計画・工学地図学
公園の地図をどう描くか——縮尺・一般化・記号がつくる編集された風景
要旨
地図は現実を小さくしたものではない。縮尺を決めた時点で描けるものと描けないものが分かれ、何を残し何を捨てるかという選択——地図学でいう一般化——を経て、はじめて一枚の図になる。公園の地図も例外ではない。園を点で打つか輪郭で描くか、遊具や便所を記号にするか、園名を全部書けるか。これらはすべて表現上の判断であり、判断の集積が読み手の受け取る「この街の公園像」をつくる。
本稿の問いは三つである。第一に、公園を地図に載せるとき、縮尺は何を決めてしまうのか。第二に、記号と図的変数(大きさ・明度・色相など、図形が持ち得る表現の次元)は、公園のどの属性となら結びついてよいのか。第三に、表現の選択が生む誘導に対して、地図をつくる側はどのような責任を負うのか。方法は文献にもとづく概念整理と、公開データにもとづく作図設計の検討である。新たな実測や踏査の結果を報告するものではない。
議論の中心には、ベルタン(1967)の図的変数の体系と、モンモニア(1991)が示した「地図はうそをつかざるを得ない」という命題を置く。地図が省略と強調なしには成立しない以上、問題は誘導があるかないかではなく、誘導が読み手に点検可能な形で開かれているかどうかに移る。凡例・縮尺表示・出典・欠測の明示は、その点検可能性を支える最小限の装置である。
磐田市の公園は100園、面積は最大で221,722平方メートル、最小で17平方メートルと三桁を超える幅を持ち、12の種別と9つの地区に分かれる。この分布は、単一の縮尺・単一の記号体系では描き切れないことを意味する。本稿は縮尺帯ごとに役割を分ける三層の作図設計を提案し、現地踏査がこれからである当サイトにとって、地図が何を保証し何を保証しないのかを明示する必要を論じる。
キーワード地図学縮尺地図の一般化図的変数地図記号図と地編集責任
1. はじめに——問題の所在
公園を探すとき、多くの人はまず地図を見る。紙の市街図でも、画面の中の地図でも、そこには公園らしき緑の面が描かれ、名前が添えられ、ときに遊具や便所の記号が置かれている。その図を見て人は、この街にはこれだけの公園がある、うちの近くにはここがある、と理解する。だが理解の材料になったその図は、街をそのまま小さくしたものではない。描かれたのは、誰かが縮尺を決め、載せるものを選び、形を整え、記号に置き換えた結果である。
地図学(cartography)は、この置き換えの技法と、それが読み手に何を伝えるかを扱う学問である。測量が位置を得る技術、地理情報システムが位置を計算する技術だとすれば、地図学はそれを人間の目に渡す段階を受け持つ。渡し方には必ず選択が伴う。同じ座標データからでも、縮尺・記号・色・注記の決め方しだいで、まったく印象の違う図ができる。本稿はその選択を、公園という対象に即して分解する。
1.1 本稿の問い
問いは三つに整理できる。第一に、縮尺は何を決めてしまうのか。縮尺は単なる倍率ではなく、描ける最小のものの大きさと、一枚に入る情報量の上限を同時に決める制約である。第二に、公園の属性——種別・面積・設備の有無・地区——は、地図上のどの表現次元に載せてよいのか。大きさで表してよいもの、色相で表してよいものは、属性が持つ性質によって変わる。第三に、選択が読み手を誘導することが避けられないなら、つくる側は何をすれば誠実だといえるのか。
1.2 方法と、本稿がしないこと
方法は文献にもとづく概念整理と、公開されている資料にもとづく作図設計の検討である。地図学の古典が定式化した枠組み——一般化の操作、図的変数、図と地の分離、主題図の分類——を順に取り上げ、それぞれを公園という題材に当てはめる。当てはめた結果として、磐田市の公園100園をどのような縮尺帯・どのような記号体系で描き分けるべきかという設計案を第10節で示す。
本稿がしないことも先に述べておく。第一に、新しい測量や現地調査の報告ではない。当サイトの踏査はこれからであり、地図に載せられる項目のうち現地でしか確かめられないものは、現時点では空欄のままである。第二に、圏域分析や最寄り距離の計算といった空間解析の手続きは扱わない。それは別稿の主題であり、本稿は計算結果を「どう見せるか」の側に立つ。第三に、特定の地図製品や規格の記号の是非を論じることもしない。記号体系は地域と目的ごとに異なり、一般論として論じられる範囲にとどめる。
1.3 構成
第2節では地図を一般図と主題図に分け、地図化という行為が選択・分類・記号化の三操作からなることを確認する。第3節は縮尺、第4節は一般化を扱い、小さな公園が地図から消える仕組みを具体的な寸法で示す。第5節は地図記号の性質、第6節はベルタンの図的変数と属性の尺度水準の対応、第7節は図と地の分離と注記の配置を論じる。第8節は主題図、とくに階級区分図の設計を扱う。第9節では表現の選択が生む誘導と、つくる側の編集責任を検討する。第10節を磐田市への適用に充て、第11節で結論と課題を述べる。
註:本稿で「地図」というとき、紙に印刷された図と画面上の図の双方を含む。両者は拡大縮小の自由度が異なるため設計も異なるが、縮尺と一般化の関係、記号と属性の対応という基本の論点は共通である。差異が問題になる箇所では、そのつど区別して述べる。
2. 先行研究と概念の整理——地図は何をしているのか
地図学の議論は、二十世紀半ばに二つの方向へ展開した。一つは、地図を情報伝達の道具とみなし、読みやすさを設計の課題として扱う方向である。ロビンソン(1952)が地図の見え方そのものを主題化して以降、線の太さ、文字の大きさ、色の対比といった要素は、趣味の問題ではなく検証しうる設計変数として論じられるようになった。もう一つは、地図を記号の体系として分析する方向であり、ベルタン(1967)の図的変数論がその代表である。
さらに一九八〇年代以降、地図を社会的な産物として読み解く議論が加わる。ハーレー(1989)は地図を、測量の正確さだけでは評価できないテキストとして扱い、何が描かれ何が描かれなかったかに製作者と発注者の関心が現れると論じた。モンモニア(1991)は同じ主題をより実務的に展開し、地図は必ず省略と強調を伴うのだから、うそをつかない地図というものは存在しない、という挑発的な命題を掲げた。これらは地図を否定するための議論ではなく、読み手と作り手の双方に点検の視点を与えるための議論である。
