く網をかけられる唯一の方法である。
6.3 調べていないことを書かないという規律
ここで本稿の限界を、方法論の問題として正面から述べておく。当サイトはこれまで利用者調査を行っていない。観察も、同行も、自己記録の収集も行っていない。したがって本稿は、「利用者はこの局面でこう感じる」という記述を、調査結果として提示することができない。
この点は、サービスデザインの実務においてしばしば起きる失敗と関わっている。調査を経ずに作られた利用者像は、作り手が想像しやすい人物に寄る傾向がある。そうして作られた像に基づいて改善を進めると、想像しやすかった人の体験は改善され、想像しにくかった人の体験は据え置かれる。方法が公平さを装いながら偏りを再生産する、という構図である。
したがって本稿は、引っかかりが起きうる箇所を「構造上そこに継ぎ目がある」という水準で指摘するにとどめ、実際に何人がどう困っているかについては述べない。継ぎ目の指摘は公開情報の分析から導けるが、その継ぎ目が実際に引っかかりとして現れているかどうかは、現場を見なければ分からない。
6.4 不満が届かないということ
最後に、公園というサービスに固有の困難を指摘しておきたい。商業サービスであれば、不満は解約や苦情という形で提供側に届く。しかし無償で開かれた公共空間では、不満のほとんどは「行かなくなる」という形をとる。行かなくなった人は、行かなくなった理由を誰にも告げない。
この非対称は、公園の評価をゆがめる。窓口に届く声は、その公園を使い続けている人からのものに偏る。使い続けている人が困っていることと、使うのをやめた人が困っていたこととは、必ずしも同じではない。「不満の不在」を満足の証拠として読まないこと——これは、公園を体験として捉えようとするとき最初に置くべき注意である。届かない声をどう拾うかは、観察という方法が引き受けるべき課題として残る。
7. 期待・満足・記憶——情報が体験を先取りする
第4節で、公園体験の最初のタッチポイントは情報であると述べた。本節ではこの命題を、期待と満足と記憶をめぐる理論に照らして掘り下げる。情報が体験に先立つということは、情報の書き方が体験の評価を先に決めてしまうということでもある。ここには、情報を編集する側が引き受けるべき責任がある。
7.1 期待との差で評価される
オリバー(1980)が示した枠組みによれば、満足は絶対的な質の関数ではなく、事前の期待と、実際に知覚したものとの差の関数である。同じものを受け取っても、期待が高ければ不満になり、期待が低ければ満足になる。パラスラマンら(1985)が整理したギャップの議論も、提供側が思う質と利用者が感じる質のあいだに複数の断層があることを示している。
この枠組みを公園に当てはめると、事前情報の役割が二重であることが分かる。情報は、行くかどうかを決めるための材料であると同時に、行った後の評価の基準線を引く装置でもある。「複合遊具がある」という一語から想像される規模は人によって大きく異なり、その想像が基準線になる。基準線を引いているのは公園ではなく、情報の書き方である。
7.2 盛らないという設計判断
ここから導かれる実務的な帰結は、やや逆説的である。魅力的に書くことは、必ずしも体験を良くしない。過大な期待を作れば、その差として不満が生じる。とりわけ公園のように、行ってみるまで実際の姿が分からず、行くための費用が小さい対象では、期待と実際のずれは繰り返し経験され、情報そのものへの信頼を損なう。
一方で、期待を下げれば良いというものでもない。過小な情報は、行けば合っていたはずの人を行かせないという損失を生む。この損失は、行かなかった人にも情報を出した側にも見えないため、過大な期待による不満よりも問題として認識されにくい。したがって目指すべきは期待の高低ではなく、期待の解像度である。
7.3 解像度の高い情報とは
期待の解像度を上げるとは、評価語を減らし、判断材料を増やすことである。「広い」「きれい」「子どもに人気」といった評価語は、書き手の基準を読み手に押しつけるだけで、読み手が自分の条件に照らして判断する助けにならない。これに対して、面積の数値、種別、園内にある施設の列挙、日陰や水回りの有無といった記述は、読み手が自分で判断するための材料になる。
ただし、判断材料も万能ではない。数値は敷地の形や使える部分の広さを伝えないし、施設の列挙は規模や状態を伝えない。したがって、材料の限界を明示することもまた情報の一部である。どこまでが確認済みで、どこからが未確認かを分けて示すことは、期待の解像度を上げる有力な方法である。
