自然科学・環境生物季節学
いつ咲き、いつ落ちるか——生物季節観測と公園の一年
要旨
本稿の目的は、生物季節学(フェノロジー)という学問の考え方を整理し、公園という身近な場所がその観測地点になりうるかを検討することである。方法は文献整理と概念分析であり、開花・展葉・紅葉・落葉・初鳴きといった生物の周期的な現象を継続的に記録するという営みの歴史と方法を、気象庁の生物季節観測、京都の桜の開花に関する古記録の復元研究、欧米の市民科学ネットワークという三つの事例から読み解く。
検討の結果、次の点が示される。第一に、生物季節の記録は単発の観察ではなく、同じ場所・同じ方法で続けられて初めて気候との関係を語れる資料になるという、連続性そのものに価値がある記録の性質を持つこと。第二に、都市のヒートアイランドと地球規模の温暖化はどちらも開花期を早める方向に働くとされ、両者を都市の公園という一地点の記録だけで切り分けることは難しいこと。第三に、気象庁が観測対象を絞り込んできた経緯や、二十四節気・七十二候といった伝統的な季節区分との比較は、何を定点観測の対象に選ぶかという判断そのものが時代とともに変わることを示していること。
最後に、磐田市の公園について、生物季節の記録という観点から何ができるかを論じる。磐田市の都市公園100園に関するオープンデータや施設ガイドの記載は、種別・面積・トイレや遊具の有無が中心であり、開花や紅葉の時期についての情報は含まれていない。当サイトの現地踏査はこれからであり、本稿は特定の園の開花日を記載しない。代わりに、公園が持つ樹木や花壇を定点観測の対象として記録していくための考え方を示し、今後の課題として残す。
キーワード生物季節学フェノロジー気象庁の生物季節観測ヒートアイランド市民科学記録の連続性磐田市
1. はじめに——問題の所在
公園を訪れる人は、意識するとしないとにかかわらず、季節の変化を肌で受け取っている。桜のつぼみがふくらみ、花が開き、散り、若葉が茂り、夏には濃い緑陰をつくり、秋には色づいて落ち、冬には裸の枝だけが残る。この繰り返しは毎年ほぼ同じ順序で起こるが、開花が今年は早いとか、紅葉が遅いといった年による違いもまた誰もが感じ取っている。この、生き物の周期的な出来事の時期を継続的に記録し、気候をはじめとする環境の条件との関係を読み解こうとする学問を生物季節学(フェノロジー)と呼ぶ。
生物季節学という語は、ギリシャ語で「現れる」を意味するphainesthaiと、「学」を意味するlogosを組み合わせた造語に由来するとされる。対象となる現象は、植物では開花・展葉・紅葉・落葉が代表的であり、動物では渡り鳥の飛来・初鳴き・虫の羽化などが挙げられる。共通しているのは、いずれも一年のうちの特定の時期に起こり、しかもその時期が年によって前後するという点である。この前後のずれを長期にわたって記録し続けると、気温の変化との対応関係が見えてくる。生物季節の記録が気候変動を論じる際の資料として繰り返し参照されるのは、このためである。
1.1 本稿の問い
本稿が立てる問いは三つである。第一に、生物季節を記録するとはどのような営みであり、何が科学的な資料としての価値を支えているのか。第二に、都市化にともなうヒートアイランドと地球規模の気候変動は、開花や紅葉の時期にどのような影響を及ぼすと考えられているのか。第三に、公園という身近な場所は、こうした生物季節の記録の場になりうるのか、なりうるとすればどのような条件が必要なのか。
この三つの問いは独立ではない。記録の価値を支える条件が分かって初めて、公園という場がその条件を満たしうるかを検討できる。またヒートアイランドと気候変動の影響を理解して初めて、公園での記録が何を意味しうるかを見積もることができる。本稿はこの順序で議論を進める。
1.2 方法と、書かないと決めたこと
方法は文献整理と概念分析である。生物季節学の基礎概念、気象庁による生物季節観測の歴史、京都の桜の開花に関する古記録の復元研究、欧米における市民科学のネットワークを順に整理し、それを公園という場に当てはめて考える。ここで一つ、書かないと決めたことがある。磐田市の個別の公園について、桜の開花日や紅葉の時期を記載することはしない。当サイトの現地踏査はこれから始まる段階であり、複数年にわたる継続観測なしに一年分の印象を記すことは、生物季節学が最も重視する連続性という価値に反するからである。
構成は以下のとおりである。第2節で生物季節学の基本概念と西洋における起源を整理する。第3節で気象庁の生物季節観測の歴史と方法、近年の見直しを扱う。第4節では記録の継続性という方法論上の要点を論じる。第5節で都市のヒートアイランドと開花期の関係を検討し、第6節で京都の桜に関する古記録の復元研究を紹介する。第7節で欧米の市民科学ネットワークを取り上げ、第8節で二十四節気・七十二候という伝統的な季節区分との比較を行う。第9節で反論と限界を検討したうえで、第10節で磐田市の公園への示唆を、第11節で結論と今後の課題を述べる。
1.3 なぜ公園なのか
生物季節を観測する場所として、森林や山地ではなく公園を取り上げる理由も述べておきたい。森林の生物季節は、専門の研究者による調査を除けば、日常的に多くの人の目に触れる機会が限られている。これに対して公園は、通勤・通学の途中や散歩の折に、日々の生活動線の中で繰り返し目にする場所である。ある木の変化に気づき、それを翌日、翌週にも見に行くという行為が、特別な労力なしに成り立ちやすい。生物季節の記録が継続性を必要とする営みであることを踏まえると、日常の中に組み込みやすい場所であるという公園の性質は、記録の担い手を確保するうえで無視できない条件になる。
2. 先行研究と概念の整理
生物季節学の基礎概念を整理するところから始めたい。第一に、観測の対象となる出来事を生物季節現象と呼ぶ。開花・満開・落葉・紅葉・展葉・初鳴き・初見といった、毎年おおむね決まった順序で起こり、しかも起こる日付が年によって変動する現象である。第二に、こうした現象の時期を左右する主要な要因として、多くの研究が積算温度という考え方を用いてきた。一日ごとの気温を基準となる温度からの差として積み上げていき、その合計値がある水準に達したときに開花や展葉が起こるという経験的な関係である。気温という単一の変数だけで生物季節のすべてが説明できるわけではないが、春に起こる現象については気温との対応が比較的よく見られるとされる。
