自然科学・環境炭素固定
木は炭素をためるか——樹木のバイオマスと都市緑地の炭素収支
要旨
本稿の目的は、都市の公園に生える樹木がどれほど二酸化炭素を固定し、体内にためているのかという問いを、炭素循環の基礎概念を用いて冷静に検討することである。方法は文献整理と概念分析であり、光合成による炭素の固定、呼吸と分解による炭素の放出、樹木という「バイオマスのプール」と土壌という「土壌炭素のプール」の違い、そして一時点の蓄積量である「ストック」と単位期間あたりの増減量である「フロー」の違いという、炭素循環の基本的な語彙を都市公園の樹木という対象に当てはめる。
検討の結果、次の点が示される。第一に、樹木は光合成によって大気中の二酸化炭素を炭素として固定し、成長に伴って幹・枝・葉・根というバイオマスに蓄えるが、同時に呼吸によって炭素の一部を絶えず大気へ返しており、正味の吸収量は「総生産から呼吸を差し引いた」純生産量として捉える必要がある。第二に、若い木は単位時間あたりの吸収量(フロー)が大きい一方、蓄積量(ストック)そのものは幹の太い成木の方が大きいという、吸収の速さと貯留の量は別の指標であるという点。第三に、植栽に使う資材の製造や維持管理に使う機械の燃料、剪定枝の処理といった過程にも炭素の出入りがあり、樹木一本の収支だけを見ていては公園全体の炭素収支を語れないという点である。
最後に、樹木を伐採すればそれまで蓄えていた炭素は分解や燃焼を通じて大気へ戻りうるため、樹木による炭素の貯留は永続的な「相殺」ではなく、時間の経過とともに変化しうるプロセスとして扱うべきであることを述べる。都市の緑地を気候変動対策の相殺根拠として過大に評価しない態度の必要性を示したうえで、磐田市の公園100園への示唆として、街区公園から総合公園までの緑の量的な広がりと、当サイトには樹種・樹齢のデータがなく現地踏査もこれからである、という限界を正直に述べる。
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1. はじめに——問題の所在
公園の樹木は、しばしば「環境によいもの」の象徴として語られる。緑があれば空気がきれいになる、木を植えれば地球温暖化対策になる、といった言い方は広く流通している。しかし、樹木が具体的にどのような仕組みで大気中の二酸化炭素と関わり、それがどの程度の意味を持つのかは、案外きちんと説明されていない。当サイト(ATAWI PARK)が扱う磐田市の都市公園100園のデータにも、樹木の種類や本数、樹齢についての項目はなく、緑の量を測る手がかりは面積と種別しかない。本稿は、この「木は炭素をためるか」という素朴な問いを、感覚や印象ではなく、炭素循環という自然科学の基礎概念に照らして検討することを目的とする。
鍵となる語は炭素固定である。炭素固定とは、生物が大気中や水中の二酸化炭素を取り込み、体内の有機物という形に変える働きを指す。植物の場合、その主要な経路は光合成であり、太陽の光エネルギーを使って二酸化炭素と水から炭水化物を合成し、酸素を放出する。固定された炭素は、幹・枝・葉・根といった植物の体(バイオマス)に蓄えられ、落葉や根の枯死を通じて土壌にも移っていく。ここで注意すべきは、「固定する」ことと「ためておく」ことは似ているようで別の話だという点である。固定は絶えず起きている出入りの一部であり、ためておくこと(貯留)はその結果として、ある時点で体内に残っている量を指す。この二つを区別しないまま「木は炭素を吸う」とだけ言ってしまうと、どれだけの期間、どれだけの量が、どんな条件のもとで蓄えられているのかという肝心な部分が見えなくなる。
本稿の問いは三つある。第一に、樹木は光合成を通じてどのように炭素を固定し、体内のどこに、どれくらいの期間蓄えるのか。第二に、その固定と貯留の速さや量は、樹木の若さ・大きさ・種類によってどう異なるのか。第三に、植栽や維持管理という人の手が加わる過程を含めて考えたとき、公園の樹木による炭素の収支をどう評価すればよいのか、そしてその評価を地球温暖化対策の相殺(オフセット)の根拠として使うことにはどのような注意が必要か。これらを踏まえ、最後に磐田市の公園100園への示唆を述べる。
1.1 なぜ炭素固定という切り口で公園を論じるのか
公園を論じる視点は数多い。造園学は空間の設計を、都市生態学は生き物の生息場所としての価値を、都市気候学は気温を下げる働きを扱う。炭素固定という切り口が固有に問うのは、公園の緑が地球規模の気候変動という、公園の敷地をはるかに超えた現象とどうつながっているかである。この視点は、公園の価値を「涼しさ」や「潤い」といった体感の言葉から一歩進めて、炭素というものさしで測る試みでもある。同時に、この視点には落とし穴も多い。木を植えれば温暖化が解決するかのような単純化は、樹木一本が固定できる炭素の量が、人間活動全体が排出する量に比べてごくわずかであるという現実を覆い隠しかねない。炭素固定という切り口で公園を論じることは、期待と限界の両方を正しく見積もる作業でもある。
この作業には、もう一つ別の意味もある。近年、企業や自治体が温室効果ガスの排出を相殺する取り組みの一環として、樹木の植栽を掲げる場面が増えているとされる。公園という身近な場所の緑がその文脈で語られるとき、そこで語られている「炭素をためる」という言葉が、どこまで裏づけのある話で、どこから期待や比喩が混じっているのかを、読者自身が見分けられるようになることも、本稿のねらいの一つである。
1.2 方法と構成
方法は文献整理と概念分析である。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が定める温室効果ガス目録のための指針、都市樹木の炭素貯留を扱った林学・都市林学の研究、そしてオダムの生態学の教科書が示す生態系の物質循環の基本的な考え方を参照し、その概念を都市公園の樹木という対象に当てはめる。本稿は独自の樹木調査や炭素量の測定に基づくものではない。当サイトのデータには樹種・樹齢・本数の情報がなく、現地踏査もこれから始まる段階である。したがって本稿で述べる樹木と炭素の関係は、文献にもとづく一般的な仕組みの整理であり、磐田市の個々の公園にどの程度あてはまるかは、今後の踏査で確かめるべき論点として明示していく。
