社会科学時間地理学

「公園に行ける時間」の地理——ヘーゲルストランドの時空間パスと子育て世帯の一日

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:時間地理学 公開・更新 2026-08-17 本文 約21,486字 読了目安 39分

要旨

「家の近くに公園がある」という事実と、「その公園に行ける」という事実は同じではない。子育て世帯の一日は、保育所の送迎、勤務、乳幼児の昼寝、夕食の買い物といった動かしにくい予定に区切られており、公園はその隙間に置かれた選択肢である。本稿は、スウェーデンの地理学者トルステン・ヘーゲルストランドが1970年に提示した時間地理学の道具立て——時空間パス、プリズム、そして能力制約・結合制約・権威制約という三つの制約——を用いて、公園へのアクセスを「距離」ではなく「時間予算」から描き直すことを目的とする。

方法は文献整理と概念分析である。まずヘーゲルストランドとルンド学派の古典、ギデンズやプレッド、クワンによる継承と批判、日本への導入を整理する。つぎに子育て世帯の一日を時空間パスとして描き、公園に行ける「窓」がどの制約によって開閉するかを検討する。さらに、都市公園法施行令が定める誘致距離を歩行時間に読み替え、乳幼児の歩行速度やベビーカーの有無によってプリズムの大きさが変わることを論じ、夏の暑さ指数がその窓を朝と夕方に二分することを示す。反論として、自動車利用、休日の大規模公園、既存のアクセシビリティ指標を検討し、いずれも時間地理学的な視点を不要にはしないことを述べる。

結論として、徒歩圏の街区公園の価値は「近いこと」そのものではなく、短い窓でも往復して遊んで帰れるという時間予算上の性質にあると論じる。磐田市については、街区公園51園・近隣公園14園という徒歩圏の厚み、駐車場33園、噴水やカスケードの運転期間といった時間の制約を手がかりに、今後の踏査で記録すべき時間地理学的な項目を提案する。実測の生活時間データは含まず、観察の枠組みを提示するにとどまる。

キーワード時間地理学時空間パスプリズム結合制約時間予算徒歩圏暑さ指数

1. はじめに——問題の所在

「家の近くに公園がある」ことと、「その公園に行ける」ことは同じではない。地図の上では徒歩数分の距離にある公園でも、保育所への送りが8時、迎えが18時、その間は勤務、帰宅すれば夕食の支度という一日のなかで、実際に公園へ足を運べる時間はごくわずかである。乳児がいれば昼寝の時間が動かせず、上の子がいれば下校時刻や習いごとの送迎が加わる。公園までの距離は変わらないのに、公園に行ける時間は日によって、季節によって、家族の構成によって大きく伸び縮みする。本稿はこの伸び縮みを描く道具として、時間地理学を用いる。

時間地理学(time-geography)とは、スウェーデンの地理学者トルステン・ヘーゲルストランド(1916〜2004)がルンド大学を拠点に構想し、1970年の論文「What about People in Regional Science?(地域科学において人間はどうなっているのか)」で広く知られるようになった考え方である。人の一日を、空間の座標に時間の軸を加えた三次元の図のなかの一本の線——時空間パス——として描き、その線がどこまで届きうるかを示す領域をプリズム(時空間プリズム)と呼ぶ。そして人の行動を縛るものを、能力制約・結合制約・権威制約という三つに分けて整理する。抽象的に聞こえるが、要点は素朴である。人は一度に一か所にしかいられず、移動には時間がかかり、ある場所に「いなければならない」予定が一日を区切っている、ということである。

公園の研究において、アクセスは長らく「距離」で測られてきた。都市公園法施行令は街区公園・近隣公園・地区公園について標準的な誘致距離(それぞれ250m・500m・1km)を示しており、自治体の公園配置計画も、住宅からこの距離の円を描いてカバーされているかどうかを見ることが多い。この方法は配置の粗密を把握するうえで有効であるが、「誰が、いつ、どのくらいの持ち時間で」公園に行くのかという問いには答えない。同じ250mの円の内側に住んでいても、平日の日中に在宅している祖父母と、18時に迎えを終えて帰宅する共働きの親とでは、公園へ行ける「窓」がまるで違う。距離のものさしでは、この差が見えない。

なぜ数ある地理学の方法のなかから時間地理学を選ぶのか。公園の分布や配置の偏りを扱う都市地理学、経路の安全性を扱う交通工学、利用者構成の変化を扱うジェンダー研究は、それぞれ本シリーズの別の論文が担っている。時間地理学がそれらと違うのは、分析の単位を「地区」や「施設」ではなく「一人の人間の一日」に置く点である。公園に行くのは地区でも世帯でもなく、その日その時刻にそこにいられる一人ひとりである。この単位に降りることで初めて、「近いのに行けない」という日常的な経験を、説明可能な形に置き換えることができる。

本稿の問いは次の三つである。第一に、子育て世帯の一日を時空間パスとして描いたとき、公園に行ける時間帯はどの制約によって開き、どの制約によって閉じるのか。第二に、徒歩圏の公園の価値を「距離」ではなく「時間予算」から捉え直すと、街区公園と大規模公園の役割はどう見えてくるのか。第三に、夏の暑さは、公園に行ける時間帯をどのように縮め、どのような設備がその窓を広げうるのか。これらを、磐田市の公園100園を収録する当サイト(ATAWI PARK)のデータに照らして具体化することを目指す。

時間予算歩いて行くすきま時間
図1本稿の視点。公園までの距離ではなく、一日のうちで公園に使える持ち時間から「行ける公園」を描き直す。

方法は文献整理と概念分析である。ヘーゲルストランドとルンド学派の古典、社会理論への継承(ギデンズ、プレッド)、アクセシビリティ研究への展開(クワン)、日本の都市地理学への導入を整理したうえで、その道具を子育て世帯の一日に当てはめる。数値を伴う生活時間の実測は行っていない。総務省統計局の社会生活基本調査のような生活時間統計は存在するが、本稿はその値を引くのではなく、公園を「時間の窓」として観察するための枠組みを示すことに専念する。磐田市に関する固有の事実は、当サイトが突合した市のオープンデータと施設ガイドの範囲に限る。当サイトの現地踏査はこれからであり、「歩いて確かめた」とは書かない。

構成は次のとおりである。第2節で時間地理学の先行研究と基本概念を整理する。第3節で子育て世帯の一日を時空間パスとして描き、公園がどこに置かれるかを示す。第4節で三つの制約を公園利用に当てはめる。第5節で誘致距離を時間に読み替え、プリズムの大きさが歩く速さと持ち時間で決まることを論じる。第6節で夏の暑さがプリズムを縮める仕組みを扱う。第7節で自動車・休日・既存指標という三つの反論に応え、第8節で高齢者や学齢児との比較と、時間地理学への批判を検討する。第9節で磐田市の公園への示唆を述べ、第10節で結論と今後の課題をまとめる。

