自然科学・環境鳥類学
都市公園の鳥——都市化に適応する鳥・失われる鳥と、鳥を見る公園の使い方
要旨
本稿の目的は、鳥類学、とりわけ都市に暮らす鳥を対象とする都市鳥類学の基本概念を用いて、都市公園を「鳥にとっての場所」として読み直し、そのうえで公園を利用する人が鳥とどう付き合えばよいかを整理することである。方法は文献整理と概念分析であり、都市化勾配に沿って鳥の顔ぶれが変わることを示した研究群、都市の鳥を都市利用種・都市適応種・都市回避種に分ける類型、都市化に伴って各地の鳥の顔ぶれが似通っていく生物相の均質化、そして植生の階層構造が鳥の種数を左右するという古典的知見を、公園という対象に当てはめる。
検討の結果、次の四点が示される。第一に、カラス・ハト・スズメ・ムクドリ・ヒヨドリといった都市に適応した鳥は、雑食性・営巣場所の柔軟さ・人への警戒心の弱さ・集団性という共通の性質を持ち、街区公園のような小さな公園でも暮らせる一方、樹林の内部や水辺を必要とする鳥は、面積が大きく植生の階層が豊かな公園や川沿いの緑にしか残りにくいこと。第二に、公園の樹木・草地・水辺・人工物は、鳥にとって採餌・営巣・ねぐら・水浴びというそれぞれ異なる資源であり、面積の大小よりも環境の組み合わせが鳥の顔ぶれを決めること。第三に、鳥の顔ぶれと見え方は季節と時刻という時間の条件によっても大きく変わり、落葉と群れの季節である冬や、声の集中する早朝は、同じ公園の別の姿を見せること。第四に、餌やり・フン・鳴き声をめぐる問題は、鳥の生態を知れば多くが「距離のとり方」の問題として整理でき、幼児と一緒のバードウォッチングも、見る・聞く・数えるという簡単な作法から始められること。
最後に、磐田市の都市公園100園を種別ごとに鳥の目で読み、街区公園51園を飛び石、風致公園3園・総合公園3園・緑道2園・河川敷の公園を樹林と水辺の鳥の候補地として位置づける。ただし当サイトのデータには鳥の情報が含まれておらず、特定の公園の生息記録は本稿では書かない。鳥の目で公園を見る作業は、今後の踏査と市民の観察記録に開かれた課題として残されている。
キーワード都市鳥類学都市適応種都市化勾配生物相の均質化餌やりバードウォッチング磐田市
1. はじめに——問題の所在
公園で最初に子どもの目をとらえる生き物は、たいてい鳥である。ベンチの足もとに寄ってくるハト、芝生を歩き回るムクドリ、木のてっぺんで鳴くヒヨドリ、電線に並ぶスズメ、そして頭上を横切るカラス。虫は探さなければ見つからず、魚は水辺に行かなければ見えないが、鳥は向こうから視界に入ってくる。しかも鳥は声を出す。姿が見えなくても、公園に入った瞬間から鳥はそこにいることを知らせてくる。都市に暮らす人にとって、鳥は最も身近な野生動物であり、公園はその鳥と出会う最も日常的な場所である。
ところが、公園を記録するデータに「鳥」の欄はない。当サイト(ATAWI PARK)が扱う磐田市の都市公園100園のデータは、市のオープンデータ「都市公園一覧」を土台にしており、そこに記されているのは名称・種別・面積と、トイレ・砂場・遊具の有無である。これは公園を「人の施設」として記述したものであって、そこに誰が棲んでいるかは書かれていない。当サイトの現地踏査もこれからであり、本稿を書いている時点で、磐田市のどの公園にどんな鳥がいるかを当サイトは知らない。したがって本稿は、特定の公園の生息記録を一切書かない。書けるのは、鳥類学が都市の鳥について一般に明らかにしてきたことと、それを公園という場所に当てはめたときに何が言えるか、である。
その一般論を扱う学問が都市鳥類学である。鳥類学は鳥の分類・形態・生理・行動・生態・分布を研究する動物学の一分野であり、そのうち都市という人工的な環境に暮らす鳥を対象とする領域を、近年では都市鳥類学(urban ornithology)あるいは都市の鳥の生態学と呼ぶ。日本ではこの分野が「都市鳥」という語とともに広まり、唐沢孝一らがカラス・スズメ・ツバメなど身近な鳥の暮らしを都市の中で追い続けてきた。本稿はその蓄積を、公園という一つの場所に焦点を絞って読み直す試みである。
1.1 本稿の問い
本稿の問いは三つある。第一に、都市化が進むにつれて、どの鳥が残り、どの鳥が失われるのか。カラスやハトのように都市で数を増やす鳥と、都市から姿を消していく鳥とを分けるものは何か。第二に、公園の内側に目を向けたとき、樹木・草地・水辺・建物といった環境の要素は、鳥にとってそれぞれ何を提供しているのか。小さな街区公園と大きな総合公園とでは、鳥にとっての意味はどう違うのか。第三に、人と鳥が同じ公園を使う以上、そこには餌やり・フン・鳴き声・巣への接近といった摩擦が生じる。その摩擦を鳥の生態を踏まえてどう整理し、幼児と一緒に鳥を見るという公園の使い方をどう組み立てればよいのか。
これら三つの問いは、それぞれ「鳥の側」「場所の側」「人の側」から公園を見る問いである。鳥類学は本来、鳥の側から世界を見る学問であるが、都市鳥類学はその成り立ちからして、人の暮らしと切り離しては成立しない。人が捨てる食べ物、人が植える木、人が刈る芝生、人が建てる建物が、都市の鳥の暮らしを直接に形づくっているからである。公園はその人と鳥の接点が最も濃く現れる場所であり、三つの問いを一つの場所で同時に考えられる稀な対象と言える。
1.2 方法と構成
方法は文献整理と概念分析である。都市の鳥に関する古典的な研究と、日本の都市鳥研究の代表的な著作、環境省などの公的資料を手がかりに、概念を整理し、公園に当てはめる。数値については、法令や省庁の指針に明記のあるものを除き、具体的な割合や件数を挙げることを避け、「〜とされる」「〜という研究群がある」という書き方にとどめる。医学や安全に関わる事柄は断定せず、判断は医療機関や関係機関に委ねる。
構成は次のとおりである。第2節で都市鳥類学の先行研究と基本概念を整理する。第3節で都市に適応した鳥の共通する性質を検討し、第4節で逆に樹林や水辺を必要とする鳥と、公園の面積・植生構造との関係を論じる。第5節では公園の環境要素を鳥の資源として読み、第6節で季節と時刻という時間の条件を加える。第7節で餌やり・フン・鳴き声をめぐる問題を扱い、第8節で幼児と一緒のバードウォッチングの方法を組み立てる。第9節では磐田市の公園100園への示唆を、当サイトの手元にある事実の範囲で述べる。第10節は結論と今後の課題である。読者としては、磐田市周辺の子育て世代、行政や地域の関係者、そして鳥や公園に関心を持つ学生を想定している。
2. 先行研究と概念の整理——都市鳥類学の道具立て