生物季節を体系的に記録するという営みの起源として広く知られているのは、18世紀イギリスの博物学者ロバート・マーシャムの家系による記録である。1736年に始まったとされるこの記録は、地元ノーフォークにおける毎年の開花・渡り鳥の飛来・虫の出現などの日付を書き留めたもので、家系を通じて長期間にわたって継続されたことで知られる。単発の観察ではなく、同じ場所・同じ項目を世代を超えて記録し続けたという点に、この記録の資料としての価値がある。
2.1 アルド・レオポルドの農場記録
20世紀の記録として頻繁に参照されるのが、アメリカの生態学者アルド・レオポルドが遺した記録である。レオポルドはウィスコンシン州の荒れた農場を買い取り、そこでの自然観察をもとに随筆集『A Sand County Almanac』(1949年、邦題『野生のうたが聞こえる』)を著したことで知られる。彼はこの農場で植物の開花時期などを記録しており、その記録は没後も家族によって引き継がれた。後年、この長期記録を数十年前の気候と比較する研究が行われ、多くの植物種で開花が早まる傾向が見出されたと報告されている。個人の観察が、当人の没後に気候変動を論じる資料として再利用された事例として重要である。
2.2 記録の年表
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1736年〜 | イギリスのマーシャム家が開花・渡り鳥飛来などの記録を開始したとされる |
| 1935〜1948年 | アルド・レオポルドがウィスコンシンの農場で自然観察の記録を残す |
| 1953年 | 気象庁が全国の気象官署で生物季節観測を統一的な方法で開始 |
| 1957年 | ヨーロッパで国際生物季節庭園(同一系統の樹木を各国に植えて比較する観測網)の取り組みが始まったとされる |
| 2003年 | パーメザンとヨーエが世界各地の生態系における季節変化を横断的に整理した論文を発表 |
| 2007年 | アメリカで市民参加による観測網USA-NPNが設立 |
| 2021年 | 気象庁が生物季節観測の対象種目を大幅に絞り込む |
この年表が示すのは、生物季節の記録が、個人や家系による私的な観察として始まり、次第に国の機関による統一的な観測へと制度化され、さらに国際的なネットワークや市民参加型の仕組みへと広がってきたという流れである。次節以降では、この流れのうち日本における制度化の中心である気象庁の生物季節観測を詳しく見ていく。
なお、生物季節を記録しようとする発想じたいは、近代の博物学よりもさらに古くまでさかのぼることができる。18世紀のスウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネは、著書『Philosophia Botanica』の中で、複数の植物の花が開いたり閉じたりする時刻の違いを利用すれば、花の様子を見るだけでおおよその時刻が分かるという「花時計」の着想を記したとされる。この着想は一日のうちの時刻を扱うものであり、本稿が主に扱う一年を通じた季節の記録とは対象とする時間の長さが異なるが、生き物の周期的な変化を規則性として捉え、記録の対象にしようとする発想そのものは、生物季節学の源流の一つとみなすことができる。
2.3 用語の整理
以後の議論のために、いくつかの用語を整理しておく。ある生物季節現象が一年のうちで最初に起こった日を初日と呼び、桜であれば開花の初日、満開に達した日を満開日と呼ぶ分け方が広く用いられる。複数年にわたる初日や満開日の記録を並べたものを生物季節時系列と呼び、この時系列がどの程度の長さを持つかが、資料としての価値を左右する。また、同じ現象について複数の地点で得られた記録を地図上に落とし込み、同じ時期に同じ現象が起こった地点を線で結んだものを等期日線と呼ぶことがあり、桜前線として知られる図もこの一種である。桜前線は南から北へ、あるいは低地から高地へと開花の時期が移っていく様子を視覚的に示すものであり、生物季節現象が単に「いつ」だけでなく「どこで」という空間的な広がりを持つことを教えてくれる。
3. 気象庁の生物季節観測——歴史と方法
日本において生物季節を国のレベルで継続的に記録してきたのは気象庁である。気象庁は全国の気象官署において、統一的な方法による生物季節観測を1953年に開始したとされる。観測の考え方は単純である。あらかじめ定めた植物・動物の種について、開花・満開・紅葉・落葉・初鳴きなどの現象が「いつ」起こったかを、決められた基準にしたがって記録する。桜であれば、標本とする木(標本木)を定め、その木に咲いた花の数が一定の基準に達した日を開花日、大部分が開いた日を満開日として記録するという方法がとられてきた。
この方法の要点は二つある。一つは標本木という定点を定めることである。同じ木を毎年観測することで、木の個体差という変動要因を取り除き、年による違いだけを比較できるようにする。もう一つは、開花や満開といった現象の判定基準をあらかじめ数値や状態で定めておくことである。「咲き始めた」という印象ではなく、「〇輪以上開いた状態」といった基準に沿って判定することで、観測者が変わっても比較可能な記録になる。この二つの工夫があって初めて、全国の気象官署で得られたばらばらの記録を、一つの表として比較できる資料に仕立てることができる。
3.1 2021年の見直し
気象庁は2021年から、生物季節観測の対象を大きく絞り込んだ。それまで対象としてきた動物に関する観測(鳥の初鳴きや虫の初見など)の多くを取りやめ、植物に関する観測についても、桜の開花・満開や、かえで・いちょうの紅葉・落葉など、少数の現象に限定したことが気象庁から公表されている。理由として挙げられているのは、都市化が進んだことなどにより、対象となる動植物が気象官署の構内やその周辺で見つけにくくなったことである。標本木のように定点を固定する方法は、その定点そのものが失われれば観測を続けられなくなるという弱点を抱えている。
この見直しは、生物季節観測という営みの性質をよく表している。何を観測対象に選ぶかという判断は、一度決めたら永久に固定されるものではなく、対象となる生き物が生息できる環境がどれだけ残っているかという条件に左右される。都市の気象官署の構内でうぐいすの初鳴きが観測しにくくなったという事実自体が、都市環境の変化を映す一つの記録だとも言える。裏を返せば、桜のように植栽として広く維持されている樹木は、都市の中でも定点観測を続けやすい対象として残ったということでもある。
3.2 気候の指標としての利用
