計画・工学待ち行列理論

順番を待つということ——待ち行列理論とすべり台の一台問題

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:待ち行列理論 公開・更新 2026-08-17 本文 約21,247字 読了目安 39分

要旨

本稿の目的は、公園の遊具の前にできる「順番待ち」を、待ち行列理論の枠組みで読み解くことである。待ち行列理論とは、客が到着し、窓口でサービスを受け、混んでいれば列に並ぶという状況を確率的に扱う数理の一分野で、電話交換の設計から始まり、銀行の窓口、道路の合流、病院の外来へと応用されてきた。公園の遊具も、構造だけを取り出せば同じ形をしている。子どもが到着し、すべり台という一台の設備を一人ずつ占有し、終われば次の子が使う。この見方を持ち込むと、これまで「マナー」や「にぎわい」として語られてきた現象が、到着の量と処理の速さの関係という別の言葉で記述できるようになる。

方法は文献整理と概念分析であり、数式は最小限にとどめる。アーランに始まりケンドールの記法、リトルの公式、キングマンの近似へと整えられてきた古典的な道具立てを言葉と表で説明し、遊具の性格のちがい——すべり台のように短く終わるもの、ブランコのように終わりが自分で決まるもの、砂場のように占有を伴わないもの——に対応づける。あわせて、待ち時間の体感が実時間と一致しないことを論じたマイスターやラーソンの議論、規則の学習を扱ったピアジェの古典を参照し、待つことの心理と規範の側面を検討する。

検討の結果、次の三点を主張する。第一に、待ちの長さは利用率に対して直線的ではなく、利用率が1に近づくと急に伸びる。したがって設計や配置の判断は平均的な混み具合ではなく、混む時間帯の余裕の有無を基準にすべきである。第二に、同じ台数の遊具でも、一箇所に集めるか複数の公園に分けるかで効き方が異なる。集めれば待ちは短くなり、分ければ歩く距離が短くなる。この二つは同時には最大化できない交換関係にある。第三に、待ちきれずに離れる子どもや、混んでいるから最初から近づかない親子は、統計にも苦情にも現れない。混雑の被害は、列の長さよりも「来なくなった人」の側に出る。

最後に、磐田市の都市公園100園(街区公園51園・近隣公園14園・地区公園4園・総合公園3園ほか)に即して、遊具のある園の分布、大規模園の複合遊具への集中、小規模な街区公園における同種遊具一台という条件を検討する。ただし当サイトの現地踏査はまだ始まっておらず(2026年8月16日時点で踏査済0園)、待ち時間や列の長さを計測した数値は一つも持っていない。本稿が示すのは数値の推定ではなく、今後の踏査で何を見るべきかという観察の枠組みである。

キーワード待ち行列利用率リトルの公式サービス時間順番待ち遊具配置体感待ち時間

1. はじめに——問題の所在

休日の夕方、公園で子どもがいちばん長く立ち止まっている場所は、遊具の上ではなく遊具の手前であることがある。すべり台の階段の下、ブランコの安全柵の外側、複合遊具の入口の踊り場。そこに人の並びができ、子どもたちは遊んでいる時間と同じくらいの時間を、順番を待って過ごしている。ところがこの「待つ時間」は、公園を論じるときにほとんど話題にならない。遊具の種類、面積、安全基準、日陰の有無は語られるのに、その遊具の前に何人が並び、どれくらい待ち、待ちきれずに離れていくのかは、公園の質を測る項目に入っていない。

本稿は、この待つという現象を、待ち行列理論(queueing theory)の枠組みで読み解く試みである。待ち行列理論とは、客が到着し、窓口でサービスを受け、混んでいれば列に並ぶという状況を確率的に扱う数理の一分野をいう。電話交換機の回線数をどう決めるかという実務的な問いから始まり、銀行の窓口、空港の保安検査、道路の合流部、病院の外来、通信ネットワークの混雑制御へと応用されてきた。公園の遊具も、構造だけを取り出せば同じ形をしている。子どもが到着し、すべり台という一台の設備を一人ずつ占有し、滑り終われば次の子が使う。ならば、この分野が百年余りかけて積み上げてきた見方を公園に当てはめてみる価値はある。

1.1 本稿の問い

本稿が立てる問いは三つである。第一に、なぜ人気の遊具の前だけに列ができ、しかも少し混みはじめただけで待ちが急に長くなるのか。第二に、遊具や公園を増やすとき、一箇所に集めるのと複数の場所に分けるのとでは何が違うのか。第三に、待つ時間の体感は実時間と一致しないと言われるが、そのずれは公園の設えのどこから生まれ、また幼い子どもが順番という規範を身につける過程と、待ち行列の構造はどう関わるのか。

  • 問い1(構造)——列はなぜできるのか。混雑と待ちの関係は直線的か。
  • 問い2(配置)——同じ数の遊具を、集めるべきか分散させるべきか。
  • 問い3(体感と規範)——待ちの体感は何で決まり、順番はどう学ばれるのか。
待つ時間順番一台の遊具
図1遊具の前の並びは、到着した子どもが一台の設備を順に占有する構造をもつ。待ち行列理論が扱ってきた形とよく似ている。

1.2 方法と、二つの断り

方法は文献整理と概念分析である。ここで二つ断っておかねばならない。第一に、当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園を収録したデータベースであるが、現地踏査はまだ始まっていない。2026年8月16日時点で踏査済は0園であり、待ち時間や列の長さ、時間帯別の来園者数を計測した数値は一つも持っていない。したがって本稿は、磐田の公園がどれくらい混んでいるかを述べるものではないし、そうした数値を推定して示すこともしない。示せるのは、今後の踏査で何を見るべきかという観察の枠組みだけである。

第二に、数式は最小限にとどめる。待ち行列理論には精緻な数学があり、分布の仮定を置いて厳密な式を導くこともできる。だが、公園という対象にとって有用なのは計算結果ではなく、この理論が教える定性的な見方——どこを見れば混雑の正体がわかるか、どの手を打てば効き、どの手は効かないか——のほうである。本稿は用語を言葉で定義し、対比は表で示し、式は理解を助ける最小限の箇所にだけ置く。

1.3 本稿の構成

第2節で待ち行列理論の系譜と主要概念を整理する。第3節では遊具を窓口に見立てる際の翻訳作業を行い、遊具の性格のちがいがサービス時間の性質のちがいとして表せることを示す。第4節は本稿の中心で、利用率が1に近づくときに待ちが急増するという非線形性と、ばらつきが待ちを生むという原理を扱う。第5節では集約と分散の交換関係を、第6節では列の規律と、列に入らない選択(回避・離脱・乗り換え)を論じる。第7節は体感の待ち時間、第8節は順番という規範の学習である。第9節で磐田市の公園への示唆をまとめ、第10節で結論と今後の課題を述べる。