2. 先行研究と概念の整理——ヘーゲルストランドとルンド学派

2.1 「人間はどうなっているのか」という問い

ヘーゲルストランドは、もともと農業技術の普及(イノベーションの空間的拡散)を研究した地理学者であった。1970年、地域科学協会の会長講演として発表された「What about People in Regional Science?」は、人口や交通量を集計値として扱う当時の地域科学に対して、集計の背後にいる一人ひとりの人間の生活が見えなくなっていると問いかけたものである。人はそれぞれ有限の時間を生き、身体は一つしかなく、一度に一か所にしかいられない。この当たり前の条件から出発して、個人の一日や一生を時間と空間の両方の座標で描こうというのが時間地理学の出発点であった。

この考え方はルンド大学の研究者たち(いわゆるルンド学派)によって展開された。レントルプ(1976)は、都市のなかで人がどこまで到達できるかを時空間プリズムとして計算する方法を体系化し、カールスタイン、パークス、スリフト編の三巻本『Timing Space and Spacing Time』(1978)は、時間地理学を英語圏に広く紹介した。スリフト(1977)の入門書は、時間地理学の記法と概念をコンパクトにまとめたものとして知られる。1975年のヘーゲルストランドの論文「Space, Time and Human Conditions」は、人間の生活が時間と空間の「詰め込み(packing)」の問題であるという視点を明確にした。

2.2 基本概念——パス・プリズム・ステーション・制約

時間地理学の基本概念は少数である。時空間パスは、一人の人間が時間の経過とともに空間のどこにいたかを結んだ線である。横に地図(平面)、縦に時間をとった三次元の図のなかで、その人が同じ場所にとどまっていれば線は垂直に伸び、移動すれば斜めになる。ステーションは、家・職場・保育所・店のように、人がある時間そこにとどまる場所である。複数の人のパスがひとつのステーションで一定時間重なることをバンドル(束)と呼び、保育所の朝の送りは、親と子と保育者のパスが束になる典型的な場面である。

プリズムは、ある時刻にある場所にいる人が、次に別の場所にいなければならない時刻までの間に、到達可能な時空間の領域である。出発点と到着点を固定し、その間の移動速度を仮定すると、行ける範囲は二つの円錐を合わせたような形になる。持ち時間が長いほど、また移動が速いほどプリズムは大きくなり、行ける場所が増える。逆に持ち時間が短ければ、いくら近くに施設があってもプリズムの外にこぼれてしまう。公園がプリズムの内側にあるかどうかが、本稿の問いのすべてであると言ってよい。

そしてヘーゲルストランドは、パスを縛るものを三種類に分けた。能力制約は、身体や道具の限界——眠らなければならない、食べなければならない、歩く速さには限りがある——による制約である。結合制約は、他の人や物と同じ場所・同じ時間にいなければならないことによる制約で、勤務や送迎、食事の時間はここに含まれる。権威制約は、法や規則、施設の開閉時間や利用ルールのように、ある場所へのアクセスを誰かが管理していることによる制約である。この三分類は第4節で公園に当てはめる。

もう一つ、ヘーゲルストランドはドメイン(領域)という概念を用いた。ドメインとは、ある個人や組織が管理し、誰がいつ入れるかを決めている時空間のまとまりである。住宅は家族のドメイン、職場は雇用者のドメイン、保育所は保育者のドメインであり、それぞれに入退室の規則がある。都市公園はこの点で特異である。管理者はいるが、原則として誰でもいつでも入ることができ、入るために誰かの許可や予約を要しない。ドメインの規則が弱いという性質こそ、公園が「隙間の時間」に使える理由であり、同時に、公園に行けるかどうかが利用者側の制約でほぼ決まる理由でもある。

古典(1970)時間の軸空間の軸
図2時間地理学の骨格。地図に時間の軸を立て、人の一日を一本の線として描く。線がどこまで届くかがプリズムである。

2.3 継承と批判

時間地理学は地理学の外にも影響を与えた。社会学者アンソニー・ギデンズは『社会の構成』(1984)で構造化理論を組み立てる際、日常生活の反復が社会構造を再生産するという議論の足場として時間地理学を取り入れた。地理学者アラン・プレッド(1977)は「存在の振付(choreography of existence)」という言葉で時間地理学の意義を評価しつつ、それが人の意図や意味づけをどう扱うのかを問うた。制約ばかりを見て、人がなぜその行動を選ぶのかを見ないという批判は、時間地理学に繰り返し向けられてきたものである。

1990年代以降、地理情報システムの普及によって時間地理学は計算可能な道具として再生した。メイ=ポー・クワン(1998、1999)は、個人の一日の予定表から到達可能な施設の集合を求める「時空間アクセシビリティ」の測度を提案し、それを用いて同じ地区に住む男性と女性でも到達できる機会の集合が異なることを示した。クワンの仕事は、本稿が「距離ではなく時間予算で公園アクセスを見る」と述べるときの直接の先例である。近年ではカイサ・エレゴード(2019)が、時間地理学の概念と方法を現代の生活研究に向けて再整理している。

2.4 日本への導入

日本では1980年代に都市地理学の分野で時間地理学が紹介され、荒井良雄・川口太郎・岡本耕平・神谷浩夫編『都市の空間と時間——生活活動の時間地理学』(1989)が、通勤・買い物・余暇などの生活活動を時間と空間の両面から扱う研究をまとめた。とりわけ既婚女性の就業と家事・育児の時間配分を扱う研究は、日本の時間地理学の主要な流れのひとつとされる。公園を主題とした時間地理学的研究は多くないが、公園利用が「生活活動の隙間」に置かれる以上、時間地理学の道具立てはそのまま使えるはずである。本稿はこの空白を埋めることを試みる。

3. 子育て世帯の一日を時空間パスとして描く

時間地理学の道具を子育て世帯に当てはめるために、まず一日のパスを描いてみる。ここで描くのは統計から得た平均像ではなく、概念を説明するための類型である。世帯の構成は多様であり、以下の三つはその一部にすぎない。第一に、乳幼児を保育所に預けて共働きをする世帯。第二に、乳児を在宅で育てている親。第三に、小学生と未就学児がいる世帯。それぞれのパスのどこに「公園に行ける窓」が開くのかを見る。

3.1 保育所を利用する共働き世帯

この世帯の平日のパスは、家—保育所—職場—保育所—家という五つのステーションを往復する形になる。朝の送りと夕方の迎えでは、親のパスと子のパスが保育所という一点で束になる(バンドル)。日中、親のパスは職場に垂直に立ち、子のパスは保育所に垂直に立つ。この間、公園はどちらのプリズムにも入らない——保育所の園庭や散歩は保育の一部として行われるが、それは家庭のパスではない。公園に行ける窓が開くのは、迎えのあとである。迎えを終えて家に着くまでの帰路のどこかに公園があれば、そこで20〜30分遊ぶことができるかもしれない。しかし夕食の支度、入浴、就寝という次のステーションが控えており、窓は狭い。