気象庁が蓄積してきた生物季節観測の記録は、単に季節の便りとして扱われるだけでなく、気候の変化を示す指標の一つとして参照されてきた。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書でも、生物季節の変化は気候変動の影響を示す証拠の一群として言及されている。桜の開花のように多くの人になじみのある現象が、専門的な気候研究の資料としても使われているという事実は、生物季節観測が持つ性質——誰にでも観察でき、しかも科学的な資料になりうるという二重の性質——をよく示している。
見直し以前の気象庁の観測項目は、植物では梅・桜・あじさい・すすきの開花や、かえで・いちょうの紅葉・落葉など、動物ではうぐいすの初鳴きや、つばめ・もんしろちょうの初見、複数の種類のせみの初鳴きなど、幅広い植物・動物にまたがっていたとされる。この広がりの大きさそのものが、都市の気象官署の構内という限られた敷地で、これほど多様な生き物を毎年観察できていたことの証しでもあり、逆に言えば、都市化が進むにつれてその条件を維持することが年々難しくなっていったことも想像に難くない。項目の絞り込みは、後ろ向きの縮小というより、都市環境の変化に応じて観測を持続可能な形に見直したものと理解することができる。
3.3 何が観測を支えていたか
動物に関する観測が真っ先に取りやめの対象になったという経緯は、観測を支える条件の性質をよく示している。植物は一度植えられれば、剪定されても同じ場所に生育し続けるのに対して、鳥や虫といった動物は、その場に生育する植物や周辺の環境が変われば、いなくなってしまう。標本木という定点は人が管理して維持できるが、うぐいすやせみがその場所にいるかどうかは、周辺の環境全体の状態に左右され、気象官署の敷地だけを整えても維持できるものではない。動物を対象とした観測がまず難しくなったのは、こうした対象の性質の違いによるものと理解できる。
4. 記録を可能にする条件——定点・基準・継続性
前節で見た気象庁の観測方法は、生物季節の記録が科学的な資料として成り立つための条件を浮かび上がらせる。その条件を整理すると、おおよそ三つにまとめられる。定点を固定すること、判定の基準をあらかじめ定めておくこと、そして同じ方法を長期にわたって続けることである。この三つがそろって初めて、一年ごとの記録が積み重なって、気候との関係を論じられる資料になる。逆にいえば、このどれか一つが欠けても、記録は単なる感想の集まりにとどまってしまう。
定点を固定するとは、毎年違う木や違う場所を観測するのではなく、同じ個体・同じ場所を観測し続けるということである。木にはそれぞれ個体差があり、同じ種であっても日当たりや土壌の条件によって開花の時期が数日から一週間ほど前後することが知られている。毎年違う木を見ていては、その違いが気候によるものか個体差によるものか区別がつかない。標本木という考え方は、この個体差という変動要因を固定することで、年による違いだけを取り出そうとする工夫である。
4.1 基準を定めることの意味
判定の基準をあらかじめ定めておくことも同じく重要である。「桜が咲いた」という表現は、人によって受け取り方が異なる。一輪でも咲けば「咲いた」と感じる人もいれば、木全体がほんのり色づいて初めて「咲いた」と感じる人もいるだろう。気象庁の観測が「標本木で数輪以上の花が開いた状態」といった具体的な基準を用いてきたのは、この受け取り方の違いを取り除き、観測者が変わっても同じ判定ができるようにするためである。基準がなければ、同じ地点であっても観測者が交代した年に記録が不連続になりかねない。
4.2 継続性という価値
そして最も重要なのが継続性である。一年だけの記録では、その年がたまたま早かったのか遅かったのか判断のしようがない。何十年という単位で記録が積み重なって初めて、平均からの外れ方や、年ごとの変化の傾向が見えてくる。京都の桜の開花に関する古記録の復元研究(第6節で扱う)が注目されるのも、数百年という長さの連続性を確保できたためである。逆に、どれほど精密な基準で観測しても、数年で途切れてしまえば、気候との関係を論じる資料としての価値は大きく損なわれる。
この三条件は、公園での記録を考えるうえでも重要な手がかりになる。定点を固定できる樹木があるか、判定の基準を定められるか、そして何より、複数年にわたって同じ方法で記録を続けられる体制があるか。この三点を欠いたまま一年限りの観察を記すことは、生物季節学が本来目指す記録の姿から離れてしまう。本稿が磐田市の個別の公園について開花日を記載しない理由は、まさにここにある。
4.3 農業における先行例
積算温度という考え方そのものは、生物季節学よりも古く、農業の分野で発展してきた歴史を持つとされる。18世紀のフランスの科学者レオミュールは、一日ごとの気温を積み上げていくことで、作物がある生育段階に達する時期を見積もれるという着想を示したことで知られる。これは現在でいう生育度日(グローイング・ディグリー・デイ)という考え方の原型とされ、果樹園などで収穫時期を見積もるために、経験的に用いられてきた。生物季節学が気象庁の観測という形で制度化される以前から、農業の現場では気温の積み重ねと植物の生育を結びつける発想が実務として根づいていたわけである。
この農業由来の発想を踏まえると、公園の樹木を観測する際にも、開花や紅葉の日付だけを単独で記録するのではなく、その年の気温の推移とあわせて記録することの重要性が見えてくる。同じ木で同じ基準を用いていても、ある年の開花が早かったのか遅かったのかは、その年の気温の記録と突き合わせて初めて意味を持つ。単に日付を書き留めるだけでなく、気温という背景情報とセットで記録するという発想は、公園での定点観測を設計するうえでも参考になる。
5. 都市のヒートアイランドと開花期
生物季節学が現代において注目される大きな理由の一つは、開花や紅葉の時期の変化が、気候の変化を映す指標として使えるという点にある。多くの研究が、春に起こる生物季節現象——桜の開花や植物の展葉など——が、数十年という単位で見ると早まる傾向にあると報告してきた。ヨーロッパの広域データを分析したメンツェルらの研究(2006年)は、多数の観測地点で春の生物季節現象が早まる傾向を確認し、それが気温の上昇パターンと対応していることを示したとされる。パーメザンとヨーエによる2003年の論文は、世界各地の陸上・海洋の生態系で観察された変化を横断的に整理し、気候の変化と一致する方向への変化が広く見られることを示したものとして、しばしば参照される。