註:本稿で「窓口」「客」「サービス」という語を用いるのは、理論の用語をそのまま使うためであり、公園の利用者を顧客として扱う趣旨ではない。公園は誰もが無償で使える公共空間であり、待ちを減らすことが常に善であるとも限らない。この点は第10節で改めて論じる。

2. 先行研究と概念の整理

待ち行列理論の出発点は、公園とは縁遠い場所にあった。デンマークの電話会社に勤めた数学者アグナー・K・アーランは、1909年の論文で、電話をかける人の到着を確率的な現象として扱い、交換機に何本の回線を用意すれば通話がつながらない事態をどの程度に抑えられるかを論じた。ここには本稿が扱う主題の核がすでに含まれている。すなわち、需要は一定ではなく揺らぐこと、設備には限りがあること、そして設備を増やす費用と待たせる不利益の間に釣り合いを取らねばならないこと、である。

その後、デイヴィッド・G・ケンドールが1953年の論文で、待ち行列の型を短い記号で表す記法を提案した。到着の仕方、サービス時間の分布、窓口の数を並べて書く方式で、いまも A/S/c の形で用いられる。1961年にはジョン・D・C・リトルが、系の中にいる客の平均人数は、到着率と平均滞在時間の積に等しいという関係を証明した。リトルの公式と呼ばれるこの関係は、到着やサービスの分布にほとんど依存せず成り立つ点で例外的に強力である。同じ1961年、ジョン・F・C・キングマンが、混み合った状態での待ち時間が到着間隔とサービス時間のばらつきによって決まることを示す近似を与えた。この四つ——アーランの問題設定、ケンドールの記法、リトルの公式、キングマンのばらつき——が、本稿が用いる道具のほぼすべてである。

古典待ち時間到着の記録
図2電話交換の設計から始まった待ち行列理論は、記法・公式・近似という三つの道具立てで、待ちの正体を扱えるようにした。

2.1 待つ人の側からの研究

一方、待ち行列を数の問題としてではなく人の経験として扱う研究群も育った。デイヴィッド・H・マイスターが1985年に発表した「待ち行列の心理学」は、体感の待ち時間が実時間と系統的にずれることを、いくつかの命題として整理したものとして広く参照されている。何もしていない待ちは長く感じる、始まる前の待ちは長く感じる、不安があると長く感じる、いつ終わるかわからない待ちは長く感じる、といった命題群である。リチャード・C・ラーソンは1987年の論文で、待ち行列における社会的公正の問題を提起した。人が強く反応するのは待ち時間の長さそのものより、後から来た者が先に処理されるという順序の破れである、という指摘である。

社会学の側では、アーヴィング・ゴッフマンが1971年の著作で、公共の場における人と人の秩序を扱う中で、順番や場所の一時的な占有がどのように相互に承認されるかを論じている。列とは物理的な並びであると同時に、目に見えない権利の配列でもある。誰がいま並んでいて、誰が抜けたのか、荷物を置いた場所は占有として認められるのか——こうした承認の仕組みは、明文の規則によってではなく、その場の慣行によって支えられている。この視点は、公園のように監視も整理券もない場所での順番を考えるうえで欠かせない。

2.2 公園研究と待ち行列の距離

では公園の側ではどうか。都市公園をめぐる議論の中心は、長らく量と配置にあった。都市公園法(昭和31年法律第79号)とその施行令が種別ごとの標準的な規模と誘致距離を定め、住民一人あたりの公園面積という指標が整備の目安として用いられてきた。近年は、遊具の安全確保に関する国土交通省の指針が、点検や更新のあり方に焦点を当てている。いずれも重要な枠組みだが、そこで扱われているのは主として「設備がどこにどれだけあるか」であり、「その設備が単位時間にどれだけの人をさばけるか」という処理能力の視点は、管見の限り前面には出てこない。

この空白は不思議ではない。処理能力を測るには、到着とサービス時間を観測しなければならないが、公園には改札も窓口もなく、誰がいつ来て何分遊んだかを記録する仕組みがない。混雑は経験としては共有されていても、データとしては存在しない。本稿がまず取り組むのは、この観測されていない領域について、少なくとも何を観測すべきかを言葉にすることである。用語を公園の語彙に翻訳する作業から始めよう。

註:本節で挙げた文献は、いずれも当該分野で広く参照される古典または公的資料である。個別の実証研究の数値は、本稿では引用しない。公園の待ち行列を扱った実証研究がどの程度あるかについても、確かめられていないため断定を避ける。

3. 遊具を「窓口」として見る——用語の翻訳

理論を別の対象に持ち込むとき、最初にすべきなのは用語の翻訳である。うまく訳せない語があれば、そこにこそその対象の固有性が現れている。待ち行列理論の基本語は多くない。到着率、サービス時間、処理率、窓口数、待ち行列の長さ、系内滞在時間。この六つを公園の語彙に置き換えてみると、そのまま置き換わるものと、置き換えに注意を要するものとに分かれる。

理論の用語意味公園での対応翻訳の難しさ
到着率単位時間に到着する客の数その遊具に遊びに来る子どもの数(毎分・毎時)同じ子が何度も並び直すため、来園者数とは一致しない
サービス時間一人が窓口を占有する時間階段を上り、滑り、降りるまでの時間終わりを本人が決める遊具では大きくばらつく
処理率単位時間にさばける人数その遊具が1分あたり何人を通せるか遊び方によって変わるため固定値ではない
窓口数同時にサービスできる数同種の遊具の台数(すべり台2台など)台数と同時利用人数が一致しない遊具がある
待ち行列の長さ待っている客の人数遊具の手前に並んでいる子どもの人数並んでいるのか遊んでいるのかの境界が曖昧
系内滞在時間到着から退出までの合計時間並び始めてから遊び終わるまで待ちと遊びの区別が本人の中で明確でない

3.1 占有する遊具と、占有しない遊具

翻訳作業から最初に見えてくるのは、遊具には待ち行列が生じるものと生じないものがある、という区別である。分かれ目は排他的占有の有無にある。すべり台は、滑走面に同時に二人が入ると危険であるため、実質的に一人ずつしか使えない。ブランコも一台につき一人である。これらは窓口として扱える。一方、砂場、芝生広場、多目的広場、原っぱは、人数が増えても一人あたりの取り分が少しずつ減るだけで、順番待ちは生じない。理論の言葉では、前者は排他的なサービス設備、後者は混雑はするが排除はしない共用資源である。

