社会科学政策評価学

公園政策は何をもって成功とするか——ロジックモデルとEBPMの射程

富士ヶ丘サービス株式会社 大石浩之

学問領域:政策評価学 公開・更新 2026-08-17 本文 約20,540字 読了目安 37分

要旨

本稿の目的は、公園に関する政策の成果を何によって判断するのかという問いを、政策評価学の枠組みで整理することである。公園は、つくること自体が目的ではなく、そこで人が過ごし、育ち、出会うことに意味がある。しかし行政の計画書や議会の説明で語られるのは、多くの場合、整備した公園の数、改修した遊具の数、支出した予算といった「実施したこと」の量である。実施量と、住民の暮らしに生じた変化とは、別の水準の事柄である。この二つを取り違えると、事業は着実に進んでいるのに誰の生活も変わらない、という事態が起こりうる。

方法は文献整理と概念分析であり、当サイト(ATAWI PARK)が収録する磐田市の都市公園100園のデータを、指標づくりの素材として参照する。サッチマン(1967)、スクリヴァン(1967)、ワイス(1972)以来の評価研究の系譜と、キャンベル=スタンリー(1963)の準実験デザイン、ポーソン=ティリー(1997)の現実的評価を手がかりに、インプット・アクティビティ・アウトプット・アウトカム・インパクトという五つの段階を結ぶロジックモデルの描き方を示す。そのうえで、公園の成果指標として使われうる一人当たり公園面積、誘致距離の充足、利用者数、満足度のそれぞれが、何を測り何を取りこぼすのかを検討する。

本稿の中心的な論点は、キャンベル(1976)が定式化した命題、すなわち社会的な意思決定に量的な指標が使われるほどその指標は歪みやすく、測ろうとした当のものを歪めてしまう、というキャンベルの法則である。測れるものだけが目標になれば、木陰の心地よさ、見通しのよさ、通りがかりに立ち寄れる距離といった、測りにくいが決定的な価値が計画から静かに落ちていく。本稿は、指標を捨てるのではなく、指標を複数持ち、指標が語らない部分を記録で補い、目標値と参考値を区別するという実務的な結論を示す。特定の自治体の施策の当否は判断せず、当サイトの踏査がこれからであることも明示する。

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1. はじめに——問題の所在

公園が一つできあがったとき、それを成功した政策と呼べるかどうかは、実のところ自明ではない。開園の日に子どもが集まり、写真が撮られ、広報に載る。そこまでは誰の目にも見える。しかし三年後、その公園がどう使われているか、近所の子どもの外遊びの時間が増えたのか、保護者の孤立がやわらいだのか、高齢者が歩く距離が伸びたのかを、誰かが確かめているだろうか。確かめていないとすれば、私たちは公園を「つくったこと」だけを根拠に、それが良かったと信じていることになる。

この問題は、公園に限らず公共事業一般に共通する。だが公園はとりわけ症状が出やすい。第一に、公園の効果は目的が広い。遊び、健康、防災、景観、生態、地域の交流と、ほとんど何でも効果として語れてしまうため、逆にどれか一つを成果として測ることが難しい。第二に、効果が現れるのが遅い。子どもの体力や地域の関係は数年から十数年の単位で変わる。第三に、公園は誰でも自由に出入りできる空間であり、利用者の名簿も入場記録もない。効果を測るための最も基本的な材料である「誰がどれだけ使ったか」が、そもそも手元にない。

それでも成果を問う必要は増している。日本の都市公園は都市公園法(昭和31年法律第79号)のもとで長く量的に拡大してきたが、多くの自治体では新設よりも既存施設の更新と維持に予算の重心が移りつつある。限られた財源をどの公園のどの施設に配るかを決めるとき、「どれも大事である」では決められない。何をもって良いとするかの物差しが要る。政策評価学は、まさにこの物差しの作り方と、その物差しが引き起こす副作用とを扱う学問である。

1.1 本稿の問い

本稿は、公園政策の評価をめぐって次の三つの問いを立てる。いずれも、答えが一つに定まる種類の問いではなく、考え方の筋道を示すことを目的とする。

  • 第一の問い——公園の政策効果は、どのような論理の連鎖として描けるか。投じた資源が、どの経路をたどって住民の暮らしの変化に至ると想定されているのか。その想定(仮定)はどこで途切れやすいのか。
  • 第二の問い——公園の成果指標として実際に使われうるもの、すなわち一人当たり公園面積、誘致距離の充足、利用者数、満足度は、それぞれ何を測り、何を測らないのか。指標を選ぶこと自体が、どんな価値判断を含んでいるのか。
  • 第三の問い——測ることが行動を変えてしまう現象、いわゆるキャンベルの法則に、公園政策はどう向き合えばよいのか。測れないものを守りながら測るという矛盾した課題は、どこまで両立しうるのか。
問い指標成果
図1本稿の問いは三つ。効果の論理をどう描くか、成果指標は何を取りこぼすか、測ることの副作用にどう向き合うか。

1.2 方法と、本稿がしないこと

方法は文献整理と概念分析である。評価研究の古典と、日本の制度(政策評価法、社会資本整備重点計画法、都市公園法とその施行令)を手がかりに枠組みを組み立て、当サイト(ATAWI PARK)が収録する磐田市の都市公園100園のデータを、指標づくりの素材として参照する。現地の踏査はまだ始まっていないため、実際の利用の様子や施設の状態については論じられない。当サイトが持っているのは、市のオープンデータと施設ガイドから読み取れる範囲の記録である。

本稿がしないことも先に述べておく。第一に、特定の自治体の特定の施策について、それが良かったか悪かったかを判断しない。評価学の役割は、評価の枠組みを提示することであって、外部から採点することではない。第二に、確かな出典のない数値を挙げない。効果の大きさを示す割合や件数は、法令・省庁の指針に明記のあるもの以外は書かず、研究の傾向として述べるにとどめる。第三に、公園の価値を金額に換算する試みには触れるが、具体的な換算値は示さない。換算の前提が変われば結果が大きく動くためである。

1.3 本稿の構成

第2節で評価研究の系譜と概念を整理し、第3節でロジックモデルの構造を説明する。第4節では街区公園を例にロジックモデルを実際に描き、そこに含まれる仮定を洗い出す。第5節で成果指標の候補とそれぞれの死角を比較し、第6節で因果を問うことの難しさ——反事実、選択バイアス、準実験——を扱う。第7節が本稿の中心で、キャンベルの法則と指標のゆがみ、およびそれへの反論への応答である。第8節で磐田市の公園データに即して具体化し、第9節で結論と今後の課題を述べる。

