社会科学環境経済学
公園にいくらの価値があるか——非市場財の経済評価をめぐって
要旨
本稿の目的は、市場価格をもたない環境財の価値を貨幣で測ろうとする環境経済学の手法群——旅行費用法、ヘドニック価格法、仮想評価法(CVM)、選択実験——について、その考え方と限界を整理し、都市公園という身近な非市場財に照らして読み直すことである。方法は文献整理と概念分析であり、独自の調査やアンケート、価格データの分析は行っていない。現地の踏査もまだ始まっていない段階での、概念の見取り図の作成である。
整理の骨格は三つである。第一に、価値の分類。人が実際に公園を訪れることから得る利用価値と、訪れなくても失われては困ると感じる非利用価値(存在価値・遺贈価値)、そして将来の利用可能性を確保しておくことのオプション価値を区別し、これらの合計を総経済価値として捉える枠組みを確認する。第二に、測り方の分類。行動の跡から間接的に読む顕示選好法と、仮想の質問によって直接尋ねる表明選好法という二系統を対比し、それぞれが何を測り、何を測り落とすのかを検討する。第三に、方法への反論。支払意思額と受入補償額の乖離、規模に対する感度の鈍さ、抗議回答、便益移転の危うさといった論点を、これを擁護する立場と批判する立場の双方から検討する。
検討の結果として本稿がとる立場は、評価額は「公園の値打ち」を言い当てた数字ではなく、「ある仮定のもとで、ある人々に、ある尋ね方をしたときに得られた数字」であるという、限定つきの有用性である。この限定を明示したまま使えば、評価額は費用便益分析や優先順位づけの議論を助ける。限定を落として単独の金額だけが流通すれば、数字は一人歩きして、比べてはならないものを比べる道具になりうる。
最後に、磐田市の公園100園——街区公園51園・近隣公園14園・都市緑地10園ほか、9地区に分布する——を素材に、金額を出さずに価値を語るという当サイトの立場を、環境経済学の枠組みの中に位置づける。園ごとの利用実態は当サイトの今後の踏査で確かめる課題として残す。
キーワード非市場財仮想評価法旅行費用法支払意思額存在価値費用便益分析通約不可能性
1. はじめに——問題の所在
公園には値段がついていない。都市公園法にもとづいて設けられた公園は原則として誰にでも開かれており、入園料も遊具の利用料も取らないのが通例である。値段がないということは、市場で売り買いされないということであり、市場で売り買いされないということは、その価値を示す価格が存在しないということである。ところが、公園をめぐる現実の判断——新しく整備するか、既存の園を改修するか、老朽化した遊具を更新するか、限られた維持管理費をどの園に振り向けるか——は、いずれも「その公園にどれだけの値打ちがあるか」という判断を避けて通れない。価格がないのに、価値は比べなければならない。この落差が本稿の出発点である。
環境経済学は、この落差に正面から取り組んできた分野である。ここでいう非市場財とは、人々が確かに便益を受け取っているにもかかわらず、それを取引する市場が存在しないために価格がつかない財のことをいう。きれいな空気、静かな夜、絶滅危惧種の生息地、河川の水質、そして都市公園がその例である。市場がないのだから価格を観察することはできない。それでも価値を数字で表そうとするなら、価格の代わりになる何かを探すか、価格が存在する仮想の状況をつくって尋ねるしかない。環境経済学の評価手法群は、この二つの道筋から生まれている。
1.1 なぜ「測る」必要が生じたのか
価値を金額で測ろうとする動機は、学問的な好奇心よりも、行政の実務から来ている。公共事業に費用をかける以上、その効果を費用と同じ単位で示せという要求は古くからあった。日本でも、行政機関が行う政策の評価に関する法律(平成13年法律第86号)によって、国の行政機関には政策評価が義務づけられており、公共事業の分野では費用便益分析が広く用いられている。費用は円で示される。効果も円で示さなければ、両者を比べて採否を論じることができない。ダムや道路であれば、洪水被害の軽減額や移動時間の短縮を金額に換算する筋道が用意されている。では公園はどうか。子どもが滑り台を滑った便益を、どうやって円に換算するのか。
もう一つの動機は、公園の側から来ている。予算の議論の場では、金額で語られるものは強く、語られないものは弱い。公園の便益が数字で示されないままだと、それは「よいものだが測れないもの」として、比較の外に置かれる。比較の外に置かれた便益は、しばしば削られる側に回る。環境経済学の評価手法には、測られてこなかった価値に発言権を与える、という政治的な役割も期待されてきた。この点は本稿の後半で、数字が持つ力と危うさの両面として立ち返る。
1.2 本稿の問いと方法
本稿は、都市公園という身近な非市場財を素材に、次の三つを問う。
- 第一に、公園の価値とは何を指すのか。訪れて遊ぶことの価値だけなのか、訪れない人にとっての価値もあるのか。価値の種類をどう分類すれば、測る対象が定まるのか。
- 第二に、どのようにして測るのか。旅行費用法・ヘドニック価格法・仮想評価法・選択実験という主要な手法は、それぞれ何を手がかりにし、どのような仮定を置いているのか。その仮定は公園という財に対してどこまで妥当か。
- 第三に、測った数字をどう扱うべきか。評価額が政策判断を助ける場面と、数字だけが独り歩きして判断を歪める場面を、どのように分けて考えればよいのか。
方法は文献整理と概念分析である。本稿は独自のアンケート調査も、価格データの統計分析も行っていない。したがって本稿には、公園の価値を示す具体的な金額は一つも登場しない。これは能力や資源の制約による消極的な選択であると同時に、積極的な選択でもある。既存研究から金額だけを抜き出して並べれば、それはまさに本稿が批判の対象とする「文脈を失った数字」になってしまうからである。金額を出さずに、金額を出す作業の構造を論じる。それが本稿の立ち位置である。
構成は次のとおりである。第2節で価値の分類と評価手法の系譜を整理し、第3節で顕示選好法、第4節で表明選好法を検討する。第5節では支払意思額と受入補償額の乖離という、評価の基礎に関わる論点を扱う。第6節で方法への主要な反論とそれへの応答を整理し、第7節で評価額が政策判断に役立つ場面を、第8節で数字が一人歩きする危うさを論じる。第9節では磐田市の公園群にこの枠組みを当てはめ、第10節で結論と今後の課題を述べる。
註:本稿はヘドニック価格法を評価手法の一つとして扱うが、公園近接と住宅価格の関係そのものは別稿(不動産経済学)の主題であるため、本稿では手法の性格と限界に絞って触れる。
2. 先行研究と概念の整理——総経済価値という枠組み
非市場財の経済評価という営みは、二つの独立した着想から始まった。一つは、行動の跡から価値を逆算するという着想である。国立公園を訪れる人が交通費と時間を費やしているなら、その支出は「その公園を訪れることに、少なくともそれだけの値打ちを認めた」証拠だと読める。この考え方は、1947年に統計学者ハロルド・ホテリングが米国の国立公園当局に宛てた助言で示されたとされ、のちにマリオン・クロースン(1959)とジャック・クネッチとの共著(1966)によって旅行費用法として整えられた。