この区別は、公園の設計に直結する。列ができるのは占有型の遊具の前だけであり、共用型の空間をいくら広げても列は短くならない。逆に、占有型の遊具しかない小さな公園では、子どもの数が少し増えただけで待ちが目立つ。両方の型をひとつの公園に持たせることは、混雑への備えとして意味をもつ。待っている子が、待っている間に別の遊びへ移れるからである。

一人ずつ一台一人同時に可同時に可
図3遊具は、一人ずつ占有する型と、人数が増えても順番待ちにならない共用型に分かれる。列ができるのは前者の手前だけである。

3.2 サービス時間の三つの性格

占有型の遊具の中でも、サービス時間の性格は一様でない。第一に、すべり台のように、動作の終わりが構造によって決まっているものがある。滑り出せば必ず下まで到達し、そこで一回が終わる。サービス時間は短く、ばらつきも小さい。第二に、ブランコのように、いつ終えるかを利用者自身が決めるものがある。こぎ続ければいくらでも続けられ、サービス時間の分布は右に長い裾を引く。第三に、複合遊具のように、内部に複数の経路と滞留点をもつものがある。入口では一人ずつでも、中では複数の子が同時に別の部分を使っており、窓口の数が固定できない。

この三分類は、次節で述べる「ばらつきが待ちを生む」という原理と結びついて、実務的な意味をもつことになる。同じ人気度の遊具でも、終わりが構造で決まっているものは列がさばけ、終わりが本人任せのものは列が滞る。ブランコの前で待ちが長くなりやすいという経験的な印象は、人気の差だけでなく、サービス時間の分布の形の差としても説明できるのである。

3.3 到着の数え方——同じ子が何度も並ぶ

翻訳でもっとも注意を要するのは到着率である。銀行の窓口では、来店した客はたいてい一度だけ処理を受けて帰る。公園はそうではない。同じ子どもがすべり台を滑り、また階段へ回り、何度も並び直す。理論の側から見れば、これは客が退出せずに系へ戻り続ける閉じた構造に近い。ここから二つの帰結が出る。ひとつは、来園した子どもの人数と、遊具への到着回数がまったく別の量だということ。もうひとつは、待ちが長くなると子どもが並び直す回数を減らすため、到着率が待ちの長さに応じて自動的に下がるということである。

後者は重要である。公園の待ち行列は、混めば需要が自ら引くという自己調整の仕組みを内蔵している。だからこそ、列は際限なく伸びることがなく、そして同時に、混雑の影響は列の長さには十分に現れない。引いた分——並び直さなかった回数、来なかった親子——は、どこにも記録されないまま消える。この見えない部分を第6節で正面から扱う。

4. 利用率と非線形性——少し混むと急に待つ

待ち行列理論が公園に対して与えうる最大の洞察は、混み具合と待ちの長さの関係が直線的でない、という一点に尽きる。日常の感覚では、利用者が二倍になれば待ちも二倍になりそうに思える。実際にはそうならない。ある水準まではほとんど待たずに済み、その水準を越えると待ちが急に伸びる。この折れ曲がりの位置を知っているかどうかで、設備の判断は大きく変わる。

4.1 利用率という一つの数

混み具合を表す中心的な量が利用率である。単位時間に到着する人数を到着率、一台の設備が単位時間にさばける人数を処理率、台数を窓口数とすると、利用率は「到着率÷(処理率×窓口数)」で定義される。要するに、その設備が持てる力に対して、実際にどれだけの仕事が来ているかの割合である。利用率が1を下回っていれば、平均としては到着をさばききれている。1を超えれば、さばけない分が積み上がり、列は時間とともに伸び続ける。

ここで直感に反するのは、利用率が1を下回っていても、1に近ければ待ちは長くなるということである。設備が休まず働いていても、到着は一定間隔ではやってこない。たまたま短い間隔で三人続けて来れば列ができ、その列は、次に到着が途切れる時間が来るまで解消しない。利用率が低ければ途切れはすぐ来る。利用率が1に近ければ、途切れがなかなか来ず、いったんできた列がなかなか消えない。待ちを生むのは平均の不足ではなく、揺らぎを吸収する余裕の不足なのである。

待ち利用率急増
図4待ちの長さは利用率に比例しない。ある水準までは緩やかで、1に近づくと急に立ち上がる。判断の基準は平均ではなく余裕の有無にある。

4.2 モデルの上での目安——数値の位置づけ

もっとも単純な待ち行列のモデルでは、待っている人数の平均が「利用率÷(1−利用率)」という形で表される。この式は、利用率が0.5のとき1人分、0.8のとき4人分、0.9のとき9人分という値を返す。利用率が0.5から0.8へ、つまり混み具合が1.6倍になるだけで、待つ人数の目安は4倍に増える計算になる。以下の表はこの式が返す値を並べたものであり、あくまでモデルの内部での数値である。磐田市の公園で計測した値ではないし、実際の遊具がこの通りに振る舞うと主張するものでもない。

利用率(設備の忙しさ)モデルが返す待ち人数の目安公園での見え方(定性的な記述)
0.3 程度0.4人分行っても誰かが使っていることは少ない
0.5 程度1人分先客がいることがあるが、すぐ順番が来る
0.7 程度2.3人分並ぶことが増え、待ちを意識しはじめる
0.8 程度4人分列が常時できる。子どもが飽きて離れはじめる
0.9 程度9人分待ちが遊びの時間を上回る。回避と離脱が起きる

註:上の表の数値は、到着とサービス時間について特定の確率分布を仮定した最も単純なモデルが返す値である。公園の遊具は、同じ子が並び直す、保護者が順番を仲裁する、といった要素を含むため、この通りにはならない。表の役割は、値そのものではなく、右に行くほど増え方が急になるという形を示すことにある。

4.3 ばらつきが待ちを生む

非線形性と並ぶもう一つの原理が、ばらつきの効果である。キングマンが1961年に示した近似は、混み合った状態での待ち時間が、利用率の高さと、到着間隔およびサービス時間のばらつきの大きさの積に応じて決まることを表している。ここから、次の思考実験が導かれる。もし子どもが完全に等間隔で到着し、一人あたりの利用時間も完全に同じであれば、利用率が1に近くても待ちはほとんど生じない。行列は、需要が能力を超えるから生まれるのではなく、需要と能力が揃わないから生まれるのである。

この原理は、公園において二つの実践的な含みをもつ。第一に、サービス時間のばらつきを小さくする手立てには、台数を増やすのに近い効果がありうる。第8節で述べる「10数えたら交代」というローカルな取り決めは、まさに分布の長い裾を切り落とす操作である。第二に、到着のばらつきを小さくする手立て——たとえば同じ地区の中に遊具のある公園が複数あって、行き先が分かれること——も待ちを減らす。第5節で扱う分散配置は、能力を増やすというより、到着の山を崩す装置として理解できる。