都市の鳥の研究には、いくつかの節目となる仕事がある。まず1961年、マッカーサー父子は「鳥の種数は植生の階層構造の複雑さとともに増える」という関係を示した(葉群の高さの多様性と鳥の種の多様性の関係として知られる)。草だけの場所より低木のある場所、低木だけの場所より高木・低木・草が層をなす場所のほうが、多くの種類の鳥が暮らせるという知見である。これは都市を直接扱った研究ではないが、のちの都市鳥類学の土台となった。公園の設計に引きつけて言えば、同じ面積でも「芝生だけの公園」と「高木・植え込み・草地がそろった公園」とでは、鳥にとっての価値がまったく違うことを予告する知見だからである。
都市そのものを対象にした古典としては、1974年のエムレンによるアメリカ・ツーソンの市街地の鳥の群集研究が挙げられる。エムレンは市街地の鳥の群集を周辺の砂漠と比較し、都市には少数の種が高い密度で暮らすという構図を示した。種類は少ないが数は多い——この「少種多数」の構図は、その後さまざまな都市で繰り返し確かめられ、都市の鳥の群集の基本的な性格として定着した。公園でハトとムクドリばかりが目につくという日常の実感は、この構図の一断面である。
2.1 都市化勾配という見方
1996年、ブレアはカリフォルニアの調査で、自然地から市街地の中心部へと段階的に土地利用が変わる並び——都市化勾配(urban gradient)——に沿って鳥の顔ぶれがどう変わるかを調べ、鳥を三つの型に分けた。市街地の中心でこそ栄える都市利用種(urban exploiter)、適度に開発された郊外で最も豊かになる都市適応種(urban adapter)、そして開発とともに姿を消す都市回避種(urban avoider)である。この三分法は、都市の鳥を語るときの最も基本的な語彙になった。ハトやスズメのように人の暮らしに深く依存する鳥、ヒヨドリやムクドリのように緑と市街地の混じった環境をうまく使う鳥、樹林の内部でしか暮らせない鳥、という区別である。
重要なのは、この勾配の上で鳥の種数が最大になるのは、必ずしも最も自然に近い端ではないという指摘である。適度に開発された郊外——庭や公園や街路樹が混じる環境——では、もともとの環境の鳥と都市の鳥が混在するため、種数だけを見ればかえって多くなる場合がある。ただしその内訳を見ると、どの都市でも同じ顔ぶれの都市利用種が増えており、地域固有の鳥は減っている。種数という物差しだけでは、都市の鳥の世界で起きていることを見誤るのである。
2.2 生物相の均質化と都市の鳥の研究の広がり
2000年代に入ると、マッキニーらが生物相の均質化(biotic homogenization)という概念で都市化の帰結をまとめた。都市化が進むと、世界中のどの都市でも同じような少数の種——ドバト、スズメ類、ムクドリ類、カラス類など——が優占するようになり、都市どうしの生き物の顔ぶれが似通っていく、という指摘である。マーズラフらの編著(2001)やヒルとブルムの編著(2014)は、こうした研究を集成し、都市の騒音の中で鳥がさえずりの高さを変えるというスラベコーンらの報告(2003)のような、鳥の側の適応の研究も含めて、都市鳥類学を一つの分野として確立させた。
日本では「都市鳥」という語のもとで、身近な鳥の観察と研究が積み重ねられてきた。唐沢孝一はカラスをはじめとする都市の鳥の行動を長年観察し、都市という環境が鳥に何を与え、鳥がそれをどう使いこなしているかを一般向けにも書き続けている。また環境省の全国鳥類繁殖分布調査は、1970年代・1990年代・2010年代の三度にわたって全国の鳥の繁殖分布を記録しており、数十年の間に分布を広げた鳥と狭めた鳥がいることを示す基礎資料となっている。個々の種の増減の評価は本稿の手に余るが、「鳥の顔ぶれは数十年単位で入れ替わる」という事実そのものが、公園の鳥を考えるうえでの前提となる。
分布の変化は、身近な鳥にも及んでいる。たとえばスズメは、日本人にとって最も当たり前の鳥の代名詞だが、その数の減少が近年しばしば論じられるようになった。瓦屋根の減少による営巣場所の変化や、農地・空き地の減少による餌環境の変化など、複数の要因が候補として挙げられているが、確定的なことはまだ言えないとされる。ツバメについても、人家の軒先という営巣環境と、巣を見守る人の側の暮らしの変化が、その分布に影を落としていると論じられてきた。ここで重要なのは、「都市の鳥=増える鳥」という単純な図式が成り立たないことである。人の暮らしに深く依存した鳥は、人の暮らしが変わればその変化を最も直接に受ける。都市鳥類学は、都市で栄える鳥の学問であると同時に、都市でひっそりと減っていく鳥に最初に気づくための学問でもある。
以上を道具立てとしてまとめれば、本稿が使う概念は次の四つである。①植生の階層構造が鳥の種数を左右するという知見、②都市化勾配と都市利用種・都市適応種・都市回避種の三分法、③都市化が進むほど鳥の顔ぶれが似通うという生物相の均質化、④鳥の側も都市に合わせて行動を変えるという適応の知見。次節からは、この道具立てで公園の鳥を順に読んでいく。
3. 都市に適応する鳥——カラス・ハト・スズメ・ムクドリ・ヒヨドリの共通点
公園でよく見かける鳥の顔ぶれは、日本のどの都市でも大きくは変わらない。ハシブトガラスとハシボソガラス、ドバト(カワラバト)とキジバト、スズメ、ムクドリ、ヒヨドリ。これに季節や場所に応じてツバメ、ハクセキレイ、シジュウカラ、メジロなどが加わる。なぜこの顔ぶれなのか。都市鳥類学の答えは、「都市で暮らせる鳥には共通の性質がある」というものである。本節ではその共通点を四つに整理する。
3.1 雑食性——メニューの広さ
第一の共通点は雑食性、つまり食べられるものの幅が広いことである。カラスは果実・昆虫・小動物・動物の死骸から人の生ゴミまで食べる。ムクドリは地面の虫も木の実も食べる。ヒヨドリは花の蜜・果実・昆虫を季節に応じて使い分ける。都市の食物は、季節ごとの実りというより、人の活動に応じて出現する不規則な資源——落ちた菓子、街路樹の実、刈られた芝生から出てくる虫——である。特定の食物に特化した鳥はこの不規則さに対応できないが、メニューの広い鳥は都市を「いつでも何かは食べられる場所」に変えられる。公園はその典型で、芝生の虫、植え込みの実、ベンチ周りの食べこぼしという複数の食物源が一箇所に揃っている。
3.2 営巣場所の柔軟さ
第二の共通点は、巣をかける場所を選ばない柔軟さである。もともと崖に営巣していたカワラバトの系統であるドバトは、建物の梁やベランダを崖の代わりに使う。スズメは瓦の隙間や換気口など建物の穴に営巣し、人の建築物なしでは今の暮らしが成り立たないほどである。ムクドリも樹洞の代わりに戸袋や電柱の穴を使う。カラスは高木があれば市街地でも営巣し、針金ハンガーを巣材に使うことさえ知られている。都市は自然の樹洞や崖の乏しい環境だが、それに代わる「穴」と「高み」を人工物が大量に提供しており、営巣場所を読み替えられる鳥だけがこれを使える。公園の樹木は、市街地の中では貴重な「本来の営巣場所」でもある。