構成は次のとおりである。第2節で炭素循環の基礎概念と、フロー(速度)とストック(蓄積量)の違いを整理する。第3節で光合成による炭素固定と樹木の成長の関係を、第4節で呼吸・分解・伐採という炭素が放出される経路を検討する。第5節で若木と成木の吸収速度と貯留量の違いを比較し、第6節で植栽・維持管理という人の手が加わる過程を含めた収支の考え方を導入する。第7節で反論——公園の緑地に温暖化対策としての意味はあるのか、カーボンオフセットの根拠にできるのか——に応答し、第8節で磐田市の公園100園への示唆を述べる。第9節では樹木と芝生・生垣・花壇という他の緑との違いを比較し、第10節で結論と今後の課題を示す。専門用語は初出のたびに説明する。
2. 先行研究と概念の整理——炭素循環の基礎
炭素循環という考え方を生態学の教科書として広く定着させたのは、アメリカの生態学者ユージン・P・オダムが1953年に著した『Fundamentals of Ecology(生態学の基礎)』である。オダムは生態系を、生物とそれを取り巻く環境とのあいだでエネルギーと物質が絶えず出入りする一つのまとまりとして描き、炭素・窒素・水といった物質が生物と非生物のあいだを循環する様子を体系的に示した。この考え方のもとでは、森林や公園の緑地も、大気・土壌・生物のあいだで炭素が出入りする一つの「場」として捉えられる。炭素は固定の形も放出の形も一様ではなく、複数の経路と、複数の「たまり場(プール)」を経由する。この節では、その基本的な語彙を整理する。
2.1 総生産・呼吸・純生産
植物が光合成によって固定する炭素の総量を総一次生産と呼ぶ。しかし植物は同時に呼吸によってエネルギーを得ており、その過程で固定した炭素の一部を二酸化炭素として大気に返している。総一次生産から植物自身の呼吸による放出分を差し引いた残りが純一次生産であり、これが実際に樹体の成長や繁殖に使われる、いわば「手取り」の炭素量にあたる。さらに、落葉や枯死根を分解する微生物や土壌動物もまた呼吸によって炭素を放出するため、これらを含めた生態系全体の収支は純生態系生産と呼ばれ、これがプラスであれば、その場所は大気から炭素を正味で吸収していることになる。一本の木、一つの公園について「炭素を吸っている」と言うとき、実際にはこの三段階のどの水準の話をしているのかを区別する必要がある。
2.2 バイオマスのプールと土壌炭素のプール
固定された炭素が行き着く先は一様ではない。樹木の幹・枝・葉・根という体そのものに蓄えられる炭素をバイオマス炭素と呼び、落葉や枯死根が分解されて土壌の有機物として残る炭素を土壌炭素と呼ぶ。ポストとクォンが2000年の論文「Soil carbon sequestration and land-use change」で整理したように、土壌炭素のプールは地球全体で見ても、地上のバイオマスに匹敵するかそれ以上の規模を持つと考えられており、樹木そのものだけでなく、その下の土壌にも炭素が蓄えられていく過程を無視できない。都市公園の場合、芝生や花壇の下の土壌、樹林の下の落葉層もまた、目に見えにくい炭素のたまり場である。ただし土壌炭素は造成や踏圧、除草といった人為的な攪乱によって失われやすいという性質もあり、樹木のバイオマスとは異なる時間の尺度で増減する。
| 概念 | 意味 | 公園でいえば |
|---|---|---|
| ストック(貯留量) | ある時点で蓄えられている炭素の総量 | 今そこに立つ木や土壌に蓄えられた炭素 |
| フロー(吸収・放出速度) | 単位期間あたりに出入りする炭素の量 | この一年で木が新たに固定した炭素、あるいは分解で失った炭素 |
| バイオマス炭素 | 生物の体そのものに蓄えられる炭素 | 幹・枝・葉・根に蓄えられた炭素 |
| 土壌炭素 | 分解された有機物として土壌に残る炭素 | 落葉層や土の中の有機物に含まれる炭素 |
この区別を踏まえると、「木は炭素をためるか」という問いには、少なくとも二つの水準の答えがあることがわかる。一つは、その木が今どれだけの炭素をバイオマスとして体に蓄えているかというストックの水準であり、もう一つは、その木が今この一年でどれだけの炭素を新たに固定したかというフローの水準である。前者は成木ほど大きく、後者は成長の盛んな時期ほど大きいというように、両者は必ずしも同じ木において同時に最大になるわけではない。この違いは第5節で若木と成木を比較する際に改めて論じる。
2.3 国際的な計算の枠組み
各国が温室効果ガスの排出量を報告する際、森林や緑地による吸収量をどう数えるかという実務的な課題も、この概念整理と無縁ではない。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は2006年に『国別温室効果ガス目録のためのガイドライン』の中で、農業・林業・その他土地利用(AFOLUと略される分野)について、バイオマスの変化や土壌炭素の変化を計算する標準的な方法を示している。1997年の京都議定書、2015年のパリ協定という気候変動枠組条約のもとでの国際合意は、いずれも森林等による吸収量を各国の目標達成の計算に含める仕組みを持ってきた。この国際的な会計の枠組みは国や広域の森林を主な対象としており、都市の公園一本一本の木にそのまま当てはめられるものではないが、「固定した炭素をどう数えるか」という考え方の土台を共有している点で、本稿の議論の背景として押さえておく必要がある。
2.4 都市の緑地という特殊な対象
国レベルの会計の枠組みが主に想定するのは、まとまった面積を持つ森林である。これに対し、都市の公園は、街区公園のように0.25ha程度の広さしか持たない小さな緑地が住宅地の中に点在しているものが多く、周囲を道路や建物に囲まれた、いわば飛び地のような緑である。こうした緑地は、一つ一つの面積が小さいだけでなく、樹木の種類や配置も公園ごとにまちまちであり、森林のように均質なまとまりとして扱うことが難しい。加えて、都市公園には遊具や広場、駐車場といった、樹木以外の用途に使われる面積も含まれており、公園の総面積がそのまま緑の面積、ましてや樹木の面積を意味するわけではない。国際的な会計の枠組みで用いられる考え方を都市の公園に適用しようとするなら、こうした都市緑地に特有の断片性や用途の混在をあらかじめ踏まえておく必要がある。
3. 樹木はどのように炭素をためるのか——光合成と成長
樹木が炭素を固定する出発点は、葉における光合成である。葉の中の葉緑体は、太陽の光エネルギーを使って、気孔から取り込んだ二酸化炭素と根から吸い上げた水を材料に、糖という有機物を合成し、副産物として酸素を放出する。この糖はその場で使われるだけでなく、幹を通じて木全体に運ばれ、細胞壁の材料であるセルロースやリグニンといった、より複雑で分解されにくい物質に姿を変えていく。年輪として知られる幹の成長は、まさにこの過程の目に見える記録であり、一年ごとに新しく形成される木部の層には、その年に固定された炭素が形を変えて閉じ込められている。樹木が「炭素をためる」というとき、その最も具体的な現れが、この年々厚みを増していく幹という構造物なのである。