4.4 リトルの公式が教える三つ目のこと

リトルの公式は、系の中にいる平均人数が、到着率と平均滞在時間の積に等しいと述べる。式としてはきわめて単純だが、公園にとっては測定上の意味がある。列の人数を数え続けるのは難しいが、ある子が並び始めてから遊び終わるまでの時間を数回計るのは難しくない。到着率と滞在時間のうち、測りやすいほうを測れば、もう一方の目安が得られる。これは、踏査の設計に直接使える性質である。ただしこれも、実測がなければ何も言えないという事実を変えるものではない。当サイトはまだその実測を持っていない。

5. 集めるか、分けるか——すべり台の一台問題

限られた予算で遊具を更新するとき、あるいは新しい公園を整備するとき、行政も地域も必ず同じ問いに突き当たる。大きな公園に立派な複合遊具をひとつ置くのがよいのか、小さな公園に一台ずつ配るのがよいのか。この問いは通常、にぎわいや象徴性、維持管理の効率といった言葉で議論される。待ち行列理論は、これに待ち時間と移動時間という別の軸を与える。

5.1 プールの効果——集めれば待ちは短くなる

待ち行列理論に、統合(プール)の効果と呼ばれる基本的な結果がある。総処理能力が同じであれば、窓口ごとに別々の列を作るより、一本の列を作って空いた窓口へ順に送るほうが、平均の待ちは短くなる。銀行や空港の保安検査が一本の蛇行した列を採用しているのはこのためである。別々の列だと、片方の窓口が手空きなのに、もう片方に人が並んだまま、という無駄が生じる。一本にまとめれば、その無駄が消える。同じ理屈で、二台の設備を一箇所に置くほうが、離れた場所に一台ずつ置くよりも、待ちの平均は短くなる。

ただし公園では、この一本化が完全には成り立たない。子どもは整理券をもらって一本の列に並ぶわけではないからである。二台のブランコがあれば二本の列ができ、片方が短いと見れば子どもは移る。この乗り換えを理論では列間移動(ジョッキー)と呼ぶ。乗り換えが自由であれば、二本の別々の列は一本の列に近い振る舞いをする。したがって、同じ公園の中で同種の遊具を見える範囲に並べて置くことには、統合と同じ効果を近似的に引き出す意味がある。逆に、同じ公園でも遊具どうしが植栽や築山で見通せない位置にあれば、乗り換えが起きず、統合の効果は薄れる。

並べて置く同じ遊具見通し
図5同種の遊具を見通せる範囲に並べると、子どもが空いた側へ移るため、別々の列が一本の列に近く働き、待ちが短くなる。

5.2 分散の効果——歩く距離と、到着の分割

一方、分散配置には二つの効果がある。ひとつは移動時間の短縮である。都市公園法施行令と国土交通省の標準では、街区公園の誘致距離は250メートル、近隣公園は500メートル、地区公園は1キロメートルが目安とされる。この誘致距離は、幼い子と歩く保護者にとっては単なる距離ではない。片道の移動が長くなれば、行くこと自体をやめる判断が生じる。待ちを数分短くするために十数分余計に歩くのであれば、合計の時間としては得にならない。

もうひとつは、到着そのものを分けることである。同じ地区に遊具のある公園が複数あれば、そこへ向かう親子の流れが分かれ、どの公園でも利用率が下がる。第4節で見たとおり、待ちは利用率に対して非線形であるから、混んでいる公園の利用率をわずかに下げるだけでも、待ちは大きく縮む。分散配置の価値は、設備を増やすことよりも、需要の山を崩すことにある。ここは強調しておきたい。ひとつの人気公園に人が集まりすぎている状態では、その公園に遊具を足すより、近隣の公園に遊具を足すほうが、市域全体の待ちを減らす効果が大きい場合がある。

観点一箇所に集める(集約)複数に分ける(分散)
待ち時間同じ台数なら短くなりやすい各所の利用率が下がり、結果として短くなりうる
移動時間遠い家庭には負担が大きい徒歩圏で完結しやすい
遊びの多様性大型・複合の遊具を置きやすい小規模な遊具に限られやすい
見守りやすさ人の目が多いが、子を見失いやすい全体を見渡しやすいが、人の目は少ない
維持管理点検・清掃の手間を集約できる同じ手間が箇所数だけ必要になる
混雑への強さ余裕を作りやすいが、集中も招く山が分かれるが、一箇所の故障の影響が大きい

5.3 すべり台の一台問題

以上を踏まえて、本稿が「すべり台の一台問題」と呼ぶ状況を定式化しておきたい。小さな街区公園に、すべり台が一台だけある。窓口数は1である。この構成には、待ち行列の観点から見て固有の脆さがある。第一に、窓口数が1のとき、利用率は到着のわずかな増加で跳ね上がる。近くに集合住宅が建つ、近隣の公園が改修で閉じる、といった小さな変化が、待ちの体感を一段変える。第二に、窓口数が1のときは統合の効果が働きようがない。第三に、遊具が一台きりであれば、点検や修繕でその一台が使えなくなったとき、その公園の遊び機能はゼロになる。

したがって、同じ費用をかけるなら、すべり台を一台きりで大型化するより、性格の異なる遊具を二種類置くほうが、待ちに対しては強い。種類が異なれば子どもの好みが分かれ、到着が二つの窓口に分割されるからである。さらに、占有型の遊具に加えて砂場や広場のような共用型の空間があれば、待っている間の行き場が生まれ、離脱による損失も小さくなる。一台問題への処方は、台数を増やすことだけではなく、需要を分ける種類の設計にもある。

6. 列に入らない人——回避・離脱・乗り換え

待ち行列理論には、列に並ぶ人だけでなく、並ばない人を扱う語彙がある。列を見て並ぶのをやめること、並んだ後に途中で抜けること、別の列へ移ること。それぞれ回避、離脱、乗り換えと訳される。理論の教科書ではやや周辺的に扱われるこれらの概念が、公園ではむしろ中心に来る。公園の利用者は、待たされることを受け入れる義務を何も負っていないからである。銀行の窓口なら用事を済ませるまで待つが、公園では待つ理由がなくなればいつでも去ってよい。

6.1 三つの行動と、その見えにくさ

  • 回避——遊具に人が並んでいるのを見て、最初から近づかない。あるいは、混んでいそうだと思って公園そのものへ行かない。列には一切現れない。
  • 離脱——並び始めたが、順番が来る前に飽きて、あるいは保護者に促されて離れる。列の途中から消えるため、後から見ても分からない。
  • 乗り換え——短いほうの列へ移る。二本の列が一本のように働く効果を生むが、割り込みと見分けがつきにくく、もめごとの種にもなる。
  • 先延ばし——今日は行かず、別の日や別の時間帯にする。時間帯による混雑の平準化に寄与するが、行けなかった日の存在は記録に残らない。