もう一つは、尋ねるという着想である。市場がないなら仮想の市場をつくり、「この環境を守るために、あなたはいくらまで払う用意があるか」と直接聞けばよい。この方法の可能性を最初に指摘したのはシリアシー・ワントラップ(1947)とされ、実際に大規模な調査として実施したのはロバート・デイヴィス(1963)である。デイヴィスは米国メイン州の森林でのレクリエーション価値を面接調査で測った。この系譜が仮想評価法(Contingent Valuation Method、以下CVM)である。
2.1 利用しない人にとっての価値——非利用価値の発見
初期の評価は、訪れる人の便益、すなわち利用価値だけを対象にしていた。この枠を広げたのが二つの論文である。バートン・ワイズブロッド(1964)は、いま使っていない施設でも、将来使うかもしれないという可能性そのものに人は価値を認めると論じ、これをオプション価値と呼んだ。病院や公園を「いざというときに使えるように残しておく」ことへの支払意思である。ジョン・クルティラ(1967)はさらに踏み込み、生涯訪れることのない自然についても、それが存在すること自体を人は望むと指摘した。これが存在価値である。加えて、自分は使わないが子や孫の世代に残したいという動機は遺贈価値と呼ばれる。
これらを一つの図式にまとめたのが、総経済価値(Total Economic Value)の枠組みである。この枠組みは1980年代以降に定着し、生態系サービスの議論(ミレニアム生態系評価2005、TEEB2010など)でも基本的な整理として用いられている。重要なのは、この分類が「測り方の分類」ではなく「動機の分類」だという点である。同じ一人の住民が、公園に対して複数の動機を同時に持ちうる。
| 区分 | 内容 | 公園に当てはめた例 |
|---|---|---|
| 直接利用価値 | その場所を実際に使うことで得る便益 | 子どもが遊具で遊ぶ、住民が散歩する、木陰で休む |
| 間接利用価値 | その場所の機能から間接的に受ける便益 | 木立による日陰と気温の緩和、雨水の一時貯留、災害時の空地 |
| オプション価値 | 将来使うかもしれない可能性を残すことの価値 | いまは行かないが、孫が来たときに連れて行ける場所として残す |
| 遺贈価値 | 次の世代に引き継ぐことの価値 | 自分の子ども時代の遊び場を、次の子どもたちにも残したい |
| 存在価値 | 自分が使わなくても、在ること自体への価値 | 訪れることのない園でも、地域から緑地が消えるのは望まない |
2.2 手法の系譜——顕示選好と表明選好
測り方の側は、大きく二系統に分かれる。第一が顕示選好法である。人が実際にとった行動——どこへ行き、いくら払い、どこに住んだか——の跡から、環境の価値を逆算する。旅行費用法のほか、住宅価格に含まれる環境属性の暗黙価格を取り出すヘドニック価格法(ローゼン1974、その理論的前提としてランカスター1966)、悪環境を避けるための支出から価値を測る回避支出法がここに属する。実際の行動に基づくため、回答の恣意性は小さい。
第二が表明選好法である。仮想の状況を提示して意思表示を求める。金額を直接尋ねるCVMと、複数の案から一つを選ばせる選択実験(コンジョイント分析とも呼ばれる)がここに属する。選択実験の統計的な土台は、マクファデン(1974)の離散選択モデルであり、実験計画としての形はルーヴィエとウッドワース(1983)に多くを負っている。表明選好法の決定的な利点は、非利用価値を測れる点にある。行動の跡がない価値は、行動から逆算できない。存在価値や遺贈価値を扱えるのは、いまのところ表明選好法だけである。
この二系統の対比は、そのまま信頼性と守備範囲のトレードオフになっている。顕示選好法は実際の行動に基づくが、利用価値しか測れない。表明選好法はあらゆる価値を扱えるが、回答が仮想である。1980年代末から1990年代にかけて、このトレードオフをめぐる論争が環境経済学の中心的な争点となった。その帰結は第6節で扱う。
日本におけるこの分野の受容は、1990年代に本格化した。肥田野登(1997)はヘドニック法を社会資本評価に応用する体系を示し、栗山浩一(1998)はCVMの理論と実務を整理した。以後、公共事業評価の実務にこれらの手法が組み込まれていく。都市公園はその応用対象の一つであるが、道路や河川と比べると、便益の質が多様で、対象範囲の切り出しが難しい財である。
3. 顕示選好法——行動の跡から価値を読む
顕示選好法の原理は単純である。人は無料の財に対しても、そこへ到達するために費用を払っている。交通費、燃料代、駐車料金、そして移動に費やした時間である。この費用を「その場所を訪れる価格」とみなせば、価格が高い(遠い)ほど訪問回数が減るという関係が観察でき、そこから需要曲線を描くことができる。需要曲線が描ければ、消費者余剰——支払った額を超えて得ている便益——を面積として求められる。これが旅行費用法の骨格である。
3.1 旅行費用法の手順と、そこに埋め込まれた仮定
実務上は、対象地の周囲を距離帯(ゾーン)に区切り、各ゾーンの人口に対する訪問率と、そのゾーンからの往復費用を対応させる方法(ゾーン旅行費用法)と、個々の訪問者の年間訪問回数と費用を用いる方法(個人旅行費用法)がある。いずれも、遠方ほど費用が高く訪問率が低いという関係を、価格と数量の関係に読み替えている。
この読み替えには、いくつもの仮定が埋め込まれている。第一に、移動時間をいくらに評価するかという問題がある。時間そのものは市場で売られていないから、賃金率の一定割合を当てるなどの便宜的な処理が必要になり、その割合の置き方次第で結果は動く。第二に、多目的の旅行をどう扱うかという問題がある。買い物のついでに公園に寄った人の交通費のうち、何割を公園に帰属させるべきか。第三に、その旅行自体が楽しみである場合、費用として計上したものが実は便益でもある。第四に、近くに似た施設があるかどうか(代替地の存在)によって、同じ距離でも訪問行動は変わる。
3.2 街区公園という難物——費用がかからない場所の価値
旅行費用法は、遠方から人が集まる大規模な観光地や国立公園に向いている。距離のばらつきが大きく、費用のばらつきも大きいので、需要曲線を描くのに十分な変化が観察できるからである。ところが都市公園、とりわけ街区公園にこの手法を当てはめようとすると、原理そのものが働かなくなる。
街区公園は誘致距離250mを標準とする、家のすぐそばの公園である。歩いて数分で着くのだから、交通費はゼロに近い。旅行費用がゼロなら、費用と訪問回数の関係は描けず、消費者余剰も定義できない。極端にいえば、旅行費用法は「近いほど価値が測れない」という性質を持つ。日常的に最もよく使われ、生活に最も溶け込んでいる公園ほど、この手法の目には映らないのである。これは手法の欠陥というより、手法の前提が対象と合っていないというべき事態である。