なお、本稿は行政の実務者だけを読者に想定していない。公園を日々使う人、子どもを連れて通う人、清掃や除草を担う人にとっても、評価の枠組みを知ることには意味がある。要望を伝えるとき、「もっと遊具を増やしてほしい」と言うのか、「夏の午後に日陰がなくて三十分といられない」と言うのかでは、伝わる内容がまるで違う。前者は施設の量の話であり、後者は使える時間の話である。後者のほうが、事業の目的に近いところを突いている。評価の言葉は、行政が住民を測るための言葉であるだけでなく、住民が自分の困りごとを政策の言葉に翻訳するための道具でもある。

註:本稿でいう「政策評価」は、国の行政機関を対象とする政策評価法上の制度に限らず、事業や施設の効果を体系的に確かめる営み一般を指す。地方公共団体の行政評価は同法の直接の対象ではなく、各団体が条例・要綱などによって独自に仕組みを設けている。

2. 先行研究と概念の整理

政策評価という営みは、社会的な介入が意図した効果をもたらしたかどうかを体系的に確かめようとする試みとして、二十世紀の半ばに形をとった。サッチマン(1967)は評価を、価値の判断そのものではなく、価値の実現度合いを確かめる調査の技術として位置づけた。スクリヴァン(1967)は、事業の途中で改善のために行う形成的評価と、事業の終了後に価値を判定する総括的評価とを区別した。この区別は今も実務の基本であり、公園でいえば、設計段階のワークショップで得た意見を設計に反映するのが形成的評価、供用後に使われ方を確かめて次の改修に生かすのが総括的評価にあたる。

ワイス(1972)は、評価が政治的な文脈のなかで行われることを強調した。評価は中立の科学ではなく、誰が何のために評価を求めたかによって、問いの立て方も指標の選び方も変わる。予算を守りたい部署が求める評価と、削りたい財政部門が求める評価と、公園を使う住民が求める評価は、同じ「効果」という言葉を使っていても中身が違う。評価を設計するとき、まず問うべきは「誰のための評価か」である。

2.1 三つの評価の型

評価研究の蓄積は、大きく三つの型を区別してきた。第一はセオリー評価(プログラム・セオリー評価)で、その事業がどのような理屈で効果を生むと想定されているのかを明るみに出し、その理屈自体の妥当性を検討する。第二はプロセス評価で、想定した活動が想定どおりに実施されているかを確かめる。第三はインパクト評価(アウトカム評価)で、事業がなかった場合と比べて何が変わったかを推定する。ロッシ、リプセイ、フリーマンの体系的な教科書は、この三層を順に積み上げる評価の設計を示している。

評価の型問い公園での例つまずきやすい点
セオリー評価この事業はなぜ効くと考えられているか遊具を置けば子どもの外遊びが増える、という想定を検証する想定が言葉にされておらず、暗黙のまま進む
プロセス評価想定どおり実施されているか点検が計画どおり行われたか、周知が届いたか実施記録が残っていない、様式が統一されていない
インパクト評価事業がなければどうなっていたか改修した公園としなかった公園で利用の変化を比べる比較対象の選び方に偏りが入る
評価の系譜三つの型価値判断
図2評価は理屈の検討、実施の確認、変化の推定という三層からなる。どの層を欠いても結論は宙に浮く。

2.2 客観の限界をめぐる議論

評価が科学的でありうるかをめぐっては、長い論争がある。キャンベルとスタンリー(1963)は、社会的な介入の効果を確かめるための実験・準実験のデザインを整理し、内的妥当性(観察された変化が本当にその介入によるものか)と外的妥当性(その結論が他の場面にも当てはまるか)という区別を定着させた。この系譜は、評価をできるかぎり実験に近づけようとする。

これに対しグーバとリンカン(1989)は、第四世代評価と呼ぶ立場から、評価とは利害関係者それぞれの主張・懸念・争点を交渉のテーブルに載せる過程だと主張した。公園でいえば、静けさを求める近隣住民、ボール遊びをしたい小学生、日陰で休みたい高齢者、除草を担う愛護会の負担は、単一の尺度に還元できない。誰の基準で良し悪しを決めるのかという問いを、技術で消すことはできないという指摘である。

両者の間に立つのがポーソンとティリー(1997)の現実的評価である。彼らは「この事業は効くか」という問いを退け、「何が、誰に、どのような文脈で、どのような機構を通じて効くのか」と問い直した。同じ複合遊具でも、住宅地の中心にあって保護者の目が届く公園と、幹線道路沿いで到達しにくい公園とでは、働き方が違う。効果は事業そのものに宿るのではなく、事業と文脈の組み合わせに宿るという見方は、公園のように立地条件が決定的な施設にはとりわけ適合的である。

2.3 日本の制度的背景とEBPM

日本では、行政機関が行う政策の評価に関する法律(平成13年法律第86号)によって、国の行政機関に政策評価が義務づけられた。社会資本の分野では、社会資本整備重点計画法(平成15年法律第20号)が、それまで事業分野ごとに立てられていた計画を一本化し、事業量ではなく成果を目標に据える計画へと転換したとされる。何キロ整備したかではなく、それによって何がどう良くなったかを掲げるという発想の転換である。

2.4 評価は何に使われるか

評価を設計するうえで見落とされがちなのが、出来上がった評価が実際にどう使われるかという問題である。ワイス(1972)以来の研究は、評価結果が直接に意思決定を左右する場面(道具的な利用)は必ずしも多くなく、むしろ関係者の物の見方を少しずつ変えていく形で効く場合(概念的な利用)が多いと指摘してきた。加えて、すでに決まっている方針を正当化するために評価が引かれること(象徴的な利用)もある。公園でいえば、評価の数値がそのまま改修の順番を決めることは少なく、むしろ地区ごとの偏りが図で示されたことによって、議論の前提が変わるという形で効くことが多いと考えられる。

この点を踏まえると、評価は「正しい答えを出す装置」ではなく「議論の材料を揃える装置」として設計したほうがよい。どれほど精密な推定を行っても、それが誰にも読まれない様式で報告されれば効果はない。逆に、粗い記録でも、住民と行政が同じ図を見ながら話せる形になっていれば、議論の質は変わる。評価の設計は、分析の設計であると同時に、伝え方の設計でもある。