光合成の速さは一様ではなく、いくつかの条件に左右される。まず光の量であり、日陰に置かれた葉は光合成の材料となるエネルギーが不足し、固定できる炭素の量も少なくなる。次に水であり、乾燥した環境では気孔を閉じて水分の蒸散を抑えるため、同時に二酸化炭素の取り込みも制限される。さらに葉の総面積、いわゆる葉量も重要であり、同じ樹種であっても、葉を大きく茂らせた木の方が、光合成を行う「工場」の延べ床面積が広いぶん、固定できる炭素の総量は大きくなりやすい。都市の公園に置かれた樹木は、周囲の建物による日陰、舗装による地表面からの照り返しや乾燥、限られた植栽基盤の広さといった、森林の中の木とは異なる制約のもとで育っており、これらの条件がその木の光合成の力をどう左右しているかは、木を見ただけではわからない。
3.1 樹種による違い
樹種によって成長の速さ、ひいては炭素を固定する速さにも違いがあるとされる。一般に、成長が早く材質の軽い樹種は、若いうちの体積の増え方が大きく、単位時間あたりの炭素固定量(フロー)が大きくなりやすい一方、材が軽いぶん同じ体積あたりに含まれる炭素の量は少なくなる傾向がある。逆に、成長は緩やかでも材が緻密で重い樹種は、長い年月をかけて多くの炭素を体内に蓄えていくことになる。落葉樹と常緑樹の違いも見過ごせない。落葉樹は葉を落とす時期があるため、その期間は光合成をほとんど行わないのに対し、常緑樹は一年を通じて緑の葉を保つ。ただし常緑樹であっても古い葉は徐々に入れ替わっており、葉の寿命そのものが光合成による炭素固定の総量に影響する。当サイトのデータには公園ごとの樹種の情報がなく、磐田市の公園にどの樹種がどれだけ植えられているかは、現時点では踏査による確認を待つほかない。
3.2 地上部と地下部
樹木が固定した炭素は、目に見える幹や枝、葉といった地上部だけでなく、土の中に広がる根という地下部にも配分される。根は水や養分を吸収するための器官であると同時に、それ自体が炭素を蓄えるバイオマスでもある。一般に、若い木ほど根への配分が相対的に大きく、成木になるにつれて幹への配分が優勢になっていくとされる。地下部の炭素は目視で確認できないため、公園の樹木がどれだけの炭素を地下に蓄えているかは、地上から見た木の大きさだけでは判断がつかない。この見えない部分の存在は、樹木の炭素貯留を語る際に、幹の太さだけを基準にすることの限界を示している。
3.3 都市という環境の制約
都市に植えられた樹木は、森林の中で育つ木とは異なる制約のもとに置かれている。舗装に囲まれた植栽ますは、根が伸びられる土の体積そのものを制限し、根が浅く狭い範囲にしか広がれない木は、水分や養分の吸収にも不利になりやすいとされる。アスファルトやコンクリートに囲まれた地表は日中に高温になりやすく、その照り返しは葉の温度を上げ、光合成の効率を下げる方向に働くこともあるとされる。加えて、大気汚染物質や、除雪のために撒かれる融雪剤・凍結防止剤が土壌に入り込むことも、都市の樹木に特有の負荷として挙げられる。これらの制約は、都市の公園に植えられた樹木が、同じ樹種であっても森林の木ほどの成長を示すとは限らないことを示唆しており、公園の緑を炭素固定の観点から評価する際には、単純に樹種と大きさだけで判断せず、都市という生育環境そのものの厳しさも踏まえる必要がある。
4. 貯めた炭素は減ることもある——呼吸・分解・伐採という放出経路
炭素固定の話は、しばしば「木を植えれば炭素が減る」という一方向の物語として語られがちである。しかし第2節で整理したとおり、樹木は光合成で炭素を取り込むと同時に、呼吸によってその一部を絶えず大気へ返している。夜間、光合成が止まっているあいだも呼吸は続いており、木が生きているかぎり、炭素の出入りは常に両方向に開かれている。さらに、木の一部が枯れて落葉や枯枝となったとき、それを分解する菌類や細菌、土壌動物もまた呼吸によって炭素を放出する。分解の速さは気温や湿度、落葉の材質によって異なり、比較的分解されにくい木質の部分は数年から数十年かけて少しずつ大気へ戻っていく。つまり、木が「炭素をためている」とされるあいだも、その裏側では絶えず一定量が放出されており、貯留とは、固定と放出の差し引きがプラスに傾いている状態を指すにすぎない。
この収支がはっきりとマイナスに転じる場面が、伐採である。木を切り倒せば、それまで幹や枝、根に蓄えられていた炭素は、その場に留まり続けるわけではない。木材として使われれば炭素はしばらく建材や家具という形で留まるが、薪や剪定枝のように燃やされれば、蓄えられていた炭素は短時間で二酸化炭素として大気へ戻る。放置されて朽ちるにまかせた場合も、時間の長短はあれ、分解を通じて最終的には大気へ戻っていく経路をたどる。台風による倒木や病虫害による枯死も、人の手による伐採と同じ意味を持つ。つまり、樹木による炭素の貯留は、一度固定すれば永久にそこに留まる「凍結」ではなく、木が生きているあいだ、あるいは伐採後の木材が使われ続けているあいだだけ保たれる、時間軸を持ったプロセスとして理解する必要がある。
4.1 剪定枝の処理という現実的な論点
公園の樹木は森林の木と違い、定期的な剪定や下草刈りという管理を受ける。剪定で切り落とされた枝葉は、その場に堆積させて自然に分解させる場合もあれば、収集して焼却処分やチップ化に回す場合もある。焼却すれば、それまで枝葉に蓄えられていた炭素は速やかに二酸化炭素として放出され、チップ化して他の用途に使えば、放出までの時間は先延ばしになる。剪定という管理行為そのものが、樹木の炭素収支に直接影響する選択の場面であるということは、公園の緑を「植えれば終わり」と捉えない上で押さえておくべき点である。当サイトには磐田市の公園における剪定枝の具体的な処理方法についての情報がなく、この点についても今後の確認を要する。
4.2 攪乱への弱さ
都市の樹木は、渇水や高温、病虫害、強風といった攪乱に対して、森林の木以上に弱い立場に置かれることがあるとされる。舗装に囲まれた限られた植栽基盤は根の広がりを制限し、根が浅く広がれない木は強風で倒れやすくなる。街路や公園の木が寿命を迎える前に何らかの理由で失われた場合、それまで蓄えてきた炭素の貯留効果はそこで終わりを迎える。樹木による炭素固定を長い目で評価するには、植えた木が実際にどれだけの年月、健全に生き続けられるかという、樹木の健康管理そのものへの目配りが欠かせない。