同じことは時間についてもいえる。往復20分の散歩は、費用として計上すべき負担なのか、それ自体が便益なのか。近所の公園に行くという行為は、移動と目的が分かちがたく結びついている。旅行費用法が想定する「目的地に到達するための犠牲」という構図が、そもそも成り立ちにくい。
3.3 ヘドニック価格法と回避支出法
住宅の価格から環境の価値を読み取るヘドニック価格法は、この弱点を部分的に補う。住宅を「広さ・築年数・駅からの距離・公園までの距離」といった属性の束とみなし、統計的に各属性の暗黙の価格を取り出す方法である(ローゼン1974)。近所にあることが価値であるなら、それは住まいの価格に映っているはずだ、という発想であり、街区公園のような近接型の財と相性がよい。
ただしこの方法にも制約がある。第一に、価格に映るのは住宅市場の参加者が知覚し、評価した部分だけである。第二に、公園の近くに住むことを選んだ人の選好が偏っていれば、その偏りが結果に含まれる。第三に、緑地と静けさ、学区の良さ、地形といった要因が地理的に絡み合っている場合、公園の効果だけを切り出すのは容易でない。第四に、非利用価値は原理的に映らない。訪れない園の存在価値は、住宅価格には現れないからである。公園近接と住まいの関係そのものは本稿の主題ではないため、詳細は別稿に譲る。
第三の顕示選好法として、回避支出法(防御支出法)がある。悪い環境を避けるために人が実際に支払った金額から、環境の価値を測る。日差しを避けるための帽子や日よけ、暑さを避けるための移動、騒音を避けるための窓の改修などが手がかりになる。公園に当てはめれば、木陰のない公園で保護者が余分に用意する日よけや水分は、木陰という便益の代替支出として読める。ただしこの方法が捉えるのは、代替が可能な範囲の便益に限られる。代替のきかない便益——たとえば子どもが土の上で走り回る経験——は、支出には現れない。
註:顕示選好法はいずれも「観察された行動は選好を正しく表している」という前提に立つ。情報の非対称や習慣、制約下の選択が行動を左右する場合、この前提は緩む。
4. 表明選好法——尋ねて測るという方法
行動の跡が残らない価値を測るには、尋ねるしかない。表明選好法は、回答者に仮想の状況を提示し、その状況における選択や支払意思を表明してもらう。仮想であることは弱点だが、同時に強みでもある。まだ存在しない公園の価値も、失われたあとの喪失も、訪れない人にとっての価値も、仮想の中でなら問うことができる。顕示選好法が「起きたこと」しか扱えないのに対し、表明選好法は「起きていないこと」を扱える。
4.1 仮想評価法(CVM)の設計
CVMの調査票は、少なくとも三つの部分からなる。第一に、何が変化するのかを説明するシナリオである。「この公園が廃止される」「遊具が更新される」「新しい緑地が整備される」といった変化を、回答者が具体的に思い描けるように記述する。第二に、支払手段の指定である。税金の上乗せか、基金への寄付か、利用料の徴収か。同じ変化でも支払手段が違えば、答えは変わる。第三に、金額の尋ね方である。
金額の尋ね方には歴史がある。初期には「いくらまで払えますか」と自由に書かせる方式や、調査員が金額を上げ下げして限界を探る付け値ゲーム方式が用いられた。しかしこれらは、最初に提示された金額に回答が引きずられる(開始点バイアス)、あるいは調査員の態度に左右されるといった問題を抱えていた。現在広く用いられているのは、「年間◯◯円の負担が増えるとしたら、この案に賛成しますか」と一つの金額への賛否だけを問う二肢選択方式である。これは実際の投票や購買に近く、回答者にとって答えやすい。ただし一人から一つの情報しか得られないため、多数の回答者と複数の金額水準が必要になる。
1993年、米国海洋大気庁(NOAA)が招集した専門家パネル(座長はケネス・アロー、ロバート・ソロー)は、CVMを訴訟や政策の場で用いるための指針を示した。面接調査を基本とすること、二肢選択方式を用いること、シナリオを十分に説明すること、回答者に「予算の制約」と「他の使い道」を思い起こさせること、支払わない選択肢を明示すること、といった内容である。この指針は、CVMの信頼性を高めた一方で、調査の費用を大幅に押し上げた。結果として、小規模な自治体が個別の公園について本格的なCVM調査を行うことは、実務上まれである。
4.2 選択実験——属性ごとの価値を取り出す
選択実験は、対象を属性の組み合わせとして提示し、回答者に選ばせる方法である。たとえば公園の案を、「自宅からの距離」「遊具の種類」「日陰の量」「トイレの有無」「年間の負担額」といった属性の水準の組み合わせとして複数用意し、どれが好ましいかを何度か選んでもらう。金額を属性の一つに含めておくことで、他の属性の水準変化が金額に換算される。日陰が増えることの価値、トイレがあることの価値を、別々に取り出せるわけである。
この方法の利点は三つある。第一に、政策の設計に直結する情報が得られる。総額ではなく、どの属性を優先すべきかが分かる。第二に、金額を直接に問わないため、回答者が身構えにくい。第三に、一人の回答者から複数の選択を得られるため、標本が小さくても情報量を確保しやすい。
限界もまた三つある。第一に、属性の一覧は調査者が決める。一覧に入っていない要素——たとえば近所の人と挨拶を交わす関係や、その公園に固有の記憶——は、はじめから評価の対象外になる。第二に、属性の数が増えると選択の負担が重くなり、回答者は一部の属性だけを見て決める簡略化を行うことが知られている。第三に、属性を独立に扱う前提が、実際には成り立たないことがある。広い芝生と静けさ、日陰と虫の多さのように、属性同士が結びついている場合、組み合わせ自体が非現実的になりうる。
| 観点 | 顕示選好法(旅行費用法・ヘドニック法など) | 表明選好法(CVM・選択実験) |
|---|---|---|
| 手がかり | 実際にとられた行動と支出 | 仮想の状況に対する回答 |
| 測れる価値 | 利用価値が中心 | 利用価値と非利用価値の双方 |
| 主な弱点 | 近距離・無料の財では手がかりが乏しい | 回答が仮想であることに由来する各種のずれ |
| 費用と手間 | 既存データを使えば比較的軽い | 調査設計と実施に大きな費用がかかる |
| 公園への適性 | 大規模公園や住宅市場との関係で有効 | 街区公園や非利用価値を含む評価で有効 |
二系統は排他的ではない。実務では、顕示選好法で得た利用価値の推定と、表明選好法で得た結果を突き合わせて整合性を確かめる手続きがとられることがある。両者が近い値を示せば、少なくとも一方が大きく外れている可能性は下がる。ただし、両者が一致することは正しさの証明ではなく、同じ方向の偏りを共有していないという弱い確認にとどまる。
5. 支払意思額と受入補償額の乖離——同じものが二つの値をもつ
環境の価値を金額で表す方法は、実は二通りある。一つは支払意思額(Willingness To Pay、以下WTP)で、「その環境を手に入れる/守るために、いくらまで払うか」を問う。もう一つは受入補償額(Willingness To Accept、以下WTA)で、「その環境を失うことを受け入れる代わりに、いくら受け取れば納得するか」を問う。標準的な経済理論では、この二つは所得効果の分だけわずかに違うだけで、ほぼ同じ値になるはずである。ところが実際に測ると、WTAはWTPを大きく上回る。この乖離は繰り返し観察されており、環境評価の理論的な基礎に関わる問題として議論されてきた。