この四つに共通するのは、いずれも記録に残らないという性質である。混雑の被害は、並んでいる人の待ち時間としてよりも、来なくなった人の不在として現れる。したがって、ある公園を平日の昼に訪れて空いていたからといって、その公園が混雑と無縁であるとは言えない。空いているのは、混む時間帯を避けられる人だけがそこにいるからかもしれないし、混雑を経験した人がもう来ていないからかもしれない。統計に現れる利用者は、すでに選抜された後の人々である。

行かない途中で離脱記録に残らない
図6混雑の影響は、待っている人よりも、来なくなった人に強く出る。回避と離脱は、苦情にも利用統計にも現れにくい。

6.2 誰が先に退くのか

回避と離脱は、利用者の間に等しく分布するわけではない。待つことのできる時間は年齢によって大きく異なる。年少の子ほど、順番が来る前に関心が別のものへ移りやすい。また、保護者の側の条件も効く。下の子を抱いている、上の子の習い事の時間が迫っている、次の予定がある——こうした事情があるほど、待ちは受け入れがたくなる。障害のある子や、その日の体調がすぐれない子にとっても、立って待ち続けること自体が負担になりうる。

その結果、混雑した遊具から先に退くのは、もっとも待てない人、すなわちもっとも配慮を要する人になりやすい。これは倫理的な問題であると同時に、観測上の問題でもある。混雑がひどい公園ほど、その公園を必要としていた人が来なくなり、残った利用者からは不満の声が上がらない。声の大きさで整備の優先順位を決めると、この構造は補正されない。第9節で述べる踏査項目に、待ち場所の設え——腰かけられるか、日陰があるか、下の子を安全に置ける場所があるか——を含めるべき理由はここにある。

6.3 並ぶ場所という、見落とされた設計要素

列を論じるとき、理論は待つ人が並ぶ場所の物理的条件を扱わない。抽象的な列には幅も足場もないからである。だが公園では、待つ場所そのものが遊具の一部である場合が多い。滑り台の順番を待つ子は、階段の途中や踊り場に立って待つ。ここは本来、通過するための場所であって、滞留するための場所ではない。国土交通省の指針が示す遊具の安全確保の考え方でも、開口部や踊り場の寸法は、そこに人が留まることではなく安全に通過することを前提として整理されている。

この点は、混雑と安全が交差する場所として重要である。列が長くなるほど、待機の列は本来の待機場所からあふれ、遊具の構造の上へ伸びていく。混雑時に注意が必要とされるのはこのためであり、対処は現場の判断と管理者への相談に委ねられる。設計の側から言えるのは、待ち行列が生じることを見込んで、遊具の手前に平坦で見通しのよい待機空間を確保しておくことに意味がある、ということである。待つ場所を用意しないという設計は、待ちが起きないという仮定を暗に置いている。第4節で見たとおり、その仮定は利用率が上がれば容易に崩れる。

6.4 先着順という規律と、その揺らぎ

列の処理順序を、理論では規律と呼ぶ。もっとも一般的なのは先着順であり、多くの社会でこれが公平の代名詞になっている。ラーソンが1987年の論文で指摘したのは、人が待ち行列に対して抱く不満の相当部分が、待ち時間の長さそのものではなく、この順序が破られること——後から来た者が先に処理されること——に向かうという点である。同じ時間待たされても、順序が守られていれば納得され、破られていれば強い反発を招く。

公園の列には、この先着順が明示されていない。整理券も番号もなく、どこからが列でどこまでが遊んでいる子かの境界も曖昧である。それでも順番はおおむね守られる。ゴッフマンが公共の場の秩序について述べたように、そこには目に見えない相互の承認が働いている。だが公園の利用者は幼く、この承認の枠組みをまだ身につけていない者を含む。だから公園の列では、順序の維持がしばしば保護者の介入という形をとる。第8節では、この介入を規範の学習という側面から検討する。

なお、先着順以外の規律が持ち込まれることもある。小さい子を先に通す、地域の年長者が仕切る、といった優先度つきの規律である。優先度規律は、優先される側の待ちを大幅に短くする一方、優先されない側の待ちを長くする。全体の平均待ち時間は変わらないか、場合によっては短くなるが、待ちの分布は不均等になる。何を公平と呼ぶかによって望ましい規律は変わるのであり、理論はその選択を代わりに決めてはくれない。

7. 体感の待ち時間——同じ五分が長くも短くもなる

ここまでは、時計で測れる待ち時間を扱ってきた。しかし人が経験するのは、時計の時間ではなく体感の時間である。マイスターが1985年に整理した命題群は、この体感が実時間とどのようにずれるかを、いくつかの条件として述べたものである。何もしていない待ちは長く感じる、始まる前の待ちは始まってからの待ちより長く感じる、不安があると長く感じる、いつ終わるかわからない待ちは終わりの見える待ちより長く感じる、説明のない待ちは長く感じる、不公平な待ちは長く感じる、そして一人での待ちは連れのいる待ちより長く感じる。

これらは、待ちを短くできない場面で待ちの苦痛を減らすための実務的な指針として、サービス業で広く使われてきた。公園に持ち込むと、設えのどこを直せば体感が変わるかという設計の言葉になる。以下、命題ごとに公園での対応を検討する。

7.1 何もしていない待ちを、なくす

第一の命題がもっとも直接に効く。ブランコの柵の外に立って順番を待つ子どもは、待つ以外に何もしていない。ここでの数分は長い。一方、複合遊具では事情が違う。滑り台の順番を待つ子は、その待ち時間をネットや吊り橋やトンネルの上で過ごしており、待つことと遊ぶことの境界が消える。複合遊具の混雑が、単体遊具の混雑ほど不満を生まないとすれば、処理能力の差だけでなく、この構造の差が効いている可能性がある。

同じ発想から、待ち場所の設えを考えることができる。占有型の遊具の近くに、砂場や低い築山や原っぱのような共用型の空間があれば、待っている子は待ちながら別の遊びに入れる。列を離れても戻れるという安心があれば、なおよい。逆に、遊具しかない小さな公園では、待ちの時間は文字どおり空白になる。第3節で共用型の空間を併置する意義を述べたが、それは処理能力の話であると同時に、体感の話でもある。

腰かける日陰気持ちの余裕
図7待ちを短くできないときは、待ちの質を変える。腰かけられること、日陰があること、終わりが見えることが体感を左右する。

7.2 終わりが見えるということ

いつ終わるかわからない待ちは長く感じられる、という命題も公園によく当てはまる。すべり台の列は終わりが見える。前に三人いれば、三回分待てば自分の番だと分かるし、一回にかかる時間もほぼ一定である。ブランコの列は終わりが見えない。前の子がいつ降りるかは、その子次第だからである。同じ実時間を待つとしても、この二つの体感は大きく異なる。第3節で述べたサービス時間のばらつきは、実際の待ちを長くするだけでなく、体感をも長くするという二重の効果をもつ。