4.3 病虫害という不確実性
病虫害による枯死も、樹木が蓄えてきた炭素をいずれ大気へ戻す経路の一つである。特定の病原菌や食害する昆虫が広がれば、健全に育っていた木が数年のうちに衰弱し、最終的に枯れて伐採を余儀なくされることがある。どの樹種がどのような病虫害にかかりやすいかは専門的な樹木医学・森林病理学の知見が扱う領域であり、本稿がその詳細に立ち入ることはできない。ここで確認しておきたいのは、樹木による炭素の貯留は、植えた時点で将来にわたって保証されるものではなく、病虫害という予測しづらい要因によっても損なわれうる、不確実性を伴う過程だという点である。樹木の健康状態を定期的に点検し、早期に異常を見つけることは、景観や安全のためだけでなく、それまで蓄えられてきた炭素をできるだけ長く保つという観点からも意味を持つと考えられる。
5. 若木と成木、どちらがよく吸うのか——吸収速度と貯留量の違い
「木を植えるなら若い木がよいのか、大きく育った木を守る方がよいのか」という問いは、公園の緑地管理を考えるうえで避けて通れない。この問いに答えるには、第2節で整理したフロー(単位期間あたりの固定量)とストック(ある時点での貯留量)という二つの指標を、あらためて樹齢という軸に沿って見直す必要がある。植えたばかりの若木は、体全体に占める葉の割合が高く、光合成に使うエネルギーの多くを新しい枝葉や幹の成長に振り向けることができるため、体のサイズに対する相対的な成長速度は速いとされる。他方で、若木の体そのものが小さいため、蓄えている炭素の絶対量、つまりストックはまだわずかである。
一方、幹の太い成木は、体全体に占める葉の割合が若木より小さくなる傾向があるものの、幹や枝の総体積そのものが大きいため、蓄えている炭素の絶対量(ストック)は若木をはるかに上回る。かつては、木は年老いるにつれて成長が鈍り、固定できる炭素の量そのものも頭打ちになると考えられていた時期があった。しかしステファンソンらが2014年に発表した研究「Rate of tree carbon accumulation increases continuously with tree size」は、多くの樹種において、木のサイズが大きくなるほど一年あたりに固定する炭素の絶対量はむしろ増え続ける傾向があることを示した。これは、幹が太くなるにつれて表面積、すなわち新しい木部を形成できる面積そのものが広がるためだと説明される。この知見は、「若い木の方が勢いよく吸う」という単純な直感と、「大きな古木ほど一年に蓄える絶対量は大きい」という別の見方が、実は両立しうることを示している。
5.1 何を優先するかは目的による
この整理から導かれる実務的な含意は、「炭素固定のためには若木と成木のどちらを優先すべきか」という問いに単一の正解はない、ということである。短期間に多くの本数を植えて緑を素早く広げたい場合には、成長の速い若木を数多く植えることに意味がある。他方、すでに大きく育った成木は、それ自体が長い年月をかけて蓄えてきた炭素のストックを体現しており、それを伐採することは、若木を新たに植えることでは短期的には埋め合わせられない量の炭素を一度に放出することを意味する。既存の成木を守ることと、新しく若木を植えることは、炭素固定という観点から見れば対立する選択ではなく、それぞれ異なる時間軸で効果を発揮する、補い合う関係にあるといえる。
5.2 樹齢という情報の欠如
こうした議論を磐田市の公園に当てはめようとすると、大きな制約に突き当たる。当サイトのデータには、公園ごとの樹木の樹齢や本数、樹種についての情報がなく、市のオープンデータや施設ガイドの記載も、面積や設備の有無を中心としたものである。ある公園の緑が若木の集まりなのか、長年育ってきた成木を含むのかは、現時点では見た目の印象以上のことは言えない。この情報の欠如は、炭素固定という観点から公園の緑を評価しようとするときの、最も基本的で埋めがたい制約として、本稿を通じて繰り返し確認しておく必要がある。
5.3 混みあった植栽と間引き
若木と成木の吸収速度を比べる議論には、もう一つ見落とされがちな要素がある。それは、周囲にどれだけ他の樹木が密集しているかという、植栽の混み具合である。近い間隔で植えられた若木どうしは、光や水、土中の養分をめぐって競争し合う関係になり、一本あたりの成長速度は、同じ樹種でも間隔をあけて植えられた場合より遅くなりやすいとされる。林業や公園緑地の管理では、密に植えた若木の一部を間引く間引き(間伐)という作業を行うことで、残った木がより多くの光や養分を得て育ちやすくなるように調整することがある。間引かれた木は失われるが、残った木の一本あたりの成長が促されるため、林分あるいは公園全体で見たときの炭素固定の総量が必ずしも減るとは限らない、という考え方も成り立つ。この論点は、樹木一本ではなく、公園という集合単位で炭素固定を考える際に無視できない要素である。
6. 植栽・維持管理を含めた収支——「植えれば終わり」ではない
ここまでは、樹木一本を単位として、光合成による固定と、呼吸・分解・伐採による放出という、生物としての樹木の内側で起きている炭素の出入りを見てきた。しかし、公園の樹木は森の中に自生する木とは違い、人の手によって植えられ、その後も継続的に管理される存在である。苗木を育てる苗畑での栽培、植栽地までの運搬、支柱や客土といった植栽資材の製造、そして植えたあとの灌水・施肥・除草・剪定という一連の維持管理には、いずれも何らかの形でエネルギーが使われており、そのエネルギーの多くは燃料の燃焼を経由する。樹木そのものが固定する炭素だけを数えて「この公園は炭素を吸収している」と結論づけることは、植栽と管理という過程で生じている放出を見落とした、片手落ちの計算になりかねない。
苗木が生産され、公園に植えられるまでの過程を考えてみる。苗畑で数年かけて育てられた苗木は、トラックで植栽地まで運ばれる。支柱や結束材、植栽基盤を整えるための土壌改良材といった資材も、それぞれ製造や輸送の過程でエネルギーを使っている。植えたあとも、根付くまでの灌水には水を汲み上げる動力が必要になる場合があり、芝生や下草の管理には刈払機や芝刈り機といった燃料式の機械がしばしば使われる。落葉や剪定枝の収集・運搬にもトラックが使われることが多い。これらは個々に見れば小さな量かもしれないが、樹木一本が一年間に固定する炭素の量と比べたとき、決して無視してよいほど小さいとは限らない。
6.1 緑地の管理に伴う排出という論点