7.4 記憶は終わり方に引きずられる
体験の評価には、その場での感じ方だけでなく、後から思い出すときの形が関わる。カーネマンら(1993)の一連の研究は、ある期間の体験の記憶が、その持続時間よりも、最も強かった瞬間と終わりの局面に強く影響されることを示した。この知見はしばしば「ピーク・エンドの法則」と呼ばれ、カーネマン(2011)はこれを、体験する自己と記憶する自己の食い違いとして論じている。
公園に当てはめれば、二時間の滞在の記憶を左右するのは、その二時間の平均ではなく、最も楽しかった数分と、帰り際の数分である。楽しく遊んだ日でも、帰りたがらない子どもとのやりとりが長引き、疲れた状態で帰路についたなら、その日の記憶は帰り際の色に染まりやすい。逆にいえば、帰る局面の設計は、体験全体の記憶に対して不釣り合いに大きな影響を持つ。
この観点からすると、公園について語られる工夫の重心はやや偏っている。何をして遊ぶかについての情報は多いが、どう終えるかについての情報は少ない。切り上げの合図をどう作るか、帰り道に何を挟むか、手を洗う場所と水道の有無をどう見込むか。これらは施設の整備よりも、事前の段取りと当日の運びに属する事柄であり、情報として扱いうる領域である。
もっとも、終わり方を設計するという発想には注意も要る。記憶に残る形を良くすることと、その場での体験を良くすることは、必ずしも一致しない。カーネマン(2011)が体験する自己と記憶する自己の食い違いとして論じたのは、この不一致そのものであった。記憶の良さを目的に据えると、その場で起きていることよりも、あとで語られる形が優先されかねない。公園について言えば、写真に残る瞬間を作ることと、その日を心地よく過ごすこととは別の目標である。
註:ピーク・エンドに関する知見は、痛みや音といった限定された刺激を用いた実験に由来する。公園での長時間の体験にそのまま外挿できるとは限らず、本稿では「終わり方が記憶に影響しうる」という限度で参照している。
8. 誰の体験か——交差するジャーニーと、設計への批判
ここまで本稿は、一人の利用者のジャーニーを軸に議論を進めてきた。しかし公園は、複数の利用者が同時に、別々の目的で、別々の局面を進行させている場である。ある人が使う局面の最中に、別の人は着く局面にあり、また別の人は帰る局面にある。本節では、この同時性がもたらす問題と、公共空間をサービスとして扱うことへの批判を扱う。
8.1 局面の交差が摩擦を生む
摩擦の多くは、局面の交差点で生じる。着いたばかりの人は場所を探しており、既に使っている人は場所を占めている。帰ろうとしている人は動線を急ぎ、遊んでいる人は動線を横切る。球技をする人の使う局面と、よちよち歩きの子の着く局面は、同じ広場のうえで衝突しうる。犬を連れた人の帰る局面と、砂場にいる子の使う局面も同様である。
重要なのは、これらの摩擦がいずれも「誰かが悪い」という形をしていないことである。どの行為も、それ自体としては公園の正当な使い方である。摩擦は行為の悪さからではなく、空間と時間の重なりから生じている。したがって手当ても、誰かを排除することではなく、重なりをずらすことに向かう。区画で分ける、時間で分ける、動線を分ける、視線を通す。都市設計が小さな空間について蓄積してきた工夫は、多くがこの種のものである。
8.2 価値は使う側でつくられる
ヴァーゴとラッシュ(2004)は、価値は提供側が作って引き渡すものではなく、利用の場面で提供側と利用者が共に作るものだと論じ、この見方をサービス・ドミナント・ロジックと呼んだ。公園はこの見方が特によく当てはまる対象である。広場は、そこで誰かが遊びを始めるまでは何の価値も生まない。同じ芝生が、ある日は球技の場になり、別の日は昼寝の場になり、また別の日は行事の会場になる。
ゲール(1971)が任意の活動と呼んだ活動——しなくてもよいが、環境が良ければ生じる活動——は、まさにこの共創の産物である。必要に迫られた通行は環境が悪くても起きるが、立ち止まる、座る、話す、眺めるといった行為は、環境が整って初めて生じる。公園の質を測る手がかりとして、この種の活動が起きているかどうかは有力な指標になる。
8.3 三つの批判
公共空間にサービスデザインの語彙を持ち込むことには、少なくとも三つの批判が向けられる。第一は、利用者を顧客として扱うことへの批判である。顧客という語には、対価を払い、満足を求め、不満なら他所へ移るという含意がある。公園の利用者はそのいずれでもない。市民は公園の共同の持ち主であって、供給されるものを受け取る側ではない。