3.3 人への警戒心の調整
第三の共通点は、人に対する警戒心を状況に応じて緩められることである。鳥にはそれ以上近づかれると逃げ出す距離(逃避開始距離と呼ばれる)があり、都市の個体は郊外の同種個体よりこの距離が短くなる傾向が知られている。公園のハトが足もとまで寄ってくるのは、人を「危険でない存在」と学習した結果である。これは単なる鈍感さではなく、逃げるという行動にかかる労力を節約し、人の多い場所の食物を利用するための調整と考えられている。逆に言えば、都市の鳥は人をよく観察しており、危害を加える相手を覚える。カラスが特定の人を識別するらしいことは、研究者の間でもよく話題にされる。公園で鳥との距離が近いのは、鳥の側が人を見きわめた上でのことなのである。
3.4 集団性——群れとねぐら
第四の共通点は、群れで暮らす習性である。スズメもムクドリもドバトも群れで採餌し、夕方には集団のねぐらに集まる。ムクドリが夕暮れの駅前の街路樹に大群で集まる光景は、都市鳥の集団ねぐらの代表例としてしばしば取り上げられる。群れることには、天敵を見つけやすい、食物のありかの情報が伝わる、といった利点があるとされる。都市は天敵の猛禽が少なく食物が集中する環境であり、群れの利点が生きやすい。公園との関係で言えば、公園の高木は日中の休息場所や集団ねぐらの候補になりうるため、鳥の数がとりわけ多く見える時間帯(夕方)と場所(高木の並び)が生じる。フンや鳴き声の問題(第6節)は、この集団性と切り離せない。
四つの性質のそろい方には、種ごとの濃淡があることも付け加えておきたい。ドバトのようにすべてを高い水準で備え、市街地の中心部でこそ栄える鳥もいれば、シジュウカラやメジロのように、樹木さえあれば市街地でも暮らせるという「条件つきの適応」を示す鳥もいる。ハクセキレイは、もともと水辺の鳥でありながら、駐車場や舗装された広場という「開けた地面」を採餌地として読み替えて市街地に進出した例としてよく挙げられる。ツバメは人家の軒先に営巣するという意味で人への依存が最も深い鳥の一つだが、餌は飛んでいる虫に限られるため、雑食性という第一の性質を欠いており、虫の減る環境では暮らせない。つまり都市適応は一枚岩ではなく、どの性質をどの程度備えるかによって、それぞれの鳥が都市の中で使える場所の範囲が決まる。公園はその範囲が重なり合う場所であり、だからこそ一つの公園で複数の型の鳥を見比べることができる。
以上の四つの性質——雑食性・営巣の柔軟さ・警戒心の調整・集団性——は、それぞれ独立の性質ではなく、「変化の速い環境で行動を切り替えられる」という一つの能力の現れと見ることもできる。都市鳥類学では、こうした行動の柔軟性と、脳の相対的な大きさや学習能力との関係も論じられてきた。公園でハトやカラスを眺めることは、進化の時間で見ればごく最近に出現した「都市」という環境を、行動の柔軟さで乗りこなしつつある動物たちを眺めることでもある。次節では、その裏側——柔軟に乗りこなせない鳥たち——に目を向ける。
4. 失われる鳥——樹林・水辺を必要とする種と公園の限界
都市化勾配の反対側には、都市とともに姿を消す鳥がいる。ブレアの三分法でいう都市回避種である。本節では、どんな鳥が都市から失われやすいのかを、その鳥が必要とする環境の側から整理し、公園がその受け皿になれるのか、なれないのかを検討する。ここでの記述はあくまで一般論であり、磐田市のどの鳥がどうなっているかを述べるものではない。
4.1 樹林の内部を必要とする鳥
失われやすい鳥の第一の型は、まとまった樹林の内部でなければ暮らせない鳥である。樹林には「縁」と「内部」があり、縁は明るく風が通り、カラスなど捕食者の目も届きやすいのに対し、内部は暗く湿り、林床に落ち葉が積もる。林床の落ち葉をかき分けて虫を探す鳥、暗い茂みで営巣する鳥にとって、必要なのは樹林の面積そのものではなく「縁から十分離れた内部」である。ここに公園の構造的な限界がある。公園の植栽は見通しの確保や管理のために、単木の高木と刈り込まれた植え込みが基本であり、林床に落ち葉が積もる暗い茂みは、防犯上も管理上も作られにくい。つまり、都市公園は樹木の数をどれだけ増やしても、「樹林の内部」という環境だけは提供しにくいのである。
マッカーサー父子の知見(第2節)をここに重ねると、公園の緑の限界がもう一段はっきりする。鳥の種数を左右するのは植生の階層構造——高木の樹冠、亜高木、低木、草本という層の重なり——だが、公園の植栽はしばしば「高木+芝生」の二層で、中間の層を欠く。シジュウカラのように樹冠と低木を行き来する鳥は使えても、藪の中で暮らすウグイスのような鳥には使う層がない。芝生の広場は人にとっては公園の主役だが、鳥にとっては「層が一枚しかない環境」である。
4.2 水辺・草地を必要とする鳥
第二の型は、水辺の鳥である。サギ類やカモ類、カワセミのような鳥にとって必要なのは、餌となる魚や水生生物が暮らせる水である。都市の水辺はコンクリート護岸で固められることが多く、水はあっても餌が育たない。逆に言えば、川沿いの緑地や、園内に流れや池を持つ公園は、市街地の中では例外的に水辺の鳥の採餌環境を提供しうる。第三の型は、丈の高い草地の鳥である。ヒバリやホオジロのように草原で営巣・採餌する鳥にとって、頻繁に刈り込まれる公園の芝生は「草地の形をした別のもの」であり、営巣はできない。河川敷の草地が都市におけるこれらの鳥の数少ない残り場所になっているとされるのは、このためである。
失われ方には、もう一つ見えにくい経路がある。「そこにいるが増えない」という形の消失である。鳥がある場所からいなくなるのは、その場所を避けて来なくなる場合だけではない。来て、巣をかけ、しかし雛が育たないという場合もある。都市の緑地では、見通しのよい植栽や人工物に営巣した巣がカラスなどの捕食者に見つかりやすいこと、餌となる大型の昆虫が乏しく雛に運べる食物の質が下がりうることが、繁殖の成否に関わる要因として論じられてきた。こうした場所は、周囲から個体が流入し続ける限り鳥の姿は絶えないため、外からは良好な環境に見える。しかし供給が止まれば消える。公園の緑を評価するとき、「見かけた鳥の数」だけでは足りず、繁殖が成立しているかどうかという別の物差しが要る——この指摘は、確かめるには専門的な調査を要するものの、緑の質を面積だけで測ることへの根本的な警告として重要である。
4.3 面積・連結性と「それでも公園にできること」