都市の公園という緑地は、放置された自然林とは異なり、継続的な管理があって初めて安全で快適な空間として維持される。しかし、その管理そのものが炭素の放出を伴う場面は多い。芝生の刈り込みを定期的に行う公園では、燃料式の芝刈り機が使われることが一般的であり、その稼働のたびに燃料が燃やされる。冬季の落葉掃除、夏季の除草、台風後の倒木処理といった作業も、多くは燃料を使う機械や車両を伴う。これらの排出は、樹木一本ごとの光合成や呼吸のように生物学的な過程ではなく、公園という施設を維持する人間の活動に伴う過程であり、樹木の炭素固定とは別の帳簿に記録されるべき性質のものである。しかし、公園全体としての正味の炭素収支を考えるのであれば、この二つの帳簿を合わせて見る必要がある。
遊具やベンチ、トイレといった公園施設そのものの建設・補修に使われる資材にも、製造や運搬の過程で炭素の出入りがある。鋼材やコンクリートといった資材は、製造時に多くのエネルギーを要することが知られており、木製の遊具であっても、加工や防腐処理、輸送の過程でエネルギーが使われる。こうした施設整備に伴う炭素の出入りは、樹木という生き物の炭素固定とは性質の異なる話ではあるが、公園という空間全体を一つの単位として炭素の出入りを考えるのであれば、視野の外に置いたままにはできない要素である。
6.2 差し引きで見る収支という考え方
第2節で整理した純生態系生産という考え方をここに重ね合わせると、公園全体の炭素収支は、樹木や下草による総一次生産から、樹木自身の呼吸、落葉や剪定枝の分解、そして植栽・維持管理に伴う燃料や資材由来の排出を差し引いた、正味の値として捉えるのが筋である。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2006年のガイドラインで示す会計の枠組みは、こうした差し引きの考え方を国や広域の森林・土地利用の単位で行うためのものであり、都市の公園一つひとつについて同様の計算を行うことは、想定されている用途の外にある。当サイトには、磐田市の各公園における維持管理の具体的な方法や頻度、使用する機械の種類についての情報がなく、この差し引きの計算を実際に行うことはできない。ここで示せるのは、樹木の固定量だけを見て公園の炭素収支を語ることの限界であり、その限界を踏まえた慎重な言い方の必要性である。
| 過程 | 炭素の動き | 備考 |
|---|---|---|
| 光合成 | 固定 | 葉が大気中の二酸化炭素を取り込む |
| 呼吸 | 放出 | 昼夜を問わず絶えず起こる |
| 落葉・枯死根の分解 | 放出 | 菌類・土壌動物の呼吸を通じて |
| 苗木の生産・運搬 | 放出 | 燃料の燃焼・資材の製造に伴う |
| 灌水・剪定などの管理 | 放出 | 機械の燃料などに伴う |
| 伐採後の焼却 | 放出 | 短時間で大気に戻る |
| 伐採後の木材利用 | 一時的に保持 | 建材・家具として使われている間 |
この表が示すように、樹木にまつわる炭素の動きは「固定」と「放出」の両方に多くの過程を含んでおり、しかもそれぞれの過程は速さも規模も一様ではない。公園の緑を語るとき、しばしば光合成による固定という最初の一行だけが強調されがちだが、正味の収支を論じるには、その下に並ぶ複数の放出の過程を同時に見る必要がある。この視点は、次節で扱う「都市緑地は温暖化対策の相殺根拠になるか」という問いに直接つながっていく。
7. 反論への応答——都市緑地はカーボンオフセットの根拠になるのか
ここまでの整理に対しては、当然、いくつかの反論が想定される。一つは、「樹木一本の話にこだわりすぎて、公園の緑地が温暖化対策として持つ意味を過小評価しているのではないか」という反論である。もう一つは逆に、「木を植えれば地球温暖化対策になるという言い方自体が、そもそも成り立たない誇張ではないか」という反論である。本節では、この二つの立場のあいだで、どのような態度が妥当かを検討する。
7.1 量の少なさをどう考えるか
ノワクとクレーンによる2002年の研究、およびノワクらによる2013年の研究は、いずれもアメリカ合衆国の都市樹木全体を対象に、その炭素貯留・固定の規模を都市単位で推計する試みである。これらの研究は、都市の樹木がゼロではない量の炭素を確かに蓄えていることを示す一方で、その規模を都市や国全体の温室効果ガス排出量と並べて見る視点も同時に必要であることを論じている。個々の樹木、あるいは一つの公園が固定する炭素の量は、人間の生産活動やエネルギー消費全体が排出する量と比べれば、桁の違う小さな量にとどまるとされる。この量的な非対称性を踏まえずに「公園に木を植えたので温暖化対策をした」と言い切ることは、問題の規模を見誤らせる危うさを持つ。他方で、量が小さいことは、その働きがゼロであることを意味しない。小さくとも確かに存在する働きを、実態以上に大きく見せることも、実態以下に切り捨てることも、どちらも正確な理解からは遠ざかる。
7.2 相殺(オフセット)の根拠として使うことの注意点
1997年の京都議定書、2015年のパリ協定という気候変動枠組条約のもとでの国際合意は、森林等による吸収量を各国の削減目標の計算に含める仕組みを持ってきた。この枠組みを都市の公園に類推し、「公園の緑を増やせば、他の場所での排出を相殺(オフセット)できる」という発想で語られることがある。しかし、第4節で述べたとおり、樹木が蓄えた炭素は永久に固定されているわけではなく、伐採・枯死・災害といった要因で放出に転じうる。ある時点で相殺したはずの排出量が、数十年後に樹木が失われることで帳消しになる可能性を、この発想はしばしば見落とす。この、蓄えた炭素がどれだけ長く留まり続けるかという論点は、専門的には永続性の問題と呼ばれる。
加えて、その植栽が本当に気候変動対策として新たに行われたものなのか、それとも景観や日陰づくりといった別の目的ですでに行われていたはずのものなのかを見分けるという論点もあり、これは追加性の問題と呼ばれる。都市公園の樹木の多くは、遊具の日陰づくりや景観、防風といった目的で植えられており、気候変動対策を主目的として植えられたわけではない場合が多いと考えられる。この背景を踏まえずに公園の緑をそのまま相殺の根拠として扱うことには、慎重であるべきだろう。永続性と追加性という二つの論点は、どちらも国際的な森林関連のクレジット制度の議論の中で繰り返し指摘されてきたものであり、都市の公園という小さな単位に当てはめて考える際にも、同じ注意が求められる。
7.3 それでも公園の緑に意味がないわけではない