第二は、満足度の最大化を目的に据えることへの批判である。多数の満足を高める設計は、しばしば少数の使い方を締め出す。声を上げやすい層の満足が指標になれば、声を上げにくい層の使い方は不可視のまま失われる。第6節で述べた「届かない不満」の問題は、ここでも効いてくる。
第三は、設計しすぎることへの批判である。体験を隅々まで設計すると、余白がなくなる。公園の価値の一部は、用途が決まっていないこと、目的なしにいてよいこと、想定外の使い方が生まれうることにある。ジャーニーを描き、引っかかりを潰し、動線を最適化していく作業は、放っておけば余白を削る方向へ働く。
この三つの批判は、いずれも的外れではない。実際、体験の設計という言葉は、使い方を誘導し、想定外を排除する方向へ流れやすい。ノーマン(1988)が論じた「使い方が自然に分かる形」は、裏返せば「その使い方以外を思いつきにくい形」でもある。遊具にせよ広場にせよ、用途が明示されるほど、それ以外の使い方は起きにくくなる。設計の善し悪しではなく、設計という行為そのものが持つ性質である。
8.4 応答——摩擦の除去ではなく、選択肢の確保として
これらの批判に対する本稿の応答は、サービスデザインの語彙を「満足の最大化」ではなく「選択肢の確保」のために用いる、というものである。目的を、利用者が快適に感じることではなく、利用者が自分の条件に合った判断を下せることに置き換える。この置き換えによって、三つの批判の多くは回避できる。
第一に、判断の材料を渡すことは、相手を顧客ではなく判断の主体として扱うことである。第二に、選択肢の確保は多数決になじまない。少数の条件に合う場所が一つ残っていることは、多数の満足度を下げずに達成できる。第三に、選択肢の確保は余白と衝突しない。むしろ、用途の決まっていない空間は選択肢そのものであり、確保すべき対象に含まれる。
この立場をとるとき、設計の作業は「引っかかりを取り除く」よりも「引っかかりを事前に知らせる」ことに寄る。すべての公園がすべての条件に応えることはできない。応えられないことが事前に分かれば、利用者は別の選択肢を選べる。分からないまま行って合わなかったときにだけ、それは失敗になる。
9. 磐田市の公園への示唆
本節では、これまでの整理を磐田市の公園に当てはめる。ただし当サイトの踏査済みの園は0園であり(2026年8月16日時点)、以下は公開情報の範囲で読み取れることに限られる。園の状態そのものではなく、五つの局面のうち公開情報がどこまで届いているか、という点に絞って述べる。
9.1 「調べる」局面——情報の厚みが園によって違う
当サイトが収録する磐田市の公園は100園である。内訳は、市のオープンデータ「都市公園一覧」の94行と、市の施設ガイドにのみ掲載されている6園である。このうち、施設ガイドに個別ページがあり当サイトが突合できたのは77園であった。裏を返せば、23園については園内の施設に関する市の記載が見当たらない。
この差は、調べる局面の体験に直接効く。個別ページのある園については、遊具の種類やトイレの有無、駐車場の記載といった判断材料が得られる。一方、個別ページのない園について事前に分かるのは、名称・種別・面積・オープンデータ上のいくつかのフラグにとどまる。同じ市内の公園でありながら、事前に想像できる度合いが大きく違う。
さらに、個別ページがある園でも記載の粒度は一様でない。園内施設が細かく列挙されている園がある一方、御殿遺跡公園や遠江国分寺史跡公園、竜洋昆虫自然観察公園のように「記載なし」となっている園もある。また、法対象外として扱われる6園(クリーンセンター公園、浜部農村公園、はまぼう公園、獅子ヶ鼻公園、新平山工業団地1号公園、天竜川ラブリバー公園)は面積が不明である。粒度の不揃いは、比較を難しくするという形で調べる局面に現れる。
9.2 「向かう」局面——種別が示す到達の想定
都市公園法施行令などが示す国の目安では、街区公園は面積0.25ヘクタール・誘致距離250メートル、近隣公園は2ヘクタール・500メートル、地区公園は4ヘクタール・1キロメートルを標準とする。誘致距離は、その公園が主に想定している到達の範囲を示す数値である。磐田市の内訳は街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園であり、街区公園が全体のおよそ半数を占める。