5.1 授かり効果と参照点
この乖離を説明する有力な理論が、リチャード・セイラー(1980)が名づけた授かり効果である。人は、いま自分が持っているものを手放すことを、同じものを手に入れることよりも大きく評価する。ジャック・クネッチ(1989)の実験は、たまたま与えられた品を交換する機会があっても、多くの人が手元のものを手放そうとしないことを示した。背景にあるのは、カーネマンとトヴェルスキー(1979)のプロスペクト理論、とりわけ損失回避の考え方である。人は絶対的な水準ではなく、いまいる場所(参照点)からの変化として得失を評価し、同じ大きさなら損失を利得より重く感じる。
この理論を公園に当てはめると、重大な帰結が導かれる。「新しく公園をつくること」の価値と、「いまある公園がなくなること」の損失は、同じ公園を対象にしていても、同じ数字にはならないということである。前者はWTPで、後者はWTAで測られる。同じ園を二通りに問えば、二通りの答えが返ってくる。
乖離の説明は、心理学的なものだけではない。ハネマン(1991)は、標準的な理論の枠内でもWTAがWTPを大きく上回りうることを示した。鍵は、その財に他の財で代わりが利くかどうかである。代わりの利く財なら、失っても別のもので埋め合わせられるから、必要な補償額は小さい。代わりが利かない財なら、失った分を他の消費で埋めることができず、補償額は跳ね上がる。代替可能性が低いほど、二つの値は離れる。この説明が正しいとすれば、乖離の大きさは回答者の非合理性の指標ではなく、その財が代替のきかないものであることの指標だということになる。歩いて行ける距離に一つしかない公園は、まさにこの条件に当てはまる。
5.2 どちらを測るべきかは、誰が権利を持つかの問題である
WTPとWTAのどちらを用いるかは、技術的な選択に見えて、実は権利の所在に関する判断である。WTPを問うのは、「その環境はまだあなたのものではない、欲しければ買え」という前提に立つことである。WTAを問うのは、「その環境はすでにあなたのものだ、奪うなら補償が要る」という前提に立つことである。この前提の違いは、評価額を何倍も動かしうる。
既存の公園の廃止や縮小が問題になる場面では、住民はその公園をすでに自分たちのものと感じている。にもかかわらず、実務上はWTPで測られることが多い。理由の一つは、WTAの回答が発散しやすいことにある。「いくら積まれても手放さない」という回答は、金額としては無限大であり、平均値の計算に乗らない。実務はこうした回答を除外するか、上限を設けるか、あるいは最初からWTPで問うことで回避する。この処理は技術的な必要から生じるものだが、結果として、失われるものの価値を小さく見積もる方向に働く。
5.3 支払能力という制約
WTPにはもう一つ、原理的な限界がある。払う意思は、払える能力に制約される。所得の低い世帯は、公園を強く必要としていても、多くを払うとは答えられない。逆に所得の高い世帯は、それほど必要としていなくても大きな金額を答えられる。WTPの合計を社会全体の便益とみなすことは、暗黙のうちに、支払能力に比例した重みづけを行うことを意味する。
この点は、子育て世帯と公園の関係を考えるときに無視できない。庭のある住まいに暮らす世帯は、公園がなくても子どもの遊び場を確保できる。集合住宅に暮らし、車を持たない世帯にとって、歩いて行ける公園は代替のきかない場所である。後者のほうが公園への依存度は高いが、WTPが高く出るとは限らない。むしろ、家計に余裕がないほど、追加負担への回答は小さくなりうる。必要度と支払意思が逆方向に動く可能性があるということである。
この問題への対処として、評価額をそのまま合計せず、所得階層ごとに区別して示す、あるいは金額ではなく選択の順位として示す、といった工夫が提案されてきた。いずれも決定打ではない。ここで確認しておきたいのは、WTPという指標が価値中立的な物差しではなく、分配についての一つの立場を内蔵しているということである。数字を読むときには、この内蔵された立場ごと読む必要がある。
註:所得に応じた重みづけを補正する試みは費用便益分析の一般的な論点でもある。本稿では手法の性格を示すにとどめ、分配の評価そのものは財政学・公共経済学の別稿に委ねる。
6. 埋没した仮定とバイアス——方法への反論と応答
表明選好法は、1980年代末から1990年代にかけて厳しい批判にさらされた。批判の中心は、仮想の質問に対する答えが、実際の行動を予測できるのかという点にある。ここでは主要な論点を四つに整理し、それぞれについて批判と応答の両方を見る。批判の存在は手法の否定を意味しないが、批判に触れずに数字だけを引用することは、手法の誤用である。
6.1 仮想であることのずれ
第一の論点は仮想バイアスである。実際に財布から金を出す場面と、紙の上で金額に賛否を示す場面では、答えが違う。一般に、仮想の質問への回答は実際の支払いより大きくなる傾向があるとされる。負担が現実には発生しないと分かっていれば、賛成と答えることの費用はゼロだからである。
これに対する実務的な対処が、質問の前に「多くの人が実際より高い金額を答える傾向があります。実際の家計を思い浮かべて答えてください」と注意を促す手続き(安価な会話、cheap talk と呼ばれる)や、他の使い道と予算制約を明示する設計である。NOAAパネル(1993)の指針もこの方向にある。ただし、これらは偏りを縮めるものであって、消し去るものではない。
6.2 規模に反応しないという批判
第二の論点はより深刻である。カーネマンとクネッチ(1992)は、対象の規模を大きく変えても回答額がほとんど変わらないという現象を報告し、これを埋め込み効果と呼んだ。同じ環境問題について、狭い範囲を対象に尋ねても広い範囲を対象に尋ねても、返ってくる金額に大差がない。彼らはここから、回答者が測っているのは対象の価値ではなく、「よいことに協力した」という道徳的満足であると論じた。もしそうなら、回答額を対象の大きさに応じて足し合わせる操作は意味を失う。
ダイアモンドとハウスマン(1994)はこの線に沿って、CVMから得られる数字は選好を反映しておらず、政策判断の根拠にはならないと主張した。同じ号でハネマン(1994)が反論している。規模への感度が低く見える事例の多くは、調査設計が粗い、対象の違いが回答者に伝わっていない、代替関係が正しく認識されていない、といった実施上の問題に起因するものであり、丁寧に設計された調査では規模への反応が確認できる、という応答である。この論争は決着したというより、設計の質が結果を左右するという共通理解を残した。実務では、調査の妥当性を確かめるために、規模の異なる対象を並行して尋ねる範囲テストが行われる。