2.1 一般図と主題図
地図は大きく一般図と主題図に分けられる。一般図は、道路・建物・水面・地形・土地利用といった複数の主題を並列に載せ、位置を確かめる基盤として使われる図である。主題図は、ひとつの主題——たとえば公園の分布、種別、面積——を前面に出し、それ以外を背景に退かせる図である。公園の地図は多くの場合、主題図として設計される。だが読み手はそれを一般図としても使う。どの道を通って行くのか、途中に何があるのかを同じ図から読み取ろうとするからである。
この二重の使われ方が設計を難しくする。主題を強く出せば公園の分布は一目で分かるが、道や川が薄くなって行き方が分からない。基盤を厚く描けば行き方は分かるが、公園が背景に埋もれる。後述する図と地の分離は、この緊張をどう調停するかという問題でもある。
なお、一般図と主題図の区別は程度の問題でもある。道路と建物だけを載せた図も、道路と建物を選んだという点ですでに主題を持つ。純粋な一般図は理論上の極限であって、実在する地図はすべて何らかの主題図だと考えたほうが、設計上の判断は明確になる。
2.2 地図化という行為の三つの操作
現実を地図にする過程は、選択・分類・記号化の三操作に分解できる。選択は、対象のうち何を載せるかを決める操作である。分類は、載せると決めたものをどのような区分にまとめるかを決める操作である。記号化は、各区分にどのような図形・色・大きさを割り当てるかを決める操作である。三つはこの順に効いてくるが、実際の作図では相互に影響し合う。記号が大きくなりすぎるなら分類を粗くする、分類が粗すぎるなら選択を絞る、という往復が生じる。
| 操作 | 決めること | 公園の地図での例 | 誤ると何が起きるか |
|---|---|---|---|
| 選択 | 何を載せ、何を落とすか | 全園を載せるか、遊具のある園に限るか | 載っていない園は存在しないと読まれる |
| 分類 | どの区分にまとめるか | 12の種別をそのまま使うか、大きく三つに束ねるか | 区分の切り方が結論を先取りする |
| 記号化 | 図形・色・大きさの割り当て | 面積を円の大きさで表すか、一律の点で表すか | 属性の性質と表現次元が食い違う |
この三操作は、地図に限らず表や一覧にも共通する。ただし地図には、位置という強い制約が加わる点で違いがある。表であれば行の順序を入れ替えて詰められるが、地図では記号を置く場所が決まっているため、密集した場所では記号どうしがぶつかる。都市部で小さな公園が省かれやすいのは、重要でないからではなく、置く場所が足りないからである。この物理的な制約こそ、次節以降で扱う縮尺と一般化の問題の根にある。
なお、リンチ(1960)が示したように、人が頭の中に持つ街の像は、道・境界・地区・結節点・目印といった要素で構成される。公園はしばしば目印として機能し、地区の名前の由来にもなる。地図を設計するとき、公園を単なる面積のある区画としてではなく、街を理解するための目印として扱うという選択肢があることは、記号の大きさや注記の優先順位を考えるうえで無視できない。
3. 縮尺——倍率ではなく制約である
縮尺は、地図上の長さと現実の長さの比である。二万五千分の一なら、地図上の一ミリメートルが現実の二十五メートルにあたる。分母が小さいほど詳しく描ける図を大縮尺、分母が大きいほど広い範囲を収める図を小縮尺と呼ぶ。日常の語感とは逆になりやすいので、以下では分母の数値で示す。
縮尺の性質でまず押さえるべきは、長さが分母に比例して縮むのに対し、面積は分母の二乗で縮むという点である。縮尺の分母が二倍になれば、同じ公園が地図上で占める面積は四分の一になる。分母が十倍になれば百分の一である。小さな公園が小縮尺の図から消えるのは、この二乗の効き方による。作図者が意図して外したのではなく、置く場所が物理的に残らないのである。
3.1 描ける最小の大きさ
印刷であれ画面であれ、人が図形として認めうる大きさには下限がある。細部の識別限界は媒体と観察条件で変わるが、印刷物では〇・二ミリメートル前後が実用上の下限とされ、それより小さい面は点や汚れと区別がつかなくなる。画面の場合は表示密度に依存するが、指で操作する地図では触れる対象としての下限がさらに大きくなり、数ミリメートルの領域が必要になる。
この下限を磐田市の公園に当てはめると、縮尺の意味がはっきりする。市内で最も小さい二之宮東第2緑地は17平方メートルで、正方形に均せば一辺およそ四メートルである。二万五千分の一では地図上でおよそ〇・一六ミリメートル四方にしかならず、実質的に描けない。一方、最も大きい竜洋海洋公園は221,722平方メートル、一辺およそ四百七十メートルに相当し、同じ縮尺で十九ミリメートル四方の面になる。同一の図に両者を輪郭として載せることは、原理的に不可能である。
| 縮尺(分母) | 地図上1mmが表す距離 | 17平方メートルの緑地 | 街区公園の標準0.25haの園 | 竜洋海洋公園(221,722平方メートル) |
|---|---|---|---|---|
| 2,500 | 2.5m | 約1.6mm四方(かろうじて見える) | 約20mm四方 | 約188mm四方(紙からはみ出す) |
| 10,000 | 10m | 約0.4mm四方(点に近い) | 約5mm四方 | 約47mm四方 |
| 25,000 | 25m | 約0.16mm四方(描けない) | 約2mm四方 | 約19mm四方 |
| 50,000 | 50m | 約0.08mm四方(描けない) | 約1mm四方 | 約9mm四方 |
3.2 縮尺は情報量の上限も決める
縮尺が決めるのは図形の大きさだけではない。一定の紙面に置ける記号と文字の総量も決まる。二万五千分の一の一枚に磐田市の全域を収めるなら、市域を覆う道路・河川・鉄道・集落の表示に大半の面積が使われ、公園に割ける余地は限られる。園名を全部書けるかという問いは、突き詰めれば文字の外形が占める面積の問題である。日本語の注記は、六ポイント程度でも一文字がおよそ二ミリメートル角を要する。八文字の園名なら十六ミリメートル前後の帯が必要で、これは二万五千分の一では現実の四百メートルに相当する幅を占有することになる。
したがって、密に公園が並ぶ地区では、注記どうしが必ず衝突する。衝突を解く手段は三つしかない。文字を小さくする、注記を省く、縮尺を上げる。前二者は情報の削減であり、後者は一枚に収まる範囲の削減である。どれを選んでも失うものがあるという点に、地図設計の本質がある。