この構成は、向かう局面の設計が「徒歩圏からの到達」を基本に置いていることを意味する。一方で、地区ごとの園数には偏りがある。豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園に対し、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。園数の多寡がそのまま到達しやすさを示すわけではないが、選べる候補の数は地区によって異なる。
自動車で向かう場合の材料も限られる。駐車場があると判定できたのは33園であり、記載のない園が多数を占める。記載がないことは「ない」ことを意味しないが、利用者から見れば「分からない」という状態であり、判断材料としては欠落と同じ働きをする。なお、豊田高見丘公園のように駐車台数(3台)まで記載されている園もあり、記載の詳しさにも幅がある。
9.3 「着く」局面と「使う」局面——設備の分布
オープンデータ94行における集計では、トイレ有が69園、車いす対応トイレ有が34園、砂場有が43園、遊具有が64園である。着く局面で最初に確認される項目の多くはトイレに関わるため、この分布は、園を選ぶ段階で参照される基本的な条件となる。車いす対応トイレの有無は、同行者の条件によっては選択の可否を決める材料になる。
使う局面については、市の記載から読み取れる特徴のひとつに「時間で姿が変わる施設」がある。今之浦公園については、市の施設ガイドに噴水の運転期間が示され、駐車に関する注意も添えられている。豊田香りの公園については、カスケードが5月から10月までの9時から17時に稼働する旨が記されている。これらは、施設の有無ではなく施設の稼働時間という次元の情報であり、いつ行くかの判断に直結する。
また、安久路公園については、市の記載に複合遊具のインクルーシブエリアやインクルーシブアイテムのあるブランコが挙げられている。誰と行くかによって、この一行が持つ意味は大きく変わる。設備の一覧のなかに、条件によっては決定的な意味を持つ項目が混ざっている——このことは、一覧を単なる列挙として扱うことの限界を示している。
9.4 公開情報でわかることと、確かめるべきこと
| 局面 | 公開情報で分かること | 踏査で確かめるべきこと |
|---|---|---|
| 調べる | 名称・種別・面積・園内施設の記載・駐車場の記載 | 記載と現況の一致、記載のない園の実際 |
| 向かう | 種別が示す誘致距離の目安、地区ごとの園数 | 経路の歩きやすさ、入口までの分かりやすさ |
| 着く | トイレ・車いす対応トイレの有無 | 入口の位置と数、園名板や案内の見え方、地面の質 |
| 使う | 遊具・砂場の有無、施設の稼働期間の記載 | 日陰の位置と量、見通し、遊具の対象年齢の表示 |
| 帰る | 水回りに関する記載の一部 | 水道の位置、出入口の動線、周辺の状況 |
この表が示すのは、公開情報が「調べる」局面にはかなり届いており、「着く」以降の局面にはほとんど届いていないという偏りである。設備の有無は台帳で管理できるが、入口の見つけやすさ、日陰の位置、見通しといった項目は、現地で見なければ記録できない。当サイトの踏査は、この偏りを埋めることを目的として今後進める段階にある。
9.5 情報という接点を誰が担うか
第4節で、公園体験の最初のタッチポイントは情報であり、この接点は設置管理者以外の主体も担いうると述べた。磐田市の場合、その材料は既に公開されている。オープンデータ「都市公園一覧」は出典を明示すれば利用でき、市の施設ガイドには個別ページが置かれ、公園の管理は都市整備課(電話 0538-37-4806)が担っている。異なる媒体の記載を突き合わせ、欠落と矛盾を明示しながら一覧に整える作業は、この材料の上で成り立つ。
当サイト(ATAWI PARK)を運営するのは富士ヶ丘サービス株式会社であり、公園の設置管理者ではない。したがってフロントステージの物にもバックステージの作業にも関与しない。関与できるのは、調べる局面の情報の質と、確認済みと未確認の区別を明示することだけである。本稿の議論に照らせば、それは体験の連なりのうち最初の一区間にあたる。区間としては狭いが、後続の四局面すべての前提を作る位置にある。
10. 結論と今後の課題
本稿は、公園の質を設備の一覧としてではなく、調べる・向かう・着く・使う・帰るという体験の連なりとして捉え直し、サービスデザインの語彙——ジャーニーマップ、タッチポイント、サービスブループリント、フロントステージとバックステージ、ペインポイント——を公園に適用してきた。得られた論点を五つに整理して結論とする。