この世帯にとって公園が意味をもつのは、平日ならば迎えから夕食までの短い窓と、帰路の途中という位置である。休日にはプリズムが大きく開き、車で大規模公園へ行くという選択肢も生まれる。つまり、同じ世帯でも平日と休日ではプリズムの形がまったく異なり、平日は「帰り道の小さな公園」、休日は「少し遠くの大きな公園」というふうに、使う公園が時間予算によって選び分けられる。この選び分けは好みではなく、制約の産物である。

3.2 乳児を在宅で育てる親

在宅で乳児を育てる親のパスは、一見すると職場のような固定点がなく自由に見える。しかし実際には、授乳と昼寝という乳児側の能力制約が一日を細かく区切る。午前の昼寝と午後の昼寝の間、機嫌がよく天気もよい時間帯が公園に行ける窓であるが、その窓は日によってずれる。さらに買い物や通院という用事があり、公園はそれらと「ついで」に組み合わされることが多い。買い物の途中に公園があるか、公園の帰りに店があるかという経路上の位置が、行くか行かないかを左右する。時間地理学が「用事の連鎖(トリップチェーン)」として扱ってきた現象である。

この親にとってのプリズムは、時間の長さは共働き世帯より長いが、移動速度が遅い。抱っこやベビーカーでの移動は歩行より時間がかかり、途中で泣けば止まる。したがってプリズムの「高さ(持ち時間)」はあっても「幅(到達距離)」は狭く、結果として徒歩数分の公園に頻繁に通うという行動になりやすい。この点は第5節で速度の問題として詳しく扱う。

朝の送り保育・学校買い物夕方の窓
図3子育て世帯のパスは送迎・保育・買い物・夕食という固定点で区切られる。公園に行ける窓はその隙間に、細く開く。

3.3 小学生と未就学児がいる世帯

小学生がいると、下校時刻という新しい固定点が加わる。下校後から夕方までの時間帯は、学齢児が友だちと公園に行く伝統的な窓であり、この時間帯には保護者が同伴しないことも多い。一方で未就学児の親は、上の子の下校や習いごとの送迎に合わせて動かねばならず、下の子を連れて公園に行けるのは、上の子が学校にいる午前中か、上の子の予定に付き添って待つ時間かのどちらかになる。習いごとの会場の近くに公園があれば、待ち時間が下の子の公園時間になる。ここでも経路上の位置が効いてくる。

きょうだいのいる世帯では、家族全員のパスが同じ場所で束になる時間は限られ、公園に「家族そろって」行けるのは休日に偏る。逆に言えば、平日の公園は、家族のうちの一部——下の子と親、あるいは学齢児だけ——が使う場所である。公園の利用者構成が時間帯によって変わることは、ジェンダー研究の論文(本シリーズ)が「時間割」として扱ったとおりであるが、時間地理学はその時間割が個々の世帯のパスの重ね合わせから生じることを示す。

3.4 「プロジェクト」としての公園行き

ヘーゲルストランドは、ある目的のために連なる一連の作業をプロジェクトと呼んだ。公園に行くことも一つのプロジェクトであり、往復の移動時間だけでなく、着替えと持ち物の準備、日焼け止めや帽子、飲み物、帰宅後の手洗いと着替え、汚れた服の洗濯までを含む。乳幼児連れの公園行きは、実際に遊ぶ時間の前後に、遊ぶ時間と同じくらいの準備と後始末を必要とする。したがって「公園に行ける窓」とは、遊ぶ時間だけでなくプロジェクト全体が収まる長さでなければならない。徒歩数分の公園が選ばれるのは、この前後の時間を含めても窓に収まるからである。

4. 三つの制約と公園——能力・結合・権威

前節で描いたパスの隙間が、なぜその形になるのかを説明するのが三つの制約である。本節では能力制約・結合制約・権威制約のそれぞれを公園利用に当てはめ、公園に行ける窓を「閉じる」要因と「開ける」要因を整理する。あらかじめ述べておけば、公園の特徴は、施設の側からの結合制約がほとんどないことにある。予約も待ち合わせも要らず、思い立った時に行ける。だからこそ、公園に行けるかどうかは、ほぼ利用者側の制約だけで決まるのである。

制約の種類定義(ヘーゲルストランド)公園に行くときの例
能力制約身体と道具の限界。眠る・食べる必要、移動速度、体力乳児の昼寝と授乳、幼児の歩ける距離、暑さ・寒さ・日没、ベビーカーの速度
結合制約他の人・物と同じ時刻に同じ場所にいる必要保育所の送迎、勤務、夕食、上の子の下校、家族の帰宅、友だちとの約束
権威制約規則や管理者による場所・時間へのアクセスの管理保育の預かり時間、噴水や水施設の運転期間、遊具の使用禁止、駐車場の利用条件、看板の禁止事項

4.1 能力制約——身体が決める窓

能力制約は、乳幼児がいる世帯で最も強く働く。乳児は数時間おきに眠り、授乳や食事の間隔は大人の都合で動かしにくい。幼児は歩ける距離に限りがあり、途中で疲れれば抱っこになる。大人にも体力の限界があり、抱っこで長く歩けばプリズムは縮む。日没も能力制約である。明るいうちにしか安心して遊べないとすれば、冬の夕方の窓は夏より早く閉じる。そして暑さと寒さ。とりわけ夏の高温は、外にいられる時間そのものを削るという意味で、能力制約の最たるものである(第6節)。

能力制約に対して公園の側ができることは限られているが、ゼロではない。ベンチと日陰があれば大人の休息が取れ、水道があれば飲み物と手洗いが確保でき、トイレがあれば乳幼児連れの滞在時間が延びる。これらは「設備」として語られることが多いが、時間地理学の目で見れば、いずれも能力制約を緩めて窓を延ばす装置である。トイレの有無で公園の滞在可能時間が変わることは、乳幼児連れの親であれば経験的に知っている。

4.2 結合制約——他人の予定が決める窓

結合制約は、共働き世帯で最も強く働く。保育所の送迎時刻、勤務時間、上の子の下校時刻、配偶者の帰宅時刻、夕食の時刻——これらはいずれも「他の誰かと同じ時間に同じ場所にいなければならない」という制約であり、一つひとつは短くても、連なると一日のほとんどを埋めてしまう。公園に行ける窓は、結合制約と結合制約の間に残った隙間である。ヘーゲルストランドが強調したのは、結合制約が個人の意思では動かせない点である。迎えの時刻を遅らせることはできても、それは職場や保育所との交渉の結果であって、公園に行きたいという理由で自由に動くものではない。