規模への感度と隣り合う論点に、順序効果と情報効果がある。複数の対象を続けて尋ねると、先に尋ねられた対象の額が大きくなり、後の対象は小さくなる傾向が指摘されてきた。回答者が最初の質問で自分の予算枠を意識し、残りをその中で配分するためだと説明される。また、シナリオでどれだけの情報を与えるかによっても回答は動く。公園の防災上の役割や日陰の効果を説明してから尋ねれば額は上がるが、それは選好が変わったのか、それとも知らなかったことを教えられて初めて選好が形をとったのか。この区別は原理的に難しい。評価は選好を測る作業であると同時に、選好を形づくる作業でもある。
6.3 ゼロという回答の中身
第三の論点は、ゼロ回答の解釈である。「一円も払わない」という回答には、少なくとも三種類が混じっている。第一に、本当にその公園に価値を認めていない回答。第二に、価値は認めるが家計に余裕がないという回答。第三に、「これは税で行政が担うべきことであって、住民に追加負担を問う設定自体がおかしい」という抗議回答である。
この三つは意味がまるで違うにもかかわらず、集計表の上では同じゼロとして並ぶ。抗議回答を除外すれば平均額は上がり、含めれば下がる。除外の基準は調査者が決めるので、ここに裁量が入る。しかも抗議回答は、公共サービスの費用負担のあり方についての一つの見識であって、無効な答えとは限らない。むしろ、公園を「買うかどうかの対象」として扱うこと自体への異議として読むべき場合がある。数字にならない回答が数字の外に置かれるという構造は、この手法の宿命的な性質である。
6.4 誰まで数えるか——集計範囲という決定的な裁量
第四の論点は集計にある。一人あたりの支払意思額に、対象となる人数を掛けて総便益が算出される。この掛け算の相手、すなわち母集団の範囲をどう定めるかで、結果は桁ごと変わる。ある街区公園の便益を、半径250mの住民だけで数えるのか、その小学校区で数えるのか、市全体で数えるのか。存在価値を認めるなら、市外の人も含めるべきだという議論も成り立つ。
この範囲の設定に、理論から一意に決まる答えはない。実務は「便益が及ぶと考えられる範囲」を判断で切り出す。その判断は評価の前提であって、評価の結果ではない。にもかかわらず、報告書に残るのは総額という一つの数字だけである。総額を見た人が、その背後の範囲設定を確かめることは、まれである。第8節で論じる「数字の一人歩き」は、しばしばこの段階で仕込まれている。
7. 評価額が判断を助ける場面——費用便益分析と便益移転
前節までの検討は、評価額の不確かさを強調するものだった。しかし、不確かだから使えないという結論は早すぎる。ここでは逆に、どのような使い方であれば評価額が判断を助けるのかを考える。鍵は、絶対値としてではなく、比較の道具として使うことにある。
7.1 費用便益分析という土俵
公共事業の評価では、費用と便益を同じ単位に揃え、時間を通じた合計を比べる。将来の便益は割り引いて現在の価値に直す。整備費は初年度に集中し、便益は数十年にわたって少しずつ発生するため、割引率の置き方と評価期間の取り方が結果を大きく左右する。日本では、行政機関が行う政策の評価に関する法律(平成13年法律第86号)を背景に、公共事業の分野で費用便益分析が広く用いられている。公園も、大規模な整備事業であればこの土俵に乗る。
この枠組みの中で、非市場財の評価手法は「便益の側を空白にしないための道具」として働く。便益が数字にならなければ、公園は費用だけが計上される事業になってしまう。粗い推計であっても、便益の欄に数字が入ることには意味がある。ただしその数字は、精度の主張ではなく、便益が存在することの表明として読むべきものである。
7.2 相対比較としての使い方
評価額が最も安定して役立つのは、同一の手法・同一の設計で複数の案を比べるときである。手法に共通の偏りがあっても、それは両方の案に同じようにかかるため、差をとれば相殺されやすい。「A案とB案では、どちらの便益が大きいか」という問いは、「A案の便益は何円か」という問いよりも、はるかに答えやすい。
公園行政の実務でこれが効くのは、たとえば次のような場面である。老朽化した遊具を更新する園の順序をどう決めるか。日陰を増やす植栽と、トイレの改修と、園路の段差解消のどれを先に行うか。選択実験は、まさにこの種の比較のために設計された手法である。総額を出さなくても、属性ごとの相対的な重みが分かれば、優先順位の議論は具体的になる。
もう一つの有効な使い方が、感度分析である。前提を変えたときに結果がどれだけ動くかを示すことで、その数字がどの前提に敏感なのかが見える。割引率を変えれば結果はどう動くか、集計範囲を狭めればどうなるか。単一の数字ではなく幅で示せば、読み手は「この結論は前提に強く依存する」あるいは「どの前提でも結論は変わらない」という、より使える情報を得る。後者であれば、数字の粗さは判断の妨げにならない。
7.3 便益移転——他所の数字を借りるということ
個別に調査を行う費用はしばしば事業費に見合わない。そこで用いられるのが便益移転である。よく似た対象について他の場所で行われた既存研究の結果を、いま評価したい対象に当てはめる。もっとも単純なのは、既存研究の一人あたり金額をそのまま持ってくる単位値移転であり、より慎重なのは、既存研究から推定された関数に当地の条件(所得水準、人口密度、代替施設の有無など)を代入する関数移転である。
便益移転は実務上不可欠であるが、危うさも大きい。移転が妥当であるためには、対象の性質、住民の構成、代替施設の状況、調査時点の物価や社会状況が十分に似ていなければならない。都市公園はこの条件を満たしにくい財である。同じ「街区公園」という種別でも、周りが住宅地か工場地か、近くに大きな公園があるかないか、坂の上か平地か、子どもの数が多いか少ないかで、便益はまるで違う。似た名前の施設は似た価値を持つ、という前提は、公園については弱い。
| 使い方 | 評価額が助けになる度合い | 注意すべき点 |
|---|---|---|
| 同一手法で二案を比べる | 高い(共通の偏りが相殺されやすい) | 設計を揃えること。属性の一覧が偏らないこと |
| 前提を変えて幅を示す | 高い(結論の頑健さが分かる) | 幅の広さ自体を結論として示すこと |
| 単独事業の採否を金額で決める | 低い(前提の置き方に強く依存) | 総額だけでなく集計範囲と手法を併記すること |
| 他所の研究の金額を借りる | 条件次第(似ていれば可) | 対象・住民構成・代替施設の類似性を確かめること |
| 園ごとの序列を金額で公表する | 低い(比較の質を超えた使われ方をしやすい) | 数字が地域の評判として独り歩きしうること |
表の最後の行は、次節の主題への橋渡しである。同じ数字でも、内部の検討資料として使われるか、公表されて地域の評判になるかで、社会的な働きはまったく違う。手法の限界の議論は、多くの場合ここまでで止まる。しかし数字が世に出たあとに何が起きるかは、手法の外側の問題として、別に論じる必要がある。
8. 数字が一人歩きするとき——通約不可能性という論点