この点から、「10数えたら交代」のようなローカルな取り決めの意味が見えてくる。これは待ち時間の上限を与える約束であり、待つ側にとっては終わりを可視化する装置である。実時間の短縮と体感の改善が同時に起こる。数を声に出して数えるという形式には、さらに、待っている子が数えることで待ちが受動的でなくなるという副次的な効果もありうる。

7.3 説明のない待ちは長い

マイスターの命題のうち、公園で見落とされやすいのが「説明のない待ちは長く感じる」というものである。遊具が使えない状態は、混雑による待ちとは別種の待ちを生む。点検や修繕のために使用禁止の表示がされている遊具の前で、子どもは理由を知らないまま待たされる、あるいはあきらめる。国土交通省の指針が求める点検と補修は、安全のために欠かせない手続きであり、それ自体は望ましいことである。しかし、いつまで使えないのか、何のために止まっているのかが示されているかどうかで、その期間の受け止められ方は変わる。

同じことは、季節や時間で稼働が変わる設備にも当てはまる。市の施設ガイドには、今之浦公園の噴水について運転する期間が明記され、豊田香りの公園のカスケードについては稼働する月と時間帯の記載がある。こうした記載は、行ってみたら動いていなかったという空振りを減らす。待ち行列の言葉に直せば、これは不確実性を減らす情報提供であり、体感の待ちを短くする手立てである。掲示や案内の整備は、遊具を増やすことに比べれば費用の小さい手立てでありながら、体感には確かに効く。

掲示使用禁止見通しの提示
図8点検中の遊具や季節稼働の設備は、理由と期間が示されているかどうかで受け止め方が変わる。情報は体感の待ちを短くする。

7.4 保護者の待ち時間という別の行列

公園には、子どもの列とは別に、保護者の時間という第二の待ち行列が重なっている。保護者は遊具を使わないが、子どもが遊び終わるまで待っている。この待ちは、子どもの待ちよりも長く、しかも「何もしていない待ち」に近い。しかも見守りという緊張を伴うため、休息にもなりにくい。マイスターの命題に照らせば、これは体感がもっとも長くなる型の待ちである。

したがって、保護者の待ちの質を改善する設えは、公園の滞在時間そのものを左右する。腰かけられる場所があること、そこから遊具が見通せること、夏に日陰があること、近くに手洗いやトイレがあること。これらは子どもの遊具の性能とは無関係だが、その公園がどれだけ使われるかを決める。当サイトの踏査項目にベンチ・日陰・見通しを含める根拠は、快適性という漠然とした理由だけでなく、待ち行列の構造からも説明できる。

註:体感の待ち時間を扱う議論は、待ちの実時間を減らす努力を代替するものではない。設えの工夫で我慢を引き出すことと、そもそも待たなくてよい配置にすることは別の話である。マイスターの命題群も、待ちを減らせない制約下での次善策として提示されたものである。

8. 順番という規範は、どこで学ばれるか

ここまで待ち行列を、処理能力と体感の問題として扱ってきた。だが公園の列には、銀行の窓口にはない側面がある。並んでいるのが、順番という規範をまだ身につけていない子どもだということである。公園の列は、待たせる装置であると同時に、待つことを学ぶ場でもある。この節では、その学習の側面を検討する。

8.1 規則が「守るもの」から「決めるもの」へ

ジャン・ピアジェは1932年の『児童の道徳判断』で、子どもたちのおはじき遊びを観察し、規則についての理解が段階を追って変化することを記述した。幼い時期には、規則はまだ十分に理解されず、模倣に近い形で扱われる。次の段階では、規則は大人や年長者が定めた変えられないものとして、いささか厳格に受け取られる。さらに進むと、規則は仲間どうしの合意によって作られ、必要なら変えてよいものとして理解される。この記述は道徳判断の発達を論じたものだが、公園の順番待ちを見る枠組みとしても示唆に富む。

遊具の前の列は、まさにこの三つの段階が同じ場所に居合わせる空間である。並ぶという行為の意味がまだ分からず、横から遊具に取りついてしまう子。「並ばなきゃだめなんだよ」と厳格に主張する子。「じゃあ次はこっちからね」と自分たちで順番を決め直す子。同じ列の中で、規則との関わり方が異なる者が同時に待っている。順番をめぐるいざこざの多くは、悪意ではなく、この段階の差から生じていると理解したほうがよい場面が多いだろう。

子ども順番学び
図9公園の列には、規則をまだ理解しない子と、規則を作り直せる子が同時にいる。いざこざの多くは、この段階差から生じている。

8.2 待てるかどうかは、意志の強さではない

順番を待つには、目の前の欲求を先送りにする力が要る。この遅延満足をめぐっては、ウォルター・ミシェルらが行った一連の実験がよく知られている。ミシェル自身が2014年の著書でまとめているとおり、そこで見えてきたのは、待てるかどうかが生まれつきの意志の強さで決まるのではなく、注意をどこへ向けるかという技術と、その技術を使いやすくする状況に大きく左右されるということであった。目の前の報酬を見つめ続ければ待つのは難しく、別のことに注意を向けられれば待ちやすくなる。

この知見は、しばしば「我慢する力を育てよう」という教訓に短絡されがちだが、公園の設計に引きつけるなら別の含意が引き出せる。待つ力を要求する前に、待ちやすい環境を用意することができる、という含意である。列の脇に別の遊びがあること、待ち時間の終わりが見えること、待つ場所に腰かけられること。これらはすべて、注意を欲求の対象から逸らしやすくする条件である。第7節で論じた体感の設計は、発達の側から見れば、待つ力を支える足場を組むことにあたる。

8.3 遊びが自己制御を生むという逆説

レフ・ヴィゴツキーは、遊びの中で子どもは自分の年齢を超えてふるまうと述べた。日常の場面では衝動のままに動く子が、遊びの規則の中では、規則に従うことそのものを楽しみながら自分を抑える。ホイジンガが『ホモ・ルーデンス』(1938)で、遊びを規則によって画された領域として捉え、カイヨワが『遊びと人間』(1958)でその分類を精緻化したのも、遊びと規則が対立するものではなく、むしろ規則こそが遊びを成り立たせるという認識に基づいていた。