一方で、結合制約は公園の窓を開ける側にも働く。友だちと公園で会う約束、近所の親同士の「いつもの時間」、祖父母が孫を連れて行く曜日——これらは公園を目的地とする結合制約であり、パスを公園という一点で束ねる力になる。第三の場所論や家族社会学の論文(本シリーズ)が扱った「公園での顔見知り」は、時間地理学的に言えば、公園を舞台とするバンドルの反復である。バンドルが反復するためには、参加者のプリズムが同じ時間帯に公園を含んでいなければならない。平日の午前に在宅の親と祖父母のバンドルが生まれ、夕方に学齢児のバンドルが生まれるのは、プリズムの重なりがそこにあるからである。

能力制約結合制約権威制約
図4三つの制約の公園版。昼寝や体力が能力制約、送迎や夕食が結合制約、運転期間や使用禁止の掲示が権威制約にあたる。

4.3 権威制約——規則が決める窓

権威制約は、公園そのものについては比較的弱い。都市公園法上の公園は原則として誰でも入ることができ、多くの公園には門も開園時間もない。しかし公園に行ける窓を間接的に決めている権威制約は多い。第一に、保育の預かり時間である。子ども・子育て支援法の枠組みでは、保育の必要量に応じて「保育標準時間」(最長11時間)と「保育短時間」(最長8時間)の区分があり、どちらの認定を受けるかで、迎えの時刻、すなわち夕方の窓の開く時刻が変わる。第二に、公園内の設備の運転期間である。噴水や流れ、カスケードのような水施設は、季節と時間を区切って運転されることがあり、その期間と時間帯だけ、その公園に「水遊びのできる窓」が現れる。第三に、遊具の使用禁止である。国土交通省の遊具安全指針の考え方に基づく点検で使用禁止となった遊具は、テープで囲われて使えない。子どもの目当ての遊具が使えないなら、その公園はプリズムに入っていても目的地としては閉じている。

権威制約には、看板の禁止事項も含まれる。ボール遊びや自転車の乗り入れの禁止は、その公園でできる遊びを限定し、結果として「その公園に行く理由」を減らす。哲学や法学の論文(本シリーズ)が公共性の観点から論じたこの問題を、時間地理学は別の角度から見る。すなわち、禁止は空間の利用を制限するだけでなく、その公園を目的地とするプロジェクトの成立を妨げ、利用者のパスをその公園から遠ざけるのである。三つの制約は独立ではなく、重なり合って窓の形を決めている。

5. 距離から時間予算へ——徒歩圏の公園を読み替える

都市公園法施行令に示された誘致距離は、街区公園250m、近隣公園500m、地区公園1kmである(総合公園・運動公園には誘致距離の定めがなく、都市の規模に応じて配置される)。この数字は空間の尺度であるが、時間地理学はこれを時間の尺度に読み替える。読み替えの手がかりとして、不動産広告の徒歩所要時間の表示に用いられる「1分=80m」という換算がある。この換算は健康な大人の平地での歩行を想定したものであり、それを当てはめれば、街区公園の誘致距離250mは3分あまり、近隣公園の500mは6分あまり、地区公園の1kmは12〜13分に相当する。

種別(施行令の標準)誘致距離大人の徒歩(1分80m換算)乳幼児連れの目安
街区公園(0.25ha)250m約3分歩く速さによって数倍に延びうる
近隣公園(2ha)500m約6分ベビーカーや抱っこが前提になりやすい
地区公園(4ha)1km約12〜13分徒歩では窓が長い日に限られ、自転車や車の選択肢が入る

5.1 プリズムの大きさは速さと持ち時間で決まる

プリズムの幾何は単純である。持ち時間をT、そのうち公園で過ごしたい時間をS、移動速度をvとすると、行って帰れる公園までの距離はおよそ v×(T−S)÷2 である。持ち時間が40分で、20分は遊びたいなら、片道10分の範囲が到達可能な圏であり、大人の速さならおよそ800mまで届く。しかし乳幼児の歩く速さは大人よりずっと遅いとされる。道端の石やアリに立ち止まり、抱っこをせがみ、ベビーカーは段差で減速する。速さが半分になれば到達圏は半分になり、三分の一になれば三分の一になる。同じ40分の窓でも、大人一人なら近隣公園まで届き、幼児の手を引けば街区公園までしか届かない、ということが起こる。

ここから、街区公園の意味が距離ではなく時間の言葉で言い直せる。街区公園とは、子育て世帯の最も短い窓——30分前後の隙間——に、遊びの時間を含めて収まる公園である。これは「近いから便利」という以上のことを言っている。近隣公園や地区公園がどれほど充実していても、平日の夕方の30分には入らない。逆に街区公園は、遊具が少なくても、その30分の窓に入る唯一の候補になりうる。公園の価値を面積や設備で測る見方に対して、時間地理学は「その窓に入るかどうか」というまったく別の評価軸を与える。

5.2 経路の時間——距離と時間はずれる

直線距離と実際の歩行時間はずれる。信号のある横断歩道で待つ時間、川や線路を迂回する時間、坂道、歩道のない区間で手をつないでゆっくり歩く時間——これらは地図上の距離には現れないが、パスの傾きを変える。交通工学の論文(本シリーズ)が経路の安全性として扱う問題は、時間地理学から見れば移動速度を下げてプリズムを縮める要因である。誘致距離250mの円の内側にあっても、幹線道路を渡らねばならない公園は、乳幼児連れにとっては「時間的に遠い」公園である。

移動手段が変わればプリズムも変わる。子乗せ自転車は、乳幼児連れの親のプリズムを徒歩の数倍に広げ、近隣公園や地区公園を平日の窓に引き入れる可能性をもつ。小学生が自分の自転車で行動するようになれば、その子のプリズムは親のそれから独立して広がる。ただし自転車には、駐輪の場所、雨の日には使えないという能力制約、幼児を乗せる際の乗せ降ろしの時間、そして経路の交通安全という条件が付く。徒歩・自転車・自動車は、それぞれ速さと固定の時間費用が異なる道具であり、どれを使えるかによって同じ世帯の「行ける公園」の集合が組み替わる。時間地理学は移動手段を、プリズムの形を決める変数として扱うのである。

誘致距離歩く速さベビーカー持ち時間
図5行ける公園までの距離は、持ち時間から遊ぶ時間を引き、歩く速さを掛けて半分にしたもの。速さが落ちれば圏は縮む。

5.3 世帯のなかで「距離」は一つではない

以上から導かれる重要な帰結は、同じ住宅から同じ公園までの「距離」が、世帯の構成員ごとに異なるということである。小学生にとって徒歩10分の公園は、幼児と親にとっては徒歩20分かもしれず、ベビーカーと上の子を連れた親にとってはさらに遠い。地図上の一つの距離が、時間の上では複数の距離に分裂する。公園の配置を論じるとき、「住民の何割が徒歩圏に公園をもつか」という問いは、暗黙のうちに大人の歩行速度で徒歩圏を描いている。しかし公園を最も必要とし、最も頻繁に使うのは、その速度で歩けない人々である。