では、公園を大きくすれば失われる鳥は戻るのか。島の生物地理学の応用として、緑地の面積が大きいほど棲める種数が増えるという関係は都市の緑地でも繰り返し報告されており、大きな公園ほど樹林性の鳥が残りやすいこと自体は確かとされる。しかし前項で見たとおり、問題は面積だけではなく環境の質と組み合わせである。広大な芝生の運動公園は、面積の数字がどれほど大きくても、樹林の鳥にも草地の鳥にも多くを提供しない。また、孤立した緑は面積のわりに種が残りにくく、川沿いの緑道のように緑がつながっていること(連結性)が、鳥の移動と分布を助けるとされる。鳥は飛べるため、ネズミやカエルほど分断に弱くはないが、小さな鳥の多くは開けた市街地の上を長く飛ぶことを避けるからである。
この整理から、「それでも公園にできること」が三つ見えてくる。第一に、渡りの途中の鳥や分散する若鳥にとっての中継地になること。渡り鳥は移動の途中で休息と採餌の場所を必要とし、市街地の中の公園の緑は、たとえ小さくても給油所のように使われることが知られている。第二に、高木・低木・草本の層をそろえるという質の改善。面積を変えられなくても、植栽の層を増やせば使える鳥は増える。第三に、川沿いの緑道や河川敷の公園をつながりとして維持すること。個々の公園を島として見るのではなく、緑の網の目の結び目として見る視点である。これは本稿と対をなす都市生態学の論考(緑地ネットワーク論)の主題でもある。公園は失われる鳥のすべてを救えないが、何もできないわけでもない——この中間の位置づけを正確に持つことが、過大な期待と諦めの両方を避ける鍵になる。
5. 公園の環境要素を鳥の資源として読む——樹木・草地・水辺・人工物
前二節では都市化の勾配に沿って「残る鳥」と「失われる鳥」を見た。本節では視点を公園の内側に移し、公園を構成する環境の要素——樹木・草地・水辺・人工物——を、鳥にとっての資源として一つずつ読み直す。鳥が場所に求める資源は大きく四つ、すなわち食物(採餌)、巣の場所(営巣)、夜を過ごす場所(ねぐら)、そして水(飲み水と水浴び)である。同じ公園でも、この四つのどれを提供できるかは要素ごとにまったく異なる。
5.1 樹木——実・虫・巣・ねぐらの四役
公園の樹木は、鳥にとって最も多役の資源である。第一に食物。実のなる木——たとえば秋から冬のクロガネモチやピラカンサ、春のサクラの花蜜——は、ヒヨドリやムクドリ、冬にはツグミ類を呼ぶ。花の蜜を吸いにメジロが来るのも、樹皮の間の虫をシジュウカラがつつくのも、樹木が食物源だからである。第二に営巣場所。市街地に高い構造物は多いが、枝の股という「巣を支える形」を提供するのは樹木であり、カラスもキジバトも公園の高木に巣をかける。第三にねぐら。夜間、鳥は葉の茂みの中で天敵と風雨から身を守って眠る。第四に、さえずりの舞台。鳥がなわばりを宣言するさえずりは高い見晴らしのよい枝から発せられることが多く、樹木のてっぺんはいわば鳥の演台である。一本の高木は、鳥の暮らしの四つの場面すべてに関わっている。
5.2 草地と地面——見えない食物庫
芝生や裸地は、人の目には「何もない広場」に見えるが、鳥にとっては地中と地表の虫の供給地である。ムクドリが芝生を列になって歩きながらつつくのは、地中の幼虫を探す採餌行動であり、雨上がりにハクセキレイやツグミが地面に降りるのも同じである。前節で述べたとおり、刈り込まれた芝生は草地の鳥の営巣地にはならないが、採餌地としては機能する。つまり公園の芝生は「営巣には使えないが食堂としては使える」中間的な資源である。また、砂の乾いた地面は、スズメが羽の寄生虫を落とすために砂を浴びる「砂浴び」の場所になる。公園の砂場や裸地でスズメがくぼみを作って身をよじっているのは、この行動である。
5.3 水辺——飲む・浴びる・獲る
鳥にとって水は、飲むためだけでなく浴びるためのものである。羽毛は飛翔と保温の要であり、鳥は水浴びで羽の汚れと寄生虫を落とし、羽づくろいで整える。水浴びに必要な水は浅くてよく、公園の水飲み場の下の水たまり、噴水の縁、流れの浅瀬で足りる。園内に流れや池を持つ公園では、これに加えて「水の中の食物」という資源が加わり、サギ類が魚やザリガニを狙って立つ姿が見られることもある。市街地では安全に水浴びできる浅い水は意外に乏しく、公園の小さな水辺は鳥の側から見ると貴重な設備である。
5.4 人工物——遊具・柵・照明も鳥は使う
見落とされがちだが、公園の人工物も鳥の資源である。柵やサッカーゴールの横棒は、地面の虫を狙うハクセキレイやモズの見張り台になる。東屋の梁はスズメやハトの雨宿りと営巣の場所になり、時計柱やパーゴラの隙間も同様である。つまり鳥は、人が設計した「公園の備品」を、止まり場・見張り台・営巣場所として勝手に読み替えて使っている。第3節で見た営巣場所の柔軟さは、公園の中でも発揮されているのである。ただし人工物への営巣は、フンや巣材による設備の汚損、雛への接近をめぐる人とのトラブルの種にもなる。この摩擦は次節で扱う。
本節の整理をまとめると、公園の鳥の顔ぶれは「面積」よりも「要素の組み合わせ」で決まる、という第4節の結論が内側からも裏づけられる。高木と芝生と浅い水がそろった公園は、小さくても採餌・営巣・ねぐら・水浴びの四資源を提供でき、逆にどれか一つしかない公園は、その資源を使う鳥しか呼べない。公園を鳥の目で点検するとは、この四資源のチェックリストで園内を見て回ることに他ならない。そしてこの点検は、双眼鏡がなくても、子ども連れの散歩の中でもできる——第8節でその方法に戻る。ただしその前に、同じ公園でも季節と時刻によって鳥の見え方が大きく変わるという、時間の条件を押さえておく必要がある。次節の主題である。
6. 季節と時間——公園の鳥の一年と一日
第3節から第5節までは、鳥の性質と公園の環境という空間の条件を扱ってきた。しかし公園の鳥を考えるうえで、空間と同じだけ重要な条件がもう一つある。時間である。同じ公園でも、二月の朝と八月の昼とでは、そこにいる鳥の種類も数も見え方もまったく違う。「この公園には鳥がいない」という印象の少なくとも一部は、公園の性質ではなく、訪れた季節と時刻の結果である。本節では、公園の鳥の一年と一日の巡りを整理し、それが公園の使い方に何を意味するかを述べる。
6.1 一年の巡り——留鳥・夏鳥・冬鳥・旅鳥
日本の鳥は、季節による移動の仕方によって四つに分けられるのが通例である。一年を通じて同じ地域にいる留鳥、春に南から渡ってきて繁殖し秋に去る夏鳥、秋に北から渡ってきて越冬し春に去る冬鳥、そして渡りの途中に立ち寄るだけの旅鳥である。スズメ・ヒヨドリ・ムクドリ・カラス類など公園で日常的に見る鳥の多くは留鳥であり、ツバメは人家の軒先に営巣する代表的な夏鳥、ツグミ類やジョウビタキなどは冬鳥として知られる。つまり公園の鳥の顔ぶれには、一年中変わらない土台の上に、季節ごとに入れ替わる層が重なっている。第4節で述べた渡りの中継地としての公園の役割は、この入れ替わりの通り道にあたる話である。