順番待ちも、この視点から見れば単なる我慢ではない。「10数えたら交代」は制約であると同時に、数を数えるという遊びであり、交代の瞬間を待つという構造をもった時間である。列そのものが遊びになることもある。順番を管理する役を子どもが引き受け、名前を呼んで送り出す。このとき、待つことは受動的な空白ではなく、参加の形式に変わっている。公園の列が学校の廊下の列と違うのは、この転換が起こりうる点にある。

8.4 サービス時間の上限という、理論と規範の接点

本節と第4節を接続しておきたい。「10数えたら交代」というローカルな取り決めは、規範として語られるが、待ち行列の言葉に直せばサービス時間に上限を設ける操作である。第4節で見たとおり、待ちを生むのはばらつきであり、右に長く伸びた分布の裾が待ちを大きくする。上限を設けることは、その裾を切り落とすことであり、平均のサービス時間をほとんど変えずに待ちを縮める。台数を増やさずに、ルールひとつで実質的な処理能力が上がる。

ただし、この取り決めには限界と副作用がある。時間で区切ることは、じっくり遊びたい子の遊びを断ち切ることでもあるし、数を数えられる年齢の子にしか運用できない。誰かが仕切り役を担う必要もある。混雑していない時間帯にまで持ち込めば、遊びを痩せさせるだけになる。理論が示すのは、この取り決めが混雑時に効くという事実であって、常に望ましいということではない。運用の判断は、その場にいる人々に委ねられる。

9. 磐田市の公園への示唆

以上の枠組みを、磐田市の公園に当てはめてみる。当サイトが収録する100園は、磐田市のオープンデータ「都市公園一覧」の94行と、市の施設ガイドにのみ掲載されている6園から成る。種別の内訳は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外・その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園である。数のうえでは、市の公園の半数が街区公園、すなわち第5節で述べた「一台問題」が起こりやすい規模の公園だということになる。

9.1 遊具のある園は、全体の一部である

オープンデータ94行のフラグを集計すると、遊具ありは64園、砂場ありは43園、トイレありは69園、車いす対応トイレありは34園である。つまり、公園と名のつく場所のすべてに遊具があるわけではない。都市緑地10園や緑道2園には、そもそも遊具を置く前提がない。待ち行列の観点から言い直せば、市域には100の場所があっても、占有型の窓口を備えた場所は64にとどまり、需要はその64へ集まる。公園の総数を分母にして充足を語ると、この集中を見落とすことになる。

地区別の分布も、集中の度合いを左右する。9地区の内訳は、豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。第5節で述べたとおり、分散配置の効果は、需要の山を崩すところにある。同じ地区の中に遊具のある公園が複数あれば、行き先が分かれて各所の利用率が下がる。園数の少ない地区では、この分割が働きにくい。ただし、地区の面積も人口も一様ではないため、園数だけで充足を論じることはできない。ここで指摘できるのは、園数が少ない地区ほど一園あたりの到着が集中しやすいという、構造上の可能性にとどまる。

9地区100園遊具のある園
図10市域には100園があるが、占有型の遊具を備えた園は限られる。需要はその園に集まり、分布の偏りが利用率の差を生む。

9.2 大きな園——集約された処理能力

市の施設ガイドの記載を見ると、規模の大きな園には、種類の異なる遊具が数多く並んでいることがわかる。たとえば兎山公園(御厨・地区公園・56,193㎡)の園内施設としては、ブランコ、滑り台、ローラー滑り台、幼児用滑り台、ジャングルジム、回転ジム、ターザンロープ、ザイルクライム、スプリング遊具などが挙げられている。安久路公園(御厨・地区公園・32,001㎡)には、インクルーシブエリアのある複合遊具、インクルーシブアイテムのあるブランコ、幼児用遊具、クロッキング遊具、砂場、流れがある。今之浦公園(見付・近隣公園・13,675㎡)は、複合遊具、ふわふわ遊具、3歳未満児遊具、健康遊具、噴水広場、芝生広場、じゃぶじゃぶスポットが記載されている。

これらの園は、待ち行列の観点からは二重に強い。第一に、同種の遊具が複数あることで統合の効果が働きうる。第二に、種類が異なることで到着が分割される。滑り台、ローラー滑り台、幼児用滑り台という三つが並んでいれば、年齢と好みによって列が分かれる。さらに、芝生広場や砂場のような共用型の空間があるため、待つ間の行き場があり、離脱による損失も小さい。第5節で述べた処方——台数だけでなく種類で需要を分ける——が、結果として実現している構成だと読める。

ただし、集約された処理能力には集中を招く面もある。竜洋十束公園(竜洋・近隣公園)の大波ワイドスライダーを含む複合遊具、竜洋川袋公園(竜洋・街区公園)のジャンボ滑り台のように、その園にしかない遊具は、地区を越えた到着を引き寄せる。到着の範囲が広がれば、利用率の変動も大きくなる。休日と平日、季節や時間帯によって混み具合が大きく振れる園ほど、第4節で述べた非線形性の影響を受けやすい。

9.3 小さな園——一台問題の現れ方

他方、小規模な街区公園では、施設ガイドの記載も短い。只来下公園(見付・458㎡)はブランコ、滑り台、ジャングルジム、シーソー。めがねばし公園(見付・690㎡)はブランコ、滑り台、砂場。久保公園(中泉・556㎡)はブランコ、滑り台、鉄棒、太鼓橋。西貝塚公園(御厨・796㎡)はブランコ、滑り台。さわやか広場(中泉・1,576㎡)はローラー滑り台とトイレ。豊田高見丘北公園(豊田・2,107㎡)は幼児用滑り台とトイレ、といった具合である。

これらの園では、同種の遊具が一台ずつであることが多い。窓口数が1であるということは、統合の効果が働かず、到着のわずかな増加が利用率を押し上げ、点検や修繕でその一台が使えなくなればその遊びが消えるということである。同時に、めがねばし公園のように砂場を併せもつ園は、待ちの受け皿を内に抱えている。共用型の空間があるかどうかは、小さな園ほど効いてくる。もっとも、これらはあくまで施設ガイドの記載から読み取れる構成上の性質であって、実際にどれだけ混むかとは別の話である。

9.4 踏査で何を見るか

当サイトの現地踏査は、2026年8月16日時点で踏査済0園である。待ち時間も、列の長さも、時間帯別の利用者数も、まだ一つも記録していない。したがって、ここまでの検討は構成上の可能性を述べたにとどまる。本稿の実務的な貢献があるとすれば、今後の踏査で何を記録すべきかを先に決めておける点にある。以下は、待ち行列の枠組みから導かれる観察項目の案である。