この帰結は、都市地理学の論文(本シリーズ)が扱う公園の分布分析と補い合う。分布分析は「どこに公園がないか」を示し、時間地理学は「公園があっても誰の窓に入っていないか」を示す。両者を重ねると、公園が数のうえで足りている地区でも、乳幼児連れの短い窓に入る公園が欠けている、という状況が見えてくるはずである。磐田市についてこの重ね合わせを行うには、各世帯の窓と歩行速度の情報が要る。それは当サイトの今後の踏査と、利用者からの情報提供によって少しずつ埋めるほかない。

6. 夏の暑さは時間プリズムを縮める

能力制約のなかで、季節によって最も大きく変わるのが暑さである。時間地理学の図で言えば、夏の日中は公園というステーションが「立ち入れない時間帯」をもつことになり、プリズムの内側にあってもその時間帯には目的地として使えない。本節では、暑さがどのように窓を縮めるかを、暑さ指数(WBGT)を手がかりに描く。医学的な判断は本稿の範囲外であり、熱中症の予防と対処については環境省・厚生労働省の情報と医療機関の判断に委ねる。

6.1 暑さ指数という時間の目盛り

暑さ指数(WBGT:湿球黒球温度)は、気温だけでなく湿度と日射(輻射熱)を加味した指標で、環境省の熱中症予防情報サイトが地点ごとの実況と予測を公表している。同サイトが示す日常生活の目安では、暑さ指数31以上が「危険」、28以上31未満が「厳重警戒」、25以上28未満が「警戒」、25未満が「注意」と区分される。危険の段階では外出をなるべく避け、涼しい室内に移ることが勧められ、厳重警戒の段階でも外出時は炎天下を避けることが勧められる。さらに気候変動適応法の枠組みで、暑さ指数が高い値になると予測される日には熱中症警戒アラートが発表され、それを上回る段階として熱中症特別警戒アラートの仕組みも設けられている。

暑さ指数(WBGT)環境省サイトの区分公園の窓への含意(本稿の読み替え)
31以上危険その時間帯は公園が目的地から外れる
28以上31未満厳重警戒日陰と水がある公園に、短時間だけ窓が残る
25以上28未満警戒休憩と水分補給を前提に窓が開く
25未満注意暑さによる窓の縮小は小さい

この区分を一日の時間軸に沿って読むと、夏の晴れた日には、暑さ指数が朝から上がりはじめ、日中に高い値をとり、夕方にかけて下がるという山型になることが多いとされる。時間地理学の図に重ねれば、公園に「いられる」時間帯は朝と夕方の二つに分かれ、日中の大きな帯が失われる。冬には日没が窓の終わりを決めるのに対し、夏には暑さが窓の真ん中を切り取るのである。

6.2 二つに割れた窓と結合制約の重なり

問題は、暑さが残した朝と夕方の二つの窓が、ちょうど結合制約の最も強い時間帯に重なることである。朝の窓は保育所の送りと出勤に、夕方の窓は迎えと夕食の支度に、それぞれぶつかる。共働き世帯の平日で言えば、迎えのあとに残る夕方の窓は、暑さ指数が下がりきる前に始まり、夕食のために閉じる。暑さの山が遅くまで残る日には、平日の公園時間がまるごと消える。在宅で乳児を育てる親の場合は、朝の涼しいうちが窓になるが、それは午前の昼寝や家事と競合し、しかも「涼しいうち」は日ごとに短くなる。こうして、夏の子育て世帯のプリズムは、面積が縮むだけでなく、その残り部分が他の制約と重なって使いにくくなる。

この重なりは、休日にも及ぶ。休日の大きなプリズムを使って大規模公園に行くという第3節の選択肢は、真夏には朝早くに出発して昼前に引き上げるか、夕方から出かけるかのどちらかになり、滞在時間が短くなる。車で行けば移動の暑さは避けられるが、駐車場から遊具までの距離、日陰のない広場、熱くなった遊具の表面など、公園の内部にも能力制約が待っている。大規模公園ほど園内の移動が長く、日陰の配置が窓の長さを左右する。

夏の暑さ暑さ指数木陰・屋根水道・水遊び
図6暑さは日中の窓を切り取り、朝と夕方に二分する。木陰・屋根・水道・水施設は、残った窓を少しだけ延ばす装置である。

6.3 窓を延ばす設備——日陰・屋根・水

暑さが縮めた窓を延ばすのは、日陰と水である。樹木の木陰や屋根付きの広場は、暑さ指数のうち日射の成分を下げ、同じ気温でも滞在できる時間を延ばすとされる(都市気候学と生気象学の論文(本シリーズ)が詳しく扱う)。水道は飲み物の補給と体を冷やす手段であり、噴水やじゃぶじゃぶ池のような水施設は、暑い時間帯にあえて公園へ行く理由——水遊び——を作り出す。ただし水施設は第4節で述べたとおり運転期間と時間帯が定められていることが多く、権威制約によって窓が区切られる。夏の公園の窓は、能力制約(暑さ)と権威制約(運転期間)と結合制約(送迎・夕食)の三つが重なった、きわめて狭い領域として現れる。

以上を要約すれば、夏の暑さは公園アクセスを「距離」の問題から「時刻」の問題へと変える。冬に徒歩3分だった公園が夏には遠くなるのではなく、行ける時刻が朝と夕方に限られ、その時刻が他の予定とぶつかる。だから夏の公園の評価は、面積や遊具の数よりも、日陰と屋根と水がどこにあり、何時から何時まで使えるかで決まる。当サイトが磐田市の100園について木陰や水道の位置を踏査で記録しようとするのは、この理由による。

7. 反論への応答——車・休日・アクセシビリティ指標

ここまでの議論に対しては、少なくとも三つの反論が予想される。第一に「車があれば距離は問題にならない」、第二に「休日に大きな公園へ行けば平日は行かなくてもよい」、第三に「公園のアクセスは既存のアクセシビリティ指標で十分に測れる」というものである。本節ではそれぞれに応え、時間地理学の視点がなお必要であることを示す。

7.1 「車があれば距離は問題にならない」

自動車は移動速度を大きく上げ、プリズムを広げる。磐田市のような地方都市では、子育て世帯の多くが車を使うだろう。しかし車はプリズムの形を「広げる」だけでなく「変える」。第一に、車で行ける公園は駐車場のある公園に限られる。当サイトのデータでは、市の施設ガイドに駐車場の記載があるか当サイトが有と判定した園は100園中33園であり、街区公園の多くには駐車場の記載がない。つまり車を使うと、遠くの大きな公園には届くが、近くの小さな公園はかえって目的地から外れる。プリズムは広がるのではなく、中心が抜けたドーナツ状に変形する。