この「早まる」という変化の要因は一つではない。地球規模での気温上昇という要因に加えて、都市部ではヒートアイランド現象——コンクリートやアスファルトに覆われた地表が熱をため込みやすく、緑地や水面が減ることで蒸発による冷却も働きにくくなり、都市の気温が周辺の郊外よりも高くなる現象——が重なる。都市の中心部にある観測地点では、地球規模の温暖化と都市固有のヒートアイランドという二つの要因が同時に働き、どちらも開花を早める方向に作用するとされる。
5.1 一地点の記録では切り分けにくいこと
ここで注意すべきなのは、一つの都市の一つの観測地点の記録だけを見て、変化の原因を地球規模の温暖化とヒートアイランドのどちらかに単純に帰することは難しいという点である。両者は同じ方向、すなわち気温を上げる方向に働くため、ある地点で開花が早まったという事実だけからは、その地点固有の都市化が進んだためなのか、地球全体の気温が上がっているためなのか、あるいはその両方なのかを区別できない。この切り分けには、都市化の影響を受けにくい郊外や山間部の観測地点と比較するといった、複数地点のデータを組み合わせた分析が必要になるとされる。
5.2 単年の印象で語らないこと
もう一つ注意すべきなのは、ある年の開花が例年より早かった、あるいは遅かったという単年の事実だけから、気候変動の傾向を断定することはできないという点である。気温には年ごとの自然な変動があり、ある年が暖冬であったからといって、それが長期的な傾向の証拠になるわけではない。生物季節学が資料としての力を持つのは、前節で述べた継続性があってこそであり、単年の観察はあくまで長期の傾向の中の一点として位置づけるべきものである。この節で述べた早期化の傾向も、数十年単位のデータに基づく報告であることを踏まえて読む必要がある。
5.3 ヒートアイランドの仕組み
ヒートアイランド現象がなぜ起こるのかについても、簡単に整理しておきたい。都市部では、地表の多くがコンクリートやアスファルトといった、熱をため込みやすく水を通しにくい素材で覆われている。土や芝生であれば、水分が蒸発する際に周囲の熱を奪うことで気温の上昇を和らげる働きがあるが、舗装された地表ではこの働きが弱まる。加えて、建物や自動車、空調設備などから排出される熱も都市の気温を押し上げる要因になるとされる。緑地や水面が減ることで、この冷却の働きがさらに乏しくなり、都市の中心部は周辺の郊外よりも気温が高くなりやすいと説明される。
こうした仕組みを踏まえると、都市の中でも緑地や水面をどれだけ持つ公園かによって、ヒートアイランドの影響の受け方に違いが生じうることが分かる。舗装された広場が大部分を占める公園と、樹木や芝生に覆われた公園とでは、同じ都市の中にあっても局所的な気温環境が異なる可能性がある。研究者がヒートアイランドと地球規模の温暖化を切り分けようとする際に、都市化の程度が異なる複数の地点を比較する方法をとるのは、こうした局所的な違いを利用して、都市化という要因の効果を浮かび上がらせるためである。
この論点は、公園そのものがヒートアイランドを和らげる側に働きうるという、別の学問領域で論じられる主張ともつながっている。緑地や樹木は、蒸発散という働きを通じて周囲の気温を下げる方向に作用するとされ、都市の中の公園は、それ自体が周辺よりも涼しい局所的な環境をつくる可能性があると論じられてきた。もしそうであれば、公園の中と、公園の外の舗装された市街地とで、同じ種類の植物の開花時期に違いが見られるかどうかは、公園の持つ気温を和らげる働きの大きさを間接的に示す手がかりにもなりうる。もっとも、これは理論上の仮説にとどまり、実際に磐田市の公園でそうした違いが確認されているわけではない。
6. 京都の桜——古記録に基づく長期復元
生物季節の記録がどれほど長く続けば意味のある資料になるのかを考えるうえで、しばしば引き合いに出されるのが、京都の桜の開花に関する研究である。気象庁による統一的な観測が始まったのは1953年であり、それ以前の時代については系統だった観測記録は存在しない。ところが研究者の青野靖之らは、公家の日記や寺社の記録といった古文書に残された「花見をした」「桜が咲いた」といった記述を丹念に収集し、桜の開花日を西暦9世紀にまでさかのぼって復元するという研究を行った。この研究は2008年に国際学術誌に発表され、日記文学という一見して気象記録とは無縁の史料が、長期の気候変動を論じる資料になりうることを示した点で注目されている。
この研究が可能になった背景には、平安時代以来、貴族や僧侶の間で桜の開花や花見という行事を日記に書き記す習慣が長く続いてきたという、日本特有の文化的な条件がある。花見という行事そのものが、開花という自然現象を毎年記録する営みを、結果として千年以上にわたって支えてきたとも言える。もっとも、古記録から復元された開花日には、記述のあいまいさや記録者による表現の違いといった不確実性が伴うため、現代の標本木による観測ほど精密な日付を求めることはできないとされる。それでも、数百年から千年という単位でのおおまかな傾向を読み取るための資料としては、他に類を見ない長さを持つ。
6.1 何を教えてくれるか
この長期復元の研究が持つ意義は、単に古い記録を掘り起こしたという点にとどまらない。数百年という長さのデータがあることで、20世紀後半以降に見られる開花の早期化の傾向が、過去の自然な変動の範囲に収まるものなのか、それとも過去に例を見ない変化なのかを判断する手がかりが得られる。短い期間の記録だけでは、たまたまその期間が変動の大きい時期に当たっていた可能性を排除できないが、長期の記録があれば、その可能性を検討しやすくなる。
6.2 記録の担い手という論点
この研究はまた、生物季節の記録の担い手が誰であったかという論点も提起する。平安時代の日記の書き手は、気候を記録しようという意図を持っていたわけではない。花見という行事の記録として桜の開花に触れたにすぎない。それにもかかわらず、その記述が千年後の気候研究の資料として使われている。この事実は、生物季節の記録が必ずしも専門家による意図的な観測だけから生まれるのではなく、日常の営みの副産物としても蓄積されうることを示している。後述する市民科学の議論にもつながる論点である。
6.3 他の史料との組み合わせ