評価額が公表されると、そこに至るまでの前提、幅、留保はほとんど残らない。残るのは金額だけである。報告書の本文には数十ページにわたる仮定の説明があっても、引用されるのは一行の数字である。この非対称は、評価という営みに固有の副作用であり、手法の精度を上げても解消しない。本節では、数字が独り歩きするときに何が起きるのかを、三つの角度から検討する。
8.1 精度の錯覚と、責任の移転
第一に、数字は自らの不確かさを表示しない。「およそこの程度」という推計が、桁まで書かれた金額として提示された瞬間、読み手はそれを測定値として受け取る。体重計の数字と評価額は、見た目の上では区別がつかない。前者には物理的な実測があり、後者には仮定の連鎖があるにもかかわらず、である。これを精度の錯覚と呼ぶことができる。
第二に、数字は責任の所在を移す。「議論の末にこう判断した」という説明と、「分析の結果こうなった」という説明では、後者のほうが反論しにくい。数字は、価値判断を技術的な問題に見せかける働きを持つ。判断した人が前面に出ず、手続きが決めたことになる。これは説明責任の観点からは望ましいこともあるが、判断の中身が問われなくなるという点では危うい。とりわけ、対象となる住民が数字の作られ方を検証できない場合、この危うさは大きい。
8.2 消費者としての選好と、市民としての判断
第三の、そして最も原理的な論点が、マーク・サゴフ(1988)の提起したものである。サゴフは、人が環境について意見を述べるとき、二つの異なる立場が働いていると論じた。一つは消費者としての選好であり、自分にとっての満足を最大にするものを選ぶ。もう一つは市民としての判断であり、社会としてどうあるべきかを考える。「私はこれが欲しい」と「私たちはこうすべきだ」は、別の種類の発言である。
支払意思額を尋ねる質問は、回答者を消費者の位置に置く。しかし公園の存廃について住民が本当に言いたいことは、しばしば市民としての判断のほうである。「うちの地区に子どもが遊べる場所が一つも残らないのはおかしい」という主張は、金額では表現できない。金額に翻訳しようとすれば、主張の質そのものが変わってしまう。第6節でみた抗議回答の少なくとも一部は、この翻訳の拒否として読むべきものである。
8.3 通約不可能性——比べられないという主張の位置
哲学の用語でいえば、ここで問題になっているのは通約不可能性、すなわち二つの価値を共通の物差しで測ることができないという性質である。マイケル・サンデル(2012)は、市場の論理が本来なじまない領域に及ぶとき、対象の性質そのものが変質すると論じた。ある行為に価格をつけると、その行為をめぐる規範が変わってしまうことがある、という指摘は、環境の領域でも繰り返し議論されてきた。
評価の実務では、こうした立場は「拒絶的な回答」として処理されがちである。いくら積まれても手放さないという回答、金額を答えること自体を拒む回答は、統計処理の都合上、しばしば除外される。しかしこれらは、質問の設計に対する的確な批評でもある。除外された回答の量と理由を明示することは、評価の誠実さの最低条件だといえる。
有名な例として、コスタンザら(1997)が世界全体の生態系サービスの価値を巨額の金額として示した研究がある。この研究は、自然の価値が経済の議論から抜け落ちていることへの警鐘として大きな影響を与えた一方で、全体を対象とする評価には理論的な難点があるとして批判も受けた。数字の役割が、精密な測定ではなく、注意を向けさせる合図であったことがよく分かる例である。同じ数字が、警鐘としては有効に働き、計算の根拠としては危うい、ということが起こりうる。
8.4 それでも、測らないことの代償
ここまでの議論は、測ることへの警戒に傾いてきた。公平を期すために、測らないことの代償も述べておかなければならない。数字がない便益は、予算の議論で不利になる。「公園は大切だ」という言葉は誰も否定しないが、否定されない主張は、優先順位の議論では弱い。とくに、声の大きい層の要望が通りやすい場では、声を上げない住民——小さな子ども、高齢者、日中に地域にいない働き手——の便益は、数字にでもしない限り議題に上らない。
したがって本稿の立場は、測るべきか測らざるべきかという二択ではない。測ることの効果と副作用を理解したうえで、目的に応じて使い分けるという、当たり前だが実行の難しい態度である。内部の比較には使い、外部への公表では前提とともに示し、比べてはならないという主張が表明される場を別に確保する。この三つを分けることが、実務上の要点である。
9. 磐田市の公園への示唆——測るとしたら何を、測らないなら何を
ここまでの枠組みを、磐田市の公園に当てはめてみる。当サイトが収録しているのは100園である。内訳は、磐田市のオープンデータ「都市公園一覧」94行と、市の施設ガイドにのみ掲載されている6園を合わせたものである。種別では街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外・その他6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園という構成になっている。
9.1 手法の適合は、種別によって大きく違う
第3節で述べたとおり、旅行費用法は遠方からの来訪がある施設に向く。この観点で磐田市の公園群を見ると、手法が働きうる園はごく限られる。竜洋海洋公園は221,722㎡の総合公園で、市の施設ガイドによれば体育館・野球場・テニスコート・プール・レストハウスなどを備える。かぶと塚公園は106,982㎡の総合公園で、総合体育館・陸上競技場・弓道場・グラウンドが挙げられている。こうした園は、市外や市内遠方からの来訪が想定でき、距離と訪問頻度の関係が観察できる可能性がある。
他方、園数の過半を占める街区公園51園は、誘致距離250mを標準とする、歩いて数分の公園である。旅行費用はほとんど発生しないから、旅行費用法の目には映らない。都市緑地10園はさらに小さく、二之宮東第2緑地は17㎡、豊田上新屋ポケットパークは156㎡、豊田第1緑地は254㎡である。これらの緑地に「訪問回数と交通費の関係」を求めるのは、はじめから筋が違う。手法を対象に合わせるのではなく、対象に合う手法を選ぶ必要がある。
9.2 面積の桁差が示すもの
最大の竜洋海洋公園221,722㎡と、最小の二之宮東第2緑地17㎡の間には、桁にして四つの開きがある。もし価値を面積に比例させるなら、17㎡の緑地の価値は限りなくゼロに近づく。しかし、街角の小さな緑地が、そこを毎日通る人にとって持つ意味は、面積では表せない。角に一本の木があること、腰を下ろせる縁があること、季節の変化が目に入ることは、規模の関数ではない。
ここに、第2節でみた総経済価値の枠組みが効いてくる。小さな緑地の価値の多くは、直接の利用価値というより、通りがかりに目に入ることの間接的な便益や、地域に緑が残っていることそのものへの価値——存在価値に近いもの——として現れる。これらは行動の跡を残さない。歩いて通っただけの人は、費用も支出も記録しない。顕示選好法の外側にある価値である。
9.3 集計範囲の問題は、地区の偏りとして現れる