  • 同種の遊具の基数——滑り台が何台か、ブランコが何連か。窓口数にあたる。
  • 見通し——同じ公園内の同種遊具が互いに見えるか。乗り換えが起きるかどうかを決める。
  • 共用型の空間の有無——砂場・芝生・広場など、待ちの受け皿になる場所があるか。
  • 待ち場所の設え——腰かけられるか、日陰があるか、そこから遊具が見通せるか。
  • サービス時間の性格——終わりが構造で決まる遊具か、本人が決める遊具か。
  • 掲示——順番や利用に関する表示があるか。あるとすればどんな文言か。
  • 時間帯——同じ園を平日午前・平日夕方・休日午後に見比べたときの差。

これらはいずれも、特別な機材を必要としない。数と配置と設えを記録するだけである。リトルの公式が示すとおり、到着率と滞在時間のうち測りやすいほうを測れば、もう一方の目安が立つ。園ごとの正確な待ち時間を出すことは当面できないとしても、どの園がどの型の脆さをもつかという分類であれば、踏査の積み重ねによって描けるはずである。なお、公園の管理は磐田市 都市整備課(電話 0538-37-4806)が所管しており、遊具の状態や不具合に気づいた場合の連絡先もそこである。

10. 結論と今後の課題

本稿は、公園の遊具の前にできる順番待ちを、待ち行列理論の枠組みで読み解いてきた。得られた論点を、あらためて四つにまとめておきたい。

10.1 四つの結論

第一に、混み具合と待ちの長さの関係は直線的ではない。利用率が1に近づくと待ちは急に伸びる。この非線形性は、公園の判断基準を平均から余裕へ移すことを求める。ふだんは空いている、という理由で遊具の更新を後回しにする判断は、混む時間帯にどれだけ余裕が残っているかを見ていない点で不十分である。逆に、わずかに利用率を下げるだけでも待ちは大きく縮むのだから、小さな追加が大きく効く場面もある。

第二に、待ちを生むのは需要の総量ではなく、需要と処理能力の揺らぎである。到着の間隔が不揃いであること、一人あたりの利用時間がばらつくこと。この二つが待ちの源泉である。ここから、台数を増やす以外の処方が導かれる。サービス時間の上限を作る取り決め、種類の異なる遊具による需要の分割、地区内に複数の受け皿を用意する配置。いずれも、能力を増やすのではなく揺らぎを均す手立てである。

観察項目記録時間帯
図11本稿の実務的な帰結は、踏査で何を記録すべきかという項目に落ちる。基数、見通し、受け皿、設え、時間帯の五つが軸になる。

第三に、集約と分散は交換関係にある。同じ台数なら集めたほうが待ちは短いが、分ければ歩く距離が短くなり、到着そのものが分かれる。どちらが優れているかを一般に決めることはできず、対象とする利用者——徒歩でしか来られない親子か、車で移動できる家族か——によって答えが変わる。この選択は技術的な最適化ではなく、誰の時間を優先するかという配分の問題である。

第四に、混雑の被害は列の長さではなく、来なくなった人の不在として現れる。待ちきれずに離れる子ども、混んでいそうだから行かない親子、待つことが身体的に難しい人。これらは苦情にも利用統計にも残らない。したがって、公園の評価を利用者の声や見た目の混み具合だけで行うと、もっとも配慮を要する層の排除が見落とされる。待ち行列の理論が公園に対してもつ倫理的な含意は、この一点にあると本稿は考える。

10.2 本稿の限界

限界も明確である。第一に、本稿は一つの数値も実測していない。当サイトの現地踏査は2026年8月16日時点で踏査済0園であり、磐田市の公園がどれだけ混んでいるかについて、本稿は何も述べていないし、述べることもできない。第4節に掲げた表の数値は、単純なモデルが返す値を並べたものであって、現地の観測ではない。読者はこの区別を保ったまま本稿を読まれたい。

第二に、モデルの単純化がある。待ち行列理論の標準的な枠組みは、客が互いに独立で、順序が保たれ、サービスが中断されないことを前提とする。公園の遊具は、そのいずれの前提も満たさない。きょうだいや友だちは一緒に動くし、順序は保護者の介入で入れ替わるし、遊びは途中で別の遊びへ移る。本稿が用いたのは、こうした前提の上に立つ精密な計算ではなく、前提を外しても残る定性的な性質——非線形性、ばらつきの効果、統合と分散の交換関係——だけである。

第三に、より根本的な留保がある。待ちを短くすることは、公園にとって常に善であるとは限らない。列に並ぶ経験そのものが、順番という規範を学ぶ機会であり、知らない子と関わる契機でもある。すべての遊具が待たずに使える公園は、効率という点では優れているが、そこで失われるものもある。第8節で見たように、待つ時間は空白ではなく、参加の形式に転じうる時間である。本稿の枠組みは、待ちを最小化せよという規範を導くものではなく、待ちの量と質を意識的に選べるようにするための道具である。

10.3 今後の課題

今後の課題は三つある。第一は、第9節に挙げた観察項目に沿った踏査の実施である。窓口数にあたる同種遊具の基数、見通し、共用型の受け皿の有無、待ち場所の設えは、いずれも一度の訪問で記録できる。時間帯による差については、同じ園を複数回訪ねる設計が要る。第二は、記録した構成上の性質と、実際の混み具合の対応を確かめることである。理論が示す脆さが現実に現れるのか、それとも別の要因が支配的なのかは、観測してみなければ分からない。

第三は、待ちの分布を誰が引き受けているかという問いへの接続である。第6節で述べたとおり、回避と離脱は弱い側に偏る。年齢の低い子、障害のある子、下の子を抱えた保護者。この偏りを可視化する方法は、待ち時間の平均を測るだけでは得られない。誰が来ていないのかを知る手立ては、待ち行列理論の外側——インクルーシブな遊び場をめぐる議論や、地域の子育ての場との対話——に求めるほかない。当サイトが公園100園のデータベースとして果たしうる役割は、その対話に共通の土台を提供することにあると考えている。

註:当サイト ATAWI PARK は富士ヶ丘サービス株式会社(不動産・介護事業)が運営する、磐田市の公園100園のデータベースである。公園の記録は市のオープンデータと施設ガイドの記載に基づいており、現地踏査による確認はこれから進める段階にある。

参考文献

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  3. ジョン・D・C・リトル(1961)「待ち行列の公式 L = λW の証明(A Proof for the Queuing Formula: L = λW)」Operations Research, 9(3)
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  10. ジャン・ピアジェ(1932)『児童の道徳判断』(大伴茂訳、同文書院、1954ほか)
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  13. ヨハン・ホイジンガ(1938)『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳、中央公論社、1963/中公文庫、1973)
  14. ロジェ・カイヨワ(1958)『遊びと人間』(多田道太郎・塚崎幹夫訳、講談社学術文庫、1990)
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  16. 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
  17. 都市公園法(昭和31年法律第79号)・同法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
  18. 一般社団法人 日本公園施設業協会
  19. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  20. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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