EBPM(証拠に基づく政策立案)という言葉が日本の行政で広く使われるようになったのは2010年代後半のことであり、政府の統計改革の議論のなかで推進体制が整えられたとされる。EBPMは、思いつきや前例や声の大きさではなく、確かめられた根拠に基づいて政策を組み立てようという原則である。ただしこの原則は、根拠が得られる領域に政策の関心を寄せてしまう危うさも同時に抱えている。この点は第7節で改めて論じる。

3. ロジックモデルの構造——五つの段階と、その間にある仮定

ロジックモデルとは、ある事業が資源の投入から社会の変化に至るまでの道筋を、段階に分けて図示したものである。難しい技法ではない。左から右へ、投じたもの、やったこと、直接できたもの、それによって人に起きた変化、さらに広い社会の変化、と並べていくだけである。重要なのは図そのものではなく、段階と段階のあいだに置かれた「そうなるはずだ」という仮定を、言葉にして点検できる形にすることである。

3.1 五つの段階

標準的なロジックモデルは五つの段階を持つ。インプット(投入)は、予算、用地、職員の時間、地域の労力といった資源である。アクティビティ(活動)は、設計、工事、点検、除草、周知、イベントの開催といった行政や関係者の行為である。アウトプット(産出)は、活動の直接の結果として数えられるもの——できあがった公園の面積、設置された遊具の数、実施した点検の回数——であり、行政の努力の範囲でほぼ制御できる。

アウトカム(成果)から先は、行政が直接には制御できない。アウトカムは、アウトプットを受け取った人に起きた変化である。近所の子どもが外で遊ぶ時間が増えた、保護者が顔見知りを得た、高齢者が歩く距離が伸びた、といった水準がこれにあたる。アウトカムはさらに、短期(数か月から一年)、中期(数年)、長期(十年単位)に分けて考えるのが通例である。インパクト(影響)は、事業の結果として地域社会や環境に生じた広い変化であり、健康状態の改善、地域の関係の厚み、都市の暑さの緩和といった水準を指す。

段階意味公園での例測りやすさ
インプット投じた資源整備費・維持管理費・職員の時間・愛護会の労力会計と記録で把握しやすい
アクティビティ行った活動設計・工事・点検・除草・周知・イベント記録を残せば把握できる
アウトプット活動の直接の産出公園の面積・遊具の数・トイレの有無・点検の回数数えられる。ほぼ制御できる
アウトカム人に起きた変化外遊びの時間・見守りの負担感・顔見知りの数・歩く距離測定に手間がかかり、他要因が混ざる
インパクト社会に生じた影響健康・地域の関係・防災力・暑さの緩和因果の特定が難しく、時間もかかる
順序段階変化到達点
図3投入から影響までを段階に分ける。段階が上がるほど行政の制御は弱まり、測定の難しさは増していく。

3.2 仮定を見えるようにする

ロジックモデルの本当の価値は、段階の一覧ではなく、段階と段階をつなぐ矢印に隠れている仮定を露わにする点にある。「遊具を設置した(アウトプット)」から「子どもの外遊びが増える(アウトカム)」への矢印には、少なくとも次の仮定が含まれる。その公園に子どもが安全に到達できること、遊具が対象年齢に合っていること、保護者に付き添う時間があること、夏に日陰があり冬に風がしのげること、公園の存在が知られていること。これらのどれか一つでも成り立たなければ、遊具は置かれたまま使われない。

仮定を書き出す作業は、評価のためだけでなく、設計のために役立つ。もし到達の安全に不安があるなら、遊具の追加より横断箇所の改善が先かもしれない。付き添う時間が制約なら、遊具より保護者が座って待てる場所と日陰のほうが効くかもしれない。ロジックモデルは、投資の順番を考える道具でもある。逆に言えば、仮定を書かずに引かれた矢印は、願望を図にしただけのものになる。

3.3 外部要因と、逆向きの作図

ロジックモデルには、事業の外にあって結果を左右する要因も書き添える必要がある。子どもの数の増減、共働き世帯の割合の変化、学校や習い事の時間、猛暑日の増減、感染症の流行、近隣の商業施設の開閉。これらはいずれも公園の使われ方を大きく動かすが、公園政策では動かせない。外部要因を明記しておくことは、成果が出なかったときに事業だけを責めないため、また成果が出たときに事業の手柄と決めつけないための備えになる。

実務では、左から右へではなく右から左へ描く方法(バックワード・マッピング)が有効だとされる。まず実現したい状態を一つ決め、それが起きるためには何が起きている必要があるかを一段ずつさかのぼる。この描き方をすると、「やりたい事業」から出発したときには見えなかった前提——たとえば、そもそも対象となる子どもがその地区にどれだけ住んでいるか——が早い段階で現れる。

誰がロジックモデルを描くのかも重要である。担当課だけで描けば、既存の事業を正当化する図になりやすい。利用者、愛護会、保育や福祉の担当者、学校関係者が加わると、想定していなかった経路が現れる。たとえば、公園が高齢者の散歩の折り返し点として機能していること、送迎の待ち時間に使われていること、雨上がりに水たまりを目当てに来る子どもがいることは、施設の設計者の想定にはなくても、実際の使われ方としては珍しくない。ロジックモデルは、そうした複数の使われ方を一枚の図の上で突き合わせる場としても働く。

註:ロジックモデルは万能ではない。直線的な因果の連鎖を前提とするため、複数の要素が互いに影響し合う循環的な過程や、予期しない副次的な効果を表しにくい。第7節で扱う指標のゆがみは、まさにこの図の外側で起きる現象である。

4. 街区公園のロジックモデルを描く——仮定の棚卸し

抽象的な枠組みは、具体に落とさなければ検証できない。ここでは、都市公園法施行令が街区公園について標準面積0.25ha・誘致距離250mと定める、いわば最も身近な公園を例にとって、ロジックモデルを描いてみる。想定する事業は、既存の街区公園一園の遊具を更新し、日陰と座る場所を増やす改修である。新設ではなく更新を例にとるのは、多くの自治体で当面の中心的な仕事がこちらだからである。