歴史時代の気候を復元しようとする研究では、桜の開花日のような生物季節の記録は、単独で用いられるだけでなく、樹木の年輪の幅や、湖に張った氷が解けた日付の記録など、他の種類の史料や自然の記録と組み合わせて検討されることが多いとされる。年輪の幅はその年の気候条件を反映するとされ、氷が解けた日付の記録もヨーロッパの一部の湖などで長期にわたって残されていることが知られている。桜の開花記録は、こうした複数の証拠の一つとして位置づけることで、単独で読むよりも説得力のある気候の復元につながるとされる。
この点は、公園における生物季節の記録を考えるうえでも示唆的である。桜や藤の開花日だけを単独で記録するのではなく、その年の気温の記録や、可能であれば土壌や日当たりといった条件も合わせて記録しておけば、後になって他の資料と突き合わせて検討する余地が広がる。京都の桜の研究が千年という長さを持つ資料になりえたのも、日記という他の目的で書かれた記録が、結果として気候の情報を保存する器になったからである。公園での記録も、単に開花日だけを書き留めるのではなく、周辺の状況を含めて記録することで、将来より多くのことを語れる資料になりうる。
6.4 花見という行事と観測の重なり
京都の古記録の多くが花見という行事の記述から得られているという事実は、観測という行為と、行楽という日常の営みが必ずしも別のものではないことを教えてくれる。人が花を見に出かけ、その様子を書き残すという営みそのものが、結果として開花という自然現象の記録になっている。この構造は、現代の公園でも成り立ちうる。花見や紅葉狩りに訪れた人が、その年の花や葉の様子について何かしらの記憶や記録を残すという行為は、専門的な観測とは呼べないとしても、継続すれば長期的な資料の芽になりうる。もっとも、平安時代の日記が千年後に資料として使われたのは、たまたま日記という形式で長く保存されたからであり、現代において同様の蓄積を意図的に実現するには、記録を残す仕組みを最初から意識的に設計する必要があるだろう。
7. 市民科学としてのフェノロジー記録
気象庁のような国の機関だけでなく、一般の人々が観察者として参加する形の生物季節観測も、欧米を中心に広がりを見せてきた。アメリカでは2007年にUSA-NPN(全米フェノロジーネットワーク)が設立され、Nature's Notebookという名の仕組みを通じて、専門家でない参加者が身近な植物や動物の生物季節現象を記録し、共有のデータベースに蓄積する取り組みが行われているとされる。イギリスでも森林保全団体などが同様の市民参加型の記録の仕組みを運営してきたことが知られている。こうした仕組みに共通するのは、専門の観測員だけでは足りない広い地理的範囲を、多数の参加者による分散した観測でカバーしようとする発想である。
ヨーロッパでは、これとは異なるアプローチとして、1957年ごろに国際生物季節庭園という取り組みが始まったとされる。これは、遺伝的に同一の系統(クローン)の樹木の苗を、複数の国のさまざまな地点に植えて育て、その開花や紅葉の時期を比較するという方法である。個体差という変動要因を、同じ標本木を使うという気象庁の方法とは別の形で——遺伝的に同一の苗木を各地に配ることで——取り除こうとする工夫であり、広い地理的範囲にわたる比較を可能にする点に特色がある。
7.1 市民参加型の観測が持つ強みと課題
市民参加型の観測の強みは、専門の観測員だけでは到底カバーしきれない広い範囲と多数の地点をカバーできる点にある。多くの目で見ることで、専門機関の観測地点の周辺だけでは分からない地域ごとの違いを捉えられる可能性がある。一方で課題もある。参加者ごとに観察の熟練度や判定の厳密さが異なるため、気象庁の標本木観測ほどの均質性を確保することは難しい。また、参加者が継続的に記録を続けるかどうかは個人の意欲に左右されやすく、長期の継続性という、第4節で述べた条件を満たすことが構造的に難しいという指摘もある。
7.2 日本における位置づけ
日本では、気象庁による統一的な観測が長く中心的な役割を果たしてきたこともあり、欧米のような大規模な市民参加型ネットワークは、それほど広くは知られていない。もっとも、地域の博物館や自然観察団体が、会員や来館者から桜の開花情報などを募る取り組みを行うことはあるとされる。気象庁の観測対象が2021年以降に絞り込まれたことを踏まえると、公的な統一観測が手薄になった領域を、市民による分散した記録がどこまで補いうるかは、今後検討に値する論点である。
7.3 記録の質をどう保つか
市民参加型の観測網が直面する課題として、記録の質をどう均質に保つかという問題がある。USA-NPNのような仕組みでは、参加者向けに観察の手順や判定の目安を示した資料を用意し、初めて参加する人でも一定の基準に沿って記録できるようにする工夫がとられているとされる。写真を添えて記録を提出させることで、後から専門家が判定の妥当性を確認できるようにする仕組みも用いられているという。こうした工夫は、専門の観測員による均質な記録には及ばないとしても、多数の参加者による記録の質をある程度まで底上げする役割を果たしていると考えられる。
もう一つの工夫として、観察の頻度をあらかじめ定める方法がある。気づいたときだけ記録する「機会的な観察」に頼ると、開花が始まった正確な日を捉え損ねる可能性が高くなる。これに対して、週に一度など決まった頻度で同じ対象を見に行くという「規則的な観察」を参加者に求める仕組みは、開花の始まりをより正確に捉えやすくするとされる。公園での記録を市民の参加によって支えようとする場合、こうした観察の手順や頻度をあらかじめ設計しておくことが、記録の質を左右する重要な要素になる。
7.4 参加の動機をどう保つか
市民参加型の観測が長期にわたって続くかどうかは、参加者が記録を続けようという動機をどれだけ保てるかにも左右される。USA-NPNのような仕組みでは、自分が記録したデータが地図やグラフとしてまとめられ、他の地点のデータと比較できる形で参加者に還元される仕組みが用意されているとされる。自分の観察が全体の中でどう位置づけられるかが見える形で示されることは、記録を続ける動機を支える工夫の一つと考えられる。単に記録を提出させるだけでなく、その記録がどう使われ、何が分かったのかを参加者に返すという循環が、継続性という、生物季節学が最も必要とする条件を支える鍵になる。
8. 伝統知としての季節区分との比較