この中で、公園での観察に最も向くのは冬である。理由は三つある。第一に、落葉樹の葉が落ちて枝の中の鳥が見えるようになること。第二に、繁殖期のなわばりが解けて群れで行動する鳥が増え、一度に多くの個体が視界に入ること。冬の林ではシジュウカラ類やエナガ、メジロなどが種を超えて一つの群れ(混群)をつくって移動することが知られており、そうした群れが通り過ぎる数分間は、公園の一角が急ににぎやかになる。第三に、食物が乏しくなるため、実のなる木や水場という限られた資源に鳥が集まりやすくなること。冬の公園は寒く、遊具で長く遊ぶには向かない季節だが、鳥を見るという一点においては一年で最も条件がよい。
逆に、鳥が最も見えにくいのは夏である。葉が茂って姿が隠れること、繁殖期の後半には親鳥がさえずりをやめて目立たなくなること、そして多くの鳥が繁殖後に羽を生え替わらせる換羽の時期に入り、飛翔能力が落ちるため茂みに潜んで活動を控えるとされることが重なる。春は逆に、さえずりが最も盛んで、姿を見つけるより先に声で存在がわかる季節である。秋は木の実が熟し、渡りの個体が通過するため、顔ぶれの入れ替わりが起きる。四季それぞれに見え方の理屈があり、その理屈を知っていれば、鳥がいない日にも「なぜ今日は見えないのか」を考えることができる。
| 季節 | 鳥の側で起きていること | 公園での見え方 |
|---|---|---|
| 春 | 渡来と繁殖の開始。さえずりが盛ん | 姿より先に声。高い枝の上でよく鳴く |
| 夏 | 子育てと換羽。茂みに潜む | 葉に隠れて見えにくい。声も減る |
| 秋 | 木の実の実り。渡りの通過 | 実のなる木に集まる。顔ぶれが入れ替わる |
| 冬 | 群れ・混群での行動。食物が乏しい | 落葉で見やすい。水場と実の木に集中 |
6.2 一日の巡り——朝の合唱と夕方のねぐら入り
一日の中にも、鳥の活動には二つの山がある。一つは夜明け前後にさえずりが集中する現象で、朝の合唱(dawn chorus)と呼ばれる。なぜ薄暗い時間帯に鳴くのかについては、気温が低く風の弱い早朝は音が遠くまで届きやすいという説明、暗くて採餌の効率が悪い時間をなわばりの宣言に充てているという説明などが提出されており、一つに決まっているわけではない。もう一つの山は夕方で、群れをつくる鳥がねぐらに集まる時間帯である。ムクドリが日没前に高木や街路樹へ次々と入っていく光景は、この二つ目の山にあたる。
この二つの山の間、すなわち日中は、鳥の活動が相対的に静かになる時間帯である。そしてこの時間帯こそ、幼い子どもを連れた公園利用が集中する時間でもある。親子の公園時間と鳥の活動時間はもともとずれているのであり、「公園にはハトとカラスしかいない」という実感の一部は、この時間帯のずれによって説明できる。都市の騒音との関係も無視できない。第2節で触れたように、鳥が都市の騒音の中でさえずりの高さを変えるという研究があるが、時間帯を早めるという調整も同じ文脈で論じられてきた。交通量の少ない早朝は、鳥にとって声の通りやすい時間なのである。
6.3 時間を設計に組み込む
以上から、公園の使い方と管理の両面に対して、時間についての示唆が導かれる。使い方の面では、いつもの公園を「違う時間に一度だけ訪れてみる」ことの効果が大きい。休日の朝、いつもより一時間早く公園に着けば、それだけで別の顔ぶれに出会える可能性がある。日没前の短い滞在も同様である。季節についても、冬の晴れた日の短い滞在は、鳥を見るという目的においては夏の長い滞在に勝る。第5節で整理した資源の考え方と重ね合わせれば、「冬の朝に、実のなる木と水場の近くで、静かに座る」という条件がそろったとき、公園はその潜在力を最もよく現す。
管理の面では、繁殖期という時間の存在が重要になる。多くの鳥は春から初夏にかけて営巣し、その時期の樹木の強い剪定や刈り込みは、巣や雛に直接影響しうる。樹木の管理は安全確保という別の要請にも従わなければならず、二つの要請は必ずしも一致しないが、少なくとも「この時期の木には巣がありうる」という認識を持って作業計画を立てることは、追加の費用をほとんど必要としない配慮である。同じことは利用者にも当てはまる。春先に高木の近くでボールを蹴ることや、木を強く揺らす遊びは、鳥の側から見れば繁殖の妨害になりうる。時間という条件を知ることは、季節ごとに配慮の中身が変わるという当たり前の事実を、公園の日常に持ち込むことである。
註:渡来と繁殖の時期は種によって異なり、同じ種でも地域や年によって前後する。本節の季節区分は一般的な傾向を述べたものであり、特定の年の特定の地域について述べたものではない。
7. 人と鳥の摩擦——餌やり・フン・鳴き声・巣への距離
人と鳥が同じ公園を使う以上、摩擦は避けられない。本節では公園で実際に問題になりやすい四つの摩擦——餌やり、フン、鳴き声、巣への接近——を、鳥の生態の側から整理する。あらかじめ立場を述べておけば、本稿はいずれの問題についても「鳥を悪者にしない・人を責めない・距離のとり方として考える」という整理を採る。鳥の行動は生態の帰結であって悪意ではなく、人の側の行動もたいていは善意や無関心の帰結だからである。
7.1 餌やり——善意が引き起こす連鎖
公園の鳥への餌やりは、鳥好きの善意から始まることが多い。しかし鳥の生態から見ると、餌やりは複数の連鎖を引き起こす。第一に、集中。餌が定期的に与えられる場所には、その情報を学習した個体が集まり、ハトやカラスの密度が局所的に高まる。第二に、密度の高まりに伴うフンの集中と、食べ残しがネズミなどを呼ぶ衛生上の問題。第三に、人への依存と警戒心の低下が進み、人の食べ物を奪う行動につながりうること。第四に、本来の食物を探す行動が減ることの、鳥自身への影響である。環境省のカラス対策の資料でも、餌となるゴミや残飯の管理が対策の中心に置かれており、「餌を与えないこと・餌になるものを放置しないこと」は行政の一致した方針である。公園でお弁当を食べること自体は公園の正当な使い方だが、食べこぼしを残さない・鳥に投げ与えないという線引きが、餌やり問題の実務的な要点になる。
7.2 フンと鳴き声——集団性の帰結
ベンチや遊具の上のフン、夕方の高木から降る鳴き声の洪水。これらは第3節で見た都市鳥の集団性の帰結である。フンが特定の場所に集中するのは、鳥がその真上を止まり場やねぐらにしているからであり、フンの位置は鳥の利用場所の正確な地図でもある。対処の基本は、鳥を追い払うことよりも、フンの下に人の居場所を置かないこと、すなわち場所の読み合いである。ベンチの真上に張り出した枝があるなら、フンはそこに落ち続ける。公園管理の実務では枝の剪定やねぐらの分散といった手段が取られるが、利用者にできるのは「木の真下のベンチとそうでないベンチを見分ける」程度の小さな読みである。なお、鳥のフンには病原体が含まれうるため、触れた場合は手洗いを行い、乾いたフンを吸い込むような掃除の仕方を避けることが一般に勧められている。健康への影響が心配される場合の判断は医療機関に委ねられるべきである。