4.1 左半分——投入・活動・産出

インプットとして数え上げるべきものは、工事費だけではない。設計に費やす職員の時間、住民との調整に要する時間、供用後の除草・清掃・点検に毎年かかる費用、そして地域の愛護会が担う労力がある。最後の項目はしばしば会計に現れないが、実際には事業の成否を左右する資源である。無償で提供されている労力を資源として明記しないと、担い手が高齢化して手が引かれたときに、何が失われたのかを説明できない。

アクティビティは、設計、住民説明、既存遊具の撤去、新設、植栽、供用開始後の定期点検と日常管理に分かれる。アウトプットは数えられる。更新した遊具の基数、新設したベンチの数、確保した日陰の面積、年間の点検回数、周知の手段と回数。国土交通省の遊具の安全確保に関する指針は、点検を計画的に行い記録を残すことを求めており、点検の実施回数と記録の完備はアウトプット指標として比較的把握しやすい。

街区公園遊具更新子ども徒歩圏
図4街区公園の改修を例にロジックモデルを描く。産出までは制御できるが、そこから先は住民の行動に委ねられる。

4.2 右半分——成果と影響、そして仮定

短期のアウトカムとして想定されるのは、その公園を訪れる近隣の親子が増えること、滞在時間が伸びること、保護者が座って見守れるようになることである。中期のアウトカムとしては、同じ時間帯に来る家庭どうしの顔見知りが増えること、子どもが単独あるいは兄弟で行ける範囲が広がること、高齢者の散歩の折り返し点として使われることが挙げられる。長期のインパクトは、地区の子どもの外遊びの習慣、住民同士の関係の厚み、災害時の一時的な集合場所としての機能の実質化である。

ここで仮定を棚卸しする。第一に、徒歩圏に対象となる年齢の子どもが一定数住んでいること。少子化と住宅の更新が進んだ地区では、この前提が崩れていることがある。第二に、家から公園までの経路に大きな横断がなく、保護者が付き添える程度の距離であること。第三に、日中に付き添える大人がいるか、子どもだけで行ける年齢に達していること。第四に、夏の日中でも過ごせる日陰と、必要ならトイレと水飲み場があること。第五に、改修されたことが近隣に伝わっていること。

  • 仮定A(需要)——徒歩圏に利用しうる子ども・高齢者がいる。人口構成が変われば同じ整備でも成果は変わる。
  • 仮定B(到達)——経路が安全で、距離が負担にならない。誘致距離250mは目安であって、実際の歩きやすさとは別である。
  • 仮定C(時間)——付き添える時間があるか、子どもだけで行ける。保護者の就労状況に強く依存する。
  • 仮定D(滞在条件)——日陰・座る場所・トイレなど、一定時間いられる条件がある。
  • 仮定E(情報)——改修されたこと、何があるかが知られている。知られていない公園は、存在しないのとほぼ同じ扱いになる。

4.3 仮定が示す投資の順番

五つの仮定を並べると、遊具の更新という事業が、実は仮定Dと仮定Eに強く依存していることが見えてくる。日陰も座る場所もない公園に新しい遊具だけを入れても、夏の午後は使えない。改修を知らせる手段がなければ、周辺の家庭は前のままの印象を持ち続ける。つまり、同じ予算を遊具に全額投じるより、日陰と情報提供に一部を回したほうがアウトカムに効く可能性がある。ロジックモデルは、こうした配分の議論を、好みの争いではなく仮定の妥当性の議論に変える。

同時に、この作図は事業の限界も示す。仮定Aと仮定Cは、公園政策では動かせない。子どもの数も、保護者の労働時間も、公園の外で決まっている。したがって、公園の改修が成果を生まなかったとしても、それが必ずしも事業の失敗を意味しない場合がある。逆に、成果が現れたとしても、それが公園の効果なのか、たまたま近隣に子育て世帯が転入したためなのかは、この図だけでは判別できない。判別の方法が第6節の主題である。

もう一点、この作図が明らかにするのは、時間の長さの違いである。インプットとアウトプットは単年度で完結し、会計年度の区切りに乗る。しかしアウトカムの多くは数年、インパクトは十年単位でしか現れない。予算と議会の周期は一年であり、担当者の異動はそれより短いことすらある。評価の時間と行政の時間が噛み合っていないという構造的な問題は、公園に限らないが、効果が遅く現れる施設ではとりわけ深刻である。単年度で見えるものだけを成果として報告し続ければ、報告される成果はアウトプットに偏り続けることになる。

註:ここで描いたモデルは説明のための例であり、特定の公園や特定の自治体の計画を指すものではない。当サイトは踏査を始めておらず、個々の公園について日陰や経路の実際を確かめていない。ここに挙げた仮定は、今後の踏査で確かめるべき項目の候補でもある。

5. 成果指標の候補と、それぞれの死角

ロジックモデルを描いたら、次はどの段階を何で測るかを決める。ここで重要なのは、指標とは測りたい概念そのものではなく、その代わりに測れるもの——代理指標——だという理解である。外遊びの豊かさそのものは測れないので、公園の面積や利用者数で代用する。代用である以上、必ずずれが生じる。指標を選ぶとは、どのずれを引き受けるかを選ぶことにほかならない。

5.1 一人当たり公園面積

最もよく使われるのが、住民一人当たりの都市公園面積である。都市公園法施行令は市町村の区域内について一人当たり10㎡以上、市街地については5㎡以上を標準としており、この数字が整備水準の代表値として扱われてきた。長所は、定義が明確で、他都市と比較でき、経年で追えることである。行政の説明責任を果たす指標としては扱いやすい。

死角は三つある。第一に、これは総量の指標であって配置を語らない。大きな公園が市の端に一つあれば数値は上がるが、徒歩圏に公園がない地区の状況は変わらない。第二に、分子は敷地面積であり、競技場も駐車場も墓園も同じ1㎡として数える。第三に、比率である以上、人口が減れば公園が一つも増えなくても数値は改善する。人口減少局面では、この指標の上昇を整備の成果と読むことができない。

5.2 誘致距離の充足

配置を見る指標として、誘致距離の充足率がある。施行令は街区公園250m、近隣公園500m、地区公園1kmという誘致距離の標準を示しており、これを円で描いて市街地のどれだけが覆われているかを測る。長所は、総量ではなく到達可能性を扱う点である。地理情報システムを使えば地区ごとの過不足が地図として示せる。