生物季節を観測し、記録するという営みは、近代科学の専売特許ではない。日本には古くから、一年を細かく区切って自然の移り変わりを言葉に落とし込む伝統があった。中国に由来し、日本でも古くから使われてきた二十四節気は、一年を約15日ごとの24の区切りに分け、立春・啓蟄・清明・立夏・処暑・立冬といった名前を与えたものである。さらにこれを三分割し、約5日ごとに自然界の特徴的な現象を短い言葉で表した七十二候という区分もある。「東風解凍(東の風が氷を解かし始める)」「黄鶯睍睆(うぐいすが鳴き始める)」といった名は、まさに生物季節現象を言葉で記録したものと見ることができる。
俳句における季語の体系も、同じ系譜に連なるものと言える。季語は、特定の季節を象徴する言葉として、動植物の名前や自然現象を分類・整理してきた。桜・蛍・蝉・紅葉・雪といった言葉は、それぞれ特定の季節と強く結びつけられており、俳句を詠む際の共通の約束事として機能してきた。二十四節気・七十二候・季語のいずれも、生物季節現象を体系的に言葉に写し取り、暦として、あるいは詩歌の約束事として、世代を超えて継承してきたという点で、広い意味での生物季節の記録と呼ぶことができる。
| 節気 | 時期の目安 | 対応する自然現象の例 |
|---|---|---|
| 啓蟄 | 3月上旬 | 冬ごもりの虫が動き出すとされる時期 |
| 清明 | 4月上旬 | さまざまな花が咲きそろい始めるとされる時期 |
| 立夏 | 5月上旬 | 夏の気配が立ち始めるとされる時期 |
| 処暑 | 8月下旬 | 暑さが峠を越すとされる時期 |
| 寒露 | 10月上旬 | 露が冷たく感じられ始めるとされる時期 |
| 立冬 | 11月上旬 | 冬の気配が立ち始めるとされる時期 |
8.1 違いはどこにあるか
では、近代の生物季節観測と伝統的な季節区分は何が違うのか。最も大きな違いは、標本木のような定点や、開花の判定基準といった、第4節で述べた条件の有無である。二十四節気は太陽の動きに基づいて日付が固定的に定められており、その年の実際の気温や動植物の状態を観測して決められているわけではない。「啓蟄」という日が来たからといって、その日に必ず虫が動き出すわけではなく、あくまで目安として理解されてきた。これに対して気象庁の観測は、実際にその年の標本木を見て、基準に達した日を記録するという点で、実測に基づく記録である。
8.2 それでも学べること
違いはあるものの、伝統的な季節区分から学べることもある。それは、季節の移ろいを漠然とした印象のままにせず、言葉として区切り、名前を与えることの意義である。名前が与えられた現象は、人々の間で共有され、語り継がれやすくなる。公園で人々が季節の変化に気づき、それを語り合うという営みは、二十四節気や季語が果たしてきた役割と地続きのものであり、科学的な観測とは別の形で、生物季節への関心を支える土台になりうる。
8.3 文学に残された記録
日本最古の歌集とされる『万葉集』には、梅や桜をはじめとする植物の開花を詠んだ歌が数多く収められている。清少納言の随筆『枕草子』の冒頭「春はあけぼの」に始まる一連の記述も、季節ごとに移ろう自然の様子を細やかに書き留めたものとして知られる。これらは気象庁の観測のように日付や基準を伴う実測の記録ではないが、ある時代の人々が季節の変化のどの側面に注意を向けていたかを伝える、広い意味での生物季節の証言と見ることができる。第6節で述べた京都の桜の古記録の復元研究も、こうした文学的な記述の蓄積があったからこそ可能になったものである。
興味深いのは、『万葉集』の時代には梅を詠んだ歌の数が桜を詠んだ歌の数を上回っていたとされる一方、時代が下るにつれて桜を詠む歌が優勢になっていったと指摘されることである。これが実際の植生の変化を反映しているのか、それとも当時の人々の好みや価値観の変化を反映しているのかは、文学史の側で議論されてきた論点であり、本稿がここで断定できることではない。ただ、どの植物のどの現象に人々が関心を向けるかということ自体が、時代とともに移り変わりうるという点は、第3節で見た気象庁の観測対象の見直しとも重なる論点であり、何を記録の対象に選ぶかという判断が固定的なものではないことを、重ねて示している。
9. 反論と限界——個体差・管理という撹乱
ここまで生物季節観測の意義を中心に論じてきたが、この方法にはいくつかの限界があることも述べておく必要がある。第一に、第4節で触れたように、同じ種であっても個体ごとに開花や紅葉の時期には差がある。この個体差は、遺伝的な違いに加えて、日当たり・土壌・水はけといった生育環境の違いによっても生じるとされる。標本木という定点を固定する方法は、この個体差という変動要因を一定に保つ工夫ではあるが、裏を返せば、標本木一本の記録がその種全体、あるいはその地域全体を代表しているとは限らないという限界を抱えている。複数の木を見比べれば、標本木より数日早く咲く木も、遅く咲く木も見つかるはずである。
第二に、公園の樹木は自然のままに生育しているわけではなく、剪定や刈り込みといった管理という人為的な撹乱を受けている。剪定の時期や強さは、翌年の開花や展葉の時期に影響を与えることがあるとされる。強く刈り込まれた年の翌年には、通常より遅れて花が咲く、あるいは花の数が少なくなるといった変化が起こりうる。公園の樹木を定点観測の対象とする場合、この管理という要因を気候の影響と切り分けて考える必要があり、剪定の記録がなければ、観測された変化が気候によるものか管理によるものか判別できなくなる。
9.1 都市の樹木特有の事情
都市部の公園に植えられている樹木には、もう一つの特有の事情がある。それは、植栽された時期や苗木の由来がさまざまであり、必ずしも地域の在来の系統とは限らないという点である。遠方の苗木業者から取り寄せられた苗が植えられている場合、その系統がもともと想定されていた気候帯と、実際に植えられた場所の気候帯がずれていることもありうる。こうした植栽の来歴に関する情報が失われていると、観測された開花の早い遅いを、気候の指標として単純に読み解くことが一層難しくなる。
9.2 それでも記録に意味がないわけではない
これらの限界は、生物季節の記録そのものを無意味にするものではない。むしろ、何を記録し、何を同時に書き留めておくべきかを教えてくれる。開花や紅葉の日付だけでなく、対象とした木の場所・剪定の有無や時期・周囲の環境といった付帯情報を合わせて記録しておけば、後になって気候の影響と管理の影響を切り分けて検討する余地が残る。限界を知ったうえで、それを補う記録の取り方を工夫することが、科学的な資料としての価値を高める道である。
9.3 桜という特殊な事情