10.1 五つの結論
第一に、体験の質は施設そのものよりも、局面と局面の継ぎ目に宿る。同じ設備を持つ公園の評価が分かれるのは、遊具の性能の差ではなく、調べる局面から着く局面へ情報が持ち越されるかどうか、使う局面から帰る局面へ滑らかに移れるかどうかの差である場合が多い。継ぎ目は責任の所在が曖昧になりやすく、そのぶん改善の手が入りにくい。
第二に、公園体験の最初のタッチポイントは公園そのものではなく、公園についての情報である。この接点で結ばれた像が、その後の局面の評価の基準線になる。したがって情報の書き方は、単なる伝達ではなく、体験の評価軸を設定する行為である。
第三に、その結果として、情報の設計は「魅力的に書く」ことではなく「期待の解像度を上げる」ことに向かうべきである。評価語を減らし、判断材料を増やし、確認済みと未確認を分けて示す。過大な期待は不満を生み、過小な情報は行けば合っていた人を遠ざける。どちらの損失も、情報を出す側からは見えにくい。
第四に、利用者に見えない作業の層——点検、清掃、樹木の手入れ、記録——がフロントステージの状態を規定している。可視線をどこに引くかは設計の判断であり、失敗が起きたときにその理由と見通しが伝わるかどうかで、体験の損なわれ方は大きく変わる。
第五に、公共空間にサービスデザインを持ち込むときは、目的を満足の最大化ではなく選択肢の確保に置き換える必要がある。この置き換えによって、利用者を顧客として扱うこと、少数の使い方を締め出すこと、余白を削ることという三つの危険はかなり回避できる。すべての公園がすべての条件に応えることはできない以上、応えられないことが事前に分かることが、体験の設計として最も費用対効果が高い。
10.2 本稿の限界
本稿の最大の限界は、利用者調査を行っていないことである。サービスデザインは本来、観察と対話から出発する方法であり、本稿はその出発点を欠いたまま、方法の枠組みと公開情報の分析だけで議論を組み立てている。したがって本稿が示したのは、引っかかりが起きうる構造上の継ぎ目であって、実際に起きている引っかかりではない。
第二の限界は、五局面という分け方そのものが仮の枠組みである点にある。公園という選択肢が思い浮かばない段階、あるいは行くこと自体が難しい段階は、この枠組みの外にある。第三に、本稿はブループリントの下層——予算、発注、契約、記録の保存——について、制度の一般的な枠組みを述べるにとどまり、具体的な運用に立ち入っていない。
10.3 今後の課題
今後の課題は三つある。第一は踏査である。第9節の表に挙げた「踏査で確かめるべきこと」——入口の位置と数、案内の見え方、地面の質、日陰の位置と量、見通し、水道の位置、出入口の動線——は、いずれも台帳では管理されず、現地でしか記録できない項目である。これらを一定の様式で記録し、園ごとに比較できる形にすることが最初の作業になる。
第二は、記載と現況の突き合わせである。公開情報には、記載のある園とない園、詳しい園と簡素な園という粒度の差がある。この差が実際の差なのか記録の差なのかは、現地を見なければ判別できない。判別した結果を、確認済みと未確認の区別として明示することが、期待の解像度を上げる直接の手段になる。
第三は、届かない声をどう扱うかという方法の課題である。無償で開かれた場では、不満の多くは「行かなくなる」という形をとり、記録に残らない。観察という方法はこの一部を拾えるが、そもそも来ていない人の理由は現場からも見えない。この空白をどう埋めるかは、公園を体験として論じようとするかぎり、繰り返し立ち返るべき問いである。
註:本稿で示した五局面と表の項目は、今後の踏査で記録する項目を定めるための作業仮説である。踏査が進めば、局面の区切り方も記録項目も改める必要が出てくると考えられる。
参考文献
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- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 国土交通省 都市公園(都市局公園緑地・景観課)
- 一般社団法人日本公園施設業協会
- 環境省 熱中症予防情報サイト(暑さ指数WBGT)
- 磐田市「都市公園一覧」オープンデータ(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。