鳴き声については、鳥の声には二種類あることを知っておくと聞こえ方が変わる。繁殖期になわばりと求愛のために発せられるさえずりと、仲間との連絡や警戒のための地鳴きである。春の朝に公園がにぎやかなのはさえずりの季節だからであり、夕方のムクドリの大合唱はねぐら入り前の地鳴きの集積である。都市の騒音の中で鳥がさえずりの高さや時間帯を変えるという研究(第2節)が示すとおり、鳥の側も人の音環境に合わせて発声を調整している。公園の音風景を主題とする音響学の論考が本シリーズには別にあり、鳥の声はその主役の一つである。
7.3 巣への距離——繁殖期のカラスと雛拾い
巣をめぐる摩擦は、二つの場面で起きる。一つはカラスの繁殖期の威嚇である。カラスは巣と雛を守るため、巣に近づく人の頭上をかすめるように飛ぶことがある。環境省の資料でも、これは巣と雛への接近に対する防衛行動であり、巣の位置に気づいて距離を取れば避けられるとされている。攻撃されたと感じる出来事の多くは、人が巣の存在を知らずに真下を通ったことによる。公園の管理者に巣の場所を知らせ、期間限定の迂回で対応するのが基本の作法である。もう一つは「雛拾い」である。羽が生えそろう前の雛が地面にいるのを見つけると、多くの人は保護しようとするが、巣立ち直後の雛は飛べない状態で地上にいるのが普通であり、近くで親鳥が見守っていることが多い。安易に持ち帰ることはかえって雛の生存の機会を奪うとされ、日本では鳥獣保護管理法により野鳥の捕獲や飼育は原則として認められていない。判断に迷う場合は自治体や関係機関に相談するのが正しい経路である。
註:巣そのものについても、鳥獣保護管理法は野鳥の卵や巣の取り扱いに制限を設けている。公園の樹木や施設にかかった巣への対応は、利用者が自分で判断して動かすのではなく、公園の管理者や自治体の窓口に伝えるのが原則である。
四つの摩擦を通して見えるのは、どの問題も「鳥の生態を一つ知れば、行動の選択肢が一つ増える」という構造である。餌やりの連鎖を知れば与えない選択ができ、フンの位置の意味を知ればベンチを選べ、威嚇の理由を知れば迂回でき、巣立ち雛の生態を知れば見守れる。人と鳥の摩擦の多くは、敵意の問題ではなく知識の問題なのである。そしてこの知識は、次節で述べるとおり、子どもと公園で鳥を見ることそのものによって最も自然に身につく。
8. 幼児と見る公園の鳥——道具のいらないバードウォッチング
バードウォッチングというと、双眼鏡と図鑑を携えて早朝の森に入る趣味を思い浮かべるかもしれない。しかし都市鳥類学が明らかにしてきたとおり、都市の鳥は人に近く、数が多く、身近な公園にいる。つまり公園は、幼児と一緒の、道具のいらないバードウォッチングにむしろ向いた場所である。本節では、その方法を発達段階に沿って組み立てる。なお、レイチェル・カーソンが『センス・オブ・ワンダー』で述べたとおり、幼い子どもとの自然観察で重要なのは名前を教え込むことではなく、驚きを分かち合うことである。以下の方法もすべて、「正しく識別すること」ではなく「気づくこと」を目標に置く。
8.1 見る前に聞く——耳から始める
最初の一歩は、立ち止まって耳を澄ますことである。「鳥の声、いくつ聞こえる?」という問いは、2〜3歳でも参加できる遊びであり、鳥類調査の実務でも姿より先に声で存在を把握するのが基本である。声の方向を指さす、声のまねをしてみる、高い声と低い声を聞き分ける——このいずれもが、識別の知識を一切必要としない観察である。前節で述べたさえずりと地鳴きの区別を親が一つ知っていれば、「春の朝はにぎやか」「夕方は集合の声」という季節と時間の物語を添えることもできる。
8.2 歩き方を見る——ホッピングとウォーキング
姿の観察で最初に面白いのは、色や模様よりも動きである。地面の鳥には二通りの歩き方がある。スズメのように両足をそろえて跳ぶホッピングと、ハトやムクドリのように足を交互に出して歩くウォーキングである。おおまかには、木の上で暮らす鳥は跳び、地面で暮らす鳥は歩く傾向があると説明される。「あの鳥はぴょんぴょん? てくてく?」という問いは、幼児の観察を一気に具体的にする。まねして跳んでみれば、それはそのまま公園の運動遊びでもある。ハトが歩くときに首を前後に振ること、ハクセキレイが尾を上下に振ることなど、動きの癖はどれも肉眼で見え、名前を知らなくても観察が成立する。
8.3 数える・くらべる・記録する
4〜5歳になれば、数えることと比べることができる。「今日はハトが何羽いた?」「大きい鳥と小さい鳥、どっちが多い?」という問いは、数の学びと観察を兼ねる。さらに「いつもの公園」で繰り返し見ることに意味がある。同じ場所を季節を変えて見れば、第6節で述べた一年の波——冬に鳥が見やすくなること、春に声が増えること、夏には姿が減って見えること——が、特別な遠出をしなくても体験できる。絵に描く、写真に撮る、「きょうの鳥」を一言メモするといった記録は、後から見返せば家庭の観察記録になる。全国規模の鳥の分布調査が市民の観察の積み重ねで成り立ってきたことを思えば、公園の親子の記録は、その最も小さな単位と言ってよい。
8.4 距離の作法を遊びの中で
観察の方法には、距離の作法が含まれる。追いかければ鳥は逃げ、静かに座っていれば鳥のほうから距離を詰めてくる——この体験は、第3節で述べた逃避開始距離の実地の学習であり、同時に「生き物には近づいてよい距離がある」という倫理の学習でもある。餌を与えないこと、巣をのぞきに行かないこと、地面の雛を拾わないことは、前節で整理した摩擦の予防をそのまま子どもの作法に翻訳したものである。禁止として教えるより、「鳥にはごはんを探す仕事がある」「雛は親が見ている」という鳥の側の物語として伝えるほうが、幼児には届きやすい。安全面では、鳥やフンに触れた後の手洗いを習慣にすれば足りる。過度に汚いものとして扱う必要はなく、体調に関わる心配がある場合の判断は医療機関に委ねればよい。
観察を続ける工夫として、記録の形を軽くしておくことも挙げておきたい。毎回きちんと記録しようとすると続かないが、「見た鳥の数だけ丸を描く」「聞こえた声の数を指で数えて帰り道に言い合う」程度なら、雨の日も急ぐ日も途切れない。年齢が上がれば、公園の地図を一枚描いて、鳥がいた場所に印をつける遊びに発展させられる。第5節で見た資源の考え方——実のなる木、浅い水、高木のてっぺん——を親が頭の片隅に置いておけば、印が特定の場所に集まっていく理由を子どもと一緒に考えることもできる。これは科学の手続きそのものであり、観察から仮説へ、仮説から次の観察へという往復を、公園の散歩の中で自然に経験させることになる。