3.3 画面の地図では縮尺が固定されない
画面上の地図は、利用者が自由に拡大縮小できる。これは制約の解除に見えるが、実際には制約が動的になっただけである。拡大縮小のたびに、その縮尺で何を出し何を引っ込めるかを決めておかねばならない。段階ごとに表示内容を切り替える設計は、紙の地図における縮尺別の版を、あらかじめ何段も用意することに等しい。
縮尺の表示方法も、紙と画面では変えなければならない。紙の地図に「二万五千分の一」と書けば、それは印刷された図の縮尺を正しく表す。しかし画面の地図で分母を数値で示しても、表示装置の画素の大きさが機種ごとに違う以上、その数値が実際の見え方と一致する保証はない。拡大印刷や画面の複写でも同じ問題が起きる。図の中に長さの目盛りを線分として置いておけば、図が拡大縮小されても目盛りごと変形するため、比の関係は保たれる。縮尺は数値ではなく図形として持たせるほうが頑健である。
しかもこの方式には、紙にはない危うさがある。利用者が今どの段階を見ているのか自覚しにくいため、「表示されていない=存在しない」と誤読されやすい。ある倍率では小さな緑地が消え、別の倍率では現れるという挙動は、地図の側から見れば合理的な一般化だが、探している人から見れば情報の欠落と区別がつかない。段階を切り替えたことを何らかの形で知らせる設計が要る。
4. 一般化——何を省き、何を歪めるか
縮尺を決めると、そのままでは載らないものが必ず出る。載らないものを整理し、載るものを読める形に整える一連の操作を、地図学では一般化(generalization)と呼ぶ。一般化は単なる間引きではない。輪郭を簡単にし、近いものをまとめ、細くて重要なものはあえて太く描き、重なるものは少しずらす。結果として地図は、位置の正確さを部分的に犠牲にしながら、読み取りやすさを得る。
4.1 六つの操作
- 選択——載せる対象を絞る。たとえば遊具のある園だけを表示する。落とされた対象は図の上では存在しないのと同じになる。
- 単純化——輪郭の折れ点を減らす。入り組んだ園地の境界を数本の直線に置き換える。面積はわずかに変わる。
- 統合——近接する複数を一つにまとめる。隣り合う小さな緑地を一つの緑の面として描く。
- 強調——重要だが小さいものを実寸より大きく描く。細い園路を実際より太い線で示すのがこれにあたる。
- 移動——記号どうしの重なりを避けるため位置をずらす。道路記号と公園記号が干渉するとき、公園側を数十メートル分ずらすことがある。
- 記号化——面を点に、線を記号に置き換える。小さな公園を輪郭ではなく一つの点で表すのは、面の記号化である。
このうち、読み手の期待を最も裏切りやすいのは移動と強調である。地図の上で二つのものが接して見えるとき、現実にも接しているとは限らない。逆に、地図の上で離れて見えるものが現実には隣り合っていることもある。地図は位置の正確さを売り物にしているように見えて、可読性のために位置を微調整している。この事実は、経路を測る目的で地図画像から距離を読み取ることの限界を示している。
4.2 面を点にするという決断
公園の地図で最も影響が大きいのは、面を点に置き換えるかどうかである。輪郭を描けば、園の広がり・形・道路への接し方が伝わる。点にすれば、位置だけが伝わり、広さの情報は失われる。ところが点には利点がある。どんなに小さな園でも同じ大きさで表示できるため、小さいがゆえに消えるという事態を避けられる。一覧性を重んじるなら点、実際の広がりを重んじるなら面である。
磐田市の場合、この決断の重みは分布の偏りから来る。豊田地区には28園があるが、そのなかには豊田上新屋ポケットパーク(156平方メートル)、豊田第1緑地(254平方メートル)、豊田森下ポケットパーク(286平方メートル)のように、二万五千分の一では輪郭を持ちえない小規模な緑地が複数含まれる。面で描く方式を採れば、これらは地図上から事実上消える。点で描く方式を採れば残るが、竜洋海洋公園と同じ大きさの点になり、規模の差が消える。どちらかが正しいのではなく、目的によって使い分けるほかない。
4.3 一般化の基準は目的にしかない
どこまで省いてよいかを決める普遍的な規則はない。あるのは目的に照らした妥当性だけである。乳幼児を連れて歩ける範囲を探す人にとっては、砂場や便所の有無、日陰の位置が重要で、園の輪郭の細かさは重要でない。管理の計画を立てる立場では、面積と境界の正確さが重要で、遊具の種類は別の資料で足りる。同じ市の同じ公園群でも、目的が違えば残すべき情報が違う。
したがって、一枚の地図で全員の目的に応えようとする設計は失敗しやすい。よい設計とは、その図が誰のどんな問いに答えるためのものかを先に決め、その問いに要らない情報を思い切って落とすことである。落とした情報が必要な人には、別の縮尺・別の主題の図を用意する。地図を単数ではなく複数として設計するという発想が、ここで要請される。
もう一つ強調しておくべきは、一般化が不可逆だという点である。輪郭を単純化した図から元の輪郭は復元できず、統合された緑地の内訳も、点に置き換えられた園の広さも、図の上には残らない。地図が最終成果物であると同時に、しばしば次の作業の入力にもなることを考えると、これは軽くない問題である。地図画像から面積を測り直したり、記号の位置を座標として読み取ったりする作業は、一般化によって失われた情報を復元したつもりで、実際には一般化の産物を測っている。元データと、そこから作られた図を分けて保存し、図には出典として元データの所在を書き添える。一般化の不可逆性への実務的な対処はこれに尽きる。
註:一般化は自動化しやすい操作と、しにくい操作に分かれる。輪郭の単純化や統合は計算で処理できる部分が大きいが、どの対象を強調し、どの注記を優先するかは、対象の意味を知る人間の判断に依存する。自動処理の結果をそのまま出さず、目視で点検する工程が要るのはこのためである。
5. 地図記号——約束事としての図形
地図記号は、現実の対象と地図上の図形を結ぶ約束事である。約束事である以上、記号そのものに意味はない。意味は凡例によって与えられ、あるいは長年の使用によって慣習として共有される。地図学では記号を、対象の形に似せた図像的な記号、幾何学的な形に意味を割り当てた抽象的な記号、文字や数字をそのまま置く文字的な記号に分けて論じるのが通例である。