量が小さいこと、相殺の根拠として単純には使えないことは、公園の樹木に価値がないことを意味しない。都市の樹木は、気温の上昇を和らげる働き、雨水の流出を緩やかにする働き、生き物の生息場所としての働き、そして人が過ごす場所としての心理的な効果など、炭素固定以外にも複数の機能を同時に果たしているとされ、それぞれ都市気候学や都市生態学、環境心理学といった別の学問領域で論じられている。本稿が扱う炭素固定という切り口は、公園の緑が持つ多くの側面のうちの一つにすぎない。したがって本稿の結論は、「公園の緑には温暖化対策としての意味が全くない」という否定でもなければ、「公園に木を植えれば温暖化が解決する」という肯定でもなく、炭素固定という一つのものさしを、その限界とともに正確に理解しておくべきだ、という中庸な立場である。
この中庸な立場は、公園を計画したり手入れしたりする実務の場面にも一定の示唆を持つ。樹木を植える判断の理由を、炭素固定という一つの効果だけに寄せて説明することは、その効果の小ささゆえに、かえって説得力を欠く結果になりかねない。日陰をつくる、風を和らげる、生き物の居場所になる、季節の変化を感じさせるといった、複数の働きを併せて挙げることのほうが、樹木を植え、育てていくことの意味を、実態に即して語ることにつながるだろう。
8. 磐田市の公園への示唆——100園のちがいと、データの限界
ここまでの整理を、当サイト(ATAWI PARK)が扱う磐田市の都市公園100園に当てはめて考えてみたい。当サイトのデータは磐田市オープンデータ「都市公園一覧」94行と、市施設ガイドのみに掲載のある6園を合わせたものであり、園名・地区・種別(都市公園法上の分類)・面積・トイレや砂場・遊具の有無といった項目を持つが、樹木の種類や本数、樹齢についての情報は含まれていない。したがって、磐田市の公園がどれだけの炭素を固定しているかを具体的な数値で示すことは、本稿の立場からはできない。できるのは、種別や面積という手元にある情報から、樹木による炭素固定の「余地」がどのように異なりうるかを、控えめに見積もることだけである。
8.1 種別による広さのちがいと樹木の余地
磐田市の100園は、都市公園法上の種別で見ると、街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外(その他)6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園という内訳を持つ。国土交通省が示す種別ごとの標準規模は、街区公園が0.25ha、近隣公園が2ha、地区公園が4ha、総合公園が10〜50ha、運動公園が15〜75haとされ、都市緑地は0.1ha以上とされる一方、風致公園・歴史公園・墓園といった特殊公園には規模の定めがない。この標準規模に照らせば、面積の小さい街区公園や都市緑地は、植栽できる樹木の本数や樹冠の広がりに物理的な制約があり、まとまった樹林としての炭素固定の余地は限られやすい。逆に、総合公園や運動公園、地区公園のように広い面積を持つ種別は、より多くの樹木を植え、育てる物理的な余地を持ちうる。ただし、余地があることと、実際にそこに大きな樹木が植えられ育っているかどうかは別の問いであり、この点は次項で述べる。
| 種別 | 国の標準規模の目安 | 磐田市の該当園数 | 樹木の炭素固定の余地(面積からの目安) |
|---|---|---|---|
| 街区公園 | 0.25ha | 51 | 限られる |
| 近隣公園 | 2ha | 14 | 街区公園よりやや広い |
| 地区公園 | 4ha | 4 | まとまった樹林も可能 |
| 総合公園 | 10〜50ha | 3 | 広い植栽基盤を持ちうる |
| 運動公園 | 15〜75ha | 3 | 施設中心だが緑地部分は広い |
| 都市緑地 | 0.1ha〜 | 10 | 規模の幅が大きく個別差が大きい |
| 風致・歴史・墓園(特殊公園) | 規模の定めなし | 5 | 既存の樹林を含む例がある |
| 広場公園・緑道 | (定めなし) | 4 | 通路状で樹木量は限定的になりやすい |
8.2 面積の大きい公園・小さい公園という手がかり
磐田市の公園の中で面積が大きい例としては、竜洋(地区)の竜洋海洋公園(総合公園、221,722㎡)、見付のかぶと塚公園(総合公園、106,982㎡)、見付のつつじ公園(風致公園、61,937㎡)、向陽の磐田スポーツ交流の里ゆめりあ(運動公園、57,500㎡)、御厨の兎山公園(地区公園、56,193㎡)などが挙げられる。これらは面積の標準規模から見て、樹木による炭素固定の物理的な余地が相対的に大きいと考えられる種別に属する。他方、都市緑地に分類される公園の中には、中泉の二之宮東第2緑地(17㎡)や豊田上新屋ポケットパーク(156㎡)のように、庭先ほどの広さしかない例も含まれており、こうした場所では樹木を植えるとしても本数はごくわずかにとどまらざるを得ない。同じ「都市公園」という言葉でくくられていても、その内実は、まとまった樹林を持ちうる総合公園から、樹木一本を置くのがやっとの小さな緑地まで、非常に幅が広いことがわかる。
8.3 名前や記載からうかがえること、うかがえないこと
市の施設ガイドの記載を見ると、いわたエコパーク(竜洋、風致公園、23,973㎡)や竜洋昆虫自然観察公園(竜洋、風致公園、29,119㎡)のように、名称からして自然観察や生態系との関わりを意識してつくられたとうかがえる公園もある。豊田の熊野記念公園には「熊野の長藤」という記載があり、これは藤という蔓性の植物であって、幹を太らせて育つ樹木とは体のつくりが異なる。緑があるからといって、それがすべて幹の太い高木というわけではなく、蔓や低木、芝生、花壇といった、炭素の蓄え方がそれぞれ異なる植生が混在していることにも注意が必要である。市の施設ガイドに個別ページを持たない公園も少なくなく、こうした園については園内の緑の様子そのものが、当サイトの手元の情報からはうかがい知れない。
地区ごとの分布を見ると、9地区のうち豊田地区が28園、見付地区が21園と、公園の数そのものは地区によって大きく異なる。ただし、これは公園の「数」の分布であって、緑地としての面積や、そこに育つ樹木の量の分布とは必ずしも一致しない。数が多い地区に小さな公園が集まっている場合もあれば、数が少ない地区に大きな公園が一つある場合もあり、地区ごとの炭素固定の余地を園数だけから推し量ることはできない。この点も、面積・種別・園数といった手元の指標をどう組み合わせて読むかという、データの限界を踏まえた慎重さが求められる箇所である。
8.4 遊具や駐車場という非植栽面積の存在