第二に、車には固定の時間費用がある。チャイルドシートへの乗せ降ろし、荷物の積み込み、駐車場から遊び場までの移動、帰りに眠ってしまった子を起こさずに運ぶ手間——これらは往復で十数分を要することがあり、30分の窓には収まらない。第三に、車そのものが結合制約の対象である。世帯に一台しか車がなく、それを通勤に使う人がいれば、日中に在宅する親の手元に車はない。ヘーゲルストランドは道具や乗り物を、人と同じくパスをもち、人と束にならなければ使えないものとして扱った。車は魔法の絨毯ではなく、その車のパスと人のパスが重なる時間だけ使える道具である。したがって車の存在は、徒歩圏の街区公園の意味を消すのではなく、「短い窓には徒歩の公園、長い窓には車の公園」という使い分けを生むにすぎない。

7.2 「休日に大きな公園へ行けば足りる」

この反論は、公園の効用を一週間の合計で見ている。しかし子どもの外遊びは、まとまった量を週に一度とるよりも、短くても頻繁に外に出ることに意味があるという考え方が、発達心理学や公衆衛生の分野にはある(本稿はその効果量には立ち入らない)。時間地理学の言葉で言えば、平日の短い窓が五日分あることは、休日の長い窓が一日あることと交換できない。窓は貯金のように繰り越せないからである。今日行けなかった30分は、明日の30分にはならない。

加えて、休日のプリズムは平日より大きいが、その分だけ多くのプロジェクトが競合する。買い物、掃除、通院、帰省、上の子の試合や発表会、親自身の休息——休日の窓を公園が独占できるわけではない。真夏には第6節で述べたとおり、休日の窓も朝と夕方に割れる。さらに、大きな公園へ休日に行くという選択肢は、多くの場合に車を前提とする。車のない世帯、運転する大人が一人しかいない世帯、その大人が休日出勤の世帯にとって、この選択肢は開かれていない。休日の大規模公園は平日の街区公園の代替ではなく、別の窓に対応する別の資源である。

車の窓駐車場33園平日と休日
図7車はプリズムを広げるが形も変える。駐車場のある園は限られ、乗せ降ろしの時間もかかる。平日と休日の窓は交換できない。

7.3 「アクセシビリティ指標で十分に測れる」

公園のアクセシビリティを測る既存の指標には、住宅から最寄り公園までの距離、一定距離内の公園面積の合計、施設の容量と人口を重みづけする方法などがある。これらは場所を基準にした(place-based)指標であり、住民が一日中住宅にいることを暗黙の前提にしている。クワン(1998)が指摘したのは、まさにこの前提の問題であった。人は住宅にいるのではなく、一日のなかを移動しており、到達できる施設の集合は住宅の位置ではなく一日の予定表によって決まる。クワンはこれを人を基準にした(person-based)時空間アクセシビリティとして定式化し、同じ住宅に住む人でも予定が違えばアクセスできる機会が違うことを示した。

この区別は、公園の配置を考えるうえで実務的な含意をもつ。場所基準の指標で「徒歩圏に公園がある」と判定された世帯のうち、平日にその公園を含むプリズムをもつ人がどれだけいるかは、別の問いである。理想的には、生活時間の記録から個人ごとのプリズムを描き、公園がその内側に入る日数を数える必要がある。それは大がかりな調査を要し、本稿ではできない。しかし、指標の限界を知ったうえで場所基準の指標を読むことと、知らずに読むことは違う。時間地理学は新しい数値を与えるよりも先に、既存の数値の意味を限定するための視点として役に立つ。

以上、三つの反論はいずれも一面の真理を含むが、時間地理学の視点を不要にはしない。車は窓の使い分けを生み、休日は平日の代わりにならず、場所基準の指標は人の一日を見ていない。徒歩圏の街区公園を「短い窓に収まる公園」として位置づける本稿の主張は、これらの反論を通過してなお成り立つ。

8. 比較と拡張——祖父母・学齢児・共働きの窓、そして時間地理学への批判

本稿は子育て世帯を中心に描いてきたが、公園を使うのは子育て世帯だけではない。本節では、祖父母世代、学齢児、そして共働きの親という三つの立場のプリズムを比較し、それぞれの窓がどこで重なり、どこで重ならないかを見る。そのうえで、時間地理学そのものに向けられてきた批判を検討し、本稿の主張がどこまで届き、どこで限界をもつかを明らかにする。

8.1 祖父母のプリズム——時間はあるが体力が制約する

退職後の祖父母世代は、平日の日中に大きなプリズムをもつ。結合制約が少なく、持ち時間が長い。孫を預かる祖父母が平日午前の公園に多いのは、そのプリズムが子の親のプリズムの空白——勤務時間——をちょうど埋めるからである。ただし祖父母のプリズムは能力制約によって内側から縮む。長く歩けない、抱っこが続かない、暑さと寒さに弱いといった条件は、到達距離と滞在時間の両方を削る。祖父母にとってもまた、徒歩数分の街区公園と、腰を下ろせるベンチ、日陰、トイレが窓の長さを決める。老年学の論文(本シリーズ)が扱う高齢者の公園利用は、時間地理学的には「時間の豊かなプリズムを能力制約が削る」型として整理できる。

8.2 学齢児のプリズム——下校後の窓と放課後児童クラブ

小学生のプリズムは、登校から下校までは学校というステーションに固定され、下校後から夕方までが伝統的な公園の窓である。この窓は保護者の同伴を必ずしも要さず、友だちとの約束という結合制約によって公園に束ねられる。しかし共働き世帯の子どもの多くは、下校後に放課後児童クラブ(学童保育)へ行く。クラブは児童福祉法に位置づけられた事業であり、そこで過ごす時間は保護者の迎えまで続く。すると子どもの公園の窓は、平日にはほとんど消え、迎えのあとのわずかな時間か休日に移る。第4節で述べた保育の預かり時間と同じく、放課後児童クラブの利用は権威制約と結合制約が重なって子どものプリズムを規定する例である。夕方の公園に学齢児が「いない」ことがあるとすれば、それは公園の魅力の問題である前に、プリズムの問題かもしれない。

8.3 共働きの親のプリズム——最も狭い窓

三者を並べると、平日に最も狭い窓をもつのは共働きの親である。勤務と送迎で日中は埋まり、夏には夕方の窓が暑さと重なり、冬には日没と重なる。この親にとって公園は、平日にはほぼ「通り道」としてしか存在しない。だからこそ、保育所と自宅の間、駅やバス停と自宅の間、スーパーと自宅の間に公園があるかどうか——公園が経路上にあるかどうか——が決定的になる。目的地としての公園ではなく、経由地としての公園である。街区公園が住宅地のなかに細かく配置されていることの意味は、この経由地としての使われ方に対して最もよく現れる。