図像的な記号は初見でも見当がつく利点がある反面、細部を描き込むため小さくすると潰れる。抽象的な記号は小さくしても形が保たれるが、凡例を見ないと意味が分からない。文字的な記号は誤解が少ないが、場所を取る。三者の選択は、縮尺・記号の密度・読み手の慣れの三つで決まる。公園の地図では、園そのものを抽象的な記号で、園内の設備を図像的な記号で示す組み合わせが取られることが多い。
5.1 記号は覚えられる数しか使えない
記号体系を設計するとき最も軽視されがちなのが、読み手の記憶の負荷である。凡例を一度見れば覚えられる記号の数には限りがあり、種類が増えるほど読み手は凡例と地図の間を往復することになる。往復の回数が増えれば、地図は「見て分かるもの」ではなく「調べて分かるもの」に変質する。記号の種類を絞ることは、情報量を減らすことではなく、読み取り速度を確保することである。
磐田市の公園は、法の種別だけで12に分かれる。街区公園51園、近隣公園14園、都市緑地10園、法対象外6園、地区公園4園、総合公園3園、運動公園3園、風致公園3園、広場公園2園、緑道2園、墓園1園、歴史公園1園である。この12を12種類の記号に割り当てる設計は、記憶の負荷という点で無理がある。上位二種で全体の三分の二を占め、下位の五種は合わせて九園にすぎないという偏りを見れば、束ねるべき方向は明らかである。たとえば、身近な小規模園、地区の中核園、広域の大規模園という三段階に束ねれば、記号は三つで足りる。
5.2 設備の記号——「無い」と「分からない」は別である
園内の設備を記号で示すとき、より深刻な問題が生じる。設備の記号を置くのは「有る」場合だけであり、置かないことが「無い」を意味するのか「確かめていない」を意味するのかが、図の上では区別できないからである。公開データにもとづく表示では、この区別が特に重要になる。データの列が空欄であることには、設備が無い場合と、記録されていない場合と、そもそも調査対象外だった場合が混在しうる。
磐田市のオープンデータでは、便所の有る園が69園、車いす対応の便所が34園、砂場が43園、遊具が64園と集計されている。これらはいずれも公開データの94行の範囲での集計であり、法の対象外として一覧に含まれない6園はこの数に入らない。地図の上でこの差を無視して記号を置けば、6園はすべての設備が無い園として読まれる。凡例に「記号が無いことは設備が無いことを意味しない」と書き添えるだけでも、この誤読はかなり防げる。
5.3 標準化の効用と限界
記号を標準化すれば、複数の地図を横断して読めるようになる。案内標識や施設表示で用いられる図記号の一部は広く普及しており、便所や駐車場のように、凡例を見なくても通じる記号は確かに存在する。だが標準化には限界もある。第一に、記号の意味は文化と時代に依存し、普遍的に通じるわけではない。第二に、標準の記号は最大公約数として設計されるため、地域固有の対象を表せない。第三に、標準に無い対象を表そうとした瞬間、独自の記号を作ることになり、その部分だけ約束事が失われる。
記号にはもう一つ、位置をどこで示すかという設計項目がある。記号の図形のうち、対象の位置を指しているのはどの一点かという基準点の問題である。円であれば中心が自然だが、旗のような形の記号では竿の根元、しずく型では先端というように、形ごとに基準点が異なる。基準点の取り決めが曖昧なまま記号を並べると、同じ座標のはずの対象が図の上でずれて見える。凡例には記号の意味だけでなく、どの点が位置を表すかも示されているのが望ましい。
したがって実務的な指針は、広く通じる記号は借り、それ以外は独自に作りつつ数を絞り、凡例を常に図と同じ画面・同じ紙面に置く、ということになる。凡例が別ページにある地図は、記号の意味を確かめる手間の分だけ、記号の数を減らすべきである。
6. 図的変数——属性は載せてよい次元が決まっている
ベルタン(1967)は、図形が持ちうる表現の次元を洗い出し、それぞれが人間の目にどう働くかを整理した。図形は紙の上の位置という二次元に加え、大きさ・明度・きめ・色相・方向・形という次元を持つ。これらを図的変数(視覚変数)と呼ぶ。設計上の要点は、変数ごとに得意な仕事が違うということである。ある変数は量の多少を伝えるのに向き、別の変数は種類の違いを伝えるのに向く。
他方、載せる側の属性にも性質の区分がある。名義尺度は種類の違いだけを表すもの(公園の種別、地区)、順序尺度は順番はあるが間隔が定まらないもの(充足の度合いの三段階など)、量的尺度は差や比が意味を持つもの(面積、距離)である。図的変数と尺度水準の対応を誤ると、読み手は無い秩序を読み取ったり、ある秩序を見落としたりする。
| 図的変数 | 得意な仕事 | 公園の属性での適用 | 誤用の例 |
|---|---|---|---|
| 位置 | 位置そのもの・関係 | 園の所在 | 位置をずらして密集を解消しすぎる |
| 大きさ | 量の多少(量的) | 面積、利用可能な広さ | 種別の違いを大小で示す |
| 明度 | 順序(順序的) | 設備の充足度の段階 | 無関係な区分を濃淡で示す |
| きめ | 順序・区別 | 地表の性質(芝・土など)の別 | 細かすぎて小さな面で潰れる |
| 色相 | 種類の区別(名義的) | 地区、公園の種別 | 色相で面積の大小を表す |
| 方向 | 区別(限定的) | 動線や斜面の向き | 小さな記号で方向を読ませる |
| 形 | 種類の区別(名義的) | 設備の種類 | 形の種類を増やしすぎる |
6.1 面積を大きさで表すことの限界
面積は量的な属性だから、原則としては記号の大きさで表すのが正しい。だが磐田市の公園に適用すると、すぐに破綻する。最大の竜洋海洋公園は221,722平方メートル、最小の二之宮東第2緑地は17平方メートルで、比はおよそ一万三千倍である。記号の面積を実面積に比例させると、直径の比はその平方根、すなわち約百十四倍になる。最小の円を直径一ミリメートルに取れば、最大の円は直径十一センチメートルを超える。一枚の図としては成立しない。
対処は三つある。第一に、大きさを面積ではなく面積の対数などに対応させる方法。読み取りは容易になるが、比の情報は失われる。第二に、いくつかの階級に区切り、階級ごとに定められた大きさの記号を割り当てる方法。境界の位置が結果を左右するという別の問題を抱えるが、実務では最も安定する。第三に、大きさによる表現を諦め、すべて同じ記号で位置だけを示し、面積は別の図や表に委ねる方法である。