第6節で述べた集計範囲の裁量は、磐田市では地区ごとの偏りとして具体的に現れる。9地区の園数は、見付21園、中泉14園、御厨13園、豊田28園、南部2園、向陽2園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園である。豊田と南部・向陽の間には十倍以上の開きがある。この差は、地区の面積や市街地の広がり、宅地開発の経緯によって説明される部分が大きいと考えられるが、当サイトはまだその検証を行っていない。
評価の観点から重要なのは、園数の少ない地区では、一つの園が担う役割が相対的に重いということである。同じ手法で市内一律に測れば、園数の多い地区の各園は「代替がきく」ものとして評価が下がり、少ない地区の各園は「代替がない」ものとして評価が上がる可能性がある。この結果を「園数の多い地区の公園は価値が低い」と読むのは誤りである。代替の有無は、その園の質ではなく、周囲の配置の関数だからである。数字の読み違えが起きやすい典型的な場面である。
9.4 オープンデータに載っている属性と、載っていない属性
選択実験の属性設計という観点から、磐田市のオープンデータを見ると、そこに含まれる情報は限られている。オープンデータ94行の集計では、トイレ有が69園、車いす対応トイレ有が34園、砂場有が43園、遊具有が64園である。市の施設ガイドに個別ページがある77園については、駐車場や園内施設の記載がある。これらは、属性として扱いやすい形をしている。
しかし、公園を選ぶときに保護者が実際に見ているであろう要素の多くは、この一覧に含まれていない。日陰がどれだけあるか。園の外周の道路がどの程度の交通量か。園内が外から見通せるか。ベンチから遊具までの距離はどれくらいか。夏の地面がどれだけ熱くなるか。同じ時間帯に何組くらいが来ているか。これらは、いまのところどのデータにも載っていない。属性の一覧に入らないものは、選択実験でも評価されない。第4節で述べた「一覧は調査者が決める」という限界が、磐田市の場合には、そのままデータの不在として現れている。
当サイトの現地踏査はまだ始まっておらず、2026年8月16日時点で踏査済の園は0園である。日陰や見通しといった項目は、いずれも現地で確かめるほかない性質のものであり、当サイトは今後の踏査でこれらを記録していく。数字にする前に、まず何があるかを書き留める段階にある。
註:公園に関する市の窓口は磐田市 都市整備課(電話 0538-37-4806)である。当サイトは行政の評価に関与する立場になく、園ごとの金額評価を行う予定もない。運営は富士ヶ丘サービス株式会社(不動産・介護事業)であり、この点は評価の中立性に関わる情報として明示しておく。
10. 結論と今後の課題
本稿は、市場価格を持たない環境財の価値を貨幣で表そうとする環境経済学の手法群を、都市公園という身近な対象に照らして整理してきた。得られた見通しを、節の順にたどりながらまとめる。
- 公園の価値は、訪れて使う直接利用価値だけでなく、木陰や雨水の貯留といった間接利用価値、将来のためのオプション価値、次世代への遺贈価値、在ること自体への存在価値を含む。総経済価値の枠組みは、この広がりを取りこぼさないための整理である。
- 測り方は、行動の跡から逆算する顕示選好法と、仮想の状況を尋ねる表明選好法に分かれる。前者は信頼できるが利用価値に限られ、後者は広く扱えるが仮想であることに由来するずれを抱える。
- 旅行費用法は、交通費のかからない街区公園には原理的に適用しにくい。日常に最も溶け込んだ公園ほど、この手法の目に映らないという逆説がある。
- 支払意思額と受入補償額は一致しない。どちらを問うかは、その環境が誰のものかという権利の前提を選ぶことであり、技術的な選択ではない。
- 評価額が最も役に立つのは、同じ設計で案と案を比べるときと、前提を変えて結論の頑健さを示すときである。単独の総額として公表されたとき、数字は最も誤用されやすい。
以上から本稿がとる立場は、次の一文に要約できる。評価額は「公園の値打ち」ではなく、「ある前提のもとで、ある人々に、ある尋ね方をしたときに得られた数字」である。この限定つきの読み方を保てるかどうかが、手法の精度よりも重要である。
10.1 本稿の限界
本稿には三つの限界がある。第一に、文献整理と概念分析にとどまり、実際の評価事例の追試や再分析を行っていない。第二に、日本の公園を対象とした評価研究の蓄積を網羅的に検討していない。第三に、磐田市の公園については、公開データと市の施設ガイドの記載に依拠しており、現地の実態を確かめていない。踏査済の園は0園である。したがって第9節の議論は、データから読み取れる範囲の見立てにとどまり、実地の検証を経ていない。
また本稿は、評価手法の統計的な細部——推定量の性質、標本設計、モデルの選択——にはほとんど立ち入っていない。これらは手法の信頼性を左右する重要な部分であるが、本稿の目的が「数字の使われ方を考える」ことにあったため、意図的に省いた。統計的な扱いについては、指標と統計を主題とする別稿に接続される。
10.2 今後の課題
第一の課題は、記述の充実である。評価の前に記述がある。日陰の位置と量、園の外周道路の状況、園内の見通し、ベンチと遊具の位置関係、時間帯による利用の様子。これらは金額に換算する前に、まず言葉と記録として残すべき情報である。当サイトの踏査は、この段階を担う。属性が記録されて初めて、属性ごとの評価という議論の土台ができる。
第二の課題は、非利用価値をどう扱うかである。訪れない園に対する住民の思いは、行動としては現れない。廃止や縮小が議題に上ったときに初めて表面化することが多く、そのときには手続きが進んでしまっている。平時にこの価値を可視化する方法があるとすれば、それは金額とは限らない。地区ごとの緑地の配置を地図で示すこと、園の歴史を記録すること、季節の変化を継続して記録することも、価値を可視化する手段である。
第三の課題は、比較の単位を考え直すことである。園ごとの金額を並べる比較は、第9節でみたとおり誤読を招きやすい。むしろ、地区ごとの配置、歩いて行ける範囲の充足、年齢層ごとの使いやすさといった単位のほうが、政策の判断に近い。何を比較の単位にするかという選択は、どの手法を使うかという選択より前にある、より根本的な決定である。
最後に、本稿が扱えなかった隣接領域を挙げておく。公園を公共財として位置づける議論、維持管理の財政的な持続性、近接が住まいの選択に与える影響、指標と統計の設計。これらはいずれも本稿の各節と接する主題であり、当サイトの他の論考に委ねる。公園にいくらの価値があるかという問いは、答えを一つの数字として出すためではなく、価値がどこから来ているのかを丁寧に分解するために立てられるとき、最もよく機能する。本稿がその分解の見取り図として読まれることを期待したい。
参考文献
- S. V. Ciriacy-Wantrup(1947)「Capital Returns from Soil-Conservation Practices」Journal of Farm Economics, 29(4)