祖父母の窓学齢児の窓共働きの窓
図8立場によってプリズムの形は違う。祖父母は時間が長く体力が制約し、学齢児は下校後、共働きの親は通り道の数分が窓になる。

8.4 時間地理学への批判——抽象的な身体、選好の不在

時間地理学には早くから批判があった。ひとつは、それが人を「制約のなかを動く点」として描き、なぜその行動を選ぶのかという意味や感情、選好を扱わないという批判である(プレッド 1977 が早い段階で指摘した)。もうひとつは、フェミニスト地理学からの批判で、時間地理学が描く身体は年齢も性別も体力もない抽象的な身体であり、その抽象性が、実際に制約を最も強く受ける人々——ケアを担う人、子ども、高齢者、障害のある人——の経験を見えなくしている、というものである。クワン(1999)は、まさにこの批判に応える形で、性別による時空間アクセシビリティの差を計測した。

本稿はこれらの批判を引き受ける。第5節で歩く速さの違いを、第6節で暑さへの耐性を論じたのは、抽象的な身体を具体的な身体に置き換える試みである。障害学の論文(本シリーズ)が扱うように、車いすの子どもや親にとってのプリズムは、段差や通路幅、車いす対応トイレの有無によってさらに規定される。当サイトのデータでは車いす対応トイレ有は34園であり、この情報だけでも、ある世帯のプリズムに入る公園の集合は大きく変わる。選好や意味づけについては、時間地理学は答えを持たない。「行ける」ことと「行きたい」ことは別であり、本稿が描いたのはあくまで前者の輪郭である。輪郭の内側で人が何を選び、公園に何を見いだすかは、環境心理学や第三の場所論(本シリーズ)の課題である。

もう一つ付け加えるべき批判は、時間地理学が個人の一日を描くことに長けている一方で、制度や政策がその一日をどう変えられるかを語る言葉を持ちにくい点である。しかし逆に言えば、時間地理学は制度の効果を「窓が何分広がったか」という具体的な形で示すことができる。保育の預かり時間の区分、放課後児童クラブの終了時刻、水施設の運転期間、遊具の点検と修繕の速さ——これらはすべて、誰かの窓の長さに直接翻訳できる。政策を評価する物差しとしての時間地理学の可能性は、まだ十分に使われていない。

9. 磐田市の公園への示唆

以上の枠組みを、磐田市の公園に当てはめる。当サイト(ATAWI PARK)は、磐田市オープンデータ「都市公園一覧」の94行に市施設ガイドのみに掲載の6園を加えた100園を収録している。種別の内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園、法対象外・その他6園である。時間地理学の目でこの内訳を読むと、まず目に入るのは、短い窓に収まる街区公園が半数を占めるという厚みである。

9.1 「短い窓」の公園と「長い窓」の公園

街区公園51園と都市緑地10園、広場公園2園は、面積で言えば小さい。見付本通広場公園(街区公園・372㎡)、只来下公園(街区公園・見付・458㎡)、久保公園(街区公園・中泉・556㎡)、めがねばし公園(街区公園・見付・690㎡)といった園は、遊具の数で見れば控えめであるが、市の施設ガイドには只来下公園にブランコ・滑り台・ジャングルジム・シーソー、めがねばし公園にブランコ・滑り台・砂場とある。第5節の言葉で言えば、これらは平日夕方の30分の窓に、遊びの時間を含めて収まりうる公園である。当サイトはこれらを「小さいから物足りない」とは評価しない。窓に収まるかどうかという軸では、これらこそが平日の主役である。

都市緑地10園や広場公園2園のなかには、豊田上新屋ポケットパーク(都市緑地・豊田・156㎡)や二之宮東第2緑地(都市緑地・中泉・17㎡)のように、遊びの目的地というより通り道の一部としか言えない規模のものもある。しかし第8節で述べた「経由地としての公園」の観点では、これらもまた意味をもちうる。保育所からの帰り道で数分だけ立ち止まる、買い物の途中で腰を下ろすといった使われ方は、面積ではなく経路上の位置で決まるからである。これらの園が実際にどの経路の上にあるかは、当サイトの今後の踏査で確かめる。

他方、竜洋海洋公園(総合公園・竜洋・221,722㎡)、かぶと塚公園(総合公園・見付・106,982㎡)、兎山公園(地区公園・御厨・56,193㎡)、中央公園(地区公園・中泉・41,642㎡)、安久路公園(地区公園・御厨・32,001㎡)といった大規模な園は、長い窓と車の使える日の目的地である。市の施設ガイドによれば兎山公園・中央公園・安久路公園には駐車場が有り、休日のプリズムに対応する資源として位置づけられる。第7節で述べたとおり、両者は代替ではなく、異なる窓に対応する異なる資源である。

9.2 地区ごとの厚み

当サイトが用いる9地区の園数は、豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。園数の多い地区では、住宅から歩いて短い窓に収まる公園が複数ある可能性が高く、逆に園数の少ない地区では、公園までの移動が車前提になりやすい。ただし園数は分布の粗密を示すにすぎず、第5節で述べたとおり、それぞれの園がどの世帯のどの窓に入るかは、住宅・保育所・小学校・店との経路上の位置関係で決まる。都市地理学の論文(本シリーズ)が分布の分析を担い、本稿はその分布に「時間の層」を重ねる視点を提供する。

9.3 時間の制約が明記されている例

市の施設ガイドには、時間地理学的に読める記載がいくつかある。今之浦公園(近隣公園・見付・13,675㎡)には、市の施設ガイドに「噴水についてのお知らせ 令和8年7月17日(金曜)から令和8年9月23日(祝日・水曜)まで、噴水を運転します」とあり、また園内施設として屋根付広場、じゃぶじゃぶスポット、流れ、3歳未満児遊具、駐車場有りの記載がある。豊田香りの公園(近隣公園・豊田・10,200㎡)には「カスケード(滝)※5月から10月までの9時〜17時に稼働」とある。これらは第4節で述べた権威制約の具体例であり、その期間・時間帯だけ、その公園に「水のある窓」が開く。同時に、屋根付広場や流れは第6節で述べた「夏の窓を延ばす設備」でもある。

設備の集計も時間の言葉に読み替えられる。オープンデータ94行のうちトイレ有は69園、車いす対応トイレ有は34園、駐車場の記載または当サイトの判定で有は33園である。トイレは滞在時間を延ばし、車いす対応トイレは特定の世帯のプリズムに公園を入れ、駐車場は車の窓に対応する。これらの数は「設備の充実度」としてではなく、「誰の窓を、どれだけ延ばすか」として読むべきものである。

100園9地区設備の集計踏査の項目
図9磐田市100園を時間の目で読む。街区公園51園は短い窓の資源、駐車場33園は車の窓の資源、水施設の運転期間は権威制約である。