なお、円の大きさで量を示す図では、人は面積の差を実際より小さく見積もる傾向があるとされる。二倍の面積を持つ円が二倍には見えないという現象である。この傾向を補うために記号を実比よりわずかに大きくする調整が行われることがあるが、調整の有無は凡例からは読み取れない。凡例に代表的な大きさの例を複数示しておくことが、最低限の対処になる。
6.2 色相は種類にしか使えない
色相——赤・青・緑といった色味の違い——は、種類の区別に強く、量の多少には弱い。赤が青より多いという直感は存在しないからである。にもかかわらず、量的な情報を虹のような多色で表す図はしばしば作られる。多色は華やかで区別しやすいが、どちらが多いのかを凡例なしに読み取ることはできない。量を示すには、同系色の濃淡(明度)を用いるのが定石である。
当サイトは9つの地区にそれぞれ固有の色を割り当てている。地区は名義尺度だから、色相を使うこと自体は妥当である。ただし、色相だけで区別できる系列の数は七前後が上限とされ、9はその上限に近い。色覚の多様性を考えれば、色相のみに頼らず、地区名の注記や記号の形を併用することが望ましい。色は補助的な手がかりとして働くとき最も有効で、唯一の手がかりとして使われるとき最も脆い。
見落とされがちなのは、位置という変数が他のすべてより強いという事実である。地図では位置が対象によってすでに占められており、作り手が自由に使える変数ではない。表やグラフであれば、値の大きい順に並べ替えるという最も強力な表現手段が使えるが、地図ではそれができない。近いものが近くに描かれるという地図の長所は、同時に、順序を示す手段を一つ失うという短所でもある。だからこそ地図では、残された変数——大きさ・明度・色相・形——の割り当てが、表やグラフ以上に慎重さを要する。地図と一覧を組み合わせて提示する意義も、失われた並べ替えの機能を一覧の側で補える点にある。
註:図的変数のうち大きさと明度は、量や順序を伝えると同時に、図の中で目立つ度合いも左右する。大きく濃い記号は、たとえそれが最重要でなくとも視線を集める。表現の次元は情報の伝達と注意の配分を同時に担っており、両者を切り離して設計することはできない。
7. 図と地——何を浮かせ、何を沈めるか
同じ量の情報を載せた二枚の地図でも、一方は一目で読め、他方は目が滑る。差を生むのは、図と地の分離である。図とは前に浮き出て見える要素、地とは背後に沈んで見える要素をいう。閉じた輪郭を持つ領域、周囲より小さい領域、コントラストの強い領域は図として知覚されやすいとされ、逆に広く均質で淡い領域は地に回る。設計とは、主題を図に、基盤を地に配することにほかならない。
公園の地図で図に置くべきものは、当然ながら公園である。地に置くべきものは、道路・河川・鉄道・行政界といった、位置を確かめるための骨格である。ところが実際の地図では、骨格の方が線が多く色も強いため、放っておくと骨格が図になり公園が地に沈む。基盤地図をそのまま背景にすると起きるのがこの逆転で、公園の主題図のはずが道路図に見えてしまう。
7.1 三層の視覚階層
実務的には、要素を三つの層に割り振るとよい。第一層は主題である公園そのもの。第二層は主題を位置づけるための骨格。第三層は水面や市域外など、あってもよいが読ませる必要のない地である。第一層には彩度と明度のコントラストを与え、第二層は輪郭のみか淡い色に落とし、第三層はほとんど白に近づける。この三層の設計は、要素の数ではなく強さの配分を扱っている点に意味がある。要素を減らさずとも、強さを調整するだけで読みやすさは大きく変わる。
タフティ(1983)が図表一般について述べた、主題と無関係な装飾が情報の読み取りを妨げるという指摘は、地図にもそのまま当てはまる。影付きの記号、立体的に見せる処理、格子状の飾り罫は、いずれも地に置くべき装飾でありながら図の強さを持ってしまう。装飾を足す前に、装飾がどの層に属するかを問う習慣が要る。
7.2 注記の配置は情報設計である
地図の注記——園名や地名の文字——は、単なる添え物ではない。どの注記を残しどれを落とすか、どこに置くかは、それ自体が優先順位の表明である。点で示された対象の注記は、記号の右上に置くのが読みやすいとされ、慣行としても広く用いられる。右上が使えなければ右下、左上、左下と順に候補を下げ、いずれも使えなければ引き出し線を引くか、注記を諦める。面で示された対象の注記は、面の内側に、面の伸びる向きに沿って置くのが基本である。
衝突が起きたときにどちらを残すかは、対象の重要度で決める。だが「重要度」は地図の目的が決めるものであって、面積が決めるものではない。子ども連れの外出を支える地図であれば、便所と日陰のある小さな園の名が、便所のない大きな運動公園の名より優先されてよい。面積順に注記を残すという素朴な規則は、目的を考えない自動処理の結果として現れやすい。
7.3 読みやすさは条件に依存する
地図の可読性は、屋内の机上で見るか、屋外の日射しの下で手元の画面を見るかで大きく変わる。屋外では画面の輝度が足りず、淡い色の差は消え、細い線は飛ぶ。子どもを連れて公園を探す場面は典型的な屋外利用であり、その条件で読める設計にするには、コントラストを室内基準より強めに取り、線幅と文字を大きめに確保する必要がある。
また、色の見え方には個人差がある。赤と緑の区別が難しい人にとって、緑の面に赤い記号を置く配色は最も読みにくい組み合わせの一つになる。明度差を確保する、記号の形を変える、注記を併記するという冗長性が、こうした場合の保険になる。冗長性は無駄ではなく、条件が悪いときに情報を守る仕組みである。
画面の地図に固有の難しさもある。紙の注記は一度置けば動かないが、画面では利用者が地図を動かし、拡大し、ときに回転させる。回転する地図では文字も回るため、上下が逆になった注記が現れる。文字だけを常に水平に保つ処理を入れると、今度は面の向きに沿わせた注記が破綻する。どちらを取るかは、地図を回して使う場面がどれだけあるかによる。歩きながら方角を合わせて使う地図なら回転を許し、机上で全体を見る地図なら固定するのが自然である。