本節の方法に共通するのは、装備も遠出も要らず、いつもの公園への散歩がそのまま観察になるという点である。都市の鳥は人に慣れ、密度が高く、季節で入れ替わる。つまり「よく見える・必ずいる・繰り返し見ると変化がある」という、幼児の観察対象としての三条件を満たしている。公園の鳥は、双眼鏡を買う前に始められる最初の自然観察の教材であり、しかもその教材は無料で、市内のどの公園にも配備されている。どの公園で何が見えるかは——次節で述べるとおり——これからの踏査と記録の楽しみである。
9. 磐田市の公園への示唆——100園を鳥の目で読み替える
ここまでの一般論を、磐田市の公園に当てはめてみる。最初に断っておくべきことを繰り返せば、当サイトの手元にあるのは市のオープンデータ「都市公園一覧」と市施設ガイドに基づく100園の名称・種別・面積・設備の情報であり、鳥の生息情報は含まれていない。現地踏査もこれからである。したがって本節で述べるのは「どの公園にどの鳥がいるか」ではなく、「鳥類学の一般論に照らすと、磐田市の公園の構成はどう読めるか」という枠組みの提示である。
9.1 種別の構成を鳥の目で見る
磐田市の100園の種別構成は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園、法対象外6園である。この構成を本稿の道具立てで読み替えると、次の表のようになる。全体の半数を占める街区公園(国の目安で標準面積0.25ヘクタール・誘致距離250メートル)は、単独では都市適応種の採餌地にとどまるが、250メートル間隔で市内に敷き詰められた配置は、鳥の移動の飛び石の連なりとして読める。一方、風致公園3園——つつじ公園(61,937平方メートル)、竜洋昆虫自然観察公園(29,119平方メートル)、いわたエコパーク(23,973平方メートル)——は、種別の性格上、樹林や自然的環境がまとまって残ることが期待される区分であり、樹林性の鳥の候補地として最初に踏査すべき対象になる。
| 種別(園数) | 人の施設としての性格 | 鳥の目で見た仮説的な位置づけ |
|---|---|---|
| 街区公園(51園) | 身近な遊び場。標準0.25ha・誘致距離250m | 都市適応種の採餌地。市内に敷かれた飛び石の網 |
| 近隣公園(14園)・地区公園(4園) | やや広い遊びと運動の場 | 高木がまとまれば営巣・ねぐらの候補地 |
| 総合公園(3園)・運動公園(3園) | スポーツ・大規模利用 | 面積は大きいが芝生・グラウンド主体なら鳥の資源は限定的 |
| 風致公園(3園) | 自然的景観の維持が眼目 | 樹林性の鳥の第一候補。踏査の優先対象 |
| 都市緑地(10園)・緑道(2園) | 小さな緑・帯状の緑 | 単独では小さいが、つながりとしての価値 |
| 墓園(1園)・歴史公園(1園) | 静かな利用 | 人の活動が穏やかで、鳥の利用が観察しやすい可能性 |
この表はあくまで種別と面積から導いた仮説であり、実際の価値は各園の植生の層(第4節)と資源の組み合わせ(第5節)で決まる。たとえば同じ街区公園でも、施設ガイドの園内施設欄に樹木に関わる記載がある園とない園があり、高木の有無は現地で確かめるほかない。仮説を持って歩くことと、白紙で歩くことの違いが、踏査の質を分ける。
9.2 水辺と川沿い——磐田の地形を生かす読み方
第4節・第5節で見たとおり、水辺は都市の鳥にとって希少な資源である。磐田市の公園データの中でこの観点から目を引くのは、まず園内に水の流れを持つ園である。施設ガイドには、今之浦公園に「噴水広場」「じゃぶじゃぶスポット」「流れ」、安久路公園に「流れ」、豊田香りの公園に「カスケード(滝)」の記載がある。これらは人の水遊びのための施設だが、浅い水は鳥の飲み水と水浴び場を兼ねうる(利用の実態は踏査で確かめる)。次に、川沿いと河川敷の公園である。竜洋西堀河川敷公園(34,490平方メートル)、竜洋西堀緑地公園・竜洋南部緑地公園の緑道2園、豊田天竜川わんぱく広場、天竜川ラブリバー公園、豊田ラブリバー公園といった天竜川水系沿いの園は、水辺の鳥と草地の鳥にとっての残り場所という一般論が最もよく当てはまりうる立地であり、さらに竜洋海洋公園(221,722平方メートル・市内最大)は海辺に近い総合公園として、内陸の公園とは別の顔ぶれが期待される。これらも現時点では立地と面積から言える仮説にとどまる。
9.3 摩擦への備えと観察の場としての可能性
第7節で整理した摩擦は、磐田市でも当然起こりうる。餌やり・フン・カラスの巣といった公園の鳥をめぐる相談や連絡の窓口としては、公園を所管する磐田市都市整備課(電話0538-37-4806)が入口になる。第8節の観察の方法については、磐田市の公園配置はむしろ好条件である。街区公園の誘致距離250メートルという目安は、徒歩圏に必ず「いつもの公園」があるように設計されているということであり、繰り返し同じ場所で見るという観察の基本形(第8節3項)がどの住区でも成立しうる。また、オープンデータ上でトイレ有の園は69園あり、幼児連れの滞在を支える設備の面でも観察の場の裾野は広い。9地区それぞれに公園があるので、地区ごとの「わが家の定点」を決められることも、市域の広い磐田の利点と言える。
地区ごとの園数の偏りも、鳥の目で見ると別の意味を帯びる。豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園に対し、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園という配置は、人口と市街化の度合いを反映した都市公園の分布であるが、園数の少ない地区が鳥にとって乏しい地区だとは限らない。第2節で見た都市化勾配の考え方に従えば、公園が少ない地区は、田畑・屋敷林・水路といった公園以外の緑がまだ残っている地区である可能性がある。都市公園の密度が高い地区では公園が緑の主役になり、密度の低い地区では公園は緑の一部にすぎない——同じ「公園の鳥」でも、地区によって公園が担う役割の比重が違うのである。この点は、園数だけを地区の緑の指標として読むことへの戒めにもなる。
最後に、当サイト自身への示唆を述べる。ATAWI PARKは公園100園のデータベースであり、運営する富士ヶ丘サービス株式会社の事業の傍らで、踏査はこれから始まる段階にある。本稿の枠組みからは、踏査の記録項目に「高木の有無と植栽の層」「実のなる木」「水の状態」「鳥の声の有無」といった数分で確かめられる観察を加えるだけで、人の施設のデータベースに鳥の目の一列を足せることが示唆される。加えて、記録には必ず日付と時刻を添えるべきである。第6節で述べたとおり、鳥の見え方は季節と時刻に強く左右されるため、日時のない観察記録は後から比較できないからである。専門調査ではなくても、同じ項目と同じ書式で100園を見て回った記録は、市民の観察記録の受け皿としても、後の比較の基準としても意味を持つはずである。