死角は、円が直線距離で描かれることにある。実際の到達は道路網に沿って行われ、大きな幹線道路、河川、鉄道、水路があれば、直線250mの公園に行くのに大回りが必要になる。さらに、円は「行ける」ことを示すだけで「行きたい」を示さない。覆われている区域に住んでいても、経路が暗い、日陰がない、遊具が年齢に合わないといった理由で使われないことはいくらでもある。充足率が高いことと、住民が公園に恵まれていることは、同じではない。

指標測っているもの取りこぼすもの入手のしやすさ
一人当たり公園面積制度上の総量配置・質・使われ方。人口減で自動的に上がる既存の統計で得られる
誘致距離の充足空間的な到達可能性経路の実態・行きたさ・時間帯による差地図データがあれば算出できる
利用者数実際の利用の量誰が・どんな体験をしたか。混雑と満足の混同常時の把握が難しく、費用がかかる
満足度利用者の主観的評価使っていない人の声・期待水準の違い調査が必要。回答者に偏りが出やすい
点検実施率・苦情件数管理の実施状況成果ではなく活動・産出の水準にとどまる記録があれば把握しやすい
面積利用者数満足度見落とし
図5どの指標も概念の代わりでしかない。面積は配置を、利用者数は体験を、満足度は使わない人の事情を取りこぼす。

5.3 利用者数と満足度

利用者数は、アウトプットとアウトカムの境目にある指標である。実際に人が来ているという事実は、面積よりも成果に近い。しかし公園は出入り自由であり、常時の計数は容易でない。数時間の目視観察を数日行う方法が一般的だが、天候・曜日・季節・行事に大きく左右される。また、人数は体験の質を語らない。混雑して落ち着かない状態と、少人数がゆったり過ごす状態のどちらが望ましいかは、公園の性格によって異なる。

満足度は、住民の主観を直接尋ねる指標である。長所は、行政の想定していなかった価値——静けさ、なじみ、季節の花——を拾える点にある。死角は二つある。第一に、答えるのは主に使っている人であり、使っていない人の理由は拾いにくい。使わない人こそ、政策が届いていない人である。第二に、満足度は期待水準に依存する。何も期待していない地区では低い整備でも満足が高く出て、期待の高い地区では手厚い整備でも不満が残るということが起こる。

5.4 指標が満たすべき三つの条件

指標を選ぶ際の判断基準として、三つの条件を挙げておく。第一は妥当性で、その指標が測りたい概念を本当に代表しているかである。遊具の基数は「遊びの豊かさ」の代理として妥当だろうか。基数が多くても同じ年齢向けばかりであれば、遊びの幅は広がらない。第二は信頼性で、誰が測っても、いつ測っても同じ値が出るかである。利用者数は観測日と時間帯で大きく動くため、測り方の手順を固定しないと信頼性が確保できない。

第三は入手可能性で、継続して測り続けられるかである。どれほど妥当な指標でも、毎年の測定に多大な労力がかかるなら続かない。続かない指標は、初年度の数値だけが残り、以後は更新されないまま参照され続ける。この三条件はしばしば互いに衝突する。妥当性の高い指標ほど測るのが難しく、入手しやすい指標ほど概念から遠い。どこで折り合いをつけたかを記録に残しておくことが、後から指標を見直すための条件になる。

5.5 指標を組み合わせる

以上から導かれる実務的な結論は単純である。単一の指標で公園政策を語らないこと。総量(面積)、配置(誘致距離と経路)、実際の利用(観察)、主観(満足と不満)、管理の状態(点検と記録)を、それぞれ別の欄に並べて置くこと。値を一つに合成して順位をつけたくなるが、合成には重みづけが必要で、その重みこそが最も議論を要する価値判断である。合成は判断を隠す。並置は判断を開く。

註:施行令の10㎡・5㎡、および誘致距離250m・500m・1kmは、いずれも計画上の標準であって達成義務を課す基準ではない。個々の公園がこれを満たさないこと自体が制度上の問題を意味するわけではない。

6. 因果を問う——反事実・選択バイアス・エビデンスの階層

指標が揃っても、それだけでは政策の効果を語れない。ある公園を改修したあとに利用が増えたとして、それが改修のおかげだと言えるためには、改修しなかった場合にどうなっていたかを知らなければならない。この「起こらなかった方の世界」を反事実という。反事実は原理的に観察できない。したがって因果推論とは、観察できない反事実を、観察できる何かで置き換える技術である。この置き換えの妥当性が、評価の信頼性を決める。

6.1 前後比較の弱さ

最も手軽な方法は、改修の前と後を比べる前後比較である。しかしキャンベルとスタンリー(1963)が整理したように、この方法には多くの脅威がある。歴史(同じ時期に別の出来事が起きた——たとえば近隣に子育て世帯が転入した、猛暑が続いた)、成熟(対象そのものが時間とともに変化した——子どもが成長して遊具の対象年齢から外れた)、測定の反応性(測られていることが行動を変えた)、平均への回帰(もともと極端に利用が少なかった公園を選んだために、放っておいても上がった)などである。

平均への回帰は特に注意を要する。改修の対象は、たいてい老朽化が進み利用が落ち込んだ公園から選ばれる。落ち込みには年ごとのばらつきが含まれるから、たまたま最も低い年を基準にすれば、翌年は何もしなくても上がりやすい。改修の効果と回帰による上昇を切り分けないまま「改修は成功した」と結論することは、評価としては不十分である。

6.2 比較群をどう作るか

そこで、改修しなかった似た公園を比較群として置き、両者の変化の差を見る方法(差の差)が使われる。この方法の要は、もし改修がなければ両群が同じように推移したはずだ、という平行趨勢の仮定にある。仮定が怪しければ結論も怪しい。公園の場合、改修される公園は、そもそも要望が強い地区、人口が増えている地区、議会で取り上げられた地区に偏りやすい。この偏りが選択バイアスである。

選択バイアスは利用者側にも生じる。公園を使う人は、もともと外に出るのが好きな人、時間に余裕がある人、近くに住む人に偏る。その人たちの健康状態や交流の多さを非利用者と比べても、公園の効果ではなく人の違いを測っていることになる。医療や教育の分野では無作為割付が用いられるが、公園を無作為に整備することは現実的にも倫理的にも困難である。したがって公園の評価では、準実験的な工夫——類似の公園との対比、段階的な整備の順序を利用した比較、境界付近の住民の比較——を組み合わせるほかない。