註:図と地の分離は、印刷物では固定できるが、画面の地図では利用者側の明るさ設定や暗い配色の指定によって崩れることがある。背景が黒に近い環境では、淡い地として設計した層が逆に浮き上がることもある。想定される表示環境の幅を確かめておくことが、設計の前提になる。
8. 主題図の設計——階級の切り方が結論を決める
公園の分布や充足を伝える図は、主題図の類型のどれかに落ち着く。代表的なのは、区域を塗り分ける階級区分図、量に応じて記号の大きさを変える図形表現図、量を点の数で表す点描図、区域の面積そのものを量に応じて変形させる変形地図である。どれを選ぶかで、同じデータから受ける印象は変わる。塗り分けは区域全体が均質であるかのように見せ、記号の大きさは点の位置に量が集中しているかのように見せる。
8.1 塗り分けてよいのは密度や割合である
階級区分図の設計上の第一の規則は、塗ってよいのは密度や割合であって、絶対数ではないということである。区域の面積が違うのに絶対数を塗ると、広い区域が自動的に濃くなり、広さの効果と量の効果が混ざる。公園の数を地区別に塗るなら、面積あたり、あるいは人口あたりに直してから塗るのが筋である。
この規則は、磐田市の資料にそのまま適用しようとすると壁に当たる。地区別の園数は分かる——豊田28園、見付21園、中泉14園、御厨13園、竜洋13園、福田4園、豊岡3園、南部2園、向陽2園である。しかし地区ごとの面積や人口の値を当サイトは持っておらず、密度に直すことができない。この状態で園数をそのまま塗った図を出せば、地区の広さの差が公園の多寡として読まれる。値を持っていないなら、塗り分けではなく、地区名と園数を並べた図を出すほうが誠実である。
8.2 同じ数値、三つの切り方、三つの図
階級区分図の第二の規則は、階級の境界をどこに置くかが結論を左右するという事実の自覚である。境界の決め方には、値の幅を等分する等間隔法、各階級に同じ個数を入れる等量法、値のまとまりの切れ目を探して境界にする自然分類法などがある。先の9地区の園数——28、21、14、13、13、4、3、2、2——を三階級に分ける場合を考えてみる。
- 等間隔法:幅を三等分すると、上位は豊田と見付、中位は中泉・御厨・竜洋、下位は福田・豊岡・南部・向陽となる。
- 等量法:各階級に三地区ずつ入れると、中泉が上位に、福田が中位に移り、14園と13園という僅差の地区が別々の階級に分かれる。
- 自然分類法:値の切れ目に境界を置くと、28と21、14と13と13、4以下という三群になり、等間隔法と同じ結果になる。
三通りのうち二通りが一致したからといって、それが正解というわけではない。等量法が示した「中泉は上位」という像も、データの上では誤りではない。同じ数値から複数の図が作れるという事実が重要なのであって、どれか一つを選ぶ以上、選んだ理由を書き残す義務が作り手に生じる。階級の切り方を凡例に明記していない階級区分図は、その義務を果たしていない。
8.3 階級の数と、区域の粒度
階級の数は、多すぎれば濃淡の差が読み取れず、少なすぎれば分布の形が潰れる。濃淡だけで区別できる段階は、条件のよい印刷でも五から七程度が限度とされ、屋外の画面ではさらに少ない。実務的には三から五の階級に収めるのが安全である。
区域の粒度にも注意が要る。地区は行政上の区分であって、公園の使われ方の単位ではない。地区の境界をまたいで日常的に行き来している人にとって、地区別の集計は自分の状況を表していない。塗り分けの図は、区域内が均質で、区域の境界に意味があるという二つの前提を暗黙のうちに置いている。前提が成り立たない場面では、区域を塗るより、園を点で置いた図のほうが誤解を生みにくい。
8.4 図形表現図における重なりの処理
量に応じて記号の大きさを変える図形表現図では、記号どうしが重なる。重なりをどう処理するかで、図の印象はまた変わる。大きい記号を上に置けば、小さい記号は隠れて消える。小さい記号を上に置けば、密集した場所が小さな記号の群れに見え、大きな記号の存在感が下がる。記号を半透明にすれば両方が見えるが、重なった部分の色が濃くなり、そこに別の量があるかのような誤読を生む。
この問題は、公園のように大小の差が極端な対象では避けられない。磐田市の場合、園が密集する見付や豊田のような地区で重なりが生じやすく、しかもそこには小さな緑地が多い。重なりを避けるために記号を少しずらす一般化の操作を入れれば、位置が不正確になる。結局、図形表現図は「大きな対象がどこにあるか」を示すには適するが、「小さな対象がいくつあるか」を数えさせる用途には向かない。用途の切り分けが先にあって、表現の選択がそれに従う。
註:変形地図は、面積を量に置き換えて区域の形を歪める表現である。強い印象を与えるが、形が崩れるために位置の把握が難しくなり、地図としての基本機能を失いやすい。目的が量の比較だけであれば、地図の形を保つより、棒の長さで比べる図表のほうが正確に読める場合が多い。
9. 地図の修辞と編集責任
モンモニア(1991)の主張は、地図が悪意で歪められるという話ではない。縮尺を決め、一般化を行い、記号を割り当てる以上、地図は必ず何かを強調し何かを省いており、その意味で中立ではありえない、という構造の指摘である。ハーレー(1989)が加えたのは、その選択が誰の関心を反映しているかという問いだった。二つを合わせると、問題は「歪みがあるかないか」ではなく、「歪みが読み手に点検できる形で開かれているか」に移る。
9.1 修辞が働く四つの場所
第一は、図の枠の取り方である。市域で切り取った地図は、市境の外の公園を消す。境界のすぐ向こうに大きな公園があっても、図の上では市境沿いが空白地帯に見える。行政の資料としては正しい切り取りだが、住む人の行動範囲としては不正確な像を与える。枠は最も目立たない修辞である。
第二は、円を描くという行為である。街区公園に250メートル、近隣公園に500メートル、地区公園に1キロメートルという誘致距離の目安があり、これを半径として円を描けば、市域の多くが円に覆われるだろう。だがこの円は、直線距離であって歩く距離ではなく、川や幹線道路や踏切を無視している。円で塗られた面は充足を意味しない。にもかかわらず、塗られた面は充足の証拠として読まれやすい。円は最も説得力のある修辞である。
第三は、何を記号にしたかである。遊具の記号を大きく置いた地図は子どもの遊び場としての公園像を、運動施設の記号を大きく置いた地図は運動の場としての公園像を作る。どちらも事実にもとづくが、同じ市の同じ公園群から違う街の姿が立ち上がる。記号の選択は、公園とは何のための場所かという価値判断を、目に見えない形で含んでいる。