公園の総面積を樹木の炭素固定の余地として単純に読み替えることには、もう一つ注意すべき点がある。それは、公園の面積のすべてが樹木の植栽に使われているわけではないという事実である。市の施設ガイドの記載を見ても、ブランコや滑り台、複合遊具、砂場、トイレ、駐車場といった施設が、多くの公園の面積の一部を占めていることがわかる。今之浦公園(中泉、近隣公園、13,675㎡)のように、屋根付広場や噴水広場、多目的グラウンドといった、樹木を植える余地の少ない施設が公園面積の相当部分を占める例もある。総合公園や運動公園のように面積が大きい種別であっても、野球場やテニスコート、体育館といった施設がその面積の多くを占めていれば、実際に樹木が育つ土地の広さは、公園の総面積から想像するよりも小さいことになる。面積という数字だけから樹木の炭素固定の余地を語ることには、この意味でも慎重さが求められる。
8.5 踏査はこれから——正直に語れる範囲
当サイトの踏査(現地調査)は、2026年8月時点でまだ始まったばかりであり、樹種・樹齢・本数・樹冠の広がりといった、炭素固定を具体的に論じるために必要な情報は、いずれも今後の踏査を通じて確かめていく課題である。本稿で示した種別・面積からの推測は、あくまで手元にある公的データの範囲内での控えめな見積もりであり、実際に磐田市のどの公園がどれだけの炭素を固定しているかを断定するものではない。磐田市都市整備課が公園の管理を所管しており、樹木の管理についても専門的な知見を持つと考えられるが、当サイトが独自にその情報を確認したわけではない。今後、踏査によって樹木の本数や大きさについての記録が蓄積されれば、本稿で示した枠組みに沿って、より具体的な検討が可能になるはずである。
9. 樹木以外の緑との比較——芝生・生垣・花壇の炭素固定
ここまでは主に樹木を対象に論じてきたが、公園の緑は樹木だけで構成されているわけではない。芝生の広場、低木を刈り込んだ生垣、季節の花を植える花壇なども、公園を彩る緑の一部であり、いずれも光合成を行う点では樹木と共通している。しかし、これらの植生は、炭素を固定し、蓄える仕組みという点で樹木とは大きく異なる性質を持つ。本節では、樹木とそれ以外の緑との違いを比較し、「緑があれば炭素をためている」という大づかみな理解を、もう一段細かく見直す。
9.1 木質の有無という決定的な違い
樹木と草本(芝生や花壇の草花)を分ける最大の違いは、幹や太い枝という、セルロースやリグニンに富んだ木質の組織を持つかどうかにある。木質の組織は分解されにくく、何十年、何百年という時間をかけて炭素を体内に留め続けることができる。これに対し、芝生の葉や花壇の草花は、木質をほとんど持たず、多くは一年から数年のうちに枯れて分解される。芝生の場合、地上部の葉は刈り込みのたびに失われ、地下の根や、根が枯れたあとに残る有機物(サッチと呼ばれる層)に多少の炭素が蓄積されるとされるが、幹を太らせていく樹木のように、目に見える形でどんどん炭素をため込んでいく体のつくりにはなっていない。同じ「緑」という言葉でくくられていても、樹木と草本とでは、炭素を蓄える器の大きさそのものが異なるのである。
9.2 芝生の管理という別の論点
芝生は美しく保つために頻繁な刈り込みを必要とし、この刈り込みには燃料式の芝刈り機がしばしば使われる。第6節で見た植栽・維持管理の議論と同じように、芝生の管理そのものが炭素の放出を伴う場面は多い。刈り取られた芝は、その場に残されて分解されれば緩やかに炭素を放出し、収集されて処分されれば別の経路をたどる。土壌の話で言えば、ポストとクォンが2000年の論文で示したように、草地の土壌炭素は、耕作や踏圧といった攪乱によって失われやすい一方、攪乱の少ない状態が長く続けば、時間をかけて土壌中に炭素を蓄えていく側面も持つとされる。芝生を「緑があるから炭素をためている」と単純に評価するのではなく、刈り込みの頻度や土壌の状態まで含めて見る必要があるという点は、樹木の議論と共通する構造を持つ。
9.3 生垣・花壇という中間的な存在
生垣に使われるツツジやカイヅカイブキといった低木は、樹木の一種であり、幹や枝という木質の組織を持つ。ただし、生垣として定期的に刈り込まれる場合、枝葉の伸びる分がそのつど切り取られてしまうため、剪定を受けずに自由に育つ高木ほどには体全体が大きくならず、蓄えられる炭素の絶対量も高木に比べれば小さくなりやすい。花壇の一年草や多年草は、種をまいてから開花し枯れるまでの周期が短く、シーズンごとに植え替えられることも多いため、炭素を長期間ためておく役割よりも、季節の彩りや観賞という役割の方が主であると考えるのが自然である。磐田市の公園の中には、豊田の熊野記念公園にある「熊野の長藤」のように、名の知られた植栽を持つ例もあるが、藤も蔓性の植物であり、幹を太らせて高く育つ高木とは炭素の蓄え方が異なることは、第8節で述べたとおりである。
以上の比較から見えてくるのは、公園の緑を炭素固定という観点で語るとき、「緑の面積」だけでなく「どのような植生か」という中身を区別する必要があるということである。同じ広さの緑地であっても、幹の太い高木がまとまって育つ場所と、芝生や花壇が広がる場所とでは、蓄えられる炭素の量も、その炭素が留まる期間も大きく異なりうる。当サイトの磐田市公園データには、この植生の内訳についての情報がなく、面積や設備の有無からその中身を判断することはできない。この点もまた、今後の踏査によって確かめるべき論点の一つである。
この比較が示すもう一つの含意は、公園の緑を炭素固定という一つの物差しだけで序列化することの危うさである。芝生広場は蓄える炭素の絶対量では高木に及ばないとしても、走り回れる開けた空間としての価値や、地面からの照り返しを和らげる働きを持つ。花壇は炭素の貯留という点では役割が小さくとも、季節の変化を感じさせ、公園を訪れる楽しみを支えている。炭素固定という観点から見た優劣を、そのまま緑地全体の価値の優劣と読み替えるのではなく、それぞれの植生が異なる役割を担っているという理解にとどめておくことが、本節の比較から導かれる妥当な結論である。
10. 結論と今後の課題
本稿は、「木は炭素をためるか」という素朴な問いを、炭素循環という自然科学の基礎概念に照らして検討してきた。答えを一言でまとめるなら、「ためる。ただし、その量や期間には条件がある」ということになる。樹木は光合成によって大気中の二酸化炭素を固定し、幹・枝・葉・根というバイオマスに蓄えるが、同時に呼吸によってその一部を絶えず大気に返しており、正味の吸収量は総生産から呼吸を差し引いた純生産として捉える必要がある。落葉や枯死根の分解、そして伐採は、いずれも蓄えられた炭素を大気へ戻す経路であり、樹木による貯留は永久の固定ではなく、木が生きているあいだ保たれる、時間軸を持った過程である。