9.4 踏査で記録すべき「時間の情報」

当サイトの現地踏査はこれからであり(2026年8月時点で踏査済は0園)、ここに書いたことはすべて市のデータと施設ガイドの範囲にとどまる。本稿の枠組みからは、踏査で「場所の情報」に加えて記録すべき「時間の情報」が導かれる。第一に、木陰と屋根の位置と、午前・午後で日陰がどこに移るか。第二に、水道・トイレ・ベンチの位置と、遊び場からの距離。第三に、水施設や設備の運転期間・時間帯の掲示。第四に、遊具の使用禁止(テープや掲示)の有無と、その状態が続いている期間。第五に、駐車場の位置と、駐車場から遊び場までの経路と距離。第六に、公園の出入口がどの方向を向き、どの生活道路とつながっているか——すなわち経由地として使いやすいかどうか。これらは当サイトの各園ページに「現地調査待ち」として枠が用意されている項目と重なる。

最後に、読者への提案を一つ書いておく。自分の平日の一日を、朝から夜まで、家・保育所・職場・店といったステーションの列として書き出し、その隙間に何分の窓があるかを数えてみる。そして当サイトの地区ページと園ページを開き、その窓に往復と遊びを含めて収まる公園がどれかを探してみる。それが、その世帯にとっての「行ける公園」の地図である。地図はきっと、面積や遊具の数で並べたランキングとは違う顔をしているはずである。なお、遊具の使用可否や設備についての公園の管理課は、市の都市整備課(電話 0538-37-4806)である。

10. 結論と今後の課題

本稿は、ヘーゲルストランドの時間地理学——時空間パス、プリズム、能力制約・結合制約・権威制約——を用いて、公園へのアクセスを「距離」から「時間予算」へと描き直すことを試みた。得られた結論は次の四点に要約できる。

  • 第一に、子育て世帯が公園に行ける時間は、保育・仕事・昼寝・買い物という固定点に挟まれた狭い窓であり、その窓の形は好みではなく三つの制約の重なりで決まる。公園の側には結合制約がほとんどないため、行けるかどうかはほぼ利用者側の制約で決まる。
  • 第二に、徒歩圏の街区公園の価値は「近いこと」そのものではなく、往復と遊びと前後の準備を含めても最も短い窓に収まるという時間予算上の性質にある。同じ住宅から同じ公園までの距離は、歩く速さの違いによって世帯の構成員ごとに分裂する。
  • 第三に、夏の暑さは日中の窓を切り取って朝と夕方に二分し、その残りが送迎や夕食という結合制約と重なることで、平日の公園時間を消しかねない。木陰・屋根・水道・水施設は、この縮んだ窓を延ばす装置として読める。
  • 第四に、車・休日・既存のアクセシビリティ指標という三つの反論は、いずれも時間地理学の視点を不要にしない。車は窓の使い分けを生み、休日は平日の代わりにならず、場所基準の指標は人の一日を見ていない。

これらの結論は、公園の評価軸をひとつ増やすことを求める。面積、遊具の数、設備の有無という従来の軸に、「誰の、どの窓に入るか」という時間の軸を加えることである。この軸で見れば、面積の小さい街区公園は平日の主役であり、大規模公園は別の窓に対応する別の資源である。両者を同じものさしで比べて優劣をつけることは、時間地理学の目からは筋が通らない。磐田市の100園について言えば、街区公園51園という厚みは、短い窓の資源として読み直されるべきものである。

この評価軸は、行政と地域にとっても意味をもつ。公園の維持管理の優先順位や統廃合の議論では、利用者数や面積あたりの費用が判断材料になりやすい。しかし小さな街区公園の利用者数が少なく見えるとしても、それは平日の狭い窓に数分ずつ使われる利用が集計にのぼりにくいためかもしれない。時間地理学は「その公園を窓に入れている人がどれだけいるか」という別の数え方を示唆する。財政学や行政学の論文(本シリーズ)が扱う維持管理の議論に、この数え方を持ち込むことは今後の課題である。

10.1 本稿の限界

本稿の限界は明らかである。第一に、生活時間の実測を伴わない概念的な議論であり、第3節で描いた三つの世帯類型は説明のための図式にすぎない。実際の世帯はもっと多様で、ひとり親世帯、多子世帯、在宅勤務の親、交代勤務の親などでは窓の形がまったく異なる。第二に、歩く速さや暑さへの耐性について、本稿は「とされる」という書き方にとどめ、具体的な数値を示していない。第三に、磐田市についての記述は市のオープンデータと施設ガイドの範囲にとどまり、各園がどの世帯のどの窓に入るかという肝心の問いには答えていない。当サイトの踏査はこれからであり、本稿はその踏査で何を見るべきかを示す設計図として読まれるべきである。

10.2 今後の課題

今後の課題として三つを挙げる。第一に、踏査による「時間の情報」の蓄積である。第9節で挙げた六項目——日陰の移動、水道・トイレ・ベンチの位置、運転期間の掲示、使用禁止の有無、駐車場からの経路、出入口の向き——を各園について記録し、場所の情報と並べて公開することである。第二に、利用者からの情報提供によって世帯ごとの窓の実例を集めることである。「平日の何時ごろ、どこから、何分で、どの公園に行っているか」という短い記録が集まれば、磐田市の公園の「時間の地図」が少しずつ描ける。第三に、時間地理学を政策評価の物差しとして使う試みである。保育の預かり時間、放課後児童クラブの終了時刻、水施設の運転期間、遊具の点検と修繕の速さといった制度上の決定が、誰の窓を何分広げるかを、具体的に示せるようにすることである。

時間の記録季節と曜日窓に入る公園
図10今後の課題。踏査と利用者の記録で「時間の情報」を集め、季節と曜日ごとに、誰の窓にどの公園が入るかを描いていく。

ヘーゲルストランドが1970年に投げかけた問い——「地域科学において人間はどうなっているのか」——は、公園の配置と評価に対しても向けられうる。公園の一覧表や配置図のなかで、実際に公園に行く人間の一日はどうなっているのか。本稿はこの問いに、子育て世帯の一日という一つの角度から答えようとした。窓は狭く、季節によってさらに狭くなる。しかしその狭い窓に収まる公園が住宅地のなかに細かく置かれていることは、地方都市の公園制度がもつ、あまり語られてこなかった強みである。その強みを時間の言葉で言い当て、踏査によって確かめていくことが、当サイトのこれからの仕事である。

参考文献

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  10. カイサ・エレゴード(2019)『Thinking Time Geography: Concepts, Methods and Applications』(Routledge)
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  12. ジェイン・ジェイコブズ(1961)『アメリカ大都市の死と生』(山形浩生訳、鹿島出版会、2010)
  13. 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令
  14. 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
  15. 環境省 熱中症予防情報サイト(暑さ指数 WBGT)
  16. 厚生労働省 熱中症関連情報
  17. 気候変動適応法(平成30年法律第50号)
  18. 子ども・子育て支援法(平成24年法律第65号)・同法施行規則
  19. 不動産の表示に関する公正競争規約・同施行規則(徒歩所要時間の表示基準)
  20. 総務省統計局「社会生活基本調査」(生活時間に関する統計)
  21. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  22. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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