比較前後反事実確からしさ
図6効果を言うには、起こらなかった方の世界を何かで代用する必要がある。代用の妥当性が結論の強さを決める。

6.3 エビデンスの階層と、その批判

EBPMの議論では、無作為化比較試験を頂点とし、準実験、観察研究、事例研究、専門家の意見と続く「エビデンスの階層」がしばしば引かれる。この階層は、内的妥当性の強さの順序としては合理的である。しかし公園政策にそのまま当てはめると、階層の上位に行けない領域は根拠が弱いとみなされ、政策の関心から外れていく。日陰の心地よさ、なじみの場所であること、通りがかりに立ち寄れることは、どれも試験になじまない。

ポーソンとティリー(1997)の批判はここに向けられている。彼らによれば、問うべきは平均的な効果の有無ではなく、どの文脈でどの機構が働くかである。同じ健康遊具でも、近くに高齢者が多く住み、日常の散歩経路上にあり、使い方が分かる表示がある公園では使われ、そうでない公園では使われない。効果を平均すれば、両者は互いを打ち消して「効果なし」となる。文脈を捨てた平均は、しばしば何も語らない。

実務的な帰結は二つである。第一に、「根拠がない」を「効果がない」と読み替えないこと。測られていないことと、存在しないことは別である。第二に、弱い根拠であっても、根拠の種類と限界を明示して積み上げること。事例の記録、観察の記録、住民の語りは、階層の下位に置かれるとしても、文脈と機構を理解するためには不可欠の材料である。ウィルダフスキー(1979)が述べたように、政策分析は真理の証明ではなく、限られた知識のもとで判断を支える技芸である。

現実的な折衷案として考えられるのは、因果の強さに応じて主張の強さを変えるという作法である。厳密な比較ができた部分については効果があったと述べ、観察と記録しかない部分については、こう使われていたという事実の記述にとどめ、両者を混ぜない。報告書のなかで、推定と記述と推測が同じ字体で並べられていると、読む側はその区別ができない。区別を明示すること自体が、評価の誠実さの中身である。

註:本稿は特定の研究の数値的な結果を引用しない。公園と健康・交流の関係については多くの研究群があるが、対象地域・測定方法・比較群の取り方によって結論の幅が大きいためである。ここでは推論の構造だけを扱う。

7. 測れるものが目的になるとき——キャンベルの法則と指標のゆがみ

キャンベル(1976)は、社会的な意思決定に量的な指標が使われれば使われるほど、その指標は歪む圧力にさらされ、測ろうとしていた当の社会過程そのものを歪めてしまう、という趣旨の命題を示した。これがキャンベルの法則である。同じ論理は経済の分野ではグッドハートの法則として知られ、ある指標が政策目標に採用された瞬間に、それは良い指標であることをやめる、と言い表される。さらに遡れば、リッジウェイ(1956)は業績測定が組織にもたらす機能不全を早くから指摘しており、マートン(1936)の意図せざる結果の議論がその背景にある。

この法則が厄介なのは、悪意を前提としない点である。誰も不正を働こうとしなくても、限られた時間と予算のなかで評価される項目に力を注ぐのは合理的な行動である。評価されない項目が後回しになるのは、怠慢ではなく組織の適応である。サイモン(1947)が示したように、人と組織は完全な最適化ではなく、与えられた基準を満たす水準で満足する。基準が変われば行動が変わる。指標を置くことは、行動を設計することと同義である。

7.1 公園政策で起こりうるゆがみの型

公園の文脈で、指標のゆがみは次のような形をとりうる。いずれも仮説であり、特定の自治体で観察されたと述べるものではない。指標を設計する際に、あらかじめ想定しておくべき副作用の類型として挙げる。

  • 総量への集中——一人当たり面積を目標にすると、面積の大きい用地の確保が優先され、徒歩圏に小さな公園を増やすという配置の課題が後回しになりやすい。
  • 閾値の周辺への集中——誘致距離の充足率を目標にすると、円をわずかに外れた区域を埋める整備に資源が向かい、円の内側にあるが使いにくい公園の改善が見送られやすい。
  • 数えられる施設への傾斜——遊具の基数や施設の種類数が指標になると、数に現れない木陰、見通し、静けさ、平らな地面といった要素が計画から落ちやすい。
  • イベントによるかさ上げ——利用者数を目標にすると、日常の使いやすさより、一日の来場者数が大きく出る催しに力が入りやすい。
  • 記録の様式化——点検実施率を目標にすると、記録を埋めること自体が目的化し、様式に載っていない異常が見過ごされる危険が生じる。
  • 苦情の抑制——苦情件数の少なさを目標にすると、苦情を言いにくくすること、あるいは苦情の出やすい機能(ボール遊びの場、水遊びの場)を減らすことが「改善」として現れうる。
目標値ゆがみ切り捨て記録
図7測れるものが目標になると、測れない価値が静かに落ちる。副作用を先に列挙しておくことが設計の一部である。

7.2 最も深刻なゆがみ——測れない価値の消去

六つの型のうち、最も深刻なのは三番目である。公園の価値の中核には、数えられないものが多く含まれる。夏の午後に木陰があること。ベンチから遊具が見えること。周囲の道からなかの様子が見え、なかからも道が見えること。いつ行っても誰かがいるという安心。花が咲く時期を覚えていること。これらは施設台帳の項目にならず、写真にも数字にも残らない。指標の一覧に載らない価値は、予算の議論の場に存在しないのと同じ扱いを受ける。

しかも、この消去は一度に起きない。改修のたびに、点検しやすさ、管理のしやすさ、苦情の出にくさが少しずつ優先され、十年、二十年をかけて、公園は測りやすい施設の集合へと近づいていく。個々の判断はどれも合理的で、どの段階にも誤りがない。にもかかわらず結果として、そこで過ごしたいと思わせる何かが失われている。フッド(1991)が新しい公共管理の特徴として挙げた、成果測定と説明責任の重視は、この危険と裏表の関係にある。

7.3 反論への応答——では測るのをやめるのか

以上の議論に対しては、当然の反論がある。指標が歪むのなら測定をやめ、専門家の判断に委ねればよいのではないか。この反論は退けられる。第一に、測らない状態は中立ではない。指標がなければ、決定は声の大きさ、前例、担当者の記憶に左右される。それは指標より公平でも透明でもない。第二に、指標は説明責任の道具である。公費の使い道を住民が検証するには、共有された物差しが要る。第三に、指標がなければ地区間の偏りも見えない。見えない偏りは是正されない。