10. 結論と今後の課題
本稿は、鳥類学とりわけ都市鳥類学の概念を用いて、都市公園を鳥にとっての場所として読み直してきた。得られた結論は次の五点に要約できる。第一に、都市の鳥の顔ぶれは偶然ではない。雑食性・営巣場所の柔軟さ・人への警戒心の調整・集団性という共通の性質を持つ鳥——カラス・ハト・スズメ・ムクドリ・ヒヨドリなど——が都市に残り、樹林の内部・餌の育つ水辺・丈の高い草地を必要とする鳥が失われるという選別が、都市化勾配に沿って働いている。公園でいつも同じ鳥を見るという日常の実感は、この選別の帰結である。
第二に、公園の価値は面積の数字ではなく環境の組み合わせで決まる。樹木は採餌・営巣・ねぐら・さえずりの舞台という四役をこなし、芝生は営巣には使えないが食堂として機能し、浅い水は飲み水と水浴び場になり、柵や東屋さえ止まり場として読み替えられる。高木・低木・草本の層がそろい、実のなる木と浅い水のある公園は、小さくても多くの鳥を呼ぶ。逆にどれほど広くても単一の環境しかない公園は、鳥にとっては一枚の層でしかない。第三に、餌やり・フン・鳴き声・巣への接近という人と鳥の摩擦は、いずれも鳥の生態を知れば「距離のとり方」の問題として整理でき、敵意ではなく知識で解ける。そして第四に、都市の鳥は人に近く・数が多く・季節で入れ替わるがゆえに、幼児との道具のいらない自然観察の教材として際立って優れている。聞く・見る・まねる・数えるという方法は、いつもの公園への散歩をそのまま観察に変える。
第五に、公園の鳥は空間の産物であると同時に時間の産物である。渡りによって夏鳥と冬鳥が入れ替わり、繁殖期には声が満ち、換羽と子育ての時期には姿が隠れる。一日の中でも、夜明けの声の集中と夕方のねぐら入りという二つの山があり、その谷にあたる日中こそが多くの親子の公園利用の時間帯である。同じ公園が季節と時刻によって別の場所になるという事実は、「この公園には鳥が少ない」という一度きりの印象がしばしば時間の選び方の結果にすぎないことを意味する。空間の条件(緑の質)と時間の条件(いつ見るか)は、公園の鳥を語るうえで対等の重みを持つ。
磐田市の公園100園については、種別と面積と設備の記載から、街区公園51園を飛び石の網、風致公園3園を樹林性の鳥の第一候補、天竜川水系沿いの緑道・河川敷の公園と水の流れを持つ園を水辺の資源の候補として読む仮説を示した。これはあくまで机上の読み替えであり、確かめる作業は今後の踏査に委ねられる。むしろ本稿の意義は、踏査が「白紙で歩く」作業ではなく「仮説を持って歩く」作業になるよう、見るべき項目——植栽の層、実のなる木、水の状態、鳥の声——と、見るべき時間——季節と時刻——をあらかじめ用意した点にある。
今後の課題は三つある。第一に、その踏査の実行と記録の公開である。100園を同じ項目で見て回った記録は、専門調査でなくても比較の基準になり、市民の観察記録の受け皿になりうる。第二に、時間軸の導入である。鳥の顔ぶれは季節で入れ替わり、数十年単位でも変わる。全国の繁殖分布調査が三度の調査で分布の変化を捉えてきたように、公園の鳥の記録も一度きりではなく繰り返しの中で意味を持つ。定点としての「いつもの公園」は、研究においても家庭においても同じ形をしている。第三に、隣接分野との接続である。公園の緑をネットワークとして読む都市生態学、鳥の声を含む音風景を扱う音響学、樹木の管理を扱う樹木学、観察を学びに変える教育学——本シリーズの各論考が扱う主題は、鳥という一つの対象の上で交差する。鳥は目立ち、声を出し、季節を運ぶがゆえに、公園の自然を読むための最初の索引である。ベンチに座って頭上の声に気づくことから、その索引は誰にでも引き始められる。
参考文献
- 唐沢孝一(1988)『カラスはどれほど賢いか——都市鳥の適応戦略』(中公新書)
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- ロバート・H・マッカーサー、ジョン・W・マッカーサー(1961)「On bird species diversity」Ecology, 42
- ジョン・T・エムレン(1974)「An urban bird community in Tucson, Arizona: derivation, structure, regulation」The Condor, 76
- ロバート・B・ブレア(1996)「Land use and avian species diversity along an urban gradient」Ecological Applications, 6
- ジョン・M・マーズラフ、レックス・ボウマン、ローランド・ドネリー編(2001)『Avian Ecology and Conservation in an Urbanizing World』(Kluwer Academic Publishers)
- マイケル・L・マッキニー(2002)「Urbanization, biodiversity, and conservation」BioScience, 52
- マイケル・L・マッキニー(2006)「Urbanization as a major cause of biotic homogenization」Biological Conservation, 127
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- ディエゴ・ヒル、ヘンリク・ブルム編(2014)『Avian Urban Ecology: Behavioural and Physiological Adaptations』(Oxford University Press)
- レイチェル・カーソン(1965)『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮社、1996)
- 環境省自然環境局(2001)「自治体担当者のためのカラス対策マニュアル」
- 環境省自然環境局生物多様性センター「全国鳥類繁殖分布調査」(第1回1974〜78年・第2回1997〜2002年・第3回2016〜2021年)
- 鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律(平成14年法律第88号)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。