第四は、欠けているデータの扱いである。データが無い区域を、他と同じ薄い色で塗れば「少ない」と読まれ、白のままにすれば「何も無い」と読まれる。斜線や網掛けで「データなし」と明示し、凡例に載せてはじめて、欠測は欠測として伝わる。欠測の表現を持たない図は、無いことと分からないことを混ぜて提示している。
これら四つが厄介なのは、地図が主張の形をしていないからである。文章で書かれた主張には、根拠を問い、反論を書くという応答の型がある。だが地図は、断定の文を含まないまま像を渡す。読み手は自分が結論を受け取ったとは思わず、事実を見たと感じる。地図の権威は、正確さの実績よりも、この「主張に見えない」という形式そのものに由来する部分が大きい。図に添えられた凡例や註が読み飛ばされやすいのも、同じ理由による。
9.2 「では地図を作るな」への応答
地図は中立でないという議論に対しては、しばしば二つの極端な反応が返る。一つは、どうせ歪むのだから細かい配慮は無意味だという開き直りである。もう一つは、正確に描けないなら公開すべきでないという萎縮である。どちらも受け入れがたい。前者は、歪みの大きさに程度の差があることを無視している。後者は、不完全な地図でも無いよりは役に立つという事実を無視している。
採るべき道は、地図を主張として扱い、主張に添えるべきものを添えることである。すなわち、出典、作成の時点、縮尺の表示、凡例、階級の切り方、欠測の明示、そして更新の履歴である。これらは地図の内容を正しくするわけではないが、読み手が内容を疑い、確かめ、必要なら別の図を求めるための足場になる。地図の誠実さは、図そのものよりも、図に添えられた注記の側に宿る。
9.3 編集責任という考え方
公開データを地図にする作業は、しばしば単なる変換とみなされる。元データが公的機関のものであれば、作った図の責任もそちらにあるかのように扱われがちである。だが、縮尺を決め、記号を選び、階級を切り、注記を残す判断を行ったのは変換する側であり、その判断は元データには含まれていない。ここに編集責任が生じる。
編集責任の具体的な内容は、三つに分けて考えられる。第一に、判断を記録し公開すること。第二に、図が答えられる問いと答えられない問いを区別して示すこと。第三に、誤りが判明したときに直し、直した履歴を残すことである。三つとも、地図の正確さを高める作業ではなく、地図の限界を可視化する作業である点に共通性がある。地図学が実務に与えられる最も現実的な助言は、おそらくこの方向にある。
10. 磐田市の公園への示唆——三層の作図設計
ここまでの整理を、磐田市の公園100園に当てはめる。当サイトが持っている材料は、市のオープンデータ「都市公園一覧」の94行と、市の施設ガイドにのみ掲載されている6園、そして施設ガイドに個別ページのある77園の記載である。現地踏査はまだ行われておらず、踏査によってしか得られない情報——出入口の位置、園路の通り抜け、見通し、日陰のかかり方——は、現時点ではすべて空欄である。この前提のもとで、どんな地図なら作れて、どんな地図はまだ作れないのかを分けておく必要がある。
10.1 一枚では描けないという結論から出発する
第3節で見たとおり、17平方メートルの二之宮東第2緑地と221,722平方メートルの竜洋海洋公園を同じ図に輪郭で載せることはできない。第5節で見たとおり、12の種別を12種の記号に割り当てれば凡例が読み手の負担になる。第8節で見たとおり、地区別の園数を密度に直す材料がない。これら三つの制約は、いずれも「一枚の万能な地図」を否定している。したがって設計は、縮尺帯ごとに役割を分けた複数の図として組み立てるほかない。
- 第一層(全市の俯瞰・分母は数万台)——全100園を同じ大きさの点で示し、種別は身近な小規模園・地区の中核園・広域の大規模園の三段階に束ねる。注記は中核園と大規模園に限る。狙いは「市内にどれくらい、どのあたりに公園があるか」を一目で示すことに絞る。
- 第二層(地区ごと・分母は一万台)——9地区それぞれの図を作る。園名の注記を全園に付け、面積が一定以上の園は輪郭で、小さい園は点で示す。地区の色は面の塗りではなく、見出しや縁取りなど補助的な位置に使う。
- 第三層(園ごと・分母は千台)——個別の園の図。出入口、園路、設備の配置を記号で示す。ただしこの層に必要な情報の大半は踏査を要するため、現時点では作成できない園がほとんどである。
10.2 束ね方の根拠を示しておく
第一層で種別を三段階に束ねるとき、束ね方そのものが編集判断になる。市の一覧では街区公園51園と近隣公園14園で全体の三分の二を占め、地区公園4園・総合公園3園・運動公園3園・風致公園3園が中規模から広域の園を構成し、都市緑地10園・広場公園2園・緑道2園・墓園1園・歴史公園1園、および法の対象外6園がそれ以外に散る。束ね方の候補は複数ありうるが、どの候補を採ったかを凡例に書き、元の種別を第二層で復元できるようにしておけば、束ねたことによる情報の損失は回復可能な形にとどまる。
面積の扱いも同様である。第一層では大きさによる表現を諦め、すべて同じ点で示す。理由は第6節で述べた一万三千倍という比の問題である。代わりに、第二層で輪郭を描くことで広さの情報を回復する。面積を階級に区切って点の大きさを三段階にする案も考えられるが、その場合は境界の値を凡例に明示し、階級の切り方を書き添える必要がある。
10.3 欠測をどう描くか
磐田市の資料には、性質の異なる欠測が三種類ある。第一に、法の対象外として一覧に含まれない6園は面積が不明である。第二に、施設ガイドに個別ページのない園については、園内の施設の記載自体がない。第三に、踏査を前提とする項目は全園について未取得である。三つは原因も意味も違うのに、地図の上ではどれも「記号が置かれていない」という同じ見え方になる。
対処は、欠測の種類ごとに表現を分けることである。面積不明の園は輪郭を描かず、点に破線の縁を付けるなどして区別する。施設の記載がない園は、設備記号の欄を斜線で埋める。踏査未了の項目は、そもそも地図に欄を設けたうえで空欄と明示する。いずれも図を複雑にするが、無いことと分からないことを混ぜないための最小限の措置である。
10.4 誘致距離の円を描くかどうか