したがって答えは、測るのをやめることではなく、測り方を設計し直すことである。具体的には四つある。ひとつ、指標を複数持ち、性格の異なる指標(総量・配置・利用・主観・管理)を並置して、単一の合成値に潰さないこと。ふたつ、指標が語らない領域を、数値ではない記録——観察の記述、写真、住民の言葉——で補い、それを正式な資料として扱うこと。みっつ、目標値(達成を求める値)と参考値(傾向を見る値)を明確に区別し、参考値に目標の性格を与えないこと。よっつ、指標そのものを定期的に見直し、ゆがみが生じていないかを点検する仕組みを、評価の設計に最初から組み込むことである。

四つのうち、実務でとりわけ効くのは三つめの区別である。参考として集めたはずの数値が、いつのまにか達成すべき目標として扱われ、担当部署がその数値を上げるために動き始めるという移行は、静かに起こる。ある値を目標に格上げするかどうかは、その値が歪んだときに何が失われるかを検討したうえで決めるべき事柄であり、集計の便宜で決まってよいものではない。目標にしない、と明示的に決めることも、指標設計の一部である。

註:リンドブロム(1959)が論じたように、政策は全体最適の設計より、小さな修正の積み重ねとして進むことが多い。指標の見直しもまた一度で完成するものではなく、副作用を観察しながら少しずつ直していく作業になる。

8. 磐田市の公園への示唆

ここまでの枠組みを、当サイトが収録する磐田市の公園データに当てはめてみる。あらかじめ断っておくが、本節は市の施策の当否を判断するものではない。当サイトが持っているのは市のオープンデータ「都市公園一覧」と市の施設ガイドから読み取れる範囲の記録であり、現地の踏査はまだ始まっていない(踏査済は0園)。したがってここで述べられるのは、評価の枠組みから見たときに、どの段階のデータが手元にあり、どの段階が空白なのか、という所在の確認である。

8.1 手元にあるのはアウトプットの層である

当サイトが収録する公園は100園で、その内訳はオープンデータの94行と、市の施設ガイドにのみ掲載されている6園である。種別は街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外・その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園となっている。面積の分かる園では、最大の竜洋海洋公園が221,722㎡、最小の二之宮東第2緑地が17㎡である。またオープンデータの94行の集計として、トイレ有69園、車いす対応トイレ有34園、砂場有43園、遊具有64園、駐車場が確認できるもの33園という数がある。

第3節の五段階に照らすと、これらはすべてアウトプットの層である。何が、どれだけ、どこにあるかは分かる。しかしそれが誰にどう使われ、何が変わったかは、一行も分からない。この非対称は磐田市に固有のものではなく、公園という施設の性質からくる構造的なものである。評価の議論は、まずこの非対称を直視するところから始まる。手元のデータが充実しているほど、それを成果と読み違える誘惑は強くなる。

磐田市9地区100園公開データ
図8当サイトが持つのは配置と設備の記録、すなわち産出の層である。使われ方と変化の層は空白のままである。

8.2 地区別の偏りは、指標の分母を問い直す

9地区の園数は、見付21園、豊田28園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。この分布を見て「南部と向陽は公園が少ない」と結論するのは早い。第5節で述べたとおり、園数も面積も配置を語らないし、地区の広さも人口構成も住宅の密度も違うからである。地区の面積が広く人口が散在する地域では、公園の代わりに屋敷林や農地、河川敷が日常の遊び場として働いてきた可能性もある。

評価の観点から重要なのは、この数字が「分母は何か」という問いを突きつける点である。園数を市域全体で割るのか、地区で割るのか、徒歩圏の子どもの数で割るのかによって、見える不足はまったく変わる。集計の単位を変えると結論が変わるという現象は統計学でよく知られており、指標を出す側には、どの単位で集計したのかを明示する責任がある。当サイトは9地区という単位で公園を整理しているが、これは磐田物語や ATAWI TEMPLE と共通の地域区分を用いた便宜的な枠であり、公園の実際の利用圏と一致する保証はない。

8.3 施設ガイドの記載が示す、時間と条件の指標

市の施設ガイドの記載には、量では表れない情報が含まれている。たとえば今之浦公園については、遊びと賑わいのゾーンと憩いとふれあいゾーンに分けた施設の記載に加えて、噴水の運転期間が具体的な日付で示されている。豊田香りの公園については、カスケード(滝)が『5月から10月までの9時~17時に稼働』とある。安久路公園については、複合遊具に『インクルーシブエリアあり』、ブランコに『インクルーシブアイテムあり』との記載がある。兎山公園には多様な遊具とローラースケート場の記載がある。

これらは、施設の有無という二値ではなく、「いつ使えるか」「誰が使えるか」という条件を含む情報である。評価指標の言葉でいえば、アウトプットの層のなかでも、アウトカムに近い性格を持つ。公園が年間何日、一日何時間、どの年齢のどんな体の子どもにとって実際に使える状態にあるかは、面積よりもアウトカムに直結する。逆に、施設ガイドに個別ページのある園は77園であり、残りについては記載の粒度が揃わない。指標を作る側から見れば、この粒度の不揃いこそが最初の課題になる。

種別の構成も、指標の設計に示唆を与える。街区公園51園という数は、磐田市の公園の多数派が、徒歩圏の日常利用を想定した小さな公園であることを示している。ところが評価の議論で目立つのは、面積の大きい総合公園・運動公園・地区公園である。大きな公園は来訪者数を数えやすく、催しの実績も残りやすい。小さな街区公園は、一日に数人が短時間立ち寄るだけであり、その利用はどの記録にも残らない。数の上では多数派である施設が、指標の上では最も見えにくいという逆転が起きうる。この逆転を意識しておかないと、評価は自然と大きな公園の話になる。数の多い小さな公園について何を記録するかを先に決めておくことは、それ自体が評価設計上の判断であり、後から埋め合わせのきかない部分である。

8.4 当サイトにできること、できないこと

当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の公園100園のデータベースであり、運営は富士ヶ丘サービス株式会社である。行政の評価主体ではないため、施策の成否を判定する立場にはない。できるのは三つである。第一に、一次データ(市のオープンデータと施設ガイドの記載)を、出典を明示したまま横並びで見られる形に保つこと。第二に、今後の踏査で記録する項目を、本稿の枠組み——特に第4節で挙げた到達・時間・滞在条件・情報という仮定——に沿って設計し、数値化しにくい要素も記述として残すこと。第三に、指標が語らない部分を可視化することで、単一の数字で公園を序列化する議論に対して、別の材料を提供することである。