10.1 本稿で整理した論点
- 炭素固定(光合成による取り込み)と炭素の貯留(体内に残っている量)は別の概念であり、両者を混同すると議論が曖昧になる。
- ストック(ある時点の蓄積量)とフロー(単位期間あたりの増減量)は異なる指標であり、若木はフローで、成木はストックで優れる傾向がある。
- 樹木の炭素固定はバイオマス炭素と土壌炭素という異なるたまり場に分かれ、それぞれ異なる時間の尺度で増減する。
- 呼吸・分解・伐採はいずれも炭素を大気へ戻す経路であり、貯留は永続的な相殺ではない。
- 植栽・維持管理に伴う燃料や資材の製造にも炭素の出入りがあり、樹木単体の固定量だけでは公園全体の収支を語れない。
- 都市の樹木による炭素固定は、人間活動全体の排出量と比べれば小さい規模にとどまるとされ、永続性・追加性という論点から見てもカーボンオフセットの単純な根拠とすることには注意が要る。
10.2 本稿の限界
本稿は独自の樹木調査や炭素量の測定にもとづくものではなく、文献整理と概念分析によって、都市公園の樹木と炭素循環の関係を一般的に論じたものである。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の会計の枠組みや、ノワクとクレーン、ノワクら、ポストとクォン、ステファンソンらといった研究が示す知見は、いずれも国・広域の森林や、他国の都市を対象にしたものであり、磐田市の公園にそのままの数値を当てはめることはできない。当サイトが持つ磐田市の公園データには、樹種・樹齢・本数・樹冠の広がりといった、炭素固定を具体的に見積もるために不可欠な情報が含まれておらず、この制約は本稿を通じて繰り返し述べてきたとおりである。
10.3 今後の課題
今後の課題として、第一に、当サイトの踏査(現地調査)を通じて、磐田市の公園に生育する樹木の種類・本数・おおよその大きさを記録していくことが挙げられる。これは炭素固定を論じるためだけでなく、日陰の量や景観、生き物の生息場所としての価値など、他の学問領域の論点にも共通して役立つ基礎資料になりうる。第二に、公園の維持管理の実態——剪定枝の処理方法、芝刈りなどの機械の使用状況——についての情報を積み重ねることで、本稿第6節で述べた「差し引きで見る収支」という考え方を、いずれ磐田市の公園に即して具体的に検討できる日が来るかもしれない。
第三に、樹木による炭素固定という切り口は、都市気候学が扱う気温への影響、都市生態学が扱う生き物の生息場所としての価値、環境心理学が扱う心理的な効果といった、公園の緑が持つ他の働きと切り離さずに考えるべきものである。本稿はその中の一つの側面を扱ったにすぎず、公園の緑の全体像は、複数の学問領域を重ね合わせて初めて見えてくるものであることを、最後に確認しておきたい。第四に、本稿で参照した文献の多くはアメリカ合衆国や国際的な枠組みを対象にしたものであり、日本の、とりわけ磐田市のような地方都市の公園にどの程度あてはまる知見なのかという、地域性の検証も残された課題である。気候や土壌、植えられている樹種の傾向は地域によって異なりうるため、本稿の整理をそのまま磐田市の実情の記述として読むのではなく、今後の踏査によって確かめるべき仮説の集合として受け止めていただければ幸いである。
第五に、樹木一本ではなく公園全体、さらには磐田市全域の緑地を合わせた単位で炭素の出入りを考える視点も、長期的には検討に値する。街区公園から総合公園まで100園に散らばる緑を、一つ一つ独立したものとしてではなく、市域全体の緑のまとまりとして捉え直したとき、炭素固定という切り口がどのような像を結ぶのかは、本稿では扱いきれなかった、今後に開かれた問いである。本稿が示した炭素循環の基礎概念とその限界という枠組みが、そうした今後の検討のための出発点として役立てば幸いである。
参考文献
- 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)(2006)『2006 IPCC Guidelines for National Greenhouse Gas Inventories, Volume 4: Agriculture, Forestry and Other Land Use』
- 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)(2021)『第6次評価報告書 第1作業部会報告書(自然科学的根拠)』
- デイビッド・J・ノワク、ダニエル・E・クレイン(2002)「Carbon storage and sequestration by urban trees in the USA」Environmental Pollution, 116(3)
- デイビッド・J・ノワク、ユージン・J・グリーンフィールド、ロバート・E・ホーン、エリック・ラポイント(2013)「Carbon storage and sequestration by trees in urban and community areas of the United States」Environmental Pollution, 178
- ワイリー・M・ポスト、キョンハン・クォン(2000)「Soil carbon sequestration and land-use change: processes and potential」Global Change Biology, 6
- ナサニエル・L・ステファンソンほか(2014)「Rate of tree carbon accumulation increases continuously with tree size」Nature, 507
- ユージン・P・オダム(1953)『Fundamentals of Ecology』(Saunders)
- 気候変動枠組条約第3回締約国会議(1997)「京都議定書」
- 気候変動枠組条約第21回締約国会議(2015)「パリ協定」
- 地球温暖化対策の推進に関する法律(平成10年法律第117号)
- 環境省ほか「地球温暖化対策計画」(令和3年10月22日閣議決定)
- 都市緑地法(昭和48年法律第72号)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市 施設ガイド(公園)
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。