都市公園法施行令および国の標準では、街区公園は0.25ヘクタール・誘致距離250メートル、近隣公園は2ヘクタール・500メートル、地区公園は4ヘクタール・1キロメートルが目安とされる。これを円で描けば、市域の充足状況を示す図がただちに作れる。しかし第9節で述べたとおり、円は直線距離であり、天竜川や幹線道路や鉄道で分断された経路を無視する。
それでも円を描く意義はある。円の外側は、どんな経路を取っても目安の距離に届かない区域だからである。すなわち円は充足の証明ではなく、不足の候補地を絞る道具として使える。この用法を凡例に明記し、円の内側を「充足」と塗らないという表現上の節度を守れば、修辞の危険はかなり抑えられる。
註:当サイトは、公園100園のデータベースとして運営されている。運営は富士ヶ丘サービス株式会社(不動産・介護事業)である。市の公園の管理は磐田市都市整備課(電話 0538-37-4806)が担っており、地図に載せた事実に疑義がある場合の確認先は市の側にある。
11. 結論と今後の課題
本稿は、公園を地図に載せるという行為を、縮尺・一般化・記号・図的変数・図と地・主題図の設計という地図学の枠組みで分解し、それぞれの段階で作り手が下している判断を明るみに出そうとした。得られた結論は五つの命題にまとめられる。
11.1 五つの命題
- 縮尺は倍率ではなく制約である。長さは分母に比例し面積は分母の二乗で縮むため、どの縮尺を選ぶかが、描ける公園と描けない公園を機械的に決めてしまう。
- 一般化は省略ではなく編集である。選択・単純化・統合・強調・移動・記号化のうち、とくに強調と移動は位置の正確さを意図的に譲る操作であり、地図から距離を読み取る利用と相性が悪い。
- 属性には載せてよい表現次元がある。量は大きさ、順序は明度、種類は色相と形。この対応を外すと、読み手は存在しない秩序を読み取る。
- 階級の切り方は結論を作る。同じ数値から複数の図が作れる以上、切り方を凡例に書かない階級区分図は主張の根拠を隠している。
- 地図の誠実さは図ではなく注記に宿る。出典・作成時点・縮尺・凡例・階級・欠測・更新履歴という付随情報が、読み手に点検の手がかりを渡す。
これらは互いに独立した助言ではなく、一つの考え方の側面である。すなわち、地図は現実の縮小ではなく、目的に応じて編集された主張であるという考え方である。主張であることを認めれば、根拠を添えるという当然の作法が導かれる。地図学が長く蓄積してきた技法の多くは、この作法を実装する手段として読み直すことができる。
11.2 本稿の限界
第一に、本稿は既存の文献にもとづく概念整理であり、読み手が実際にどう地図を読むかを確かめた調査ではない。ここで述べた読みやすさや誤読の傾向は、地図学の議論として広く共有されているものだが、磐田市の利用者について検証したわけではない。第二に、記号の具体的な形や配色の値には踏み込んでいない。踏み込むには表示環境の条件を特定する必要があり、本稿の範囲を超える。第三に、実際の地図製品や特定の記号規格の是非は扱っていない。
第四に、最も大きな限界として、現地踏査がまだ行われていないという事実がある。第三層として構想した園ごとの図に必要な情報の大半は、公開データからは得られない。本稿の設計案は、材料が揃った場合にどう描くかという設計であって、いま描ける地図の完成形ではない。
11.3 今後の課題
第一の課題は、踏査で記録すべき地図項目の確定である。園の輪郭は既存の資料でも近似できるが、出入口の位置、園路がどこにつながっているか、柵の切れ目、樹木の影の落ち方といった項目は、現地で位置を伴って記録しなければ地図にならない。記録の様式を先に決めておかなければ、踏査の成果が地図に載らないまま散逸する。
第二の課題は、欠測の表現規則を確定し、全園に一貫して適用することである。面積不明の園、施設の記載がない園、踏査未了の項目という三種の欠測を、それぞれ異なる見え方で示す規則を決め、凡例に載せる。規則が園ごとに揺れれば、欠測の明示という工夫は意味を失う。
第三の課題は、地図と一覧の関係の設計である。地図は位置と分布を伝えるのに向くが、細かい属性の比較には向かない。逆に一覧は比較に向くが、位置の感覚を与えない。両者を並べ、片方で見つけた園をもう片方で確かめられるようにする往復の仕組みが要る。地図学の議論は、地図を単独の作品としてではなく、資料群の一部として設計する方向へも開かれている。
最後に、本稿の設計案そのものが一つの主張であることを付け加えておく。三層に分けるという判断も、種別を三段階に束ねるという判断も、別の目的からは別の答えがありうる。判断を書き残し、根拠を示し、必要があれば書き換えるという手順を守ること。地図に対して求めた作法は、地図について書く文章に対しても等しく適用されるべきである。
参考文献
- ジャック・ベルタン(1967)『図の記号学』(森田喬訳、地図情報センター、1982)
- マーク・モンモニア(1991)『地図は嘘つきである』(渡辺潤訳、晶文社、1995)
- アーサー・H・ロビンソン(1952)The Look of Maps(University of Wisconsin Press)
- J・B・ハーレー(1989)Deconstructing the Map(Cartographica 誌所収の論文)
- エドワード・R・タフティ(1983)The Visual Display of Quantitative Information(Graphics Press)
- ケヴィン・リンチ(1960)『都市のイメージ』(丹下健三・富田玲子訳、岩波書店、1968)
- 都市公園法(昭和31年法律第79号)および都市公園法施行令
- 国土交通省「都市公園」(都市公園の種別・配置に関する解説)
- 国土交通省「都市公園における遊具の安全確保に関する指針(改訂第3版)」(令和6年6月)
- 磐田市オープンデータ「都市公園一覧」(CC BY 3.0・出典:磐田市)
- 磐田市「施設ガイド(公園)」
本稿は ATAWI PARK 編集部による総説的な論考であり、学会誌等の査読を経た学術論文ではありません。引用は広く知られた著作・公的資料に限り、磐田市固有の事実は当サイトのデータベースと磐田市の公開情報にもとづきます。個々の公園の設備・状態は現地でご確認ください。医療・安全に関する判断は医療機関・関係機関の指示を優先してください。