できないことも明確にしておく。当サイトは市の人口データを持たないため、一人当たり公園面積を算出しない。誘致距離の充足率も、経路の実態を確かめないまま円を描くことの限界を第5節で述べた以上、単独では出さない。利用者数の観測も現時点では行っていない。個々の公園の設備や管理の状態については、市の記載を引くにとどめ、確かめていないことを確かめたように書かないという原則を守る。公園に関する要望や不具合の相談先は、市の都市整備課(電話 0538-37-4806)である。

9. 結論と今後の課題

本稿は、公園政策の成功を何によって判断するのかという問いを、政策評価学の枠組みで整理してきた。三つの問いに順に答えておく。

第一の問い、公園の政策効果はどのような論理の連鎖として描けるか。答えは、インプット・アクティビティ・アウトプット・アウトカム・インパクトという五段階のロジックモデルとして描けるが、その価値は図そのものではなく、段階と段階のあいだに置かれた仮定を言葉にする点にある、というものである。第4節で示したとおり、街区公園の遊具更新という単純な事業にも、需要・到達・時間・滞在条件・情報という五つの仮定が含まれている。仮定を書き出せば、投資の順番の議論が好みの争いから離れる。書き出さなければ、矢印は願望のままである。

第二の問い、成果指標は何を測り何を測らないか。答えは、どの指標も概念の代理にすぎず、必ず何かを取りこぼす、というものである。一人当たり公園面積は総量を測り配置を捨てる。誘致距離の充足は空間的な到達を測り経路の実態と行きたさを捨てる。利用者数は量を測り体験の質を捨てる。満足度は主観を測り、使っていない人の事情を捨てる。ゆえに指標は複数を並置するほかなく、合成して一つの順位にすることは、最も議論を要する重みづけを見えなくする操作である。

第三の問い、キャンベルの法則にどう向き合うか。答えは、測るのをやめるのではなく、副作用を織り込んで測り方を設計する、というものである。指標を複数持つこと、数値でない記録を正式な資料として扱うこと、目標値と参考値を区別すること、指標そのものを定期的に見直す仕組みを最初から組み込むこと。この四つが、第7節で示した実務的な結論である。測定をやめれば公平になるわけではない。指標のない決定は、声の大きさと前例に従うだけである。

記録更新情報提供次の課題
図9指標を複数持ち、記録で補い、定期的に見直す。評価は一度で完成しない継続的な作業である。

9.1 今後の課題

本稿には限界がある。第一に、文献整理と概念分析にとどまり、実際の評価を行っていない。第二に、確かな出典のない数値を避けた結果、効果の大きさについては何も述べていない。第三に、磐田市の公園については、当サイトが持つオープンデータと施設ガイドの記載の範囲でしか論じていない。踏査が進めば、本稿で仮定として挙げた項目のいくつかは、記述として確かめられるようになるはずである。

  • 踏査項目の設計——到達(経路の横断・見通し)、時間(日陰と季節)、滞在条件(座る場所・水・トイレ)、情報(表示の分かりやすさ)を、記述として残せる様式にする。
  • 地区別の読み——9地区という単位が公園の利用圏として妥当かを検討し、集計単位の違いが結論をどう変えるかを示す。
  • 時間軸の記録——施設ガイドの記載は更新される。ある時点の記載を保存し、変化を追える形にすることで、事後の評価の材料になる。
  • 語りの記録——数値化できない価値を残す方法を検討する。ただし個人が特定されない形での記録に限る。
  • 指標の副作用の観察——本稿で類型化したゆがみが、実際にどのような形で現れるかを、他の分野の事例と照らして検討する。

9.2 結びに代えて

評価の目的は、点数をつけることではない。次に何をするかを、より確かな根拠のもとで決めるためである。公園について言えば、木陰があってよかった、ベンチから子どもが見えてよかった、という誰かの実感を、次の設計に渡していくための仕組みが評価である。その実感は数字にならないことが多い。数字にならないものを記録に残し、数字と並べて置くこと。それが、測ることと測れないものを守ることを両立させる、現時点で考えうる最も現実的な方法である。当サイトの踏査は、その記録の側から始まる。

最後に、評価をめぐる議論が陥りやすい二つの極を確認しておきたい。ひとつは、数字がすべてを決められるという過信である。もうひとつは、数字では何も分からないという諦めである。前者は測れない価値を切り捨て、後者は偏りを放置する。本稿が示したかったのは、その中間に立つための手続き——仮定を書く、指標を並べる、限界を明示する、見直す——が、決して高度な技術を要するものではないということである。必要なのは、分からないことを分からないと書く習慣のほうである。

註:本稿は特定の自治体の施策の当否を評価するものではなく、評価の枠組みを整理した論考である。磐田市の公園に関する事実は、市のオープンデータと施設ガイドの記載に依拠しており、現地で確かめた内容ではない。

参考文献

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  3. ドナルド・T・キャンベル、ジュリアン・C・スタンリー(1963)『Experimental and Quasi-Experimental Designs for Research』(Rand McNally)
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  7. レイ・ポーソン、ニック・ティリー(1997)『Realistic Evaluation』(Sage)
  8. ピーター・H・ロッシ、マーク・W・リプセイ、ハワード・E・フリーマン『Evaluation: A Systematic Approach』(Sage、第7版2004。邦訳『プログラム評価の理論と方法』大島巌ほか訳、日本評論社、2005)
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  11. チャールズ・グッドハート(1975)「Monetary Relationships: A View from Threadneedle Street」(グッドハートの法則の由来とされる論考)
  12. ハーバート・A・サイモン(1947)『経営行動』(Administrative Behavior、Macmillan。邦訳 ダイヤモンド社)
  13. チャールズ・E・リンドブロム(1959)「The Science of Muddling Through」Public Administration Review, 19(2)
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  15. アーロン・ウィルダフスキー(1979)『Speaking Truth to Power: The Art and Craft of Policy Analysis』(Little, Brown)
  16. 行政機関が行う政策の評価に関する法律(平成13年法律第86号)
  17. 社会資本整備重点計画法(平成15年法律第20号)
  18. 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(昭和31年政令第290号)(国土交通省 都市公園のページ)
  19. 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
  20. 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
  21. 磐田市 施設ガイド(公園)

本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。

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