個体差という限界について、桜、なかでも公園や街路で広く植えられているソメイヨシノという品種には、他の樹木とは異なる特殊な事情がある。ソメイヨシノは種子から育てるのではなく、接ぎ木という方法で増やされてきた品種であり、日本各地に植えられている木の多くが、遺伝的にはほぼ同一のクローンであるとされる。この事実は、第7節で触れた国際生物季節庭園が同一系統の苗木を各地に配って比較するという発想と、図らずも似た状況を生んでいる。遺伝的な個体差という変動要因がもともと小さいために、ソメイヨシノの開花日の違いは、その分だけ気温など環境の違いをより反映しやすい観測対象になっていると考えられる。
もっとも、これはソメイヨシノという特定の品種に限った事情であり、公園に植えられている樹木のすべてがこの条件を満たすわけではない。藤や紅葉樹など、種子から育てられたり、複数の品種が混在していたりする樹木では、個体差という要因を軽視できない。観測の対象を選ぶ際には、その樹木がどのように増やされ、どの程度の遺伝的な均一性を持つのかという情報も、判断材料の一つになりうる。
9.4 観測者自身の限界
最後に、観測者自身に由来する限界にも触れておきたい。第4節で判定の基準を定めることの重要性を述べたが、基準を定めても、それを適用するのは結局のところ人である。「数輪以上開いた状態」という基準があっても、木のどの枝を見るか、どの角度から観察するかによって、判定が数日前後することは避けられない。とりわけ市民参加型の観測のように、多数の観測者が関わる場合には、この人による判定のばらつきが記録全体の精度を左右する。この限界は、観測の手順や写真による記録といった工夫である程度は補えるとしても、完全に取り除くことは難しいという前提で、記録の精度を過大に評価しないことが望ましい。
10. 磐田市の公園への示唆
ここまでの議論を、磐田市の公園に当てはめて考える。当サイトが扱う磐田市の都市公園は100園であり、これは磐田市オープンデータ「都市公園一覧」の94行と、市の施設ガイドのみに掲載のある6園を合わせた数である。オープンデータが記録しているのは、種別・面積、そしてトイレ・車いす対応トイレ・砂場・遊具の有無というフラグにとどまり、開花や紅葉の時期といった生物季節の情報は一切含まれていない。市の施設ガイドについても、駐車場の有無や園内施設の一覧が中心であり、樹木や花壇についての記述はごく一部の園にとどまる。生物季節の記録という観点から見ると、磐田市の公園の現状は、まだ何も定点が定められていない、いわば白紙の状態に近い。
それでも、施設ガイドの記載の中には、生物季節の観測地点の候補として目を引くものがいくつかある。豊田地区の豊田熊野記念公園は、施設ガイドに「熊野の長藤」という名で藤の存在が明記されている数少ない例であり、藤という植物は開花の時期がはっきりしていることで知られる。また見付地区の風致公園であるつつじ公園は、その名称自体がツツジという植物に由来しており、名前の由来となった植物が実際にどの程度植えられているかは、当サイトの現地踏査で確かめるべき事柄として残されている。現時点で断定できるのは、これらの園の名称や施設ガイドの記載に、特定の植物への言及があるという事実までである。
10.1 9地区に広がる公園という条件
磐田市の公園は、見付・中泉・御厨・豊田・南部・向陽・竜洋・福田・豊岡という9つの地区に、園数の偏りを伴いながら分布している。豊田地区に28園、見付地区に21園が集まる一方、南部・向陽・豊岡はそれぞれ数園にとどまる。この地理的な広がりは、第5節で論じた都市のヒートアイランドという観点からは、条件の異なる複数の地点を比較できる可能性を示唆する。市街地に近い見付・中泉の公園と、竜洋・福田といった沿岸部の公園とでは、周囲の建物や舗装の密度が異なると考えられ、もし同じ方法で複数の公園を継続的に観測できれば、地域ごとの違いを比較する手がかりになりうる。ただし、これはあくまで理論上の可能性であり、実際にそうした違いが観測されるかどうかは、今後の継続的な記録を待たなければ分からない。
10.2 誰が、どう続けるか
第4節で述べたとおり、生物季節の記録が資料としての価値を持つには、定点・基準・継続性という三条件がそろう必要がある。磐田市の公園の管理は都市整備課が担っており、剪定などの管理作業の記録がどこまで残されているかは、当サイトが把握できる範囲を超えている。もし公園の樹木を定点観測の対象とするのであれば、管理の記録を持つ主体との連携が欠かせない。当サイトとしてできることは、まず候補となる木や花壇の所在を踏査によって確認し、継続的に記録できる体制を整えることであり、単年の印象を開花情報として公開することではない。この点は本稿の結論部分で改めて述べる。
10.3 季節に応じた運用という既存の記載
施設ガイドの記載の中には、生物季節そのものではないものの、季節に応じた施設の運用が明記されている例もある。豊田地区の豊田香りの公園には、5月から10月までの時間を定めて稼働するカスケード(滝)があると記載されており、今之浦公園にも、期間を定めて噴水を運転する旨の告知が記載されている。これらは水を使う設備の季節運用であって、生き物の生物季節現象そのものではないが、公園という場所がもともと季節ごとに姿を変える施設であるという認識が、施設ガイドの記載にすでに表れている点は興味深い。また竜洋地区には竜洋昆虫自然観察公園という、名称に昆虫の観察を掲げる風致公園もあり、昆虫の出現時期という動物の生物季節現象を将来的に観測対象とする候補として位置づけうる。
10.4 面積の幅という条件
磐田市の公園は、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園という種別ごとの内訳を持ち、面積も竜洋海洋公園の221,722平方メートルから、二之宮東第2緑地の17平方メートルまで大きな幅がある。これほど面積の異なる公園が同じ市内に混在しているという条件は、生物季節の記録を考えるうえでも一様には扱えないことを示唆する。数百坪に満たない小さな緑地では、そもそも定点観測の対象になりうる樹木や花壇が乏しい場合もあるだろう。一方、総合公園や地区公園のように広い面積を持つ園では、複数の樹種を対象にできる可能性もある。どの規模の公園であればどのような記録が現実的かという判断も、踏査を通じて初めて具体化できる論点である。
11. 結論と今後の課題