- Robert K. Davis(1963)The Value of Outdoor Recreation: An Economic Study of the Maine Woods(ハーバード大学博士論文)
- Marion Clawson(1959)Methods of Measuring the Demand for and Value of Outdoor Recreation, Resources for the Future
- Marion Clawson and Jack L. Knetsch(1966)Economics of Outdoor Recreation, Johns Hopkins University Press
- Burton A. Weisbrod(1964)「Collective-Consumption Services of Individual-Consumption Goods」Quarterly Journal of Economics, 78(3)
- John V. Krutilla(1967)「Conservation Reconsidered」American Economic Review, 57(4)
- John V. Krutilla and Anthony C. Fisher(1975)The Economics of Natural Environments, Johns Hopkins University Press
- Sherwin Rosen(1974)「Hedonic Prices and Implicit Markets: Product Differentiation in Pure Competition」Journal of Political Economy, 82(1)
- Kelvin J. Lancaster(1966)「A New Approach to Consumer Theory」Journal of Political Economy, 74(2)
- Daniel McFadden(1974)「Conditional Logit Analysis of Qualitative Choice Behavior」in P. Zarembka ed., Frontiers in Econometrics, Academic Press
- Jordan J. Louviere and George Woodworth(1983)「Design and Analysis of Simulated Consumer Choice or Allocation Experiments」Journal of Marketing Research, 20(4)
- Daniel Kahneman and Amos Tversky(1979)「Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk」Econometrica, 47(2)
- Richard Thaler(1980)「Toward a Positive Theory of Consumer Choice」Journal of Economic Behavior and Organization, 1(1)
- Jack L. Knetsch(1989)「The Endowment Effect and Evidence of Nonreversible Indifference Curves」American Economic Review, 79(5)
- Daniel Kahneman and Jack L. Knetsch(1992)「Valuing Public Goods: The Purchase of Moral Satisfaction」Journal of Environmental Economics and Management, 22(1)
- W. Michael Hanemann(1991)「Willingness to Pay and Willingness to Accept: How Much Can They Differ?」American Economic Review, 81(3)
- Kenneth Arrow, Robert Solow, Paul R. Portney, Edward E. Leamer, Roy Radner and Howard Schuman(1993)「Report of the NOAA Panel on Contingent Valuation」Federal Register, 58(10)
- Peter A. Diamond and Jerry A. Hausman(1994)「Contingent Valuation: Is Some Number Better than No Number?」Journal of Economic Perspectives, 8(4)
- W. Michael Hanemann(1994)「Valuing the Environment Through Contingent Valuation」Journal of Economic Perspectives, 8(4)
- Richard T. Carson(2012)Contingent Valuation: A Comprehensive Bibliography and History, Edward Elgar
- Robert Costanza et al.(1997)「The value of the world's ecosystem services and natural capital」Nature, 387
- Millennium Ecosystem Assessment(2005)Ecosystems and Human Well-being: Synthesis, Island Press
- TEEB(2010)The Economics of Ecosystems and Biodiversity: Mainstreaming the Economics of Nature
- Mark Sagoff(1988)The Economy of the Earth: Philosophy, Law, and the Environment, Cambridge University Press
- マイケル・サンデル(2012)『それをお金で買いますか——市場主義の限界』(鬼澤忍訳、早川書房、2012)
- 栗山浩一(1998)『環境の価値と評価手法——CVMによる経済評価』北海道大学図書刊行会
- 栗山浩一・柘植隆宏・庄子康(2013)『初心者のための環境評価入門』勁草書房
- 肥田野登(1997)『環境と社会資本の経済評価——ヘドニック・アプローチの理論と実際』勁草書房
- 行政機関が行う政策の評価に関する法律(平成13年法律第86号)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。