本稿は、生物季節学(フェノロジー)という学問の考え方を整理し、公園という身近な場所がその観測地点になりうるかを検討してきた。得られた知見は次の三点に集約される。第一に、生物季節の記録は、定点を固定し、判定の基準を定め、長期にわたって同じ方法を続けるという条件がそろって初めて、気候との関係を語れる資料になるという、連続性そのものに価値がある記録の性質を持つこと。第二に、都市のヒートアイランドと地球規模の気候変動はどちらも開花期を早める方向に働くとされ、両者を一地点の記録だけで切り分けることは難しく、単年の印象で気候変動を語ることには慎重さが必要であること。第三に、気象庁が観測対象を絞り込んできた経緯や、二十四節気・七十二候といった伝統的な季節区分との比較は、何を観測の対象に選ぶかという判断そのものが、その時代の環境や社会の条件によって変わりうることを示していることである。
本稿にはいくつかの限界がある。第9節で述べたとおり、個体差や剪定などの管理という要因は、気候の影響と混ざり合うため、公園の樹木の観測結果を単純に気候の指標として読み解くことには注意が必要である。また、本稿は文献整理と概念分析にとどまり、磐田市の公園について実際の生物季節データを一切示していない。これは、当サイトの現地踏査がまだ始まったばかりであり、複数年にわたる継続観測なしに開花や紅葉の時期を記載すれば、それは観測ではなく憶測になってしまうと判断したためである。
11.1 今後の課題
今後の課題は大きく三つある。第一に、当サイトの現地踏査において、第10節で挙げた豊田熊野記念公園の藤や、つつじ公園の名称の由来となった植物の現況を確認し、定点観測の候補として記録に残すことである。第二に、公園の管理を担う主体が持つ剪定などの作業記録と、観測される開花や紅葉の時期とを突き合わせる仕組みを検討することである。第三に、9地区にまたがる複数の公園で同じ方法による記録を継続できれば、都市化の程度が異なる地点間の比較という、本稿が理論上の可能性としてのみ示した論点を、実際のデータに基づいて検証できるようになる。
生物季節の記録は、一年や二年で完成するものではない。マーシャム家の記録が意味を持ったのは18世紀から続いたからであり、京都の桜の開花史が注目されるのは千年を超える古記録の蓄積があったからである。磐田市の公園について、そうした長期の記録をどう始め、どう引き継いでいくかという問いに、本稿は答えを出していない。むしろ、その問いに答えるための前提となる考え方を整理したにとどまる。今後の踏査と記録の積み重ねを通じて、この問いに一歩ずつ近づいていくことが、当サイトに残された課題である。
当サイト(ATAWI PARK)は磐田市の都市公園100園を対象とするデータベースであり、運営を担う富士ヶ丘サービス株式会社のもとで、今後の踏査を通じて情報を継続的に積み重ねていく性格の事業である。生物季節の記録が本来必要とする「長く続けられる主体」という条件と、当サイトのように継続的な更新を前提とするデータベースという性格は、方向性としてかみ合う部分がある。もっとも、それは可能性の指摘にとどまり、実際に何年にもわたる記録を実現できるかどうかは、これからの運営と踏査の積み重ねにかかっている。本稿はあくまで、その出発点となる考え方の整理として位置づけられるべきものである。
最後に強調しておきたいのは、生物季節の記録が持つ価値は、派手さとは無縁のところにあるという点である。一年ごとの記録それ自体は、桜が咲いた、紅葉が始まったという、ごくありふれた事実の書き留めにすぎない。その一つひとつは目立たなくとも、同じ場所で同じ方法によって根気強く積み重ねられたとき、初めて気候という大きな現象を映す資料に育つ。本稿が整理してきたマーシャム家の記録も、気象庁の観測も、京都の古記録も、いずれもこの地味な積み重ねの上に成り立っている。磐田市の公園における記録も、もし始めるのであれば、同じ根気を要する営みになるはずである。
参考文献
- カール・フォン・リンネ(1751)『Philosophia Botanica』(第331項に花時計=Horologium Florae の記述)
- ロバート・マーシャム家(1736年〜)「Indications of Spring」(イギリス・ノーフォークでの毎年の観測記録)
- アルド・レオポルド(1949)『A Sand County Almanac』(邦題『野生のうたが聞こえる』新島義昭訳、講談社学術文庫)
- N・V・ブラッドレー、A・C・レオポルド、J・ロス、W・ハフェイカー(1999)「Phenological changes reflect climate change in Wisconsin」Proceedings of the National Academy of Sciences, 96
- 青野靖之、数値経子(2008)「Phenological data series of cherry tree flowering in Kyoto, Japan, and its application to reconstruction of springtime temperatures since the 9th century」International Journal of Climatology, 28
- カミーユ・パーメザン、ゲイリー・ヨーエ(2003)「A globally coherent fingerprint of climate change impacts across natural systems」Nature, 421
- アネッテ・メンツェルほか(2006)「European phenological response to climate change matches the warming pattern」Global Change Biology, 12
- 気象庁「生物季節観測」の解説ページ(生物季節観測の目的・方法・変遷)
- 国立天文台 編『理科年表』(丸善出版、二十四節気・七十二候の解説)
- 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書 第2作業部会報告書(生物季節の変化を気候変動の指標として言及)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)・都市公園法施行令(国土交通省 都市公園のページ)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。